らいあびりてぃ〜すおぶ☆ぐりーでぃごっです 2024/06/13 -1-  酩花天莉椿は二週間に一度、異種族保護エリアに目当ての職員がやってくるのをエレベーターホールで待ち伏せては、その夜間警備について回っていた。 「リツ、歩きにくいよ」 「えー、いいじゃん」  リツは並んで歩くユーザの腕に自身の腕を絡ませる。ユーザはそれを口では咎めたが、振り払うでもなく、好きにさせていた。  リツは異能犯罪者更生施設にいた頃に自分を担当していたユーザを自身の親と見なして良く懐いていた。ユーザはリツの言動を制限し、赦し、それ以外には自我を見せない。それはリツの思う親の概念に完全に合致した存在だった。  『大神』の右眼から生み出された『女神』であるリツは、親子の情というものを正しく理解していない。リツにとって、生みの親である大神は異界のヴィランでしかないし、自身が生み出した無数の女神たちについても、自身の子として慈しむような気持ちは微塵も湧き上がってこない。「女神大戦」で機械化女神たちが全滅した時にも、リツは彼女らに対して何らの感情も抱かなかった。  恋慕ではなく、友情でもなく、親に対して子供が抱く愛情としか言いようのない感情が湧き上がってくるのが、自分を担当しただけのただの更生施設の職員だったとしても、リツはそれに何の疑問も抱いていなかった。  一方で、ユーザも、自身が親子愛を正しく理解しているかと問われると答えに窮するだろう。「やるべきこと」ではないので、ユーザは自分が最後に父母と会ったのがいつだったかも覚えていなかった。ユーザも、血縁に由来した親子関係に全く頓着しないという意味ではリツと同じだった。何が正しいかが分からない以上、リツを間違っているとも言えはしなかった。  そのために、ユーザはこの歪な親子観を持つ女神を、あえて拒絶するでもなく、かといって親として受け入れるでもなく、間違った刷り込みを受けた雛鳥に対するように、哀れみを込めて眺めていた。 「ユーザ、最近この辺で異能犯罪が増えてるの知ってる?」  ヒーロー関連事業全般を含む巨大複合企業『酩花天グループ』がその本社を構えるカミトシティでは、他の都市と比べて異能犯罪の発生件数が極端に少ない。しかし、現在、カミトシティでは『超人力』を用いた犯罪の有意な増加が観測されていた。 「あぁ、ニュースで見たよ。人間に超人力を付与して犯罪を起こさせているヴィランがいるんだよね? 『造答女神(プレゼンター)』……だったかな」  増加した異能犯罪で逮捕されたヴィラン達は口を揃えて、「超人力は造答女神と名乗る女神に与えられた」と答えていた。探知された超人力の残滓から、女神の関与は間違いないと思われたが、それは、既にこの世界に定住しているリツたちとは異なる、新たな女神の出現を意味していた。 「そうそう。リオが言ってたけど、その造答女神ってヴィランが全然捕まらないらしいんだよねー。今のところカミトグランドビル内は安全だけど、ユーザも気を付けてね」 「ありがとう。気を付けるよ」  「人間による異能犯罪」は、三十年前にはほぼ存在しなった犯罪の形態である。言い換えるなら、二十数年前、『女神ミーミル』がこの星を訪れ、人類に超人力を付与したことによって新たに発生するようになった犯罪ということだ。  全ての人類が超人力を持っていても、大抵の人間はその生涯に渡って一度も罪を犯すことはない。犯罪者のほとんどは自身の持つ反社会性を制御できないが故に罪を犯すのであって、超人力の存在はその引き金のひとつに過ぎない。そのことを分かっていながらも、ユーザは折に触れて、その引き金を配った者や、外界から訪れて引き金を引く者たちについて思いを巡らせずにはいられない。  「ヴィランの正体は女神である」と聞くと、ユーザは「またか」と思ってしまう。  ユーザは罪を犯さない女神を見たことがなかった。 -2-  酩花天は人使いが荒い企業として有名だが、本社勤めの人間は更に酷使される。