<18>
「私は魔女です。 魔法が、使えます」
と、前回と全く変わらない最初の挨拶を、
ハナはこの美里音大付属高校・弦楽器クラス二年の教室でも無邪気な微笑みと共にやってのけた。
美空高校の2-Aでは、この後に先生を含めてクラス中大騒ぎになったになったものである。
当然、この美里付属でも同じ高校生。 きっとあの時のような様相になるだろう・・・と、ハナは次の準備をしていたのだが。
まあ、確かに大騒ぎにはなった。
なったのだが・・・ それは、クラス一丸となった大爆笑、という形でである。
「こらこら、みんな! 笑いすぎだぞ!」
あまりにもお茶の間ドッカンな大笑いに、呆気にとられているハナを気遣って先生が生徒達をたしなめる。
ようやく笑いが静まり、ハナは微妙に居心地の悪い雰囲気の中で
『短い間だとは思いますが、よろしくお願いします』とぎこちなく頭を下げた。
ぱちぱちぱち、と、何かをこらえたような拍手が響く。
(・・・やっぱり・・・口だけでは・・・)
だめよね、と心の中で独白と共にため息をついた。
今回の挨拶では、前回と違って前口上だけは同じなものの、決定的に違っている要素がひとつある。
それは、ハナが魔法を実際に見せていない事だ。
別にそれはハナ自身が己に戒したものではない。
この学校に『通わせていただく』為の条件・・・人間との約束の一つである。
ハナはちらりと廊下に見える黒服の監視役達に目をやる。
ハナのその目が訴えていたのだろう。
視線が合ったお目付け役の伊東は、ハナの主張を『つーん』と顎をあげて、胸の前に腕のバツ印でもって示す。
はぁ、とハナは今度は本当にため息をつくのであった。
そんなハナの姿を、はづきは複雑な表情で見守るだけである。
そのHRが済んで、休み時間。
最初の感触では眉唾モノだったのではあるが、ともあれ目立つ存在なのは確かである。
美空高校の時と大差なく、ハナははづきの入る余地が与えられない程に人に囲まれていた。
「ねえねえ、巻機山さんってどこの人? 何人?」
「・・・はぁ、最初に申しました通り、私は魔女界という別世界から来た魔女です」
「うわー!! ねえ、それって素なのォ!?? え? ギャグじゃなくって!?? ねえ、ちょっと面白すぎるよォ!!」
「は、はぁ・・・」
「ねえねえ、じゃあさ、魔法! 魔法使ってみてよ!!
魔女なんでしょ? こう、一発ビックリするよーな奴!! タネなしでさ!」
「ええと、はい、私もそうしたいのは山々なんですが・・・
人前では魔法を見せるな、と偉い方に厳しく約束させられてしまって・・・ 申し訳ありません」
「あー、分かる分かる!
やっぱ魔女っ娘っていうのは、人前で魔法使っちゃうとダメって規則あるんだァ!!
そうだよね~!! あっはっはっはっは!!!」
巻機山さんサイコー、とか、巻機山さんって超天然~!!
等等・・・。
そんな賛辞(?)を含んだ予想していたのとはちょっと違う盛り上がりを見せている一角を、
どういう目で受け止めたらよいものか、と、はづきがぼんやり考えていると。
「ねえねえ、はづ吉」
と、高校からの親友・菱沼圭(ひしぬま けい)が人垣を迂回してはづきの机にやってきた。
「うん? どうしたの、圭ちゃん?」
はづきの声に圭は半目になり、親指を肩越しに背後の人山に向けて言う。
「・・・あの子、何者??」
真剣な問いなのか、それともただ単に胡散臭そうに聞いているだけなのか・・・
圭の性格から、その調子だけだと判別がつきにくい。
『あー・・・』と、はづきが答えに詰まっているのを知ってか知らずか、圭は勝手に話を進めていく。
「招待生、ってどんな生徒よ? 聞いたことないわ。
なんかいかにも『ボディーガードですぅ』みたいな黒服引き連れてるし。
何? 本当はどっかの国のお姫様とか、そんなんじゃないの?」
「あ、うん、いい線行ってるかも」
「だーしょぉ?? なんか『姫っ!』っぽい顔してるもん!
