これはK96さんのwebマンガ+イラストサイト「870R」 http://k96.jp/ (サイトは18歳以上推奨)「HANA-MARU」からの二次創作です。(HNじゃいこ) 歩く猫のブログ http://betuneko.blog.shinobi.jp/Entry/90/ でもご覧いただけます。 全26話。このファイルは1~14話まで。2012/3/24更新。 バカ系時代劇シチュ / 原作枠内カップリング。史実っぽいものはウソだらけです。 こころのひろい おとなむけ。おこさまは よまないでくださいね。 大江戸870夜町(1)  ここは吉原。  お定まりの真っ赤なしとねの上で、くんずほぐれつする男女がおりました。 「困ります、どうか」 「ほらほら、力を抜いて」  馬乗りになっているのは女の方で、男を完全に組み敷いています。 「いけません、花魁」 「花魁ちがーう。陽光(ようこう)太夫って呼んでー」  クックと笑う女の髷は、後光のようにかんざしが並んだ最高位の太夫髷で、総髪の侍は必死に身をよじりました。 「た、太夫……料金体系Aクラスの方にこんなことをされては」 「えー工藤さま、どんなことするつもりー」 「体術の調練ではないつもりですが」  工藤はもがくのをやめて息をつきました。どう暴れても両腕は自由になりません。 「力ではないようですね……関節を固定するコツがあるのかな」 「教えてほしい? じゃあ調教コースね」 「そういう意味では」 「お座敷なしの単発プレイだもん、そんな高くしないわよ」 「で、ですから、払いません。私はあなたを買っていない」 「やん、商売抜きの間夫(まぶ=恋人)希望? もう告られたーこちら情熱的ー」 「話を聞いていただけませんか、くっ」  太夫の膝が脇差をひねり上げると体幹が固定され、工藤はボスボスと布団を蹴るばかりです。 「た、太夫ともあろう人が、初会の客と軽々しく寝てはいけません」 「いいのいいの。お座敷チャージとかそのへん省略」 「遊里のルールは守らねば」 「ルールは破るためにあるのよ。あー工藤さま、裏地おしゃれ」  のたうつ裾からドラゴン柄がのぞいています。 「地味ごのみ少しは派手にせよと主が一度も着てないワードローブを下され、せめて忠義の裏打ちにと、よっ」  工藤が体をひねると、太夫の腕がくるんと返されました。 「あん! いたた」  うつぶせにねじ伏せれば形勢逆転です。工藤は裾を直すよりまずガッチリと太夫の上位を取りました。 「片手で男を拘束しようとは、さすがに無理がありましたね」 「両手ふさがってるとイイコトできないんだもん。煩悩に負けたー、ドラゴンー」  歯がみする太夫を押し固め、工藤が慎重に立ち上がろうとしたそのとき。 「太夫~。陽光太夫、どこっスかー」  ドタドタと足音が近づきます。 「太鼓持ちのハルだわ。はるるーん、ここよー」 「ちょ、この体勢を見られては大変な誤解が」 「静かにしてあげてもいいわよ。お口をふさいでくれたら」 「……では失礼」 「んー」  期待に応えない工藤は、太夫の口を普通に手でふさぎましたが、ドンばたん! ごろり。 「くっ、しまった」 「うふー、そっちが片手になりゃ私のが強いに決まってるでしょ♪」  ふたたび馬乗りになった陽光太夫は、念入りに工藤の関節を固めました。 「さーて、うるさいお口をふさぐときはこうするの」 「どうかお構いなく!」  右へ左へ顔をそらすのが工藤にできる最後の抵抗です。 「これだけ完璧にマウントされたら、言われなくても逆らいませんから」 「じゃー力抜いてよ」 「唇突き出すのやめてください」  二人が組み手をプルプルさせながら睨み合っていると、板戸がガラッと開けられました。 大江戸870夜町(2) 「太夫ー!」  太鼓持ちのハルは、華麗に板戸を開け放ちました。 「布団部屋で昼寝しちゃ駄目っスって何度言や……わわ、男付きだ」 「お座敷ー? いま忙しいから後でね。あら?」  陽光太夫の目が光ります。 「はるるん、ちょっとジャンプして」 「こうっスか」  ハルが素直にぴょんぴょんすると、袂がチャッチャと鳴りました。 「いい音させるじゃない。チップ?」 「だから急いでくださいって。もうご一行お座敷にお通ししちゃったんスよー」 「大口なの?」 「豪商のご隠居さんが取り巻き連れた大宴会っス。草履のお世話しただけで、チップも気前よかったっスよー」 「わあ、がんばろっと!」  跳ね起きた太夫は、ガッツポーズで行ってしまいました。 「やれやれ」  工藤はぐずぐずにされた着物を直して起き上がりました。 「あのー、お武家さま」  ハルが手鏡を差し出します。 「お顔に紅が」 「? 接吻は全力で拒否したはずですが」  鏡をのぞくと、死守した唇以外ニアミスの赤い跡だらけです。 「一カ所にされていた方が始末がよかったか」 「こすると余計広がるっスよー。これリムーバーオイル、どぞっス」 「かたじけない」 「遊女タラすならクレンジングぐらい携帯しなきゃっスよ。あーあ大乱闘」  ハルは布団の山を積み直し始めました。 「今後はこういうのナシに頼むっスよ。指名チャージが入らないと困るんス。同伴デートはチケット制、お馴染みさんには月間パスが」 「いえ私は」  工藤はクレンジングを塗り込みながら首を振りました。 「廊下で太夫とすれ違っただけなんです。いきなり布団部屋に引っぱり込まれて」 「へへ、気に入られたんスねー」 「あっと言う間に上位を取られました」 「モテ男ヒュウッ」 「いえ、合いの手は結構」  きれいに顔を拭った工藤は、キラキラのデコ手鏡をハルに返しました。 「体術の心得でもおありなのかと思ったのですが」 「体術ってそりゃあ」  ハルは鏡をのぞいてニヤけます。 「この鏡プレゼントしてくれた海老ちゃんの海老固めなんて、あっちゅー間に背わた抜かれるスゴ技っスよー」 「そっちの意味の寝技ではなく……遊女らしからぬ身のこなしというか」  ハルはオーウと天を仰ぎました。 「遊女なんかさせとけないってわけっスね! すでにアツアツだー、モテ男勝負、俺の負けっス!」 「話を聞いてください」 「皆までおっしゃるな。身請けしたいが金がない、せめて客として通う切ないデート。男のロマンっスねえ~」 「もしもし」 「逢瀬のバックアップはお任せっス。一名さまご優待、俺の顔でムリクリ予約入れとくっス。もー特別っスよ~」 「失礼します」  予約伝票を切ろうとするハルを振り切り、工藤は廊下を駆けました。 「戻りました」 「ああ」  座敷では二人の侍が膳を並べており、主らしいひとりが入室を促しました。 「手間取ったな」 「思わぬ事故で」  きびきびと下座へ回った工藤は、客分の侍にも一礼しました。 「大変お待たせを。吉澤さま」 「工藤さん、武士の魂が粉まみれだよ」 「あ」  馬乗りの生足がからんだ脇差です。工藤はあたふたと鞘をぬぐい、吉澤は嬉しそうに盃を掲げました。 「チラ見せ用の肌白粉だ。太ももなんかにはたくやつだよね。どんな衝突事故だったのかなー♪」 「あの、長い話になりまして」 「ほーほー、勤務中に長時間たっぷりコース。樋口家は自由でいいな。僕も仕官の口を願えるかしら、御曹司?」  水を向けられた樋口桔梗介(ききょうのすけ)は、むっつりと腕組みしています。 「家督を継ぐまで、俺に人事の裁量はない」 「なるほどなるほど」  吉澤はニコニコと手酌が進んでいます。 「太ももと見りゃ休憩入れちゃうおサボリ近習もご一存では解雇できないと。若さまもご苦労だー」 「そうだな」  まともに相手をすると疲れるので、桔梗介は投げやりの全肯定です。 「多少浮かれておっても、こういう場所ではかえって目立たんだろう」 「たっぷりコースも経費で落ちるんだ。よかったねえ工藤さん」 「で、手がかりはつかめたのか」 「は」  工藤は冷や汗を拭き拭き、ひと膝進み出ました。 「吉澤さまからの情報どおり、華宮院の用人衆による宴会が、ここ吉原・花札屋で頻繁に行われておりました」 「単なる息抜きの遊興ではないのか」 「必ずこの座敷をという指定があり、必ず隣同士になる宴客と意気投合したあげく、必ず二間つなげて飲み交わすことになるとか」  桔梗介はフンとうなずきます。 「偶然を装った会合だ。その隣客とは?」 「不明です。予約名は架空で、町人会らしき体裁をとってはおりますが、予約の確認さえできれば、店側は山さまでも川さまでも構わないそうで……」 「手がかりにはなる。予約名を言ってみろ」 「七色カッパの会、です」 「……」  梅にウグイス、桜に幔幕、不条理には吉澤なので、桔梗介はジロリと説明を求めましたが。 「カッパ……あれだよねえ、頭に皿のある」  吉澤は一気に飲み干し、朱塗りの盃をぽんと頭に乗せました。 大江戸870夜町(3) 「カッパの姉さん飲んじゃって! おおおー!」  やんやの喝采とともに、陽光太夫は仰向いて飲み干しました。 「ぷっはー、とってもうまカッパー」 「わしゃもう限界じゃー」  お客の老人が倒れ込みます。頭の上からガラガラと盃が落ちました。 「強いのう、ヨーコちゃんは」  お座敷遊びのジャンケンカッパ飲みは、ジャンケンで負けた方が飲み、空の盃を相手の頭に重ねます。  要は飲み比べ、どんなにジャンケンが弱くても、相手が頭上の盃タワーを保てなくなるまで飲み続ければいいわけです。 「さすが販促イベントで樽酒を飲み尽くした伝説のキャンギャル、ザルの陽光太夫じゃ」  老人は付箋だらけの「お江戸の歩き方」を取り出しました。  「吉原で本人来店イベント!」という見出しの下に、空の樽を抱いている陽光太夫がいます。洗い髪に肌白粉、あとは樽で隠しているだけのギリギリグラビアです。 「この樽が、この樽がのう~」 「水着着てるわよー、ビーチイベントだもん」 「そこを妄想で補うのがドリーム脳じゃ」  グラビアと同じ樽酒が上座にデンとすえてあり、老人は角度を変えて回り込みました。 「おうっ、着衣で同じアングルっちゅーのがまたドリームを刺激するのう」 「おじいちゃんのえっちー。はい、サインとキスマークね。んちゅー」  サインとキスマーク入り限定樽酒は、飲む用と保存用、ふたつ購入するとお座敷特典が付いてきます。 「お座敷のあとは寝間でしっぽりが理想じゃのう~」 「うふ、おじいちゃんなら無認可営業しちゃおかなー」 「冥土の土産に風営法で捕まってみるかの、カーッカッカ」  きわどい会話も含めての購入特典であり、遊女登録を経ていない陽光太夫はあくまでもキャンペーンガールです。事情を知らない人間が本気の高級遊女と思い込むこともありますが、すかさず太鼓持ちが同伴デートを設定し、吉原外での営業に切り替えるのでした。  遊びの酸いも甘いも噛み分けた老人は、どっさり指名したサブ花魁たちの膝枕をごろごろ転がります。 「嬉しいのう。