<28>
遊園地でひとしきりはしゃいだ後は、喫茶店で一息。
甘酸っぱい香りのレモンティーで口の中を軽く癒し、あの絶叫マシーンで絞りとられた美声を回復したら、
今度はそれを歌声に変えて聞かせる為にカラオケ屋へ。
それぞれの性格と趣味と、意外な一面があらわになった賑やかな一時が過ぎていくと 外はもう日がとっぷり落ちている。
夜の都会は、大人の時間。
わたし達17歳の子供とも大人ともいえないような位置にある者にとっては、その時間を素敵な男性と素敵なお店、
素敵なディナーにちょっぴりのお酒 を加えて涼やかな談笑を以って過ごすことは、一種の夢…。
そして麻薬に似た陶酔があ る。
…ま、最後の『涼やかな談笑』っていうのは、さすがに女4人で演出するのは無理がある って事で、
もっぱらとても大人とは言えないような大笑いを交えて盛り上がった訳で。
いくらここが銀座のムーディーなお店とはいえ、現役女子高生のかしましさを止められる 事は土台無理な話だった。
伊東さんは、そんなわたし達を一体どんな目で見ていただろう。
お店を出て、雑踏の中にも心地よい風を見つけては少しホロ酔いして赤くなった顔を当てて、
微妙に正気を取り戻しながらわたしはふ、と思った。
お店の玄関から、ハナちゃんと伊東さんが2人で出てくる。
お似合いだな、と思った。
今日一日の中で、何回か『もし2人っきりだったらなぁ』なんて妄想しちゃったりしたものだけど、楽しそうな、幸せそうな2人…
ハナちゃんを見て いると、何かそんなのはどうでもよくなってきた。
「さて、もう9時を回りましたけど… どうします?」
伊東さんにとって、9時なんて時間は『まだまだこれから』だとは思う。
まあ、わたし達地方出身者に気を使っての言葉だろう。
「…なんか、ホンマに今日はえらいすんまへんでした」
あいちゃんがそう言って、丁寧に頭を下げた。 その言葉で、わたし達3人はこれにて退散、ということになる。
「いえいえ、私もすっかりモテモテ気分を味あわせて貰いましたから。 とても、楽しかったです」
社交辞令かお約束か、まあ伊東さんもそう言ってくれて、ハナちゃんもウンウンと後に続く。
「じゃあ、駅まで送りましょうか」
伊東さんの言葉に、はづきちゃんはちょっとにっこりして首を横に振った。
「私達、ここからJR使いますから。 後は私達が邪魔した分、少し2人でいてください」
「あはは。 そそそ。 最後くらい気を使わなきゃね」
わたし達母親組3人が意地悪く笑い、伊東さんはやや痛そうにそれに合わせて笑う。
ハナちゃんはよく分かってないようにつられて笑っていた。
「それでは。 本当に今日はごちそうにまでなって、すみません。 どうもありがとうございました」
わたしがそう言い、ぺこりとするとはづきちゃん・あいちゃんも習う。
「どれみ、はづき、あいこ、今日は楽しかった」
ハナちゃんがそう言ってくれた。
今日の当初の目的は大幅に違ってしまったが、ハナちゃんと再びそういう時間が過ごせて、
そう思ってくれたことで任務は完遂したと思おう。 ハナちゃんのダーリンの人柄もよく観察できたことだし。
「では、失礼します。 送り狼にはならないよう、お願いしますね」
はづきちゃんがサラリと伊東さんに釘を刺し、あいちゃんが
「ハナちゃん、気ぃつけえや」
と注意を促したところで、わたし達は手を振って2人に背を向けた。
伊東さんの苦笑いがとてもかわいく思えて、わたしはこの『さよなら』にすごく心が温か くなった。
「さて、帰りますか。 隊長、駅はどっち?」
わたしがはづきちゃんにそう訊ねると、飲み屋帰りのOLさんはスっと指をビル郡の隙間に向け、
「向こうの方よ」
と言った。
「なんや、その言い方えらい遠そうに聞こえるな」
わたしもちょっと思ったことをあいちゃんが口にすると、はづきちゃんはにっこり笑って、
「夜の銀座を歩くのも、悪くないと思うの」 と答えた。
3人が遠くの駅を目指していた頃、2人は近くの地下鉄の駅から、丁度良いタイミングで 入ってきた電車に乗って、
空いている車内の長い席中央に座っていた。
「…デートとはいかなかったんですが、楽しかったですか?」
ハナの心地よさそうな表情を見れば聞かずにも分かることだが、会話の入り口として伊東はハナにそう聞いた。
「ええ、とっても。 あ、すみません、伊東さんはその、やっぱり2人とかの方が良かっ たんでしょうか」
今更ながらに気にしたのか、やや困ったような顔をしてハナがそう返す。
伊東はそんな ハナに少し胸を弾ませたが、それを押さえるようにして静かに首を振った。
「…いえ。 今日はハナさんに楽しんでもらえて、日ごろのつまらないであろう日常の鬱憤を存分に晴らしてもらえてれば
良かったんですから。 私の方へのお気遣いは、ちょっと、でよろしいんで」
はぁ、すみません、とハナは再び頭を揺らした。
