昼下がりの心地よい風に、心はおろか身体までもが誘われそうになる。その風に乗せられて、はしゃぐ子供たちの楽しそうな声と、何かを打ち合う気持ちの良い音が聞こえてくる。その辺に落ちていた木の棒を拾い、チャンバラでもしているのだろう。  たまに泣き出す声、それをなだめる友達の声。  それら全てが、心地好い背景音楽となっていた。  大きな木の棒を振り回して、空気が震えて「ぶん」と低い音を鳴らす。その後に誰かを非難するような、弄くりまわすかのような声がする。だが、その声には不思議と嫌な気持ちにさせる雰囲気は無かった。  あくまで遊んでいて、それでいて楽しげで、決して嫌なことなどあるわけでは無い。  どこにでもあるような、子供たちに人気のある「おとぎばなし」に出てくる「英雄の男の子」、その人物が使う「技の名前」を叫ぶ声、そしてそれを受け止める、妙に悪役ぶった声。  その内容は、現世代より二、三世代前から親しまれているものだそうだ。  未だに人気のあるところが、それがどれだけ優れた作品であったかが分かる。今もこうして子供たちに夢を与え、果ては友達を作るきっかけにもなっている。  この文化は、今でこそ定着しはしたが、現れた当初は酷く叩かれもしたものだ。それが段々と評価を改められていき、現在に至る。  子供たちが今も、遊びの種とできるようなものだ。それで育った親たちとしては、受け入れるほかに無い。  だからこそ、今のこのような遊びがある。  そんな、無邪気で可愛らしい声を聞きながら、その少年は河原に寝転んでいた。 (ああ、落ち着くなあ……)  このところ、その少年はそう思うようになった。  こうして身体を芝生に預けていれば、自然と心も身体も落ち着く。その感覚が、少年が抱える日々の疲れを癒してくれる。そう感じるのだ。  と言っても、それほど疲れるようなことはないし、少年も大した心的疲労を抱えてはいない。  ただ、何もしないでいるのが好きなのだろう。  何もせずにただ寝る。そうした、ゆったりとした時間。そんな時間を無駄遣いしているような感覚が、少年にはとても贅沢に思えた。 (あ。あの雲、アレみたいだなあ……)  両腕を枕にして仰向けに寝て、のんびりと空を見つめていた少年は、たった今目線に入ってきた雲を見つけると、ぼんやりとそう思った。  見れば、その雲はとぐろを巻いていた。  そういうものに反応してしまうと言うことは、少年がまだまだ幼いことの現れである。  六歳から十二歳の頃の男児に多く見られるこの傾向は、何も悪いことではない。それくらいの若さの男児は、普通の日常を送っているだけでは使いきれないほど、有り余る活力があるのだ。  だから、下らないことを考えて活力を使うのだ。  そうすれば、夜眠れないこともないし、何より心にゆとりが持てる。  ……少年も含め、多くの男児はそんなことを自覚したりはしないが。 「フレイ、フレイー?」  ふと、少年は自分を呼ぶその声を聞いた。  少年は身体を起こして、声がするほうを向いた。そこには、小袖に身を包み、短く裁断された緋袴を穿いた、少年より一、二歳ほど年上の少女の姿があった。白い小袖の下半身を覆うはずの布は後ろで結ばれており、膝の間接が露出するほど短く切られたその緋袴は普通は酷く不自然であったが、それがその少女にはよく似合っていた。  それだけ見れば、ただの変わった服装をした少女なのだが、唯一つの点において、普通の人間ではない部分があった。  少年の目に、少女の後ろでゆらゆらと揺れている毛並みの良い尻尾が映った。  それは、彼女が属する「種族」の象徴だった。 「何だ、レイナか」  そよ風が吹く中、ぶっきらぼうにそう答える、フレイと呼ばれた少年はまた芝生に背中を預ける。……そこで、ひどい事実に気付く。  少女……つまりレイナは河原の上にいて、フレイが寝転んでいる場所は傾斜の弱い坂。そしてどちらかと言えば、川沿いではなく……道沿い。更にレイナの服装を考えれば…。  とどのつまり、見えてしまったのだ。 「あ……」  その後にレイナの顔を見れば、フレイは慌てて目を逸らし、寝返りを打つ。  レイナはそれが不自然に思えた。 