歌舞伎は観たし、三越のライオンにはまたがったし、水戸に帰ってうんと自慢ができるわい」 「ミーハー旅行っスね、楽しそうっスー」 「諸国を漫遊してようやく帰るところじゃ。ゴール前最後の楽しみに取っといたお江戸観光が一番楽しいのう、ごろごろ~」  転がる先には、ハルがすでに座布団を並べています。 「お、気がきくのう」  チーンと弾いたチップをハルがジャンピングキャッチして、陽光太夫の鷹のような目が追いかけました。 「はるるん。チップは山分け、お座敷はチームワークだからね」 「分かってるっス。皆で分けてもたっぷり行き渡るっスよ。さぞ大きなお店のご隠居で、あれ……」  ハルは首をかしげました。 「水戸出身で越後のちりめん問屋を名乗り、取り巻きと諸国を漫遊……まさかその腰に下げた印籠は!」  葵の御紋、ではありません。 「トリプルはあとマークじゃ。可愛かろ?」 「すごく紛らわしいっス」 「あと、越後のちりめん問屋ではなく、ちりめんじゃこ問屋・越智屋じゃよ。控えおろう~」  ご隠居がプルプル震える手で印籠を構えると、プルプルの残像効果でパッと見完全に三つ葉葵です。 「VIPのフリでどこまで入城できるか、江戸城チキンレースをやろうと思うての」 「ちょ、危ないっスよ~」 「そうですよ、ご隠居さま。命がけですよ~」  泣き声ですがるのは、随行の越智屋従業員です。 「鶴さんも亀さんも心配症じゃのう。堂々としとればええんじゃ。もしくは徘徊老人のフリ」 「ご隠居なら大奥まで行っちゃえそうで怖いんですよ~」 「カッカッカッ。御台所でもナンパしてくるかの。さてヨーコちゃん、もうひと勝負じゃ」 「いいわよ。ジャーンケーン」 「ほいっ」  と双方、身振りを作ったちょうど同じ時。  小座敷にいる吉澤も、ジャンケンカッパ飲みをやってみせていました。 「両手を頭に乗せて、これがカッパ。棒をかじるポーズで、キュウリ。幽霊の手つきをすると、お菊。カッパ>キュウリ>お菊で、いわゆる三すくみってわけ」 「三すくみ、ふむふむ」  工藤が熱心にメモを取り、大座敷では太夫が「カッパ」、ご隠居が「キュウリ」を出しました。 「あ、勝ちー」 「負けじゃー、さて飲めるかのう」  ごぶりとご隠居が盃をあおると、 「お皿ちょうだいしましたー」  太夫の髷に盃が置かれます。 「太夫髷のぽっこりは盃の安定がええんじゃ。ズルいのう」 「おじいちゃんの月代だって、ペタッとくっつくじゃない」 「おかげで丸くへっこんで来たわい。今度は負けんぞ~」 「要は飲み比べですね。飲み続けられなくなったところで降参と。降参のペナルティーは?」  せっせとメモる工藤を、吉澤は鼻であしらいます。 「決まってないよそんなもん。お座敷遊びなんだからさ。ワンコインとか一枚脱ぐとか、好きなものを賭けんじゃないの」  大座敷では、ご隠居がギラギラと闘志を燃やしていました。 「同伴デートチケット・お好みコースタイプ。どうしても手に入れるんじゃー」  ご隠居は懐からチップをつかみ出します。 「ハル君、キャッチじゃ」 「わんわんっ!」  右へ左へ投げ銭が飛び交い、つい目で追った陽光太夫は、ころんと盃を落としました。 「あ、やーん」 「ヤッター! ではここへ付きおうてもらうかのう。遠山の金さん行きつけのバーじゃ」  開いてみせたページは、ナイトスポット特集です。 「怖いですよお、夜の繁華街なんか」  弱気の鶴さん亀さんに、ご隠居はホレホレと紙面を見せつけました。 「ちゃんとした店じゃよ。お奉行さまが行くぐらいじゃし」 「店のイチオシは、健康志向の肝臓いたわりカクテル。狙いは中高年層かな? 俺が下調べしておくっスよー、お客さまのニーズにはとことんお答えするっス」 「おお、気がきくのう」  ご隠居は夢見る顔で雑誌を抱きしめました。 「本人に会えるといいのう。あの桜吹雪が本物かどうか、かねがねこすってみたいと思うとったのよ」 「わわ、無礼討ちされるっスよ」 「そこはヨーコちゃんの手練手管で、ちょいと諸肌脱がせて」 「そうね、個室があれば」 「やるんスか太夫!」 「いけませんご隠居~」 「とめるな鶴亀。カーッカッカッカ」  一方の小座敷では。  空の徳利をマイク代わりに、吉澤が熱弁を振るっていました。 「このお菊がカッパに勝つってとこがミソなわけ。皿屋敷のお菊さんは、恨みが高じてドS霊に転生したわけだけど、これが強いのなんの」 「はい」 「田舎妖怪じゃ相手にならないのさ。お菊の四十八手がカッパの理性をからめ取り、甲羅に亀甲が食い込んで、いつしかカッパも快感に目覚め、やおら太いキュウリを」 「メモせんでいいぞ、工藤」 「しておりません」  工藤はずいぶん前から空中で筆を動かしていただけでした。  吉澤はぶーとふくれます。 「僕がデタラメ言うとでも? たまにはホントのことも言うんだぞー」 「たまだから厄介なんですよ。情報の真偽を確かめる現場に、いちいちおいでいただかなきゃならない」 「僕はタダ酒飲めてむっつりスケベは息抜きできて、みんなハッピーだろ」  吉澤はよろりと這って膳を押しのけました。 「さあメモれよ。カッパドM説は譲らないぞ。もっといい解釈があるってんなら聞かせろやー」  工藤のメモは奪い取られ、にょろにょろと落書きされてしまいます。 「吉澤さま、酔っておられる」 「酔ってませーん。情報が間違ってたらその場でたたっ斬るぞって顔の男と飲んでみろ。メチルアルコールでも酔えるかーい」  当の桔梗介は、小皿をためつすがめつしています。 「女中は皿を割る」 「……若?」  ウザさのあまりの乱心かと凍りつく工藤でしたが、主は至極まじめでした。 「断面が葵の御紋に似るところから、キュウリは将軍家の隠語とされる。それを食らうのだから、カッパとは倒幕派のことだろう」 「はーい、そのとーりです」  だいぶ遊んで気が済んだ吉澤は、座布団を枕にごろんと横になりました。 「尊皇カッパの皿を割るドジっ子お菊さんは朝廷ね。お菊の御紋もキュウリの御紋に権勢では負けてるってことで、ハイ三すくみ完成」 「お座敷ジャンケンにしては、キナ臭い題材だな」 「水戸藩士が流行らせたらしいですよー。こないだまでブイブイ言わしてたよね」  水戸藩士が起ち上げた天狗党は、過激な幕政批判がたたって先ごろ討伐されたところです。 「七色カッパの会……、天狗の残党がカッパに転生したか」 「つまりゴリゴリの倒幕派」 「そんな連中と華宮院が秘密裏に接近する理由とは」 「おい……!」  桔梗介の顔つきが変わり、目線の先を追った工藤はもう刀をつかんでいます。滑るような三歩で窓際へ寄ると。  たーん!  抜き払いざま、真っ二つになった障子が斜めに滑って落ちました。 「……やあ! いいお晩で」  軒下にブラ下がっていた男は、無精髭をひくつかせて笑いました。 大江戸870夜町(4) 「いや全く、のんびり懸垂するには持ってこいの闇夜で、ほわ!」  工藤が剣先を突きつけます。 「そちらさんに意趣あってどうこうとかじゃねえんで!」 「雅ちゃん!」  男の背中には少女がしがみついていました。工藤が刀をおさめると、雅と呼ばれた男は、ビクつきながら窓枠に上がりました。 「縛りが甘いねお二人さん。亀甲が正しく掛かってないよ。野外ってだけで興奮する手合いは、どうもディテールをおろそかにして」 「吉澤さま、これはどう見ても命綱です」 「や、おっしゃるとおり、野暮なこって。間に合わせのぐるぐる巻きでさあ」  雅はペコペコしてみせながら、くるりと襷をほどきました。 「天音、飛べ!」 「ええっ」 「下は水路だ、俺のこたいいから!」 「……!」 「おっと」  天音がハラをくくるより一瞬早く、吉澤が帯をつかんでいます。 「やめとけば。へえ、見習い中のかむろちゃんだね。足抜けさせようっての?」  雅は床にドンと両手をつきました。 「頼む、お武家さんがた。見逃してくれ」  工藤は落書きだらけにされたメモをめくりました。 「雅さんというと、花札屋の従業員の方ですね。太鼓持ちとして入ったが地味すぎて降格。現在は下男」 「く、詳しいなあんた」 「こちらの天音さんは、親の借金のカタに吉原入り。父親は大工の福助、通称・大福親方」 「マジで詳しいな。あれか、風俗ライターか何かか」 「ほんの予備調査です」 「へえー。ねえねえ、出張人妻緊縛でオススメある?」 「そんな出張存じません」  吉澤からメモをかばいつつ、工藤は吟味を続けました。 「お二人の入店時期が同じですね。何か理由が?」  天音はすんすん鼻をすすりました。 「雅ちゃんは、お父っつぁんが使っていた下請け工なんです。慣れない色街で働いて、私を盗み出す機会をうかがってくれていたの」  雅は首の後ろを掻きました。 「大福親方は、体壊して借金こさえるまではひとかどの棟梁だった。カンナかけりゃ削り節みてえに薄くてよお。俺を一人前にしてくれたなあ親方だ。恩人の娘をみすみす苦界に落とせるか、てやんでえ」 「雅ちゃん、ありがと」 「ひでぶ!」 「吉澤さま、なにゆえ奇声を」  吉澤は、のあーと脱力しています。 「だって目から血が出るよないいハナシ……。で? 手に手を取って逃げた二人は、ささやかな所帯を持って幸せに暮らしましたとさ?」 「そんなんじゃねえ」 「ん、私はいいよ……」 「ばか、もじもじすんな」 「だって雅ちゃん」 「ぬえば! 目から、目から血がああ」  のたうちまわる吉澤は放っておいて、工藤は主とうなずきを交わしました。 「雅さん。足抜けに手を貸しましょう。見返りに、情報収集を手伝っていただけますか。壁に細工ができれば座敷を直に探れます」 「任せとけ。覗き小窓に隠し扉、大福親方直伝のからくり木工ならお手のもんだ」 「ほう、大工にも色々あるのだな」 「専門は猫ドアでさあ」  さて、天音は派手なお仕着せを脱ぎ、雅の古着を着込みます。頭から羽織をひっかぶれば、泥酔した若侍のように見えないこともありません。 「こんなんで大丈夫か。郭(くるわ)の人間は、客の顔と頭数を合わせるのが商売だぜ」  雅は不安げでしたが、意を決して帳場へ向かいました。 「手四の間、お帰りでございやーす」  声をかけると下足番が三人分の履き物を並べます。 「はいはいご散財、手四の間さま」  貴重品預かりの大刀をいそいそと下ろした手代は、頭の中で三人分の顔認識リストを展開させていて、(1)不愛想三白眼(2)低姿勢地味男(3)は細目スマイルのはずでしたが…… 「よう、たっぷり飲ましてくれたなクソが」 「おっ、お客さま」 「また来てやるぜ。ショボくせえ面ならべて待ってろ」  細目スマイルどころでない殺気に手代は腰を抜かしました。 「どうかご勘弁を、ひいい」 「料理も口に合ったぜカス」  言ってることは普通なのですが、縮みあがった手代には「殺すぞ」としか聞こえません。  知らん顔の三白眼侍に続いて、四人目の客が便所スリッパで出て行きます。  それどころではない下足番はヘたり込み、遣り手婆は泣き叫び、工藤は皆を助け起こして回りました。 