『氷に沈む華』 プロローグ『探偵VS暗黒小説家』  この季節になると、夜明けも早くなるもので、まだ朝の6時だというのに元気な雀達はちゅんちゅんと、高い声でお喋りを始め、外はまだ少し暗いのですけれど、それでも晴れ間に向かう曇りの様な、何とも微妙な模様を広い空に映すのです。 さて、先ほども書きましたけれど朝の6時と言えばもう人間達は活動に向かう頃です。 近頃、ニートとか呼ばれる人々は叶わぬ夢を見ながらグースカグースカと寝込んでいるのでしょうけど、ちゃんと稼ぎに出たり、学校へ通っている人間達はもう起きなければならない時間帯です。 それなのに、このお話の主人公の素人探偵雅圭清一(マサカド セイイチ)ときたら、何とまだまだ布団の中でグースカグースカ。本当にニートと呼ばれる人々の様です。 夫人の赫子(アキコ)が体を揺すっても、叩いても起きないのです。 まるで布団に根を下ろしたような清一探偵。こうなっては赫子夫人もお手上げなのです。  雅圭清一は先述したとおり探偵を営む齢27の若者であり、日々読書やゲームをして過ごす暇人でもあり、大変な変わり者でもあるのです。 読書家なのはよいのですけれど、読む本は大体ミステリーか猟奇趣味の本。とても並みの人間が好んで読むような本じゃないのです。 そのせいか、探偵のくせに非常に猟奇的な性格なのです。例えば家にごきぶりが出ますと、それを生け捕りにして火で焼いて殺したりするのです。 過去に起こった殺人事件で警察のお伴をした時も、現場に斃れている被害者を見てまるで恍惚とした様な笑顔を浮かべてしまったり。 しかし、不思議な事に彼が関わった事件は全て解決していくのです。さらに、こんな性格だと変質者だと思われ人は近づいてきませんけれど、彼には何故か人を引き付ける魅力があるのです。 夫人の赫子もその一人です。いや、彼女はこの清一探偵の猟奇的な部分が非常に気に入ったらしいのです。類は友を呼ぶといった所でしょうか。 勿論赫子夫人も似たような性格をしているのです。家で生け捕りにしたネズミを鍋で煮殺したりするのです。大きな蜘蛛を捕まえてきては体中を這わせたりするのです。 二人の会話はとても正気の沙汰とは思えません。しかし、二人は周囲の目はあまり気にしないようです。  さて、私は清一が眠っている間に彼の手短に紹介を済ませてしまいましたけれど、最後に私と彼の関係を紹介しましょうか。 これは、つい最近の事なのですけれど私の家の傍で殺人事件が起こったのです。 人間の死体が見られるかもしれないのです。暗黒小説書きとして貴重な経験ができるかもしれないのです。そう考えた私はマンションの自宅を飛び出し、殺人現場へ向かいました。 しかし、残念な事に現場には大量の野次馬が居て、私は死体を見る事ができませんでした。 ただ、その時に清一探偵と知り合ったのです。 清一探偵はこの近くの別のマンションに自宅兼事務所を構えていて、よく私はそこで清一探偵と赫子夫人と話をしておりました。 勿論、その事件の事も聞きました。他にも死体の美しさや、猟奇殺人に関するお話も聞かせていただきました。 また、私の作品を読んだことがあるらしいのです。暇な時にインターネット小説を読むこともあるらしく、私の『早川優貴子の日記』や『My owner's art.-Red Remix-ver1.01』、後、今に落ち着く前の疾走感重視の作品『The stalker came from the hell -break ver-』も読んだことがあるというのです。 「君のスプラッター小説のあの惨殺の構図は好きだよ。実際目にしたらどうなるか分からないけどね。」と、そんな風に行って下さった事は今でも忘れる事ができません。 そして、こんな事も言って下さったのです。 「君も推理小説が好きらしいね。だったら僕の物語を書いて見ないかい?この封筒を上げよう。これをもとに僕の物語を書いてほしいんだ。」 手渡されたのは大きな封筒。何と、私は清一探偵の冒険譚を書くことになってしまったのです。 