『Disappearing friend.』  黒く、オイルのようにてらてらと光るアスファルト。 その上には、何者かが吐き捨てたのであろうガムがこびり付いてアスファルトの色に同化している。 また、傍には黒ゴマプリンのような色をした電信柱が立っており、 その下には木の実の種やら、消化しきれなかった虫の断片が含まれた鳥の糞が散らばり、アスファルトを汚している。 これが何の変哲もないアスファルトなのだろう。 両脇には一軒家が建っている。 右側の家は、白い壁に赤い屋根の二階建てで庭がなく、玄関が道の方を向いている。 中から女性の怒鳴り声と子供の泣き声が聞こえてくる。 幼い子が何かヘマをやらかしてこっ酷く叱られているのだろう。 その向かいには、同じように道の方へ玄関を向けた家がある。 壁は茶色。糸状の埃か、それとも蜘蛛の巣か、とにかくそんな感じの細い物が至る所にこびりついている。 その細い糸は傍にある自転車にもこびり付いている。 最も、その自転車、ハンドルのゴムは剥げかかっているし、露出した金属部分は赤茶色に錆びているし、 サドルからは中のスポンジが飛び出しているし、タイヤもパンクしているようだ。 この家には誰も住んでいないのだろうか。 そんな物はどうでもいいか。 俺は建築家ではないし、何せ友人を待たせているのだ。 早くその友人の家に行くことにしよう。 これ以上待たせると何されるかわからない。  参った。どうしよう。久しく行っていなかったから道を忘れてしまった。 周りには、昔に見覚えのある光景。 二股に分かれた道。汚れたアスファルトには同じように二股に分かれた矢印が白で描かれている。 まず、左側の道にはブロック塀に寄り添うように赤い自動販売機が一つあり、その先には砂利の駐車場の様な物と、 古ぼけた墓石が立ち並ぶ墓地がある。 そして、右側の道は急な下り坂になっており道もアスファルトではなく白いコンクリートの様な物で舗装されている。 下り坂の先にも道がある。 さて、俺の友人の家はどちらから行くのであったか。 別にどちらからでも行けた気がするのだが、片方の道は非常にややこしく時間がかかってしまったはず。 かといってここで悩み続けるのも時間の無駄だ。 俺がそこで思案に暮れていると、どこからともなく茶色と白の斑猫が現れ、二股の丁度中間に座ると、 そこで大きく欠伸を一発し、左の道へ駆けていった。 この猫は俺に喧嘩でも売っているのだろうか。それとも道案内でも買って出てくれたのか。 仕方なく、神頼みならぬ猫頼みという訳で、その猫について行く事にする。  着いた。あの猫のおかげだ。 二階建て。薄めの水色の壁に紺色の屋根。表札には『加狩 理恵(カガリ リエ)加狩 紗恵(カガリ サエ)』の文字。 庭は無く、三段ほどのコンクリート打ちっぱなしの階段の上に白いドアがある。 あそこが入口。その白いドアの前にはさっきの斑猫が座っている。 そんな彼に感謝しつつ、階段を上がり呼び鈴を押す。 そして、暫しの静寂。 しかし、そばにいる斑猫が気になって仕方ない。 動物はそれ程好きではないが、この猫には気が行ってしまう。 「…、お前、どうしてそこにいるんだ?」 そう声をかけても、彼は動じることはない。 ただ、何故かこちらを見たまま座るような姿勢を維持している。 一体何をしてほしいのだろう。 「俺は餌なんか持ってないぞ。それにお前にしてやれる事なんかない。」 猫に人間の言葉は通じない。そんな事は分かり切っているのだがついつい言葉を浴びせてしまう。 俺は猫が好きなのだろうか。  暫くすると、白い扉のノブが下がった。 その音に反応し、咄嗟にドアの方を向く。 すると、中から一人の女が出てきた。 身長は高め(と言っても俺と同じ位。180cm位か)、痩せている。腕なんか骨と皮だけかと思わせるほど細い。 だのに、首から上は決して悪くない。 ウエストの辺りまで伸びたしなやかな長髪が、晴天から降り注ぐ日光を浴びて黒く光る。 顔立ちも少し幼さが残っていて、その人懐こそうな微笑みは美しいともとれるし可愛いともとれる。 服装は白のブラウスに濃い緑色のスカート。