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純文字版
 
<高校生編> 転調

<22>

 

ハナは・・・・・・立ち尽くしていた。

場所。 ライトの具合。 楽器のセッティング。

すべてが3日前と同じ、そのままである。

違いは、ハナがその魔法を披露すべき相手はただ一人、という一点のみ。

これでやれないハズがない。

『できない』という理由がない。

しかし・・・。

 

「・・・できません・・・」

壇上に立たされたハナは、特等席で行儀よく座る百合内の無言の催促に、数分沈黙を添えた後そう呟いた。

「えっ? そんな、気にする事ないのよ?  だって、ちゃんとアッチの人には『魔法許可』とってあるから。

 ねえ? そうでしょ?」

百合内は少し慌てたように、自分の席から2列後方にちゃっかり陣取っている部外者を振り向いて確認する。

「・・・ええ、まあ・・・」

伊東はこの世界的大演奏家にそう詰められ、まるで上司の美作に怖声で呼び出されたかのような印象を受けながら

曖昧な返事を返す。

伊東は分かる。 ハナが何故、魔法を使わないのかが。

・・・いや、魔法そのものであれば、問題なく使えるだろう。 

そう、飛んだり変化したり、物を出したりの、手品のような魔法であれば。

だが、魔法を使って演奏する、という行為は・・・もはや彼女にとってトラウマにもなりつつある。

ハナが、今自分の目の前に座っている人間をどれほどの大きさをもって理解しているのかは知らないが、

おそらく百合内のような世界クラスの演奏家であってもここの学生であっても、

きっと『音楽家』の前では最早演奏できないであろう。

それは自分の演奏の評価を気にしての事ではない。 魔法を使えるハナでしか分からない、魔女ならではの葛藤だ。

ハナが説明を求める百合内に、『すみません』としか答えられないのもそのせいだ。 

人間に言っても、理解できまい。

自分のような音楽とは関係ない、道を違えた人間にはある種の感情が働かないだけまだ分かるのだが・・・。

何かに似ているな、と伊東はそこまで反芻し、そう思った。 

それ以上の思考を効かすには、煙草が必要だった。

「・・・うーん、せめてどうして『できない』のか、だけでも教えてくれないかなぁ?

 だって、特に手品でも何でもないんでしょ?

 それとも本当はタネがあって、今はそれを用意していないから出来ないわけ?」

百合内は食い下がる。 

両手を広げてジェスチャーし、自分の気持ちを体全体でぶつけるコミュニケーションには、

ハナも本音を隠さず喋る事が難しい。

「・・・そ、そんな事はありません・・・。  ありませんが・・・」

どう言ったらいいだろう。 ハナはきゅ、と制服のスカートの裾を掴んだ。

「・・・今、あの曲を演奏するような気持ちには・・・  ・・・なれないんです・・・」

色々な返答を頭で描いたが、結局ハナが最終的に選んだのは最も素直なそれだった。

「あの曲?」

「・・・はい。 『ルピナスの子守唄』です。

 この前はそれを演奏しました。

 ですが・・・今はそれを演奏できません」

「何故」

「・・・子守唄にある気持ちになれないからです」

「気持ち?」

百合内のその声に、ハナは頷いた。

それっきり、しばし会話は止んだ。

その答えでは、百合内は・・・いや、人間は納得しないだろう、と、漠然と伊東は考える。

もっと生々しい自分の気持ちを告白しない限り、ずっと百合内は質問し続けるに違いない。

(第三者だが、助けるべきか・・・?)

次に何かを発言できる空気を感じたら、伊東は口を開くつもりだった。

が、そのタイミングは全く別の人間によって奪われた。

「・・・百合内先生!!」

広い会場だが、設計が音を反響しやすいように作っているのと、場の空気が静寂そのものであった為、

その女生徒の叫び声はよく通った。

「藤原さん・・・?」

全員が、ホール客席上段から階段を駆け下りてくるはづきに目をやる。

「・・・百合内先生」

ハナと百合内の間に入って、はづきはもう一度息が切れている声で言った。

「・・・お願いです。 ハナちゃんに、無理をさせないで下さい・・・」

はづきの言葉に、百合内は首を傾げる。

「・・・無理?」

「・・・ハナちゃんの事は、聞いていますか?  この前ここで魔法を使って演奏して、そして・・・

 ハナちゃんが、今学校のみんなにどんな目で受け止められているのか、を・・・」

「・・・ええ、聞いてるわよ。

 一人の演奏家として、それほど凄い演奏が出来るのなら、聞いてみたくなるのは分かるでしょ?

