「あ。ねぇ、ちょっといいかな」 深夜、仲良しコンビこと楓とひゃわが廊下を歩いていると、すれ違いざまに上司であるダンピール――煌夜は思いついたように二人に話しかける。 「へっ?」 「えっ?」 驚いて足を止めた二人に彼は近づき、周囲の気配を伺ってから身を屈めて小さく囁いた。 「『あの部屋』……使わせて貰いたいんだけど、大丈夫かな」 ゴウン、ゴウン、と何かの動力を使った何かが何かしらの動きをしているのであろう何かよく分からない音が部屋と化した装置の中で響いていた。 初披露の日にはすぐにその場を去ったためにじっくりとモノを見るのは初めてのようで、煌夜はせわしなく視線と首を巡らせていた。 落ち着かない様子にも見て取れるような動きでもある。 「ね、ねぇ、大丈夫…?」 とは、ひゃわの言葉である。 テストプレイすら(酔いそうという理由で)断っていた彼が、いったいまた、どう気が変わったのだか、彼女にはさっぱり検討もついていなかった。 起動の準備を手伝いながら、楓も心配そうに煌夜を見やる。 「…まぁ…ね。ほら、いつまでも逃げてるわけにもいかないかなー…って、さ」 心底疲れ果てたような声を出して、何かを諦めたようなそんな目をして、口角をへにゃりと下げて。しかし語尾だけは明るい表情と口調で男は笑う。 少女二人は顔を見合わせた。 「うん、体質は少しずつだけど変わっていくよ!」 「こうたんなら実戦慣れしてるし、全方位だってそんなに酔わないよ!」 そういう意味で発した言葉ではなかったのだが、まぁその解釈でも間違ってはいないし構わない、と煌夜は内心で笑った。 ごそごそと得物を準備しながら、また思い出したように「あ」と小さく声を上げた。 「うん?何か問題があったかな」 「あ、そうじゃな…くもないのかな? このブースの中で針とか投げたら機械の故障とかしちゃう?」 「えっ。うーん…。攻撃が当たっても大丈夫なくらいには丈夫だと思うんだけど…」 二人はまた顔を見合わせた。 「長官が『莫大な費用』っていう位の機械なんでしょ? 壊しちゃったりしたら修理費なんて払える気がしないよ」 保険料だけで手一杯なのに。とよく分からない言葉を付け足して、煌夜は頬を掻いた。 意味もなく斜め上に視線をずらし(考え事をするときの彼の癖である)、しばらくの沈黙。 そして口から飛び出したのは 「まぁ、投げなきゃいいだけだよね」 という至極当然で、単純で、尚且つ少女二人にとっては斜め上の言葉だった。 「こうたん、針……投げないの?」 「うん? うん」 正直な話、二人は見たことがなかった。この二人に限らずとも、第八に所属する多くのバランサーは見たことがない。 煌夜が投擲を一切使わずに戦闘を行う姿を。 彼の得物イコール銀針、というイメージ(そして事実)は根強く、そして長い間ずっとそうだったために。 人間よりは長く生き、趣味と実益とヒマ潰しの果てに習得した、所謂ウェポンマスタリの能力は、人前で披露された試しがなかったために皆知らないのである。 そして、この装置(あまりに名前が長くてややこしいので、煌夜は勝手に『仮想部屋』とか『シミュレーター』などと呼んでいる)を使うバランサー達は当然のごとく自分が一番得意な武器を使って訓練を行っている。 それを使わないとは。 「最近は機会もないし、腐っちゃいそうだからついでに、ね?」 ね? などと言われても、困惑している二人には同意する余裕もない。 一方の上司はマイペースにストレッチを始めてしまう始末で、とにかく会話と意志のほとんどが噛み合わなかったことだけは事実であった。 ただ、仕事が直接関わらない場ではだいたいこの調子である。時たまあの戸戸戸すらをも困惑させ、その様子は当事者が知らないだけで密かに第八の名物にもなっていた。