こんな恰好だとまるでどこかの道場の女師範にも見えなくないが、彼女はこれが好きらしい。 まあいいか。 ただ、それ以上の欠点が一つ。 「おっそーい!この栗津 翔也(クリツ ショウヤ)が!理恵ちゃんビームでやっつけちゃうぞ!」 この精神年齢の低さ。 因みに彼女の年齢は22。 だが、こんな事をほざく22歳なんか秋葉原のそれっぽい店にでも行かなければ会えないだろう。 この精神年齢の低さは本物。俺とこいつは小1の頃からの付き合いだが、あの頃から性格はちっとも変っていない。 脳味噌が幼稚園の頃から腐っているのか、そういうキャラで通して行こうとしているのか。 馬鹿馬鹿しくて仕方ない。 「それよりもさ…」 俺が話そうとした時だった。 「あっ!レモンちゃん!」 彼女は屈むと俺の傍にいた斑猫を抱き上げようとした。 だが、レモンと名付けられたその猫はそれをかわすと彼女の家の中へ入って行ってしまった。 「何だよ。あいつ、お前のペットだったのか。」 俺がそう声をかけると、彼女はこちらを向いて、 「そうだよ。3日前に飼い始めたの。放浪癖があってすぐ居なくなっちゃうんだけどね。」 「それはしつけがなってないんじゃないか?」 「猫ちゃんのしつけ方なんてわからないよ。」 人差し指で頬を指し、少し困惑したような表情を見せる理恵。 だが、その様子が何となく腹立たしい。 22年生きてきた人間がする動作ではないことは確かだ。 「…前にも猫を飼っていたよな。あいつはどうした?」 そんな素振りに何か苛つく物を感じながらそう訊く。 すると、何故か彼女の顔が引き攣った。 「ん…。どうした?」 俺がもう一度訪ねると、急に作り笑顔に変わり、返事をしてきた。 「どこかに行っちゃったみたい。最近見てないから。」 「ああ、そう…。」 「それよりも家に入った入った。美味しいクッキー作ってあげるから。」 「ああ…。」 理恵は何か隠している。俺は歯に何か挟まったような気分のまま彼女の家に上がった。  玄関で靴を脱ぎ、そのまま二階へ上がる。 彼女は何故か一回のリビングで遊ぼうとしない。 友人を連れてくると、例えその数が多かろうが二階の自室へ案内する。 だが、その目的は明確。 「なぁ、俺にはもうあれは効かないぞ?」 「大丈夫よ。新製品を仕入れたから。」  二階。 この階には三つの部屋があり、一つはパソコンが置いてあるだけの部屋。もう一つは物置。 そして、最後の一つが彼女の部屋。 この部屋。俺達の間では、『悪魔の部屋』という何とも禍々しい呼び名で呼ばれており、誰も自ら進んで入ろうとしない。 別に、扉を開けたらなんか降ってくるとかそういう子供染みたトラップが仕掛けられているわけではないのだが。 「さて、入った入った。」 彼女がそう言い、扉を開ける。 すると、俺の目に早速衝撃的な物が飛び込んできた。 一枚のゾンビの写真。 腐り、カビが生え緑色に変色した肌。顔面の左半分は完全に崩壊している。 それに、頭からは血に塗れた脳味噌を垂れ流している。 真黒な背景が、そのおどろおどろしいゾンビの顔面を一層際立たせている。 思わず部屋に踏み込む事を躊躇する。 すると、彼女は俺の視線の先にある物を見て、その後こちらを向いた。 「あれね、今度やるゾンビ映画のポスター。『dead hospital』だって。面白そうじゃない?」 この女、脳内が幼稚園児ほどで止まっている筈なのにホラー映画やスプラッター映画が好きらしく、こう言う物を集めては友達に見せ、 驚かすのが趣味らしい。 驚かされる方からすれば心臓に悪い事この上ない。 部屋に入っていきなりゾンビ映画のポスター。この先制攻撃のおかげで世にもグロテスクなあのゾンビの顔がしっかりと脳裏に焼き付いてしまった。 だが、そんな事よりも気になったことが。 「…。何であんなものを額縁に入れて飾っているんだ?」 そう、この理恵という女はゾンビ映画のポスターを額縁に入れて飾るという実に意味不明な事をしているのだ。 「だって、今一番のお気に入りなんだもの。」 「こんなグロっちいゾンビのどこがいいんだよ。」 「だって、怖そうじゃない。」 軽い口論をしながら部屋に入る。 