<幕間・藤原はづき>
失礼します、と扉を開け、私は部屋に入った。
いつもはクラスで入る音楽室。
だが、今は私一人と・・・5人の教師が長机に並び、私を見据えて座っているのみ。
その中には、百合内先生の姿もあった。
「弦楽クラス2年、藤原はづき」
そう言って、私は弓を取る。
「はい。 ではまず、課題曲からどうぞ」
教師の一声に、私は返事をし、バイオリンを頬に当てた。
百合内先生とハナちゃんの演奏会が終わって。
ハナちゃんは、恐る恐る・・・クラスにやってきた。
そして、私は・・・ ようやく、どれみちゃん達から聞いていた、クラスの温かい雰囲気というのを味わうことが出来たのだった。
みんなは、快くハナちゃんを迎えてくれた。
一人一人が立ち上がり、本当に百合内先生の言う『こころの乗った』音で、ハナちゃんを労わってくれたのだ。
私はそれが、本当に・・・うれしかった。
もちろん、ハナちゃんは私の何倍も嬉しかったに違いない。
そして思う。
もし、百合内先生がいなかったら。
先生を演奏家としてだけではなく、人として改めて尊敬するようになった。
何度感謝しても、しきれないだろう。
それでも私は、一度目の感謝をやり始めようと、先生に会いに行った。
『正直なところね、私もそんな、自信なかったんだよ』
たはは、と声にして笑うのは照れ隠しなのか、それとも。
百合内先生は快く、私のような一般生徒にも応じて、二人きりになってくれた。
『魔法っていう力の正体が、ちっともわからないからね?
もしかしたら、心が乗る、っていう効果も、魔法だから付いてるのかもしれないし』
私は頭を横に振った。
『・・・いえ。 そうじゃないと、思います。 私は百合内先生の言葉がすべてだと、思います。
あれは、ハナちゃんだからこそ。
ハナちゃんの、純粋な思いがとても強かったからこそ・・・形になったものだと、
・・・そう、思うんです』
百合内先生は、どこか懐かしむような目をしながら、私を見ていた。
『・・・な、何ですか?』
『フフッ。 いえ、ね』
屋上だった。
ここは数日前、私が苦い経験をした場所。
よもや、こんなに早くこんな清清しい気持ちで来ることができるなど、思ってもいなかったけど・・・。
その屋上の風に髪をなびかせるがままにして、先生はじっと遠くを見ていた。
『・・・そうであって、ほしい。
彼女の伝えようとするものが、そうやって強く人間の心に訴えるもので、あってほしい。
魔女と人間・・・か。
人間同士でこんなに苦労があるんだもん、なんだか・・・応援したいじゃない?』
うーん、と背伸びをする先生。 たしかに、風はとても気持ちいい。
5月の、初夏の風。
ビバルディの『春』には、少し遅い季節かもしれないかな、なんてちょっとどうでもいい感傷に浸った。
『私もね、オーストリアで色々差別ってゆうか、白い目で見られた事多かったから』
ポロ、と何かがこぼれ落ちるように、先生の口からそれが出た。
『なんとなくね、あの子の気持ち、わかるのよ。 それがあったからかもしれないな、ってね。 そうも思う。
人に心が伝わる。
心を何かに乗せて、人に伝える。
難しいんだよ。 本当は。
言われてすぐにそうできたら、世の中はラブアンドピース、ってね』
『難しい、だけです』
私は、そう答えた。
『私は・・・信じていますから。
人に心を伝える、言葉じゃ伝わらない心・・・
それを分かってもらうために、『魔法』があるんですから』
『マホウ?』
百合内先生は、面白そうに首をかしげた。
『ええ。
先生? 私たちのやっている事、先生の信じている事・・・。
これこそが、人の持っている・・・『魔法』なんじゃないかな、って思いませんか?』
先生は小さく口を綻ばせ、
『なるほど、ね』
と呟いた。
課題曲の後の、自由曲も演奏を終えた。
私は一礼し、先生方の言葉を待った。
「・・・藤原さん」
声をかけてくれたのは、やっぱり百合内先生だった。
「はい」
「自由曲の『Friends』は、たしか入学試験の時もやったよね?」
・・・吃驚した。
たしかに入学時、実技試験でこの曲を弾いた覚えがある。
だけど、それをまさか覚えていてくれてるとは、全く思っていなかった。
「は、はい」
慌てて、返事をする。 やっぱり、同じ曲を・・・は、いけなかったのだろうか。
でも、今の私は、これを弾く必要がある。
いえ、これを弾きたい。 これをみんなに、聞いてもらいたい。
そんな思いがどうしても、先行した。
「・・・ううん、いえね。
あの時は、あなたが友達の事を想って、大切に弾いた思い出の曲、という印象が伝わってきてね。
・・・だけど、今のはちょっと違う。
