星空メイト 〜ホワイト・クリスマス〜
高城 月
二人の少年は親友であった。
一人は金持ち。一人は貧乏。
二人は一見してバラバラであったが、それはそれは仲が良かった。互いに同じ趣味を持っていた為だ。それが分かるまでは、二人は本当にバラバラであった。それまでは、全くと言って良い程接点が無かったのだ。
星を見ること。
それが、彼等の共通の趣味だった。彼等は兎に角、星が好きだった。
◆◇◆◇
それはクリスマイブのこと。
貧しい少年の家では、家族みんなで質素ながらもクリスマスを祝った。安いチキンを頬張って、談笑する。今日は特別にジュースを買った。笑顔で囲う食卓。
(嗚呼、楽しい……)
金持ちの少年の家では、一族と仕事の関係者を呼び集めて、盛大なパーティーを執り行った。高い料理の数々と、高級ワイン。大人達は機械的な笑顔を浮かべ、互いに腹の探り合い。一人頬張る豪華な食事。
(嗚呼、退屈だ……)
金持ちの少年は、一人パーティーを抜け出した。冬の凍った空の下、人工的な光に満ちたその道を、少年は足早に進んだ。自分がいなくなったと分かったら、きっと大騒ぎになるだろう。
(どうせ誰も気付かないだろうけど)
貧しい少年は、家族が寝静まった頃、一人寝床を抜け出した。こっそり残しておいた自分の分のチキンを持って、向かった先は学校。近所の山の上に建つ学校は、街の明かりから離れており、星が綺麗に見えるのだ。
凍った星空の下、少年は駆け出した。早く彼に会いたくて。人通りの無い道を駆け、真っ暗な坂道を駈け上がる。山の中にぽっかりと開けた場所がある。そこが、彼の学校。
グラウンドには既に彼がいた。
◆◇◆◇
金持ちの少年は、人と話すのが嫌いだった。みんな、表向きには彼に良くしてくれているが、実際心の内では何を考えているのか分からなかい。彼は金持ちだったから、近付く者は皆、欲や恐怖を抱いており、本心から彼に接してくれる者が誰もいなかったのだ。
それでも彼の周りには常に人がいた。彼の方から話し掛けなくても、相手の方から話し掛けてきたからだ。誰もが彼に気に入られたくて。
(反吐が出る)
少年は、両親に教わった通りの笑顔を向けて、そんなことを思っていた。少年は、普通に話せる友人が欲しかった。
少年は何時しか星に惹かれていった。キラキラと瞬くその姿は清らかで美しかった。少年は、言葉を話さない星々に、嘘を吐かない星々に、心を奪われた。何億光年前に生まれた光がこの汚れた地上に降っている。清らかな光が、まるで大地を浄化していくかのように、降ってくる。少年は大好きな星について様々なことを調べるようになった。
そんなある時。図書館で、誰も借りないような分厚い星の専門書を借りようとしたときだった。
「え? 貸し出し中ですか?」
自分以外にもそんな本を読む人間がいるのだと知って、至極驚いた。そうするともう、少年は、それが一体どんな人物なのか気になって仕方無くなった。彼は、その人物を捜した。人に聞いたらきっと教えてくれただろうが、何となくそれは癪だった。教えてくれる人間は、自分が金持ちだから特別に教えようとするだろう。仮令、個人情報の保護が騒がれるこのご時世であってもだ。それは酷く汚れたものに感じられて、少年は、そうすることで自分の中の清らかな星の美しさが損なわれてしまう様な気がしたのだ。そんなことは絶対に嫌だった。
そして少年は終に見つけた。
図書館で静かにその本を読み耽っていたのは、金持ちの少年と同じクラスの貧乏な少年だった。金持ちの少年は、この貧乏な少年と話したことがなかった。金持ちの少年は自分から話し掛けることをしなかった為、話し掛けてきた人間としか会話したことがなかった。貧乏な少年は、金持ちの少年に話し掛けたことがなかった。だから、二人は話したことがなかった。
貧乏な少年は、いじめを受けていた。けれど少年は優しかったので、それに対して怒ることはなかった。何時しかその行為は終わったが、大人しい少年は自分からクラスメイトに話し掛けることができなくなり、唯只管、本を読んで孤独を埋め合わせていた。だから少年には、友人と呼べる人物がいなかった。