と、また新たな物が目に入ってしまった。 ベッドと、電源のついていない小さいテレビ。その上になぜか頭蓋骨が置かれている。 その横の背が低い本棚の上にはなぜか青い着物を着た日本人形が立っている。 そして、その青い日本人形の視線の先には…。また違う日本人形。 この日本人形、身長は大体170センチよりちょっと上か。本物の人間程の大きさである。 しかも、顔が不気味な、まるで人を切り裂いている猟奇殺人鬼のような微笑みを浮かべている。 赤い着物を着ていて可愛いと言えば可愛いが、顔が兎にも角にも怖いし不気味なので近づきたくない。 しかし、何でこんな趣味の悪いものばかり集めているのだろう。 そんな疑問を理恵にぶつけてみる。 しかし、彼女は人懐っこそうな笑顔のまま。 すると、突然どこからか声が聞こえてきた。 「殺してやる…。呪ってやる…。」 低く、恨みの籠った女の呻き。 その声に全身を震わせる俺。 俺の立ち位置は部屋の入口。声の主は俺の視界の中にいるはずなのだが、 その視界の中には、ベッドがあり、その向こうに不気味な微笑みを浮かべた赤い着物の人形があるだけ。 まさか、この人形が喋っているのか? 「なぁ、さっきの声もお前の小細工だろ…?」 俺がそう訊いても、理恵は微笑むだけ。 だが、その代りに、またあの不気味な声が聞こえてきた。 「取り憑いて…、魂を…、喰らってやる…。」 こんな妖怪のような言葉でも、俺を怯ませるには十分だった。 誰かが、この部屋にいるのだろうか…。 「なぁ、一体…」 俺がまた声を出そうとすると、彼女は突然噴き出して笑い転げ始めた。 その様子に恥ずかしさと腹立たしさが込み上げてくる。 そして、彼女が口を開いた。 「あっはっは。翔ちゃん。気付かなかったの?」 その言葉に、腹立たしさの濃度が増す。 「どういう事だ?やっぱりお前の小細工だったのか?」 そう言うと、彼女は手の中から小さなリモコンのような物を取り出した。 赤いボタンが一つ付いている。 それを彼女が押す。 すると、あの不気味な声が聞こえてきた。 「ねぇ。あの青い人形、見える?」 彼女が指したのは、先ほど一瞬見ただけの人形。 「あれがどうしたんだよ。」 俺がそう毒づくと、彼女はまた微笑んだ。 「あの子ね、リモコンに反応して喋るの。こんな言葉をね。」 また彼女がボタンを押す。 すると、あの青い人形の方から不気味な声と呪わしい言葉が聞こえてきた。 「これもお前のコレクションの一環か。この喋る人形も、その人形の視線の先の大きい日本人形も。 それに、あのテレビの上の頭蓋骨もそうだな。」 「まぁ、そう言う事。」 彼女は微笑んでいる。ちっとも反省の素振りを見せない。 少し痛い目に遭わせてやりたくなるが、ここはぐっと堪える。 「それよりも、立ちっぱなしで疲れないの?部屋に入って座りなよ。」 「…はいはい。」 こうして、俺は悪魔の部屋に入り込んだ。  部屋に入るなり、彼女に言葉を浴びせられた。 「私が『いいよ』って言うまで目を瞑ってて。」 「…ん?どういう事だ?」 「いいから、目を閉じて!」 目を閉じる事を強要され、仕方なく両目を閉じる。 だが、部屋の様子は知っておきたいので両耳に神経を集中させる。 彼女は一体何をやらかすつもりなのだろうか。 何か、布が擦れるような音。それが定期的に鳴っている。 しかも、それがどんどんこちらに近づいてくる。一体何をしているのだろう。 と、気にしていると突然、理恵の声がした。 「いいよ!」 そこで俺は眼を開ける。 すると、目の前にあの不気味な微笑みを浮かべた日本人形が立っていた。 「うわあ!」 俺は短い悲鳴をあげ、後ろに倒れた。 思わず尻もちをつく。 すると、この人形の中から笑い声が聞こえてきた。 「こんなのに騙されるんだ。翔ちゃん。」 その声と共に、どこからかファスナーを下げるような音も聞こえてくる。 そして、この赤い着物の人形の中から理恵が現れた。 「この人形ね、着ぐるみになってるの。ちょっと歩き難いんだけど、人を驚かすには持って来いだから。」 微笑む理恵を見上げる俺。沸々と怒りが込み上げてくる。 「なぁ、いい加減にしないと絞め殺すぞ。」 