魔法とか魔女とか真顔でのたまっちゃってるしさ、きっと箱入りね箱入り!
となると、やっぱりこんなトコに留学してくるくらいだから、幼少よりバイオリンは『少々』たしなんでおりますのよ、
みたいな腕前なんでしょうね~。 ああ、なんか腹立つなあ!! もう!!」
「な、なに怒ってるのよ・・・」
「・・・」
「・・・な、なに? 今度は何で私を見るわけ?」
「・・・はづ吉もお嬢様だったよね」
「関係ないでしょう・・・」
などと、圭の捕らえどころのない会話に耳を傾けながらも、はづきは人山に埋もれているだろうハナを思いながら考える。
これが、おそらく普通なのだ、と。
これが魔法も何も知らない、人間の、一般的な対応・反応の仕方なんだろう。
最初はづきは、『私は魔女です』と言ったとたんに笑い出すクラスの雰囲気に呆気にとられ、そして憤りが沸き、
終いには立ち上がろうとしていた。
あれではハナは『センスのズレたちょっと頭のおかしい女の子』にしか受け取られていない。
というか、今実際そうだ。
ハナの周りに群がっているクラスメイトは、ハナの神秘性や魔女への好奇心で接触しているのではなく、
単にちょっと人並み外れたカワイイ顔の異国の女の子が幼稚園並みのお伽話を語っている、という別の意味の好奇心からだ。
・・・だが、これはクラスのみんなの性格が悪いとか、ハナという人間に対して理解が無いとか、そういう問題ではない。
やはり、『知らないひと』はこうなのだ。
魔法を間近で体験しない人間、魔法を知らない人間に、いくら魔法の存在を語っても結果こうなる、
というのははづきが魔女見習いを始めてから既に答えにあった事。
魔法というものがある。
魔女という存在がいる。
そんなドキドキするような真実を分かってもらいたくて、そんな世界に初めて触れた小学生3年の頃、
一度父や母にそれとなく話した事がある。
もちろんそれを証明するのには魔法を見せる事が一番手っ取り早いのだが、
その頃はマジョガエルの呪いという禁忌の罰則があったため無理だった。
両親はにっこり笑って、はづきの頭を優しくなでた。
『はづきは想像力が豊かだな。 きっといい芸術家になれるぞ』
そんな父の言葉が、はづきの遠まわしな秘密の暴露に対する遠まわしな答えだった。
えへへ、と、少しやりきれない気持ちでその話を有耶無耶に笑って散らした・・・のを、はづきは覚えている。
そう、でも、それが普通。
私だって、魔女見習いになったあの日までは・・・
『魔女はね、魔女はね!? 本当にいるんだよ!
