屋烏《おくう》の愛

０．変異

　始まりは何てことのない身体の火照りだった。
　37．３℃の熱。風邪を引いたのだろうと思って市販の薬を飲んだものの、何故か熱が下がることはなかった。それどころか、翌日になると熱っぽさが増した。体温は37℃の前半で安定しているものの、脳に膜が張っているような鈍さを感じる。
　咳や鼻水は出なかった。関節の痛みもない。胃腸も健康だ。だのになんとはなしに感じる倦怠感。とにかく休むようにとプレシアに云われたマサキは、大人しく家に篭ることにした。マサキの異変を知らない仲間たちは遠慮なく家を尋ねてきたものだったが、しっかり者の義妹はその全てを玄関先で追い払ってくれた。
　三日目ともなると異変は混迷を極めた。衝動的に襲ってくる性欲。絞れば雫が垂れそうなまでに濡れた下着に、マサキは途惑いながらもその処理に励んだ。けれども満たされない飢え。快感が欲しくて欲しくて堪らない。マサキはその衝動に抗えずに幾度も自慰に及んだ。激しい倦怠感に支配されながらも、二度、三度と、繰り返し繰り返し自らの男性器を｜扱《しご》いた。ぼんやりとした頭は、まともな思考をマサキから奪いつつあった。
　翌日。四日目にして、マサキは自身の下着を濡らしている体液が、精液だけではないことに気付いた。四六時中猛っている男性器の奥、臀部の合間から滑った液体が溢れ出ている。不安を感じたマサキは病院に行くべきか悩んだものの、さりとて医者に何をどう説明すればいいのかわからない。
　流石に四日も不調が続けば、気丈な義妹も心配を強めたようだ。彼女にも病院を勧められたものの、結局ふんぎりが付かないまま、マサキはその日も部屋に篭って自慰を繰り返した。
　五日目。アナルの奥がどうなっているのか確認しようと、指を挿し入れた瞬間だった。それまでの自慰とは比べ物にならない快感がマサキの身体を貫いた。後のことは朧げにしか覚えていない。訳のわからない快感は、マサキの緩んでいた理性の｜箍《たが》を弾け散らせてしまったようだ。あ、あ、ああっ。マサキはひたすらに自らのアナルを指で嬲った。そして尽きることなく精液を吐き出した。
　六日目。切れ間のない性欲は、抑えるのが困難な程だった。それでも射精に至れば少しの谷間が出来る。部屋に篭りきりになった義兄をプレシアは大層心配している様子だったが、今のこの精神状態で病院まで無事に辿り着ける自信もない。いつかは終わる。マサキはそう信じて、自らの指で自らの身体を慰め続けた。
　七日目。乳首が張ってどうしようもない。服が擦れるだけでも身体が反応する。マサキは途惑いながらも乳首にも愛撫を施すことにした。両の乳首を指先で摩っていると、アナルの奥に強烈な疼きを感じる。強烈な欲望はどちらか片方だけへの愛撫では満足させてくれそうにない。朦朧とした意識の中、マサキは部屋の中を漁った。
　硝子製の流線形の置き物。任務で地方に遠征した時に、何の気なしに買った土産だった。それがマサキの目にはとてつもなく美味しそうに映った。アナルにぴったりと嵌まりそうな形をしている。マサキは躊躇わずにそれを自らの腹の中に収めた。そうして腰を振りながら乳首を弄った。更なる快感。自分の身体がどうなってしまっているのかなどといった心配事は、最早蚊帳の外だった。マサキは置き物を抜くことなく、何度も絶頂に上り詰めてはまた自慰に励むのを繰り返した。
　そうして迎えた八日目。
　目が覚めると驚く程身体が軽かった。一週間ぶりに自分の脳が確りと働いている感覚がある。あれだけ悩まされた症状が一斉に消失したことに不安を感じながらもベッドを出て、この七日間、僅かにしか顔を合わせていなかった義妹と久しぶりに食卓をともにした。
　それきりだった。
　ひと月が過ぎ、ふた月が過ぎても、おかしなことが身体に起こる気配はない。だからマサキは、何か奇妙な病に罹っただけだったのだと、自分を納得させることにしたのだ。覚えてしまった快感に、時に身体が疼くのを感じていながらも――。
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１．発情

　それは今となっては容易い任務だった。
　バゴニアとの国境で行われる親善イベントは、ラングランとバゴニア、両国の国境警備隊が保持する全ての魔装機が参加するだけあって、かなりの人出だった。軍を率いてその治安維持当たったマサキは、現地で彼らと別れ、単機で王都への帰路に就いた。
　シュテドニアス・バゴニア両国との和平条約が締結されて久しい。親善イベントにしても今年で三回を数えるまでになった。今更にテロを警戒するのもおかしな話だが、平和が乱されるのに前触れなどない。マサキがそれなりの緊張感を持って挑んだ警備は、両国の国民同士のトラブルもなく済んだことから、一定の成果があったようだ。
　民衆が魔装機戦を間近にする機会は少ない。戦時に於いて、彼らは戦闘区域からの避難を強いられる。それは彼らの安全確保の為でもあったし、魔装機の機密保持の為でもあった。だからだろう。型が決められたパフォーマンスとはいえ、実際に動く魔装機を目にした彼らの興奮は凄まじいものであった。熱狂の坩堝。あれだけの熱気で民衆に迎え入れられた国境警備隊の隊員たちは、さぞや士気を高められたに違いない。そう、操縦席で孤独な戦いを強いられる操者にとって、民衆の声援以上に頼りになる応援はないのだ。
　きっとそうしたイベントの空気に当てられたのだろう。幾つもの州を跨ぐ間、マサキの神経は昂りっ放しだった。心なしか身体も火照っているように感じられる。この感情を鎮めるのには時間がかかりそうだ。そう思いながらラングラン州との州境まであと二十kmに迫った時だった。
　どくん、と鼓動が跳ねた。
　瞬間、視界が二重写しになったかと思うと、毛穴という毛穴から汗が噴き出してきた。直後に湧き上がってくる欲望。抑えきれない衝動が脳を支配する。まさか――。マサキは動揺した。三ヶ月前に自らを襲った異変は、流行病の類ではなかったのだ。
　これは何だ。全身に感じる強烈な疼き。それはマサキの肌を刺激に敏感にしてしまったようだ。僅かに衣服が擦れただけでも、こそばゆさに声が上がりそうになる。操縦席に身体を収めているだけでも息が乱れてどうしようもない。この調子では正常な判断力が失われるのは時間の問題だ。そう考えたマサキは、だったらせめて理性が残されている内にとコントロールパネルを叩いた。そして、どうにかサイバスターの機能を停止させると、自身の異変に慌てふためいている二匹の使い魔に操縦席を出るように強く迫った。
「でも、マサキそんなに苦しそうニャのに！」
「うるせえ！　いいから出ろ！　俺なら大丈夫だ！」
　大丈夫でないことはマサキ自身が一番良くわかっている。前回よりも支配性を増した性欲は、いずれマサキを飲み込んでしまうことだろう。それに抗える自信がマサキにはない。
「俺を心配するなら、王都に向かえ！　誰でもいい、助けを呼んでこい！」
　だからこそ、それが僅かな時間稼ぎにしかならないのを承知の上で、マサキはそう言葉を吐いた。
　自らの尊厳を失った姿を、どうして主人たるマサキが使い魔に見せたいと望めるものか。既に下着が濡れ始めている。冷静に言葉を吐いているようにみえても、頭の中は“何が使えるか”で一杯だ。整備用に積んであるドライバーやレンチの柄、その形を思い浮かべただけでもアナルの奥が疼く。
　欲しい。欲しくて欲しくて堪らない。
　とにかく早く昂った身体を慰めなくては。そしてひとときでいい。この息を吐くこともままならないような性的な衝動から解放されたい。
「でも、マサキ、ここから王都までとニャると、あたしたちの足じゃ二日は――」
　その言葉が終わるより先に、大地が震えた。地を揺らがせながら鳴り響いく轟音は、どう安く見積もっても味方の魔装機が放つ駆動音ではない。こんな時に……ッ！　マサキは顔を上げた。サイバスターのコンパウンドアイの向こう側に、見慣れた青き機影が姿を近くして立ちはだかっている。
　仕方なしにマサキは通信回線を開いた。
　整い過ぎたきらいのある相貌が通信モニターに映し出される。冷ややかな光を放つ双眸に、薄く笑みを湛えている口唇。今日も今日とて人間らしさを感じさせない顔立ちは健在だ。それでも、この急場でなければもう少し余裕を持って相手をしてやれたことだろう。マサキは舌打ちしながら、「何の用だ」シュウに向かって短く吐き捨てた。
「立ち往生していらっしゃるようでしたので、様子を見に伺ったのですよ」
「ご覧の通りだ。お前が力になれるようなことは何も」
　そうでなくとも身体の変調に振り回されている身。大人しく話を済ませてくれそうにない男の澄ました物云いが癪に触って仕方がない。いきり立ったマサキは操縦席から勢い良く立ち上がろうとして、その瞬間に我が身を襲った座席《シート》と擦れた肌の感触に声を詰まらせた。
「……決して具合がいいという訳ではなさそうですね」
　痺れるような快感が全身を貫いている。耐えきれずにマサキは震えながら操縦席にうずくまった。
　どろり、とアナルから粘液が溢れ出る。下着どころかジーンズすら汚しそうな勢いに、どうすりゃいいんだよ――。助けを求めて声を上げたくとも上げられないマサキは、シュウ相手に事情を説明する二匹の使い魔の言葉を遠く聞きながら、絶望的な気分でいた。
　そもそもシュウ＝シラカワという男はいつもこうだ。マサキの気持ちや都合などお構いなしに、マサキの事情に土足で踏み込んでくるような真似をする。それに助けられたこともありはしたものの、それはこれまでのマサキの窮地がラ・ギアスの法則でどうにかなる話だったからだ。
　流石にこの非常識な事態にまで彼が手を及ぼせる筈がない。マサキは終わらない彼らの会話に歯噛みした。身体の火照りに疼き。蜜のように溢れ出る粘液。そして発作的に襲いかかってくる性欲。硬くなった股間にしてもそうだ。抱え込んだ欲望の解消を訴えるように、延々と精液を滴らせている。こんな状態の身体をどうしてちょっと見た程度で把握出来たものか！　
「わかりました。兎に角、先ずは様子を直接見させていただくとしましょう。どうやらマサキは誰かに頼りたいという状況ではなさそうです。特に重大な問題が見られなければ、私が王都まで送り届けることにします。如何ですか、マサキ」
「お前らに出来ることは、ここから一刻も早く立ち去ることだ」
　マサキは昂った感情に任せて言葉を吐いた。
「まるで手負いの獣ですね。大丈夫ですよ、マサキ。少しで済みます」
　尽きることなく湧き上がってくる性欲は、いよいよマサキの自制心を奪おうとしていた。早くひとりになりたい。だというのに、マサキの制止を聞く気がないのか。お節介な男は、二匹の使い魔にコントロールルームのカバーを開かせると、こちらに向かってくるではないか。
「お前ら、いい加減に――ッ！」
　ふわりと空気が薫った。
　いつも彼が好んで付けている甘ったるい香水の匂いが、コントロールルームに充満する。鼻に強く残る人工的な香り。数種類の花の蜜を混ぜ込んだ上から、薄荷を振りかけたような……既に鼻に慣れた筈のその匂いを嗅いだ瞬間、マサキの視界を眩暈が攫った。欲シイ。脳を直接殴られたような衝撃。欲シイ。じん、と身体の芯が疼く。
　もう嫌だ。マサキは揺らぐ視界の向こう側に立っているシュウの姿を睨み付けた。欲シイ。激しさを増した性欲が身体の中で暴虐に渦を巻いている。欲シイ。彼の身体にあるそれは、マサキに深い悦楽と安らぎを与えてくれることだろう。欲シイ。絶え間なく浮かんでくる欲求に、強く頭を振って抵抗する。

　欲　シ　イ　。

　臀部から腿にまで雫が滴っているような感覚。アナルから溢れ出た粘液は、いよいよジーンズを濡らすまでに至っている。彼が欲しくて欲しくて堪らない。理屈では説明の付かない情動に、マサキは抗えずに呼吸を荒くした。
「これ、は――」
　どうやら異常を感じたのはマサキだけではないようだ。マサキを間近にしたシュウは、その長躯を傾がせたかと思うと、目を押さえながら壁に手を付いた。そうして、暫く。らしくなく肩で息を吐いていた彼は、けれどもマサキとは異なり、この状況に思い当たる節があるようだ。私でさえここまでの影響を受けるとは。そう呟くと、意を決した様子で、一歩、また一歩とマサキに近付いて来る。
「や、めろ……」
　力なく声を発するも、それで止まるような男でもない。彼は確たる足取りでマサキの前に立つと、その手をマサキの肩に置いた。びくん、と揺れる身体。触れられた箇所から全身に電撃が突き抜ける。それが快感であることにマサキが気付いたのは、長く尾を引く余韻が甘やかに身体を満たし始めてからだった。
「立てますか」
　マサキは首を振った。その穏やかな声ですら、過敏になっているマサキの肌に障って仕方がない。全身を包み込む脳が溶けそうな多幸感。それはマサキの視界を更に覚束ないものとした。
　シュウと触れ合っている箇所が熱い。熱くて蕩けてしまいそうだ。
　もしかしすると、シュウも同様の感覚を味わっているのやも知れない。でなければこの鉄皮の塊のような男が、一時的にせよ、どうしてああも自分を乱したものか。マサキはシュウの顔を窺った。滲んだ世界の向こう側に在るシュウの表情は捉えどころがなかったものの、マサキにはその瞬間、微かに彼が喉を鳴らしたように感じられた。
「……とにかくここに放置しておいていい状態でないのはわかりました。一旦、私の家に連れて帰ることにしましょう」
　滑るように身体を辿ったシュウの手が背中に回される。その都度、身体に走る快感。触れられるだけでこれなら、望んだものを得た瞬間の快感はどれ程のものになることだろう！　ああ、欲しい。マサキは身体を震わせた。けれども、シュウは震えが止まらなくなったマサキには構うことなく、もう片方の手を硬く閉じた膝裏に差し入れてくると、躊躇わずにその身体を抱え上げる。
「…………ッ！」
　息が詰まる程の衝撃が全身を駆け巡り、意識が弾け飛ぶ。これまでに経験したことのない快感に、マサキは深い悦楽を味わいながら昏い闇の中へと。その意識を沈ませていった。

　※　※　※

　歴史から抹消された優生思想のひとつであるのだそうだ。
　進化とは斬新的に生じるものである。かつては男性・女性といったふたつの性しか有していなかった地上人は、17世紀から18世紀に起こった世界的なパンデミックに瀕して、絶滅の危機を脱する為に特異な進化を遂げた。それが男性への子宮の出現。そして女性への精嚢の出現。これにより、地上人は全ての人間が妊娠可能となった。
　この特異な“進化”は劇的な“効果”を地上の人間社会に齎した。半世紀の間に人口を五倍に増やした地上人は、その後も順調に個体数を増やし、19世紀の初頭にはかつての規模にまでその人口数を回復させた。瞬く間に地上の覇者の座を取り戻した地球人たちは、しかし新たな問題に直面することとなる。それが個体の性能差だ。
　劣った個体から高い能力を有する個体が生まれることは先ずない。これに気付いた高い能力を有する個体群はその結び付きを強くし、社会の主要な階級を独占せしめた。生まれが階級を決定付ける社会。それまで緩やかに結び付いていたそれぞれのコミュニティは、これにより断絶を生じることとなる。それは容易には覆せない壁となって数多の地上人たちの眼前に立ちはだかった。
　19世紀末に興った優生学の発展とともに、急激に解明が進んでいった進化の詳細。それは追い打ちをかけるように、残酷な現実を地上たちに突き付けた。第二の性。外見上の性別とは異なる特性を持つトランスが進化を経た人類には存在している。その分類たるα、β、Ωは、その個体の性能にも大きな影響を与えているというのだ。
　特権階級に数多いα、一般社会を形成しているβ、そして最下層に甘んじるしかないΩ。だが、事は単純には済まなかった。αとαの組み合わせからαが産まれやすいのは勿論のことであったが、αとΩの組み合わせからも高い確率でαが産まれるのである。その確率はα同士の組み合わせを遥かに上回り、より強く階級制度にしがみつくα群にΩを飼う習慣を根付かせた。多産に耐え切れず命を絶つΩもいたようであったが、最下層の暮らしと比べれば遥かに豊かな生活が保障されている。Ωたちも表立って自らの扱いに異を唱えることはなかった。
　しかし、思いがけない事件が起こる。固有の血脈による特権階級の占有を危惧した他α群が、社会に残されたΩの個体群を虐殺したのだ。
　この事件が引き金となって起こったのが、生得的な階級制度の廃止及びΩの飼育の禁止を求める人権運動だ。βが中心となったこの運動は長く膠着状態を続けたが、同時期に世界各所で起こった奇跡によって風向きを変えてゆくこととなる。それが実に三世紀ぶりの精嚢のない女性の誕生。そして子宮のない男性の誕生だ。徐々に数を増やしていった彼らの存在もあり、そこから半世紀後。20世紀半ばになってようやく、長く続いたαによる階級支配は終焉を迎えた。“全ての人間に等しい教育と機会を”をスローガンに新たな道を歩み始めた地上人たちは、忌まわしき進化の記録を歴史の闇として捨て去った――……。
「それとマサキの状態にニャんの関係があるんだニャ」
　何を話されているのか意味がわからないといった表情でシュウの話を聞いていたマサキの二匹の使い魔は、話が終わってもやはり理解が及ばなかったようだ。呆けきった表情のまま尋ねてきた。
「恐らく、マサキはΩですよ。今となっては絶滅が危惧されるようになり、積極的な保護が行われるようになった」
「ニャんで保護されるんだニャ？　今までの話だと、Ωは自由を得たんじゃニャいのかニャ？」
「かつてあった優生思想を闇に葬り去ったからといって、その思想そのものが消えるとは限らないからですよ」
　シュウは彼らの問いに答える形で話を続けた。
　階級支配の終焉を迎えたαたちは、実力社会の中でもその能力を如何なく発揮した。けれどもそこにはかつてあった強い結び付きはもうなくなっていた。世襲社会にて階級保持に努めていた彼らは、職業選択や恋愛・婚姻関係の自由を得たことで、新たな価値観を持つようになったのだ。
　第二の性からの解放もそのひとつ。彼らはどうにかして、第二の性を根絶させられないかと考えた。大きな不幸を生み出してしまった第二の性。トランス体群の中に厳然と存在している個体の壁、それを取り払いたい。その為にはかつての人間の特性を取り戻す必要があった。
　現在の地上における人間社会はトランス体であるα・β・Ω、そして元あった機能を取り戻した｜Ｃｉｓ《シス》の四種で構成されている。Ｃｉｓ同士から生まれてくる第二世代は当然の如くＣｉｓであったが、Ｃｉｓとトランス体の掛け合わせから生まれてくる第二世代はトランス体だ。その法則を覆し、どうにかして人類全てをＣｉｓに置き換えることが出来れば――研究を続けたα群はそうして手がかりらしきものを手に入れた。異なる血の混入。そう、彼らは地球にとって脅威たる異星人をトランス体と掛け合わせることで、次世代のトランス体が持つ第二の性の“効果”を薄れさせることに成功したのだ。
「ニャんか話が大きくなってきたのね。異星人までも巻き込む話にニャるとは思ってニャかったのよ」
「おいらはΩがニャんで保護されるのかを聞きたいんだニャ」
「少し回り道をしてしまいましたね。話を本題に戻しましょう」
　全ての人類に平等な教育と機会が与えられるようになった地上世界であったが、それでもΩの就業率は低いままだ。
　それは決して彼らの能力がそこまで劣っているからではなかった。ΩにはΩだけが保有しているある特性があった。それが発情期だ。他のトランス体に比べると生殖能力に劣るΩは、平常時に妊娠する可能性はほぼない。だが、発情期の期間だけは異なる。この期間に生殖活動を行ったΩはほぼ100％の確率で妊娠する。その代わり、それだけの効果を持つだけはあり、この期間の彼らの日常生活は大きく制限された。一ヶ月の間に七日間連続して生じる生欲の高まりは、Ωから正常な身体活動や思考を奪うのだ。ここに目を付けたのが、世界が闇に葬った優生思想を受け継ぐ者たちである。彼らはこう考えた。高い性能を誇るαは人間社会における共通の財産である。だからこそ、αと掛け合わせればほぼ確実にαを産み落とすΩは保護されなければならない。
　科学が発展した現在では、Ωの発情期を抑制・コントロールすることもほぼ可能となったし、トランス体の血を薄れさせることにも成功しているが、それでもある種のトランス体を任意に産み落とす手法は確立されずじまいた。当然だ。そうした研究が許されてしまえば、それを呼び水として、またいつ世に優生思想が蔓延らないとも限らない。βやＣｉｓたちが圧倒的多数を誇る地上世界は、倫理を盾にそうした研究の一切を禁じた。それこそが世界の安寧に通じると信じて。
　現在、優生思想を持つ者たちは巧妙に行政機関に潜り込み、その｜情報網《ネットワーク》を利用して、表向きは支援と謳いながら積極的にΩの保護に当たっている。その支援は手厚いとは聞くが、彼らがΩを産む道具扱いしていることに違いはない。
「そういった意味では、Ωの飼育目的での所持が認められていた時代の方が、彼らの人権を認めていたと云えるでしょうね。少なくとも彼らには“αに選ばれた”という事実があったのですから」
　シュウは嘆息した。
　Ωの発情期が始まるのは15歳から18歳にかけてと云われている。その期間のΩの存在は特異的だ。彼らは性フェロモンを大量に分泌し、他のトランス体を“誘惑”する。そして引き入れた番とともに子作りに励むのだ。
　それだけに、その性フェロモンの影響力は並大抵のものではなかった。何せ目的は生殖活動だ。そうでなければ子供を得にくい個体群であるΩは、より良質の血を次世代に残す為だろう。個体としての性能に優れているαに対して、特に効果が顕著となる性フェロモンを発している。
　かつてα群が積極的にΩを飼育したのは、こうした背景があってこそのこと。
　彼らα群はΩ群に“誘惑”されずにいられないトランス体であるのだ。
　地上での性加害事件も、三割はΩの性フェロモンに“誘惑”されたαが引き起こしてしまった事件だと聞く。表沙汰になっているだけでもこれだけの割合だ。日常的にΩが受けている性被害においてはどれだけのものか。だからこそ、Ωは自らと他トランス体を守る為に、Ωであることに早期の自覚が求められるのだ。
「自覚を求めるって云ってもどうやるんだニャ？」
「地上世界では全人類を相手にΩ因子のチェックを行っているのですよ。差別を防ぐ為に、表向きは健康診断と偽られていますがね」
「ええー？　ニャんか怖いのよ。それじゃあΩは極秘裏に発見されて、極秘裏に処分されるってこと？」
「いい表現ではありませんが、その通りですよ」
　とうにその年頃を過ぎたマサキに、何故今更ながらに発情期が訪れたのかはさておき、彼にはΩである自覚はなさそうだ。
　人権運動が結実を迎えてからかなりの歳月が経過した今、Ｃｉｓやトランス第二世代の台頭もあって、地上世界はその過酷な歴史の記憶を薄れさせてしまっていっていると聞く。もしかすると彼のようなΩも珍しくないのかも知れない。シュウにしてもこれらの事情を知ったのは、自らの第二の性を認識してからだった。トランス体、第二世代トランス、Ｃｉｓ……様々な性が入り乱れるようになった今の地上世界で、人間たちはその大半が自らが持つ性に頓着することなく生きているのだ。人権運動の湧き上がりの後、そうであることが推奨される世の中になったのも大きい。いずれマサキには詳しく事情を尋ねなければ――二匹の使い魔相手に説明を終えたシュウは、マサキの様子を窺うべく立ち上がった。
　寝室でベッドに横たわっているマサキは、シュウが渡した数種の睡眠薬で無事に眠りに就けたようだ。静かな寝息を立てながら、心安らかな表情で眠っている。この間に地上に向かって、発情期を抑制する薬を手に入れて来なければ……鼻腔を擽る甘い香りは、彼が放っている性フェロモンの匂いであるのだろう。身体の芯が疼くのを感じながら、シュウはそっと寝室に続くドアを閉じた。　
　地上人と地底人の合いの子であるシュウは、どうやら地上で云うトランス第二世代に当たる特性を有しているようだ。それをシュウが知ったのは、かつて地上に赴いた時。Ωが発する性フェロモンに当てられたシュウは、それを環境の変化からくる体調不良と処理しつつも、自身の身体に起こっている明らかな異変を案じて医療機関を受診した。シュウより症状を聞いた医師は、即座に思い当たったのだろう。扱い慣れた様子でシュウに因子検査を行うと、シュウが第二世代のαであることを告げてきた。
　異なる血の混入で理性の力が増し、その結果、本能的な部分に抑制がかかったトランス第二世代は、純粋なトランス体と比べると精神的に安定している分、彼らよりも高い能力を誇っている。
　それでも発情期のΩであるマサキを目の前にすればこれだ。
　――あれでは純粋なαの個体がΩの“誘惑”に狂うのも無理はない……。
　シュウは騒ぐ心と身体を鎮めながら、二匹と一羽の使い魔が待つリビングに戻った。そして二匹の使い魔にマサキの番を任せると、チカを伴って地上に向かうことにした。

　※　※　※

　それまで穏やかな眠りに就いていた分、落差の激しさに精神が耐え切れなかったのだ。
　目が覚めるなり襲いかかってきた性衝動は、その解消へとマサキを強く突き動かした。ふらつく足取りで寝室を出てシュウの姿を探す。いない。シュウの姿もなければ、チカの姿もない。焦り急きながらもリビングで微睡んでいる自らの二匹の使い魔に尋ねてみれば、彼はマサキの状態を改善する薬を得る為にチカを伴って地上に出たらしい。
「それまでは眠るといいんだニャ」
「シュウが置いていった睡眠薬があるのよ」
　もしもの際に備えて、睡眠薬を託していったようだ。それを受け取って寝室に戻ったマサキは、薬を飲むべきか飲まないべきか葛藤した。眠れば楽になれる。わかってはいたものの、知ってしまった快感の誘惑は限りない。
　ああ、欲しい。マサキは喉を鳴らした。
　触れられただけでもあれだけの快感が走るのだ。実際に彼の｜男性器《ペニス》を受け入れたら、それはどれだけの快感となってこの身を支配することだろう。マサキは寝室のドアに鍵を掛けた。そして彼の香りが染み付くベッドに伏せた。
　自分が何に及ぼうとしているかわかっている。今の自分は正常な精神状態にはない。それもわかっている。それでも、マサキは自分を慰めずにいられなかった。欲シイ。本能的な性衝動。理性を食い散らかしながら身体を這い回っているそれに、マサキは身を委ねる決心をした。
　ブランケットを深く被り、彼の香りで自分を満たす。いつでもきっちりと衣装を着込んでいる彼の隠された肉体を想像しながら、マサキは先ずシャツの裾を捲り上げた。次いで下着を摺り下ろす。張って突き出た乳首に、猛りながら汁を吐き出している男性器。露わになった欲望の象徴を、マサキはシーツに擦り付けた。はあっ、ああっ、シュウ。ゆるゆると染み込んでくる快感。身体を満たし始めた悦楽にマサキは声を上げてよがった。
　ああ、ああ、もっと。
　腰に回した手を臀部へと滑らせ、双丘を割る。そうして、身体をシーツに擦り付けつつ、溢れ出る粘液の中に沈んでいるアナルへと、マサキは指を挿し入れていった。ああ、ああ、いい。あっという間に何本もの指を飲み込んだアナルは、咥え込んだ欲望を手放すまいと収縮を繰り返している。奥、奥がいい。求めるものの正体を知ったマサキは、その世界を様々に夢想してゆきながら、ひたすらにアナルを嬲った。
　――ん、んん、んぅ。はあ、ああっ、あ、ああっ……
　自分のものとは思えない鼻にかかった甘い声。ここまで欲望を抑え込んできた鬱屈を晴らすように、マサキは自らの身体を苛んだ。指を突き立てては、捏ね回す。その都度、悦びを伝えるように、マサキのアナルは淫猥な音を立てた。まるで昔からそうであったかのようにマサキの身体に馴染んでいる覚えたての快感。このまま溶けてしまいたい。乳首に、男性器に、そしてアナルと一気に三点を責め上げたマサキは、やがて射精の時を迎えても、一連の動きを止められずにいた。

　※　※　※

　Ωが発情期の効果を抑制する方法は、人工的な方法に限られる。それが抑制剤だ。日常的に服用することで性フェロモンの分泌を抑える効果がある抑制剤は、他の地上人には強力な副作用を齎すとあって、医師の処方がなくしての入手は不可能となっている。
　いずれは地上の医療機関にかからせなければならないにせよ、今の状態のマサキを地上に連れて行くのは難しい。シュウは地上時代の人脈に頼った。マサキに必要な薬は抑制剤に限らない。彼らを通じてさしあたり必要な薬の数々を手に入れたシュウは、マサキの今後を憂いながら帰路に就いた。
　日々の服薬が求められる抑制剤、抑制剤の経口が追い付かず発情期が起こってしまった際に使用する緊急抑制剤、そして望まぬ妊娠をしてしまった際に飲ませる人工中絶薬。彼はこれからこれらの薬に頼りながら生きていかなければならない。これでマサキの今後を憂えずにいられる程、シュウはマサキに関心を持たずに生きてきた訳ではない。むしろその逆だ。シュウは自分がマサキに寄せている並々ならぬ関心に自覚がある。
　所詮は浅はかな子どもの蛮勇だと思っていたのだ。
　世界の秩序を保つことを使命として課せられている魔装機の操者たち。彼らは総じて純粋で、そして総じて勇猛だ。自らの身に振り掛かる危険を省みず戦場に飛び込んでいっては、力なき者たちの正義の代行者としてその力を揮ってみせる。彼らの正義は時に盲目的な信奉と化すこともあったが、戦いの経験を積むことでそうした甘さも払拭されつつあるようだ。今となってはシュウの方がロマンチストと呼べるまでに、彼らは精神の逞しさを増している。
　その中でもわけて成長をみせたのがマサキだ。
　彼はラ・ギアスに召喚された直後は、世を拗ねたところのある甘ったれた少年だった。ひとりで風の向くまま、気の向くままに行動をしては、仲間を困らせることも多々あるような。けれどもそれも已む無し。ラングランの甘言を真に受けた彼は、正義を行使するということの真実を深く考えないまま、ただ直感的な義侠心に従ってゲーム感覚で戦いに身を投じたのだ。とはいえ、いつまでもそうした心持ちで戦場に赴いていては、命を落としかねない。彼は長い戦乱で自らの甘えた考えを更生させていった。時に周囲の力を借りながら。
　青年となったマサキの言葉は含蓄に富み、一家言をみせるまでとなっている。
　Ωであることは、彼の育て上げられた士気や意気を挫くことになりはしないだろうか？　シュウは彼にどう事実を告げ、どう現実と向き合わせるかを考えた。
　どういった困難に見舞われようとも、逞しく前に進み続けるマサキ。けれども、自身の力が及ばない事態に直面すると、無力感に苛まれるからか。彼はどうしようもなくナーバスになった。それはシュウの家に連れて来られるまでのマサキの様子からも明らかだ。マサキ＝アンドーという人間の本性はセンシティブなものであるのだ。
　そういった彼が自身がΩである現実をすんなりと受け入れるだろうか。帰宅を済ませ、二匹の使い魔からマサキが一度寝室から出て来たことを聞いたシュウは、嫌な予感を覚えながら寝室へと向かった。リビングを抜けるなり、甘い匂いが鼻を衝く。咽返るような彼の性フェロモンの香りは、シュウの予感が現実のものとなったことを伝えてきた。
　身体が火照って仕方がない。
　マサキ。シュウは寝室に続くドアを叩きながら、彼の名を呼んだ。マサキ。けれども返らない声に、そうっとドアに耳を押し当てて中の様子を探れば、どうやら何かに励んでいる最中であるようだ。忙しなく響いてくるベッドがきしめく音に、マサキ。三度その名を呼ぶ。そこでようやくマサキはシュウの存在に気付いたのか、物音が止んだ。
　開けますよ。と、ひと言声をかけてドアを開けようとするものの、ドアは内側から施錠されているらしく開く気配がない。シュウは急ぎ書斎に向かった。そしてデスクの引き出しから鍵を取り出すと、寝室へと取って返した。自身を突き動かしている衝動が、彼が放っている性フェロモンの所為であることは理解していたが、理解していたからといって身体がいうことを聞くとは限らない。開けますよ、マサキ。シュウは鍵を使ってドアを開けた。
　甘い香りが押し寄せてくる。
　第二世代のαであるシュウは、地底での生活が主なこともあって、決して発情期のΩの生態に明るくはなかったものの、マサキが中で何をしているのかについては確信めいた思いがあった。弱味を見せることを潔しとしないマサキが、あれだけの醜態をシュウに晒してみせたのだ。どうして大人しくベッドで休んでなどいるものか。マサキ。シュウはその名を呼びながら、ベッドへと近付いて行った。マサキ。ベッドの中央でブランケットを被っているマサキは返事をしようとしない。
　それがシュウの感情を爆発させた。
　発作的にブランケットを剥ぎ、ベッドに伏せている彼の身体を返す。すんなりとシュウの手に従ってベッドに仰向けとなったマサキには、最早抵抗するだけの理性は残されていないらしい。熱っぽい瞳がぼんやりと、潤みがちにシュウを見上げている。
　そうでなくとも鼻に突く匂いがいっそう濃度を増す。シュウの鼓動は激しく高鳴った。
　鎖骨まで捲り上げられたシャツに、膝上まで摺り下がった下着。陽の光を浴びない部位であるからだろう。白い肌に乳首と陰部がなめかましく色を浮かべている。嬲りたい。精神的な逞しさばかりが強調される彼の肢体は、こんなにも魅惑的に映るものであるのだ。シュウは喉を鳴らした。濡れそぼるシーツが、彼の尽きることのない欲望の凄まじさを物語っている。嬲りたい。目の奥でチカチカと光が弾けている。それが急性的な情動の昂りからきているものであるとシュウは気付いていた。けれども、逆らい難い思い。自分が何に抵抗をしているのか、シュウにはわからなくなりつつあった。嬲りたい。膨れ上がった乳首が、昂る男性器が、粘液を滴らせているアナルが、雄を招き入れようと待ち構えている。それを蹂躙して何が悪い。知らなかった欲望に我が身を支配されながら、シュウは最後の理性で物思った。これがΩに“誘惑”されたαに引き起こされる性衝動、｜急性発情期《ヒート》であるのだ――と。
　シュウはマサキの足首を掴んだ。先ず膝に溜まっている下着を抜く。次いで脚を大きく開かせる。閉じては開くを繰り返している蕾が、盛んに愛液を吐き出している。初めて嗅ぐΩの蜜の香りは、彼が放っている性フェロモンの香りよりも濃密だ。シュウは息急ききってスラックスを下ろした。そしてマサキの両脚を抱え込んだ。そこにはまともな思考など存在しない。ただ肉欲が渦巻くばかりだ。
　喘ぐように息を吐いているマサキの視線はしどけない。それがシュウの暴力性を増長させた。抱え上げた脚の奥、双丘の谷間に自らの昂った男性器を押し当てる。その瞬間だけ、動揺したのか。マサキの身体が小さく揺れた。
　けれども今更その程度で押し留められる欲望でもない。シュウは拙速にマサキの｜内部《なか》へと押し入った。ああ、ああ、ああ。開いた彼の口元から喘ぎ声が迸る。
　触れられただけでも身体を小刻みに震わせてみせただけはある。まだ少しばかり男性器を収めた程度だというのに、マサキは呆気なく｜絶頂《オーガズム》を迎えたようだ。頭上に掲げた手でシーツを掴みながら大きく身体をしならせると、既に幾度も射精を終えた後であるのだろう。僅かに精液を吐き出した。
　――奥、もっと奥……。
　潤み切った目で、ようやくマサキが言葉らしい言葉を口にする。
　Ωの発情期の目的は受精にこそある。射精を終えても衰えることを知らない男性器はその証左。彼らは受精を終えるまで、欲望を枯らすことがない。シュウは無言のまま、更に腰を進めた。滑ったアナルを割って、深く男性器を収める。決して弄っていなかった訳ではないようだ。すんなりとシュウの男性器を受け入れたマサキは、指では決して届かない場所を刺激されたことで、更なる快感を得たのだろう。瞳から涙を零しながら、小刻みに身体を震わせている。
　その男性器からまた少量の精液が吐き出される。それでも彼の男性器は衰えることを知らない。動け、よ。達した先から声を上げてねだるマサキに、シュウは彼の足を抱え上げる手に力を込めた。早く。その言葉に答えるように、ゆっくりと、先ずはひと突き。その刺激はマサキに更なる快感を与えたようだ。そうでなくとも震えている身体が大きく跳ねる。
　――あっ、あ、はぁ、ああ、あ、あ……！
　続けて腰を進めれば、面白いように鳴き喘ぐ。根元の肥大した男性器。｜急性発情期《ヒート》を迎えたαならではの特徴を有するシュウの男性器は、容易には抜けない楔となってマサキのアナルに嵌まり込んでいた。はあ、イク。またイク。常に深い場所を責められ続けているからか。立て続けに射精を繰り返している彼は、息も絶え絶えになりながら、それでもその男性器を萎れさせることがない。
　うねり、絞り、緩まっては、柔らかく包み込む。彼のアナルはシュウの男性器を大いに猛らせた。突き上げれば突き上げただけ深みに嵌まってゆく。だのにもっと奥へと入り込みたくて仕方がない。
　シュウは折った膝の上にマサキの腰を乗せた。そして脚から離した手で、彼の両手を掴んだ。
　その腕を手前に引くと、そうでなくとも深く繋がっている性器が、より奥へと嵌まりこんだような気がした。瞬間、またマサキの男性器から精液が放たれる。もう、もう無理。幾度も射精を繰り返しているマサキは、今また何度目かもわからなくなった射精を迎えたことで、体力的な限界を感じたようだ。声を上げると、シュウの手を払い除けようと藻掻く。
　長い後れ毛の下から、思ったより細いうなじが顔を覗かせた。
　猛々しい衝動がシュウに襲いかかったのは、その瞬間。噛み付きたい。けれどもマサキの同意なしにそこまでしてしまうのは。シュウは逡巡した。大きな制限を受けることとなるΩに自由に出来ることは少ない。せめて番ぐらいは自分の意思で選ばせてやらなければ。寸でのところで衝動を抑え込んだシュウは、やり場のない感情を性欲の発散に向けることにした。そう、彼の中に自分を注ぎ込むのだ。
　自分でもそれとわかるぐらいに口元が歪んでいるのがわかる。
　シュウはマサキの手を掴み直した。そして、何度も何度も。マサキのアナルに自身の男性器を叩き込んだ。
　まるでシュウの射精を促すように、ひっきりなしに痙攣するアナル。恍惚に溶けた顔が、彼の置かれている状況を物語っている。その顔を見下ろしながら、シュウはマサキを犯し続けた。自身の荒ぶる呼吸を間近に聞き、尽きることのない欲望に身を委ねながら、延々と。出したい。彼の中にその精の全てを吐き出したい。本能に突き動かされるがまま、シュウは腰を振った。
　またマサキの男性器が精液を吐き出す。その瞬間、いっそう強い刺激がシュウの男性器に加わった。脳が焦げるような快感。果てしなく遅いくる快感に、シュウはついにマサキの中に精を吐き出した。ああ、あ、ああっ。その感触は更なる恍惚へとマサキを導いていったようだ。彼はぴくりぴくりと身体を跳ねさせると、ついに意識を手放したのだろう。糸が切れた人形となって、ベッドに身体を沈めていった。
　｜急性発情期《ヒート》におけるαの射精量は、通常時の約二倍。そして他のトランス体などと比べると十倍にも及ぶ。シュウは精液を吐き出し続けている男性器を、マサキの体内で抽迭し続けた。終わりのない快感が多幸感を生み出しながら脳を満たしている。それだけマサキのアナルは、シュウにとっては誂えたかのように具合が良かった。しかも、意識を失っても感覚は生きているからか。それともそれもまたΩの本能であるのか。マサキの身体は起きている時と同様の反応をみせたものだ。
　既に受精を済ませた後だからか、彼の男性器はとうに萎れてしまっていたけれども、だからといって感じていない訳ではないようだ。はあ、ああっ……無意識に放たれる喘ぎ声。シュウの男性器を咥え込んでいる彼のアナルは、精液だけではない潤いに満ちている。小刻みに突いてやれば、目を閉じたまま。マサキは幾度となくぴくぴくと身体を震わせた。
　そういったマサキの反応を、後ろめたい思いもないままにシュウは眺めていた。
　射精を終え、ようやく醒めた意識に大きく息を吐く。シュウはマサキの身体から男性器を引き抜いた。途端に溢れ出てくる精液。マサキのアナルから滴り落ちるその量に閉口しながらも、自らの過信が招いた事態だ。第二世代のαである自分であれば抗い切れると思い込んでいたシュウの。
　だからこそ、シュウは黙々とその後始末を行った。
　汚れた陰部をタオルで拭い、シャツを着せ、下着を履かせる。そしてシーツを変えたベッドにマサキの身体を横たわらせて、ブランケットをかけてやる。｜急性発情期《ヒート》を起こしてしまったからだろう。急激に襲いかかってきた眠気を伴う倦怠感に、その他の“処置”は、彼が目を覚ましてからだ。そう決めたシュウは寝室を出た。そしてリビングのソファで仮眠を取ることにした。

　※　※　※

　Ωは発情期を迎えることで性徴を終え、妊娠可能な個体となるトランス体だ。そのぐらいの知識はマサキにもあった。あったものの、いざ自分がそうだと指摘されて、即座にそうと納得出来る程の自覚もない。何とも云えない虚脱感に支配されながら、マサキはシュウの説明を受け、そして彼に渡された人工中絶薬を飲んだ。
「Ω因子のチェックを受けた覚えはありますか」
　シュウに尋ねられたマサキは、ないと答えた。
　但し、心当たることはあった。
　両親を失った葬儀の席でだった。長く学校を休んでいたマサキの許を訪れた担任は、近く行われる大規模な共通健康診断の話を持ち出してくると、こう云った。お前はこれからひとりで生きていかなければならないんだ。健康には気を付けないと。そうして彼は他の話もそこそこに、マサキにしきりと検診を受けるようにと勧めてきた。
　今持ち出す話じゃないだろ。激高したマサキは、彼を葬儀の席から追い出した。
　手続きに追われて休みがちになったマサキは、結局、その年の健康診断を受けることはなかった。担任も過ぎてしまったことを蒸し返すのも良くないと考えたのだろう。そこから先は、健康診断のことを口にすることはなくなった。
　それで終わった話だと思っていたのだ。
　この年齢になるまで何事もなく生きてきたマサキにとって、発情期によって生活に支障が出るΩの人生は、容易に想像が付くものではなかった。何せ風の魔装機神の操者である。一般的なΩのように発情期休暇を取っている余裕のない生活を送っているマサキにとって、これから始まる新たな人生をどう過ごしてゆくかなど、どうして今直ぐに考えが及んだものか。
　それでもシュウはマサキに自身の身を守らせるべく、自覚を促してくるのだ。
　これをと渡された幅の広い首輪。途惑うマサキにシュウはこう口にした。地上に出る機会の多いあなたには必要なものですよ。ひと目でΩと知れるアイテムを身に付けるのに抵抗感はあったが、望まぬ相手と番になるよりはマシだ。マサキは仕方なしに首輪を身に付けた。
　発情期のΩは“誘惑”されたαにうなじを噛まれることで、そのαの支配下に入るという特性がある。それが番だ。番を得たΩは他の個体との性行為を受け付けなくなり、発情期に入った際にも番以外のトランス体を“誘惑”することが出来なくなる。当然、番以外の子どもを産むこともなくなる。
　実質的な婚姻関係。しかも書類上の婚姻関係よりも拘束力の強い。しぶしぶながらもマサキが首輪を身に付けたのは、そういった事情があったからだ。番となる相手ぐらいは自らの選択としたい。発情期に支配されるΩの人生は不自由の連続なのだ。わかっているからこそ、マサキは最後に残された自由を手放したくなかった。
　ただ、少しばかりその相手がシュウならば構わないとも思いはしたが――。
　彼は｜急性発情期《ヒート》を起こしながらも、マサキのうなじを噛むような真似はしなかった。どういった作用が起こったのかはわからない。けれども衝動性と暴力性が増す｜急性発情期《ヒート》状態にあっても、彼は自身の行動に理性を働かせられるだけの余地を持っているようだ。
　そういった意味でマサキは幸運に恵まれたのだろう。Ωの発情期にまつわる話は陰鬱な結果となるものが多い。その中で唯一となる自由の選択権を残してもらえたのだから。
　だからマサキはシュウに尋ねた。お前は何者なんだ。
　それに対して自身が第二世代のαだと答えたシュウは、それについてはあなたの方が詳しいでしょう。と、それ以上を語ることをせず。何か事情があるのだろうと口を慎んだマサキに、今後どうするつもりなのかと尋ね返してくると、その答えを耳にして、あからさまに未来を憂うような表情を浮かべてみせた。
［＃改ページ］
２．決別

　魔装機神の操者を続けたいと答えたマサキを王都に送り届けたシュウは、彼の上手く説明出来る自信がないという言葉に｜絆《ほだ》されて、魔装機神の操者が会するその席に同行することとした。
「……だから云ったのよ。召喚された地上人に適格検査を行うべきだって」
　今更にマサキがΩであることを知った仲間たちの動揺は計り知れない。長い沈黙に支配された場は、どこかぎこちない空気に包まれていた。それを破ったテュッティの話の内容から察するに、彼女自身はΩに思い含むところがありそうだ。マサキ自身も彼女に自分の存在が歓迎されていないことを察したのだろう。俯くと、膝の上に置いていた手を強く握り締めた。
「それを殿下が必要ないと仰ったから――」
　表向きは平等を謳う社会となっても、過去の遺恨やら確執やらは残っているものだ。綺麗事だけでは世の中が回らないと知っているシュウは、心の準備が出来ていないところに聞かせる話にしてはセンセーショナルな内容に、多少の行き過ぎた発言も已む無しと割り切って聞き流すつもりでいた。
　シュウは彼らの仲間にはなれないのだ。
　そうした行き違いも長い付き合いの間柄だ。ひとつやふたつはあって然るべき。問題はそれを彼ら自身がどう処理してゆくかにある。その為には本音を吐き出し合うことも必要な｜工程《プロセス》だ。困惑も露わに後悔を口にしたテュッティを、シュウが嗜めずにいたのもそういった意図があってのことだった。
「随分と前時代的な考え方をするな、テュッティ。今のこの世になってトランスだＣｉｓだなどと騒ぎ立てることもあるまい。きちんと抑制剤を服用し続ければ、発情期も抑えられると聞く。これまでのマサキと何が変わると云うんだ」
　どうやらヤンロンはΩに対して寛容であるようだ。恐らく彼はΩを身近にする機会に恵まれなかったのではないだろうか。どこか他人事のようにも聞こえる言葉。彼はテュッティのΩに対する忌避的な感情がどこから来るのか理解が及ばない様子で、鷹揚にも茶を啜りながら座を眺めている。
「副作用のない薬じゃないのよ。それに効き目には個人差もある。そもそもあなたは私たちが何を使命としているかを忘れた訳じゃないわよね、ヤンロン。私たちがしているのは、お茶を注いでコピーを取るような仕事じゃない。いざって時に使い物にならなくなるなんて、そんなことあってはならないのよ」
「でもさ、そうは云っても、実際マサキはサイバスターに選ばれてるんだよ。テュッティの第二の性が何だかあたしは知らないし興味もないけど、あたしたちだって子どもを産む日が来るかも知れないじゃない。生理だってあるしねえ。そのハンデと何が違うのかって、あたしは思うんだけどな」
　ミオもヤンロンと立場は同じであるようだ。今にもナンセンスと口にし出しそうな表情。呆れたようでも諦めているようでもある彼女は、半目がちにテュッティの顔を眺めている。
「全くその通りだな。大体、それを云い出してしまっては、誰かと付き合うことすら論外だと云っているようなものだ。結婚だって諦めなければならなくなる。お前は人間らしさの否定でもしたいのか？　そもそもお前にだって心当たらないことがないとも云えないだろう。違うのか、テュッティ」
「私はＣｉｓよ！」
　二対一。しかもヤンロンたちに分がある話し合いとあっては、決着が付くのも時間の問題。そうシュウが考えた矢先だった。自身の過去に話が及んだことに耐え切れなくなったのだろう。テュッティはテーブルと叩くと憤然と云い放った。
「わかってないのはあなたたちの方よ。Ωがどれだけトランスを狂わせると思ってるの！　発情期を生理と一緒にしないで頂戴！」
「ちょっと、テュッティ落ち着きなよ！　地底世界にΩもＣｉｓもないでしょ！」
「私たちは地上に赴く機会も多いのよ。その時に何かあってからでは遅いでしょう。それで傷付くのは誰だと思ってるの。マサキなのよ！」
「しかしだな、テュッティ。マサキだってもう一人前の大人だ。そのぐらいの危険性は承知しているだろう」
「どうかしらね？　大体、この子はいつだってそう。後先考えずにああしたいこうしたいって行動に移してから現実を知るのよ。そうして派手に打ちのめされる。これまではそれでもどうにかなってきたけれど、今回は違うわ。下手をすれば肉体的にも深い傷を負うことになる。その苦しみをわかってないのはあなたたちじゃないの」
　マサキの握り締めた手から血の気が失われてゆく。そうっとシュウがその横顔を窺えば、前髪に隠された瞳の具合はわからなかったものの、その肌の色は相当に青い。それだけテュッティが放った言葉の数々は、彼にとって聞くに堪えないものであったのだ。
　シュウはマサキの手に自らの手を重ねた。
　つい先程自身がΩと知ったばかりのマサキに、こういった内容の話をさせるのは早過ぎたのだだろう。彼としてはもう少し穏便に話が済むことを期待していたのかも知れない。今も尚続く三人の言葉の応酬に耳を傾けたシュウは、進展をみせない話の内容に、これ以上の我慢は必要ないと判断をした。
　わかりました。静かに言葉を被せたシュウに、しんと座が静まり返る。それまで黙って話を聞いていただけのシュウがようやく放ったひと言は、彼らの注目を集めるのに充分な効果を発したようだ。六つの瞳が自分を捉える中、行きますよ、マサキ。シュウはマサキの手を取って立ち上がった。そして、険しい表情でいるテュッティに視線を落とした。
「どうやらマサキをここに置いておくのは、彼の精神に障るようです。出来ればこうはしたくはありませんでしたが、こうなってしまった以上は仕方がない。彼は私が預かります。今後どうやってマサキとの関係を構築してゆくのか。その答えが出たら迎えに来るのですね」
　我ながら抑揚のない声だと感じつつも、感じている怒りを抑える術もない。シュウはマサキの肩を抱いた。震えている脚がその動揺を伝えてくる。大丈夫ですよ。何の慰めにもならないことを承知でそうマサキに囁きかけたシュウは、そのまま彼を伴ってその場を後にした。

