2-1


「エア・・・くん?」

 ぽかん、と。女は俺の顔を見るなり大口を開け、つぶやいた。
 話は数日前にさかのぼる。

「副長殿、お気を付けて!」
「うはwwwwwwテラウラヤマシスwwwwwwっをkwwwwwwっうぇ」
「てめーアサシン、ちゃんと護衛しろよ!」
「手ぇ出したら殺す!」
「っつーか副長殿ににらまれたら勃たねえだろ」
「チクショウ俺も二人っきりで冷たくののしられてえ!」
「うるせ黙れ淫ジャスティス」
「てっめ、後でヒイヒイ言わすぞ」
「見境ねえのかよ!」
「皆、後は任せたぞ」

 一声で、騒ぎ立てていたクルセイダー達は沈黙と同時に姿勢を正し抜剣、刀身を声の主にささげ敬礼した。直立不動で整列しているクルセイダー達の間を、銀の髪の女クルセイダー、次いでグランペコの手綱を引いた俺が抜ける。
 ベルフレイア・リューガン。肩書きは、プロンテラ聖堂騎士団第十一師団副長。副長クラスのクルセイダーの一部は、定期的に「巡礼」を行うらしい。その出発は、ちょうど俺の襲撃の翌日だった。
 王都の人間らしくない慣れで難なくソグラト砂漠を踏破したリューガンを、一人の修道女が岩場の隅の神殿跡地で出迎えた。
 リューガンの姿を認めてにこりと笑みを向け、俺にも目を向けた直後、女は大口を開け・・・先の一言につながったわけだ。

「よかったじゃないベル!」
「シスター・マチルダ。まずは任務を」
「あ・・・、ええ、シスター・ベルフレイア」

 聖堂の流儀を強調するように姉妹と呼ぶリューガンの抑えた声に、女・・・マチルダは居住まいを正し、懐から封書を一つ取り出した。この女、アコライトの補助のために派遣されていると思っていたが、どうやらそれだけではなかったようだ。

「これが報告書です。このところ、目立って不穏な動きはありませんね」
「了解しました。確かに聖堂へお届けいたします」
「お願いします」

 事務的な応対を済ませると、マチルダは再び興味しんしんといった風情でリューガンと俺を見比べ始めた。

「女。俺を知っているのか?」
「・・・は?」

 マチルダの目が丸くなった。

「ちょっとベル、エア君変よ? おとなしいし、目つき・・・前から悪かったけど・・・今は目が死んでるし」

 エア・・・エア・ヴラッツェン。そうか、引っかかりはあったが、俺の名か。名など呼ばれずに過ごして長いが、言われてみれば違和感はない。

「アサシンとして大聖堂を襲撃してきました」
「! ちょ、えええ!?」
「大丈夫です。誰も死んでいません」

 驚きの声を上げるマチルダを制し、リューガンはちらりと俺を振り返った。

「ただ、自分の名前も私の顔も、覚えていないようです」
「記憶喪失とかいうやつかしら。言っちゃ悪いけど・・・よく似た別人じゃないよね?」
「違う!」

 言葉に食いつきそうな勢いで否定が飛び出し、反動のように声のトーンが落ちる。

「私は・・・エアを忘れませんから」
「でも、エア君忘れちゃってるよ? それでいいの?」
「・・・いい、です」

 聞き取りにくくこもった声で、それでもはっきりとセリフが出る。

「それでも・・・生きて・・・」

 ぐすり、と水音がひとつ。なぜか胸の古傷がずきずきと疼いた。リューガンの細い声を聞き終えてから、マチルダは俺に視線を戻した。

「エア君」
「何だ」
「何も言わずに消えてから何があったか知らないけどさ。戻ってきたんならせめて泣かすんじゃないわよ」
「・・・?」

 泣く・・・人間が涙を流すのは、苦痛を味わっているときだ。俺が殺してきた連中は皆そうだった。

「その女に手傷を負わせた覚えはないが」

 険しい表情のマチルダは、また大口を開けた。ついで、がっくりとうなだれる。

「だ・・・ダメだ・・・前とはまた別の意味で馬鹿になってる・・・」
「シスター・マチルダ」

 リューガンの声が、開きかけたマチルダの口を止めた。

「我々は一度モロクで補給を行います。何かあれば、また後ほど」
「あ、はい。わかりました、シスター・ベルフレイア。神のご加護がありますように」
「神のご加護がありますように。参式。続け」
「承知」

