<26>
ハナは ― とにかく、目を丸くした。
地下鉄の薄暗い空気の中にも、それはややこの場所に近づくに従って混じっていたのだが・・・
「・・・すごい・・・人・・・」
そう言わずにはおれない程、地上に出てみてまずハナが驚いたのは・・・それ。
日曜日の、渋谷駅前。
人、人、人・・・。 こうしてボーっと歩いている間にも、自分たちの脇を通りすぎる人波は途切れる事を知らない。
「そりゃそうです。 見とれていると、流されてしまいますよ。 ・・・とは言うものの」
伊東は苦笑した。 ・・・いや、この笑いはおそらく照れを隠すための笑いに違いない。
「見とれているのは、どうやらその『波』の方々みたいですね」
伊東の囁きに、ハナは気づいたように周囲を見渡す。
ハナとチラっとでも目線が合う人間が ―特に男だが― ほとんどで、
慌てて波打ち際で返す波のようにサーッと目線を外して去っていく。
それに反応して己の肌を手で押さえるハナの体温は、上がりっ放しだった。
今日、ハナが気温を暑く感じるのは陽気な気候のせいだけでは無いだろう。
信号が青になり、渋谷名物スクランブル交差点に寄せる大波が動き出す。
「さあ、行きましょう」
伊東はハナの手を引いた。 ハナは慣れないパンプスに躓きながらも、慌てて歩調を早くして人の海に立ち向かう。
「最初は映画、でしたっけ? でもちょっとその前に、私に付き合ってくれませんか?」
「は、はい?」
「名残惜しいのですけど、やっぱりそのカッコウは目立ちすぎる。
ハナさんも恥ずかしいんじゃないですか? そんなに顔赤くして」
伊東がそう言うと、ハナは反射的に空いている左手で頬を押さえる。
「わ、私、そんなに赤くなってますか??」
なってますなってます、とからかうように伊東が頷くので、ハナはますます熱を帯びた。
「というわけで、ここです。 いっちょ、ショッピングと行きましょうか?
男女のデートでは定番ですよ。 男が女に服を選んであげる、というのは」
そう言って、伊東は嬉しそうにハナの肩をポンと叩いた。
「あっ、マルキュー入ったっ」
一番頼りになる目標捕捉係のあいちゃんが、圧倒的な人ごみの中の二人を見逃さずに報告。
・・・ってか、見逃すハズないんだよね、これが・・・。
「ねえ、見てた? ハナちゃんの脇通り過ぎて、振り返らなかった人って誰もいないよ?」
「そりゃあ・・・」
はづきちゃんが眉を寄せながら、何とも言いがたい笑みを浮かべる。
「私たちは見慣れた部分があるかもしれないけど、ハナちゃん基本的に派手だもの。
それに、キレイだし」
そう、ハナちゃんってば・・・こんな雑踏の渋谷のど真ん中でさえ、すんごい目立つ。
ナニ考えてたのか分からないけど、いまどきボディコン姿だっていうのも尚更だ。
だけど、それさえ忌々しい位にバッチリ決まってて・・・って、おっとわたし、母親母親。
成長した我が子の姿は、あー、涙が出るくらい・・・
・・・うらやましいなあ・・・ やっぱり・・・。
「なにしとん、はよ行かんと見逃すでっ!!」
あいちゃんに促され、わたしとはづきちゃんは私語を慎み、任務に戻る。
目標はマルキューこと、『109』というデパートに入った。
二人が入ったのは、洋服店だった。
ここはわたしも渋谷に遊びに来たときは、よく立ち寄るお店だ。 知ってる。
・・・ま、まあ・・・ 『立ち寄る』だけなんだけどね・・・。
あくまで今の流行をチェックするだけの、そういう『手を出しづらい』モノばっかりだから・・・。
そういえば、そろそろ夏物とか考えないといけないな、とか思いながら、店頭の付近のハンガーを冷やかし、
値段を見てはつつがなく元に戻す。
ハナちゃんとイトーさんは、奥の方で足を止めていた。
わたしたちも、洋服の影に隠れ隠れしながら、さりげなく近づく。
「・・・ハナさんには、こういう白が似合うと思うんだけどなぁ」
「そ、そうですか?」
「魔女って、黒が基本のようなカンジはするんですが・・・ 不思議だな、ハナさんにはそういうのを連想し辛い」
「・・・あー、そうかもしれません。 私、いわゆる『魔女服』も黒じゃありませんし。
おっしゃる通り、白いものを着けてます」
「でしょう? やっぱり俺の・・・ あ、失礼・・・。 私のセンスに間違いはないって、ホッとしました」
と、そんな会話をして二人は楽しそうに笑っている・・・。
(・・・な、ナニが『ハナさんには白が似合うと思うんだけどなぁー』よぉ! 知ったかぶっちゃってさぁ!!