　※　※　※

　家に着いたシュウは、空いている部屋を当面のマサキの部屋とすることとした。必要な家具を手配し、それらが届くまでの間、ベッド代わりになればとソファのひとつを運び込む。悪いな。それを手伝いながらぽつりとマサキが零した言葉に、シュウはただ首を振った。
　誰が何を思っているかなどわかりしないものだ。姉のように接していたテュッティの辛辣な言葉はマサキの胸を相当に抉ったことだろう。ソファしかない部屋にいるのは気が詰まる。そう云ってリビングに身を置いたマサキに、シュウは精神を落ち着ける効果のあるハーブティーを飲ませた。
「大丈夫よ、マサキ。あたしたちがいるのよ」
「サイバスターだっているんだニャ」
　二匹の使い魔がそう言葉をかけるも、彼は彼で思うことがあるようだ。ああ、そうだな。上の空な様子で頷くばかりなマサキは、手にしたカップの中を覗き込むようにして動く気配がない。その湿った雰囲気が耐え難かったのか。わっかりました！　桟の上から降りてきたチカが盛大に声を上げた。
「この際ですよ、ご主人様。これも乗りかかった船。運命ですよ！　マサキさんを番にするのはどうですか？　そうすれば発情期の問題も解決するじゃないですか！」
「そういう訳には行かないでしょう、チカ。それと引き換えにマサキが何を失うと思っているのです。好きな人が出来たとしても性行為に及ぶことは出来ない。しかも子どもを持つことも出来ないとあっては」
　シュウの言葉にぴくりとマサキの肩が震えた。子ども。そう呟いた彼は、そこで自分が子どもを産む側に立たされたことを自覚したようだ。乾いた笑い声を上げると、そうだよな。悲し気に目を瞬かせた。そしてひと口、またひと口と手にしたカップの中身を飲み込んでゆく。
　それは彼にも夢見ていた未来があったのだと感じさせるに充分な仕草だった。
　元々生殖機能が他のトランス体に比べて脆弱に出来ているΩは、発情期を除いて妊娠することはなかったものの、発情期が訪れれば本能的に雄を求め、“誘惑”を繰り返してしまう特性を持っている。彼が番えるのは、彼を妊娠させられる雄のみ。その現実は今更にマサキの心を打ちのめしたのだろう。正気を取り戻した瞳は、けれども彼らしい覇気を漲らせてはいなかった。
「大丈夫ですよ、マサキ。平常時の生殖機能が脆弱であるだけで、必ずしも妊娠しない訳でも妊娠させられない訳でもありません。あなた自身が好きになった相手次第ですよ、そこは」
「そうは云っても、お前あの瞬間を見ただろ。俺は――ッ！」
　発情期のΩとしての本能がさせた行為の数々を、彼は決して受け入れた訳ではないのだ。シュウは口を閉ざした。これまで雄として生きてきたマサキにとって、第二の性がΩであったことはまさに青天の霹靂。そのショックが、どうしてαであるシュウに想像出来たものだろう。
　彼がこの事実を受け入れきるにはまだまだ時間が必要なのだ。
　下手な慰めは悪戯に彼の心を傷付ける。シュウにしてやれるのは、彼の仲間たちが彼を受け入れる決心を付けて迎えに来るその時までの居場所を与えてやることだけだ。
　そうしたシュウの考えを、マサキは恐らく読み取れていないのだ。むしろ気分を悪くさせたと受け止めたのかも知れない。自分が招いてしまった沈黙に、気まずそうな表情を浮かべると、ややあって悪かったと詫びの言葉を吐いた。
「ところで、子どもを持てないってどういうことだ。お前、第二世代とはいえαだろ」
　そして話題を変えるように、シュウに水を向けてきた。
　｜衒《てら》いなくセンシティブな話題に切り込める無邪気さは、マサキの長所でもあり短所でもある。思いがけず話が自分に及んだことにシュウは内心動揺したが、隠し続けることにメリットのある話でもなし――と、口を開いた。
「個人的な主義主張ですよ」
　元来、自身の血統に執着していなかったシュウは、人生が進むにつれ、我が身に降りかかるようになった様々な奇禍に、増々その想いを強めていくようになっていた。勿論、自由を望んでのこと。今の境遇が通過点のひとつであることぐらいは承知している。けれども前途洋々と行かない人生を送らざるを得なかったシュウは、自らの前に茫洋と広がっている人生に憂いてしまう瞬間があるのだ。
　平穏な日常を諦めた訳ではなかったが、自身の努力だけでどうにかなる話でもない。シュウには他者が望んでも得られないだけのステータスがあり、それが周囲にどういった効果を齎すかについての自覚もある。
　決して平坦な道とならない人生。因縁や宿業は延々とシュウに纏わり続けている。それはシュウの肉体が朽ちても果てることなくこの世に残り続けることだろう。そうである以上、シュウが生み出した子孫は、シュウ自身が望んで得た訳ではないそれらの負の遺産を受け継いで生きていかねばならなくなるのだ。
「主義主張？　大袈裟な話になるのはご免なんだが」
「私は自らの血統を後世に残したくはないのですよ。それだけです」
　複雑に入り乱れる感情。たったそれだけの理由で主義を決めた訳ではないシュウは、だからといって滔々とそれについてマサキに語って聞かせるつもりはなかった。個人の事情など、一から十まで｜識《し》ったところで何の利益を生み出したものか。どれだけシュウが自信家であろうとも、余計なことを口にしない謙虚さぐらいは持ち合わせている。他人に踏み込ませていい領域というものは、自身の外側にある極々限られた意識の領域に限られるものだ。
「そっか。お前らしい理由で安心したよ。病気とかじゃなくてよかった」
　だからこそ話を端的に済ませたシュウに、マサキは無邪気にも安堵してみせた。心なしか、その表情は柔らかみを増したように感じられる。彼は微かに笑って、手にしていたカップの中身を全て飲み干した。
「おや、珍しい。私の心配をあなたがするなど」
「そりゃ、まあな……」そこでマサキは思い悩む様子をみせた。「Ωだけじゃなくて、αも色々あるって聞くからさ」
「今の私が地上に出る機会はそうありませんからね。そうした問題とは無縁に生きていますよ」
　かつて地上を主たる生活の場としていた時は酷いものだった。地上世界の優生主義者たちは、どこからかシュウが第二世代のαであるという情報を入手してくると、シュウにΩをあてがうべくあれこれ画策してきたものだ。
　子を産む道具扱いされるのは、何もΩに限った話ではないのだ。
　Ωが手厚い“保護”を受けるのに対して、αは社会的な自由を保障された。それだけの違いでしかないと感じる程度には、シュウは彼らからしつこく子孫を残すようにと説得を受けた。指名手配犯となった後に至っては、Ωとの間に子孫を残せば罪状の全てを取り消すときたものだ。
　シュウはそうした彼らの要望や要求を悉く突っぱねた。
　マサキの為の薬を手に入れる為にかつての人脈を当たった際もそうだ。優生主義者たちというのものは、どうしてああも判で押したように、血脈や出自に拘ってみせるのか。彼らはシュウがΩと近くしていると悟ると色めきだち、そして次には興奮気味に子どもはと尋ねてきた。
　Ωをあてがうのが無理であるのなら、せめてその子孫だけでも管理したいと考えたのだろう。浅ましい。人間の愚かさや醜さを凝縮したような優生主義者の世界は、もしラ・ギアス世界に存在していたとしたら、問答無用で灰燼に帰すレベルの悍ましさだ。
　利用価値があるからこそ彼らとの付き合いを続けているシュウであったが、そろそろそうした付き合いも考え直す時期に来ているようだ。彼らはそう遠くない内に、マサキがΩであることを知るだろう。今後のマサキは抑制剤の入手の為に、地上の医療機関を定期的に受診する必要に迫られる。シュウの情報を医療機関から入手してみせた彼らが、どうしてその情報を入手しないと云い切れたものか。そうなった後のことは――推して知るべしだ。
「ところでご主人様、今晩の食事はどうするおつもりで？　まさかマサキさんを招いておきながら、いつものようにテキトーに済ます気じゃないでしょうね」
　ソファに凭れてぼんやりと。今後について考えを巡らせていたシュウの耳に、チカの言葉が飛び込んでくる。そうですね。シュウはソファから腰を上げた。そして先ずマサキから空となったカップを受け取る。
　リビングを出て、カップをキッチンのシンクに沈めたシュウは、そうして今日の食事をどうすべきか考えあぐねながら冷蔵庫を開いた。客人を招き入れるには乏しい食材の量。自身がしていることながら、シュウはその散々な有様に苦笑をせざるを得ない。
　それならば、マサキに気分転換をさせよう。そう思い立ったシュウは、買い出しに彼を連れて街に出るか、それとも、彼自身に買い出しを任せるか。どちらにするかマサキに決めさせようと思いながらリビングに戻った。
「ああ、なら今日の夕食の支度は俺がする。世話になりっ放しになるのも悪いだろ」
　マサキも他人の家にいることに気詰まりを感じているようだ。シュウの提案に飛び付いた彼は、早速とばかりにジャケットを取り上げると、お前は？　尋ねなから袖を通す。
「荷物持ちが必要なら行きますが」
「そんなに貧相な冷蔵庫の中身をしてやがるのか」
　ジャケットを羽織った彼はそうしてキッチンに向かうと、冷蔵庫の中身を目にしたようだ。呆れきった表情でリビングに戻って来ると、お前も来いよ。何を食べるのかは、買い物をしながら決めようぜ。云いながら颯爽と。浮かれ騒ぐ二匹の使い魔を引き連れながら、玄関へと向かって行った。

　※　※　※

　いつもと比べれば数倍は人間らしさに満ちた食卓。その席でのマサキは饒舌にも、シュウの普段の生活についてあれこれと質問をぶつけてきた。起床の時刻、食事の回数と時刻、入浴の習慣や日中の過ごし方……魔装機操者は集団で群れることを好まない性質であるようにシュウの目には映っていたが、マサキ自身は共同生活を送ることがどういうことであるかを知っている様子だ。
　もしかするとそれは養父であるゼオルートや、義妹であるプレシアとの生活で身に付いたものであるのかも知れなかった。若しくは、両親を失った後の地上での彼の生活であったか……いずれにせよ、彼自身にそういった心得があるのは有難い。折り目正しく生活しているように見えて、徒然に日々を過ごしているシュウのスケジューリングは気紛れだ。
　シュウは自身が書斎にいるときは構わなくていいとマサキに告げた。研究の為の考え事や論文の作成に篭ることが多いその部屋だけは、誰であろうと足を踏み入れられたくない。わかったと頷いたマサキに、シュウはこれからともに生活してゆくにあたっての追加のルールを幾つか提案した。ひとつ、寝室はお互いの独立したスペースにすること。ひとつ、掃除や洗濯は気が向いた時に気付いた方が行うこと。ひとつ、食事の支度は交代制ににすること。ひとつ、ここにいる間のマサキの生活費はシュウが持つこと。
　最後のひとつにマサキは盛大に異を唱えてきたが、彼をここに連れて来たのはシュウの判断であるのだ。気持ちの弱っている彼は、シュウに従ってここに身を置く決心をしたようだが、Ωと第二世代のαが一つ屋根の下で暮らすのにはそれなりのリスクが生じる。既に発情期のマサキに無体を働いてしまった後であるシュウは、だからこそマサキの信頼を裏切れないと思った。さりとてαの血は、一度｜急性発情期《ヒート》を起こしたが最後、第二世代であるシュウの精神をも強力に支配してしまうようだ。そうである以上、いつまでも無責任な立場を貫く訳にもいかない。
　シュウはいつまた自分が同じ過ちを繰り返さないとも限らないからこそ、マサキの面倒を見ることの金銭的な負担を負うことで、自身の行動に責任を持つこととした。
「お前の考えはよくわからねえけど、それで何かの気が済むっていうなら仕方ねえ。だがな、覚えておけよ。いつかこの借りは絶対に返すからな」
　長い押し問答の末に折れたマサキは、そう云ってシュウを睨み付けてきた。絶対に譲らないという気概を感じる眼差し。貸し借りに煩いのはお互い様であるとはいえ、実に彼らしい反応に、シュウはこの調子であればマサキが立ち直るのも時間の問題だと思っていた。
「ええ。出来ればそれは、私の要望に応える形にしていただきたいものですね」
「勝手に恩を返すんじゃねえってか。云いたいことはわかるが、てめえに改めて云われるとな。とんでもない恩の返し方を要求されそうな気がするぜ」
　食事を終えたシュウはマサキを先にバスルームに向かわせた。洗い物は彼が片付けてくれている。僅かな自分の自由となる時間を得たシュウは、その時間を使ってセニアに連絡を取ることとした。
　シュウがその身柄を預かっているからといって、マサキに魔装機神の操者の責務を放棄させる訳にも行かない。暫く環境が変わることだけは、伝えておかなければならないだろう。そう考えてのことだったが、既にセニアには事情が伝わっているようだ。恐らくは魔装機神の操者のいずれかが忠言したのだろう。
　あなたにしては随分と優しいこと。ディスプレイの向こう側で、未だ職務に追われているようだ。複層からなるホログラフィックディスプレイを操っている彼女は、そう呟くと可笑しくて堪らないといった様子で笑った。
「トランス体やＣｉｓといった異なる臓器構成をしている地上人は、同じ人間という括りの中にあっても別の生物であるのでしょう。彼らが抱えている問題は人種問題に等しい。ラングランにも奴隷解放運動が興った時代があった。その後の国家がどういった歴史を辿ってきたのか、あなたならご存じだと思いますが」
「あなたが福祉活動に興味がないとは云わないわ。でも守るべき一線は守ってみせるのがあなたの遣り方ではなかったのかしらね？　彼らの問題は彼ら自身に処理させるべき。その中にはマサキも当然含まれるものだと、あたしは思うのだけれども」
「女として生きてきたあなたが実は男だったと聞かされて、明日からそう生きることを強制されてたとしても、同じことを云えるのだとしたら、その意見は傾聴に値するでしょうね」
　シュウの言葉にセニアは肩を竦めてみせただけだった。面倒な従兄の遠回しな物言いに辟易しているのがありありと窺える表情。彼女にとってシュウは話をしているだけで嫌気が差してくる部類の人間であるのだ。
　そして、暫し訪れし空白の時間。その間に彼女は考えを纏めたのだろう。まあいいわ。どこか慈愛を感じさせる微笑みを浮かべると、ひとり得心した様子でこう言葉を続けた。
「マサキにも結論を出させる時間は必要でしょう。とはいっても、サイバスターの操者を続けたいというのであれば、覚悟を決めろとしかあたしには云えないけれども」
「テュッティが思った以上に態度を硬化させてしまっているのですよ。彼女としては女性性の部分でマサキを心配しているのでしょうが、いかんせん周囲に対してまでああも攻撃的では」
「彼女は時々思いがけない方面に柔軟性を欠くのよね。まあ、その辺は蟠りが解けてからでいいんじゃないかしら。あたしとしては、Ωであろうがなかろうがマサキはマサキ。何にも代えがたいサイバスターの操者だと思ってるわよ」
　それは裏を返せば、マサキ以上の能力値を持つ操者候補がいれば、首を挿げ替えるのも厭わないという意味である。シュウは敢えて窘めはしなかったものの、眉を｜顰《ひそ》めてはみせた。それでセニアは自分の言葉の意味が正しく伝わったことを悟ったようだ。取り繕うように言葉を継いだ。
「Ωであることで生じる身体的なハンディについては考慮するわよ。マサキが無理を押して戦って問題が起こってしまったら、それはあたしの責任だもの」
「寛容なようで何よりですよ、セニア」
「あの人たちの話から察するに、地上人を召喚する以上、トランスだＣｉｓだって問題は避けられないってことなのでしょう？　だったら後は精霊がどう判断するかの問題よね。あたしが云いたいことは以上よ。あなたから他に何かあるかしら？」
「この問題であなたに中立を貫いてもらう以外に、特には何も」
「なら結構。何かあったらあたしからそっちに連絡するわ」
　じゃあ、これで。と、短い挨拶を残して姿を消したセニアに、シュウはディスプレイの電源を切った。
　そして書斎の椅子に深く腰を下ろした。
　セニア＝グラニア＝ビルセイア。王家にひとり残った彼女は、順調に己が中の冷厳さを育て上げているようだ。いつしか他人を駒として扱えるようになった彼女に、それこそが獅子たる先王アルザールの娘に求められし器であると理解していても、シュウは一抹の不安を抱かずにいられなかった。底抜けに明るく、自らの探求心に忠実だったセニア。彼女は時に目の前に開いている大きな穴を見過ごすことがあった。
　在りし日の姿を思い返したシュウは、彼女が現在置かれている王宮での立場に思いを馳せた。
　とどのつまり、彼女は地上人に関わりのない第三者でしかないのだ。
　トランス体のような特性を持たない地底人。だからこそ彼女は、彼らのいざこざを他人事として処理出来たし、他人事として眺めていられるのだ。けれども、それもいつまでも持つことか。
　時に迷い込み、時に招かれては、地底世界に根付いていったトランス体の血脈。繁殖機能に特化した彼らの力を、シュウは甘く見ていない。数世代後にはそれなりの数を記録することになるだろう。
　果たして、彼女はそうなってもΩという性を許容していられるだろうか？
　シュウは椅子から立ち上がった。
　書斎を後にしたシュウは、リビングにマサキの姿があるのを確認してから、バスルームへと向かった。乱雑に脱ぎ捨てた衣類を脱衣籠に放り込む。そうしてバスルームに続く硝子扉を開いたシュウは、そこに微かに残っているマサキの残り香を嗅いだ。
　瞬間、軽い眩暈が生じる。
　七日間続く発情期は、受精を経て終わりを迎えた筈だ。それだのに……怪訝に感じながらも、シュウはマサキとの性交に考えを及ぼさずにいられなかった。全身に蘇る彼の温もり。彼を抱いたのはつい昨日のことだ。だのに、よがり泣き喘いだマサキの姿をおぼろげにしか思い出せない。それでいいのだ。シュウは自分を納得させつつバスルームに入った。互いにそのことに対して触れぬまま一日が過ぎた。きっと、昨日の出来事はこうして振り返られることもないままに記憶の底に沈んでいくのだろう。
　シュウはシャワーのコックを捻って熱い湯を頭から被った。そうして思い出してしまった記憶を流し去るように身体を洗い流した。あんな経験は二度としない方がいいのだ。理性を重んじる学術の徒たるシュウは、自らの中に潜んでいる雄という本能から、そうして静かに目を逸らしていった。

　※　※　※

　眠れぬ夜を過ごしていた。
　過酷な環境であっても眠れる程度に、魔装機神の操者という生活に慣れた筈のマサキであったが、今夜はやけにソファの硬いクッションの感触が身体に障った。神経が昂って眠れない。それは激変した環境だけが原因ではなかった。
　シュウはマサキの与り知らぬところでセニアに話を付けてしまったようだ。シュウ曰く、トランス体には興味を喚起されなかったらしい彼女は、マサキたちのいざこざについては意に介す様子がなかったのだという。それでもマサキの様子を気にかけてはいたらしい。久しく得られていなかった休暇を与えられたマサキは、けれどもその事実に例えようのない喪失感を感じていた。
　差し当たって急務となる外交問題もない現状では、わざわざマサキに任務を割り振らなくとも、ラングランの治安維持は叶えられるだろう。軍は正常に機能していたし、情報局の主たるセニアの許には豊富な人材が揃っている。マサキひとりを欠いたぐらいでどうなるラングランではない。
　わかっていても寂しさを拭えない。
　思えばたった三ヶ月前の出来事であったのだ。昨日までと同じ生活が続くと当たり前に思っていられたあの頃の自分が、今マサキが置かれている状況を知ったらどう感じるのか。仲間との間に亀裂が生じた結果、魔装機神の操者としての任務からも外されるなど、三ヶ月前の自分は予想だにしていなかったに違いない。
　眠れない。マサキはソファから身体を起こした。床の上では二匹の使い魔が、めいめい自分の気に入った場所で丸くなっている。どうやらどちらも深い眠りに落ちているようだ。すうすうと穏やかな寝息が聞こえてくる。
　その二匹の使い魔を起こさないように部屋を出たマサキは、先ずはリビングに向かった。探しているのは昨日飲んだ睡眠薬だ。発情期のマサキを寝かし付けるだけの強力な効果があれば、少しばかり鬱っぽい程度のこと。一発で眠りに就けるに違いない。
　物音を立てぬようにリビングの方々を探して回る。書棚、サイドボード、ガラス製のローテーブル、マガジンラック……そのどこにも薬らしきものを見付けられなかったマサキは、次にキッチンに向かった。きっと彼のお喋りな使い魔が間違って口にしないように管理しているのだろう。だとすれば、その在処は彼が簡単にはくちばしを突っ込めない場所……マサキは食器棚を覗き込んだ。棚の片隅に救急箱が置いてあったが、そこに詰められているのは市販の常備薬セットだった。落胆したマサキはリビングに戻って、眠れぬ夜をどう過ごすかを考えた。
　自慰に耽ることが出来れば。脳裏に咄嗟に浮かんだ不埒な考えに、無理な相談だ。マサキは即座に首を振っていた。
　そもそも自慰に耽るとして、どの部屋を使うつもりなのか。リビングの梁の上ではチカが眠っていたし、マサキの部屋には二匹の使い魔がいる。寝室ではシュウが眠っているだろうし、書斎はそもそもの立ち入りを禁じられている。キッチンやトイレはシュウが使用しに立ち寄らないとも限らない。残されたのはバスルームだけだったが、蒸したスペースで自慰に及ぶのは｜も《・》｜う《・》避けたい。
　そう、マサキは既に一度目の自慰を済ませていた。
　夕食後に入ったバスルームで、身体を洗っている最中に嗅いだ｜石鹸《ソープ》の香り。シュウの体臭を構成する匂いのひとつだと気付いた瞬間、脳裏に昨日の性行為が蘇った。マサキのアナルにぎっちりと嵌まって抜けなかった彼の男性器。アナルに思い出された感触に身体がかあっと熱くなる。
　やりたい。マサキは欲望に抗い切れなかった。
　三ヶ月前に最初の発情期が起こってから、マサキの身体はおかしくなりっ放しだ。まるで受粉を待つ花のように蜜を溢れ出させる自らのアナル。刺激を加えれば加えただけ、より敏感に反応するようになってゆく。だのに指だけでは物足りなく感じるのだ。もっと奥。欲情したマサキが疼きを感じるのは、指が届く範囲よりも奥にある。
　そのやりきれなさを発散するようにバスルームで自慰に励んだ。たった一度の、けれども快感が波となって押し寄せてくるシュウとの性行為を思い返しながら。
「……マサキさーん？」
　気付けば目の前にチカが降りてきていた。
　口喧しい使い魔である彼は、ソファに座っているマサキの膝の上に乗っていた。けれども家の中が寝静まっている最中に、けたたましくお喋りに興じない程度の常識は持ち合わせているらしい。声を潜めてマサキの名を呼んだ彼は、マサキが自身の存在に気付いたと察すると、次の言葉を発した。
「どうしました？　そんな険しい顔で宙をお睨みになって」
「眠れないんだよ。色々、考えちまってな。それで昨日の睡眠薬がないか探しに来たんだが……」
「それだったらご主人様に尋ねた方がいいですよ。あれはかなり効き目の強い薬らしいですからね。勝手に見付けて飲んで副作用が生じても、あたしには責任が取れません。まあ、寝起きのご主人様のご機嫌は最悪ですが、よもや客人相手に無礼を働くこともないでしょう。ちゃっちゃと寝室に行ってちゃっちゃっと睡眠薬を貰ってくるといいですよ」
　余計なひと言に不安しか感じない。マサキは溜息を吐いた。
　機嫌が悪い時のシュウの棘のある言葉遣いは相当なものだ。こちらの心を抉るようなことも平気で口にしてみせる。普段のマサキであれば物怖じせず云い返せたものだが、心が弱っている今、そういった対応をされようものなら、容易には立ち直れないぐらいの傷を負うことになるだろう。
「それを聞いたら貰いに行けないだろ」
「大丈夫ですよ、ダイジョーブ。あのご主人様が珍しくも情に絆されて連れ帰ったぐらいですよ。マサキさんを特別扱いしてるのは間違いないんですから、そこは自信を持って行ってらっしゃいませ」
　無意識の産物である使い魔の云うことだ。信じてみてもいいのかも知れない。
　マサキはソファから立ち上がった。パタパタパタ……宙を舞ったチカが、梁へと再び身体を休めにゆく。それを見送ってから、マサキは寝室へと向かった。
　静かにドアを開く。キングサイズのベッド。その中央で仰向けに身体を横たえているシュウは、話しかければ直ぐに返事をしてきそうに見えた。起きている時と変わりのない無表情。シュウ。マサキはそっとベッドに近付いて、彼の名前を呼んだ。
　うん、と、呻くような声が彼の口から洩れる。
　シュウ。マサキは重ねてシュウの名を呼んだ。それでようやく彼は目を覚ましたようだ。ゆるりと瞼を開くと、身体を起こすのも億劫そうな様子で、どうしました。眠いのがありありと窺える声で尋ねてくる。
「眠れないんだ。それで昨日の睡眠薬が残ってたら貰えないかと思って」
　半目がちだった眼がしっかりと開かれる。気遣いが足りませんでしたね。呟くように口にしたシュウは、次いで身体を起こすと、マサキにベッドの端に座るよう促した。
「眠れないのは環境の変化ですか？　それとも？」
「どう生きていけばいいんだろうな、俺は。これから」
　変化を迎えた身体に、変えていかねばならない生き方。どこに着地点を見出せばいいのか、マサキは答えを出せずにいた。
　子どもの頃から当たり前のように男として扱われてきた。トランス体、Ｃｉｓ、第二世代。様々な性を持つ人間がひしめき合う社会で生きていく為には、第二の性の把握と自らの性自認をどこに定めるかが肝要である。小学校の授業でそう学びはしたものの、マサキの目には自らの外見に即した性自認を持って生きている人間が大半であるように思えた。
　そこにギャップが生じることなど考えたこともなかった。
　抑制剤の開発が進んだ近年ではそうでもなくなったが、かつてのΩは発情期に受ける身体的な制限の大きさもあって、社会活動への参加は困難だと考えられていた。Ωを雇用する企業は希少で、大半は早期に番を得るか、或いは婚姻関係を結ぶなりして、家庭に入って過ごしていたようだ。時代が変わったことで就業の機会に恵まれるようになったΩは、今では独りで生きていくことも可能となった。けれども社会からは厳しい目で見られていると聞く。
　勿論ここは地底世界である。地上世界の常識が通用しない世界に、地上世界の理屈を持ち込むなどナンセンスだ。だが、魔装機神の操者としての活動に制限がかかるのは事実なのだ。それがマサキにはどうしようもなく辛いことに感じられた。
　妻を得て子を成す。平凡な未来予想図を諦めるのは、意外にも簡単そうであった。色恋沙汰に関心の薄いマサキは、この年齢になっても愛や恋がどういった感情であるのかわからずにいる。それだったらチカが云うように、いっそシュウの番としてもらった方が、Ωとしての今後の人生の為にはいいのかも知れない。
　ただ、時に強烈に生じる性欲。その扱いだけが悩ましく感じられた。
　自身で慰めても快感は得られる。得られるが物足りなさが残る。その発散をどこに求めればいいのか。日頃の活動量の多いマサキは、制限がかかるこれからの生活に絶望しか感じられずにいる。
「セニアはあなたの覚悟次第だと云っていましたよ。私もそれには同意します。あなた方の異なる性に対する考え方の違いが生み出す衝突が、誰を召喚したところで避けられない問題であるのであれば、後はあなたがそれをどう処理するかに委ねられるだけ。それならば、必要な休暇は取らせてくれると云っているのですから、気兼ねなくその言葉に甘えてみては」
　マサキは首を振った。マサキを責め立ててきたテュッティの言葉が胸に突き刺さっている。
　それをシュウは慮ったのだろう。普段であればマサキが弱音を吐くことを許さないぐらいに厳格な彼は、その窮状を見兼ねてマサキを話し合いの席から連れ出しただけはある。穏やかに微笑んでみせると、寛大に言葉を紡いだ。
「まあ、私は構いませんし、暫くゆっくり過ごすといいでしょう。落ち着けばまた違った答えを出せるかも知れませんしね」
「悪い……その、あれもこれも世話になっちまって……」
「気にすることはありませんよ。これも貸しです」
　そう云って笑い声を上げたシュウは、ベッド脇のサイドチェストへと手を伸ばすと、そこからピルケースを取り出してきた。。
「環境の変化もあるのでしょうね。もしよければ今日はここで寝ませんか。幸い、このベットは特注サイズです。ふたりで寝ても余るぐらいにはスペースがある。硬いソファに横になって答えの出ない問題を考え続けるよりは安らげますよ」
　渡された睡眠薬を口に放り込む。水もなしに。と苦笑するシュウに構わず嚥下する。次いで、ほら、とブランケットを持ち上げたシュウに、マサキは迷いながらもベッドの中へと身体を滑り込ませた。
　微かな期待がなかったと云えば嘘になる。けれどもそれ以上に心を占めている虚無感。誰かを側に置くことで、マサキはそれを埋めたかった。
　いつもならば、そういった自分の不足を埋めてくれるのは騒々しい仲間たちであったが、ああいった別れ方をしてしまった以上、簡単にはマサキを迎えに来たりはしないだろう。寄る辺のない自分の頼りなさ。今のマサキはシュウを頼りとする他ないのだ。ベッドの右側に自分の場所を定めたマサキは、隣にシュウの重みを感じながら目を閉じた。
　洗いたてのシーツの香りに混じって微かに漂ってくる彼の香り。ああ――。マサキはシュウに背を向けた。彼の匂いはマサキの心を騒がせる。欲しい。今また疼き始めた身体に、けれどもいずれは睡眠薬が効くのだからとマサキは目を閉じ続けた。
　魔装機神の操者としての責務を果たすことすら許されない。自らの欲望を解消することすらままならない。向き合わなければならないΩという性。鬱屈とした感情ばかりが胸に体積してゆく。それをどうやれば晴らせるのか。答えも出せなければ、求めるものが得られる訳でもない。行き詰っている。マサキは深い溜息を吐いた。
　先の見えない｜未来《あした》に怯えている自分がその中にいる。
　どういった未来が自分を待ち受けているのか、マサキにはわからない。リューネがいて、ウエンディがいる。騒々しい日常は、けれども案外心地良いものでもあったのだ。
　いずれは彼女らのいずれかを、若しくは両方を選んで所帯を持つ日が来る。昨日まで漠然とそうなるのだろうと思っていた未来は、今となっては手が届くべくもない夢となってしまった。常識の全てが覆されたマサキは、選び取れる未来が何処にあるのかわからなくなってしまった。
　それとも、今はこう思っていても、いずれ誰かと番う日が来るのだろうか？　だったらいっそ、その未来を思い描いてみればいいのだ。そう考えてみるも、その相手の子どもを産み育てる……。そこまで想像を及ばせた瞬間、得体の知れない恐怖が襲いかかってくる。無理だ。マサキは｜頭《かぶり》を振った。どこかにシュウのように子どもを必要としないαがいててくれれば。都合のいい考えばかりが頭に浮かぶ。
　マサキは番うことそのものには恐怖を感じていないのだ。むしろそれで発情期の激しい飢えが満たされるのであれば、願ったりですらある。とはいえ、地底世界を生きる場所と定めているマサキが、どうやればそういった相手を見付けられたものか。
　眠れない。
　いつしか倦怠感に支配されている身体。瞼だって重い。なのに神経が昂っている。そこかしこから漂ってくるシュウの香りが、腕に、脚に、全身に絡み付いているようだ。マサキはそうっと隣を窺った。隙のない横顔。眠りに落ちたのだろう。規則正しい寝息を立てているシュウに、それならとマサキはシャツを捲り上げた。
　裾を噛む。眠気に襲われながらも身体は正直だ。張った乳首。指で確かめるようにして愛撫を加えてゆく。撫でれば撫でただけ、ツンと突き抜けるような快感に攫われる。ああ、いい。マサキは自らの乳首を様々に嬲った。擦り、抓み、撫でて摩る。アナルの奥からどぷりと愛液が溢れ出た。
　身体の底が疼いて仕方がない。満たしたい。そこに届かぬのを承知で、マサキは片手を股間に這わせていった。谷間に指を挿し入れる。濡れそぼった蕾は難なくマサキの指を飲み込んでいった。
　右手で乳首を、左手でアナルを弄ぶ。んん……シャツの裾を噛んでいる口唇から声が洩れるも、最早そんなことを気にしている余裕はなかった。｜達《い》きたい。めくるめく快感を知ってしまった身体は歯止め知らずだ。マサキはシュウとの性行為を思い返しながら自慰に励んだ。
　激しくアナルを掻き回していれば、ベッドも軋む。それでも動きを止めることは出来なかった。もっと、もっと奥へ。マサキは疼き悶えているアナルへのより強い刺激を求めて、深く指を突き立てた。したいの？　耳に声が降ってきたのはその瞬間。はっとなって目を｜瞠《みは》るも、咄嗟には身体が動かない。するりと頬に回された手がマサキの顔を振り仰がせる。
「答えて、マサキ。そんなに｜性行為《セックス》がしたい？」
　怜悧にも映る眼差して、シュウがマサキを見下ろしている。マサキは答えるのを躊躇った。彼を隣にして自慰に及んだぐらいだ。したくない筈はなかったものの、シュウがどういったつもりでそれを尋ねているのかがわからない。
　だのに彼は繰り返しマサキを促すのだ。答えて、と。答えたところでどうと出来る話でもないだろうに……マサキは口唇を噛んだ。昨日の出来事が脳裏を過ぎったものの、それはマサキの発情期が引き起こした事態だ。それが証拠にシュウは黙ったまま、マサキとの性行為に及んでいたではないか。そう、彼は急性発情期《ヒート》で理性を失ってしまった。それだけのこと。マサキは自分をそう納得させた。
　あんな幸運はそう何度も降ってくるものではない。
　だからマサキはこう思った。寝起きの機嫌が悪い男は、起き抜けにマサキの自慰を目の当たりにして、腹を立てたのだ――と。
「悪かった……その、お前と一緒に寝てるのに……」
「そういう話をしているのではありませんよ。したいのか、それともしたくないのかを聞いているのです」
　身体を起こしたシュウが、ブランケットの中からマサキの身体を引き摺り出した。彼に背中を向ける形で膝の上に乗せられた身体。ほら、答えて。そのマサキの腰を抱え込んできながら、息がかかる程近く。耳元でシュウが囁きかけてくる。マサキには増々訳がわからなくなった。
　シュウのすることだ。こうも繰り返し尋ねてくるからには、尋ねてくるだけの意味があるのだろう。マサキは口を開いた。したくなきゃ、何で。云った途端に耳の付け根を吸われる。どくん、とマサキの鼓動が大きく跳ねた。
　どういうつもりか不明だが、どうやらシュウはマサキと性行為に及ぶつもりであるらしい。
　そうでなければ、どうしてこんな風にマサキに触れてきたものか。マサキは目を細めた。シュウの口唇が触れている箇所が熱い。蕩けてしまいそうな感覚に眩暈を起こしそうになりながら、マサキは彼からの初めての肌への口付けを受けた。
「なら、足を開きなさい」
　気恥ずかしさもあったが、欲望が勝った。けれども、脚を開こうにも腿に残っている下着が邪魔だ。シュウに腰を抱え込まれているマサキは、下着を脱ごうにも脱げない体勢に、このままじゃ無理だって。そう声を上げた。
　その瞬間、彼は即座に下着と肌の合間に手を差し入れてくると、マサキの脚から下着を抜いてみせた。これで出来るでしょう。腰を抱えていた手が腿の裏側に回ってきたかと思うと臀部を掴んだ。次いで肉を割ってくる。双丘を開かされたマサキは、既に濡れぞぼったアナルを晒すことに抵抗を感じながらもおずおずと脚を開いた。
「この匂いですよ、マサキ。わかりますか。あなたが放っている甘い香り。これを嗅ぐと私は理性を狂わされる」
　粘っこく肌を伝い落ちる愛液を、彼は掬い取ると舐め上げた。この香り。繰り返しそう口にして、次にはマサキの身体をベッドへと伏せさせる。羞恥と期待。シュウに向けて臀部を晒す体勢になったマサキは、口を閉ざしているアナルを探り始めたシュウの指にぴくりと身体を震わせた。
「どうされたいの、ここを」
　ゆるゆると触られては浅く挿し入れられる。軽く弄るだけに留まるシュウの指に、もどかしい。マサキは焦れた。焦れて、挿れて。と口にした。自慰を始めてからどのくらいの時間が経ったのか。いや、そもそも性欲を覚えてからどれだけの時間が経ったのか。気の遠くなりそうな時間を達することなく過ごしてきたマサキにとって、シュウの愛撫はそう口にさせるに充分な呼び水となった。
　――挿れてくれよ、シュウ……
　息も絶え絶えになりながら言葉を吐く。
　空気が震えた。息を呑むような背後でゆっくりと身体を起こしたシュウの手が、マサキの腰を掴む。彼は僅かに口を開いているアナルに照準を定めると、ずるりとその昂りをマサキの身体の中へと押し込んできた。
　指とは異なる彼の熱い肉の塊。その感触は呆気なくマサキの意識を浚った。ああ、ああ、もっと、もっと奥。腸内に痺れるような快感を感じ、またそれに射精を繰り返しながら、マサキはそこへの刺激を求めた。ここ？　云いながら少しずつ腰を進めてくるシュウに、もっと奥。マサキは腰を絞って彼の男性器を引き込んでいった。
　疼いて疼いてどうしようもない身体の中心点。マサキの中の深いところに存在している“何か”が、少しずつ開いてゆく。ほら、｜挿入《はい》った。シュウがそう言葉にした瞬間、開ききった“何か”は彼の男性器の先端を飲み込んだ。口の狭いゴムのパッキンを球に被せたような密着感。彼の男性器は容易には抜けない楔となってマサキのアナルに嵌まっている。マサキは今また精液を吐き出した。
　ただ挿入されただけなのに、止め処なく快感が押し寄せてくる。
　あ、あ。途切れ途切れに口を吐く喘ぎ声。背中に覆い被さってきたシュウが耳を食みながら、まだ動く前ですよ。と、囁きかけてくる。腰に響くテノールボイス。性行為中の彼の声はどこか妖艶で、そして淫靡な雰囲気を漂よわせている。
　次いで、これが何かわかりますか？　そう言葉を継いだシュウの指がマサキのアナルに入り込んでくる。そして、既にきっちりと嵌まりこんでいる自身の男性器の底、球となって膨らんでいるその根元をなぞるように蠢く。
「亀頭球と云うのですよ。｜急性発情期《ヒート》を迎えたαに出来る第二の精嚢。相手の生殖器から｜男性器《ペニス》が抜けるのを防ぐ役割も果たすこの器官は、精嚢で生産された精液を溜め込む働きがあります」
　彼は開いた蕾からそれを引き抜いては挿し入れるを繰り返した。その都度、マサキの腸内に痺れるような快感が走る。ああ、あっ。断続的に射精を繰り返しながら喘ぎよがるマサキの耳にかかる荒い息。彼は蕾から指を引き抜くと、再びその中に亀頭球を嵌め込んだ。ああっ。マサキは背中をしならせた。“何か”がまた彼の男性器の先端を飲み込んだ。
「何故かはわかりませんが、あなたの発情期は効果を弱くしながらもまだ続いているようだ。それは私の本能があなたによって刺激を受けるということ。ほら、マサキ。身体を起こしなさい」
　腕を取られたマサキはアナルに彼の男性器を咥え込んだまま、その手に導かれるようにして身体を起こした。抱え込まれた腰が引っ張られる。シーツを擦るようにしてシュウの膝の上に収まったマサキは、彼の胸に背中を預けながらそのアクションを待った。
　肌を伝って這い上がってきた彼の手が乳首に触れる。そうでなくとも刺激に過敏になっている身体が、よりいっそう深い快感に晒された。もう身体に力が入る気がしない。マサキは頭を垂れたまま、シュウの為すがまま。あ、あ、あ。ただ喘ぎ声ばかりが口を吐いて出る。
「いつもここを弄りながら自慰に耽っているの？」
　彼は小刻みにマサキを突き上げてきながら、柔らかい指遣いでその乳首を弄んだ。抜けない男性器が常に“何か”の奥を刺激し続けている。んっ、んあ、はあっ……。こうも責められてしまっては、頷こうにも思ったような反応出来ない。目を開いているのもままならないぐらいの恍惚。疼いてどうしようもなかった身体の底にある“何か”が、桃色に染まってゆく。
「いつも勝ち気に向かってくるあなたが、こんな風に私に身体を預けているのを見ていると、おかしな気を起こしそうになりますよ。ねえ、マサキ。こんなに男を深く受け入れて」
　まるで命の終わり際を迎えた生物のようだ。ぴくり、ぴくりと小さく痙攣を繰り返す自身の身体は、そう遠くない内に意識の消失を迎えることだろう。Ωであるということは、こういうことでもあるのだ。マサキはシュウの言葉を遠くに聞きながら、欲望に踊らされるだけとなった自身の性を顧みた。
　以前の自分であったなら、どれだけ性欲に飢えようとも、安易に誰かを求めたりはしなかったに違いない。
　けれども今のマサキは、過去の自分が拘っていた自尊心が、暴虐な欲望の前では何の意味もなさないことを知ってしまっている。終わりのない欲。マサキが感じているΩとしての飢餓感を埋めてくれるのは、獰猛に自身を求めてくるαでしかないのだ。
　――アッ、やだ。もう、やだ。シュウ、もっと動いて。
　求めるものを得ても尚、満たされない欲望が渦巻いている。それに突き動かされるように言葉を吐けば、彼はαとしての本能に逆らえなくなったようだ。マサキの身体を強く抱き寄せてくると、腰を激しく進めてきながら、次の瞬間には長く続く射精へと及び始めた。
　どろり、と身体の中に吐き出された彼の精液を受け止めた“何か”が歓喜の咆哮を上げる。あっ、あっ、ああっ……！　全身を貫く例えようのない快感。雷に打たれたような衝撃に、マサキは意識を手放した。
［＃改ページ］
３．耽溺

「まあねー、据え膳食わぬは男の恥っつーか、そういった感情がご主人様にもあったんだなーとか、むしろ今まで何事もなかったのが不思議だったって云うかー、色々云いたいことはありますけど、それらは全部このひと言に集約されると思うんですよ。結局ヤルんだったら噛めよ」
　朝食の準備をしにキッチンに出てきたシュウの肩にとまったチカは、寝室の惨状を見ずとも何が起こったかぐらい把握しているとばかりに言葉を吐いた。
　主人を主人とも思わない物言い。口の悪い彼がシュウの使い魔として産まれたことは、ラ・ギアス世界の七不思議のひとつに数えられてもいいだろう。話し相手にするには慎みに欠けたチカは、だのに頻繁に尽きることなく喋り続けるてみせた。それを耳にする度、シュウは彼が自らの使い魔である意味を考えずにいられなくなる。
「動物の姿をしておきながら、発情期とは無縁であるあなたに云われたくはありませんね、チカ」
「それは噛まなかった云い訳にはなりませんね。下手な希望を与えることがどれだけ残酷な行いであるか、知らないご主人様ではないでしょうに。あんな思い詰めた表情で眠れないと零していたマサキさんを、発情期だからって欲望の赴くがままに蹂躙した？　どんだけ鬼畜かっつー話ですよ」
「発情期というものは理屈で説明が付けられるものではありません。私の｜急性発情期《ヒート》にしても然り。そもそも、私は彼の人生に責任を負えないのですよ。今後の人生で彼にもし添い遂げたい相手が出来たとして、私が彼を支配下に入れていたらどうなると思います。彼は好きな相手と性行為に及ぶことは出来ない。むしろ良く踏み止まったと云って欲しいぐらいだ」
　快感で意識を飛ばしたマサキはまだベッドの中だ。
　与えた睡眠薬の量が少なかったのだろう。シュウとベッドをともにしながら自慰に耽ってみせた彼に、シュウの理性は飛んだ。いや、飛ばされたというべきか。本能を呼び覚ますあの匂い。マサキから発される甘い香りは、彼が望む望まざるに関係なくシュウを誘惑する。
　それでも昨晩の彼の状態は、おとといに比べれば大分落ち着いたものではあった。会話が成立する程度に保たれた理性。自制心は薄れてしまっていたようだが、羞恥心は残っていたようだ。恥じらいをみせつつも最終的には大胆に、シュウを求める言葉を吐いたマサキ。絶えず射精を繰り返す感度の良さは発情期の特性なのだろうか？　それとも、彼が偶々そうであっただけなのだろうか？
　いずれにせよ、昨晩のマサキは意思の疎通が可能な状態にあった。
　恐らく純粋なαであれば、あのぐらいの匂いであろうとも理性を喪失してしまうのだろう。第二世代だからこその反応の鈍さ。身体は｜急性発情期《ヒート》の様相を示しておきながら、理性の生きていたシュウは、それでもマサキを抱かずにいられなかった自分に、雄としての宿業と浅ましさを見出さずにいられなかった。
「はあ。よくぞそこまで自分を褒め称えようと思えるもんですね。責任を負わないなんて、どこのクズ男の所業かっつう話ですよ。それを厚顔不遜にも、良く踏み止まったあ？　自分中心にしか世界が回ってないっていうのはこういうことですよ。あのですね、よっっっく考えてくださいよ、ご主人様。中出しセックスはしたいけど、子どもは要らないって、普通に考えたらとんだゲス野郎じゃないですか。そこにαだΩだなんてのは関係ないでしょう。人間としてどうしたいか、人間としてどうするべきか。あたしがしたいのはそういう話です」
「だから私にマサキを噛めと？　それこそ身勝手にも過ぎる」
「これは平行線！　受け止め方の違いですかねえ。あたしは噛んだ方がマサキさんの為でもあると思いますけど」
　シュウの煮え切らない態度にしきりと首を傾げながら、それでもその主張に耳を傾けるだけの余裕はあるようだ。辛辣に言葉を重ねていたチカは、いつもと比べると、大分人間らしい食事を準備している主人にほっと安堵の息を吐く。
「ご主人様が目玉焼きを焼くなんていつぶりですかねえ。いつもいつも何が美味しいのかわからない見た目のぐずったオートミールばかり。あたしが食べる訳じゃないので文句は控えてきましたけど、あれは人間の食べ物じゃないですよ」
「栄養価が高いですからね。カロリーや糖質も抑えられる。手っ取り早くそれなりの栄養を摂取するのに、あんなに適した食材はそうありませんよ」
「それをマサキさんに付き合わせないのは優しさからで？」
「彼が作ってくれた食事を見て、食は目からという言葉を思い出したからですよ」
　それを聞いた瞬間のチカの表情。彼は驚きに目を瞠ってみせると、やっぱり不味そうな見た目だって思ってたんですね。ひとり合点のいった様子で呟いた。
　目玉焼きにウィンナー、サラダにトースト。インスタントではあったがスープも並んだ朝食の席。人間らしい食生活とは縁遠かったシュウが、久しく口にしていなかったそれらのメニューを用意しようと思えたのは、マサキに影響されてのことだ。世話になるからと彼が用意してみせた食事の数々は、少なからずシュウの心を動かした。誰かがいる食卓に温かみを感じたのは、いつぶりか。稀にお節介にも食事の準備をしに訪れるサフィーネやモニカのことを思い出したシュウは、彼女らの食事では変えられなかった食習慣の変化にひっそりと嗤った。
　食欲に性欲。
　人間らしい営みとは無縁だったシュウは、マサキを連れ帰ったことで、自分に欠けていたそれらの本能を振り返る機会に恵まれた。そういった潤いのある生活も悪くはない。訳もなく満ち足りた心。何事も過ぎたるは及ばざるが如しとは云ったものだが、適度に本能的な欲求を満たしてやることも、長い人生を過ごしてゆく上では必要であるのだろう。
　とはいえ、ああいった状態が長く続くのは良くない。
　シュウは今まだ起きてくることのないマサキを思った。感度の高さ故か、度々気を失ってみせるマサキ。定期的に発情期が訪れるΩは、他のトランス体に比べて精神的に不安定になり易いと聞く。無理もない。あのマサキがだ。シュウに弱味を晒すことを厭っていた彼が、本能的な欲に抗えずに痴態を晒すぐらいである。その衝動性は想像に難くない。
　理性にせよ、感情にせよ、本能にせよ、脳内物質の影響なくして働きはしないのだ。発情期。あれだけの衝動を生じさせる習性が、通常時の精神に影響を及ぼさない筈がないだろう。ましてや、絶頂に至る度に気絶を繰り返すとあっては。だからこそ、シュウは発情期に支配されているマサキと、それに振り回されている自分自身をどうにかしなければならないと考えた。
　二度目があれば三度目がある。けれども、抑制剤の種類が増えた現在、それは防げるものでもある。彼を壊すようなことがあってはならない。シュウは自身の中に芽生えたマサキに対する性的な衝動を抑制しなければならないと思った。
　彼はラ・ギアス世界にとって必要な人材であるのだ。その有用性を認めているシュウとしては、自らの欲如きでマサキを再起不能にしてしまうのだけは避けたかった。
　これ以上、彼の肉体に溺れることを覚えない内に、手を打たなければ。
　その為にも一度はマサキを地上に連れて行く必要がある。シュウはシンクの上に申し訳程度に置いてある小型の卓上時計に目をやった。そろそろ起こさなければ、今日中に地上の医療機関に掛かるのは難しくなる。
　希少種であるΩの発情期を扱っている医療機関の数は限られている。その全てが外来診療を受け付けている訳でもない。シュウはキッチンを出たついでに、彼に与えた部屋から出られずにいる二匹の使い魔の為に、そのドアを開いてやってから寝室に向かった。
　ベッドの中で眠っているマサキの表情は、心なしか安らいでいるように映る。開かれた眉。彼はいつもシュウと会う時には、警戒心も露わに険しい表情を晒してみせたものだ。それがこれだ。シュウはベッドの端に腰掛けて、身体を横にして丸くなっているマサキへと手を伸ばした。起きて、マサキ。肩を揺すると、充分な質の睡眠を得られたようだ。ぱちりと目を開く。
　朝か。そう云って身体を起こした彼の耳の付け根に、うっすらと浮かび上がっている紅斑。髪を掻き上げると目に入る昨晩の情交の証に、シュウの胸がさんざめく。マサキとの二度の性行為。そのいずれとも気忙しく挿入に至ってしまったシュウは、たった一度だけ彼の肌に触れただけの口唇が、その温もりを思った以上に覚えていることに深い感慨を抱かずにいられなかった。
　もっと彼の肌を味わいたい。貪るように自分を刻み尽くして、果てのない悦楽の底へと沈んでいきたい。
　｜急性発情期《ヒート》に駆られて行為に及んだおととい。そして欲望を抑えきれずに行為に及んだ昨晩。性行為の経験がなかったシュウではなかったけれども、それは何事も経験ありきといった探求心からくる行動でしかなかった。それが昨晩は違った。記憶に残るマサキの肉体の感触。もう一度、彼のの肉体を味わいたい。たったそれだけのありきたりな理由で、シュウはマサキを抱いた。
　Ωという種は、全てがああも雄を受け入れるのに誂えたような身体をしているものなのだろうか？　それともマサキというΩが、偶々シュウにとってそうであるだけなのだろうか？　だとしたら運命の奇禍というものは、どこまでも気紛れに、そして戯れにシュウとマサキに牙を剥いてくるものだ。
「なんか、悪いな。世話になってるだけじゃなく、飯の準備までさせちまって……」
「昨日の支度をあなたが受け持った以上、今日の支度は私の当番ですよ。気にしないことですね」
　どうやらキッチンから漂ってくる匂いで、シュウが既に朝食の支度を終えていることに気付いたようだ。しおらしくもそう言葉を吐いたマサキに、嗚呼――シュウは胸にまたひとつ欲望が溜まってゆくのを感じていた。
　その態度なのだ。シュウの欲を助長させるのは。
　だからこそ、この欲に歯止めをかけなければならない。シュウは今にもマサキに向けて手を伸ばしそうになる己の肉体と、それを突き動かしている欲望を押し留めながら、精一杯穏やかに微笑んでみせた。そして、マサキと彼の名前を呼んで、こう言葉を続けた。
「シャワーを浴びて支度をしなさい。朝食を終えたら出掛けましょう」

