以下の小説はすべてフィクションです。





小説

コメディー小説『アッケラカンサッパリカン』
プロローグ第一話 踏み切りで第二話 屋上で第三話 町民ホールで第四話 銭湯前で第五話 プラネタリウムで 前編第六話 プラネタリウムで 後編第七話 福引会場で第八話 校門前で第九話 コンビニで第十話 タクシーで第十一話 帰り道で第十二話 病室で第十三話 公園で第十四話 部室で第十五話 廊下で第十六話 ポスト前で第十七話 花火大会会場で第十八話 浴室で第十九話 畳で第二十話 火災現場で第二十一話 マンションで 前編第二十二話 マンションで 中編第二十三話 マンションで 後編第二十四話 居間で第二十五話 トイレ前で第二十六話 月で 前編第二十七話 月で 後編第二十八話 ケーキ屋で 前編第二十九話 ケーキ屋で 後編第三十話 空き教室で第三十一話 食堂で第三十二話 通学路で第三十三話 公衆電話前で第三十四話 自室で第三十五話 大通りで第三十六話 田舎道で 前編第三十七話 田舎道で 後編第三十八話 都会道で 前編第三十九話 都会道で 後編第四十話 遊園地で ~語り手は抜檜~第四十一話 後輩宅で ~語り手はここから再び亜景藻~更新履歴

コメディー小説『いい線どころかガンマ線行ってる』
第一話 ジェット婆第二話 便器第三話 任された第四話 首輪更新履歴





コメディー小説『アッケラカンサッパリカン』


プロローグ


 あたしの下の名前は亜景藻(あけも)やけど、人に書き間違えられることがある。頻繁に、藻を喪と書かれる。縁起悪い。ときどき、藻のくさかんむりの下に口を二つしか書かへん人もいてる。たまに、くさかんむりの下に口を四つ書く人もいてる。ごくまれに、くさかんむりのしたに鼻を八十四個書く人もいてる。それはちょっと間違いすぎやろ。一万人に一人か四人くらいの割合で、くさかんむりの下に地球上に存在する藻類すべての学名を書く人もいてる。それはちょっとすごすぎやろ。

 あたしは女子高生やけど、携帯電話を持ってへん。でも、ワケあって向こう三軒両隣の携帯電話を全部預かってる。

 あたしは大阪人やけど、みんなとわいわい言いながらタコ焼きをつくったことがない。でも、みんなとわいわい言いながらタコ焼き機を造ったことはある。

 あたしは常識人やけど、たまに非常識なことをやりたくなるときもある。今度ころ合いを見計らって、非常識なことをやってみよっと。


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コメディー小説『アッケラカンサッパリカン』


第一話 踏み切りで


 あろうことか、踏み切りのど真ん中で、少女がうつ伏せになって泣いている。顔面は地面にペッタリと密着している。異様や。でもあの異様な人物を、遮断機が閉まる前に助けなあかん。電車にハネられたら痛いもん。見捨てるわけにはいかへん。

「えーんえんえん。えーんえんえん。も一つおまけにえーんえんえん」

「あのー、どうかなさいましたか? 踏み切りが愛おしいんですか?」

 あたしは踏み切り内に足を踏み入れ、異様な少女に近づいた。遠ざかりたい気もするけど。

 すると少女がむくりと頭を地面から離し、こちらを見つめた。哀しみに打ちひしがれた表情や。なんかイヤなことでもあったんか。生まれた星が滅亡したんか。それとも、魚の缶詰めを開けようとタブを引っ張ったらタブだけがちぎれて、あまつさえ勢い余ってそのタブがヒューンと飛んでって、それがテレビ台の下に潜り込んで、それを拾おうとしてテレビ台を動かしたら上のテレビが頭の上に落ちて来て、脳みそがボタボタと床に滴り落ちながらもタブを拾って、気を取り直して缶切りで缶詰めを開けて、いざ食べようと思ったら中にハエの死骸が混入してて……いや、もっとすごいものが、たとえば人の死体がまるごと混入してたとか。とにかくそんな表情や。そして少女は泣き声で、

「こんにちは。うちの名前はキリツっていいます。よく天然少女って言われます。事情は省略するけど、うちは現在進行形で踏み切り内で泣いています。将来は過去完了系で泣ける女優になりたいです」

「意味がわかりません。それと、名前とか天然とかよりも、泣いてる事情こそが聞きたいんですけど。そこを省略しないでほしいんですけど。あたしの名前は亜景藻です」

 相手が名乗ったから、礼儀としてこちらも名乗った。いや、別に相手が名乗ったからって、こちらも名乗る必要はなかったんか? 確かに相手がいきなり目の前でドリアンに納豆をかけたようなニオイを放ち始めたからといって、こちらも礼儀としてドリアンに納豆をかけたようなニオイを放ち始める必要はないわな。

 キリツさんがこちらを見据えながら再び口を開いた。あたしはクシャミをガマンしたので鼻の穴が余分に開いた。

「事情を聞きたいですか? 事情を根掘り葉掘り訊きたいですか? では言います。その事情は……ご覧のとおりです」

「いや、見てもわっからへんのですけど。わっからへんから訊いてるんですけど」

 なんか面倒臭い人やなあ。ドリアンクサい人よりはマシやけど。

「ありゃ、そうですか。まだファイストスの円盤に書かれてることの意味のほうが見てわかるっていうくらいですか」

 キリツさんがおもむろに立ち上がった。いよいよ本格的に面倒臭い展開になりそうや。本格的にドリアンクサい展開よりはマシやけど。

「ほな事情を説明します。踏み切りの内側で、落としてしもたんです。それで、捜してたんですけど、見つからへんのです」

「えーと、落としてしもたのは、コンタクトレンズか何かですか?」

「コンタクトレンズではないですけど、何かです。何かが重力によって地球に引きつけられたんです。素粒子物理学的に言えばグラビトンのせいです。でも引きつけられた対象がブラックホールやなくて地球というのが不幸中の幸いでした」

「な、なるほど」

「ブラックホールやったら吸い込まれてそれで終わりですしね。吸い込まれたら、ブラックホール無毛定理によって物理量さえ電荷と質量と角運動量だけになってしまいます」

「ちょっと待ってください。あたしは、その落とした何かが何かってことが知りたいんですけど」

「え? なんで知りたいんですか? なんで知ることを欲するんですか? 知的好奇心が旺盛なんですか? 知る権利を行使したいんですか? 説明責任を果たしてほしいってことですか? カッコよく言えばアカウンタビリティーですか? うちのスリーサイズも知りたいんですか?」

「スリーサイズは必要ないですけど、いっしょに捜そうかなって思いまして。人助けってやつですよ」

 すると途端にキリツさんの表情が明るくなった。缶詰めの中に混入してた死体の顔が、よう見たらイケメン……っていうときの表情や。

「いっしょに捜してくれるんですか! こんな、梅干しもろくに食べられへんうちのために! いっしょに漬け込まれてるアカジソには恐怖さえ覚えるうちのために! ありがとうございます!」

「梅干しが食べられへんのは関係ないですよ。あたしかて、硬水のミネラルウォーター飲んだら下痢しますよ。ドライプルーンには恐怖さえ覚えますよ。困ったときはお互い様ですよ。食べものに対して戦慄する者同士、一心同体とか一枚岩とか評されるほどの傷のナメ合いをしましょうよ。政界と財界の癒着みたいな持ちつ持たれつの関係を築き上げましょうよ。同じ穴のムジナになりましょうよ。で、何を落とされたんですか? コンタクトレンズではないんですよね?」

「接眼レンズです」

「まさかの顕微鏡やないか」

「歩きながらバナナの皮を顕微鏡で観察してました。そしたらバナナの皮が地面に落ちて、それを踏んづけて滑って転んで、接眼レンズがどっかに行ってしもたんです。プロの顕微鏡マニアへの道を歩もうかやっぱりやめようかどうしようかと決意したとこやのに」

「それ決意してへんがな……。でもそりゃあ災難でしたね……バナナの皮にとって。でもなぜバナナの皮を観察してたんですか?」

「うち、殺生は嫌いなんです。昆虫さんかて、プランクトンさんかて、死なせるのは可哀想です。せやからしかたなくバナナの皮という危険物を選んだんです。でもこんな、踏み切りの中で這いつくばって捜し物をするのにうってつけの日に落としたのは、不幸中の幸いでした。快晴ですから」

「そうですね。雨の中這いつくばって捜すのは大変ですしね。まあそれ以前に雨の中歩きながら顕微鏡覗くのが大変ですけどね」

「土下座日和でもありますね。雨の中土下座したら頭が汚れるし」

「せやけど、雨に打たれてビショ濡れになりながら土下座したほうが誠意が伝わるんとちゃいますか」

「あなた、ええことおっしゃいますね。雨のほうがむしろ土下座日和なんですね。確かに相手の剣幕に恐れおののいてオシッコちびっても、ビショ濡れやったらバレませんもんね。でも雨に打たれてビショ濡れになるよりは、雷に打たれて黒焦げになりながら土下座したほうがエフェクティブかも」

「それは死ぬ。それは死去する。かけがえのない命が失われる」

「でも体の硬いうちにとって、土下座は大変なんです。将来のために今から練習しておいたほうがええかな」

「将来土下座する必要があるようなヘマをやらかすことが確定してるんですか? 何か悪いことでもするつもりなんですか? 計画倒産して夜逃げでもするつもりなんですか?」

「うちそそっかしいから、テレビのリモコンでエアコンつけようとしたりしてまうかも」

「その程度のミスで土下座?」

「あとは、エアコンのリモコンを口に入れて歯をみがこうとしたりしてまうかも」

「それより早よレンズを捜さんと、電車来てしまいますよ。電車にハネられたら痛いですよ。さっさといっしょに捜しましょう」

「あ、そうですね。早よ見つけんと。普通電車ならともかく、快速電車にハネられたら痛いですよね」

 カンカンカンカン……。

「あ、キリツさん、遮断機が閉まりますよ! いったんここから出ま……」

 ブーン! バキーン! パリーン!

 ……え? 今、何が起きたんや?

「あああああああああああああああ!! なんでこんなことに!!」

 キリツさんが地面の一点を指差し、目を白黒させつつがなり立てている。あたしが今起きたことを理解するのに、おそらく五コンマ八秒程度を要した。統計によれば、女子高生が自分の周りで起きた不可解な状況を理解するのに要する平均時間が五コンマ八秒やからな。ちなみに自分の周りで起きた不可解な状況を理解する世界最速記録は鈴木(すずき)さんの一コンマ四秒で、最遅記録は高橋(たかはし)さんの百五年や。高橋さんは幼少時代から周りの人がなぜか食事のときにアリばっかりおごってくれることがどうしても腑に落ちへんかったけど、死ぬ間際に自分がオオアリクイであることを悟ったらしい。いまわのきわで自分がオオアリクイやと理解するなんて、辛かったやろな。いまわのきわで自分がドリアンクサいオオアリクイやと理解するよりは、マシやけど。最悪なケースは、いまわのきわで自分がオオアリクイクサいドリアンやと理解すること。……でも、オオアリクイって百年も生きるもんなん? 確か普通の寿命は十数年やったと思うけど。百年以上生きたっていう記録もすごいわ。キリツさんは沈痛な面持ちで、

「閉まった遮断棒の先端が、うちの接眼レンズをピンポイントで割った!」

 そう。キリツさんの言うとおり、今、閉まった遮断棒の先端が、接眼レンズをピンポイントで割ったのである。奇跡的である。あたしは電車の姿がまだ見えへんことを確認しながら、

「って、どんだけ高速で勢いよく閉まっとんねん! 地面に当たって地面も割れてるし!」

 あたしがツッコんだ直後。

 ゴオオオオオ! ドガシャン!! ヒュウウウウウン……ドシン!

 高速で勢いよく電車が来て、キリツさんがハネられて、宙を舞って、落ちた。そして、高速で勢いよく遮断棒が開いた。

「キャー! 大丈夫ですか!」

「これくらい大丈夫です。なんせうち、体硬いですから」

 亀率ちゃんが立ち上がった。

「うわ、無傷。てゆーか、体硬いってそういうことなん?」

「ところで、昔話の『桃太郎』をリメイクするんやったら、金棒のかわりに踏み切りの遮断棒を鬼に持たせたら、ふんどしと色が揃いますね。あと、桃太郎のお供はイヌ、サル、キジのかわりに、こうのとり、サンダーバード、スーパー白鳥でええんとちゃいますか」

「三つの特急で鬼を轢くってことですか……。現代的な退治法ですね」

「あ、踏み切りに関して大事なことを忘れてました。すぐ目の前を電車が通過してるときに、閉まった遮断棒で逆上がりしたら、脚がなくなりますよ。絶対やらんといてくださいね」

「前回りの場合は頭がなくなりますね」

「走り高跳びしたら全部なくなります」


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コメディー小説『アッケラカンサッパリカン』


第二話 屋上で


 やっと昼休みや。屋上でお弁当をパクパクと食べよっと。あくまでパクパクと。ムシャムシャはあかん。そんなことを考えながら屋上へのドアを開けると、亀率(きりつ)さんがつっ立っているのが見えた。あたしは亀率さんに近づいて、

「あれ? あなたは、つっ立っている根本(ねもと)亀率さんやないですか」

「はい、うちはつっ立っているキリツです。って、そういうあなたは接眼レンズ捜しでお世話になった古路石(ころいし)亜景藻さんやないですか」

「結局捜してませんけどね。地面もろとも割れましたけどね。亀率さんの体は電車にハネられてもなぜか割れませんでしたけどね。てゆーか、あたしら同じ学校やったんですね。ほな、えーと、学年は? あたしは二年やけど」

「うちも二年です。あ、間違えた。うちも二年です」

「言い直した答えが言い直す前の答えと同じやないですか。せいぜいほんの少しイントネーションがちゃうかったくらいですよ。前者は普通に大阪訛りで、後者は日本語を習い立てのイタリア人の発音っぽかったってくらいですよ。って、あたしと学年同じやん。ほな、タメ口でええよね。亀率ちゃんて呼んでええかな」

「せやね。ええよ。タメ口。うちもアケモチャンて呼ぶわ。それはそうと、うち、三歳まではタメ口って夕張メロンの略やと思てた」

「ああ、そう。あたしはほんの三年ほど前までなぜか登呂遺跡のことを登別遺跡やと勘違いしてたアホやから、引け目を感じる必要はあらへんよ」

「うちなんて、生後三ヶ月まで三内丸山遺跡を三半規管が丸いのは可愛いって意味やと思てたし」

「そ、そう。まあ三半規管が可愛いのは認めるけど。で、でもあたしなんて、ほんの三週間前までトイレの中で普通に新聞読むっていうオジサンみたいなクセがあったし」

「うちなんて、三日前まで家でトイレのドア開けっぱなしでウンコしてたし」

「そ、そう。で、でもあたしなんて、ほんの二日前まで病院の血圧計に腕入れるの怖かったし」

「うちなんて、一日前までウンコのドア開けっぱなしでトイレしてたし」

「そ、そう。で、でもあたしなんて、ほんの二十時間前までカップ焼きそばのお湯をほかすときのステンレスのベコっていう音が怖かったし、そのせいで赤ベコまで若干怖かったし」

「うちなんて、今朝はウンコ出っぱなしでトイレのドアを修理してたもん」

「粗相。で、でもあたしなんて、十時間前まで岡山と広島の位置を逆やと思てたし」

「アケモチャン……。それ最悪や……。なんてことしてくれたんや……。それは墓場まで持って行ったほうがよかったで……。もう一生涯、隠密裏に水面下でことを運んだほうがよかったで……。言うにこと欠いて岡山と広島て……」

「えええええ!? そんな大罪!?」

「鳥取と島根の位置を逆やと思てたんやったらまだええけど、よりによって岡山と広島や……。うちの大好きな岡山城のある県とうちの大好きな厳島神社のある県が逆になるなんて考えられへん……」

「え、ええやないの別に。顔の鼻と口の位置を逆やと思てたらさすがにあかんけど」

「ほな続きいきます。うちなんて、十分前まで右耳と左耳の位置を逆やと思てたし、遊園地のフリーフォールって人の座ってるイスをそのまま上から突き落としてるだけやと思てたし、日本人としての誇りを失いかけてたし」

「そ、そう。で、でもあたしなんて、日本人としての誇りどころか、自分に自信を持てたことないよ。せやから亀率ちゃん、自分を卑下する必要はないと思うよ」

「そっかー……。みんな大変なんやね……。みんな大変なジレンマと葛藤を抱えて生きてるんやね……。抗いがたき大宇宙のメカニズムに対して反骨精神をむき出しにしてるんやね……。貸し倉庫で死闘を繰り広げたり、ほうほうの体で二世帯住宅へと退散したり……」

 亀率ちゃんが涙ぐんだ。

「亀率ちゃん、クラスは何組?」

「三組。あ、間違えてへん。三組」

「間違えてへんのになんで言い直したん? そういう性的嗜好?」

「間違えてへんのに言い直してしもたということは……結局は間違えたんやね、うち」

「え? ……あ、ああ、なるほどね。それよりさ、クラスも同じやん。って、今までいっしょのクラスにいたクセにお互い認識してへんかったんか。あははは」

「学年だけやなくてクラスまで同じとなると、タメ口よりさらに上がよさそうやね」

「タメ口のさらに上って、どんな言葉遣い? 夕張メロンより高級ってことで、クラウンメロン?」

「えーと、タメ口よりもざっくばらんってことで……終始罵倒し合うとか」

「そんな不穏な関係、イヤや。そんなきな臭い雰囲気、イヤや。それが当たり前の世の中やったら、クラス全員で毎日罵倒し合い続けなあかんやん。そんな日々は青春の日々やなくて、言うてみれば……んーと……えーと……罵倒の日々や」

「なるほど。罵倒はさすがにちょっと行きすぎかー。やめといたほうがええね。過ぎたるは及ばざるがごとし」

「ほな、教室の席はどこ?」

「えーと確か、前から七百三十八番目の、右から三百五十五番目やったっけ」

「どんな巨大クラスや! 後ろのほうの人は黒板の文字が見えへんし、前から後ろへプリント回していったらそれだけで授業時間終わりそう。後ろのほうの人は、前半分の生徒全員がオランウータンと入れ替わってても、気づかなさそう」

「あ、間違えた。今のは、うちのお爺ちゃんの背中にある中でいちばん大きなホクロの位置やった」

「キミのお爺ちゃん、背中にホクロありすぎ」

「席の位置は、前から三番目の、右から二番目や」

「それってあたしの隣の席で、確か空席やったはず……。……えっ、もしかして亀率ちゃんって始業式の日から一度も学校に来てへんかった不登校の子?」

「うん、恥ずかしながら、実はせやねん。始業式以来今日初めて来た」

「なんで今まで不登校やったん? まさか、お爺ちゃんのホクロの多さが原因でいじめにでも?」

「実は春休みのエイプリルフールで、友達に今年度は一年間自宅学習って騙されて、今までてっきり信じてて」

「ちょっとは疑おうよ! そんなに騙されやすいと、そのうち霊感商法に騙くらかされて壺とか買わされるよ。痰壺とか買わされるよ。痰入ったままのやつ」

「せやね……。うちは幽霊とか人面犬とか全然信じてへんから霊感商法には騙されへんと思うけど、こんなことやとそのうちダイエット商法には騙されてしまうかも知れへんな。うちも女の子やから、『絶対痩せられるダイエット』とか聞くとちょっと反応してまうし」

「うちも同じく女の子やから、確かに『おっぱいナメられる大団円』とか聞くと敏感に反応してまうわ」

「しかし席まで隣となると、もう言葉遣いはタメ口の上の上ってとこやね」

「というと?」

「……殴り合いとか?」

「もはや言葉やない。言葉の暴力ですらない。それ、ホンマの暴力や」

「それよりも大変やねん!」

 突如として声を荒らげる亀率ちゃん。また何か始まるのか。

「えっ!? い、いきなりどうしたん? 鼻血でも出たん? それとも脚でもちぎれた? それとも全身に五寸釘が打ち込まれたん?」

「今、そこで、後輩が飛び降り自殺を図ってんねん!」

「言うのが遅すぎるわい!」

「見て! そこにいる、ハタフチャンや!」

 柵の前に小柄で血液型がなんとなくB型っぽい少女が一人。

「どもどもー! 一年のはたふでーす! フラッグの布と書いて旗布(はたふ)でーす! はたふは今から飛び降り自殺しまーす!」

「言い回しが軽すぎるわい!」

 あたしが旗布ちゃんにツッコむ。亀率ちゃんは旗布ちゃんに駆け寄り、

「ハタフチャン! バカなマネはやめてーや!」

 亀率ちゃんはすごい形相。形相と書いてカオゲイと読むレベル。

「はたふはバカなマネをしてるんやないんでーす! 正真正銘のホンマのバカなんでーす!」

「ほな、ホンマのバカなことをやめてーや!」

 旗布ちゃんと亀率ちゃんが言い争ってる。あたしも旗布ちゃんに駆け寄った。顔芸は、やらへん。そして説得に入る。

「えーと、何があったか知らんけど、悩みごとがあるんやったら相談に乗るから、死ぬなんて言わんといて、旗布ちゃん!」

「んー!? いやいや、おっけーおっけー心配しなくてもダイジョーブですよー! これ、ネタですからー! 飛び降り自殺するのははたふ本人やなくて、はたふが二丁目のコンビニで買うて来たエビフライ弁当の中に入ってるエビフライさんですからー!」

「は?」

 見ると、旗布ちゃんは左手にお弁当、右手に箸を持ってる。そしてその右手は、柵を越えてその向こう側へ、グイと突き出してる。箸の先には、エビフライや。亀率ちゃんは捕まった万引き犯(三十九歳女性)のように申しわけなさそうに、

「ごめん、言い忘れてたけど、ハタフチャンがやろうとしてるのは本人の飛び降り自殺やなくて、エビフライさんの飛び降り自殺っていうネタやから。短縮形で言うとエビ降り自殺やから」

 ネタかよ。そこであたしは毅然と、

「キミたちは重大なミスを犯している。日本語は正しく使いましょう。それは飛び降り自殺やない。飛び降りさせ他殺や」

 すると今度は亀率ちゃんは、ふんぞり返ったCEO(五十九歳男性)のように偉そうに、

「より正確を期するならば、エビはすでに死んでいるので、他殺ですらないのである」

「あああああ! それは盲点やった! 目の前の濃い霧が晴れたような気分や! こんな盲点体験、生まれて初めてや!」

 あたしが感銘を受けてる横で、旗布ちゃんはこちらのやりとりを意に介さずにエビ降り自殺ネタを続行している。

「このネタ、もうちょっと本格的にやろっかなー! よっしゃー! 本腰を入れるかー! 靴のかわりとしてエビのシッポを外して、このへんに置いて、その上に遺書をー……! よっしゃー! プロ並みやー!」

 箸を使こてエビのシッポを柵の前に置いた旗布ちゃん。そしてさらにお弁当箱から取り出した小さなオムレツを、その上に重ねてる。あたしはその冷たそうなオムレツと同じような冷静さで、

「遺書ってそれ、オムレツやん」

「そうですよー! 今からオムレツにケチャップで書くんでーす! 泡立つ卵白を……もとい、先立つ不孝をお許しくださいって書くんでーす!」

 旗布ちゃんがポケットからケチャップを取り出した。容器には「エビ降り自殺ネタ専用」と書かれてる。亀率ちゃんは髪を振り乱しながら、

「やめて、ハタフチャン! 早まらんといて! オムレツにケチャップで書く文字はギリシャ文字と相場が決まってるのに!」

 あたしは凛とした声で、

「決まってへんし。てゆーか旗布ちゃんさあ、ふざけるのやめて、いっしょにお昼ご飯食べようよ」

 そう言えばあたし、後輩の知り合いってほとんどおらへんかったな。これは先輩風を吹かせるチャンスや。旗布ちゃんは甲高い声で、

「うひょー! 間違えて、オムレツにケチャップで不幸の手紙の文面書いてしもたー! もちろんホンマはわざとやけどなー!」

 あかん。この子、全然人の話聞いてへん。先輩風が右の耳から左の耳に吹き抜けて行きそうな子や。亀率ちゃんがタメ息混じりに、

「困ったことにハタフチャンは不幸の手紙の文章書き慣れてるから、うっかり間違えて書いたとしても不思議やないけどね」

 不幸の手紙は感心せえへんな。一応叱責しておこう。

「コラコラ! そんなもん書き慣れるな! 始末書を書き慣れるのと同じくらいあかんことやで!」

 旗布ちゃんはあたしの説教を気にもとめず、

「うわー! 遺書途中まで書いたけど、オムレツが小さすぎてもうこれ以上書くスペースがなーい! 腹立つからあれもこれも集団自殺やー!」

 旗布ちゃんはケチャップもエビフライもエビのしっぽもオムレツも残りのお弁当も、すべてを柵の向こう側へと放り投げた。亀率ちゃんがうなだれて、

「あーあ。やってしもた。もったいないなあ。ハタフチャンはネタに人生を捧げてるから、これくらいはどうってことないんやろなあ」

 すると旗布ちゃんはオロオロして、

「ギャー! 調子に乗りすぎて今から食べる残りのお弁当もそのまま放り投げてしもたー! 今から下行って来まーす! 三秒ルールでーす! 落ちてから三秒以内に食べたら大丈夫でーす!」

 旗布ちゃんは頭を掻きむしりながら階段へと駆けた。頭を掻きむしりながら全力疾走する人をあたしは生まれて初めて見た。ビデオに収めるべきやったかな。

「なあ、亀率ちゃん。旗布ちゃんて、テンション高いね。ついでにここも屋上やから相当高いで? 今から走って、落下から三秒までに着けるわけあらへんやん」

「もし着けたらオリンピックに出られるどころか、地球の重力を振り切って宇宙空間に出られるレベルやね。でも、うちやったら、ある方法によって間に合う可能性はある」

「え? ある方法?」

 なんと、亀率ちゃんが柵を越えて屋上から飛び降りた。これをビデオに収めてたら衝撃映像や。

「あああああ! ど、どうしようどうしよう! 亀率ちゃんが! 上から下を覗き込んでも意味ないし、下に行って下で受け止めなあかん!」

 無論冷静に考えたらそんなことができるわけないんやけど、パニックになったあたしは判断力が半減してた。あたしは頭を掻きむしりながら全力疾走し、階段を駆け下りた。


 そして亀率ちゃんが落ちていると思われるあたりにたどり着く。

「亀率ちゃーん!」

 亀率ちゃん、もう落ちてしもたやろな。あたしのほうが早く着いたわけないもんな。亀率ちゃん、どうなってしもたんやろ。きっとヒドい状態やろな。見るのを覚悟せなあかんな……。

「これくらい大丈夫やで。なんせうち、体硬いから」

 ご健在の亀率ちゃんが現れた。

「うわ、無傷。てゆーか、亀率ちゃんの言う体硬いってそういうことやったね」

 するとまたやかましい人(旗布ちゃん)が現れて、

「うひょー! ちょっとー! こっちこっちー! これ見てくださーい! そこの体カチカチ娘さんと体多分普通娘さん、これ見てくださーい!」

 亀率ちゃんは懲りもせずに旗布ちゃんに駆け寄りながら、

「一応どうしたん、ハタフチャン!」

 あたしもついでに駆け寄って、

「え、えっと……旗布ちゃん、な、なんかあったん? てゆーか、先輩に向かってその体多分普通娘さんっていうヘンな呼び方はやめて。せめて体多分普通娘ちゃんにして」

 惨憺たるネーミングに対し、口を尖らせるあたし。しかし旗布ちゃんは聞く耳を持たず、

「ほらほらー! 落ちてるエビフライさんの横に、ケ、ケチャップで、ち、ち、血文字がー! ほら、ここにー!」

 旗布ちゃんが地面を指差してるが、あたしは特に興味もないので、地面には視線を移さへんことにした。そして、旗布ちゃんの発言を訂正することにした。

「ケチャップやったら血文字とはちゃうやろ。ケチャ文字やろ。てゆーかそれって、さっき旗布ちゃんがオムレツに書いた文字のことやろ?」

「ちゃいまーす! その横でーす! ほら、ここにー! 地面にケチャ文字がー!」

 あたしは興味のない地面に、心底どうでもええ地面に、しぶしぶ目を向けた。そこには、「犯人ははたふ」とある。旗布ちゃんは声を張り上げ、

「ほらー! ダイイングメッセージですよー! エビフライさんは落ちた後、エビフライさんは最後の力を振り絞って、エビフライさんはこれを書いたんですよー! そうに違いないですよー!」

 あたしはあまりの主語のおびただしさに当惑し、

「旗布ちゃんはなんで主語を三回も言うの? 旗布ちゃんはそんなに主語が好きなん? 旗布ちゃんは目玉焼きに主語かけて食べるタイプ?」

 そのとき、亀率ちゃんが急に泣き出した。

「うっ、ううっ、ううっ……。ってことは、エビフライさん、生きてたん? うううっ……。そんな……。可哀想……。こんなエビらしくない死に方して……。ううっ……」

 あたしは亀率ちゃんの顔を覗き込みながら、

「いやいや、亀率ちゃん、大丈夫、大丈夫。落ち着いて。超特急で胸を撫で下ろして。深呼吸して。人工呼吸して。このエビフライは確かに死んでたから。てゆーか、旗布ちゃん」

 あたしは亀率ちゃんにカウンセリングを施してから、旗布ちゃんに向き直った。

「はい、なんですかー!?」

 あたしは一つセキ払いをして、旗布ちゃんの目を見据えた。そして、ポケットに入ってたドイツ製万年筆でカッコよく旗布ちゃんを差しながら、こう指摘した。

「正直に白状しなさい、旗布君。このケチャ文字を書いたんは、エビフライ君やなくて、あなたやね?」

「って、そ、そうなん? ハタフチャン、そうなん?」

 亀率ちゃんがかなり混乱してるみたい。あまりに混乱しすぎて、なんかエビフライ相手に人工呼吸してるし。あたしは再びカウンセラーになって、

「亀率ちゃん、落ち着いて。瞬く間に安堵の表情を浮かべて。ちょっと混乱しすぎやで。エラ呼吸するエビに対してマウスツーマウスの人工呼吸しても助からへんやろ」

「えっ? あ、ああ、せやね。助からへんのはわかってるけど、さっきアケモチャンが人工呼吸とか言うから、つい」

「あっ、あたしのせいか。ごめん。今度から深呼吸とセットでおすすめするのは過呼吸にしとくわ」

 一方旗布ちゃんは、あたしの指摘にかなり動揺してるみたい。あまりに動揺しすぎて、なんか通りすがりの校長先生相手に人工呼吸してるし。あたしはカウンセラーになったままで、

「旗布ちゃんも、落ち着いて。時速五百キロで悟りの境地に達して。ちょっと動揺しすぎやで。エラ呼吸する校長先生に対してマウスツーマウスの人工呼吸しても助からへんやろ。ってそもそも校長先生、元気やん。助ける必要ないやん」

 隣町の高校の校長先生は若くて二枚目やけど、うちの高校の校長先生はよりによって二枚貝や。

「動揺してませんよー! これもネタですからー! 校長先生、ご協力ありがとうございましたー! あらら、そんなに照れてしもてー! ファーストキスですかー!? ほな、さっきの続きいきまーす! ……うっ……ダイイングメッセージを、はたふが捏造したやとー!? な、何を言うかー! こ、根拠はー!?」

 動揺は演技か。女優やな。さすが、ネタに人生捧げてるだけのことはあるな。そんな女優に対して、あたしは根拠を述べることにした。

「食品の原材料や産地に人一倍うるさいあたしは知ってる。あのエビフライ弁当のエビは、ベトナムからの輸入もの。日本語は書かれへんはずや!」

 あたしは通りすがりの副校長先生(巻き貝)でカッコよく旗布ちゃんを差しながら、そう指摘した。

「!」

 図星やったらしく、旗布ちゃんが顔面蒼白になった。もちろん、素早いメイクの結果。これもネタにかける情熱の賜物なんやろな。あたしはドスの利いた声で、

「さあ旗布ちゃん、話してもらおか。なんでこんなことをしたんか」

「つ、つい出来心で……。どうしても、ダイイングメッセージを書いてみたかったんやもん……。でも自分が殺されるのはイヤやもん……。せやから、かわりに他人の……いや他エビのダイイングメッセージを捏造して……」

 旗布ちゃんが涙する。これも演技なんやろな。意のままに涙を流せるなんてすごい。ふと横を見ると、亀率ちゃんの目からも大粒の涙が。涙もろいなあ、この人は。これもネタの一部やて気づかへんのかな?

「うっ、ううっ、ううっ……。ハタフチャンにそんな悩みがあったやなんて……。可哀想……。他エビを巻き込んでまで実現したかった夢やったんや……。そうやんね……。誰かて叶えたい夢の一つや四つ、あるやんな……。ううっ……」

 あたしは歯切れよく、

「亀率ちゃん、泣かんでええよ。こんなんどうせネタやし」

「うっ、ううっ、ううっ……。わかってんねん。わかってるんやけど、感傷的になってしもて」

 わかってたんかい。そして旗布ちゃんがうつむきながら、

「ダイイングメッセージに憧れて、恋い焦がれて……。いくつもの眠れぬ夜を過ごしたわ……。昼間はグースカ寝てたけど……。たとえ将来自分が嵐に閉ざされた山荘で猟奇殺人事件に遭遇して、いざ殺されることになったとしても、すぐに意識失ってしもたら文字なんて書く余裕ないしなあ……。せやからはたふは……はたふは……なんの罪もない他エビをもてあそんで……」

 あたしは腕を組んで、

「まあそのエビは日本語どころか、ベトナム語もジャワ語も英語も中国語も書かれへんけどな」

 旗布ちゃんは衝撃の事実を発表されて、

「ガビーン! まさかの無学エビー!」

「さらに言うと、ホンマはあのエビは国産やけどな」

 あたしが衝撃の事実を追加した。

「ドガビーン! 産地偽装並みの偽りっぷりー! プリプリー! プリプリのエビもビックリやないかー!」

「まいったか」

「なかなかノリがええやないですか、先輩ー! でもさっきの悲しげなはたふの演技もなかなかのもんやったでしょー!?」

 泣きすぎて目をサクラエビのように赤くした亀率ちゃんが、あたしたちの顔を覗き込んで、

「盛り上がってるところ恐縮なんやけど、あと十五秒で昼休み終わりやで。うちはさっき購買のパン食べたけど、二人は結局食べずじまいやね」

「ガドガビーン!」

 あたしと旗布ちゃんが同時にそう叫んだ。旗布ちゃんは、ちょっと離れた場所に落ちてる何かを指差す。それは……ひっくり返ってグシャグシャになった例のお弁当。旗布ちゃんは真剣な眼差しで、

「さ、三秒ルールですよー! 落ちてから三秒以内に食べたら大丈夫ですよー! はたふは、昼休みの穏やかな時の流れに一縷の望みをー……!」

「間に合わなさすぎやろ……」

 あたしは昼休みの終わりを告げるチャイムを聞きながら、力なくつぶやいた。


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第三話 町民ホールで


 さてと、今日は隣のクラスの友達である九美佳(くみか)ちゃんのピアノ発表会を聴きに町民ホールまで来て、すでに座席に座ってるわけやけど。開演時間まであともうちょっとやな。それまでヒマつぶしでもしとこかな。好きな食べものを思い浮かべたらお腹が鳴るかどうか試してみよ。心身相関やからな。鳴る可能性は十分にあるはずや。あたしの好きな食べもの……輪切りパインの缶詰め。あくまで缶詰めであることが重要。輪切りパインて、もう缶詰めにしてくださいと言わんばかりの形状やからな。いつまでも存続してほしい。しかし五十年後も輪切りパインの缶詰めが食べられるという保証はあるかな? マルサスの人口論によれば人口が幾何級数的な変動をするのに対して食糧の総量は算術級数的な増え方やから、それはすなわち輪切りパイン缶も算術級数的であることを意味する。そうなると、いわゆるマルサスの罠によって飢餓が蔓延し……ヤバい! 輪切りパイン缶が……前途洋々たる輪切りパイン缶が……。

 そのとき、見知った顔が舞台の上に現れた。

「えー、どーもどーもー! えっへへへへへー! どーもどーもどーもー!」

 舞台でどーもどーも言うてるのは、旗布ちゃんやないか。相変わらずの声の大きさとカラみづらそうな雰囲気や。

「はたふと言いまーす! 昨日演奏者のくみか先輩が銭湯の洗い場で、右足で石鹸を、左足でバナナの皮を同時に踏みまして、滑って転んでガードレールに頭をぶつけて即死しましたので、彼女のかわりにこのはたふがなんかやりまーす!」

「ええええええ!!」

 思わず旗布ちゃんにも引けをとらへん大声を出してしもた。九美佳ちゃん、死んだの!?