 藤原さん」

「分かります。 分かりますけど・・・!

 その事で魔法を、ハナちゃんを恨まれたら、ハナちゃんが可愛そうなんです!」

はづきは胸から言葉を搾り出すようにして、ほとんど叫んでいた。

「ハナちゃんは、ただ魔法を見せたかった! そして私達にわかり易いように、音楽という手段で仲良くなりたかった!

 それだけなんです!

 誰も傷つけてはいない! 誰の夢を壊してなんかもいない!

 それなのに、みんなはそう思ってくれない!

 みんな、ハナちゃんの魔法をよく思ってない!

 出来ないことが出来る魔法、ただそれだけなのに・・・

 魔法は、魔法は・・・悪くなんかないの!」

一気に言葉を吐き続け、そしてここまで走ってきた事での息の乱れもあるだろう。

はづきはそこまで言うとよろめき、ハナの足元のステージの淵に背中をぶつけてもたれかかった。

「・・・はづき・・・」

ハナが寄る。 はづきは百合内を懇願するような目で見つめ続けたままだ。

「・・・よく、分からないんだけど」

百合内は腕を組みなおし、

「要するにこの子の魔法での演奏は、余りに素晴らしすぎて人間がダメージを喰う、っていう事?」

もう少し言いようはあるだろうに、と伊東はそんな3人の雰囲気を読んで気を揉んだ。 

今はづきが現れた状態になっては、自分はもはや観客になり切るしかない。

「それなら尚更だわ。 お願い、巻機山さん。  私にあなたの演奏を聞かせて。

 お願い。 この通りだから!」

頭を下げ、パン、と神を拝むような格好を見せる百合内。

自分が音楽という世界においてどれ程の位置に立っているのか知っているハズであろうが、

それでも彼女はそんな小さな威厳やプライドなど放り捨ててまで一学生に音楽の事で頼んでいる。

「百合内先生・・・」

はづきの無意味な呟きの後、ハナははづきから手を離して静かに立ち上がった。

「・・・分かり・・・ました」

その返事に、パっと百合内は表情を明るくさせる。

「ハナちゃん・・・? ・・・いいの・・・?」

か細い声で、はづきがハナをもう一度足止めしようとする。 

だが、ハナは・・・ いつもの微笑みに戻り、頷いた。

「では、百合内先生。 先生にも、私の魔法を・・・  演奏を、聞いてもらいます」

「ええ、お願いします」

ハナが壇上に戻り、百合内が座りなおす。

はづきはそんな二人を交互に見つめ、やがて諦めたように・・・百合内から少し離れた所の席を求めた。

「藤原さん、何やってるの。 こっち、こっち」

そんなはづきをパンパン、と自分の隣の席を叩きつつ、百合内は呼ぶ。 

はづきはどこか申し訳なさそうに、それに従った。

「曲目解説頼むわね」

「・・・とは言われても・・・」

ハナはスッ、と手をかざし、あの時のように水晶玉を胸の前に出現させる。 

『ワオ』と、百合内はそれだけで目を輝かせた。

「・・・では、いつもみなさんが練習している曲を」

そう言い、目を閉じる。

「何? それ?」

「・・・きっと・・・バイオリン課題曲だと思います」

はづきの声に、百合内はさっきまで散々聞いた曲を思い出す。

「ああ、『春』ね。 そろそろフルで聞きたいと思ってた」

やや苦笑いなのか、それとも別の期待感を含んだものだったのか、そんな笑みを浮かべて百合内はハナに注目した。

ハナの右手が上がる。 楽器が光をまとい、スタンバイする。 

百合内は驚いてはいるだろうが、それよりもこの後の音に全力で集中しているのか身動きは無かった。

そしてハナは・・・ 魔法を使った。

 