　※　※　※

　指名手配犯であるシュウは勿論のこと、度々サイバスターで地上に出ているマサキもまた、マスメディアによって顔を報じられてしまっている。そうである以上、どこで誰に気付かれないとも限らない。このままの姿で医療機関を受診する訳にはいかなかった。シュウは自身とマサキに簡単な変装を施すと、ブラックマーケットで保険証を入手してから、Ωを専門に診療している医療機関に向かった。
　地底世界での生活が長くなったマサキの保険証はとうに失効してしまっている。
　シュウの保険証にしても然りだ。
　互いの地上世界での人脈を駆使すれば正規の保険証を入手するのは容易いことだっただろうが、その結果、優生主義者たちに情報が筒抜けになってしまうのでは意味がない。シュウにさえ興味をそそられていた彼らだ。マサキ＝アンドーという規格外の能力を持つΩに、どうして興味を持たないと云えただろうか。シュウは自らがΩである現実をまだ受け入れきれていないマサキに、向き合わねばならない問題を増やすのは避けたかった。
　都市部から離れた郊外にあるαとΩの専門外来を併設している総合病院。平日の昼下がりとあっては、学校や会社があるからか。専門外来の待合室は人もまばらで、三十分も待たずに診察を受けることが出来た。
「健康上の問題はありませんね」
　簡単な検査を受けたマサキに付き添って医師の話を聞く。初老の眼鏡をかけた医師は、検査結果を次々とマサキの目の前に並べてみせながら、それらの数値に対する説明もそこそこにそう結論を述べた。
「初めての発情期が三ヶ月前……と。珍しいことではありますが、成人してから発情期が訪れる個体も稀にはいます。ただＭＲＩからして脳の異常ということはなさそうですので、偶々そういった意味での成長が遅かったか、或いは何かしらの環境的な要因に影響を受けているか……。そういった点に心当たりはありますか？」
　環境的な要因。とマサキが鸚鵡返しに尋ねる。
　行きのグランゾンの中で話を聞いてみれば、発情期の強い性衝動には彼もまた苦しんでいるようだ。ただそれはシュウとは異なり、理性の消失に悩んでいるのではなかった。彼は終わりなく続く性的な欲求を、どうにかして短くしたいと望んでいた。他のことが何も考えられなくなるのが嫌だ。ぽつりとそう呟いた彼は、自身の中にある理性と本能の明確な区別を持っていないのかも知れない。直後にはあっけらかんと、気持ちいいのはいいんだけどさ。もしかするとシュウに後ろめたさを感じさせたくなかったのやも知れない。そう云い放った。
「例えば、極度に不規則な生活を送っている。或いは常に強いプレッシャーに晒されているなどといったストレスを感じ易い環境ですね。性フェロモンの分泌量を司るのも脳の働きですから、ストレスを感じればそこに異常が生じます。被虐待児などは特にこの傾向が顕著です」
「その場合、何か追加で治療を受ける可能性が？」シュウは尋ねた。
　ラ・ギアスでは成人扱いされてきたマサキだが、地上世界ではまだ子どもと数えられる年齢を、終わりなき戦いに費やしてきている。本人は逞しくもそれを自身に課せられた使命としてこなしていたが、そのプレッシャーは計り知れない。世界の命運が自身の双肩にかかっている。それはどれだけのストレスとなって彼を襲ったことだろう。
「カウンセリングや精神安定剤の服用で改善が見られることもあるにはありますが、根本的には環境が改善されないことには」
　成程。シュウは頷いた。そしてマサキに尋ねた。精神安定剤を服用してみますか？　突然に自身の精神的な問題に話が及んだことに困惑したようだ。マサキは幾度か目を瞬かせると、流石にそこまでは――と、言葉を濁す。
　そのマサキの態度に、医師は何か事情があることを感じ取ったのだろう。だからといって患者のプライバシーでもある。踏み込んだ事情まで尋ねてくる気はないようだ。電子カルテに何事か入力を済ませると、マサキに向き直って、
「まあ、必ずしもストレスに限った話ではありませんからね。成長の遅れが発情期の規則性に現れているだけかも知れません。半年から一年ぐらいは様子を見てみてもいいでしょう。それでも発情期が不規則であるようでしたら、その時に精神安定剤の服用も含めて対応を考えることにしましょうか」
　それにマサキは深く頷いた。
　一年後のシュウとマサキはどうなっているのだろうか。発情期にあったからとはいえ　マサキは易々とシュウに身体を許している。彼のΩ性はそれだけ強烈に彼の意思を蝕むものであるのだ。もしかすると、彼は早期に番を探し出すやも知れない。シュウは医師の言葉に今後の自分たちの関係を考えずにいられなかった。
　知ってしまった肉欲を手放すことに躊躇いを感じてしまう程度には、シュウはマサキの身体に魅力を感じてしまっている。
　いっそ噛めって話です。チカの言葉が脳裏に過ぎる。それは甘美な誘惑となってシュウの胸を占めた。あの状態のマサキを独り占め出来る。けれどもそれは、彼に欲しかった未来を諦めさせることになるのだ。そこまで自分は利己的にはなれない。シュウは欲を封じ込めた。
「抑制剤が効果を発揮するようになるのは、服用開始から一ヶ月後です。それまではなるべく外出を控えるようにして、自身の身の安全を優先してください。緊急抑制剤は効果が強力な分、副作用が強力ですし、人工中絶薬は倫理的な観点もあります。私としてはあまりお勧めしたい薬ではありませんので」
　結局のところ、マサキの発情期の問題は今直ぐにどうとなる話ではないらしい。そうである以上、彼と安易に肉体関係を結ばない為には、シュウ自身が処置を受ける必要がある。シュウは自身が置かれている状況を、医師に手短に説明した。第二世代のαであること。マサキの性フェロモンに強い反応が生じること。その上で医師にαの｜急性発情期《ヒート》を抑える薬がないかを尋ねた。成程。と、医師が頷く。
「日常的に服用することで｜急性発情期《ヒート》を抑えられる薬があります。ただ、Ωの抑制剤と比べると効果の個人差が激しく、殆ど効き目がないといったことも起こり得ます。その割に副作用は強めに出るので、あまりお勧めはしていません。それでも良ければ処方はしますが」
「副作用とは？」
「嗅覚障害ですね。殆どの匂いに反応がなくなります」
「止めとけよ。鼻が利かないって結構キクぞ。飯の味もわからなくなるしさ」
　珍しくも即座に反応したマサキは、そういった状態に心当たりがあるようだ。常に風邪を引いているようなもんだろ。そう続けて言葉を発したマサキに、そうは云ってもね。シュウは言葉を継ぐ。
「あなたの発情期に私が影響を受けてしまうのは事実なのですよ、マサキ。あなたがいつあちらに戻れるかもわからない状態である以上、あなたに抑制剤の効き目が表れるまでは、私が抑制剤を服用した方がいいでしょう」
　けれど、それじゃお前が。自身が抑制剤を服用することに異論はないマサキは、シュウにまで負担を強いるのが嫌なようだ。それをシュウは遮って、医師に自身への抑制剤の処方を求めた。
「わかりました。では、ひと月分α抑制剤を処方することにしましょう。Ω抑制剤については現在服用している薬があるとのことですので、その効果の程を見てから、追加で処方するか、別の抑制剤にするかを決めましょう」
　薬の処方を受けたシュウは、そのままマサキを連れてグランゾンに戻った。待ち兼ねていたチカが、ポケットから顔を覗かせる。マサキの二匹の使い魔もグランゾンでの留守番は退屈だったようだ。早速とばかりにマサキに病院での診察結果を尋ねている。
　シュウはグランゾンをラ・ギアスへと転送させた。
　任務以外で地上に出ることの先ずないマサキに、気分転換も兼ねて久しぶりの地上の空気を味わせてやりたくもあったが、いつまた不定期な発情期が始まらないとも限らない状況下。彼の身を安全を考えると、踏み切れる気がしない。一ヶ月を凌げばまた事情は変わるのだ。それまでには彼の仲間も迎えに来ることだろう。帰路の途中で街に寄り、手配しておいた家具を引き取ったシュウは、我が家に帰り着くと、マサキとともに彼にあてがった部屋へとそれらを運び込んだ。
　ベッドにクローゼット、カウチ、ミニテーブル。カーテンを張り替え、二匹の使い魔用のペットベッドを置く。こじんまりとした空間に収められる家具の量には限りがあったが、新品の家具でも揃えば生活感が出るものだ。
「大分、人間らしい生活の場になりましたね。これで心置きなくあなたも休めるでしょう」
　ここまできちんとした部屋の体裁を整えてくれるとは思っていなかったのだろう。ただ寝るだけのスペースではなくなった部屋を見渡したマサキは、ペットベッドやカウチに浮かれ騒ぐ二匹の使い魔を尻目に、生真面目にも表情を引き締めると、絶対に借りは返す。そう力強く言葉を放った。
　愉しみにしていますよ。そう言葉を返しながらも、それが叶う日が来ることはないのですよ。シュウは胸の内でひっそりと呟いた。
　以前ならまだしも、今のシュウはマサキの身体に欲がある。その身体を隅々まで味わいたいという欲。触れて、舐って、苛み、嬲る。きっと彼は全身で悦びを表すことだろう。限りのない妄想。それは隙あらばシュウの理性を食い荒らそうと、シュウの中で鎌首をもたげて待ち構えていた。だのにシュウはマサキを庇護するという大義名分の元に、彼を側に置き続けている。
　それが微かな期待からでないと、どうして云えただろうか？　シュウはそこに己の浅ましさを見た。マサキを側に置く限り、――否。今後の彼との付き合いにおいても、シュウはマサキに対する飢えと戦い続けることになるだろう。知ってしまった肉欲。シュウはマサキの身体に溺れている。
　そうしたマサキに対する後ろめたさが、彼に借りを返させることを良しとしない。
　他の貸しであればいざ知らず、今回の件に関しての彼への貸しを、だからこそシュウは貸しと求めないことにした。
「お前ら、あんまり騒ぐなよ。人んちだぞ」
「どうせ私とチカしかいない家ですよ。ひっそりと静まり返っているこの家にとっては、このぐらいの賑やかさがあってもいいでしょう」
　二匹の使い魔を嗜めているマサキにそう告げて、シュウは部屋を出た。マサキに与えた部屋にいつまでも家主が長居をしてしまっていては、彼も寛げまい。様々な問題を抱えてしまっている今のマサキには、ひとりになる時間が必要なのだ。
　リビングを抜けてキッチンに向かったシュウは、夕食の支度に取り掛かることにした。
　マサキの起床が遅かったこともあって、今朝の食事は遅めの時間だった。そこから地上に向かい、変装をし、ブラックマーケットに赴き……昼食を取る間もなく医療機関を受診して、家具を引き取った。男ふたりでの作業が早かったこともあって、夕食には丁度いい頃合いだ。
　冷蔵庫のドアを開き、中身を確認する。シュウひとりであれば簡単に済ませたいところであるが、まだまだ大量のエネルギー摂取を必要とする年頃のマサキがいる。発情期の消耗も激しかったことだろう。きちんと栄養を取らせてやらなければ。そこまでシュウが考えた瞬間、玄関ベルが鳴った。
　サフィーネだろうか？　モニカだろうか？　あれだけマサキを責め立てたのだ。昨日の今日でテュッティが迎えに来ることもあるまい。だからシュウは、自身の仲間たちがお節介にも夕食の世話を焼きにきたのだろうと思い、彼女らにどうマサキがいることを説明すべきか考えながら玄関へと向かったのだが――。
　肩にかかる金色の髪が、風にふわりと揺れる。
「お兄ちゃんを、返して」
　プレシア、とシュウはドアの向こう側に立っていた少女の名を口にした。

　※　※　※

　未だ稚さも目に付く義妹に、性的な話をするのは憚られる。かといって、発情期とΩは切り離せない関係である。マサキはどこから何をどう説明すればいいのかわからぬまま、言葉もなくリビングでプレシアと向き合っていた。
　さしものシュウもマサキの義妹を目の前にしては、テュッティの時のようにはいかなかったようだ。彼はすんなりとプレシアをリビングに通してマサキと対面させると、自身は夕食の支度をしにキッチンへと姿を消した。煮えた野菜の匂いが漂ってくるリビング。何を作っているのだろう？　場違いにもマサキはそんなことを考えていた。
「……お兄ちゃん」
　先に口を開いたのはプレシアだった。ローテーブルを挟んだ向かい側で、毛足の長いラグに膝を埋めるようにしてちょこんと座っている彼女は、どうしてここに来たの？　と、俯き加減に口にした。
「家に帰ってこなかったのは、何で？」
「ゆっくり考える時間が欲しかったんだ」
　シュウを欠いたままあの場にいても、訪れる結末は似たようなものだった。マサキは耳を塞ぎたくなるようなテュッティの台詞に耐え切れなかっただろうし、その結果、プレシアの許に帰るのではなく、サイバスターで何処かへと放浪していたことだろう。今マサキがシュウの許に身を寄せているのは、偶々あの場にいた彼がマサキを連れ出したからに他ならない。
「だったら別に家ででも出来るでしょ」
「他の連中が来ないとも限らないあの家で、か。俺はひとりで考えたいんだよ、プレシア。今後、自分がどうやって生きていくかを」
　騒々しい魔装機の操者たちのお節介は、時として余計なお世話にしかならないことがある。王都に残ろうものなら、そういった彼らの餌食になりかねない。彼らはテュッティとマサキの決別に大いに首を突っ込んできただろうし、それはもしかするとマサキの心を幾許か慰めもしたかも知れなかった。けれどもそれはマサキがΩであるという現実の前では何の意味も為さないのだ。
　テュッティには頭を冷やす時間が必要だろうし、マサキにはひとりで考える時間が必要だ。その為にはふたりの物理的な距離が近過ぎては駄目だ。シュウがマサキをこの家に連れ帰ったのは、そういった考えがあってのことだろうとマサキは思う。
　ここならば余計な雑音は入らない。
　ひとりでゆっくりと自らの今後について集中して考えることが出来る空間。決してプレシアが邪魔だというつもりはマサキにはなかったが、純粋なラ・ギアス人である彼女に、地上の複雑に入り乱れた性とそれに纏わる差別意識などを真の意味で理解しろというのは無理がある。
「あたし、お兄ちゃんの邪魔はしないよ」
「そうじゃないんだよ、プレシア。それだけじゃないんだ」
　乗りかかった船、だからだろうか。それとも自身が第二世代のαであるからだろうか。シュウは必要なサポートをマサキに行うつもりでいるようだ。
　マサキを早速病院に連れて行ったのも、そういった意思の表れなのだろう。これがマサキひとりであったなら、そう簡単には病院にかかることもしなかったに違いない。ぐずぐずと結論を先延ばしにして、結局現状維持を選ぶ。そして悪戯に被害を拡大させる。自分の性格だ。そのぐらいはマサキにも想像が付く。
　思えば最初に発情期のマサキを連れ帰ってきてからというもの、彼はこまめにマサキのサポートをし続けていた。王都へと送り届け、話し合いの席に同席し、独立した部屋を与え……返せる気がしないぐらいの恩を受けたマサキは、シュウの恩に報いる為に、自分の問題と正しく向き合わなければならないと考えている。
　だからこそ、マサキはΩでいることを受け止めて生きていこうと思うようになった。先のことはどうなるかわからないけれども、出来れば番を得て生きていきたい。子どもに対する覚悟は決まらぬままだったが、それは自然と答えが出てゆくものであるのかも知れなかった。
　それが証拠に良く云うではないか。好きな人の子どもは別だと。
　マサキは医師の診断を受けたことで、ひとつの心の壁を乗り越えたのだ。
　ただ、魔装機神の操者をどうするかという問題は依然として残っている。発情期という壁。セニアは頓着していないという話ではあったし、サイバスターやサイフィスも今のところ、マサキを拒否するとは考えていなさそうだ。マサキ自身も操者を続けたいとは思っている。しかし実際、死線をともにする仲間からすれば、リスク管理の難しいマサキの存在は戦力に数えられないものである。そうである以上、彼らの理解なくして魔装機神の操者を続けるのは不可能だ。
　場合によっては地上に帰ることも考えなければならない。その場合のマサキの人生は、過酷なものとなるだろう。
「お兄ちゃん、何か変だよ。どうしちゃったの……？」
　だのにマサキの義妹は、いつも通りのマサキであることを期待するのだ。先の見えない｜未来《あした》に怯えるしかないマサキに。
　そもそもプレシアはどこまで何を知っている状態でここに来ているのだろう？　まるでΩである現実がなかったことになっているような義妹の態度。知識が足らなければ話が噛み合わないのも仕方がないにせよ、ここまで足を踏み入れてくるのであれば、最低限のΩに対する知識ぐらいは持っていて欲しかったとマサキは思う。そして直後には、そんな身勝手な自分の考えに嫌気が差す。
　自分には大事な義妹を思い遣る余裕すらない。
　それでも何からどう説明すればいいのかマサキにはわからない。Ωという性。発情期。思いあぐねていると、不意に頭上から声が降ってきた。
「あなたには先ず、必要な知識を獲得してもらわなければならないようですね、プレシア」
　いつの間にかリビングの入り口に凭れてこちらを窺っていたらしいシュウが、どことなく不機嫌を感じさせる声でそう云い放つ。恐らく、進展しない話に業を煮やしたに違いない。彼は食事の支度が終わったことを告げると、プレシアにも食事をしていくようにと勧めた。どうやらその席で、マサキが置かれている状況を説明するつもりでいるらしい。
「……あなたに施しを受けるなんてご免なんですけど」
「このまま話を続けたところで、マサキを追い詰めるだけにしかならない。それはあなたにとっても不本意な結果だと思いますが」
　言葉を詰まらせたプレシアが口唇を噛む。
　わかりました。ややあってそう言葉を吐いたプレシアとともに、マサキはキッチンへと向かった。
　ポテトといんげんを付け合わせにしたチキンソテー、野菜がふんだんに使われたスープ、そして色取り取りな野菜が目にも鮮やかなサラダ……四人掛けのダイニングテーブルの上に並べられた出来立ての料理は、見た目からして充分過ぎる出来だった。
　病院からの帰りにチカにちらと話を聞いたところでは、普段の彼は相当に不摂生な食生活を送っているようだ。やれば出来るんですねえ。彼は主人の食事の支度を眺めていたらしい。キッチンカウンターの上で羽根を休めながら口にする。
　ダイニングテーブルの足元には二匹の使い魔が寝そべっている。シュウとチカの存在がなければ、まるで普段の兄妹の食卓のようだ。全員がキッチンに顔を揃えた席。食事を始めながら、シュウは地上における性別の分類について、地底人たるプレシアにもわかるようにと噛み砕いて説明をしてくれた。
　トランス体とＣｉｓ。
　αとβとΩ。
　トランス第二世代。
　学問を生業としている男だけはある。彼の知識の中にはマサキも知らないものも多かった。特に歴史や差別問題においてその傾向は顕著だった。自身が第二世代のαということもあって、相当に調べ込んだのだろう。能弁に知識を語るシュウの話を、プレシアは時に質問を挟みながら大人しく聞いていた。
　ただ、事の重大性にまでは思い至っていないようだ。話がひと段落着いたのを感じ取ったプレシアが、早速と口を開く。
「でも、だからって家を出るまでじゃ」
「あなたは女性だからこそ、自身と何が違うのだろう。ぐらいにしか考えていないのでしょう。発情期だって生理と同じようなものじゃないかとね。ですが、その認識は改めた方がいい。Ωの中には発情期に耐え兼ねて自殺する者もあれば、セックスワーカーの道を選ばざるを得なくなる者もいる。だからといって私は生理を軽んじるつもりはありませんよ。生理の辛さと発情期の辛さは別物です。
　そもそも、マサキが魔装機神の操者を続けたいと思っていることに対して、テュッティが強硬に反対の意見を唱えてみせたのも、そうした発情期の現実があるからこそ。本能的な衝動である発情期は、自身の努力だけではどうにもなりません。しかも生理と異なり、強制的に他のトランス体の生殖活動を誘引する。彼女の杞憂も尤もです」
「だけど、ここに居ても何も解決しないじゃないですか」
「それは私の台詞でもありますね、プレシア。知識もなければ経験もない。そういったあなたの所にマサキが戻ったとして、現在彼が抱えている問題の数々が解決するとは到底思えませんが」
　どこか突き放した物云いをするシュウの言葉の数々に、プレシアは我慢の限界を迎えたようだ。それはお兄ちゃんが決めることでしょ！　テーブルを強く叩きながら立ち上がる。そしてマサキの腕を取ると、
「お兄ちゃん、帰ろう。ヤンロンさんもミオさんも心配してたよ。あたしだってお兄ちゃんと離れてるの心配だよ。大丈夫。いつもお兄ちゃんがあたしを守ってくれてる分、今度はあたしがお兄ちゃんを守るから」
　ああ、もう静かにしてくれ。それが義妹なりの思い遣りの表し方であるとわかっていながら、マサキは感情を爆発させずにいられなかった。静かにプレシアの腕を払う。お兄ちゃん……。プレシアが途惑いを露わに、｜凝《じ》っと自分を見詰めている。
　養父であり師でもあったゼオルートから預かった大事な義妹。だからこそマサキは彼女を大切に扱ってきたつもりだった。しっかり者な｜義妹《いもうと》にマサキの手助けが必要な場面はそうはなかったものの、幼くして天涯孤独となった彼女はマサキの存在に慰められるところもあったのだろう。それなりに上手くやってきた兄妹。世話焼きでもある彼女の性格に、マサキは随分と助けられてきている。ただいかんせん、今回ばかりはそうした責任感だけでどうにかなる問題ではないのだ。
「ひとりで考えたいって云っただろ！」
　マサキ。とシュウが制止するも、一度堰を切った感情は止め処なくマサキの口から言葉を迸らせた。
「大体、お前、俺がテュッティに何を云われたのか聞いたのかよ！　後先に考えずに行動して派手に打ちのめされるって云われたんだぞ！　ああ、その通りだよ！　俺は考えなしだ！　それでも俺はサイバスターの操者でいたいんだよ！」
「お兄ちゃん」
「テュッティの云うことだってわかるさ。戦場で命を預ける相手が、定期的に休みを必要とする身体になった、ってな。そんなの不安しかねえじゃねえかよ。しかも魔装機の操者たちは大半が地上人だ。俺の発情期に影響を受ける個体だって少なからずいる。それで不安にならない方がどうかしてる。だから俺は自分のこれからを考えなきゃいけないって、それで今こうしてるんだろ！」
　プレシアはわかっていないのだ。自身の態度が理解の許からきているものではないことを。彼女はマサキとの兄妹の絆を失いたくないだけなのだ。ただ、彼女自身はマサキの味方でいるつもりでいる。だからこそマサキを取り戻す為にここまで足を運んでみせた。
　それがマサキには辛かった。
　マサキが欲しいのは、Ωに対する理解でも共感でもない。反発でもなければ差別でもない。ただこれまでと変わらない日々を送る為に、発情期という問題も含めて、マサキ＝アンドーという人間を丸ごと受け入れて欲しいだけなのだ。けれどもそれは無条件に叶えられるものではない。抑制剤の服用は必須であったし、かといってその効果には個人差がある。魔装機神の操者を続けてゆく限り、少なからずマサキはプレシアや仲間に醜態を晒すことになるだろう。
　さりとてマサキにも自尊心は残っている。シュウの前で本能的に振舞ってしまった自分を今更後悔をすることはなかったけれども、守らなければならない存在であるプレシアにそういった自分の姿は見せたくはなかった。だからこのぐらいの距離でいたいのだ。マサキはここにきて、自分がプレシアの許に戻ることに抵抗を感じている理由が何にあるのかを知った。
　ひとつ屋根の下で自慰に耽った七日間。マサキに初めて発情期が訪れた時の変調を、プレシアは何処まで深刻に捉えているのだろう。マサキの乱れた姿を見ていない彼女にとってそれは、風邪に等しいものであるやも知れないのだ。
　ぞっとする。
　あれはそんな生易しいものではない。寝ていれば治る訳でもない。ましてや楽になれる訳でもない。ただただ欲望に踊らされる七日間。身体に染み付いた快楽の記憶は、マサキから羞恥心を奪い去ってしまった。自慰に耽らずにいられないのも、シュウとの性行為を求めずにいられないのも、だからだ。
「何より、俺には発情期がある。お前にとってそれがどういったイメージか、俺にはわかりようがないけれど、少なくとも俺は、その時の姿がお前に見せられないものだという自覚があるんだ」
「お兄ちゃん……」
　マサキの激高した姿を見たプレシアは、自身の兄が思っていた以上にナーバスになっている現実に、流石に自身の希望ばかりを口にしてはいられないと思ったのだろう。これまでの勝ち気な態度はどこにやら。不安とも悲哀とも付かない寂し気な瞳をマサキに向けている。
「一ヶ月だ、プレシア。一ヶ月間、抑制剤を飲み続ければ効果が出る。その効果がどのくらいなのか。それを確認するまでは、俺はお前の所には戻れない。わかってくれ。俺はお前にあんな自分の姿を見せたくないんだ」
　云いながらマサキは思った。マサキが年齢を重ねた分、プレシアも年齢を重ねた。とうに成人を迎えて久しい義妹。これを機会に離れて暮らすのもひとつの選択肢かも知れない。その方が今後のお互いの人生の為でもあるだろう。
「……わかった。お兄ちゃんがそう考えているなら、あたしは待つ」
　マサキの立て続けの言葉に、意思を感じ取ったのか。どうやらプレシアは、マサキがここに残ることに対する覚悟を決めたようだ。落ち着き払った様子で言葉を吐くと、次にはこう続けた。
「でも、お兄ちゃん。テュッティさんのことはどうするの？」
「いずれまた話し合わなきゃならないとは思ってるんだ。ただそれは今じゃない。どうやって魔装機神の操者を続けてゆくのか。どうやって自分の身を守るのか。俺自身がΩの人生にもっと明確なイメージを描けなきゃ、テュッティだって納得しないだろ。それを考える時間も欲しい」
　そうだ。話を続けながらマサキは思った。いずれはテュッティともまた話をしなければならない。あれもこれもシュウに頼りきりだったマサキは、思った以上に彼を拠り所としていたことに気付かされた。彼にばかり頼っていてはいけない。自分の力でなんとかしなければ。堂々巡りだった思考に、一筋の光明が差し込む。マサキは自身が守ってきた身近に存在に触れたことで、自分の意識が目覚めてゆくのを感じ取った。
「そっか……そう、だね。お兄ちゃんがそこまで云うなら、あたしはお兄ちゃんを信じる。信じて待つ。でも、いつかはちゃんと帰ってきてね。こんな風に突然あたしの前からいなくならないで」
　血は繋がらなくとも長く兄妹として生活してきただけはある。まるでマサキの心を見透かしているかのように言葉を吐くプレシアに、ああ、大丈夫だ。そう力強く頷いてやりながらも、いずれ彼女と離れる時はくる。マサキはその日に向けてひとり静かに。決意を固めていった。

　※　※　※

　地上に出たことやプレシアと話し合った疲れからか。その日のマサキは、ここ数日の落ち着かなさが嘘のように、自分でも驚く程に安らかな眠りを得た。早朝に目覚めて食事の支度をし、起きるのが辛そうなシュウを起こし、彼と朝食をともにしたその席で、彼はもしかすると半日程不在にするかも知れない。とマサキに告げてきた。
「地上でトランス体に関する資料を探してこようと思っているのですよ。個人的に疑問に感じている点が幾つかありましてね、その確認をしたいのです。まあ、餅は餅屋とは云いますし、あなたの今後については医師に任せるべきとは思うのですが、それはそれとして、出来ることはやっておきたいものでしょう。手を拱いて眺めているのは私の性分ではありませんので」
　そして慌ただしくもチカを置いたまま、食事を終えるなり家を出て行ったシュウに、もしかすると彼は未知なるトランス体という存在に、学者としての知的探求心を擽られているのではないか――と、マサキは思わずにいられなかった。若しくは、度を越した負けず嫌いな彼のこと。自らの知能が及ばない事態があることに腹を立てているのかも知れない。
　いずれにせよ、自らの頭脳の出来に自信を持っているシュウらしい動機だ。綺麗に残さず食事を片付けていったシュウの皿を洗いながら、マサキは何故か零れてくる笑みを抑えられなかった。
　顔を合わせれば嫌味だ皮肉だの応酬ばかりだったものの、いざという時には頼りになる味方でもあるシュウ。それは戦いの場に限ったことではないことをマサキは知っている。彼はマサキがΩであろうがなかろうが、マサキが本当に困窮していれば、今回と同じように迷わず手を差し伸べてくれたことだろう。
　独立心が旺盛で誰かに頼ることを良しとしないマサキは、そんな彼の手をいつも払い除けてばかりだったけれども、彼の心遣いの数々に有難みを感じない程腐った心の持ち主ではない。お前の主人がいてくれて良かったよ。キッチンの窓辺で下手な歌を歌っているチカにそう声をかけると、何故か彼は宙を睨みながら、
「あんまりうちのご主人様に心を許すのはどうかと思いますけど」
「別に心を許した訳じゃねえよ。ただ、世話になってるのは事実だろ。俺が感謝の気持ちを持つのが、そんなに悪いことかね」
「だって、マサキさん。あたしが云うのも何ですけど、うちのご主人様ってクズくありません？」
「クズねえ。まあ、普通じゃないのは確かだが、そこまで云う程碌でもない奴でもないだろ」
「そうですかねえ。だってやることやっておいて子どもは欲しくないって、守りたいんだか奪いたいんだがわかりゃしないじゃないですか。結局、性欲かよって思うんですよね。だから、マサキさんの弱味に付け込んでるみたいで、あたしはあんまりいい気分じゃないですよ」
　察しのいい使い魔たちは、マサキとシュウの関係の変化に気付いているようだった。チカに限らずマサキの二匹の使い魔も、それについては口を挟んできたことがある。彼らはそれがマサキの選択であるのなら仕方がないといったスタンスであるようだったが、だからといって諸手を挙げて賛成するといった様子ではなかった。ただ、マサキの発情期の苦しみようを間近で目にしている分、寛容であろうとはしているようだ。大分、落ち着きを取り戻した主人の様子に、感謝はしていると彼らは口々に述べてみせた。
「だからってな、あいつの｜急性発情期《ヒート》にしたって、俺の発情期と一緒だ。自分の力でコントロール出来るもんじゃない」
「だったらこんな風に側に置くなって話でしょ。それでなるようにしかならないって思ってれば、そりゃ肉体関係だって結んで当然って云うか」
　獣の姿をしておきながら発情期とは無縁の使い魔たちには、発情期の苦しみは理解出来ないものであるらしい。
　そもそもシュウはトランス体の特性が弱い第二世代なのだ。しかも長く地上にいたこともあったとあっては、自身にはΩの放つ性フェロモンは効かないと思い込むのも已む無しだ。けれどもそうした事情を知って尚、チカは納得が行っていないようだ。ふわりと宙を舞った彼はマサキの肩にとまると、首に嵌められたままの幅広の首輪を突いてくる。
「この首輪だってそうですよ。マサキさんに首輪をさせることで、自分が本来負わなければならない責任から逃れているようにあたしには思えるんですよ。だってラ・ギアスにどれだけトランス体がいるっていうんです？　番になれる相手は限られてるっていうのに、こんな風に自衛させるなんて。まるで自分がマサキさんを抱くのは仕方ないと思ってるみたいじゃないですか。責任転嫁ですよ、そんなの」
「だからあいつだって、α抑制剤を手に入れてきたんだろ。俺ばかりに負担をさせないようにって」
「お優しいこって。それとも丸め込まれてるって云うんですかね？　あのですね、賭けてもいいですけど、マサキさん。うちのご主人様はまたやりますよ。あれで結構人間嫌いな面のある人ですからね。それが｜急性発情期《ヒート》だかビートだか知りませんけど、その程度の本能的な欲求で他人に性的な接触をするなんて有り得ない。ご主人様にとって他人はすべからく分析する対象です。つまりは実験体。目的もなく性行為に及ぶなんて、あの鉄皮面にしてはらしくなさ過ぎるんですよ」
　自らの主人に対する評価にしては辛辣な言葉の数々に、マサキは閉口した。
　どう言葉を返せばいいかわからない。
　確かにおとといのシュウは初めて彼と性行為に及んだ時とは様子が異なった。彼は明確にマサキの意思を確認してみせたし、その上でαがどういった性を持つ個体であるのか伝えようとしている様子でもあった。言葉もなくマサキを犯した最初の性行為とは違う。おとといの彼には理性があった。その上でマサキと性行為に及んだ彼の真意がどこにあるのか、マサキには考えが及ばない。
　けれども、彼は自身の衝動を抑えようと努力をする気はあるようだ。α抑制剤の処方を求めたのも、安易にマサキと肉体関係に至らない為の処置。それが何故、責任逃れになるのか。マサキからすれば、むしろシュウはマサキに対して、これまでの彼からすれば信じられないまでに誠実であろうとしてくれている。そう思えてならなかった。
「あたしはちゃんと忠告しましたからね、マサキさん。油断は大敵。あんまりうちのご主人様を信用なさいませんよう」
　云いたいことを云い終えたとばかりにチカが窓の外へと羽ばたいてゆく。それをきっかけに、キッチンですべきことを終えたマサキもまたキッチンを出た。気付いた方がやる約束の家事。それを今日は片付けよう。洗面所に向かって洗濯機を回したマサキは、洗濯物が上がってくるまでの間、リビングの掃除をしようと思い立った。
　借りは少しでも返さなければ。
　今日のラングランも爽やかな風が吹き抜ける心地の良い陽気だ。開け放った窓から吹き込んでくる風の柔らかな香り。どうせシュウは半日程帰って来ないのだ。だったらその間に家の中を磨き上げてやろう。そんなことを考えながら掃除を進めてゆく。幸い、いつもならモップだのに纏わり付いてくる二匹の使い魔は、ペットベッドが相当に気に入ったようだ。どうかすると延々その場を動かない二匹の使い魔は、きっと今もペットベッドで寛いでいるのだろう。マサキにあてがわれた部屋から出てくる気配がない。
　ひとりで黙々と掃除を続けたマサキは、途中で上がってきた洗濯物を干し、ついでとブランケットも干した。次いでリビング、洗面所、バス・トイレ。そして自身の部屋と掃除を済ませてゆく。どうやらマサキが思ったよりは、シュウはこまめに各所に手を入れているようだ。どこもさして埃が溜まっている様子がない。
　もしかするとサフィーネやモニカが世話を焼いているのかも知れない。ふと思い至った瞬間、胸の内が騒いだ。マサキがリューネやウエンディとどうにかなる可能性はもうないに等しかったが、シュウが彼女らとどうにかなるかも知れない可能性はある。それがマサキにはどうしようもなく辛いことのように思われてならなかった。
　それを振り切るようにして掃除を続けることにしたマサキは、立ち入りを禁じられている書斎はそのままにしておくこととして、寝室へと足を踏み入れた。
　何故だろう。その途端に身体が熱くなったような感覚がした。頭がぼうっとする。窓を開き、風を通そうとしたところで、何とも表現し難いだるさを感じたマサキは床に座り込んだ。鼻に衝く匂い。彼が自身に振りかけたと思しき香水の残り香が、マサキの衝動を呼び覚ます。マサキは這うようにして先ずベッドに向かった。シーツを変えたばかりのベッドは、ブランケットを干していることもあって、清涼感のある洗剤の香りに包まれている。
　これじゃない。
　マサキは香りの元を辿った。クローゼットの辺りから、特に強く香ってくるシュウの匂い。恐る恐るクローゼットの扉を開いたマサキは、そこに仕舞われていた彼の日常着を手に取った。匂いを嗅ぐ。羽織り物を自宅で洗濯する習慣がないのだろう。強く残る彼の匂いに、じわり――……とアナルの奥から愛液が染み出してくる。
　彼の上着に袖を通したマサキは、そうしてクローゼットの隅に居場所を定めた。自分は何をしているのだろう？　自らの行動に疑問を感じなくもなかったが、突如として湧き上がってきた性的な衝動が勝った。クローゼットの角を背にしながら、床の上に座り込む。シャツの裾を捲り上げたマサキは早速とばかりに、硬さを増した乳首に手を伸ばしていった。

　※　※　※

　マサキと話をしたことで納得をしたようだ。お兄ちゃんを宜しくお願いします。そうけなげにも頭を下げて去って行ったプレシアに、シュウは心を動かされずにいられなかった。それはああまで情を厚くさせる肉親がシュウに存在していないからであるのだろう。
　人を利用価値で判断してしまう傾向の強いシュウは、無意味に他人を側に置くような真似をしてこなかった。セニアが有している王宮や議会への影響力は自身の身の保身に必要であったし、モニカやテリウスが有している豊かな魔力は魔術が必要なる局面で最大限に効果を発揮してくれる。最小の手間で最大の効果を求めるシュウにとって、彼らの存在はなくてはならないものだ。そこに情に入り込む隙は殆どない。
　他者が自らに向けてくる感情さえも利用してみせるのが、シュウ＝シラカワという人間である。容易には裏切れない絆を構築するのに役に立つ好意。時にシュウが他人のそうした感情を煽るような真似をすることを厭わないのも、その方が何かを成すのに効率がいいからだ。自らの行動をそう分析するシュウは、自身の｜未来《あした》の為にも、そうであり続けられるよう努力を重ねてきた。
　だからシュウは、マサキとプレシアの義理でありながらも固い結び付きに羨ましさを感じてしまうのだ。
　無垢なる親愛。マサキの周りには欲とは無縁な世界が広がっている。ただ彼の役に立ちたいと願って側に寄り添ってきたふたりの女性たち。彼女らは必ずしもマサキの答えを必要としていないようであったし、彼の周りにいる仲間たちもその見返りを求めていない様子であった。羨ましい。権力に群がる欲深い人間に囲まれて生きてきたシュウとは全く異なる世界。シュウは自らにないものを持っているマサキ＝アンドーという人間が、眩しくて堪らなく感じる瞬間があった。
　いつまでもマサキをこのままにはしておけない。
　シュウが強くそう思い、その為に行動を起こそうと考えられたのは、プレシアの言葉に責任の重さを感じたからだ。決して｜婀娜《あだ》めいた仲ではなかったものの、既にマサキと肉体関係を結んでしまった身。これ以上、彼女の信頼を裏切るようなことがあってはならない。シュウは自身に出来る行動を起こすことに決めた。
　その為には抑制剤の組成表を手に入れる必要がある。それに改良を加えることで、マサキを発情期に関係なく普通の生活を送れるようには出来ないだろうか？　シュウは必要な論文その他の資料を求めて地上に上がった。あまり借りを作りたい相手ではなかったが、優生主義者たちであればその手のデータに詳しい筈だ。彼らにとってシュウは有益な駒である。シュウを好意的に迎え入れた彼らは、どうやらまだシュウがマサキとともに医療機関を受診した情報を得てはいなかったようだ。膨大なデータをシュウの知的好奇心の為にと用意をしてくれた。
　何枚ものディスクに及ぶデータを持ち帰ったシュウは、早速とその読み込みに時間を取ろうとした。その前に来客がなかったか尋ねようとチカの姿を探す。いない。マサキの二匹の使い魔がいるからだろうか。きっと外に飛び出して行ったのだ。自らの使い魔の奔放な振る舞いに苦笑しつつも、それならとシュウはマサキの部屋を尋ねた。
　彼の二匹の使い魔はペットベッドの中で惰眠を貪っていた。これまでの生活の激動ぶりを窺わせる二匹の使い魔の姿に、セニアが与えた休暇には意味があったのだと思いながらも、リビングやキッチンにその姿がなかったマサキの姿がここにもないことに不安が過ぎる。とはいえ、外に干してある洗濯物からしてそう遠くに出掛けていることはないだろう。もしかすると、チカとともにその辺りを散策しているのかも知れない。シュウは寝室に向かった。
　資料の読み込みには目算でひと晩はかかるだろう。だからこそ、シュウは堅苦しばった自身の服装をカジュアルなものに替えようとした。
　その程度の理由だった。
　部屋に入るなり漂ってくる甘い香り。まさか――と、シュウは匂いの感じなくなった筈の嗅覚を突き抜けてくる香りに驚きを隠せずにいた。咄嗟に部屋から出ようとするも、立ち込める匂いが強烈に記憶を呼び覚ます。思ったよりも華奢な身体に白く滑らかな肌。味わいたい。シュウは花の蜜に誘い込まれる蜜蜂のように、部屋の中心へと足を踏み入れて行った。
　マサキ。名前を呼びながら辺りを探す。ベッドに彼の姿はなかったものの、クローゼットの扉が開いている。もしやと思いながら中を覗き込んだシュウは、そこに広がっている光景に喉を鳴らさずにいられなかった。クローゼットの隅に、白く浮かび上がる姿。自らの上着を羽織って、自慰に耽っているマサキは、忙しなく切なげな吐息を吐き出している。
　――本当に仕様のない。
　自らの｜領域《テリトリー》を侵されることをシュウは決して好まない性質であったけれども、マサキのこうした姿に限っては別だ。いじらしくて愛らしい。シュウは熱っぽい眼差しを自身に向けてくるマサキの目の前に腰を落とした。瞳を潤ませきって乳首を弄んでいた彼は、これからアナルに手を伸ばそうとしていたところであったようだ。摺り下がった下着。既に愛液を溢れ出させている谷間が、また強く香ったような気がした。
「昨日の今日でこの有様ではね。あなたの理性も私の理性もたかが知れている」
　云いながらシュウはマサキの頬に手を滑らせた。そして理性と性欲を秤にかけた。止められない。シュウは呆気なく傾いた心の中の天秤に導かれるようにして、マサキの口唇に自らの口唇を重ねていった。
　少し荒れた口唇。けれども想像していたよりは柔らかい。軽く吸い上げただけでも身体を震わせているマサキに、シュウは彼をこのまま快楽に漬け込んでしまいたいと思った。そうして、他人との性行為など考えられなくなる程に自らに縛り付けたいと願った。愚かな欲だ。心の片隅でシュウの理性がせせら笑う。それでもシュウは己を止めることなど出来なかった。
　プラーナの補給を受ける機会も多いからだろう。キスの仕方だけは良く知っているとみえて、マサキはさして時間を置かずに口を開いてきた。その口腔内に早速と舌を滑り込ませていく。シュウはそこから存分に熱く濡れた彼の舌を味わった。
　時に舐め、時に絡め、時に突き合わせ、時に吸う。それにマサキは素直に応えてくる。こういったキスは初めて？　だらしなく身体を開ききって喘いでいるマサキに尋ねると、こくりと小さく頷く。
　どうせ叶わぬ望みであるのなら、彼の初めてを奪い尽くそう。
　シュウはマサキの耳を食んだ。アアッ、シュウ、｜挿《い》れて。早くも欲がピークを迎えているようだ。シュウを求め急かすマサキの言葉に、駄目ですよ。シュウは笑いながら囁きかけた。堪え性のないあなたには罰が必要でしょう、ねえマサキ……
　そうして、どうやら口付けひとつで腰が砕けたようだ。シュウは自力で立てずにいるマサキの身体を抱え上げてベッドへと連れて行くと、シーツに身体を埋めたマサキの姿を見下ろした。はだけたシャツに、摺り下がった下着。シュウの上着を身に纏っているマサキの姿は例えようもなく扇情的だ。
「今日はちゃんと時間をかけて可愛がってあげますよ。あなたがもういいと思えるぐらいにね」
　云いながら乳首に指を這わせてゆく。あ、とマサキの身体が揺れる。これから自分は彼の身体を思うががままに嬲るのだ。シュウはマサキの身体に圧し掛かると、乳首に愛撫を加えてやりながらその鎖骨を舐めた。はあ、ああ。早くもマサキの息が上がる。
　鎖骨から肩、上着をずらして二の腕と舌を這わせてゆく。それだけでも快感を覚えているのだろう。ぴくりぴくりと小刻みに身体を震わせているマサキが、ああ、と今また声を上げた。指に脇の下、腰に臍。順繰りに彼の肌を味わったシュウは、そうしていよいよ彼の乳首に舌を這わせていった。
「…………ッ！」
　息を詰めたマサキの身体の震えがいっそう激しくなる。張って天を向いている彼の乳首は、まるで女性のように先を尖らせていた。それを舐り、吸う。シュウはゆっくりと手を彼の男性器へと伸ばしていった。時に乳首に軽く歯を立ててやりながら、彼の猛る男性器を緩く揉んでやると、面白いように鳴き喘ぐ。はあはあと荒ぶる彼の呼吸を聞きながら、まるで陸に上がった魚のようだ。そう思いながら、シュウはじっくりと時間をかけて彼の乳首を嬲った。
「あ、やだ。イク、イク……っ」
　甘い香りがより際立つ。シュウは愛液を滴らせているマサキの蜜壺に指を這わせた。シーツに染みを作る程に溢れ出た愛液を指に馴染ませて、そうっと蕾の中へと挿し入れてゆく。びくん、とマサキの腰が跳ねた。あ、あ。彼の男性器の先端から精液が迸る。
　まだですよ。シュウは肩で息をしているマサキの腿へと舌を滑らせていった。内腿、膝裏と口付けながら、足先へと更に舌を下らせてゆく。その都度、マサキは息も絶え絶えになりながら喘ぎ、憚ることなく泣いた。
　感じ易い身体はΩの特性のひとつでもある。
　生殖能力に劣っている彼らは子孫を残す為に幾つかの進化を遂げた。理性の弱体化、感度の増大、そして第二の子宮とも呼ばれる｜袋胞《たいほう》の発達。彼らは発情期を迎えると、それらを駆使するよう生得的にプログラムされている。
　それもこれも受精に必要な個体を、自らの体内へと招き入れてゆく為である。
　マサキがシュウを“誘惑”するように自慰に耽ってみせるのも、些細な愛撫に泣き喘いでみせるのも、そのプログラムに従ってのこと。シュウはそれを理解していたものの、その誘惑に抗える程に、マサキに対する執着心を捨ててはいない。
　マサキ＝アンドーというΩは、シュウにとってはとてつもなく魅惑的に映る性的シンボルであるのだ。
　果てしなき高みに君臨する勇者は、それと知らずにストイックに振舞っていた。欲に溺れることなく、自らに与えられた使命をこなしてゆく求道者。数多の女性の誘惑にさえもなびくことのなかった彼は、持てる力の全てを惜しみなく世界の秩序の維持に捧げている。
　その彼の素顔を覗き見ている悦楽。背徳感に背筋が震える。シュウは自らがこれまでマサキに抱えていた憂さを晴らすように、彼に愛撫を仕掛け続けた。緩く口を開いたアナルから今また愛液が滴る。やだ、シュウ。もう｜挿入《いれ》て……幾度か射精を繰り返したマサキが、これ以上は堪えきれないといった様子でシュウに懇願してくる。
　足先を舐めたシュウは彼の身体を返し、上着の裾を捲って背中と臀部を吸った。正直、上着の存在を邪魔に感じることもあったが、脱がしてしまうのは惜しい。いつまた見れると限らないマサキの姿を目に焼き付けながら、シュウは彼の肌を舐った。
　所々に自らが付けた所有の証が浮かび上がる彼の肌。そのなめかましさは、溜息を吐きたくなるような美しさに満ちている。シュウは今また紅斑を辿りながら、その刺激に嬌声を上げるマサキにふと思った。彼は他のαに対してもこう振舞うのだろうか？　いずれ訪れたる未来に胸が締め付けられる。
「無理……もう、無理だって。シュウ……｜挿《い》れて、くれよ…………頭が、おかしくなる……」
「そんなに欲しいのなら、自分で｜挿《い》れなさい。出来るでしょう、マサキ」
　ならばどこまでも傲慢に、彼を蹂躙しよう――。マサキの身体を余すことなく味わい尽くしたシュウは、その手を引いて自らの上へと招いた。
　僅かに躊躇いをみせながらも、導かれるがまま。脚を開いたマサキがシュウの腰の上へと｜騎《の》り上がってくる。その腿の合間から、雫が糸を引きながら垂れた。どうやれば……？　膝を立てたまま途惑いながら尋ねてくるマサキの双丘を割る。濡れそぼる蕾にシュウは自らの男性器の先端を押し当てた。
　そしてゆっくりと腰を下ろすようにマサキに告げる。
　ずるりと内に｜挿入《はい》り込んでゆく男性器に、マサキの目がきつく閉じられる。あ、ああっ。わかってはいてもこの感度の良さ！　身体を震わせながら男性器を受け入れていく彼は、合間に射精を繰り返しつつ、その全てを飲み込んだ。
　誂えたように彼のアナルに嵌まる自らの男性器。膨れた｜袋胞《たいほう》がその先端を緩く包み込んでいる。眩暈を起こしそうになる程の快楽。三度、味わうこととなった快感にシュウは目を細めた。
　腰を振りたくて堪らない。けれども欲深いシュウは、自らの欲の為に自制するだけの理性を持っていた。
　第二の子宮とも呼ばれる袋状の膨らみは、生殖機能の弱いΩが、受精の為の精液を溜め込む為に発達させた器官だと云われている。他のトランス体にはない器官は、収縮を繰り返して射精を促すように出来ている。あ、あ。マサキが動かずして痙攣する程の快感を得ているのも、その｜袋胞《たいほう》の働きがあってのことだ。
「ほら、動いて。そのままでいても終わりませんよ」
　言葉を吐くのもままならなくなっているようで、小刻みに痙攣するばかりとなったマサキの腰をシュウは掴んだ。そして前後に揺すってやる。ああ、ああ。切れ間なく上がる声。激しさを増してゆく快楽に溺れていっているのだろう。ややあって、彼は自ら腰を振り始めた。
　浅ましくも本能的な欲。性欲。その為にマサキは、こうしてまたひとつ。自らの中にある羞恥を捨ててゆくのだ……あ、あ、イイッ。一心不乱に腰を振るマサキの淫らな表情を頭上に眺めながら、シュウは自らとマサキの行く末を思った。互いの身体に溺れて、蕩けて、溶けてゆく己とマサキ。身体の繋がりばかりを強固にしてゆく自分たちは、きっと碌な結末を迎えないに違いない。それでも。
　シュウは覚悟を決めた。
　マサキがここにいる間は、彼の欲を拒絶するような真似はすまい――と。
［＃改ページ］
４．蕩心

　アッ、アアッ、アー……ッ……案の定、絶頂を迎えて気を失ったマサキに、シュウはそこから長い時間をかけて精液を注ぎ込んだ。また後で人工中絶薬を飲ませなければ……醒めつつある意識に男性器を抜き取り、｜袋胞《たいほう》から溢れ出た精液の後始末をする。快感の余韻に痙攣を繰り返す身体。不意にその動きか止んだかと思うと、マサキがうっすらと目を開く。
「今日は早いお目覚めですね、マサキ」
「昨日、ぐっすり眠れたからかな……」
　早々に身体を起こすマサキに、寝ていては？　シュウは声をかけるも彼は落ち着く気配がない。シュウの上着を脱ぎ、服を着ると、掃除をしようと思ってたんだよ。そう云って、汚れたシーツを両手に抱えた。
「ついでですから、飲みなさい」
　その口に人工中絶薬を放り込む。再び水もなしに薬を嚥下したマサキは、洗面所に向かうつもりであるのだろう。そのまま寝室を出て行った。
　かいがいしいことだ。洗濯機が回り始める音を聴きながら、シュウもまた寝室を出て書斎に入った。革張りのチェアーに腰を掛け、デスクに積み上げたディスクのひとつを取り上げる。行動制限のない抑制剤の開発は勿論のことであったが、あの気絶癖も出来れば改善してやりたい。その為のヒントがこれらのデータの中にあればいいが……そう考えながら｜読み取り機《リーダー》にディスクを挿入する。
　目の前に浮かび上がる複層ホログラフィックディスプレイ。
　マサキの刺激に敏感な身体。それはシュウにとっては愉しいものであったけれど、快感が最高潮に達する度に気絶を繰り返すのは、傍目にしていて決していい状態だとは考えられない。その為には脳の特定の受容体に作用する脳内物質を制御する必要がある。シュウは手元にノートを引き寄せると、必要なデータを抜き書きしていった。
　素早くデータに目を走らせて、情報を即座に処理してゆく。こうして日常的な作業を行っていると、先程まで過ごしていた濃密な時間が夢のように感じられる。それでもあれは現実のものだ。シュウはマサキの身体に残した紅斑を思った。肌に浮かぶなめかましい痕。あれを目にした使い魔たちはそれぞれにシュウに物を申してくることだろう。わかっていてもシュウはやらずにいられなかった。
　噛みたい。彼のうなじに歯を立てて、いっそ自分のものとしてしまえたら。
　けれどもその欲だけは、叶えてはならないのだ。
　その代替行為としてのLove bite.シュウは湧き上がる占有欲を封じ込めるように、データに目を走らせ続けた。流石はそれなりの数のΩの保護実績を持つ優生主義者たちだけはある。彼らがシュウに与えてくれたデータには、市販の研究書だけでは明確にならなかったΩの行動様式や、それに関わる神経回路の働きなども記されていた。
　例えばマサキがしてみせる行動のひとつ。シュウのブランケットを被ったり、上着を羽織ったりする行為は、他の異性を寄せ付けない為のマーキング行動の一種であるらしい。但しΩ本人はマーキングに対しては無自覚であり、特定の相手の匂いを求めてそれを身近に引き寄せることで、快感中枢に刺激を受けているだけのようだ。
　そう考えると、トランス体という性は匂いに敏感であるのだろう。シュウは自らの嗅覚を思った。α抑制剤を服用し、数多の匂いに反応しなくなった嗅覚であったが、それを突き抜けて鼻に届くマサキが放つ甘い香り。芳醇な花の蜜のような濃厚な香りは、鼻にした瞬間にシュウの理性を吹き飛ばす。
　以前のシュウにマサキに対する欲望があったかどうかは、当の本人たるシュウにもわからない。かつてのマサキは他人の好意に鈍感で、性欲とは無縁に生きているように映っていた。ある意味純粋で、ある意味無垢。何者にも染まろうとしないマサキが自分に対して態度を変えてみせるのを、だからこそシュウは好ましく捉えていた。そう、他人に見せないマサキの顔を、自分だけは引き出せるのだと。
　それが彼に対する支配欲の表れであることをシュウは知ってはいたけれども、さりとて彼と友人以上の関係になりたいなどとは考えたこともなかった。今思えば、それは彼が誰に対しても一定の距離を保ってみせていたからこその余裕であったのやも知れない。欲と無縁のマサキにとって、一番魂を近くしているのは自分であるという奢り。それはシュウの自尊心を心地良く満たしてくれるものであった。
　シュウは無欲なマサキの側では、それ以上の欲を育てられなかったのだ。
　もしかすると、彼がいざリューネやウエンディを選んでみせたら、シュウの感情も変化を迎えていたやも知れない。確かめる術のない未来にシュウの心はさんざめいた。彼女らがマサキと世帯を同一にする未来は、もうほぼないと云っても過言ではなくなってしまったけれども、代わりに彼はシュウの知らない誰かを番とする未来を歩み始めている。
　噛みたい。乱暴にノートに字を書き付けながら、何度目の衝動をシュウは押し留めた。
　シュウはマサキに与えられた最大にして最後の自由を、安易に奪うことだけはしたくないのだ。これだけ彼に好意を抱いている自分を痛感させられながらも、シュウが踏み止まっていられるのは――その好意あってこそでもある。
　いつしか自らの欲と向き合うことを余儀なくされていたシュウは、強く頭を振った。マサキの自由を守る為にも、データを読み切らなくては。彼が魔装機神の操者を続けて行くのに相応しいストレスフルな環境を整えてやれれば、自然と彼に関わる機会も減ることだろう。それこそが出口のない迷路に迷い込んでしまったシュウを救う唯一の手立てでもある。シュウは複層ディスプレイを操りながら、次々とデータを呼び出しては読み込んでいった。

