<35>
受話器を置いた時の彼の表情を見て、ケニーはソファーで苦笑しながら口にしていたタバコを灰皿に押し付けた。
「芳しくないな」
ケニーの意地悪いその声に、机の足を蹴って回転イスで回りながら、彼はこめかみを押さえつつ『どうにもならんさ』と小さく独白する。
「こればかりは… ま、最初に覚悟しておいた難関ではあるけどね。
しかし、ここまで執拗だとゾっとするな」
「いくら映画が大衆に普及しているとはいえ、まだ神の教えのソレには敵わんさ。
アンドリー、いくら君がハリウッド…いや、世界的に有名な大映画監督となっていても、
所詮ジーザスの名声に比べたらまるでちっぽけなモノだ」
「持ち上げられているのか、下げられてるのか分からんね」
吹っ切れたように笑いながら、その大監督は回るイスを止め、立ち上がる。
そしてテーブルを挟んだケニーの前のソファーに深々と腰を沈めると、ハァ、と息をついた。
もう『おじいちゃん』と呼ばれるようになったその丸々とした顔を少し真面目なモノにして、ケニーは腕を組み話を続ける。
「教会は勧告を?」
ケニーの問いに、こちらはもう『おじさん』と呼ばれるのに抵抗なくなった彫りの深い顔を更に厳しくさせ、アンドリーは首を横に振る。
「そこまでではない。 自主的に、考えを改めるよう請う… まあ、そんなところだ」
「教会式の勧告だろう。 まあ、強引に中止せよ、とは言えないだろうがね。
慣例通りだと、教会的には認めない、もしくは無視の意向であるといったところだな。
ウチの方にもこれだけの声が来ているんだ、スポンサーはもっと大変なんだろうなぁ」
「だろうな。 …まあ、だがそれで中止させる彼ではないと思うよ。
寧ろ、彼の性格からそれは返って逆効果だね。 中止はありえない。
既にプロジェクトは動いているし、マスコミに制作発表も決まっている」
「それに、ヒットメーカー・世界のアンドリー監督の最新作で世間の関心も高い。
世論と金、すべてを流れに引き込んでいる。
…バチカンが物言いを発しても、それは返って教会のイメージを悪くするだけだな」
「何にしても、この作品を実現軌道に乗せたからには、もう俺に後戻りはできない」
アンドリーは身を乗り出し、机の上にあるケニーからの資料に目を通した。
「内容が教会の言う異端作品になろうとも、それを押し通すだけの立場と力を俺は…
まさに、この作品の為だけに身につけてきたんだからな」
『この作品の為だけに』。
これは、アンドリーのここ最近の口癖であり、決めセリフである。
彼がこの映画の企画を立ち上げ、様々なスタッフ…
当然、広報のケニーもその一人であるが、それらを口説く際に必ず強く口にした言葉。
ケニーも、そして彼に口説かれた人間は皆確信している。
彼・天才アンドリー・デュークは、紛れも無く本気だ。
その天才の本気が、全身全霊をかけてこの作品に表現されることは、まず間違いないことを。
そしてそれが、我等を含む全世界の人間にとてつもない感動を与える作品になるであろうことも。
それを、ただ、観たい。 純粋なその思いをエンジンにして、今、このプロジェクトは走り始めているのだ。
「作品の内容と同じさ。 我々はこの世界での、ジャンヌダルクだ。
たとえ教会から異端を宣告されようと、妨害を受けようと、俺は自分の信念を曲げんぞ」
「脚本に手を加えることは無い、現行維持でいいんだな。 最終結論として」
「ああ、それでいい。 俺の『悪魔天使(デモン・エンジェル)』のジャンヌダルクは、魔女。
魔女・ジャンヌダルクの前提なくして話は進まない。
…大体、おかしいじゃないか。 彼女を魔女として扱ったのは教会そのものだぞ。
その後聖人にされてはいるが、今俺たちが彼女を魔女として扱って何がいけないんだよ。
自分達が昔やったことを棚にあげやがって。 なぁ?」
「おいおい、そこを俺に聞くなよ。 こう見えても俺は、毎週日曜にはミサに顔を出す敬虔な神の僕なんだぞ」
くっくっく、と小さく笑いながらケニーはもう一本タバコに火をつけた。