「というのは冗談でーす!」

「ホッ」

 もう、ビックリさせんといてや。よう考えたら、右足と左足で同時に別々のものを踏むのって不自然や。ケンケンパでもしてたんか。加えて、銭湯の洗い場にガードレールがあるはずないもんな。あ、でもあたしんちの近くの銭湯の洗い場には電話ボックスや郵便ポストが普通に立ってたっけ。そう言えば隣町の銭湯の洗い場にはおびただしい量のレンコンが突き刺さってるらしいし、最近の銭湯はようわからんな。でもガードレールに頭をぶつけて即死するのって、マルサスの罠によって飢えて死ぬよりはマシやな。輪切りパイン缶を食べられずに「食べたいよう……輪切り……輪切り……輪切り……輪ん切り電話とパイン代の架空請求……」とかうわ言のように繰り返しながら苦悶の日々を送るよりはずっとマシやな。旗布ちゃんは続けて、

「くみか先輩は、ホンマは即死ではなく、地獄のごとき激痛に何時間も七転八倒した挙げ句死にましたー!」

「ええええええ!!」

「というのも冗談でーす!」

「ホッ」

 もう、ビックリさせんといてや。寿命と胸が縮んだ気分や。しかし、地獄のごとき激痛に何時間も七転八倒するのと、輪切りパイン缶が売り切れてるという衝撃によって何時間もスーパーの床の上で七転八倒するのと、どっちが辛いんやろ? 旗布ちゃんはさらに続けて、

「えー、川上から流れて来た大きな桃のとんがった部分にくみか先輩が座ったら、瞬時に痔を発症してぶっ倒れて入院したというのが真相でーす! というわけで、今日はかわりにこのはたふがなんかやりまーす!」

 九美佳ちゃんがお休みで旗布ちゃんがかわりになんかやるってのはホンマなんや。それにしてもとんがった桃のせいで痔とは。その桃には桃太郎さんが入ってたんやろか? 入ってたとしたら、誰が引き取ったんやろ? 旗布ちゃんはちょっと不快そうな顔をして、

「ちなみに桃の中には残念ながらアスベストと六価クロムとPCBしか入っていませんでしたー!」

 うわ、もはや公害や。産業廃棄物を桃に包んで川に投棄するなんて、最悪や。昔話に対する冒涜や。旗布ちゃんはまたにこやかな表情に戻って、

「では今から、はたふはきりつ先輩っていう人と即興で漫才をやりたいと思いまーす!」

 え? 亀率ちゃんも来てるんか。面倒臭さが二倍になるやないか。


 そんなこんなで開演時間となった。漫才の。

「キリツです」

「はたふでーす! 二人合わせて……双璧でーす!」

「ハタフチャン、なんの双璧? ちなみに双璧の璧は下半分が土やなくて玉ですよ、皆さん」

「今日はくみか先輩が素敵な演奏をしてくれるはずやったんですけど、中止になって残念でしたねー!」

「せやね。楽しみにしてた人もいてたんやろな。入院したクミカチャンも、楽しみにしてたお客さんたちも、みんな可哀想……うっ、うう」

「先輩先輩、気持ちはわかりますけど、泣いたらあきませんよー! 今は気持ちを切り替えて、楽しい話をしましょー! たとえば排他的論理和の話とかー!」

「ほな、スポーツの話でもする?」

「あー、卓球ですかー!」

「なんでスポーツの話ってだけで、ピンポイントで卓球なん?」

「あー! 今、さりげなくピンポンとピンポイントをかけましたねー! なかなかやるやないですかー! よっ、天才ー! 卓球の天才ー! 天才数学者ー!」

「盛り上がってるところ申しわけないけど、うち、何もかけてへんよ。しかもなんで卓球の天才なん? うち、持久力はあるみたいやからマラソンとか登山とか日本一周は得意やけど、球技は苦手やねん」

「はたふもかけたーい! さりげなくかけたーい! ……電話に出んわー!」

「全然さりげなくないやん、それ……。あからさまやん。あけすけやん。唐突やん。正面切ってダジャレ大好き娘全開やん」

「ええやないですかー! 大体卓球なんてね、危険ですよー! ピンポン球がノドに詰まったら危ないやないですかー!」

「そんな事故めったにないよ。うちは詰まったことあるけど」

「やっぱりー! きりつ先輩はオッチョコチョイですからねー! 実ははたふも、鼻の穴に詰まったことがありまーす!」

「ピンポン球が? ほな、そのあと、鼻の穴が拡張した?」

「いや、鼻の穴に詰まったのは卓球台でーす!」

「拡張しすぎる……」

「卓球台は鼻詰まりの原因になるから、卓球なんてシンプルなスポーツは床でやったらええんですー! 床でー! 掃除の行き届いてへん中華料理屋の油まみれの床でー!」

「卓球はシンプルやないよ! 卓球を甘く見たらあかんよ! たとえばラバーにもテンション系とかコントロール系とかいろいろ種類があって、プレイヤーの経験や戦法によって選択せなあかんし、結構複雑なスポーツやねんで!」

「確かに、卓球台にもコタツがついてるやつとか中にカビの生えた給食のパンが放置されてるやつとかいろいろありますよねー!」

「それは見たことないなあ。見てみたいなあ。カビのニオイを嗅いでみたいなあ」

「カビの生えた給食のパンはちぎって丸めてピンポン球がわりにもなりまーす! 他に珍しい卓球台の種類としては、スパコンのついてるやつとか、台の上に千手観音像が鎮座ましましてるやつとか、台の上でお婆さんが座布団に座ってコブ茶を飲んでるやつとかがありますよー!」

「全部欲しい!」

「えーと、ところで今日は本来はピアノ発表会やったわけやけど、きりつ先輩は何か楽器演奏できますかー!?」

「うーんと、宇宙人さん」

「え、うちゅうじんさーん? なんですそれー!? 楽器名ですかー!?」

「うち、宇宙人さんと交信できるねん。うちの発する声に応じて宇宙人さんが得体の知れへん何かを送信して来て、それが建物を軋ませて旋律を奏でる」

「よっしゃー! ほなそれいってみましょー!」

「ええよ。やってみるわ。むむむむむ……! はうっ! はおあああああ……! だあああああくえねるぎいいいいいいい……!!」

 ミシミシベキベキバキバキバリッバリッ!!

 そして会場はいかにも廃墟マニアが好きそうな廃墟と化したのであった。


 瓦礫の上で亀率ちゃんが涙ながらに、

「ごめんな、アケモチャン、ハタフチャン。うちのせいでこんなことになってしもて」

 旗布ちゃんは屈託ない笑顔で、

「ケガ人がほとんど出えへんかったことが不幸中の幸いでしたねー! 唯一はたふだけが副鼻腔炎になりましたけどー!」

 あたしは生気のない声で、

「それ、もとからちゃうの?」

 ホンマ死ぬかと思たわ。床は割れるし、壁は倒れるし、上から天井が降って来て亀率ちゃんの頭部を直撃しても亀率ちゃんは無傷やし。亀率ちゃんは申しわけなさそうに、

「なんとかしてもとに戻す方法ないかな。うちが責任持ってもとに戻したいけど」

 あたしはタメ息混じりに、

「無理でしょ、ここまでグシャグシャになってしもたら」

 体も汚れてしもた。早よ帰って輪切りパインを浮かべたお風呂に入りたい。すると亀率ちゃんが何かを思いついたのか、「そうや!」と素っ頓狂な声を上げ、

「今までやったことをできるかぎり逆に実行したら、奇跡が起きて自然にもとに戻るかも!」

 わけわからん……。でも亀率ちゃんは真顔。ちなみに亀率ちゃんは、天井が頭部に直撃したときも真顔やった。

「逆……?」

 と、あたしが怪訝な顔をしていると、旗布ちゃんがなぜかハチマキをし始めて、

「よーし! 面白そうやから一応やってみますかー!」

 何するつもりなんやろ? 逆てなんや? つかみどころがない。旗布ちゃんは唐突に、

「かすまみてっやうおちいらかやうそろしもお! しーよ」

 え!? 旗布ちゃんの口から、耳慣れないすごい言語が。琉球方言か? 般若心経か? ……いや、今のは……まさか。……そして、亀率ちゃんと旗布ちゃんが期待に満ちた表情でこちらを見据える。え、えーと……。あたしは戸惑いながら、

「……くゃぎ」

 すると今度は亀率ちゃんの口から、

「もかるどもにともにんぜしてきおがきせき、らたしうこっじにくゃぎりぎかるきでをとこたっやでままい! やうそ」

 これはまたすごいのが出て来た。エクトプラズムが口から出て来るよりもすごい。そして次はあたしの番や。

「……よだりむらかだんるてっなにゃちぐゃちぐになんこ」

 そのとき、旗布ちゃんと亀率ちゃんの顔色が変わった。旗布ちゃんは顔面蒼白(メイク)であたしをねめつけながら、呪詛するかのような声で、

「うわ、全然ちゃうやないですか、あけも先輩……。台無しや……。すべてが台無しや……。すべてが終わったんや、この瞬間に……」

「そんなこと言われても……」

 亀率ちゃんも残念そうに、

「アケモチャン、そこは、『らたもしてっなにゃしぐゃしぐでまここ、ょしでりむ』やんか」

「覚えてへんし……」

 あたしにそこまでの記憶力と文章反転力はない。旗布ちゃんは唾を飛ばしながら、

「すべてがもとどおりになるはずやったのに、あけも先輩のせいでー!」

「ええええええ! あ、あたしのせいなん?」

 おたおたするあたし。旗布ちゃんはこちらを指差しながら、

「海のものとも山のものともつかへん突拍子もない作戦やったかも知れへんけど、やってるうちに現実味を帯びてきた……という妄想が生じてきたというのに、あけも先輩のせいでー!」

「ええええええ! いやいや、てゆーか、そもそもそんなんしてももとには戻らへんでしょ!」

 あたしも反論した。ここまで悪党に仕立て上げられては黙ってられへん。そこへ、亀率ちゃんが優しい声で、

「確かにアケモチャンの言うとおりや。なんぼ奇跡を信じたいからって、瓦礫がもとの姿に戻るなんて言うたらあかんよね。無秩序が秩序化するなんて、熱学の法則に反するもんな」

 バコーン……。

 亀率ちゃんの発言の直後、妙な音が。あたしはキョロキョロしながら、

「な、何? 今またどこかからヘンな音が」

 まさかまた宇宙から得体の知れへん何かが? 亀率ちゃんは深刻な表情で、

「えらいことや! 今のアケモチャンのミスのせいで、ヘンな奇跡が起きてしもて、さらなる崩壊が始まってるのかも」

 旗布ちゃんは目を大きく見開いて、

「え、マジですかー!? マジでそんなんなってるんですかー!? ちょっとちょっと、あけも先輩、なんてことをしてくれたんですかー!」

「ウソ? ホンマにあたしのせい? そんな、あたしはただ……」

 あたし、どうしたらええの? 誰にどう謝ったらええの? 亀率ちゃんよりもあたしこそ土下座の練習せなあかんの? そんなことを考えてると、亀率ちゃんが大粒の涙をこぼしながら震える声で、

「いや、うちのせいや。世界が終わるのはうちのせい……」

「世界がー!? そ、そんなアホなー!!」

 と、あたしと旗布ちゃんが同時にそう返す。旗布ちゃんは手を挙げて、

「ちょっとはたふ、周りの様子を見て来まーす!」

 旗布ちゃんが瓦礫の上から立ち去った。亀率ちゃんは錯乱寸前で、

「うあああっ、世界が、世界が終わる……。第一世界も第二世界も第三世界もモネラ界も終わる……。あああああああああ……」

 あたしは必死に落ち着かせようとして、

「亀率ちゃん、冷静になって! 大丈夫! きっと大丈夫やって!」

「世界が終わる……。みんな死ぬ……。うちは体硬いから生き残るけど、うち以外はみんな死ぬ……。あああああああああ……」

「キミ独りは大丈夫なん!?」

 そんなやりとりをしてると、旗布ちゃんが戻って来て、

「きりつ先輩ー! あけも先輩ー! 朗報ですよー! 世界は多分終わりませーん!」

「ほら、亀率ちゃん、多分終わらへんってさ!」

 すると亀率ちゃんは旗布ちゃんのほうを向いて、

「ハ、ハタフチャン、ホ、ホンマに?」

「はいー! 痔が突然治って退院したくみか先輩が、この会場の隣にある銭湯に行ったそうでーす! そしたらそこの洗い場で、右足で石鹸を、左足でバナナの皮を同時に踏んで、滑って転んでガードレールに頭をぶつけたそうでーす! そのときの音がさっきの音ってだけでーす!」

 旗布ちゃんが音の正体を説明してくれた。あたしは愕然として、

「結局そんなことに!? で、九美佳ちゃんの安否は!?」

 まさかご臨終!? 旗布ちゃんは微笑んで、

「くみか先輩は再入院ー! 高速でお見舞いにも行って来たけど、元気そうでしたよー!」

 亀率ちゃんはすすり泣き、

「よかったわあ……。クミカチャンも元気で、全世界も元気で、ホンマによかった……。うう……」

 それにしても、ガードレール、やっぱりあるんか。


 数日後、九美佳ちゃんが、別の会場でやり直されたピアノ発表会で演奏を披露した。あのときの建物の軋みとは雲泥の差の芸術的旋律やった。素晴らしい演奏やった。九美佳ちゃんは将来素敵なピアニストになると思う。……いや、今でも十分、彼女は素敵なピアニストや。ガードレールが頭に刺さってたけど、ホンマに頑張ったと思う。


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第四話 銭湯前で


 あたしは今銭湯に来てる。服を着終えて、これから帰るとこや。しかし、まさかホンマにガードレールが洗い場にあるとは思わへんかったなあ。わざわざ確かめに来る必要もなかったかも知れへんけど。そう、銭湯のお風呂に入りたかったわけやなくて、ただ例のガードレールの有無が気になってただけ。気になって気になって、ここのことろ毎晩まんじりともせんと朝を迎えてたからなあ。大体銭湯のお風呂なんて、輪切りパインが浮かんでへんし、うちには合わへん。あとお風呂場で気になったのは、バナナの皮が大量に落ちてたことやけど、あれはなんなんやろ。そら九美佳ちゃんも滑って転ぶわ。トロロイモが大量に落ちてるよりはマシかも知れへんけど。足の裏がカユくなるもんな。そのとき、出入り口の引き戸を開けて外へと出て行く見慣れた後ろ姿を見つけた。

「あれは……もしかして亀率ちゃん?」

 髪形や背カッコが亀率ちゃんっぽいし、しかもシャツの背中側にI AM KIRITSUって書いてあるし。……って、あのシャツ、後ろ前に着てるやん。あたしも銭湯を出て、道を数メートル走り、その自己顕示欲旺盛っぽいシャツを着ている彼女に追いつき、「亀率ちゃん」と呼びかけてみた。振り返ったのは、やっぱり亀率ちゃんやった。

「あー、アケモチャンか。こんばんは」

「シャツ、反対やで」

「そっかあ。まあこのシャツ、賛否両論やしなあ」

「いや、反対とか賛成とかやなくて。前後が反対」

「ううん、そんなことないよ。シャツの向きは正常やで。うち自身が、シャツの中に逆向きに入ってみたんや」

「あ、ああ、そう。シャツと違ごて、亀率ちゃんが後ろ前になってるんやね」

「そうそう」

「せやけど、名前が書いてあるなんて、亀率ちゃん意外に自己顕示欲強いんやね」

「ああ、そういうことやないねん。うち、自分の名前とか自分の利き手とか自分の尿酸値とか、肝腎なことに限ってよく忘れるから。シャツに名前が書いてあったらすぐに参照できるやろ? 全世界のすべての山の標高とか、どうでもええことはちゃんと覚えてるんやけどねえ。しかもミリ単位で」

「そ、そう……。でも、そのシャツどこで売ってたん? I AM KIRITSUなんて、珍しいけど」

「ん? 普通に魚屋さんで売ってたよ?」

「それ、普通やないし。それにしても、自分の名前を忘れるなんて、困ったもんやね」

「うん。困ってんねん。ときどき自分の名前がキリツかゴスケかヨネゾウかタロウザエモンかで悩むねん」

「キリツ以外は思い浮かんでもすぐ打ち消そうよ」

「あっ、そうや。明日はうちの尿酸値が書かれたパンティーを探しに乾物屋さんに行こかな」

「ないと思う」

「それにしても銭湯で会うなんて、奇遇やね」

「せやね。もしかしたら、さっきいっしょに湯船に入ってたんかな? 全然気づかへんかったわ」

「へへ。うち、ほとんどの時間、頭のてっぺんまで浸かってたから」

「どういうことやねん! ひょっとして全身浴を勘違いしてるんちゃうか? 半身浴・全身浴の全身浴は、何も頭のてっぺんまで浸からんでもええんやで。顔は出しててええねん」

「いや、ちゃうねん。実はうち水に慣れてなくて泳がれへんから、端っこの水風呂で水に慣れる練習してたんや。シュノーケル使こて」

「水に慣れるって、そらあかんよ。それはプールか海でやるべきやで。銭湯は適してへん。実はあたしもカナヅチやねんけど、銭湯で泳ぎの練習しようと思たことはないなあ」

「へー、アケモチャンも泳がれへんねや。せやけどさー、海って上級者向けやん? プールは中級者向けやん? せやからカナヅチにとっては初級者向けの銭湯がええんちゃう?」

「待て待て。銭湯はそもそも泳ぐところやないやろ。お風呂から上がったあとに腰に片手を当てながら瓶入りのコーヒー牛乳をグイっと飲んだり、裸のお爺ちゃんがタオルで全身をパシーンパシーンて叩きまくるところや」

「そう言えばそうやったね。あーあ、せっかくちょっとは水への恐怖が軽減されるかと思たのに、結局収穫はガードレールの存在をこの目で見たことだけやったわ」

「それはあたしも収穫やった。そもそもそれを見るのが第一目的やったし。一部は九美佳ちゃんの頭に持ってかれてなくなってたけど」

「体硬いうちやったらぶつかっても平気やったと思うけど、普通の体のクミカチャンは大変やんねー」

「あとさ、バナナの皮が、ぎょうさん落ちてたやんか。あれなんなんやろね」

「落ちてたねー。美味しそうやったねー」

「いや、バナナの皮だけ見て美味しそうってのもどうかと思うけどな。それって、めくれて落ちた彼女の指の皮だけを見た彼氏が、彼女に対してキミの指キレイだねって言うてるようなもんやで。それとも亀率ちゃん、バナナの皮食べるん?」

「いや、食べへんけどね。皮は薬品漬けになってたりするから。防カビ剤のイマザリルとかね。そう言えばヘビの皮は財布に入れたりするけど、バナナの皮は財布に入れへんね」

「そんなんしたら、財布の中がヌルヌルになるやん。あっ、今思い出したけど、バナナの皮って幻覚作用のあるアルカロイドが含まれてるんやろ?」

「ううん、それ単なる都市伝説やで」

「あ、そうなん?」

「でもうちの皮膚には幻覚作用のあるアルカロイドが大量に含まれてる」

「えええええ!?」

「あっ、そうや!」

「えっ、なになに」

「マイナス三十度の部屋では、バナナがカナヅチがわりになるってこと、知ってる?」

「ああ、凍ったバナナで釘とか打てるんやろ?」

「銭湯に落ちてるのはバナナ。うちらは二人ともカナヅチ。つまり、そういうことやったんやねー」

「いやいや、全然わけわからんし。目からウロコが落ちへんし。独りで納得せんといて」

「あれ? なんか論理的におかしかったかな? それとも科学的におかしかったかな? それとも幾何学的におかしかったかな? それともサプライサイド経済学的におかしかったかな?」

「でも二人揃ってカナヅチかあ。なんか親近感湧くわあ」

「うち、体も硬いし、水に慣れてへんから泳がれへんし、爪も深爪やねん。持久力はあるみたいやから、マラソンとか登山とか連続的深爪は得意やけど……」

「あのさ、よかったら今度あたしといっしょに泳ぎの練習せえへん?」

「どこで? 三日月湖で?」

「学校の室内温水プールを借りるねん。うちの学校、設備だけはゴージャスやからな。食堂のメニューは福神漬けしかなくて貧相やけど」

「ああ、あの室内温水プールか。それ、ええね。借りよう借りよう。レンタルしよう。さて、ここで突如として問題を出します。宴会にてカナヅチ(泳げない人)がカナヅチ(工具)で鏡抜きをしたら、水に溺れるかわりに酒に溺れるのでしょうか」

「知らんがな」


 そんなわけである日の昼休み、あたしは水泳部顧問の大宿(おおやど)先生がいる職員室にやって来た。ところが……。

「えーっ、プール借りたらあかんのですか」

「お前、部員やないやろ。プールは水泳部のもんや。他のヤツらには指一本触れさせへん。なんぼ言うてもあかんもんはあかん。海か三日月湖に行け。この尻軽女」

「わかりました……」

「とっとと失せろ、人間のクズ」

「あ、はい。失礼します」

「おととい来やがれ、このインドゾウ」

 インドゾウを……いや、引導を渡されて、あたしは職員室をあとにした。


 あたしは肩を落として、

「せっかくおカネ使わずに練習できると思たのに。せやからって、カナヅチ二人が水泳部に入部するのもなあ。オカルトマニアが科学部に入部するようなもんやしなあ」

 しょげ返りながら廊下を歩いていると、亀率ちゃんと鉢合わせした。

「アケモチャン」

「あ、亀率ちゃんごめん。あかんかったわ」

「そっかー、残念やなあ。そっかー、残念やなあ。そっかー、残念やなあ。そっかー、残念やなあ。そっかー、残念やなあ」

「なんで五回?」

「それだけ残念やったってこと。世の中うまいこといかへんね。うちなんか、深爪した日に限って鍋いっぱいのラー油の中に手を突っ込まなあかんことになるから、大変やねん。世の中理不尽やわあ」

「それどんな状況? 痛そうで泣きそうやねんけど」

「よーし、それやったら、いっそ二人で海に行こ。うちが連れてってあげるから」

「え?」

 そんなわけで二人で海に行くことになった。


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第五話 プラネタリウムで 前編


 今日は土曜日。あたしは亀率ちゃんと並んで街の中を歩いてる。あの銭湯での一件によって、亀率ちゃんに連れられて海へ行くことになってるわけや。一応水着は持って来たけど、一体どこの海へ行くつもりなんやろ。カスピ海? それとも島根県の中海? って、どっちも湖やないか。しかしカスピ海も中海も、なんで湖やのに海とか名乗ってんねやろ。山があるのに山梨県。氷に覆われてるのにグリーンランド。何かがおかしい……。その点、アイスランドはすごい。アイスのランドやから、アイスランド。そのものズバリ。文字どおり。名は体を表す。岩手県もすごい。県民の手が岩でできてるから、岩手県。そのものズバリ。文字どおり。名は体を表す。いや、ちゃうちゃう。確か岩手県の県名の由来は、岩手山の溶岩流を指した岩出(いわいで)の転訛。もしくは異説として、三ツ石様という三つの岩の姿をした信仰対象が岩手にあり、その三ツ石様が羅刹鬼(らせつき)という鬼を懲罰した際に、鬼が今後この地には足を踏み入れへんという約束の印として手形を三ツ石様に押したという伝説。ちなみに手形つきの三ツ石様は現存している。でもどうせ鬼やったら手形よりも角形(つのがた)を残してほしかったなあ。そして右の角形を角形一号、左の角形を角形二号と名づける。定形外封筒みたいやな。

 あれ? ここは……交番? 亀率ちゃんが敬礼しながらおまわりさんに、

「すみませーん。海へはどっちへ行ったらええんですかー?」

 するとおまわりさんは敬礼を返しながら、

「日本は海に囲まれてる島国やから、どっちへ行っても必ず海に着く」

「あ、確かに! ほな右に進んだ場合、たどり着く海の名前はなんですかー?」

「ポチ。あ、それは俺の飼うてるウシの名前やった。海の名前は、タマ。あ、それは俺が食うてる牛肉の名前やった」

「あ、確かに! わかりましたー。教えていただいてありがとうございまーす」

 何が「確かに」なんやろ。海の名前、結局わからずじまいやん。それにしても牛肉に名前をつけるってどういうこと? あ、でもこの前ちりめんじゃこの中に入ってる小さいタコが寺から戒名を授かったとかニュースでやってたっけ。それに比べたら普通のことやな。ついでにそのタコは、死んでるのに経営難のローカル線の駅長にも就任して、タコ駅長として一躍有名になったとか。でも就任してからわずか一週間後に風に飛ばされてなくなったとか。儚いなあ。儚いタコ。墨を吐かないタコ。哀切極まりない、うたかたのタコ。自らの墨のごとき漆黒の闇に包まれし、かそけき命のともしび……。それはホタルイカのようには光られへんタコの精一杯のともしび……。意味がわからへん。


 そして、結局たどり着いたここは……海やなくて……水族館? 目の前の建物は、確かに水族館。「これは水族館です」って建物の壁にラッカースプレーで書いてあるし。こんなところに水族館があったんか。知らんかった。まだ新しそうやな。

「亀率ちゃん、海ってここ? どう見ても水族館やん。下から見ても上から見ても右から見ても左から見ても水族館やん」

「右斜め上から天体望遠鏡で見たら?」

「右斜め上から天体望遠鏡で見ても、通天閣のてっぺんから原子間力顕微鏡で見ても、どんなにうがった見方をしても、恋焦がれながら情熱的に見つめても、赤外線で観測しても、エックス線で観測しても、CTスキャナーに水族館をまるごとぶち込んでも、水族館は水族館やん」

「ここで泳げるかな?」

「まあ、あたしらが魚類やったら泳がせてくれると思うけど」

「やった!」

「いやいや、あたしら魚類やないやろ?」

「硬骨魚類やん」

「え?」

「軟骨魚類以外は爬虫類とか哺乳類とかも全部硬骨魚類に分類されるから」

「あ、ああ……せやったね。生物学上はね。でも、水族館の人に硬骨魚類やから泳がせてくださいって頼んでも無理やと思うよ、あたしらにウロコでもない限り」

「ほな、貼りつけるしかないか……」

「全身にペタペタと!?」

「もうこの際ここで泳がれへんでもええわ。いろんなお魚見るのも楽しそうやし、普通に回ってみよ?」

「うん、せやね。せっかく来たんやし」


「あっ、亀率ちゃん、見て見て。これ、マンボウやね。初めて見たわー」

「うちは四兆六百億五十三万六千二百五十七回目。マンボウってな、何億個というすごい数の卵を産むけど、その中で生き残って大人になれるのはほんのちょっとだけやねんで。自然界ってなんて厳しい世界なんやろ……。遺伝子を未来へとつなぐためにしのぎを削る生命たち……。可哀想……。うちなんて、練り消しをつないだり鉛筆を削ったりするだけやのに……」

「あたしは、水族館で人工の水槽に閉じ込められてることも可哀想やと思う」

「そうやんなあ。水族館て残酷や。水族館なんて、なくなってしもたらええねん。壊れてしもたらええねん。こうなったらいっそ前みたいに宇宙人さんと交信して……」

「それはやめて!」

「うん、やらへんよ。そんなんしたらむしろここのお魚たちみんな昇天やん。……あかんわ、水族館って涙が止まらへんね。おカネ払って水族館でお魚見るよりは、無料で宇宙人さん見るほうが精神衛生上はええね」

「えっ? 無料で宇宙人さん見れるの?」

「会うたら見れるよ。上から見ても下から見ても右から見ても左から見ても宇宙人さんやで。後ろから手で両目を隠してだーれだってやったら亀率でしょって答える宇宙人さんやで」

「えっ? えっ? 会うたことあんの? 地球に来てんの? 交信するだけとちゃうの? 宇宙人さんとどんな関係? 友達? 恋人? 仕事仲間? 株仲間? はとこ? そもそもその人、男? 女? いやそれ以前に性別あんの?」

「そんないっぺんに訊かれても。うちは何度も会うてるよ。週末は必ず地球に来てるみたい。あと、交信相手の宇宙人さんと、何度も会うてる宇宙人さんは、別の人やから。交信相手のほうは会うたことないよ」

「会えるほうの人を紹介してや。宇宙人に会えるんやろ。すごいことやん。マンボウよりすごいやん」

「ええよ。でも……」

「でも?」

「ちょっとあの宇宙人さん、あんまり人当たりがええことないねん。宇宙人当たりも地球人当たりもええことないねん。地球人の友達はうち一人で十分みたいなこと言うてたからなあ。寝ても覚めても木で鼻をくくったような態度の人やし。ちなみにホンマに寝てるときに木で鼻をくくってたら睡眠時無呼吸症候群になるかも」

「そ、そんなに無愛想な人なん?」

「でもアケモチャンとやったら仲よくなれそうな気がするな。アケモチャンは博愛主義者っぽいし。ミサイル万能論者っぽいし。連絡取ってみるわ」

 ミサイル万能論者やないけど、今あたしは若干興奮してるのでそこは訂正せず、亀率ちゃんがケータイを取り出す様子を見守った。

「……って、ちょっと待って! 電話番号知ってんの!? いや、それよりも、その宇宙人さん、ケータイ持ってんの!?」

「うん。土日はこれで連絡取り合える。平日は宇宙に帰ってるからあかんけどね。八十億光年先までケータイの電波届かへんし」

「八十億光年……。スケール大きいなあ。マンボウの体長より長い」

「あー、もしもし、ルリチャン? 今から会える? 今どこ?」

「ルリ!?」

「おっけー。ほな行くわ」

「……どこ行くの?」

「うちが最初に彼女と会うた場所やわ。プラネタリウムや。ほな行こ」

「あれれ? 泳ぎの練習はどないなったんや。まあええけど」

「でももしかしたらルリチャンが宇宙遊泳に誘ってくれるかも知れへんよ。そんなような話を前してたし」

「マジですか!? でも宇宙遊泳は水中での泳ぎの練習にはならへんような」


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コメディー小説『アッケラカンサッパリカン』


第六話 プラネタリウムで 後編


 あたしは亀率ちゃんが宇宙人と称する杉久保(すぎくぼ)さんに、プラネタリウムで対面した。今、三人でホールの席に着いて上映を待ってるとこ。あたしは興奮気味に、

「杉久保さん、宇宙人ってホンマなんですか? どこから見ても地球人ですけど。宇宙から見ても地球人ですけど」

 シーサーとオゴポゴの混血種みたいな異形の宇宙人さんといっしょに、お国自慢ならぬお星自慢でもやり合おうと期待に胸を膨らませてただけあって、どこからどう見てもあたしと同い年くらいの日本人女性の外見を持った杉久保さんをまのあたりにして、最初は拍子抜けした。でも、もしかしたら、ひょっとしたら、今は変身してるだけで、真の姿は……と、あたしは気もそぞろ。

「……そりゃ自分は地球出身の元地球人だしね」

 杉久保さんがぶっきらぼうな口調で答えた。吐き捨てるように。ちりめんじゃこの中に入ってる小さいタコを吐き捨てるように。

「えっ? そうなんですか? って、関西弁やないから、関西出身ではない……?」

「……東京の鳶田(とびだ)市出身で、鳶田市在住よ。……土日にはよくここ大阪に来てるけどね」

「はあ。何をしに大阪に来てるんですか?」

「……た、大した理由はないわ。……ちょ、ちょ、ちょっとした気分転換よ」

 ん? なんでそこで狼狽すんの? なんかようわからんけど、まあええか。それにしても……。あたしは亀率ちゃんのほうに向き直り、

「それにしても亀率ちゃん、杉久保さんのどこが宇宙人なん? 東京人やんか。なーんや、ドキドキして損したわ」

 そしてまた杉久保さんのほうを見て、

「亀率ちゃんは人当たりが悪いとか言うてましたけど、それって単に関西に慣れてへんだけですよね、杉久保さん」

「…………」

 杉久保さんはちりめんじゃこの中に入ってる小さいタコのように押し黙る。亀率ちゃんがあっけらかんとした調子で、

「アケモチャン、確かにルリチャンは東京の鳶田の人やで?」

「もう。亀率ちゃんたら、それやのに宇宙人とか言うて、人をからかって……」

「いやいや、宇宙人でもあるねん。なあ、ルリチャン?」

「……そうね」

「え? え? どういうこと? どういうこと?」

 どういうことやねん。あたし独りだけが意味をわかってへんみたい。孤独や。まるでちりめんじゃこの中に一匹だけ混じってる小さいタコのように。亀率ちゃんはキョトンとした顔で、

「ひょっとしてアケモチャン、最近ニュース見てへんの? 証券業界の株価とか気にしてへんの? ユーロの信頼性とか気にしてへんの? 投資信託に興味ないの?」

「え? いや、まあ、確かに最近、電子レンジの中を舞台にしたシリーズものの推理小説にハマってしもて、家でもそればっかり読んでて新聞とかテレビとか見てへんかったけど、なんかあったん?」

「一ヶ月ほど前に東京の鳶田市が日本からスッポリ外れて飛び出して、八十億光年先まで飛んでったやん」

「えっ、なんで!? そ、それ全然知らんかった」

「アハハ。うちも最近、冷蔵庫の中を舞台にしたシリーズもののSF小説を冷蔵庫の中で読むことにハマって、すっかり貧乏ゆすりするのを忘れてたから、人のこと言われへんけどな。ちなみに電子レンジの中で読書するのはマイクロ波が危険やからやったらあかんよ」

「あ、あれ? ちょ、ちょっと待って。八十億光年先まで行くのには光速でも八十億年かかるやんか」

「鳶田市にはワープ機能がついてるから八十秒しかかからへんかったんや」

「なんでそんなんついてるん……」

「ついでにウォシュレットもついてるで。水噴き出しながら飛んでく姿が、彗星のように観測されたし」

「ほ、ほな杉久保さんは、なんで生きてるん? 宇宙空間ではどうやって呼吸を?」

 すると亀率ちゃんは感心したような口調で、

「それはうちも疑問に思たけど、ルリチャンも含めて鳶田市民で強い人はみんな頑張って息止めていられるから、全員無事なんやて」

「ほな弱い人は……? それに、真空に人体が曝露されると血液が沸騰して……」

「ううん、それは単なる都市伝説やで」

「ああ、そうなん?」

「でもうちの血液はいつでもカップラーメンをつくれるように常に煮えたぎってる」

「えええええ!?」

「そして鳶田市民で弱い人は、全員ハレー彗星に備えて自転車のチューブを買い溜めしてたから、無事なんやて」

「それいつの時代の話!? って、杉久保さんすごいですね。どのくらい息止めてられるんですか?」

 杉久保さんに訊いてみた。すると杉久保さんが、ややけだるそうに、

「……最長一週間くらいよ。……だから週末は地球に戻って酸素を吸ってるの。……マッコウクジラの息継ぎみたいなもんよ。……でも人それぞれだから、三日おきに戻ってる人や三秒おきに戻ってる人もいるわよ。……あと、自分は個人的に三歳のころからずっと自転車チューブ健康法を実践してたんだけど、鳶田市天体化後にはチューブが品薄になってほとんどやってないわね。……そのせいか最近、体調が優れないわ。……この間も朝起きたら右腕と左腕が入れ替わってたしね」

「そ、そうなんですか」

 マッコウクジラでも呼吸をガマンできるのは最長一時間くらいのはずやけど……。亀率ちゃんが冷静な口調で、

「ルリチャン、自転車チューブ健康法は眉唾やでー」

 それにしても、いろんな健康法があるんやなあ。あたしは再び亀率ちゃんのほうを向き、

「でも亀率ちゃん、市が一つ宇宙に吹っ飛ぶって、相当なことやで。テレビでもかなり騒がれたんやろ?」

 亀率ちゃんは、あたしの横でマユにツバをつけてる。ここで重要なことは、亀率ちゃんは眉に唾をつけてるのではなくて、カイコの繭に帽子のつばをつけてるということ。職人やなあ。

「うん。騒がれてた。おもしろハプニング映像として市が宇宙に飛んで行くところのビデオが投稿されてた」

「そんなレベルかい! でも、杉久保さんはどうやって向こうと地球を行き来してるんですか?」

 今度は杉久保さんに、宇宙空間での交通手段について訊いてみた。

「……普通に、タクシーよ。……ワープ機能つきの」

「最近のタクシーて、すごいんですね……」

 すると突然亀率ちゃんが身を乗り出して、

「最近のタクシーはすごいんやで! 後部座席にガードレールがあったりするから!」

「またガードレールかい。邪魔やん、そんなん」

「何言うてんの! 新鮮やん! コンクリートパネルでいっぱいの運転席よりずっとマシやん!」

「最近のタクシーの運転席、そんなことになってんねや……」


 ガードレールの話で盛り上がってると、上映時間となった。スタッフの人が解説を始める。

「えー、それではまず最初にこちらの明るい天体をご覧ください。これが一ヶ月前に地球を離れて新しい天体となった東京都鳶田市です。宇宙規模の飛び地ですね。文字どおり飛びました」

 あたしは思わず小声で、

「なんで明るいの? 何等星?」

 するとスタッフさんがご丁寧にも、

「鳶田市には一千万ドルの夜景と呼ばれる観光名所があるから明るいのは当たり前です」

 ……よう聞こえたな。しかしあたしは、

「でも、夜景があるからって……なんか納得いかへん……」

 光学的におかしいような……。するとスタッフさんは声色を変え、

「いらん口出しするんやったら帰れや、このあばずれ女」

 なんという毒舌家スタッフ。

「いや、一応最後まで見さしてくださいよ……」

「とっとと失せろ、人間のゴミ」

「でもせっかく入場料払ったのに……」

「おととい来やがれ、このメキシコハイイログマ」

「このけんもほろろな返事の仕方は……大宿先生……?」

「……うん」

「……メキシコハイイログマは絶滅してますよ」

「ほんならお前も絶滅しろ」

「…………」


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第七話 福引会場で


 福引券を片手に商店街の福引会場にやって来た。あのなんと呼んだらええのかわからん木製で多角形のガラガラ回すやつ(以下「ガラガラ」)をガラガラと回すあたし。福引券は五枚やから、五回回せるわけや。金色の玉が出たらグアム旅行、銀色やと別府温泉の旅、赤色やと醤油、青色やとトイレットペーパー、白色やとポケットティッシュが当たるらしい。

 ガラガラガラ……。何色が出るんやろ。こんなにドキドキするのはスプラッター映画を観たとき以来や。あれは怖かった。ただし怖かったのは映画の内容やなくて、あのときは断崖絶壁の上で観賞してたから、転落死しそうで怖かっただけやけど。そもそもドキドキしすぎて映画の内容なんてほとんど頭に入らへんかったからなあ。

 今ふと思たけど、福引のガラガラの穴から歯みがき粉がニュルっと出て来たら、歯みがきマニアの人はいささかの躊躇もなく間髪を入れず歯をみがいてうがいをガラガラやって、周りはドンびきして客足遠のいてガラガラになるんやろな。なんのこっちゃ。

 ズキューン!! バシーッ!!