わたし、絶対大きくなったら魔女になって、魔法でステーキたくさん食べるんだ!』
そんな夢を語る幼馴染みの言葉を、ただ笑って聞き流していただけだったのだから・・・。
チャイムが鳴る。
休み時間は短く、もう1限目だ。 クラスメイト達は少しづつ、ハナの囲みを解いていく。
ようやくはづきの視界に現れたハナは、既に少し疲れたような顔をしていた。
それでもはづきの視線に気づくと、どこか苦笑したような表情で小さく手を振る。
はづきも微笑んで手を振り返した。
(やっぱり・・・ 魔法を実際使ってみないと、理解はされてもらえない・・・のね)
例えそれが諸刃の剣ではあっても、ハナにはそれしか道は無い。
だからハナははづきやマジョリカの慎重な意見を退けてまで、魔法を人前で見せるという行為を今まで徹底したのだ。
はづきは自分のクラスにハナが来て、ようやくその意図を肌で実感するのであった。
「魔法、使わせてください」
傍目穏やかな口調だが、声にははちきれんばかりの意思が込められている。
学生食堂で魔女と一緒にAランチをほおばる伊東は、そんなハナの顔を見て口に持っていった箸を止めた。
伊東だけではない。 ハナの隣の机で同じように弁当を広げていたはづきも動きを止めた。
「・・・なあ、藤原」
はづきの向かい側に座る矢田は、彼女等とは違ってマイペースにもくもくと食べている。
「・・・」
「なあ、藤原」
「・・・えっ? な、何か言った? まさる君」
「アレ」
矢田が箸で伊東を睨んでいるハナを指す。
「・・・本当に『あの』巻機山なのか?」
「・・・うん、それは・・・本当」
矢田が言いたいことはよく分かる。 なにせ自分も最初は分からなかったのだから。
だから一瞬、答えが淀んだ。 正直、今も遠い記憶のハナとそこに座るハナを一致させるのが難しい。
「変わるもんだな・・・。 アイツ、何やるんだ?」
「何やる? 魔法でって事?」
ぶっ、とはづきの隣に座る圭が思わずコーヒーを吹く。
「うわっ、ベタな反応してんじゃねーよ圭タロー! こっちかかったろっ」
「わ、わりぃ矢田。 ってか、はづ吉!! アンタ、もしかして正直彼女の話、信じてる!??」
もの凄い真顔で圭に迫られる。 思わずはづきは『そんなんじゃなくて・・・』とお茶を濁していた。
「いや、まほーがどうとかじゃなくてさ。 アイツ、美里に来てるって事は、なんか楽器やんだろ? 弦楽クラスだし。
小学校じゃ、一回も聞いたことねーからよ。 アイツがそんなんやるって」
「知らない。 アコーディオンなら聴いた事あるんだけど・・・」
思わず真面目に答えるはづき。 アコーディオン? と、圭がまさに顔に縦線入れて繰り返した。
ハナがこの学校にいる理由など全然別の事なのだから、この際楽器云々は関係ないか・・・などとは、答えた後で頭に浮かぶ。
「・・・はい、お心遣い感謝します」
ハナがそう頭を下げつつ言い、席を立つ。
そしてはづき達のテーブルに移り、空いている矢田の隣に腰掛けた。
「お待たせしました」
ハナの顔は晴れ晴れしている。 どうやら交渉は上手く押し通せたようだ。
「ハナちゃん、話はついたの?」
「ええ。 一回だけ、魔法を使うことを許してもらえたわ」
にっこり、と無邪気な微笑み。
その顔を見て、矢田はなんとなく『ああ、言われてみれば巻機山だ』と懐かしい記憶から思っていた。
「・・・あれま、本当に魔法使いさん? え、マジで言ってるの?」
「ええ、『マジ』です。 やはり魔女は魔法使わないと、しっくりこないでしょう?」
「うわ・・・ 本当にやる気なんだ・・・」
圭のいいところでも悪いところでもあるのだが、この娘は表情が非常に正直だ。
今のこのものすごく訝しげな顔に、ハナもはづきも思わずぷっと小さく吹き出してしまうくらいである。