「…問題はそこだけじゃないだろう、アンドリー。
君のネームバリューでこれだけの教会批判をされたら、そりゃ向こうだって多少は焦るさ。
まあ、これを観た人間が教会に対して…いや、神に対してどのような考えを持つか…
それはまさに、神のみぞ知る、だね。
…それはそうと、本当にこれでいいんだな」
アンドリーがすべての資料に目を通したのを見計らって、ケニーは確認をする。
「ああ、いい。 じゃあこれでよろしく頼むよ」
アンドリーのあっさりしたOKと、資料の束を受け取ってケニーは再び苦笑いを浮かべた。
「…しかし、一体どのくらいの応募があるか… 見当つかん。
企画部と広報部は、これから幾晩徹夜せねばならんのか、気が遠くなるよ。
よりによって、本当にこの映画の主役を…
一般公募から、選ぶなんてな。
君の映画に出演したい、と世界で願う人間がどのくらいいるか想像できんのか?」
愚痴を吐きつつあるケニーの顔を見て、今度はアンドリーがニヤリと笑った。
「ケニー、この映画の主役は誰だ?」
「…ジャンヌダルクだろう」
「分かってるじゃないか。 その通りだよ。
ジャンヌダルクは当時のフランスの、いち国民の中から忽然と現れたんだ。
…だから、だよ」
アンドリーは立ち上がり、部屋の窓から見下ろせる…
高層ビルの眼下に広がる街の風景に目を移しながら、自分の想像に夢を膨らませて答えた。
「現れたら、この映画はホンモノになると思わないか?
…そんな一般の中から光を放つ、ラ・ピュセルが、さ!」
おんぷが欠伸を隠しながら教室に入ると、突然その気の抜けた身体に喝を入れるかのように、ビシャリと平手が彼女の背中を打った。
「よっ。 グッモーニン、オンプ♪」
背中をしかめ面でさすりながら見上げてくるおんぷの表情に、シンディーは愉快そうな笑顔を向ける。
「…痛い、シンディー」
「アッタリマエでしょ。 強く叩いたんだし。 何、気の抜けた顔してんのよ。 もっとシャッキリしようよ!?」
おんぷはため息しながらも、クスリと笑顔で微笑んだ。
正直、少し嬉しかった。
シンディーが、いつもと変わらない態度でいてくれたので。
「……」
「な、なあに? シンディー? あれ? 私、今日そんなに変かな?
え? 寝癖とかある? あれ?」
見つめるシンディーの視線が余りにもジーっとしすぎているような気がして、おんぷはわたわたと焦る。
そんなおんぷの様を見て、シンディーは納得したようにハッハ、と軽く笑うと、再びおんぷの背中をベチンといった。
「…いや、いいんだよね。 安心して。 いっつも通りのオンプで、いいんだもんね?」
「は、はあ?」
「いいんだ いいんだ!」
シンディーは楽しそうに、そうウインクして見せると他の友達の方へと走っていく。
おんぷは結局しかめた表情を消せないまま、そんな友人の後姿を呆けたように見送った。
昼休み。
おんぷは一人、図書館でも目立たない隅の方の机に本を広げている。
『異端教義 魔女裁判の実録』と題されたその本は、やはりクラスの中で堂々と開くのには抵抗がある。
それはこの前のブラウの態度でよく分かった。
魔女。 自分達は、何の抵抗も無くこの言葉を使っている。
勿論、『魔女』という存在のその真なる姿をこの目で見て、そして彼女達と浅からぬ経験をしてきたからであり―
また己自らも魔女という存在になった訳であるから、おんぷにとってその単語は別に何の禁忌にもならないのである。
だが、本を開いて、そしてこのキリスト教圏という宗教の影響が強い世界に触れてよく分かる。
その存在と、そして言葉自体までさえ、もはや本能的レベルにまで浸透しているかのような、
一種の『悪』とみなされるだろう魔女の立場を。
ハナはいずれ、この国にやってくるに違いない。
アメリカという大国を無視して、現在の人間界との交流を復帰させるなどまるで無理だろうからだ。
その為、今この国に住んでいるおんぷは少しでも知らなくてはならない。