間が、開く。 地下鉄のアナウンスが降り駅に近い駅の名前を告げた。
「信頼、してらっしゃる」
唐突な言葉は、伊東の独り言かと思われた。 だが、ハナはそれに顔を傾ける。
「春風さん。 妹尾さん。 藤原さん。 同じように、信頼している。
向こうも貴女を信頼して、そして貴女も同じように彼女等を信頼している。
…私はずっと、まあここ一ヶ月くらいですが、傍で貴女を見てきた。
だから、分かります。 貴女が一番心を安らいでいる場所、それは彼女等の元なんだ、と」
ハナはじっと計るように伊東を見つめているが、伊東はハナの方を見ていない。
空いているの正面の席に、まるで誰かが座っているかのようにそれを見つめながら言葉を 紡いでいた。
「それは純粋なものでしょう。 『なぜあんなにも信頼できるのか』とは、もはや問いません。
藤原さんにも聞きました。 きっと同じ答えが返ってくるのでしょうから。 だからこそ、私は心配だ」
電車が、止まる。 車両に人は乗ってこなかった。
まるで魔法によって、この車両だけ入ってはならない空間が出来ているかのようだった。
電車が動き出し、それに合わせたかのようにハナの口もゆっくり動いた。
「…心配…?」
「…ええ、心配、です」
伊東はハナを見た。
「人間は、そんなに都合良く出来ていない。 誰もが善ではない。
人間関係、人間同士の係わり合いの社会というのは、いつ何所でどんな糸にもつれ合う かまったく分からない。
その影響で、人同士の気持ちも変わってくるものです。
魔女同士の関係、魔女の世界のつながりを私は知りませんし、魔女にも人間と同じよう な一面があるかも知りません。
ですが、私は貴女のその純粋さが怖い。
その素直過ぎるこころ、誰にもあの彼女等と同じように接しようとしている姿勢、
それはとても喜ばしい事だし、正直感動さえ覚える。 だが…!」
伊東の語尾が大きくなっている。
地下鉄の雑音に消されまいとして大きくしているのか分からないが、
それを心配することなくハナの耳に聞こえるのは不思議と伊東の声だけだ った。
「人の心の弱さ、信じていたものが崩れる怖さ…
そういうものを貴女が知ったとき、貴女が人間に対してどう思ってしまうのか…
人間を失望、いや…絶望されるのが、私には怖い。
裏切りや、謀略。 人間には、そういった浅ましい心がある事も知らなきゃならない。
知って欲しくはないが、貴女をとりまく世界には、そういったものが… 必ずあってしまうと思うんだ。
恥ずかしい話だが、これは私がこの世界を生きてきて 確実に経験したもので、そして知識だ。
ハナさん、そういったものを目の当たりにしたとき、貴女は耐えられますか?
今のままのハナさんで、いられると思いますか?」
伊東が生きてきた時間の遥か足元にも及ばない短い期間で、人間のそういった部分への問 いの答えをハナに出せ、
というのは酷な話だろう。
客観的に、冷静に考えても伊東はそう思う。
だが、これはそれを踏まえても聞かずには、確かめてもらわねばならない心構えなのだ。
今、自分は人間全体の負を背負ってハナに質問している。
伊東は噛み締めるようにそう確認して、ハナの無いであろう答えを待った。
「それは、平気です」
アッサリと、その答えは返ってきた。
「信じる、という事は、自己責任である事だと、私は思っています。
裏切られたり、人に分かってもらえない、信じていた結果と全然別の気持ちが返ってくること…。
それは決して相手が悪いのではない、と言うことです。
すべて、『そうあってほしい』と思っていた自分の心の責任です。
ですから私は悲しい、と思うことはあるにしろ、相手を恨んだり、憎んだりはいたしま せん。
ですから私は」
ハナは優しく、伊東を見つめて微笑んだ。
「すべての人間を、信じて… 愛していこうと、決めました。 それが私達魔女の出した、人間との交流の姿勢なのです」
…。
甘い考えだ。
理想論だ。
知らないから、そう、これは無知の知から出た結論だ。
そう、思った。
そう、思わざるを得なかった。
だが、伊東はそれを口に出来なかった。
ハナの姿が、何故か… その言葉に対し、溢れんばかりの説得力に満ちていたからだ。
口は開くが言葉が出ない。
そんな状態で伊東は沈黙した。
間が開いたが、決して感じの悪い空気ではなかった。
「…キリスト教、知ってますか」
口にしたのは、そんな言葉だった。 ハナは少し恥ずかしそうに、あまりいいイメージで はない事しか、と首を振った。
そんな答えはちょっと意外ではあったが、伊東はその教義を知らなくてもいいと思った。
そして自分が言おうとしたちょっと恥ずかしい例えを、続けるのを止めた。
「私は…知っていますから」
小さく、ハナが呟いた。 今度はハナが、虚空を見つめていた。