 そのときあたしが回してるガラガラの穴から勢いよく何かが飛び出し、ガラガラの載せてあるテーブルを貫通して下の地面をもえぐった。

「わああああああああ!! 何!? 何!?」

 思わずのけぞるあたし。

「何!? 何!? 今、何が出たの!?」

 すると福引屋のオバサンが能面のような顔で、

「タマです。ただし玉ではなく、弾です。銃弾です」

「なんでそんなもんが出るんですか! これ銃器なんですか!? 危ないやないですか! ケガしたらどうするんですか!」

「ネコのタマが出て来るよりマシでしょう」

「ネコのタマが出て来たほうがまだマシですよ!」

「その小さい穴からネコが出て来るんですよ。どんな状態になって出て来るか想像してみてくださいよ。それでもあなたはマシなんて言えますか」

「い、いや、せやけど、銃弾とか……。なんか釈然とせえへんなあ」

「幸い銃弾は一発しか入っておりません。あと四回、安心して回してください。枕を高くして寝ながら回してください」

「安心でけへん……。ホンマに安全なんでしょうね?」

「はい。銃弾以外は安全なものしか入ってません」

「って、普通の玉以外のもんが入ってること自体おかしいんですけど……まあええわ。ほな、回しますよ」

 そこはかとなく口車に乗せられてるような雰囲気がないでもないけど。オバサンの名札には、「長谷場地十勢 CHITOSE HASEBA 女神」と書いてある。

 ガラガラガラ……。金色の玉が出た。

「おめでとうございまーす! 大当たりー!」

 オバサンがカランカランと鐘を鳴り響かせる。やった! グアム旅行や!

「おめでとうございます。これでグアム旅行に行けますよ」

「やったー」

「……わたしが」

「あなたが行くんですか!?」

「もちろんそうですよ。残念やったね。ケケケケケ。ざまあ見ろ。あー、胸がすく思いやわあ。溜飲が下がる思いやわあ。これで今日から心置きなく酒池肉林に溺れることができるわあ。大手を振ってセーラー服姿で外を歩けるわあ。ばーか、ばーか。お前がグアムに行けるわけないんじゃ、ボケ味噌ゴミ酒かす。お前はグアムのかわりにボイラー室にでも行っとけ」

「あなたドSか!?」

「そうですよ。ほな、残り三回ですね。どうぞ回してください」

「やる気なくしてきたなあ。興がそがれたなあ。帰ろうかなあ」

「是が非でもやらせるから、覚悟しろ」

「な、なんで強制なんですか」

「ちなみに黒い玉が出たら罰ゲームですよ」

「えっ! なんですか、それ! 聞いてませんよ!」

「もし黒い玉が出たら、針を上向きにした画鋲が大量に敷き詰められた床の上で、裸足でうさぎ跳び三万回です」

「えええええ!! それは疲れる! なんでそんなことやらなあかんのですか!」

「……わたしが」

「あなたがやるんですか!?」

「もちろんそうですよ。ああ、早よ罰ゲームやりたいなあ」

「あなたドMか!?」

「そうですよ。さあ、回してください」

 ドSでドMとは。ヘンタイさんの福引屋さんのオバサンや。

「……なんてね。ケケケケケ。ホンマは黒玉が出たら罰ゲームをやるのは、わたしではありません。わたしはドMではありませんから」

「やっぱりあたしがやるんですか!?」

「いや、今そこを通りかかっているあの九十五歳くらいのお爺さんがやります」

「九十五歳くらいのお爺さん、逃げてください! 一目散に逃げてください! 南米に高飛びしてください!」

「とにかく早よ回してください! 細かい話はあとです、あと! 早よ回さんと、偽計業務妨害罪で損害賠償請求しますよ!」

「なんで偽計業務妨害罪!? わ、わかりましたよ。とりあえず回してみますよ」

 黒い玉が出たら、お爺さんを担いで逃げるか……。

「さっさと回してください! ……お爺さんを」

「なんでお爺さんを!?」

「ええから早よ! チンタラすんな! もどかしい!」

「で、でも……。ちょっとくらいチンタラしたいです」

「空気読めやボケマグロウンコ!! 早よキビキビと甲斐甲斐しく回せや!!」

 相手の威圧的な物言いと憤怒の形相に圧倒され、あたしは丁重に頼み込んでお爺さんを回させていただいた。するとお爺さんの口から青い玉が出て来た。あたしは驚愕し、

「うわ! トイレットペーパーが当たった! このお爺さん、ガラガラの機能があるん?」

「その人、ガラガラの生まれ変わりなんですよ。あー、でもそれ、惜しいですね。青玉ちゃいますね。コバルトブルー玉ですね」

「そんな微妙な色違いがあるとか聞いてませんけど……」

「それよりビックリしましたよ。大抵のガラガラの生まれ変わりは、肛門から玉が出て来るのに、この人は口から出るんですねえ」

「口でよかった……」

「さあ、あと二回、お爺さんを回してください。木製のガラガラのほうは、今メンテナンス中ですから」

「そうなんですか……。ほな、お爺さんすみません。あと二回回させてもらいます」

 目を回さへんようにゆっくりとお爺さんを回転させるあたし。どういう方向にどういうふうに回転させてるかはあえて説明せえへん。

 お爺さんの口から白い玉が出た。あたしはそれを拾い上げ、

「……白いからポケットティッシュか」

「いや、それちゃいますよ。よう見てください。それ、ノドで形成されるクッサいクッサい玉、膿栓ってやつですよ」

「わあああああ! 手で拾ろてしもた!」

 あたしは膿栓を投げ捨てた。オバサンは冷静な口調で、

「あと一回ですね。さあ心して回してください」

「膿栓も玉にカウントされるんかい」

 精神的にくたびれ嘆息しながらも、あたしは最後の回転を実行することにした。お爺さんをゆっくりと回す。

 ズキューン!! バシーッ!!

「わああああああああ!!」


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第八話 校門前で


 ある朝。あたしはアクビをしながら登校中。

 おっと。校門前に、クラスメイトで風紀委員で校則一辺倒の和江(かずえ)ちゃんが立ってる。生徒会会議で検討されて採用された持ちもの検査かな? そうか、今日からか。

「あ、亜景藻さん、おはよう。持ちもの検査に協力してね。イヤでも協力してね。不条理さを感じながらも共存共栄を目指してね。風紀委員の権力に迎合してね」

「あ、うん。はい、カバン。どうぞ検査して」

 あたしは和江ちゃんにカバンを手渡した。すると和江ちゃんはカバンに鼻を近づけ、

「くんくんくん……」

「ニオイチェック!?」

「ペロペロペロ……」

「味チェック!?」

「おお、これは懐かしい味や」

「どんな味!?」

「中も見せてもらうで」

「あ、うん」

 ゴソゴソゴソ。

「ふむふむ、筆箱に、教科書に、お弁当に……」

「コカインもLSDも合法ドラッグも銃も入ってへんやろ?」

「十四年式拳銃もレマットリボルバーもトーラスレイジングブルもチョールヌイオリョールもサンシャモン突撃戦車も入ってへんね。よし、次は弁当箱の中身」

「えっ、お弁当の中身まで?」

「当然や!」

 結局、おにぎりの中身まで、箸で割って調べられた。度が過ぎてる気がするなあ。

「よし、次は亜景藻さんの中身」

「えっ、あたしの中身まで?」

「当然や!」

 結局、あたしの中身まで、胃カメラ飲まされて調べられた。校門前で。衆人環視の中で。メッチャ恥ずかしかった。いたたまれなかった。穴があったら入りたかった。つーか、穴(口)に入れられた。

「よし、次は開頭手術」

「えっ、頭の中身まで!? そ、それは勘弁して! 今の胃カメラでさえ、かなりイヤやったのに!」

「なんや。乗り気やないね」

「そりゃそうでしょ!」

「大丈夫、非の打ちどころがない文句なしの麻酔をするから」

「そんな問題ちゃうやん! 大体、和江ちゃん医師免許持ってんの!? すでに胃カメラは飲まされたけど!」

「本校の校則では風紀委員による医療行為および異常行動が認められてる」

「この学校の校則は医師法にも勝るのか……」

「心配せんといて。わたしは麻酔科標榜許可を受けた夢を見たことがあるカメラマニアで胃マニアで解答用紙マニアのおっちゃんと数年来懇意にしてるから大丈夫」

「いまにあ?」

「とにかく安心して。不審なものが入ってへんかどうか、ちょっと確かめるだけやから。プチ整形ならぬプチ開頭やから」

「頭割るのはイヤ! 勘弁して! 中に何も入ってへんから! あたしの頭カラッポやから! 開けてビックリがらんどうやから! もぬけの殻やから! スッカラカンやから! 空即是色やから!」

 半狂乱になって支離滅裂なことを口走るあたし。半狂乱になってるのに自分が半狂乱になってると自覚できるあたし、ちょっとすごくない?

「まあまあ、落ち着いて。鞄の中の検査以外は全部冗談やから。気にせんとさっさと校舎に入って」

「あたしは冗談で胃カメラ飲まされたんか……。ええツラの皮やな……。シクシク」

 ちなみにこの「シクシク」には、三重の意味が込められてる。とんだ赤っ恥をかいて声を殺して泣きたい気分やという意味での「シクシク」。胃カメラの入れ方がヘタやったのか、さっきからずっと胃が痛んでるという意味での「シクシク」。コンピュータの磁気ヘッドが記憶媒体の特定位置に移動するという意味での「シークシーク」。あれ? 三番目全然関係あらへん。


 ようやく昼休みになった。ずっと授業中ガマンしてたけど、これでやっとトイレに行ける。念願のトイレへ。夢にまで見たトイレへ。あたしは教室を出て、廊下を駆けた。

「ちょっと、亜景藻さん! ストップ!」

 そこへ、あたしを呼び止める声。和江ちゃんや。イヤな予感がする。夢にまで見たトイレが遠ざかる。あたしのささやかな夢が儚くも散る。

「和江ちゃん、どうしたん? ストップっていう英単語の発音の練習?」

「ちゃうわ! 廊下走ったらあかんやろ!」

 ややこしい人に捕まってしもたなあ。

「トイレに行きたいねん。早よせんと……」

「早よせんと、どうなんの?」

「漏れる」

「国家機密が?」

「いや、そんな壮大な問題やないけど」

「ほな、ええやん。廊下は歩きましょう。ゆっくり歩きましょう。緩慢に歩きましょう。せやないと、ここ二階の廊下がスリ減って、しまいには吹き抜けになるから」

「そんな派手な結末を迎える可能性は皆無に等しいと考察するけど……。それよりもさ、早よ行かせてくれへん? ホンマに急いでんねん。ずーっと授業中ガマンしてたから」

「そうなん? わかった。行ってええよ。せやけど、ちゃんとゆっくり歩いてや。走るのは校則違反やから。罰則はないけど、次に走ったらわたしが個人的に制裁を加えるから、そのつもりで」

「はーい、わかりました。精神的には徹底的に急いで、身体的には急がば回ります。それでは、行って来ます」

「それでよし。ちなみにわたしの個人的制裁はものすごーく……」

「……痛いの?」

「クサい」

「何するつもりやねん!?」

「まあまあ、落ち着いて。廊下を走ったらあかんこと以外は全部冗談やから。気にせんとさっさと行っといで。トイレの便器をナメたくてナメたくてガマンでけへんのやろ?」

「そんなヘンタイとちゃうから」


 あたしはスッキリしてトイレから廊下へと出た。和江ちゃんが廊下で仁王立ちになってじーっとこちらを睨み据えてる。

「じー……」

「な、なんやの? Gっていうアルファベットの発音の練習?」

「ちゃうわ! トイレットペーパー、使いすぎてへんやろね?」

「え、うん、普通やと思うけど。って、トイレットペーパーの使用制限なんて校則にあったっけ?」

「ないけど、ムダ遣いはよくないやろ。一回につき三十センチが理想やな」

「ちょっとそれは少ないんちゃう? もうちょっと要るよ」

「あ、わかってると思うけど、三十センチってのはロールの直径やから」

「それ使いすぎや! って、そんな大きなロール売ってへんやろ!」

「まあまあ、落ち着いて。ムダ遣いはよくないこと以外は全部冗談やから。気にせんとさっさと昼休みを堪能しといで。昼ご飯はトイレの便器に付着してる汚れで済ませたんやろ?」

「そんなゲテモノ食いとちゃうから」


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第九話 コンビニで


 午後八時。今日は亀率ちゃんと和江ちゃんがあたしの家に泊まりに来てる。お泊まり会なんて初めてやから、ちょっと心が浮き立ってる。プログラムは、トランプ、ガールズトーク、枕投げ。あたしは中学時代の修学旅行でも旅館でトランプ、ガールズトーク、枕投げをしたけど、それらがことごとく失敗に終わってモヤモヤしてた。そのわだかまりを解消するためというあたしの個人的な理由で、その三つを提案してみたら、二人は二つ返事で承諾してくれた。亀率ちゃんも和江ちゃんも、あたしのワガママにつきあってくれるなんて、ええ人や。どっちも変人やけど。それにしても修学旅行のときは散々やったな。旅館の部屋でみんなとトランプで遊んでたら、いきなり擬似的な一休さんが現れて、トランプから見事にキングとクイーンとジャックを出してひっ捕らえたりしてた。しかもキングとクイーンとジャックがなんかビミョーな関係にあって、痴話ゲンカが始まった。しかも擬似的な一休さんがそのケンカの仲裁役としてジョーカーを召喚しようとしたら、間違えてダイヤのカードから大量のダイヤを出現させてしもて、挙げ句の果てには全生徒と全教師と全旅館従業員を巻き込んだ熾烈なダイヤ争奪戦が始まった。女子五人でガールズトークもしたけど、ゲーム性があったほうが盛り上がると思て、あたしが英語使用禁止っていうルールを設けたら、他の四人全員がいきなり流暢なポルトガル語で会話し始めた。枕投げのときも、参加した他のみんなが剣山を投げ合ってるから、「それは危ないからやめようや」って止めたら、みんなポカンとした表情になって重苦しい雰囲気のまま試合中止となって、就寝時にふと周りを見たら、あたし以外の子は全員頭の下に剣山置いて寝てた。血だらけやった。怖かった。泣いた。枕を濡らした。あたしの普通の枕は涙で濡れて、みんなの剣山の枕は血で濡れてた。そんなわけで、今日は後悔のないようにするために、気合を入れてお泊まり会を成功させるぞ!

 あたしは輪切りパインの柄の財布をポケットに入れながら、

「亀率ちゃん、和江ちゃん、ちょっとそのへんでジュースやお菓子買うて来るわ。他に何か欲しいものない? おカネは献身的なあたしが出すから」

 すると目を輝かせながら和江ちゃんが、

「え? 亜景藻さん、ホンマにええの? ホンマにおカネを口から出してくれるの? ありがとう」

 和江ちゃんの目は、まるで目からおカネ(金貨)が出てるかのようにキラキラと輝いてる。あたしは凛とした声で、

「誰も口からとは言うてへんやん。大体そんなことができるのは手品師と擬似的一休さんだけやし」

 すると今度は亀率ちゃんがいかにも恐縮したような目をこちらに向けた。まるで天使のような目や。具体的に言うと、エンジェルのような眼球。そんな眼球の亀率ちゃんが申しわけなさそうな声で、

「アケモチャン、ええの? なんか悪いなあ。こっちは泊めてもらってるのに、そんなパシリみたいなメスブタ奴隷みたいなことをさせるやなんて。しかもおごり……」

 この子はええ子やなあ。もしも亀率ちゃんの人権を蹂躙するようないじめっ子がいたら、あたしが「大和民族の風上にも置かれへん日本国の面汚しがああああ!!」って叫びながら、古事記を投げつけてやるもん。

「ええの、ええの。亀率ちゃんも和江ちゃんも気にせんといて。二人とも、何か買うて来てほしいものある?」

 すると和江ちゃんが挙手した。しかも両手。

「和江ちゃん、どうぞ。言うてみて」

「わたしの希望は、雲形定規と、たまに食堂とかでメニューの近くに置いてある星座占い機と、レストランにあるフォークが宙に浮かんでるスパゲッティーのサンプル」

「そのへんで手に入りそうにないもんばっかりやん……」

「四つずつ」

「しかも四つずつ!?」

「あとガードレールも四つ」

「もうええねん。ガードレールは、もうええねん……」

 和江ちゃんは薄ら笑いを浮かべながら、

「まあまあ、落ち着いて。ありがとうと思てること以外は全部冗談やから。気にせんとさっさと行ってしもてええよ。早よせんと遊ぶ時間が短くなるから。あと校則で九時以降の外出は禁止されてるから、厳守してや。あ、そうそう、それから、キリンのフン害には気をつけて。あ、そうそう、それから、台風の股間への直撃にも気をつけて。あ、そうそう、それから、全自動奈良漬けの……」

 和江ちゃんの冗談にはいちいちつきあってられへんので、あたしはさっさと家を出た。


 最寄りのコンビニの店内にやって来た。この辺のほとんどのコンビニは二十四時間営業やけど、ここは例外的に二十三時間五十九分営業や。一分間は、超突貫工事による店舗の建て替えに使われてる。毎日新築の店舗や。

 なんか、商品棚の前で腕組みをしながらブツブツつぶやいてる人がいる。あれは……旗布ちゃんや。

「旗布ちゃん、こんばんは」

「あー! あけも先輩ー! ほら、窓の外を見てみてくださいよー! 今夜は月がキレイ……いや、今夜は月と海王星がキレイですねー!」

「海王星は実視等級が八等級くらいやから、肉眼では見えへんやろ」

「さすが先輩ー! 先輩ってツッコミが的確すぎて怖ーい! 先輩って正鵠を射すぎておぞましーい! 先輩って目を覆いたくなるほどグロテスクー!」

「後半は言いすぎやろ……。そんなことより、何をブツブツ言うてたん?」

「もちろん、口頭でパップス・ギュルダンの定理を証明してたんですよー!」

「……ホンマは?」

「ホンマは、雲形定規と、たまに食堂とかでメニューの近くに置いてある星座占い機と、レストランにあるフォークが宙に浮かんでるスパゲッティーのサンプルのうち、どれを四つ買おうか悩んでたんでーす! ネタで買おうと思てー!」

「そんなもん、コンビニにあるわけ……」

 商品棚に目をやると、それらがズラリと陳列されてる。

「あるんか……」

「ここは最近品揃えがすごいですよー! ほらほら、レジ近くには新発売のガードレールもありますよー!」

「ホンマや……って、もうええねん。ガードレールは、ホンマにもうええねん……」

「よし決めたー! ネタでガードレール四つ買うー!」

「え」

 旗布ちゃんがレジへと駆ける。ホンマにあんなもん、買うつもりか。あんなもん、頭に刺さったら、痛いのに。

「ガードレール四つくださーい!」

「四百二十円になります。温めま……いや、溶接しますか?」

「あ、お願いしまーす!」

 なんのこっちゃ!? そう思ってると、レジで溶接が始まった。四つのガードレールが一つにつながった。


 あたしはお菓子やジュースを購入し、コンビニを出た。駐車スペースには、肩で息をしながらガードレールを引きずって持ち帰ろうとしている旗布ちゃんの姿が。

「……旗布ちゃん、大丈夫? 頭が」

「はあ、はあ……。もうイヤや……。くじけそうや……。しんどい、しんどいよお……。なんでこんなことになってしもたんや……。こんなことやったら、コンビニなんかに来るんやなかった……。コンビニのある大阪に生まれるんやなかった……。山形とかに生まれるべきやったんや……」

「山形にもコンビニあるから!」

 あたしは自分とは逆の方向に帰って行く旗布ちゃんを見送ったあと、帰路についた。


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コメディー小説『アッケラカンサッパリカン』


第十話 タクシーで


 午後二時半。街の中。今日は亀率ちゃんと旗布ちゃんの二人といっしょに、宇宙の鳶田市にいる杉久保さんのところへ遊びに行くことになってる。あたしらの向こうでの呼吸に関しては、杉久保さんが自転車のチューブを三人分用意してくれてるらしい。それにしても宇宙旅行なんて初めてやから、ちょっと心が浮き立ってる。すでに心が宇宙遊泳してる。今あたし秀逸な表現したから、必ず感心するように。いや、それどころか脱帽して舌を巻くように。そして脱帽と舌巻きが板についてきたら、先生と呼んで敬服するように。そしてプロ顔負けの先生呼びと敬服をものにしたら、あたしを信仰対象にして敬虔に祀り上げるように。って、あたしは誰に向かって何を命令してるんやろ。あたしは先週のお泊まり会でも自宅でトランプ、ガールズトーク、枕投げをしたけど、それらがことごとく失敗に終わってモヤモヤしてた。そのわだかまりを解消するためというあたしの個人的な理由で、宇宙の杉久保さんのところへ行く日帰り旅行を提案してみたら、二人は二つ返事で承諾してくれた。亀率ちゃんも旗布ちゃんも、あたしのワガママにつきあってくれるなんて、ええ人や。どっちも過剰な変人やけど。それにしてもお泊まり会のときは散々やったな。自分の部屋で二人とババヌキして遊んでたら、床に落としておいた数十枚の不要なカードが全部いつの間にか折り鶴の形になってた。超常現象や。恐怖や。しかも一匹本物のタンチョウヅルが交じってた。特別天然記念物や。絶滅危惧種や。しかも首を含めて全身の骨が折れまくってた。リアルの折り鶴やった。それを和江ちゃんが、「大変や! これは反射的に保護せなあかん! 休日返上で血相を変えて保護活動せなあかん! そしたらあたしらきっと表彰される!」とか叫んであたふたしてタンスに顔面をしたたか打ちつけて、ふらついて転倒して背中でタンチョウヅルをほとんど押しつぶして余計に弱らせた。亀率ちゃんは号泣して錯乱してもはや制御不能に陥って、「うわああああん!! 可哀想! この子、どうやって助けたらええの!? ツルの骨がうちの体みたいに硬かったらこんなことにはならへんかったのに! カルシウム!? カルシウム買うて来たらええの!? 百円均一のサプリメントで大丈夫!? んなわけあらへん!!」ってツル抱きかかえながら叫んで叫んで泣いて泣いてしまいにはゲロ吐いてツルに全部かかった。あたしが、「ああ、こんなときに擬似的な一休さんがあのときみたいに現れてくれたら、何か知恵を授けてくれるかも知れへんのに……」とか考えてたら、いきなり「擬似的なお医者さん」を名乗る白衣の男性(推定五十九歳)が現れて、目にも留まらぬ早ワザでツルをボキボキ言わせながら快癒させてしもた。しかもその合間に、折り鶴になったトランプも全部キレイに延ばしてツルツルにしてしもた。そして、「お、俺はな、別にツルとツルツルをかけてるわけとちゃうぞ! 別にダジャレとちゃうぞ! 別にスベってへんぞ! あっ! 今のも、ツルっとスベってへんとか、そういうこととちゃうぞ! ウケ狙いとちゃうぞ! わかってるやろな、お前ら! わかってへんねやったら、殴るぞ! このツルで殴るぞ!」とか弁解してた。誰もそんなこと言うてへんのに……。で、亀率ちゃんが狂喜して感涙にむせびながら自分で自分を胴上げする中、あたしがその擬似的なお医者さんに向かって、「擬似的な医者って、要するにモグリの医者ってことですよね?」って質問したら、間髪を入れずにツルでぶん殴られて、全治一週間のケガを負わされた。そのせいでツルはまた負傷して、それは再度治療してくれたけど、あたしのケガは放置された。結局救急車呼んで夜間に本物のお医者さんのお世話になった。病院から帰ったあと女子三人でガールズトークもしたけど、ゲーム性があったほうが盛り上がると思て、あたしが英語使用禁止っていうルールを設けたら、和江ちゃんはうっかり英語が出えへんように奈良時代の上代日本語で話し始めて、亀率ちゃんは亀率ちゃんでどこで覚えて来たのか知らんけど未来の日本語で話し始めた。そのあと枕投げをしようと思て、布団や枕の収納してある押し入れを開けたら、てっきり帰ったと思てたさっきの擬似的なお医者さんが中にひそんでて、あたしの布団をくんくんくんくんすうはあすうはあえへえへえへへへって嗅いでた。あたしが、「うおんべったんぎゃあああ!! な、なんという間接的診察!! この行為はおそらく医師法に違反する!!」って叫んだら、お医者さんは、「クソー、医師法違反の現場を発見されてしもた!! クソー、せっかくええ香りやのに、右の鼻の穴が詰まってるのが残念!! クソー、返す返す残念な鼻や!! クソー、明日耳鼻科行って来る!! クソー、もっと嗅いでいたかったけど、断腸の思いで引き下がってやる!! あっ!! お、俺はな、別にタンチョウと断腸をかけてるわけとちゃうぞ!! 別にダジャレとちゃうぞ!! 別にスベってへんぞ!! つーか、俺はツルの治療と女のニオイにしか興味のない人間やからな!! ダジャレには興味ないわボケ!!」って叫んで一目散に逃げて行った。誰もそんなこと言うてへんのに……。で、気を取り直して枕投げをしようと思たら、中にあった枕三つとも盗まれてた。どうりで白衣が膨らんでると思た。あのお医者さん、手クセも性癖も悪いなあ。そんなわけで、今日は後悔のないようにするために、気合を入れて日帰り旅行を成功させるぞ!

 今回の交通手段は、例の妙なタクシー。仄聞したところによると、後部座席にガードレールがあって運転席はコンクリートパネルで埋め尽くされてるという、メッチャ乗りにくそうなタクシー。旗布ちゃんが手を挙げながら、

「ヘーイ! メッチャ乗りにくそうなタクシー!」

 タクシーが目の前に停まり、ドアが開く。運転席には大量のコンクリートパネルにはさまれた運転手さんが。苦しそうや。息も絶え絶えや。多分、胸が締めつけられてるんやろな。そして後部座席の下の足を置く位置にはガードレールが立ってる。これは乗りにくそうや。あたしらは座席の上で三人並んで三角座り(作者註:大阪で体育座りのこと)をした。右が旗布ちゃん、真ん中が亀率ちゃん、左があたし。亀率ちゃんの体に触れてあたしはちょっと顔面紅潮。うーん、あたし、なんか最近亀率ちゃんのこと妙に意識してるかも。出会ってからしばらくはタダの面倒臭い人やったけど、だんだん彼女の天衣無縫さに魅力を感じて……そして最近は……あかんあかん、こんな成就せえへん願望を抱くべきやない。忘れよう。あたしは何を考えてるんや。一方運転手さんは、何かをうわ言のようにつぶやいてる。

「はあ、はあ……。しんどい……。こんな仕事、もうイヤや……。死にたい……。いっつも客乗せて走ってる途中で、ビルとかに突っ込みたくなる……。はあ、はあ……」

 なんかヤバそう。予断を許さへん運転手さんや。こ、これはこのまま行かんほうがええんちゃうか。ビルに突っ込んだら血が出るで。主に鼻から。次点は精神的ダメージによる胃出血。亀率ちゃんだけは何が起きてもピンピンしてるやろうけど。古今東西のあらゆる拷問器具が通用しそうにないもんな、亀率ちゃんは。しかしあたしと旗布ちゃんの身の安全、そして運転手さんの身と心の安全を考えれば、ここは車を降りて運転手さんの悩みごとを聞いてあげる……いや、運転手さんを病院へ連れて行ったほうが……。亀率ちゃんが心配そうに運転手さんの顔を覗き込み、

「運転手さん、今なんておっしゃったんです? ちょっと聞き取られへんかったもんで……いや、それより大丈夫ですか? なんか、しんどそうですけど……」

 亀率ちゃん、天使のような顔や。古今東西のあらゆる拷問器具が通用しそうにない顔や。

「あ、失礼……。はあ、はあ……。えーと、なんと言うか、ちょっと持病の歯槽膿漏の症状がね……。大丈夫ですよ……。頑張って運転しますから……。そらもう死にもの狂いで運転しますから……。ときに尋常ではない雄叫びを上げながら運転しますから、ゲホ、ゲホ……。オ、オ……オエエエエエエエエエエッ……!! しもた……!! ちょっと尿が漏れた……!!」

 嘔吐と尿漏れのダブルパンチを食らってる運転手さんの姿に、さすがの亀率ちゃんも驚いた表情を見せ、

「えっ、運転手さん!? ちょっと、大丈夫ですか!? しっかりしてください!」

 あたしも運転手さんの顔を覗き込み、

「あの、病院に行かれたほうが……。何か悩んでいらっしゃるようなんで、心のほうも診てもらうってことで、えっと、すぐ近くに総合病院がありますので……」

 説得を試みたが、運転手さんは首を横に振った。

「あ、いやいや、ホンマに大丈夫なので……。心配なさらずに……。ホンマに大丈夫ですから……」

 あたしと亀率ちゃんでしばらく粘ったが、体は大丈夫、たまに自殺願望が生じるけど死なへんから大丈夫、安全運転は保証するということで、結局このまま行くことに。亀率ちゃんは運転手さんの目を見て、

「無理はせんといてくださいね……?」

 亀率ちゃんに心配されるなんて、この運転手さん、羨ましいな。あたしも天使の亀率ちゃんに心配されたい。歯槽膿漏になって天使の亀率ちゃんに一晩中看病されてにこやかな笑顔とこまやかな愛情を独り占めしたい。「まさかアケモチャンがうちのオナラのせいで歯槽膿漏になるなんて……」とか言われながら、憂いを含んだ瞳から零れる一しずくの涙で頬を濡らされたい。一晩中おかゆを素手でつかんであたしの口に押し込んでほしい。歯槽膿漏の状態を把握するために一晩中口臭チェックしてほしい。一晩中鼻を近づけてくんくんくんくん嗅いでいてほしい。そして午前二時半ごろに不意を突いて亀率ちゃんの鼻先をペロリとナメてみたい。ってそれ、タダのヘンタイやないか。おぞましいわ。手に余るヘンタイや。

「お、お気遣いありがとうございます……。はあ、はあ……。ゲホ、ゲホ……。うう、地球なんて、あと三十分くらいで滅びてしまえ……。で、お嬢ちゃんたち、どちらまで……? できれば近いところにしてくださいね……。その数メートル先に見えてる電柱までとか……。ね、電柱行きたいでしょ、電柱……。行ってみたら案外楽しいですよ、電柱は……。行って損はないですよ……。得もないけど……。ゲホ、ゲホ……」

 旗布ちゃんが手を挙げながら、

「八十億光年先の鳶田市までお願いしまーす! 電柱は却下でーす! 吐きそうな色してるもーん!」

 そんな吐きそうな色かな? せいぜい頭痛がする程度やろ。

「うわ、結構遠いな……。はあ、はあ……」

 あたしと亀率ちゃんは、長距離は辛そうやから別のタクシーを使おうと提案したけど、旗布ちゃんがまた拾うのは面倒臭いと聞く耳を持たず、運転手さんもその遠さならギリギリ大丈夫と繰り返したので、結局このまま行くことに。

 タクシー代は自称太っ腹で自称先輩思いの旗布ちゃんが持ってくれるらしいけど、相当かかるんちゃうの? 大丈夫かなあ。あたしはペンとメモ帳を取り出し、計算してみることにした。初乗り運賃が七百円くらいやったっけ? で、それが二キロまで。一光年が確か九兆四千六百七億三千四十七万二千五百八十キロと八百メートルやから、八十億光年は
……七百五十六垓八千五百八十四京三千七百八十兆六千四百六十四億キロ。そこから二キロ引くから残りは……七百五十六垓八千五百八十四京三千七百八十兆六千四百六十三億九千九百九十九万九千九百九十八キロ。で、確か約三百メートルごとに八十円加算やから……。

「は、旗布ちゃん! 大変や! タクシー代が、二百一垓八千二百八十九京千六百七十四兆八千三百九十億三千九百九十九万九千九百二十円もかかるよ!? どう考えても今旗布ちゃんがそんな大金持って来てるようには見えへん! 持って来てたら今ごろあまりの重さにヒーヒー言うてるはずやもん! でも見たところポーチ一つだけやし! 平然としてるし! 無表情やし! 喜怒哀楽皆無やし! 二百垓円って国家予算レベルやで! いや、国家予算超えてるし! 二百垓って、何におカネ使こてる国やねん! 事業仕分け頑張って!」

 すると亀率ちゃんがハンドル横のレバーを指差した。下に「ワープ」と書かれてる。

「アケモチャン、あれでワープするから大丈夫やで。そもそもワープせえへんかったら八十億年以上かかってまうやん。ワープしたら、八十分で着くよ」

「あ、そうか」

 とんだ早合点やった。やれやれ。


 タクシーが出発。そして加速。

「そろそろワープに入りますよ……。はあ、はあ……。ワープに突入する瞬間、結構揺れますんで、舌を噛んだり牛タンを食べたりせんように気をつけてくださいね……。先週乗せたお客さんなんて、ワープ突入の瞬間に舌を噛んで自殺しましたから……。残された遺書には『ワープが怖いから自殺します』って書いてあったし……。次の行には『二番目に怖いものはあなたです、運転手さん』って書いてあって、トラウマになりました……。そして最後の三行目は『三番目に旅行したい都道府県は徳島県です』でした……。三行目、前の二行と全然関係あらへんやん……。はあ、はあ……」

 血気盛んな旗布ちゃんが身を乗り出し、

「ワープ突入楽しみー! ワクワクー! こんなにワクワクするのは、バイソンの群れに突入したとき以来やー!」

 バイソンの群れに突入なんかしたことないクセに。あたしは小さいころにアホみたいに大きな口を開けながらアホみたいに蚊柱に突入したことはあるけど。四匹ほど食べてしもた……。

 亀率ちゃんは涙を流しながら、

「その自殺した人、可哀想……。うちは個人的には、その人はワープへの恐怖を苦に自殺したんやなくて、徳島県中毒の禁断症状を苦に自殺したんちゃうかなって思う……ううっ、うううっ」

 涙もろいなあ。確かに痛ましい出来事やけど。

 そこへ大きな振動が。揺れに翻弄されて周りのものにしがみつくあたしたち。あたしの三角座りが崩れる。もちろん六角形座りや長方形座りになったわけやないけど。ふと顔を横に振り向けると、亀率ちゃんの三角座りが崩れて……メビウスの輪座りになってる!!

