『Bar Druj』  日が落ちて大分経ち、11時ごろになっただろうか。そんな時にこの、こげ茶の内壁にオレンジの明かりのレトロなバーに一組の三十路程の男女が現れた。 「いらっしゃいませ。」 私が微笑んでそう言うと、その男女も微笑んでこちらへ来た。そのままカウンター席で座った。 その二人の顔を見たとき、私は「おや?どこかで見たことある顔だな。」と思った。恐らく学生時代だ。今、私は33だから、もう15年以上前の記憶だ。それが、その夫婦の顔を見た時に思い出されてきた。 一体誰であろう。もう少し時が経てば思い出されるかも知れないな。 「さて、ご注文は何に致しますか?」 私はその、同い年程の二人にそう尋ねた。すると、男の方がこう言った。 「シルバー・フィズを一つ。ほら、ジンベースの。」 少し質が変わっていたが、この声、聞き覚えがある。高校生時代だ。だが、恐らく一度も話したことはない。と言うのも、私は人と話すのが苦手だったし、彼も彼で無口な感じだった。 名前は、三谷。三谷浩也(ミタニ ヒロヤ)と言った筈だ。そう言えばそうだ。肩まで伸びたボリュームのある長髪に細い眼、だのに濃い顔はあの頃からちっとも変って居ない。変わったところと言えばにきびがなくなったところか。 「はい。わかりました。シルバー・フィズですね。三谷さん。」 私がそう言うと、彼はびっくりした様子だった。横の女性も吃驚していた。 「えっ…。あんた、何で俺の名前を知っているんですか?」 そう言う彼の声を微笑んで流し、次はその横の女性の方に注文を訪ねた。 「えっと…。ピンク・レディがいいなぁ。」 すこし高い声。この声も聞き覚えがあるな。いや、少しだけだが会話したこともある。文化祭のネタ決めの時だったか。 私の予想が当たっていれば、彼女の名前は羽村。羽村愛華(ハネムラ アイカ)。彼女もボリュームのある黒髪を肩の少し上まで伸ばしている。身長が私より少し高く、(私は165cm)肉付きも良い部分まで学生時代と変わって居ない。顔もそうだ。眼の周りだけ以上に化粧が濃くて、そう言うのが嫌いな私は恐怖していた。大きな顔に真ん中よりなパーツ。変わった所は三谷君と同じ、にきびが無くなった所。 「ピンク・レディ。通ですね。かの有名なアイドル・デュオのピンク・レディの名前はこのカクテルから取ったそうですよ。羽村さん。」 すると、彼女も三谷君と同じリアクションでこちらを見てきた。その様子が愉快でたまらない。 「えっ…。何で私の名前を…。」 「三谷浩也君に羽村愛華さん。覚えてますよ。これでも私は記憶力が良い方なんです。一つ屋根の下で同じ教科を学んだ仲…。まあ、それだけですけど、それでも名前位は覚えていますよ。ふふふ。」 私がそう言うと、その二人はこちらを向いて私の顔を見始めた。 すると、羽村さんが声を上げた。 「もしかして、神田君?神田智尋(カンダ トモヒロ)君?」 「いかにも。私は神田智尋ですが?」 私がそう言うと二人は目を見開いていた。まあ、無理もない事だ。私は学生時代に比べて、少しだけ容姿を変えてしまったから。 身体つきはあまり変わって居ないけれど、顔は少し変わった。だらしなく伸ばしていた頬髭を全てそり落とし、代わりに口髭を蓄えた。少し老けている顔立ちなのが余計に老けてしまっているが、別にかまわない。 しかし、口髭一つで人の容姿は変わってしまうのだな、と、改めて実感した。まあいいか、学生時代の私は影が薄かったのだから。 「嘘でしょ!本当に神田君?あり得ない!」 「羽村さん。貴方は学生時代からちっとも変ってませんね。お若いというのはいい事です。僕みたいな人間はすぐに老けこんでしまっていけません。」 今は自分の事を『私』と呼んでいるが、学生時代の仲間と話すときは『僕』にしている。そうした方がなじみやすいらしい。 しかし、彼女は今だにこんな、少し古い言い方をすればギャルの様な感じなのだろうか。学生時代から私より老けた印象(当時から20代30代の風格を漂わせていた)だったのに。 「凄いな、神田。てか、学生時代は俺と話したこと無かったよな。まあいいか。」 「そうだね。そう言えば、君の生物の成績には驚いたよ。勉強していたんだね。」 「いやいや。神田だって化学が良かったらしいじゃないか。」 「60点台が?全然だよ全然。…。はい、シルバー・フィズとピンク・レディ。できました。」 二つのカクテルをカウンターに出す。すると、二人はそれを少し口に含んで。 「おいしいわ。流石神田君。」 「ありがとうございます。」私はここで話題を変えて、 「そう言えば、二人は付き合ってるの?」 そう訊くと、三谷君の方が、 「そうだよ。この前、結婚したんだ。