イレギュラー・バランサー 番外の番外 〜Star Drops〜 貰ったクッキーのおかげで、苛つくほどの空腹感はある程度癒えた。 甘味が満腹感を増幅させるというのは本当らしい。 「美味かった? なぁ、美味かった?」 あぁ、そんなに目をきらきらさせないで。眩しすぎて仕方ない。 起き上がってクッキーの粉をはたき、包みを丁寧にたたんで女性に渡しつつも煌夜は斜め下を見つめたまま、小さく「うん」と呟いた。 「誰かに言ってからここに来たの?」 「え……あっ!!?」 あからさまにあたふたとうろたえる女性を見て、彼はため息をついた。 立ち上がって軽くストレッチをすると、女性の手を取り立ち上がらせる。 「家はどっちなの。近くまで送る」 「えっ、あっ、で、でも」 「こんな真夜中に普段着で魔物が出る区域を一人で出歩いた結果がこれでしょ。無事に帰れる保証、しないよ」 「あぅ…」 僕も似たようなものだけど、と胸中で付け足し煌夜は再び狼の姿に変身した。 地面に伏せると「なにしてるの、乗って」と、女性を急かす。 「喋れたんだ……」 「そりゃそうだよ」 「じゃあなんでさっきは喋らなかったんだ?」 「なりきってたんだ」 小柄な女性が狼によじ登るには少し時間がかかったが、なんとか安定した位置に腰を下ろすことが出来た。 「もっふー! もふもふもふ!」 前のめりに倒れて毛皮に抱きつく女性を、(同じくもふもふした)長い尻尾の片方が軽くはたく。 「じゃれてる場合じゃないんだよ。ほら起きて、もうちょっと前、そう、姿勢は低く、掴まるのは飾り毛の辺りが多分安定する。膝で僕の身体を挟んで、そう」 乗る姿勢を指示し終わったところで煌夜は伏せた姿勢から立ち上がった。 「ぉわわっ!」 「上体起こすと落ちるよ。君はちっさいから途中で振り落としてもわからないかもしれない」 「し、失敬な!」 女性は掴んだ飾り毛をぐいぐいと強く引っ張った。狼はもう一度尻尾で女性をはたいた。 「大体の方角だけ指示してくれればいいよ。……じゃ、飛ばすから風圧とかで振り落とされないようにね。」 女性はまた飾り毛を引っ張ったが、狼は無視した。一掴み分の毛玉が取れたが、彼女は見なかったことにして元の位置にねじ込んだ。 「さて。行こうか」 言葉を吐き出すよりも早かったのではないかというタイミングで煌夜は走り出した。 しなやかな筋肉と魔物の血の力は強く地面を蹴り、普通の人間ではおおよそ体験できない速度を叩きだす。 (すごいすごい! 風になったみたい!) 時折頭上を通り越す枝を飾り毛に頭を突っ込んで回避しながらも、女性は恐怖どころか興奮で満たされていた。 灌木や倒木は軽やかに、しかし最低限の振動で跳び越え、狭い空間は出来るだけ避けて。 走っている張本人としては自分にとって都合の良いルートを選んで走っているだけなのだが、それが騎乗者への気遣いにもなっていることには気づいていない。 時折魔物の影が人間の匂いに反応して飛びかかってくることもあったが、狼の吐息一つで氷塊となって地に転がる。 正面から突進してきた一匹などは顔面を前足のスパイクで掴まれ、背骨を後足で強く踏まれて折られ一瞬で絶命した。 女性は魔物に驚いて毛に顔を埋めていたために運良くその瞬間を見ないで済んだ。 「あっ、こうたん! あのおっきい木! あっち!」 「おや立派な木だ。……ん?」 木からかなり遠くではあるが、炎がいくつも揺らめいている。 煌夜はそれらを松明の火と解釈して木の根元まで駆け寄り、地に伏せて女性を降ろした。 「あれ、君を捜してるんじゃない? ヤニの匂いがするし松明だと思うけど」 「ほんとだ! 帰ってこれた! こうたんありがとねぇ!」 胸の飾り毛に顔を埋め、女性は狼の首を抱きしめた。 「……ねぇ。一つずっと気になってたんだけど」 「ん?」 「探してた『石』とやらは、今ちゃんと持ってるんだろうね?」 「おー! もちろんこの袋に入れ……入れ…」 「ま……そりゃあ落とすよね。クッキー持ってたのが奇跡だ」 ポケットというポケットを探し、女性は大きくため息をついて頭を抱えた。 うーうーと唸ってへたりこむ女性を見おろし、狼もつられてため息をついた。 「宝探しも良いけど、コレに懲りたらちゃんと装備を調えて、一人で行かない。少なくともその格好は駄目だ」 「むー……」 そうこうしているうちに近づいてくるヤニの煙と炎、話し声に二人は顔を上げた。 「じゃ、ここらで退散するよ。見つかったら厄介だ」 「また、会える?」 「……良い夜を」 女性の視線を振り払うようにきびすを返し、狼は夜の闇にあっという間に溶けて消えた。 (物好き)