魔女と、宗教。 その境にある、重く厚いカベの何たるかを…。
本の文字を追っていく度に、おんぷは『この本の世界は、私たちの全然知らない世界』という事を思い知らされて、
軽く頭が痛くなってくる。
もう数百年も昔のことであり、まさかこの現代でもこのような『審問』などないであろうと思うのだが…。
昔、『神の奇跡』とされていた様々な現象、『神罰』『呪い』といったそのようなモノの大半は、現在の科学で説明できるものとなっている。
『常識や科学で全く説明できないもの』を定義するのに、『奇跡』や『魔術』という言葉で善悪の基準を設けているのが、大方の理屈だ。
そして神学において大体それは、神の行いたもう人間への呼びかけや警告、そして愛や慈悲のチカラということになる。
『人間以外の、誰がやったのか分からない超自然的な現象』であるからこそ、人はそこに『神』を当てはめている。
だが…
魔法は魔女が使う力だ。
明らかに、この魔法は『奇跡』の力と同等である。 今の人知には負えない、まるで不可思議な現象。
それを使う者が、『目に見えて』ここに存在してはならないというのが、一神教の絶対なる支柱だろうといえる。
奇跡を使うのは、神なのだ。 神以外に、あり得てはいけない。
故に、もしもそのような力を持った人間がこの世にいたとすれば、
この宗教を信仰している人間は必ず『神のお使い』もしくは『神の生まれ変わり』と呼ぶであろう。
だが、仮にそんな力を持っていたとしても、それが悪しき現象…
すなわち、死や争いを呼ぶようなモノだったりしていたら、人はこれを『神の奇跡』と呼ぶ事を止める。
神は慈悲深く、そして愛に満ちた存在であり、己が禁じたその行為を体現させるはずがない。
そんな『悪しき奇跡』の対象こそが… 悪魔であり、そして『魔女』という存在に分けられたのだろう。
そしてハナは、わざわざそんな『魔女』の冠を掲げて、この世界に挑んで来たのだ…。
(…納得いかないな)
おんぷは憂鬱になり、本を閉じてハァとため息をつく。
どうして『悪いモノ』ばかりを全部魔女に押し付けたのだろう。 当時の人間たちは。
すべてを魔女のせいにして、完全に魔法を『邪法』にしてしまった。
明らかに優しい力でもあったのに、それらも含めてすべてを…。
そんなにも、『見えない神』を守りたかったのだろうか。
「…人間の、魔女に対する最後のプライド… なのかな…」
呟きながらおんぷは伏せていた目をあげて…
…正面に黙って座っている、クリスにようやく気が付いた。
「…ええっ!!??」
思わず、ガタンと椅子を鳴らす。 顔が真っ白になりつつあるおんぷを見て、クリスは逆に真っ赤になりながら慌てて声を出した。
「あっ、ご、ごめん! その、あまりにも真剣に読んでたみたいだから、声かけるの、よくないと思って…
べ、別にそんな変な意味じゃ」
何が変な意味、なのだろうか、とにかくクリスはパタパタと手を振った。
おんぷはドキドキしながら落ち着きを取り戻す。 …独り言は、最後の一言だけだよね、と何回も自分の記憶に尋ねては、一人で頷く。
「…い、いいの。 ちょっと、ビックリしただけだから。 ああっ、何か変な独り言… 聞かれちゃった?」
「う、ううん。 変じゃないよ。 全然」
クリスは必死になってフォローしているようである。 おんぷは最後の心の汗を拭うと、ようやくいつもの笑みを取り戻した。
「…えっと… どうしたの、クリス君?」
控え目に、おんぷはクリスに尋ねる。
その小さな声に、クリスもようやく落ち着きと本来の用事を同時に取り戻したのか、崩れていた表情を整えた。
「…あ、うん…。 ちょっと、オンプに聞きたいことがあるんだ。 …いいかな」
「…? いいわよ? …あっ、でも、大体昨日、全部君やシンディーたちには見せたり言ったりしたのが全部だし…
…他に何も隠してることなんて、ないけど…」
本当はとんでもない事実があるのだが、それはハナとの固い約束でもあるので口にはしない。