 マチルダに礼を返して俺の顔も見ず歩き出すリューガンに続き、俺もグランペコの手綱を引いて歩き出した。


2-2


 リューガンは宿の部屋から出てこない。
 下される命令はなく、周囲に殺気はなく、ジャマダハルと双剣の手入れ、それに塗る毒の小瓶の量も手入れも万全。・・・することがない。

「・・・記憶か」

 マチルダという女の口にした言葉が思い出される。
 記憶喪失というのは、一度何もかもすっぱり忘れてしまう心の病、だったか。思い出せる限りでは「俺」という思考や意識が中断したような違和感はない。恐らく、単に忘れているだけで、もう少し記憶を探れば「俺がエア・ヴラッツェンだ」という記憶を伴った自覚も掘り出せるのだろう。
 首から細い鎖を外し、小さく砕けた青いガラス片が金具もなしに強引に鎖に縛り付けてあるペンダントもどきを手に取る。多分・・・これも俺がエア・ヴラッツェンであることを示す根拠なのだ。
 こうして深く考えをめぐらせるような「暇」という空白自体、認識しなくなって久しい。
 何気なく見下ろした窓の端を、人影がよぎった。カートを引いた・・・幼い商人の娘だ。

「!」

 ずきり、と胸の古傷が疼く。
 一瞬、娘の姿に別の姿が重なって見えた。
 同じような年頃の幼い娘。駆け寄る一歩に揺れる長い髪は、砂を含んで色をくすませている。
 幻覚・・・ではない。つられるように、俺の頭の中にいくつかの映像が浮かび上がっていた。似たものを見たことで、俺の記憶が掘り起こされたのかも知れない。
 もう一つ浮かび上がった記憶を確かめに、窓から直接商人の目前に降り立つ。びくりと体をすくませる娘に手を伸ばすと、娘は表情をこわばらせて俺を見つめたままその場にへたり込んだ。

「・・・・・・」
「・・・・・・」

 娘は震えている。その場で腰を抜かすほど俺におびえているようだ。抵抗がないのは好都合なので、そのまま続けることにする。
 伸ばした手を娘の頭に置き、くしゃり、くしゃり、くしゃり。なでるように乱した髪をすくい上げ、指の間からこぼす。記憶の中の娘に、俺はこういう動作をしていたのだ。
 自分の手を見下ろす。この感触には覚えがある。だが・・・何か物足りない。長さか?
 視線を感じて商人の顔に目を移すと、娘は恐怖の表情を薄れさせ、不思議そうに俺を見上げていた。

「何だ」
「・・・殺されるかと思ったら・・・なんか気持ちいいだけッスか?」

 手持ち無沙汰だったので、目を離した俺の手は目を細める商人の頭の上に戻っていた。商人としても頭をなでられるのは嫌ではないらしい。

「俺か」
「幼女のォォォォォォォォォ重要性はァァァァァァァァァ人類一ィィィィィィィィィ!」

 俺の声をかき消すように、どこからともなく高らかな宣言が響き渡った。直後、そばの家の屋根から何かが降ってくる。湧き上がった砂煙の中に腕組みをしてたたずむ男、一人。激しく逆立った黒髪が強烈な存在感を発しているが、それ以上に印象的なのが砂を巻き上げてひるがえる裾の長い紫のジャケット。男がチェイサーと呼ばれ裏社会でもそこそこの顔が利く地位にある連中の一人であることを示していた。

「おれサマのマイイヤーに、幼女の声ならぬ悲鳴がジャストナゥ! 無事かね、どこの誰かは存ぜぬが将来のレディー!」
「シモ・ヴラッツェン・・・本物ッスか!?」
「ギャハーははははははは! ジオ・ヴラッツェンだお嬢さん!」

 商人の言葉に男がすかさず応じ、びしっと俺を指差した。・・・ヴラッツェン?

