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<高校生編> デクレッシェンド ~だんだん小さく~

<19>

 

別に圭は逃げた訳ではない。

だから全力で追いかけたはづきが彼女に追いつくのは、ほんの短い駆け足で済んでいた。

「待って、圭ちゃん!」

人目を憚らず、ちょっと大声で圭の後姿を呼び止める。

が、この近い距離でもその声は圭には届かなかった。 圭のちょっと早足な歩みは止まらない。

はづきはそのまま追い抜いて、彼女の正面に回ることもできた。 

が、圭の背中を目の前にして動きが止まる。 その無言の圧力に、はづきはすべてを封じられた気持ちになる。

行き場を無くしている自分の伸ばした右手を、しばらく宙に泳がせてそのまま自分の胸に押し当てる。

そしてそのままはづきは圭の後にくっつくようにして、第4音楽室に入った。

 

この第4音楽室は、主に2年生の弦楽器専攻クラスの生徒が使う。

教室はそんな弦楽器が使い易いような空間になっており、

教卓以外の机が無く、広いスペースに譜面台と椅子がバランス良く設置されている。

放課の今もコンクールの学内選考が近いため、圭やはづき達のように練習しに来る生徒も多い。

・・・多いはず、だった。

だが、はづきが音楽室をざっと見渡したところ、この時期にしてはかなり残っている生徒の数は少ない。

具体的に言うと、5人しかいない。 

いつもなら空いている席を探す程で、満員な場合屋上や中庭行きにやぶさかではない程いるのだが。

圭は窓際の席を選び、座った。 はづきもその隣に座る。

座って、はづきは自分がバイオリンを用意していない事に気付いた。 

なんとも間抜けであるが、今重要なのはそんな事ではない。

はづきを無視するように、圭は黙々と調弦する。

そして譜面台の楽譜に一目くれ、弓を弦に当てた。

音色が、流れる。

結局はづきは声をかけるタイミングを失った。 音が出てしまっては、もう言葉をかけられない。

追いかけてきたのはいいけど、私は一体何をしているんだろう・・・ と、自分が情けなくなってはづきは俯いた。 

小さく息を漏らす。

だが、圭の音はほんの4・5小節分進んだところで止まった。 全然詰まる必要のない部分だ。

圭がいつも気にして、

『うがー! 誰よ、こんな風にオタマジャクシ並べた奴は!』

となる課題曲の難解な部分はもっと先である。

「圭ちゃん・・・」

今度こそ、はづきはそのタイミングで会話に入った。 ・・・最も、相手が参加しない場合は会話にならないのであるが。

圭は力なくバイオリンを肩から外すと、膝の上に置いた。

「・・・ねえ・・・。 ・・・なんで?」

そう応える圭の声は、独り言に近い。 肩を落とし、顔を俯かせ、はづきに向かって喋っていない。

「なんでって・・・ 何が・・・?」

それでもはづきはそれが自分に向けられた言葉であると認識し、身を乗り出して友人の呟きに参加した。

「・・・なんではづ吉は普通なの? どうしてあの娘を普通に誉められるわけ??」

圭の語尾が、少し荒かった。

「えっ・・・」

はづきは一瞬、言葉に詰まる。 圭の問いかけの意味が、本当にまるで分からない。

ハナの演奏は、確かに自分の若干の贔屓はあると思うが、

音楽を学ぶ者として客観的に評価してもかなり『聞ける』演奏だったハズだ。

それは間違いない、とはづきはもう一度冷静な頭で確認する。

「・・・ハナちゃんの演奏よね・・・?  ・・・私はそんなに酷くは無かったとは思う。  

 自分の耳にかけて、あの演奏は・・・」

「最高よ」

不意に、圭が顔を上げた。 そしてはづきに目を向けた。 圭は、なぜか泣いていた。

「素晴らしかったわ。 最高。  正直、最近耳にしたオーケストラであれほど音に飲み込まれた事は無かった。

 彼女の演奏は、音は、私の理想そのものなのよ!!」

圭はハナを誉めている。 こんなにも大声で。 涙して。

・・・だが、何故圭の表情は怒っているのだろうか。 

顔を真っ赤にして、わなわなと肩を震わせて、楽器をつかむ手がぎゅうぅ、と絞られている程に。

教室にいる全員が、圭とはづきに注目していた。 だが、当の二人はそんな事には気付いている余裕など無い。

はづきはそんな圭の言葉に、そして表情に唖然として何も口から出せなかった。

「なんなのよ・・・ もう・・・  アレ、なんなのよ・・・!