おんぷの静かな表情に、クリスも語りやすさを見つけて頷きながら控えめに口を開く。
「うん、そんなんじゃないんだ…。 ただ、でも昨日のあの舞台が… どうしても気になって」
「昨日の舞台…? クリス君とやった、あの?」
そう、とクリスはやや身を乗り出す。
「僕には、その、まだ不思議なんだ。 …っていうか、なんていうか…」
「…あ、もしかして… 『台詞を言わせた』事かな」
クリスよりも早くおんぷがそう言うと、クリスは目を見開いて何度も頷き… そして、やっぱり、というように肩を落とした。
「…どうして、そんなにすぐ分かっちゃうんだい…? オンプ…。
演技とか、自分の本当の感情を表現するとか… 誰の価値観であっても、そのままに自分は自分だとか…
…人を理解するのは、優しい、愛するということなんだとか…
そういうのは、オンプの話で大体、そうなんだろうなぁ、と思える事はできるんだ。 うん…。
でも、そこだけ、分からない。
人に自分の思ったとおりの言葉を言わせる、それってつまり、人の心を… 自分の思うままに操れるってこと?
演技って、そんなにスゴイものなのかい? オンプ…!?」
控えめだったハズのクリスの声は、少し大きくなっていた。 静かな図書館だから、隣の机にはよく聞こえていたであろう。
幸いこの辺りに座っている人間はいなかったので、騒音厳禁のおとがめを貰う事は無かった。
おんぷは『ええと…』と呟きながら、自分の片側に垂らしている前髪の束を指に巻きつけて弄ぶ。
「…あの、それ、本気でそう思ってるの…?」
「本気でって?」
「え、その… 人の心を操ることができるのか、とか、そんな事…」
「え? だって… そうじゃないの?」
おんぷは不安そうなクリスに向けて、一つ小さな微笑みを見せるとハッキリと口にした。
「まさか。 そんなこと、できるわけないじゃない?」
当然のようにアッサリ言われると、クリスも『だよねー』と返したくなる。
だが、それでは済まないような、喉に何かの小さな骨が引っかかっているような居心地の悪さを
、クリスは昨日からずっと感じてきたのだ。
『でも』と納得しないクリスに先んじて、おんぷは舌を出して答える。
「たまたま、上手くいったのよ。
大体、アレにはちゃんと『タネ』があるんだから。 マジックみたいなもので」
言っちゃった、というようなおんぷの爽やかな声色に、
クリスはまたおんぷの何かにあてられたような気分になって『え』と硬直する。
「…トリック?」
「そう。 トリック」
「……」
「…ご、誤魔化してなんかないってば。
いい? あの時のクリス君の台詞って… おぼえてる?
…あ、そっか、そもそも知らなかったんだったわよね。
えっと、たしか」
おんぷはちょっと首をかしげながら、
「Yes (聞きたいよ)
What that? (どうして、そんな)
I don't know (わからない)
No, It's … (違う、ウソではない)
…えっと、たしかこんなところ? だったような。
分かるでしょう?」
「…な、何が?」
「えっと… だって、どれも『一言』じゃない? 簡単な、一言よ。
何かの対称となる語や、意味のある名詞なんかもないし…
実は、結構どうにでもなる一言だったの。 クリク君の台詞」
「…」
言われて、クリスは少し思い出してみる。
おんぷにそう言われると、『なんだ、そうか』と思えてしまうが、だが少し冷静になるとやはりそれだけでは納得できない。
おんぷはそんなクリスの表情を読み切ったのか、更に続ける。
「あとは、そうね。
私、そんなに君のこと知ってるわけではないけど… でも、ちょっと理解したつもりよ。
クリス君、色々と人と話すの苦手そうだけど、何かを思い込んだら我を忘れるほど積極的みたいだし」
私の後をこっそりつけて来るとか…と、おんぷが悪戯っぽく言うと、クリスは慌てて赤面した。
「…それに、初めての舞台で緊張してるのは分かってるし…。
そういう状況で、ちょっとキスとかすると、余計頭がこんがらがるでしょう?