この物語は、その封筒の中にあったいくつかの資料を纏めた物です。 その封筒の中にあった物を簡単に書きだしてしまうと、関係者の名前や推理の道筋などが書かれたメモ、二枚の死体の写真、証拠品の写真。それと、事件現場周辺の地図でした。 あと、最後にこんな事が書いてある紙が入っていました。 『これは僕が5度目に体験した事件だ。それまでの事件はただの殺人だったりしょうもない窃盗だったりしたけど、これは違う。事件をこんな風に言うのはおかしいけれど、これは芸術だ。芸術的犯罪だ。死体好きの僕の心が昂って仕方ない事件だった。 さて、君はこの一つ一つの点を想像といった線でどのように繋いでいくのか、それが楽しみだ。 完成したら知らせてくれ。読ませてもらおう。』 私はこの挑戦状の様なメモ書きを見たとき、思わずニヤリとしてしまいました。彼は彼自身の冒険譚の完成を心の底から楽しみにしているようです。 では、読者の皆さま。私はこれから想像という線を使ってこれらの資料をまとめて見せます。どのような出来になるかは私には想像がつきませんが、恐らくミステリ初心者には新鮮な物語になるでしょう。 どうか、私の描く『雅圭清一冒険譚-第一章-』にお付き合いくださいませ。  さて、朝の8時を回った頃、清一探偵はようやく、その体を布団から起こしました。 彼は起きるなりリビングに出て、作り置きされていたアジの開きと納豆をおかずにお茶碗一杯の白飯を平らげると、自室にあるパソコンを立ち上げてあるサイトにアクセスしました。 「ふふふ。Gamygyn君は私の探偵物語を書きあげてくれたのかな。」 『一本の電話』  これは2月頃の、春近しとは言われつつもまだまだ寒い頃のことでした。 この日も清一探偵は6時を過ぎてもグースカグースカ、布団を被って夢の中。まるで死んだように眠りこけているのです。 赫子夫人はこの日も清一探偵を叩いてみたり揺すってみたり、それでも布団に根差してしまった彼は起きないのです。 この日も赫子夫人は諦めてしまった模様。清一探偵の寝室を出ると「はあ」と溜息を吐き、台所にある虫籠の中から幼児の掌ほどの大きさの蜘蛛を取り出すと腕の辺りを這わせ始めました。 「ヘカ。また清ちゃんたら寝ついちゃって起きないのよ。どうしたら起きるのかしらね。」 愛犬ならぬ愛蜘蛛に愚痴をこぼし始める赫子夫人。でも、愛蜘蛛のヘカは何の反応を示しません。 ただ、赫子夫人の白い腕を這いあがっていくだけです。蜘蛛のヘカにはそれしかできないのです。 「ヘカ。今日もヘカは元気そうね。」 そんな風に声をかけている間にヘカは赫子夫人の腕を駆け上がり、白のブラウスの中に入って行ってしまいました。 「もう、ヘカちゃんたら、出てきなさい。」 彼女が服の中に入り込んだ蜘蛛と格闘する寸前、急に電話が鳴り響きました。 「あら!」 赫子夫人は急いで電話を取りに行きます。電話は彼女が遊んでいた台所から少し離れた所にあるため、小走りをしながら、しかし服の中のヘカに気を使って移動していくのです。 慎重に、しかし素早く電話機に近づいた彼女が受話器を取る寸前、何者かがそれを遮ったのです。 呆気にとられる赫子夫人。彼女の目の前には受話器を耳に当て寝起きの筈なのに賑やかな口調で話す清一探偵の姿がありました。 「グッド・モーニング!快斗じゃないか。一体どうしたんだい?」 黒のパジャマの清一探偵。相手はどうやら友人の様です。 「グッド・モーニング!清ちゃんも元気そうだな。身体をぶっ壊してなくてよかったぜ。 それより大変だ。事件だ事件。殺人か自殺か分からないけど人が死んだんだ。捜査しているんだけど殆どお手上げっていうか、実際は今さっき通報を受けたばっかりでまだ何の手配もしてないんだけどな、あっはっはっはっは!」 この、あまりにもやる気のなさげな快斗という男、S県警の警部でその名を匕首快斗(アイクチ カイト)というのですが、実はその手の世界では名の知れた警部さんで、こんな態度ではありますけど正義感は人一倍強く、警察官になって以来次々と強盗や通り魔の犯人を検挙し、あっという間のスピード出世をしてしまった天才警察官なのです。 