「ちょ、ちょっとちょっと、亀率ちゃん! 脚が……脚がメビウスの輪になってるよ! 紙テープみたいにペラッペラになって、ねじれて……大丈夫!? 痛くない!?」

「あ、うち、体が硬いことの反動でたまにこうなるねん。医学的にはこむら返りの一種やねん。すぐ治るから」

 そのあとしばらくして亀率ちゃんの脚は治った。車の振動もやや落ち着いたけど、まだ震度二程度の地震のように揺れてる。窓の外は、いかにもそれっぽい超空間や。

「しばらくの間、窓の外はこのままですので……。はあ、はあ……。単調で退屈かも知れませんけど、モノマネ対決でもして待っててください……」

 そんなわけで旗布ちゃんと亀率ちゃんがモノマネ対決を始めることに。あたしは旗布ちゃんや亀率ちゃんとは違ごて世間並みの羞恥心は持ってる。そんなわけで、我関せずと窓外の超空間を眺めることにした。それに羞恥心に関係なく、こういうときの二人に対してはハナも引っかけへんのが最良の選択。不用意に応対すると、疲労アンド衰弱するから。

「モノマネ対決ー! きりつ先輩からどうぞー!」

 旗布ちゃんが張り切ってる。

「ほな邪馬台国在住のマイケルさんのマネいきます。そりゃっ」

 そう言うて亀率ちゃんが自らの右手人差し指を自らのノドに突っ込む。すると旗布ちゃんの目つきが変わり、

「ちゃいまーす! 全然ちゃいまーす! そんなん邪馬台国在住のマイケルさんちゃいまーす! 邪馬台国在住のマイケルさんはそんな野蛮なことやりませーん! 邪馬台国在住のマイケルさんがそんなことやってたのは、せいぜい四十八歳までですー! 四十九歳からは物干し竿をノドに突っ込んでるんですー! 今の邪馬台国在住のマイケルさんってのはもっとこう、高貴な感じですよー! 年がら年中ジャージで、ほとんどあらゆることに無頓着なクセにトイレ掃除に関してだけはメッチャメチャうるさくて、座右の銘が底辺かける高さ割る二の人なんですー!」

 亀率ちゃんはポカーンとして、

「えっ? ハタフチャン、それホンマ? うちはただ、邪馬台国在住のマイケルさんっていううちの想像上の人物をマネしてみただけやねんけど……」

「ウソでーす! ホンマは、座右の銘が半径かける半径かける三点一四の人でーす!」

「そっかあ。ほんなら次は、ミトコンドリアさんのマネいきます。そりゃっ」

 そう言うて亀率ちゃんが自らの右手人差し指をあたしの鼻の右の穴に突っ込む。

「ちょ、ちょっと亀率ちゃん、な、何すんの! 嬉しいけど」

 あたしがしどろもどろになる。ああ、あたしの鼻に亀率ちゃんのシラウオのような指が……。素晴らしい……。あたしの妹の指なんてせいぜいシラウオのようなニオイがするくらいやのに……。ああ、この懐かしき感触……。って、結局はあたしもこのやりとりに参加させられるハメになるのか。徹底的に窓の外を眺め続ける予定やったのに。

「何すんのってアケモチャン、ミトコンドリアさんのマネやんか」

 亀率ちゃんがあどけない口調で答える。

「きりつ先輩、すごーい! ミトコンドリアに似てるー! 酷似ー!」

 旗布ちゃんが賞賛する。

「旗布ちゃん、どこが似てんの!? ミトコンドリアはこんなことせえへんよ! ミトコンドリアに指ないし! タダの一本も指ないし! タダの細胞小器官やし!」

 あたしはあまりの快感に目がくらみながらもツッコむ。鼻に指を突っ込まれてても、旗布ちゃんの大声のボケに大声でツッコむ。

「タダの細胞小器官って、あけも先輩、細胞小器官をバカにしてるんですかー!? ああーん!?」

 旗布ちゃんが激昂する。

「そ、そこにキレるん!? と、とにかく、ミトコンドリアは人の鼻に指を突っ込んだりせえへんよ! ……はぁぁん……前後不覚になりそうぅ……」

 ややもすれば失いそうになる理性を必死に保ちながら、ミトコンドリアに関する正しい知識を旗布ちゃんに提供するあたし。

「あっ、そうかー! さすがあけも先輩はドリア全般に詳しいですねー! 最近のミトコンドリアはこんなんちゃいましたねー! 最近のミトコンドリアは鼻の穴に興味なんかないですからねー! ミトコンドリア界で今人気絶頂の穴は、ちくわの穴でしたねー! 若いミトコンドリアの間ではちくわの穴に何を差し込むかという話で持ち切りー! その波及効果は凄まじく、ついには人間界でもちくわの穴のハイセンスさと有用性が認められ、環境科学の第一人者によってちくわの穴が新資源としての利用価値を有してることが明らかにー!」

 旗布ちゃんが講義する。

「穴がなんで資源になるの? 穴って空洞やんか。資源にならへんよ。……あうぁぅあ……」

 一刀両断してみた。あたし、四歳のころから、一度でええから一刀両断してみたかったんや。

「最近のちくわの穴は単なる空洞とちゃうんですー! スペシャルな空洞なんですー! 中に鍾乳石とかあるんですー! ちくわは進化してるんですー! 一昔前のけったいなちくわなんて、穴をほじったら鼻クソが出て来たんですからー!」

 旗布ちゃんが(  )する。カッコに入る言葉を答えよ。

「異物混入やん。で、ミコトンドリア界では特に何をちくわの穴に差し込むのが流行ってるん? ……はぅぁ……」

 あたしはそう尋ねながら、もし亀率ちゃんの舌をちくわの穴に差し込むのが流行ってるんやとしたら、ちくわが羨ましいなあと妄想した。

「それはですねー、経鼻ファイバーですよー!」

 経鼻ファイバーか。亀率ちゃんの舌にはほど遠いなあ。

 そのとき、亀率ちゃんがあたしの鼻から指を抜いた。ちぇっ。そして今度は旗布ちゃんがモノマネを始めることに。

「ほな、はたふは土星人のモノマネやりまーす!」

 すると亀率ちゃんが、

「わーい! 見たい見たい! 早よ見せて! 凝視させて!」

 やけに声を弾ませてる。どうしたんやろ。

「ボク土星人。特技ハ流シ台ノ掃除。イツノ日カ土星ノ輪ヲ、コノ手デネジ曲ゲテ、メビウスノ輪ニシテヤル。ソシテソコヲ観光地化シテ、メビウスノ輪状ニシタ酢コンブヲ名物ニシテヤル。酢コンブウマイ。酢コンブヲバカニスルヤツハ、マイナスノプラシーボ効果デ死ンデシマエ」

 旗布ちゃんが無機的な声色を使こて喋った。それを見た亀率ちゃんは拍手をし、

「わー! 似てる! 昨日街で偶然見かけた土星人さんに、メッチャ似てる!」

 あたしはその言葉に驚愕し、

「き、亀率ちゃん! に、似てんの!? って、街で見かけたの!?」

「うん! しかも土星人さん、今のハタフチャンのセリフと一字一句変わらへんこと言うてたもん」

「えええええ! どういうこと!? えっと、えっと、亀率ちゃんも旗布ちゃんも土星人を見たことあるってこと!? どういうことどういうこと!? 頭の中がまとまらへん!」

 あああああ、頭の中がスクランブル交差点になりそう!

「いやー、ハタフチャンはモノマネの天才やなあ。こんな後輩を持って、うち嬉しいわ。ホンマによう似てるわあ。特に顔立ちが」

 なんか亀率ちゃんが、あたしの頭の中がスクランブル交差点どころか垂水ジャンクションになりそうなことを言うてる。顔立ちって……!?

「えへへー! それほどでもー! まあ自分で言うのもおかしいかも知れませんけど、はたふは確かに天才的なものを持ってますからねー! たとえば、ポケットの中に天才的な酢コンブを所持してますからねー!」

 旗布ちゃんがふんぞり返った。

「ちょ、ちょっと待って、亀率ちゃん! 顔立ちが似てるん!?」

 あたしが裏返った声で問いかけた。声色よりも言い回しよりも、顔立ちが似てるん!?

「うん! 似てる! 昨日街の中で見た土星人さんと、寸分たがわぬ顔してるもん! ホクロの位置までミクロン単位で一致してるもん! おデコに止まってるイトトンボの位置までいっしょやもん!」

 亀率ちゃんが目をキラキラさせながら答えた。

「寸分たがわぬ顔って……。その土星人って、どう考えても旗布ちゃん本人やないか……」

 あたしが嘆息しながら答えると、亀率ちゃんの目からキラキラが消えた。

「え……! そうなん……!? うち、てっきり土星人やと思た……」

「なんでキミはそれを土星人やと思たんや……」

 あたしが疲れた声で訊く。

「『ボク土星人』とか言いながら歩いてたし……」

「なんでそれだけで土星人と決めつけるんや……」

「……ごめんなさい……」

「いや、ええねんけどね。そこがまたキミの魅力やし。根本亀率ちゃん最大の魅力やし」

 ……で、それはさておき。

「……で、それはさておき、旗布ちゃん、あなたは昨日からずっとおデコに止まってるらしいそのイトトンボをなんとかしなさい」

 あたしは旗布ちゃんのおデコのイトトンボを指差しながら命令した。

「えー! なんでですか、あけも先輩ー! なんでなんとかせなあかんのですかー! これ、可愛いでしょー!? これ、なかなか飛んで行かへんから、いっそアクセサリーがわりとしてこのままにしとこうと思たんですよー!」

「あ、そう……。ほな、ええけどさ……」

「それと、昨日からやなくて、四日前からですよー!」

 多分世界最長記録やな……。

「すごいでしょー! お風呂入ってもバンジージャンプしてもおデコに止まったままなんですよー! これからもおデコにイトトンボを止まらせたまま生活し続けますよー!」

 頑張ってね……。あたしは心の中で応援しておいた。


 で、ワープが終了して、到着した。

「お嬢ちゃんたち、到着しましたよ……。ほな、八百六十円になります……。はあ、はあ……。はい、お釣りね……。はあ、はあ……。さいなら……。よっしゃ、今回もビルに突っ込みたくなる衝動を抑え切れたぞ……。頑張るんや、俺……。頑張るんや、タカヒロ……」

 亀率ちゃんとあたしが運転手さんに励ましの言葉をかける。そしてあたしらはタクシーを降りる。タクシーが去る。亀率ちゃんがあたりを見回し、

「あれ……? ここ、鳶田市……? 空がこんなに青いわけあらへんのに……。もっと満天の星空が見えるはずやのに……」

「こりゃ一杯食わされましたねー!」

 旗布ちゃんが、電柱の街区表示板を指し示して言うた。ここは……鳶田市に隣接してる、埼玉県林切(りんせつ)市のようや。あ、今はもう隣とはちゃうか。それにしても一杯食わされたって、どういうこと? そこへ亀率ちゃんが静かな口調で、

「なるほど、あの運転手さん、コンクリートパネルにはさまれて苦しがってたんとちゃうんや。ワープ酔いしてたんや。それで長時間のワープはイヤやから、うちらを騙してここにしたんやね。『ここでガマンしてや』ってことか。どうりでちょっと到着が早すぎると思た」

 ワープ酔いかあ。メッチャ乗りにくそうなタクシーの運転手さんもいろいろと大変なんやなあ。


 タクシーを拾い直す前に、せっかくなんで、あたしらはもともと鳶田市のあった位置の周辺までやって来た。そこにはだだっ広い穴ボコが。この穴の広さは市一つ分か。深さはどれくらいやろ? 見る限りは相当あると思うけど……。

 ふと見ると、旗布ちゃんが穴の崖っぷちの近くまで行ってる。

「あっ、旗布ちゃん、危ないよ! あんまり近づいたら落ちるよ! 落ちたら死ぬよ! イトトンボが」

「気をつけてますから、大丈夫でーす!」

 そして崖っぷちに沿ってギリギリのところをカニ歩きで移動する旗布ちゃん。

「な、何してんの! 危ないでしょ! なんのためにそんなことしてんの!」

「はたふは小さいころ、スーパーのアナウンスに逆らって、エスカレーターの黄色い線をわざと踏んでたんですよー! まあそれと同じような理由ですねー!」

「それとこれとは全然ちゃうでしょ! 今やってることは命に関わるよ!」

 すると旗布ちゃんの動きが止まった。そして鬼のような形相でこちらへと近づいて来る。

「あけも先輩ー! そんな普通の警告やなくて、もっとノリノリのツッコミしてくださいよー! ホンッマにあったま来たー! あけも先輩最低ですー!」

「いや、そんなふうに怒られても……」

「はたふがどれだけ怖い思いしたと思てるんですかー!! こっちは命懸けなんですよー!? い、の、ち、が、けー!!」

「いや、知らんがな……」

「あけも先輩は、人の命をなんやと思てるんですかー!!」

「ええええええ……」

 そのとき、上空に巨大な影が……! 穴ボコと同じ形をした、巨大な影が……!! あたしは目を丸くして、

「え……!? な、何あれ!? ブロッケン現象!? フェーン現象!? エルニーニョ現象!? 液状化現象!?」

 いろんな現象をまくし立てながらあたふたした。

「ちょっとあけも先輩、人の話聞いてるんですかー!?」

 ズッポーン!!

 奇怪で巨大な影が穴ボコに落ち込んだ……いや、スッポリと収まった。収納上手。荒れ狂う大波のごとく砂埃が舞う。それを含んだ猛烈な風が容赦なくあたしたちを襲う。そんなこんなで、気がつくとあたしは地面に尻餅をついてた。そして目の前には……鳶田市のビジネス街の風景が広がってる。

「あけも先輩ー! すごいことですねー! 鳶田市が戻って来ましたよー!」

 同じように尻餅をついてる旗布ちゃんが言う。

「なんで!?」

 あたしと旗布ちゃんはおもむろに立ち上がる。するとそこへ、鳶田市民とおぼしきオジサンが近づいて来た。

「いやあ、よかったよかった。……あ、お嬢ちゃんたち、隣町の人かい? いやあ、なんかねえ、ジグソーパズルマニアの宇宙人がねえ、こうやってスッポリはめて遊んでくれたみたいなんだわあ」

「すごーい!」

 と、旗布ちゃん。確かにすごーいけど、ジグソーパズルのピース扱い? あたしはオジサンに一歩近づき、

「って、あの、そのはめてくれた人は、具体的にどうやってはめたんですか? 素手で? さっき空に手は見えませんでしたけど」

 疑問点を口にしてみた。空に手が見えたら怖いけど。

「ドラッグアンドドロップではめたみたいだねえ。ほら、あそこにカーソルがあるだろう?」

 見ると、高層ビルの屋上に巨大な矢印が突き刺さってる。

「いやあ、それにねえ、その宇宙人がねえ、ついでにねえ、こっそり形の似てる択捉島と沖縄本島を入れ替えたり、こっそり形の似てる四国とオーストラリアを入れ替えたり、赤道をベリベリとはがしたりしてくれたんだわあ」

 いや、メッチャ余計なことしてるやん……。しかもこっそりやってる割りにはバレてるやん……。そらバレるけど……。あれ? そう言えば亀率ちゃんは?

「亀率ちゃーん?」

 名前を呼んでみる。すると旗布ちゃんが真顔で、

「あ、きりつ先輩なら、さっき穴に落ちてましたよー! 今ごろ鳶田市の下ですねー!」

「えええええええええ!?」

 あたしは呆然とし、くずおれて、泣いた。今までの人生の中でいちばん泣いた。あの天使のような亀率ちゃんが……亀率ちゃんが……。

 警察犬やネコカフェのネコによる捜索をもってしても、亀率ちゃんは見つからへんかった。旗布ちゃんは、「きりつ先輩なら大丈夫ですよー!」とか根拠のないこと言うてたけど……。


 そして約一週間後。朝の教室。

「おはよう、アケモチャン」

 全身土にまみれた亀率ちゃんが登校して来た。

「い、い、い、生きてたん!?」

「掘って掘って掘りまくって、やっと出て来た」

「……キミって、死なへんの?」

「昔病院で精密検査受けたら、新幹線にハネられても死なへんし鳶田市の下敷きになっても死なへんけど切れ痔になったら死ぬってことが判明した」

「死ぬって、どんなケタ外れの切れ痔やねん」

「うちが切れ痔になったら、お尻からだんだん体が裂けていって頭まで到達するらしいから」

「うわ、怖っ。でも、生きてたんやね! よかった!」

 あたしは亀率ちゃんの手を握り、見つめ合った。このまま鼻先をナメたい衝動が……。しかし抑え切れそうやぞ……。頑張ってガマンするんや、あたし……。頑張ってガマンするんや、亜景藻……。


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コメディー小説『アッケラカンサッパリカン』


第十一話 帰り道で


「あたしは園芸部やけどさ、亀率ちゃんて、どこかの部に入ってたっけ? スッポリと入ってたっけ? 頭から突っ込んでたっけ?」

 夏のとある日。カラオケの帰り道で、亀率ちゃんに訊いてみた。

「部活かあ。うちカナヅチやけど、マラソンや登山は得意やから、持久力を買われて陸上部と登山部からは勧誘されたよ。でも断った。なんか知らんけど陸上部は陸上部やのに年がら年中地下活動してるし。登山部は部員全員が山中にインコの死体を遺棄した罪で島流しの刑に処されて、山のない島でみんなでUNOやってるし。水泳部は顧問の大宿先生が保守的すぎてカナヅチが入部希望したら水責めの刑に処されるらしいし。それに対して大宿先生に苦言を呈したら、水鉄砲で撃たれたし。それで結局うちは無所属のまま。しかし水鉄砲で撃たれたあとは、全身ビショ濡れになって大変やったわ。うち、水が苦手やし。まあ、浸かるんやなくて濡れるくらいやったらまだマシやねんけどね。それでもちょっとは恐怖感が生じる。今度から水鉄砲の中に入れるのは濃硫酸にしてほしいわ。うち、濃硫酸でお肌がスベスベになる体質やから。でも、この前ヒマつぶしに濃塩酸飲んだときはマズくてマズくて……アルカリ性の水酸化ナトリウム水溶液飲んで口直しした。あ、普通の体質の人はマネしたらあかんよ」

「亀率ちゃんて、なんで水が苦手なん? 水がそんなに怖いん? 水がうっとうしいん? 水がちゃんちゃらおかしいん?」

「五歳のころに家で大量の超純水を使こた化学実験をしたら家の中が水浸しになって、お母さんに『あんたなんか、余命いくばくもなくなれ!』って怒鳴られながらお母さん流の水責めの刑に処されて、それ以降苦手になったんや。水に濡れるくらいやったらまだ大丈夫やけど、水に浸かったりすると怖くて……」

「トラウマなんや……。大変なんやね……。しかしこのへん、人を水責めの刑に処すのが好きな人多いなあ……。物騒やなあ……。無政府状態やなあ……。……って、水責め!? だ、大丈夫やったん!? って、大宿先生も水責めの刑とかやるの!? なんか真顔で普通に話聞いてたけど、よう考えたら大宿先生も亀率ちゃんのお母さんも過激すぎるで! 世間からズレてるで! それ大型冷蔵庫の中に小型冷蔵庫入れてその小型冷蔵庫の中にジュース入れたら二倍冷えるとか思てる人くらいズレてるで!」

「水責めのときはうち、もう全然大丈夫やなかったよ。あの体験のせいで水が苦手になってカナヅチになったんやから。ホンマあのときは死ぬかと思たわ。でも、ああいう体験を経て人は大人になっていくんやねえ……」

「普通そんな体験せえへんから! 普通大人に近づく成長っていうのは、割り箸の袋を開けたときにうっかり同封の爪楊枝を床に落としてまうっていうヘマをせえへんようになったとか、そういう成長やから! なんかちゃう気もするけど! しかし電車にハネられても死なへん体の亀率ちゃんでも死ぬかと思うことあるんやね。それで部活の話に戻るけど、クラブには無所属の亀率ちゃんは、放課後何して過ごしてんの? いっしょに帰ろうと思ても、いつもおらへんし。すぐ帰ってんの? 六時限目の終わりのチャイムが鳴ったら反射的に帰宅してんの? それって雲隠れの練習?」

「……絶対口外せえへんと約束してくれるんやったら、放課後何してるか教えてあげるけど。他言は無用やで」

「一体何をしとんねん。まさかこっそり黒板消しをドアにはさんで……いや、こっそり黒板消しを道行く人の股にはさんでるとか?」

「ちゃうちゃう。秘密にしといてくれるんやったら、今から教えてあげる。うち、誰かから内緒話を聞いたあとは、うっかり人に漏らしてしまわへんように、自分がその話を忘れてしまうまで自分の口にガムテープ貼って過ごすようにしてんねん。アケモチャンはどう? 口軽くない? ちゃんと秘密にしてくれる?」

「あたしは大丈夫やと思うけど……。別に口は軽くないから」

「ほな、セロハンテープくらいでええかな」

「いや、何も貼らんで大丈夫やから……。口にセロハンテープなんか貼ったら、恥ずかしいから。セロハンテープ丸めて鼻に詰めるくらいやったらええけど。いやそれもあかんから」

「ほな、口外せえへんと、堅く約束する? 神に誓う? 人面魚にも誓う?」

「……うん。フラミンゴにも誓う」

「フラミンゴは強力やね。ほな、教えるわ。あのね……ゴニョゴニョ……やねん」

「…………」

「…………」

「えっと……ゴニョゴニョって何?」

「尿検査」

「はあ?」

「御尿検査を略して、ゴニョ」

「尿検査を丁寧に言うても御尿検査にはならへんやろ。『ゴーゴー!』を丁寧に言うたら『御ゴーゴー!』になるか? ……って、なんで尿検査なんかやってんの? 誰の尿?」

「自分の尿の成分を調べてんねん。保健室でやってる。世界平和のためにね。特に、和歌山県北部の平和のため」

「その尿検査、独りでやってんの?」

「うん。これは孤独な研究やからね」

 あたしは勇気を振り絞って、自分の願望を述べることにした。

「あ、あたしはどちらかと言うと、和歌山県南部の平和を祈ってるけどさ……よ、よかったら、あ、あたしもその研究に混ぜてくれへんかな? あの、つまり、あたしも亀率ちゃんの尿を調べるお手伝いをしたいな、と。じゅるるっ。……あ、『混ぜてくれへんかな』っていうのは、『亀率ちゃんの尿の中にあたしを混ぜてくれへんかな』っていう意味やないから、安心して。……いや、それもええかも知れへんな……うーむ……」

「ごめんな。いっしょにやることはでけへんわ。これはあくまで孤独な研究やねん。孤立して研究したほうが、関西で孤立してる和歌山県の気持ちになれるから」

「あ、そう。ちょっとだけ手伝うのも……あかん?」

「あかんねん。少なくとも和歌山市が経済発展して日本の首都になるまではあかんねん。あるいはフランスの首都になるまで」

「そっか……わかった……」

 残念すぎる……。

「ごめんな。ちなみにうちの尿からは、地球上には存在せえへんはずの分子構造が見つかった」

「稀少価値のある尿やね……。亀率ちゃん自身がうちのクラスの異分子やけどね……」

「保健の先生から稀少尿少女賞をもらった。賞品は紙コップ一年分」

「おめでとう……。その紙コップはごく普通に使いましょうね……。おでんの汁を飲むとか」

「それにしても、きしょーにょーしょーじょしょーって、メッチャ言いにくいわ。きしょーにょーしょーじょしょーって、ホンマ言いにくいわ。きしょーにょーしょーじょしょーって、言いにくすぎて怖じ気づくわ。きしょーにょーしょーじょしょーって、間違わんと言えたこと一度もないわ」

「すでに五回も間違わんと言うてるやん……。きしょーにょーにょーにょにょーって、五回も間違わんと言うてるやん……。あたしは一回目で間違えすぎてるやん……」

「あ、ホンマや。うち、間違えてへん。うちって、結構高級な舌を持ってるんかな? この舌は大事に使わなあかんな。重宝して溺愛せなあかん。サインペンで名前書いとこかな」

「そ、そんなに高級な、し、舌やったら、そ、そんじょそこらの高級カーペットよりも肌触りがええかな……? ちょ、ちょっと触らせてもろてもええかな……。ドキドキ」

 尿検査があかんねやったら、せめて舌診を……!!

「……え? アケモチャン、なんて言うたん? ごめん、ちょっと今、頭のすぐ上を飛んでる人工衛星に気を取られてしもて、聞いてへんかったわ」

 亀率ちゃんの頭の五センチくらい上を全長三メートルほどの人工衛星が旋回してる。あたしは人工衛星に話の腰を折られた気分に……いや、二人のスイートな時間を邪魔された気分になり、怒り心頭に発した。あんまりチョコマカせえへんように、あたしは近くの木にロープでそのいまいましい人工衛星を縛りつけた。

「仏頂面で何してんの、アケモチャン。そんなことしたら、怒られるよ。きっと木マニアに、『俺の溺愛する木に、そんなボケナスゴミクズヒジキ人工衛星を縛りつけるな!』って怒られるよ」

「きまにあ?」

 ……よし、舌診、もう一回頼んでみるか。しかしあたしが口を開くより先に亀率ちゃんが、

「ほら、これ見て」

 亀率ちゃんが、尿が入ってると思われる容器をポケットから取り出した!! 『ホモ・サピエンス 根本亀率』と書かれてる。

「なんで持ち歩いてんの!? カイロがわり!? この季節に!?」

 あたしの動悸が激しくなる。

「保健の先生が、それはもはや勲章やから持ち歩けって。稀少尿少女の名の上にあぐらをかけって。今後レッドリストに載らへんように気をつけて生きろって。尿をスポーツ選手のドーピングに使われへんように気をつけろって」

「どういうことやねん。亀率ちゃんはあたしの『今までに出会った天然さんリスト』にはとっくの昔にデカデカと載ってるけどね。それよりもその尿入り容器……ちょっと触らせてくれへん?」

 当然あたしはそう願い出た。ここは舌より尿優先や!!

「ん? どうぞ」

 あたしは受け取った。……生温かい。気温のせいかも知れへんけどな。軽く振って音を確かめたり、目の前に持っていって凝視したりしてみる。あたしはわずか一ミリ足らずの距離を隔てて亀率ちゃんの尿を感じてるかと思うと、感銘を受けた。高揚感に身を任せてフタを開けてどうこうしたかったけど、さすがにそこは自制心を働かせ、尿を亀率ちゃんに返した。あたしは満ち足りた気持ちになり、舌診は明日以降に延期することにした。明日以降、虎視眈々と狙おう。

「アケモチャン、うち、新しい部をつくりたいなあ。学校に働きかけてみようかなあ」

「何部をつくんの?」

「いや、タイトルは未定」

「タイトルって……」

「その部の活動内容としては、ヒザカックンの正当化、思い出づくりにかこつけた集団極性化、末代までの恥づくり、デリカシーの育成を考えてる」

「一体何をすんねん、その部は」

「ヒザカックンの正当化、思い出づくりにかこつけた集団極性化、末代までの恥づくり、デリカシーの育成」

「…………」

「そう言うたらアケモチャン、もうすぐ期末テストやねえ」

「うわ、イヤなこと思い出させるなあ」

「あはは、ごめんごめん。うちも昨日から勉強始めたけど、なんか全然範囲間違えて勉強してたわ。グミキャンディーの正しい食べ方について勉強してた」

「間違いすぎやろ。せめてそこはひつまぶしの正しい食べ方を勉強しようよ」

「そう言うたら、ハタフチャンはテストの点数は毎回十四点らしい」

「狙ったように毎回十四点なんてすごいなあ」

「ハタフチャンは狙ってやってると思うよ。今までの十四点のテスト全部、廊下の掲示板に自分で貼ってたし。『満を持して宛塚(あてづか)旗布の輝かしき十四点コレクションを大発表ー! これは偉大なる歴史ー! 歴史のテストに出るよー!』っていう貼り紙とともに。ネタに人生賭けてる人やからね」

「そんなもん、はがしてしまえ……。掲示板ごと、はがしてしまえ……」

「ハタフチャン、十点満点の数学の小テストでも十四点とったらしい。ホンマにすごいわ。尊敬や」

「四点はどこから来たんや……。その数学の先生、算数が苦手なんとちゃうか……」

「あ、そうそう、ハタフチャンは演劇部所属やねんけど、知ってた?」

「あ、そうなん? 確かに演技力あるもんね、彼女。自由に涙も流せるみたいやし」

「涙を出すだけとちゃうで。ハタフチャンは、その逆で目に入れる活動もしてる。入れるものはミートソース、とんかつソース、練りがらしと、そらもうオールマイティーに活動中や」

「すごいなあ。ちょっと痛そうやなあ。あ、杉久保さんは? 杉久保瑠璃(るり)さんはどうなん? 確か彼女も高二やろ? 東京の高校で、何か部に入ってるん?」

「ルリチャンは、手芸部。編み棒のようにスラリと長い指と毛糸みたいな髪質の毛髪だけを使こて製作できる人やから。ニット帽から超高層ビルに至るまで、ありとあらゆるものを指と毛のみでつくってしもて、ひいてはその趣味が建設業界に一石を投じたらしい。あと、部活やないけど、怪しい健康法の実践も好きらしい」

「すごいなあ。超高層ビル造っても毛が足りるっていうのが」

「ルリチャンの毛は無尽蔵に伸びるから。鼻毛含む」

「すごいなあ。東京はいろんな人材が充実してるなあ」

「カズエチャンは何か部活してたっけ?」

「え? ああ、和江ちゃんも無所属。でも放課後の彼女は剣道部の部室で相撲中継観たり、茶道部の部室でコーヒー飲んだり、天文部の部室で天動説を唱えて部員たちを大パニックに陥れたりと、多岐にわたる活動をしてるよ。そして彼女いわく、それが昨今の世界的な毒見ブームの一端を担ってるらしい。『実は過去の頭上注意ブームとドップラー効果ブームと油まみれブームは、全部平瀬(ひらせ)和江が火つけ役や。ワハハハ』とか豪語してる。豪語と書いてネタハツゲンとも読む」

「へー、そんなブームの数々が……」

「いや、ないない。毒見も頭上注意も流行ったことないから。和江ちゃんのネタやから。あちこちの部室行っていろいろやってる件は事実やけど。大ヒンシュクですわ。風紀委員のクセに困ったもんやで。どうでもええような校則にはうるさいのに」

「あ、ブーム、ないの? でも、活動的な放課後やなあ。憧れるなあ。うちもそういう影響力のある放課後を過ごしたいなあ。できればプラスの影響力で。大ヒンシュクではなく。でもうちは普段コーヒーとか飲まへんからなあ。カズエチャンは大人やなあ」

「普段何飲んでんの?」

「キュウリ」

「え」

「一本まるごと、縦にしてゴックン」

「す、すごいなあ。ワイルドやね」

「この世で最も即物的なキュウリの飲み方」

「どういう意味やねん……」

「さすがに横にしたら飲まれへんよ」

「縦にしても普通飲めません」


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コメディー小説『アッケラカンサッパリカン』


第十二話 病室で


 土曜の朝。輪切りパインの缶詰めの瓶詰めのオブラート包み(七千九百八十円)とおでんの汁(容器なし。手ですくうか口に含んで帰る。二百ミリリットル二百九十八円)を買いに行く道の途中で、病院からもの思わしげな表情の亀率ちゃんが出て来るのを認めた。

「あ、亀率ちゃん。こんに……いや、おはよう」

「アケモチャンか。こんにいやおはよう。どこ行くん? 自分探しの旅? 家に帰るまでが、自分探しの旅ですよー。正確には、家のドアの鍵穴に鍵を差し込んでそれが奥に到達するまで。ちなみにドアの向こう側に人がいるのにマジシャンのマネをして鍵穴に力ずくで剣を差し込んだら、ドアの向こう側の人が痛がる可能性があるから、絶対にやったらあかんよ」

「普通は痛がるどころでは済まへんやろ。普通は泣くし。一晩中泣くし。いや、自分探しの旅やないよ。第一自分探しなんて、こっ恥ずかしいやん。おっと、口を慎まなあかん。一生懸命理にかなった自分探しをやってる人もいてるもんな。たとえばうちの妹は、日夜新しいホクロ探しに励んでるし。いつかそれが実を結ぶと姉のあたしは信じてる。えっと、あたしはちょっとそこの商店街へね。それよりも亀率ちゃん、今そこの病院から出て来たけど、どっか悪いの? たとえばスネ毛とか」

「ちょっと急に体質の変化が起きてね。青天の霹靂ってやつですわ。略してセイヘキ」

「略さんでええから。それって骨肉の争いを略したらコアラになるって言うてるようなもんやから。って、体質変化? それって、どんなふうに変化? 化学変化にたとえると?」

「化学変化にたとえると、ウザい化学変化。うち、今まで電車にハネられてもその事故に無頓着でいられる体質やったけど……。うち、事故直後に被害者のクセして屈託のない笑顔を浮かべられる体質やったけど……。うち、なぜか急に体が脆弱になったみたいで……あっ」

 亀率ちゃんが目の前で転倒した。もう一歩あたしに近づこうとして、イヌのフンにつまずいたみたい。イヌのフン、硬すぎやろ。しかもそのフン、地面にまち針で留めてあるし。地面、軟らかすぎやろ。