「信じていた人に裏切られる。 最愛の人、家族…のような人に裏切られる。 その時の絶望、その時の悲しさ。
知って、いますから」
何故か、伊東はそれが本当の事だ、と思った。
「たとえどれみ達に裏切られても、私は人間を信頼することを、諦めたりはしませんから」
そして、その言葉は嘘だ、とも思った。
車内アナウンスが、赤坂を告げた。
2人は何かを決めたような顔で微笑み合うと、席を立つのだった。
駅を降り、少し人がまばらな通りを歩く。 ハナのホテルは少し歩いたところにあった。
朝、この道をあられもないボディコン姿で駆けて来たハナを思い出し、笑みと共に伊東に は既に懐かしささえこみ上げる。
そんな時、伊東の携帯が震えた。
「はい、何でしょう」
この携帯に掛かってくるのは、仕事のものだけだ。 そっけなく伊東は応答した。
『デート帰りか? それともこれからか?』
いやらしさを含んだ同僚の声が耳に心地悪い。
「これからなんてない。 あったら魔女の母親に殺される」
『魔女の母親?』
「…みたいな女子高生が3人程いるんだよ。 しっかり釘を刺された」
伊東はハナも聞いているのを意識してそう冗談を言ってみたが、ハナはあまり笑っていな かった。
どうやら失敗したらしい。
「…で?」
失敗を誤魔化すように、伊東は用件を促す。
『ああ、今傍らに魔女さんはいるかい?』
「ああ、いるけど」
『ちょっと離れてくれないか。 微妙な問題だ』
伊東はチラリとハナを見やる。
「…分かった」
携帯のマイクを押さえ、伊東はハナにちょっと、と言って片目を瞑る。
ハナは意図を解したのかそうなのかは知らないが、頷いた。
伊東は近くに電話BOXを見つけて、とりあえず利用しそうな素振りで小走りに近づいた。
「大丈夫だ。 で、何だよ?」
そう伊東が応答して、一息ついたその少しの間である。
ハナのすぐ近くに止まっていた黒い乗用車の扉が開き、まるで映画を見ているかのような
非現実感をもった動きで、伸びた手がハナを車内に引きずり込んだ。
そして当然のように車はドアを閉め、疾走した。
伊東がアクションを起こしたのは、残念ながらハナが引きずり込まれた処からだったので、
映画のヒーローよろしく車を止めて姫を救うまでにはならなかった。
が、さすがにプロである。
伊東は近くの車を体を張って止めようと、すぐさま道路に踊 り出た。
「危ないですよっ!!」
そんな伊東の背中を、唐突に女の声が刺した。
聞いたことのある声。
というか、ハナの声。
ハナの声?
伊東は軽く混乱し、振り返る。
そこには心配そうに自分を見つめる、いるはずのないハナがオロオロして立っていた。
棒立ちする伊東に、車が派手にクラクションを鳴らしていた。
「…最後のは、聞いてないですよ」
伊東は美作室長を見据えて、恨めしそうに発言する。
美作は相変わらず無表情に自分の机に陣取ったまま、部下の顔を見上げていた。
「敵を欺くには味方から、というお約束がある」
その答えに伊東は今にも舌打ちしそうな顔をして、代わりにため息をもらして見せた。
「…ま、いいですけどね」
「何はともあれ、ご苦労だった」
「自分は遊んだだけですよ」
皮肉るように、伊東は吐き捨てる。
内閣情報調査室、伊東調査官の本日の「仕事」の事 後報告であった。
「…これで、一応の対処は行えるわけだ。
彼女は我々含む政府機関の助力を必要とせず、自分であらゆる『不測の事態』に対応で きる能力を持っている」
「魔法ですからね。 我々は寧ろ足手まといでしょう」
伊東は思い出す。
目の前で拉致されたと思われたハナは、魔法を使ってあっという間に悪漢…これは同僚達 の悪ふざけとも言えるものだが…
から脱出し、何も無かったかのような顔でのほほんと元の場所に立っていた。
あまつさえハナを助けようとして車道に飛び出した伊東を逆に助けようとして、魔法で車を止 めてさえいた。
それを記憶から取り出すと、苦笑を禁じえない。
「今日一日魔女が泳いだだけで、まあ予想通りの獲物がくらいついてきたのが確認できた。
高月らが確認しただけでも、イギリス・イタリアの調査部が動いているのは明確になったわけだ。
外務省のタッチからも、他の諸外国がこれを空想の作り話ではなく現実の事件として注目し 始めていることは明らかだろう」
それは、魔女・ハナにとって望むべく展開のはず。 だが伊東は、どうしても彼女に対して気の毒感しか思い得ない。
「…では、デビューですか」
「つつかれる前にとしては、もう時期だろう。 明日朝、会議にかけられる。 遅くも無く通るだろう。 何せ…」
美作がブラインドの下りていない窓の外を見やる。 伊東もそれにつられ、目を移した。
都会の、夜の灯り。 見ているのは東京のそれか、それともそれを遥か超えた海の向こう …
「アメリカでは、一足お先に魔女の一人がデビューを果たしたようだから…な」
<高校生編・完>