そして、清一探偵の親友でもあり(正義感強い快斗と猟奇趣味の清一がどうしてこんな関係になったのかは分かりませんが。)、事件が起こると上司に知らせたり部下に命令するよりも早く清一に教えてしまうのです。 勿論、猟奇趣味の清一を喜ばせるためではありません。解決への助言を請おうというわけなのですが…、どうもこの電話の口振りだと親友に久々に電話をかけただけの様。やれやれ。 「それで、どこで起こった事件なんだい?近ければ僕も行ってみたい物だ。人の死体が見られるからね。」 「N村って知ってるか?あそこの山の裾に美農池とか言う池があるらしいのだが、そこに死体があったそうなんだ。」 快斗警部から場所を聞いた清一探偵。彼は傍で蜘蛛と戯れていた赫子夫人に着替えの準備をさせると、 「N村?あそこね。わかった。支度が済んだらすぐ行く。大体30分くらいかかるかな?でも絶対行くよ。久々に人の死体が見られるからね。」 そう言うと、ガシャンと電話を切り、着替えを始めました。 クリーム色のトレーナーに黒のコート。ズボンも男子学生の制服ズボンの様な真っ黒長ズボンです。ひょろひょろと背の高く細身の清一探偵は顔立ちも格好良いとは言えませんけど、どこか人を安心させるような部分があり、何故かそれは黒尽くめを身にまとうと際立ってくるのです。 髪型は天然パーマというべきでしょうか。クセ毛で、肩まで伸びているのです。螺旋を描いたり、くねくねと曲がったりしながら。 さて、そんな容姿の清一探偵。彼は夫人の赫子に、輝くような笑顔でこう言ったのです。 「ヘカと遊んでいる場合じゃないよ。早く朝ご飯を作ってよ。それで、僕の好きなコーヒーを水筒に入れておいてくれ。ああそうだ。君も付いてきなよ。死体だって。人の死体が見られるんだって!」 「はいはい。そんないっぺんに言わないで。私は一人しかいないのだから。事件が起こったからって慌てないの。でも、人の死体は興味深いわね。私も付いて行くわ。 じゃあ、今からお茶漬けを作るから待ってて。朝はそれでいいかしら?」 丸顔、そして美しい顔立ちの赫子夫人はそう言うと、台所に戻り、ヘカを虫籠に戻してお茶漬けを作り始めました。 『氷の下に華開く』  朝食を終えた二人は家を飛び出すと、そのまま車に乗り込みました。 助手席に座る赫子夫人は白のブラウスとグレーのプリーツスカートから着替え、灰色のカーディガンドレスを着ておりました。しかも下に何着か着て厚着をしているのです。赫子夫人はどうやら相当な寒がりの様で。 「ねえ。清ちゃん。N村って雪が降っているんじゃないの?貴方はそんな薄着で大丈夫なの?トレーナーにコートに黒ズボンなんて…。」 「これが僕のおしゃれなんだ。それにトレーナーの下にTシャツを着てるから大丈夫だよ。」 清一探偵はそう言うと、シートベルトをしっかりと締め、車のエンジンをかけました。 ゴーッと言うエアコンの音が聞こえてきます。赫子夫人の要望で暖房を強めに効かせているのです。 しかし、冷たい車内はそうそう簡単に暖まるものではありません。それにイライラするのは赫子夫人。寒がりの彼女なら無理もありません。 「暖房、効かないじゃない。寒くて仕方ないわ。」 「我慢しなよ。そんな簡単に温まったら逆に恐ろしくて寒気がしちゃうよ。この車もそんなに新しくないんだし、空気は徐々に温まるものじゃないか。 そら、発車するよ。目的地はどこだっけ。」 「N村の美農池よ。カーナビで調べれば一発の筈よ。」 「一発で出ればいいんだけどね。このカーナビだって最古のタイプじゃないか。だから、出るかどうか…。」 そんな事を言いながらも目的地の設定をする清一探偵。手はカーナビを操作し、目は祈りを込めた視線をカーナビに浴びせていました。 「あったよ。美農池だね。」 清一探偵は目的地を設定すると、アクセルを踏み込み、車を走らせました。 