 私・・・何やってんのよ・・・! ホント、何やればいいってのよ・・・」

再び圭は独り言になった。

「・・・圭ちゃん・・・  ・・・なのに、どうしてそんなに・・・」

はづきがやっと言葉を見つけ、圭に囁く。

「・・・『どうして』・・・?  『どうして』って、何よ?  はづ吉、あなた本当に分かってないの!?

 ねえ、あなたは私と一緒なんじゃないの!?

 本当に分からないの!?

 説明しないと分からないの!??」

圭が身を乗り出し、はづきが身を引く形になった。 先ほどとは逆の立場である。

はづきはそう何度も問い詰められ、本当に何を答えたらいいか分からなくなった。

圭にうろたえる自分に、泣きそうだ。

「・・・こうやって毎日必死で練習して・・・  長い時間をバイオリンに費やして・・・

 そうやってきてるんじゃない、私たち・・・。

 なのに、  あの子はなんなの?

 何よ、一人オーケストラって。

 何よ、魔法って

 あんな音をそんなもので聞かされて、私たちバカにしてるつもりなの!?

 なんなのよ、私たち・・・。

 私たちのやってる事、何なのよ・・・!!!!!」

ガタン、と圭のバイオリンが床に落ちた。 そのバイオリンは、圭が本当に心底大切にしている一品である。

以前矢田がちょっと自分のトランペットをぶつけたとき、グーで殴る勢いで怒った事もある程だ。 

ケースに入れたままで落とした時も、死にそうなくらいに顔を歪めていた。

だが今の圭はそんな事に見向きもせず、ただただはづきの両肩を鷲掴みにしてぼろぼろ涙をこぼしている。

はづきはようやく圭の涙を理解した。

「私・・・ 悔しいよ・・・。

 ああいうの、認めちゃったら・・・ 私・・・

 わた・・・し・・・。 ・・・っく・・・うぐっ・・・」

そう・・・。

悔しいのだ。

同じ音楽家として、そして同じ高みを目指すものとして・・・

ハナが魔法という力でもって、いとも簡単にその高みを表現した事に、憤慨し・・・

そして自分の余りの無力感に、どうしようもなく悔しいのだ・・・と。

「・・・あんなの・・・  ・・・反則だよ・・・・・・。

 ・・・どうしろっていうのよ・・・。

 ・・・なんではづ吉はああも簡単にあの子の音を素直に誉められるのさ・・・。

 ・・・あんたもオカシイよ・・・  ・・・おかしいことだらけだよ・・・」

氷解した。

今日感じていたあの演奏会での雰囲気。 

皆がまるでハナに冷たかった訳。

すべては、今のこの圭の素直すぎる反応が答えてくれていた。

そうなのだ。

ハナは、最高の演奏をした。

一人オーケストラという、おおよそ魔法以外では考えられない方法でもって。

各楽器が、最高の音で最高の調和をやってみせた。

それは・・・裏を返せば、ハナはたった一人でこの学校の生徒全員分の夢に亀裂を入れたという事なのだ。

魔法は万能であり、夢をかなえる力である。

人間が何十年もかかってたどり着く処に、ほんの一瞬指を鳴らしただけで到達してしまう。

それをあからさまに目にさせられ・・・いや、耳にさせられて、

魔法という力の前の人間の営みとは一体何なのだろう、と思い知らされたのだ。

自分が魔法に慣れていたのか、それともハナの人間界での役目を熟知していてハナに想いを入れすぎていたのか・・・

はづきは圭に叫ばれて、初めてその事に気付いたのだった。

圭ははづきにすがり付いて泣いていた。

はづきは何処に心を置いていればいいのか分からなくなり、放心したようにずっと圭を抱いていた。

 

 

 