「・・・そうですね、せっかく一回しか使えない魔法、どうせならたくさんの人に見てもらいたいわ。
はづき、この学校でたくさん人を集められるところは?」
「えーと・・・」
「体育館か、演奏ホールだろ。 人が見物し易いっつーなら、ホールじゃねーかな」
『トロい』と言わんばかりに、矢田がはづきのなかなか出ない言葉を遮って答えた。
はづきは『あう』とか言って矢田を恨めしいんだかすまなさそうなんだか、の目で見る。
圭には見慣れた光景だった。
「演奏ホール・・・。 なるほど、それじゃあこうしましょう!」
パン、と手を叩いて楽しそうな声をあげるハナ。
それはいいんだけど、なんかリアクションがオバハン臭いな・・・と、矢田と圭は頭の中でそう感想付けていた。
そして放課後。
美空高校よりもややリズミカルな音楽がスピーカーから流れ、校内放送を告げる。
『まだ在校中の生徒のみなさん。
3時より中央演奏ホールにおいて、『魔女・巻機山花』さんによる、『魔法演奏会』を行います。
興味のある方、魔女の魔法を一目ごらんになりたい方は、3時までにホールにお集まりください。
繰り返します・・・』
放送委員の、生徒には聞きなれた声が学校中に木霊する。
「・・・伊東さん、いいんですか? こんな事になっちゃって」
それをホール脇の通路で聞きながら、ハナの監視役として任務についている調査室の諜報員が、
どことなく上を見上げながら言った。
「まあ、仕方ないだろう。 魔法を使っていいと言ったのはこっちなんだから。
ありゃ、ダメと言っても強引に魔法強行する態度だったし」
フゥ、とタバコの息を空に泳がせる。 校内は勿論禁煙なので、こうして隠れて吸うしかない。
伊東の学生時代を思い出させ、ちょっと温かい気分になった。
「これじゃ我々の監視や抑止って何か意味あるんですか? なんだかんだ言って魔女に魔法を使わせてるなら、
情報規制もへったくれも無いと思うんですが・・・」
「うん、まあモットモなんだけどね。 ・・・そもそも、政府は本気で情報規制なんてする気はないよ。
『あんまり見つからなければいいな~』程度なんだから。
俺たちの任務も、ちょっと魔女にかけてる脆い手かせ足かせって感じかな」
伊東の言葉に、同僚はポカンと口を開けた。
「まあ、考えてもみなよ。 情報を規制するったって、もはや情報は既にある程度流れちまってるんだしさ。
一度漏洩したものを無理に隠そうとすると、かえって立場的に悪いだろ?
もし本気で隠したところでも、時はすでに遅いのさ。 アメリカ・イギリスなんかは絶対に流れた少ない情報から感付くよ。
そしたら日本が責められるだけ。 こんなオイシイ材料、独り占めしようとしてるんだからな。
後になって『国民のパニックを引き起こさない程度の情報規制ですよ』な言い訳を考えての、極秘機密なんだからさ。
向こう方に本格的に突っ込まれるまでの時間稼ぎでいいんだよ。
大体、魔女が本気になったら規制なんて意味ないぞ? 彼女には魔法があるんだからな。
俺たちのこんな監視なんて、向こうの慈悲で任務遂行させてもらえてるだけなんだから。
彼女はいつでも逃げようと思えば逃げられ、姿を隠そうと思えば隠せ、
そして誰の前に現れようと思えば誰の前にだって現れられるさ。
・・・魔法の力で。 それを見越しての事なんだよ」
伊東は一旦地面に落とした吸殻を足で踏むが、『ああ、ここは学び舎だもんな』と呟きながら拾って懐の携帯灰皿に入れた。
「ま、そんなこんなでね。
全部を縛って彼女に下手な反抗心を持たせるより、多少縄を緩くしてあたかもこちらが
『自由をあげている』と感謝されてた方がいいのよ。
これもその一環。
ヌルイ規制が、逆に彼女の行動を一番制限し易いって事になる。
・・・ともあれ、まあ、いずれ彼女の魔法は全世界が目にする事になるさ。
俺たちの任務に関係無く、ね。 気に病む事は無い。