「あ、大丈夫? 亀率ちゃんのことやからどうせ無傷やろけど、一応、大丈夫?」

 あたしが手を貸して起き上がらせる。やった! 亀率ちゃんと合法的に握手できた! 違法性はなし! なんのおとがめもなしや! ここで亀率ちゃんの爪をはがしてその爪にウスターソースかけて食したら違法性があるけどな。そんなマニアックな嗜好はあたしにはないし。ちなみに爪をはがされた人の指に誤ってウスターソースをかけてしもたら、その人はのたうち回ることになる。いや、爪はがした時点でのたうち回るか。あたしに助けられた亀率ちゃんは、何かに気づいたような表情をし、

「あかんわ、アケモチャン。うちの体、やっぱり脆弱になってるわ。今の転倒で胃が真っ二つに割れてしもた。あと、右脳と左脳の間隔が一メートルくらい空いた」

「そんな! 大変やん! って、さすがに一メートルはないやろ? 亀率ちゃんの頭、一メートルの隙間が空いた脳が収まるほど大きくないやん。もっとこじんまりしてるやん。ケシ粒みたいやん」

「あ、そうか。でも数センチは空いたと思う。ややもすれば隙間風のせいで右脳と左脳の間にホコリが溜まる。そしたら掃除機の隙間ノズルが果たして脳の隙間に入り込めるか否かが運命の分かれ目になる。天下分け目の戦いになる。よし、ちょっと入院して来るわ。心配せんでええよ。心置きなく買いものして来て。ほなね」

 亀率ちゃんは再び病院へと戻って行った。歩けるのがすごいなあ。体質の変化かあ。亀率ちゃんってちょっと特殊な体してるからなあ。あたしも気をつけよ。


 すると今度は病院から無表情の和江ちゃんが出て来た。

「あ、和江ちゃん。こんに……いや、えーっと、おはよう」

「亜景藻さんか。こんにいやえーっとみそしるおはよう。どこ行くん?」

「味噌汁は言うてへん。無理矢理挿入せんといて。挿入大嫌い。ちょっとそこの商店街へね。それよりも和江ちゃん、今そこの病院から出て来たけど、どっか悪いの? たとえば血液型とか」

「ちょっと寝グセがついてたもんでね」

「そんなことで病院へ? 寝グセがついたときは、病院よりも美容院へ行くべきやろ。別にダジャレとちゃうけど。もしくは、旗布ちゃんのネタに五時間つきあうとか。そうすればストレスで寝グセもろとも毛が抜けてツルッパゲになるから」

「いや、寝グセは手術で治ったから。あらゆる寝グセを完治させてきた稀代の名医が執刀した。症状のヒドい人は髪の毛がナスカの地上絵を忠実に描いてたらしい」

「あ、そう。すごいすごい。もっと症状のヒドい人は、髪の毛がWTI原油価格のリアルタイムチャートを描くんですか。いや、それやったらナスカの地上絵のほうがすごいか。いや、どっちがすごいのか、ようわからん。で、執刀ってそれ、メス使うんですか。寝グセの部分だけメスで切除したわけですか。はいはい、すごいすごい。……で、ホンマの来院理由は?」

「ホンマは、ちょっと風邪気味で……クシュン! ……ごめん。風邪気味で、下痢気味で、頭痛気味で、水虫気味やねん」

「ああ、そうなんや。全部中途半端なんやね。どっちつかずの気持ち悪い症状が目白押しなんやね。で、大丈夫気味?」

「うん。治りかけ気味。病み上がり気味。それより、なんか亀率さん気味の人がICU気味の部屋へ運ばれてたで。わたしの姿を見つけたら、『あ、大丈夫やから。大丈夫やから。ちょっと二ヶ所が割れただけやから』って言うてたけど。一体どこが割れたん? 月見そばの気味が割れたん? いや、月見そばの黄身が割れたん? 最悪のタイミングで月見そばの黄身が割れたん?」

「あたしは最初から黄身つぶして食べますけど。お菓子の缶に入ってるプチプチをすぐつぶしたくなるのと同じ感覚で。ま、亀率ちゃんに関しては、どこが割れても大丈夫ですわ、きっと。あの人はそれくらいではどうともならへんと思う。せやから和江ちゃんは余計な心配せんと、病気治すことに専念して」

「ありがと。まあ、せやろね。どうせ大丈夫やろね、亀率さんは。クシュン! わたし帰るわ。クシュン! またね。クシュン! ほな。クシュン! ちなみに今のクシャミ、一回目は風邪のクシャミで、二回目は花粉症のクシャミで、三回目はサービスで、四回目は……」

「バイバイ」

 和江ちゃんはクシャミをしながら帰って行った。


 すると今度は病院からほふく前進で旗布ちゃんが出て来た。先日のおデコのイトトンボは消えている。

「あ、旗布ちゃん。こんに……いや、えーっと、その、おはよう」

 旗布ちゃんがあたしの姿を見て立ち上がった。

「あけも先輩やないですかー! こんにいやえーっとそのあのなんやったっけえーっとあれやねんあれあれえーっとあのそのおはようございますー! どこ行くんですかー!?」

「あたし、そこまでつっかえてへんから。朝の挨拶でそこまでつっかえるほどモーロクしてへんし。モーロク大嫌い。ちょっとそこの商店街へね。それよりも旗布ちゃん、今そこの病院から出て来たけど、どっか悪いの? たとえば要領とか」

「この前校門前でかずえ先輩に持ちもの検査として胃の大手術をされたんですけど、それ以来胃が痛くなることが多くてー! よっぽどズサンな手術やったんやなーと思いながらお医者さんに診てもらいに来たんですー!」

「え。ホンマに和江ちゃんに大手術受けたん? あの危険なネタにいちいちつきあう必要ないやん! あたしもこの前危うく開頭手術されるとこやったけど……」

「そこはノってあげるのが関西人ってもんでしょー! 先輩は冷淡ですねー! そんなんやからいつまで経っても先輩は鼻毛の曲がり具合がド素人って罵られるんですよー!」

「そんな罵られ方したことないし。むしろそんな珍しい罵られ方がこの世にあるんやったら一度されてみたいし。それにしても、ホンマに和江ちゃんのネタにつきあうためだけにお腹切られたわけ? キミ、ちょっと命賭けすぎやろ」

「当然ですよー! 全身全霊、パワー全開ー! しかも屋外で雨降ってる中の手術でしたよー!」

「雨の中って……。胃の中ビショビショになるやん。胃の中拭かなあかんやん」

「何言うてるんですかー! 自然の恵みを有効活用した胃洗浄と思えばええやないですかー!」

「前向きやね。あたしも見習いた……くないわ、やっぱり」

「ちなみにそのときおデコのイトトンボが雨宿りのために、切り開いた胃の中に入って行きましたー! しかもかずえ先輩はイトトンボ入ってることに気づかずに、そのまま縫合しましたー! それ以来イトトンボは胃の中で飼うてますー! コレラ君って名づけましたー!」

「えっ? 消化されへんの?」

「強靭なイトトンボなんでしょうねー! ほら、これー!」

 旗布ちゃんが汚れたシャツをめくってお腹を見せてくれた。内側から何度もイトトンボが胃の壁に衝突してるようで、そのたびにお腹のあちこちが突起状に膨らむ。元気ええなあ。でも……。

「……なんか気持ち悪いんやけど。それをお医者さんにどうにかしてもらうべきでは?」

「コレラ君ははたふのペットですからー! どうにもさせませんよー!」

「あ、そう。ほな、可愛がってあげて。餌やりは自分自身の食事と同時に済ませられて効率的やね。でもそもそも胃の痛みって、それが原因なんでは?」

「胃の痛みはコレラ君やなくて、かずえ先輩のズサンな手術のせいに決まってますよー! かずえ先輩、缶コーヒーと間違えて缶入りのそうめんつゆ飲みながら手術してましたしー! 缶コーヒーとそうめんつゆ間違えるくらいですから、きっと医療ミスだらけのはずですよー!」

「そもそも缶コーヒー飲みながら手術やるのもおかしいけどね。缶コーヒー飲んでる執刀医に向かって看護婦さんが『執刀医の嫉妬……ウィッ』ってわけのわからんダジャレを耳元で囁いて、執刀医がコーヒーをブシューっと手術中の患者の体に噴き出したら大変やから」

「あ、それとほぼ同じことがはたふのときにも起こりましたよー! はたふがそうめんつゆ飲んでるかずえ先輩に向かって『執刀医の嫉妬……ウィーッ!!』ってわけのわからんダジャレを大声で叫んだら、かずえ先輩がそうめんつゆをブシューっと手術中のはたふの体に噴き出しましたよー! しかもそのあとかずえ先輩、『あー、もうやってられへん! めんどっくさー!!』って叫びながらそうめんつゆの空き缶をはたふの切り開いた胃の中にほかしてましたからー! ゴミ箱と間違えたんでしょうねー! ゴミ箱と胃を間違えるくらいですから、きっと医療ミスだらけのはずですよー!」

「まさかその空き缶も放置したまま縫合……!?」

「空き缶はさすがに取り除いてくれましたよー! 『ゴミはちゃんと分別!』って言うてはりましたー!」

「さすが風紀委員」

「ゴミは徹底的に分別すべきですよねー! 空き缶も、プルタブ、缶の上面、缶の側面、缶の底面とキッチリ分けてー!」

「分けすぎやろ。サラリーマンのオジサンが七三分けのかわりに一一一一一一一一一一分けしてるようなもんやで」

「さすがあけも先輩ー! 最近ツッコミにみがきがかかってきてますねー!」

「そりゃあ、旗布ちゃんとか亀率ちゃんみたいな人と交流してるからね。否が応でもそうなりますわ。キミと亀率ちゃんが二人で盛り上がったときはさすがに積極的には参加せえへんようにしてるけどね」

「もっと積極的になってくださいよー! 全身全霊、パワー全開、バター全面塗りー! マーガリン両面塗りー! トランス脂肪酸両面塗りー!」

「で、胃の痛みはまだ続いてるん? 薬とかもろたん?」

「診察室でお医者さんに紅ショウガの天ぷら出されて食べましたー!」

「なんで?」

「ショウガの健康効果をご存じですかー!? お医者さんが説明してくれたんですよー!」

「あ、もしかして健胃作用? ジンゲロンっていう成分が胃壁に刺激を与えて血行をよくするっていう」

「そうでーす! そのジンゲロなんとかでーす! ちなみにそのお医者さんによると、胃の中のコレラ君が胃壁にぶつかるのも同様の効果があるそうでーす!」

「その先生、大丈夫なんかなあ」

「その先生、『もう俺医者なんか辞めて、これから沖縄にでも引っ越して田舎暮らしを満喫したいなあ。……あっ!! お、俺はな、別にコレラとこれからをかけてるわけとちゃうぞ!! 胃の中と田舎をかけてるわけでもないぞ!! 別にダジャレとちゃうぞ!! 別にスベってへんぞ!!』とか言うてる先生でしたー!」

「その人……会うたことある……。多分その人無免許やから、もう診てもらわへんほうがええかと……。なんで普通に医者として勤務できてんのかわからんけど……」

「ホンマですかー!? 無免許なんですかー!? どうりで机の上に置いてある本が医者っぽくないと思いましたー! 『ドイツ語入門』なんて本が置いてありましたからー!」

「いやいや、お医者さんでもドイツ語話されへん人なんてザラにいてるみたいやで。明治期の日本においてドイツ医学が浸透したけど、戦後はアメリカ医学が台頭したこともあって、最近では国内のカルテは英語や日本語が支配的になってるらしいよ」

「つまり、『ドイツ語入門』の横に『ウサミミ至上主義! 秘蔵っ子バニーガール写真集』っていう本があったのも、明治期の日本においてナース服が浸透したけど、戦後はバニースーツが台頭して、最近では国内の看護師が着るのはバニースーツが支配的になってるってことなんですかー!?」

「なんでそうなんの? その場合男性看護師もバニースーツ着るん?」

「そりゃ男女平等ですからー!」

「それにしてもなんでほふく前進? 自分自身を雑巾がわりにして病院の床を掃除するっていう捨て身のボランティアスタッフ?」

「病院内では電磁波が医療機器に影響する可能性がありますからー! 人体から発せられる微弱な電磁波が影響せえへんように、床を這ってたんですよー! 最低限のマナーですよー!」

「そんなこと他のみんなはやってへんやん。他の医者も看護師もみんなまとめてそんなことやってる病院があったら、不衛生すぎて診察してもらいたくないし」

「他のみんながやってたら、むしろはたふはやりませんよー! 他のみんなが床這ってたら、はたふは天井に張りつきますからー!」

「バイバイ」

 旗布ちゃんは道行く人に柿の種を一粒ずつ配りながら帰って行った。


 翌日。あたしは亀率ちゃんのお見舞いに来た。病室に入ると、ベッドの上で球技大会をやってる亀率ちゃんの姿が。うん、元気そうや。それにしてもさっきからどこからかコンコンコンコン音がするけど、なんの音やろ?

「亀率ちゃん、案の定元気そうやん」

「うん。お医者さんの腕がよかったから。胃は木工用ボンド飲んだらくっついたし、脳みそは空いた隙間にレタスとハムはさんでる」

「そんな荒療治で大丈夫!? そもそも、それ医療行為? いじめみたいにも聞こえる。担当医、一体どんな人やの……? まさか、あの人……」

 そのとき、背後に人の気配がした。血液型がB型の女性の気配がした。そしてその「気配」は、張りのある声で、

「おいおい、いじめとは人聞きが悪いなあ。ああん? あたしヌルユ様が担当医や。悪いかコラ」

 声に振り返ると、そこに女医さんが立ってた。三十代前半くらいやろか? ネームプレートには「大阪檀松馬(だんまつま)病院 脳神経外科医長 奴留湯編湯 AMIYU NURUYU」とある。医者って普通は白衣やけど、なぜかこの人は喪服や。黒い。肌も色黒。あまつさえ真っ黒なサングラスまでしてる。そしてなぜか鼻の穴だけが白い。日本人の鼻の穴は普通黒く見えるのに。女医さんはあたしをねめつけて、

「え? コラ。なんか文句あるか? ん? ちゃんと治ったんやから、ええやないか。ハハハハハハハハ! あんた、亀率の友達か?」

 女医さんが豪快に笑ってる。なぜか口の中まで真っ黒や。

「は、はい。あたしは亀率ちゃんの友達の古路石亜景藻と申します。あのー、なんで鼻の穴が真っ白で口の中が真っ黒なんですか? ブラックホールの口に吸い込まれたものはホワイトホールの鼻の穴から出て来るんですか?」

「ちゃうちゃう。さっきイカスミスパゲッティー食べたんや。あたし奴留湯様は、黒いものが大好きやからな。黒いもの好きが高じて、左右の鼻の穴に一つずつ鼻クソサイズのブラックホールを詰め込んでる。白く見えるのは量子的な熱輻射や。ホーキング輻射ってやつや」

 あたしは興奮し、

「おお、すごいっ! 真空のゆらぎで対生成した粒子・反粒子のうち片方がブラックホールに吸収され、片方が飛んで行く。するとエネルギー保存則によりブラックホールの質量は減少し、反粒子の放出は熱輻射として観測される……。これがその熱輻射ですか! でも、そのブラックホール、どこで入手したんですか? 闇ルートですか? ブラックホールだけに」

「いや、病まないルートや。医者だけに。というのは真っ赤な……いやブラックホールだけに真っ黒なウソで、ホンマは最近話題のあの観光都市、鳶田市の観光に行ったときに土産物屋で買うた」

 あそこか……。あたしはあの日のことを思い出しながら、

「ああ、最近あそこ観光客でごった返してるらしいですね。でもビルに突き刺さったカーソルくらいしか観るものないのでは……? あ、それよりも先生、この亀率ちゃんの治療、ホンマに大丈夫なんですか?」

 まあ亀率ちゃんは横でピンピンしてるわけやけど、一応訊いてみた。

「大丈夫や。この子はちょっと特殊やからな。普通の人が同じ治療法使われたら多分死ぬやろけどな。ハハハハ」

 そのとき亀率ちゃんが球技大会を突然中断し、大声で、

「そんなことよりアミユセンセー!! ちょっと聞いてほしいことがあるんです!! アケモチャンも聞いて!! 拝聴して!!」

 あたしはビックリして、

「どうしたん、亀率ちゃん? もしかして気分でも悪いん? 吐きそう? おまんじゅう、吐きそう? 酒まんじゅうと栗まんじゅう、どっちがより吐きそう? ちなみにあたしは栗まんじゅうが大好き。亀率ちゃんの吐いた栗まんじゅうなんて、そんなん想像しただけで、もう……いやなんでもない。さあ、吐くんやったら遠慮せず吐いて。あたしが処理するから。ゴクリ」

 もちろん酒まんじゅうであろうとなんであろうと、亀率ちゃんの吐いたもんやったら大歓迎。一方、奴留湯先生はあたしの横で、

「なんやねん、亀率、改まって。もしかしてあたし奴留湯様への愛の告白か?」

 とんでもないことを口にした奴留湯先生。な、なんですと!? うああああ……。あたしの恋は儚くも散った……って、いやいや、あたしは何を考えてるんや。あたしと亀率ちゃんが恋人同士になれるわけないやん。女性同士で恋愛なんて。そろそろあたしも普通に彼氏探しとかしたほうが将来のため……って、別にそこまで恋愛に飢えてるわけでもないし……って、待て待て、奴留湯先生かて女やないか。ということは亀率ちゃんも女性に興味が? ほんならあたしにもチャンスが? いやしかし今亀率ちゃんが恋してる相手はこの奴留湯先生……って、いやいや、そもそも愛の告白と決まったわけではないし……。そんなことを考えてると亀率ちゃんが、

「じ、じ、じ、実は、世界があと三時間で滅ぶねん!!」

 さ、三時間!? あたしは狼狽し、

「ホ、ホンマに!? 亀率ちゃん、ホンマなん!? ま、またどうせ亀率ちゃんの天然が発動しただけやろ?」

 奴留湯先生も狼狽し、

「おいおい、世界が滅ぶって、大丈夫なんか、それ!? ええ加減にせえよコラ!! あたし奴留湯様にはまだやりたいことが山ほどあるんやぞ!! お前らみたいな凡人とは違ごて、でっかいでっかい壮大な夢があるんやぞ、あたし奴留湯様には!! 竹とんぼ飛ばすとか」

 亀率ちゃんが世界滅亡に怯えて震えてる。こ、ここは抱きしめるべきか!? しかしさっきまで球技大会してたクセに。亀率ちゃんの震える右手には、球技大会に使こてたボーリングの球が。指の入れ方がなんか変。明らかにコンベンショナルグリップやない。三つの指穴にはそれぞれ人差し指と小指と……柿の種が差し込んであるやないか。あれ? よう見たら穴は三つだけやない。近くに四つ目の穴がある。しかもその穴からはシロアリがポロポロとこぼれてるし。うっわあ……。ん? よう見たらこの球にはキツツキも留まってる。しかも五つ目の穴を開けようとしてコンコンコンコン表面をつついてるやないか。コンコンコンコンはこの音やったんか。亀率ちゃんは震える声で、

「昨日、近所のタケダさんがうちの家に来て、『日曜日の五時に世界は終わる!』って……えーんえん」

 亀率ちゃんが泣き出した。亀率ちゃんの涙がポロポロこぼれる一方、シロアリも相変わらずポロポロこぼれてる。キツツキはボーリングの球から離れ、ベッドの脚をつつき始めた。あたしは納得できず、

「亀率ちゃん、それだけで世界が終わると信じたん?」

 タケダさんの情報は確かなんか? 奴留湯先生はイラついた口調で、

「亀率、まずそのタケダってヤツに電話して詳細を訊け。クッソ、世界滅亡とか最悪やな。クッソ」

 煙草に火を着けながら促す先生。病室で吸ってええんか? それはともかく、先生もすっかり信じてるし……。単純やな……。

「わかりました。えーと、ほなここは病室やから、携帯電話の使用が許可されてる場所へ……」

 すると単純な先生が紫煙をくゆらしながら、病室を出ようとする亀率ちゃんに向かって、

「待て。ここでええ。すぐ電話しろ。緊急事態や。規則なんか知るか。あたし奴留湯様なんか、毎晩患者と病室で酒池肉林じゃボケ」

 この先生、大丈夫か? この病院、大丈夫か? 亀率ちゃんは割り切ることがでけへんといった表情で、

「でも院内の医療機器に影響が……」

 亀率ちゃんは、結局ケータイを持って部屋を出た。

 そして戻って来た亀率ちゃんは、

「タケダさんによると、ムライさんがタケダさんの家に来て、『日曜日の五時に世界は終わる!』って……えーんえん」

 また泣き出した。あたしはまだ納得できず、

「亀率ちゃん、タケダさんはそれだけで世界が終わると信じたん?」

 ムライさんの情報は確かなんか? 奴留湯先生はイラついた口調で、

「亀率、次はそのムライってヤツに電話して詳細を訊け。クッソ、世界滅亡とか最悪やな。クッソ」

 亀率ちゃんはまたケータイを持って部屋を出た。

 そして戻って来た亀率ちゃんは、

「ムライさんによると、タニヤマさんがムライさんの家に来て、『日曜日の五時に世界は終わる!』って……えーんえん」

 また泣き出した。あたしはまだ納得できず、

「亀率ちゃん、ムライさんはそれだけで世界が終わると信じたん?」

 タニヤマさんの情報は確かなんか? 奴留湯先生はイラついた口調で、

「亀率、次はそのタニヤマってヤツに電話して詳細を訊け。クッソ、世界滅亡とか最悪やな。クッソ」

 亀率ちゃんはまたケータイを持って部屋を出た。

 そして戻って来た亀率ちゃんは、

「タニヤマさんによると、ハタフチャンがタニヤマさんの家に来て、『はたふは天啓を受けましたー! 日曜日の五時に世界は終わりまーす!』って……えーんえん」

 また泣き出した。あたしはまだ納得できず、

「亀率ちゃん、タニヤマさんはそれだけで世界が終わると信じたん? ……って、旗布ちゃん!?」

「亀率、そのハタフってヤツに電話してここに呼べ」


 二十分後、ほふく前進で旗布ちゃんが病室に入って来た。

「どーもどーもどーも、はたふでーす! もうシャツ真っ黒でーす! おっとー! はたふよりも真っ黒な大人の人がいるー!」

「誰が真っ黒な大人の人や、コラ。あたし奴留湯様は医者やぞ」

 先生が火の着いた煙草をほふく前進中の旗布ちゃんの背中に投げ捨て、その背中を踏みつけて煙草の火を消した。亀率ちゃんが「可哀想です!」と、先生を睨んだ。あたしは旗布ちゃんを見下ろして、

「旗布ちゃん、なんで世界が滅びるん? 滅亡理由は何? 核戦争? 自然破壊? 宇宙人? 伝染病? ダンゴムシの異常発生? あたしらどうなんの? 助かる方法は?」

 半信半疑ながらも、いや、一信九十九疑ながらもあたしが矢継ぎ早に質問すると、旗布ちゃんが立ち上がった。シャツ、破けてる。旗布ちゃんはあっけらかんとして、

「夜中の三時ごろに知らん人からはたふに電話がかかって来たんですよー! で、その人、『日曜日の五時に世界は終わるぞ! ハハハハハハハハ!!』って言うてはりましたー! とりあえずタニヤマさんを始めとする地球滅亡論愛好家の皆さんに吹聴して、警告用サイトも立ち上げときましたー!」

 あたしはタメ息混じりに、

「えーと、旗布ちゃん……それって、どう考えてもイタズラ電話とちゃうん? 十中八九イタズラやん」

「そうでしょうねー! まあええやないですかー!」

 あたしがゲンナリした顔をしてると、隣で先生が「あ」と声を漏らした。隣の芝生は青い。隣の先生は編湯。昔「芝生」を「先生」と見間違えたことがある。

「医者として潔く告白する。それ、あたし奴留湯様が適当な番号に百件くらいかけたイタズラ電話や。なんかイライラしてたから、つい。ちなみに、黒電話でかけた」

 この先生、あかん。亀率ちゃんはホッとした表情で、

「イタズラかあ。世界が滅亡するんやなくてよかったわあ。アミユセンセー、アケモチャン、ごめんなあ。心配させてしもて」

 奴留湯先生は腕を組み、

「しゃあない。許したるわ」

 あなたが発端でしょう……。


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コメディー小説『アッケラカンサッパリカン』


第十三話 公園で


 夏休みのある日。炎天下。コンビニからの帰り道。今日はネコのトイレが舞台の推理小説と、輪切りパイン缶専用缶切りを買うた。うう、それにしても暑い。なんやこのうだるような暑さは。汗だくや。焦熱地獄が地下二階あたりに移転したんとちゃうか。ふと公園に目をやると、旗布ちゃんと体質変化で体が脆弱になった亀率ちゃんが、それぞれブランコに腰かけて二人仲よく並んでお喋りしてる。あの二人、親密やな。あたしはどうも旗布ちゃんとは波長が合わへんねんけどな。あの子、四六時中エキサイトしてるような雰囲気やし、ちょっとついていかれへんから。いっしょにいてるとものの五秒でどっと疲れるし。その点亀率ちゃんは旗布ちゃんに対してまったくひるむこともないし、忍耐強いわあ。並外れた精神力の持ち主やな。……いや、単なる天然ゆえの鈍感さか。あれ? もしかして、旗布ちゃんって、あたしの恋敵? いやいや、愚かなことを夢想するのはやめておこ。あたしが亀率ちゃんに恋とか。愚の骨頂や。それにしても二人は何を話し込んでるんやろ。あたしは公園に足を踏み入れ、そろそろと接近し、背後霊のごとく二人の真後ろに立った。

「ハタフチャン、みんな夏休みをどうやって過ごしてるんやろねー。うちなんか暑さで頭がやられてしもて、昨日なんてうちわで扇風機をあおいでたわ。自動に対する手動の下克上や。ハタフチャンはどんな夏休み?」

「はたふはいろいろとみんなの夏休みについて情報をかき集めてみましたよー! 人のプライベートな領域に土足で踏み込むようなマネをして情報をかき集めてみましたよー! ただし許可は得ましたよー! 許可を得た上でのパパラッチ気取りですよー! えーと、それでですねー、確か九美佳ちゃんはあの事故以来、ガードレール使こてピアノ弾くっていう前衛的なパフォーマンスをやり始めてあちこちから引っ張りダコらしいですよー! 二枚貝の校長先生は巻き貝の副校長先生とともに砂浜のゴミ拾いおよびガードレール拾いのボランティア活動ー! おおやど先生は観客に罵詈雑言を浴びせすぎてプラネタリウム解説員のバイトをクビになりましたー! あみゆ先生は相も変わらず毎晩病室で重病患者とともに酒池肉林ー! あみゆ先生の電話の件を真っ先に知らせてあげた地球滅亡論愛好家のたにやまさんは、世界の危機に関して警鐘を鳴らすために京都・奈良のお寺巡りー! ゴーン! ちなみにはたふは、かき氷を食べにアイスランドに行こかと思てまーす!」

「へー、みんなハッスルアンド充実してるなあ。うちはメキシコ行ってマスカラ食べたり酢ダコを振ったりしたいなあ。あ、しもた。マラカスとタコスやった。うち、やっぱり暑さで脳に異常が生じてるのかなあ。なんか心配になってきた。まあ大丈夫やとは思うけど。それはそうとうち、昨日うちわで扇風機をあおいでたわ。自動に対する手動の下克上や。話は変わるけどうち、昨日うちわで扇風機をあおいでたわ。自動に対する手動の下克上や。あれ? これさっき話したっけ? うち、やっぱり暑さで脳に異常が生じてるのかなあ。えーと、うちの名前は根本……えーと……えーと……えーと……えーと……えーと……えーと……えーと……えーと……亀率。オッケー、自分の名前を思い出すのに要した時間はいつもとおんなじくらいや」

「そんなことよりも、きりつ先輩ー! るり先輩と今度いっしょに遊びましょうよー! るり先輩ってよう大阪に来るんでしょー!? はたふ、るり先輩の鼻毛が無尽蔵に伸びる現場を目撃してみたいんですよー! あの先輩の専売特許なんでしょー!? きりつ先輩に負けず劣らずの特異体質なんでしょー!? 鼻毛見てみたいなー! 鼻毛を目撃したいなー! 鼻毛の写真撮りたいなー! 再びパパラッチ気取りたいなー! 鼻毛一本分けてほしいなー! 本のしおりにするからー!」

「でもルリチャンはあのとっつきにくい性格やから、見せて言うてすんなり見せてくれるかどうかわからへんよ。過剰に期待すると、サイボーグみたいなポーカーフェースに打ちのめされるのがオチやで。能面のような顔を返されるだけ。ときどきは土偶のような顔を返してくれてもええのに」

「えー!? そうなんですかー!? ほんならそのときはこっちはこっちで縄文式土器のような顔を返して対抗したらええんですよー! それにしてもなんでるり先輩ってあんなになんべんも大阪来るんですー!? 逢い引きですかー!? 出稼ぎですかー!?」

「なんか秘密があるみたいやねんけど、教えてくれへんねん。でも大した理由やないって言うてたから、多分ビッグバンは無関係やと思うけど……」

「そうなんですかー! てっきり逢い引きか出稼ぎかビッグバンやと思てたのにー! まあとにもかくにもるり先輩を含め人を集めてみんなで海行きましょうよ、海ー! 夏はやっぱり海水浴ですよー! 海の家で食べるフランクフルトは格別に美味しいんですよー! 磯の香りとケチャップの香りと大勢の海水浴客のワキガのニオイが混ざって濃厚な風味を感じるんですよー!」

「うーん、うちは海はちょっとなあ……。山はどう……? 山やったらクラゲも出えへんし海坊主も出えへんし」

「あ、そうかー! きりつ先輩はカナヅチでしたねー! ごめんなさーい! でも登山は確か得意なんですよねー! 富士山の頂上と麓で踏み台昇降ができるレベルでしょー!?」

「富士山を踏み台扱いなんてあかんよ。日本一の山を足蹴にするなんて」

「ごめんなさーい! 今度から足蹴にするのは日本一の踏み台だけにしときまーす!」

「山頂に登ったら例によって宇宙人さんと交信するねん。空気の薄い場所でする宇宙交信は何ものにも代えがたい快感やねん」

「なるほどー! 最近交信先の宇宙人さん、元気なんですかー!? 名前はえーっと、確かンェ゛モ゜ィッァでしたっけー!? なんて読むのか知りませんけどー! ングラライ空港と同じくらいすごい名前ですねー!」

「元気やで。この前自宅で交信したら柱にヒビを入れて日本語でメッセージ書いて来た。ちなみに柱は弁償してくれへんかった」

「なんて書いてあったんですかー!? 『ここで立ちションするな』ですかー!?」

「カタカナで、『イツカソコヘイクカラマッテロ』」

「なんか怖いー! カタカナなのが怖いー! せめてアラビア数字で書いてほしいー!」

「ハタフチャンの胃の中のイトトンボ、コレラ君は元気なん? 今日も胃酸に負けずに活動中? あっ、もしかして水酸化ナトリウム水溶液でも飲んで中和してあげてるん?」

「コレラ君は相変わらずですよー! 中和はしなくても彼は大丈夫ですよー! それにはたふは普通の体してますから水酸化ナトリウム水溶液なんて飲めませんよー! ほら、お腹見てくださいよー! あちこちがボコボコ膨らむでしょー! この前なんてヘソから顔だけ出してたから、慌てて指で押し込みましたよー!」

「おー、すごい。なんか病気みたい。ああ、でも海で思い出したけど、スイカ割りはしたいなあ。スイカ割りは夏の風物詩やからね。いや、スイカ割りするかどうかはともかくとしてスイカ食べたいなあ。うちは例によってキュウリまるごと縦にして飲んだりしてるだけやからなあ」

 話が弾んでるようやから、あたしも混ぜてもらお。

「亀率ちゃん、旗布ちゃん、こんにちは。スイカも輪切りに限る」

「あ、アケモチャン。スイカを載せておく輪は輪投げの輪として転用するに限る」

「あー! あけも先輩ー! スイカは輪島塗りに限るー!」

「楽しそうにお話してるやん。激写したくなるほどやん」

 するとそこへ見知らぬお嬢ちゃんが現れた。これまたお嬢ちゃんとしか言いようのないお嬢ちゃんや。

「おねーちゃんたちー、そこどいてー」

 亀率ちゃんと旗布ちゃんがブランコを占拠してるので、ご不満のようや。

「あ、ごめんなあ。はい、どうぞ。乗ってええよ」

 と、すぐさま亀率ちゃんが立ち上がった。子供にも優しい亀率ちゃん、やっぱり天使やな。ますますファンになりそう。続いて旗布ちゃんが、

「ついでにはたふも譲るよー! はたふ、他の遊びやろうと思てたとこやからー! そのかわり、せっかく二つも譲るんやから、二天一流のごときなんらかのものを目指してやー! はたふの話のネタにするからー!」

 旗布ちゃんもブランコから離れた。ところがお嬢ちゃんは、

「のってあそぶんとちゃうよー」

 ……え? 乗らへんとすると……ブランコをどうする気なんや? 撤去か? そんなことを考えてるとお嬢ちゃんは、

「いまからやるのはあやとりやからー」

「……今からやるのはあやとり?」

 と、あたしが思わずオウム返し。するとお嬢ちゃんは、目を見張るような凄まじい勢いで二つのブランコの鎖、計四本をどうこうし始めた。そして目にも留まらぬ早ワザで、何かを形づくっていく。あたしは驚愕し、

「ちょっと、そんなに激しくやったら危ないで! 指はさんだりするで! わかりやすく言うと、ハンドのフィンガーがデンジャラスやで!」

 あたしの注意にも耳を貸さず、お嬢ちゃんは早ワザのスピードをグングン上げる。そして。

 そこには通天閣の雄々しい姿が、鎖のあやとりで完成されていた。

 あたしが雄々しい通天閣に見とれてるうちに、お嬢ちゃんはどこかへ消えていた。最近のお嬢ちゃんは一筋縄ではいかへんようなものごっついお嬢ちゃんなんやなあ。亀率ちゃんはにこやかな笑顔で、

「元気な子やったねえ」

 今の度肝を抜くような光景を目撃した直後にしては普通すぎる感想やな。

 あれ? 気づけば旗布ちゃんがおらへんやないか。あたりを見回すと、滑り台でなんかやってるし。また何かろくでもないことを? あたしは恐る恐る、

「は、旗布ちゃん、何を……してんの? ろくでもないこと?」

「滑り台の斜面にバナナの皮を敷き詰めてるんですよー! こうすればより滑りやすくなるでしょー!」

「そんなんしたら滑ったあとお尻が汚れるやん……。『バナナうんち』ってあだ名をつけられるやん……」

 ツッコミのあとふと見ると、いつの間にか滑り台から少し離れた場所に亀率ちゃんがいて、

「あ、これ懐かしいなあ……」

 懐かしがってるみたいや。その対象は……球状でぐるぐると回転させるタイプのジャングルジム。確か正式名称はグローブジャングルやったっけ。遠い目をした亀率ちゃんが、

「アケモチャン、うちつかまるから、回してくれへん? 童心に返ってみたいねん」

「うん、ええよ。ほな、その次はあたしが回される番ね。あたしも童心に返りたい。こむら返り並みに」

 亀率ちゃんがグローブジャングルにつかまる。あたしは腕に力を込め、グローブジャングルを回す。

「アケモチャン、もっと!」

 もっと回す。

「アケモチャン、もっともっと!」

 もっともっと回す。

「アケモチャン、お願い、もっと激しくう!!」

 もっと激しくう回す。……あれ?