そんな彼の楽しみは、晴れの日の夜に必ず星を見ることだった。少年は、優しいその光に惹かれた。夜空に鏤められた星屑は、少年が手にすることの出来ない宝石の様であった。少年にとって、星は憧れの的であった。少年は、星々の様に輝くことが出来たらどんなに良いだろうと思っていた。きっと決して叶うことは無いだろうと思いながらも――
金持ちの少年は、勇気を出して彼に話し掛けた。もしも、美しい星々を愛する者が、汚れた心の持ち主だったらどうしようと、心臓をドキドキ言わせながら。
「星、好きなの?」
そう声を掛けると、彼は驚いたように顔を上げ、まじまじと金持ちの少年を見詰めた。その目には困惑の色が浮かんでいたが、決して作り笑いを浮かべたりはしていなかった。金持ちの少年はそれを見て、自分もいつもの笑顔を浮かべていないことに気が付いた。自分の表情が緊張で硬くなっているのが分かる。
「……うん」
貧乏な少年は、おずおずと答えた。
その瞳はとても美しかった。星屑の様に、優しい輝きを宿していた。まるで、この少年が毎晩の様に見ている星の輝きが、そのまま瞳の中に入ってしまったかの様に。
金持ちの少年は、気付けば笑っていた。しかし、それはいつもの笑顔とは違った。無理矢理笑ではなく笑ったのは、久し振りのことだった。周りの人間が本当は自分のことをどう思っているのかを知ってからというもの、少年は笑うことが出来なくなっていたのだ。
金持ちの少年の笑顔に釣られたように、貧乏な少年も微笑んだ。
「僕も、好きなんだ」
金持ちの少年は初めて自分から会話を続けた。
そう
好きなのだ 星が
綺麗な星が
その清らかなる輝きが
彼の その瞳の輝きが
好きなのだ
金持ちの少年と貧乏な少年はそれから、図書館が閉館して家に帰らなければならなくなるまで、ずっと星について話していた。
どうして星が好きなのか。どんなに星が好きなのか。どんなに星は美しいのか――
飽きもせずに話し続けて、気付けば友達になっていた。二人とも、互いに初めての友人だった。
「君が僕にとっての初めての友達なんだ」
金持ちの少年がそう言うと、貧乏な少年は驚いたようだった。
「でも、僕と違って君の周りには沢山人がいるのに?」
貧乏な少年は不思議そうに首を傾げた。確かに、普通に見たら、自分は友達付き合いの上手い人物なのだろうと、金持ちの少年は自嘲した。本当は、心の内では相手のことを酷く嫌っているのに……。
「みんな、僕の両親に媚びへつらっているだけさ」
金持ちの少年の言葉に、貧乏な少年は哀しげに微笑んだ。
「そんなことは無いと思うよ……」
貧乏な少年は人を信じた。人に話し掛けることが怖くなってしまったけれど、それでも人を信じた。金持ちの少年は、彼のそんな所が好きだった。星の様に清らかなその心が好きだった。
曖昧に微笑んで、金持ちの少年は「そうか」とだけ答えた。
(こんな風に人を疑って見ることしか出来ない僕は、きっと星にはなれないんだろうな……)
そんなことを思う少年の瞳は翳っていた。
貧しい少年には、それまで友達というものがなかった。
だから、金持ちの少年が話し掛けてきたとき、とても驚いた。何故、自分の様な者に、彼の様な高みの存在が話し掛けてくるのかと、困惑した。けれど、星が好きなのだと聞いて、少年の中では、驚きや不安よりも喜びが大きくなった。
少年は金持ちの少年と星について話す内、すっかり楽しくなって、普段誰にも言えないような話までした。
どうして星が好きなのか。どんなに星が好きなのか。どんなに星は美しいのか――
きっとそんなことを話しても、誰も分かってくれないからと、誰にも話したことが無かった。そもそも、他人と話すこと自体が苦手な少年には、話し相手自体がいなかったのだが。
彼から見て、金持ちの少年の瞳には、いつも何処か翳りがあった。但し、自分と話しているときだけその翳りが消えていることに、少年は気付いていた。貧しい少年は、だから、成る可く沢山金持ちの少年と話すようにした。そうしないと、金持ちの少年の瞳が全てあの翳りに覆われてしまいそうで、恐ろしかったのだ。金持ちの少年は、自分なんかよりもずっと大人びて見えて、そして苦しげであった。貧乏な少年は、そんな彼をどうにか救い出したかった。
そして貧乏な少年は、終にある行動を起こした。