「男女の営みは世の常よ! だがなテメェ殿、女・・・特に幼女びびらせんな! 恐怖の先に燃えたぎるリビドーはねェ! ・・・って、和やかそうだな」
「多分、勘違いだな」
「そうか! む・・・?」

 あっさり納得し、背を向けかけて、男はじっと商人の娘を見つめた。

「な・・・なにッスか?」
「うむ。お嬢さん、キミの乳には見所がある」
「ちち?」
「そのまま清く正しく育てば心身ともに悩殺な素敵レディーになれることは千人斬りのおれサマが保証しよう! 精進したまえ! ではさらばだ! とうッ!」

 言いたいことだけ言い終えると、男は現れたとき同様どこへともなく姿を消した。

「・・・お兄さん、ちちとか千人斬りって、なにッスか?」
「ちちは・・・胸だ。千人斬りは文字通り人間を千人斬り殺したという意味だが、あの言い方からするともう一つ・・・千人の女と寝たという意味になるか」
「胸・・・おっぱい!? 寝るってやっぱり、エッチッスか!?」
「ああ」
「やややややっぱりシモ・ヴラッツェンッス!」
「アレは何だ?」
「ジオ・ヴラッツェン。この辺りを縄張りにしてる人らしいッス。あの人が必ず助けてくれるから、赤ちゃんでもおばあちゃんでも、縄張りの中では女は絶対に危ない目に遭わないらしいッス」
「女だけか」
「女大好きらしいッス。シモネタのかたまりだから、誰も本名のジオって呼ばずにシモって呼んでるッス」
「そうか」
「あ・・・そうッス」

 商人はふと言葉を切り、ぶら下げたバッグをあさり始めた。わずかな間を置き、俺の胸元にビンが一つ突き出された。両手でビンを持ち、爪先立ちでふらふらしながら、言葉を続ける。

「ミルク買ってほしいッス。人様を引き止めたら必ず売り込めって言われてるッス」
「わかった」

 断る理由はない。言い値の金貨を受け取った商人は満面の笑みで俺にミルクのビンを手渡した。

「ありがとッス。お兄さん顔は怖いけどいい人ッス」

 音符を漂わせてのろのろとカートを引いていく商人を見送り、ミルクをあおる。ぬるいが、容赦ない陽射しの下ではむしろちょうどいい。
 ふと思い出し、商人を呼び止める。

「何ッスか?」
「一つ訊きたい。頭をなでる人間は、なでる相手をどう思うものだ?」

 んー、と小首を傾げて考え込むと、商人はぱっと笑った。

「きっと好きッスよ!」
「好き、か」
「そうッス!」
「相手がいるのか」

 ぴー! 俺の声に反応するように、商人のカートから小さな鳥が顔を出した。カートから飛び出し、商人の周りを跳ね回る。

「・・・ピッキ」
「ペットのヴィン君ッス」

 にこにこと笑いながら、商人が手招きに応じて寄ってきたピッキの頭をなでる。ピッキもなついているらしく、おとなしくされるままになっている。

「お兄さんも、なでたい子がいるッスか?」
「わからん」
「よくわかんないけど、うまくいくといいッスね~」

 楽しげな笑みを浮かべたまま、商人はピッキと共に去っていった。
 再びビンに口をつけ、ちょうど空にしたところで、俺の居場所を問うリューガンのパーティーチャットが届いた。


2-3


 鈍い音と断末魔が、レンガに反響した。

「おおおおおッ!」

 咆哮とともにぬめりを振り飛ばしながら暗がりのたいまつに閃く剣が、返った先で新たに断末魔を響かせる。
 ここはスフィンクスダンジョン。石で造られた空想の獣「スフィンクス」の足下に広がる古代の迷宮だ。

