枇杷島が道を歩いていて、俺は横について歩いていた。 「……で、なんでついてきてんの?」 「あー、久しぶりだし、話しでもしようかと思って」  動機を口にして、だらしなく笑う。あー、なんか俺殆ど進歩ない気がする。  挨拶した時点で目を丸くして、軽く会釈してすたすた逆方向に歩きだした枇杷島を、つい追い掛けてしまったかたちだった。我ながら奇行。 「あんまり覚えてないけど、私、金子んちの犬殺したよね?」  突然に枇杷島は、いつかの事案を持ちだす。  枇杷島の話しの調子に合わせて顔を見ると、枇杷島は確信がある目で俺の顔を見ていた。結構、覚えててくれているのかもしれない。忘れてはいただろうけど。  そして一瞬で羞恥心に湯立てられて(こんな日本語あったかなあ)目をそらす。 「うん」  弟のトラウマになったことは、黙っておいた。 「それに、大変だったんじゃない、色々」  色々、と口の中で反芻する。確かに色々あった気がする。けど、なんだろう、他にも色々はあったし、単純に懐かしい顔として声を掛けることを不審がることないんじゃないかな。 「そうでもねーよ。そりゃ色々あったけど、あー、他にも色々あったから、相対的に」  枇杷島のすたすた歩きが、少し緩む。細い日差しに今更目を細めるようにした後、更に歩みが遅くなった。合わせる方の足が遅くなりすぎて、若干縺れそう。  とうとう、公園内(を通ってた)のベンチの前で枇杷島は足を止めた。 「はーあっ」  でっかいため息をついて、 「なんでそんなに、変わらないかなぁ」  と。俺は思い切り呆れられた。 「自覚は、してる」  意識的に口癖だけでも抑え込み、頭を掻く。  枇杷島がベンチに座る。俺も隣に、ちょっと間を空けて座る。 「あんたと居ても昔話くらいしかすることないんですけど」  思い出したくないことを話したくなるんですけど。  付け加えた言葉の方が無駄に自信満々な声でつくられていて、懐かしさに吹き出しそうになる。けど吹きだしたら間違いなく続きを聞くことが出来なくなるので飲み込んだ。懐かしくて吹いたと正直に言っても、内容を笑ったと思われるだろうし。 「今だから言うけど、私金子が私のこと好きなの気づいてたよ」 「ぶっ」  別の意味で吹いた。漫画のように見事に吹いた。今になって言及されるとは夢にも思わなんだ。いやほんとほんと。枝瀬じゃないんだから(あーあいつ元気かな。前見かけた気もするけど)。 「汚い」 「ごめん」  牛乳とか口に含んでなくてよかった。そして正面を見ていてよかった。 「気づかれてるって気づいてなかった?」  枇杷島を見ると、寧ろそっちを期待するような、昔のあどけなさを故意に宿したような瞳で見上げられる。記憶との混濁で目が白黒してしまったけど、ちゃんと答える。 「いや、あー、気づいてたけどなんつーかさー」  枇杷島はこちらを向いたままいたずらが上手くいった子供のような顔に年上のお姉さんを二人分くらい足して五で割ったくらいの淡い表情をして、すぐに前を向く。 「私のこと嫌いになるかと思ってたのに」  心なしか早口で、あ……っ。  枇杷島がベンチから立ち上がりそのまま歩きだす。  今度こそ、枇杷島のすたすた歩きに置いてかれるようだった。今、確実に『隙をつかれた』。だから、俺は立ち上がることが出来なくなっていた。 「今日はおしまい!」  振り向かない枇杷島はそれだけ叫ぶ。  俺の耳は、さっきの言葉を反芻していた。 『私のこと嫌いになるかと思ってたのに』  それは、もしかしたら俺んちの犬が選ばれた理由だったのかもしれなかった。  それは、もしかしたら、枇杷島の心が、多少、他より頭半分くらい、割かれていた、ということなのかもしれなかった。 「なあ」  声に出た頃には枇杷島の姿はとうに見えなくなっていた。  また、どこかで行き会えば、続きを話すことが出来るだろうか。  この街で君と過ごせたら--Vielleicht Ich mag dich--