2009年 3月2日公開  この世の中は、多種多様なものが区分されている。それらの区分はとても大きな区分から、一部の専門的なものの区分まで、これもまた多く存在している。 その中でも、人の区分というものは特に複雑なものであり、その区分を作った人間ですら(全体からみた)多くを把握しきれてないほどだ。  そして、そんな人の区分のうち最も代表的で、最も全世界的に通用する区分として挙げられるものとして、”性別”という区分がある。 恐らく、この文章を読んでる人の中で性別という区分を知らない人は居ないと思う、というかむしろ一生の間に性別という区分を知らないままの人がいるかどうか疑問である。 それぐらい代表的な”性別”の区分は、最終的には生物学的に定義されたが、最初はやっぱり見た目、外見から区分されたものであり、それは主観的判断の集合から区分されたものである。 ぶっちゃけてしまえば、「みんなが恣意的にそう言うようになったから生まれた区分」ということだ。  しかし、性別の区分は恣意的に生まれたものにもかかわらず、ある程度の性質や法則性が成り立ってしまった。だから生物学的にも定義できてしまうのだ。 これはあくまで推論なのですが、このことは自然であり当然のことだったのではないかと私は考えました。 つまりは、性別による区分は恣意的な面を持ちながらも、その時代の人類がある程度の合理性も加味していると示唆して生まれた当然の区分ではないか、ということだ。  あまりにも抽象的概念で話しすぎたので、ここで性別間の法則の具体例を出そう。  つい最近の話なんだけど、2月の初めにMSN Japan(http://jp.msn.com/)のトップニュースに、男性の好む女性の髪形についての記事が書いてあった。 その記事の調べによると、「女性はくるくるやふわふわと頑張って髪型を作っているが、実は男性はまっすぐした髪型のほうが好きである」ということが分かったそうです。 独自アンケートでは、1位がポニーテールで2位がツインテール、3位がロングストレートと上位を占めるのはまっすぐな髪型ばかり。 これについて嘘だと思って実際にクラスの男子と女子にそれぞれ聞いてみたんだけど、男子はこの統計のようにまっすぐな髪型(ショートもいたけどやっぱりまっすぐ)が人気で あとで「くるくるとかふわふわはどう?」って聞いても、「いや、みてて邪魔臭いって思うかも。。。;」とまで言われる始末。 因みに女子に聞いてみたら「いいけど手入れ大変だから」と妥当な解答だけどそこまで批判的でないのも事実である。 確かに帰納的であったり独自調査のほうは対象が少なかったりと、信憑性に欠ける面もあるが、一般化できるといってもほぼ間違いないと思えます(勿論例外あるけどね)。  もうひとつの具体例として喧嘩がある。 よく言われる一般的法則として、「男性の喧嘩はさっぱりとしていて、女性の喧嘩はねちねちとしている」と言われている。 この件に関して、@男女間の喧嘩は考えないものとする A二者間限定(三人目登場はなしの方向で) を条件にします。 これについて研究した学者は、、、多分いるんでしょうけど、恐らく多くの人々は友人や家族など(not有識人)か自分で発見した法則だと思います。 それなのに多くの人々がうんうんと頷けるのはまさに”恣意的に生まれたのに何故か法則性がある区分”ということを表しているのではないでしょうか。  さてここで私は「女性は男性よりも強い存在である。」という法則を提示しよう。 皆さんはこの法則についてどう思うであろうか。恐らく、年齢を重ねれば重ねるほど、同意できるという人の割合が増えてくるんじゃないかと思います。  最初に言うべきだったが、まず何をもって”強い存在である”というかというと、肉体的にではなく精神的に強い存在であるのだ。 ニュースとか見てても分かるように、殺人事件とかの凶悪犯罪は男性が割合的に多いという統計結果が全世界的にあります。 本当に分別がつかない場合もあるが、多くは”心が弱いから”禁忌と分かっていながらも犯してしまうのだ。 また、大河ドラマにもなった大奥が昔あったけど、あれも女の争いだからこそ面白い(本人たちは必死だっただろうけど)のである。 例えるならそうですね、「2頭の猛獣同士の争い」と「2匹の虫けら同士の争い」とどっちが面白いかっていうお話です。ゴジラだってミニチュアだったら人気でないでしょw  ところで、大概の生物においてオスは争い、強い遺伝子を持つオスのみが限られた数のメスと結び強い子孫を増やしていきます。 人間の場合どうでしょうか。