「貴様の実力を見せてもらうぞ」

 完全武装でスフィンクスの足下に待っていたリューガンはそれだけ宣言して階段を下り・・・今に至る。背中合わせで立つ俺とリューガンの周囲には、古代の神官マルドゥークと兵士の亡霊パサナが群れを成していた。
 ぶん、と音を立ててリューガンの剣がうなりながら空を切った。
 剣の重みに流されて横に泳ぐ上体とは無関係に、グリーブの爪先が指二本分だけ外側にずれる。その小さな動き一つでリューガンは軸足と体勢を入れ替え剣を真逆になぎ払っていた。
 空振りを誘った隙に踏み込んでいたパサナが、返るその一刀をまともに受けてうめきを上げる。倒れ込む体から引き抜かれる剣は、リューガンが一瞬腰を沈めたことで上向きのベクトルを加えられて軽々と真上に持ち上がり、重力を思い出した刀身の自由落下は踏み込みでさらに急加速。たった今切り伏せた兵士の一歩奥で呪文を詠唱していたマルドゥークを大上段から両断した。
 リューガンは強かった。動きの早さや力の強さ、そういった単純な要素にずば抜けたものはないが、武器や鎧の重みを含めて自分に働く力の強さや方向を完全に把握しているらしく、体さばきとタイミングだけで縦横無尽に剣を振り、振り下ろされる剣を受け流し、最小限の動きで攻防をこなしているのだ。加えて、動きに迷いがない。
 受け流しきれない攻撃には真っ向から剣を振りかぶって突っ込み、鎧や盾で強引に弾き返す。ぱっと見ればただの無謀だが、例えばハンマーの先と根元のどちらにより大きな力が加わるかを考えれば、武装者相手の安全な間合いは明快だろう。囲まれていて距離を取れない以上、選択肢は突進だけだ。できるかどうかが生死を大きく分かつ。
 俺としても、リューガンの戦い方は付き合いやすかった。威力を伴う陽動役がいるのだから、俺はいちいち苦手な多対一をこなす必要がない。討ちもらしの始末や死角の迎撃といった、少数を確実に仕留めていく作業はまさしく暗殺者の本領だ。
 しかし、不可解なことがある。リューガンは背後をまったく警戒していない。背後にいる俺から見て隙だらけなのだ。注意力の散漫な無能でないことは現在進行形の戦果が証明している。気が回らず警戒できないのではなく、していない。
 なぜ、俺が斬りかかると思わない?
 生きて剣となれ・・・リューガンが俺に課した任務は、俺自身の安全を確保した上でリューガンの敵を排除すること。危険な場合は俺の安全を優先しリューガンを敵に売ったり見捨てて逃げたりも禁じられてはいないことになる。自分の言ったことの穴を理解できないほど馬鹿でもないはずだ。
 なぜ、俺が逃げると思わない?
 この女は本当に、俺の実力を測ろうとしているのか?
 リューガンと俺の背中がぶつかった拍子に、胸の古傷が疼く。

「・・・!」

 一瞬、砂を幻視する。剣を持つ娘と背中を合わせ、俺の手には短剣。行く手の熱砂に落ちる大きな影、一つ・・・。

「参式」
「・・・何だ」
「けりをつける。援護しろ」

 それだけ言ってリューガンは海東剣を目前に捧げ持って目を閉じ、聖句の詠唱に入った。応じて俺はその場で姿を隠す。

「グリム・・・」

 無防備となったリューガンに殺到する亡霊どもを、地を這う棘(トゲ)の列で蹴散らす。グリムトゥース・・・具現した殺意によって敵を直接葬り去る、アサシンの「魔術」である。

「・・・クロス!!」

 リューガンの完成させた聖句が、天にかざされた海東剣を中心に十字架の形をとった白い閃光を降臨させ、亡霊どもを残さずなぎ払った。
 静寂を取り戻した周囲を見回して海東剣を鞘に収め、兜を脱ぐと、リューガンは胸のロザリーを握ってうつむいた。

「何をしている?」
「見て判らんのか」
「敵に祈るのか。暇だな」
「元はといえば彼らも人、いにしえの王の眠りを守るという使命を死後も守っているに過ぎない。生者の側の番人として屈することはできないが、その忠義には騎士の端くれとして敬意すら覚える」