「・・・ハナさんは、数学の問題を解いたことがありますか?」

高速に乗った車は、単調なペースで目的地に向かって走っている。

バックミラーに映っている魔女の表情は、外の景色を眺めているようで眺めていない。 そしてまるで生気が無い。

伊東はその理由が分かっていたため、そんな言葉をかけた。

「・・・数学・・・ですか・・・?」

声にも張りが無い。

政府のトップ陣相手に一歩も引かない程の激論を叩いた強さを伊東は知っていたが、

今の魔女を見るとそんなカケラさえも彼女から見つける事ができない。

制服姿の彼女なだけに、本当に『友達とつまらない事で喧嘩して落ち込んでいる高校生』というような姿にしか

目に映らないのだ。

魔女は人間ではなく、別の生き物であるという。

その性は孤高で、他人との接触をあまり必要としないため心が鈍感で、未発達なのだと言う。

だがどうだろう。 

今のハナをみる限り、まるで本当にあらゆる事に感受性を発揮し、

色々思い悩む思春期のそれを素で表現しているじゃないか、と突っ込みたくなる。

充分人間臭いじゃないですか、と伊東は心の中でほくそ笑んで、次の言葉を続けた。

「ええ、数学です。 算数じゃないですよ。  

 美空高校は普通科でしたよね。 授業を受けているはずですが」

「・・・ええ・・・。  最も、私には難しすぎて理解するのがやっとでしたが・・・」

ハナはあの当時の事を思い出す。

国語や歴史はなんとかなった。 

英語に関しては、魔女に『言葉の枠は無い』という特性があるので全然平気だった。

だが、数学と科学・物理だけは全く理解不能だった。

どれみやあいこに頼ったが、あの二人も汗をぼたぼた垂らしながらひきつった言葉で頼りなく教えてくれていたっけ・・・。

・・・。

・・・。

・・・それにしても、

『あの当時』とは。

なんだか遠い昔の事のように思える。 

まだ一月経っていないのに、だ、とハナは薄っすら自嘲気味に口元を緩ませた。

「まあ、数学というのは答えを出すのが最終目的ではありますが、実はその過程の『式』を作るのが重要なんですよ。  

 つまり、この問題の答えは1ですが、どうして1になったかと言うと・・・  

 と、説明できる事が重要なんです。  

 まあ、結局は最後の答えが『1』と答えられなければ何にもならないのですがね」

はあ、とハナは力なく答えた。

「・・・それを踏まえて、ハナさんが今思い悩んでいる事に当てはめて見ますとですね。  

 本当は、問題とにらめっこして、式を組み立てて、ようやく答えを出すのが普通なんです。  

 ですが貴女は、いきなり答えを出せる力を持っている。  答えを出すまで考えたり、悩んだりする必要がないのです。  

 これが誰かが一生懸命考えて式を出して書いた答えと、貴女が一瞬で出した答えはどっちも等しくマルをもらえる訳でして。

 なんだそりゃ、俺たちがこんなに考えて悩んで出して考えてるのに、アンタは一発かよ、そりゃないよ・・・  

 と、まあ、これが人間側を代表して思う本音の一部だと、私は答えておきましょう」

ハナは押し黙った。

「責めてる訳ではないですよ。  ましてや、そんな人間に謝るのも筋違いだ。  

 どっちにしろ答えを出すのが求められている訳だから、式を出そうが出すまいが、  

 答えが合っていれば問題を出した者は文句は言えないハズですから。 本来ならね。  

 あなたは立派に答えを出したのだから、それでいいんです。  

 ただね、数学は本来それでいいハズなのに、途中の式をですね、  

 『どうしてそうなったのか?』としつこく求める学問なんですよ。  

 その問に対して、『問題を見て一目で分かったからです』では納得できない。  

 途中の式が、過程が重要なんだ、と考える。  

 ・・・同じ問題を解こうとしているあの学校の生徒は、そう思っているんです」

「私は・・・」

ぎゅ、とハナはスカートの裾を握り締めた。

言われて初めて気付いた。

なんて浅はかだったのだろう。

そうではないか。 5年前、色々と5人の母に教えられたものの、大切な部分ではなかったのか。

どうして忘れてしまっていたのだろう。

人間に一番近い心を持った魔女。 

人間界で暮らし、人間の母親に育てられ、自分は人間と全く変わらない、と誇りを持っていた。

・・・私はバカだ。 何も分かってはいなかった。

ここまで順調に事が進んできて、見失って、調子に乗って、慢心していたのだ。

油断なんかではない。 

疑問にも思わなかったのだから。