夜間警備など、本業と無関係な業務を追加で割り当てられることなど日常茶飯事で、地方の支社や工場よりも遥かに待遇が悪い。左遷先が僻地の閑職ではなく本社内の異種族保護エリアということもざらにあって、本社に召し抱えられることを「本土流し」と呼ぶ社員もいるほどだった。  といっても、異能と気質の関係でユーザは本社勤めに適性があり、仕事は苦ではない。管理者であるリツに気に入られているおかげで、保護エリアの巡回に危険を感じることもなかった。  ユーザは日中を異能犯罪者更生施設、夜間を異種族保護エリアの業務で終え、やっと居住エリアの自室に戻ってきたところだった。苦ではないなりに仕事は多い。  上着を脱いで壁にかけたところで、ユーザの脳裏に造答女神が身を潜めている廃工場の光景がよぎった。ユーザが所持している異能、『乾察眼(ドライアイ)』の作用だ。  二十数年前に女神ミーミルによって自身に付与された超人力を、ユーザは乾察眼と呼んでいる。付与されたその瞬間から、周囲の情報を無制限に収集し続けている常在発動型の異能である乾察眼は、所有者との関連度が高い情報を優先的に、かつ不規則なタイミングで通知する。  次々とユーザの脳内に造答女神の情報が入ってくる。この場におらず、自分が担当するわけでもない、自身と関連度の低い筈の「まだ捕まっていないヴィラン」の情報を乾察眼が収集するのには違和感があるが、暴走する異能の挙動を制御する手立てはない。  そのうち、造答女神は対象以外からの認識を阻害する超人力を有しているため、より高ランクの情報収集系超人力でなければ遠距離から捕捉することはできないということまで分かってきた。この異能のおかげで、造答女神はその種族と名前まで明らかになっていながら、今日までどのヒーローからも行方を眩ませたまま、ヴィランを生み出すヴィランとして活動し続けられていたというわけだ。  リツかリオ辺りを経由してヒーローと情報を共有しようとスマホを取ったユーザは、通話ボタンを押す直前になって、それをベッドに放り投げた。  乾察眼が造答女神を捕捉したのは、ニュースで存在を知り、リツが話題に出したからというだけだろうか。これまで「まだ捕まっていないヴィラン」の情報を捕捉したことのなかった乾察眼が、造答女神だけは所在まで鮮明に捉えたのは単なる偶然か。  乾察眼がその作用でもって、ユーザの思考を強制的に冷静で客観的なものに書き換えようとする。  造答女神に接触して異能を付与されようなどというのは愚かな考えだ。成功する筈もないし、何より反社会的である。  ユーザ自身の情動が、女神に付与された狂気とせめぎあう。  ユーザは上着を着なおし、足早に部屋を出た。財布も持ったが、部屋に鍵はかけなかった。 -3-  造答女神は廃工場の中心で、コンクリートの床から数センチ浮かんだまま目を閉じていた。来訪者の存在に気付くと、そのままゆっくりと、漂うようにユーザの前まで流れてきた。 「初めまして。私に会いに来たのね? 超人力は上手く隠せてるつもりだったのだけど」 「初めまして。……確かに、通常の計測器ではあなたの超人力を検知することはできないだろうね。私が所持している異能はランクが高い情報収集系だから……」 「あぁ……それで……。ところで、あなたは接触型のテレパシー送信に抵抗はない? あなたの欲しいものを聴きたいのだけど」 「……あまり好きとは言えないけど、必要なら応じるよ」  造答女神は掬い上げるようにユーザの両手を取った。異能による認識阻害の効力か、その手からは冷たさも温かさも感じられない。既にテレパシーが始まっているのかもユーザからは認識できなかった。  ユーザが過去に担当したヴィランの中には、知的生命体と直接接触すると無制限にテレパシーの送受信をしてしまうため、他者に触れることを嫌っている者もいたが、造答女神は自分の意志で受信のみを専門に行うことができるようだった。  あるいは、このクラゲのような『権能女神』には、テレパシーで送信されるほどの思考はそもそも存在していないのかもしれない。 「少し話せるかな?」 