そんな言葉が口を吐いて出る。だが、彼女はあまり気にしない。 ニヤニヤを止めようともしない。一体何を考えてるのだ。 「もっと奥に入って。今からクッキー持ってくるから、そこで座って待ってて。」 そう言われ、仕方なく部屋に入り、腰を落とすが何となく落ち着けない。 「なぁ…。」 そう言いながら振り向いたが、もうそこに理恵の姿はなかった。  今、俺は実に不気味な部屋に独りぼっちである。 壁には無気味過ぎる上に気色悪いゾンビのポスター。 テレビの上にはプラスチック製でありながら相当精巧に作られている頭蓋骨。 そして、リモコンで喋る青い日本人形。それに、今、俺の傍で崩れている大きな日本人形。 崩れているとはいえ顔面がこちらを向いている。不気味過ぎて仕方ない。 全く、理恵は何故戻ってこないのだ。 クッキーを持ってくると言ったままもう3分は経過している。まさか一から作っているのか? だとするとまだまだ時間はかかるだろう。その間、この無気味過ぎる空間に居続けなければならないのだろう。 ゾンビの視線を浴び、青い日本人形と頭蓋骨に背後を狙われている。そんな気がする。 このままこの部屋に居続けたらこいつ等に喰われてしまうのではないだろうか。 と、ここで俺の中に面白いアイディアが浮かんだ。 今、俺の傍にある日本人形の着ぐるみを着てしまおう。そういうわけである。 「さて…、理恵はどうなるかな…。」 俺は、その日本人形の不気味な微笑みに劣らない笑顔を浮かべた。 実際着てみると、これが不思議と気持ちいい。 中は暖かく、綿が詰められているせいか、肌触りがなんともいえない。 視界は大分狭いが決して周りが見えない訳ではない。 しかし、実に不思議な気分だ。 俺のいる場所は、あの不気味な日本人形の体内。 着ぐるみとはいえ、実際に喰われたような気分である。 もし、本物の呪いの人形に喰われたのならば、こんな感じなのだろうか。 永い時間を、この中で苦しみながら過ごす羽目になるのであろうか。 次の獲物が来るまで解放されずに…。 いや、そんな空想はしたくない。 そんな恐ろしい事を考えたくない。  俺が人形に入ってからどれだけの時間がたったのであろう。 着ぐるみの中は蒸し暑く、息も苦しくなってきた。 汗が全身を湿らせていく。 一体、理恵は何をやっているのだろうか。 一から作っているにしても遅すぎる。  と、イライラしていると誰かが階段を駆け上がってくる音が聞こえてきた。 俺はそこで扉の方を向く。 こうしていれば、彼女の驚く顔が見られる。 一体どんな物だろう。 だが、俺の予想していたような物とは全く違う表情の理恵がいた。 首を少し傾け、キョトンとした様子で俺を見ている。 そして、呆れた様子で口を動かした。 「翔ちゃん。何してるの?」 この一言で俺の悪戯心は打ち崩れた。 何のためにこんな苦しい思いをしたのだろう。 蒸し暑い人形の体内で、ゼェゼェハァハァと呼吸しながら過ごした時間はなんだったのだろう。 仕方なく、この人形の着ぐるみを脱ぐことにする。 「…、理恵。空気読め。」 俺がそう言っても彼女はキョトンとした様子で、 「…。翔ちゃん。その程度じゃ私は驚かないよ。」 「…そうですか。そうですねそうですね。俺がしょぼかっただけですよね。そうですよねそうですよね。」 半ばいじけ気味にそう言うと、彼女は床にクッキーの入った皿を置いた。 「そんな事よりこれを食べましょう。私、クッキー大好きなんだから。」 「そうしますか。そうしましょうね。」 そう言い、クッキーを一つ手に取ると齧りついた。 絶妙な甘さが、何とも言えない。 だが、その味は明らかに市販のクッキーのものだった。 それに、温かくない。一から作ったのなら少しは熱が残っていて当然である。 ならば何に時間を使っていたのだろうか。 「理恵…。お前、何してたんだ?」 俺がそう聞くと、彼女はこう答えた。 「ちょっと…、クッキーをどこにしまったか忘れちゃって、探し回ってただけよ。」 彼女は微笑んでそう言ったのだが、何故かその微笑みが少し歪んでいる気がした。 もしかして俺に言えないような事をやっていたのだろうか。 