真の父母と成約時代安着 絶対信仰と絶対愛  1994年10月9日 韓国・中央修練院にて (抜粋のみ言)  怨讐を愛さなければならないということを、今から話そうと思います。私がなぜ歴史を編み、このような衝撃的な宣言と刺激的な話をするのでしょうか? これが神様の事情です。その事情が死んでいません。胸にこびりついた恨みをまだ解けずにいます。青春時代に神様の孝子の道理を守れなかった恨み! 国を持てずに、忠臣の名と、号を持てなかった恨み! 万国を代表して、聖人の道理を果たせなかった恨み! 天と地の勝利の覇権を備えて包括できず、神様を解放して聖子の道理を果たせなかったその恨み! このような恨みが残っています。どこで解きますか? 皆さんの骨髄を取りだして、弁償しても不可能なことです。胸の中にある心情を壊(こわ)して弁償しようとしても、そうでき得る痕跡(こんせき)を見いだせない悲痛な事実も知らない、この悖(はい)逆(ぎゃく)無道(むどう)な者たち!  今からでも、ご父母様が孝行できなかった片鱗(へんりん)の道理でも果たすために、自分の一身が死んだとしても、万民を代表して、やろうという心を備えた者たちが残っていないという事実がどれほどあきれかえることですか? 国がどこにあり、世界がどこにありますか? 理想的家庭がどこにありますか? 国を救えといったのに、何をしましたか? 数10年の間、世界の戦争の場で、すべてを屈服させ、「真の父母と成約時代安着」という名言を持ってきたのに、安着することのできる家がどこにあり、安着することのできる環境がどこにありますか? 皆さんを使って安着できますか? 新たに自覚しなければなりません。  歴史は生きています。歴史に流れてきたご父母様の思想と神様の思想を中心として比較し、自分がどのような存在かということを知るために、良心と一問一答しなければなりません。先生の前に反抗し、先生の言うことに不平不満を言うことのできる自分でしょうか? 頭を上げることのできない気持ちを感じながら、地に鼻がついて、永遠に贖罪(しょくざい)を求めても許しを受けることのできない立場にいることを悟らなければなりません。  皆さんは、妻と息子・娘のことしか考えていないでしょう? 民族がどこにおり、神様がどこにおり、真の父母様がどこにいますか? 祝福を受ける以前はよく働いたにもかかわらず、祝福を受けてからはすべて停止し、後退するではありませんか? 家庭が国家を形成するようになっているのであって、個人が国家を形成するようにはなっていません。家庭が氏族をつくり、民族をつくってこそ、国家が形成されるのです。家庭的十字架を経てこそ、家庭的解放時代が来るということを知っていますか?