「ヤバいヤバいヤバい亀率ちゃん!! 遊具が、遊具が、ネジみたいに地面にどんどん埋まっていってる!!」

「あああああああああ、おもしろおおおおおおい!!」

「面白がってる場合やないよ! なんか勢いつきすぎて止められそうにないから、飛び降りて! せやないと、またあのときみたいに地中深く埋まるよ!? しかも今はあのときと違って亀率ちゃん、体が脆弱になってるんやろ!? また入院するハメになるよ!」


 結局亀率ちゃんは遊具とともに埋没した。旗布ちゃんといっしょに必死の形相で引き揚げた。引き揚げられた亀率ちゃんは、

「ごめんなあ、二人とも。うち、今度は全身の骨の形状がグローブジャングルになってしもた。再び入院して来るわ」


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コメディー小説『アッケラカンサッパリカン』


第十四話 部室で


 八月のある日。当然ながら夏休み中。あたしは酷暑に顔を歪めながら学校へと向かってる。ついでに陽炎のために眼前の風景まで歪んでる。いっそのこと宇宙の大局的構造も歪んでしもたらええねん。で、なんで夏季休暇中に登校してるかと言うと、今日は園芸部のミーティングがあるから。文化祭当日に廊下にズラリと並べる植物を、ラフレシアとマンドラゴラのどちらにするかを議論する予定。侃々諤々と口角泡を飛ばして汗水垂らしてそれ以外の分泌物も分泌して論争する予定。

 おっと。またまた、校門の前に和江ちゃんが立ってる。夏休みやのに。部活動のために登校して来た生徒の持ちもの検査か? 今度はいよいよ誰かの頭の中身を調べるつもりか? それともDNAの塩基配列を調べるつもりか? そんなゲスの勘繰りをしていると和江ちゃんが、

「あ、亜景藻さん、おはよう。今日は何? 部活? それとも長期休暇を利用して学校のトイレを心ゆくまで堪能するつもり? 学校のトイレに酔いしれるつもり?」

「前者。後者のトイレに関しては普段からそれなりに堪能してそれ相応の成果を上げてるから大丈夫。それよりもこんな炎天下で何してんの? また例の過剰な持ち物検査? 今度は足の裏とか眼球の裏まで調べるつもり? 月の裏側まで観測するつもり? 開頭手術とか眼球のえぐり出しとか、和江ちゃんてもしかしてスプラッター趣味?」

「神聖な持ちもの検査をスプラッター扱いするとは。ほな、解剖学者はみんなスプラッター趣味か? 医者はみんなスプラッター趣味か? めざし職人はみんなスプラッター趣味か? 消防士はみんなスプリンクラー趣味か? 今日は持ち物検査の日やないよ。服装チェックの日や。服装はその人の人格を映す鏡やからね。巫女装束は信心深い態度を表し、メイド服は献身的な態度、ネコミミはキメラ的な態度……」

「ネコミミって服装なん? 服装やなくて……んーと、補聴器の類やろ。あ、全然ちゃうか。それよりも、服装チェックて、やっぱり長期休暇中やのに風紀委員活動してるわけ? うだるような暑さの中ご苦労さんやね。熱中症になるよ? あるいは汗クサくなるよ? もしくは汗クサい熱中症患者になるよ?」

「魚クサい熱帯魚マニアになるよりマシ。わたしは平日であろうと土日であろうと夏休み中であろうとバケツをひっくり返したような雨の日であろうと仏滅であろうと毎日校内を巡回してるからね。ちなみにそのバケツは青いポリエチレン製やなくて、『防火用』って書いてある赤いトタンのバケツ。もしわたしの警邏がなかったら、今ごろきっとこの学校は阿鼻叫喚および死屍累々の見るも無残な惨状になってたで。校門から一歩足を踏み入れただけで血だるまにされるようなおぞましい犯罪の温床になってたに違いないわ。こそこそと煙草吸ってる人がおらへんかとか、こそこそと教室の黒板消し盗んでる人がおらへんかとか、こそこそと廊下を走ってる人がおらへんかとか、見回ってチェックしてんねん」

「すごいなあ。熱心やなあ。ひたむきやなあ。でも、こそこそと走るのって難しくない? 忍者か? で、誰か素行の悪いけしからん人は見つかったん?」

「うーん……。こそこそと教室の掃除をしてる人とか、こそこそと花壇の手入れをしてる人とか、こそこそとわたしのカバンの上に『風紀委員さん、いつもお疲れ様です』って書いたメモを置いて行く人はいたけどな」

「メッチャええ学校やん……。天下泰平やん……。あたしもう涙出るわ……」

「さてさて、亜景藻さん。服装は大丈夫かな? 誰かに引き裂かれてへんかな?」

「大丈夫も何も、普通に制服着てるだけやけど。アクセサリーもつけてへんし。靴も学校指定のものやし。腕時計も学校指定の五百気圧防水やし」

「スカートの丈は大丈夫かな? ちゃんと測量士に測ってもろてる?」

「スカート丈なんて校則で決まってたっけ? 測量士って女子高生のスカート測る資格も有してるん? 受験者殺到しそうやな」

「校則では決まってへんけど、そうやなあ……妥当な長さは、ヒザ下百メートルくらいかな」

「スカート地中深く埋めりゃあええんですか」

「やっぱりヒザ上三万五千キロくらいかな」

「人工衛星にスカートかぶせとけばええんですか」

「もしくはヒザ上百億光年」

「宇宙開発の一環としてはるか遠くの銀河にスカートを?」

 そこへ旗布ちゃんがやって来た。枕を小ワキに抱え、パジャマ姿で、裸足。そして旗布ちゃんと和江ちゃんの熱きバトルが始まった。この暑い日に。

「あけも先輩とかずえ先輩ー! はたふでーす! うぎゃあああああ、アスファルトが熱くて熱くて足の裏がヤケドしそうですー! そんなことよりもかずえ先輩ー! あのときの手術はすこぶるズサンやったみたいで、いまだにお腹がときどき痛むんですよー! 勘弁してくださいよー!」

「ああ、あれね。ごめんごめん。そんなことより、そのカッコはなんなん? 校則違反やないか。校則はこの世で最も尊ぶべきものやってこと、理解してる? ハッキリ言うて三丁目のクワバラ家の家訓よりも尊いで!」

「えっと、このカッコはですねー、パジャマですよー! 寝巻きですよー! ネグリジェよりマシでしょー! 木にぶら下げたハンモックに寝転がった状態で木ごと運ばれて来るよりはマシでしょー!」

「パジャマで登校するのは校則違反や。たとえ長期休暇中であっても制服で登校することが定められてるやろ。家で着替えて来るか、もしくは校則上の学校指定制服をそのパジャマにしてみせなさい。二枚貝の校長先生と直談判して」

「はたふ、今日から演劇部の合宿なんですよー! つまり今日から学校に寝泊まりするわけなんですよー! せやからパジャマなんですよー!」

「いきなり寝る気満々やないか。さっさと帰って制服に着替えておいで」

「ちゃいますよー! いきなり寝る気満々やないですよー! いきなり枕投げをする気満々なんですよー! ほな、さよならー! おやすみなさーい!」

 旗布ちゃんは全力疾走で校舎の中へと逃げてしもた。……おやすみなさい? 和江ちゃんは新種の苦虫を噛みつぶしたような顔をして、

「……しゃあないなあ。あとで校内巡回してるときに見つけたら、しっかり灸を据えとかな。裸足みたいやから、廊下のあちこちに画びょう撒いとこかな。悲鳴が聞こえたらすぐに駆けつけて捕獲しよ。もし逆らったら、あの枕の中のそばがらを、全部アスファルトの上で干からびたミミズにこっそり変えといたる」

 画びょうって、痛そうな捕獲作戦やな。どれくらい痛そうかと言うと、山の中で凶暴なヒグマに襲われて、あの鋭い爪のある前足でインフルエンザ予防接種の注射を打たれるくらいに痛そう。痛そうな捕獲作戦を聞いて、あたしも古株の苦虫を噛みつぶしたような顔をして、

「コラコラ、そういう好戦的な態度はあかんよ。平和的に解決しよ。日本人なんやから。画びょうなんて、あかんよ。ケガするやん」

「風紀委員は風紀のためやったら何をやっても許されるんや。大体わたしは人を罰したり人に命令したりするときの目くるめくような快感を味わうためだけに風紀委員になったんやし、思う存分堪能せなあかん」

「キミ、風紀委員の立場を利用してるだけやろ。二言目には校則がどうとか言うけど、ホンマは校則の内容なんてどうでもよくて、それにかこつけて支配欲にも似た欲求を満たしてるだけやろ」

「もちろん」


 あたしが園芸部部室に入ると、そこにはすでに部長(女子)と部員五人(全員女子)と見知らぬおっちゃん三十五人(全員逆立ちしたまま微動だにせえへん)がいた。適当にみんなで談笑したあと、ミーティングが始まった。

「えー、文化祭の話なんやけど、部長のあたしとしてはやっぱりマンドラ……」

 ガチャーン!!

 部室の廊下側の窓ガラスが割れ、室内に枕が飛び込んで来た。そしてその直後、ドアから旗布ちゃんが飛び込んで来る。

「すみませーん! 枕拾わせてくださーい! おっと、裸足やからガラスの破片が超危険ー!! まあすでになぜか廊下にバラ撒かれてた画びょうを十五個も踏んでますけどねー!」

 ……どこで枕投げしとんねん。あたしは旗布ちゃんの手当てをしてあげた。


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コメディー小説『アッケラカンサッパリカン』


第十五話 廊下で


 八月のある日。当然ながら夏休み中。今日もまた学校で園芸部のミーティング。さっきお開きになって、今家に帰ろうと校内の廊下を歩いてるとこ。それにしてもさっきトイレ入ったらトイレットペーパーホルダーに輪切りパイン十数枚がギッチリとセットしてあったけど、あれなんやったんやろ。厠の不浄が清浄と化す功徳で知られる密教の烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)が、トイレ愛好家にして輪切りパインフリークであるあたしに与えてくれたサプライズ? ま、さすがにそのパインは衛生面が心配で食べへんかったけどな。誰かが拭いた形跡もあったし。と、そこへ、天文部の部室から和江ちゃんが出て来た。

「あ、和江ちゃん。毎日暑いねえ。また疑うことを知らん純粋培養された天文部の人たちにウソ八百を吹き込んでパニックに陥れてたん? 悪趣味やなあ」

「うん。ビッグバンは静電気やでって舌鋒鋭く主張しておいた」

「静電気か。今が冬やったらパニックどころか大パニックになってたかもね」

「あと、新聞部部室の室名板の文字をこっそり新聞部から鍋敷き部に変えておいた」

「鍋か。今が冬やったらいちばん重宝される部になってたかもね」

「あと、化学部の部室で丸底フラスコと三角フラスコを無理矢理串刺しにして『ほらほら、これこれ。おでんの卵とコンニャク』とかやってた」

「おでんか。今が冬やったら二番目に重宝される部になってたかもね」

「それより旗布さんの姿見てへん?」

「見てへんけど、旗布ちゃんまた学校に来てるん? 合宿はとうの昔に終わったんちゃうん?」

「最近独りで校内を徘徊しながら演劇の練習してるみたい。で、今日は彼女、独りで許可なく演劇の練習に体育館を利用して、あまつさえ許可なく体育館内で演劇用の小道具として反物質のカタマリを用いたら、物質である体育館と反物質のカタマリが反応して体育館が跡形もなく消え去ったようなんですわ、これがまた。その件でちょっと拷問……いやおしおきしようと思て」

 あたしは慌ててここ三階廊下の窓から体育館のほうを見下ろしてみた。体育館は……影も形もなかった。一音節で表せば、無。

「ホンマになくなってるやん! それで、旗布ちゃんは無事なん!?」

「うん、平穏無事。目撃者によれば、命に別状がないどころか、体育館が消え失せても土台の上で直立不動のままお陽様のような笑顔を浮かべてたらしい。陽焼け止めクリームといっしょに反物質止めクリームを全身に塗ってたから大丈夫やったらしい」

「それはよかった」

「ところがどっこい。髪の毛にも衣服にもネコミミにもまんべんなく塗ってたのに、本来の耳だけは塗るのを忘れてて、両耳とも消えたとか」

「耳なし芳一さんですか!? そ、それでどうなったん!? 血が出た!? 治療は!?」

「ウソ、ウソ。耳にもちゃんと塗ってたらしいよ」

「それはよかった」


 あたしが和江ちゃんと別れて再び三階廊下を歩いてると、体育館を消滅させた張本人、旗布ちゃんとバッタリ出会った。

「あけも先輩ー! お久しぶりですー! はたふは元気いっぱい生存中ですー!」

「旗布ちゃん、体育館消滅の件聞いたで。あんまり危険なことはやったらあかんよ」

「大丈夫ですよー! 鼻クソや耳クソにはクリーム塗ってなかったから、あの事故のあと鼻と耳の中がスッキリしましたー!」

「それはよかった」

「今日もちゃんと全身にクリーム塗ってますよー! で、これが反物質のカタマリでーす! 欲しいですかー!?」

 旗布ちゃんがカバンから直径十センチくらいのヘンなカタマリを取り出した。

「わっ!! そんなもんいらんよ! 危ないやんか! こっちに放り投げたりせんといてや!」

「最近はたふ、反物質ダイエットしてるんですよー! 反物質止めクリームを大量に飲み込んで胃や腸にクリームの被膜をつくって、それから食事して、最後に反物質のカタマリを飲み込むんですー! 食べたものが跡形もなく消え去るんですよー!」

「世界一危険なダイエット法ちゃうかな……って、胃の中で飼うてるイトトンボのコレラ君は大丈夫やったん!?」

「その点を失念してて、お亡くなりにー! 反省しておりますー!」

「ああああ……コレラ君……」

「うわー!」

 そのとき、旗布ちゃんが手を滑らせて反物質のカタマリを落とした。あまりの事態にあたしは、

「きゃあああああ!?」

 あたしの悲鳴の中、旗布ちゃんの足もとの床に直径十センチくらいの穴が開いた。恐る恐るその穴を覗き込んでみると、二階廊下の床にも同じように直径十センチくらいの穴が開いてるのが見えた。カタマリはさらに下へ行ったみたいや。あたしは冷や汗をかきながら、

「うわー、こんな直径十センチくらいの穴開けてしもて。絶対和江ちゃんや先生たちに怒られるで。とりあえず、一階の廊下も見に行こ」


 二人で一階に来ると、やはり廊下に直径十センチくらいの穴が。覗き込むと、下の地面にも直径十センチくらいの穴が。どうやらカタマリは地面の中へと突き進んで行ったようで、穴の底は見えへん。これはかなり深いと思われる。あたしはその直径十センチくらいの穴を覗き込みながら、

「どこまで続いてるんやろ、地面の直径十センチくらいの穴」

「多分、アセノスフェアあたりまでですよー!」

 旗布ちゃんが答えた直後、大宿先生が現れた。

「古路石に宛塚やないか。それ、お前らの仕業か? 大変なことをしてくれたな、ボケどもが! しばくぞ! あるいは縛るぞ!」

 真っ赤な顔の大宿先生がウォッカをあおりながら恫喝した。それに対して旗布ちゃんは、

「そうですねー! まあ、はたふにも責任がないとは言い切れませんねー!」

「旗布ちゃん、ちょっと待ってよ! 全部キミのせいやん!」

 しかし、このままやと先輩のあたしが責任をとらされそうな気も。大宿先生はゲップを一つしてから、

「とにかくお前ら人間のクズどもはどうやって責任とるつもりや、アホンダラ!」

 真っ赤な顔で罵倒する大宿先生。真っ赤な顔が激昂のせいなのか酩酊のせいなのかは不明や。あたしは思案しつつ、

「えーと、とりあえずはホームセンターに行って……」

 あたしに責任はないけど、一応解決策を口にしてみる。これくらいの被害やったら、施工業者に頼まんでもDIYでなんとかなるんとちゃうかな。というわけで、修繕に必要な材料を買うて来なあかんわけや。

「ドアホ! お前ら、知らんのか。穴が開いただけやない。もっとエラいことになってんねんぞ。さっき風紀委員の平瀬が報告しに来たんや。その穴に肩幅が十センチくらいの細っそい細っそい女子が落ちたらしい」

 大宿先生が衝撃の事実を発表した。

「うえー!? マジですかー!?」

「ホ、ホンマですか!?」

 これで落ちたのが亀率ちゃんやったら平穏無事やったやろけど、ごくノーマルな人が落ちたんか……!

「えーと、落ちたヤツの名前は、平瀬によれば確か……西村(にしむら)や。古路石の隣のクラスの西村」

 ああ、あの耳かきとして重宝できそうなくらいスマートな西村さんか!

「どないするつもりやお前らどないするつもりやお前ら! これは大事故やぞ! 俺はクソ西村のことなんかどうでもええけど、このことが公になったらこの学校は危険な直径十センチくらいの穴が開いててそこに生徒が落ちる札つきの悪名高い大事故推奨校と化して、あまつさえ全校生徒および全教職員の鼻の穴の平均サイズも直径十センチくらいあって気持ち悪いとか根も葉もない報道されて、結局そこに勤務してる俺にまで風評被害が及ぶやないかコラ! お前ら二人でなんとか事態を収束させろや! 死亡事故だけは避けろよ! もう死んでるかも知れへんけど、その場合は生き返らせろ! 俺としては基本的にはクソ西村が生きようが死のうが知っちゃこっちゃないけど、今回は俺の沽券に関わるわけやから例外や! 俺は親類縁者には国内屈指の名門校で人気教師をやってるって豪語してるんやからな!」

 大宿先生、生徒の命はどうでもええんか!?

「はたふが責任持って救助しますー! なんとかなりますよー! ちょっとだけ待っててくださーい! すぐ戻りますからー!」

 旗布ちゃんはそう宣言すると、どこかへ走って行き、姿を消した。

「おい、古路石。宛塚のヤツ、逃げるつもりとちゃうか」

 大宿先生がいぶかしむが、旗布ちゃんは三秒ほどで戻って来た。

「これ、あっちの倉庫にあったロープですー! これで引き揚げましょー!」

 旗布ちゃんの手にはかなりの長さがありそうなロープが。

「いやいや旗布ちゃん、それよりもやっぱり、さっさと百十九番しよ!」

 あたしが提案した。いや、提案も何も、この状況やと百十九番するのが当たり前やないか。ロープがちゃんと下に届いたとしても、素人が引き揚げてる途中で西村さんがまた落ちたらエラいことやし。医者の手当てが必要なケガもしてるかも知れへんし。ここはやっぱり、プロに任せたほうが……!

「おい、古路石! お前、究極のアホか! 何が百十九番や! 公になったらマズい言うてるやろ!」

「あ、うう、いや、しかし」

 今も西村さんは苦痛にあえいでるかも知れへんし、確実な方法をとったほうがええに決まってる。ううううう、西村さんのことを思うと気が気ではない。

「そうや! お前ら、ちょっと聞け! 幸い、深そうな穴に落ちてくれよったんや! このまま埋めてまえ! 落ちたこと自体なかったことにするんや! そうすれば行方不明扱いに……」

「大宿先生、それでも人間ですか!?」

 あたしは大宿先生の発言にはらわたが煮えくり返ってきた。それでもホモ・サピエンスか。

「やかましいわ、このモリアオガエル!」

「あたしは人間です!」

 一方旗布ちゃんは、ロープを穴に垂らし始めた。

「そんなんで助かるかボケ! せめてロープの先にミミズでも付けたら食いつくかも知れへんけどな!」

 そんな大宿先生の言葉に呆れながらあたしは、

「大宿先生、釣りやないんですから! 西村さんは哺乳類ですよ! 先生、百十九番させてください! お願いですから!」

 あたしは大宿先生の前で手を合わせて頼み込んだ。

「やかましいいわ、この赤血球!」

「あたしは血肉です!」

 そのとき、旗布ちゃんが、「あー!」と声を漏らした。

「どうしたん、旗布ちゃん」

「なんやねん、宛塚」

 旗布ちゃんは穴からこちらへと視線を移し、

「ほらほらー! 穴の奥深くから、声が聞こえて来ますよー!」

 え!? あたしは耳を澄ませてみた。穴からは……。

「……ミミズはイヤ……! ……あたし、ミミズは大の苦手やねん……! ……クモもゴキブリもタイノエも苦手やから却下……! ……今ロープはギリギリ手が届く距離まで到達してるけど、ミミズやクモやゴキブリやタイノエ以外のものを付けてからもっかい垂らして……! ……ちゃんとゲテモノ愛好家以外でも食べられるものを……!!」

 ……確かに、そう聞こえた。よかった! 西村さんは生きてる! しかも元気そうや! あたしはしゃがんで、穴に向かってありったけの声で、

「にいいいいいしいいいいいむうううううらあああああさあああああん!! 元気いいいいいいいいいいいいいいい!? ケガはあああああああああああああああ!?」

「……無傷やでえええええええええええええええ……!!」

 ホッとした。西村さんも亀率ちゃん並みの傷のできにくさやな。あたしのかたわらで旗布ちゃんはポーチをゴソゴソと掻き回しながら、

「ほなラムネ一粒をロープの先に付けて垂らしてみますわー!」

 旗布ちゃんはポーチから取り出したラムネ一粒を、ロープの先にテープで貼りつけ、穴の中に垂らした。

 ……反応なし。

 次は大宿先生の股にはさまってるタコ焼き一個を、旗布ちゃんが同じようにして垂らした。大宿先生、股に青ノリ付いてる。

 ……反応なし。

 次はたまたま廊下に落ちてたフォアグラのソテーを、旗布ちゃんが同じようにして垂らした。

 ……反応なし。

 次はどこからともなく姿を現した最高級マツタケ(生)一本を、旗布ちゃんが同じようにして垂らした。

「あー! あけも先輩、おおやど先生、来ましたよー! 来た来た来た来たー! 最高級マツタケ(生)で釣れたみたいですよー!」

 手応えがあったみたいや! 三人で引き揚げる。

 そして、ロープの先を最高級マツタケ(生)ごとワイルドにくわえた細っそい細っそい西村さん(生)が、穴から姿を現した。あ、後者の「生(せい)」は生きてるってことね。まあ、ナマでもええけど。

「いんああいあおう」

 最高級マツタケ(生)くわえてるから西村さん(生)が何言うてるかわからん。多分「みんなありがとう」やと思うけど、インアアイア王という王様がどっかの国にいてるのかも知れへん。

 そのときやった。旗布ちゃんが大声で、

「なんやねんこれはー! 釣れたの、人間やーん! どう見ても魚ちゃうやーん! 残念やー!」

 残念がりながら旗布ちゃんは、西村さん(生)を再び穴の中へと振り落とした。

「ちょっ……!? 旗布ちゃん、何やってんの!? キミ、頭がものすごく悪いの!?」

 あたしは直径十センチくらいの穴の底から……いや、心の底から呆れた。

「あ、しもたー! はたふ、魚釣りしてる最中と勘違いしてたー!」

「いや旗布ちゃん、わざとやろ!?」

「もちろんわざとですよー! それにしてもあけも先輩は心配性ですねー! 一回落ちて大丈夫やったんやから、二回落ちてもどうせ大丈夫ですってー!」

「それはよかった」

 ふと横を見ると、泥酔した大宿先生が寝てた。


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コメディー小説『アッケラカンサッパリカン』


第十六話 ポスト前で


 懸賞に応募すべくハガキ片手に家を出て、ポストのある場所までやって来たわけやけど、この暑い中、このミンミンゼミの大合唱の中、二人の大人がポストの真ん前で押し問答のようなことをしてる。片方は……いつぞやの福引会場の長谷場さん。長谷場さんは推定年齢五十五歳やのに、あろうことかセーラー服姿や。そう言や福引のとき、小躍りして「これで大手を振ってセーラー服姿で外を歩ける」とかなんとか言うてたっけ。まあそういう趣味なんやろな。もう片方の人は、この暑い中、このミンミンゼミの大合唱の中、メッチャ暑苦しそうなクロサイの着ぐるみを着てる。お腹のところに「Q.これはクロサイの着ぐるみですか? A.そうです Q.クロサイの着ぐるみってあまり可愛くないですよね? A.やかましいわ」ってわざわざFAQ形式で書いてあるから、それがクロサイってことがわかった。

 そのとき、クロサイの人が着ぐるみの頭部を脱いだ。汗だくのその顔は……大阪檀松馬病院の脳神経外科医、奴留湯先生やないか。奴留湯先生は以前会うたときは喪服姿やったけど、今日はクロサイ姿か。ホンマに黒には目がないんやなあ。何かにビックリしたときも目を黒々(くろくろ)させるんやろなあ。しかしながら、相も変わらず鼻の穴だけは白い。例の量子論的な熱輻射のせいや。本人いわく、「まがりなりにも才色兼備で文武両道で天下無双の大天才医師であるあたしでさえ、量子論の摂理に抗う術はない」。

 あたしは二人から二メートルほどの距離まで接近するが、二人とも鬼気迫る表情でいがみ合いに夢中であり、いっこうにこちらに気づく様子がない。このままやと、二人が障害になってハガキが入れられへんやないか。あたしは閉口した。それにしても何を言い争ってるんやろ? あたしは長谷場さんの低い声に耳を傾けてみた。

「……順番は守ってください。大宇宙の秩序を乱さんといてください」

 長谷場さんが奴留湯先生を睥睨しつつ毅然と言い放った。一方、

「ああん? 順番守れやと? 何を言うとんねんコラ。大宇宙の秩序はわかるけど、順番てなんや、順番て。あたし奴留湯様が先に投函しようとしたんやないか。ええ加減にせえよ、コラ」

 奴留湯先生も居丈高に発言する。

「そちらこそ何言うてるんですか。先にこの場所にたどり着いてたパイオニアは他ならぬわたしですよ」

「それのどこがパイオニアや。あたし奴留湯様はあんたがポストの前でモタついてるから、先に投函させてもらおうとしたまでや。それ以上でもそれ以下でもないわ。そこを腕つかまれて阻止されたわけや。三億を軽く超える数の銃弾を摘出してきたあたし奴留湯様の神聖な腕を、初老のオバハンのクソの役にも立たへん汚らわしい手でつかまれたわけや」

「モタついてたですって? あれは一時的にポストの赤さに見とれてただけです。そんな揺れる乙女心のわたしの眼前を、あなたは無言で自らの手によって遮りましたよね。そういう失礼なことをするから、あなたみたいな死に損ないのクソババアの血便の役にも立たへん汚染された腕をわたしはつかんだわけですよ」

「こんなクソポストに目を奪われるあんたが悪い。目を奪われるんやったら、せめて速達用の青いポストに奪われろ。あんたみたいな赤マニアはポスト一般利用者にとって邪魔やねん。あたし奴留湯様みたいな黒マニアとも水と油やろな。うちの病院のゴスロリナースは黒も赤も溺愛してるけど、それは例外やから」

「赤マニアであろうと黒マニアであろうと黄土色マニアであろうと、まっとうな人間やったら順番を守って後ろに並びますよね、社会通念として」

「あんたが頭のてっぺんから足のつま先までオバハンなんは歴然たる事実。それやのにセーラー服なんか着てるあんたに社会通念なんて言葉を使う資格はない」

「そう言うあなたはクロサイの着ぐるみ着てますよね」

「セーラー服は十八まで。クロサイは年齢制限なしや。そういうルールや」

「ご都合主義のあなたがたった今設定した虫のええルールですね」

「はあ? これは全国津々浦々で通用するルールや。知らんのか? 無知やな。ハハハハハハハハ! さてと、さっさとハガキ入れさせてもらうわ」

「やめろやボケイソギンチャク!! わたしが先やて言うてるやろが!!」

「ボ……ボケインキンタムシやと!? え、ええ加減にせえよコラ!! あたし奴留湯様は急いでるんやぞ!! お前みたいな凡人とは違ごて、でっかいでっかい壮大な夢があるんやぞ、あたし奴留湯様には!! 家でホットケーキつくるとか」

「わたしがパイオニアや。それにわたしのほうが年上やろが。社会通念として年上に譲るのは当然のことやろが」

「年下に譲るっちゅう精神はないんか!! 医者に譲るっちゅう精神はないんか!! クロサイに譲るっちゅう精神はないんか!!」

「クロサイって、言うほど黒くないですよね。グレーですよね。シロサイとそんなに変わりませんよね」

「な、なんやと!? シロサイなんてあんなもん、素人のおもちゃやないか!! 玄人やったら迷わずクロサイを選ぶわ!! クロサイこそ一番!!」

「ほなパンもクロワッサンしか食べへんのですか、あなたは」

「クロワッサンは黒くないやろが!!」

「トースターで真っ黒に焦がしたらええやないですか」

「そういう問題ちゃうわ!! それやったらシロサイもシロクマも真っ黒焦げにすりゃええってことになってまうやろが、カス!!」

「どうやってシロサイやシロクマをトースターに入れるんですか」

「何もトースターに入れるとは言うてへんやろが、ボケ!!」

「ほんなら何に入れるんですか。洗濯機ですか」

「洗ってどないすんねん!! 余計真っ白になるやろ!!」

「ほんならクロサイやクロネコやクロコダイルも洗濯したら真っ白になるんですか」

「なるわけないやろ!! あれは汚れて黒くなってるわけやないわ、アホ!!」

「一つツッコみ忘れてますよ。クロコダイルのクロは黒やないですよ。アホなんですか。アホなんですね。アホ医者なんですね」

「アホやと!? あたし奴留湯様は天才医師や!! アホ言うな、アホ!!」

「アホやからアホしか言葉が出て来ないんですね」

「アホ以外も出て来てるやろが、アホ!!」

「アホ以外に何が出て来てるんですか?」

「アホ!! いや、アゴ!! アゴ、アゴ!! ほら、アゴが出て来てるやないか、アホ!! いや、アゴ!!」

「確かにあなたはアゴが出てますね。しゃくれてますね」

「全然しゃくれてへんわ!!」

「しゃくれろ、アホ医者」

「アホ医者言うな!!」

「絶対にイヤや。アホ医者って言うもん。絶対にやめへん。アホ医者、アホ医者」

「やめろおおおおおおおおお!!」

「わかった、やめるわ。アホ医者って言うのやめようかと思たけど、やめるのをやめるわ。アホ医者、アホ医者、ドアホ医者」

「ムッキいいいいいいいいいいいいいいいい!! うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 よし、あたしが颯爽と仲裁するしかない。

「まあまあ、お二人とも」

 すると奴留湯先生がキョトンとして、

「……亜景藻やないか。随分颯爽としてるやん」

 一方、長谷場さんはあたしの顔をまじまじと見つめ、

「あなたは……福引のときにすんでのところで銃弾が食い込むところやった少女」

 あたしはコホンとセキ払いをし、

「お二人とも、何してはるんですか。大人気ないやないですか、ポストの前でケンカやなんて」

 すると奴留湯先生はムッとした表情を見せ、

「このオバハンはともかくとして、あたし奴留湯様は身体も精神も大人やぞ、コラ。第一あたし奴留湯様は医者やぞ、コラ。そもそもポストの前でケンカするのが大人気ないって誰が決めたんや? ポストの後ろやったら大人気なくないんか?」

「いや、そういう意味やなくて……」

 そのとき突然どこからともなく旗布ちゃんが現れた。

「皆さーん! はたふでーす! ポストの前や後ろでケンカするのは大人気ないですけど、ポストの中でケンカするのは大人気なくないですよー!」

 またわけのわからんことを……。奴留湯先生は再びキョトンとして、

「……旗布やないか。随分神出鬼没やん」

 奴留湯先生が旗布ちゃんに微笑みかける。そう言や旗布ちゃんと奴留湯先生も面識あったっけ。あたしは旗布ちゃんに的を射た指摘をすることにした。

「旗布ちゃん、このポストの中に人間が二人以上入ろうと思たら、女児やないと無理やん。女児二人が関の山やん。大人は一人でもキツいやん」

「果たしてそうでしょうかー! さて、ほな実験してみましょー! ポストの中に大人が二人入れるか否かー! そしてポストの中でケンカするのが大人気ないか大人気なくないかー!」

 そして旗布ちゃんは工具(バールか何か)でポストの扉を無理矢理こじ開けた。あたしはギョッとして、

「ちょっと! 旗布ちゃん! 器物損壊で怒鳴られるよ!!」

 注意するが旗布ちゃんは聞かずに、

「ではでは、あみゆ先生とそこのオバサン、二人で入ってくださーい!」

 ……なんぼなんでも、大の大人がそんなアホなことするわけないやん。

「面白そうですね。超特急で入りますわ」

「あたし奴留湯様も医者として中身ってものには興味あるからな。貪欲に入ってみるわ」

 うわっ、二人とも、アホなことをする大の大人や!! あたしは見るに見かねて、

「ちょっと二人とも、やめてくださいよ! みっともない! そんなところに入ること自体が大人気ないってわからへんのですか!? 第一そんな狭いところに大人二人は物理的に入れませんって!!」

 引き止めようとするが、二人は争うようにしてポストに入り込もうとする。

「わたしが先に入るんや! 押すなやボケカブトガニウンコ!」

「医者を優先せえやコラ! 地位に配慮せえやコラ!」

 両者とも先を譲らへん。

「はたふもウズウズしてきたー! はやる気持ちを抑えられへーん! よもやこんなにも楽しそうに見えるとはー! はたふも混ぜてー! 猪突猛進ー!」

 あろうことか旗布ちゃんまで加わる。三人は憑かれたように我先にとポストに自らの体を詰め込もうとする。もうニッチもサッチもいかへん。するとどこからともなく駅員さんが二人やって来て、

「はい、ほな押しまーす!!」

「押しまーす!!」

 二人の駅員が医者と福引屋と女子高生を懸命にポストの中へと押し込む。非常に手際がよい。

「よし!!」

「よし!!」

 三人は奇跡的にかろうじてポスト内に収まった。駅員さんがポストの扉を無理矢理閉める。ポストは発車した。いや、発箱した。ポストは道なき道をゆく。いや、線路なき線路をゆく。一体どこへ向かうんやろ。

 スピードを増して遠ざかって行くポストの中から、大人二人の大人気ない罵声が聞こえて来たが、それもほどなくミンミンゼミの鳴き声の中に埋もれ、やがてポストも視界から姿を消した。

「あのポストはいずこへ……?」

 呆然としながらも、対照的に凛としてる駅員さんたちに尋ねてみた。

「大丈夫です。そのうち鉄道路線と合流しますよ。東京方面へ向かいます」


 その夜。テーブルを囲んで家族といっしょに夕飯を食べてると、テレビから耳を疑うようなニュースが飛び込んで来た。

「……次のニュースです。新幹線とポストが正面衝突するという、奇妙な事故が起きました」

「ブブウウウウウウウウッ!!」

 あたしは思わずご飯と輪切りパインを噴き出した。

「亜景藻、大丈夫? 具合でも悪いん? 痔?」

「どうしたんや、亜景藻。このニュースが文字どおり噴飯ものなんか?」

「うわっ!! お姉ちゃん、汚い!! 心が」

「食べものを粗末にしたら罰が当たるで。ホンマやで」

「食べものを粗末にしたら罰が当たるで。ウソやで」

 あたしへ心配や叱責の言葉をかけたのは、顔面にご飯粒がぶっかかりまくったお母さん、顔面にご飯粒がぶっかかりまくったお父さん、顔面にご飯粒がぶっかかりまくった翔阿(しょうあ)、顔面にご飯粒がぶっかかりまくったお婆ちゃん、顔面にご飯粒がぶっかかりまくったお爺ちゃん。ありゃりゃ、すごい飛び散りようや。あたしはニュースに耳を傾ける。

「……ポストは新幹線と同じ時速二百七十キロほどの速度で線路上を進んでいました。ポスト内に乗っていたのは、大阪市のパート従業員長谷場地十勢さん、医師奴留湯編湯さん、高校生宛塚旗布さんの三人で……」