 ずきり、胸が疼いた。知らず生まれた呪詛が俺の腹から口までを引き止める暇もなく抜ける。

「くだらない・・・!」

 リューガンが顔を上げて詰め寄りざま俺の胸倉をつかんだ。怒気をはらんだ青い目が頭半分の身長差だけ余計に鋭く俺をにらみ上げる。

「戦士の遺志を侮辱するのか、貴様!」
「そいつらは弱かったからそう成り下がっただけだ。力は、力としてそこにある。死に損ないの泣き言なんかじゃない」

 リューガンは機嫌を損ねたようだが、この話に限って俺も引き下がるつもりはない。
 ずきずきと鈍く熱く、胸が疼く。俺はいつの間にか顔をゆがめ、自分の胸に爪を立てていた。俺には首から腹までを一直線に走る古い刀傷がある。いつどこでできたかも思い出せないが、それが疼くたび、色も形もない呪いじみた無力感だけが蘇る。
 俺は強くならねばならない。さっきまで俺は何を考えてたんだ。記憶などいらない。感情などいらない。そんなものは強さじゃない。強さのためには邪魔だ。強さとは混じりけのない一つの絶対であるべきだ。

「俺は・・・強くならなければならないんだ・・・!」

 リューガンの険しい眼差しが戸惑いに揺らぎ、その目に映り込んだ俺の後ろで何かが動いた。即座にリューガンの腰へ腕を回して抱き寄せ、半回転しながらもう一方の手に抜いたジャマダハルを後ろに振り上げる。その刀身に真上から降ってきた剣が火花を撒き散らしながら激突し、体を走り抜ける衝撃が俺の足下の石畳をわずかに陥没させた。
 俺の顔の間近にあったリューガンの顔が一瞬だけ赤らみ、俺の目線をたどって襲撃者の姿を認め引き締まる。

「敵か」
「・・・ああ」

 ジャマダハルの刃を傾けて剣を流しざま、がら空きになったパサナの腹へ踵を叩き込む。
 周囲には再び亡霊どもが群れを成していた。リューガンの目に映り込んでいたのは、パサナが振り下ろす剣だったのだ。これだけの数に囲まれ、手を出されるまで気付きもしなかったとは・・・不覚にも熱くなって我を忘れていたらしい。
 ぶら下げていた兜をかぶると、目線を落とさぬまま海東剣と盾をそろえ、戦闘態勢を固めるリューガン。俺も腰の鞘からもう一方のジャマダハルを抜く。
 剣の振りと同時に踏み出しかけて、リューガンの足がふと止まった。

「貴様にも思うところがあるのはわかった。だが、人の思いを否定するな。それが許されるのは、思いを植えつけた当人だけだ」

 返事を期待してはいなかったらしく、青いマントはそのまま遠ざかった。


2-4


 スフィンクスダンジョンを出る頃には既に、モロクは夕闇に沈んでいた。
 仮想の空間とはいえ原型の時間や気候も忠実に再現しているのだろう、人気のないPvエリアのモロクに吹く穏やかな夜風が、収まりの悪い俺の長髪を揺らしていく。
 武装を済ませた俺の手には古木の枝の束。一本折るごとに一体、魔物をランダムで召喚するこの呪具を使えば、通常のダンジョンのような横槍を気にすることなく一騎打ちを行える。
 強者を呼び出し、戦う。それが俺の修行だ。相手が強ければ強いほど、倒せた俺は強くなっている。簡単な道理だ。
 一本目。スポア。雑魚だ。
 二本目。プランクトン。雑魚。
 三本目。ポリン。ふざけてるのか。
 四本目。レイドリック。やっと手頃いや待てどこに行く。
 がらんどうの黒い鎧は、目前の俺を無視して走り去った。行く手には・・・白い服の女。レイドリックが剣を振り上げたところで追いつき女との間に割って入る。

「滅せよ」

 初太刀で籠手を破壊。二の太刀で宙に浮いた剣を間合いの外へ弾く。三、四、五、六、七、八、残る六連打をがら空きになった胴に叩き込む。ソニックブロー・・・アサシンが有する神速の八連撃だ。全弾命中で半壊し、なおも動こうとする鎧に追い討ちを加えて力尽くで引き裂き、粉砕する。四散した鎧の破片が輪郭を失い、塵と消えた。
 舌打ちを一つ。簡単に片を付けてしまっては修行にならない。