まだ日の昇り切っていない、6時40分頃のことでした。  清一探偵は途中のパーキング・エリアで寒さの余り体を壊した赫子夫人のトイレ休憩を二度取り、雪降るN村にある民宿『美農』に着いたのは大体9時の事でした。 ここで、この民宿『美農』の説明をさせていただきます。 『美農』は住宅街の民家に混じって立っており、2階建て5部屋、部屋の模様は全て畳の床の質素な和室という至って普通の民宿なのです。 旅館の名の由来は言うまでもありませんが近くにある(と言っても5分ほど歩くのですが)美農池を捩ったもの。 夏場はそばの美農池でボート遊びをする旅行客で一杯になるこの民宿ですが、冬場はまるで閑古鳥が鳴く様なのです。 冬の美農池にワカサギを釣りにくるものはいるそうですけど、それはごく僅か。この池は非常に奇妙な、物にたとえますと盥の様な池で、岸はまるで崖の様になっており、大きさは池というより湖の様で、水深は一番浅いところで2メートルあります。そのため、氷が張って居てもあまり近づく物が居ないそうです。きっと、うっかり氷の薄い所を踏み抜いて、冷たい水に落ちるのが嫌だからでしょう。 それに、これだけ深いと上がるのにも一苦労です。さらには凍死する人間や溺死する人間も多いそうで。  この辺りで話を元に戻しましょうか。 清一探偵が黒のワンボックスを止めると、旅館から一人の人間が現れ彼に近づいてきました。 こげ茶のコートにこげ茶の長ズボン。旅館から飛び出してきた人間の服装をごく簡略に説明するとこんなところでしょう。 この人間が清一探偵の親友の匕首快斗警部なのです。 「グッド・モーニング。清一も赫子さんも来てくれたんだな。事件現場はこの旅館の裏、少し歩いた所にある美農池だ。部下に命令して現場はそのまんまにしてある。ここはお前にその頭脳フル回転してもらって、自殺か他殺か、他殺なら犯人は誰かを調べて欲しい物だぜ。」 快斗警部にそう言われた清一探偵。彼は快斗に優しい目を向け、その次の瞬間には真剣な探偵の視線を向けました。 「グッド・モーニング。この清一、死体が見られると聞いてこない訳がないでしょう。 さて、まず現場に向かうよりこの美農という旅館の事について知りたいんだけど、何か情報を持っていないかい?」 そう言われた快斗警部。黒いメモ帳を開き、それを見ながら清一探偵に説明を始める姿は先ほどの様子とは全く違う物でした。 「そうだったな。死体発見は今日の朝6時頃。発見者はここの旅館の女将の森田トメさん。昨日の昼からここらの大学のサークルの連中が止まっていたらしいんだけど、昨晩その内の2人が行方不明になってな。それで探し回って居てかたっぽを今朝発見したらしい。」 「今朝?近くの美農池で見つかった筈なのに?」 「ああ、あの池は近いには近いんだけど森を突っ切らなきゃいけないんだ。5分の距離とはいえ夜の森は危険だろう?だから近づかなかったそうだ。」 「なるほど。それで、そのサークルの連中というのは?」 「大学の釣りサークルの連中だそうで、ワカサギ釣りに来ていたそうだ。メンバーは5人。島広康(シマヒロ コウ)、石乃美良琉(イシノ ミラル)、根津広英太(ネヅヒロ エイタ)。後、ハーフで行方不明の日野浦ブラウン(ヒノウラ ブラウン)。死体で見つかったのは赤村珠恵(アカムラ タマエ)。皆二十歳。部屋にあった免許証や保険証で身分は分かってる。」 清一は関係者の名前と補足をメモに取ると、 「その他に客は?」 「いないよ。美農池は夏の避暑地にはなるけど冬の避寒地にはならないからな。それに本当はワカサギ釣りにも向かないらしいし。」 「そう。じゃあ、死体を見に行きますかな。」 笑顔に戻った清一探偵は旅館の裏の森の中へと入っていきました。  「おお。これは…。」 美農池についたと同時にそう声を漏らした清一探偵。彼の口は開かれ、喜びを顔全体に表しています。 岸から10メートルほどの所に、女性が沈んでいるのです。 綺麗な丸顔に白の美肌。紫色に変色してはいますがぽってりとした唇にしっかりとした鼻。