手に、涙が落ちた。

「・・・伊東さん、泣いちゃいましたよ」

助手席に座る同僚が、責めるように耳打ちする。

「・・・う、うーん・・・。  な、なぐさめのつもりだったんだけどなぁ・・・」

「どこがですか」

即座の突っ込みに、本当に困って伊東は頭を掻いた。

とにかくこのまま魔女がへこんだ状態では、この後のスケジュールに差し支えが出てしまう。

「・・・でもね、ハナさん」

今度は慎重に言葉を選び、伊東は続ける。

「只単に演奏を聴かせてもらった立場の私たちから言えば、あの演奏は非常に良かった、と思いますよ。  

 久々に心が洗われるというか・・・  

 ・・・いや、陳腐な表現で申し訳ないんですけどね」

「それは自分も同感です。  正直、感動すら覚えましたから」

端から見れば、何とも取ってつけたようななぐさめの言葉に聞こえるだろう。

だが、二人のこの感想は、正真正銘のものだった。

しかしながら、ハナはそんな言葉に『ありがとう』の返事を付ける事もできないまま、無言で自分を反省するのに精一杯だった。

伊東は同僚と顔を見合わせて、『どうしたものかね』という表情で肩をすぼめて見せる。

(人間界での勉強のために学校へ、という事だったが・・・  

・・・こりゃ、最初からいきなりの難問にブチ当たったもんだな)

 他人事だが、明日からのハナの学校生活を少し想像し、伊東は口をへの字に曲げるのであった。

 

 

 

「おい」

その声と背中に触れた手の感触で、はづきは伏せていた顔を上げた。

「・・・まさる君・・・」

「珍しいな、寝てるなんて」

「ううん、寝てたわけじゃないの。  ちょっと、考え事・・・」

・・・でも、半分寝ていたようなものだったかも、とはづきは心の中で付け加えた。

辺りを見渡す。

ずっと机に突っ伏していたからまるで気づかなかったのだが、窓の外はもう暗くなっており、

教室には自分以外誰も居なくなっていたようだった。

随分と時間が経っていたことに、改めて気付く。

こんなに時間が過ぎていたのに・・・ 結局・・・。

「圭タローは?」

矢田のその声に、はづきは少し体を緊張させる。

「・・・うん・・・ 圭ちゃん、少し気分悪くなったみたいで・・・  先に帰るって、帰っちゃった」

「そっか」

矢田の返事ははづきの心中を知ってか知らずなのか、ともかくいつも通りだった。

はづきは鞄を手にかけ、何時間ぶりかに立ち上がった。

 

ずっと、考えていた。

・・・もしも私がハナちゃんを、魔法を知らなかったのなら。

圭ちゃんの気持ちはよく分かる。 素直に同意できただろう。

周りの雰囲気を疑問にも思わず、きっと私もその空気の一部に溶け込んでいたハズだ。

でも、私はハナちゃんを知っている。 彼女の大きく、大変で、大事な使命をよく分かっている。

ハナちゃんが魔法を使うのは、少しでも多くの人間に魔法というものを理解してもらい為、それだけの理由だからだ。

魔女と人間が本当に仲良くなる為に、これは大事な儀式みたいなものでもあるのだ。

だから魔法を使っている。 だから魔法を見せた。

あの魔法による演奏は、きっとハナちゃんにしてみれば、音楽学校の私たちに対しての気遣いでもあるのだろうと思う。

私たちの身近すぎる『音楽』というものを通して、魔法を知ってもらいたかっただけなのだ。

だけど・・・。

ハナちゃんの使った魔法は、悪い魔法だったのだろうか。

圭ちゃんの言うことは分かる。

人間が長い時間をかけて積み上げていくものを、あっさりと追い抜き到達する魔法。

そこには原因と結果以外の、何物もない。

まるで『人生とは、生まれて死ぬ、というそれだけである』と神様に結論付けられたようなものだ。

魔法とは、そんな人のすべてを否定するような力だっただろうか。

少なくとも・・・ 私は圭ちゃんに言われるまでは、ハナちゃんの魔法、あの演奏は素晴らしいと思っていた。

魔法で奏でた音楽。 暖かかった。 心に響いた。 感動した。

気持ちがふんわりと優しいものに包まれたような気がして、とても幸せな気分になれた。

あの魔法の力で、だ。 

私にとって、あの魔法はとても『よきもの』だったハズだ。

でも、それは・・・ 私が魔法を知っているから。 魔法を使う身だから。

ハナちゃんの境遇を理解しているから。

・・・そして、私がハナちゃんの親だから。

それだから、そう感じるだけなのだろうか・・・。

・・・。

そう。

ずっと、考えていた。

そして結局・・・分からないままなのだ。

 