「あの、障子を壊してしまったので弁償を」 「結構です、結構です!」 「うちの障子がボロくてごめんなさい!」 「生まれてごめんなさい!」 「いやまあ、ではこれで」 「必ず、またのお越しを」  深々と頭を下げる雅に送られ、一行は阿鼻叫喚の帳場を後にしました。 大江戸870夜町(5) 「じゃ、僕はここでー♪」  情報屋の吉澤は、報酬を受け取って殺気をおさめ、夜の町へと消えました。  樋口家下屋敷に入った桔梗介を、妹の斗貴が出迎えます。 「兄上、その娘さんは……」 「お前に預ける。事情があってコブつきだが」 「ごめんなさい! 天音と申します!」 「コブってまさか兄上の」  斗貴が口をぱくぱくさせていると、裏木戸から工藤が現れました。 「お連れしました。雅さんの名前を出してもなかなか信じていただけなかったが」  ちんまり背負われているのは、大福親方です。 「ニャア、天音~」 「お父っつぁん!」  美談の感じからして死んでるっぽかった天音の父親は、聞けばどっこい生きていたのでした。 「まあ、ひどい猫背を患っておいでだわ。すぐに床の用意を」  斗貴の指図で、親子のために離れの一間が整えられます。 「足抜けが発覚し次第、親父どののほうにも手が回るだろう。しばらくはここにいてもらう」 「ニャんとお礼を言やいいか。娘売るよニャ人でニャしニャーもったいニャくてウニャーグルル」  地方出身の大福親方は訛りがひどく、感極まった後半はほぼ聞き取れません。  天音が取りなすように寄り添いました。 「もう大丈夫よ。雅ちゃんが皆さんのご用事を済ますまで一緒に待とうね、お父っつぁん」 「ま、まだおいらを父と呼んでくれるかニャ」 「当たり前じゃない、お父っつぁん」 「ニャアア、ニャアア」 「それは言わない約束よ、お父さま」 「斗貴、何と言ったか分かるのか」 「いえ兄上。何だか雰囲気に呑まれて」  斗貴は目頭を押さえ、親子の枕元に端座しました。 「ご苦労なさったのでしょうね。ご病気は長いの?」 「潜伏性の猫又神経症ニャ」  大福親方はあふれる涙をくるくるとこすりました。 「足場に登りゃあ丸くニャって寝ちまうし、棟上げ式じゃ神主のファサファサに飛びつくし、何度も現場をトチった挙げ句このザマニャ。雅にもさんざ世話かけて」  ニャオンニャオンとむせび泣く背中を、娘の手がさすります。 「いいのよお父っつぁん。雅ちゃんには天音をもらってもらおうね」 「そうニャそうニャ。夫婦んニャってうんと尽くすニャよ」 「きゃ、ニャンニャンだって。お父っつぁんたら、ばかあ」 「まあうるさい猫を飼ったと思って、世話してやってくれ」 「はい」  斗貴は余計なことは聞かず、辞去する二人を送りに出ましたが、番屋で灯りをもらう工藤を待つあいだ、ふと思案顔をして言いました。 「あの、兄上」 「何だ」 「私の着物のこと、何かお聞きじゃないかしら」 「……? 知らん」 「出入りの呉服商の持ってくる品が、急に高級品になったの。まるでお城へでも上がれそうなくらい。私が贅沢ごのみだとか、そんな噂があるのかしら」 「聞いたとしても俺は信じん。呉服屋が単に儲け心を出したんだろう。よく好みを伝えておけ」 「そうします。お休みなさい。工藤さんも」 「……若?」  工藤の差し寄せた提灯が、剣呑な表情を照らし出ます。  桔梗介は闇を睨んで言いました。 「上屋敷へ行く」  夜は更けて。所は江戸城本丸。  闇にそびえる壮麗な御殿を、そろりと抜け出す影がありました。  びくびくとあたりを見回す女は、身なりからして大奥女中です。 「劉さん!」  女中は庭の暗がりへ駆け込み、待っていた男にひしとすがりました。 「これ、老中会議の出席者と、謁見予定者のリストです」 「ありがと」  赤い髪の男は、手渡された紙片をそそくさとあらためます。 「劉さん、私……」 「あら、よく調べてあるわ。大変だったでしょ」  おネエ言葉でもツンからデレへ変わる呼吸はあやまたずツボを突き、女中はぽっと頬を赤らめました。 「劉さんのためなら、何だって」 「ふふ、可愛いこと言ってくれるじゃない」 「だって、私もうメロメロなんです。劉さんにキスされたらどんな情報でも盗んで来ます。いい子ね、ご褒美あげようかしら。そこで二人はぶちゅーっと」 「こら、冬成」  劉は背後にはりつく坊主頭をはたきました。 「おかしなナレーション入れないで。あーこれ、助手の冬成。黄表紙作家で、ハーレムもののネタ探し中なの」 「まあ」  引っ張り出された冬成は、ペコリと頭を下げました。 「お邪魔してすみません。おねえさんは、もう将軍さまのお手つきですか?」 「子犬のよーな目でゲッスいこと訊かないの」  女中はもじもじと爪先で土を掘っています。 「最近どっと新しい方が増えて、私みたいな下っ端はお目にとまるチャンスもありませんわ。寂しくてお庭をさまよっていたある晩のこと、たまたま通りがかった劉さんと運命的な出会いを果たしましたの。そして突然のキッス……」 「はい僕もそれ、見てました見てました」 「ええっ?」 「近頃は大奥で人員がダブついてて、ヒマを持て余した大奥女中が夜警に逆ナンかけるのが流行ってるらしいから、タラしやすそうなのを待ち伏せて、情報源にしようって劉さんが」 「んー、んー」  とっさに女の耳をふさいだ劉は、ついでの勢いでキスもしたので、女中は夢見心地のまま御殿に戻っていきました。 「はー、やっぱりすごいなあ、劉さんは」 「横でガン見してないでくれる」 「取材ですから」  冬成は熱心に舌の動きをメモっています。 「よーし構想が降りて来た。キス一本でのし上がる、キス魔の一代記」 「何その軽犯罪ジャンル」 「奥の方は分からないなあ。図解してもらえますか?」 「私のテクは理屈じゃないの」 「でも僕、直接教わるのはちょっと」 「私だってお断りよ。しょーもないこと言ってないで、ズラかるわよ」  劉は鉤つき縄をひゅんと回し、御殿の屋根に投げました。  するするとロープを登り、二人は屋根づたいに回廊を進みます。  奥向きとは警備の質が違う表正面にかかると、眼下をひっきりなしに夜警が巡回し始めました。 「さん、にー、いち」  カウントとともに飛び降り、隠れやすそうな植え込みには目もくれず、ハンパなでっぱりの陰に立った二人は、現れた夜警が植え込みに向かい、念入りに調べて歩き去るのを、じわじわ角度を変えてやりすごしました。 「すげー、やっぱ兄ちゃんのお座敷情報は確かだなあ」 「冬成、次は?」 「五十数えるあいだに火避け地をダッシュです」  冬成の言葉どおり、オープンスペースを横切った二人が防火土塁に駆け上るのと同時に、角から次の見回りが現れたのでした。 「完璧ね。太鼓持ちに乗せられて警備シフトをべらべらしゃべるなんて、リーク源の侍は切腹ものだわ」 「兄ちゃんは心ある太鼓持ちですから。しゃべった記憶自体、酒で飛ばしてあげてるはずですよ」 「悪かったわね、心ないキス魔で。しっかしあんたたちも妙な兄弟ねえ。兄貴は遊里で太鼓持ち。弟は雑誌社でバイト。割と育ちはいいくせに」 「できるだけいろんな経験してこいってのが父の方針なんです。“お江戸の歩き方”の雑誌社で、こんな仕事をするとは思いませんでしたけど」  冬成は顔の蜘蛛の巣を払い、ぐいぐいと縁の下を進みます。 「ガイドブック刊行は食うための余技よ。私の本分はジャーナリスト」  ひょこりと顔を出した劉は、ススだらけであたりを見回しました。 「ビジュアルはとっても泥棒ですが」 「あら、足で稼ぐブン屋は大抵こうよ」 「そうかなあ」  曲がりくねった松の木に曲がりくねって隠れたり、抜き足差し足で角に小指をぶつけたり、泥棒あるあるをひととおりこなせば、あとはお濠を越えるだけです。  劉は肩越しに振り返り、はるかな江戸城本丸を睨みました。 「必ずスクープをものにするわよ。将軍が替え玉だって噂が本当なら、この国はひっくり返るわ。大奥がどっと増員されたのも、顔馴染みを避けたいからに決まってる」 「もしはずれてたら?」 「見出しに“~か?!”って付けりゃいいの。トンデモ系の都市伝説ムックなら、バッチリ売れ線よ」 「劉さん、余技が多すぎます」 「黙って漕ぐのよ」  ツーシーターの自転車にまたがった二人は、鳥人間コンテストの体験取材で作った「羽ばたき1号」を駆って、白々明けの空へと消えていきました。 大江戸870夜町(6)  日は昇り。  樋口家上屋敷の自室で目覚めた桔梗介は、工藤に急かされて床を出ました。 「叔父貴は」 「ただいまご登城のお支度中でいらっしゃいます」  現当主、樋口和之進は、ちょうど参勤交代で江戸にいました。在府中の大名は多忙を極めるため、会見するなら朝一番につかまえるしかありません。  身支度を整えた桔梗介は、書院の縁先に膝を付きました。 「叔父上」 「桔梗介。昨夜はここで休んだのか」  和之進が首を伸ばします。正装の着付けは数人がかりで、お殿さまはされるがままです。 「夜のうちに顔ぐらい見せい。久しぶりにお前と飲みたかったぞ。大方工藤が止めたのだろうが」  端近に控える工藤が頭を下げました。 「晴れのご登城のさまたげになってはと、浅慮を申し上げまして」 「まあよい。桔梗介が嫡男の義務に目覚めたのなら、お前の生真面目が伝染ったのだろうよ」 「は……?」 「叔父上?」  和之進もきょとんとして二人を見比べました。 「ここへ移るという挨拶ではないのか。管理をお前たちに任せられれば俺も」 「藩邸には住みません」  江戸屋敷の管理は本来嫡男の仕事なのですが、桔梗介は勝手に町家を借りて住んでいるのでした。 「桔梗介、いらぬ気をつかうなというのに。幕府のおとがめは先代のみ。嫡男は変わらずお前だぞ」  桔梗介の父親は、素行不良をとがめられて蟄居処分とされていました。穏健派の弟、和之進がいったん家督を預かることで、お家断絶は免れたのです。 「よい契機です、叔父上。樋口の家は、このまま血筋を転じるべきかと」 「それを決めるのはお前ではない」 「理屈は通っているはずです。叔父上もまだお若い」 「若いと言えばお前の方だ。早う身を固めよ」  桔梗介は面倒くさそうに眉間をさすりました。 「お説教はまたいずれ」 「席を設けても聞かぬだろう。今言わせい。衆道にばかりかまけていては本末転倒だぞ。まずはお家の安泰、男同士のアレコレはそのあとでも」 「何のお話ですか」 「工藤がよほどいいのだろう」 「そうです」 「っふ」  後ろで工藤がむせています。 「若、そこは面倒がらずに訂正を……」 「屋敷の管理は、俺より斗貴が適任です。婿養子を入れるなり何なりすればいい」  桔梗介は、ズバリと本題を切り出しました。 「斗貴を、大奥にやるおつもりですか」 「耳に入ったか。こたびの規制緩和で、うちのような小家にもお城づとめの門戸が広がってな。面接重視のAO選考で広く人材を募るらしい。