眼を閉じている様子はまるで眠っているよう。髪は浮かびあがって凍っています。 身長は恐らく150cmほど。浴衣を着て帯をしめて氷の張る池の中に立ったまま沈んでいる和風美人は猟奇趣味の清一探偵を喜ばせるにはぴったりでした。 勿論、私もこの様子の写真を受け取った時には不思議な心地になりました。まるで最高峰の美術品を見ているような心地でその写真を眺めておりました。 「凄い。凄すぎる。こんなに美しい死体は見た事がないよ。氷に沈む華だ。開いた花が氷漬けにされてしまったかのようなこの構図。芸術だ。芸術作品だ!」 あまりにも美し過ぎる死体に舞い上がってしまったような清一探偵。でも、赫子夫人はそれを止めません。 寧ろ、彼女も舞い上がっているようなのです。 「本当。なんて美しい死体なの。もし、この池の水全てが凍っているのであれば、氷が永遠に解けないものであれば私はあの辺りを切り出して飾りたい。家にあの死体を置いておきたいわ。毎朝、氷漬けになって死んでしまった乙女を見ていたい。それだけで幸せになれそうだわ。」 現場にこの二人と快斗警部しかいないのが幸いでした。もし、健全な人間がこれを聞いていたら何と思うでしょう。もし、旅館に居るサークルのメンバーが聞いていたらどのように考えるでしょう。 「さて、お二人さん。現場に感動した所で、ちゃんと調べてくれないかな?それに、いつまでも氷に入れっぱなしなのは可哀想だから死体は出しちゃうよ。そうしないと解剖もできないからね。」 そう言われた清一探偵は途端に悲しげな目つきになりました。まるで別れを惜しむような眼で死体を眺めています。 と、赫子夫人がこんな事を言いました。 「ねえ、清ちゃん。あの死体、左手の薬指が少し短くないかしら。」 そう言われた清一探偵が死体の左手を凝視すると、そのとおり。どうやら死体は薬指の第一関節からがないようです。 「快斗。被害者に恋愛の筋があったりする?」 そう訊かれた快斗警部は手帳を取り出すと、にやりと微笑んで、 「ああ、これはサークルのメンバーの話なんだけど、赤村珠恵には彼氏がいたというか、陰でこそこそと付き合っていたらしい。」 「誰と?」 「日野浦とだ。行方不明のハーフの男だよ。大学のサークルのカップルのかたっぽが死体で見つかってかたっぽが行方不明…。こりゃ、事件の臭いがぷんぷんするぜ。」 「とりあえず問題は日野浦ってハーフの男を探す事かな?その男は相当怪しいね。 そういえば、日本では結婚指輪を左の薬指にはめるよね。その左の薬指が少し切断されている…。」 「そうか…。恐らくあのメンバーの中に日野浦と赤村の恋愛を妬む物が居て、それで殺して挙句の果てに結婚指輪をはめる左手の…。」 「それだったら全部切り取っていくんじゃないか?あんな中途半端に切り取らずに…。」 「じゃあ、こんな所か?日野浦は赤村が好きだった。だが、赤村の家庭の事情で結婚がかなわず、悲嘆にくれた日野浦は赤村を殺して恋愛の象徴である…。」 「ん…、日野浦はハーフだろう?外国では右の薬指にはめる事もあるからそっちを切っていくんじゃないかな? ただ、日野浦が日本流の作法が好きならそう言うのもありかも知れないね。最も、そのケースでも全部切っていくと思うんだけどね…。 まだ情報が少ない。もしかしたら日野浦君が赤村さんを殺して逃げたのかもしれないし、何者かが二人を殺したのかもしれない。 とりあえずは赤村さんの死体を調べなければならないね。芸術作品を取り壊してしまうのはとても口惜しいけど仕方ないか。」 清一探偵は自前のポラロイドカメラを赫子夫人に渡し、死体の写真を撮らせ、 「やれやれ、写真で我慢か…。」と、その写真を抱えるように持ったまま美農池を後にしました。 『指』  民宿『美農』の一室で寝転がっている清一探偵。二つ折りにした座布団を枕代わりに眠っているのかと思えば自分のメモ帳を眺めておりました。 いや、眺めている様な恰好なのです。実際はまるで睨みつけるような視線でメモを見ているのです。 「ふーむ…。」 