夢日記日記 2024/05/18 晴 1400文字  私は夢日記をつけている。  夢と現実の違いは連続性の有無にある。夢が連続性を持つのなら、両者に差異は存在せず、夢は存在しない実体に、現実は干渉し合う虚像になるだろう。  いつか聞いた「夢を日記に書くと気が狂う」という都市伝説が、私にはいかにも本当らしく聞こえた。何も考えず、何も感じず、狂気という糸に吊り下げられているだけの人形にしか見えない精神異常者たちが、私は羨ましくて仕方がなかった。私は自身の知性を棄却して彼らと同じ狂人になるために、もう何年も、自分が見た夢をまるで現実に起こった出来事であるかのように日記に書き留めている。  「夢少女」と、彼女が自ら名乗ったのか記憶していない。私が勝手にそう呼んでいるだけかも知れない。私が認識しているのは、これが繰り返し見ている明晰夢であるということだけだ。 「おはよう。良い夢は見れたかな?」  夢少女は読んでいた本を閉じて膝の上に載せると、私に向かって微笑みかけた。 「今見ているのがその『良い夢』だよ」  私は傍らにあった何かを夢少女がいる窓際まで引き摺っていき、それに腰を降ろした。  夢少女がまた荒唐無稽で支離滅裂な夢の話を始める。私はいつものようにそれを聞き流し、夢の中で夢の話を聞くということへの二重の空虚さを想う。  「明晰夢」と「明晰夢であると認識しているだけのただの夢」を見分ける方法は何か、と、最近の私は良く考える。そこに私が求める狂気(というよりは「知性のゴミ箱」)があるように思えるからだ。  狂気とは「間違い」である。そして、その間違いに気付かないことである。どうやっても明晰夢とそうでない夢の区別が付けられないのであれば、夢とはまさに狂気の温床に他ならない。  思考の裏で夢少女の話をいくつか聞き終えていた私は、席を立つと彼女の手を取った。白く、冷たく、きめ細やかな肌の手の持ち主は、穏やかに目を閉じて、私にされるがままでいる。 「安心するかい?」 「緊張するよ」  私は彼女の髪に指を通し、その下にある頭皮に触れる。豊かな黒髪に蓄えられた熱で、それは触れる前から温室のように暖かかった。  私は彼女の頭から手を離すと、握りこぶしを振り上げる。  淑女になるために淑女らしい振る舞いをするのが必要なように、狂人になるためには狂人らしい振る舞いをすることが必要である。  だから私は彼女に拳を振り下ろす。  だから私は彼女を殺す。  だから私は彼女を犯す。  そして私は目を閉じる。  目が覚めた時、そこは私の部屋であり、そこに彼女の死体はない。眼前に横たわるのはいつでも私の人生だけだ。  日記に付けた記憶はないが、以前、夢少女が私に「名前を付けて欲しい」と言ったような覚えがある。しかし、私はそれを保留という形で拒絶していた。私は自分の夢に「形ある現実」になって欲しいわけではない。現実の方に「揮発する夢」になって欲しいのだ。受動的に日記を書くのは自身の知性を捨て去るためであり、能動的に虚像に名前を付けるのはそれに反する行いである。 「おはよう。良い夢は見れたかな?」  夢少女は読んでいた私の夢日記をテーブルの上に置くと、私に向かって微笑みかけた。 「今見ているのがその『良い夢』だよ」  「今日の君は消えないんだね」と続けて、私は足元に転がる彼女の死体を抱き上げた。 「君が私に消えて欲しいと願わない限りは、私はどこにも消えたりしないよ」  恋人に消えて欲しいなどと願うことがあるだろうか? 私はまだ狂ってはいない。