呉服屋に言って、面接映えのする勝負晴れ着を仮縫い中だ」 「その話、しばしお止め置き願います」 「何ぞあるか」  桔梗介の沈黙に、和之進はお付きの者たちを退室させました。 「申せ」 「華宮院が妙な動きを……」  華宮院は格式の高い山寺で、武装した用人を抱えており、警備の行き届いた蟄居幽閉先として、身分の高い罪人を預かることもありました。  樋口之将(ゆきまさ)もここにいたのですが、ある夜、警備がうっかりしているうちにうっかり賊が忍び込み、之将はうっかり殺されてしまったのでした。 「うっかりが禍根を残したか」  和之進は、着付けの踏み台にやれやれと腰掛けました。 「あれは強盗に入られたことにすると、華宮院も同意したはずだったろう。お前だって物証は残していない」 「あー、何度も申しましたが叔父上、俺は殺していません」 「分かった分かった。そういうことにしておくんだったな」  桔梗介はギリと奥歯を噛みしめます。  警備にしばらく「うっかり」してもらい、その間に之将を連れ出す、礼金もそれなりに……、という門跡(=寺の主)との取り決めは和之進も承知のことでしたが、ちょうどサプライズ夜這いにやって来た門跡の情人(いろ)に出っくわし、勢いのまま斬り合いになったとか、その情人が金髪の異人だったとか、もー桔梗介には説明が面倒くさすぎるのでした。  和之進はじっと宙をにらんでいます。 「あれ以来、樋口家と華宮院は腹を探り合いながらの緊張関係にある。すでに十分な手勢を持つ華宮院が、外部の武装集団を雇うのであればその目的は」  無言の甥を数瞬見つめ。 「大がかりな襲撃……自らの手は汚さずに、か」  桔梗介はきりりとうなずきました。 「くだんのカッパ会とか申す集団、性質はいまだ不明です。信用できる者に探らせておりますが、大奥入りなど派手なイベントは、人出入りのスキを狙われるおそれがあり」 「うむ。しばし様子を見るか。華宮院とは下衆な取引を飲んだ者同士、互いに口をぬぐって収まる話と思っていたが」 「……怒っているのかもしれません。騒ぎのせいでオトコが寄りつきにくくなったから」 「工藤、お前まで何だ」 「差し出口を」  工藤は板の間で平伏し、和之進は長袴をたくしあげて広縁へ出ました。 「お前はあの夜、逃走経路の確保にあたっていたのではなかったか。現場で起こったことを見てはおらぬのだろう」 「は。推測にすぎませぬ」 「ではお前、桔梗介の世迷い言を信じておるのか。金髪男だの尼どのの情人だの」 「作り話にしてはシュールすぎましょう」 「忠義よのう。これだからお前たちを別れさせることができぬ」  和之進は、しみじみとカップルを見比べます。 「殿、そのことについてぜひお話が」  言いかけた工藤の言葉は、どやどやとやって来た従者たちにかき消されました。 「殿、もうご出立の刻限です」 「食パンくわえて出ていただかねばヤバいです」 「おっと。遅れたらうちのような小家は順番を飛ばされてしまう。また何かあれば知らせよ」 「……は」  誤解を解ける日は来ないかもしれないと、胸中で覚悟を決める工藤でありました。  その頃。江戸城大広間。  重要度の低い者から始まる謁見の議が、すでに分刻みで進められていました。  御簾の前でお側用人が声を張り上げます。 「エジプト国フィギュア師クレオ。面を上げい」 「えーと、ハハーイ」  這いつくばっていたクレオは、くいっと首をそらしました。  まんま牝豹のポーズでしたが、用人はちゃっちゃと進めます。 「このたびそちが献上のフィギュア、BKC(美剣士)48。上さまにおかれては、ええ出来ィや。気に入ったでぇ。との仰せであるぞ」 「あーアリガト」 「特にこの三白眼の彼がたまらんねぇん。脱衣バージョンも欲しなるわぁ。とのお言葉である」 「あのー、将軍サマ」  クレオは膝立ちになって呼びかけました。 「言葉分かりにくいネ。中継ぎ入ると気持ち悪いイントネーションなるヨ」 「直答ひかえいっ!」  制止棒を突きつけられ、クレオはヒュッと口笛を鳴らします。 「オシリス、アヌビス、お侍と遊ぶネ」 「うわあ!」  開け放しの広間に飛び込んできたのは、猛禽型のからくりヘリでした。猛禽のカギ爪につるされた黒犬ロボットが解き放たれると、朝礼に野良犬が乱入したような騒ぎです。 「こしゃくなテロを!」 「規制緩和に乗じてまんまと御前に」 「上さまを守れ!」  大混乱の謁見の間を、クレオは涼しい顔で縦断しています。ずんずんと御簾に近づき、胸の谷間から取り出したのは武器ではなく、注文伝票のメモボードでした。 「カスタムオーダーは直接承るのがポリシーヨ。伝言ゲームみたいな間違いオーダーしたくないネ」 「見上げた心がけや。苦しゅうないで、近う寄り」  御簾をめくって現れたのは、ナニワ松平家という小家から出た初の将軍、徳川 豊茂家(ほもいえ)でした。 「なりません、上さま!」  将軍は主座の段差によいしょと腰かけます。 「そない大層にせんでもええやろ。ワシもまどろっこしなー思とったんや」 「上さま、僕らお側用人のこと、そんな風に?」 「上さまぁ」  美少年ばっかりの側用人に取り囲まれ、将軍はひとりひとりアゴの下をコチョコチョしてやりました。 「ちゃうがな。趣味全開のオーダーは非オタに聞かれたないもんや。みな暫時控えといてんか」 「はぁい」  少年たちはクスクス笑って離れましたが。 「半裸寝そべり、ふんどしワッショイ、汁出る仕様、毎度ありネ」  オーダーの復唱が丸聞こえで、少年たちは揃って口をとがらせました。 「上さまぁ。お人形がそんなにイイの?」 「生身の僕らじゃもうダメなの?」 「夕べだって」 「あー、ちょっと調子悪いだけや」  やつれ気味の将軍は、しょんぼりため息をつきました。 「高レベルのハーレムも考えもんやで。自分好みの子を揃えられる反面、驚きがあれへん。それに引きかえ」  震える指が、クレオのラフ画をなぞります。 「この衝撃、すでにガクガクや。ドキューンのキュピーンでヘロヘロや。ワシ、二次元の世界に行ったきりになってしまうんやろか」 「ん? これ確か実在のモデル使ったネ。女ドールは私なりの理想像追求するガ、メールタイプはどうでもいいヨ。通行人を丸ままラフに起こしたはず」 「ど、どこの誰や!」  クレオはパラパラとスケッチブックをめくりました。人物に背景が添えられているページはわずかです。 「ヤローをスケッチした場所いちいち覚えてないネ。人が一定時間静止してくれるとこなら茶屋の店先バーゲン会場、どこだって」 「端からシラミ潰しや! 探し出すでー、ワシの三次元ラブ!」  スケッチブックを高く突き上げると、少年たちが駆け寄ります。 「上さま、元気出たぁ」 「新人スカウトなら任せて」 「リア充で男性回復!」 「……最後は利害が一致するカラ驚きヨ」  クレオはため息をつき、猛禽ヘリと黒犬ロボットを呼びよせました。 「わんわん」 「くっくー」  お腹のスイッチで攻撃モードをオフります。 「お前たちシンプルでいいネ。ヒトの煩悩スイッチ不可解ヨ。あ、円陣組んだ」 「暴れん坊将軍ーファイッ、おー!」 大江戸870夜町(7)  同日、吉原の遅い朝。  朝湯を浴びた遊女たちは、髪もほどいてゆったり過ごします。  イベント大盛況の陽光太夫も、花札屋に連泊中でした。 「おはよー。おじさん調子どう、のぞき穴の仕込みー」 「んなな」  慌てた雅は、竹筒製の潜望鏡パーツをドガチャカと隠しました。 「いよおー太夫。これは建て付けをちょっと修理で」 「言い訳散らかりすぎー。修理仕事なら堂々と道具箱運ぶはずでしょ。着物の下でゴツンゴツン音させてたら、内緒の仕込みか鋼の股間ー」 「くそ、耳のいいこったぜ」  雅はやりかけの細工を置きました。 「うふふ」  太夫は張り出し窓にのびのびと座りました。壁に沿って、焦がし色の竹筒が続いています。 「うまいこと窓枠に紛らせたわね。へー、凹面鏡反射で遠くもハッキリ見えるんだ。よくできてるー」  見習いかむろの姿がないので店は朝から大騒ぎ、誰にも見られず煙のように消えたのでなければ残るは身投げというわけで、誰もが水路の捜索に出払っており、太夫はお構いなしの大声です。 「この“こいこいの間”って、どんちゃん騒ぎのド宴会ルームでしょ。デバガメならもっとしっぽり系のお寝間にすればーヘンタイー」 「ヘンタ、そういうんじゃねえんだって」 「考えたらおじさん、天音のことしょっちゅうチラ見てたわね。かどわかしたんなら早めに白状なさいよヘンタイー」 「違えよ」 「懐にたんまり持ってるわね。寄こしなさいヘンタイー」 「ヘンタイ関係ねえだろ。カツアゲされてたまるか」 「薄給下男の懐で、拍子木がチョンチョン鳴るのはおかしいって言ってんの」  お出し、と太夫は片手をヒラヒラさせます。 「そこまで聞き分けんのか、全くすげえな。ほらよ拍子木」  雅は懐から銭の束をひっぱり出しました。  縄に通したひと束が百文、それが二本そろった二百文は、形から拍子木と呼ばれます。 「どれどれ。オッサンくさー、ひと晩抱いて寝たわね。もらったのはゆうべか。縄の結び方は武家風だわ。ゆうべの客で武家っていうと、お接待無用の“手四の間”にいた三人組……。おじさん、樋口家に雇われたわね」 「そうです俺が犯人です、とか言いそうになるぜ。あんた、一体なにもんだ」 「お金大好きっ子よ」 「ちぇ、その銭ぁやるさ」 「わーい、口止め料もらったー」 「口止め料?」  陽光太夫は匂い袋を取り出し、銭束をポンポン叩きます。 「加齢臭とんでけとんでけ~」 「おい、本当にこのこと黙っててくれるのか。あんたにとっちゃはした金だろ」 「のぞきは興味ないからいいわー。天井滑車で客の財布釣るとかお膳一品チョロまかすとかなら、一枚噛もうと思ってたけど」 「貧乏くせえ発想だな」 「おじさんのイメージから言ってんの。わーい二百文。お昼何食べよかなー」 「くそ、セレブ飯一食分かよ。旅支度で物入りだってのに」 「なあに、旅行?」  このタイミングで旅に出るなら相手は行方知れずの天音かもしれない、などのロマンチックな連想はあまり働かない、お金大好きっ子でありました。  日は高く、正午を過ぎて。 「えーと“紅牡蠣亭”レッドオイスター、ここっスね」  ハルは下町の繁華街に来ていました。同伴デートの段取りも太鼓持ちの仕事です。 「こんちはっスー」  薄暗い店内をのぞくと、カウンターの奥に用心棒も兼ねていそうなバーテンダーがいます。 「こちらに、遠山の金さんがお立ち寄りになるって聞いたんスけど」 「てめえ、そいつをどこで聞いた」  開口一番スゴまれたって、華麗にいなすのが太鼓持ちです。 「うんうん、そりゃーお忍びっスよね。でもひとり飲みのお邪魔はしないっス。ちょいと余興で、コスプレ太夫と個室でおしゃべりいかがスかーってお伝え願えれば」 「女を世話しようってのか」 「いえ、女はウチのお客さんについてるキャンギャルなんスけどね。