人それぞれですが、外見や中身に影響されて「誰でもいいから」なんていう人は殆どいないでしょう。 このことから分かるのが、生物界においては大多数がオス<メスの強弱関係(オスは勝ち取る、メスは選び取るの関係)があり、それは人間にも適用できるということです。 つまりは、遺伝子的な観点からいっても男性は常に女性の下にいるから、いつの時代にであろうとも絶対に男性が女性に勝っていることはない、ということだ。  そしてこのことが重大な問題を抱えているのだ。  日本において現在深刻な問題として挙げられているもののひとつに、「少子化」がある。 これには様々なことが起因しているが、その中のひとつとして女性強靭説があると考えている。  明治時代に日本は男性優位の社会を形成した。そして時は流れて、昭和の中ごろからその風潮は崩れて、現在では(一応)男女平等社会になっている。 それに伴い、「女性はおしとやかに生きるものです」という謙虚な教育をしてた時代から、「女性を対等にみなす会社に就職しなさい」という教育をすることもある時代になった。 人というのは案外幼いころに教えられたものに影響されやすいので、このような教えの違いだけで、考えが大きく変わってしまいます。 もっとはっきり言えば、社会的に男性>女性ということを国民に洗脳することで国家を維持していたにもかかわらず、 そんな魔法はすぐに解けてしまって、実は女性は弱くなかったんだ!と気づいてしまったばかりに男性=女性となってしまったのだ。 そしてこれはのちに男性<女性になってしまうだろう、遺伝子には逆らうことはできないのだ。というか今の段階でも男性≦女性になりつつある。  するとどうだろうか、単純な野生のオス<メスとは訳が違って、純粋な意味で女性を畏怖する男性が現れるのではないだろうか。 つまりは、ただでさえ社会に進出してからバリバリ働いて子供がいらないと考える女性が増えているのに、純粋に男性が怯えてしまって結婚の機会を減らしてしまっているという ダブルの悪影響を女性の進出は行っているのではないだろうか。そしてその根源は女性強靭説。  勿論、そういう意味でおいては男性優位という洗脳は実に有効な手段だったのではないかと考えてますけど、男女平等を批判しているというわけではない。 しかし、このまま行くとまた反発的思想が高まってくるのではないか。社会全体としての防衛機制が働いてしまうのではないか。 そして女性はいずれにせよ謙虚に生きざるを得ないのではないかという話なのである。 男性優位という言葉の裏には、男性<女性という関係が隠されている。 そんな中、ただでさえ会社の中で、寿退社などでいつ辞められるか分からない社員として、高い評価を与えづらい位置にいる女性。 その女性が優位になる、優遇される時代がいつか来るのであろうか。。。                           今回は3000文字ぐらいでした。長かったけど読んでくれてありがとね!!                           おまけ この文章、、、かなり締め切りぎりぎりから作りはじめました。 本題のほうは決めてたんだけど文章構成に必要なネタ集めに困って困って・・・w 今回の話はどうでしたかね?ある程度評論の文章構成を考えてたんだけど、分かりにくくなるって思って一部崩しました。 真面目に話すときは堅く、ちょっと緩むときは口調もその分緩めてみたりと実際の文章としては不思議な形になったかもしれません(ぁ 内容はいかがだったでしょうか? 男性優位の時代はきても、女性優位の時代は来ない、来たら社会が崩壊する。 女性は非常に不遇な運命にあるわけなのです。が、だからって男性の方はラッキーとか思わないでください。 そんな女性に優しく手を差し伸べてくださいね?それぐらいが丁度いいのです。 それにしても”性別”について語ってみましたけど。。。難しいですねー; 出来るだけ、どちらか一方の意見に偏らず、中庸に、中庸に、と考え続けなければいけないのが。。。w 最後に、直接的に本文には関係ないんだけど、重要なことをば。 今回の文章には個々の特殊な事例の集合から、一般的な法則を導く帰納法によって説明したものがあります。 これは、「え、それ例外普通にあるけど?」の一言で全ての理論が崩されてしまいますが、そんなの百も承知です。 ”性別による区別”が恣意的に生まれたという歴史がある以上、一般的な法則から個々の特殊な事例を導く、つまりは演繹法は絶対に使えないのです。 だからやむ終えず帰納法を使いました。だって演繹法が使えたらそれは神のみぞ知ることを私ごときが知ってることになりますから。