だとしたら、何だろう。  クッキーを食べ終えたところでこんな事を訊いてみた。 「なぁ、お前って姉妹いなかったっけ?」 「ああ、紗恵お姉ちゃんね。」 紗恵。理恵の双子の姉の名前だ。 彼女と瓜二つだが、性格は大人っぽく、それでいてとても優しい。 相手を包み込むような優しさの持ち主であった。 しかし、2か月ほど前から姿を見なくなってしまったので、気になって訊ねてみたのであった。 「そうそう。お前の姉貴はどうしたんだ?家に居ないみたいだけど。」 「アメリカで暮らしてるわ。英語を学びたいんだって。」 こう言った時、少し理恵の表情が変わった気がしたのだが、俺は気にせず話を続けた。 「へぇ。アメリカねぇ…。俺も行きたいわ。」 「そんな事より、どうしてお姉ちゃんの事を?」 「いや、なんか最近姿を見ないなって思ってね。昔は結構良くさせてもらっていたんだけどな。」 「お姉ちゃん。優しい人だからね。私も大好きだったし。」 と、ここで俺は茶化すような事を口走ってみる。 「お前、レズな上に血縁恋愛か?その思考は宜しくないぞ?」 「ちょっと。そんな感情抱いたことないよ!翔ちゃんのバーカ!」 彼女はそんな風に返してきた。 だが、何故かその時の態度が気にかかった。 冗談で言ったつもりなのに、真面目な顔でそう返事をしてきたのだ。 まさか、そんな事は。こいつは自分の姉を愛しているのか? そして、それを感付かれたと思って、本気で否定を…? 血縁関係の上に同性。そんなドラマみたいな事が…。 いや、理恵には彼氏がいたはずだ。そう思い過去を思い出す。 その彼、名前を左右田 智介(ソウダ トモスケ)といい、俺の高校時代の友達で、身長は低く、痩せていたものの、精悍な顔立ちをしていた。 そんな彼、無口で大人びた人間だったが、何故か俺とはウマが合った。 たとえば、趣味とか、好きな音楽とか。そんな話題で話しているうちに親しくなっていた。 この頃、理恵(当時18歳)は彼氏不在(彼女の精神年齢の低さが原因だったのだが)を悩んでいた。 周りの女友達は皆、彼氏持ちであったのに、彼女だけ独り身であった。 そうしていると、やはり引け目を感じてくるのだろう。突然俺に泣きついてきて、「彼氏になって!」とか言ってきたり、 「いい人教えて!」とか喚いてきたり。 そこで、左右田の事を教えてみたのだった。 すると彼女は、「変な苗字。ソウダ…?ソウダ君?」とか言っていたが、次の日には良い仲になっていた。 こんな幼稚園児みたいな精神年齢の女の何処が智介のツボだったのか。それがその次の日からの話題であった。 それから、もう4年近い交際となるのだろう。  高校卒業と同時に、俺と智介の縁は切れた。 というのも、彼は理恵にのめり込んでおり、他の人間が見えなくなっていたのだ。 まるで、2Dアニメに魅せられた人間のように。 そこで、俺は智介を見限った。 たったそれだけの事である。 ところが、この左右田 智介という人間。前まではたまに道ですれ違ったり、行きつけのコンビニで顔を合わせていたりしたのだが、 ここ数ヶ月、姿を見せなくなった。 まるで霧のように消え失せ、その名前だけが残ったように。  「理恵?そう言えばお前彼氏いたよな。智介っていう。」 一通り思い出した俺は、その名前を彼女にぶつけてみた。 すると、また彼女の顔が少し歪んだ気がした。 智介の事について何かあるのだろうか。そう思った一瞬の内に、理恵の顔に微笑みが戻った。 「左右田君?左右田君ね、つい最近病気で入院しちゃった。しかも感染力の強い病気らしくてお見舞いに行けないの。どうしよう…。」 「ああ、あいつも大変だな…。」 彼女の言葉を適当に流した俺。 だが、俺の脳味噌の中では、理恵に対する猜疑が渦巻いていた。 まるで、とぐろを巻く大蛇のように。 と、その時だった。 「わあ!」 俺の目に、またおぞましい物が目に入った。 頭蓋骨が置いてあるテレビが、一瞬発光したかと思うと、次に真っ赤な頭蓋骨が大きく口を開いてこちらを睨みつけたのだ。 そして、その次の瞬間にはテレビは再び無灯の状態に戻った。 今のは、一体…。 震えながらテレビを睨みつける。 