「・・・じわら。 藤原」

再び矢田の声に引き戻されたはづきが正気に戻ると、そこはもう教室ではなかった。

何時の間にかはづきは電車に乗っており、座席に座っている。

一つしか座席が空いていなかったのだろうか、矢田ははづきの前につり革を片手で掴んで立っていた。

「・・・あ、ご、ごめんなさい、まさる君!  えっと、何? 何か、話してた?」

慌てて取り繕うはづきの顔見おろしながら、矢田は少しため息交じりに、

「・・・別に」

と答えた。

 

美空駅で降りる。

大勢のサラリーマンや学生の中に混じって、二人はいつも通りに美空商店街の方へ足を向ける。

8時を回った商店街は、そろそろ店がシャッターを下ろしはじめている。

そんな中を、二人はゆっくりと歩いた。

元々、はづきの歩みはかなりゆったりしている。 矢田はいつもそんなはづきのペースに合わせて肩を並べているのだが。

・・・それに増して、今日のお嬢様の足取りは重かった。

足取りが重い、というか・・・ はづきの内面から滲み出る悩みの重さをそのまま如実に体現しているようなものだった。

そんなはづきを理解している矢田は、一つため息を大きくつくと、立ち止まる。

「・・・おい藤原」

一度呼んだだけでは、はづきは捕まらなかった。 もう一度、同じように呼んだ。

「・・・えっ・・・?  ・・・あ、ご、ごめんなさい、なに・・・?」

矢田は乱暴に頭を掻き、そして顔ではづきを促した。

「・・・ちょっと、寄ってこうぜ」

そこは、いつもはづきが矢田を誘う喫茶店。

断る理由など無い。 ましてや、矢田の方からこういうような誘いをするなど、滅多に無い。 

寧ろ初めてかもしれない。

はづきは力なく頷き、矢田の後に続いた。

 

二人でコーヒーを頼んだ。

店内には数名の客がいて、はづき等と同じような高校生のグループもいる。

美空高校の制服を来たその女子のグループは、楽しそうに高校生ならではの話題で盛り上がっているらしかった。

同じ高校生のこのカップルは、一番明るい窓際に座っているものの、雰囲気はどことなく重い。

いくら待ってもはづきの方から口を開く事はなさそうだった。

矢田はコーヒーに一口つける。 

未だにこれがどう美味いのか不味いのかよく分からないが、口の中の渇きを癒して言葉を滑り出しやすくする事はできた。

「藤原。 オマエ、一体何悩んでるんだ?」

その矢田の言葉は、一声ではづきに届いたらしかった。 俯いていたはづきが、ゆっくり顔をあげる。

・・・だが、また少し申し訳なさそうな顔をして俯く。

「・・・オマエ、ちょっと頑固だぜ。 何でも一人で背負い込むなよな。  

 人に余計な心配かけさせたくないからなのかもしんねーが、  

 ・・・そんなどんよりした空気だされちゃ、余計気にかかるってんだよ」

矢田はもう一度何かを誤魔化すようにカップを手にした。

「・・・たまには、頼れよ。  言ってみろよ。 聞いてやるからさ」

大切な人の見えない手が、はづきの頬を優しくなでたような気がする。

はづきは少しそんな気持ちに寄りかかりたくなって、思わず目を潤ませた。

「・・・なんだよ、泣くなよ」

「・・・うん、違うの。  ・・・ごめんなさい、心配させちゃって」

「オマエの『ごめん』は聞き飽きてんだよ。  他の言葉を言えっての」

「うん」

はづきはそう言って、一度カップに口をつけた。 少し冷めていたが、その暖かさに気持ちが軽くなったような気がした。

「まさる君・・・。  今日のハナちゃんの演奏、どう思った?」

単刀直入に、はづきは聞いた。

「ん・・・? ああ、あれか・・・。  どう思ったって、どういう事だよ」

「正直な答えでいいから。  なんでもいい。  まさる君が感じた事、素直に言って」

はづきの眼差しに少し不安気な陰を見て取れたが、矢田はそれを踏まえても答えた。

「音楽的は、スゲエよかったと思う。  

 あれくらいのレベルのオーケストラなんて、世界を探さないとないんじゃないか、って位かもな。  

 ・・・あれを一人でやれるんだ。  魔法って、なんだかとんでもない力だよな。  それだけに・・・」

チラっと、はづきを盗み見る。

「・・・まあよ、本当に正直言えばだ?  