「ん? ちょっと、亜景藻。宛塚さんって、確かあんたの後輩の……」

 顔面にご飯粒がぶっかかりまくったお母さんが、こちらを向いて言う。

「あ、うん。でも新幹線と衝突って……」

 旗布ちゃんや奴留湯先生の屈託のない笑顔が脳裏に浮かんだ。

「……三人はいずれも軽傷でした」

「軽傷かよ!?」

 あたしは思わずテレビにツッコんだ。


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コメディー小説『アッケラカンサッパリカン』


第十七話 花火大会会場で


 独り寄席に行ったり、独り自宅でヨガをやったり、独り鉄道博物館で鉄道模型を運転したりして過ごす夏休み。ちょっと物足りない、あたし古路石亜景藻の夏休み。

 しかし、今日。あたしが覗くデジカメのファインダーの向こうには、抜けるような蒼穹に映える積乱雲、そして一面のヒマワリ畑。そこに、麦わら帽子をかぶった可憐な少女が一人。亀率ちゃんや。ああ、絵になるなあ。

「アケモチャン、キレイに撮れた? 地縛霊、UFO、ケセランパサラン、ツチノコ、モケーレムベンベ、お歯黒べったり、アトランティス大陸。どれがキレイに写ってる?」

 ……亀率ちゃんは相変わらず天然やな。

「なんで何かが写り込むこと前提なん?」

 あたしがツッコむ。そこへ和江ちゃんが、

「ちゃんとルールは守らなあかんで! UFOとお歯黒べったりは撮影禁止や!」

 和江ちゃんは独断と偏見に基づいてルールを捏造するのが専売特許や。当然疑問を感じたあたしは低い声で、

「他は撮影OKなん?」

「被写体の同意を得られればOK」

「でも心霊写真とかって勝手に写るもんやし、ケセランパサランやツチノコにどうやって同意を……?」

 あたしが誠実にツッコむ。

 今日はあたしと亀率ちゃんと和江ちゃんの三人で隣町まで来てる。このヒマワリ畑の近くで、今晩花火大会が行われるからや。

 亀率ちゃんが舌を巻いたように、

「それにしてもアケモチャンはデジカメなんて、さすが最先端を走ってるなあ」

 あたしはキョトンとして、

「え? 最近はみんなデジカメでしょ」

「いやいや、うちのカメラなんて、これやで」

 亀率ちゃんがカバンから四角い木製の箱を取り出した。

「これって……」

「十九世紀のタゲレオタイプのカメラ」

「価値ありすぎやろ!?」

「昨日までセキセイインコの巣箱として代用してた」

「すんな!! 歴史的価値のある貴重なもんを鳥のクソだらけにすんな!! カメラコレクターもびっくりや!!」

「アケモチャン、せめて鳥のフンって言おうよ」

 一方、和江ちゃんはイーゼルとキャンバスをカバンから取り出し、ヒマワリの写生開始。

「へー、和江ちゃんってそんな趣味もあったんや」

 と、あたしは和江ちゃんの意外な一面に興味を持った。

「ないよ。ただ、この間美術部に乱入したことでちょっと触発されてね。ちなみにキャンバスは平賀源内製作の火浣布で代用。イーゼルは奈良時代の木簡を組み合わせて代用してる」

「すんな!! 歴史的価値のある貴重なもんを絵の具だらけにすんな!! 長屋王もビックリや!! せめてイーゼルは卒塔婆にしなさい!!」

「よし! 描けた!」

「えっ、もう?」

「ヨハネス・フェルメール並みの質感を表現できた! オランダ黄金時代、今ここに再到来! ヒマワリの種の並び方もフィボナッチ数列で黄金比やし、まさに黄金だらけやな! ここに金粉ショーが加われば完璧」

 見てみると、絵ではなく、草書体で「ひまわり」と黒い文字が書かれてるだけ。よう見たら、地面には絵の具ではなく硯が置いてあるやないか。和江ちゃんが手にしてる筆も、書道筆や。

「書道やん。一体質感ってどのへんに存在するんでしょうか」

 あたしが嘆息しながらツッコむ。

「この筆、兼毫筆やねん。なんの毛が使われてると思う?」

「書道用の兼毫筆やったら、イタチとかウマとかちゃうの?」

「ブー。正解は、全国からあたしに寄贈された、使用済みカーペットローラー用テープに付着してた陰毛」

 よう見たら、筆の毛が全部縮れてる。

「……気持ち悪いんですがどうすればよろしいでしょうか」

「よっしゃ、次は版画に挑戦や」

「普通の絵画は?」

「版画が普通やないと? 版画が異常やと? 版画をナメてんの?」

「いやそういうわけでは……」

 そのあとみんな写真や版画にも飽きて、しばらくヒマワリ畑の真ん中でチェスをして過ごした。チェスをするのはやっぱり真夏のヒマワリ畑のど真ん中に限る。


 全然チェックメイトやないのに和江ちゃんがチェックメイトを連呼する中、日はとっぷりと暮れた。

「そろそろ行こか」

 あたしが促し、三人揃ってヒマワリ畑から川原のほうへと移動する。夏休み中の花火大会とあって、大勢の親子連れやカップルが長蛇の列をつくってぞろぞろと道を行く。

 川原に着き、屋台で売られているものを食べながら待機。あたしは氷メロン、亀率ちゃんはわたあめ、和江ちゃんはリンゴ飴や。するとアナウンスが。

「えっと、なんか花火大会する気なくなったから、やめますわ」

 観客たちから一斉にブーイングが起きた。するとわたあめをモグモグしながら亀率ちゃんが、

「えー、残念やなあ。帰ろっか、アケモチャン、カズエチャン」

 亀率ちゃんの受け入れと決断、早っ。そしてリンゴ飴をペロペロしながら和江ちゃんが、

「せやな。よし、寄り道せずに帰ろう、亜景藻さん、亀率さん」

 和江ちゃんもかい。

「キミらいろいろと早いな……」

 ブーイングの中、またアナウンスが。

「ブーイングとか民度低いなお前ら! ヒマでええよな、お前ら! こっちは仕事でやっとんねん! この愚民どもめが! とっとと失せろ、ヒマ人ども! おととい来やがれ、この風邪ウィルスども!」

 そこでアナウンスはブツッと切れた。このアナウンス、また大宿先生やん。そしてブーイングが治まる気配はない。あたしは氷メロンのスプーンストローをいったん氷に突き立てて、

「二人とも、もうちょっと待ってみよ。なんかの拍子で花火上がるかも知れへんし。もののはずみで上がるかも知れへんし。せやから……」

 あたしは二人の説得に成功した。

 数分後、またアナウンスが。

「えーと、お前らに報告。やっぱちょっとやる気出て来たかも知れん」

 今度は観衆から拍手が。

「やるんや。よかったよかった」

「やるならやる、やらへんならやらへんでハッキリしてほしいわ。でもまあよかった」

 などと、亀率ちゃんと和江ちゃんも喜んでるみたいや。

 そして次のアナウンスにあたしは耳を疑った。

「ほな、花火大……いや、肝だめし大会を始めるぞ」

 え? 観衆もどよめく。

「ええか? 肝だめし大会やぞ、お前ら。肝だめしコースはあっちの林道。今日の来場者数は四十万人。肝を試されるのは三人。あとの残りのザコどもは全員脅かし役や! まあ試されるヤツらもザコやけどな! そしてその三人の名は……」

 イヤな予感が……!

「……歪曲太郎(わいきょくたろう)と、スレッカラシ4世と、ゴールデン・W・金歯(きんば)」

 あたしらかと思たのに、全然ちゃうやん!

「……というのはウソで、古路石亜景藻、根本亀率、平瀬和江や」

 やっぱりあたしら! あたしの横で亀率ちゃんと和江ちゃんは、

「肝だめしかあ。やったことないわあ。結構楽しそう」

「わたしもないわ。今日は経験させてもらお」

 せやから亀率ちゃんと和江ちゃんは受け入れと決断早すぎるやろ……。


 十分後。

 そこには、四十万人の老若男女に取り囲まれる女子高生三人の姿が。あたしらである。四十万人は、口々に「コラア!!」「オンドリャア!!」などと叫んであたしらを脅してる。亀率ちゃんは喜色満面であたしに対して、

「これが肝だめしかあ。やったことなかったけど、結構楽しいやん」

「ちゃうから! 亀率ちゃん、こんなん平均的な肝だめしからは遠くかけ離れてるから! 雲泥の差やから! それに楽しくないし!」

 亀率ちゃんの感性に厳重注意する。一方、和江ちゃんは珍しく血の気が引いた様子で、

「肝だめしって、結構怖いやん……。わたし、ちょっと甘く見てたかも知れへん……。タカをくくってたわ、わたし……」

「ちゃうから! 和江ちゃん、今のこの状況における怖さって、本来の肝だめしの怖さとはまったくの別ものやから!」

 和江ちゃんにも厳重注意する。

 大宿先生はさっきのアナウンスのあと、帰宅したらしい。


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第十八話 浴室で


 お風呂の時間。浴室。頭を洗おうとシャンプーの容器のボタンを押すと、あろうことかやや離れたところに置いてあるリンスの容器からリンスが出た。ノズルから出て来たリンスは実にけしからんことに、そのままお風呂場の床にベチャっと落ちた。なんちゅう目も当てられへん惨状や。地獄絵図や。

「シャンプーのほうを押したのに……」

 再度試みよう。シャンプーの容器のボタンを押す。するとやはり、リンスの容器からリンスが出た。シャンプーとリンスが共謀し、消費者に反旗を翻してる!?

「……しからば」

 おもむろにリンスの容器のボタンを押してみる。思たとおりや。案の定、シャンプーの容器からシャンプーが出た。シャンプーは、そのままお風呂場の床にベチャっと落ちる。両刀使いを余儀なくされたあたしは、リンスの容器のボタンに右手を添え、シャンプーの容器のノズルの下に左手を出す。そして一呼吸置いてから、リンスの容器のボタンを押した。普通にリンスの容器からリンスが出た。そしてそのままお風呂場の床にベチャっと落ちる。

「ぬがああああああああああああ!! そっちがその気やったら、こっちにも考えがある。エイ!」

 両手を使い、多少荒っぽい手つきで、同時に両方の容器のボタンを押してやった。すると、両方とも出たが、両方ともそのままお風呂場の床にベチャっと落ちた。

「そ、そうか……。両手で押したら、肝心かなめの受け止める手があらへんやん……」

 ここは狡猾に策を講じる必要がある。うーむ……。作戦その一。両手を使こて両方を押し、口で受け止めるってのはどうか? ……いや、マズそうや。マズいのはイヤや。それに、口から出したもので頭を洗いたくない。うーむ……。作戦その二。手をもう一本、体に付け足すってのはどうか。……いや、これは手術代が高そうや。今おカネあんまり持ってへんからなあ。うーむ……。作戦その三。両手を使こて両方を押し、誰かに受け止めてもらうってのはどうか? たとえば、亀率ちゃんとか。……き、き、き、き、き、き、き、き、亀率ちゃんといっしょにお風呂おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!? こ、こ、こ、こ、こ、こ、こ、こ、心の準備が無理いいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!! こ、こ、こ、こ、こ、こ、こ、こ、コサックダンスうううううううううううううううううううう!! あたしは浴室で五分ほどコサックダンスを踊った。

 そして作戦がまとまった。あたしは両方の容器のノズルの下に、それぞれ右手と左手を出した。そして、ただ、待つ。受け身の秘術、ザ・モラトリアム二刀流。

 ……いっこうに出えへん。容器に向かって両手を差し出したまま三十分の時が流れたが、いっこうに出る気配がない。ま、能動的に働きかけても失敗したんやから、受け身の姿勢で都合よく成功するわけないか。しびれを切らして、手を下ろした。その途端、両方出た。ムカっ腹が立ったので、石鹸で頭を洗うことにした。


 お風呂から上がって居間のテーブルで牛乳を飲んでると、翔阿が寄って来て、

「お姉ちゃん、お風呂場で何かおかしなこと起きへんかった? あたし、夕方に入ったとき、明らかにおかしなことが起きたんやけど」

「え!? う、うん、あたしにもおかしなこと、起きたよ」

 翔阿には何があったんやろ。もし翔阿にもあたしと同じことが起きてたら、あの腹立つ出来事はあたしの幻覚やなかったってことやな。胸を撫で下ろしたような表情で翔阿が、

「あ、そうなんや! いやー、あたしだけかと思てたけど、あれって誰にでも起きることなんやねー」

「いや、体験した内容が同じかどうかは、まだわからんやろ」

「あ、そうか」

「で、翔阿は何があったん?」

「シャンプーを出そうとシャンプーの容器のボタンを押したら……」

 同じか!

「……鼻からシャンプーが出た」

「え……。それ、通常の鼻水やろ?」

「いや、ニオイとか手触りとか泡立ちとか味とかいろいろ調べたけど、完全にシャンプーやった」

「…………」

「で、それ使こた」

「使こたんかい……」

「で、リンスを出そうとリンスの容器のボタンを押したら……」

「もしかして、耳からリンスが出た?」

「いや、リンスの容器から……」

「ま、まさか鼻水が!?」

「リンスの容器からバーナーみたいに火炎が」

「危なっ!!」

「髪の毛がちょっと焦げた」


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コメディー小説『アッケラカンサッパリカン』


第十九話 畳で


 八月中旬のある日。炎天下を散歩してると、街中を走り回る和江ちゃんの姿を認めた。彼女はこちらに近づいて来たが、あたしには気づいてへん様子で、キョロキョロとあたりを見回してる。

「しもた。見失った。クソッ、あんな子、揶揄された上に白眼視されてしまえ!」

 和江ちゃんが独りごちた。

「和江ちゃん、何を見失ったん? 将来? 見失ったものについてまで言及してこそ、いちいちト書きみたいな説明的セリフを喋る人物として一目置かれるための第一歩やで」

 そう声をかけてみた。

「あ、亜景藻さんか。執拗に貪欲にアグレッシブにポジティブに旗布さんをチェイスしてた。あの子、以前よりも逃げ足クサくなったなあ。いや、逃げ足速くなったなあ。普段は無責任で無鉄砲な娘やけど、逃げるときだけは一目散で一丁前なんやから。わたしが校内の廊下に豆まきよろしく画びょうを撒きまくったあの日にも、裸足の裏におびただしい量の画びょうが刺さったままでわたしからコケつまろびつ逃げ回ってたからなあ、あの子。転倒のたびに脚やら腕やらおデコやらに刺さってる画びょうの総数が指数関数的に増えていってたなあ。常人にはマネでけへん捨て身の逃走劇や。きっと現時点ではすでに、あの子が路上で遁走すれば風圧で街路樹がことごとくなぎ倒されるレベルになってて……とまではさすがにいかへんやろけど、街路樹に身をひそめてる毛虫たちが一匹残らず落ちて来るレベルになってて……とまでもいかへんやろけど、街路樹の上でジャージ姿で骨休めしてる亀率さんがビックリして転落して骨折して骨の形がアバンギャルドなトリックアートを描くレベルになってて……って、亀率さんは校舎の屋上から飛び降りても傷一つでけへんスーパー女子高生やったな。あ、最近はそうでもないんやったっけ? まあどっちにしても満身創痍の亀率さんってのも一生に一度はこの目で見てみたいけど」

「確かに亀率ちゃん、以前とはうってかわって体が脆弱になってた。そのせいで彼女、二回も入院したし。で、退院後しばらくしてからあたしに脆弱性は寛解したとか話してたけど、最近になってブリ返したとか。まあいずれにしても彼女はちょっとやそっとのことでは死なへんっぽいから、一喜一憂とか必要以上の危惧はしてへんけどね。しかし亀率ちゃんも特殊な体してるなあ。そう言うたら亀率ちゃんって以前、都市伝説上のバナナの皮みたいに皮膚にアルカロイドが含まれてるとか、カップラーメンをいつでもつくれるように血液が常に沸騰してるとか言うてたなあ。まだまだあたしらの知らん奇怪な性質があるんやろな。爪からハリガネムシを出せるとか、目からデメキンを出せるとか、目から鼻へ抜けるとか、いろいろありそうやな。で、なんで旗布ちゃんを追い駆けてたん? また旗布ちゃんが何かやらかしたん? 性懲りもなく反物質のカタマリを学校に持ち込んだん? で、今度は校舎をまるごと消したとか? それどころか太陽系をまとめて消したとか? しかも太陽系に含まれてへん冥王星だけはご丁寧にちゃんと残したとか? それとも教職員の誰かを消したとか? それとも教職員の誰かに消されたとか? 大宿先生あたりに」

「いや、旗布さんは今回、運動場一面に畳を敷き詰めよった。大量の畳は秘密のルートで手に入れたらしい。運動場への畳の敷き詰めは、明らかに校則違反や。校則に『運動場一面に畳敷き詰めんなボケ。スライスチーズを敷き詰めるのはノープロブレム』って書いてあるからな。運動部のみんなは辟易してる。そら迷惑千万な話やわな。イグサのニオイで癒されて運動意欲喪失するし。茶道部と古民家研究部と大往生部だけは狂喜乱舞してたけど。大往生部がすかさず畳の上で大往生しようとするもんやから、必死の形相で制止したわ。畳の上で大往生されたら、せっかくのイグサの香りが死臭で台無しになるからな。畳がおシャカになるわけや。むしろわたしがお釈迦様になって、旗布さんに世にもサディスティックな仏罰を下してやりたいのに。いや、畳は死臭がついてもいわゆる特殊清掃でなんとかなるか?」

 和江ちゃんのことやから、ただ純粋にサディスティックなおしおきの執行を望んでるだけやろな。また画びょうとか使う気かな。今度は旗布ちゃんの上履きの中に画びょう入れたりするつもりかな。って、それ単なるイヤがらせやん。それ単なるヴェクサシオンやん。そんなサイコパスみたいなマネせんと、上履きを健康サンダルにすり替えるくらいのおしおきにとどめておいてほしいな。校内で健康サンダルは恥ずかしいけどその分健康になれるから、プラスマイナスゼロや。いや、多少はマイナス作用がないとおしおきにならへんか。ほんなら、多少は健康を損なうように、健康サンダルにアスベストを吹きつけておくとか?

「で、畳は撤去済みなん? まさか腹が立って全部すのこに替えてやったとか?」

 気になる点を訊いてみた。いや、和江ちゃんのことやから、腹が立って運動場一面にアスベストを吹きつけてるっちゅう可能性もなきにしもあらず。そんな一抹の不安が。

「風紀委員のわたしが撤去しようと思たけど、足クサいから、いや面倒臭いから、畳の上に土をまぶして見てくれだけもとに戻した」

「大儀じゃ。って、いやいや、仕事が粗いなあ。その土はどこから調達して来たん?」

「隣町の札里桁里(ふだりけたり)高校の運動場から。でも、土をまぶした直後にまた旗布さんが土の上から畳を重ねて敷き詰めよった」

「は?」

「で、またわたしが畳の上に土をまぶして見てくれだけもとに戻した」

「は?」

「で、その直後にまた旗布さんが土の上から畳を重ねて敷き詰めよった」

「おいおい」

「で、またわたしが畳の上に土をまぶして見てくれだけもとに戻した」

「ちょっと」

「で、その直後にまた旗布さんが土の上から畳を重ねて敷き詰めよった」

「おーい、おーい、もしもしー?」

 「もしもし」って目下にも目上にも電話で普通に使う言葉やけど、電話以外の会話の中で目上の人に対して使こたら、そこはかとない無礼さが漂う言葉へと早変わり。

「で、またわたしが畳の上に土をまぶして見てくれだけ戻そうと思たけど、札里桁里高校の運動場の土が枯渇したから、かわりにきな粉をまぶした」

「運動場一面を覆い尽くす量のきな粉があったのがすごい。どこから調達して来たん?」

「隣町の色辺(しょくあたり)調理師専門学校から。で、そのあと旗布ちゃんによる畳の敷き詰めとわたしによるきな粉まぶしが各五百回ずつ繰り返された」

「土よりきな粉のほうが多いやん!! 土よりきな粉のほうがおびただしいやん!!」

「その結果、今うちの高校は運動場の部分だけ直方体状に盛り上がってる」


 あたしは高校正門前まで来てみた。確かに運動場の部分だけ直方体状に盛り上がって、ゆうに校舎の高さを超えてる。校舎の前面は、盛り上がり部分の後面に接する形で覆い隠されてる。いやあ、それにしても途方もない威圧感や。崩れへんかな、これ。大丈夫かな。盛り上がり部分の側面は茶色(土ときな粉)と緑(畳)の層が交互に繰り返されててちょっと美味しそう。オツな味がしそう。「チョコレート抹茶ケーキ」みたいな見てくれや。食べたい。輪切りパインを載せて食べたい。そして最上部は……畳になってるみたいや。つまり旗布ちゃんのほうが一枚上手やったわけやな。畳の枚数は尋常やないけど。あの敷き詰められた畳の上に輪切りパインを敷き詰めてみたいな。畳の上には、野次馬根性まる出しの生徒たちが集まってるようで、ここからでも十数人の頭が動くのがチラチラと見える。


 あたしは裏門から校舎へと入り(運動場の盛り上がりが障害となって通常の入り方が不可能)、屋上まで来た。案の定、運動場の盛り上がり部分の側面にハシゴがかかってるので、それを使こて最上部まで登る。

「よいしょ、よいしょ」

 ヘリポートとしてしつらえたみたいな最上部では、大勢の生徒(男女合計で五十人くらいか?)が畳のヘリ(縁)の上だけを歩いて行く遊びをやってて、イモを洗うようなありさま。ヘリ(飛ぶほう)はないけど、ヘリ(縁)はある。その大勢の生徒の中には、旗布ちゃんもいてるやないか。

「あっ、あけも先輩ー! この遊び、いっしょにやりましょうよー! できればみんなで手を取り合ってー!」

 旗布ちゃんがヘリの上から足を外さずに顔だけ九十度回してこちらを向き、誘った。

「みんなでヘリの上だけを歩きながら手を取り合うのって難しいやろ。それはたとえ畳職人であろうと生半可な気持ちでは無理やろ。まして凡庸なあたしらには高望みでしかないやろ。てゆーか、あたしはええよ。去年は妹とともにその遊びに明け暮れてたから。もうその遊び、一生分やったから」

「でもここでは、手で無理矢理押して人をヘリから落とすのもアリですよー! この畳の上だけのローカルルールとしてー!」

「ふーん。容赦ないんやね」

「手で無理矢理押して人を地面まで真っ逆さまに落とすのもアリですよー! この畳の上だけのローカルルールとしてー!」

「それはあまりにも容赦がなさすぎる上に、痛い。具体的に言えば、痛覚を感じる。亀率ちゃん以外は確実に死ぬ。まあキミもポストに入った状態で新幹線にハネられても軽傷で済むような強靭さを誇ってる超人やから、死なへんかも知れへんけど……」

 超人。つまりニーチェ哲学におけるツァラトスラ……ツァ、ツァラツ……ツァラロ……ツァラトストラ。心の中で三回も噛んでしもた。

「そのうち運動場に赤じゅうたんを敷き詰めよっかなー! 代議士気分を味わいたーい! 赤じゅうたんの上で騎馬戦やって牛歩戦術使いたーい!」

 旗布ちゃんが夢を語ってる。

「騎馬戦で牛歩戦術やってたら負けるやん。しかもそれ、ウマなんかウシなんか、どっちやねん」

「ウマとウシは同一人物やと思てる人もまれにいまーす!」

「どこの大都会のモヤシっ子やねん。しかもウマもウシも人物ちゃうやろ」

「ウマとウシはウインウインの関係にあると思てる人もまれにいまーす!」

「ほんなら、ウマとウシはウマンウシンの関係にあると思てる人もまれにいるかもな」

「そんな人、掃いて捨てるほどいるわー!!」

「ホンマかいな!? ……それよりも、この大量の畳はどこから手に入れたん? 秘密のルートとか聞いたけど。やっぱり秘密なん?」

「教えてあげましょうかー!? それはですねー! 実はですねー! 勝手にこのあたり一帯の民家に入って勝手に引っぺがして勝手に持って来ましたー!」

「あかんやん。あとでちゃんと返しときや。困りはるで。返すときはちゃんと謝りや」

「はーい! 菓子折り持って謝りに行きまーす!」

 そこへ大宿先生がやって来た。相変わらず泥酔してる。右手にテキーラ、左手にウォッカ、頭に載ってるのは生ビールワンケース。

「コラー、お前ら! 何しとんねん! こんなもん増築しやがって! ん? 古路石に宛塚やないか。またお前らか! しばくぞ! あるいは縛るぞ! あるいはシバイヌをけしかけるぞ! このことが公になったらこの学校は危険な建造物が運動場を覆い尽くしてる札つきの悪名高い学校と化して、あまつさえ全校生徒の鼻の穴もオブラートで覆い尽くされててみんな息苦しいとか根も葉もない報道されて、結局そこに勤務してる俺にまで風評被害が及ぶやないかコラ! 今すぐ片付けろ!」

「てゆーかこの前と言い今日と言い、大宿先生は何しに学校へ?」

 あたしが怒り心頭に発してる大宿先生に尋ねた。

「俺は学校中の消火器の中に日本酒やワインのビンを隠してるからな。それを飲みに来るわけや。俺のアパートの部屋は半畳しかなくて酒の置き場所もないし。ちなみに玄関のドアの建てつけも悪いから、いつも帰宅時は知り合いの手品師に協力してもろて、ドアを開けずに手品で部屋の中に入ってる」


 そんなわけで、その場に居合わせた約五十人の生徒で畳と土ときな粉を撤去することになった。なんであたしが和江ちゃんと旗布ちゃんの尻拭いをせなあかんの? でも亀率ちゃんのあの優美な形のお尻なら……いやいや、そうやなくて。大宿先生はもちろん撤去作業に参加せえへん。空いてる校長室にこもって、注文済みのマヨジャガピザとソースカツ丼に舌鼓を打ちながら焼酎を浴びるように飲むらしい。

 まずは、最上部の畳を一枚一枚引っぺがし眼下の校舎屋上へと放り投げていく共同作業や。

「はあ、はあ……。しんどいなあ……。なんでクソ暑い中こんなことやらなあかんねやろ。ただ散歩してただけやのに。……ん?」

 あたしはどかした畳の下に覗いたきな粉の一部分に、小さな蠢動を認めた。

「ミミズでもいるんかな? それともコブハクチョウ?」

 いや、よう見たら、そこにあるのは……鼻や! 人の鼻の頭がきな粉から覗いてる! なぜ!? 殺人事件!? 猟奇殺人!? 交換殺人!? 密室殺人!? 吹雪の中の山荘!? クローズド・サークル!? アームチェア・ディテクティブの登場か!? 和江ちゃんやったら、アームチェア・ディテクティブをアームチェアやなくてトゲだらけの審問イスに座らせそう!!

 ボコッ!!

「わあ!!」

 そのとき、きな粉の中から何かが起き上がった!! モグラ!? ゾンビ!? ムツゴロウ!? それともハクセンシオマネキ!? それともやっぱりコブハクチョウ!?

「……って、亀率ちゃんやん」

 キリツチャンとコブハクチョウ。チの一文字は共通してる。あたしの予知能力も大したもんやと思う。まあ、亀率ちゃんは体が脆くないときやったら、吹雪の中の山荘の中の密室の中で殺人鬼に鈍器で殴られてもコブ一つでけへんかも知れへんけどな。しかしコブハクチョウにはデフォルトでコブがある。こりゃ両者が戦ってもコブハクチョウには勝ち目ないわ。コブハクチョウが吹雪の中の山荘の中の密室の中で殺人鬼に鈍器で殴られたら死ぬもんな。

「ああ、アケモチャンか。畳の上で惰眠をむさぼってたら、いきなりきな粉をまぶされて、しかもその上からさらなる畳を載せられて……」

「大丈夫やった? 今、体脆くないの?」

「大丈夫。今は脆いのが治って、またいろいろと大丈夫な体になってるから。でも、きな粉と畳の間に、レタスやハムもはさんだらもっとアーティスティックやったのに。うちの脳みたいに」

「あのときの荒療治のことか……」

 そのとき。

「コラ、誰の最先端治療が荒療治やて?」

 見知った顔が現れた。荒療治の張本人、喪服姿の奴留湯先生や。

「コラ、どないしてくれるんや。このけったいな建造物のせいで、あたし奴留湯様の家が影に覆われてるぞ。人権蹂躙すんなよコラ」

 奴留湯先生があたしたちに詰め寄る。奴留湯先生の家、この近くにあったんか。

「はあ、日照権ですか。もうしばらく待っていただけませんかね。目下撤去作業中ですので」

 シカトは可哀想なのであたしが対応する。

「男日照り? なんやと、コラ」

「そんなん言うてませんよ」

「どうせあたし奴留湯様の今日の昼ご飯の白身魚はメルルーサや、ボケ!」

「たまにはツノダシの泳ぐ水槽に囲まれながら、うな重を食べたいですよね」

「こないだ店で食うたうな重もメルルーサやったわ、ボケ! うなぎどころかご飯までメルルーサやったわ、ボケ! 挙げ句の果てには店員まで全員メルルーサやったわ、ボケ!」

「あ、奴留湯先生、亀率ちゃん大丈夫ですかね? さっきまできな粉と畳の下敷きやったんですけど。診てもらえません? あと大宿先生もしょっちゅう泥酔してるからちょっと体が心配で」

「知るかそんなこと! メルルーサでも食わせとけ! あああああああああ、ムカツク! 最近いろいろムカツク! 手術中に居眠りしてしもてカクンとなってヘンなところ切るし、日照権は侵害されるし、うなぎはメルルーサやし、ご飯はメルルーサやし、店員はメルルーサやし!! ああああああああああああ!!」

 そのときやった。奴留湯先生のバカ声により、この建造物が傾き始めた。生徒たちが悲鳴を上げる。あたしは必死の形相で、

「ヤバいよ、みんな! このままやとピサの斜塔みたいになるどころか、倒壊するよ! みんな、逃げよう! みんな、旗布ちゃん並みの逃げ方を実践しよう!!」

 しかし旗布ちゃんは必死に踏ん張りながら、

「でも逃げたらヘリから外れてしまうー!」

「そんなこと言うてる場合ちゃうやん! 倒れる前に逃げよう!!」

 しかしすぐ倒れた。


「痛たたた……って、そんなに痛くないわ」

 大した痛みはなく、ケガもない。おもむろに上体を起こす。あたりを見回す。どうやらあたしたちはみんな、巨大なはんぺんの上に落ちたみたいや。フカフカや。偶然下に巨大なはんぺんがあってよかった。あたしはこのミラクルな僥倖に感動した。

 亀率ちゃんはどこから取り出したのかわからん箸ではんぺんを味わってる。旗布ちゃんははんぺんに顔をうずめて顔形をとってる。その他の生徒たちは「はんぺんは偉大やね」とか「しかし偉大さにおいては奈良漬けには劣る」などと論議してる。一応全員大事には至ってへんみたいやけど、一つだけ無事やなかった無生物が存在する。

「ああああああああああああああああ!! あたし奴留湯様の家が!! ペチャンコに!!」

 奴留湯先生の自宅が今の盛り上がり部分倒壊によってペチャンコにされたらしい。確かにそこにはペチャンコ状態の何かがある。

「うわあああああああああ、こうなったらヤケや! ついでに大阪檀松馬病院も全壊させてやる!!」

 そう叫んで奴留湯先生が走り去った。

「ちょっと奴留湯先生、それはあきませんて!」

 あたしは奴留湯先生を追い駆けた。


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コメディー小説『アッケラカンサッパリカン』


第二十話 火災現場で


 旗布ちゃんが運動場一面に畳を敷き詰めるというお茶目なイタズラをした翌日。今日あたしは亀率ちゃんといっしょに、新しくオープンした耳鼻科に行くことになってる。ちなみに亀率ちゃんは最近脆弱と言うよりは柔軟な体になってて、かなりあちこちが変形しやすいとか。

 耳鼻科に向かう道の途中で、あたしは亀率ちゃんに、

「ああ、それにしても、運動場に敷き詰めるんやったら、畳やなくて輪切りパインにしてくれてたら願ったり叶ったりやったのに」

「アケモチャン、輪切りパインは丸いから、敷き詰めようと思ても隙間ができるやん。そこはハニカム構造の蜂の巣を踏襲して輪切りパインを一個一個六角形に加工すべき」

「六角形がいちばん効率的な形なんやろ。自然界の神秘やね。あたしもベンゼンの構造式見ると畏敬の念を抱くもん」

「畳は運動場に敷き詰めるより、投げ合って遊ぶべき存在やと思う。うちも小学校の修学旅行の枕投げのとき、枕だけでは足りずにみんなといっしょに部屋の畳引っぺがして投げ合ってたもん。そのあとは障子が飛んで来たもん。さらには床の間が飛んで来たもん。挙げ句の果てには仲居さんが頭上を飛び交ってたもん」

「す、すごいなあ。あたしもちょっとやってみたいかも、床の間投げ。ソフトボール投げの練習として」

「今度どこかでやろうよ。床の間投げ。床の間投げ可のモデルルームとかで」

 コリっと笑う亀率ちゃん。ニッコリと笑ってるのではなくて、コリっと笑ってるのがポイント。ああ、亀率ちゃんの屈託のない笑顔はなんと言うか……こう……ハイライトシーンやなあ。そのときいきなり亀率ちゃんの両目が地面に落ちた。

「うわあああああ!! 亀率ちゃん、大丈夫!?」

 地面には、眼球が二つ。亀率ちゃんの顔には、穴が二つ。

「なあ、大丈夫!? 大丈夫!? 地面に落ちた眼球は、視神経がコードレスやけど!!」

「大丈夫、大丈夫。よいしょっと」

 亀率ちゃんはおもむろに両目を拾い、パッパと砂をはらって、顔の穴にはめ込む。

 スポッ、カシャン。スポッ、カシャン。

「こ……亀率ちゃん……今みたいに……ちょくちょく目取れたりするの?」

「うん、最近。でも大丈夫」

「でも、今両目取れてたのに、なんで落ちてる目を拾うことができたん? 何も見えへんはずでは……」

「…………」

「…………」

「あ、そうや。アケモチャン。ちょっと来て。目玉が飛び出るほどビックリするものを見せてあげる」

「え? いや、今十分目玉が飛び出るほどビックリするものを見たけど。てゆーか、文字どおりキミの目玉が飛び出てたけど」


 あたしは亀率ちゃんに連れられて、お寺の境内へと入った。どこに連れ込まれるのかと思って胸をときめかせてたけど、なぜにお寺?