「どうぞ」 「どうしてこの世界に来て、人間に異能をばらまいているの?」 「『GoddessOverRide』は既に女神の『乗り物』になっていて、大半の人間が女神から超人力を付与されることに抵抗がないから。……女神がその権能を振るうのには理由はいらないわよね?」 「……あなたに異能を与えられた人々は、多くがその異能を使って犯罪に手を染めているようだけど」 「あなたは『チート』の善悪を考える女神を見たことがあるの?」 「……ないね」  権能女神との問答は虫にその行動の意図を訊くようなもので、あまり意味はない。何を話したところで、最終的にはテレパシーで読み取った願望に応じてチートを使用されるだけなのだ。  話している間に必要な情報を読み終わったのか、造答女神はユーザから手を離すと、一メートルほど高度を上げた。 「私の女神核を使ってあなたを女神化しましょう。発現する固有能力に私の『贈答チート』で指向性を持たせて……。女神としての戦闘能力もあなたの願いを叶えるのには必要になると思うから」  乾察眼が再三の警告を発する。しかし、収集された情報の意味を全て自分で決定できるようになったユーザにとって、乾察眼は既に機能を喪失しているに等しい。  造答女神の胸元から浮き出てきた灰色の球体に触れた瞬間、ユーザは意識を失った。 「九十秒経ったわ。調子はどう?」 「良くはないね」  意識を取り戻したユーザは、自身の中に、女神ミーミルに由来しない全く新しい異能が発現するのを感じた。二十年前に世界を覆った翠玉色の光による人類の再構成とは異なるが極めて近い、吐き気を催すような悍ましい感覚だったが、今のユーザにとってはどこか懐かしく、これが終わりに向かうためのものと思えば、安堵すら感じられるものだった。 「あなたが女神化している途中でお客さんが来たわ」 「何?」  造答女神の視線を追うと、そこに立っていたのはリツだった。 「ユーザ……」  リツはつぶやくように声をかける。 「良くここが分かったね」 「超人力の乱れがあったから、それで……」  造答女神の認識阻害は造答女神自身しか保護しない。ユーザが新たな女神と化す過程で発生する超人力の乱れは、同じ女神であるリツには筒抜けになっていた。最高位の女神の飛行能力をもってすれば、カミトシティ内のどこにでも数十秒で到達できる。 「戦闘能力と引き換えと言われて女神化したけど、それでヒーローに捕捉されるなら、ならない方が良かったかもしれないね」 「どちらにしてもあなたは誰かに見つかるわ」 「それもそうか。前言は撤回するよ」 「ユーザ……もう用は済んだよね? 帰ろうよ……」  人間をヴィランに仕立てる女神と、ヒーローでもない人間が共にいる意味を理解できないほどリツは鈍感ではない。リツの声は震えていた。 「ところで、あなたの超人力の名前、『修正チート』なんてどうかしら?」 「良いネーミングだね。でも、これの名前はずっと前から決めてるんだ。……『人生パッチ』」  ユーザが片手を掲げると、造答女神の身体に亀裂が入った。全身が超人力で構成された不定形の軟体生物である女神の身体には通常ありえない現象だ。 「ふぅん? この私が『異種族根絶』の第一歩というわけね?」 「驚かないんだね」 「驚く? どうして? だって私は……」  言い切らない内に、全身を亀裂に覆われた造答女神の身体が砕けて崩れ、廃工場の床にその大量の破片を散らばらせた。 「ありがとう。たくさん話せて嬉しかった。もう会えないのが寂しいよ」  あらゆる生命に「一度きりの人生」を強制する人生パッチの影響下で死亡した女神は、女神核の再生による復活を禁止され、二度と蘇る事は出来ない。そのことを造答女神が理解していたかはもはや確かめるすべもない。  ユーザは屈んで造答女神の破片をひとつ拾おうとして、やめた。  代わりに、ユーザはリツに向けて片手を掲げる。造答女神を死亡させた超人力、人生パッチを再び行使する構えだ。 「ユーザ! なんでだよ!」  リツは反射的に両腕で顔を覆った。