同伴デートで。あ、個室のグレード確認させてもらっていいスか。大事なお得意なんで」 「よく分からんが、来な」  用心棒はカウンターを跳ね上げ、ハルを個室用ロビーへ案内しました。 「さすが、入れ墨しょったお奉行さまが行きつけにするだけあるなー。越智屋のご隠居にはちょっとハードすぎるかも」  ハルはチラチラ見回しながら考えました。すれ違う従業員は、もれなく物騒オーラをまとっています。 「あの、俺やっぱ帰るっス」 「どうした急に」 「だって、いかにもこのまま監禁されそうな地下倉庫に来ちゃったし」 「せっかくだから監禁されていけよ」  ハルは襟首をつかみ上げられ、びたーんと壁に叩きつけられました。 「いっテテ……やっぱり~」 「何を探ってる。どこのもんだ」 「会いたいだけっス~、遠山の金さんに」 「何の用があるってんだ、富山のキースさんに」 「お客さんがファンなんスよ~。てか、今アクセントおかしかったっスよね」  用心棒は頭を使うタイプではないらしく、縛って所持品をあらためるお決まりの手順をこなせば満足したようです。 「上の判断をあおぐから待ってろ。先客と仲良くな」 「先客?」  見回すと、同じように縛りあげられた赤い髪の男がいます。 「そちらさんも、金さんに会いに来たんスか?」 「どうやらうちのガイドブックが迷惑かけたようね。公式プロフィールをよく見たら、金さんは下戸でバリバリの甘党だったの。もう出版しちゃったし慌てて訂正のお詫びに来たらこのザマよ」 「“お江戸の歩き方”の雑誌社って、冬成がバイトしてる?!」 「冬成って、あら」  後に「レッドオイスターの邂逅」として知られるようになるかどうかはまだ分からない、偶然の出会いでありました。 「へえー、あんたが噂の太鼓持ち兄ちゃん。いつも自慢話を聞かされてるわよ」 「わあー、あなたが弟の悪夢の元凶。こないだ泊まりに来たとき“デカい……あんなデカいものがこの世に”ってうなされてたっス」 「ちょっと着替えを見られたのよ」  挨拶が済んだところで、後ろ手同士背中合わせになり、とりあえず縄をほどく努力をしてみることになりました。 「にしても、ひと言であんな反応になるなんて、シャレにならないところに触れちゃったようね」 「金さんって、何かヤバいキーワードだったんスかねー」  周囲にはごたごたと薬種箱が積んであり、北国街道の通関札と牡蠣エキスのラベルが貼られています。 「イチ押しメニューの肝臓いたわりカクテルっスね。オイスターエキス入りだったのか。街道経由で仕入れてるのかな」 「ふーむ」  劉は静かに目を閉じ、精神を集中させました。 「日本海側から牡蠣エキスの薬売りに化けて江戸に入った殺し屋がいて、富山のキースさんと呼ばれてる。要するにこういうことね」 「あのう、要しすぎっス。おいてけぼりっス」 「点と点を線でつないでこそジャーナリストよ。ああいうゴロツキがボスもいないとこで人をさん付けする場合、相手は大抵プロの始末人だわ」 「金さんは? 江戸町奉行は?」 「ここの従業員は地方出身が多いみたいなの。とやまととーやまでアクセントがまちまちな上、キースの“ス”と、さん付けの“さ”がリエゾンして」 「で、とーやまのきーっさん……、えーと?」 「壮絶な聞き間違いってことよ。全くひどいデタラメつかませてくれたわ、あの情報屋~!」 「はーくしょん!」  ぶるると身震いした吉澤は、ごそごそと上着を羽織りました。 「さすがに寒いなー裸エプロン」 大江戸870夜町(8)  その頃。とある門前。 「お座敷の修理に参りやしたー」  雅が取り決めどおりに呼びかけると、くぐり戸から工藤が顔を出します。  武家屋敷と比べものにならない気安さは、桔梗介が借りている町家でした。 「よお、工藤さん。昨日の今日だがちょっといいか」 「はあ。どうも」  いぶかしげな工藤は、雅ではなく、後ろの陽光太夫に会釈しました。 「すまねえ。仕事の現場をあっさり見つかっちまってよ」 「口止めされたから大丈夫ーニンニン♪」 「くのいち、ですよね……」  ポニーテールに黒チュニックの陽光太夫は、太もも丸出しのミニ丈スリットをモジモジといじっています。 「おじさんが、遊女衣装じゃお武家の家に連れてけないって言うからー。黒とか目立たない色にしろって」 「その露出では目立つも目立たないも」  工藤は周囲を警戒しながら二人を招き入れました。 「陽光太夫、ずっと気になっていたのですが」 「も、もう告白なの? これが太もも効果?」 「すぐ主に取り次ぎますので、落ち着いてお待ちを」  ペースを取り戻せない工藤は、強引に話を進めます。 「あなたは初対面から私の名をご存じだった。私は、名乗った覚えはないのですが……」 「三白眼のお兄さんに工藤って呼ばれてるとこ、何度か見かけたからー」 「それを、覚えておられたんですか」 「すげえぜこの人ぁ。何でもお見通し、お天道さま陽光太夫さまよ」 「あと別の日に、樋口家の使用人が噂してた。工藤って近習が若さまとラブラブで困るって」 「じ、事実無根です」 「なんだー。男色どっぷり侍を女狂いにしてやったら面白そーって思って、布団部屋にご招待したのに」 「悪戯心でしたか」  工藤の表情が緩みます。 「急にモテた訳ではなかったのですね」 「やだ、モテたんだってばー。からかいたいイコール、好き・ヤりたいの二乗よー」 「どんな円の面積ですか」 「あなた、よくからかわれるでしょ。ソレみーんな、くどりんとヤりたいって思ってる人よ」 「違います。違うと思いたい……」  工藤は苦悩しながら母屋へ戻り、雅がすまなそうに追いかけました。 「当てもなくこいこいの間を張ってるより、あの人に聞いたほうが早くねえかと思って連れてきたんだ。もちろん、何を探ろうとしてるかなんてことはまだ話してねえぜ。追加の口止め料でもはずんでもらえりゃと思ったんだが……」  雅は肩越しに振り返りました。門の板戸でモデル立ちした太夫は、太もものベストな角度を模索中です。 「どうやら太夫、工藤さんにホの字みてえじゃねえか。ちょちょっと可愛がって味方につけりゃどうだ」 「ちょちょっとが通用する相手かどうか。かなり手強い寝技師でして」 「へえ、もうそういう仲なのかい」 「ほう、もうそういう仲なのか」  縁側に桔梗介が立っています。 「若……!」 「お前にしては珍しいな」  桔梗介は伸び上がって網代垣へ呼びかけました。 「おーい女、工藤の情婦なら信用しよう。庭へ通れ」 「キャハ、そうですくどりんとはすっかりねんごろです。お邪魔しまーす」  陽光太夫は飛び石をスキップでやってきます。 「お家の秘密をよそへ漏らすようなことしませんわー。だってくどりんとはもうあんなこともこんなことも、いずれする予定の仲だものー。ねっ」 「善処します……」  主からこうも無条件で信用されていることに、まずはキュンとしてしまう忠義者でありました。 「初めまして。伊賀のヨコ丸25歳、得意な忍法は太もも固めですニンニン」 「……」 「くどりんこの人、ノリ悪ーい」  縁側を挟んで正対する二人を、工藤はあたふたと引き離しました。 「私ども武士ですので、ノリとかを期待されましても」 「くどりんの反応は可愛いのー。この人可愛くない」 「早速ですが本題に」  工藤は陽光太夫を縁側の端に座らせます。 「監視対象は、華宮院の用人衆による宴会です。何かご存知でしょうか」 「あー、いつも隣の座敷と合流する人たちね。妖怪マニアの」 「妖怪マニア?」  んっんとうなずいた太夫は、生足をブラブラさせました。 「隣の座敷って七色カッパの会とかいう集団よね。華宮院の人たち、カッパ素晴らしーとか、カッパお見事ーとかいつも絶賛あびせてるわよ。カッパのファンなんじゃない」 「……お座敷遊びが盛り上がっているということでしょうか。ジャンケンカッパ飲みとか」 「そういえば、ジャンケンカッパ飲みに誘ったけどあんまりハジケなかったわ。あれね。本気のカッパにとっては屈辱的なのね」  桔梗介が眉の端をピリつかせているのが、工藤には手に取るように分かります。 「整理させてください。カッパ会の彼らはその、見た目もカッパなのではないですよね?」 「ん。くたびれたおじさんばっかよ。ちょっと職人風。きっと上手に化けてるのね。あれ? 化けるのはタヌキだったかしら」 「おい、さっきからこのバカは何を言っている」 「バカってどういうことくどりんー」  ソリの合わなさを直感する二人は目も合わせず、工藤は板挟みです。 「若、ご辛抱を。太夫、見たままをおっしゃってくだされば結構ですよ。分析はこちらでいたします」 「んとねー、華宮院の人が何か贈り物をあげてた。しりこ玉とかって」 「しりこ……ですか」 「なるほどカッパだけにな。冗談か。笑うとこか」  桔梗介は剣台に掛けた愛刀をチラチラ見ています。  抜刀までおよそ五歩と読んだ工藤は、ガバと縁側に平伏しました。 「ですが若、カッパは動かしがたいのです。予約簿にもはっきり“七色カッパの会”とございまして」 「くどりん、花札屋の帳簿を見たの? どうやって?」 「従業員のひとり風な態度で紛れ込むと、結構バレません。地味なもので」 「はっはあ、それであんなに詳しかったわけかい。地味も使いようだな」  太夫を連れてきた責任のある雅は、むりやり声をはずませました。 「そうだ。予約の客をどう呼ぶかってなぁ店側の勝手な符丁だったりするぜ。帳簿にカッパとあったって、本人たちがそういう名だとは限らねえ」 「そうですね。山さま川さまで構わないとも聞きました」 「そーいうわけで、やっぱ地道に座敷を張ることにするぜ。じゃあなー」  雅は太夫の手を引っ張って強引に行きかけました。 「あん、帰るならひとりで帰ってよ。私はくどりんと忍者ごっこー」 「ばか、樋口さまが刀取りに行ったぞ」 「離してよヘンタイ、助けてくどりーん」 「何とかしてくれ、色男」 「私からもお願いします。今日のところは一旦お引き取りいただき」 「出張コスプレってことで出てきたろ。店外営業は店のもんと一緒に戻るのが規則だぜ」 「出て姫稼業ツラーい。くどりん、早く身請けしてねー」  太夫はニンニン言いながら引きずられていきました。 「……身請けに藩金は出せんぞ」 「若、これには色々と」 「よい。趣味にまで口は出さん。全く変わった趣味だが」  首を振り振り、桔梗介は愛刀の手入れで心を静めるのでした。 大江戸870夜町(9) 「あーあ」  華宮院門跡は、窓の外を眺めてため息をつきました。 「山ばっかりねえ」  山寺なのでしょうがないのですが、オレさまぶりは生来の気質です。  出家前の彼女は、先の将軍の一の姫でした。  現将軍・徳川豊茂家(ほもいえ)は、血筋の面で分かりやすく見劣りし、誰にとってもどうでもいい将軍として擁立されました。よくも悪くも活気にあふれていた前政権の反省を踏まえてのことです。  