　※　※　※

　寝室の掃除を終え、洗ったシーツを干し、それと入れ違いに乾いた洗濯物を取り込む。思ったより手慣れてるんですね。開いた窓から戻ってきたチカの感想にとつとつと言葉を返しながら、マサキがリビングで洗濯物を畳んでいると玄関ベルが鳴り響いた。
　来客相手に勝手に玄関に出るのはどうかと思ったが、シュウは書斎に篭ってしまったようだった。しかもドアの外から呼んでみても反応がない。立ち入り禁止を云い付けられている以上、勝手にドアを開いて書斎の中に入る訳にもいかず、どうせまたお節介な誰かだろうぐらいの気持ちで、マサキは玄関ドアを開いた。
「……何故、ここにマサキが」
　正面から顔を合わせることとなったモニカに、しまったと思う。
「ボーヤ？　何でボーヤがここにいるのかしら？」
　その背後から顔を覗かせたサフィーネに、更に絶望的な気持ちになった。
　彼女らの存在を忘れていた訳ではなかったが、どこか人を寄せ付けない雰囲気のあるあの男のこと。自らのプライベートな空間に彼女らを招き入れるような真似はしていないだろうとマサキは思い込んでいた。けれども考えてみれば、ウエンディやリューネですらマサキを追いかけ回してみせることがあるのだ。あのふたりよりも押しの強い彼女らが、どうして四日も姿を見せないシュウを放置しておいたものか。
　どういった理由からかは不明だが、彼女らはマサキを自らの恋路の障害、或いは脅威として認識しているようだ。それがシュウの家に転がり込んでいるとあっては、ひと悶着は避けられない。マサキが絶望的な気分になるのも已む無しである。
　さりとて、マサキにとって自分がここにいる理由については積極的に話をしたいことではない。第二世代のαであるシュウとΩである自分。その関係性に触れずにΩという性を説明するのは難しい。αを招き入れるΩに、Ωを支配するα。ふたつの性の結び付きについては、マサキは身を以て思い知っているところだ。どうして彼女らがそこに考えを及ばせないものか。
「そりゃあまあ、ついに年貢の納め時ってコトじゃないんですかねえ」
　そこでマサキの肩にとまっていたチカが、誤解を招くようなことを無責任にも云い放ってみせたものだから、そうでなくとも穏便に済まない話が増々穏便に済まなくなった。聞き逃そうにも聞き逃せない台詞。彼女らは僅かに表情を険しくすると、どういうことですの？　などと口にしながらマサキに迫ってくる。
「こいつの冗談に決まってるだろ！　事情があってここにいるんだよ！」
「その事情とやらが大事なのですわ！」
「どういう事情なのか聞かせてもらおうじゃないの？」
「それを話せたら苦労はいらねえんだよ！　お前ら何でもかんでも首を突っ込んでくるんじゃねえ！」
　思いがけず玄関先で云い争いになってしまったマサキたちに、きっかけとなったチカは事態を収拾しなければと思ったようだ。まあまあまあまあ。飛んでマサキとふたりの間に陣取ると、優しくもサフィーネとモニカに向かって窘めるように言葉を吐く。
「マサキさんの言葉ご尤も。人には触れられたくない事情もあるってもんです。それに、マサキさんをここに連れて来たのはご主人様ですからね。マサキさんを責めても何も事態は進展しませんて」
　サフィーネの眉がぴくりと動く。
　好きな男の一大事とはあっては剣呑な表情にもなるとは思いながらも、シュウと身体の関係を持ってしまった後となっては生きた心地がしない。どうこの場を取り繕えばいいんだ。嘘の苦手なマサキは答えを見付けられずに、ただただ成り行きを見守るしかない。
「シュウ様が連れて来た？　その名前を出せば話が丸く収まると思ってるんじゃないでしょうね？」
　チカを掴み上げたサフィーネが、彼の間近に顔を近付けながら言葉を吐く。
「まさか！　あたくしテキトーなことは云いますけど、嘘は吐きませんよ。マサキさんを連れて来たのはご主人様ですし、マサキさんをここに置くことを決めたのもご主人様です。そもそも他人がプライベートな空間に立ち入るのを好まないご主人様が、そこに他人を置いているってことは、そういうことじゃないですか。マサキさんがここに来た、で家に置くような人じゃないってことは、お二人の方がよっっっくご存じだと思いますが？」
「……でしたら、シュウ様に事情を窺えばよろしいのですね？」
　どうあっても納得のゆく答えを得なければ気が済まないようだ。こちらも剣呑な表情をしているモニカが、それなら早速とばかりに靴を脱ぎ始める。次いで、チカを手放したサフィーネが乱雑にヒールを脱ぎ捨てた。彼女は大股にモニカ追い越すと彼女に先んじて家に上がり込んでくる。
　おい、待てよ。マサキはふたりを止めようとした。
　書斎に篭っているシュウが何をしているかはさておき、マサキの立ち入りを禁じているぐらいだ。彼にとって重要な行動に専心しているに違いない。そういった状況にある彼がこの騒ぎを目にようものなら、どういった態度でサフィーネとモニカのふたりを迎えたものか。
「待てと云われて待つ人間はいません！　それともシュウ様に聞かれると拙い話ですの!?」
「ここで止めるって、あんた、やっぱりシュウ様と何かあったんじゃないの!?」
「そうじゃねえよ！」マサキは先を進もうとするふたりを押し留めながら続けた。「シュウは今書斎にいるから、出てくるまで待てって云おうとしたんじゃねえか！　お前ら金魚の糞の割には好きな男のことを何も」
「――何の騒ぎです」
　肩に置かれた手に、シュウ。その名を呼びながらマサキが振り仰げば、彼は見る者全てを委縮させる冷ややかな眼差しで辺りを見下ろしていた。冷厳な表情。立場柄、他国の為政者と顔を合わせる機会も多いマサキではあったが、彼以上に凄味を利かせた表情が出来る人間には出会えたことがない。
　彼に少なくない信奉者がいるのも頷ける。
　｜跪《ひざまず》きたくなるような威厳と風格に満ちた佇まい。流石は王族の一員だっただけはある。誰であろうと媚びることをしない男は、男女問わず惹き付ける魅力があるようだ。
　シュウ様、と、少し遅れてサフィーネとモニカの口からその名が発された。どうやらシュウが発している刺々しい雰囲気に怯んでしまっていたようだ。マサキが――と、次いで媚態も露わに彼に迫ろうとするふたりに、けれども、彼は彼女らの言葉を信用に値するものではないとでも思っているのか。何があったのです、｜マ《・》｜サ《・》｜キ《・》。拒絶の意も露わにマサキに尋ねてくる。
「知るかよ。いきなりぎゃあぎゃあ騒ぎやがって。顔を合わせるなりこれだ」
「マサキが事情を話したくないと云うからではありませんの！」
　云えば間髪入れずに自らの正当性を訴え出るモニカに、黙りなさい。シュウは平坦にも限度がある声を発した。何故かはわからないが、彼はマサキに｜与《くみ》するつもりでいるようだ。それを悟ったモニカの肩が揺れる。
　感情の一切を感じさせない声は、日頃、余裕のある態度を崩すことのない彼だけに、その感情を余すことなく伝えてくる。サフィーネにモニカ、マサキ、そしてチカ。決して穏便に話が済むとは云い難い組み合わせ。それでも、彼はこの状況に時間を割かねばならないことを、煩わしいことと捉えているに違いない。
「申し訳ございません、シュウ様」
　いち早くシュウの機嫌を察したサフィーネが、シュウに向けて深く頭を下げてみせた。それを目の当たりにしたモニカが、裏切られた気分にでもなったのだろう。サフィーネと途惑いがちに彼女の名を呼ぶ。
　けれども殊勝な態度を露わにしてみせたからといって、サフィーネも簡単には引く気はないようだ。彼女は面を上げると、シュウを真っ直ぐに見据えて、ですが、と言葉を継ぐ。
「彼が道を同一にする味方ではないことは御承知のことと存じます。支援者に誤解を受けるような振る舞いは御慎みになられますよう」
「心配なさらずとも、ただ神輿に担がれるだけの｜象徴《シンボル》になるつもりはありませんよ」
　その返しに、サフィーネが僅かに口唇を噛む。彼らの事情に明るくないマサキには、彼らが何の話をしているのか不明だったが、シュウの言葉がサフィーネにある種の屈辱を与えたのは間違いない。顔を伏せたサフィーネが、その表情を必死に取り繕うとしているのが窺える。
　屈辱に震えるサフィーネと、不機嫌な表情を晒しているモニカ。自らに視線を注ぐふたりの女性を暫く黙って見下ろしていたシュウは、それでも引く気のないふたりの様子に思うところが出来たのだろう。とはいえ――、と、これまでよりは幾分穏やかな調子で言葉を発した。
「全く事情を知らずして、この状況を受け入れろというのも無理がありますね。ひと月はこの状況が続くのですから」
　そう云うと、自らの肩に戻ってきたチカに視線を向ける。
「チカ、彼女らを送るついでに、差し障りのない範囲で事情を説明してやりなさい」
「差し障りのない範囲、ですか。難しい御注文をなさいますね」
　けれども主人の無茶な注文に逆らうつもりはないようだ。ふわりと宙を舞ったチカはチカで、ふたりの横暴な振る舞いに辟易していたのだろう。サフィーネとモニカの前で交互に羽ばたいてみせながら、早速と追い立てるように言葉を吐く。
「ほらほら、お二方とも。今日のところはこれで終わりにしましょう。ご主人様はマサキさんの問題を片付けるのに忙しいのですよ。その邪魔を続けてしまっては本末転倒。ご主人様に構って欲しいのでしたら、今は我慢の時です」
　物云いたげにシュウに視線を向けていたサフィーネとモニカは、それで折れる決心を付けたようだった。わかりましたわ。とモニカが玄関に下りる。納得のいく説明をしてくれるんでしょうね。それを追うようにしてサフィーネもまた玄関に下りる。
　めいめいにチカに向かって質問を投げかけるふたりの女性の姿が、チカとともに玄関ドアの向こうに消える。
　まるで小型の台風だ。来る時も騒々しければ、帰る時も騒々しい。とはいえ、場が治まったことには感謝をすべきであるのだろう。助かった。安堵の息を吐きながらマサキが云えば、あれさえなければね。シュウは仲間としての彼女らの働きは認めているといった風に言葉を吐く。
「それが一番面倒なんじゃないかね」
「違いない」
　マサキの言葉に小さく忍び笑いを洩らしたシュウは、そうして、私はまだすべきことがあるので――と、書斎に向けて踵を返した。
　シュウ。マサキはその背に呼びかけた。何です。振り返った彼のいつも通りの表情に、あのふたりをどうするつもりなのかと問う言葉を飲み込む。目の前に突如として現れた彼を取り巻く現実。サフィーネとモニカというふたりの女性と顔を合わせてまで、マサキは自身の感情に鈍感ではいられなかった。
「いや……今日の夕食、どうするつもりなのかって。お前、さっき呼びに行っても返事がなかったしさ」
「データの処理には今晩ひと晩はかかるでしょう。もし良ければ軽めのものをドアの前に置いておいてくだされば、気付いた時に食べますよ。ですから今日は気兼ねなく過ごしてくださって結構。自身の部屋なりリビングなりで、好きに過ごしなさい、マサキ」
　そのまま颯爽と書斎に姿を消したシュウに、マサキは洗濯物の続きとリビングへと取って返した。そして、先程シュウに尋ねようとした言葉の意味を考えながら、洗濯物を黙々と畳んだ。理性を感じさせながらもマサキを抱いてみせるシュウ。彼によって身体に刻み付けられた｜紅斑《Love bite》が疼いて仕方がない。
　だのに彼はマサキを噛むことはしないのだ。
　もしかすると、彼は未知なる存在であるΩに探求心を喚起されているだけなのやも知れない。だからマサキの身体を探るように性行為に及んでみせる。そうして飽きればそれきり、マサキの身体に触れることなどなくなるのだろう。
　嫌だ。マサキは唐突に心に浮かんできた拒否の感情に、自身のことながら途惑いを感じずにいられなかった。少し前までマサキの身体を支配していたシュウの肉体。深い悦楽をマサキに与えてくれる彼との性行為を思い返す。そして、自分はただ欲に溺れているだけなのだ。と、感じてしまった拒否感を打ち消すように、自身がシュウを求める気持ちに理由を付けた。
　時に猛烈に襲いかかってくる飢餓感を埋めるように彼を求め、与えられてはより快楽に沈んでゆく。そしてその快楽の記憶に、また飢餓感を募らせる。それが欲に溺れていないなどとどうして云えるだろう？　
　だのに肌に感じる寂しさ。嗚呼、やはり自分には番が必要なのだ。形振り構わずシュウを求め、腰を振った自分。理性を失った自分の振る舞いを振り返ったマサキは、番を得る必要性を感じずにいられなかった。
　けれどもそれをどうやって探し求めたものか。
　地上世界であればそれなりの数に上るαであったものの、マサキとは社会的なステータスが異なる彼らだ。近付ける機会はそうそう得られないだろう。もし、仮にそういった幸運に恵まれたとして、その後をどうするか。問題は尽きない。
　マサキ自身、必要に応じて地上に出ることはあったものの、自分の番と会うとなると事情は異なる。どれだけそれが発情期対策になろうとも、所詮は個人的な事情だ。セニアや仲間は決していい顔をしまい。
　さりとて、Ｃｉｓに等しい性しか存在していない地底世界では、マサキが望むような関係を構築する相手に巡り合える可能性はゼロに等しい。感情論でも、消去法でも、マサキにとって望ましい相手がシュウにならざるを得ない現状。洗濯物を畳み終えたマサキは、それらをあるべき場所に収めながら、堂々巡りにならざるを得ない自らの思考に気を沈ませた。
「気分転換には買い物だニャ！」
　自らに与えられた部屋に戻る。余程浮かない表情をしていたようだ。二匹の使い魔は定位置となりつつあるペットベッドから身体を起こしてくると、マサキに纏わり付きながらそう言葉を吐いた。
「買い物ねえ。目的もなく買い物をするのはなあ」
「服でも買ったら？　だってマサキ、今着てる服ってサイバスターに積んであった予備の服じゃニャいの。一ヶ月はここに居るつもりだっていうなら、もう少し服は用意した方がいいと思うのよ」
「あー、確かに。そうだな。明日は街に買い物に出るか。靴や暇潰しになる雑誌も欲しいし」
「気晴らしニャんだニャ！　ついでに遊ぶのもいいんだニャ！」
　戦時中では当たり前のこととはいえ、プレシア以外の人間と一つ屋根の下で生活をともにするのは、普段のマサキの生活ではないことだ。きっとそれも自分の気分をナーバスにさせている原因であるのだろう。カウチに身体を収めたマサキは、きっと慰めてくれているつもりであるのだ。じゃれついてくる二匹の使い魔の相手をしながら、シュウのいない時間を過ごしていった。

　※　※　※

　シュウが書斎から姿を現したのは、翌日の朝。データの読み込みは済んでいなかったらしいが、食事の支度をしに出てきたようだ。世話になっているのは自分なのだからとマサキが云っても引く気配はなく、朝食の支度を終えた彼はそのまま朝食の席に着くと、服を買いに街に出ようと思っていることを告げたマサキに、結構なことだと深く頷いた。
「ただここに居ても気が詰まることでしょう。気分転換にのんびりするのもいいと思いますよ」
　掃除も洗濯も昨日の内に全て済ませただけあって、今日のマサキには特にすべきことがない。なら、シュウの言葉に甘えて、街でのんびり過ごすことにしよう。帰宅後に直ぐ湯を張れるようにバスルームの掃除を済ませたマサキは、退屈しているのだろう。連れて行けと煩いチカを肩に乗せて、二匹の使い魔とともに街に出た。
　午前中で靴を選び、昼食は久しぶりのジャンクフードを貪った。ピザにポテトフライ、炭酸飲料。身体に悪いとわかっていても、油の利いた食事が美味しい。ついでにチカにシュウの食事の好みを尋ねてみれば、案の定、彼は脂っこい食事は好まないようだ。むしろ手軽に効率良く栄養を摂取しようとする傾向があるらしく、いよいよ食事の支度が億劫になってくると、サプリメントだけで食事を済ませてしまうこともあるのだとか。
「あいつ、それで栄養ちゃんと摂取出来てるのかよ」
「いやあ、不健康さではこのメニューとどっこいどっこいだと思いますよ」
　午後は時間をかけて服を選んだ。一ヶ月もの滞在となれば、少量の服を着回す訳にも行かない。あれもこれもと口を挟んでくるチカや二匹の使い魔に翻弄されながらも、シャツにズボン、下着にジャケットと必要な服を揃えたマサキは、両手にそれらの荷物を抱えて一度サイバスターに戻った。
「そういや、さっき映画館を見かけたのニャ」
「アクション映画ニャんかいいんじゃニャいの？　スカッと爽快！　気分転換にいいと思うのね」
　とはいえ、そろそろ夕方も近い。律儀にも朝食の支度をしに書斎を出てきたシュウのことを思えば、あまり遅くまで街をうろついている訳にも行かないだろう。また今度にしようぜ。サイバスターを降りたマサキは当初の目的通り本屋に寄り、目に付いた雑誌を何冊か購入してから帰路に就いた。
　群れるのを好まない性質のマサキだったけれども、純粋にひとりきりで過ごす機会にはそう恵まれなかった。家に居れば義妹であるプレシアがいたし、賑やかな仲間たちは暇を見付けてはマサキを誘いにきた。何をするにつけても誰かがいた日常。使い魔たちがいるにせよ、こんな風にひとりで街をうろつくなどいつぶりだったか。
　仲間たちと離れて三日が経った。
　僅か三日が一ヶ月にも思える時の流れ。ひとりというのはこんなにも孤独で、こんなにも寂しいものであるのだ。早く、会いたい。シュウと顔を合わせる瞬間が待ち遠しくて仕方がない。寂しさを募らせたマサキは、シュウが待つ家に足を踏み入れた。
「もっとゆっくりしてきてくださっても良かったのですよ」
　夕食の支度しに出てきたのだそうだ。キッチンに立っているシュウに進み具合を尋ねてみれば、データの読み込みは終わったのだそうだ。次いでデータの分析と理論の構築に取り掛かるつもりであるらしいシュウに、あんまり根を詰めるなよ。マサキは云って、彼が食事の支度をするのを見守った。
「そうは云ってもね。あなたが気兼ねなく魔装機神の操者を続けてゆく為には、効果に個人差のない抑制剤の開発は急務であるでしょう。副作用の問題もありますしね。今のところ、地上で流通している抑制剤は効き目の強さと副作用の激しさに相関関係が認められるものしかないようですし、そうである以上、あなたが発情期ごとに何某かの影響を受けるのは避けられない事態ですよ」
「だから抑制剤を開発するって？　それは初耳だ。お前、ロボットの開発とは訳が違うんだぞ。相手は人間だ。俺のことを考えてくれるのは有難いけれど、そこまで無理をしなくとも」
「私を誰だと思っているのです」シュウは不敵に笑ってみせる。
　難攻不落の謎を目の前にしている彼は、こんなにも挑戦的で、こんなにも精彩に富んだ表情をするのだ。彼の学者、或いは研究者としての面を目の当たりにする機会にあまり恵まれずにいたマサキは、今更ながらに彼のそうした一面を垣間見て、その頼もしさに彼が味方であることの有難みを感じずにいられなかった。
　マサキは辺りを窺った。
　久しぶりに街に出て、人いきれに疲れたのだろう。マサキの二匹の使い魔はペットベッドで寛いでいたし、チカはリビングでテレビを見ているようだ。彼らの視線がないことを確認したマサキはダイニングテーブルから離れて、キッチンに向かっているシュウの背中に凭れた。どうしました。振り返ったシュウに、背伸びをしたマサキは自ら口唇を重ねていった。
　いっそ、彼の支配下に入れれば……何度目の渇望。言葉に出来ない思いを口唇に乗せながら、マサキはシュウの口唇を貪った。彼もまたマサキを拒むつもりはないようだ。マサキの腰に手を回してくると、深く口唇を合わせてくる。
　シュウ以外に性行為の経験がないマサキではあったけれども、彼との性行為が他に得難いものであるくらいは想像が付いた。身体の関係は愛情では埋められない。アダルトビデオといった夢物語を信じる年齢ではなくなったマサキは、稀に耳にするその手の噂話から、実体験に即した知識を得るようになっていたのだ。
　この先、彼以外を相手とした性行為が出来なくなってもいい。
　最初で最後の相手が、自分にとって一番相性の合った相手である奇跡。比べるべくもないマサキにはその真実を確かめる術はないが、自身がそれを信じているのであればそれでいいではないか。シュウから口唇を離したマサキは、暫く彼の深い色を湛える紫水晶の瞳を見詰めていた。どうしました？　シュウの手がマサキの頬を撫でる。
「ひとりで街に出るのは、思ったより寂しいもんだな」
　云って、シュウの手に自らの手を重ねる。
　離れ難い想いに胸が痛む。一ヶ月後にはここを出て、自らの居所へと戻らなければならない。彼と身体を重ねた記憶をこの場に残して。
　辛い。泣き出してしまいそうな気持が心を占める。シュウと肉体関係を持つ前には、彼と別れることに後ろ髪を引かれることなどなかった。いつかはまた道が交わる日が来る。確信めいた思いは、彼との縁が次の出会いへと続いていったからに他ならない。
　けれども、今回は違う。
　きっと彼は自分と身体を重ねることを、一時的なものとしか考えていないのだ。そう考えていなければ、抑制剤の開発などに手を付けられはしないだろう。もし彼にその気があるのであれば、とうにマサキを噛んでいる筈だ。
　自身の子どもを求めない彼は、もしかすると、誰の人生であろうとも責任を負いたくないのかも知れない。だからマサキとの関係もこの場限りで終わるものとしておきたのではないだろうか？　物思いに沈むマサキに、マサキ。身を屈めたシュウが囁きかけてくる。
「もし良ければ、今晩、一緒に寝ませんか」
　云って耳を食んでくる彼に、身体を熱くしながらマサキは小さく頷いた。
　あんまりうちのご主人様に気を許されませんよう。チカの忠告がちらと脳裏を掠めたが、低くも甘い声で誘いかけられては逆らえそうにない。欲望に溺れきっている。わかってはいても、限られた時間のこと。だったら、今ばかりは溺れて堕ちてゆこう――……。
　それからシュウとともに食事を済ませたマサキは、再び書斎に篭ってしまった彼に不安を感じながらも、逸る気持ちを抑えきれずにバスルームでシャワーを浴びた。身体は疼いていたものの、発情期とは異なる感覚。恐らくはこれが普通の性欲であるのだ。バスルームを出たマサキは、幾分落ち着いた気持ちのまま、リビングで使い魔たちとテレビを見た。
「よっしゃあ！　勝ち、勝ち、あたくしが応援していたチームの勝ち！　ビクターはあたしの息子！　どんなもんですか、あの活躍！　流石はチームの大黒柱だと思いませんか！」
「頑張ったのは選手ニャのに、自分の手柄みたいに云うのね」
「当ったり前でしょうが！　ひとりで何得点したと思ってるんです？　これも日頃の応援の賜物ってもんですよ！」
「それだけ応援出来るって凄いんだニャ。おいらもう疲れてきたんだニャ。ニャンだか眠いんだニャ……」
　よもやああいったスキンシップを取っておいて、ただ寝室をともにするだけで終わることもないだろう。気もそぞろになりながら、ひと足先にペットベッドに向かった二匹の使い魔を見送る。むにゃむにゃと声を上げながら、それぞれの定位置に収まった二匹の姿を確認したマサキは部屋のドアを閉めた。
　今日はもうこの部屋に戻ることはない。
　毎日のようにシュウと身体を重ねる日々。けれども今日のマサキは違う。発情期に囚われることなく、彼と性行為に及ぶのだ。それがどういった夜になるのか、マサキには想像も付かない。
「ふあーあ。あたくしもそろそろ眠くなってきましたよ。街に出たからですかね。いつもはこんなことはないのですが」
　残っていたチカも梁に上がって眠りに就く。そこから暫くひとりでテレビを眺め続けたマサキは、ニュース番組ばかりとなったテレビに、そろそろ頃合いかとソファから立ち上がった。テレビを消す――と、キィと書斎のドアが開く音がした。そのままバスルームへと消えてゆく足音。どうやらシュウは今日の作業に区切りを付けたようだ。
　マサキはひと足先に寝室に向かい、ベッドに潜り込んだ。
　これまでと違って、シュウの匂いを嗅いでも、それを引き寄せてまで、自らの身体を彼の香りで包みたいとは思わない。発作的な衝動を欠いたままベッドの中、じんわりと身体に染み出してくる感情に浸りながら、今頃シャワーを浴びているだろうシュウを想う。柔い口唇の感触。肌をあますことなく辿った温もりが蘇る。もしかするとこれが恋であるのかも知れない。ふと思い至った答えにマサキは、だとしたらそれは思った以上に苦しいものだと感じずにいられなかった。
「起きているの、マサキ？」
　やがて静かに扉が開き、マサキの顔に細く光がかかった。胸が高鳴る。ローブに身を包んだだけの格好でベッドに滑り込んできた彼は、マサキの左隣に身体を収めると、マサキが枕に置いていた手を取り上げて口へと運んでゆく。
　滑った感触を指先に感じた瞬間、身体が震えた。ん。マサキは口唇を結んで、シュウの愛撫を受けた。指の先から付け根まで下がってきた舌が、更に手のひらを舐める。んん、ん。彼は空いている手をマサキの髪に差し入れてくると、その頭を引き寄せながら、する？　と尋ねてきた。
　こくりと頷くとシュウが髪に顔を埋めてくる。匂いが。鼻を鳴らした彼の言葉に、何が？　とマサキは尋ねた。
「いえ、嗅覚が本当に利かなくなったのか、それともあなたが発情期でないだけなのか、これではわからないと思いましてね」
「だから飲むなって云ったのに」
　緩やかに脱がされてゆく夜着がベッドの外に落ちる。マサキの誘いかけに応じてみせた男が、何故今になっても抑制剤を服用し続けているのかはわからない。だからこそ不服を口にすれば、シュウはそんなマサキの耳を舐りながら、理性を失うのが怖いのですよ。と、低く声を上げながら｜微笑《わら》った。
　恐らく彼はマサキのうなじを噛むことを｜懼《おそ》れているのだ。
　頑なにマサキを支配下に置きたがらない男の真意はさておき、それをこういった形でも思い知らされるのは辛いことだ。だからマサキはつい口にした。俺ばっかり。その言葉をシュウがどう受け止めたのかはわからない。けれどもきっと、彼はそれを理性のことであると思ったのではないだろうか。思い出せなくなるのが嫌なのですよ。そう口にすると、マサキの肌に手を這わせてきた。
　身体を弄られたマサキは、あ。と、声を上げた。滑らかで節ばった彼の自分よりも大きな手。時に乳首をなぞり、時に男性器を掴み、時に双丘へと忍んでくる。気持ちいい？　尋ねられて頷く。昨日とは異なる愛撫の感触は、発情期の理性を食らい尽くすような激しい快感とはまた違った快さをマサキに与えてくれた。
　こめかみに、頬に、口唇に降る口付け。シュウの手慣れた愛撫の理由が気にならないと云えば嘘になったものだが、それをわざわざ尋ねる程にマサキは野暮ではなかった。世故に長けた男のこと。マサキの知らない過去にはそういった経験もあったのだろう。
　サフィーネやモニカとの関係がどれだけのものかはわからなかったけれども、昼間の彼女らの様子から察するに、恐らくはそこまでの仲ではないに違いない。相変わらず牽制をし合っては、マサキまでも恋敵と認識しているような彼女らだ。もしシュウと肉体関係にあったら、これみよがしに誇示してみせることだろう。
　そう自分に云い聞かせてみても、騒ぐ心。大丈夫だ。マサキはシュウに身体を寄せた。
　少なくともここ数日のマサキはシュウの身体を独占している。
　耳に、鎖骨に、肩に、手の甲。心地の良い彼の愛撫に身を委ねながら、マサキはそうっと彼のローブを解いた。右胸から鎖骨にかけて走る傷跡が露わになる。嗚呼――溜息にも似た吐息が口から洩れる。
　彼と戦いの場をともにした時のことだ。肩に深い傷を負った彼の処置をする為に、マサキはその上着を脱がせたことがあった。古い傷痕を目にしたマサキは、それも戦場で付いた傷だろうと軽い気持ちで尋ねた。いつの傷だと。それを聞いてどうするつもりです。彼はその瞬間に表情を強張らせると、冷ややかに言葉を放ってきた。
　聞いてはならないことを聞いてしまったのだと思ったマサキは、他人の事情を詮索することに後ろめたさを感じながらも、同じ過ちを繰り返さない為だと自分に云い聞かせてセニアに尋ねた。
　その傷に。
　マサキは舌をそっと這わせた。ぴくり、と彼の身体が震えた気がした。だからマサキは舌をずらして肩へと滑らせていった。そしてその肌を、昨日彼にされたように、強く吸った。次いで首筋に、胸板に、紅斑を刻む。
　ねえ、マサキ。少しの間、動きを止めていたシュウが、マサキの髪を撫でながら尋ねてくる。舐めたい？　それが何を意味するのかわからなかったマサキは、顔を上げて彼の顔を見た。
　きっとその表情で察したのだろう。掴まれた手が、彼の股間へと導かれる。舐めて。既に存分に昂っている彼の男性器を掴まされたマサキは、淫靡に耳を擽る声に鼓動を高鳴らせずにいられなかった。
　それが彼の満足に繋がるのであれば、すること自体に抵抗はない。けれどもどうすればいいのか。わからずに動きを止めたマサキに、嫌？　シュウが再び尋ねてくる。マサキは首を横に振った。そして覚悟を決めて、身体を屈ませた。
　こっちですよ。マサキの腰を抱えたシュウが、その身体を自らの胸の上へと乗せる。腰をこちらに向けて。臀部を掴まれたマサキは訳もわからずに彼の顔を跨いだ。あ。直後に蕾をなぞり始める濡れた舌の感触に、嫌だと声を上げるもシュウは聞く気がないようだ。あなたも。と云って、舌を股間へと滑らせてゆく。
　あ、あ。あ。アナルから陰嚢、陰嚢から陰茎、そして亀頭と順繰りに舐め上げられたマサキの腰から力が抜ける。あ、やだ。シュウ、やだ。だのに彼はマサキの陰部を舐るのを止めようとしない。蕾から溢れ出た蜜が滴る先を追いかけるように、吸っては舐め、舐めては吸い……や、だ。イク。云った先から口に含まれる男性器。やだ、出る。腰を引きたいのに、強く抱え込まれて叶わない。マサキは彼の口内に精を放った。
「ほら、マサキ。これで出来るでしょう？」
　マサキの腹の中に溜まって溢れ出る彼の精液の量と比べれば、それは遥かに僅かな量であったけれども、その全てを飲み干してみせた彼に、マサキの心を覆っていた壁がまたひとつ。取り払われる。
　限りない羞恥の中にあっても、｜飢《かつ》えることのない欲望。気だるさに支配されながらも、マサキは目の前で勃起している彼の男性器へと舌を伸ばしていった。そうして、皮の張った熱い昂りの硬さを確かめるようにして、ゆるゆると。舌で、口唇で、端々まで愛撫を加えてゆく。
　ん、んん。再び陰部に愛撫を加え始めた彼の舌に翻弄されながらも、マサキは出来るだけ彼の希望に沿うようにと、彼の男性器に舌を這わせ続けた。あ、あ。も、やだ。｜挿入《いれ》て。どのくらいの時が流れたのだろう。濡れぞぼった蕾に深々と挿し入れられた指。緩く体内を掻き混ぜては、掬い上げた蜜を吸う。いつしか身体を深く犯している彼の愛撫に堪えられなくなったマサキは声を上げた。
「そんなにここを突かれるのが気に入ったの、マサキ？」
「そうだよ。だから……」マサキは素直に頷いた。
　今となっては雄として生きていた日々さえも遠い。シュウの身体を知ったのは、ほんの五日前のことだったのに、もうこの快感なしでこの先の人生を生きられる気がしない。でもそれは、マサキの初めての性行為の相手がシュウであったからなのだ。
　これが｜急性発情期《ヒート》の暴力性に任せてマサキを噛んでくるようなαであったら。
　足首を掴んで手荒に身体をベッドに沈めてくるシュウに、とうに肉欲に溺れた姿を晒してしまった後だ。取り繕って何になるだろう。は、やく。マサキは自ら脚を開いた。今の自分が発情期にないことはわかっていたけれども、欲しがる気持ちは止まらない。
　うっすらと笑みを浮かべながら、シュウがマサキの腰を抱え上げる。ほら、と飲み込まされた彼の男性器に、快感が貫いた。“何か”に嵌まり込んでくる彼の男性器。はあ、ああっ。マサキは全身をわななかせながら、縋るものを求めてシュウへと手を伸ばした。その手をシュウが掴む。彼はマサキの上半身を引き上げると、腰を突き合わせるようにして、蕾に深く埋めた男性器を動かし始めた。
　――あっ、あっ、あっ……
　顔にかかる髪をシュウの手が除けてくる。そのまま頬に添えられた手。彼はマサキの喘ぎ声を飲み込むように口唇を重ね合わせてくると、その腰を強く引き寄せて、叩き込むように激しく。マサキを突き上げてきた。

　※　※　※

　三度、その身体に精を注ぎ込み終えたシュウは、後ろ手に引いていたマサキの手を離した。あ、ああ……小刻みに震える身体が、小さく声を上げながらベッドに沈んでゆく。彼の蕾から溢れ出る精液がシーツを濡らしてゆくのを、シュウは残虐な征服欲に満たされながら眺めていた。
　知ったばかりの快楽に溺れているだけなのだ。
　マサキが発情期にないことは、自身の彼の身体の状態で知れた。それでも彼はシュウを求めてきた。いや、誰かに快楽を与えられることを求めたと云うべきか。他人に快楽を与えられることの悦びを知った彼は、きっと他の誰かであっても同じように反応してみせることだろう。それがΩという性でもある。わかっているからこそ、彼に自らの記憶を刻み付けるように、そして彼の身体の記憶を留めるように、シュウは繰り返しマサキの身体の奥にその精を注ぎ込んだ。
　ひくり、と今またその身体が震える。しどけなく映る眼差し。シーツを掻いた手に顔を埋めるようにして快感の余韻に喘いでいたマサキが、伏せた顔にかかる前髪の合間からシュウの顔を見上げてきた。
「もう、終わりだよな……」
「物足りない？」
　まさか。云って拗ねたような表情を晒すマサキの身体を抱き寄せながら、シュウはベッドに横になった。何が不満なの？　別にと云いながらマサキがシュウの胸に顔を埋めてくる。少し前までは、こんな風に彼の身体の温もりを感じながら寝ることなど考えたこともなかった。行為の疲労からか。街に出ていたこともあっただろう。さして時間も経たずに腕の中で眠りに就いたマサキの髪の匂いを嗅ぎながら、シュウもまた眠りに就いた。
　明けて翌日。シュウは引き続き書斎で一日を過ごした。必要な論文を読み込み、推論を立て、文献に当たる。立てた仮説の大半は無意味なものとなってしまったが、残った仮説は見込みの強いものばかりだ。
　地底世界で出来ることには限りがある。更に仮説を詰める為にも、いずれまた地上に向かわなければ。書斎の扉の外に置いてあった夕食を胃に収めたシュウは、自身のこれからのスケジュールを組み立てた。マサキがここに滞在するのは一ヶ月が限度だ。彼が魔装機神の操者としての日常に戻ってから、ここと王都を往復させる訳にも行くまい。三週間程で算段を付ける為には、行動を躊躇っている暇はなかった。シュウは再び地上に向かう決心を付けた。
　短期間に何度も優生主義者たちと顔を合わせることに忌避感はあったが、マサキのデータが流れていないかを確認する為にも定期的な面談は必要だろう。何より、彼らが持っているΩのデータはシュウにとって有益なものである。好きにマサキの身体を苛んでいる自覚のあるシュウは、彼をΩの因果から解放することが自らに科せられた使命であるように思えてならなかった。
「かいがいしいことですねえ」
　食べ終えた食器を廊下に出し、作業の続きをすべく室内を振り返ると、風を通す為に開いていた窓から入り込んだのだろう。デスクの上にチカの姿がある。彼は開かれたノートや散らばったメモの内容に興味があるのか、その上をとことこと歩き回っていたが、鋭い眼差しに晒されたことで主人が快く感じていないことを察したようだ。おお怖い。そう口にすると、窓枠に飛び上がった。
「ここには立ち入るなと云い付けておいた筈ですが」
「だってあんなマサキさんの姿を見たら、ねえ？　幾らあたくしがご主人様の忠実な使い魔でも、ひと言物を申したくなったものでしょう？」
「彼が何か？」
「朝も早くから食事の支度をして書斎に届け、洗濯をして掃除をして、昼食の支度。それを書斎に届けたと思ったら、庭の草むしりを済ませて窓磨き。それでお風呂の支度に夕食の支度でしょう。これをかいがいしいと云わずして、何をかいがいしいと云ったものでしょうね、ご主人様！」
「私に借りを作るのを良しとしないのでしょう。何かしていないと落ち着かないのもあるのでしょうね」
「それだけでしょうかねえ」チカが首を捻る。「随分と可愛がって差し上げたご様子で」
「噛む噛まないといった話でしたら、結論が出た筈ですが」
　革張りの椅子に腰を下ろして、シュウはチカと向き合った。デスクの上に散乱しているメモを纏め、ノートに挟む。彼に理解が及ぶ内容ではないとはわかっていたが、メモに書き付けた内容にはマサキを抱いたことで立った仮説も含まれている。それを目に付くまま放置しておくことは躊躇われた。
「我が主人ながら、本当に強情なお方ですね。Ωという性がどういったものか、あたくしはご主人様に聞いた程度の知識しか持ち合わせてませんけど、何ですあれ。まるで巣を整えるみたいな」
　チカ。とシュウは彼の止め処ないお喋りを遮った。すべきことが決まっていて、その達成に区切りが設けられている以上、シュウが無駄な時間を過ごしている時間はないのだ。次の資料を求めて、手近な書棚に手を伸ばす。ふわりと宙をまったチカが今度は肩にとまった。
「わかっていないのは当人ばかりとは良く云ったもんですよ。あたしはちゃんとマサキさんに忠告しましたからね。ご主人様に気を許すなって。それでもマサキさんがご主人様に身体を許してるって、そういうことでしょうに。それを何を意地を張っていらっしゃるんだか、ご主人様は未だに噛む決心を付けないときてる。ああ、じれったい！　じれったい！」
「わかっていないのはあなたの方ですよ、チカ。生殖機能の弱いΩは子孫を残してゆく為に身体的機能を発達させた。快感を感じ易い身体もそのひとつ。彼は目覚めたばかりの雛のようなものですよ。覚えたばかりの世界を知りたくて堪らない」
「でしたら欲で手懐けるような真似をしなければいいものを」
「私は聖人ではありませんからね。彼とこうして過ごせる時間に限りがあるのなら、それを貪り尽くすまで」
　シュウの答えにこれは意外とチカは目を剥いてみせた。綺麗事を口にしなくなっただけ前進したんですかねえ。次にはそう口にしてみせるチカに、限りなく余計なことしか口にしない使い魔だ――シュウは苦々しい想いを嚥下するように、デスクの端に置いてあるコーヒーを飲み干した。
　巫山戯ている。
　もし仮にチカの云う通りにマサキがシュウに心を許しているとして、それが一過性でないなどどどうして云えただろう？　彼には還るべき日常がある。眩いばかりに輝ける栄光に彩られた日常が。その日々に戻ってまで、彼は自分を求めたりはしない。シュウには確信めいた思いがあった。そもそも当初のマサキは、救いの手を差しのべたシュウの手を払い除けようとしていたではないか。その後のことはΩの本能に逆らえなくなっただけのことに過ぎない。性欲を解消することを覚えた彼は、偶々、そう偶々、傍にいたαであるシュウを相手に選んだだけなのだ。
　書棚から引き出した書物をデスクに積む。中身を精査せずに、目に付いた書物を片っ端から手にしている自覚はあったが、そこに気を回している余裕がない。適当なところでデスクに向き直ったシュウは、肩にとまったままのチカを無視して、その中から一冊を取り上げた。表紙を開き、本文に目を落とすも、まるで内容が頭に入ってこない。
　心を乱されている。シュウは胸の底から滲み出てくる期待を封じ込めた。
　少し油断をすればこれだ。浅ましい欲が顔を覗かせてくる。こういった感情に振り回されたくなかったからこそ、シュウはマサキに｜婀娜《あだ》めいた期待をしないと決めたのだ。だのに彼はシュウを挑発すように、シュウを誘惑してみせた。決して発情期ではなかったその時に――……。
「それにしても臆病なんだか悪辣なんだかわかりませんね。思い出作りにやることやりまくって、それで終わりにするって、ひと夏の恋じゃあるまいし。ご主人様とマサキさんの縁は、この先も続くのですよ。まあ、ある意味、ご主人様らしいっちゃらしいですけけれども、それだったらいっそ奪い尽くすと云っていただきたかったですよ、ご主人様」
　どれだけ文字に目を走らせようとも、進まない頁。それに彼は気付いているのだろうか？　シュウに無視を重ねられたチカは最後にそう吐き捨てると、肩から窓の外へと羽ばたいて行った。
　マサキが普通のトランス体であれば、シュウもそのぐらいの覚悟を持つことは容易かっただろう。その結果、彼がシュウから離れていったとしても、惚れた腫れたも当座の内。所詮は人の心。うつろい易く出来ているものをシュウは責めようとは思わない。
　だがマサキはΩで、シュウは第二世代とはいえαだ。
　いつαの衝動性がマサキを支配下に置かないとも限らない状況。もし、それをマサキが受け入れたとして、シュウが噛んだが最後。心変わりが訪れようとも、｜烙印《スティグマ》の効力はシュウが生きている限り続く。彼はシュウが生きている限り、その性的な奴隷でいざるを得ないのだ。
　それが自然な人間の結び付きの形から逸脱しているのは明らかだろう。
　それに、本来、独立心の強いマサキのことだ。在るべき生活に戻れば、直ぐに元の自分を取り戻してみせるに違いない。その先の彼の未来には、まだまだ数えきれない程の出会いが待っている。限られた状況に流されるようにして、番の相手をシュウでいいなどと決めていい筈がない。シュウはマサキの逞しさを、そしてその魂のきらめきを信じているのだ。
　ただ、悲しいかな。人間には誰しも欠点がある。彼の場合、それは思い切りの良さに表れた。結論を急ぐがあまり、深く考えることなく行動に移してしまう。それが上手く噛み合っていたのは、即断即決を求められる戦場が彼の生きる場所であったからだ。決して今回のように自らの一生を左右する時に発揮していい特性ではない。
　愚かな。シュウは嗤った。
　だのに浅ましい欲は、シュウにマサキを奪わせようとするのだ。
　いざ彼を目にすれば欲に抗えない。どこまでも甘く溶かしてやりたいと思う。どこまでも激しく浚いたいと思う。そしてどこまでもともに欲望に溺れていきたいと願う。そう、シュウはマサキを自分だけのものとしたい欲求と戦っている。だからそこから目を逸らすように、研究に打ち込むこととした……。
　堂々巡りた。シュウは頁の進まない書物から顔を上げた。時計を目にして、今日はそろそろ切り上げ時だろうか。そう考えた瞬間だった。デスクの上の通信機が｜呼び出し《コール》音を鳴らした。

　※　※　※

　マサキを保護してから七日目となったその日、シュウはマサキを伴って近くの街に出た。街の入り口に程近い喫茶店の窓際の席で待つこと十分程。約束の時間より五分程早く、｜瀟洒《しょうしゃ》な装いに身を包んだ青き操者テュッティ＝ノールバックが姿を現した。
　彼女はシュウの姿を目にするなり、僅かに柳眉を｜顰《ひそ》めてみせた。無理もない。わざわざシュウの許を訪ねるような真似をせず、街までマサキを呼び立てているのだ。彼女としてはマサキとふたりきりで話をしたかったに違いない。わかっているからこそ、大丈夫ですよ。シュウは席を立った。
　ひとりでテュッティと向き合うことを恐れているのだろう。街まで送って欲しいと頼まれたシュウは、テュッティが姿を現すまでとマサキにせがまれるがまま、彼とテーブルをともにしていた。けれども、話し合いの席にまで同席するとなると話は異なる。いつまでも自身に頼らせておく訳にもいくまい。シュウはマサキを突き放すつもりはなかったが、彼が自らの足で立つことを制限しようとまでは思っていないのだ。
　マサキが今後、Ωとして恙なく生活していく為には、過酷な現実と向き合っていけるだけの逞しさが必要となる。
　――発情期故に精神が不安定となり易いΩ。誇り高き彼に自死を選ばせない為にも、今から少しずつ、ひとりで現実に立ち向かうことに慣れさせていかなければ……
　シュウ。と、不安そうな視線を向けてくるマサキに、私はあちらにいますので。言葉を返したシュウはふたりの話し声が届かない奥のテーブルに着いた。追加のコーヒーを頼む。それが届けられるまでの間、シュウは店内に流れるＢＧＭに耳を傾けながら、今朝方のマサキの様子を思い返していた。
　昨晩は流石にシュウもマサキも互いの部屋で寝た。そういった効果を狙った訳ではなかったが、発情期にない現在、立て続けの三度の性行為は彼の性欲を存分に満たしたようだった。書斎からシュウが出てくるのを待つこともなく眠りに就いたらしい彼に物寂しさを感じはしたものの、そう連日性戯に耽る訳にもいかない。シュウにすべきことがあるように、マサキにも考えなければならないことがあるのだ。
　明けて朝、朝食をともにした席で、シュウは昨晩セニアからあった連絡の内容をマサキに伝えた。失礼なことを云ってしまったって後悔していたわ。彼女はそう云って、テュッティがマサキと会いたがっていると告げてきた。既にそう伝えてあることもある。ここに直接迎えに来ればいいものを。シュウはそう思ったが、テュッティにはテュッティなりの考えがあるのだろう。セニアに胸の内を明かすのは避けた。
　伏せた顔が憂いに満ちていた。
　マサキは思い悩んでいるのだ。テュッティが指摘してみせたマサキの性質は、彼がΩだからそうなったといった類のものではない。元々そういった傾向があったのを、Ω問題にかこつけて非難の槍玉に挙げたのだ。これでどうしてマサキがショックを受けずにいられるだろう。マサキがテュッティに一種の怖れを感じるようになってしまったのも、それが原因であるのだ。
　ちらと窓際のテーブルに目を遣る。両者ともに俯き加減で向き合っている様子は、見ようによっては何とも滑稽に映った。けれども彼らの間に重苦しい空気が漂っているのは想像に難くない。気拙そうな表情でいるテュッティに、憂鬱そうな表情でいるマサキ……シュウはテーブルに届けられたコーヒーに口を付けた。何にせよ、話し合いを望めるようになったのは好ましい傾向だ。
　そして手元の本に目を戻す。
　マサキとの付き合いはテュッティの方が長い。彼女の仲のΩに対するイメージを変えるのは無理だろうが、その付き合いの長さの分だけ理解を進めることは容易い筈である。だからこそ、悲嘆せず。シュウはそこから暫くの間、本の世界に没頭した。
　やがてテーブルに影が差す。ふと顔を上げるとマサキがそこに立っていた。終わったのですか？　尋ねればこくりと頷く。彼の背後に小さく映る窓際のテーブルにはテュッティの姿はもうなかった。どうやら一足先に店を出たらしい。それが彼女とマサキの今現在の距離感を表しているように思えて、シュウは苦い笑いを浮かべる他なかった。もしかすると、思いがけず自分たちの仲に首を突っ込んできたシュウに警戒心を抱いているのやも知れない。そんなことを思いながら、どうしますか？　とマサキに尋ねる。
「折角、街に出たのです。したいことがあれば付き合いますよ」
　話し合いの結果を訊かれなかったことに、構えていたのだろう。マサキが虚を突かれたような表情になる。けれどもそれで正解だったようだ。彼は次の瞬間、瞳を細めてみせると、「映画が見たいんだ」弾む声でそう云った。
［＃改ページ］
５．深間