披露宴も親族だけでちゃっちゃと澄ませてな。それに、子供もできた。あとちょっとで産まれるってよ。ただな…。」 「ただ…?なんか問題でも?」 「俺は欲しいんだけど、愛華が産みたがらないんだ。ただ、中絶の金もないからそのままにしてきてしまったんだ。」 そう言えば、羽村さんのお腹が不自然に膨らんでいたし、椅子に座って居るのも少しつらそうだ。妊娠していたのか。 「羽村さん。どうして産みたがらないのさ。子供好きそうなのに…。」 「自信がないのよ。子供をしっかり育てられる自信がないの。もし、失敗してしまったら…って。」 「そんな事はないと思いますよ…。」 暗くなってしまった空気。私はそれを一変させるべく、こんな事を言ってみた。 「そうだ。新作カクテルが出来たんだ。ちょっと、飲んでみない?お代は入らないよ。ただ、強いお酒だから妊娠中の羽村さんは止した方が良いかも…。」 私がそう言うと、三谷君は首を縦に振った。羽村さんも「絶対に飲む。」といった。そこで材料を前に出して、それらを混ぜ始めた。 「まずは、ドライ・ジン。このアルコール度数が高くて強い酒にドライ・ベルモットとテキーラを多めに加え、ビターズを垂らす。そして、このリキュール。」 私は一つのリキュールを持ってきた。緑色の怪しげなもの。二人はそれを怪訝な目で見ていた。 「何これ。」 「秘密です。このリキュールが決め手。ふふふ。」 私はそれをゆっくり垂らしていく。カクテル全体が透き通った、美しい緑色に染まっていく。二人はそれを不思議そうな眼で眺めていた。 「どうですか?少し、嗅いだことのある匂いがしませんか?」 「そう?あまりしないけど…。」 「あら、それはそれは。でも、口に含んだ時に分かりますよ。さて、完成です。」 私は出来たカクテルを二人に差し出した。 「新作カクテル『ドゥルジ・ショックウェイブ』。由来は口に入れてみれば分かりますよ。ふふふ。ただし、少しずつにしてくださいね。下手したら…。ふふふ。」 私が微笑むと、二人は怪訝そうな顔をしていたが、やがて三谷君がそのカクテルを口に含んだ。 叫び声が店内に響く。 「何だこれ!辛っ!苦っ!うわあ!」 細い眼の上の瞼がパチパチと動いている。そのまま、緑色の不思議なカクテルを放心状態で見つめている彼。 「そんなに辛いの?大袈裟じゃなくて?」 羽村さんはそう言って三谷君の方を見ている。 「貴方は妊娠中だから、止めた方がいいと思うよ。これは刺激が強いですから。何かあっても僕に責任はとらないよ。」 私がそう言うと、彼女はむきになってしまった。 「大丈夫よ。昨日も缶ビールを3本飲んだんだから。これ位のお酒に負けたりしないわ。」 そう言うと、彼女はそのカクテルを一気に飲みほした。だが、次の瞬間に大きな声を上げた。 「辛い!うわあ、なんだこれ!」 「そんな一気に行くから…。ところで、このリキュール、何か分かりました?」 私はそう言って再び緑色のリキュールを取り出す。すると、羽村さんが、 「…山葵?少し山葵の匂いがする…。」 「正解。これは山葵のリキュール。山葵ラムネというのをヒントに作ったもの。結構においがするんだ。」 「そう。美味しかったわ、ありがとうね。じゃあ、私達はもう帰ろうかしら。」 「そうですか。ありがとうございました。」 席を立った二人、私は出口へ行く二人を見送ったのでした。  その数日後、私はある用事で、ある病院に行ったのですが、何とそこで偶然にも三谷君にあったのです。 「おや、三谷君。どうしたの?」 彼は私の顔を見ると、こんな事を言ってきたのです。 「不思議な事が起こったんだ。あの、3日後位か?突然愛華の腹がしぼんできたんだ。最初は気にしなかったんだが、やっぱり変だから慌ててここに来たんだ。それで、今診察中なんだ。」 私はフッと笑って、 「そんな事があるはずないでしょ。聞いたことないよ、そんな現象。流れちゃったとかじゃないのかい?」 「本当なんだって。急にしぼんじゃったんだ。」 「まさか。」 そう言いあって居ると、羽村愛華さんが出てきた。確かにお腹のふくらみがなくなっている。 そして、こんな事を言ったのだった。 「大変よ!赤ちゃんが居なくなっちゃったの!」 そう言われた瞬間、三谷君はへたりと崩れ落ちてしまった。  あの緑のリキュール。実は山葵なんて使われていないんです。使われていたのは、毒薬。 妊娠中の女性に作用し、胎児を分解してしまう。そんな毒薬を手に入れた私はあの時、それを試してしまっただけなのです。 妊娠中の羽村さんが来たのは偶然でしたけど、試すなら今だな、と思いましてね。 まさか、あれが本物だったとは。あっはっはっはっは。 『Bar Druj』end.