すると、再びテレビが発光し、また赤い頭蓋骨が現れ、一瞬間後には消えていた。 それに俺は怯む。 すると、理恵の爆笑が聞こえた。 「こんなのに騙されるの?あのテレビも玩具よ。」 そう言うと、さらに大きな笑い声をあげた。 段々と恥ずかしくなっていく。 「これもリモコン式でね。この赤いボタンを押すと、あのテレビに血染めの頭蓋骨が一瞬映る仕組みになってるの。」 そう言うと、彼女は手元からリモコンを取り出し、テレビに向け、赤いボタンを押した。 すると、あの赤い頭蓋骨が現れ、一瞬で消えた。 「…。理恵。本当に絞め殺すぞ。」 猜疑が薄れた代わりに、怒りに近い感情が芽生えた。 それでも、彼女に対するモヤモヤした感情は、まだ残っている。 行方不明になった飼い猫の話をした時の表情、姉妹恋愛の疑惑を口に出した時に見せた態度、 そして、彼氏の話になった時の表情。 これらは、一体何を意味しているのだろう。  理恵と他愛もない話をしていると突然、腹の虫が暴れだしたらしく、急な腹痛に見舞われた。 とりあえず、彼女にトイレを借りる。 「済まない。腹壊しちまったみたいだ。トイレはどこだ?」 そう言うと、彼女は親切そうに、「一階よ。」と教えてくれた。 「悪いな。」 そう言って、俺は『悪魔の部屋』を出て、階段を駆け降りた。  不浄を終え、トイレから出る。 と、その時、奇妙な臭いが鼻をかすめた。 それは、何か湿っぽいような臭いと、悪くなった肉のような、生ごみのような臭いであった。 何か腐っているんじゃないだろうか。 そんな考えから、鼻を敏感にさせていたが、ある一点から強烈な臭いがしてくることに気がついた。 廊下に、座布団程の大きさの扉のような物がある。 恐らく地下倉庫なのだろう。中に何か蓄えてあるのだろう。 だが、この異常な腐乱臭はここからしている。 倉庫の中の物が腐っているのか。いや、いくら幼稚な理恵でも腐りやすい物を倉庫にぶち込むようなことはしない。 だとすると、この臭いは何だろう。 ここから立ち込めているのは間違いのない事。ならば直接原因を見に行ってみるのが一番だ。 「よし…。」 俺はその地下へ続く扉を開けた。  扉の先には、底知れぬ闇が広がっており、階段が下に延びていた。 俺はその一段目に足をかけ、ゆっくりと降りて行った。 暗く、湿っぽい空気に、あの異常臭が混ざり、息をするのも苦痛になるような空間を貫通しているぼろい階段を下ると、 そこには少し広めの空間が広がっていた。 だが、暗すぎて何が何だか分からない。 目がこの暗さに慣れてすら居ないのだ。 「電気のスイッチはあるかな…。」 手探りで壁を伝う。すると、壁に何か不思議な出っ張りがある事に気がついた。 これが電気のスイッチなのだろう。そう思いその出っ張りを叩いてみた。 すると、電気が点いた。 それと同時に、ある物が目に入った。 その、ある物に俺の体は完全に凍り付き、悲鳴を上げる口の細胞すらも停止し、目は見開かれたままとなった。 湿った空気、カビの生えた床に2体の人間の死体と、一つの猫の死体が横たわっていた。 片方の、仰向けの死体は、長髪の女の物と思われるのだが、ブラウスもスカートも肌も何もかもカビや細菌による侵蝕を受け、顔は判別できぬほどに腐っていた。 その顔中に生えた緑色のカビ。その間に、目があったのだと思われる穴が開いており、頬は崩れ落ちている。 そして、腕の部分に何故か何者かがカビをふき取ったような赤黒い跡が残っていた。 もう一つの死体は、先程の女の死体と同じように緑色のカビによって、顔面も胴体も崩され、 骨が露出していたり、黒くなった肉が顔をのぞかせていたり、蛆に喰われている部分さえあった。 その蛆が、露出した傷の中をうようよと這いまわり、腐った死体の肉を喰らい、腐った血に塗れていた。 穴だらけのトレーナーと長ズボンを着用している事は判るのだが、それ以外は何も、男か女かもわからないし、 こんな気持ちの悪い物を見ていたくないという気持ちが先行して目を背けてしまった。 そして、適当に背けたその先にあった猫の死骸。これも見るも無残な物であった。 脚や尻尾、腹は完全に蛆に喰い尽くされて、骨を見せていた。 