　あっ、あっ、ああっ。ベッドに伏せて腰を掲げているマサキの蕾の奥に挿し入れた自らの男性器。それが抽迭するのに合わせて彼が声を上げる。とろりと宙を仰いでいる彼の瞳は、どこか虚ろでしどけない。気持ちいい、マサキ？　尋ねれば、あ、あ。と断続的に声を上げながらも首を縦に振った。
　残虐な悦びに支配されながら、シュウはマサキを突き上げ続けた。腰を進める度、袋胞に亀頭が嵌まり込む。正常位よりも後背位の方がより具合が良く感じられるのは、人間が獣であった頃の名残りでもあるのだろう。ぬるりとした被膜に包まれているような感覚。薄い腰を引き寄せながら、今またシュウは深くマサキの中へと男性器を潜り込ませていった。
　あ、あ。そこ、そこがいい。あられもなく声を上げるマサキに、悦楽は限りない。
　それは雄という生き物の愚かな欲の体現でもあった。支配欲。恋い焦がれる相手が自らとの性戯に屈している。脳が焼き付くかと思う程の多幸感に包まれながら、シュウは尽きることのない欲望に、溺れ、浚われ、沈んでゆくマサキの姿を見下ろした。陰部を無防備に晒してよがり狂う彼の淫猥なさまは、どんな猥雑な芸術品でさえも敵わぬぐらいに魅惑的だ。
　――と、不意に湧き上がってくる嫉妬。いつか彼は他の誰かにもこうした姿を晒すのだろう。その瞬間を脳裏に思い描いたシュウは、心に澱が降り積もるのを感じずにいられなかった。
　鬱憤を晴らすように、袋胞を抉る。
　余程の快感だったようだ。喉に声を詰まらせたマサキが、小刻みに身体を痙攣させ始めた。オーガズムに至り続けているのだろう。陸に上がった魚よろしく、ぴくりぴくりと身体を跳ねさせながら、細かく射精を繰り返している。
　シーツを掴んでいるマサキの手に指を絡めにゆく。最早腰に力が入らないようだ。シュウの重みに耐え切れずに腰をシーツに沈めたマサキを、シュウは絶え間なく突き上げた。あっ、あっ、あーっ……マサキが再び声を上げた刹那、シュウの男性器を包み込んでいる被膜が厚さを増したような気がした。
　三日に開けず求めてくるだけはある。息が詰まる程に男性器を締め上げられたシュウは、痛みにも似た快感に目を細めた。その圧迫感さえも心地良い。出してもいい？　尋ねたシュウに、は、やく。息も絶え絶えになりながらマサキが応じてくる。シュウはいっそう腰の動きを強めた。背筋が震える。シュウは静かに彼のアナルの中へと、その精を注ぎ込み始めた。
　ぬめりを増してゆく接合部から、やがて精液が溢れ出る。その頃ともなると、マサキはただただ痙攣を続けるだけとなっていた。射精の終わりも近い。シュウは袋胞に深く自らの男性器収めて、その瞬間を迎えた。
　シュウの許にマサキが身を寄せるようになってから十日が経った。
　書斎に篭りがちになっているシュウが出て来るのを待ち構えていたかのように扉の前に立っていたマサキは、書斎と寝室を往復するだけとなったシュウに焦れた様子で、言葉もなく首に腕を絡ませてくると、無言のまま口付けてきた。
　その彼を寝室に引き込んでから一時間程。肩で息を吐いているマサキがちらとシュウを窺ってくる。媚びるような眼差し。明日は少々忙しいのですよ。シュウはゆっくりと彼の蕾から男性器を引き抜いた。そしてマサキの身体を抱き寄せながらベッドに横たわる。
　忙しい？　と、尋ねてくるマサキに、ええ。シュウは頷いた。
　シュウとしては続けてマサキの身体を味わいたくもあったし、彼もそれを望んでいる様子ではあったが、先程研究の算段をつけたばかり。セニアを通じて練金学士協会の設備を借りる約束をしておきながら、マサキの身体に溺れ過ぎて行けなくなったでは話にならない。また明日の夜にね。不貞腐れた表情を取り繕わずに晒してくるマサキに口付けをひとつ落として、シュウは云った。
「休暇が良くないのでしょうかね。こうも｜性行為《セックス》に溺れているようでは、いざ操者に復帰した後のあなたが心配になりますよ」
「止めろよ、そういうこと云うの。まだ発情期が治まるかもわかんねえのに……」
　マサキの最後の発情期から六日が経った。どうやらΩ抑制剤の効き目が表れ始めているようだ。欲に溺れることを止めるつもりはないようだが、本能に追い立てられるようにして性行為に及ぶことはなくなった。彼が放つ甘い香りが見せる蠱惑的な世界がシュウは恋しくもあったが、強い快楽は毒と同義。経験せずに済むのであれば、それに越したことはない。
　度を越した快楽は依存を生むのだ。
　ドラッグ然り、ギャンブル然り……快感とはそれ自体が報酬となるからこそ、強い動機付けとして作用する。例えば瞑想。脳がクリアになった瞬間に、人間は深い気付きを得たと錯覚する。例えば奉仕活動。人の役に立てたと感じた瞬間に、人間は社会に己が影響を及ぼせたと錯覚する。シュウはマサキの髪を撫でた。毎日のように身体を重ね合う自分たちは、始まりに経験してしまった激しい快楽に、愛を得たと錯覚しているだけなのかも知れない。
「明日は練金学士協会に行くのですよ。セニアを通じて協会の設備を使わせてもらえることになったのです。ウエンディとも顔を合わせることになるでしょう。何か言付けはありますか？」
「いや……特には何も……」と、マサキが首を振る。
　少し寂し気な表情に、彼が置かれている立場の複雑さが垣間見える。シュウはそれきり黙り込んだマサキの髪を梳いた。その手に応えるようにマサキが身体を寄せてくる。シュウはそっとその目元に口唇を落とした。
　自らとこうして幾度となく肌を重ねても、彼は拭われることのない寂しさを抱えている。それはこれまでの生活に対する未練の表れでもあるのだろう。
「つれないことを云いますね。あれだけあなたを想ってくれている｜女《ひと》なのに」
　男女の区別が曖昧なトランス体の生き方は千差万別だ。人権運動以降、それは加速した。αとβ、或いはΩが婚姻関係を結ぶことも珍しくはなくなったし、外見の性別に囚われることのない婚姻関係も増えた。そこにあるのは肉体を超えた精神的な結び付きだ。
　そもそもΩとして目覚めたからといって、元あった男性としての機能までもが失われてしまう訳ではない。必ずしもαに従属しなければならないといったこともない。。珍しい例ではあるが、シュウがマサキに嵌めた首輪のように、何らかの手段を講じて、αに噛まれることを防ぎながら雄として生きているΩもいるとは聞く。
　そうマサキに告げると、彼は意外と感じたようだ。目を瞠ってみせたものの、直後には首を振った。
　彼が自らの人生にどういった未来を思い描いているのかはわからない。けれどもマサキはΩであることを受け入れて生きていこうとは思っているようだ。それにシュウは時折、臍を噛むような思いを抱くのだ。リューネにウエンディ。彼を恋い慕うふたりの女性は、マサキがΩであるという現実をどう受け止めるのだろう？　嵌めた首輪は彼が地上世界に赴いた際の自衛用であったが、本来はラ・ギアス世界を活躍の場とするマサキであるのだ。彼がαに支配される可能性は限りなく低い。それならば、とシュウは思う。下手にこの先見知らぬαにマサキを奪われるぐらいであるのなら、彼女らとの未来を考えてもらえた方が、自身のやり場のない想いも諦めが付くのではないかと。
「話せる時が来たら話をしようとは思ってる。けど、それは俺の口からでないと意味がないだろ」
「それはその通りですね。他人の口から聞かされて、気分のいい話ではない」
　シュウが頷けば、お前は、とマサキが尋ねてくる。そしてシュウがαであることに今更ながら思い至ったのだろう。楽だよな、αって。ぽつりと呟いた。
「結婚しても、番が持るもんな。しかもそれはひとりに限らない」
「Ωは噛まれたが最後、ですからね。そう思われてしまうのも無理はありません」
「だらしないのは嫌だけど、選べる未来が幾つもあるっていうのは、素直に羨ましいって感じるよ」
　Ωが階層の下層に甘んじるしかないのは、彼らが選択出来る未来の幅の狭さ故である。生き方、職業、恋愛、子孫……彼らの多くは思い通りにならない日常に、ささやかな幸せを見出すことでどうにかして生きている。
　発情期というシステムは、それだけ彼らを雁字搦めに拘束するものであるのだ。
　彼らが性行為で深い快楽を得られるように出来ているのは、そうした制限多き人生に対する恵みであるのやも知れなかった。そもそも、何もかもに制限を受けて生き続けられる生き物など存在しないのだ。ラットであれ、人であれ、ストレスを感じ続ければ病み始め、やがては死に至る。だからこそ、性を謳歌するように身体が出来ているΩは、社会生活に重きを置く人間に対するアンチテーゼであった。
　自然が為した奇跡。生物の世界はそうした奇跡の積み重ねで成り立っている。マサキ＝アンドーという奇跡もそのひとつ。彼はピラミッドを構築する人間社会の上位にありながら、Ωであるというハンディキャっプを負わされることとなった。それは彼に誰かが何かを知れと命じているようにも捉えられただろう。上を知り、下を知れ――と。
　シュウはその観測者でありたいと思った。
　決して運命論者ではないシュウであったが、もしも全ての人間にひとつだけ、この世に生れ落ちた使命が与えられているのだとしたら、シュウのそれはマサキ＝アンドーという人間を分析することにこそあるのではなかろうか？　そう思わずにいられないぐらいに、マサキ＝アンドーという人間は、シュウ＝シラカワという人間にとっては巨大なブラックボックスであった。
　発作的に怒りを露わにしてみせたかと思えば、次の瞬間には含蓄に富む台詞を吐いてみせる。気紛れに振舞っていたかと思えば、次の瞬間には群れの中にいる。勝ち気で強気に物事に立ち向かっていったかと思えば、次の瞬間には現実に打ちのめされていたりもする。
　ひとつ何かを見出した先には新たな謎が広がっている。壁を砕いた先にはまた新たな壁。どれだけ謎を解き明かしても、彼の真理の表層にも辿り着けた気がしない。シュウの対極に位置する存在がマサキであるからこそ、シュウの目にはマサキが謎深き存在に映っているのだろう。
　――｜識《し》りたいという欲は、恋に似ている。
　謎を目の前にした瞬間の神経の高ぶりや鼓動の早まり。この脳の中にある小さな思索の世界は、その瞬間に薔薇色に染まるのだ。ましてや、それらを解き明かしてゆく過程に生じる高揚感たるや！　なまじっかな性行為では及ぶべくもない快感。シュウにとって謎とは、生きる証であり、生きている証であり、存在証明であるのだ。
　それ即ち、マサキという実存もまたシュウにとっての存在証明であるということである。
「――……起きていますか、マサキ？」
　マサキを胸に抱きながら、ゆったりと。眠りに落ちる前の僅かな安らぎの時間を過ごす。そろそろ眠りに就いたのだろうか？　言葉の絶えたマサキの顔をシュウが窺おうとした矢先、Ωの幸せって何なんだろうな。マサキがぽつりと呟いた。
「それを見付けるのはあなたであって、私ではありませんよ」
「わかってるよ。でも聞きたくなるだろ」
　そろりとマサキがシュウの背中に腕を回してくる。シュウの肌を掻いた指。線に感触を残して握り締められた拳が震えている。
「自由に生きたい」
　絞り出すような声だった。
　発情期という得体の知れない本能に支配されている己に、彼は閉塞感を感じているのだろうか？　最近のマサキは歯切れの悪い物言いをすることが多くなった。そう、言外に含みを持たせるような物言い。単純にして明快が持ち味であった彼の強気な物言いは鳴りを潜め、それに比例するように意味もなくシュウを求めることが増えたマサキ。彼は何かをシュウに伝えたがっている。けれどもそれが何であるのか、シュウにはわからない。
　もしかすると、マサキが自分を求めてくるのは、覚えた快感に溺れているからだけではないのかも知れない。
　人は弱く脆い生き物でもあるのだ。他人の温もりで自分の痛みを和らげようとするような。弱音を吐けない者にこそその傾向は顕著だ。だから彼は心細さを癒す為に、快感を求めているのではないだろうか？
　だとしたらそれは改めてやる必要がある。
　一ヶ月が経過するまではまだ時間があったが、彼には出さねばならない結論がある。Ωという性にどう向き合い、どう生きるか。それは彼がこれから魔装機神の操者を続けていく上で避けられない問題だ。仲間との付き合い方をどうするか、或いはリューネやウエンディといった自身を想う女性たちをどうするのか。主たるものでない問題まで含めれば、彼の考えなければならないことは多岐に渡る。
　勿論、シュウは抑制剤の新薬開発を続けてゆくつもりでいる。シュウは自由に世界を羽ばたくマサキの姿を見ていたいのだ。マサキが彼らしさを失わない為にも、発情期の衝動を抑えきる薬の開発は急務であった。その為にも明日の練金学士協会での実験で、一定の成果を出さなければ――……
　そのままどうやら、眠りに落ちてしまったようだ。
　目覚めて食事の準備をすべく隣を窺えば、マサキの姿はとうになく。ガウンを引っ掛けただけの姿で急ぎキッチンに向かえば、さも当然といった態でマサキが朝食の支度に励んでいるところだった。おはよう。昨晩、自由に生きたいと口にした彼は、何事もなかったかのような笑顔を浮かべながらシュウを振り返った。
「食事の支度は当番制だと云った筈ですが」
「細かいことを気にするなよ」
　抑制剤の開発という大義名分があったにせよ、書斎に篭り放しだったシュウは、掃除に洗濯と日常の些事の大半をマサキに任せてしまっていた。この上、食事までもとなっては家主の面目が立たない。
　とはいえ、既にテーブルの上には料理が並んでしまっている。シンクに向かって使った調理器具を洗っているマサキに、――手伝えそうなことはもうなさそうだ。シュウは気まずさを感じながら寝室に戻り、服を着替えてから再度キッチンに向かった。
「今日は｜練金学士協会《アカデミー》に行くんだろ。支度だ何だあるんじゃねえかと思ってさ」
「必要な資料の作成などは昨日までで済んでますし、今日は取り立ててすべきことはないですね」
　プレーンなオムレツにベーコン入りのマッシュ・ポテト。グリーンサラダ、コンソメスープ。それが彼の日常生活であるのだろうか。しっかり者の義妹の影響も大きいに違いない。マサキが作る朝食は、腹にきちんと溜まるものが多い。
　それらを目の前にテーブルに着く。
　足元にて寝そべっている彼の二匹の使い魔は、昨晩もまたシュウの寝室で過ごした主人をどう思っているのだろう。彼らがシュウに直接物を云ってきたことはなかったものの、これだけマサキが日参している状態だ。主人がただシュウと枕を並べて寝ているだけとは思っていまい。チカがマサキと陰に話をしているように、彼らもシュウの目の届かない場所でマサキと話をしている可能性はある。
　だからといって、シュウには自らの行いを改める気はなかった。ここにマサキがいる限りのことと決めた以上、彼らの批判に晒されるのは元より覚悟の上。いざとなればその非難の全てを受け止めるつもりだ。シュウは眠たげににゃあにゃあ云っている、二匹の使い魔からそっと目を離した。
「しっかし、ご主人様。マサキさんが来てからというもの、しっかり朝食を取る習慣が付きましたよね。もうこのままここに居てもらっては？　若しくはお金をお渡しして、ハウスキーピングに来てもらうとか！」
　それと比べると、肩にとまりにきた自らの使い魔のの余計なことしか云っていないこの台詞。
「すべきことの優先順位が異なるだけで、私もやるべき時にはやっていたのですがね、チカ」
　確かにシュウにはだらしない生活を送っている自覚があったし、それがひとり暮らしの気楽さ故であったことも理解していたが、さりとてそれに甘えきって怠けてばかりいた訳ではなかった。気が向けば毎日のルーティンとすることもあった家事の数々。チカの中ではそうした記憶は既に忘却の彼方となってしまったのだろうか？
　不服を感じているシュウに対して、細々と動き回るマサキを重宝しているらしい彼は、主人のぼやくような台詞を鼻先でせせら笑った。
「いやあ？　あたくしこれまで家を整えるという行動に対する性差は存在すると思っていましたが、マサキさんを見て考えが変わりました。性差じゃなく個人差ですよ、これ。だって見てくださいよ、この家。見違えるよう！　大体ご主人様は周りの人間に御自身の生活を任せ過ぎなんですよ。サフィーネさん然り、モニカさん然り。育ちがお坊ちゃんだからなんですかねえ。自ら主体的に家を整えるという発想が先ずないと申しますか……」
　彼の愚にも付かないお喋りをＢＧＭに食事を終える。練金学士協会とは今日のアポイントメントの時間を取り決めてはいなかったが、だらだらと家で過ごしていても事態は進展しない。マサキの平穏な日常の為には、シュウが動き回る他ないのだ。
　書斎から資料その他一式を持ち出したシュウは、マサキと二匹の使い魔に留守を任せてチカとともに家を出た。
　道中のチカは変わらずお喋りだった。彼は実に能弁にマサキのハウスキーパーとしての優秀さをシュウに喧伝してくると、「案外、上手くやれると思うんですけどね」と、マサキとの同居の継続を提案してきた。それに主人が心を動かされていないと見るや否や、「ご主人様にだって人間らしい欲はあるのでしょう」と、夜伽の相手としてマサキを勧めてくる。
「こうも毎日のようにベッドをともにしておいて、まさかあっちの相性が悪いなんてことはないでしょう？　だったらΩとα。これも運命ですよ。そもそもご主人様は人間を止めて何になりたいのかってぐらいそうした欲求と無縁だったじゃないですか。偶に性交渉を持ったかと思えば、人間の精神性がどうたらこうたらなどと講釈を垂れだす。だのにマサキさんに関してはそういった人の悪い話を聞かない。それってつまり純粋な性欲ってことですよね？　難攻不落のご主人様がただの欲望でマサキさんを抱くって、相当ですよ。何を恐れているのかわかりませんが、潔く年貢を収められてはどうです？」
　それにシュウは答えなかった。
　同じことを繰り返して口にすることに何の意味があろう。シュウは壊れたレコードではなく、意識を持つ人間であるのだ。発展性もなければ未来の展望もない話をくどくどと繰り返すこと程無意味な行為もないだろう。それでも口を慎むことをしないチカに、枯れ木も山の賑わいとシュウは彼の話したいように話させ続けた。
「はあー。ホント、ご主人様って頑固ですねえ。幼少期の愛情不足っていうものは、こんなにも人の心を頑なにさせるものなのかと、あたくしは今思うことしきりですよ。まあ、あれだけ真っ直ぐに愛情を捧げてくれるふたりの女性に挟まれても、主義主張を変えることのなかったご主人様ですから、ある意味当然と云っちゃ当然なんですけどね」
　止め処ないお喋りを耳にしながら練金学士協会に辿り着いたシュウは、随分久方ぶりに顔を合わせたウエンディの少しばかり面やつれした姿に、Ωとなったマサキに対する彼女の苦悩を見たような気がした。
「マサキは元気？」
「体力を持て余しているようで家事ばかりしているようですが、元気に過ごしていますよ」
「あら、人ごとなのね」
「ずっとデータと向き合っていましたからね」
　ところで、とシュウはウエンディにどこまで事情を知っているのかを尋ねた。彼女の様子から察するにマサキがΩであることは伝わっていそうではあったが、念の為もある。地上人の性は複雑ね。そう寂し気に笑ってみせたウエンディは、どうやらリューネを介して大体の事情は把握しているようだ。
「発情期というメカニズムに興味はあるけれど、現実にその状況に置かれた方は堪ったものではないでしょうね。恐らくは薬物の離脱症状のようなものでしょうし」
「確かに。彼は類まれなき精神性で耐えようとはしていますが、他人にあの姿を見せたくないというのは頷けますよ」
　それを耳にして想像を働かせたのだろう。そんなに。と、ウエンディが呟く。
　嘘は最小限に留めておくべきだ。シュウは彼が発情期を耐えているとは口にしなかった。勿論、自身がマサキと肉体関係を持っているとまでは打ち明けるつもりはなかったが、根が善良に出来ている彼女のことだ。シュウが口にしないことまで確信を持つような真似はしまい。
　そもそも一流の練金学士である彼女に希望を与えて何になろう。不都合な真実と向き合うことで学問は発展を遂げてきた。それまで主流であった学派が廃れ、新たな学派が権勢を誇るのもそうした自浄作用があってのこと。学問の徒である彼女がそれを理解していない筈がない。だからこそ、彼女はマサキの状態を詳しく尋ねるより先に、そのメカニズムに興味があると云ってみせた。
　無論、その解消こそがマサキと自身の関係構築に必須の条件であるのだから、彼女の反応は二重の意味で正しいものだ。マサキは既に女性との性的な関係を持つことを諦めてしまった様子であったが、だからといって彼に性的な魅力を感じている女性までもが諦めてしまうとは限らない。そういった意味ではウエンディ＝ラスム＝イクナートという練金学士も人の子であるのだ。
「発情期が文字通りの効果を齎すのであれば、何かが側坐核の活動を抑制しているのではないかと考えられるのだけど、その辺りのことはデータには？」
　人間の五感の情報は、すべからく脳にて管理されている。科学が隆盛を誇った時代に、それらの研究はかなりの到達点をみた。ラ・ギアスの科学力は地上より一世紀は先んじていると云われているが、だからといって全ての分野が真理に到達したとは限らない。理性を重んじる地底人は、意識的にせよ、無意識的にせよ、本能的な行動を忌避する傾向がある。それが科学の到達点をみたラ・ギアスにおいて、本能的な領域に対する研究に遅れを取らせた原因だ。
　特に性的な部分に関わる分野においてその傾向は顕著であった。この部分におけるラ・ギアスの科学力は地上世界に等しいか、また劣っているかのいずれかである。
「黄体期のプロゲステロンとの関係が疑われるデータが出ていますが、私はそのデータには懐疑的ですね。あれは単体のホルモンがトリガーとなって起こるような単純なメカニズムではない。尤も報酬系から快感回路、及び嗅覚経路まで、広範囲の脳の活動に作用する単一的なタンパク質が存在しているというのであれば、その意見にも賛意を示しますが」
「とはいっても、人間の脳の活動など、殆どは単純なメカニズムで動いているものよ。だからこそ科学は本能的であるのでしょう。私たちが意識の枠を練金学に求めたのは、それが科学だけでは説明が付けられなかったからに他ならないのよ。まさかあなた、発情期が意識的な活動だと云うつもりではないわよね？」
　どうやらウエンディは伝え聞いた情報で、発情期といったΩに関わる科学的なメカニズムに凡その見当を付けているようだ。それなら遠慮も要るまい。シュウはまさか――と、言葉を継いだ。
「その逆ですよ。発情期の抑制に定量のピルの処方が効果を発揮している実情がある以上、Ωの黄体期のホルモンバランスが関係しているのは間違いないと私はみています」
「その辺りはデータを見せてもらわないと何とも云えないけれども、けれどもあなたが云うように、黄体期のホルモンバランスが発情期を引き起こすトリガーとなっているのだとしたら、性適合手術はひとつの解であるかも知れないわね。尤もこれは、マサキの同意なくして出来ないことではあるけれども」
　一流の練金学士である彼女は、一流の科学者でもある。けれども対症療法で済むかも知れないものを、一足飛びに原因療法に及んでしまっては。臓器に可塑性はないのだ。だからこそ、その結論は拙速に過ぎる。シュウは感じた焦りを胸の内に押し留めるのに精一杯だった。
　地上では数の多さもあって、トランス体がいずれかの性別を選ぶことは推奨されない。その気になればどちらの性別も選べるのが、トランス体であることもある。彼らは生まれながらにして両性を持つ生き物であり、気質的側面に於いていずれかの性を選ぶのが一般的である。
　それに性適合手術を施す。
　雄型にせよ、雌型にせよ、絶妙なバランスの上に成り立っているには違いない。決して多くはない術例のデータを追加で探す必要はあったが、それを見ずともその手段が大きなリスクを伴うものになるだろうということは、シュウならずとも予測出来ることだろう。
「自然が為したことを人為的に終わらせる？ トランス体のホルモンバランスは絶妙な匙加減の上に成り立っている。子宮を失うことでどういった影響が出るかは計り知れませんよ」
　まさかウエンディともあろう者がそこまで考えていなかったなどとは云うまい。練金学士協会におけつ不世出の才女の頭脳は超一流であるのだ。それもあって思いがけず強い口調で非難めいた言葉を吐き出してしまったシュウは、次いできまりの悪そうな表情を晒したウエンディに彼女の欲を見た気がした。
　彼女は好きな男を手に入れたいのだ。
　その為なら倫理を犠牲にしても構わないと思うまでに。
　彼女の胸中を推し量ったシュウは、果たして自分は他人のことを云えるのだろうか？　と考えた。水蜜桃のような瑞々しさに満ちたマサキの身体を、失いたくないと思っている自分。シュウが決めたΩ抑制剤の方向性が、そうした欲が現れたものではないとどうして云えただろう？
　自由に生きたい。彼の願いを叶えてやる為には、これまでの自分と同一性が保てる身体にしてやる必要性もあるだろう。自由に生きたい。Ωという性からの解放はそこから始まるものでもある。その為には子宮の除去も選択肢のひとつであるべきだ。自由に生きたい。ウエンディに研究施設への案内を受けながら、シュウは浅ましい欲に囚われた我が身を省みずにいられなかった。

　※　※　※

　シュウに留守を頼まれたマサキは、彼とチカを見送った後、掃除と洗濯を済ませると庭に出た。もう久しく剣を握っていない。そろそろ稽古を積まなければ、身体がなまりきってしまいそうだ。
　サイバスターに積んでいた剣を片手に空を見上げる。今日のラングランも好天だ。眩い太陽が柔らかく大地を包み込むように照らしている。気分が憂鬱な日々が続いていたから、あまり外に出ることのない日々が続いていた。その所為だろうか？　澄み渡る青空を眺めていると、自らが抱えている問題の数々がとてつもなくちっぽけなものに思えてきた。
　一瞬、ここがどこかも忘れて、蒼天の下。マサキは吹き抜ける風に身を委ねた。
　焼けたオイルの匂い。焦げた回路の匂い。思い出される記憶は、紛れもなく戦いに明け暮れた日々のもの。このまま何処かへサイバスターを駆って出掛けてゆきたい。唐突に湧き上がった衝動にマサキは目を細めた。
　かつての日々であったなら、気が向くがままにサイバスターに飛び乗って、思うがままにラングランの大地を駆け抜けて行けた。けれども今はそうはいかない。Ω抑制剤が効果を表すひと月が過ぎるまでは、遠出は控えた方が賢明だろう。その息苦しさが自らを逃避へと駆り立てるのだ。不意に蘇る肉体の記憶。マサキは昨晩のシュウとの性行為の記憶を振り払うように剣を振った。
　夜をともにする彼は、これまでの関係が嘘のように、身体的な距離を密にしてマサキに接してきた。性行為の最中は勿論のこと、その後も。頬を撫で、髪を梳く。マサキを抱き寄せる腕の温かい温もりは、穏やかな眠りにマサキを就かせてくれたものだ。
　これ以上を望むべくもない関係。けれども今のところ、彼とマサキの間にはふたりの関係を保障するものは何もなかった。まるで恋人のように睦んできながらも、愛を囁くような真似だけはしない。シュウの一線を引いた態度はマサキに対する感情の表れであるのだろう。
　彼は決してそういった意味でマサキを抱いているのではない。
　性欲処理、そう性欲処理。彼がマサキを抱くのは、単純に目の前にそれに適う相手がいただけのこと。シュウにとってのマサキは、欲望に忠実に自らに身体を開いてくるセックス・フレンドであるのだ。その事実が胸に重苦しく圧し掛かる。
　思いがけなく彼の情の厚さに触れて、思いがけなく彼の夜の顔を垣間見たマサキは、思いがけなく自らの心に生まれた恋心を持て余している。幾度となく口にしようとした感情。噛まれたい。一生、彼に支配されて生きてゆけたら。愛情のない相手にさえ、あれだけ密な時間を過ごさせてくれる男であるのだ。彼と番として生きる人生はどれだけの悦びをマサキの身に齎してくれるだろう。
　その人生に他の番が存在していても構わない。時々でいいのだ。少しばかり、自分と時間をともにしてくれれば、それがマサキに対する恵みとなる。そこまで考えて、自分はこんなにも頼りない人間だっただろうか？　マサキは疑問を感じずにいられなかった。
　両親を喪ってから、肩肘張るように生きてきた。ラ・ギアスに召喚されて、仲間を知った自分は少し変わった。何もかもを独りで背負う必要がないことを知ったマサキは、他人に自分の背中を預けることを覚えた。その頃の彼は仲間と比べると、マサキに対して甘くもあり、厳しくもあるような人間だった。けれども、馴れ合うことを許さないような言動とは裏腹に、来るもの拒まず的な懐の深さを感じさせる態度ではあった。
　時にお節介で、時につれなく、時に意地悪ですらある。そんな彼に反発を覚えていたのが嘘のように、今のマサキはシュウの存在を頼りにしている。マサキの現状を変えるべく方々にコンタクトを取り、時にその場に同席し、時に自ら出向いて行くなどして精力的に動き回っている彼。厄介事ばかりをマサキの所に運び込んでくる男は、急場に於いてはこんなにも頼もしく感じられる存在であったのだ。
　成程、確かに彼に許に人が集うのも頷ける。
　けれどもそれはマサキの心を脆くしてしまってはいないだろうか？　マサキは剣を振りながら暫し考えて、違うと首を振った。彼は守らなければならない一線は守り続けている。
　考えるべきことはマサキ自身に考えさせ、そこには深く立ち入らない。
　先日のテュッティとの話し合いの席でもそうだった。あの場でのマサキは怯えてしまっていた。テュッティと和解した今となっては、何故あの程度のことで――と思えたものだが、あの時点では事情が異なった。次に彼女から自身の性格的な問題を責められたら、もう魔装機神の操者には戻れない。そう思い詰めてしまっていたマサキはシュウの同席を求めた。けれども彼は始まりの話し合いの席とは異なり、その席に立ちあうことはなかった。恐らく、あまり他人の事情に立ち入ることのない男。最初にマサキを連れ帰ったことで、話がややこしくなったと思ったのやも知れない。
　そうして、離れた席にて読書に耽っていた彼は、マサキとテュッティの話し合いを聞いてはいなかったのだろう。マサキが話しかけるまでマサキの存在に気付かなかったばかりか、その話し合いの内容に興味を持つこともなく。ただ、マサキの気晴らしたればと思ったのだろう。マサキに街でしたいことがないかと尋ねてきた彼は、マサキが望んだ通りに映画鑑賞に付き合ってくれた。
　そのテュッティは、話し合いの席で、マサキの性格的なものを責めてしまったことを先ず詫びてきた。そして、改めて今後どうするつもりでいるのかを尋ねてきた。
　マサキは先ず、魔装機神の操者を続けたいと思っていることに変わりはないと告げた。その上で、発情期の問題に自分なりに取り組んでいることも告げた。現在抑制剤を服用中であることと、その効果が表れるまで一ヶ月がかかること、現在自身の発情期が不定期であることや、そうした姿を仲間に見せたくないと思っていること……黙ってマサキの話を聞いていたテュッティは、恐らくは彼の性が何になるのか気にかかったのだろう。シュウの所で大丈夫？　と訊いてきた。
「あなたを責めてしまったことについては何度でも謝るわ。そういった私を信じるのは難しいかも知れない。けれども、マサキ。私は心配なのよ。Ωに纏わる悲劇的な話は数多く聞こえてくるわ。そういった出来事がいつあなたの身に振り掛からないとも限らない。あなたが心と身体に深い傷を負ってしまってからでは取り返しが付かないでしょう。私はΩであることで傷付くあなたの姿を見たくないのよ」
「見せたくないものを見せる相手はひとりで充分だ。悪いな、テュッティ。俺は今のところその相手を変えるつもりはない」
「特に問題が起こっていないのであれば、あなたのそういう気持ちは尊重するわ。けれどもマサキ、気を許しきっては駄目よ。何がいつ起こらないとも限らないのがΩの日常。そのぐらいの気持ちでいてね」
　彼女は決してシュウを信用してはいないのだ。
　だからだろう。話が終わるとテュッティは、シュウに挨拶をすることなく喫茶店を出て行った。既にシュウと肉体関係を持ってしまっていることに感じる後ろめたさはあったものの、今誰かに打ち明けていい話でもない。マサキは黙って彼女を見送った。
　誰にも云えない恋心。苦しくはあったけれども、彼から引き離されてしまうのは嫌だった。
　今だけのこととしても、否、今だけのことだとわかっているからこそ、マサキは彼との生活を一ヶ月後の期日まで続けたかった。我儘だと思う。身勝手だと思う。傷付くのは自分だともわかっている。それでもマサキは彼の側にいたかった。
「雑念ばかりだな」マサキは剣を振るのを止めた。
　暇さえあれば彼のことばかり考えている自分。その彼は今頃練金学士協会に着いている頃だろう。いつかはウエンディたちとも話をしなければ……マサキは家の中に戻り、昼食の準備に手を付けることにした。稽古の邪魔をすることなくリビングにいた二匹の使い魔が、早速とばかりに足元にじゃれついてくる。
　ここのところ、昼食はひとりで取ることが続いている。寂しくもあったが、発情期を抑制する新薬の開発は、シュウがマサキの未来を考えてしてくれていることである。あまり多くの時間を彼から奪うことは避けなければ。
「何を作るんだニャ？」
「面倒臭えし、パスタでいいかな」
「昨日のお昼もパスタだったじゃニャいの」
「茹でて味を付けるだけだしなあ。楽なんだよ」
　鍋に水を張って、火にかける。
　穏やかな日々。Ω抑制剤の副作用も、多少の倦怠感ぐらいで済んでいる。尤も、効果と副作用に相関関係のあるΩ抑制剤では、副作用の少なさは効果の少なさでもある。服用を始めてからの発情期は、クローゼットに篭った一回で済んでいるが、いつまたあの渇きが襲いかかってこないとも限らない。
　当たり前のように人工中絶薬を飲んではいるが、物言わぬ命と引き換えに得ている快楽だ。それならば授かった命として産めばいい――と、思いきれればどれだけ楽だろう。マサキは未だ、命を産み育てることに恐怖を感じている。
　精液を注ぎ込まれた瞬間の快楽は言葉では表現出来ないものだ。陰部に広がる切れ間のない快楽。けれども快楽の為に自分の良心を犠牲にする訳にはいかない。ひとつの命を大事に出来ない者に、多くの人間を救う資格などないのだ。
　発情期の性行為は避けなければ。
　つらつらと考えを巡らせながら、パスタを茹で、ソースを作る。トマト缶とニンニク、そして塩・胡椒。あり合わせで作ったにしては、充分美味い。味見を終えたマサキは更に盛り付けたパスタをテーブルに置いた。そういえば嗅覚に副作用が出ているシュウは、食事の味をどう感じているのだろう？　特に彼が作る料理の味が変わったといったことはなかったものの、日常生活に影響が出ていないかは気にかかる。
　彼が帰って来たらその辺りのことも確認してみよう――と、思ったところで玄関ベルが鳴った。ここに来る人間は限られている。どうせそんなことだろうと思いながら、まだ手を付ける前のパスタをそのままに玄関に出れば、案の定、サフィーネとモニカのふたりが並んで立っている。
「いい匂いなのですわ」
「お前らの分はねえぞ。今日は俺ひとりだしな」
「あら、シュウ様は？」
「｜練金学士協会《アカデミー》だよ。設備を借りてやりたいことがあるらしい。折角来たのに不在とはツイてねえな、お前ら」
　そういうことなら、とふたりは早々に場を辞そうとする。流石は金魚の糞と揶揄されるだけあって、ふたりの目的はあくまでシュウであるらしい。「用があるなら伝えるぞ」云えば、そういうつもりで立ち寄ったのではないのだという。
「一週間に一度は様子を見に来ることに決めたのですわ」
「ボーヤがおかしな気を起こしたりしないようにね」
「お前ら、俺のことチカからどう聞いたんだよ」
　シュウがおかしな気を起こすとは微塵も思っていない辺り、彼はやはり日常的にはストイックな性格に映っているようだ。それとも、それだけ彼女らは自分たちの魅力に自信を持っているのだろうか？　どこか慣れた様子で行為に及んでくるシュウが、初めてだとはマサキは思わない。もしかするとその相手は彼女らである可能性もある。
　猛烈な嫉妬心と、強烈な不安感。
　自分がここを離れた暁には、彼はその日常へと戻ってゆくのだろう。マサキとの関係をなかったことにして、平然と。それがマサキにはどうしようもなく悔しいことに感じられるも、噛んでこない男に何をどう迫ったものか。
「仲間割れしたんでしょ。魔装機神の絆とやらも脆いもんだわ」
「それもシュウ様が聞くに堪えないことを云われとか」
「お笑いよね」そう云って高笑いするサフィーネに、
「いいからさっさと帰れよ。パスタが冷めるだろ」
　面白くない。腐った気分をぶつけるように冷ややかに言葉を吐けば、彼女らはそれだけマサキが弱っていると思ったようだ。お望み通り。と、笑い顔を残して背中を向けたサフィーネに、ではまたいずれ。と、モニカが続く。
　遣る瀬無い想いを抱えながらも、彼女らにそれを確認しようと思いきれもしない。マサキは黙って玄関ドアを閉めようとした。
「しっかし、ボーヤ」
　振り返ったサフィーネが、珍妙なものを見る目でしげしげとマサキの首元を眺めてくる。噴き出す冷や汗。彼女は様々な方面に独自の情報網を持っている。よもや地上人の性の複雑性を知らない筈もあるまい。もしかするとこの首輪があることで、マサキがΩであると見抜いたのではないだろうか？
「その首輪、似合ってないわよ」
　けれどもそれは杞憂であったようだ。首輪に言及してみせた彼女は、次の瞬間にはふふと声を放つと、あんまり落ち込みなさんな。そう言葉を続けると、｜颯《さっ》と足早にその場から立ち去って行った。

　※　※　※

　話があります。と、帰宅したシュウがキッチンに立っていたマサキに話を切り出した瞬間、彼は傍目にもそれとわかるぐらいの動揺を露わにしてみせた。きっと、｜練金学士協会《アカデミー》から戻ったばかりとあって、ウエンディ絡みの話だとでも思ったのだろう。らしくなくも恐る恐る尋ねてくるマサキに、彼が日常的に感じている不安の大きさを改めて感じ取ったシュウが、やはり今の彼に覚悟を求めるのは間違いかも知れないと、その続きを口にすることを躊躇えば、その態度がマサキの不安をより煽ってしまったようだ。
「どうしたんだよ。息急ききってきて話があるって云ったかと思えば、今度は黙って……」
　揺らめくふたつの瞳。自分を見上げる眼差しの力なさに、そういうことではないのですよ。シュウはマサキを落ち着かせるように、努めて穏やかに言葉を紡いだ。
「もし、性適合手術を受けられるとしたら、あなたは受けたいと思いますか」
「性適合手術？」
「子宮の除去ですよ。摘出手術を経ることで、あなたはこれまでと同じように生活出来るかも知れない」
　マサキは幾度か目を瞬かせてから、考えたこともなかった。と、呟いた。
「勿論、問題はそんなに簡単なものではありません。発情期のメカニズムが解明出来ていない現状で、安易に子宮の除去に踏み切れば、思いがけない後遺症が出る可能性があります。とはいえ、これは例え話です。取り敢えずはそういったネガティブな要因は無視することにしましょう。私があなたに訊きたいことはひとつです、マサキ。それであなたを悩ませている問題が解消出来るのだとしたら、あなたはどうしますか？」
　魔装機神の操者でありたいと望み続けているマサキのことである。その立場を恙なく務める為にも、彼は即座に手術を受けることを良しとするのではないか。シュウはそう考えていたが、彼の中ではそう簡単に割り切れる話ではなかったようだ。
「わからないな」
「わからない、とは？」
「受けたい気持ちもあれば、そうでない気持ちもあるってことだよ」
「何故？　それでこれまでと同じ生活が送れるとしても、あなたはそう思うのですか？」
　深い溜息が彼の口唇から洩れた。
　暫しの沈黙。首を左右に振ったマサキが俯く。
　どうやらマサキは何かを恐れているようだ。けれどもシュウにはそれが何であるのか、予測の付けようがなかった。ネガティブな要因を排除しても躊躇うような理由など、どこにあったものだろう？　それとも彼にはΩでいたい理由でもあるのだろうか？　様々に考えを巡らせてみるも答えが出ないまま、マサキの顔が再びシュウを向く。
「我儘だよな。子どもを産むのが怖いのに、身体にメスが入るのも怖いんだ」
　嗚呼。シュウはマサキの言葉に、まだまだ彼への理解が足りないと思わずにいられなかった。
　トランス第二世代αであるシュウは、体内に子宮を有していようとも、自らが子どもを産ませる側だという強い自覚がある。それを今日から産む側に回れと云われても、直ぐには決心を付けられないだろう。産める身体であることと、産む自覚は別物であるのだ。
　マサキに起こっている心理的葛藤はこれだ。
　器質と気質のアンマッチ。ここに来てからのマサキがシュウを目の前にして、数多くのらしくなさを発露しているのも、そのアンマッチが精神に影響を及ぼしているからであるのだろう。シュウ相手に言葉を吐くことを躊躇うことが多くなったマサキ。変調の理由がそこに起因するものだと思えば納得がゆく。
「考えが足りませんでしたね。健康な臓器を切除する。そこに怖れを感じない人間はそういません。人間の身体は絶妙なバランスの上に成り立っている。あなたの恐怖心は尤もです」
「ウエンディは何か云ってたか？」
「あなたが元気でやっているかと尋ねられましたよ。きっと彼女なりに考えた結果であるのでしょうね。あなたに性適合手術を受けさせることは出来ないかと云い出したのもウエンディです」
「実際には色々と問題があるんだろ、そういうのって」
「それはここからの研究にもよります。発情期のメカニズムには謎も多い。手っ取り早いのは地上で追加のデータを入手してくることですが、既に大量に請求してしまった後ですしね……果たしてそう何度も私の勝手に都合を付けてくれるものか……」
　優生主義者たちがシュウに膨大なデータを都合してくれているのは、シュウがトランス第二世代のαという稀な性を有しているからである。それをシュウは正しく理解していた。彼らはシュウに貸しを作っているのだ。若しくは自分たちの味方に引き入れる為に、シュウの歓心を買おうとしているか……いずれにせよ、より良い血を残すことを目的とする彼らは、高級な種馬であるシュウの有用性を認めているからこそ、一般に出回ることのない研究データを回してくれている。
　それがどういった形で自分に返ってくることとなるか。
　シュウが案じているのはその一点だった。
　Ωに興味を持ち始めたシュウの動機がどこにあるのか、彼らはとうに予想を付けていることだろう。シュウの興味を惹くΩ。彼らはシュウがそのΩとの間に子を成すことを期待している。そうでなければ、どうしてシュウの求めに易々と応じて、門外不出のデータ群を渡してみせたものか。
　いずれ彼らはマサキに辿り着く。
　いざとなれば彼らの存在を公にすればいいだけとも思ったが、どのくらいの規模でどういった組織に彼らが入り込んでいるかまではシュウも把握しきれていない。その状態で地上世界の自浄作用が働いたとしても、蜥蜴の尻尾切りになるのは目に見えている。そうである以上、自衛の為にも、今暫くは彼らと突かず離れずの付き合いを続ける必要があるだろう。
「よくわかんねえけど、危ない橋を渡るのだけは止めとけよ」
　シュウの独り言に近い呟きに、短くない付き合いだけはある。勘が働いたらしいマサキの言葉に、内心の動揺を覆い隠すようにシュウは笑った。
　優生主義者たちが地上世界の各所に潜り込んでいる事実を、マサキは知らない筈だ。使い魔たちが話をしていればともかく、シュウ本人はマサキに敢えてその話はしないようにしてきた。地上に赴く機会が多いにせよ、彼の活動拠点は軍事施設に限られているようなものだ。行政機関に数多く潜り込んでいる優生主義者たちとは、間違いが起こらない限り接触する機会もないだろう。シュウとしては彼が考えなければならない問題を、悪戯に増やすのは避けたかった。
　もし仮に彼がそうした事実を知っていたとしても、シュウとの繋がりまでは見当が付くまい。だのにこの鼻の利きよう。流石は魔装機神サイバスターの操者を長く務めてきただけはある。ここぞという時のマサキの直観力は彼ら魔装機の操者たちの中でも群を抜く。
　正義の行使に迷いは禁物だ。即時の判断力を求められることも多い魔装機神の操者たちは、理屈で物事を精査している時間がそうないことも関係してか、総じて直観力に優れていた。特に彼らを率いる立場にあるマサキにはその傾向が顕著だ。
「お前は自分の手に余る事態にも平気で首を突っ込む癖があるからな。その尻拭いをするのが誰かって、俺たちだったりするんだぞ。いつも厄介事を持ち込んできやがって……」
「かといって見過ごす訳にも行かないでしょう。それにもし私に何かあったとしても、あなた方がどうにかしてくれるのでしょう？　あなた方であれば、味方に不足はなし。それだけあなた方を私は信頼しているのですよ」
　マサキはシュウが思っている以上にシュウの気質を把握してくれている。その事実が単純にシュウには嬉しく感じられた。
　周囲を窺えば気遣い甚だしい三匹の使い魔は、深刻な話になるだろうと思ってか、リビングへとその居場所を映しているようだ。それならば彼らの目を気にする必要もない。マサキ。心を突き動かす欲望の赴くがまま彼の名前を呼んだシュウは、自分の顔を真っ直ぐに見据えているマサキの頬に手をかけた。どうせここにいる間だけのこと。そうであるのならばシュウが自ら彼を求めても差し障りもあるまい。身勝手な理屈を構築しながら、マサキの口唇へと自らの口唇を落としてゆく。瑞々しい瓜にも似た味。心地良い。舌を差し入れて、更に深く味わう。彼も抵抗をする気はなさそうだ。時折、シュウの舌を吸ってくるぎこちない動きが愛くるしい。感情任せにマサキの口唇を貪ったシュウは、やがておもむろにマサキの耳元に囁きかけた。今夜は寝室には来ないの？
「何でそうなるんだよ。茶化していい話じゃないだろ」
「データの件でしたら問題はありませんよ。なければ蓄積してばいいだけのこと。｜練金学士協会《アカデミー》やウエンディの協力も得られますしね。これだけのバックアップを受けて成果がない、などといったことは起こり得ませんよ。今後の研究は飛躍的な進歩をみせることになるでしょう」
「本当かよ。お前、俺がわからないと思って、適当なことを云ったりしてないよな」
「まさか。それともあなたはウエンディの練金学士としての能力を信用していない？」
　う。とマサキが言葉を詰まらせる。ややあって、シュウのうなじに腕を回してきた彼は、つま先を立ててシュウの耳元に答えを返してきた。行ってもいいなら、行く。勿論ですよ、とシュウはその言葉に頷いた。
　遅めの夕食を済ませて、それぞれバスに浸かる。就寝には早い時刻。使い魔たちが寝静まるのを待つまでの間、シュウは書斎に向かった。
　明日は今後の研究に必要となるデータ入手の為に地上に向かう予定だ。用事が早目に済めば、そのままウエンディの許に寄ることになるだろう。先に彼女に渡す分のデータの複製を済ませておかなければ。シュウはデスクの上に積みっ放しになっている大量のディスクに手を伸ばした――と、通信機の呼び出し音が鳴る。
　夜更けとなってからシュウに連絡を求めてくる相手は限られる。サフィーネかセニアか、それとも今日連絡先を交換したウエンディか……シュウは通信回線を開いた。デスク上に展開したホログラフィックディスプレイが即座にセニアの姿を映し出す。
　取り立てて自らの仲間に用事を頼んでいない現状では順当な結果ではあったが、温和で控えめなモニカと比べるとお節介が鼻に衝く従妹。彼女にとってシュウがあまり付き合いを密にしたい相手ではないように、シュウにとっても彼女は頻繁に連絡を取り合いたい相手ではないのだ。だのにマサキのこともあってか。彼女は主義を曲げてまで、頻繁にシュウに連絡を寄越してくる。
「どうだった、｜練金学士協会《アカデミー》は？」
「ウエンディや他の練金学士たちも、Ωという性には興味を喚起されたようです」
「何よりも先ず優先されるべきは知識っていうのも困り物ね。研究熱心なのは結構だけれど、マサキを玩具にはしないで頂戴よ」
「あなたは私たちを誤解しているようですね、セニア。幾ら私たちが知の徒であろうとも、倫理を重んじる気持ちぐらいは残っています。マサキを検体にするような真似は断じてしませんよ」
「どうだか」セニアは肩を竦めた。
　稀にはゼツのように倫理を逸脱した練金学士が生まれることもあったが、ラングランの練金学士協会に所属している練金学士たちは総じて理性的だ。環境問題……人口問題……目の前にある問題を学術的なアプローチで解決へと導いてきた彼らは、自らの立場に絶対的な自信と誇りを有している。それだけにウエンディの提案は、シュウをしてたじろがせるものであったが、彼女にしてもマサキの意思を無視してまで事を進めるような性格でもない。練金学士にとって、理性とは知識より重んじられるものであるのだ。
「今日の用事はそれだけですか？」
「まさか。マサキにちょっと頼みたいことがあって連絡したのよ。最近は比較的調子がいいって、昨日あなた云ってたでしょう？　それだったら、単独任務ぐらいはさせてみてもいいんじゃないかって思って」
　確かにここに来てからのマサキは、暇を持て余しているからか、しょっちゅう家を整えることに専心しているように思われた。他にしていることと云えば、テレビを見たり、雑誌を読んでいたりと、家の中で出来ることばかり。その上、一日が終われば、シュウと寝屋をともにしているときたものだ。まるで専業主婦のような有様に、成程、これではチカもかいがいしいと口にしてくる筈だ。シュウは頷かずにいられなかった。
　考えなければならないことを抱えている身であったにせよ、家で過ごしている時間のこの長さ。すべきことを欠いた人間は目先のやるべきことに飛び付き易い。この機会にしたいことはないのだろうか？　街に出た時に彼がシュウに訴えたことにせよ、映画が見たい、である。本来活動的な彼にしてはらしくない。
　あまりいい傾向とは云い難いだろう。シュウは沈考した。
　Ωは精神的に不安定になり易いトランス体だ。発情期の作用が脳の活動を不安定なものとしているのは想像に難くない。彼が感じるストレスを最小限に抑えてやる為にも、そのケアは出来る限りこまめに行ってやる必要がある。
　クローゼットへのマーキングを最後に発情期も起こっていない今、セニアが云うように、単独任務ぐらいはさせてみてもいいのだろう。何よりそういった日常をマサキ自身は望んでいるに違いない。そう思いはしたものの、かといって、長期に渡る任務では急な発情期には対応出来ない。どういった任務ですか。シュウはセニアに尋ねた。
「直ぐに終わる任務よ。地上に流出していた技術書が見付かったって報告が入ったのよ。それを取りに行って、あたしの許に届けてもらうだけ。どう？　簡単な任務だと思うけど」
　そのぐらいであるのであればさせてみてもいいだろう。シュウはマサキの意思を確認すべく、書斎を出た。リビングに向かう。テレビの音が賑やかだ。二匹と一羽の使い魔に囲まれてテレビを見ていた彼に意向を伺えば、やはりこの生活に退屈していたようだ。二つ返事でやりたいと身を乗り出してくる。
「それなら決まりね。詳しい情報はデータにして送るわ。マサキに渡しておいて頂戴」
　書斎に取って返してマサキの返事を伝えると、彼女なりにマサキの様子を案じていたようだ。もしかすると、長く魔装機神の操者としての任務から離れさせていたことで、彼のやりがいを奪ってしまったとでも思っていたのかも知れない。ほっとした様子で頷いたセニアは、次いで「今日は早く寝かせてあげてよ」などと、訳知り顔で口にしてきた。
「どういった意味です」
「あなたがこれだけ距離を近くして、マサキに何もしないなんて思う程、あたしはあなたに興味がない人間じゃないのよ」
　飄々とした態度は流石にアルザールの娘である。あっけらかんとそう口にしたセニアは、口振りとは裏腹に全てを見抜いているようでもあった。
「あなたの目に私がどう映っているかはさておき、そういったことはないのですがね」
　今更取り繕ったところで何も変わりはしないと思いつつも、マサキの名誉に関わる話だ。発情期に流されて自分と肉体関係を持つような人間とセニアに思われるのは、彼としても心外だろう。セニアが誰かに吹聴するような性格ではないとわかってはいたが、シュウは否定してやらずにいられなかった。
「よく云うわ。これだけマサキに優しくしておいて。むしろ何もない方が驚きよ。まあ、お互い大人なんだし、自分たちの責任でどうにか出来る範囲のことでしょ。好きにすればいいのよ」
「マサキが聞いたら怒りますよ」
「怒るぐらいならとっくに帰って来てるわよ。あの子の気の短さ、あなただって知ってるでよ。そうしないってことは、マサキにとってそこは居心地のいい場所ってこと。それがあたしには嬉しいことに思えるのよ。義務だ、責任だって雁字搦めになってたあの子が、そういったしがらみに関係なく居場所を決めるなんてね」
　伊達にマサキたち魔装機の操者を監督する立場にいるのではないらしい。セニアの素直で忌憚のない言葉に、シュウは幾許か心を慰められたような気がした。発情期の“誘惑”に負けて、彼を犯してしまった自分。その後の肉体関係の継続に至っては何を況やだ。
　どれだけ云い訳を重ねても、覆ることのない現実。
　この先、幾度彼の求めに応じて彼を抱いたとしても、始まりの一度の記憶が変わることはない。その一点において、シュウはマサキに対して後ろめたさを感じている。
「じゃあ、そのデータ。ちゃんとマサキに渡しておいてね。それと、明日は時間厳守。迷ってる暇はないって、きつく云い含めておいて頂戴」
　わかりましたと云って通信を切る。
　もしもの場合に備えて、緊急抑制剤だけは絶対に持たせなければ。シュウはデータを記録した記憶媒体を手に寝室に向かった。空のベッドに身体を滑り込ませる。後ろめたさを感じていても身体は正直だ。欲望に素直なあの身体を味わいたい。疼き始めた身体を鎮めるように、ベッド脇のサイドチェストの上に乗せっ放しになっている本を取り上げる。目が滑る文章をそれでも気力で追いながら、こうも彼の訪れを待ち遠しく感じている自分に、つくづく業の深い――と、シュウは我が身を嘲笑せずにいられなかった。
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６．噛む

　自ら誘いかけてきただけあって、その夜のシュウの愛撫は情熱的だった。足指に手指、くるぶしに尺骨、仙骨やこめかみと細々とした箇所にまで舌を這わせてきた彼は、その幾つかに紅斑を残してから、喘ぎ疲れてベッドに横たわるだけとなったマサキの背後から手を回してくると、｜挿《い》れてもいい？　足を開かせながら耳元で囁きかけてきた。
「明日は久しぶりの任務でしょう。セニアに時間厳守と云われてますしね。あなたが無理と感じるようでしたらここで止めておきますよ」
　嫌だ。マサキは首を振った。
　彼を感じられる機会には限りがある。その一度をマサキは無駄にしたくなかった。早く。と声を上げる。早く、｜挿《い》れて。割れた双丘の合間で濡れそぼる蕾が、彼の肉を待ち侘びて、開いては閉じるを繰り返している。
「本当に？　遅刻しても責任は取れませんよ」
「いいから、早く｜挿《い》れろよ……」
　昼にサフィーネとモニカを目の前にして感じた嫉妬と虚無感。彼が戻るべき日常がそこにある。だからマサキは思ったのだ。いずれ彼に忘れ去られてしまう記憶であるのであれば、せめて自分だけは彼と過ごした夜を忘れないようにしておきたい……繰り返し身体を重ねても、重ねても、尽きることのない欲望。彼が欲しい。その源であるマサキの感情が満たされることは、恐らくない。こうして彼が戯れにマサキと肌を合わせてくるのも、マサキが彼の性欲を処理するのに都合の良いΩという性であるからだ。
　わかっているのに、恋しい。
　マサキの口唇に口付けを落としたシュウが、開かせている脚の合間にその昂りを押し当ててくる。熱い肉の塊が、蜜を吐き出している蕾を割った。びくん。と、マサキの身体が跳ねる。
　触れただけでも疾《はし》る快感に、目を潤ませながらシュウを仰げば、彼は獲物を捕食する獣のような眼差しでマサキを見下ろしていた。どこか妖艶で、淫靡に映るふたつ｜眼《まなこ》。薄暗く色を湛えている紫水晶の瞳にマサキが目を奪われていると、隆起した男性器が蕾の中へと頭を潜り込ませてきた。
　あっ、ああっ。マサキは射精を繰り返しながら、彼の男性器を受け入れていった。
　アナルの｜内部《なか》で｜蠕動《ぜんどう》する弁膜を掻き分けるようにして、ずるりと奥へと｜挿入《はい》り込んでくる彼の男性器。あっ、あっ、あっ。その先端が｜袋嚢《たいのう》に嵌まり込む。ああっ。容易には抜けなくなった男性器に、マサキはひときわ高く声を上げながら、残されていた精液を吐き出していった。
　ほら、マサキ。腰を抱え込んだシュウが、マサキの身体を引きながらベッド降りる。彼はマサキの身体をベッドの端に残して、自身は立ったまま。マサキの中に深く残る男性器を緩やかに抽迭させ始めた。はあっ、ああっ。生温い空気が肌に纏わり付く。滴り落ちる汗がシーツに染みを作った。
　｜袋胞《たいほう》から抜けては嵌まり込む熱い塊が、絶えず痺れるような快感を送り込んでくる。マサキは強くシーツを掴んで、快感に攫われてゆく心と身体をその場に留めようとした。けれどもマサキの同意を得たシュウが、その程度で終わりにしてくれる筈もない。彼はマサキの腕の下から手を差し入れてくると、胸を抱えながらその上半身を起こさせた。
　膝立ちでベッドに座り込む形となったマサキの乳首を彼の指が嬲り出す。びくん。とまたマサキの身体が揺れる。あっ、あっ、あっ。乳首とアナルを同時に責められたマサキは、精液を吐き出しきった男性器が再び熱を帯びてゆくのを感じ取った。あ、ああっ。快感は止め処ない。刺激に過敏となった身体には、肌に纏わり付く空気でさえも毒と化す。触れられていない箇所にまで及んでくる快感。潤んだ視界の向こう側で、澱んだ空気が揺らいだ気がした。
「こんなに硬くして。ここを弄られるのは気持ちいい？」
　乳首を抓みながら尋ねてくるシュウに、もっと。マサキは声を上げてその愛撫をねだった。そう、もっと、もっと。彼に溺れて溶けてゆきたい。その気持ちを口唇に乗せながら、マサキは腰を突き出した。奥、奥を突いて。彼の男性器が｜袋胞《たいほう》の中に、ずぷりと嵌まり込んでくる。
　小刻みに突き上げられたかと思えば、緩く抜き差しされる。激しく抉られたかと思えば、柔らかく擦り上げてくる。深度を変えてマサキのアナルの中を責め回る肉の塊に、マサキは我を忘れてよがった。ああっ、いい。いい、シュウ。いつしか再び硬く張るに至ったマサキの男性器から、また少量の精液が噴き出た。
　顔を上げては俯き、口唇をだらしなく開いては噛む。はっ、あっ、ああ……彼の男性器が腹の中で暴れる度に、接合部から鳴り立つ｜靡音《びおん》。濫りがましく響き渡る音が彼の欲望を更に煽り立てているようだ。ああ、ああ、マサキ。仰がされた顔に重ねられる顔。マサキの口唇を吸いながら、彼は静かに腰を動かし続けた。
　アナルの奥から染み出した愛液が蜜となって零れ落ちてゆく。もう、どうにかなりそうだ。マサキは精液を吐き出し続けた。マサキの喘ぎを全て飲み込み尽くす口付けに、突き出た乳首を嬲る指。そして開ききった蕾を塞いで肛虐を続ける男性器。薄桃色に染まった脳内が暗転し、火花を散らし始めた。濃密な甘さ。彼の汗の香りは、種々様々な花が咲き誇る花園に漂う匂いに似ている。
「ねえ、マサキ。もっと奥であなたを感じさせて」
　咽返るような彼の汗の香りに包まれる中、彼の手がマサキの肩を引いた。彼の腹部に臀部が押し付けられる。音を立てて彼の男性器を飲み込んだアナルから、愛液とも精液とも付かない液体が溢れ出てきた。
　どうやら彼は射精の時を迎えたようだ。
　｜袋胞《たいほう》に嵌まり込んだ亀頭が、その壁を激しく叩きながら精液を吐き出してゆく。もう視界に形ある物を捉えることさえ叶わない。頬を濡らす涙。ああっ、ああっ、ああっ。襲いかかる快感に全身を激しく痙攣させながら、マサキは｜絶頂《オーガズム》に至った。