先代将軍が、あろうことか江戸城中で刺客の凶刃に倒れたとき、平素の敵の多さから黒幕の目星はつかず、犯人の追跡も失敗に終わりました。  あとから分かったことですが、将軍暗殺犯は捕り方だらけの江戸市中へ出ていくような無茶はせず、しばらく城の内部に、しかも本丸御殿に潜伏していたのです。  すべてが判明したときにはヤっちまった後の祭、将軍の一の姫が懐妊していました。  バタ臭い顔の子を産んだ華姫は華宮院として一寺を賜り、髪を下ろして俗世を捨てたのですが、ショートボブきゃわゆーんとか言って通ってくるエゲレス人が、かの将軍暗殺犯であることは、今となってはごく近い側近しか知らない秘密でした。 「ご門跡」 「お入り」  軽武装をがちゃつかせた用人が膝を付き、茶道具箱ほどの包みを押し出します。 「こちら、新しいしりこ玉で」 「何ですって?」 「すみません、噛みました。新しいシリカ玉です」  用人は包みを解いて蓋を取りました。箱の中身は、乳白色の石の固まりでした。  玉髄とも呼ばれる珪素(シリカ)系鉱物は、加工しやすく強度もあり、書画の落款などを彫る篆刻細工によく使われる石材です。 「クラックの少ない、よい晶塊が採れました。有望な鉱脈に当たったようです」 「よろしい。先方に連絡して、納品なさい」 「は」 「やっぱりこれからの時代は、活版印刷よね」  門跡は、文机から刷り見本を手に取りました。細かい部分まで正確な印字です。  西洋活版の活字は金属製ですが、アルファベットどころでない文字種を扱う漢字文化には向きません。  入手しやすいシリカ玉なら、大量の活字を彫ることができ、割れ・欠けの補充も簡単でした。 「七色活版の会は名工ぞろいで、特に混色表現が見事ねえ。ご覧なさい、この色彩」 「は。さすが七色カッパの会、あ、また噛みました」 「これで写経の手間から解放されるわ」 「ご門跡、それは仏道修行の全否定のような」 「何ですって?」 「いえ、噛みました……」  世間では、ページを丸ごと版木に彫る木版印刷が主流です。しかし「お経刷っといて」という罰あたりな注文に応えてくれる版元はありませんでした。  一方、版木を使わない活版印刷は、枠から活字をはずしてしまえば何も証拠は残りません。新参業種である彼らは、まず発禁本や反体制ビラなど、版木を残したくない裏社会からの発注で業績を伸ばしていました。  七色カッパ、いや七色活版の会も、常に当局の手入れを警戒しています。幕府と関わりが深いはずの華宮院はなかなか信用してもらえませんでしたが、活字製作に不可欠のしりこ玉、もといシリカ玉をじゃんじゃん貢ぐことで、ようやく偶然を装ったアポにこぎつけているのでした。  それもこれも、大した宗教心もなく寺社禄を食んでいるとのそしりを免れるためです。「これからは活版がくる!」とか「活版サイコー」とか絶賛しながらムリヤリ盛り上がるくらいなら、真面目に写経に励んだほうが早いのですが、その手の進言はオレさま姫によって噛んだことにされてしまうのでした。  廊下に、とすとすと軽い足音がしました。 「ご門跡、お手紙が」  受け取った書状をはらりと広げ、門跡は文面に目を走らせます。  下命の気配を察し、用人は片膝で待ちました。 「総員召集し、江戸へ向かいなさい」 「は。江戸での任務は」 「樋口桔梗介を殺して」  用人は無言で頭を下げたので、復唱で噛むことはありませんでした。  その頃、越智屋のご隠居は、疲労困憊で石段に座り込んでいました。 「がっかりじゃー」  ズラリとはためく幟(のぼり)には、「お江戸で体験、こんぴら参り!」とあります。四国にあるこんぴらさんの、江戸分社です。  本家に倣った長い石段を昇りきったところで、ご隠居はバタリとくずおれたのでした。 「ご隠居さま、お気を確かに」 「ぱんちら参り。ひどい誤植じゃのう」  ご隠居は震える手で「お江戸の歩き方」をめくります。  赤線が引かれたところは、何度読んでも「ぱんちら参り」でした。 「このガイドブック、校正がしっかりしとるのは特集記事だけのようじゃ。広告ページは外注かのう」  ページ合わせ丸出しの広告部分にあるのは、住所のみのざっくりした店舗案内です。 「まったくご隠居ったら、この抑えた宣伝はさしずめ地下営業のストリップバーじゃーとか言って」 「地下どころか、ここは小高い丘の上じゃないですか」  鶴さん亀さんもへとへとです。 「幟にもちゃんと“こんぴら”って書いてありますよ。一段飛ばしで登る前に確認してください」 「風ではためいとって読めんかったんじゃー」  すっかり弱気のご隠居を日陰に座らせ、鶴さんは社務所へ水をもらいに、亀さんは下り駕籠を頼みに、それぞれ走っていきました。そこへ。 「じいさん、大丈夫か」  木陰にいた男が身を起こしました。 「おや、お昼寝中じゃったかのう」 「ふくらはぎがケイレンしてるぜ」  編笠を心配げに押し上げたキースは、小布を裂いて湿布を作り、ご隠居の足に貼りつけてやりました。 「おお、ずいぶん楽じゃ。売り物の膏薬をすまぬのう。すぐにお代を……」 「いらない。ただの小道具だから」 「ワケありじゃな。異人さんの薬売りとは珍しいと思うたわい」  キースはあごひもを引き、編笠を深くかぶり直します。 「オンナが色々ややこしい相手で、変装しないと会えないんだ」 「それはそれは。よいデートをのう。そうじゃ、ワシお勧めの丸薬を差し上げよう。どんな階段も一段飛ばしじゃ」  トリプルハートの印籠を握らされ、キースは苦笑しました。 「あー、俺たちこういうの必要ないと」 「いやいや。張り切っていくとかえってアレレってことになりがちじゃ。久々の逢瀬がそれでは悲しいでのう」 「……じゃあまあ、もらっとく」  ご隠居はミラクルナイトを想像してご満悦です。 「馴れ初めなぞ聞かせてもらいたいのう。駕籠が来た。乗っていかれい」 「いい。日暮れまで潜伏してなきゃならないんで」 「若いもんはええのうー。上首尾を祈っとるでな」  ハバグッタイム! と親指を立て、ご隠居はこんぴらさんを後にしました。 大江戸870夜町(10) 「大変なことになった」  お城で謁見を終えた和之進は、すっかり泡を食っていました。 「桔梗介が、桔梗介が」  大量に複写されたクレオのスケッチが、諸侯に回されたのです。 「なぜこうもいきなり手が回るのだ。それも人相書きだけが」  暴れん坊将軍の恋人探しという詳細までは知らされなかった和之進は、急ぎ使者を走らせました。 「お上の手配だと?」 「どこから何が漏れたのです。罪状は」  てきぱきと支度する桔梗介と工藤に、使者は首を振るばかりです。 「とにかく上屋敷へ。我らがお守りします」  ぴたりと駕籠が横付けされましたが。 「いや。俺が上屋敷で捕まっては、樋口家全体に類が及ぶ」 「ですが」 「ご心配なく。こういう時のために確保している場所がありますから」 「いえあの、お逃げいただいては困るんです」  屈強な駕籠かきを従えて、使者は立ちはだかりました。 「先代殺しについて、樋口家としての正当な言い分をこれから皆でまとめようと、殿の仰せです」 「だから俺は殺っとらんと言っとるだろう」 「そういう抵抗は心証を悪くします。どうか武士らしく、上屋敷でお縄を」 「失礼」  タックルで町家を出た二人は、入り組んだ裏路地を抜け、緊急時の隠れ家にやってきました。  コツを知らねば動かせない板戸をスルリと開けた工藤は、半裸の女と顔をつき合わせていました。 「キャッ!」  女は着物を抱えて次の間に逃げ込みます。 「嫌だなあ。ノックぐらいしてくださいよー」 「よ、吉澤さま?」  ばたばたと身支度した女は、吉澤に送られて帰っていきました。 「一体ここで何を……」 「あー、裸エプロンの機能性について有志による研究会を」 「ひとのアジトをそういうことに使わないでください」 「いいじゃん。滅多に使わないんだからさー」 「今がその滅多です」 「何。とうとう二人で駆け落ち?」 「そんなようなものだ」 「若……」  吉澤の情報網をあまさず利用するために、工藤はぐっとこらえます。  桔梗介はどっかと座り、尻に当たったお道具を吉澤に投げました。 「樋口家と、お上そのものからも追われている。こういう場合お前ならどうする」 「そうだなー。ちょっとでも味方を増やす」 「ですからその方法は」 「困ってるところを助ければ、人は大抵恩義に感じるよ」 「困ってる方をどうやって見つけるんです」 「今ちょうど壁の向こうのバーに雑誌編集者が監禁されてるんだけど、その人助けたら協力してもらえるんじゃないかなー♪」  桔梗介たちの隠れ家は、“紅牡蠣亭”のま裏にあったのでした。 「そういうわけで、声だけはツーツーなんですよ、ここ♪」 「何がそういうわけでよ」  晴れて壁越しの会見を果たしたレッドオイスターズでありました。  劉は通気口に向かって怒鳴ります。 「私がここへ放り込まれてから、ずっと知らん顔でいたわけ? 声を抑えてやーらしいこと続けてたなんて、あーやだ」 「さるぐつわはただの初期装備ですよー」 「あんたの情報がグダグダだった理由が分かったわ。そこで通気口越しの会話をテキトーに聞き取っただけなのね」 「あはは、バレたか」 「ということは、頻繁にこちらをご利用だったのですね」 「あはは、バレたか」 「すでに秘密の隠れ家ではない気が」  工藤は頭を抱えています。 「大丈夫大丈夫。みんな人妻だから、ここのことは絶対に漏らしませんよー」 「女性は複数いるんですね」 「大丈夫大丈夫。それぞれ弱みも握ってるから」  吉澤は思い出し笑いながら通気口を調べ、桔梗介に向かって片手を出しました。 「じゃ、その首に掛けてるお守りをください」 「何だと?」 「肌身離さず持ってる書き付けをお預かりしますって言ってるの」 「なぜそれを」 「妹さんが初めての手習いで書いた、あにうえだいすきってやつを早くこちらへ」 「分かっ、分かったから」  お守りを持って下屋敷を訪ねた吉澤は、斗貴の承諾のもと、大工の福助親方を連れて戻ったのでした。 「じゃあ、そっちへ渡しますよー♪」 「はいっスー」 「ニャア」  白猫が顔を出し、ハルは通気口にぺこりと頭を下げました。 「えと大福親方、初めましてっス」  白猫は馬鹿にしたようにオッドアイを細め、すとんと床に降り立ちます。 「ニャア」 「ニャア」  トラじまやサビ柄があとからあとから湧いてきて、劉とハルは増えていく猫たちの気を散らさないよう、じっと身をすくめました。 「ふわー猫まみれっスー」 「あんたさあ、どうして猫が親方だと思ったわけ」 「だって、話の流れでつい。ニャアニャア言う親方はもう猫に変身とかできるのかなって」 「万能ファンタジーにもほどがあるわよ」  ちゃんと人間だった大福親方は、猫ならもぐりこまずにはいられない猫ドアを、隠れ家の外壁に取り付けたのでした。  