そんなの、わたし達にしてみれば常識なのよ常識っ!! あったりまえなのに、偉そうにぃぃぃ!!!)
(ハナちゃんもそんなミエミエのご機嫌取りに、頬を赤らめとるんやないっ!! あー、もう、どないしてくれよーかぁ!!)
今にも売り物を引きちぎろうかという勢いの二人に、はづきは一人でハラハラしている。
「じゃあ、このブラウスとカーディガン、そしてスカートってところかな」
伊東が手に取った商品を、傍でにこにこしながら待っていた女性の店員さんに渡す。
「そうですね。 色的にもよろしいかと思われます。 サイズはこちらで?」
「えっ・・・? サイズ・・・?」
ハナがうろたえたように、首を捻る。
「ああ、大丈夫ですよ。 私の目算は絶対ですから」
伊東の台詞に店員さんは、『まぁ~』と言って笑っている。
ハナちゃんは良く分からないけど、とりあえず微笑んどけってな具合で・・・ あーもう!!
「では試着してみてはいかがです? どうぞこちらへ」
ワクワク、といった具合で店員さんが試着室へハナちゃんを引っ張る。
なんとなく、分かる。
いい素材があると、それを色々いじくってみたくなるのだ。
ハナちゃんという素材は、女の子のおしゃれ心を全くもってくすぐってくれる。 大体、わたしが選びたいくらいだ。
「・・・あ、このブラウス・・・ あの服に合いそう・・・」
はづきちゃんは一人、勝手に本当のお客さんになっている。 ・・・使えない隊員だ。
「どうですか・・・?」
と、やたら早い着替えでハナちゃんが試着室から出てくる。
レモンイエローのブラウスに、真っ白で清潔なカーディガン。
下も清楚なデザインの真っ白なフレアスカート・・・。
「当然、似合ってますよ。
まだ多少目立つかもしれませんが、私のセンスとハナさん自身の素材が、それ以外の服を着るのは許さないぞ、
ってな処で。 これにしましょう」
「・・・あ、ええ・・・でも・・・その・・・」
ハナちゃんは、スカートの裾をぴらっと持ち上げる。 こらっ! そんなサービスはいいって!
・・・じゃなかった。 どうやら、その裾に張ってある値札を摘み上げているモヨウ。
そりゃそうだ、ここの服、いいけど・・・高いもん・・・。
「あー、気にしない気にしない。
デートというのは、女の子に着せたい服は男がお金を出すって決まってるものなんですから」
イトーさんはキラリと歯を光らせ、懐から財布を出した。
「大体、ハナさんってお金持ってないでしょう? そんなハナさんを誘ったんですから、それくらいすでに考えてますよ。
今日は一切、私に甘えてください」
そんな、とハナちゃんがオロオロする。
店員さんは楽しそうに笑って、『こういう場合、女は黙ってにこにこしてればいいのですよ』とアドバイスした。
「・・・ねえ、あいちゃん、聞いてくれる?」
「すまんどれみちゃん、アタシも言いたい」
わたしはあいちゃんの篭った声を無視した。
「あのね? 私のささやかな夢ってね?
素敵な彼に、洋服を選んでもらって、それを『似合うね』って、プレゼントしてもらって」
「すまんどれみちゃん、それアタシもや。 笑われる思って、今まで人に言うもんか、思ってた。
けど・・・ けど・・・!!」
「あいちゃん、ハナちゃんはわたし達の娘だよね? 娘の幸せは、親の幸せだよね?」
「幸せ三人で、3等分ってことや・・・。 なのに女の子ダモン、ナミダガデチャウ・・・」
そんな娘の幸せを物陰から図らずとも見守る、というか見せつけられているわたし達。
思わず心の叫びがハナちゃんに届いたのだろうか、ふと、ハナちゃんの目がわたしのソレに合った。
まずい!