 俺、あの美里に入学(はい)るのに、まあ結構努力だの勉強だの、してんだよな。  

 中学の3年、毎日毎日ペットの勉強して、ようやく人並みに吹けるようになって、  

 そして高校でやっとこさオマエに追いついて、これから一人前のペット吹きになるかって処だったじゃねーか。  

 だけどさ・・・。  

 そんな俺の時間は、あの魔法の前だとどのくらいの意味あんのかな、ってブルー入った。  

 巻機山は魔法を使えるのにどのくらい苦労してんのか知らねえけど、アレはちょっとねえよ、とは思う」

少しの沈黙が間に入った。

相変わらずの女子高生達がかもし出す華やかな騒音も、この静けさには霞むようであった。

「・・・そう、だよね・・・」

少し無理して笑顔らしきものを作りながら、はづきは言う。

「うん・・・。  実はね、圭ちゃんも、そんなこと言ってたの・・・。  

 それで、すっごく自信とか、やる気とか・・・無くしちゃったんだって。  

 だから今日、すぐに帰っちゃったの。  

 私、どう言っていいか分からなくて・・・」

「オマエは巻機山を気にしてるのか?」

矢田の質問に、はづきは隠すことなく『うん』と無言で口にして、頷いた。

「私はね・・・。 ハナちゃん、昔から知ってるから。  

 だから、ハナちゃんがこういうことでみんなに嫌われたり、相手にされなくなったりしちゃうのが・・・  

 凄く悲しいの。 

 ハナちゃん、絶対に悪気があってあんな事したんじゃないもの。  

 まさる君も見たでしょ?  ハナちゃん、今日の演奏会するとき、すごく張り切ってた。  

 すごく、ウキウキしてたし、楽しそうだった。  

 あれはね、きっとあの演奏で、みんなと仲良くなりたかったからなのよ。  

 だから、頑張って・・・魔法であんないい演奏をしたと思うの。  

 それなのに・・・」

はづきは言葉が詰まり、唇を少し噛んだ。 再び堂々巡りになる。 

言葉にはしたものの、結局またここに帰るのだ。

「・・・やっぱり、魔法って・・・  ・・・何をしても、いけない力なのかな・・・」

店内の音楽が変わった。 ジャズから、クラシックの調べがゆっくりと店の中を潤す。

「・・・俺は魔法の事なんてよくわかんねーし、大して気にもしねーんだけどよ」

矢田は最後の一口を飲み干した。

「まだよくわかんね。  俺や圭、他の連中が感じているソレってのは誰もが思う事だと思うけどさ。  

 今日はあまりにもあの出来事が強烈すぎて冷静に考えるの辛いけど、  

 本当にそれだけの問題なのか、とは感じる」

「それだけの問題・・・?」

「ま、まだうまく言えねーんだよ。  

 なんつーか、こう、漠然と『これは単なる僻みじゃねーのか』とか、思うぜ。  

 まあ俺たちは魔法なんか使えねーから根拠のある僻みなんだろーけどさ、  

 けど結局僻みは僻みだろ。 何とか気持ちに整理をつける方法ってのが、あるとは思う。  

 よくわかんねーけどな。 あきらめ、じゃないぜ」

「・・・まさる君・・・」

「それにさ。  ああいう音って、本当に魔法っつー力で出せるもんなのか、とも思う。  

 俺は巻機山が、この際音楽の天才だっつー可能性の方を信じてーな。  魔法じゃなくて」

「・・・えっ・・・?」

「えっ、じゃねーよ。  ・・・あの音は魔法じゃなくて・・・  

 『巻機山だから出せた』っていう方に理解してーんだよ」

はづきは固まった。

今まで巡っていた当ての無い迷宮に、突然矢印が出現して道を示してくれたような気になった。

その先は、まだ霧だが・・・ 都合のいい考えかもしれない。

だけど、何か・・・ 今まで納得のいかなかったすべての思いが、収束してくる気がした。

「・・・な、なんだよ。  そりゃあ、魔法ってモンに対する人間の最後の言い訳になっかもしれねーけど・・・」

「いいのよ」

「・・・へ」

「・・・うん、いいのよ。  そうなのよ。  きっと、それでいいの。

 ・・・私も、まだハッキリとは形にならないんだけど・・・」

はづきはカップを手にして、残ったコーヒーをすすった。

「・・・ウフ・・・。  すっごく、ぬるい」

「・・・そりゃよかった」

「何がよかったのよ、もう・・・」

『オマエが元気になれて、だよ』とは、口が裂けても言えないな、

と、矢田は思った言葉に顔を少し赤くしながら、窓の方に首を向けた。

 