たまにそんな風に息を吐き、またメモを凝視。そして、「ふーむ…。」 そんなとき、赫子夫人は暇で暇で仕方ないのです。とりあえず二人分のお茶を淹れたのですが、やることもなく、携帯電話のアプリで遊んでみたり、寝っ転がってみたり。 また、自分の推理をメモに整理したりするのです。 「駄目だ。何も閃かない。」 ついに音を上げた清一探偵。彼は立ち上がると、赫子夫人の淹れたお茶をがぶがぶと飲み、背伸びをし、今度は座り込んでしまいました。 「赫子。何か思いついたかい?僕はまだ駄目だ。やっぱり情報が少なすぎる。」 「私も駄目よ。何も思いつかないわ。」 「あれだよね。旅館に居た人間の手荷物は全て調べたよね。確か。」 「まだじゃないかしら。赤村さんの死因が分かるまで調べないんでしょう?」 「それじゃあ凶器を捨てられる恐れがあるけど…。そうしかないか…。検死の結果が出ないとどうしようもない。」 「凶器云々よりも自殺か事故か他殺か…。まあ、状況からして他殺だと思うんだけどね。」 そんな会話をしていると、二人の部屋に快斗警部が入ってきました。 「検死の結果が出たぜ。死亡推定時刻は夜中の0時頃。死因は溺死だ。足がひもで縛られていてその先に大きな石が括りつけられていた。」 「じゃあ、彼女は生きたまま冷たい水に沈められたのかい?」 「そうみたいだけど、あまり苦しんだ痕跡がないんだよな。それに後頭部に打撃痕があるんだ。死ぬ前についたのだとか。きっとそれで気絶しちまったんだろう。後、興味深い物が見つかったぜ。」 「興味深い物?」 そう訊かれた快斗警部。その顔は満面の笑みです。 「ふふふ。お前はきっと喜ぶぞ。喜ぶって言うか、なんていうか。とりあえずこれは凄い発見だ。」 「もったいぶらないで教えてよ。」 「分かったよ。」 そう言うと、清一探偵の目を見て、 「被害者の胃の中から誰かの指が見つかったんだ。指紋とかは溶けちまってて分からなかったけどな。」 それを聞いた清一探偵。急に目を見開くと、 「快斗。すぐに美農池の周囲を洗ってくれ。僕の予想が正しければどこかが川に繋がっている筈だ。そして、その川のどこかにボートがあるだろう。 それと、釣りサークルのメンバーと顔を合わせてみたい。彼等はどこに居るのだ?」 「一階の部屋に居るはずだけど、どうしてだい?」 「彼等の中に左手の薬指を失った人間が居るかもしれない。その人が犯人とは言い切れないが、何か重大な物を握っているだろう。そんな人間がいたら…、だけどね。」 快斗警部はそれを聞いて微笑むと、 「よし、分かった。じゃあ、池の周囲を洗うのとメンバーを呼んで来いってわけだな。」 「いや、メンバーの所には僕が行く。君は僕の紹介が終わったら池の方を当たってくれ。赫子どっちに行きたい?」 「私は池に行ってみたいわ。」 「そうか。じゃあ、行動開始と行こうか。」 立ち上がった清一探偵。その眼には生き生きとした物が漲っておりました。  今、清一探偵の前には3人の男女が、恥ずかしげな、もじもじとした感じで座っております。 清一探偵から見て、左側で正座をしている丸顔坊主頭にグレーのトレーナーの男性が島広康、正面の長髪お下げの童顔の女性が石乃美良琉、その横の茶髪ではっきりと堀の深い顔立ちの白いトレーナーの男性が根津広英太です。 彼等は皆正座しているのです。なので清一探偵も正座をして、こう話しかけました。 「この度は大変な事になってしまいましたね。」 いたわる様な声を出して彼等を見る清一探偵。続けてこう言うのです。 「さて、ここで皆さんに協力してほしいのですが、まず、手を見せていただけませんか。手袋は外して下さい。」 そんな言葉を掛けられて顔を見上げる三人。皆で顔を見合わせていましたが、石乃美良琉が手を前に出すと、ほかの二人もつられて前に出しました。 「ふーむ…。」 六つの手を睨むような眼で見る清一探偵。しかし、彼のお目当ての物はなかったようですぐに話題を切り替えました。 