我々やこの学校の生徒は、それが多少早いだけなんだよ」
伊東は腕時計を確認する。 もう3時になるところだ。
「さて、我々も特等席で拝聴しましょうか。 魔女の演奏会とやらをね」
照明の落ちた学内演奏ホール。
この美里音大付属高校の音楽ホールは全部で3つあり、中央ホールは大学の学生も使う一番大きなオーケストラホールだ。
私立だけあり、そんじょそこらの私設ホールよりも設備は良くて広い。 稀にプロのコンサートも行われる会場である。
「・・・満員御礼ね・・・」
暗くなった会場内だが、うごめく人々のうねりは見渡せば分かる。
おそらく高校だけではなく、興味を持った大学の生徒も混ざっているだろう。
当然のごとく、教師一行もこの招待生・『魔女・巻機山花』の突然のプロモーションに期待を寄せている。
ざわざわした会場内に、突然マイクの甲高いハウリング音が響いた。
始まるのだ。
ホール中ほどに座ったはづき達一行は、ステージ上でスポットを浴びているハナに改めて注目する。
ハナはマイクの不協和音に片耳を塞いでイヤな顔をしながら、おそるおそるそれを叩く。
ポンポン、という音がスピーカーから流れた。
『あ、あ、あー・・・』
ハナ、マイクのテスト中。 人間臭い魔女の仕草に、はづきは思わず笑みをもらした。
『・・・えー、みなさん、はじめまして。 私は巻機山花と申します。
本日、この美里音楽大学付属高校に編入させていただきました・・・
・・・魔女です』
どよどよ、と会場がさらにうねった。 中にはすでに拍手をあげる者もいる。
「・・・にしてもさ、なんで舞台のオーケストラフルセットを片付けないのかな?」
既に聞いたハナの自己紹介を流し聞きしながら、はづきの隣に座る圭は不思議そうに言った。
「・・・うん・・・。 ・・・おそらく・・・」
はづきの遅い返事が返る前に、ハナは自己紹介を終えている。
『それでは、みなさんに・・・僭越ながら、魔法披露いたしたいと思います。
我々魔女が、みなさんと少しでもたくさんの気持ちと、幸せを共有できるように・・・
・・・私が人間界で一番好きな音楽を、演奏いたします』
ハナはそう言ってマイクをマイク台に返すと、パチンと指を鳴らした。
恐ろしいほどにホールに響いたその音の後に、ハナの胸の前にスポットの光をキラキラと反射した水晶玉が現れる。
それだけで、会場の前の方は大いにどよめいた。 立ち上がる者もいる。
だが、それがハナが見せたい魔法なのではない。 今のは魔法を使う前の、ほんの予備動作である。
演奏が始まる前とは言いがたい雰囲気を気にもせず、ハナは自分の水晶玉に両手をかざし・・・
ゆっくりと、目を閉じて何かを呟いた。
そして、今度は会場の全体が声をあげる事になる。
ハナの後ろに奏者がいないまま並べられていたフルオーケストラの楽器群が、不思議な光に包まれながら・・・浮いたのだ。
ハナは目を瞑ったまま、左手を水晶玉に、そして右手を玉から離して大きく振り上げ・・・
降ろす。
バイオリンが、緩やかな旋律を奏で始めた。
演奏は始まった。
だが、その余りの光景に、会場の収まりきれない衝動の空気は一向に静まらない。
はづきが予測していた通りだ。
魔法を目にする人間が、大人しく演奏など聞いていられようか・・・と。
だが・・・。 ハナはそんな会場の雰囲気を知っているのか、それとも集中しきって感じないのか・・・。
片手だけの指揮で、演奏を続けた。
バイオリンの出だしからピアノ、チェロが加わり・・・ 段々、音楽を重厚なものにしていく。
(・・・これは・・・ ルピナスの子守唄・・・)
おそらく、誰もがその旋律に気付いているだろう。
何時の間にか、人々のざわめきは消えていた。
只々、ハナの『ルピナスの子守唄』を奏でるオーケストラのメロディーが隅々までホール内を浸す。