それは、クリスマスが近付いたある日のこと。
貧しい少年はおずおずと、金持ちの少年に申し出た。
「イブの日なんだけど……一緒に星を見ない?」
二人はこれまで、星について沢山のことを語り合ってきたが、実際に一緒に星を見たりしたことはなかった。金持ちの少年はイブの日の予定を思い出したが、どうでも良いとさっさとその予定を投げ捨てた。
「いいよ」
金持ちの少年も、この大切な友人と共に星を見たかったのだ。下らない大人の汚れた世界に巻き込まれるより、友達と一緒に星を見ながらクリスマスを祝いたかった。
金持ちの少年の返答に、貧乏な少年はぱっと顔を輝かせた。
「良かった! あのね、イブの日にこぐま座流星群が見えるらしいんだ」
「へぇ、流星群か! 見れたら良いね!」
初めて一緒に星を見るとき、流れ星が見えたならどんなに素敵だろうと、金持ちの少年は浮き立った。
◆◇◆◇
イブの日になり、パーティーを抜け出した金持ちの少年は、街の中心部を抜け出して学校へと向かった。大切な約束があるのだ。大人達の汚い世界よりもずっと素敵なものを見に行くのだ。金持ちの少年は、楽しみで楽しみで仕方がなかった。
学校に着いたとき、グラウンドにはまだ誰もいなかった。少年は一人、星を見上げた。山の澄んだ冬の夜の空気。透き通った空。濃紺のマントに覆われた空に、銀色の星が一面中輝いている。酷く寒かった。寒い夜には星がより美しく見えるのだという。少年はそれを何度も体感している。しかし、誰もいない静まり返った空間で見る星は、更に又格別だと思った。夜空を独占しているような気分……。それが奢りであると分かっていても、感じずにはいられなかった。もし本当にそうならば、どんなに素晴らしいだろうかと思った。
けれど逆に、少年はこうも思うのであった。
誰か一人の物になるような、そんな存在であったならば、自分は決して好きになったりしていなかっただろうと。どこまでも自由な存在だから。いつまでも未知の存在だから。決して手にすることの出来ない存在だから、こんなにも好きになったのだろうと。
親友が、自分の名を呼ぶ声が聞こえた。
少年は振り向いて、彼を迎える。
「メリークリスマス」
今日は一段と星が綺麗だと、少年は彼に言った。少年の感想に、彼は嬉しそうに微笑んだ。
「あ、」
何かを思い出したように、貧乏な少年は声を上げた。
「これ、持ってきたんだ」
少年がそう言って、金持ちの少年に差し出したのは、冷え切った安物のチキン。少年の家で出された、クリスマスのご馳走の残り。
「ありがとう」
金持ちの少年はそれを受け取り、一口頬張った。冷え切った肉。骨の部分に、友人の温かい体温が残っている。
その日に食べたどんなご馳走よりも美味しく感じた。
二人はその場に座り込んだ。無言でじっと空を見詰める。世界にたった二人だけになった様な錯覚。会話をすることもなく、唯星を見詰めるだけ。けれど、美しい輝きを共感できる人物がいる――そう思うと、二人の心は温かいもので満たされた。
どれ程の時間が経っただろうか。
キラリと、それは線を引いた。
「ねぇ、今の……っ!」
貧乏な少年が、興奮して言う。
「うん! 流れ星!」
金持ちの少年も興奮して応える。
キラリ、キラリ……
幾筋も、銀色の線が夜空に浮かんでは消えた。
儚い夜空の輝きが、その度に失われていくのだと思うと、二人は何とも言えず切なくなった。憧れている星は最後に、人々の願いを叶えて死ぬのだ。星は、人々に希望を与え、感動を与え、そして最後にはその願いを叶えてやるのだ。自らの身体を燃やしながら、一際明るく輝いて、死んでいくのだ。何という終わり方だろう。何という、美しい死に様だろう――
貧乏な少年がふと金持ちの少年の方を見ると、彼の目には涙が浮かんでいた。綺麗な、透明な涙。彼の瞳は澄み切っていた。
貧乏な少年は空を見上げ、心の中で呟いた。
(どうか、僕の友人のこの美しい瞳に、もう二度とあの翳りが生まれませんように……)
この美しい星と同じ、清らかなる輝きを持ち続けてくれますように――
金持ちの少年の瞳から、涙が零れ落ちた。
貧乏な少年は、その滴が空へと落ちていくのが見えた気がした。
La fin.