はづき達のバイオリン課題曲は、ビバルディの『四季』の中の『第一楽章・春』。

余りにも有名な曲で、おそらくこれを聞いてもそのファーストインプレッションの頃の気持ちなど、思い出さないであろう。

だが・・・。

はづきは、少し震えた。

春、だ。 

たしかに、これは私達が今何百回と繰り返して演奏している、春に違いない。

そう何度も頭で確かめなければならない程、ハナのこの『春』は異質だった。

オーケストラとして、まずアンサンブルが全くのオリジナルである。

これはルピナスの子守唄の時もそうだったが、おそらくハナは正しい曲の譜面を知らないのであろう。

それゆえ、ハナが生み出すすべての和音や調和は、彼女の全くのオリジナルであり、新解釈といっていい。

それが・・・全く違和感がない。 新鮮なのだ。 

おそらく『春』を一度でも耳にした者がいるのなら、絶対に想像出来ないアンサンブルである。

これが魔法の力だ。 

0からいきなり100を生む、万物全能の力の成果なのだ。

・・・。

しかし、はづきはそんなハナの音楽的センスよりも、曲の中で拾える別のものに気を奪われていた。

どういう・・・。

・・・どういう事だろう・・・。

こんな・・・。

・・・。

そう、

やっぱり・・・。

ハナちゃんは・・・。

胸を押さえる。 

感動ではない。 

ギュっと手を締め付けるのも、興奮しているからではない。

これは、不安なのだ。

心が狭くなり、まるでたった一つの光しかそこに入ってこれなくなっているような・・・。

 

『孤独』。

 

はづきの頭の中に、その言葉がポッカリと浮かんだ時・・・

・・・演奏は、終わった。

 

 

 

一礼。 

ハナはその後頭を上げてはいても、目は伏せていた。

百合内の顔を見たくはなかったからだ。 想像はできる。

驚き。 そしてその後の・・・

「・・・ブラボォー!!!!!」

そんなハナの心中を小気味良く裏切って、百合内は立ち上がって手を叩いた。

はづきもハナも、そんな大演奏家の姿に言葉を失う。

「・・・凄い! 凄いわ!!  私・・・初めてよ!! こんな・・・」

百合内ははづきを見おろす。 目が少女のように輝いていた。

「こんな、全然芽吹きもしないような春らしくない『春』って!!!」

誉め言葉、なのだろうか。 

相手の表情とその言葉の意味、どちらを正当な評価と取っていいのか全然分からないハナは、とりあえず

「・・・ありがとうございます」

と、分からないまま頭を下げた。

それを見て百合内は一息吐くと、手を下ろす。

「この、『春』っていう曲はね」

そういいつつ、百合内は壇上によいしょ、と上がると、もう動かなくなったバイオリンを手に取った。

そして、何の前触れも無く奏ではじめる。

思わず伊東は身を乗り出した。 はづきでさえ、余りの事に体が硬直する。

百合内が、バイオリンを演奏しているのだ。

あの、世界的音楽家・百合内桜が、今ここで、音を出している・・・。

それはたった最初の数小節だけではあったが、その軽やかな音は少なくとも二人の人間を驚愕させた。

「ホラ、こういう風にね? 適当に弾いても、春の息吹や情景を思い出させるような曲調解釈を誘発するようできてるのよ」

ハナは突然始まった百合内の授業に、ただ唖然として言葉に対し首を縦に振るのみ。

「ところが、ところがよ?  アナタの春は、ちっとも春の情景が浮かばないの。

 まるで、そう、冬が全然終わらない、グリーンランドやスゥエーデンの北の方を思い出させるような。

 寒いのよ。 とっても、不安で孤独なの!