「何よフレイ。あたしの顔見るなりそっぽ向いちゃって」  そう言いながら、レイナはフレイの様子を確かめようと傍に寄る。一歩一歩近付く度に、レイナの尻尾の毛が揺れる。  フレイは寝返りを打ち続け、今やうつ伏せになっていた。それも何やら顔を抑えているようで、挙動不審にも程があった。 「ねえ、どうしたの。尻尾、硬直してるみたいだけど?」  フレイにも、臀部にふさふさした尻尾があった。今やその尻尾は、ぴん、と空を目指していた。 「……お前なあ、もう少し恥じらいを持ったらどうだ!」  見るも素早い動きで立ち上がり、精一杯背伸びしてレイナと目線を合わせてフレイはそう叫んだ。その声に反応した子供たち、それから井戸端会議をしていた女性たちがこちらを見ているが、当のフレイにはそれを理解できるほどの冷静さは無かった。  もはや言うまでもないが、フレイの顔は赤い。その服装や髪の色と相まって、フレイ自体が真っ赤になっていた。 「え?」  フレイが何故そこまで取り乱しているのかわからず、レイナはただ一言だけ言った。だが、少し考えてみたら、どういうことで彼がそうなっているのかは大体予想がついた。  少し冷静になって、周りを見る。そして、自分が物凄い注目を浴びていることに気付いたフレイはしゃがみ込んだ。レイナもそれにつられてしゃがみ込む。 「そんな脚を露出した服装すんなって言ってんだよ」  今度は小さな、ささやくような声でそう言った。 「……ああ、それなら大丈夫。主人公以外には見られないから」 「何のっけからメタ発言してんだよてめえは。ていうか主人公には見られて良いってのかバカヤロー。大体見たくねえんだよそんな有難みの無い安っぽいもんは!」 「えー、だってフレイだし……」 「ガキ扱いすんな!」  そう言って、今一度芝生に寝転ぶ。周りの人々は「またいつもの痴話喧嘩か」「仲が良いことで何よりだわ」「早く結婚しちまえば良いのに」などなど、好き勝手なことを言いながら霧散していった。 「いや、してないよー。でもさ、どうせ後数年であたし達、夫婦じゃん?」  その響きは、至って自然であったが、逆にフレイはそれが気に入らずに、寝転んだままレイナを睨みつけ、 「何勝手に決め付けてんだお前は」  そう言った。  実のところ、フレイはレイナがあまり好きではない。  というのも、フレイの好みの女性のタイプが、レイナとはあまりにもかけ離れていたからだ。 (別に特に好みとかないけど、そうだな。できれば年上で、おしとやかで、強かで、それでいて一緒にいて安心できるひとが良いな)  とは、彼の談である。  レイナは、積極的で、活発で、年上で強かではあるけどどちらかと言えば横暴で横柄な態度で何かとフレイに心配事を持ってくる、彼にとって最悪の女性なのだ。  確かに容姿だけを見れば、最低限の一線は超えているのだが……肝心の中身が残念すぎた。  だからレイナとは距離を置いておきたい。そう思っていたが、どうも周りの連中はそれを「照れ隠し」だと思ってまともに取り合わないのが現状だ。寺子屋の連中に話しても「お前ののろけ話はもういいよ」と全く相手にされない。  どこに行っても一組扱い。どこに行っても二人でひとつ。そう認識されることが嫌で嫌でたまらなかった。 「別にあたしが決めたわけじゃないけど、でもいいじゃん。どうせ他の子からは見向きもされてないんでしょ」  あはは、と笑いながら言うその言葉は、フレイの心を少しだけ抉った。本人は悪気は全く無いのだろうが、フレイにしてみれば迷惑千万である。  確かにフレイは、同年代の女子には人気がない。というのも、その原因がレイナにあることは、多分言ってもわからないだろう、そうフレイは思っている。だから彼女とは話したくないし、虫の居所が悪くもなる。 「俺の好みに合わないだけだっつーの。大体お前だって、歳に似合わない幼稚な顔しやがって。何食ったらそんな発育悪くなれるんだよ」 「何その言い方。いやらしいなあもう」  レイナは頬を膨らませる。 「うるさい。お前は好みじゃないって言ってんだよ」 「あたし以外の女の子とロクに話せないくせに何言ってるの」 「話したくないから話してないだけだっての。