「私をかばってくれたのか」

 ずきり、胸の古傷が疼く。

「ふざけるな」

 普段着で死地に踏み込むような寝ぼけた細首、さっさと叩き落としてやる。Pvエリアでの死は、現実の空間への強制送還と同義だ。振り返りざま突き出したいらだち混じりのジャマダハルは、しかし真っ向から振り下ろされる細身の刀身を弾いて必殺の勢いを失った。

「物騒だな」

 海東剣を振り下ろしたままの前のめりから立ち上がる女・・・リューガン。どういうつもりなのか、白銀のフルプレートの代わりに簡素な白いワンピース姿で、胸には月明かりを受けてきらきらと輝く青い小瓶のペンダントが色を添えている。肌の白さといい線の細さといい、手にした海東剣やその鞘を吊る腰の太い革のベルトさえなければ見た目は町娘と変わらない。むしろ目を引く方だろう。

「加減の暇もなかったバッシュを片手で押し返すか。何と言う剛腕だ」
「何をしに来た、マスター」
「貴様がどこに行ったかと思ってな」
「用か?」
「気まぐれだ」
「なら消えろ。修行の邪魔だ」
「修行?」

 歩き出した背中からリューガンの声が追ってくる。

「古木の枝での一騎打ちだ。強い魔物が出ればそれだけ俺は強さに近づける。お前の邪魔で一本無駄になった」
「・・・では、運任せより確実な方法を提案しよう」
「!」

 首筋に持ち上げたジャマダハルに、横薙ぎの海東剣の刀身が、がぢりと噛み付く。刀身を払いのけて振り返ると、リューガンはワンピースの装飾のリボンを抜き取り、髪を後ろで一本に結い上げていた。盾の代わりか、左手には鞘を逆手に構えている。

「付き合おう。ここでなら遠慮はいらんし、私の修練にも役立つ」
「・・・いいだろう。お前は強い」

 すり足・・・足下の砂一粒一粒を踏みしだくように靴底をこすりながら間合いを詰め、ジャマダハルを振るうと、すかさず伸びた海東剣がジャマダハルの刃の内側をすり抜け、俺の腕に沿って眉間へと突き進む。その刀身を弾こうとするもう一本のジャマダハルは、加速する前にリューガンの左手の鞘によって肘を軽く小突かれ、たったそれだけで見当違いな方向へ伸びていく。この攻防は・・・詰みだ。
 頭を軽く傾けて海東剣の刀身を首筋に流し、それが横薙ぎに変化して首をはねられる前に真後ろへ跳びのいた。

「これは・・・」

 カタールに対する剣でのクロスカウンター。逆ならまだしも、より質量のある武器でこれほど精密な動きを見せ付けられるとは思っていなかった。
 空振りから一回転、勢いを増して迫る横薙ぎの海東剣を、狙い澄まして真上へ叩き上げる。拳闘で言うアッパーカットの要領だ。衝撃に手をしびれさせ眉を寄せるリューガンの胴へ、もう一方のジャマダハルを振りかぶる。とっさに引き戻され十字に交差する海東剣と鞘を、構わずまとめて打ち抜く。鈍く重い金属音に混じってくふぅっと肺からありったけの空気を絞り出し、白いワンピースが軽々と吹き飛んだ。
 必殺のタイミングで致命傷を防いでのけたのは見事としか言いようがない。これほどの使い手もそうはいないだろう。そして・・・。
 俺が殴り飛ばしても立ち上がってきた人間は初めて見た。

「頑丈だな」
「私は死なん」

 もうもうと立ち上がる砂煙を足下に、リューガンは表情一つ変えず立っている。純白だったワンピースが砂の色にくすんでいるだけで、息の乱れも手足の震えもなく、ダメージが残っている様子はない。
 こちらへ向かう無造作な歩みは次第に早まり、やがて速度や腕の振り、体重移動、剣の自重が渾然一体となって乗った海東剣が俺の頭上でジャマダハルと噛み合った。そのまま、一合、二合、三合と打ち合う。
 俺が振るうとき、ジャマダハルは一撃一撃が最速にして必殺の威力を持つ。場数を踏み、修練を積み、実際に人も魔物も問わずいかなる相手もねじ伏せてきた。それが、通じきらない。まるで舞踏だ。銀の髪と白いスカートは風をはらみ、手にある海東剣と鞘は羽根のように、リューガンは俺が繰り出すジャマダハルの間をふわりふわりと縫いながら着実に反撃を返してくる。
 しかも、打撃が命中して防御越しに吹き飛んでも平然と立ち上がってくる。復帰の早さから、ヒールによる治癒を行っている様子はなく、恐らく体力や自然回復力といったものが並外れているのだろう。
 リューガンは、強い。俺より力は弱いのに、強かった。また、ずきずきと胸の古傷が疼く。