　※　※　※

　起きなさい、マサキ。シュウに声をかけられて目を開いたマサキは、慌ててサイドチェストの上の時計を見遣った。まだ朝のうち。ほっと胸を撫で下ろしながら、自分を見下ろしているシュウを見上げる。昨日、マサキが先んじて朝食の支度を済ませてしまったことを気にかけていたようだ。キッチンから流れ込んでくる朝食の香りに、悪いな。と、ベッドを出れば、これでおあいこですよ。微かに口元を歪めながら、彼は寝室を出て行った。
　服を着替えて、情交の跡がはっきりと残るシーツをベッドから剥がす。とはいえ、今日のマサキには洗濯機を回している暇はなかった。久しぶりの任務。お使い程度の軽い内容であろうとも、魔装機神の操者に戻してもらえたことがただ嬉しい。抱えたシーツを脱衣所の籠に放り込むだけにして、マサキはキッチンに向かった。
「いつくっつくと思います？」
「一生くっつかない気がするんだニャ」
　そのついでとリビングを覗き込めば、二匹と一羽の使い魔が点けっ放しになっているテレビの前で話をしているのが目に入る。今流れているドラマの話だろうか？　朝から放送するには少々刺激の強い場面が映っているテレビに視線を向けながら、少しだけならば影響もないだろうと、マサキは彼らの会話の続きに耳を傾けた。
「マサキがあんニャに好き好き光線出してるのに、ニャンニャのよ。あニャたの主人ったら！」
　どうやら聞いてはいけない話を耳にしてしまったようだ。マサキはそうっとリビングの入り口から身体を離し、なるべく気配を殺しながらキッチンへと向かった。ああいった会話を止めようとした結果、更に火に油を注ぐ結果となったことは数知れずない。特にリューネだ。彼女は何故か昔から、マサキとシュウの関係を――特にシュウの気持ちを疑っていた。
「……そんなことはないのにな」
　思わず言葉にしてしまった独り言が重い。昨晩の彼に付けられた紅斑が疼くも、さりとてそれ以上のアクションを起こしてくることのない男。やるせない。好きとも嫌いとも口にすることなしに、身体ばかりが馴染んでゆく関係は、やはりセックス・フレンドと称するのが一番しっくりくる。
　幸い、マサキの声は届いていなかったようだ。先にダイニングテーブルに着いているシュウは、タブレットＰＣで何某かのデータを読み込んでいる最中だった。その向かいに腰を落ち着けたマサキはテーブルの上に目を遣った。
　スコッチエッグにジャーマンポテト。厚切りのベーコンが一枚。インスタントのカップスープに、コーンサラダ。マサキがここに来るまでは悲惨な食事事情だったらしい男が作ったにしては豪勢な朝食。やれば出来るものですね。いつかシュウが云っていた言葉が思い出される。
　きっと元々器用な性質であるのだろう。
　タブレットＰＣから顔を上げたシュウが、食べますか。と尋ねてくる。ああ、とマサキは答えて、目の前のプレートにフォークを伸ばした。何をさせてもそつなくこなしてみせる男は、料理においてもその才能を如何なく発揮している。少々薄い味付けではあったが、それは彼の嗜好を反映させたものであるようだ。素材の味がわかる方が好きなのですよ。これもまたいつかの彼が口にした台詞だ。
「お前は今日、どうするんだ」
「地上に出て、追加のデータを探す予定ですよ。もしかすると帰宅が遅くなるかも知れませんが、その場合は適当に食事を済ませておいていただけると有難いですね。昨日の今日ですし、なるべく早く帰宅して食事の支度ぐらいはしようと思っていますが」
「何だ。ならセニアもお前に頼めばいいのにな」
「私は高く付きますからね。借りを作りたくはないのでしょう。それに、マサキ。これはあなたのリハビリでもあるのですよ。そして地上での過ごし方を経験する訓練でもある。セニアがどこまで考えて今回の任務をあなたに回したのかはわかりませんが、地上に出る機会の多いあなたです。数時間とはいえ、Ωとしてひとりで地上に出る。この機会を生かさない手はありません。Ωがどういった視線で見られ、どういった扱いを受けるのか、肌で感じてくるといでしょう。何か起こってしまった場合に、自分の力で対処出来るようになる為にもね」
　ああ。とマサキは力強く頷く。
　シュウとウエンディがどういった研究に今後手を付けてゆくのかマサキにはわからなかったが、それがどういった結果となろうとも、マサキのΩとしての生は続いてゆく。第二世代とはいえαであるシュウがマサキを噛まないのであれば、マサキは自分の力で己の身を守らなければならないのだ。そうである以上、シュウが云うように地上で過ごすことにも慣れていかなければ。　
　それにしても――マサキは食事を続けながら、先程の使い魔たちの会話を思い返した。シロとクロ、二匹の使い魔から見て、自分の態度はそんなにもあからさまであるのだろうか？　もしそうだとしたら、シュウはマサキの恋心を利用して肉体関係を続けていることになる。
　それでも、恋しい。
　シュウがどういった男であるか、マサキは誰よりも知っている。時に冷酷で、時に冷淡で、そして時に厳格で、けれども時に温かい。そのほんの時々、恵みの雨のように与えられる優しさが、シュウ本人をして我知らず他人を狂わせていくのだ。そう、マサキが彼に対する想いを捨てられずにいるように。
　もしマサキがΩでなかったら、そして今回のように彼に救われることがなかったら、マサキは彼に対して恋心を抱いただろうか？　マサキはこれまでの自分たちの関係を振り返った。
　顔を合わせれば些細なことで険の立つ間柄。ありきたりな会話が嫌味や皮肉の応酬に変わるのは日常茶飯事だ。だのに戦場に於いては誰よりも頼もしく映る味方。広大なこのラングランの土地で、偶然にも顔を合わせる機会に矢鱈と恵まれる相手であるシュウは、マサキにとっては仲間や味方と云うより腐れ縁で結ばれた相手と呼ぶのが相応しい。
　信用はしきれないが、信頼は出来る。
　友人程気安くは付き合えないが、さりとて知人と呼ぶ程軽い付き合いでもない。けれども今思えば、徐々に距離を縮めつつあった仲であったのには違いない。彼はマサキを頼ることをするようになったし、手を差し伸べてくるようにもなった。行きずりの会話も、徐々にその時間を長くするようになっていたし。時にはお互い踏み込んだ内容を口にするようになっていた。それは彼自身の態度の変化に因る部分も大きかったが、マサキ自身の態度の変化に因る部分の方が大きかっただろう。
　世の中には人智を超えた力がある。
　マサキは認めたのだ。彼は純粋に世に仇なす人間ではないと。
　咎人として世に背を向けて生きざるを得なくなった彼は、だからといってその罪状に甘えて生きるような真似はしなかった。自らの誇りを傷付けた存在を彼は赦さない。果敢に目の前の問題に立ち向かっていく彼は、それと知らずに自身の身の潔白を証明していったのだ。その、彼の迷いを知らぬ姿勢はマサキを変えた。善意にも悪意にも染まらない矜持。彼が胸に抱いている思いの片鱗を彼の行動から読み取ったマサキは、彼に対する先入観を捨て去った。
　まるで宵闇の海原を先導する船のように、マサキが選び取った道の少し先で待っている彼に、マサキが少しずつ素直さを露わにするようになっていったのは、そうした経験を経て、彼が自らに近しい魂を持っていると感じ取ったからであるのだ。
「なあ、シュウ」
　片手でタブレットＰＣを操作しながら食事を続けているシュウに声をかければ、どうしましたと顔を上げる。端正な面差し。彫刻のように整った顔立ちの中にある瞳が、柔らかくマサキを見詰めている。
「お前、俺がいて迷惑じゃないか」
「どうしたのです、突然に」
「いや、ほんの少しで決着が付く話だと思ってたんじゃないか？　それがこんなに長引いちまって」
「そうしたことを気にするぐらいなら、あの場からあなたを連れ帰るような真似はしませんよ」
　そうは云えど、彼がマサキの問題解決の為に奔走しているのは事実である。話し合いの場に同席するに始まり、病院に同行し、データを集め……持てる時間のほぼ全てをマサキの為に使っているシュウに、借りばかりが増えてくな。マサキが云えば、深く気にすることはありませんよ。シュウは嗤った。
「抑制剤の新薬開発は私自身も興味があってしていること。全てを貸しにするつもりはありません」
「そういう訳にはいかないだろ」
「これだけ家を整えてくれただけでも、充分ですよ。あなたの働きには感謝しています」
　マサキには何となくわかった気がした。貸しだ借りだと云ってみせる彼は、その貸しを返されることは期待していないのだ。でなければどうして、最も労力のかかる新薬開発を貸しにしないなどと云えたものか。
　世の中には他人の施しを受けることを良しと出来る人間もいれば、逆に気に病んでしまう人間もいる。シュウはわかっているのだ。マサキが後者の人間であることを。だから彼は貸しを貸しとして、自分の求めに応じて返せと口にした。それは、そうすることでマサキの心を軽くはしてやれると彼が考えているからでもある。
　勿論、シュウのことだ。そういった単純な理由だけではないのだろう。
　彼には絶大なる能力がある。かつての立場にしてもそうであったし、頭脳にしてもそうだ。魔術の能力、剣技の能力……数え上げればきりがない程に、彼は才能に恵まれている。そうした自らの能力に下心のある人間を、効率良く退けるにはどうすればいいか。彼が貸し借りに言及してみせるのは、安易に自らの力を貸すことはないという宣言であった。そう、そうすることで彼は、自らが力を貸す人間を“選別”しているのだ。
　胸が騒ぐ。
　寝食をともにするようになって見えてきた彼の本当の顔。絡まった糸を｜解《ほぐ》していくように、ひとつひとつ明らかになってゆく。人を突き放したような物言いとは裏腹に、｜懇篤《こんとく》な人柄。それは、彼の懐に飛び込まなければ見えてこないものでもある。
「まあ、どうしても返したいというのであれば、自分で考えてくださって結構ですよ。私から今後、特に要求することはないでしょうしね」
　それよりも、とシュウは言葉を続けた。
「緊急抑制剤は忘れずに持って行きなさい、マサキ。あれはあなたの身を守る大事な薬なのですから」
　ああ。と、頷きながらも、釈然としない思い。
　発情期のみならず、平常時においてもマサキを平然と抱いてみせる男が、身を守ることを説くことの滑稽さ。噛むことをしない彼は、自分がマサキの身の安全を脅かす存在であるという自覚はないのだろうか？　マサキは食事を続けながら、胸に穴が開いたような寂しさを感じていた。
　恋心は複雑だ。ただただ真っ直ぐな愛情を相手に捧げられれば幸福だが、必ずしもそうしていられ続けるとは限らない。欲もあれば、嫉妬もある。悦びもあれば、悲しみもある。正と負の感情が交互に生まれてくる胸の内に綺麗事は通用しない。けれども変わらない想い。マサキはシュウに噛んで欲しいのだ。そして番となって、彼に縛られていきたい。けれどもそれが不可能である以上、マサキは自分の身を守らせてくれる相手を他に見付けなければならなかった。
　肉欲が生み出した恋心は、他人を知れば変わるのだろうか？
　答えの出ない問いを胸に抱えたまま食事を終えたマサキは、少しだけリビングで寛いだ後に二匹の使い魔とともに家を出た。何日ぶりのサイバスターの操縦席は、以前と比べて硬くなったように感じられる。シートに腰を収めたマサキは、改めて今日の任務のデータを確認した。
　ラ・ギアスより地上に流出した技術書の受け取り。言葉にすれば簡単だが、そこは地上と異なる進化を遂げている地底世界の技術書である。勿論、ただの技術書ではない。そこに記されているのは、地上におけるロストテクノロジーの再現方法だ。地上人が何世紀かけても復元できなかった技術の全て詰まった書。地上世界にその内容が流出しようものなら、彼らの常識は一夜にして引っ繰り返ることとなるだろう。
　幸い、地底世界の言語で記されているだけあって、そもそもの文章の解読さえもされていないようであったが、今後もそうであり続けるとは限らない。そうである以上、技術書の回収は急務であった。
「任務も久しぶりニャのね」
「迷わニャいようにしニャいと」
　どこか嬉しそうに映る二匹の使い魔に、彼らが抱えていた退屈の度合いを知る。
　人間の手助けをする為に生み出されし、使い魔。練金学の隆盛で数を少なくした彼らは、だからこそ、その意義の許に人間に忠実に生きている。それを普通の愛玩動物と同じように過ごさせてしまった。少しばかりの申し訳なさを感じながら、マサキはサイバスターの｜起動準備《セットアップ》を開始した。
　唸る動力炉。身体に響いてくる振動が心地いい。
　技術書の受け渡しは馴染み深い軍事施設が近くにある街で行われる予定だ。そうそう簡単に迷うことはないと思いたいが、病的な方向音痴である自分のこと。何処にどういった形で迷い込むかはわかったものではない。マサキは自らの能力を過信しないことに決めた。約束されている時間には余裕が大分あったが、見知った顔も多い場所だ。彼らと積もる話に花を咲かせていれば、あっという間に時間が過ぎることだろう。
「それじゃ、行くか。単独で地上に出るのも久しぶりだな」
「でも、寄り道はしちゃ駄目ニャのよ、マサキ」
「まだいつニャにが起こるかわからニャいし、気を付けるに越したことはニャいんだニャ」
 ああ。マサキは頷いて、コントロールパネルに手を置いた。しっくりと手に馴染む感覚。嗚呼、やはり自分がいるべき場所はここであるのだ。感慨深い思いに捉われながら、転送プログラムを呼び出す。
　歪む世界。混じり合って溶けてゆく世界の向こう側に、九日ぶりの地上世界が姿を現した。

　※　※　※

「おやおや、地上に行くのではなかったのですか、ご主人様。掃除に手を付けるなんて」
　一足先に地上に出たマサキを見送ったシュウは、彼にばかり任せている家事に手を付けることとした。家が空いてしまうこともあり、洗濯物を外に干すのには無理があったが、折角彼が綺麗に整えてくれている家である。掃除ぐらいはしておくべきだろう。何より、彼にとっては久しぶりの任務で、久しぶりの外出なのだ。きっと気分も高揚しているに違いないだろうに、帰宅後に乱れた家を見せてしまうようでは、何の為に彼を保護したのかわからなくなってしまう。
　彼は義理堅くも几帳面な性格であるのだ。
　一飯一宿の恩を返す為に家事に手を付け、それ以上の借りに関しては、改めて返す意思があることを口にする。独立独歩で生きてきた彼らしい。尤も、彼からすればそれだけが理由ではない。顔を合わせれば厄介事を引き受けさせられる相手。マサキにとってシュウ＝シラカワという人間は、極めて借りを作りたくない相手である。
　シュウは最初の内こそ貸しにすると口にしたものだったが、マサキと肉体関係を結んでしまった今となっては、そういった気持ち持つことそのものに烏滸がましさを感じるようになっていた。
　マサキの身体を好きに扱っている。善人ぶるつもりなどないシュウは、自らがどれだけ良識を捨てた振る舞いに及んでいるかを自覚しているのだ。彼の肉欲に付け入るようにして、自らの欲を果たし続けている自分。それでどうして貸しだ借りだと口に出来たものだろう。シュウは性行為におけるマサキの初めてを様々に奪い尽くしているというのに。
　ひとつ欲が満たされれば、次の欲が生まれるのが、欲深い人間という生き物だ。
　近頃のシュウは稀にこう夢想してしまうようになっていた。もし彼が自分との間に子を儲けるようなことがあったとしたら……主義主張を捨ててでも見てみたいと思う未来。シュウは自らの血筋を自らの代で終わらせたいと考えるような人間であったが、自分自身に対する愛情までもを捨ててしまおうと思う程に厭世観の強い人間ではないのだ。
　ましてや恋なす相手が産み落とす子である。どうしてその子を祝福出来ないなどと思えたものだろう？
　その子はどれだけの才能を有してこの世に生れ落ちてくるだろうか。その子に自分たちはどれだけの技術を授けてやれるだろうか。優生主義者たちのことを笑えないまでに、夢に溺れる自分。愛おしい存在が出来るということは、こんなにもエポックメイキングな出来事であるのだ。シュウは一般的な人間が持つ幸福観を自らもまた有していたことに、限りない安心感を抱いた。まるで穴の開いたパズルの最後のピースを嵌め込んだように、いつも心の何処かに感じていた疎外感が埋まってゆく。幾つもの才能に対する自信を鎧に弱さを覆い隠してきたシュウは、マサキの存在を足掛かりとして、自らが成りたい存在が世界に唯一無二の立場にはないことを知った。
「帰ってきたマサキが家の掃除を始めないようにですよ、チカ。久しぶりの任務ですしね。今日ぐらいはゆっくり過ごさせてやりたいでしょう」
「お優しいのは結構なことですが、その動機はなんつーか……既にご主人様とマサキさんって夫婦同然な気がするんですけど、それでもご主人様はマサキさんを噛む気はない？」
「ありませんよ。それが私がマサキにしてあげられる唯一の優しさでしょう」
　シュウは絶対にマサキを噛む訳にはいかないと思いを新たにした。欲深い自分が彼を支配してしまったら、その先には何が待ち受けているか。自らの性格を熟知しているシュウは、その未来を見た。抑えきれない欲の赴くがまま、彼を蹂躙したシュウは、必ずや彼を懐胎させることだろう。そう、マサキの意思など構うことなく。
　もしかすると、これこそがαの本能であるのやも知れなかった。
　子孫を残す。
　Ωが産み育てる性であるのならば、αは産ませる性であるのだろう。発情期と｜急性発情期《ヒート》。噛まれる側と噛む側。支配される側と支配する側。番という単語に象徴されるように、Ωとαの結び付きは、一般的な婚姻関係とは異なる強固な結び付きだ。それぞれの性をマサキと自分が有していることを、シュウは運命などとは思わなかったが、始まりは敵同士であった自分たちの身に振り掛かった数奇な出来事に、皮肉な巡り合わせもあったものだとは思う。
「本ッ当に、ご主人様って強情ですね！　毎晩のようにセックスしておいて、まだ噛まないのが優しさだなどとぬかしやがる！　いやはや、困った方ですよ。あたしたちがどれだけやきもきしてるかご存じでない？」
「あなたはマサキの使い魔にまで、よからぬことを吹き込んでいるのですか」
「まさか。幾らあののんびり屋の二匹の使い魔でも、主人の異変には気付いているってことですよ」
「何か云っていましたか」
「おやおや、ご主人様ともあろう者が、他人の評価を気にするような真似ですか？」
　肩を竦めてみせたシュウに、チカが勝ち誇ったような笑い声を上げた。
「だったらいっそ無視しきってみせればいいものを。まあ、今回は特別に教えてあげますけれど」
「そう云われると聞きたくなくなるのですよ、チカ。確かにあなたの云う通りだ。他人の評価を気にするなど私らしくない。どうすべきか決めている以上は、それを貫くまででしたね」
「いーや、そう云われれば聞かせたくなるのが、あたくしって使い魔です！　さあさあさあ、耳の穴をかっぽじってよーくお聞きくださいな！　あたしたちがしていたのは、どう考えてもご主人様とマサキさんは両想いにしか見えないって話ですよ！」
　耳元でがなり立てられた言葉に、シュウの胸が騒ぎ立った。
　噛みたい。
　噛んで彼を支配に置きたい。偶に襲いかかってくる衝動が、今またシュウの胸を占めた。彼のうなじを覆う首輪を外して、滑らかな肌に歯を立てたい。その瞬間から、彼は永遠に自分だけのマサキ＝アンドーとなる。これに胸が騒ぎ立たない筈がない。
「それでもまだ噛まないと仰いますか、ご主人様！」
「あなたはマサキが私の子どもを産むところが見たいのですか」
「あらまあ、これは病膏肓。恋の病は人を変えるんですね。あれだけご自分の血筋を残すことを嫌がっていたご主人様が、そんなことを口にするなんて。だったら云います。見たいですよ！」
　そうですか。そう云って、シュウはマサキに与えた部屋に足を踏み入れた。一日の大半を他の部屋で過ごしているマサキの部屋は、こまめに掃除されているだけあって、家具を運び入れた時のままの真新しさに満ちていた。特にベッドに至っては、殆ど使われていないからだろう。家具屋のショーウィンドウに飾られているような新しさだ。その中にあって、唯一、彼の使い魔が気に入ったらしいペットベッドだけが使いこなされた跡を残していたが、大きさ的にそこまで手のかかる家具でもない。
　この様子なら掃除は直ぐに終わるだろう。シュウは家具の埃を落としにかかった――と、ミニテーブルの上に置かれている薬に目が留まった。抑制剤に、人工中絶薬、そして緊急抑制剤。渡した時の数を思い出しながら、その数を数えてみれば減っている様子がない。どうやらマサキは緊急抑制剤を持っていくのを忘れたようだ。
　嫌な予感がする。
　何もないに越したことはないが、万が一のこともある。緊急抑制剤を手に取ったシュウは掃除を中断すると、主人の肩を離れてクローゼットの上にとまっているチカに声をかけた。「地上に行きますよ、チカ。マサキを追わなければ」

　※　※　※

　移動距離はそこそこあったものの、幸いにして迷うことはなかった。
　懐かしい顔を尋ねるふりをして軍事施設を訪れたマサキは、彼らと充分に歓談の時間を取った後に、サイバスターをその場に残して街に出た。機密の塊であるサイバスターを軍の格納庫に置いて行くのは不安もあったが、二匹の使い魔に任せてそこいらに待機させておくよりは圧倒的に安全が確保出来る。それに軍事施設であれば、万が一に何かが起こったとしても、責任の所在を明らかにし易い。セニアにしてもそういった事情を加味して、受け渡し場所を決めたのだろう。
　事情を知らない彼らには、マサキの首を飾っている首輪は新鮮に映ったようだったが、しかしこれまでなかったアイテム。通常のΩがもっと早い年代から首を守りにかかっていることもあって、彼らはファッションと云い張ったマサキの言葉を信用してくれたらしかった。深く追及されることなく済んだのは、説明や嘘の苦手なマサキには有難い。お陰で安心して街に出られるというものだ。
「いつものことだが、口は利くなよ」
　マサキの言葉に頷いてみせた二匹の使い魔を連れ歩きながら、街の中心地に向かう。傍目には猫二匹をリードもなしに散歩させているように映るからだろう。度々、通行人から微笑まし気な視線が向けられる。情報化社会では仕方のないことでもあったが、不躾にも断りなくスマートフォンのカメラを向けてくる者もいた。
　今日の地上はなんだか蒸し暑い。辺りには装いが夏向けの人間もちらほらといる。空は白い雲がぽっかりと浮かんでいるような好天。それならとマサキはジャケットを脱いだ。
　二十分程歩いたところで、目的地に辿り着いた。街の中心部にある公園は、昼下がりも過ぎて、休憩に訪れる会社員が減ったからだろう。青々とした緑繁る広大な敷地にはまばらに人が点在しているのみだ。彼らはベンチで陽を避けたり、芝の上に寝転がったりと、めいめいに都会のオアシスでの時間を過ごしていた。
　受け渡しの場所に指定されているのは西口近くの時計塔だった。今日のマサキは勘が冴えているのだろうか。そこまで一度も迷うことなく辿り着けた自分に驚きながらも、待つこと十分。セニアの命を受けて地上で活動している情報局の局員より無事に技術書を受け取ったマサキは、ここまで動き詰めだった疲労感を癒すべく、手近なベンチに腰を下ろした。
「トレーニングをサボってるからニャのよ」
「本当ニャんだニャ。帰ったら筋トレニャんだニャ」
　久しくまともな活動をしてこなかったことが災いしたようだ。日長、シュウの家で家事ばかりでは、大した運動量にはなっていなかったのだろう。思った以上に疲れやすくなっている自らの身体に、不甲斐ないと思いつつも、考えねばならないことにかまけて身体を動かしてこなかったのは事実。今後は少しずつ任務も増えてゆくことだろう。その時に備えて、きちんとトレーニングにも励むようにしなければ。疲労感が和らいだところでベンチを立ったマサキは、来た道を戻り始めた。
　暑い。
　夕暮れに向けて陽射しが弱まりつつはあったものの、それでもじんわりと汗を掻くような暑さ。はあ。マサキは大きく息を吐いた。ここまで保っていた緊張感が、任務の第一段階を終えたところで切れてしまったのだろう。シュウに甘えた生活を送っていた皺寄せがきたに違いない。マサキは立ち止まると、自らの不甲斐なさに歯噛みするような思いで芝の匂いを嗅いだ。
「Ωじゃねーか」
　耳に飛び込んできた言葉に心臓が逆立った。声のした方向を振り返れば、そう離れていない場所に見るからに柄の悪い男が三人立っている。サングラスに、山ほどのピアス。タトゥー、スカジャン、金チェーンのネックレス。マサキとは本来交わることのない人種だとひと目で知れる彼らは、迷いを見せることなく真っ直ぐにマサキの許へと歩んでくる。
　マサキ。と二匹の使い魔が不安げにマサキを見上げてくる。逃げなければ。マサキはそう思うも、驚く程に脚が重い。何が起こっているのか。マサキは棒立ちのまま、男たちが近付いて来るのを見詰めていた。
「おいおい坊主。そんな甘ったるい匂いをさせて、どこに行くつもりなんだァ？」
　その言葉にマサキは、ようやく自らの身体に起こっている異変に気付いた。
　発情期。陽気の所為にしていた熱さは自らの身体の火照りであったし、暫く身体を動かしていないことからきていると思っていた疲労感は倦怠感であった。甘ったるい匂いの源については何を況や。不定期に訪れるマサキ最大の｜弱点《ウィークポイント》は、ここにきて盛大にその牙を剥いたのだ。逃げなければ。本能的な危機感を覚えたマサキは公園の出口に身体を向けた。
「待てよ。飢えてんだろ。俺たちと遊ぼうぜ」
　掴まれた腕を力任せに振り払って走り始める。いつもよりも出ないスピードをもどかしく感じながら、二匹の使い魔とともに街の中へ。人混みの中に紛れれば、彼らも追ってはこれない筈だ。そう思いながら走る。
「随分｜鈍《のろ》い足だなァ。追い付いちまうぜ。ほぅら」
　だのに彼らは三人揃って恐れることなくマサキを追いかけてくるではないか。冗談じゃない。マサキは必死に人混みを掻き分けて先に進んだ。捕まればどういった目に合うかは火を見るよりも明らかだ。嫌だ。Ωであるという現実はこういった事態に直面させるものでもある。わかってはいたが、いざ急場に追い込まれると混乱が先に立つ。
「マサキ、早く！」
「こっちニャんだニャ！」
　二匹の使い魔はしなやかな身のこなしでどんどん先に進んでゆく。だのにマサキの脚は思うようには進まない。それどころか人混みを掻き分ける手からも力が奪われてゆく。助けを求めたいが、上手く言葉を吐けるだけの力が腹筋に込められない。技術書だけは死守しなければ。全身に重しを乗せているような倦怠感に襲われながら最後の理性で技術書を抱える腕に力を込めた。熱い。そして苦しい。このままではそう遠くない内に、あの状態が訪れるに違いない。
「つーかーまーえーたァ……」
　再び掴まれる手。強く手首を握り締めてくる男の手を、マサキは今度は振り払えなかった。
　息が上がり、全身が疼き始める。掴まれている手首に走る微弱な快感に肩が揺れた。強い嫌悪感を感じている心とは裏腹に、身体は高まりを見せ始めている。次いでどぷりとアナルから愛液が溢れ出てきた。マサキは激しく混乱した。何で、どうして。そんなマサキの混乱を余所に、残ったふたりが前方に回り込んでくる。
　周囲の人間は関わり合いになることを避けたいのか。知らぬ顔をして通り過ぎてゆく人間ばかりだ。彼らの中には匂いでマサキがΩだと気付いた者もいるだろう。もしかすると、その辺りも彼らの無関心な態度に関係しているやも知れなかった。迂闊に近付けば、この三人の男たち同様に心を狂わされる。発情期のΩとは社会の秩序を乱す存在であるのだ。
「何だァ、そんなに目を潤ませちまって」
「もう欲しくて仕方がないんだろ。たっぷり可愛がってやるって」
　空気さえも身体に障る。三人の男たちに囲まれたマサキは、進行する発情期の症状に、その場に座り込むしかなくなってしまっていた。
「仕様のねえΩだなァ。ほら、立てよ。そこの奥で可愛がってやっからよォ」
　手を強く引かれたマサキの腕から、ばさりと技術書が落ちた。これまでか。マサキは深い絶望感に囚われながらも、事態を打開できるだけの気力が振るわない己の身体に諦めて目を伏せた。
「マサキ！」
　そこに吹き込む一陣の風。疾風の如き素早さで飛び込んで来た二匹の使い魔が、それぞれ男たちに飛びかかる。顔を、手を、爪で引っ掻く二匹の使い魔に、「何だァ!?」声を上げた男がマサキから手を離す。「今よ、マサキ！」そうは云われても、最早身体は動きそうにない。
「てめぇ、この……！」
　ドンッ、と鈍い音を立てて振り払われたクロが地面に転がった。次いでシロの身体が別の男に掴まれる。ニャにしやがるんだニャ！　暴れ回るシロを、男がクロ同様に地面に叩きつけようとした――その瞬間だった。
「私の連れに何の用ですか」
　ぷんと匂い立つ香りとともに、静かながらも凄味のある声音が辺りに響き渡った。
「何だァ、お前……」
　白い衣装の裾をひらめかせながら、シュウが近付いて来る。
　端正ながらも隙のない鉄仮面。表情のなさが恐ろしい。
　けれども彼の恐ろしさを男たちは知らないのだろう。メディアに大々的に報道された事件も、時が過ぎれば風化してゆく。いや、この男たちにとっては世界の危機も、関係ない世界の話であるのやも知れない。
　いずれにせよ、彼が指名手配犯だと知らない人間からすれば、シュウはすらりとした長躯の優男。その見た目から彼が有する豊かな能力を察するのは難しいことであっただろう。男たちがシュウを甘く見たのも無理はない。
「首輪に鎖も繋がずに、連れだと云われてもなァ」
　顔を寄せて絡みにゆく男の腹部にシュウが手をかざした。放たれる魔力が男の身体が吹き飛ばす。一瞬の出来事に何が起こったか理解が及ばないといった表情で宙を舞った男は、ビルの壁面に背中を打ち付けたかと思うと、そのまま地面へと沈んでいった。
　その男に目をくれることもなく、「連れだと云いましたが」そう云い放ったシュウが、残ったふたりに目を向ける。
「理解が及ばないのであれば、及ぶようにするまで。但し、二度は云いません」
　背筋が凍るような冷ややかな眼差しが男たちを貫いている。変化に乏しい表情に、平坦な声。彼がこの状況に怒りを感じているのは明らかだった。
「下がりなさい」
　一拍置いてシュウの口から放たれた言葉に、くっ、と男たちの口から声が洩れた。最初の一撃の衝撃の大きさに、敵わぬ相手と見取ったようだ。ふたりは顔を見合わせると、お互いの意思を認めたのだろう。シロを手放すと、シュウを一瞥してから、倒れ伏している男の許へと駆け寄って行った。
　そうしてそのまま男の身体を抱え上げると、足早にその場を立ち去ってゆく。
　何故シュウがこの場に姿を現したのかはさておき、助かったのには違いない。男たちの姿が路地裏に消えてゆくのを見送ったマサキは、身を焦がすような疼きの中、先ずは技術書と地面に転がっている書を手に取った。
「クロ……無事か……」
　次いで近くにて倒れ伏しているクロに声をかける。
　どうやら無事であるようだ。ゆるりとその目が開く。ぷりぷると身体を震わせた彼女は、のそりと身体を起こすとマサキの許へと歩んできた。マサキ！　その後ろからシロもまたマサキの許へと駆け寄ってくる。
「大丈夫ニャのよ。マサキこそ、平気ニャの？」
「平気な筈がないでしょう」目の前に屈んだシュウが、手にした薬をマサキの口元に押し付けてくる。「とにかく先ずはこれを。副作用の酷い薬ですが、この状態であなたをこの人混みの中に置いてはおけない。飲みなさい、マサキ。緊急抑制剤です」

　※　※　※

　頭痛に吐き気と眩暈。副作用で身動きままならなくなったマサキをグランゾンに乗せ、軍事施設からサイバスターを引き取ったシュウは、そこから地底世界に戻り、セニアの許に技術書を届けに向かった。
「技術書が無事に受け渡せたのは良かったけれども、先行き明るくない話ね」
　情報局で執務に勤しんでいた彼女は、シュウの話を一通り聞き終えると、溜息とともにそう吐き出した。
「あまり長くマサキとサイバスターを欠いた状態を続けたくはないのよね。最近、またキナ臭い話を聞くようになってきてるし」
　無理もない。ようやく軽い任務であればさせても問題ないと判断して任せた矢先にこの騒動である。これではマサキの復帰はいつになることか。ラングランにとって魔装機神の一体を欠いている状態は、対外的に働く抑止力を欠いているのと同義。国防を任されているセニアとしては、こうした状態が続くのは歓迎出来ないだろう。
　マサキに頻発する発情期が、いつになれば通常のペースに落ち着くようになるのかは、専門家ではないシュウにはわかりようもない。そもそも専門家からして原因を特定出来ていないのだ。だというのに――シュウは緊急抑制剤を持たずに出て行ったマサキの認識の甘さに、腹立たしさを覚えずにいられなかった。日を開けている以上、今度こそと思うのは無理なきこととはいえ、あまりに杜撰に過ぎる。今回はシュウが気付いたから良かったものの、あのままマサキがひとりで事態に対処していたとしたら。
　激しい嫉妬がシュウを襲った。
　乱れ喘ぎ、求めるマサキの姿を、これだけ肌を重ねてきたシュウがどうして他人に晒したいと思えたものか。切なげに欲しいと訴えるマサキの顔が思い浮かばれる。手放したくない。いずれふたりの肉体関係には終わりが来ると思っていても、いざ危機を目の前にすればこれだ。シュウは自らの浅ましさと都合の良い考え方に、自分のことながら吐き気を催しそうになった。
「確かにあなたの憂いも尤もですよ、セニア。こうも頻繁に発情期が起こってしまうようでは……これではこちらへのマサキの戻りが遅くなるばかり。このままの状態が続くようであれば、本人が戻りたくないと云っても、プレシアの許に戻して彼女に任せるべきかとも思いますね」
「でも本人は戻りたくないのでしょう。あたしとしては、そこは当人であるマサキの意思を尊重してあげたいところだけれど」
「見せたくない姿であるのは確かですが――」
　彼から立ち上る甘い香り。α抑制剤を服用しても変わらずに鼻に突き抜けてくるマサキの匂いは、シュウの心を激しく乱した。それでも不埒なならず者たちを退けられたのは、飛んだ理性が彼らに対する暴力的な衝動に置き換わったからだ。
　今となってみれば、あの状態でよくぞマサキに急性抑制剤を飲ませられたと思う。
　それだけマサキが放つ性フェロモンの香りは強烈だ。十数メートル離れた先まで漂ってくる甘い芳香……花の蜜を凝縮したような甘ったるさは、様々なトランス体の心を乱したことだろう。彼を遠巻きにするする人の群れは、それ以上近付けば自分たちもならず者と同じ道を辿るとわかっていたからだ。
　幸いにも、あれだけの人いきれでありながら、傍にαはいなかったようだ。彼らが側にいようものなら、マサキは往来の只中で理性を失った彼らに犯されていたに違いない。
「そんなにマサキをどうにか出来る自信がないの？　｜練金学士協会《アカデミー》まで動かしておいて。気弱になるなんて、あなたらしくないじゃないの」
　けれどもそうしたマサキの姿を目の当たりにしていない人間からすれば、発情期とは盛りの付いた獣、ぐらいの認識でしかないのだ。セニアが時に事態を軽んじた台詞を吐くのも、そういった考えからくるものであるのだろう。
　仕方のないこととはいえ、シュウにとって自身が第二世代のαであることはあまり公にしたい情報ではない。その情報を知った彼の仲間たちは、きっと様々な手を使ってマサキをシュウより引き離すだろう。それは肉体関係を案じてだけのことではない。マサキが噛まれることによって、シュウの支配下に入ってしまわないか。それは彼の人生のみならず、魔装機神の今後の在り方にも関わってくる事態であるのだ。
「今日、明日で直ぐに結果が出る訳ものではないのが、研究というものですよ。特に人間の身体に関わるものは、倫理的な観点から研究方法が限られますしね。私の研究の完成を待っていたら、いつまで経ってもマサキはこちらに戻れなくなってしまう」
「これでもあたしはあなたの能力を信用しているのだけど」
「善処はしますが、マサキが私の許にいる期間に区切りは付けた方がいいでしょう。マサキにはまた改めて、その辺りをどうするか考えさせますよ」
　云ってグランゾンに戻ったシュウは、コントロールルームの隅に座り込んでいるマサキの様子を窺った。どうやら幾度か吐いたようだ。渡したエチケット袋が膨らんでいる。マサキ。シュウはマサキの名を呼んだ。ぐったりと目を伏せているマサキは起きてはいるようで、何だ……と、薄く目を開くと力なく言葉を吐く。
　セニアに技術書を渡したことを告げ、いつまで自分の許にいるつもりでいるのかを確認する。マサキとしてはやはり乱れた姿をプレシアに見せたくないのだろう。発情期が定期的に訪れるようになるまでは――と、呻くように口にする。
「そうは云っても、無限に私の許にいる訳には行かないでしょう。期限に区切りを付けるべきだとは思いますが」
「わかってるよ……」
「今直ぐにとは云いませんが、その辺りのことも考えておいてください」
　云いたいことは他にも幾つかあったが、副作用に苦しんでいるマサキの耳に入るとは思えない。行きますよ、チカ。シュウはチカを呼んだ。彼の二匹の使い魔はコントロールの為にサイバスターに乗っている。彼らに変わってマサキの様子を窺っていたチカが、返事とともに計器類の上にとまった。
　グランゾンを起動し、サイバスターを牽引しつつ王都を去る。
　州境を越え、一路、自宅へ。
　その道中で副作用も大分落ち着いたようだ。辛そうなのに変わりはなかったが、吐くことはしなくなったマサキを抱えて、シュウは玄関を潜った。眩暈で頻繁に脚をもつれさせるマサキに苦心しながら彼の部屋に向かう。二匹と一匹の使い魔に見守られる中、彼をベッドに寝かせたシュウは、ミニテーブルの上にあった抑制剤の数を数えた。
　まさかとは思ったが、数が合わない。
　十日近く抑制剤を服用している割には、発情期の効果が強過ぎる。そのシュウの感覚は合っていたようだ。それまで薬を飲む習慣がなかったからだろう。飲み忘れていると思しき抑制剤の数に、シュウは溜息を洩らさずにいられなかった。
　緊急抑制剤を持って行くのを忘れたばかりか、普段の薬にも飲み忘れがあるとなっては、むしろよくぞ無事に戻って来られたと云うしかない。シュウはベッドサイドに腰を下ろして、マサキの顔を見下ろした。はあ、と熱い吐息がその口元から洩れる。
　うっすらと漂ってくる甘ったるい香り。どうやら早くも緊急抑制剤の効果が切れつつあるようだ。
　この状態のマサキを側に置いておくのは、シュウにとっては常に自制心を試されているようなものだ。噛みたい。今また胸に強烈に湧き立った衝動を抑え込んで、シュウはベッドに深く身体を沈めているマサキに、感情任せに言葉をぶつける。
「何か私に云うことはありませんか、マサキ」
「迷惑をかけて、悪かった……」
　先ずその言葉が出てくる辺り反省はしているようだが、シュウが聞きたいのはそういったことではない。何故こうなってしまったのかの原因をマサキが把握しているか否かなのだ。シュウはミニテーブルから抑制剤を取り上げた。そして、マサキの目の前にシートをちらつかせながら言葉を続けた。
「数が合わないのはどういうことです」
「……飲み忘れたことが何度かあって」
「これは発情期の諸症状を抑える大事な薬なのですよ、マサキ。正しく服用しなければ効果が出ないのも当然のこと。それと、私は朝にあなたに云った筈です。緊急抑制剤を持って行くようにとね。しかしあなたはこれも忘れて行った」
「忘れてたんだ……その……薬の存在そのものを……」
　わかってはいたことだったが、いざ本人の口から聞かされると腹立たしさが増す。シュウはマサキの言葉に眉を顰めずにいられなかった。
　ならず者たちに囲まれながら、反撃出来ずにいたマサキ。シュウの脳裏にその姿が過ぎる。普段の彼であれば全員を倒すことも容易いことだっただろうに、彼は情けなくもその手を取らせてしまった。巫山戯ている。シュウは更に言葉を重ねた。
「今回は私が気付いたからこそ最悪の事態は防げたものの、こうしたことが続くようではいつまた同じ間違いを繰り返さないとも限らない。そもそも、少しでもあなたの発見が遅れていたら、この程度の被害では済まなかった。それともマサキ、あなたは痛い目に合うことを望んでいましたか？」
　恐らくマサキは油断していたのだ。魔装機神の操者であるという自尊心、剣聖という誇り。当たり前のことが当たり前に出来なくなる経験をしておきながら、彼はその当たり前に甘えてしまった。そう、マサキの薬の管理が杜撰になっているのは、薬を飲み続けることに不慣れなのもあったが、そういった自身の卓越した能力に慢心していたからでもある。
　無理もない。彼は長いことその立場に君臨を続けているのだ。
　新しい習慣とは一朝一夕に慣れるものではない。時間がかかるのはわかっている。けれども、そう頭では理解出来ていても、言葉は止め処なく。濁流のようにシュウの口を吐いて出る。
「何せ発情期ですしね。あなた自身にそうした望みがあったとしてもおかしくはない。それを邪魔をしてしまったのだとしたら、謝罪をするのは私の方」
　ご主人様、とチカが口を挟んでくるも、時既に遅し。
「何でそんなことを云うんだよ！　そんなの嫌に決まってるだろ！」
「でしたら薬の管理ぐらい自分の力でしてみせなさい！」
　流石に過ぎた嫌味が耐え難かったようだ。ベッドから飛び起きたマサキの剣幕に、シュウもまた強く返せば、彼は彼で未だ副作用に悩まされているのだろう。身体を傾がせるとシュウの胸に倒れ込んできた。
「……だって……」
　胸を掴まれて、暫く。押し殺した声が聞こえた。マサキ？　と尋ねれば、彼はきっ、と眦に力を込めてシュウを見上げてきた。
「俺だって好きで忘れた訳じゃない！」
　瞳のきわに涙が溜まっている。直後、それがぽろりと零れ落ちたかと思うと、彼は握った拳でシュウの胸を叩き始めた。
「わかってるよ、俺が悪いって！　そんなのわかってる！」
　まるで癇癪を起こした子どものようなマサキの姿に、シュウは途惑いを隠せずにいた。精神的に不安定になり易いのがΩの特徴であるとはいえ、これまで穏やかに日々を過ごしていた彼が、気弱にも涙を見せている。
　彼は次いでシュウのシャツを掴むと顔を伏せた。洩れる嗚咽。他に何をすべきかもわからぬシュウは、ただその背中を摩るだけだ。云い過ぎなんですよ。肩にとまったチカが呆れたように言葉を吐いた。マサキ。彼の二匹の使い魔もまた、主人の異変に黙っていられなくなったのだろう。ベッドに乗り上がってくる。
「マサキ、泣かニャいで」
「皆無事で済んだんだし、次から気を付ければいいんだニャ」
　それに対してマサキは首を振った。そうじゃない。しゃくりあげながら言葉を吐いた彼は、縋るような眼差しをシュウへと真っ直ぐに向けてきた。「どうすればいい？」彼の言葉の意味がシュウにはわからない。
「どうすればいいんだよ、シュウ。教えてくれよ。俺はどうすればいい？」
「……薬のことでしたら、私も云い過ぎました。あなたの使い魔が云うように、これから気を付ければいいだけの話ですよ」
「そうじゃないんだよ。嫌で堪らないのに感じるんだよ。あんな訳のわからない連中相手に、手を掴まれただけで」
　シュウはマサキが云わんとしていることを理解した。
　受精を第一の目的として起こる発情期は、当のΩの意思を無視して、様々な効果をその身体に齎す。極端に感じ易い身体もそのひとつ。相手を受け入れたい・受け入れたくないといった意思に関係なく、彼らの身体は接触に対して性的に反応する。
　それは肌感覚に留まらない。例えば彼らが発情期に感じる倦怠感は、抵抗をし難くすることで受精を接合をスムーズにする効果があったし、蜜壺から溢れ出る愛液にしてもそうだ。接合をスムーズに行えるようにすることで、受精をし易くしている。
　全ては子孫を残す為。
　人類滅亡の危機に瀕して生まれた三種のトランス体は、それ単体でも充分に子孫を残せる進化を遂げていたが、産ませる性としての側面が強いαに対して、Ωは産む性としての側面が強くある。シュウは今更にその真価を知った。生得的に獲得されている本能的なプログラムは、彼らから意思を奪ってでも、子孫を残すことを優先するのだ。
　恐ろしい。
　恐ろしくとも、今のシュウにはどうにもしてやれない。研究はまだ始まったばかりだ。いずれはΩの本能的なプログラムの解析にも手を伸ばす必要が生じるだろうが、現状では効果が見られる抑制剤の組成表を基に新薬開発をするぐらいしかやれることがない。
「大丈夫ですよ、マサキ。その為の服薬管理です。抑制剤が効果を発揮すれば、そういったこともなくな」
「αのお前に何がわかるんだよ！　自分の意思でどうにもならないんだぞ！　快感ってそういうもんじゃないだろ！」
「しかしそうは云っても、現状、それ以外に打つ手は」
「だからどうすればいいって聞いてるんじゃないか！」
　涙は止んだものの、要領を得ない。
　ともに医療機関を受診した身。医師の説明をマサキも聞いている筈である。ストレスの軽減という方法もあるが、抑制剤との併用が勧められる以上、どう足掻いても抑制剤の服用は避けられない。
「どうすれば、とは、どういう意味です。今のところΩの発情期を制御する方法は、服薬ぐらいしかないのですよ。医師の話をあなたも聞いたでしょう。抑制剤だけでコントロールが難しい場合、精神安定剤を併用することになると」
　けれどもマサキはその方法に納得が行っていないようだ。そういう話をしてるんじゃない、と言葉を荒らげた。
「あんな思いを今後もする可能性があるって云うなら、俺は自分では身を守れないってことじゃないか。なのにお前は薬を飲めしか云わない。じゃあ薬を飲めば解決するかって、それはわからない状態だろ。医者の話じゃ様子を見るしかないって云うんだしさ」
「それでも他に方法がない以上、それを試すしかないでしょう。それとも子宮を摘出してみますか？　あなたの覚悟が出来ているのであれば、その方向で調整しますよ」
「いい加減にしろよ！　効果が出るか出ないかわからない方法は沢山だ！」
「あれも嫌、これも嫌で通る話ではないでしょう！」
　余程、ならず者に触れられた際の自分の身体の反応がショックだったのだろうか。それともそれが発情期のΩの精神性であるのだろうか。要領を得ない言葉を繰り返すマサキに、シュウもついまた言葉を荒くする。しまった、と直後に思うも、今度のマサキは黙りもしなければ泣きもしなかった。
「だったら噛めよ！」
　自らの遣り場のない感情を全てぶつけたような悲痛な声。
　シュウは沈黙した。
［＃改ページ］
７．結論

　初めて足を踏み入れる彼の書斎は、想像していたよりもずっと綺麗に整えられていた。
　壁の三方を塞いでいる書棚は天井まで届く程に背が高く、そのどれにも隙間なく本が詰め込まれていた。窓際には幅広の黒デスク。窓を向いて置かれているその上には、幾つかの機材と相当量のディスク、そして紙束が積まれている。もっと物が溢れているかと思っていた割にはすっきりとしている床の上、部屋の中央辺りに読書用と思しき一人掛けのカウチがひとつ。本にせよ、ディスクにせよ、資料にせよそうであったが、彼は決まった場所以上に場所を取らないように心がけているようだ。
　様々な方面に知見がある男にしては量の少ない資料の数々。流石は他人の立ち入りを禁じているだけはある。自らが思索に耽る場所を大切に扱っていると知れる書斎の有り様に、マサキは果たしてシュウに招かれたからといって、容易にこの場に足を踏み入れてよかったものかと頭を悩まさずにいられなかった。
　――だったら噛めよ！
　マサキの悲痛な訴えを耳にして沈黙した彼は、ややあって、来なさい。と、ベッドから立ち上がった。付いて来ようとする二匹と一羽の使い魔たちを制して、マサキを書斎に招き入れた彼は、デスクの上を軽く整えると、備え付けの革張りのチェアーに腰を下ろした。
　ほら、と彼がマサキを招いてくる。躊躇いながらその膝の上に身体を収めたマサキは、彼の身体ごとデスクに向き直った。慣れた手つきで機材を操作してゆく彼の手の動きに合わせるように、目の前に展開される複層ホログラフィックディスプレイ。中身は恐らくΩに関わる資料の数々であるのだろう。
　それを彼の説明の下、マサキは見た。
　黄体期のホルモンバランスが影響を及ぼしていると考えられる発情期のΩの脳内活動は、非常にシンプルで、けれども絶大な効果を発揮するものだ。例えば快感を司る神経伝達物質であるドーパミン。発情期のΩは定量のドーパミンが常に脳内に放出されている状態だ。それが接触的な刺激を受けた瞬間に、爆発的に増加する。そしてエンドルフィン。男性のオーガズムに関係が深いとされるこの神経伝達物質もまた、発情期のΩの脳内で定量が観察されるのだという。
　その働きは神経伝達物質に留まらない。例えばオキシトシン。視床下部で合成されるこのホルモンは信頼感を高める効果があり、セックス後の余韻の感じ方に影響する。例えばバソプレシン。オキシトシン同様に視床下部で合成されるこのホルモンは、その受容体の分布パターンによって、性行為に及んだ相手への愛着に影響を及ぼす。これらのペプチドホルモンの量が増大することで、Ωは性行為に対する満足感を得やすくなっているばかりか、相手に対して愛着を持ち易くもなっているのだそうだ。
「わかりましたか、マサキ。発情期とは理性からなる行動ではありません。生得的にプログラムされた本能であるのです。そこに感情がもし生まれるのだとしたら、それもまた本能の為せる業。あなたが私に噛むことを要求しているのも、あなたの本心からきているものではなく、Ωとしての本能が訴えさせているだけなのですよ」
　滔々とマサキにΩの脳内活動を語って聞かせた彼は、最後に話をそう締めた。
　回りくどくも堅苦しばった物言いをしているが、要はマサキの訴えを聞き入れる気はないということである。マサキは悩んだ。巌のように頑固な彼は、己の理性や感情までも否定するつもりなのだろうか？　思考の一切合切を脳内活動に還元するということは、全てが本能に支配された活動であると認めているのに他ならないだろう。
「Ωが精神的に不安定になり易いのは、感情と実際の身体活動の間に誤差が生じるからです。その不整合を正そうとするのが人間という生き物でもある。人間の脳の活動というものは時に不条理でしてね、苦痛を和らげる為に認知を歪めるぐらいは当たり前のようにしてしまう。あなたが支配を受ける相手が私でいいなどと思ってしまったのは、本能に加えて、認知の歪みもあるのでしょうね」
　シュウの言葉に、違う。と、マサキは首を振った。
　脳内活動の全てに集約される人間活動などあって良い筈がない。それは生まれながらにして、各々の人間の性格傾向が決まってしまっているということだ。だが、現実にはそういったことはない。人間は経験によって成長し、考えを変えてゆく生き物である。そもそもその理屈が成り立ってしまうのであれば、マサキを拒否するシュウの感情も脳内活動に還元されるものではないか！
　だのに彼はマサキの身体を柔らかく抱き締めたまま、耳元でこう囁くのだ。
「私はあなたに残されているたったひとつの自由を奪いたくはない。番となるΩを自分で選ぶ。若しくは番を得ずに、愛する相手を得る。その結論を出すには、あなたの世界は未だ狭い。もっと沢山の人間を知りなさい、マサキ。その先にあなたが進むべき未来は必ずあるのですから」
「お前……自分がどれだけ卑怯なことを云ってるのか、わかってるのかよ……」
　けれども、マサキを抱き続けてきた男は、その未来に自分では責任を持てないと云うのだ。
　これが卑怯でなければ何が卑怯であるのか。マサキはとうに覚悟を決めている。何日も、何日も、考える時間だけは山ほどあった。その中で変わることのなかった答え。シュウの支配を受けたい。噛まれて、彼の番として生きてゆきたい。だのに彼はそれをΩとしての本能だと断じてしまう。マサキにとっては、これこそが己の感情が導き出した答えであるというのに。
「ええ、わかっていますよ、マサキ。私は卑怯で狡い男です。あなたに人並みの人生を与えてやりたいと思いながら、あなたを抱くことを止められない」
　それどころか自らの卑怯さを認めてみせさえするのだ。絶望的な言葉に、マサキは泣き出してしまいそうになった。
　けれどもそれも一瞬のこと。
　マサキの耳を舐めた彼は、こめかみに口付けてきながら、逃げないの？　と尋ねてきた。その瞬間に脳に｜疾《はし》った電撃。マサキは身体を震わせた。あんな碌でもない男たちに手首を掴まれるのとは質が違う。瞬時にして心が舞い上がる。身体を溶かすような快感に、はあ、とマサキは息を吐いた。
「そろそろ薬の効果も切れつつあるようだ。立ち去るなら今の内ですよ、マサキ」
　それが出来ていれば、彼に噛めと迫りなどしないのだ。
　マサキは首を振った。それに対して、碌な死に方が出来そうにない。自らを嘲るように言葉を吐いた彼は、次にはマサキの身体を抱えて立ち上がった。流石にまだ理性が残っている彼は、大切な場所である書斎でことに及ぶ気はないのだろう。きっと寝室に連れて行かれるのだ。そう思ったマサキを裏切って、彼はマサキの身体をカウチに沈めた。
　乱雑に剥ぎ取られる服。全てを脱がせるのももどかしそうにシャツ一枚を残して手を止めた彼は、マサキに口付けてきながらその裾を鎖骨近くまで捲り上げた。腕に、腰に、腿。クリティカルな部分を避けて肌を這う手が、だのにとてつもなく気持ちいい。
　期待などしていない。逃げないのかと尋ねてきた彼は、マサキを噛む気がないことを言外に伝えてきている・
　それでもマサキは彼の温もりを感じたい。
　柔らかい手。ごつさばかりが強調される男性の手に滑らかな肌。節ばった指が輪郭を辿る。その瞬間、マサキはぷんと香ってくる彼の匂いを嗅いだ。甘ったるさの中にひと匙の清涼感がある特徴的な香り。彼の香りに包まれながら受ける愛撫は、瞬く間にマサキの心をから理性を奪った。
　感じて、蕩けて、溶けてゆく。
　早くも震え出す身体。けれども彼は決定的な快感をマサキに与えようとはしない。頬に、鎖骨。開いた指で次々と摩るように肌を撫で上げては、正中線を伝って臍へ。その直ぐ下で硬さを増しているマサキの男性器には目もくれずに、腰を引き寄せながら腹部の窪み周りを舐めてゆく。あっ、ああっ。滑った感触に、今またマサキの身体が震えた。
「こうしていると、あなたの匂いが香ってくるのがよくわかる」
　それから暫くマサキの臍周りを舐り続けた彼は、淫靡に染まった眼差しを取り繕うともせず、徐々に切れつつある緊急抑制剤の効果に発情期の症状が強く現れ始めたマサキの顔を見上げて、こんなに物欲しそうにして。収縮を繰り返している蕾から溢れ出ている蜜を掬い上げた。
　そうして、糸を引く指をマサキの口の中に挿し入れてくる。彼はそのまま、その指先でマサキの舌を嬲った。時に抓み、時に摩る。酸味の強い味。本能を刺激する生々しい味に、溢れ出た唾液が口の端から零れ落ちる。それを彼は妖艶にも微笑みながら眺めている。
「酸っぱいでしょう、マサキ。けれども私にとってはどんな花の蜜よりも甘い」
　マサキの膝を開いて立てさせた彼は、マサキの目の前から顔を下ろすと、その双丘の合間に顔を埋めていった。直後に蕾に感じる生温い感触。あっ、あっ……。瞳に涙が溜まり、吐息に熱が篭る。ああっ。彼は蕾の中に舌を挿し入れてくると、淫猥な音を立てながら溢れ出る愛液を吸った。そうして時間をかけて、じっくりとマサキのアナルを味わってゆく。
　力の抜けきったマサキの身体は、彼に差し出したようなものだ。も、無理。シュウ、無理だっ、て。途切れ途切れに声を放ちながら、マサキは溜まった精液の一部を吐き出した。腰が激しく揺れる。二度、三度と繰り返して精液を吐き出し切ったマサキの男性器は、けれども直ぐにまた硬さを増してゆく。
　そこでようやく舌を抜き取った彼は、マサキの身体を抱え込んで、今度は自分がカウチに腰掛けた。ようやく乳首に触れた舌、ねっとりと乳輪から側乳へと纏わり付いてくる。ん、あっ。声を上げるのさえもままならない快感に打ち震えるマサキの臀部に回される手。それが双丘の谷間を下ったかと思うと、蕾の中へと｜挿入《はい》り込んできた。あ、あ。乳首を吸われながら蕾を掻き回されていれば、理性も飛ぶ。｜挿《い》れて。声を放ったマサキのアナルの奥からどぷりと愛液が流れ出てきた。
「やだ、もう｜挿《い》れて。｜挿《い》れてくれよ、シュウ」
　息も絶え絶えに喘ぐこと暫し。やおら指を抜き取ったシュウが、無言のまま、マサキの身体を手荒に返す。膝に沈んだマサキの腰を抱え上げた彼は、猛る男性器の先端を蕾に押し当ててくると、ほら――、とマサキの腰を引き込んだ。
「アッ――！」
　ずるりと抵抗感なく｜挿入《はい》り込んできた男性器の先端が、かちりと｜袋胞《たいほう》に嵌まり込んだ。次いで蕾を亀頭球が塞ぐ。アナル全体を貫く快感。声を出すことも叶わなくなる程の恍惚感にマサキの視界が滲んだ。気持ちいいの？　問われたマサキは口唇をわななかせながら、幾度も頷いた。
　気付けば再び射精を迎えていた。
　マサキの手を背面で交差させた彼は、手首をきつく掴みながら腰を動かしてくる。マサキは脚を突っ張らせながら、彼の男性器を深く受け入れ続けた。涙を流して、声もなく。アナルから全身へと広がりをみせる快感に、最早まともな思考は形を取らず。ここがいいのでしょう？　｜袋胞《たいほう》の奥を抉られたマサキは喉を引き攣らせた。
「そんなに締め上げられては抜けませんよ、マサキ。それともこのまま突かれたい？」
　鼻腔を擽るシュウの匂いがいっそう濃くなったように感じられた。じくり、と疼きを増すアナルの奥。自ら口にした通り、彼は｜袋胞《たいほう》に嵌まり込んだ男性器を抜き取ることなく延々とマサキを突き上げてくる。
　隙間のない刺激に次第にマサキの意識が混濁し始める。噛まれたい。めくるめく快感の中で浮かび上がってくる渇望。この果てしない恍惚の終わり際に彼に噛まれたい。ただ彼を感じていられればいいと思っていても、いざその瞬間を迎えればこれだ。噛まれたい。マサキはシュウに向けて言葉を発しようとした。だのに形にならない言葉。すすり泣くような声が衝いて出るばかりとなった自らの口が恨めしい。噛んで。たったひと言を口にすることさえ、今のマサキには難しいことであるのだ。
　ひたすらに突き上げられ、ひたすらに泣かされる。
　やがてふと彼が動きを止めた。
　直後に｜袋胞《たいほう》を満たし始める精液。蜜と混じり合ったそれが、腸壁を痺れさせる。脳内で炸裂する閃光。まるで花火のように散っては光り、光っては散ってゆく。全身が竦み上がる程の快感に、マサキの意識は消失の時を迎えようとしていた。
　――噛んで、シュウ。俺を、噛んで……
　持てる全ての力を込めて吐いたマサキに対して、シュウはその首を覆う首輪を軽く噛んでみせただけだった。