『今のは何? 何なの?』とか、思うんじゃないかしら? 多分」
「…思った」
「…よね。 そこに、突然『聞きたい?』とか、舞台の台詞であっても言えば、『聞きたいよ(yes)』って、言っちゃうかなって…」
「……」
「あとは、ますます訳の分からないそんな状態の中、訳のわからない事をまくしたてれば、
『What』とか『I don't know』とかは言っちゃうじゃない? 多分」
「…言ったんだろうね…」
「うふふ。 偶然というか、運もあったのよ。
クリス君が素直だったし、初体験の舞台の緊張とか、そういうのも含めて、色々なものを利用して…
『言うかもしれないなー』っていう状況を必死に作ったのが、あの舞台だったわけ…。
はぁ、普通こんな事しないのよ。 私の先生が意地悪くあんな変な課題にしただけなんだから…」
そんなおんぷを見て…
それでもクリスは完全に納得した訳ではない。 偶然とか、運とか…。
たしかにそれも必要かも知れない。 だが、なんとなく分かった。
やはり、これはオンプの才能なのだ。
『こうあれば、きっとこういう事を言う』などと考えるに至るには、やはり人の心、その人間を多少とも理解していなければならないだろう。
ある限られた状況に人を置いても、100人が100人同じ考えを持つとは限らない。
その人その人の個性が出るだろう。
詳しくは語ってくれなかったが、きっとオンプは自分の気持ちになって考えたに違いない。
それはまさに、まんまとその読み通りに自分は行動してしまったり思考してしまったりしていた訳だが、
オンプと今そう話をして… 不思議と、何かしらの恐怖や嫌悪、気持ちの悪さは無かった。
自分は、操られたのではない。
彼女に、理解してもらったのだ。
そう考えることが出来た。 …なんとなく、とても心が暖かくなったような気がした。
「…つまり、僕って単純なんだね…」
本音は言わず、クリスはそう冗談めかして肩を落してみせる。
オンプが『えーと、そうじゃなくって…』と何かを慌ててフォローしようとする様が、とても可笑しく見えた。
帰りにも、オンプはブラウの心中を理解して、彼の演技をしてみせたこともある。
彼女は彼も… いや、僕らだけではない。
きっと、彼女の目の前の人間を、みんな理解しようと… 優しくなろうと、しているのだろう。
なんというか、それはもう『演技』という枠を超えている。
それは既に昨日、オンプのそれを目の当たりにした者がみんな思っていることだろう。
「やっぱり、すごいねオンプ」
クリスは頭を掻きながら、はにかんで顔を上げた。
「そうかな…? 私も、実は自分でよく自分のやってること、分からなくなるのよ…。
本当に、演技…『女優』って、こんなのでいいのかな、とか。
いつもいつも、『演技』って、なんだろう… とか、考えるし」
自信なさそうに口を尖らせるオンプの姿は、いつも彼女が『学校の為だけに』見せているオンプの一つの姿である。
きっとオンプは、出会った人の分だけ、彼女が心を注いだ分の人間の数の…
様々な『彼女』を持っているのだろう。
クリスは、改めてそんな彼女の持っているすべてを『見たい・知りたい』と思った。
女優・オンプ・セガワの演じるすべての物を、この目で見ていきたい…と、彼女を目の前にして密かに心に誓った。
「うん。 僕は確信するよ。 オンプはすごい女優さ。
だから、きっとジャンヌダルクも上手くやれるはずだよ」
クリスが強く言ったその言葉に、オンプは素でポカンとした表情のまま、固まった。
そんな静かなリアクションに、クリスの方が不安になってくる。
「…え? 何…? ジャンヌダルクって」