シャカシャカ袋のトンネル付き階段を通気口につないだので、紅牡蠣亭には狭いとこ好きの猫がどんどん送り込まれていきます。 「ちょっと、そろそろ足の踏み場がないわよ」 「我慢してください。猫サイズの通気口から男二人が逃げ出すなんて不可能なんだ。攪乱作戦しかないんですよー」 「シャーッ」  あちこちで猫同士の小競り合いが始まっています。抜け毛がモヤモヤと宙を舞い、鼻をひくつかせたハルと劉が身をよじり、くしゃみをタメにタメて、 「びえっくしょーーい!」  怒号を合図に、猫たちの野生が爆発しました。  どんがらがっしゃんバリバリぶにゃー! 「何だ何だ!」 「出入りか!」 「地下だ!」  駆けつけた従業員が倉庫の扉を開けると、ケンカ最高潮の猫たちが雪崩を打ってあふれ出します。 「うわーー!」 「いててててー!」 「引っかかれまくりよー!」 「おかげで縄が切れたっスー!」  逃げまどう従業員たちに紛れ、劉とハルは暴力バーを脱出したのでした。 大江戸870夜町(11)  劉とハルは通りを回り、路地から隠れ家にやって来ました。  工藤がハルを見つめます。 「君は、太鼓持ちのチャラ男くん」 「あ、布団部屋のお武家さま」 「そこも知り合い? 世間は狭いねえ♪」  吉澤は道具箱を漁り、次から次へ傷薬を放って寄越しました。 「刃物プレイの事故対応で、一応常備しててよかったなー♪」 「そうですね……」  劉たちの猫傷に、工藤が応急手当を施します。 「いたた……。で、次はどうするの?」 「劉さん。お尋ね者の我々に、本当に力を貸してくださるのですか?」 「当然でしょ。恩義があるもの」 「律儀なお方だ」 「俺も俺も! 力貸すっス!」 「かたじけない」 「いーんスよ」  ハルはキメ顔で首を振りました。 「お尋ね者には慣れてるっス。うちの陽光太夫もお尋ね者なんスよねー。官憲に追われてるとかって」 「あら、初耳だわ。売り出し中のキャンギャルにどんな前科が?」  ゴシップ誌もやってる劉が食いつきます。  ハルはふっふと笑いました。 「白塗りメイクは潜伏用の変装っス。何でも将軍の正体について、重大な秘密を知ってしまったとか」 「それ! 詳しく聞かせなさいよ! うまくすれば状況をひっくり返せるかも……!」 「遊びは吉原、太鼓は仁科、そおれそれっスー!」  ハルが駕籠を先導し、一行はお大尽の吉原入りを装って、花札屋に乗り込みました。  雅が飛び出して迎えます。 「何でえ何でえ、えらくド派手な団体客が着いたと思ったら、親方まで」 「ニャア、若旦那の膝でウトウトしてしまったニャ」 「逃亡者ご一行さま、陽光太夫にご指名っスー!」 「で、将軍の正体とは」  身を乗り出す一同に、太夫はニヤリと笑いました。 「いいの? 聞いたら私と同じ目に遭うわよ。抹殺命令下っちゃうわよー」 「ど、どうしようか」 「仲間ほしいから言っちゃお。将軍の正体は、大衆演劇・極楽座の座長。にせくじょうべそてそー」 「わっ、聞いちゃったっス! いっつもそこだけ耳ふさいでるのにー」 「贋九条」 「ベソテソ?」 「松平 九条丸弁天(くじょうまるべんてん)のもじりかしら。将軍就任前の前名よね」 「劉ぽん物知りー」  太夫は仲間が増えてご機嫌です。 「ベソテソ座長はベンテンさまのそっくり物真似で人気だったんだけど、私はその一座で、エキストラくのいちをやってたの。伊賀の里を飛び出して行く当てもなかったし、衣装は自前があったし」 「伊賀の里って」 「あんた本気のくのいちだったのか」 「なるほど、体術でかなわないわけですね」  工藤はひとりうなずいています。  陽光太夫、またの名を伊賀のヨコ丸、本名・伊賀岡陽子は続けました。 「ナニワ藩主であるベンテンさまが将軍に抜擢されて、ふざけた物真似芸は禁止になったの。興業は打ち切り、一座は解散。なのに座長だけ影武者の仕事にありついてんのーズルいーって言いに行ったら、べそっちょのくせに『ワシャ本物や』とか言うし、影武者のくせにめちゃくちゃ豪華なお弁当で」 「結局そこかよ」 「次期将軍として江戸に上る祝賀行列だったから、警護もすっごいピリピリしててさー。私がいつものようにちょんまげ持ってジョイスティックしたら、上さまに何をするーって大勢斬りかかって来て」 「あのう、太夫。それって」 「普通に無礼討ちなんじゃないの」 「えー?」 「だから、あんたの知ってるベソテソは本物のナニワ藩主だったのよ。変名でお忍びの芸人遊びをおやりだったんじゃ」 「あ……、ああー!」 「今ごろ腑に落ちたのね」 「ということは陽光太夫は単に、将軍のちょんまげをジョイスティックした不敬犯」  一同はガックリとヘたり込みました。 「使えない秘密でしたねー、あはは」 「じゃあ私、潜伏しなくてよくなった?」  陽光太夫はまだ首をひねっています。 「バカね、不敬の罪は大罪よ。死ぬ気で逃げなさい」 「まあ、足抜け忍者だからもともと逃げてるしー」 「めげない子ねえ。ダブルの追っ手をどうやって振り切ったのよ」 「大阪港で船にもぐりこんだー。でもその船、樽廻船だったの」  灘の樽酒は必ず江戸に送られます。 「結局お膝元に来ちゃったわけか。樽廻船ってあちこち寄港するんでしょ。途中で下船するとかしなさいよ」 「ちょっと酔っちゃってて。……船に」 「飲んでたのね。積み荷を」 「江戸入港の時に空樽がゴロゴロ見つかってー。無銭飲食で通報されかけてー。しょうがないからビーチでやってた新酒陸揚げイベントに飛び入り参加してー」 「すごい飲みっぷりだったんで、その場でキャンギャル契約したんス」  ハルは酒造メーカーの長男です。 「おや、てっきり専門の太鼓持ち君だとばかり」 「異業種での現場修行はうちの家訓っス。今は吉原で営業トークの勉強中っスよ」 「そうそう。感心なのよ、ここんちの兄弟って」 「劉さん、身の上話でほっこりしてる場合ですか」  襖のスキマから坊主頭を突っ込んだのは。 「あー、冬成!」 「あんた、一体何やってるの!」 「取材ですよー。兄ちゃんが見学に来ていいって言ったからー」 「子供がこんなとこへ、こんなとこへ!」 「いたいよ劉さーん」  両耳をつかまれた冬成は、言葉攻めやら体位やら、官能ネタがびっしり書かれた取材メモをわさわさと落とします。  その中の一枚が、ひらりと畳を滑りました。 「あら、これって樋口さま?」 「道で配ってた手配書です。ほっこりしてる場合じゃないんですってば」  クレオによる激似スケッチは見事な三白眼を再現しています。工藤も感心して手に取りました。 「なかなかの腕前だ。ご表情からしてこれは、春に梅林でボーッとなさってた時のものですね」 「あんたも大概だな工藤さん」 「罪状は、“上さまをドキューンのキュピーンでヘロヘロにせし罪……”何のことでしょう」 「あれー」  陽光太夫が考え込んでいます。 「昔、べそっちょが男口説く時そう言ってたような。華奢で控えめで奔放かつ品のあるタイプが好みだったはずだけど、趣味変わったのかなー」 「どういうことです」 「べそっちょはホモなの。樋口さまのこと気に入ったんじゃないかな」 「つまりこの手配書は」 「シンデレラ探し……」 大江戸870夜町(12)  侍二人は思考が止まっています。  しんとしたお座敷で、陽光太夫は会席料理をぱくつき始めました。 「投降してみたらー? 命の危険はなさそうだし、将軍の側室げふ、側近になれるんなら大出世じゃない。お家のためになるわよー」 「よせ太夫。お家のためなんて武士にゃ殺し文句だ」 「……家名の誉れだヤッター、なんて言うか。武士なめんな」  フリーズの解けた桔梗介が呟き、工藤もハッと気を取り直しました。 「若。だとすると樋口家の対策会議が危のうございます」 「そうだ。お上相手にどんな先回りなことを言い出すか」 「私が説明して参りましょう」 「いや、お前はそっち方面に馴染みがありすぎる。ホモ侍の作り話と思われるのが関の山だ」 「……どなたのせいだと」 「吉澤は悪ノリする危険性があるし、あと樋口屋敷に顔出して信用されそうなのは」 「ニャア」  大福親方は雅におんぶされ、下屋敷で斗貴に事情を話し、上屋敷の面々を説得してもらうという遠回りな使命を負って、出発したのでした。  劉は、冬成の取材メモをパラパラとさかのぼりました。 「大奥女中を何人当たっても将軍お手つきの噂を聞かなかった理由は、これで説明がつきそうね。将軍がホモを理由に世継ぎを作ってないとしたらこれは」 「大スクープですね、劉さん!」  冬成は目をキラキラさせましたが、劉は渋い表情です。 「替え玉説に比べると、インパクトに欠けるわあ。ホモはホモでも子づくりするホモだっているだろうし。やーだ何回ホモって言やいいの。ま、ここへ逃げ込んだのは正解だったかもね」  劉はぐびりと飲み干しました。  財布係の工藤が注文したのは最小単位の宴会会席なので、ちまちまとした飲み会です。 「ホモが寄りつかない場所ランキングで言や、吉原遊郭はかなりの上位でしょうよ」 「わーい♪じゃあずっといたらいいじゃなーい」  陽光太夫がかんぱーいと盃を上げます。 「居続け連泊っスね、ええと専属指名でチャージ料が」 「お、お金がもちません」 「えーまだ余裕でしょー」  工藤にすり寄った太夫は、着衣の上から財布を叩きました。 「いい音してるじゃなーい」 「虎の子の逃亡資金ですからそうひと息に使うわけには。た、太夫?」  もぐりこんだ細腕は、もう財布を抜き取っています。 「ちょっと、少しは遠慮してスリなさいよ」 「違うー。この音……」  くるくると革ひもを解くと、まばゆい小判があらわれました。 「やっぱり。変わんないねー、このシマシマー」  小判に語りかける太夫は、何だか同窓会口調です。 「どういうことよハル? 素で怖いんだけど」 「えっと、太夫はお金大好きっ子なので、小判クラスになると一枚一枚覚えてるんっス」 「何その超能力」  すっかり引いてしまった一同に、陽光太夫はご紹介しますの笑顔で言いました。 「こちら、将軍暗殺犯に支払われた小判よ。どうして樋口家が持ってるの?」 大江戸870夜町(13) 「将軍、暗殺……?」 「それは俺個人のポケットマネーだ。樋口家の金ではない」 「そんなことより将軍、暗殺?」 「うんまあ」  小判は華宮院での斬り合いの夜、「すまん、恋のライバルかと思って」とキースが差し出した迷惑料だったのですが、てことはあいつが将軍暗殺犯かよーと瞬時に理解がつながったものの、どこから説明を始めりゃいいか全く分からない樋口主従でありました。 「それより、太夫はどこで依頼金をご覧になったのですか」 「話をすりかえないで。依頼主と殺し屋との間を取り持ったのが伊賀衆だったとか、そんなことでしょ」 「すごい劉ぽん。アタリー」  工藤は、ふむと考え込みました。 