「どうした。動きが鈍ってきたな」
「そう見えるか」

 踏み込み、一瞬両腕を外側に広げる。ソニックブロー。一閃の軌跡は八つ、まるで違う方向からの乱打に、リューガンの手から海東剣が弾け飛ぶ。遅れて振るわれる苦し紛れの鞘を受け流し、仕上げにジャマダハルの切っ先を白い細首に添える。これで決着だ。
 沈黙。
 俺はリューガンの首からジャマダハルを離して跳びのき、ジャマダハルを腰の鞘に収めた。深呼吸を一つ、乱れかけていた息を整える。しかし疼きだした胸の古傷は鎮まらなかった。ちょうど打ち合いの間にモロク城のそばまで来ていたので、少し歩を進めて周囲にめぐらしてある堀のふちに腰を下ろす。

「休憩か」

 リューガンも拾い上げた海東剣を鞘に収め、腰のベルトに戻した。思い出したようにワンピースの砂を払い始めると、気が済んだらしく俺同様に堀のふちに腰を下ろし、膝を抱えて石造りの柱に背を預けた。
 俺もリューガンも口を開かない。静寂の中を、かすかに甘い花の匂いを含んだ緩やかな夜風が抜けてゆく。風上にいるリューガンの香水だろう。立ち回りの間にこの匂いは何度もかいでいる。

「マスター」

 ふとよぎった疑問が、俺に口を開かせていた。

「何だ」
「お前は強い。なのに、なぜ弱く振る舞う?」
「弱く・・・何のことだ?」
「さっき、スフィンクスダンジョンで戦っていた間、背中が隙だらけだった。お前ほどの使い手が、周りに注意が回らないということはないだろう。あれはわざとか?」
「・・・そういうことか。道理で貴様の動きに迷いがあったわけだな」
「やっぱりか。わざわざ自分の能力を制限する理由が俺にはわからん。俺に殺されたがっているにしてはそういうそぶりもなかったからな」
「パーティーを組んだ時点から、私と貴様とで一個の戦闘単位だ。私の死角は貴様に任せる。貴様の死角は私が預かる。自分の前方だけに集中できるのは楽だろう。異論はあるか?」
「背中を任せて、お前が俺を斬らない保証は?」
「貴様はいつでも私を斬れる」

 命を預ける信用の証明など形にはできない。口約束など不審の代名詞に等しい。だが、こうも簡単に、命を懸けた対等な条件を持ちかけられるのか。嘘に対してこれは、あまりに弱い。だがこれも・・・強さというものか。戒律の先にある聖堂騎士の誇りというものか。
 ずきずきと胸の古傷がきしむように・・・なぜ、こうも疼く。思えば、リューガンといるときに限って胸の古傷が疼く。ここ数年来忘れかけていた、強さへの渇望。なぜこうも頻繁に疼くのかわからないが、それだけに苛立ちだけがつのる。

「・・・確信したぞマスター。お前は最強の敵だ。俺にはない強さを持つお前を殺したとき、俺の求める強さは完成する」
「貴様に私を殺す資格はない」
「資格だと? 相手を超え殺しきるだけの力。それ以外、人を殺すのに何の資格が要る?」
「問答しても仕方あるまい。今度は私が問おう。貴様の強さへの執着はどこから来た? 求める強さとやらを完成させて何をするつもりだ」
「・・・!」

 思わず、返事に詰まった。今まで考えたこともなかったのだ。
 古傷の疼くままに俺はアサシンとなり、殺し、壊し、強さへの手がかりをむさぼってきた。目前の女を殺してその強さをも得、強さを完成させたとき・・・俺は何をすればいい? 何のための強さだ?
 沈黙する俺に一瞬だけ陰りのある視線を投げると、リューガンは目をそらし、深々とため息をついた。