目には見えない超人力の奔流がリツを包み込む。しかし、ランク14相当の異能である人生パッチは、最大でランク18にも達するリツの超人力に中和されて効力を発揮しない。 「うーん……やっぱり効かないか……。造答女神も、私も、元の超人力のランクが『シグルトリーヴァ』より低かったからなぁ……。シグルトリーヴァに効かないなら、『才能製造』にも効かなそうだね……」  ユーザの掲げたままの手の中に白い拳銃が現れる。銃身の先にナイフが取り付けられた銃剣型のそれは、個々の女神が持つ専用の武器、女神銃だ。 「少し違和感はあるけど、女神銃も出せるね。自分で使うのは初めてだけど、上手く使えるかな」 「こんなの……こんなのおかしいよ! 理由を教えてよ! 誰に何を吹き込まれたんだよ!」  リツの叫びが廃工場の壁に反響して工場地帯に響き渡る。 「私はこれからあなたの超人力の出力が人生パッチの適用範囲に入るまで攻撃するよ」  ユーザは空中に浮かびあがりながら、女神銃から弾丸をばらまき始めた。リツは弾丸を自身の女神銃で弾き、ユーザを追って飛翔する。  超人力の出力は元より、実戦経験においてもユーザはリツに大きく劣っている。同じように飛行し、女神銃で撃ち合っていても、そこには決定的な差が横たわる。  リツが放った弾丸がユーザに命中する。一発目が当たれば二発目、三発目もすぐに命中した。ユーザは体制を立て直そうとするが、一度傾いた戦局を覆す能力はない。女神核以外の急所を持たない女神も、攻撃を受ければ身体を構成している超人力は目減りする。戦闘において、超人力は女神の全てだ。  ユーザはほとんど墜落同然に着地した。自力で立ってはいるが、それだけだった。  女神化の前に食べた物が再構成後も体内に残っていたのだろう。ユーザは身体を折り曲げて、茶褐色の吐瀉物を地面にぶちまけた。 「…………消耗しすぎかな……私は思ったよりスペックの低い女神みたいだ……」 「もうやめようよユーザ……こんなこと……」 「『こんなこと』? ……まぁ、あなたにとってはそうだろうね……」  ユーザは膝を折って頭を垂れた。超人力が漏出する。  ハルキかリオならユーザを止められるだろうか。自分に何が足りないのだろうか。一体どこで、何を間違えたのだろうか。リツの胸中を、正体もわからない慙悔が駆け巡る。その間にも、許された時間は減っていく。 「シグルトリーヴァは前に私に『ユーザを女神にしてあげようか』って言ったよね。あの時私は『どちらでも良い』って言ったけど、今ならこう答えられるよ。『死んでも嫌だね』」  三度ユーザが片手を掲げると、今度はユーザの身体に亀裂が走った。その意味を理解したリツは咄嗟に声をあげる。 「駄目だ! ユーザ!」 「この世界の名前は『GoddessOverRide』。意味は『狂気を乗り越える』。私にできたかな? リツ……」  粉々に砕けたユーザの破片が足元に山を作り、リツが伸ばした手は空を切った。  それから、女神同士の戦闘による超人力の乱れを察知したリオたちが迎えにやってくるまで、リツはその場で何もできず、かつて自分が「親」と呼ぼうとし、そして最後まで呼べないままだった『人間』の残骸を見下ろしながら、ただ茫然と立ち尽くしていた。  誰もが寝静まった深夜、リツは膝を抱えて、異種族保護エリアのエレベーターホールに座り込んでいた。全ては悪い白昼夢で、待っていればいつものようにユーザは保護エリアの巡回にやってきて、自分の話を聞いてくれる。そんな風に思ったからだ。  人感センサーが働いて、エレベーターホールが明るくなった。リツは反射的に目を細める。  保護エリアの奥から歩いてきた誰かがリツの隣に立つ。しばらくお互いに黙っていると、再び照明が落ち、ホールは闇に呑まれた。避難誘導灯の翠玉色の光だけが無意味な光源になっていた。 「あいつが死ぬのってそんなに悲しいか?」  「ユーザがどんな気持ちでいたかも知らないで」と、思い浮かんだ言葉がリツの口から出ることはなかった。リツ自身、ユーザの心は分からなかった。