はづきもハナに対して気をもむのを止め、目を閉じて一観客になってしまっている。
(・・・何て・・・ 気持ちのいい音・・・。 そして斬新な解釈のハーモニー・・・。 温かい演奏・・・。
これが魔法の演奏だなんて・・・)
音によって蘇る、あの日のひと時。
赤ん坊だったハナちゃん。
はじめての赤ちゃんの世話にてんてこまいだった、あの時の気持ち。
そして・・・ 小さい小さいその子供に与える、ちょっと早かった『母親として』の愛。
ハナを慈しむ気持ち。
それに答えるハナの微笑み。
そのすべてを思い出し、はづきは思わず涙していた。
ルピナス の はな の ように ・・・
・・・ そっと ・・・
最後の旋律部分をはづきは思わず口にする。
それは静かに、思い出が心に溶けるような形で・・・終わった。
会場が、しん、としている。
はづきはゆっくり目を開け、眼鏡を上げて涙を拭いた。
そして、おそらくはこの後巻き起こるであろう満場の拍手にあわせられるように、自分の両手を準備する。
・・・。
ところが。
タイミングがズレているのか、はたまた皆どういった反応を示したらいいのか分からないのか・・・。
拍手はいつものタイミングで鳴らない。
そしてざわめきさえも起こらない。
静かだった。
急に不安に駆られたはづきは、とりあえず控えめに・・・拍手をする。
自分がこういうものの音頭を取るとは、と、ちょっとうろたえたが、はづきの小さな拍手に応え、
まるで思い出したかのように色々な処でハナへの賛辞の形が音として鳴る。
ただ、あの演奏の割には随分と冷たいというか、まばらなものだった。
それでもハナは満足そうに、丁寧に頭を下げ、にこやかな微笑を見せる。
はづきは拍手をしつつ、自分の両隣の人間の反応をちらりと盗み見る。
矢田はいつものように、あまり関心なさそうに義理っぽく手を叩いていた。
そして圭は・・・。
・・・拍手さえ、していない。
何か放心したように、口元をきゅっと結んでステージを見つめている。
(・・・どうしたんだろう・・・? そんなに何か、変だった処なんかなかったのに・・・。
いえ、むしろ私が想像してたものより格段によかったとは思うんだけど・・・)
既に席を立つ人間も多い。
はづきはそんな皆の態度に居心地の悪さを覚え、鳴らしている拍手も止めてしまった。
ともかく、こうしてアンコールの声も無く・・・魔女の演奏会は幕を降ろしたのである。
何となく3人の会話が無いまま廊下を歩き、教室に戻る。
矢田のそういうのはいつも通りとしても、圭がずっと無口で黙りこくっているのはおかしい。
こうしてトボトボ歩いていると分かるのだが、いつもこの3人の雰囲気を明るくしてくれていたのは圭だったんだな、
と今更のようにはづきは納得する。
(・・・圭ちゃん・・・。 一体、何がそんなに気落ちさせてるんだろう・・・)
何となく、かける言葉が見つからなかった。 隣り合わせの圭の肩に置く手の場所さえ分からない。
どれみちゃんだったらすぐに分かるのに、と一瞬頭に浮かんだ事を全力で打ち消す。
圭は圭だ。 どれみではない。
なんとなく自分から圭に対してますます声をかけづらくなり、本当にその無言のままはづき達の教室まで帰ってきた。
「藤原、オマエ今日練習は」
矢田が発した、何て事のないいつも通りの業務連絡が3人の会話の最初の一言。
はづきはそれでも助け舟を出されたような気持ちになり、
「ええ、勿論するわよ。 なんてたって、コンクール選考まで一週間なんだものね。
頑張らないと、ね? ねえ、圭ちゃん?」
自分でも少し、おかしいくらいに元気一杯に喋ったと思う。
ちょっとわざとらしかっただろうか、と言った後ではづきは少し気を戻し、滅入った。
「・・・うん、私も練習は出るよ、勿論」
ようやく、圭は言葉を発した。 だが、その表情通りの色を持った言葉だった。
「・・・分かった。 んじゃ、いつものように」