やはりというか予想通りというか、オンプの返事はそれだった。 クリスの方が『何で?』と言いたい気分になる。
「あ、だって… オンプがそんなに一生懸命『魔女』の本を読んでいるのは…
ジャンヌのいた世界を研究するためじゃないの?」
「??? …ええと…」
イマイチ要領を得ない返事にクリスは首を捻って立ち上がり、
『ちょっと待って』とおんぷを座らせておいて図書館の入り口にある新聞のラックまで足を伸ばす。
「…ほら、これだよ。 あのアンドリー監督の次の映画、『デモンエンジェル』の主役オーディション。
前々から噂にはなってたけど、ついに今日公式発表されたじゃないか。
経験・実績・すべて問わず。
主役・ジャンヌダルクを演じたいと思う全世界の少女を対象に、一般オーディションをするって」
クリスが広げた、そのデカデカとした常識外れなスケールの内容の記事を、おんぷは目を丸くして覗き込む。
「この映画、ちょっとイワクツキだけどね。 なんか、教会批判とかそういう内容が入ってるらしくて、
ローマ法王が待ったかけたっていう噂だし。 主人公のジャンヌダルクは、完全に魔女として扱うみたいだよ。
あ、ホラ、そこにも書いてある。 『魔女・ジャンヌダルク』に宗教的抵抗のない方を求みますって…」
おんぷは記事に目を走らせながら、『無理よ、私には』と力無く答えた。
が、クリスはそんなオンプの素顔をきちんと見ていた。
「でも、受けてみたいんでしょう? オンプは」
「…どうして?」
「だって… 顔、ちょっと笑ってる。 嬉しそうに」
え、と言っておんぷは自分の頬に手をやる。
心なしか、そこが暖かい。 いや、熱い。
興奮していた。 改めて、そう実感して確認する。
私には無理。 …藤原おんぷは、そう言わざるを得ないのだ。
だが、心の奥にある『わたし』の気持ちは、何かとても大きな光を見つけたように、輝いているのが分かる。
魔女。
宗教。
演技。
ハナちゃんの、これから…。
考えていたすべてのものが、何か…この人物に直結する。
分かるかも知れない。
自分のやりたいこと。
自分の目指していたもの。
自分の可能性。
魔女と人間。
そして… 瀬川おんぷの、今までの答え。
すべて、この、ジャンヌ・ダルクという女の子で…。
「ありがとう、クリス君。 教えてもらって」
おんぷは立ち上がった。
その一瞬、クリスは今そこに座っていたのではない、別のオンプを見た気になった。
だから、自分も嬉しくなって彼女に返す。
「No thank you、オンプ。 …がんばって」
おんぷは『うん』とは言わず、あくまで藤原おんぷを通して曖昧な笑みを浮かべたまま、午後の授業開始前のチャイムを聞いていた。
「しかしまあ。 噂は本当だったわけね…」
稽古場の隅にロジャーと二人、雑誌のそのページを広げながらさくやはチョコレートスティックをポキンと口で折る。
「これこそ、アメリカンドリームって奴だね。 リンダもアイシャも、絶対受けるって意気込んでたよ。 朝から」
「うーん… 年齢制限があるわ…」
「ハッハッハ! おしいなサクヤ。 あと、ほんのチョット、チョット若ければ、な」
「あははははは。 …うるさいっての」
さくやのあげた平手に怯えながら、ロジャーは『暴力反対』と訴える。
二人は笑いながら顔を見合わせ、ほんの少し落ち着き…
再び、雑誌を見ながら会話を始める
「…ま、しかしアレだね。 ちょっと門戸が広いかな」
「平気でしょう」
「そうだとは思うけど。 宗教的柵は、やはり全然?」
「全然平気でしょう。 私達日本人に宗教を聞くのは、ナンセンスね」
「それって全然誉められた事じゃないと思うんだがなぁ…。
ま、いいがね。 この場合は大いに結構」