「昔、コモドに一人の娘がいた。危険な洞窟に囲まれた穴倉に生まれ育った娘は、時折やってくる冒険者達にいろいろな話を聞き、いつかは自分も、と外の世界を旅する冒険者に憧れていた。ある日ついに船に忍び込んで故郷を抜け出した娘が降り立ったのは、さえぎるものの何一つないまぶしい砂漠だった。物置から父親の古い剣を持ち出した娘が目指したのは剣士ギルドのあるイズルードのはずだったが、間違えてコモドファロス燈台へ向かう船に乗り込んでしまっていたのだ」

 雲間の月を見上げ、淡々と言葉が続く。

「娘は間違いに気付かず、今まで育ってきた土地とは正反対の眺めに感動して、浜辺を夢中で走り出した。それがまずかったのだろう、娘はおかしな鳥・・・レグルロに追われる羽目になった。逃げようとして歩き慣れない砂に足をとられて転び、幼いながらも死を覚悟したとき、横から走ってきた冒険者の少年が娘を助けた」

 リューガンは、何のためにこんな話を始めたのだ?

「少年の手引きで無事に剣士となった娘は、少年の後をついて歩くようになった。冒険者の資格を得たとは言っても行くあてがなく、心細かったのだ。少年は娘を相手にしなかったが、歩みが速い割には娘が追いつけないほど先に行ってしまうことはなく、思い出したように娘の手助けをした。いつからか、剣士として成長を遂げた娘は少年と並んで歩くようになり、二人で冒険をするようになった。年月が過ぎ、娘の少年への感情が「兄」から「男」に変わり始めた頃のある日、少年は深手を負い、血だまりだけを残して姿を消した」
「・・・・・・」

 胸が、疼く。

「娘は少年を忘れられなかった。生き死にもわからなかったから、余計に。そして未熟な自分を悔いた。人を護れるよう体を鍛え上げ、人を救えるよう治癒の術を学んだ」

 唐突に言葉が切れた。

「そんな娘がいたとして、理由も何も持たない殺意などに屈すると思うか? それを否定し殺しきれるのは、消えた少年だけだろうな」

 声が途中で揺れたのは、話しながらリューガンが立ち上がったためだ。俺に背を向けたまま数歩進み、民家の陰で立ち止まる。リボンを解かれた銀髪がさらりと音を立てて揺れた。

「興が醒めた。先に宿へ戻っているぞ」
「待て」

 思わず立ち上がる俺の言葉を無視して、白い後姿は足下から立ち昇る青白い光の中に消えた。Pvエリアを出て行ったのだ。

「・・・・・・ッ!!」

 言いようのない苛立ち紛れのジャマダハルが、石造りの柱の胴を吹き飛ばす。支えを失ったアーチがあっけなく崩れ去った。

「ベルフレイア・リューガン・・・」

 お前は一体何だ。
 戦いは、どちらかが死ぬまで終わらないはずだ。Pvエリアで相手を殺しても、何一つ問題はない。最強の敵であり、そして恐らくは胸の疼きの元凶でもあればなおさら、手を下さない理由の方が見当たらない。
 なのになぜ、さっきの俺は手を止めた? いや・・・なぜそれ以上手を動かせなかった?
 それに。奴は俺を知っているはずだ。なのになぜ、言わない。仮に訊いても、答えるとは思えない。
 俺の執着する強ささえも、芯を抜かれてしまった。俺の疼きは、渇きは、何のためのものだったんだ?

「くそ、くそ、くそッ・・・!」

 片っ端から、柱を粉砕する。
 わからない。
 わからない。
 わからない。

「・・・俺は・・・! どうすればいい!?」


2-5


 動くな考えるな傷が開く。盗作ヒールじゃ一気に塞げねえんだよ。

 見なかったな。お前担いでやり過ごしただけだ。

 素人一人、砂漠に放り出してどうするつもりだった?

 運がよければ助かるだろうさ。

 あきらめろ。どの道お前には護れなかった。

 護るってのはな、最後まで一緒にいることだ。

 

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