矢田は矢田で、管楽器クラスの方で講習に参加する。
いつものように、とは、『終わったらいつものように7時に教室で待て』という意味の略だ。
それを残し、矢田は圭を特に気にした様子も無く、マイペースなまま自分の教室へ歩いていった。
後姿を見送り、はづきはちょっとため息をつく。
・・・矢田も圭が変なのは気付いている。 が、あえてこうやっていつも通りに接する事が矢田流のなぐさめでもあるのだ。
それでも少しは何か圭ちゃんに言って欲しかった、とはづきは思った。
ボーっと考えている間に、既に圭は自分の席に戻りバイオリンの用意をしている。
はづき自身も遅れないように席に戻ろうとしたが、その時一瞬廊下の奥の方からの微妙な雰囲気を感じ取り、
戻す足を止めた。
ハナが一人、すれ違う生徒に軽く頭を下げながら歩いてくる。
・・・どことなく、やはりハナとすれ違う生徒の大半の態度は冷たいように思えるのだが・・・。
だが、はづきの前に来たハナの顔は、明るかった。
「おかえりなさい、ハナちゃん。 ご苦労様」
「いえ・・・ そんなにたいした事ではなかったから。 演奏自体も短かったし。 はづき、どうだった?」
「うん、とってもよかったわよ。 正直、ビックリしたわ。 本当に。 ・・・ちょっと、色々思い出しちゃった」
ウフフ、とはづきが微笑むと、ハナも安心したように安堵の息を漏らした。
「よかった・・・。 その、ちょっと・・・ 心配だったの。 私の演奏、下手じゃなかったかなって」
「ええ? 全然逆よ!? 本当に、凄く上手だったわよ!? 後で先生に聞いてみたらいいわ。
きっと何かしらのすごい評価をもらえると思うの。 だから・・・」
「・・・いい加減にしてよ!!」
場が、凍りついた。
その声に反射したようにはづきが振り向く。
いつの間にいたのだろう、圭は片手にバイオリンを持ちながら、二人の後ろに立っていた。
その表情は、怒りなのか・・・ それとも悲しみなのか・・・。
なんとも言えない、圭らしく自分の複雑な心を隠すことなく、露にして。
はづきもハナも、何も言葉にできない。
「・・・ごめん。 私、いくね」
小さく早口でそう呟くと、圭は俯いたまま小走りで二人の間を通り抜ける。
その際にぶつかった圭の肩が、はづきの心に重く響いた。
「圭ちゃん! ・・・ハナちゃんごめんなさい、二人だけにさせて!」
はづきはハナの耳へ投げるようにその言葉を残すと、走り出した。
一人取り残されたハナ。 気付いたように、教室の中から感じる視線に目をやり、見渡す。
教室に残っていた生徒は、そのハナの視線にまともに目を合わせる事無く、黙っていた。
「・・・あの・・・」
ハナが声をかけた時、それを塞ぐようにして後ろからお呼びがかかる。
「ハナさん、お時間です。 今日の学校はここまでです。 すぐに筑波の方に向かいます」
「伊東さん・・・」
「・・・私的な意見ですがね。 今日のところはとりあえず退きましょう。
皆さん、貴女の魔法にとまどっているだけなんですよ」
「・・・」
ハナは美空高校でも魔法を見せてきた。 同じ高校生だ。 そんなに変わる訳は無い。
故に・・・この雰囲気が、伊東の言うただそれだけのもの、ではない事くらいは簡単に感じる事ができる。
伊東の言葉は、気休めなのだ、とも。
「・・・みなさん・・・ ・・・すみません・・・・・・」
ハナはなぜか、教室の皆に対して本当に謝った。
なぜ謝らなければならないのか、は、ハッキリ理解している訳ではない。
が、そうしなければならないような気持ちに襲われ、
ハナは今まで必死に保ってきた笑顔を崩し、目を伏せながら伊東達と校舎を後にする。
教室の生徒も、そんなハナの姿の名残りをしばらく複雑な表情で見つめていたが、
やがて思い出したように各々の楽器を取り日課に取り組むのであった。