なんというか、広がりがある。
想いはそのままに、もっとこう、多くに向けての呼びかけが、あるでしょう?」
私は先生の感受性に、一礼した。
「・・・はい。 この間の先生の演奏を聞き、私が考えた・・・ この曲の、もう一つの姿のつもりです」
「どういう?」
他の先生も、そう聞いた。 私は、答えた。
「みんなが、思いを分かち合えるように。
友達のように。 仲良く、なれる事を信じて。
たとえそれが、魔女と人間であっても」
うん、と百合内先生は破顔して頷いた。
「結構。
コンクールでの活躍、ウィーンで楽しみにしてる」
私は鈍感だったのか、その言葉の意味をその時全く理解していなかった。
だから、素直に、
「はい。 がんばります」
と答え、颯爽と教室を後にしてしまったのだ。
「・・・一人は、確定ですか?」
「確定もないです。 彼女はきっと、優勝しますよ」
「百合内先生、ずいぶんお気に入りですもんね。 入学時から」
フフ、と百合内は笑った。
「だって・・・ 私のあの頃に、よく似ていたもので。
そして奇しくも、私と同じ道を選んで歩いています。 私がここまでこれたんです、彼女もきっときますよ」
「それは凄いね。 美里から、また新たに世界に羽ばたく音楽家が巣立つわけだ」
「違いますよ」
「・・・?」
「彼女曰く、私達は音楽家じゃない」
「ほう?」
「・・・魔女、だそうです」
なるほど、と言葉が交わされ、その場に和やかな笑いが気持ち良く響いた。
「終わったわよ」
私が教室に帰ってくると、圭ちゃんとハナちゃんが同時に振り向いた。
「お、どうだった!?」
「・・・どうって、別に」
私がそう言うと、カァッ!と圭ちゃんは顔に手を当てて凄い顔をする。
「あんたねー、コンクールの選考会よ? 学内だからっつって、そんなダラリとした雰囲気でいいの?」
「だ、だらけてなんかないわよ」
「ホラ! ハナ助を見習いなさい!!」
圭ちゃんが指差すハナちゃんは・・・
ものの見事に、固まっていた。
「これは・・・き、緊張しすぎなんじゃ・・・」
「だから、よ! アンタにこの子の緊張を吸い取ってもらえば、丁度よくない?
ホーラ、ハナ助っ!! 次はアンタの番よ!!」
圭ちゃんがそう言って、ハナちゃんの背を叩く。
「え、あ、はい・・・その・・・」
ハナちゃんは言葉が定まらない。 当然だ。
何せ・・・魔法ではなく、素で演奏しようとしているんだから。
「でもその、本当に・・・大丈夫でしょうか?」
ものすごく不安気な表情。 ・・・これはこれで、今回は見ていて気分は悪くならない。
代わりに、思わず微笑みが沸く。
「だーいじょうぶだって! たった2日ではあるけど、このアタシと一緒にみっちり修行したんだから!
なーに、この小節だけでも出来れば、たいしたものだって!!
あとは百合内先生も言ってたでしょ!!
こーこーろ!
ハートゥ!!よ!!」
はい、と師弟関係のような返事が返ってきて、ハナちゃんはついに立った。
圭ちゃんだけではなく、その周りのみんなも『がんばれー』と声をかけてくれる。
ハナちゃんは丁寧にお礼を言うと、心持ちギクシャクしながら、廊下に出て行った。
「・・・やれやれ」
弟子の心配を隠すことなく、ずっとその後姿を腰に手を当てて眺めている圭ちゃんに、少しおかしくなって笑う。
「・・・何笑ってんの」
「・・・い、いえ、別に」
圭ちゃんはポリポリと頬を掻いて、私の心中を見透かしたように答えた。
「・・・変わり身早い、って思ってんの? 何回も言ったけど、」
「『ワタシはバカだけどバカじゃない』でしょ?」
「・・・そうよ」
どうすべきか、何が大事で何がいらないものかは、分かってるから、と言って・・・。
圭ちゃんは、あの日ハナちゃんと私に頭を下げた。
それ以来、何かを取り戻すように、圭ちゃんはハナちゃんの面倒をやたらと見るようになった。
私としては、役割を取られたような感じがして少し・・・寂しくもあるけど。
「よぉ、藤原に圭タロ。 首尾はどーだ」
いきなり肩に手を置かれ、振り返ると・・・まさる君。
「・・・矢田・・・おめー、今学科の授業だろ・・・?」
「何だよ、せっかく人が激励に来てやったのに」
「どうせはづ吉だけだろっての! ってか、どっちも終わってんだよ!! 既に!」
「何だ・・・。 ・・・巻機山は? 無謀にも受けるんだろ? アイツも」
「無謀っていうなよ」
「センセーも悪りぃからなぁ・・・ それ以外に何言えってんだ・・・」
「オマエな」
「・・・って、オイ、何微笑ましく見守ってますよ、みたいに笑ってんだ藤原」
「え? あっ、うん・・・その」
「何よ」
「なんだよ」
「・・・友達になるって、いいねって」