「これは一応関係者に聞いている事なんですけど、今日の夜中の0時頃、皆は何をしていたのかな?」 すると、島広康が清一探偵の方を見詰めながら、 「確か…、皆で起きてましたよ。寝付けなくて、俺と石乃と根津広でトランプやってたんです。大富豪を。」 「おや、その頃からブラウン君と珠恵さんはいなかったのかな?」 「いませんでした。大富豪を始める10分前位に二人でほぼ同時にトイレに行ったんです。それで俺達は、ああ、またいちゃいちゃとやるんだろうなって思って、たいして気にしなかったんです。いつものことでしたから。」 「じゃあ、その時あまり気にしなかったんだね。気にしだしたのはいつです?」 「1時少し手前ですね。いちゃいちゃの割には長かったので、皆で手分けして旅館の中を探して、それでも見つからなかったんです。」 「それで、捜索を断念してしまった…。そう言う事かな?」 「はい…。」 島広康は全て言い終わるとまた下を向いて黙りはじめてしまいました。 すると、今度は石乃美良琉が、か細い声でこう言うのです。 「もしかして、ブラウン君が犯人なんでしょうか。彼が珠ちゃんを殺して池に沈めたんでしょうか。」 清一探偵も小さな声でこう言うのです。 「うーむ。そのケースが一番濃厚ですね。でも、まだ言い切れるわけではありませんから…。」 と、そう言い終わった時でした、突然清一探偵の携帯電話が鳴ったのは。 「ちょっと失礼。」 そう言って携帯電話に出る清一探偵。そして、突然大声を上げたのです。 「そうか!わかった!それで事件解決だよ!ありがとう!」 そういい電話を切った清一探偵は、3人にこう言ったのです。 「事件が解決したよ。いや、これは僕の想像があっていればだけどね。ただ、解決まであと少しになることは変わりない。皆さんも付いてきてください!」 そう言うと、清一探偵は立ち上がり部屋を後にしました。 『結末』 美農池の旅館側の対岸。木々が生い茂り、人間にとっては足の踏み場も少ないような所に居るのは、清一探偵と赫子夫人、快斗警部と、釣りサークルのメンバー。この物語の主要人物が勢ぞろいで、清一探偵と赫子夫人の会話を聞き始めました。 「赫子。どうやらとんでもない物が見つかったようだね。」 「ええ、貴方の言った通りよ。美農池は旅館の対岸側に川へ流れ込むポイントが見つかったの。ボートと血のついた鋏と、ハーフの彼の死体。」 「彼も見つかったんだね。ブラウン君。やっぱり彼も死んでいたか。」 「ええ、こんな物をズボンのポケットに入れてね。」 赫子夫人が取りだしたのはビニールに入った手帳。清一探偵はそれを受け取ると、パラパラとめくり、あるページを読み上げ始めました。 「私、赤村珠恵は罪深い女です。私は両親に逆らって彼を好きになってしまった。彼に結婚願望を抱いてしまった。 しかし、親はそれを許してくれなかった。大手企業の娘として生まれた私は、提携している企業の息子と縁組する事が決められていた。しかし、そんな事耐えられなかった。彼も私を愛してくれていたし、私も彼を愛していた。でも、一緒にはなれない。彼もそのことを深く悲しんでいた。 ある日、いい事を思いついてしまった。二人で一緒に死ねばいいんだと思いついた。私がその事を彼に告げると、彼は喜んでいた。だから、いつか一緒に心中することにした。 それが今日、叶った。ついに二人で死ねる日が来た。心中して、天国で結婚する日が来た。 今日、私は死ぬ。私とブラウン君は死ぬ。 そうだ、天国で結婚する前にこの世で結婚しなくちゃ、指輪の代わりに、薬指を交換しなきゃ。 ブラウン君、天国で一緒になりましょうね。」 そう言うと、清一探偵はその手帳を閉じ、 どうやらこれは交換日記だったみたいだね。ブラウン君はこれに最後の書き込みをする前に死んだのだろう。 そして、これに書かれている事がこの事件の全てかな。 ところで、ブラウン君の死体はどういう様子だったんだい?」 「ここのポイントに引っ掛かっていたわ。石を結びつけられていたけど、それが小さくて体が沈みきらなくて流れてきたみたいなのよ。