　※　※　※

　翌日、マサキが起きてくるより先に家を出たシュウは、先ず追加のデータを入手する為に地上へと向かった。
　昨日の一件が軍事施設を経由してのこともあり、万が一を警戒したが、彼らの許にはまだ情報は届いていないようだ。いつも通りに“実験”への協力を求められはしたが、それだけだった。それを軽く躱して無事にデータを譲り受けたシュウは、次に地底世界に戻り、ウエンディが待つ練金学士協会に向かった。
「ところでご主人様。“実験”の手伝いって、何をするんです？」
　いつもはグランゾンに留守番をさせているチカをポケットに忍ばせて彼らと対面したことに深い意味はなかった。強いて云うのであれば、未だトランス体に対して理解が浅いチカに、Ωとαを取り巻く現実を見せることで理解が進めば――と、いう期待があった。何せ朝方から彼はしつこくも煩く、昨晩のマサキとの悶着についてシュウを責め立て続けてくれたものだ。
　――あそこまでマサキさんに云わせておいて、噛むこともせずやることやって寝たァ？　何を考えてるんです、この｜人非人《にんぴにん》！
　確かに噛むこともせずにマサキを抱き続けているシュウに非があるのは明らかだったが、昨日のマサキは精神的に不安定であった。彼の要求が初めて直面したΩとしての現実に絶望してのことだというのは明らかだ。熟考の末であるのならばまだしも、ひとときの気の迷いに対して未来を奪うような真似をしてはならない。突き上げてくるαとしての本能と戦ったシュウは、むしろ勝利を収めた自分自身を労いたいぐらいだった。
「Ωに子どもを産ませる為の精子の提供ですよ」
　どうやら想像していた実験の内容からは解離した結果だったらしく、ヒイッとチカが声を上げる。
「グロテスクですねえ。まさかその子どもを対象にデータを集めたりなんてこと」
「するかも知れませんね、彼らなら。それどころか“実験”に参加させるかも知れない」
「だったら尚更、マサキさんを噛むべきでは？　地上に出た時にあの人たちに捕獲されたじゃ笑い話にもなりませんよ」
　シュウはそれには答えなかった。
　今のところ、番を得たΩにまで彼らが“実験”を行ったという話は聞かなかったものの、発情期の不調さえなければマサキは優秀な戦士である。仮に彼らが暴力的な手段に訴えてきたとしても、そう簡単に保護されることはない。
　昨日の一件は、あくまで不幸な偶然が重なった結果であるのだ。
　主人の沈黙が返事であると知っているチカは、油断しない方がいいと思うんですけどねえ。と、シュウの返事に納得がいかない様子であったが、彼の言葉で心が動く程にシュウの決意は軽いものではない。そもそもその程度の気持ちで噛まない選択をしているのであれば、昨日の時点でマサキを噛んでいる。
「やだあ。何でこんな所であんたと顔を合わせるかな」
　練金学士協会のウエンディの研究室を訪れると、丁度彼女を尋ねて来たところだったらしい。リューネと鉢合わせした。露骨に顔を顰めてみせるのも相変わらずな彼女は、けれども昔とは異なり、シュウを毛嫌いしている様子はなくなったようだ。まあ、いいか。そう呟くと、シュウが渡したデータディスクの束に早速目を通し始めたウエンディを背後に、マサキは元気？　続けて尋ねてきた。
　昨日のマサキは決して元気とは云い難い状態ではあったが、発情期の状態を基準に云っても仕方のないこと。活動量の低下は見られるものの、それ以外の日常生活においてはいつものマサキである。元気ですよと言葉を返し、疑問に感じていたことを尋ねる。
「プレシアも来たぐらいですし、あなたも来るものだと思っていましたが」
「あたしはαだもの」
　あっけらかんと口にしたリューネに、成程とシュウは頷いた。
「おかしいとは感じてはいなかったのですか。ここ最近のマサキを見ていて」
「ううん、思ってたよ。なーんか最近のマサキ、甘ったるい匂いがするなあって。でも、もういい年齢だしさ。まさかって思ってた。それが本当にΩだったなんてね。皮肉なもんだよね」
　そう考えると運命の奇禍というものは、マサキに対してではなく、シュウにこそ牙を剥いているのだろう。
　もしかすると口に出さないだけで、他の魔装機の操者たちも、リューネと同じようにマサキの異変を感じ取っていたのかも知れない。けれども彼らもまたリューネと同じように、長い付き合いだからこそ自分の感覚を気の所為と片付けてしまったのだろう。そう、本来、マサキの保護は普段から行動をともにしている彼の仲間たちの役目である筈だ。それが何の因果か、偶々通りがかっただけのシュウに回ってきてしまった……。
　ぞっとした。
　一歩間違えば、今のシュウの立場は違う人間のものであったのだ。あの日、あの場所に、偶々シュウが足を向けたからこそ舞い降りた奇跡。今のシュウの日常はその偶然に支えられてあるものだ。もし仮に、リューネ、或いは魔装機の操者のいずれかがマサキを保護していたとして、彼と肉体関係を結ぶに至っていたら。その現実を目の当たりにしたシュウは、果たして正気を保てただろうか？　無理だ。シュウは即断した。普通の人間が取る当たり前の食事に、綺麗に整った家。そして誰かが隣で眠るベッド。彼のいる生活は人間らしさに満ちている。
　今となってはマサキと肉体関係を結ぶ以前の自分の気持ちはおぼろげだったが、今のシュウはマサキなくして自分の生活を成立させられる気がしないまでに、彼の存在を拠り所としている。
「何で今更？　って気持ちは正直あるけど、発情期が始まっちゃった以上はね。しかも不定期なんでしょ。だったら見通しが立つまでは近付かないのがお互いの為だよね。あたしはマサキを傷付けたくないし、マサキもあたしに傷付けられたくないでしょ。そうなっちゃうものだとはわかっていても、実際、信頼関係に響くしね……」
　勝ち気でお転婆な彼女ではあるが、流石はビアン＝ゾルダークの娘だけはあって、通すべき筋がどこにあるかは心得ているようだ。有難い。シュウは素直に安堵した。彼女までもがマサキの問題に口を挟んでくるような状態になっていようものなら、そうでなくとも入り乱れている人間関係だ。修復不可能なまでに拗れてしまっていたに違いない。
「となると、やはり発情期の問題が片付かないことには、マサキをこちらには戻せないということですか……」
「昨日もまた突発的に発情期が起こったらしいとセニア様に聞いたけれども」
　そこで昨日の騒ぎを聞いていたようだ。データから目を離したウエンディが座に加わってくる。
　あまり思い出したくない出来事ではあったものの、さりとて話さずに済ませられる話でもない。シュウは掻い摘んで事情を説明した。日常的な服薬を怠っていた跡があること、緊急抑制剤を持たずに地上に出てしまったこと……地底人であるウエンディはさておき、αであるリューネには事の重大さが伝わったようだ。それは駄目だよ。眉を顰めて彼女は云った。
「Ωにばかり皺寄せが行ってるって人権運動家たちが云ってるからって、Ωが自分の身を守ることを放棄していい訳じゃないからね。確かにΩの負担は大きいけど、人間、誰しも自分の身を守る為の努力はしてるんだし」
　彼女の言葉に深く頷いたシュウに、じゃあ。とリューネが席を立ちあがる。
「マサキを宜しくね」
「おや、帰るのですか。私は今日はウエンディにデータを届けにきただけのつもりでいたのですが」
「マサキの為に必要なデータなんでしょ、それ。だったら邪魔しないようにしないと。でないといつまでもマサキ、こっちに戻って来られないもんね」
　穏やかな頬笑みを浮かべているリューネは、けれども最後にシュウに釘を刺すのだけは忘れなかった。マサキに手を出さないでよね。茶目っ気たっぷりに云い放つと、彼女はそのまま振り返ることなく研究室を後にした。通路に響く彼女の履くヒールの音が、次第に小さくなってゆく。それが絶えた頃、暫く沈黙を貫いていたウエンディが、寂し気な笑顔を浮かべながら、諦めも肝心って云われちゃったわ。とシュウに向き直った。
「諦めも肝心、とは」
「無事な臓器に手を入れてまで、マサキを男に戻したいって考えるのは違うんじゃないの？　って。全くその通りだわ。マサキはマサキ。発情期があろうとなかろうとそれに違いはないものね」
　どうだろうか？
　昨晩の取り乱したマサキの姿を見ているシュウからすれば、彼は少しずつ変わってきているように思えてならなかった。Ωであるが故の精神の不安定性が影響しているのだろうか。それともそれがΩの性格傾向であるのだろうか。踏みしだかれても立ち上がる葦のようなしなやかで逞しい彼の精神性は、ここのところ鳴りを潜めてしまっている。
「それにしても、これだけのデータがあっても、発情期の諸症状を抑えきるのは難しいものなのね」
　溜息にも似た長い息。膨大なデータを目の前にして、そしてその片鱗を目の当たりにして、ウエンディは自らの見通しの甘さを思い知ったようだ。科学の先の道を往く練金学にしても、解き明かすのは難しい謎。Ωという性。既にデータの半分以上に目を通しているシュウにしても、彼女と同様な感想を抱いてしまっている。
　全てを抑えきれる気がしない。
　脳神経の活動、体内のホルモンの働き、何をトリガーとしてどういった反応が生じるのか。シュウが入手したデータには様々な角度からΩの生態と、それに対する科学的なアプローチが記録されていたし、その中には倫理的且つ人道的な観点から問題視される手法も含まれてはいたが、それだけの手を尽くしてもΩの発情期の問題は解消されなかったようだ。
　地上で最もΩに詳しいだろう優生主義者たちをしてこの結果である。
　勿論、ラ・ギアス世界であれば、また違った方面からのアプローチが可能にはなる。例えば魔術。手間はかかるが、生殖機能や子宮に封印を施すことで症状を緩和することは出来るだろう。例えば練金学。時間はかかるが、体内の遺伝子に効果を及ぼすシステムを構築すれば、発情期の諸症状を根治することが出来るだろう。だが、そういった方法はやはり倫理的な問題を孕む。そもそもそれだけ強力な魔術ともなれば、永続的な効果とは行かない。定期的に魔術を付与する必要があったし、練金学にしても、遺伝子に影響を及ぼすシステムともなれば、未知なる重篤な副作用の可能性は残る。
「ですからせめて、副作用が弱く、そして効果の大きいΩ抑制剤をと思っているのですが」
「なるべく制約なく活動出来るようにはしてあげたいわね。マサキの性格上、一時的にせよ、魔装機神の操者としての活動を他人任せにするのは耐えられないでしょうし……」
　そして再びデータの読み込みに取りかかったウエンディに、明日の来訪を約束してからシュウは研究室を出た。途中で何人かの練金学士と顔を合わせ、今後の研究の方針について意見を交換する。とはいえ彼らにとってはまだまだΩの生態は未知なる部分が多い。目覚ましい収穫はないまま格納庫に辿り着く。
「あのー、ご主人様」
　グランゾンに乗り込むと、早速とばかりにチカがポケットから飛び出してくる。そのまま計器類の上に乗った彼は、乱れた羽根を繕いながら、やっぱり噛む気はないんですか？　もう何十回となく耳にした台詞を今また口にした。
「リューネさんがαってことは、いつ間違いが起きないとも限らないってことですよ、ご主人様」
　ええ。とシュウは頷きながら、グランゾンの｜起動準備《セットアップ》に取り掛かる。
　何事にも星の巡り合わせはあるものだ。シュウがマサキを保護するに至ったように、偶然の果てに誰かがマサキを噛むこともあるだろう。それがリューネになったとしても、仕方がないとシュウは思う。願わくば、それがマサキの意思に応える形であって欲しいとは思うが、第二世代のαであるシュウをして、あれだけ理性を奪うマサキの性フェロモンに、純粋なαが抵抗出来るとは思わない。
「ええ、って何!?　呑気に構えてるのが自信の成れの果てなのか、それとも諦めの境地なのかわかりませんけど、あたくしこれだけは云えますよ。いざその瞬間が来たら、ご主人様は絶対に後悔しますからね！」
　そんなことはわかりきっている。
　シュウは予め予想を立てていたのだ。リューネはαであるだろうと。何せ、傑出する操縦技術を有し、ずば抜けた身体能力を誇る彼女である。マサキがΩであったのは意外ではあったが、彼女に限っては意外性はない。むしろこれは神の導きでないだろうか。
　マサキの弱味に付け込んで肉体関係を得てしまったことに後ろめたさを感じているシュウは、だからこそリューネにも等しく機会が与えられるべきだと思っている。マサキを奪うのであれば、その上で正々堂々とだ。それでこそ己の誇りと矜持に適うではないか。
　そうチカに告げると、厄介な主人の性格に呆れる他なかったのだろう。彼は盛大に溜息を吐いてみせた。

　※　※　※

　何かに専心し出すと食事は二の次になるようだ。
　地上にデータを探しに行く為に、シュウが早朝から家を空けたあの日から五日が経過した。帰宅後書斎に篭って入手したデータを読み切ったらしいシュウは、翌日から練金学士協会に詰めっきりだ。かといってマサキを家に放置しておいては、何かあった際の対処がひとりでは出来ないと思っているのだろう。夜更け過ぎに帰宅しては、マサキの部屋を覗いて去ってゆく。
　朝食も取らずに家を出て行ったかと思えば、夕食も取らずに眠りに就いてしまっている。流石にこれだけ多忙な日々にあっては、精力的な彼であってもマサキの相手をしている余裕はないようだ。偶に顔を合わせた時に口付けてみても、それだけ。睡眠時間が三～五時間程度の男に、ただ｜性交《セックス》したいだけの欲望をぶつけるのは躊躇われる。マサキもそれ以上を彼にせがむような真似はしなかった。
　もしかすると、マサキと顔を合わせたくないのかも知れない。
　噛んで欲しいと告げた翌日からの彼の態度の変化にマサキは怯えていた。抑制剤の新薬開発は元々彼が取り組むつもりでいたことだと頭ではわかっていても、顔を合わせる回数が減れば不安にもなる。ましてや性行為もあれきりだ。このまま自分は性欲解消の相手ですらなくなってしまうのだろうか？　考えていたよりも早く訪れてしまったその日が、現実のものとなってしまうのがマサキは怖かった。
「あんた、まだいたの？」
　マサキがシュウの許に身を寄せて十八日目となったその日の昼。律儀にもきっちり一週間ぶりに再び様子を窺いに来たらしいサフィーネとモニカは、マサキの姿を目にして露骨にうんざりした表情をしてみせた。彼女らからすれば、マサキは自分たちとシュウの仲をを邪魔する存在である。それが十八日も居座っているのだ。面白い筈がない。
「幾ら仲間割れにしても随分長い家出じゃないの」
「意地になってしまってるのではないですか？　マサキの性格ですもの。帰るに帰れなくなるということは良くあることですわ」
「案外、仲間割れの原因はあんたなんじゃないの？」
「あり得ますわね。昔からマサキは他人の感情に鈍感なところがありましたし……」
「煩えよ、お前ら。今日もシュウはいねえぞ。っていうか、聞いてないのかよ」
　チカが口から出まかせで吐いた嘘を信じている彼女らに、練金学士協会に詰めている理由が話せないのは仕方のないことにせよ、長く行動をともにしている仲間である。そのぐらいはシュウが自らの口から話しておいて然るべき――と、マサキが口にしてみれば、彼女らからすればこういったことは良くあることなのだそうだ。
「研究は趣味、のような方だしねえ」
「内容を説明されても、わたくしにはわかりかねるのですわ」
　深く詮索を受けないのは有難かったが、チカも不在な今、彼女らにマサキひとりで対応するのも限度がある。
　嘘が苦手なマサキに彼女らを納得させられる話は出来そうにない。そもそもチカがどういった嘘を吐いたのかさえもマサキは知らなかったのだ。だからこそ、襤褸が出ない内に帰って欲しくもあったが、果たして彼女らは、いつまで愛する男の許に恋敵がいることを了としてくれたものか。
「それよりもあんた、いつまでいるつもりなのよ」
　案の定な問いかけに、それがわかりゃ苦労はしねえ。と、マサキは顔を突き付けてくるサフィーネを押し退けた。間近にして漂ってくる彼女が付けている香水の匂い。鼻が溶けそうな甘ったるさに顔を顰めつつも、他人にとっての自分の性フェロモンの匂いは、こういった風に感じられるものかも知れないと思う。
　それを狂わされると表現したシュウ。
　次の発情期はいつになるのだろう。不定期な発情期の訪れは、マサキの行動を大きく制限してしまっているけれども、彼の暴力的な愛撫を受けられるのであれば、このまま抑制剤の効果が出なければいいのにとも思ってしまう。
「まあね、シュウ様は優しいから、あんたがこれだけ長くいても何も云わないんでしょうけど。でも忘れちゃ駄目よ、ボーヤ。あんたには帰れる場所があるんだってこと」
「わかってるよ。ただ、まだ帰れねえんだよ」
　永遠にシュウの許にはいられない。そんなことはわかっている。彼には彼の生活があるのだ。それを犠牲にさせていることに、マサキが申し訳なさを感じない筈がない。
　だのに、それを上回る未練。
　シュウとの関係に決着が付かないまま、ここを去るのだけは耐え難い。噛みもせずにマサキを抱き続ける男の本心を、マサキはその口から｜明瞭《はっきり》とは聞いていない。それが例え、性欲処理の為だけであろうとも、下手な嘘を吐かれるよりは余程納得出来る。
　マサキが恐れているのは、そのままふたりの関係がなかったことにされることだ。消そうにも消えない夜の記憶の数々。それを何もなかった顔をして、これまでの日常に戻っていかなければならないのかと思うとぞっとする。
「あんまり意地になり過ぎると、手遅れになりますわよ」
「そうなってから、あの時ああしておけばよかったって思ってもどうにもならないしねえ」
　サフィーネとモニカの言葉に、再度、わかってるよと言葉を返す。
　けれど――と、マサキは思わずにいられなかった。自分は意地など張ってなどいない。噛まれて、支配されたい。その気持ちを素直に表して尚、噛むことを拒否される。それだったらいっそきっぱりと諦めてしまえばいいものを、身体に深く染み付いている彼の温もりが未練を呼び覚ます。
　堂々巡りだ。
　また来ると言葉を残して去ってゆくサフィーネとモニカのふたりを見送って、家に戻る。どうすりゃいいんだろうな。リビングに戻ってソファの上にいる二匹の使い魔に声をかければ、彼らは今しがた去って行ったふたりの女性のことだと思ったようだ。
「でも、マサキ。ここにいる以上は、あのふたりが来ちゃうのは仕方のニャいことニャのよ」
「マサキは嘘が苦手ニャんだニャ。その内、尻尾を掴まれそうニャんだニャ」
「いや、まあ、それもあるけどな……」
　ソファに腰掛けて、テレビの続きを見る。ニャアによ。クロが膝の上に乗り上がってくる。足元にはシロ。マサキの爪先を掻いている彼も、はっきりしニャいんだニャ。と、声を上げる。のんびりとした彼らの様子は、どうにも真面目な話をする空気にない。マサキは溜息をひとつ洩らして、いや、いい……と言葉を濁した。
　抜け出せない迷路に迷い込んでしまった。
　両親を失って孤児となったマサキに対して、社会は冷淡にも牙を剥いた。弱味を見せれば付け込まれる。あらゆることをひとりでこなさざるを得なくなったマサキは、その日々の中で、自分自身に過剰とも云える自信を持つようになった。
　その自信を打ち砕いてみせた男。圧倒的な力でマサキの前に立ちはだかった男に、マサキは自分の力だけではどうにもならないことがあるのだと知った。彼を斃す為にも味方を得よう。ようやく他人の力を借りることを覚えたマサキは、仲間という存在が心地良いものであることを知った。
　宿願を果たして、それで終わる話だった。
　彼を斃した後のことは、伝聞でしか知らない。彼は自分を取り戻した。そこからのマサキと彼との付き合いは、まさに腐れ縁と呼ぶに相応しい。行く先々で偶然にも顔を合わせる関係。道をともにするようになった彼とは、顔を合わせれば意地を張り合うような仲ではあったけれども、時にみせる優しさにマサキが助けられてきたのは紛れもない事実だ。
　その優しさにかつてのマサキが素直になれかったのは、彼にだけは頼りたくないという気持ちの表れだった。
　マサキは怖かったのだ。彼は仲間たちとは異なり、マサキが踏み込んで欲しくないところまで踏み込んでくる。今回の件にしてもそうだ。通り一遍の慰めの言葉で済ますことなく、守り庇ってみせた。それに甘え続けている今だからこそわかる。誰かを守る為に自らの弱さを切り捨ててきたマサキは、自らの弱さを自覚させられるのが怖かったからこそ、彼の優しさに抵抗を続けてしまったのだ――と。
「はっきりしニャいニャんてマサキらしくニャい」
「ここに来てからのマサキは変ニャなんだニャ」
「それもこれもシュウの所為ニャのよ」
　マサキとシュウの関係を勘付いているらしい二匹は、チカとは異なり、積極的にその関係に口を挟んでくるような真似はしなかった。彼らは主人であるマサキとの距離の取り方を知っているのだ。マサキが自らの心に踏み込んで来られるのを好まない性質であるからこそ、余計な口は利くまいと心掛けてくれている。
　いつか聞いてしまった彼ら使い魔の会話から察するに、影では色々と話をしているようではあったが、それをマサキに直接ぶつけはしない。けれども、先日の一件もある。流石にここにきて黙っているのもわざとらしいと感じたのだろう。クロが口火を切った。
「あたしたちの主人に手を出すだけ出して、責任は取らニャいって、どういうことニャのかしらね！」
「そうニャ！　そうニャ！　噛まニャいとかニャにごとニャんだニャ！」
「あんな薄情者、捨てて出て行っちゃえばいいのよ！　大体、この家、マサキがいニャかったら、荒れ放題じゃニャいの！」
「そうだそうだ！　マサキが一生懸命綺麗にした家ニャんだニャ！　それをシュウにわからせてやるんだニャ！」
「お前らとだと、やっぱり真面目な話が出来そうにねえな」マサキは溜息を洩らした。
　シロとクロが云う通りに家を出て、何処に行くというのか。最低でも服薬開始からひと月が経った先の発情期の経過を見ないことには、プレシアの許には戻れない。そもそも、この家のことについてはサフィーネとモニカがいる。愛する男の為に点数を稼ぎたいふたりはマサキがいなくなったのをこれ幸いと、家事要員よろしくこの家に入り浸るに違いない。
　面白くない。
　単純な嫉妬。自分が築き上げたものを誰かに奪われてしまうのが嫌で堪らない。
　雑草の取り払われた庭、埃の積もらなくなった家具、磨かれた床にいつでも清潔な水回り。そして、真新しいシーツの匂いが心地良いベッド。そのどれもがマサキの手入れによって生み出されたものだ。それを何食わぬ顔で保ちながら、彼女らは綺麗に整ったこの家の有り様を自らの手柄のように振舞うのだろう。
「そんニャ思い詰めた顔しニャいでニャのよ、マサキ」
　クロの言葉に我に返る。マサキは二匹の使い魔に顔を向けた。
「街に出ればいいんじゃニャいか？　最近、また家に篭りがちになってるんだニャ。ぱあっと騒げば気分も明るくニャるんだニャ」
　確かに二匹の使い魔の云う通り、ここに来てからのマサキは殆ど家から出ていない。十八日間の内、家を出たのは四日間だけ。しかも純粋なプライベートで出掛けられたのは一日だけだ。
　これでは気詰まりもする筈だ。
　堂々巡りな問題からは一度離れることも必要だ。マサキはクロを膝の上から降ろした。家事は済んでいたし、朝昼と薬も飲んだ。剣の稽古も終えていたし、残すは洗濯物の取り込みぐらいだ。きっとシュウは今日も帰りが遅くなることだろう。だったら夕食を街で済ませるのもいいかも知れない。テレビを消して立ち上がったマサキに、二匹の使い魔が目を輝かせる。
　緊急抑制剤を持って出れば、シュウも文句は云うまい。
　街に出て何をするか悩みはしたが、何か目的がなければ出掛けてはいけないということもない筈だ。特に目的もなくぶらつくのもいいだろう。何だったら夕食の時間まで、サイバスターでその辺りを流してもいい。迷いに迷って帰宅が翌日になってもいいではないか！　今日のやるべきことは大半が済んでいるのだから。
「行くんだニャ？」
「お出かけニャのね？」
　ここに来るまでの自らの生活を思い出したマサキは、その生活に戻ろうとしている自分に涙が溢れ出そうになった。その涙を飲み込んで、足に纏わり付いてくる二匹の使い魔とともに自分に与えられている部屋に向かう。壁にかかったジャケットを羽織り、ミニテーブルの上に乗っているグローブを嵌める。胸が騒ぐ。気紛れに時間を使えることの有難みを噛み締めながら、玄関に向かいブーツを履く。
　こうして少しずつ、当たり前の日常へと自分は戻ってゆくのだ。
　ドアを開くと、風がぷんと薫った。草木の匂いさえも懐かしく感じるまでに、狭い世界。そこでマサキは閉じ篭るようにして生きていた。悩みも迷いも、自らが出すべき答えを全て出しても尚、その場所にしがみ付くように。
　それは何故かと他人に問われたら、マサキはこう答えただろう。
　シュウがそこにいたからだ――と。

　※　※　※

　無理だわ。と声を上げたウエンディが天を仰いだ。
　練金学と科学の両面からアプローチを繰り返すこと五日。データの穴を探してはそこに針を通すようにして、シュウとウエンディは実験を繰り返した。既に膨大なデータが揃っている状態からのスタートだけあって、ふたりがやれることには限りがあったが、それらはどれも芳しい結果とはならなかった。
「短期的にどうこう出来る問題でないのは明らかね。無脊柱動物を使っての実験には限界があるし、かといってトランスジェニックマウスでは機能が限定的でしょう。Ωであるマサキ本人を治験に使う訳には行かない以上、XY染色体を持つ雌雄同体が必要になるわね」
「とはいえ、キメラマウスは不妊性です。脊柱動物の性別決定にY遺伝子が必要ではない以上、XO／XOの雄マウスを作り出す方が先では？」
「その雄マウスが作れれば、有効な生殖機能を持つ雌雄同体マウスが作り出せるということ？」
「精巣の機能を決定する遺伝子を特定するという意味で必要になると思いますが」
「急がば回れにしても、道は遠大ね」ウエンディは弱り顔になった。
「予算が下りる研究ではない以上、手をかけられる時間は限られるわ。ここの設備を使わせてもらえているのも、セニア様の口利きあってこそなのでしょう？　あまり長引かせては、セニア様の立場に響いてしまうわ」
　わかっているとシュウは頷いた。
　地上で数多の科学者が現在進行形で取り組んでいるΩの発情期問題を、畑違いの科学者であるシュウが数日でどうにか出来るなどとは思ってはいない。机上で立てた理論というものは、得てしてそのままでは使い物にはならないものだ。だからこそ実地での精査が必要だったが、ウエンディの助力を得てもその牙城を崩せないとあっては。
「ただ、テーマとしては面白いわ。この先、人口問題がラ・ギアスに起こった時に、有用となるのは間違いないもの。マサキのことを抜きにしても、トランス体の研究を続ける意味はあるわね」
　練金学士協会を出たシュウは、今後の研究の展開を考えながら帰路に就いた。引き続きウエンディの助力を得られるとはいえ、これまでと比べると頻度は落ちる。見通しは決して明るくはなかった。
　成果らしき成果の出なかった五日間。研究が実るまでの道のりはウエンディが口にした通り、長いものとなるだろう。だったらいっそ、優生主義者たちに与するべきだろうか？　考えあぐねたシュウの心の隙間に入り込んでくる善からぬ考え。しかしそれをしたが最後、マサキの心は永遠にシュウのものにはならなくなる。
　シュウは即座に邪な考えを捨て去った。
　人類の英知を結集しても解き明かせぬΩという謎。マサキ＝アンドーというブラックボックスは、どこまでもシュウ＝シラカワという人間を惹き付けてくれるものだ。
　欲しい。
　猛烈な渇望。そこに抗い難い欲をシュウは視た。
　シュウにとってのマサキは全てを満たしてくれる存在となりつつあるのだ。知識欲を満たしてくれる存在、性欲を満たしてくれる存在、人恋しさを満たしてくれる存在……自らの主義さえも変えさせたマサキにシュウは溺れきってしまいたくなった。
　家に帰り着いたのは夕方近く。しんと静まり返った室内に、マサキ？　声をかけながら各部屋を覗く。そのどこにもマサキの姿がないことに気付いたシュウは不安に胸が騒ぐのを止められなかった。
「ご主人様がつれないから出て行ったんじゃないですかァ？」
　場を読まない使い魔の嫌味混じりの軽口が余計に不安を煽る。
　シュウは今一度、マサキの部屋を確認した。
　ミニテーブルの上に残されている人工中絶薬。クローゼットの中に残されている服。いつか購入してきた雑誌の束もそのままに、マサキは姿を消してしまったようだ。
　思えばこの五日間、シュウはマサキとまともに口をきいていなかった。それどころか、まともに顔を合わせたのも数える程しかない。それでどうして今のマサキが落ち着いて過ごせたものか。Ωである彼の精神は不安的に傾きがちなのだ。突然、ひとりでいることを強制されたマサキの寂しさや不安は想像に難くない。
　シュウはマサキを探しに行くべきか悩んだ。Ω抑制剤と緊急抑制剤を持って出ている以上、覚悟の上であるのは間違いない。果たしてそれを連れ戻すことに意味はあるのだろうか。彼の抵抗が予想出来るだけに、シュウは咄嗟の決断を付けられずにいた。
「まあ、覚悟の上で出て行ったっていうなら、それもマサキさんの決断ですよ。ご主人様はすべきことをすればいいんじゃないですかね？　この期に及んでジタバタするなんてらしくないじゃないですか。あれだけ盛大にマサキさんを振ったんですし……」
「しかし彼に頼れる場所はそうない筈」
「何ですかねえ。その、妻に逃げられた夫みたいな反応。逃げられて当然のことをしておきながら、いざその瞬間が来たら大慌てって。まあ、ひと晩ぐらいは待ってみてもいいんじゃないですか？　もしかすると街に出ているだけかも知れませんよ」
　仕方なしにシュウはいつも通りの日常を過ごすことにした。シャワーを浴び、久しぶりに人間らしい食事を口にする。固形物を口に入れるのも久しぶりだ。栄養補助剤で済ませてきたこの五日間の食事を振り返ったシュウは、無性にマサキが作る食事が食べたくなった。
　しっかり者の義妹と生活しているからと、シュウは彼の料理の腕には期待していなかった。世話焼きな彼女はきっとマサキには箒ひとつ持たせることもないだろうと。だが、それこそがしっかり者の本領発揮であるのだろうか。プレシアはマサキがいざひとりになっても生活出来るだけの家事を仕込んだようだ。
　焼き物、揚げ物、炒め物、煮物と、どれもマサキは手際よく調理をしてみせた。彼が当番の度にテーブルに並ぶ種々様々な料理はシュウの想像を裏切る豊かさだった。味付けはシュウにとってはやや濃くもあったが、一般的には丁度いいと云われる範囲に収まっている。そう、総じて彼の料理は美味しいと評される出来だった。
　その料理を口にすることはないのだろうか？　シュウは食べ終わった後の料理の皿をシンクに沈めた。
　食事の後はリビングへ。
　チカにテレビを見せてやりつつ、その傍らで読書に励むべく表紙を開く。近頃の彼はスポーツ観戦を趣味としているようだ。贔屓の選手が大写しになる度に、きゃあきゃあと姦しい。
　程なくしてシュウは頁を捲る手を止めた。集中力が続かない。それは決してチカの騒々しい歓声が原因ではなかった。マサキが来る前は当たり前のだった筈の日常が、今のシュウにはちぐはぐに感じられて仕方がなかった。彼は何処に行ってしまったのだろう？　帰るべき場所を持たない今の彼は。
　心に降り積もる塵。晴れることのない心にやはり探しに出るべきか――シュウがそう思った矢先だった。
　家の鍵が開く音がした。
　急ぎソファから立ち上がって、玄関に向かう。
　細く開くドアの向こう側に、馴染み深い彼の服が見えた。次いで、二匹の使い魔を引き連れてマサキがドアを潜ってくる。彼は目の前に立つシュウを目にして、今日は早いんだな。意外そうな表情でそう口にした。瞬間、シュウは彼の身体を抱き締めていた。
「何だよ、突然」
「何処かに行ってしまったかのかと」
「他に行く場所なんてねえよ」
　わかっている。発情期の問題が片付かない内は、彼に行くべき場所などない。それがわかっていながらもシュウが不安を感じずにいられなかったのは、そうした思い切りの良さを発揮してしまうのがマサキ＝アンドーという人間であるからだ。
　どこまでも独立独歩で、どこまでも他人に依存しない。
　気ままにサイバスターを駆って、西へ東へ。ひとところに居場所を定めるのを厭うように、アクティブに動き回っていたかつてのマサキ。サイバスターという比類なき魔装機神の操者である彼は、一国一城の主であるからか、仲間にさえも依存することなどなかった。自らの問題を自らの力のみで解決しようとする。そう、彼は他人に答えを求めない人間であるのだ。
　その彼の脆さを目の当たりにして、その上で自らに頼りきりになっている姿を見て、シュウは思い上がってしまった。何をしても彼が逃げることなどないと。
「大丈夫だよ。今回はちゃんと薬も持って出たし……」
　様々に嘯いてみせたところで、いざ彼を失うと思えばこれだ。自らの本心を思い知ったシュウは、先日の地上での一件を気にしているのだと思い込んでいるマサキの言葉に、違うのですよ。そう首を振った。
「ここ五日程あなたをひとりきりにしてしまった。あんな扱いをあなたにしてしまった後に」
　狡い。マサキが小さく呟いた。そろりと背中に回された手が、シュウのシャツを掴む。
「そんな風に云われちまったら、云いたいことも云えなくなっちまう」
　足元を風が通る。彼の二匹の使い魔が通り抜けたようだ。恐らくはチカとともにリビングに向かったのだろう。彼らの気配が玄関から消えたのを確認して、シュウは云った。云って。何を云われても受け止める覚悟は出来ている。それだけシュウはマサキの心に傷を付けた自覚があった。
「……寂しかった」
　ぽつりと呟いたマサキのいじらしさに、どう答えればいいのかわからなくなる。
　噛みたい。幾度となく湧き上がってきた暴虐的な支配欲が、今またシュウの胸を占有する。噛んで自分のものとしてしまいたい。けれどもマサキの噛まれたいという欲求を突っ撥ねてしまった後となっては、今更シュウから噛んでもいいかと問うのも躊躇われる。
「これからは家にいるようにしますよ。急いですべきこともありませんしね」
　云いたい言葉を飲み込んでそう答えるに留めたシュウに、研究はと顔を上げてマサキが尋ねてくる。
「あなたにとっては良くない報せになりますが、短期的な試行では結果が出なかったのですよ」
「そっか。お前たちでも、簡単には解決とは行かないんだな……」
「セニアの口利きがあるとはいえ、いつまでも｜練金学士協会《アカデミー》の設備を占有する訳には行きませんからね。だからといって、悲観することはないですよ。長期的に取り組んでいく方向にシフトしただけのこと。ウエンディも引き続き協力してくれると云ってくれています」
「いや、いいよ。そこまでさせちゃ申し訳ない」
　口振りとは裏腹に、マサキ自身はそこまでショックを受けている訳ではないようだ。むしろ諦めが付くとでも思ったのだろうか。次の瞬間、彼は踵を上げると物云わずにシュウに口付けてきた。
　忙しさにかまけておざなりにしてしまった彼からのスキンシップ。シュウはその口唇をゆっくりと味わった。舐めて、重ねて、食んで。挿し入れた舌を馴染ませるように絡めてゆく。舌先に感じる濡れた舌の感触、その熱が彼のこの五日間の寂しさを伝えてくるようだ。
　少しでも舌が離れると、また深く絡めてくる。繰り返し、繰り返し、終わりを先延ばしにしてくるマサキに、シュウは抑えきれない衝動をぶつけるように口付けた。彼の口唇を塞いで、舌を吸う。気付けばマサキの息はすっかり上がってしまっている有様だ。それでも口唇を離す気配のないマサキに、したいの？　シュウはやんわりと顔を引き剥がして尋ねた。したい。息荒く答えてくるマサキの瞳が濡れている。
「なら、シャワーを浴びてきなさい。先に寝室で待っていますよ」
　小さく頷いた彼が真っ直ぐにバスルーム向かってゆく。心なしか酔っているようにも映る足取りは、きっと、この先の時間に思いを馳せているからなのだ。それがわかるからこそ、彼が愛おしくてどうしようもない。
　彼がバスルームに消えるのを見送ってから、シュウは寝室へと入った。ドアに凭れて大きく息を吐く。嗚呼、彼はまだこの家にいるのだ。ドア越しに聞こえてくるシャワーの水音に、先程まで感じていた不安が嘘のように消えてゆく。
　もう二度と彼を手放したくない。
　たったそれだけの辺り前の本心に辿り着くのに、そしてそれを認めるのに、こんなにも大量の時間を費やしてしまうとは思ってもみなかった。シュウは奢っていたのだ。自らの醜い欲望など、理性で抑えられるものだと。一番近くて遠い他人は自分であるとはよく云ったものだったが、それは自己分析を欠かさないシュウをしても例外ではなかったようだ。マサキの不在に予想していた数倍以上も狼狽えてしまった自分。シュウにはマサキが必要だ。シュウの世界の全てを満たせるブラックボックスであるマサキが。
　シュウは窓際に向かった。読書用のロッキングチェアに腰を落として、自然豊かなラングランの景色を眺めながらマサキの訪れを待つ。今日の彼はどういった顔を見せてくれるのだろう？　口付けを交わしただけでも、興奮に瞳を潤ませていたマサキ。早く彼を味わいたい。騒ぐ胸を鎮めるようにロッキングチェアを揺らしながら、取り留めのない思考に身を委ねる。
　Ω抑制剤の新薬開発をどう進めて行くべきか……マサキにとって身近で現実的な脅威であるリューネをどうすべきか……地上の医療機関にも近くもう一度訪れる必要があったし、プレシアの許に彼を戻してやる必要もある……何より魔装機神の操者にいつ復帰させられるのか……ぽつぽつと点のように浮かんでくる未来への懸念材料。考えなければならないことは山積みだったが、今ばかりはそうした物煩いからは解放されたい。シュウはロッキングチェアを揺らし続けた。
　いつしか水音は止み、静けさばかりが寝室を支配するようになっていた。
　キィ……と軋み音を立てながら、寝室のドアが開く。湯上りのほんのりと上気した肌。毛先の乾ききっていない髪がしどけない。くるっと丸みを帯びた瞳が、隅に白目を残しながらも潤んでいる。青年期を迎えて尚、稚さの残る｜幼顔《ベビーフェイス》はよからぬ想像をシュウにさせたものだ。マサキ。姿現したマサキを手招いたシュウは、膝の上に腰を落として胸に身体を預けてくるマサキの首元へと手を伸ばした。太く首を覆うファッションと呼ぶにはいかついデザインの革製の首輪の留め具を外す。
　びくりとマサキの身体が揺れた。
　ベッド脇のサイドチェストの上に首輪を置いたシュウは、先ずマサキの耳の付け根に舌を這わせた。あ。と小さく声を上げてマサキが身体を震わせる。発情期が終わったばかりな彼だったが、感度の良さは相変わらずだ。マサキの後ろ毛を掻き上げたシュウは、そのままうなじへと舌を滑らせた。あ、あ。これまで性行為で触れられたことのなかった箇所への愛撫は、充分なまでに彼に快感を生じさせているようだ。断続的に声を上げるマサキの首元に、シュウは幾つもの紅斑を残してゆく。
　そこから首筋に舌を這わせて、じっくりと舐る。あ、あ。シュウ、何……ようやく言葉を発したマサキに、シュウは答えずに愛撫を仕掛け続けた。顎の下から喉仏、肩口との間にあるきわ、そしてまたうなじに戻っては何度も。時間をかけてシュウはマサキの首周りを舐った。
　性行為が愛情表現の全てではないのは紛れもない事実だったけれども、口下手で不器用なシュウは直接的な接触でしか彼にその気持ちを伝えられそうにない。だからシュウは、執拗に彼の首周りを責め立てた。時にその身体を弄ってやりながら。
　狡い。やがて彼は吐息の合間に、幾度となく繰り返してきたその台詞をまた吐いた。どうして？　と、シュウが訊けば、噛まないくせに。と、拗ねたような声が返ってくる。噛んで欲しいの？　うなじを舐ってやりながら問いかければ、彼は｜明瞭《はっき》りと頷いてみせた。
「発情期以外であなたを噛んでも効果はありませんよ」
「だから狡い、って、云ってる……」
　ねえ、マサキ。シュウはマサキの乳首を弄びながら、その耳元に囁きかけた。
「あなたはαが欲しいだけなのではないの？　自分を発情期の苦しみから救ってくれる相手として」
「だったら、とっく、に首輪を、外、してる」
　声を途切れさせながら言葉を吐き終えたマサキに、確かに。シュウは頷いた。
　もうひとりのαであるリューネ。シュウは多忙にかまけて、彼女のことをまだマサキには伝えられていなかった。マサキの希望に応えたい。シュウの気持ちは決まっていたけれども、彼女の存在を隠したまま噛むのだけは、他人に対して｜公明正大《フェア》でありたいという己の主義を裏切ることになる。
　その事実を知ったマサキがリューネを選ぶのであれば、仕方のないことだ。だからといって、シュウは何もせずにただリューネにマサキを譲るつもりなどなかった。最初にマサキの首に｜傷痕《Love Bite》を残すのは自分でありたい。シュウがしつこくマサキの首周りを舐ったのは、そうしたつまらない意地の表れでもあった。
「リューネは？」
　思いがけない名前が出てきた意味がマサキにはわからなかったようだ。リューネ？　と鸚鵡返しに尋ねてくる彼に、「彼女はαですよ」シュウは嗤いながら答えた。それは彼にとっては意外な展開だったようだ。嘘だろ。振り返ると、そう口にしてまじまじとシュウを見詰めてくる。
「彼女が自分で云ったのですよ。あなたを傷付けたくないから、発情期の問題に見通しが立つまでは会わないつもりでいると。どうです、マサキ。ずっとあなたを想ってくれている彼女です。きっと番となってもあなたに深い愛情を注いでくれる筈」
「何で、そういうことを云うんだよ！」
　シュウの言葉を遮って叫び声を上げたマサキは、自らの気持ちからシュウがまた目を逸らそうとしていると思ったのだろう。そういうつもりではないのですよ。そう言葉を継いでシュウはマサキの耳を舐めた。びくっ、と身を竦めるマサキに、「あなたは私でいいの？」と、囁きかける。こくりと頷いたマサキが、お前｜が《・》いい。云って、身を捩らせると口付けてきた。
　静かに、緩やかに、口唇で全てを伝えるようにシュウはマサキの口付けに応えた。柔らかな温もりと溶けるような熱を口の中に収めて、暫くただその感触を味わう。堪えきれなくなったマサキが、時々、緩く舌を動かしてくるのを口の中で受け止めながら、ひと回りは小さな彼の身体を包み込むように抱き締める。こんなにも小さな身体で、彼は自身に襲いかかった運命の数々と戦ってきたのだ。そう思うだけで胸が詰まる。
　幸せにしてやりたい。
　彼の幸せが自分無くして成立しないというのであれば、シュウはそれに応えるのが義務だと思っている。それが長く不実を重ねてきたシュウが、マサキにしてやれるたったひとつの償いだ。だからといって、それは悲壮な決意ではなかった。後ろめたさも、卑怯さも、狡さも全て飲み込んで、彼とともに番として生きてゆく。その人生にどうして不足を感じるものか！
「後からああしておけばよかったと思っても、引き返せませんよ。本当に私でいいの、マサキ？」
「いいと思ってなきゃ、噛め、なんて云えないだろ」
　そうでしたね。頷いて、シュウはマサキの首筋を吸った。そしてその髪を掻き上げて、肩口を食んだ。軽く歯を立ててやると、三度、身体を震わせたマサキが、もっと強く。と言葉を発する。
「続きは次の発情期にですよ、マサキ」
　歯形の残る彼の肌。戯れの跡とは異なる永遠の｜傷痕《Love Bite》。αに噛まれたΩの首には支配の証として、その刻印が生涯残るという。ここまで遠回りを繰り返してきた以上、今更迷うことはなかったものの、彼の思ったよりも滑らかな肌を汚すことを惜しむ気持ちがシュウにはあった。
　その気持ちも、噛めば薄れてゆくのだろうか？
　永遠の誓いの証として、尊いものと捉えられるようになるのだろうか？
　汗ばみ、熱を帯びる肌。指で、口唇で、その輪郭を様々に辿ってゆく。あ、ああっ。シュウの愛撫に身体を火照らせ始めたマサキの肌に顔を埋めながら、シュウは近い未来に訪れるその瞬間に思いを馳せていった。
［＃改ページ］
８．子孫