 これが、どういうことだか、分かる??」

明らかに、百合内は興奮している。

そんな声に感情をまる出しするくらい、先ほどのハナの演奏は感動するものであったろうか。

たしかにある解釈を取れば、それはもの凄いセンスの新解釈とアンサンブルを生み出した『春』とは言えなくもないが、

どうもこの天才が心を奪われた所はそれとは別の部分らしい。

「藤原さん」

唐突に自分に順番が回ってきたものだから、はづきは首が上に抜けそうなくらい吃驚していた。

「は、はいっ?」

「アナタ、今のこの演奏、どう思った?」

それはどういう意味だろうか。 以前、圭にも同じ事を聞かれたような気がする。 

そして、同じような質問を矢田にも投げかけた覚えがある。

どちらの意図も、それは今百合内が自分に求めている答えへの意図と一緒のものなのだろうか。

・・・余計な、考えだ。

はづきは素直に、思ったことを言うようにした。

「・・・演奏はミスも無く、前と同じでハーモニーやアンサンブル、そして今回は曲の解釈まで新しいものでした。

 それ自体は、凄いと思います。 唖然とするのみ、です。

 ・・・でも・・・」

「でも??」

百合内は、ググッと言葉をためる。 どうやら、その『でも』の後の言葉を聞きたいらしい。

「・・・はい、でも・・・ そんな発見がありながら、私は音楽に・・・感動というか・・・

 いえ、感動したのかもしれません。

 でも、それは喜びとか、高揚とか、本来『春』から受けるそれではなく・・・

 ・・・一言で言って、不安です。

 そして、孤独です。

 なにかやりきれないような沈んだ気持ちが、音楽に乗って素直に流れ込んだというか・・・」

はづきの言葉の語尾が小さくなったのは、チラリと盗み見た百合内の反応が異常だったからだ。

涙、している。 

そして顔をグシャグシャにして、頷いているのだ。

一体何が・・・。

ハナもはづきも、本来自分らがこの演奏の後こうなっている姿を想像しただけに、

何かが抜けたような感じで壇上のバイオリニストの発言を待つばかりである。

「ねえ、そこのアナタ達も!」

まるで舞台上の役者のように、百合内はすっかり観客気分の伊東たちを、物語に引きずり出す。

「今の演奏、どう思った!?」

演奏の神様が、一体素人にどんな意見を求めているのだろうか?

伊東はそう自問し、きっと『素人意見なんだろう』とそのまんまな回答を勝手に得て、答える。

「・・・いや、そこの藤原さんと同じです。

 どこか収まらないというか・・・ 自分が知っているビバルディではあるのですが、不安や後ろ暗い気持ちを感じましたね

 本当です」

右にならえ、した訳じゃありませんよ、と備え付けつつ、伊東は言った。 

自分も全く同じです、と部下らしく隣の男も答えた。

「うん・・・。 そう。 そうなのよ。  やっぱり、そうなのよ。 きっと、そうなのよ!」

百合内は流れっぱなしの涙を手でぬぐう。 

ハナが気づいたようにハンカチを出したので、『アリガト』と言って百合内は素直にそれを使った。

「巻機山さん」

そして、ハンカチを返す。 ハナがそれを受け取ろうとした手を、ぎゅ、と両手で百合内は力強く握った。

「ありがとう」

それはとても輝いていて、そして暖かい瞳だった。

ハンカチを貸した事について、では無いだろう、とハナは漠然とその意味を図る。

「最語に、もう一度だけ確かめさせて」

握ったその手は離さず、百合内は魔女の目をずっと直視している。 何かの意思が感じられた。 

それは手を通してでもあり、その目からでもある。 ハナはそれを頷きで答える事しかできなかった。

ハナが了承したと思うや、百合内は再びバイオリンを取る。

楽器を手にした彼女は、それだけで何か違う。 

まるで本当に魔法のように、姿さえ別の人間に見えるのだ。

その魔女が、言った。

「もう一度、今の『春』を。

 もし・・・私の人生が正しかったのなら・・・

 私はあなたに、本当の『春』を教えてあげられそうな気がする」

声さえ、違う。

はづきはそう思った。 

いや、今の百合内ははづきが今までに見たことも無い百合内だ。

 

―私の人生が正しかったのなら―

 

おそらくは・・・その言葉が、今の百合内桜に変わった鍵だろう。

凛として、そして何か全身から満ち溢れるような気迫というか・・・雰囲気。 

感情。

そう、まだ演奏していないのに、はづきには分かる。

この人は・・・何かを、伝えようとしている。

言葉ではなく。 それはおそらく・・・。

ハナは頷き、水晶玉に再び手をかざした。

バイオリンの欠けた楽器群が、再び揺れる。 そして百合内も目を瞑り、バイオリンに頬を寄せた。

そして―

 

音が、動いた。

 

はづきは・・・

・・・この日の演奏を、一生忘れないだろう。

 

 

 

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