氷の板の下をね。」 「そうか。後、ボートに何か傷の様な物はなかったかい?」 「あったわ。赤村さんが頭をぶつけた傷らしき痕がね。きっと、足に結び付けた石を池に投げ込んだら、体を引きずられて打っちゃったのね。」 「そう言えば、ブラウンの死体に薬指はあったかい?赫子。」 「なかったわ。切り取られているみたい。うふふ。若い子って、不思議な事を考えるものね。指輪の代わりに指その物を交換しちゃうなんて。」 この後の検死で、日野浦ブラウンの死体の胃の中から赤村珠恵の薬指が見つかったのは言うまでもありません。 私の手元にはまだ、あの美しき赤村珠恵の死体の写真と、眠る様な表情の日野浦ブラウンの死体の写真があります。 叶わぬ恋愛の果てに、心中してしまった二人。若気の至りとはよく言ったものです。 しかし、人の心とはどういう物か分かりません。正常な人間でも、極限状態に置かれたら壊れてしまうそうです。 赤村珠恵と日野浦ブラウン。この二人は壊れてしまったのでしょう。哀しい宿命に縛り付けられてしまったがために完成してしまった叶わぬ恋愛に…。 私は、この哀れな二人の冥福を祈ろうと思います。天国で、末長くお幸せに…。 エピローグ『探偵VS暗黒小説家二回戦』  「ふふふ。書き終えてくれたみたいだね。この『氷に沈む華』と題された、美農池の心中事件のお話を。初めての推理が心中物というのは大変だったろう?」 私はいつかの様に、彼の事務所の応接室で、清一探偵と赫子夫人を目の前にしておりました。 「ええ。でも、書き甲斐はありましたよ。どうでした?」 私がそう訊くと、彼は微笑んでこう返してきたのです。 「事件としては短かったけど、あの死体はかなり美しかった。君の作品を読むと改めてそう思う。 君らしさもあってなかなか面白い作品だよ。ネット小説はあまり読んでないから言い切れないけど、君の様な書き方をする人間は珍しいからね。」 「ふふふ。ありがとうございます。あの死体の美しさは写真でも十分伝わりましたよ。 確かに僕の書き方は珍しいと言われますね。ストーカーブレークを書いていた落ち着きのない頃、とあるサイトで連載していたんですけど、僕だけ描写の雰囲気が違ったりしましてね。それで徐々に落ち着かせていったら、余計に周りと違っちゃったりして。でも、僕はこの道を走ることに決めていたので、これでいいと思ったんですよ。」 「そうだよね。昔みたいに思い切り心理描写していたのが落ち着いてきてるし、一文が長くなった様だよね。それに、ネタも落ち着いてきたよね。」 「こう言う落ち着いた物語では心理描写はあまりしない事にしているんです。これは作者視点で書いたり第三者視点で書いた方が落ち着くのでね。それに、登場人物視点で心理を描写しなくても、僅かな動作や表情の変化を描写するだけで心理状況も読者には伝わるかな。と思いましてね。 タイプの違うストーカーホラーや学園ホラー、デスゲームなどでは心理描写は重要でしょうね。でも、し過ぎると流れを遮断してしまうような気がするので、これからは控えめにするかもしれません。 一文が長くかけるようになったのはミステリ小説ばかりを読むようになったからでしょうね。疾走感がなくなる代わりに深みが出せるのでね。 ネタは…、最近の物が全て落ち着いているだけです。昔の様な滅茶苦茶なネタも、例えば『card is jewel』の様なネタもまだありますよ。前々から書こうとして断念していた『Restaurant de Deathgame』や、学園スプラッターの『Black school』とか、まだまだ滅茶苦茶なのはあるんですよ。」 僕がそう言うと、清一探偵は微笑んで、 「じゃあ、今度はその滅茶苦茶なネタを書いてもらおうかな。描写は雑で良いよ。その代り、とびきりスプラッターな物にしてほしいな。」 そう言われ、私も満面の笑みを見せ、 「分かりました。とびきりスプラッターな物にしますよ。」 と、言葉を返したのでした。 『氷に沈む華』終。 この物語はフィクションです。