あいちゃんもそうだったのか、速攻で背中を向け、二人で寄り添い目の前の服を取る。
「ね、ねぇーん、これっ、かーわーいーいー♪ こ、コージィ、買って? ねえ、これ、買ってぇ♪」
あいちゃんにしなだれ、とっさの演技。 我ながら素晴らしい。
「(コ、コージ?) ・・・あー、い、いいものだなぁ。 しかたないなぁ、アツコはかわいいからなぁー」
あいちゃんも顔を引きつらせて、わたしの肩を抱く。
これでどう見ても、二人はアツアツのカップルだ。
はづきちゃんが隣で目を点にしているが、今は突っ込ませない。
「・・・? どうしました? ハナさん」
「あ、いえ・・・」
「・・・ああ、あのカップルですか? 気になります? あれは渋谷名物・・・・・・・・・ですよ」
そう囁きを残して、ハナちゃん達の気配はレジの方に消えた。
・・・イトー・・・声を潜めたつもりでも、バッチリ聞こえてるんだよ・・・
「・・・渋谷名物、『バカップル』だって・・・」
「泣くなどれみちゃん! ・・・ホントの事やねんから・・・ 泣いたら・・・負けや・・・。 買うたるか? これ、買うたるか・・・?」
「ここであいちゃんに買われたら、わたしの夢が一個大爆発して再起不能だよ・・・」
はづきちゃんが、クックック、と声を押し殺している。
わたしとあいちゃんはそれこそ鬼のような目ではづきちゃんを一睨みし、申し訳ないけどはづきちゃんに八つ当たりした。
で。
わたしの頭がそろそろ冷静になりかけた時には、何時の間にかわたし達は映画館で席を並べて座っていた。
館内は立ち見になろうか、というくらいに満席状態だったけど、そこはそれ。
わたしたちのチケットは、指定席。
「そうですか、藤原さんのお父さんが、あの藤原監督なんですか。 なるほど、道理で芸術家肌な訳だ、彼女は・・・。
それにしても、恥ずかしながら私も・・・指定席で映画館に座るの、初めてです」
伊東はチケットの半券を珍しそうにフリフリしながら、立ち上がる。
「珍しいんですか? そういうの? ・・・それじゃあ、後でチケットをくれたはづきにちゃんとお礼言わないと・・・」
と、座ったままでハナちゃん。
指定席だから、そんな二人のすぐ後ろ斜めに座っているわたし達には、そんな会話もよく聞こえる。
はづきちゃんの戦略に抜かりは無い。
「じゃあ、ちょっと飲み物でも買ってきますよ。 何かご希望は?」
そう言うイトーさんの声に、ハナちゃんは予想通り『なんでもいいです』と答えた。
(・・・あいちゃん・・・)
(なんやねん)
(私のささやかな夢の一つにね・・・?)
(・・・彼氏に映画館で飲み物でも買ぅてもらえる事、かいな)
(・・・・・・・・・・・・当たりだよ・・・・・・)
(・・・もらい泣きさせるなや・・・)
(でも、どうしてこんなに遠いわけ!? なんで、あの椅子とこの椅子の間に、そんな距離があるわけ!?)
(落ち着けや、どれみちゃん・・・)
(どれみちゃん・・・な、何か飲み物買ってこようか? 私が)
(・・・オイコーラね!!)
そんなわたし達が物悲しいやり取りをしている間に、ハナちゃんは座りながらペラペラという音を立てている。
パンフレットを見ているようだった。
今から始まろうとしている映画は・・・わたし達の親友が、アメリカに行く前に残していった最後の仕事。
『ドリーム・トゥ・ドリーム』。 藤原明監督、主演・・・瀬川おんぷ。
「・・・おんぷ・・・」
ハナちゃんの呟きが、小さく聞こえてきた。
お待たせ、とイトーさんとはづきちゃんが帰ってきた時、開演のベルがタイミングよく鳴る。
「あ、始まりますね。 実は私も、この映画まだ見てなかったんですよ」
と、イトーさん。 それは、わたし達もだった。
随分前に封切りになった映画だけど、こうして3人が揃う日がなかなかなくって見にいけなかった。
おんぷちゃんに送って貰ったチケットが、今こうしてようやく使われている。 おんぷちゃんに感謝。
この前会った時には感想を言えず終いだったけど、今度会った時はもう平気だ。
・・・おんぷちゃんと、今度会う時・・・か。
その時ハナちゃんも一緒に、笑顔でこの映画の事を話したりしていられれば。
そうしなきゃ、と、わたしはおんぷちゃんの顔を思い浮かべて少し現実を忘れた。
暗くなる館内。
とりあえず今はしばらく任務を忘れて、その時の為にこの映画に集中しよう・・・。
スクリーンが明るくなり、その世界が始まった。