─詩─1 <美鶴と青い鳥> ───いつまでも、いつまでも、もしも僕らが鳥だったなら・・・・・ 「それ、なんの歌?」 不意に尋ねられて美鶴は驚いたように顔を上げた。 「なにが?」 「今、美鶴が歌ってたやつだよ。最近良く口ずさんでるじゃん?」 亘はそう言いながら机の上にひじをつき自分の頬に両手をついて、美鶴の前でニッコリ微笑んだ。 昼休みの教室。図書室で借りて来た本を膝の上に広げながら、美鶴は更に驚いた顔をした。 「今、本読んでたんだけど・・・・」 「うん。でも読みながらずっと歌ってたよ?」 「・・・・・」 パチクリと目を見開いた美鶴に亘も首をかしげながら、キョトンとした顔をした。 そしてあれ?何かおかしいこと言ったかな?とちょっと慌てる。 美鶴が膝の上の本をパタンと閉じて尋ねて来た。 「・・・・俺、なんて言ってた?」 「え?・・・えっとね?たしか・・もしも僕が・・・僕らが、鳥だったら・・・とか、なんとか」 美鶴は軽く息をつくと亘の方を見て、静かに言った。 「歌ってたわけじゃない」 「え?そうなの・・・?」 まるで歌っているように綺麗なメロディでその言葉は美鶴の口から零れでていたから、亘は美鶴が てっきり何かの歌を口ずさんでいるのだと思った。 「詩、だよ。・・・・誰だったかな。作者は忘れたけど・・・けっこうこの詩が好きで・・ 最近良く思い出すから・・・きっと無意識のうちに口ずさんでたんだな」 「へえ・・そうなんだ・・・」 返事を返しながらも亘は正直、詩なんて言われてもピンとこなかった。 せいぜい小学校の教科書に載っているものしか、読んだ事も見た事もないからだ。 けれど本好きの美鶴の事だ。そう言った類の本も多く読んでいるのだろうな、と単純に感心した。 「どんな詩?最後まで聞いてみたいな」 机の前のほうに身を乗り出して、亘は言った。美鶴は一瞬、目を瞬いて躊躇ったような顔したがかすかに 息を吸い込むとゆっくりと静かに、それこそ本当に歌うような綺麗な声でその詩を語りはじめた。    いつまでもいつまでも  もしも僕らが鳥だったなら    空の高くを飛んでいよう  雲のあちらをあこがれながら    いつまでもいつまでも  木の枝にいて歌っていよう    たったひとつのうたのしらべを  同じ声でうたっていよう 歌う鳥のさえずりが突然途切れるように、美鶴は口を閉じて黙り込んだ。 亘は拍子抜けしたように目を丸くさせると美鶴に聞く。 「・・・それで終わり?」 「いや、この後は・・・忘れた。元々そんなに長い詩じゃないし」 「・・・ふぅん」 亘はかなりがっかりした顔をした。 美鶴はとても綺麗な声をしているのだ。元々が長々しゃべるタイプではないうえ、人前で歌を披露するなんて ことは音楽の授業以外では在り得ない為、美鶴が歌っているような声を聞ける事なんて滅多にない。 まるでそれは捕まえておく事が出来ない童話の青い鳥の囁きを間近に聞けるというくらい、自分にとってみれば 貴重な事だったのでもっとその声を聞きたかった亘は、ちょっと拗ねたような声で言った。 「じゃあ、思い出したらまた聞かせてよ」 「・・・そうだな。思い出したらな」 そしてその時のそう言った美鶴の少し寂しそうな、複雑そうな表情が亘は何となく不思議でしばらく 忘れられないでいた。 「それ、立原道造の詩だね?」 美鶴は委員会の仕事があったある日。亘は珍しく宮原と二人きりで学校から帰って来ていた。 取り留めないおしゃべりをしている途中。それが途切れた時に何気なくそう言われて顔を上げた。 「だれ?」 「立原道造。今の三谷が言ってた詩を書いた人だよ。あれ?知ってて口ずさんでたんじゃないんだ」 「・・・僕、いま何か言ってたの?」 「え?いつまでもいつまでもって・・・しゃべってる間にずっとその人の詩を口ずさんでたじゃん」 「・・・え、ほんと?」 亘は少しだけ、顔を赤くした。自分では全然気づいていなかったのだ。 いつの間にそんな美鶴の真似みたいなことしてたんだろう。 「宮原、良く知ってるね」 「うん。たまたまだよ。前、国語でお勧め図書とかいう授業やっただろ? 自分の好きな本を友人に薦めるのに推薦文を書くってやつ。その時何がいいかなぁって、図書室で 適当に本を選んだ時にその人の詩集も読んだから」 齢11歳の小学5年生男子がいくら授業の一環とはいえ、詩集を選ぶというのが亘にしてみればすでに自分とは レベルが違う感じでさすが宮原だと思ってしまった。 自分が確かその時の授業で選んだ本はほとんどが、名探偵シリーズとかファンタジーとかだった筈だ。 