　全身をわななかせながらベッドに沈んだマサキの身体を抱き寄せて、シュウは荒ぶった呼吸と鼓動を鎮めていた。
　長い射精を終えたばかりの男性器は、未だ彼の体内に収められたままだ。彼がぴくりぴくりと痙攣する度に、溢れ出てくる精液。濡れそぼる男性器をシュウが抜き取ったのは、やがて言葉を吐く気力を取り戻したらしいマサキが、こういうのってさ……と呟いた後だった。
「別に今更綺麗事を云うつもりはないけどさ、どうなんだろうな。命を消費してセックスするってさ……今はともかく、発情期はさ……その、結局人工中絶薬に頼ってるし……」
　マサキの云わんとしていることはわかる。受精で発情期を終えるΩの身体は、シュウが思っている以上に繊細に、その感覚を味わっていることだろう。シュウは不安げに身を寄せてくるマサキの髪を撫でた。命をどこから命と見做すのかには諸説ある。生物学と法学ではその期間に大きな開きがあったし、最も命という問題に精通している筈の医学にしても、ひとつの期間には定まっていない。
「あなたは命の始まりはいつだと思いますか、マサキ」
「受精した瞬間じゃないのかよ」
「受精卵が人間の形を取るのは、妊娠11週からですよ。それ以前の命は、命であってもヒトの形はしていない。既に｜細《・》｜胞《・》｜の《・》｜運《・》｜命《・》は決まっていますが、ヒト以前の生き物である訳です」
「細胞の運命？」
「受精から14日目頃に、受精卵には大きなイベントが訪れます。それが｜原腸陥入《げんちょうかんにゅう》。これが起こることで、どの細胞が人間の身体や内臓のどの部位になるかが決まります。つまり、それまでの受精卵には生物としての機能は存在していないということになるのです。　
　そもそも、細胞分裂を繰り返した受精卵が子宮に着床するのは、妊娠から１週間後のことです。考えようによっては、それまで受精卵の運命は定まっていないと云えるでしょう。現に着床する受精卵はたった三割。残りの七割は着床することなく流れてしまいます。受精が起こった瞬間を命の始まりと定めてしまうと、私たちは自然のままでも膨大な命を消費しているということになりますね」
　そっか。マサキは少しだけ安堵した様子で、ほっと息を吐いた。
「受精したからって、必ずしも妊娠している訳ではないんだな」
　世界を守るという大義を得るということは、生きとし生けるものの命を守る大義を得たということでもある。自らの体内に生じる新たな命を消費するように奪い続けることなど、当然ながら世界の守護者たる魔装機神の操者であるマサキに耐えられる筈がない。
　純粋にして実直。彼は図太く生きているように見えて、繊細な性質であるのだ。
　多岐に渡る分野に精通してしまっているが故に、シュウには最早生じることさえなくなった素直さ。他人の人生に真摯に向き合うマサキの生への温かい眼差しに、シュウはこれ以上とない愛おしさを感じた。抱き締める腕に力を込める。彼と人生をともにして生きていきたい。胸に湧き上がる柔らかくも真っ直ぐで、芯の通った想いを掴むようにシュウはマサキを抱いた。
　叶えたい欲がある。
　マサキでなければ叶えられないシュウの最大の欲。彼との間に自分の子どもが欲しい。彼がシュウらしいと評した主義主張は、彼自身の存在によって覆されてしまっていたからこそ、話の流れのついでにシュウは彼にその意思を確認したいと思った。
「ところで、マサキ。あなたは私の子どもを産む気はない？」
　その問いはマサキにとっては思いがけないものだったようだ。目を見開くとまじまじと、シュウの顔を見詰めてくる。
「え……だって、お前、自分の血筋を残したくないって……」
「あなたの子どもが見たいのですよ、マサキ」シュウはマサキの髪に顔を埋めた。「その子がどういった能力を持ち、どういった世界に進み、そこでそんな風に生きてゆくのか……私はそれが見たくて堪らない」
　そして暫くマサキの返事を待つ。
　黙り込んでしまった彼に当然だとシュウは思った。子どもを産むのが怖いといつか口にした彼。どれだけ過酷で凄惨な戦場であろうとも恐れることなく立ち向かってゆく彼の、それは思いがけない弱味だった。けれども出産というものは、たった二文字で表されてしまう程に軽いものではなかったし、ましてや産んで終わりとなるものでもなかった。
　ひとりの人間の命に責任を持つということは、一人の人間として生きていけるようにすることでもある。
　Ωの自覚のないマサキにとって、自らの性自認はずっと雄であった。そこに抱え込まされた雌という性。ひと月も経たぬ彼にその現実を消化しろというのは無理な話だ。長く続く戦いに躊躇いが生まれるのは必然でもある。
「お前らしい理由だな……とは、思うけどさ」
　ややあって、言葉を口にしたマサキに、怖い？　と訊けば、シュウを見上げてこくりと頷く。
　産むことを頼んでいる側のシュウには、希望する権利はあれど強制する権利はない。肉体的な苦しみを背負うのはマサキである。それでも、見られるのであれば見たい。その世界は圧倒的な希望と光に満ちていることだろう。シュウは不安に揺らめくマサキの瞳に口付けをひとつ落として、その身体を抱き締め直した。
「いつか、でいいのですよ。私にその世界を見せてくれませんか？」
「いつか、でいいなら……」
　不安はあれど、産むのは吝かではないらしい。
　シュウの胸の傷痕に口唇を押し当ててきたマサキは、そのままシュウの腕の中で眠りに就いた。
　何を考えて彼が性行為の度にシュウの傷痕に触れてくるのか、シュウには見当が付かなかったけれども、初めて触れられた時のような拒絶感はもうない。彼はシュウの胸の傷跡も含めて、シュウ＝シラカワという人間を受け入れようとしてくれている。シュウはマサキから向けられている愛情が、形ばかりのものでないことに例えようのない幸福を感じていた。
　もしかすると、彼はシュウの過去さえも飲み込もうとしてくれているのやも知れない。
　｜自尊心《プライド》の高い人間であるシュウは、自らの力だけではどうにも出来なかった挫折の経験に、深いコンプレックスを抱いている。それは高い能力に恵まれているからこその失意であった。どんな困難も自らの力のみで打開出来ると信じて疑わなかった幼き日のシュウは、その慢心に付け込まれるようにして奇禍に遭った。
　誰にも打ち明けることのなかった心の傷。けれども、いつかは彼にそうした話をしてやれる日も来るのだろう。
　安らかな顔で眠りに就いているマサキを起こさぬように、そうっとシュウはベッドを出た。ローブを羽織り、リビングに向かう。既にチカは梁の上で眠りに就いたようだ。点けっ放しのテレビの前にはマサキの二匹の使い魔の姿しかない。
　テレビを消したシュウは、床の上で丸くなって眠っている彼らを抱き上げた。ニャ!?　その温もりが主人のものと異なることに気付いたようだ。二匹の使い魔が即座に揃って声を上げた。
「マサキはどうしたんだニャ？」
　寝ぼけまなこのシロの言葉に、寝てますよ。と答えれば、途端にクロが騒ぎ出す。
「またマサキを自分の都合のいいように扱ったんでしょ！」
「そんなことはありませんよ」
「嘘吐き！　マサキのことを幸せに出来ニャいのに、どうしてマサキに手を出すの？」
「彼の幸せを願っているからですよ」
　確かにシュウのしてきたことは、傍目にも卑劣であった。自ら責任を負えないのに、マサキを抱き続ける。それはさしたる覚悟もなく、彼に手を出したも同義。マサキのΩとしてのたったひとつの自由を奪いたくない。本当に心から望んでいたことだったこととはいえ、そう思うのであれば、そもそも安易にマサキに関わってはならなかったのだ。
　シュウは第二世代であるとはいえ、αであるのだから。
　自由を奪いたくないと云いながら、不自由を押し付け続けた。思えばシュウはマサキの為に、という建前を盾に、マサキと向き合うことを避けてしまっていた。彼の本心を知るのが怖い。どれだけ彼が自らに気を許すような素振りをしてみせるようになっても、シュウはそれを信じることが出来ずにいた。
　大切なものを失ってからその重みに気付くのは、今回で最後だ――シュウは言葉を継いだ。
「とはいえ、本当に相手の幸せを願うのでしたら、最初から手を出すべきではありませんでしたね。それについては謝罪します。あなた方にかけなくていい迷惑をかけてしまった」
「……そんニャ言葉には誤魔化されニャいのよ」
「大丈夫です。私は覚悟を決めましたから」
　それって、とシロが身を乗り出してくる。
　マサキに与えた部屋に辿り着いたシュウは、彼の二匹の使い魔をペットベッドに寝かせた。続きはマサキに聞きなさい。そう言葉を残して、寝室に戻る。ベッドの中に潜り込むと、人肌が恋しかったのだろう。眠りに落ちたまま、マサキが身を摺り寄せてきた――……。
　そのままシュウもまた、眠りに就いた。
　悪夢は吉兆の表れであるという。思い出そうとすると訳もなく動悸がするような、内容の不確かな悪夢を見た翌日。あまりいい寝覚めではなかったシュウがベッドの中で目を開くと、マサキの姿は隣にない。キッチンから流れ込んでくる匂いから察するに、彼は既に起きて朝食の支度をしているようだ。シュウはほっと胸を撫で下ろした。今日からまた彼のいる｜日《・》｜常《・》を過ごせるのだ。
「暫く家事をあなたに任せきりにしていたのですから、ゆっくり休んでくれていてよかったものを」
「やりたくてやってるんだから、気にするなよ」
　着替えを済ませてキッチンに向かうと、いつもと変わらないマサキの姿があった。ここ暫く練金学士協会に詰めていて目にすることがなかっただけに新鮮に映る。どうやら既に洗濯まで始めているようだ。テーブルの上に料理を置いた彼が、洗面所へと姿を消す。
　シュウはテーブルに着いて、手にしていたタブレットＰＣを開いた。
　シュウがマサキを噛んだからといって、発情期の問題が終わりになるものでもないだろう。性フェロモンが効果を及ぼすのはシュウに限られ、性行為を受け入れられるのもシュウに限られるようにはなるが、発情期そのものがなくなるわけではない。不定期な周期の問題もある。彼の負担を少しでも軽くしてやる為にも、新しい抑制剤は必要だ。
　マサキを失うこととなるウエンディが引き続き助力をしてくれるかはわからないが、長く彼を想ってきた女性だ。その胸中を慮れば、この先も研究に付き合わせる訳には行くまい。シュウはこれまでのデータを見直しながら、ひとりで研究を続けていく為に必要な設備などを洗い出していった。
「ついに年貢を納める気になりましたか、ご主人様」
　そこに主人が起きてきた気配を察知したようだ。リビングからチカが舞い込んでくる。シュウの肩にとまった彼は、これまでの鬱憤を晴らすかの如く、凄まじい勢いで言葉を紡ぎ始めた。
「いやー、いやー。いつにも増して今回のご主人様はとんだゲス野郎だった訳ですけど、人生山あり谷あり覚悟ありですかね！　つーいーにー、マサキさんを噛む覚悟を決めたようで先ずは何よりと申し上げますよ。やっぱりね、男に生まれた以上はね、きちんと取るべき責任を取ってなんぼ！　これでマサキさんも心穏やかに眠れる日がくるってもんです。でも、ご主人様？　いきなり子どもの話までするのは、ちょっと先走り過ぎじゃないですかね？　流石のマサキさんもお悩みでしたよ。魔装機神の操者を長くお休みしないとなりませんし、生まれた子どもの世話を誰がするかって話もあるでしょう。ご主人様もマサキさんも多忙な方なのですから、そこはもう少し先の展望を詰めてからにしてあげたほうが」
「かといって、あまり先延ばしにし過ぎていい話でもありませんしね。歳を取れば取っただけ、生まれてくる子どもへのリスクが高まる以上、私としては早めに欲しいと望みますが」
「いつかって云っておきながらこの譲らなさ！　いつもの冷静沈着なご主人様は何処へっつーぐらい展開が早い！」
「勿論、マサキの意思は第一ですよ。彼が嫌だと云うのであれば、無理強いはしません。それでマサキを失ってしまっては本末転倒。何を一番大切にすべきであるかは、云われなくともわかっています」
　本当ですかねえ？　首を捻ったチカがふわりと宙を舞った。彼が羽ばたいて行った先には、洗面所から戻って来たマサキの姿。キッチンを出て行ったチカと入れ違いにテーブルに着いた彼は、どうやらシュウとチカの会話を聞いていたようだ。
「お前が子どもを欲しがるようになるなんてな」
「誤算でしたか」
「意外だった。お前、頑固だからさ。一度決めたことは譲らないだろ。それがいきなり、子どもが欲しいなんて云い出すから……」
「そうですね。私も驚いています」
　けれどもその主義主張を捨てさせたのは、他でもないマサキである。
　人を好きになると世界が変わる――とは、ありふれた金言であったが、その普遍的な変化が自らにも訪れたことを、シュウは内心喜んでいる。人並みの幸福に淡い憧れを抱いていたシュウにとって、最もその障害となるのは自らの問題多き性質でもあった。社会に迎合しなければ、他人に馴れ合えもしない。だからといって、シュウは積極的に自らを変えたいとは望んではいなかった。自らの中に芯が通っていればいい。人間の心はファッションのように入れ替えが利くものではないからこそ、シュウは自分が納得出来る自分でいる方を選んだ。
　その自らに起こった目覚ましい変化。
　人の成長とは｜人生のイベント《ライフイベント》を通過した証でもあるのだ。停滞は人の心を頑なにさせる。それを身を持って知っているシュウは、その頑なさ故に自身の未来が先細ってゆくのを感じ取っていた。ありきたりであろうと、変わり続けること。人生とはそうした変化の連続である。真実の豊かさとはその先にこそ存在し得るものであるのだろう。だからこそ、シュウは自らの中に眠っていた可能性を目の当たりに出来たことに喜んだのだ。
「チカにも云いましたが、無理強いするつもりはありませんよ。産む辛さを味わうのはあなたです。あなたが本当に嫌だというのであれば、このままふたりで生きていくのもまた一興。それはそれで賑やかで楽しい日々になるでしょう」
　シュウの言葉にうん、と小さく頷いた彼は、カトラリーを手に取った。温野菜のサラダに、スクランブルエッグ、厚めに切られたハムステーキ、豆のスープとワンプレートに収められた今朝の朝食に手を付けながら、今の素直な気持ちであるのだろう。子どもは欲しいんだけどさ、と語り始めた。
「でも、いざ自分が産む側になると怖いって思っちまう。我儘だよな、そんなの。子どもは欲しいけど産みたくはない、なんてさ。世の中の親は皆、そういう気持ちを乗り越えて子どもを産んでるっていうのに」
「だからといって、無理をして欲しいとは思いませんね。怖いと感じるのは自分の身を守る為にも必要な反応ですよ、マサキ。人間の出産は、本来、命を懸けて行われるものですから。あなたがそう感じるのも、極々自然なこと」
　マサキがそういう気持ちであるのであれば、わざわざ自分たちの血筋に拘る必要もないだろう。シュウは自らも食事に手を付けながら、彼に話をして聞かせた。取れる選択肢は幾らでもある。彼の養父であるゼオルートのように、子どもたちを一時的に預かって育てるのもいい。養子を取ってもいい。家族の形はそれぞれだ。勿論、シュウとしては自分の血を引く子どもが欲しくあったが、マサキが納得出来る形で家族が作れるのでなければ意味がない。この件に関しては、彼の意思が第一に尊重されるべきだとシュウは思っている。
「いずれにせよ、今直ぐ、という話ではありませんよ。ゆっくり考えてくださって結構。時間はまだありますしね」
　頷いたマサキに、ところで――と、シュウは話題を変えた。
「あなたはいつまでここにいるつもりですか、マサキ」
　シュウの言葉にマサキは酷くバツが悪そうな表情になった。どうやら、シュウの本来の生活を脅かしていることに、彼は罪悪感を感じてしまっているようだ。シュウの言葉を催促の意味と取ったのだろう。悪いな、と彼は先ず謝罪を口にすると、次の発情期が終わったらプレシアの許に戻るつもりでいると述べた。
「ただ、病院に行こうとは思ってる。お前に噛んでもらえれば、他のαに性フェロモンの影響が出ることはなくなるだろ。だからって発情期の症状が抑えきれるかっていうと、そういう話じゃないしさ」
「ここに残るという選択肢もありますがどうします？　あなたがプレシアのことが気掛かりというのであれば止めませんが、私としては今後もこの生活を続けられるのなら、それがお互いにとって一番だと思っています」
「そうだな……」悩まし気にマサキが口にする。
　一度決めたことを容易に覆すのを良と出来ない頑固さは、何もシュウに限った話でもない。マサキも同様に、安易には折れない頑固さを持っている。それは元々の彼の性格でもあったが、魔装機神の操者として長く戦場に立ち続けている所為でもあるのだろう。戦場に於いては自らの意思の強さだけが頼りだ。敵のおためごかしの言葉を聞いて、右に左に心が触れてしまうような人間に、誰が命を預けられたものか。
　体面もあるに違いない。戻ると云ってここに身を預けている立場のマサキは、プレシアとの約束を反故にすることを悩ましい事態と捉えているのだ。彼女は義兄が自分から離れてゆくことに反発することだろう。早くに両親を失った彼女にとって、自らが頼れる一番近い身内は義兄であるマサキだけだ。今また身内を失う義妹を、どうして情に厚いマサキが置いてゆけたものか。
　しかし、だからこそ、彼の心は揺らいでしまっているのだ。
　彼の発情期の乱れようは大切な義妹に見せたい姿ではない。そのリスクを抱えたまま、プレシアの許に戻る。果たしてそれはこのふたりの兄妹にとって最良の選択となるのだろうか？
「私が噛むことを受け入れるということは、性行為の相手に私以外を受け入れられなくなるということでもあります。逆に云えば、それは今までよりも発情期を抑える方法が限られるということ。あなたと私の距離は近いに越したことはありませんが、私はご覧の通りの立場ですしね。あまり王都付近には近付かない方がいいでしょう」
「……俺、ここにいてもいいのか？」
「私はあなたがいる生活がいいのですよ、マサキ。あなたはこの家にいい変化を齎してくれた。きちんとした食事を取ること、家を綺麗に保つこと……賑やかさにしてもそう。誰かがいる家というものは、こんなにも温かみに溢れているものなのですね。勿論、家事は私もしますよ。共同生活のルールは今まで通り。どちらかに負担が偏るようなことには誓ってしません。如何です、マサキ。私と一緒に暮らしてはくれませんか」
　チカが耳にしたら、また気が急いたことをと口にするだろう。シュウはその彼の様子を想像して苦笑する。
　確かにシュウは先々のことを急いで決めようとしている。子どものこと然り、同居のこと然り。けれどもそれは、先のことだからとなおざりにしていい話ではない。彼の一生を拘束する権利を有したシュウは、だからこそ彼の人生に責任を持たなければならないのだ。そうである以上、そこに関わる問題については、なるべく早めに意見を擦り合わせておくべきだろう。
　噛んでしまってから話が違うとなっても、時間は巻き戻せないのだから。
　法的な婚姻関係は解消が出来るが、番という関係は解消が出来ない。その重みをシュウは自覚しているのだ。
「いられるのなら、ここにいたいけど、俺ひとりで決められる話じゃないしな……プレシアの了解も取らなきゃいけない。他の仲間にも説明しなきゃいけないだろ。どちらにしても、一度、話合わないとな」
　ええ、とシュウは頷いた。
　これから先の人生をともにしてゆく以上、人間関係の清算は必要だ。環境の変化は、彼らとの付き合い方にも変化を齎すだろう。仲間という絆が断ち切れる関係ではない以上、シュウもマサキも誰かしらとは話し合う必要があった。サフィーネやモニカにしても――、とシュウが自身を取り巻く人間関係に考えを及ばせた瞬間、そういえばさ、とマサキが口を開いた。
「お前が｜練金学士協会《アカデミー》に行ってる間に、サフィーネとモニカが来たんだ。俺がいつまでもここにいることを怪しんでるみたいだったからさ、次に来たらどうすればいいかって思ってて」
「それについては私が対応しますよ。自分のことですからね。あなたが特別に何かをする必要はありませんよ、マサキ。早い内に、彼女たちには私から話をすることにしましょう」
　シュウの言葉に安堵の表情を浮かべてみせたマサキは、彼女らの存在にそれなりの不安を感じていたようだ。
　無理もない。押しの強い彼女らに、さぞ弱味を感じたに違いないマサキ。自らが｜明瞭《はっき》りとしない態度を取ってきたばかりに、彼にさせなくていい負担を感じさせてしまった。今日は街にでも行きましょうか。シュウはマサキに尋ねた。出る度に買い足してはいたものの、ここ数日の不摂生が祟ったのだろう。冷蔵庫の中身がそろそろ怪しくなってきている。
　食料の買い出しのついでに、どこかに足を伸ばそう。
　昨日のマサキの不在にしても、家にばかりいた気詰まりが原因だった。彼はシュウとは異なり、アウトドアな人間であるのだ。それに、長く練金学士協会に詰めていた分、シュウ自身も彼とともに過ごす時間を必要としている。彼を側に置いておきたい。彼を悦ばせたい。その為には何処に行くべきだろうか？　シュウが考えを巡らせていると、だったら、とマサキが笑った。
「グランゾンに乗せてくれよ」
「グランゾンに？」意外な返事にシュウは目を瞠った。
「俺ひとりだと迷って帰って来れなさそうだから、あんまり遠出が出来なくてさ。何処か遠くに行きたいんだ。お前が面白いスポットを知ってるなら、そこでいい。ラングランの自然を感じられる場所に連れて行ってくれないか」
　彼らしい要求にシュウは笑みを零さずにいられなかった。アクティブに動き回る彼は、ラングランの自然を殊の外気に入っているようだ。確かに、地上世界のように娯楽施設狭い地域に密集していないラ・ギアス社会では、雄大な自然を楽しめるだけの余裕がなければ生活に退屈してしまうだろう。きっとマサキがラングランに残ることを決めたのは、そうした社会性が彼の性質に合っていたからでもあるのだ。
　それならば、彼が喜んでくれるだろう場所に連れて行こう。シュウは幾つか知っているラングランの自然豊かな観光スポットの中から、ひとつを提案することとした。
「それなら、ここから南西100km辺りの場所に、空が生まれる場所と呼ばれているスポットがあります。山の谷間なのですが、谷間から吹き上げる風と気流の関係で――」
　そこまでシュウが口にした瞬間、ドンドンと乱暴に玄関ドアを叩く音がした。
　朝から無礼な来客もあったものだが、マサキを預かっている以上は無視しきる訳にも行かない。シュウはテーブルから腰を上げた。
　マサキとしては、また自らの絡んだ厄介事の到来であると思ったのではないだろうか。大丈夫ですよ。不安げな表情を晒している彼に待っているように告げる。彼の仲間であろうと、今度は自分が矢面に立つ番だ。これまではマサキの問題であるからと、彼に全てを任せきりにしてきたが、今は違う。噛む覚悟を決めた以上、それに関わる責任は負うべきだ。シュウは玄関に向かった。
「そんなに乱暴に叩かずとも、聞こえていますよ」
　変わらずに激しい音を立てているドアを、機嫌のままに開く――と、拳のゆく先を失ったのだろう。サフィーネとモニカが雪崩れ込んできた。足元が危うくなっているふたりを仕方なしに胸で受け止める。シュウ様。と、顔を上げた彼女らは、どういうことですの？　と口々にシュウに尋ねてきた。
「どういうこと、とは？」
「マサキのことですわ」
「彼の仲間との関係が拗れていると聞いたものですから、その原因を尋ねに彼らのところに窺ったのです」
　余計なことを。シュウは改めて話をしようと思っていた矢先のトラブルに、世の中のままならなさを思い知った。とはいえ、逆境こそ｜好機《チャンス》でもある。いずれ話をしなければならないのであれば、今ここで話を済ませてしまった方がいい。シュウは黙って彼女らの言葉に耳を傾けた。
「ヤンロンに聞いたら、マサキはΩであるという話ではありませんか」
「しかも発情期が始まったばかりと伺いました。それも周期が不規則だとか。そういった｜種《・》とともに生活しているとあっては、シュウ様の身を案じるのも当然ですわね。それでこうして話をしに窺ったのですわ」
　性というセンシティブな問題に対して、軽々しく口にし過ぎではあると思いはしたが、隠し続けられる問題でもない以上は已む無きことであったのだろう。ましてやシュウのこととなると梃子でも動かなくなる二人組だ。きっと彼らをしても根負けをする他なかったに違いない。
　それでも腹の底に残る怒り。自らの声から色が失われてゆくのを感じながら、シュウは言葉を放った。
「それでしたら話をする必要もありませんね。先ず、マサキは人間です。Ωというのは性別の一種に過ぎない」
「ですが、シュウ様。マサキとの間に何か間違いがありましたら」
「合意の上であれば間違いではないでしょう」シュウは狼狽えるふたりの女性を見下ろした。「ついでにあなた方に報告をしておくことにしましょう。私は第二世代のαです」
　賽は投げられた。シュウは息を呑んだふたりの女性に冷ややかな視線を投げかけ続けた。察しの良い女性たちだ。これだけでシュウの云わんとしていることは伝わるだろう。その感覚は間違いではなかったようだ。ややあって、モニカが青褪めた口唇を震わせながら言葉を吐く。
「それは……つまり、シュウ様はマサキと、その」
「肉体関係を結んだと仰りたいのですね。｜合《・》｜意《・》｜の《・》｜上《・》｜で《・》」
　真っ直ぐにシュウを見据えてくるサフィーネの視線を、シュウは真正面から受け止めた。
「あなた方の献身には感謝をしています。ですが、それとこれとは話が別です」
　彼女らの献身には感謝をしている。しかし、それでシュウの心は溶け切らなかった。シュウは今尚心の何処かで、彼女らに対して一線を引いてしまっている。仲間として信頼はしているが、信用はしていない。そう、マサキに対する程に、シュウは彼女らを頼りとしてはいないのだ。
　シュウ様。と、呟いたモニカの瞳から、涙がはらりと零れた。頬に筋引く涙はそのままに、彼女は口唇を真一文字に結ぶと、悲哀の色も露わにシュウを見詰めてくる。それに対して、わかって欲しい、などとシュウは云わなかった。
　オンリーワンだ多様性だと云ったところで、物事には勝ち負けが付きものだ。誰かが選ばれた陰には、誰かの涙がある。世の中には｜複数愛者《ポリアモリー》という性的嗜好を持つ人間もいるにはいたが、人間とは本来、一対一で番うように脳が作られている生き物だ。シュウやマサキが例外的な脳の作りをしていない以上、彼女らにはいずれどこかで現実を認めてもらわなければならなかった。
「……酷いことを仰いますのね」
　涙で言葉が吐けずにいるモニカに代わって、サフィーネがそう口にした。
「耳障りのいい言葉を選んで欲しかったですか？　それともあなた方の都合のいい世界を創って欲しかったですか？　けれどもそれは仮初めの平和にしかなりませんよ。それがわからないあなた方ではないでしょう。
　あなた方に最大の屈辱を与えない為に、私は事実を口にしなければならなかった。そしてそれこそが、私があなた方にしてあげられる最大の誠意の表し方でもある。それ以上にあなた方が私に何かを求めるのだとしたら、それは恋愛を等価交換だと捉えているからに他ならない。それとも、してあげた以上は返ってくるのが当然だと思っていますか。それはただの奢りです。思い上がりと云っても過言ではない」
　返ってくる沈黙に、シュウは少しだけ微笑んだ。
　全てが丸く収まる世界などないのだ。数多の戦場を駆け抜けたシュウはその現実を良く知っていたし、そうでなくとも王宮育ちである。些細な感情の行き違いが大きな諍いに発展した例など、数えきれない程に目にしてきていた。静かなる戦いも、火花を散らす戦いも、その最中に涙を呑む人間を生み出すのは同じ。ならば、その憎しみは全て自分が引き受けよう。サフィーネとモニカの眼差しを一身に受けながら、シュウは静かに最後の言葉を吐いた。
「――私にはマサキが必要です」
　わっと声を上げて泣き出したモニカの背に手を置いたサフィーネが、帰りますと静かに口にする。きっと両者ともにその視界は涙に雲っていることだろう。覚束ない足取りで玄関ドアを潜った彼女らを送り出してやりながら、シュウは彼女らに釘を刺すのを忘れなかった。
「今後、もしマサキに害を為してきたら、あなた方でも容赦はしませんよ」
　それに対してぴたりと足を止めてみせたサフィーネが、ぎこちなくも笑みを浮かべながらシュウを振り返った。私を見縊らないで欲しいものですわね。きっぱりと云い切ってみせた彼女は、モニカと身体を寄せ合うようにして、ラングランの自然の中へと姿を溶け込ませていった。

　※　※　※

　失意に暮れる彼女らとしては、マサキに一矢報いなければ気が済まなかったのだろう。どうやらその足で王都へと向かったらしいサフィーネとモニカの話を聞いた魔装機神の操者たちは、プレシアやウエンディを伴って、翌日も早くから近くの街へとマサキを呼び出してきた。
　リューネの姿はなかった。
　同行すると云い張るシュウの申し出をマサキが断ったのは、彼がひとりでサフィーネとモニカに向き合ってみせた以上、自分もまたひとりで彼らと向き合うのが道理だと考えたからだった。
　勿論、マサキの人生である。それをどう生きていくのかはマサキ自身の選択に委ねられるものだ。他人に口を挟む権利などない。とはいえ、魔装機神の操者としての活動にも関わる選択である以上、サフィーネとモニカに先んじて彼らに報告をすべきではあった。だからこそ、何をどう責められても文句は云えない――マサキはそう覚悟して彼らとの話し合いに臨んだものだった。
　けれども。
　話し合い自体は呆気なく終わった。いや、それはそもそも話し合いと呼べるものだったのだろうか？　彼らは幾つかの質問をマサキに投げかけてはきたが、シュウと番になるというマサキの選択に反意を唱える為に来たのではなかったようだ。むしろマサキの選択は、当然のことと彼らの中では受け止められている節さえあった。
　では、何をしに彼らがマサキの前に姿を現したのかと云うと、安易にサフィーネとモニカにマサキがΩであることを話してしまったことに対する謝罪にあるらしい。性の問題はセンシティブでもある。ましてや地上では一段低く見られているΩに纏わる話であるのだ。恐縮して謝罪の言葉を口にする彼らに、過ぎたことだからとマサキは笑った。
　その程度の困難など、激動の二十日余りの中にあっては今更困難の内にも入らない。それどころか、そのお陰でサフィーネやモニカという厄介な女性たちに話が通り易くなったのだから、マサキとしてはお節介な仲間たちには感謝するばかりだ。シュウが立場を明らかにしてくれたことで、自らの中にあった彼女らへの嫉妬心は幾らか薄らいだ。後は無事に噛まれるだけだ。マサキは彼らの気持ちを軽く出来ればと、そう口にしてみせた。
　意外なことに、彼らを叱ったのはリューネとウエンディであったという。
　マサキに無体を働かない為に、マサキの発情期の問題が片付くまでは姿を見せないと誓ったらしいリューネ。彼女はマサキがシュウと番になること聞いた瞬間、「そうなると思ってた」と笑ったらしい。恐らく彼女はマサキがΩだということが判明した瞬間から、徐々に覚悟を固めていっていたのだろう。ヤンロン曰く、リューネはいつか仲間で集まった酒盛りの席で、「幾ら好きでもしたくないことはあるし、見せたくない姿はあるよ。マサキだってそう思ってるから帰って来ないんだよ」そうしんみりと語っていたそうだ。
「でも、シュウが第二世代のαだって隠してたことは許さないわよ」
　そう云って笑ったウエンディは、「それをもっと早く知れていたら、研究が進んでいたかも知れないもの」茶目っ気たっぷりにそう付け加えると、幸せにね。マサキの手を取って穏やかに言葉を吐いた。
　マサキはその言葉にただ頷くことしか出来なかった。
　長く自分を想ってくれていた女性たちだ。｜明瞭《はっきり》とした態度を取らずにここまできてしまった以上、もっと辛辣な言葉を吐かれても仕方もなかっただろうに、彼女らは最後までマサキの味方でいることを選んでくれた。きっと陰には苦悩も多かったことだろう。それを全て飲み込んで笑ってくれるウエンディと、この場にはいないもののマサキを祝福してくれたリューネ。彼女らに感謝が出来ない程、マサキはもう未熟な少年ではない。有難う。精一杯の気持ちを伝えると、大したことはしていないわ。ウエンディはさらりと云ってのけた。
　プレシアは始終寂し気だった。
「こんな急にお兄ちゃんと離れることになるなんて思ってもいなかったから、どう云えばいいかわからないけど……でも、それがお兄ちゃんの幸せなんだものね。だったらあたし、ちゃあんとひとりで生活してみせる。お兄ちゃんの足を引っ張らないように」
　シュウの許にも乗り込んできた義妹だ。きっと他に云いたいことは山ほどあっただろう。それでも最後には健気にも笑ってみせたプレシアに、これからも迷惑をかける。マサキはそう云って頭を下げた。義理とはいえ兄妹であるマサキとプレシアの縁はそう簡単に切れたりするものではない。マサキにとってしっかり者の義妹は、これまで同様に必要な存在である。そう、近い未来にもきっと、彼女の手を借りる事態は起こるに違いない。マサキとシュウの共同生活は未だ始まったばかりなのだから。
「本当にシュウでいいの？」
　繰り返し尋ねてくるテュッティは、マサキの将来に対する心配を捨てきれないようだ。それをミオが「もう、いい加減にしなよ。マサキだっていい大人だよ？」と逐一窘めてゆく。それにマサキは大丈夫だと答え続けた。こんな風に誰かを必要としたのは初めてのことだから、と。
　彼女はマサキの気持ちが変わらないことを確認しきったのだろう。話し合いも終わり際になってから、何かあったら直ぐに相談するのよ。そうとだけ云うと、そこでようやく安心したように笑顔を浮かべてみせた。
　それから積もる話を飽きる程にした。
　趣味に関しては移り気なテュッティが今度は刺繍を嗜み始めたらしいこと、ミオがそれに倣ってポプリ作りを始めたこと、その結果、テュッティが世話をサボるようになったハーブをプレシアが引き取ることになったこと、あまりの生育スピードの速さに使い切れないからとウエンディに贈るようになったこと、そのハーブを使ったお茶を｜練金学士協会《アカデミー》の研究員たちに振舞うのが最近のウエンディの愉しみであること……女性陣の如何にもな趣味や日常生活の話に耳を傾けているのかいないのか、涼しい顔をして紅茶を啜っているヤンロンは、それよりもマサキのトレーニングがきちんと行われているのかの方が気になる話題であるようだ。
「ところでお前は、剣の稽古はしてるのか」
　尋ねられたマサキは、最近、ぼちぼちな……と答えるに留めた。それでマサキの様子が知れたらしい。余計な説教が始まるかと思いきや、マサキの現状を案じてはいるようだ。少しでも身体を動かしているならいい。頷いたヤンロンは、無理はするなよ。彼にしては珍しくも、マサキの不摂生を責めずに済ませてくれたものだ。
　嗚呼、やはり彼らはマサキの仲間であるのだ。
　諍いもあった。揉めたりもした。愛や恋もあれば、慈しみもあった。激動の二十日余りの間にマサキの身に振り掛かった出来事の数々は、もしかすると、彼らとの絆を確かめるのに必要な通過儀礼であったのかも知れない。
　Ωであることを受け入れ、シュウとの新たな関係も受け入れてくれた仲間たち。彼らは自ら幸福を獲得しようとするものの道を阻むような真似はしない。新たな選択をし、新たな未来へと歩み出した仲間を、快く送り出せる器の持ち主であるのだ。
　それを感じ入ったマサキは、夜の初め頃まで彼らと語り合った後に、幸福な気持ちで帰路に就いた。
「どうでしたか、マサキ。彼らとの話し合いは」
　総じて穏やかに話し合いが済んだその日の夜。帰宅したマサキがシュウに乞われるがままに話し合いの席の様子を報告すると、サフィーネやモニカのこともあって心配していたようだ。シュウはそれなら良かった。と安堵した様子で言葉を吐いた。
「いーや、もうどこの夫かっつーぐらい落ち着きがなかったんですよ、今日のご主人様。リビングと書斎を行ったり来たりでひところに落ち着きゃしない！　今からこんなんで一緒に生活していくの大丈夫なんですかね？　ましてや出産、何てことになったらこの騒ぎじゃ済まない気がするんですけど」
　彼の周りを飛び回りながらそう云ってけたたましく笑うチカに、その時はその時ですよ。シュウはマサキをリビングのソファに招きながら、しれと云ってのけたものだった。マサキは彼の隣に腰掛けた。膝の上に飛び乗ってくる二匹の使い魔に、彼の肩に舞い降りる一羽の使い魔。賑やかなこと他ないな。マサキがしみじみそう呟くと、これからはこれが日常になるんですよ。チカはうっふっふと含み笑いを洩らしながら続けてくれたものだ。
　長い物煩いの果てに訪れた穏やかな日常。サフィーネとモニカのことは気掛かりではあったものの、恋の勝者となったマサキが彼女らにしてやれることは何もない。マサキはそれに対して沈黙を貫くこととした。彼女らにしても、マサキから慰めの言葉をかけられるのは耐え難い屈辱に違いない。
　それから一週間程、マサキはシュウとふたりでのんびりと過ごした。
　それまで家に篭りきりだったマサキの気分転換たればと、シュウは方々へとマサキを連れ出してくれた。霧深き森、清き水がせせらぐ川、雲に届く山の頂にも向かったし、文明に満ちた街にも向かった。家で過ごしてばかりでは、いざ振り返った時に思い出の数が少なくなるでしょう。そう語った彼は、マサキとの新しい生活を意欲的に過ごそうと試みているようだった。
「別にいいんだぜ。俺はそんなに頻繁に外に出なくとも、お前がそこにいれば」
「私がそうしたいのですよ。これまでのあなたとの付き合いには限りがありましたからね。色々な記憶が欲しいのですよ。あなたの仲間に負けないぐらいの」
　思ったよりもシュウは負けん気や独占欲の強い性質であるらしい。
　大らかにマサキを受け入れ、居場所を作ってくれた彼からは想像も付かなかったが、彼自身は家族に対する強い憧憬があるようだ。それはもしかすると、彼の胸の傷に纏わる話であるのかも知れなかった。だからこそ彼はマサキとの関係構築に積極的であるのだろう。
　その間に彼はセニアと連絡を取ったようだ。彼女もまた仲間たち同様に、マサキとシュウの同居には好意的であると聞かされた。そのついでに魔装機神の操者としての復帰時期をいつにするのかという話も出たようだが、こればかりは地上の医者に任せるしかない。それも含めて、これから先ふたりでどう生きていくのかの話をシュウと山ほどすることとなったマサキは、徐々に様々なことに対する決心が固まってゆくのを感じていた。
　マサキがシュウの許に身を寄せてから丁度三十日目となったその日。珍しくも家で過ごしていた昼下がりに、サフィーネとモニカがシュウを尋ねてきた。マサキとしては大事な話でもある。きちんと場を整えて話をすべきではないかと思ったりもしたが、シュウは彼女らを玄関から先に上げるつもりはないらしい。マサキの言葉には耳を貸そうともしなかった。
　結局、数十分程話をして去っていた彼女らが何をしに来たのか。彼女らのことはシュウに任せると決めたマサキは、詳細をシュウの言葉でしか知ることはなかったが、日を開けたことで冷静な判断力を取り戻したらしい彼女らは、それがシュウの選択であれば受け入れると自らの意思を表明してみせたのだそうだ。出来ればマサキとも顔を合わせたがっていたようだが、それはシュウが許さなかったのだという。
　もしかするとマサキにとって聞くに耐えない発言があったのかも知れない。仕方のないこととはいえ、マサキは気にせずにはいられなかった。如何に腐れ縁と呼ぶべき付き合いがあったにせよ、彼らの仲に後から割り込んで行ったのはマサキの方であるのだ。
「まあ、誰かが悪者になってしまうのは仕方のないことですよ。大体、今回の件に関しては圧倒的にご主人様が悪いんですからね。長年彼女らを扱き使っておいて、フォローらしいフォローもせずにポイ。だからといって、マサキさんはなーんも気にする必要はないですよ。マサキにさんに対しても不誠実だった訳ですからね、あの朴念仁は」
　口の悪い使い魔はそう云って、マサキの二匹の使い魔の許へと飛んでゆくと、仲睦まじくも最近の流行らしい。テレビ視聴に精を出し始めた。
　しかし、そう慰められたからといって、気持ちを直ぐに切り替えて穏やかにとはいかない。そうでなくとも発情期が訪れてからのマサキは精神的に落ち込み易くなっているのだ。彼女らの今後を考えている内に、彼是と考えなくともいいことにまで考えを及ぼしてしまったマサキは、どうやらその結果、またも不定期な発情期に見舞われてしまったようだった。
　不意に襲いかかってくる倦怠感に、熱っぽさ。ああ、アレが来る――そう思った時には遅かった。どうにもならない性衝動はあっという間にマサキの理性を食らい尽くした。｜斑《まだら》となった理性の網から本能が溢れ出してくる。マサキはふらつく足取りで、寝室へと向かった。
　今日のシュウは書斎に篭りきりだ。サフィーネとモニカが訪れて来た時のみ姿を現してみせた彼は、どうやらしたい研究があるようだ。長く自分に付き合わせ続けてしまったことに負い目を感じていたマサキは、彼のそうした傾向を好ましいものと捉えて好きにさせておくことにした。けれども今となっては、彼の姿が見えないことが心細くてどうしようもない。待ちに待った発情期ではあったものの、果たしてそれを知ったシュウは本当に自分を噛んでくれるのだろうか？
　ベッドに入るより先に、彼の匂いを求めてクローゼットを探る。その間に異変を察知した使い魔たちがシュウを呼んできたようだ。何をしているの、マサキ？　寝室のドアが開かれると同時にかけられた声。幾枚かの衣類を選んだマサキがそれに袖を通そうとした瞬間の出来事だった。
　振り返った時には彼もまた理性を手放した後だと知れた。獰猛な眼差しで近付いてきた長躯が、力任せにマサキの身体をベッドに沈める。たったそれだけでも全身に走る痺れるような快感。ああ、シュウ。早く、楽にして……伏せた身体から下着ごとジーンズを剥ぎ取られたマサキは、喘ぐように言葉を吐いた。双丘を割る手が、愛撫もそこそこにマサキの蕾へと昂った塊を押し当ててくる。
　既に濡れそぼった蕾からは、泉のように愛液が溢れ出ていた。ずるり――と、｜挿入《はい》り込んでくる彼の男性器が、膨らんだ根元までその全てを一度にマサキのアナルに収めてくる。あっ、あーっ……引き攣った声を放ちながら、マサキは自らの男性器に溜まった精液を吐き出した。それと同時に｜袋胞《たいほう》の最深部を叩き始める彼の男性器。あっ、あっ、あっ。何が何だかわからない程に押し寄せてくる快感に、マサキの意識は飲み込まれていった。
　突き上げられては涎を垂らし、抉られては涙を零す。次第に早まってゆく彼の腰が奏でる｜律動《リズム》に、マサキの身体から様々な体液が溢れ出る。汗に、涙に、涎に、愛液。あっ、ああっ。本能の赴くがままに身体を交わらせてくる彼は、言葉を発することがない。それが却ってマサキのΩとしての本能を呼び覚ますのだ。はあ、ああっ。更なる快楽を呼び込む為にマサキは腰を絞った。もっと奥に、もっと底に。これ以上奥に｜挿入《はい》り込んでくる筈のない彼の男性器が、より深くアナルに嵌まり込んだ気がした。
　はあ、はあ、と荒ぶる彼の吐息が耳に距離を近くした。その刹那、アナルを満たしきっている男性器から精液が吐き出され始めた。生温い液体が｜袋胞《たいほう》へと染み込んでくる。びりびりと全身を貫く快感に、視界を支配する酩酊感。これ以上の快楽に漬け込まれては意識を保つのも難しいだろう。追い込まれたマサキは声を失くしながらも悲鳴を上げずにいられなかった。
　ア、ア、アア――ッ……痙攣を繰り返しながら、長い射精を続ける彼の男性器を蕾の中に引き入れる。そのうなじに髪を巻き込んで荷重がかかった。ぎりぎりと肉を噛まれる感触は、紛れもなく彼の歯がマサキのうなじを捉えたことを示していた。マサキはシーツを強く掴みながら、二度、三度と腰を跳ねさせた。かつてない恍惚とかつてない悦楽。天にも上る高揚感に身も心も支配されながら、マサキはたった一度だけ人生に訪れる番の誓いを受けた。
　いつしか再び熱を帯びていたマサキの男性器から、またも精液が迸る。
　もっと、もっと、シュウ……！　声を上げて続きをねだるマサキに、シュウは変わらずにうなじを噛みながら腰を進めてきた。その都度、｜袋胞《たいほう》に注ぎ込まれてゆく彼の精液。抜けることのない彼の男性器は、決して派手に動くことはしなかったけれども、それこそがマサキにとっては他の何にも代えがたい快楽だった。
　澱んだ空気が揺らめいたのは、それから充分に時間が過ぎた後。性行為の最中にやはり気を失ってしまったマサキを、彼は頬を軽く叩くことで起こしてきた。まだ寝るには早いですよ。正気を取り戻した筈の彼の瞳は、けれども未だ存分に獰猛な光を孕んでいる。彼はマサキの身体を起こさせると、既に熱を取り戻し始めている自らの男性器をその口元へと押し当ててきた。
　緩く口を開いて、舌を差し出す。
　近頃の彼は一度で性行為を済ませることが無くなっていた。二度、三度と、獲物を追い詰める獣のようにマサキを犯しては、もういいとマサキが根を上げるまで責め立ててくる。それを嫌だと感じることはなかった。ただ、彼との性行為に溺れることに対する本能的な恐怖はあった。
　溺れた分だけ、離れ難い想いが募る。
　いつかそれは、日常生活にも浸食してくるのではないだろうか？　男性器に舌を絡み付かせながら、マサキは彼の端正な面差しを窺った。彫刻とも見間違うまでに整った顔立ち。静かな笑みを湛えて自らを見下ろしている彼は、マサキの従順な態度にこそ性欲を煽られるようだ。ほら、もっと口を開けて。云われて口を開けば、ぬるりと男性器が口腔内に滑り込んでくる。
　この熱を感じている瞬間がマサキは好きだった。マサキの全身をくまなく愛撫してくる割には、自身に対するマサキの愛撫に多くは求めていないらしい彼が、殆ど唯一と云ってもいい程に積極的にせがんでくる行為。彼を悦ばせたいと望むマサキからすれば、その要望は願ったりでさえもある。
「もっとちゃんと咥えて。そう、なるべく奥までね」
　その頭に手が添えられる。額にかかる髪を払ってマサキの表情を露わにした彼は、積極的に口唇で男性器に刺激を加えてくるマサキに、揶揄い混じりにこう尋ねてきた。美味しい？　マサキはこくりと頷いた。そうして舌に内頬と、満遍なく口腔内を使って更に彼の男性器に刺激を加えてゆく。
　口の中で硬さを増してゆく彼の男性器は、マサキの陰部を強く疼かせた。先程得たばかりの快感をまた得たい。その気持ちに急かされるがままに、舐めて、吸って、舌を絡ませては滑らせる。気分の高まりを舌遣いで表すマサキに、その変化が余程あからさまであったのだろう。シュウが少しだけ声を上げて嗤った。欲しいの？　頷いたマサキの口元から彼の男性器が抜き取られる。なら｜騎《の》って。言葉も短くマサキを促してくるシュウに、彼がベッドの上に腰を落とすのを待ってから、マサキはその腿の上へと乗り上がっていった。
「こちらを向くのではなく、あちらを向いて。私にあなたのうなじを見せてくれませんか」
　促されるがまま向きを変えたマサキは、膝をシーツに埋めて、反った腰の中へと。硬さを取り戻した彼の男性器を導いてゆく。あ、あ。少し埋めただけでも、脚の力が抜けていきそうなまでの快感に襲われる。あ、あ、あ。下半身を痙攣させながらゆっくりと、彼の男性器の全てを体内に収めきる。彼の男性器を包み込んでいる肉の壁から伝わってくる快感。波となって押し寄せてくるそれに、堪えきれなくなったマサキはまたも男性器から精液を迸らせた。
「もう｜達《い》ったの、マサキ？」
　彼のある種満たされたような声を聞きながら、快感の余韻に身体を震わせる。
　彼と肌を合わせれば合わせた分だけ、この激しい快感に慣れてゆくのではないかと思っていた。けれども現実は違った。受け入れれば受け入れただけ感度を増してゆく身体。身体に纏わり付く彼の甘い薄荷のような香りでさえも｜絶頂《オーガズム》を誘ってどうしようもない。動けよ。マサキは声を上げた。達したばかりの男性器は、間を置かずに頭を起こし始めている。
　そうっと臀部に這わされた彼の手が双丘を割った。肉を開いた彼は、そこに埋もれている自らの男性器を眺めているのだろう。クックと嗤われて、今更ながらに羞恥が湧き上がってくる。
「馬鹿、何処を見て……」
「たったこれだけの面積でしか繋がっていないのに、快感や幸福に限りはないものですね」
　手を離した彼は次いでマサキの手首を取った。後ろ手に引かれるなり、ぐいと腰を突き上げてくる。先程までひっきりなしに喘ぎ声を上げ続けていた喉は、咄嗟には上手く声を発せなかったようだ。掠れた詰まり声が出る。二度、三度。彼は間をおいてマサキを突き上げてくると、も、やだ。脚を震わせ始めたマサキに、身体を起こした。
　――仕様のない。
　苦笑混じりでそう口にした彼が、背後からマサキの身体を抱き締めてくる。そうしてマサキの髪に頬を埋めてきながら、私のものだ。噛み締めるように言葉を放つ。ああっ。マサキは喉を反らした。動き始めた彼の腰が、連続してマサキの蕾の奥へと男性器を叩き込んでくる。私のものだ。彼は云いながらマサキの後ろ毛を掻き上げた。きっとそこには先程付けられたばかりの噛み痕があるに違いない。私のものだ。熱い肉の塊がアナルの中で暴れ馬のように動き回っている。一生、知るのはこれだけでいいと思った彼の男性器をマサキは｜袋胞《たいほう》の奥に受け入れた。私の、私の、私の……寄せては返す波のように、耳に迫ってくる彼の言葉に、そうだよ――マサキは掴んだ幸せを噛み締めながら、胸の内で頷いた。
　そうして果てた。
　その直後に疲労で意識を落としてしまったようだ。黒々とした闇の中に沈んでいく感覚が残っている。
　やがて長く続いた暗い闇の果てに、うっすらと光が差してきたかと思うと、マサキ。シュウが自分を呼ぶ声がした。目を開いて声のした方へと顔を向けると、いつも通りにきっちりと衣装を着込んだいでたちで、彼がベッドの脇に立っていた。
　随分と長く寝た感覚があると、マサキがサイドチェストの上にある時計に目を遣れば、時刻はもう昼近くになっている。ここ暫く出掛けてばかりだったことも手伝ったのだろう。それなりに溜まっていた疲労はマサキを深い眠りへと誘ったようだ。
「気持ちよさそうに眠っていたので、起こすのは忍びないと思ったのですが」
「いや、いい。あんまり遅くまで寝てると、生活が不規則になる」
「そうではないのですよ。あなたを出せとあまりにもあのふたりが煩いものですから」
　のそりとベッドを這い出て、着ていた服を探す。窓際のロッキングチェアを指し示したシュウに、ああと頷いてマサキはそこに畳んで置かれている自らの服を手に取った。
「あのふたり、って……」
「サフィーネとモニカですよ。先程やって来ましてね。あなたが寝ていると云っても聞き分けない」
「相変わらず、思い込んだら一直線だな」
　服を着終えたマサキは真っ直ぐに寝室のドアに向かった。こうしている間にもあのふたりは待ち侘びていることだろう。だが、マサキの思い切りの良さは、シュウにとっては意外だったようだ。急ぎ手を出してきた彼はマサキの身体を制した。
「あなたが嫌だと云うのであれば、無理に会う必要はありませんが」
　マサキは大丈夫だと笑った。
　どの道、今後も何かの機会に顔を合わせることになるのだ。だったら嫌味は今の内に聞いておいた方がいい。ほとぼりが冷めるのを待っている間に恨みを募らせられたのでは、どんな被害が今後及ぶものかわからないだろう。鉄は熱い内に打てだ。マサキはそうっと昨晩付けられたばかりの噛み痕に手を這わせた。
　これまでのマサキはシュウと身体だけの繋がりであることに負い目を感じていた。確かなものなど何もない関係。それはマサキの心を確実に疲弊させていった。だが、今日からは違う。マサキはシュウの支配を受けた。うなじに刻まれた噛み痕がその証。マサキはこれから一生を彼に拘束されて、その番として生きていくのだ。
　だったら怖れるものなど何もない。マサキは何にも代え難い、たったひとつの拠り所を手に入れたのだから。
「随分遅いお目覚めなのですわ」
「昨日もよろしくやってたんじゃないの」
　まあ、下品。と眉を顰めたモニカを尻目に、早速とばかりにサフィーネが顔を寄せてくる。
　きつく匂う香水の香りは今日も健在だ。鼻に残る甘ったる香りにマサキは顔を顰めるも、以前程にはその匂いも気にならなくなっている。不思議に感じながらも、だからといって化粧の濃い顔が直ぐ近くにあるのもいい気分ではない。マサキはその顔を押し退けた。
「何の用だよ、何の。人を叩き起こしたんだ。覚悟は出来てるだろうな」
「それはわたくしの台詞ですわね、マサキ」モニカがつんと口唇を尖らせる。
　だが、それも一瞬のこと。彼女は直ぐに表情を和らげると、マサキの手を取った。
「云いたいことがあって来たのです」
　マサキに押し退けられたサフィーネがその隣に立つ。
　夜に咲く花と、昼に咲く花。受ける印象がまるで対照的なふたりの女性は、ともにマサキの手を握ってきた。瑞々しい肌の温もりが重なった手から伝わってくる。彼女らが何をしに来たのかは不明だが、発している雰囲気からして、そこまで酷いことを云われるのではなさそうだ。マサキは彼女らに手を取られたまま、その言葉を待った。
「一度しか云わないから、耳かっぽじって聞きなさいな」
　今にも高笑いが響いてきそうなまでに高飛車な態度で云い放ったサフィーネに、本当に下品なのですわ。モニカがまたも眉を顰める。頻繁に行動をともにしている割にはこれだ。呆れたマサキはお前ら――と、口を挟もうとした。
　そのマサキの気配を察したのではないだろう。もしかすると、それが彼女らの阿吽の呼吸であったのかも知れない。次の瞬間、サフィーネとモニカは顔を見合わせてどちらともなく微笑むと、マサキに向かってこう言葉を発した。
「シュウ様を幸せにしてあげてくださいませ」
　虚を突かれた。
　咄嗟には上手く言葉が出てこない。ああ。暫く経ってようやくそうとだけ口にする。わかってるよ。マサキは自ら発した言葉に次の言葉を続けた。
「幸せにするし、幸せになる」
「それがわかっていればいいのですわ」
　満足気に微笑んだモニカの隣で、サフィーネもまた微笑みながら頷いている。マサキは訳もなく泣き出してしまいたくなった。
　幸せにしてあげて。たったそれだけの、けれども大事な祝福の言葉。それを伝えに彼女らはここを訪れたのだ。彼女らの胸中を慮る。果たして逆の立場に立たされたマサキは、ふたりのように相手を祝福出来ただろうか？　その答えは聞くまでもない。マサキはわかっていた。それが出来ないからこそ、マサキはシュウと番うことを選んだのだ――と。
「それじゃあ失礼するわね。今日は女子会なのよ」
「ふたりで女子会？　けったいなことをするな、お前ら」
「ウエンディやリューネも一緒なのですわ」
「たらふく食べて、気が済むまで騒いで、失恋の傷を癒すのよ」
　謳うように語ったサフィーネがモニカに先んじて玄関ドアを潜ってゆく。では、マサキ。またいずれ。いつもと変わりない穏やかな笑み。けれどもどこか清々しさを感じさせる笑顔を残して、モニカがその後を追ってゆく。
　マサキはキッチンに向かった。
　長く眠りに就いていたこともあったが、それよりもようやく全てが片付いたのだという安心感からだろう。猛烈に腹が空いていた。テーブルの上に用意されているシュウが作ったマサキの為の食事。それに手を付けようとしたところで、話が終わったことに気付いたようだ。シュウがリビングから顔を覗かせた。
「落ち着いたところで申し訳ないですが、忘れない内に人工中絶薬を飲んでおいた方が」
　そうだった。マサキは自分の部屋に向かった。
　開いた窓から涼やかな風が流れ込んでくる。今日も二匹の使い魔はリビングでテレビを見ているようだ。いつの間にかもぬけの殻となることが増えたペットベッド。既にシュウが掃除を終えた後であるのだろう。手入れの行き届いたペットベッドを横目に、マサキは部屋の中央辺りにあるミニテーブルの前に立った。
　その上に置きっ放しになっている薬を取り上げる。
　Ω抑制剤と人工中絶薬。
　｜袋胞《たいほう》に溜まった精液は、時間をかけて体外へと排出される。とはいえ、それは特別なメカニズムがある訳ではなかった。ふと力んだ瞬間や、大きく動作を付けた瞬間など、腹に力が加わると流れ出てくるものであるようだ。
　その精液に含まれている大量の精子は、今頃マサキの子宮の中で、椅子取りゲームを終えた頃だ。
　マサキは手にした二種の薬を眺めた。着床率三割。過酷な生存競争を生き抜いた果てに、この世に生れ落ちてくる新たな命。マサキはいつかその命を手にするだろう。シュウの幸せを叶える為に。
　けれども、今はまだ――。
　薬を握り締めたマサキは、部屋を出ようとした。ふわりと風が舞う。窓から吹き込んできた風は、まるでマサキを労わるようにその身体を撫でて行った。嗚呼。マサキは自らの下腹部に手を置いた。息を潜めて暫く、そのミクロな世界で今起きているだろう出来事を探ろうとする。
　確かに聞いたのだ、その瞬間に。
　新たな命が生まれた音を。
　マサキは手にしていた人工中絶薬をそっとテーブルに戻した。そうしてひとり、満ち足りた笑みを浮かべると、今後の話をセニアとしないとな。誰に聞かせるでもなくそう呟いて、キッチンへと戻って行った。

＜了＞