「なら伊賀の里をさかのぼれば、黒幕である依頼主が分かるかもしれません」 「確かにそうね」 「太夫、何かご覧になっていませんか」 「えっとね、端がちょっとへっこんでる子と、刻みが曲がってる子と」 「小判の特徴は結構です」 「伊賀衆といえば幕府直属の隠密よ。それが暗殺に関わったとなると、黒幕は政権内部に……?」  何となく謎解き気分になった一同が頭を寄せたそのとき。 「隣の座敷に、誰か来ました」  声をひそめた冬成に、桔梗介がうなずきます。 「お前も殺気を感じるか、坊主」 「襖に結んどいた糸が引かれました。盗み聞き取材には当然の用心です」 「もうこのコ、ゲスいスキルばっか覚えて」 「大勢だ。宴会とは思えぬ忍び足」 「皆さん下がっていてください。いえ吉澤さま、帯刀されてる方は前衛です」 「ケンカはサシでしかしない主義なんでー」  ごちゃごちゃモメているところへ、パーンと襖が開け放たれました。  ばらばらっとなだれ込んだのは、手甲脚絆の集団でした。 「観念せい、樋口桔梗介」  声高に呼ばわった武人は、いつでも抜ける構えの男たちを従えています。 「ふっふっふ。お大尽風の駕籠にしては従者が地味、不審に思いマークしてみれば案の定よ」 「あた、地味侍が悪目立ちしたのね」  工藤は脇差に手をかけます。 「不徳により死んでお詫びを」 「ちょ工藤さまドンマイ! 樋口さま止めてあげてっス!」  桔梗介は動じません。 「やらせろ。死んだ気で敵を殲滅するという意味だ」 「若をお上の手には渡さぬ、はぶうっ!」  吉澤に足をすくわれ、工藤は前のめりに倒れていました。 「よ、吉澤さま!!」 「いやゴメン。入れ込んでるから聞こえないかなって。こいつら、奉行所の兵隊じゃないみたいですよー」 「そういえば……」  軽装の彼らは同心配下のようにも見えますが、十手も御用提灯もありません。 「では何者だ。何の意趣あって」 「これは名乗り遅れた。我ら華宮院用人衆。主命によりお命頂きに参った」 「華宮院!」  樋口主従はユニゾンで声を上げました。 「ちょうどよかった!」 「こっちへ座れ!」  予想外の豹変に、用人は目を白黒させます。 「何だ何だ。おかしな策で攪乱しようとも、この多勢に無勢では」 「フフン」  桔梗介は悠々と腕組みしました。 「俺を消せば、樋口家が何もかも公表するぞ。金髪異人のことや金髪異人の殺し屋のことや、将軍暗殺を請け負った金髪異人の殺し屋のことなんかをな」 「む、いつの間にそこまで……」 「確たる証拠をつかんでるんですよー♪」  脅迫に目がない吉澤も、当てずっぽうで参加します。 「その異人の殺し屋に、伊賀者が幾ら払ったかまでね♪太夫?」 「ハイハイ、小判で百両よー」 「ぐむう。バレバレではないか、キース」 「あらキースって、富山ルートで通関した薬売りね」 「窓口は紅牡蠣亭ってバーっス~」  あと乗せ情報がどんどん続き、用人はボコボコになってへたり込みました。 「貴様ら、どんなすごい情報網を持っておるのだ……、とてもかなわん」 「頭、しっかりしてください」 「まあ聞け」  桔梗介は、落ち着いて仕上げにかかりました。 「わがまま姫がどんな気まぐれで俺を殺せと命じたか知らんが、大人しく寺までしょっぴかれてやる。殺すかどうかは、本人に決めさせたらどうだ」 「む、よい思案かも知れん……」  手打ちを決めた両者は、一時的な盟約の盃を交わす運びとなりました。 「ついては道中、身辺の警護を願おうか。俺はお尋ね者なんでな」 「そうだ手配書だ。あれを江戸班が報告してきたのだ」  罪状はよく分からないものの、桔梗介が減刑のために尼寺の男出入りをチクるのではと、門跡は心配になったのでした。 「……案ずるな。俺は捕まらん。絶対に」  桔梗介はぞくりと身をすくませます。 「樋口どの。あんた一体何をやった」 「一世一代の恋泥棒ですよー」 「吉澤さま」 「ちょんまげセンサーが呼び合って、イケナイ刀を抜いちゃったんです」 「吉澤さま」 「……ちょんまげセンサー、イケナイ刀、殿中でござる」  BL用の取材メモに、せっせと書き込む冬成でありました。 大江戸870夜町(14)  同じ頃、江戸城指令本部。 「あかん!」  暴れん坊将軍は、パイプ椅子を倒して立ち上がりました。  広域地図が広げられた大卓には、美剣士48のフィギュアが置かれています。 「どうなさいました、上さま」 「あかんあかん! ストレートの殿堂、公娼吉原を忘れとった!」  少年たちも慌てて地図を囲みました。封鎖完了ポイントに置かれるはずのフィギュアが、一区画だけありません。 「ほんとだ」 「ついつい意識からはずしちゃうんだなぁ」 「僕らは用事ないもんねぇ」 「こんだけ探して見つからんとなれば、もうここで決まりや! 頼むで、吉原方面へ増員!」  地図上の吉原に、小さな三白眼侍が置かれたそのとき。 「吉原に、何の御用どすのん?」  陣がまえの幕屋を回って現れたのは、大奥を一手に仕切る上臈(じょうろう※役職のひとつ)、十和古局(とわこのつぼね)でした。 「あ、十和古やん」  将軍はへつらうように立ちはだかります。 「こっちの話や。十和古やんには関係あらへんで」 「上はん。お小姓が足りてへんのどしたら、またいくらでもお世話しますえ?」 「い、いらんいらん。ワシ好みの子は十分揃ったわ」 「ほたら何で吉原やなんて」  回り込んだ十和古は、すっと声を落としました。 「おなごはんとの交渉は一切禁止、このお約束忘れたとは言わしまへんえ」 「分かってるがな」  将軍暗殺の混乱の中、行われた後継選びは難航しました。  少しでも誰かにつながりの深い候補には執拗に反対意見が上がり、ちっとも会議が進まないのです。  結局、誰もが「誰?」というナニワ松平家に白羽の矢が落ち着き、誰にとってもノーマークだった新将軍に、嵐のようなプレゼント攻勢が始まりました。  いち早くホモ性を見抜いた十和古局が、美童を献上して勝ち抜けます。用人宿舎に大奥男子部を作ってもらい、首根っこを押さえられた将軍は、十和古が後見する八千菊丸を後継に指名するという密約を飲んで、暴れん坊ライフを楽しんでいたのでした。  十和古は、大奥女中も増員させました。  自分は長い寵愛リストの末端にいるのだと大奥の誰もが思っており、将軍が世継ぎ作りをしていないことは、慎重に隠されています。  今や江戸は彼女のもの。十和古は満足げに地図を眺めました。 「吉原で捕り物どすか? いや楽しそう」 「そない大したことちゃうねん」 「このお人形、かいらしわー」 「触らんとってくれ」  ピリピリと素っ気ない将軍に、十和古はぷっとふくれます。 「何しょうもな。うち現場行って見てこ。ちょっと、駕籠お願いー」 「ちょ、やめてーや。オカンに本気のおカズ見られるみたいで恥ずかしい、十和古やーん」  一方、お尋ね者たちは移動方法に知恵をしぼっていました。  華宮院衆が動いて、周辺を偵察します。 「吉原域外で、検問が整い始めています」 「駕籠の内部もチェックされるだろう。徒歩しかないぞ」 「どうにか変装しましょう」  何より目立つ三白眼を隠さねばと、工藤が手ぬぐいを巻きつけますが。 「ヨロヨロしてるっスよ。前が見えてないんじゃ」 「若、心眼でお歩きください」 「あー足の小指打った」 「だめよ。こんなの怪しすぎ」  ほっかむりを取りのけたのは劉です。 「変装のコツは、見る側に疑問を抱かせないことなの」 「なるほど」 「心理的盲目ってやつね。改めて人相を確認するまでもないと思わせるわけ」 「さすが劉さん」  冬成はうっとり遠くを見ています。 「地下プロレスでの潜入取材を思い出すなあ。完全に謎のマスクマンになり切っちゃって。取材なのに優勝しちゃって」 「幸いここなら道具が揃ってるわ」  陽光太夫の支度部屋へ走った劉は、両手いっぱいの衣装を抱えて戻りました。 「変装、というかもれなく女装になりますが」 「つべこべ言わない。さ、いらっしゃいシンデレラ」 「誰がシンデレラだ」  かまわず劉が打ち掛けを広げると。 「んまあ、引きずり丈がぴったり」 「無理あるっスよー、こんなデカ女」 「花魁道中の高下駄を履けば大丈夫。デカい女のお練り姿は、ここらじゃ珍しくないはずよ」 「こ、これに高下駄を?」 「巨大すぎませんか」 「見物人の縮尺を狂わせて、ガタイの男っぽさをごまかすのよ」 「確かにデカーが先に立つっスね。肩幅とかより」 「おい、化粧はせんぞ!」 「衣紋とうなじは遊女コスの命~」  ハケを構えた陽光太夫がじりじりと間合いを詰めてきます。 「ベースだけは白く塗ってちょうだい。顔はありったけのじゃらじゃらで隠しましょ。ほい、ほい」  劉はかんざしを次々ウィッグに突き刺しました。 「すげ~、何かあれに似てるっスね。中国皇帝のスダレ冠」 「じゃ、チャイナ趣味のニューモードってことにするわ。江戸っ子は粋を解することに命かけてるから、新流行で押し切るわよ!」  どーん、どーん。  太鼓が鳴り、俗世と遊里を唯一つなぐ吉原大門が開きました。 「花魁道中だ!」  出張営業のお練りに、通りがワッと沸き立ちます。 「今日のは一段と華やかだねえ」 「先導の下男が、二の四の六……」 「お大名並みの警護だぜ。くのいちまでいる」 「そしてそしてー」 「キタ主役! よっ花魁!」 「立派だねえ」 「てか、デカいよな」 「高下駄も高さを競う時代だから」 「顔もよく見えねえぞ。じゃらじゃらが邪魔で」 「ニューモードだね。中国皇帝風たぁ格式高えや」 「目鼻がほとんど隠れてるぜ」 「チラリズムさ。想像の余地ってやつよ」 「粋だねえ」 「粋だ粋だ」  見物人のいきいき談義が落ち着く間もなく、御用あらためが吉原を急襲しました。  派遣実態のない花魁道中が一組、大門を出たことが判明すると、すぐさま追撃隊が放たれます。 「花魁道中はどっちに行った!」 「ロボみたいにデカいやつ?」 「それなら、その角を曲がって」 「子供らが追いかけてったよ」 「よし!」  十手衆は運河沿いの道を駆けました。  柳の街路樹に見え隠れして、巨大ロボだー、ビーム出してーと子供たちにからまれている人影があります。 「そこの花魁髷、止まれ!」 「御用だ御用だ」  けたたましい呼び子が響き、子供たちのテンションも上がりました。 「ロボ、敵襲!」 「撃て、ロケットランチャー!」 「んなもの搭載してないわよ」  まとわりつく子を払いながら、劉はじゃらじゃら飾りをかき分けました。 「で? わっちにどんな御用でありんす?」 「ドラッグクイーンか」 「自称ジャーナリストとかで、表現の自由とか厄介なこと言い出してます」 「うーむ」  装束もよく見れば色々中華風で、無認可花魁として引っ張ることもできず、白塗りの劉は無罪放免となりました。  遠く山を仰げば、白い顔が夕日に染まります。 「あとは頼んだわ、冬成」  冬成からざっと操縦を教わり、白塗りのまま着替えた桔梗介は、「羽ばたき1号」で夕焼け空へと飛びたったのでした。 (第15話へつづく!)