全身に毛の代わりにカビを纏っている胴体。腐り、肉が溶けて骨が見られる顔。目玉は床に転がり、黒いカビが生えに生えていた。 あまりにもおぞまし過ぎる3つの死体。一体、これらは…。 意識がはっきりした所で、この死骸を直視しないように、しかし分析するように見ることにした。 その前に警察に通報したかったのだが、生憎にも携帯の電池が切れていた。 こういう時に限って…。 まず、女の死体。頬は崩れ、顔はカビが生えまくっているのだが、この二体の死体ではどちらかというとこちらの方が判別しやすそうだった。 身長は理恵と変わらないだろう。ウエストやらは蛆に荒らされて分からないのだが。 それに、この長髪。どこかでこんな長髪の女を見たことある。 待てよ…、もしかして…。 何か、白い閃光のような物が俺の頭を貫いた。 その閃きに間違いがないのであれば…。 と、俺はその女の死体に近づいて行った。 腐った死体の臭いというのは実に強烈で、近づいた時に思わず噎せ返ってしまい、嘔吐しそうになったが、 それにも負けずにその死体に接する。 まずは、この死体の服。 いや、服自体に何かあるわけではない。その服のポケットが気になった。 中に、何か入っているのではないか。そう思ったのだ。 そして、そろりそろりとポケットに手を突っ込んだ。 だが、何もない。 それでも俺は諦めず、今度はその死体の着ている服を念入りに調べてみた。 すると、スカートについていたタグの処に名前が書いてあった。 『サエ』。それがこの死体の名前。 そうなると、思い当たる人間が一人。 『加狩 紗恵』。理恵の姉の名前だ。 彼女は2か月ほど前から姿を消していた。理恵は留学とか言っていたが、それは嘘だった可能性が強い。 紗恵は少なくとも英語を話せるような人間でなかった。 多少は話せるのだろうが、留学できるレベルの物ではなかった。 それに、あの話の時に少し表情が変化した気がしたのだが、それは咄嗟に嘘を吐いたためだろう。 あとは、猫と智介の事について尋ねた時のあの引き攣った顔。普通の人間が居なくなった猫や彼氏の事について訊かれただけであんな顔をするだろうか。 振られていたとかであれば、しょ気た顔になるだろうし、彼女は「病気で入院した。」と言い放った。つまり、まだ関係は続いていると思わせたかったのだろう。 そう言えば、智介も最近行方不明。それに、あの『紗恵留学』が嘘だったとすると…、この横の腐った死体は智介という事になるのではないか? その直感を信じて、もう一つの崩れに崩れた死体も調べてみる。 すると、この死体のズボンのポケットから携帯のストラップのような物が見つかった。 恐らく、ここにこの死体を置いた人間が取り除き忘れたものだろう。 だが、これには何とプリクラが貼ってあった。 色は褪せていたが判別できないほどでもなく、写っていた人間は間違いなく智介と理恵であった。 二人は両手をピースにして微笑んでいた。この頃の智介はまさかこんな湿っぽい部屋で死に、こんな風に朽ち果てるとは思っていなかっただろう。 では、誰がこの死体をこんな所へ。それは言うまでもない。 理恵だ。理恵に決まっている。 恐らくここは理恵しか存在を知らないはずだ。 でなければ、こんな所に死体を隠したりしないだろう。 と、その時だった。  バタン。突然そんな音が背後から聞こえた。 扉が閉められた。そう直感して後ろを向いた。 すると、そこには、この家に住み着く悪魔が立っていた。 「お腹壊したっていう割には遅すぎるから、様子が気になってきたら、ここへの扉が開いていて。こんな所に来てたんだ。翔ちゃん。」 異常な臭気と、自分の犯罪の決定的証拠を人に見られたにも関わらず、彼女はニヤニヤとしていた。 あの、彼女の部屋にあった不気味な人形のように。 「これ…。どういう事だよ。一体…。」 俺がそう訊くと、彼女が口を開いた。 「まずはそのトレーナーの死体。これは智介君。」 そう言うと、何か思い出し笑いのような仕草を見せた。 「彼はね、殺しちゃったの。一ヶ月前に、貴方みたいにここを見つけちゃったから。 私は慌てて首を絞めて殺した。