序文  今から半年前ぐらいのことなんだけど、友達がふとこんなことを言った。 「勉強ってする意味あるのかなぁ、、、」と。 私はすぐに「もちろんあるよ!」って言い返そうと思ったんだけど、実際には返せなかった。 なぜなら理由が無かったから。言うのは簡単だったけど、「なんで?」って聞き返されたら何もいえないし。 そう考えると何で勉強してるんだろう?って考えてしまって、その日からずっとこの疑問は解消されなかった。  その疑問も忘れかかっていた1月頃、現社の授業中に先生がふとこんなことを言った。 「勉強ってどうすることか分かってる?」って。 その日の昨夜は徹夜してて、眠くて眠くてしょうがなかった私なのに、その言葉を聞いた瞬間すっと眠気が 無くなった。そのとき咄嗟にあの疑問を思い出せたわけじゃないけど、何か大切なことを言いそうな気がする。 そんな感覚がしたからだ。 これは、そのときの話とその後私が考えたものを合わせた「勉強」というものへの向き合いかたの 私なりの解答用紙である。 本文  「勉強」という言葉にはいろんな意味があるけれど、大きく2つに分けれると私は考えた。 1つ目は学校で最短でも9年間は学んでいるあの勉強。2つ目は人生の中で新たに学ぶ「いい勉強になった。」などの例文で使われる勉強のこと。  この2つは同じ勉強って言葉だけど、それぞれ異なった特徴を持っている。 それは、1つ目の勉強は将来役に立つことは殆どないということで、2つ目の勉強はある程度の練習をしておかなければならないということだ。  実際、1つ目の勉強が役立っている人はどれくらいいるのだろうか?私の短い人生の中で知った職種から考えてみると、学校の先生、通訳、技師(工業系の学校に行った人のみ)、あとは医者とか薬剤師とかもこれにあたる。  しかし、これらの仕事や私が思いつかなかったけど勉強が役立っている職についてる人を合わせてみても恐らくごく少数の人だろう。  母親(←は介護系の仕事をしている)の知人に理系の大学を卒業して、介護の仕事をやっている人がいる。 なんでそんな関係ない職についているのか聞くと「大学でずっと同じような実験ばっかりで飽きた!」とのこと。 また、大学の文学部を卒業してからこれもまた介護の仕事をやっている人がいる。 聞いてみたら「文学部は趣味で入っただけだよ?」だ。  つまり、勉強が役立つ仕事に就く人が人が少ないに加えて、学校で勉強したことと全く関係の無い職種に就く人がいるのだ。これは、どれほど学校の勉強が無駄なものかが良くうかがえると思う。  では、2つ目の勉強というのに練習がいるのはどういうことか? まず、この勉強とは生きていく中で世の中の道理や真理を知り、脳内で「世の中マップ」構成することをあらかじめしておいた上で、これに載ってない物事で、客観的にみて合理的なものと判断できるものを新たに書き加えるという作業である。  つまり、この作業には世の中の道理や真理を知っておくという前提があるのだ。そしてこの前提のことを「ある程度の練習」と先ほど記させていただいたというわけだ。  ところで、2つ目の勉強に必要な練習とは、具体的にはどういうことだろうか? 2つ目の勉強での練習というものは、物事について、意欲的に知ろうしていくということである。 つまりは、自分の疑問に思ったことを納得いくまで調べ上げて解決する、こういった作業なのだ。 この向上心を持つと、将来には、自分のやりたい仕事を納得いくまで模索するとか、世の中のあらゆる事件や出来事の真相を突き止めるまで必死になって調べるとか、そういう力になります。 もしそういう力がないと、仕事どうでもいいーとかでニートになってしまったり、事件や出来事を表面上しか触れられないので、知らず知らずのうちに詭弁をしてしまうなどの恐れがある。  と考えたら1つ目の勉強の練習がどれほど2つ目の勉強の練習になるかというのがわかるだろう。 たとえば、「この式が成り立つ意味が分からない⇒分かるまで調べよう」とか「この英文は何でこう訳すの?⇒分かるまで調べよう」とか。1つ目の勉強にはもはや話す必要も無いほど意欲的に取り組む姿勢がみえるのだ。 だからこそ「この式が成り立つ意味が分からない⇒まあいいや」をすると、意欲的に取り組む人と、成績的にも人間的にも他人と大差をつけられてしまうという危険性もはらんでいる。  今までこの2つの相違点を挙げてきたが、同じ勉強という言葉を使うぐらいだし、もちろん共通点もある。 それは自分の知らなかったことを新たに知る作業があるということである。 新たに知ることが自発的、意欲的に知ることも、受動的、非意欲的だけど知る(教えられる)こともあるけど。 それでも知れる、知識を広げれる。この点だけは絶対に変わらないと考えられる。  これが何を意味しているか?これは1つ目の勉強でしっかりと練習をしておけば、2つ目の勉強に繋げることができるということを意味している。 しかし、世の中には1つ目の勉強を大してしてなくても、2つ目の勉強が出来る人がいる。 これには2パターンある。  片方のパターンは長年生きているから。これは当たり前。何年も世の中と付き合っていたら自然とどんなものか分かるからね。 もう片方のパターンは天才だから。長年生きなくても、人に言われなくても、世の中の道理や真理が幼いころから分かっちゃうから。  でも、2つ目の勉強は可能ならば出来るだけ早い段階でしたほうがいい。 だって、早ければ早いほど、より多く世の中マップに書き加える内容が多く出来るから。 こう考えても、やっぱり天才以外の人間は1つ目の勉強をこつこつやって、さっさと2つ目の勉強に繋げてしまったほうが賢い生き方かなぁって思います。  もうひとつ早い段階でしたほうがいい理由があります。それは、人は2つ目の勉強をしないと天真爛漫で天衣無縫、つまりはピュアで天然な人になっちゃいます。 響き的には良いように聞こえるかもしれませんが、実際は悪人にとっての良い鴨になってしまうだけ。 いいことなんて何も無い存在です。  ちょっとたとえ話をして説明しましょう。 昔AさんとBさんの2人の子供が森の近くの集落で生活していました。 ある日2人は長老から「虎」というもの恐ろしいものが森にいるということを知りました。 当時虎が何なのか良く分からなかったAさんは、村の人に聞きまわって虎ってどんなものか、どうすれば助かるのかなどを聞いてまわりました。 そんなBさんはAさんに「虎のことなんて知らなくたって生きていけるよ!」と嘲笑していました。 時が経って大きくなった2人は別々の日に森に入っていきました。 しかし、帰ってきたのは1人だけでした・・・  これでも分かりにくいのなら、もっと具体的な事例で話をすると 主に大学生になりたての人にあることなんですが、マルチ商法に引っかかって多額の借金を背負ってしまい、泣きながら友達に商品を売りつける人を見かけます。この事例は、マルチ商法がどんなもので、どのようにして私たちを引っ掛けてくるかということを知らない天然さんが、まんまと引っかかって酷い目に遭った。ということなんですね。  よく、「勉強なんてしなくたって生きていけるよ!」とかいう人が居ますけど、こういう人は虎に食べられる っていう話なんですね。無知は恥じるべきものであるのだ。  時が経てばおのずと分かる人が多い2つ目の勉強。でも、1つ目の勉強をして早く2つ目の勉強を始めたほうがいいかもしれない。だって、賢く生きたほうが人生楽だよ? あとがき ↑までで大体2500文字です、ここまで読んでくれてありがとう!