カッちゃんに至っては童話まで入っていた気がする。 ・・・そういや、そのなかに「青い鳥」もあったなぁ。カッちゃんの推薦文はどう考えても中身をちゃんと 読んだとは言いがたいものだったけど。 「あ・・・もしかして、その推薦文、宮原が渡した相手ってひょっとして美鶴?」 「適当に何人かに渡さなきゃいけなかったからね・・・芦川にも渡したな。そういえば」 「そうだったんだ。ね?この詩って全部知ってる?」 「いや・・・出だしは覚えてたけど、全部はちょっと・・・図書室に行ったらあるよ。 詩集のコーナーは数少ないからすぐ判るよ」 「そうなんだ。ありがと」 亘は次の日の昼休み、早速図書室に行ってその本を探してみた。宮原の言ったとおり、その詩集は すぐに見つかった。亘はそれを手にとると窓際の方の席について、パラパラとめくってみた。 探していた詩はすぐにわかった。 小学生向けに作られているその詩集は、少し大きな活字で丁寧に字が印刷されている大き目の本だった。 美鶴が歌うように語ってくれた詩の続きがそこにあった。    身のまわりですべてが死に  僕らのうたは悲しみになる    そして空はかぎりなく遠い    あのあこがれは夢だった  と        僕らの翼と咽喉は  誣(し)いるだろう    いつまでも  そのあと  いつまでも 目的の詩を読んだ後、亘はさらにその本を最後までパラパラとめくってみる。 美鶴が読んでくれた詩以外は正直興味が無かったし、その詩でさえ最後まで読んでみて亘はなんだ。 これって悲しい詩だったのかな?という感想くらいしかわかず、あの時の美鶴のなんともいえない表情の 理由にはたどり着かない気がしてちょっと気が抜けてしまった。 美鶴が語ってくれた部分はそんな感じは全然しなかったけど、やっぱりこういうのって何か難しくて、堅苦しい 雰囲気で苦手だなと思った。 でも美鶴はこういうのが好きなんだよなという感じでせっかく手に取ったんだしと、最後までページを繰ってみた。 パラ・・・・ 最後の最後で詩を書いた人物の紹介が載っていた。25歳の若さで病死したとかいてある。 「・・・・・・」 パタンと本を閉じると亘はもとあった場所にその本をそっと戻した。 いつもいつも傍にいる。ずっとずっと傍にいる。 二人で幻界を旅して帰ってきて───再び出会ってから。・・・・それが当たり前だと思っている。 普通に11歳の少年として。 普通の小学校5年生として。 普通に普通に毎日を過ごしている。だってそれが当たり前の事だから。 僕ら二人にとっては、今はそれが当たり前の事だから。 図書室から出てきた亘は中庭に出ると、大きな木の傍にしゃがみ込んで、空を見上げた。 ───ピィィィー 何の鳥かわからないけれど、透き通るような青い空を一羽の鳥が囀りながら翔け抜けた。 ・・・・・もしも僕らが鳥だったなら・・ ───もしも美鶴が鳥だったなら・・・ 「・・・やっぱり、青い鳥だよね」 「なにが?」 しゃがんで膝を抱えていた亘は、頭の上から振ってきた声に顔を上げる。 そしてそこにいる人物を認めると、ニッコリと笑った。 「美鶴」 「給食食べ終わった途端、珍しくすぐ図書室に行くなんて走ってくから・・・何か調べものでもあったのか?」 「うん。まあね。でも、もう終わったよ」 「そうなのか?」 「うん」 まだ不思議そうに自分を見つめてくる美鶴に、亘は立ち上がり微笑みかけながらそっとその手を掴むと 小指同士を絡めた。 青い鳥は捕まえられない。 青い鳥に触れる事は叶わない。触れて捕らえてもそれはすぐに───死んでしまう・・・ 青い鳥はいつでも自由に飛んでいる。 例えすぐ傍にいたとしても。共に同じ歌を囀っていたとしても。 全ての感じ方がお互い違うように。自分の全ての哀しみをお互いが共有できないのと同じように。 少しずつ少しずつ・・・それぞれが大人の道を自分ひとりで進まなければならないように。 「・・・だから、出来るだけ傍にいたい・・よね?・・」 いきなり自分の手を掴んできて、俯きながらポツリと亘が呟いたその一言に美鶴は目を瞬いた。 唐突に呟かれたその言葉が何を意味するのかまるでわからなかったけど、絡められた小指に力を込めると 美鶴もそっと囁き返す。 「俺は亘から離れないよ・・」 亘は顔を上げると眩しそうに美鶴を見返しながら、コクンと静かに頷いた。 ───ピィィィー 空を飛んでいた鳥が再び二人の頭上高くで、天に届くような高い音の囀り声を上げていた。