それで、ここにこうして隠した。 「て言う事は、もうここに、紗恵の死体を…?」 「そう。お姉ちゃんを隠したのは2ヶ月前。でも、その前にあの子を入れていたわ。」 そう言うと、理恵は腐った猫の死骸を指さした。 「あの子、ミカンちゃんて言うんだけどね。拾ってきて3日で殺しちゃったの。 可愛くって、強く抱きかかえていたら、突然骨が折れたような鈍い音がして…。気がついた時には私の腕の中でぐったりして死んでたの。 それで、お姉ちゃんにばれない様にここに隠したの。」 そう言いきると、彼女は猫の方を向いた。 「ごめんね。こんな風にしちゃって。でも、ミカンは可愛いよ。」 何かにとり憑かれたようにそう話すと、またこちらを向いた。 「お姉ちゃんは2ヶ月前に重い病気に罹っちゃったの。それで、お医者さんに行ったんだけど、もう駄目だって言われて、 それで残り短い人生をお家で過ごしたいっていうから、家で寝かせていたの。 でも、病気はお姉ちゃんを弱らせていった。酷い咳もするし、血を吐くこともあった。夜中に苦しさの余り大声をあげて泣き叫ぶこともあった。 私には、そんなお姉ちゃんが見ていられなかった。だから、寝ているお姉ちゃんの首を絞めて殺してあげた。」 そう言うと、昔を懐かしむように呟いた。 「死に顔、綺麗だったなぁ…。お姉ちゃん。首を絞めてる途中で起きたんだけど、抵抗はしなかったわ。きっと、気持ちよかったんだと思う。死ねば病気から解放されるんだからね。 私が首を絞めているにもかかわらず微笑んでたわ。それで、私に『ありがとう』って…。」 そこで、理恵は一息ついた。 そして再び話し出す。 「お姉ちゃんを殺した私は死体をここに隠す事にしたの。それで、計画通りに死体をここに置いたんだけど、その時の死に姿が奇麗でたまらなかった。 できればそのままにして置きたいと思った。だから、毎日毎日、濡れた雑巾で拭いていた。でも、それでも通じなかったみたい。 しばらくしたら、急に膨らんできちゃって、もう腐り始めたんだなって思った。でも、それが見ていられなかった。現実を認めたくなかった。綺麗なお姉ちゃんの死体が好きだった。 だから、死体をマッサージしてガスを抜こうともしたし、念入りに拭いたりもした。でも、駄目だった。」 そう言うと、彼女は姉の死体の方を向いた。 「お姉ちゃん。溶けてきちゃった。」 その眼には、涙のような物が浮かんでいた。 光る粒が、彼女が抱いているあまりにも歪み過ぎている感情を物語っている。 「でも、こうなってもお姉ちゃんはお姉ちゃん。私は今でも腐ったお姉ちゃんの死体を拭いているの。肉が剥げないように、優しくね。 その後は、肉に湧いた蛆虫を取り除いたりしてる。きっと、お姉ちゃんは喜んでいるんだろうなぁ…。」 そう言うと、こちらを向きなおした。 その眼には、歪んだ感情と、俺への殺意が混ざった光が輝いていた。  「あーあ。全部喋っちゃった。あとは、君をどう処理するか…だね。」 微笑み続ける悪魔。理恵。 自らの姉や彼氏を殺し、しかも姉の死体に歪み過ぎた感情を注ぎ込んでいた彼女。 「ふふふ。安心して。君の死体も大切に扱ってあげる。腐っても、溶けてきちゃっても、目玉がなくなっても、蛆虫が湧いてもね。」 そう言うと、彼女が近づいてきた。 「やめろ!」 俺はそう叫んで身をかわそうとした。 だが、それよりも早く、彼女の手が俺の首に伸びた。 「捕まえた。」 首に、力がかかってくる。 「やめろ、死にたくないんだ!」 俺はそう叫ぶが、もう声になっていない。 「ふふふ。ふふふ。」 彼女が全体重を乗せて首を絞めてきた。 俺はそのまま後ろに倒れ込む。 それでも、彼女は手を離さず、俺に圧し掛かってきた。 「もう、逃げられないよ。」 彼女の言葉が、耳に入ってきた。 「やめろ!やめてくれ!」 そう叫び、彼女を振り払おうとする俺。だが、彼女は離れない。 笑いながら、俺の首を絞めている。 そして、こう呟いた。 「さようなら。生きてる翔ちゃん。大切にしてあげるよ。死んでる翔ちゃん。」 その台詞の直後に、俺は自分の首の骨が砕けた音を聞いた。 『Disappearing friend.』died.