というかいい加減お前も俺に付きまとうのやめろよ」  言葉を重ねるごとに、フレイの声に抑揚がなくなってくる。 「はいはい」 「うぜえ、超うぜえぞこいつ」  フレイはため息を吐いた。 「何でこんなやつと……」  不機嫌そうに呟く。 「だって義父さまだって認めてるじゃん。あたしのお父さんだって……」  二回目のため息。 「何であの糞親父共、勝手に人の結婚相手決めてるんだよ。大体俺まだ十五だって……」  フレイは悪態を吐く。子ども扱いするなと言っておきながら、自分の口からはまだ子供だと言う。そうした矛盾は、少年の年頃ならばよくあることだ。 「あと一年で成人するじゃない」 「それでも一年だろ。気が早すぎだろ。ったく、少し家が金持ちだからって……」  フレイは、ここ「炎の国」……「ヴァーベンリヒ」の首都、フラーメアに住む、どこにでもいる普通の少年だった。  普通と違うところといえば、家が少々の金持ちであることと、槍の扱いに長けていることくらいだ。  彼は、代々宮廷料理人を務める、料理長の一家の一人息子だ。その関係もあってか、首都フラーメアの貴族街の外周に、周りの家と比べればかなり小さい屋敷を建て、そこに住んでいる。  対して、レイナは「雷の国」……「ブリッツ」の出身。他国の出身であるレイナがこの街に定住しているのは、外交官である彼女の父親の仕事の都合によるものだった。  彼女自身も、ここフラーメアにある研究所で働いていた。それ故に、普段はあまり時間が取れないはずだが……彼女は週末――月、火、水、木、金、土、日の七曜の内、土曜日と日曜日のことだ――になると、決まってフレイの家に遊びに来るのだ。  お陰で毎週の如く何かと言い訳をして逃げる癖が付いてしまった。料理を習いに行ったり、槍の稽古に行ったり。  そうした言い訳が思いつかないとき、フレイは決まってここに来る。 「でも、お陰で槍の道場に通えてるじゃない」  確かに、道場通いにはそれなりに資金が必要になる。まず稽古を付けてもらうために米や麦など、あるいは賃金を上納しなければならない。その上で稽古を継続するために更なる賃金が必要になる。  その賃金と言うのも、金で爵位を買うほどまでは行かないが、貴族街の小さな土地を一つ買うほどには必要になるのだ。  そんな大金、平民では用意のしようも無かった。 「あんなの無くったって、俺は元々強かったよ」 「それ、嘘でしょ」 「嘘じゃねえよ。お師匠様との打ち合いでも負けたことないし」 「あ、そう……」 「昨日も不良に絡まれたけど、逆に返り討ちにしてやった」 「へえ……」 「ったく、あいつら俺が魔法下手なの知ってて、わざと離れたところからバンバン撃ってきやがるから……」 「って、魔法使ったの?」  魔法。  フレイの知識だけで言えば、それはこの世界に存在する力、それを利用する技術やその応用、もろもろを呼ぶ名称だ。  この世界に存在する力とは、すなわち炎、光、雷、地、風、水、星の七つの力。そしてその力はこの島々のそれぞれに存在する神殿によって制御されているという。炎の国には炎の力が、雷の国には雷の力が、それぞれ制御されていると言われる。  基本的には、育った地域や洗礼を受けた場所によって、どの力を利用できるかが決定される。炎の国で生まれ育ったものは、やはり炎の力を利用できるようになり、それ以外の力を利用できる存在は稀である。 「相手がな。もう少しで火事になるところだったよ」  炎の力を利用できる炎の種族は、その名の通り炎を操る力を利用できる。ひとたび魔法を唱えれば、火の玉を飛ばしたり、火を噴いたりと様々なことに使える。料理のときにも、夜の明かりとするときも、かなり便利な力であった。 「未成年が有事以外で魔法を行使することは禁止されてるはずでしょ。っていうか、そもそもその人たち詠唱破棄できるの?」 「炎魔法の詠唱破棄は簡単だよ。元々の詠唱時間が短いんだから」  魔法には、幾つかの発動条件がある。  一つめ、「詠唱」を唱える必要がある。言葉には力が宿り、それは「現象」に干渉すると言う。魔法の発動のために使う力を引き出すのが詠唱なのだ。