「そう。 結構結構。 大切なのは宗教ではなく、人間よ」
「だがなぁ…。 一番の問題は、ジャンヌダルクが東洋人でいいのかって事だよ。
これはさすがに、判定基準が厳しすぎるぞ」
「平気でしょう。 彼女、意外と無国籍な感じのプリティーガールだし」
「だがどうしてもフレンチには見えないぞ」
「平気でしょう。 この監督が求めてるのは白人じゃない。 ジャンヌダルク、その人よ」
「…ふむ。 そうかもしれないな。 なにせ天才だ。 そういった枠には囚われないかもしれない」
「そうそう。 天才は天才を知るってね。 きっと、理解してくれるわ」
「…サクヤ、やけに能天気に考えるね」
「あら、ロジャー。 あなたはどう思うの? 今上げたすべての理由と、彼女の才能を見て… やはり、足りないかも、と?」
サクヤのそんな挑発的な問いに、ロジャーはニヤリとしながら降参したように答える。
「…ハッハッハ。 楽しみだなァ、オーディションが。
きっと、度肝を抜かれるに違いないぞ、アンドリー監督を始めとする連中は。
公開されないのが残念だ。 是非見物にいきたかったね」
「ふふふ。 じゃ、私が代りに見てきてあげる。 なんたって、保護者ですから」
「お、おいおい。 この日はウチの初日だろ。 忘れたとは言わせないぞ?」
「忘れてないけど、どっちが楽しみかといえば…」
「わ、分かった、言うな、言わないでくれ」
「…はいはい。 分かってますわかってます。 しかし、魔女…か」
さくやは楽しそうに微笑むと、もう一度舞台の台本ではなく、その雑誌の記事に目を落す。
「この一般公募オーディションは、まさに正解ね。
魔女と、ジャンヌダルク…。
この二つを同時に満たしてくれる才能の持ち主なんか、滅多にいないわよ」
「まずは、挑戦か…。
気分はまさに、王太子に面通りを願う農民あがりの少女…だな」
二人は思い浮かべる。
そんなハリウッドの世界に乗り込み、見事旗を立てて来るであろう、その少女の姿を。
あながち夢見なだけの想像ではなく、なぜか未来の『予感』ともいうべきビジョンに思えてしまうのに、
さくやは心の中で『誉めすぎかな』と舌を出す。
何にしても…。
「これ以上のデビューは、無いでしょう」
力強く言うさくやの声に、ロジャーも強く頷く。
そして自らそんな彼女の前途から気合を貰うように意気を入れると、
大きく手を叩いて『よーし再開!』と舞台稽古に立ち戻るのだった。
「ただいま」
いつものように、学校から帰ってきたおんぷが玄関でそう告げ、そして居間のソファーでのんびりしているさくやを見つけては再び、
「ただいま」
と言う。
さくやはそんなおんぷを振り返り、にこやかに答えた。
「おかえり。 今日は、こんなのどう?
『純朴で、信心深くて、どこにでもいるような乙女』」
「…そして、天使のような心を持った魔女。
デモンエンジェル・ジャンヌダルク…かな?」
おんぷのその返事に、さくやは満足そうに紅茶を口に運ぶ。
「よろしい。 これ以上ない最高の舞台よ。
おんぷ、あなたのジャンヌダルク、私は期待してるわよ」
まるで学芸会の役を貰いにいくかのような口調のさくやに少々呆れながら、
気が早いなぁ、とおんぷは苦笑して制服の上着をハンガーにかける。
そして、呟いた。
「…そろそろ、公言してもいいかな、って…
思ってたんだ」
『ん?』と、さくやが返す。 そんなさくやを振り向かずに、おんぷは意味深な笑顔を浮かべながら続きを言う。
「私こと、オンプ・セガワは…
…魔女です、って」
言ったところで、おんぷはさくやを振り返る。
さくやの表情を面白そうに眺めて、おんぷは一呼吸置き… テヘッ、と笑った。