 

 

はづきの部屋。

夜風を入れていたテラスの窓を閉め、はづきは椅子に座る。 バイオリンは手にしていない。 

楽器はベッドの上に置かれていた。

目を閉じ、少し気持ちを整える。

・・・私にも、できるのだろうか。

「・・・ポンポイ」

短く呪文を唱え、意識を集中した。

はづきの意識は、浮かび上がったバイオリンにあった。

そして演奏者のいないバイオリンは、ゆっくりとメロディーを奏ではじめる。

『ルピナスの子守唄』だった。

2・3度しか弾いた事のないそのメロディーは、ゆったりと、丁寧に、そして一度も間違えることなく、最後の小節を終える。

魔法が終わり、バイオリンは再び只のバイオリンになった。

「・・・はぁ・・・」

たまった息を、吐き出す。

・・・。

一度もミスは無かった。

気持ちよく、奏でられた。 

自分のイメージ通りに音が連なる。

ナちゃんと過ごした、あの日々を想う音。

・・・魔法の、力で。

「やっぱり・・・魔法だからなのかしら・・・」

再びはづきが水晶玉を手に、呪文を唱えようとした時・・・。

コンコン、と部屋の扉が鳴った

慌てて、魔女服からパジャマに戻る。

「は、はい? どうぞ」

はづきの声に導かれて扉を開けたのは、はづきの母だった。

「ごめんね、はづきちゃん。 お稽古中に」

「ううん。 どうしたの? ママ」

「うん、いえ、ね・・・」

そう言ってはづきの母は少し誇らしげな笑顔を見せ、

「・・・さっきの、なんだったかしら?  ・・・ルピナスの・・・子守唄? だったわよね?」

「え、ええ・・・」

「廊下まできたら、ちょっと聞こえてきちゃってね。  思わず、そのまま立ち聞きしちゃったの。 ママ。  

 ・・・はづきちゃん、バイオリン、随分上手になったわね」

母のそれは誉め言葉だった。

だが、はづきにとってそれは非常に複雑な感想だったので、ありきたりの返答にも窮した。

「ここのところのはづきちゃん、その・・・  ちょっと、お稽古があまり上手くいってなかったみたいでしょ?

 学校の選抜コンクールも近いから、少し・・・気持ちが休まってないのかな、って思って。

 でも、ママ安心したわ。  今の曲を聴けば、はづきちゃんがどれほど順調か分かったもの」

「・・・ママ」

はづきは噛み締めるように言う。

「・・・ありがとう。 もう少し、練習するから・・・」

「ええ。 頑張ってね、はづきちゃん。  お夜食が必要だったら、ばあやに言っておくけど?」

「ううん、いい」

そう、じゃあ、と言って、扉は再び閉まった。

一人、部屋の中央で椅子に座り続ける。 ああは言ったが、バイオリンを握る気は全く起こらなかった。

両手で顔を覆い、そのまま膝に頭を預ける。

(・・・やっぱり、魔法だから・・・)

帰りに矢田から示してもらった光明が、消えかけていた。

「ハナちゃん・・・。 私、どうしたら・・・助けになれるの・・・?」

小さな呟きが、部屋にしんみりと響く。

妖精のレレがゆっくりとはづきに近寄り、はづきの肩に寄りかかってそっと頬を撫でた。

 

「そうか、順調か」

はづきの母・麗子のちょっとした『はづきニュース』に、

ソファーでワインをたしなんでいた父・明は身を乗り出して嬉しそうに言う。

そんな明の親バカな笑顔に、負けじと麗子も満面の笑みで頷く。

「ええ、はづきちゃんは優しい子だもの。  あんな優しい曲を弾けるのは、はづきちゃんだからこそ、よ」

その言葉の後に、自然と二人は天井を見上げる。

勿論その天井そのものを見たのではなく、その上で今も暖かいメロディーを奏でているであろう、わが娘を思って。

 

 

 

 

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