詠唱の長さは個々の魔法によりまちまちで、十秒程度の短い詠唱で済む場合もあれば三時間にも及ぶ詠唱を必要とする魔法もある。基本的に詠唱の長さと魔法の威力は比例関係にあって、強い魔法ほど詠唱時間が長くなる傾向にある。  二つめ、「紋章」を刻む。魔法は元々、この紋章と言う形で与えられたとする学者もいる。ある規則にしたがって紋章を描けば、それ自体が魔法の力を生み出す、言わば「源泉」になる。こちらも、強い魔法力を必要とする魔法ほど大掛かりな紋章を描く必要がある。また詠唱をした場合、必ずしも紋章を刻む必要は無い。  三つめ、「解言」を唱える。解言は、魔法の発動の最終的なカギになる詠唱の一文のことだ。この詠唱は呪文の基本的な性質を端的に現す短文で表され、魔法の強さは解言の長さによらず、詠唱の長さ、または紋章の規模によって決まる。  そして、それら三つの発動条件のいずれかを省略することができ、その技術を破棄というのだ。詠唱を破棄するのなら詠唱破棄、紋章を破棄するなら紋章破棄、解言を破棄するなら解言破棄とそれぞれ呼ばれる。また破棄を行った魔法は威力が著しく低下するのも、破棄の特徴である。 「それにしたって、法律を守らないなんて…」 「だから、一通りボコした後神殿に突き出しておいた」  フレイは思い出したかのように、袖口を捲って右腕の肩を出す。そこには、少々の火傷の痕があった。恐らくは昨日の一件のことで付いたものだろう。だが、それはあと数日ほどしたら消えそうなものだった。  未成年が魔法を使用することは、それなりに危険が伴う。そのため、成人するまでは魔法を使用することを禁じ、その上で魔法行使の資格を取る必要がある。一応、授業など教育目的で、専門家の指導の下、十分な安全を確保した状態でならば未成年でも魔法は使用できるが。  フレイは、寺子屋での魔法の実習ではいつも魔法を暴発させていた。それ故に、魔法の成績は最低クラス。今まで何とかついてきているのが不思議なほどだった。  ……もし、未成年が魔法を使ったらどうなるのか。それをフレイは考えたこともなかったが、昨日の不良どもを神殿に突き出した時点で、ふと気になってそこにいた巫女に話を聞いてみた(巫女がフレイのタイプに直球ど真ん中だったというのも、一応あったのだが……)。  曰く、「厳重注意の後、親御さんと大神殿の方に連絡をして、その後に処罰の度合いを決めるのよ。今回は被害が軽かったから、そうね…一定期間の魔法力剥奪かな」だそうだ。酷いときには軽い火傷ではとても済まされないようなことになるらしい。 「まあ、やつらもこれに懲りて、俺と張り合おうなんて思わなくなるだろうけどね」 「にしても、何でフレイが絡まれるの?」 「さあね。誰の所為かね」  フレイは自らが事あるごとに絡まれる理由を、レイナには話さなかった。話せば、間違いなくレイナが面倒ごとに巻き込まれることになるからだ。外交官である彼女の父親が、その職種上雷の国ではそれなりの地位にいることからも、その娘であるレイナを面倒ごとに巻き込むわけには行かなかった。 「それより、何の用だよお前。魔法の研究は良いのか?」 「そんなことより、義父さまが呼んでたよ」  フレイの質問には全く答えず、レイナは自分の用件を伝えた。全力で無視されたフレイにしてみればそれは少しばかり腹を立ててもおかしくない態度だったが、そんなことよりも「それは最初に言えよ」と突っ込みたい気分になった。それと……。 「……おい、さっきからその義父さまってなんかイラッと来るぞ。何それもしかして親父のこと?」 「他に誰がいるの?」  きょとん、とした態度でレイナが言った。  フレイは頭を抱え、 「……俺、何でこんな選択権の無い人生送らなきゃいけないんだろう」  そう呟くのみだった。 「あ、その言葉はそこはかとなく子供っぽいぞー?」 「うるさい。見てくれがガキっぽいお前に言われたく無い」  虫の居所の悪さは最高潮に達した。  色々な文句を垂れながら、フレイは河原を後にした。  レイナの取り留めの無い世間話に空返事を返しながら、頭では彼は別のことを考えていた。 (どうにかして縁談をぶち壊すしかないな……)  と。