「ここのお寺の鐘、見て。ほらほら」

 亀率ちゃんが鐘のほうを指差す。シラウオのような指。さすがシラウオ。あ、しもた。間違えてシラウオのほうを褒めてしもた。

「ん? 別にノーマルな鐘やん……んん!?」

 よう見たら、鐘のかわりにぶら下がってるのは、中世ヨーロッパで使われた拷問器具、鉄の処女や。いや正確には、実際に使われたという明確な記録は残ってへんけど。鉄の処女は聖母マリアをモデルにした女性像で、この内部に閉じ込められると内側に取りつけられた多数のトゲが体に刺さりまくって泣くという優れものや。

「な、なんであんなもんが!? ま、まさか現代日本の暗黒街でも使われてるん!? いや、まず、なんでお寺の鐘のかわりにぶら下がってるん!? 代用品!? 遠目に見たらわからへんけど」

 そのとき、鉄の処女の扉がパカっと開いた。それと同時に、人影が中からストンと降って来た。

「うわっ!!」

 驚いた。鉄の処女から生まれた鉄の処女太郎!? ……男か女かわかりにくいな。いや、降って来たのは……旗布ちゃんや。

「あー! あけも先輩ときりつ先輩やないですかー!」

 あたしは呆れ顔で、

「な、何してんの、旗布ちゃん……」

 一方亀率ちゃんは心配そうな声で、

「大丈夫!?」

 旗布ちゃんが入ってることは、亀率ちゃんも知らんかったらしい。

「大丈夫ですよー! かずえ先輩に畳事件の罰として幽閉させられたんですよー! 内側に取りつけられた知恵の環を外したら扉が開く仕組みになってるんですー! かずえ先輩ははたふが孤軍奮闘してる横でしばらくケラケラ笑いながら待機してはったみたいですけど、途中で飽きたのかどっか行ってしまいましたー!」

「ケガはない!?」

 亀率ちゃんが引き続き心配してる。そんなに心配せんでも。メッチャ元気そうやん。

「ないですよー! もちろん中にトゲは皆無ですよー! さすがにトゲがあったらヤバいでしょー!」

 旗布ちゃんの言葉に、亀率ちゃんは顔をほころばせ、

「よかったあ……」

 あたしは腕を組み、

「足に刺さった画びょうをものともせず、和江ちゃんの糾弾は歯牙にもかけず、いけしゃあしゃあと枕投げに興じるという、肉体的苦痛および精神的苦痛にメッチャ強い旗布ちゃんやけど、さすがにトゲありの鉄の処女はねえ……」

 あたしが言うと、旗布ちゃんはこちらをねめつけて、

「画びょうが刺さったらメッチャ痛いに決まってるやないですかー! 非難されたらヘコむに決まってるやないですかー! あっけらかんとしてるのはもちろん演技ですよー! 痛がったり叫んだり泣いたりしたらかずえ先輩に白旗を揚げたも同然ですからー! はたふは負けませんよー!」

「さ、さすが卓越した演技力やね……。あたしにはマネでけへん」

 あたしは尊敬の眼差しで旗布ちゃんを見た。一方亀率ちゃんは、

「シクシク……。よかった……。ハタフチャンが穴ボコだらけと化してなくてよかった……」

 安心して泣いてる。

「シクシク……。昆虫と言えば、トゲトゲとトゲナシトゲトゲ……。拷問器具と言えば、鉄の処女とトゲナシ鉄の処女……。トゲナシ鉄の処女でよかった……。激昂の末ヘビに姿を変えたカズエチャンが、お寺の鐘の中に隠れたハタフチャンを外から焼き殺したりせんでよかった……」

 涙をぬぐいながら言う亀率ちゃんに対してあたしは、

「それ、安珍清姫伝説やないか。それやと鉄の処女と言うより、ファラリスの雄牛みたいになってるやないか」

 このツッコミにおけるファラリスの雄牛というのは、古代ギリシャの拷問器具。その名のとおり雄牛をかたどったもので、この中に閉じ込められて下から火を焚かれて焼かれて泣くわけや。さらに亀率ちゃんは、

「うちは焼かれてもそれほどどうってことなかったけど、ハタフチャンが焼かれたら熱いやろし……」

 衝撃的な過去の告白や。

「亀率ちゃん、焼かれたことあるん!?」

 あたしは亀率ちゃんのまる焼きを想像しながら尋ねた。じゅるっ……ゴクリ。

「焼きなましとかされたことあるよ」

「誰に!?」

「お父さん」

「お母さんは水責めで、お父さんは火あぶりを!?」

「うちのお父さん、火マニアやから」

「ひまにあ?」

「うん」

「……熱くなかったん? まあ、どうせ大丈夫やったんやろけど」

「多少熱かったけど、どうせ大丈夫やった」

「やっぱり」

 あたしたちの会話が終了すると、旗布ちゃんがクルリと背を向けた。そしてこちらを振り返り、口を開いた。

「心配かけてすみませんでしたー! さーて、はたふは運動場に聖ヨゼフの階段でも造りに行こかなー!」

 あたしは呆れ顔で、

「やめときいな。ついこの前、畳バージョンのバベルの塔を築いて、旧約聖書の二の舞で崩壊したところやん。今もそれのせいで閉じ込められてたんやろ?」

 旗布ちゃんは両手で耳を塞ぎ、

「支柱がないどころか二階もない螺旋階段を造るぞー! 将来エステテテテティシャンになるためにー!」

 そう言いながら旗布ちゃんは走り去った。あの子は一度通天閣のてっぺんから首を吊って死んで化けて出て成仏して反省したほうがええかも知れへん。それにエステティシャンと螺旋階段になんの関係があるんや。共通点はしりとりで言うたら負けることくらいやろ。おまけにさっき、異様にテが多かった気がするけど。そんなにテが多いのが好きなんやったら、エステティシャンやなくて千手観音にでもなったらええねん。

 すると今度は和江ちゃんがやって来た。和江ちゃんはカラッポの鉄の処女を指差しながら、

「あれっ? 旗布さんは? 脱出成功したん?」

 あたしは仏頂面で、

「うん、今学校の運動場に聖ヨゼフの階段を造りに行ったよ。あーあ、また和江ちゃんの手を焼かせそうやね。大宿先生とも一悶着ありそう。やれやれ」

「また運動場にイタズラを!? ホンマしゃあないな、あの子は。すぐ行かな。と、その前に、亀率さん」

「ん? 何?」

 亀率ちゃんが和江ちゃんにエビス顔で反応する。やっぱり亀率ちゃんの太陽のような笑顔は可愛いなあ。表面温度が六千度くらいありそうな笑顔や。触ったらヤケドするかな。

「ちょっとその鐘の中に入ってくれへん?」

 和江ちゃんが要求した。要求された亀率ちゃんは、

「鐘? 鐘やなくて、鉄の処女やん。まあ、入るけど」

 亀率ちゃんは和江ちゃんの要求を二つ返事で聞き入れた。あたしはそのレスポンスの速さに、

「入るんかい! 逡巡しろよ! 熟考しろよ! 考えあぐねろよ!」

 あたしがツッコむ一方、亀率ちゃんは自らを鉄の処女の中に突っ込んだ。

 するとそこにヘビがやって来た。ヘビはツチノコみたいにピョーンと飛んで、鉄の処女の表面にピタっと張りついた。

「わたしはヘビです。ヒバカリという種類です」

「ヘビが喋った!」

 あたしはヘビの日本語の流暢さに舌を巻いた。ヘビもチョロチョロと小さな舌を巻きながら、

「お嬢さん、そこはツッコまんでもええんですよ。無粋ってもんです。ネコも杓子も……いや、ヘビも杓子も日本語を喋る時代なんやと思といてください。日本語は単語もしくは語幹に形態素が結びつく、いわゆる膠着語に属しますから、それにならってわたしも鉄の処女に張りついてみたわけです……なんてね。では今から安珍清姫伝説の清姫のごとく、この鉄の処女を焼きます。ヒバカリが求めるのは熱と火ばかり。お爺さんの役目は芝刈り。OSが起動せえへんようになったらリカバリー。好きなインド料理はキーマカリー。カレーはカリー、ピザはピッツァ、ティッシュはティシューと言うのが好きです。ほな、いきます。うーん、うーん、うーん……」

 あたしは狼狽し、

「ウソ!? やめて!! 発熱やめて!! その中にはあたしの友達が!!」

「やめません。これはわたくしの趣味ですから」

 百円ライターみたいな火が、一瞬シュボっと出た。

「うう。これが限界かも知れません……」

 なんや。こんなもんか。拍子抜けやな。でもよかった。これで亀率ちゃんが熱い思いをせずに済む。

 ウゥー、カンカンカンカン……。

 消防車が近くを通り過ぎる。通り過ぎたあと和江ちゃんが、

「よっしゃ! 鉄の処女を熱するのは、わたしが手伝ってあげる!」

 和江ちゃんは亀率ちゃんの入ってる鉄の処女(ヘビつき)を鐘楼から外し、背中に担ぎ、駆け出す。あたしは驚き、

「ど、どこ行くん!?」

 尋ねるが、和江ちゃんは取り合わずに走って行く。ようあんなもん担いで走れるなあ。和江ちゃんってどちらかというと運動苦手やったと思うけど……。韜晦(とうかい)ってやつか? あたしは追い駆けた。


 そして和江ちゃんとあたしは、火事になってる民家の前までたどり着いた。野次馬さんに訊いてみると、すでに家の人は避難済みらしい。百十九番は近所の人がしたらしいけど、消防車はまだ到着してへんみたいや。多分さっきの消防車やと思うけど……って、あれ? あたしら、いつの間に消防車を追い抜いたんやろ? ふと横を見ると和江ちゃんが、燃え盛る炎の中に鉄の処女を投げ込んだ。

「ああああああ!! 何してんの! 亀率ちゃんが中に入ってるのに! ヘビもくっついてるのに!」

 亀率ちゃんに関してはどうせ大丈夫やとは思うけど、それでもこれほどの猛火とあっては、さすがに少々のヤケドくらいはするんとちゃうか。

「ええやん! どうせ大丈夫や! あ、ヘビは大丈夫やないのか」

 サディスティックな笑みを浮かべながら和江ちゃんが言う。助けようと思うが、炎の勢いが凄まじくて近づかれへん。

 そこへ消防車が到着。降りて来た消防士さんたちが何か言い争ってる。

「俺らが遅れてしもたのは、途中でカルガモの親子が横切るのを待ったりしてたからや!」

「いや、途中で赤痢菌の親子が横切るのを待ったりしてたからや!」

「いや、途中でライト兄弟が横切るのを待ったりしてたからや!」

「いや、途中でフィラデルフィアの実験をやって消防車ごとスロベニアまで瞬間移動したりしたからや! もとの場所に戻って来れたのはよかったけど!」

 どうやらいろんな理由で遅れたらしい。おそらく消防車がスロベニアに行ってた間に、あたしらが追い越したんやろな。言い争いはまだ続いてる。

「もうええからとにかく俺らは火を消そうや! ……うわ! なんなんこれ!? なんでこんな燃えてんの!? メッチャ燃えてるやん! なんでこんなん消さなあかんの!? なんでこんな面倒臭いことせなあかんの!? なあ、なんで!? なんでなんでなんで!? なんでなん!? ヤケドしたらどうすんの!? 誰が責任とってくれんの!? なあ、誰が責任とってくれんの!? なあ、誰!? 誰!? 早よ答えろや! お前ら早よ答えんと、ガソリン撒いて余計燃やすぞ!」

「やかましい。そんなん言うんやったら、お前帰れや。俺独りで消すから」

「うわ、なんやねんお前!? 正義の味方気取りか!? 調子乗んなや!!」

「まあまあ、お前ら落ち着けや。もうええやん、こんな火事。ほっといたらええねん。俺らのせいやないんやし。俺、早よ帰って火遊びしたいねん」

「僕も火遊びしたーい!」

「わしもわしもー!」

「おいらもー!」

「ほんならみんなマッチ持参でこのあと四時ごろにいつもの公園に集まろうや」

「さんせーい」

「さんせーい」

「さんせーい」

「ちょっと待てお前ら。これ消したら俺ら一躍有名人やぞ。勇敢な青年たちとして表彰されるぞ。女にもモテるぞ」

「ほう……」

「それは……」

「ゴクリ……」

「ふーん。ホジホジ」

「なんや、福田(ふくだ)。鼻クソなんかほじって。興味ないんか? 女にモテるんやぞ」

「ふーん。どんな女なんです?」

「そうやな、たとえば……おかっぱの女や」

「ほなやります!!」

 どうやらみんなやる気になってくれたらしい。


 鎮火後、鉄の処女から亀率ちゃんが救出されたけど、ヤケド一つなかった。ヘビはまる焼きになってたので、和江ちゃんがチョチョイのパクっと食べた。ヘビのことは亀率ちゃんには内緒にしておこう。亀率ちゃんを焼き殺そうとした存在ではあるけど、きっと亀率ちゃんがヘビの死を知れば、まるで竹馬の友を亡くしたかのように悲嘆に暮れると思うから。

「それにしても和江ちゃん、亀率ちゃんの入ってる鉄の処女、よう運べたね。重いのに……」

 あたしは非道な和江ちゃんに言うた。

「確かにわたし運動苦手やから、自分でもビックリしたわ。つまりあれはまさに、あれや。火事場の馬鹿力ってやつや!」

「なんか……ちゃうような……。まあええわ。さ、亀率ちゃん、耳鼻科行こ」


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コメディー小説『アッケラカンサッパリカン』


第二十一話 マンションで 前編


 ここは半都会(はんとかい)駅前。今日の待ち合わせ場所や。今日はあたしと和江ちゃんと亀率ちゃんと杉久保さんとメガネ優等生背蟻離(せぎり)ちゃんの五人で、亀率ちゃんの家に向かうことになってる。東京都鳶田市在住の杉久保さんは今、例によってこちら大阪を訪問中とのこと。昨日は昼間に大阪市をうろつき、夜はここ一尾里町(いちびりちょう)のビジネスホテルに泊まったらしい。依然として彼女のミステリアスなパーソナリティーは変化してへんようで、ツーカーの仲であるはずの亀率ちゃんにすら、なんのために来阪してるのかを打ち明けてくれへんらしい。なんでひた隠しにするんやろ。まさか彼女は大阪文化破壊計画の工作員で、大阪のオバチャンたちに飴のかわりにティラミスを持ち歩くよう啓蒙してるとか……!? さすがにそれはないか。

 しかし亀率ちゃんの家か。ちょっとテンション上がるわあ。なんせ、家やもん。家。言い換えれば、家屋。あるいは、小屋。まあ、二人っきりやなくて、全部で五人もいるっちゅうのが残念至極やけどな。三人はとんだお邪魔虫やなあ……なんて利己的で悪魔的なことを考えたりして。いやいや、友達のことをお邪魔虫呼ばわりしたらあかんな。クソ虫呼ばわりよりはマシやけど。しかし、なんで五人やねん。江戸時代の隣保組織やあるまいし。

 杉久保さんだけがまだ来てへん。和江ちゃんは杉久保さんがやって来るであろう方向を見やり、眉をひそめる。もう三十分も遅刻や。ちなみに和江ちゃんと背蟻離ちゃんは、まだ杉久保さんとは一面識もない。また、背蟻離ちゃんはあたしとは学校でときどきトークをするものの、亀率ちゃんや和江ちゃんと校外で親睦を深めるのは今日が初めてや。

 和江ちゃんが大きなタメ息をつき、

「瑠璃さん、おっそいなあ。時間は厳守せなあかんっちゅうねん。確か昨日はビジネスホテルに泊まったってことやったっけ? もう二時半やけど、まさかホテルのチェックアウトに手こずってるとか? チェックアウトがヘタで、七回くらいトライしてもうまいことチェックアウトでけへんとか? あるいは異臭騒ぎレベルの口臭が気になって、どっかで歯みがきしてるとか? うっかりシュールストレミングの納豆あえを七杯くらい食べてしもて、どっかで歯みがきしてるとか? あるいはどっかで局地的な大雨に打たれてて、傘がないからせっせと自らの体を防水加工してるとか? あるいはコンビニに寄って買いものしたら消費税と間違えて相続税を払ってしもて、話がもつれて税理士を交えた厄介ごとになってるとか? あるいはどっかでバッタリとゾウに出くわしてビックリして、よう見たらゾウやなくてマンモスで、ホッとしてマンモス狩りしてるとか? とにかく何をしてるんやろ? まさか大阪人がイラチ(作者註:「イラチ」は大阪弁で「せっかち」の意)やと知ってて、わざとこの仕打ちか!? 瑠璃さんもなかなかのサディストやな!! ライバル登場か!? お株を奪うつもりか!? クソー、一筋縄ではいかなそうやな、杉久保瑠璃!!」

 ジリジリした様子の和江ちゃんが四の五の言うてる。亀率ちゃんは和江ちゃんに対して、アルファ波を発生させそうなほど平和な声で、

「カズエチャン、怒りすぎやでー」

 和江ちゃんは亀率ちゃんをねめつけて、

「怒るに決まってるやないか。遅刻なんてマナー違反や。亀率さんも年がら年中のほほんとしてたらあかん。たまにはなんらかのものに対して怒れ」

「そんなこと言われてもなあ。怒るのはよくないことやと思う。世の中に不平不満を言わず、あるがままの今を受け入れて、生きとし生けるものに惜しみない愛情を注ごうよ、カズエチャン」

「なんでわたしがそんなことやらなあかんの? そんな博愛主義のサイコパスはおらん!」

 亀率ちゃんはちょっと後ずさり、

「自分のことをサイコパスさんと認めるとは、なんという鍛え抜かれたサディストさんや」

「とにもかくにも風紀委員として、遅刻は許さへん。とにもかくにもマナー違反や」

 亀率ちゃんは呆れ顔になり、

「でもカズエチャンかて、この前うちが折り畳み傘を貸したら、ちゃんと畳まんとグシャグシャにして返して来たやん」

「ええやないか、それくらい。ちょっと面倒臭かっただけや。それをマナー違反扱いするのは、日本武尊(やまとたけるのみこと)を女装マニア扱いするようなもんや」

「あと、折り畳み式の携帯電話を貸したときも、ちゃんと畳まんとグシャグシャにして返して来たやん。画面は割れて、ボタンは取れて、中身は飛び出てた」

「ええやないか、それくらい。天気予報にかけようとしたら間違えてメリーさんにかけてしもて、腹立ったから怒りに任せて破壊しただけや。それより亀率さん、一体瑠璃さんはいつ来るねん!? 再来月か!?」

「うーん……。あとどれくらいやろね……。ルリチャンって、例によってルーズやなあ、時間には……」

 和江ちゃんはわざとらしく、

「は? レイノルズ数?」

「そんなこと言うてへんよ。まあ、ルリチャンは自分ルールで動くって感じの人やから、もしかしたら来るのはもっともっとあとかも。結婚適齢期を過ぎたあたりかも」

「なんやそれ。もっとさっさと来てほしいわ。待ち合わせの約束する前からここで待っててほしいくらいや。戦前から待っててほしいくらいや。ヒューロニアン氷期から待っててほしいくらいや。あー、でも、こうなったら相当の待ちぼうけを想定するしかないか。人を待つのはヘドが出るほど嫌いやけど、腹を据えよう。それにしても結婚適齢期を過ぎたあたりか。今夜は半都会駅でSTBかも知れへんな」

 亀率ちゃんと和江ちゃんの会話を聞いてた背蟻離ちゃんが、首をかしげながら和江ちゃんに対して、

「平瀬様、STBとはなんでしょう?」

「え? ああ、それはやね……説明すんのが面倒臭いから、亜景藻さん、バトンタッチ」

「あ、あたし?」

 なんかあたしに回って来た。しかたなくあたしは、

「えっと、STBってのはステーション・ビバークのことで、鉄道マニアとかが駅舎で一夜を明かすことやね」

 すると亀率ちゃんが付け加えるように、

「駅寝ともいうやんな。セギリチャンには無縁の言葉やろね」

 背蟻離ちゃんはうなずいて、

「はい、確かにそうですね……」

 確かに、背蟻離ちゃんが独り旅とかバックパッカーとか乗り鉄とか撮り鉄とか車両鉄とか駅弁鉄とか模型鉄とか葬式鉄とか……似つかわしくない。亀率ちゃんは自らを指差し、

「ちなみにうちは駅のベンチで電車を待ってたら、十回中九回は熟睡して乗り損ねる」

 あたしは複雑な表情を浮かべながら、

「電車で寝て乗り過ごすってのは聞いたことあるけど、それはなんと言うか……亀率ちゃんならではやね」

 亀率ちゃんは自嘲めいた笑みを浮かべながら、

「うち、駅のベンチのほうが、高級羽毛布団よりもよう眠れるから。でも寝相が悪いせいで、ときどき線路上で大の字になってるけどね」

 亀率ちゃんのことやからどうせ大丈夫やろと思いながらも、あたしは一応、

「電車にハネられたりせえへんの?」

「ハネられたよ。これまでに四回ハネられたけど、どうせ大丈夫やった。接眼レンズ捜しのときの事故を含めると、五回」

 やっぱり大丈夫か。あたしは一応ホッとしながら、

「そのせいで列車が遅れるとか、そういう影響はなかった?」

「衝突時に進行方向とは逆の力が働くことによって、列車は多少減速したかも」

「いや、遅れるってそういうことやなくて……」

 あたしと亀率ちゃんが雑談する一方、和江ちゃんは背蟻離ちゃんにSTBの補足説明をしてる。

「……背蟻離さん、間違っても、STBは『尻小玉が 出て来て クサかった』の略やないからね」

「え、えっと……は、はい……」

 背蟻離ちゃんは怪訝な表情をしながらも、うなずく。あたしは横ヤリを入れるのをガマンできず、

「いや、和江ちゃん、それどう考えてもSしか合うてへんやろ。もうちょっと正確さを心がけようよ、人として。あと、STBの解説、面倒臭かったんとちゃうん? 結局解説してるやん」

「そら面倒臭いけど、ヒマなんやもん。ヒマでヒマでしゃあないんやもん。ヒマすぎてもう、普段せえへんことをしたくなってくるくらいやもん。バナナの皮を手でむくとか」

「普通手でむくやろ。普段何でむいてんの? まさか足で? それとも肝臓?」

「十回中三回は、包丁でむく」

「それこそ面倒臭いやん」

「別の三回は、歯で引っぺがす」

「野生やね」

「別の三回は、塩酸と水酸化ナトリウムを使う」

「それって缶詰め用ミカンの皮をむく工程やん」

「残りの一回は、足で」

「え? 足? 不衛生やん」

「大丈夫。わたしの足とちゃうから。そのへんを歩いてるオッチャンの足に押しつけて無理矢理むくから」

「そっちのほうがマシって、キミの足はどんだけ汚いねん」

 和江ちゃんのボケにツッコむのに疲れてきたそのとき。和江ちゃんが亀率ちゃんのほうを見て、

「亀率さん、ヒマやからちょっと拷問させてもろてもええ?」

「うん、ええよ」

 異様な会話が交わされた気がする。

「よっしゃ、ほな拷問するわ!」

 あたしは意気軒昂たる和江ちゃんに対して、

「ちょっと和江ちゃん、日本国憲法第三十六条知ってる?」

「知ってるけど、その条文で禁止されてるのは公務員による拷問やで」

 あ、そっか。

「ほ、ほな、拷問禁止条約は知ってる? いや、そもそも、公務員以外が拷問やっても暴行罪とか傷害罪で……」

 和江ちゃんはあたしの言葉をスルーして、

「ほな亀率さん、石抱(いしだ)きやるで。ほら、日本で江戸時代に行われてたやつ。三角柱の木を並べた上に正座させて、その太ももに石を載せるってやつね」

 和江ちゃんが、リュックから石抱き用の三角柱の木十本あまりと直方体の石五つを取り出す。やけにズッシリとした荷物を持ってると思たら、そんなもんが入ってたんか。……もうええわ。ほっとこ。亀率ちゃんの同意の上でもあるし。

 亀率ちゃんが嬉々として、ギザギザになるよう並べられた三角柱の木の上に正座した。その上に容赦なく和江ちゃんが一つ、二つ、三つと石を重ねていく。背蟻離ちゃんはパニックになった様子であたしに向かって、

「え、えっと、あ、あの、古路石様、お二人は、い、一体、な、何を!?」

「ああ、大丈夫大丈夫。彼女らちょっと普通やないから」

 あたしが呆れ顔で答える。

「し、し、しかし……根本様が……。根本様は、だ、大丈夫なんでしょうか?」

 背蟻離ちゃんは二人の行動に気が気でない様子。そら、せやろな。「亀率ちゃんは五回電車にハネられても大丈夫な人やで」って答えようとしたら、先に亀率ちゃんが、

「うちやったら、大丈夫やで。全然平気。セギリチャン、ご心配なく」

 表面温度が六千度ありそうな、つまり太陽のような笑顔で答える亀率ちゃん。

「そ、そ、そ、そうなんですか……!?」

 背蟻離ちゃんの狼狽は治まらへん。そして高揚感に支配された様子の和江ちゃんが、

「どや!? 亀率ちゃん!! どや!?」

 亀率ちゃんに拷問具合を尋ねてるみたい。和江ちゃんは石を載せる作業に夢中で、今の亀率ちゃんの「大丈夫」は聞いてへんかったらしい。石の数はすでに七つになってる。……あれ? さっき五つしかなかったはずでは……。よう見たら、上の二つはすぐそばにあった縁石やないか。あんなもん、勝手に取り外して大丈夫か?

「どうって言われても……。うーん、せやね……なんかこう、青竹踏みみたいな感じやね。若干気持ちええよ」

「なんやと!? 拷問で健康効果が生じてたまるか!! もっと痛がれ!!」

「そんなこと言われても、うち……」

「もうええわ。亀率ちゃんではラチがあかへん。全然わたしの嗜虐心を満たさへん。旗布さんも演技で痛覚をカバーするから味気ないし。……ここはそのへんが平凡そうな亜景藻さんあたりにやってもらうしか」

 ついにホコ先があたしに!?

「い、いやあたしは断固拒否させてもらうわ、そういうのは。悪いけど」

「そんなこと言わんと。実を言うと前々から狙ってたんや。逸材やろなあって想像してた」

「ど、どういう逸材? とにかく絶対イヤやからね、あたしは」

「あ、そう。……ほな、背蟻離さんは?」

 和江ちゃんの言葉に、背蟻離ちゃんがビクリと体を震わせ、

「え! わ、わたくしは……そ、その……あの……! す、すみません、遠慮させていただきます!」

 あたしは背蟻離ちゃんが可哀想になり、

「やめときいな、和江ちゃん。背蟻離ちゃん、困ってるやん。青ざめてるやん。背蟻離ちゃんを怖がらせるの禁止」

 背蟻離ちゃん怖がらせ禁止令や。しかし和江ちゃんは舌ナメずりをしながら、

「おおおお、背蟻離さん、ええ青ざめっぷりやないか……。これはもしや亜景藻さん以上の逸材ちゃうか……」

 あたしは眉をひそめて、

「やめなさい。あんまり暴走するようやったら、和江ちゃんに泥酔状態の大宿先生をカラませるよ。それより亀率ちゃんの石を早よどけてあげえな」

「はいはい……」

 和江ちゃんが億劫そうに亀率ちゃんの上の石をどけていく。……と思たら、手が滑って縁石を落とした。で、その角が和江ちゃんの左足のつま先を直撃した。

「ぎゃあああああああああああああああああああああ!!」

 和江ちゃんが路上でのたうち回る。

「か、和江ちゃん!!」

「平瀬様!!」

「カズエチャン!! カズエチャン!! 大丈夫!?」

 和江ちゃんがゴロゴロ転がって行く。

 七転八倒によって七十八メートルほど転がって行った和江ちゃんのもとに、亀率ちゃんが駆け寄る。残されたあたしと背蟻離ちゃんも駆け寄る。

 地面に倒れてた和江ちゃんが上体を起こし、涙をポロポロとこぼしながら、

「たっ、助けてっ、痛いっ、なんとかしてっ、痛いっ、ホンマ痛いっ、あああああああ……!! ふぅーっ、はぁーっ……!! 痛ったいよおおおおおおおおおお……!! ふぅーっ、はぁーっ……!! あああああああああああああああああああああ……!! 死ぬっ……!! 死ぬかもっ……!!」

 亀率ちゃんが和江ちゃんの背中に手を回し、いっしょに泣きながら和江ちゃんが落ち着くまで待つ。そのあと、亀率ちゃんは和江ちゃんの靴と靴下を脱がせ、足を観察する。あたしと背蟻離ちゃんも心配して覗き込む。亀率ちゃんはもらい泣きしつつ、

「……うん、出血はないけど、足の指の骨折とかないかな……」

 和江ちゃんは涙を手でぬぐいながら、

「……いや、痛み治まってきたし、大丈夫みたいやわ……。はぁー……」

 亀率ちゃんは安堵の表情を浮かべ、

「ホンマ? よかったあ」

 あたしと背蟻離ちゃんも、同じような表情に。大丈夫みたいや。心配して損した。

 みんなで七十八メートル歩き、待ち合わせ場所まで戻った。


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コメディー小説『アッケラカンサッパリカン』


第二十二話 マンションで 中編


 そんなわけで、みんなで待ち合わせ場所に戻って来た。戻るやいなや和江ちゃんが、

「さて、今わたしメッチャムシャクシャしてる」

 さっきまで顔面蒼白になってた和江ちゃんが、今は激昂によって顔を真っ赤にしてる。青から赤へ一変。塩化コバルトみたいやな。青スジは立ててるけど。

「ホンッマにムシャクシャする!! よし、亜景藻さんあたりがわたしと同じような目に遭え!! 二の舞を演じろ!! 具体的に言えば、社交的な舞を演じろ!!」

 和江ちゃんはそんなことを言いながら唐突にあたしの手を握り、社交ダンスを踊り始め、

「社交ダンスについては聞きかじりの知識しかないため、足を踏んだら申しわけない!!」

 そして和江ちゃんは右足で、つまりさっき石が落ちへんかったほうの足で、あたしの足をガシガシ踏み始める。

「痛たたたたた!! ちょっとやめて!! わざとやろ!! このサディスト!! このサイコパス!! この悪鬼羅刹!! 痛いって!! なんぼ超初心者でも、そこまで相手の足踏まへんやろ!! ちょっとちょっと!! 痛たたた!! 足の指の骨折れるって!!」

 あたしが絶叫する。ちょっとホンマにやめてほしい。心配してホンマに損した。

「平瀬様! 古路石様が痛がってますから……!」

「カズエチャン、落ち着いて! うちが踏まれる役やるから!」

 背蟻離ちゃんと亀率ちゃんが、今度はあたしを心配してる。ピタリと社交ダンスが止まる。ニヤリと和江ちゃんが笑う。非道さや狡猾さがにじみ出てる笑顔や。和江ちゃんはあたしの足に目を落とし、

「よっしゃ、ほんならわたしが、骨が折れてへんかどうか確かめてあげる。足の指の肉を万能包丁か何かで切り開いて、露出した骨を直接見て確かめてあげる。ヒヒヒ」

 あたしは和江ちゃんが漏らした不気味な笑い声に狂気を感じ、戦慄した。

「イヤや、そんなん!」

「なんで? 刺身包丁のほうがよかった?」

「ちゃうわ! 出刃包丁のほうがええわ! いや、それもちゃうわ! 洋包丁のほうがええわ! いや、グローバル時代やけどそれもちゃうわ! そうやなくて、万能包丁で肉切ってる途中で、うっかりして骨まで傷つけてしまうかも知れへんやないか!」

 あたしは拒絶する。でも恐怖のせいか、なんか自分自身の理屈までおかしくなってる気がする……。

「ヒヒヒ。でもそうなったときは、切った肉を縫合して骨を隠してしまえばなんもわからへん。骨なんていう外から見えへんもんは、異常があろうとなかろうとどうでもええんや。見えへんのやから。フフフ」

 あたしは一層声を張り上げ、

「それやったらもとから骨は隠れてて見えへんのやから、そもそもなんもする必要ないやないか!! 骨の異常があろうとなかろうとどうでもええんやったら、骨の異常の有無を調べるために肉を切り開く必要ないやないか!!」

「フフフ。まあね。それがホンマのムダ骨ってやつやね。ホホホ。ホネホネホホホ」

「やかましい!! あんたは、もう、生きるな!!」

「な……なんやて!? あ、亜景藻さんこそ、仮死状態になれ!!」

「和江ちゃんこそ、仮免状態になれ!!」

 なんかケンカみたいになってきた。そこへ亀率ちゃんが泣きそうな顔で、

「二人とも、生存権を噛みしめて!!」

 背蟻離ちゃんも心配そうに、

「お、お二人とも、お、落ち着いてください!」

 とりあえずあたしらは落ち着くことにした。

 ……ふと見ると、亀率ちゃんの脚がおかしい。異常になってる。あたしはそれを凝視して、

「亀率ちゃん、単刀直入に言うけど、脚が異常やで」

 なんと亀率ちゃんのヒザから下が、さっきギザギザの上に正座したせいで、変形して同じくギザギザになってる。そう言えば最近体が柔軟になってるとか言うてたし、そのせいか。亀率ちゃんは自分の脚に目を落とし、人生を達観してるかのような冷静な口調で、

「異常になってしもた。ありゃりゃ。ギザギザやわ」

 その一方、こういう現象をまのあたりにするのが初めての背蟻離ちゃんは、見るからに動揺し、

「キャア!! ね、根本様、だ、大丈夫ですか!?」

「うちは大丈夫。こんなこと、ようあるから」

 亀率ちゃんは落ち着き払った様子で答える。

「は、はあ……」

 背蟻離ちゃんは得体の知れへんモンスター銀河でも見るような目で、亀率ちゃんの三角状に波打つ脚を眺める。あたしは亀率ちゃんの脚を指差し、

「それ、すぐもとに戻るん? 正常化するん?」

 すると亀率ちゃんは自らの脚を手でさすりながら、

「あかん。たった今、体が硬くなってしもたみたい。石化少女愛好家の皆さんが狂喜しそうなくらいカチンコチンや。しばらくもとに戻らへんかも知れへん」

「そ、そう……」

 そして横では和江ちゃんが、なんかエキサイトしながら、

「こ……こ……こ……こ、こ、ここここここここれは素晴らしい! えも言われぬ美しさ! 神々しいとさえ感じさせる! 亀率さん、ちょっと脚を投げ出して座ってみて!!」

「え? なんで? まあ、脚を投げ出して座ってみるけど」

 亀率ちゃんが脚を投げ出して地面に座る。

「ありがと。よっしゃ、ほな、亜景藻さん……は、なんかまた面倒臭いことになりそうやから……よっしゃ、ほな、背蟻離さん、ちょっと亀率ちゃんの脚の上に正座してみてくれへんかな? で、その上からさっきみたいに石抱の要領で石を載せていくねん。それでもし背蟻離さんの脚まで同じようにギザギザになったら、今度はそこに瑠璃さんを正座させて同じことやって、瑠璃さんの脚までギザギザになったら今度は……」

 和江ちゃんが興奮気味にまくし立てる。背蟻離ちゃんは驚いた顔で、

「あ、あの、えっと、その、わたくし……ですか……!?」

 背蟻離ちゃん、うろたえてる。そら、せやろな。……って、え? 亀率ちゃんの脚に……!? 座る……!? 亀率ちゃんは首をかしげて、

「うちの脚の上にセギリチャンが座る? そんなんでうまいことギザギザが感染するかなあ? セギリチャンやルリチャンはうちみたいに体が異常なまでに柔軟になったりしてへんから、無理やと思うけどなあ、奇跡でも起きへんかぎり。それに仮にうち以外のみんなの体もたまたま柔軟になってたとしても、カセットテープでダビングにダビングを重ねたら劣化するみたいに、だんだん中途半端なギザギザになっていくと思うなあ」

 亀率ちゃんが何やらロジカルなことを言うてるような気がするけど、あたしはそれどころやない。亀率ちゃんに座る……!? それってヒザ枕……!? 亀率ちゃんにヒザ枕してもらえるってこと……!? いや、正座するわけやから……ヒザ座布団!? ひざざぶとんって、「ざ」が二個も含まれてるやん!! ザ・ヒザ座布団やと、三個やん!! いやそんなことはどうでもええけど、亀率ちゃんの上に座れるチャンスであることは確か!!

「あたし!! あたしがやるうううううううう!!」

 あたしは思わず必死の形相で大声を出してた。

「……ん?」

 和江ちゃんが怪訝そうにこっちを見る。

「……アケモチャン?」

「……古路石様?」

 亀率ちゃんと背蟻離ちゃんも同様。あたしはハッとして、

「い、いやその、あ、あたしが、それくらいやったら、や、やってもええよ、うん。ヒマやし」

 いやしかしこれはヒザ座布団やなくて、よう考えたら、スネ座布団やないか? 座る箇所はヒザとちゃうし。スネやし。……あれ? ヒザ枕もそもそも頭を載せる箇所がヒザとちゃうような。どう考えてもありゃヒザより上やんな。もしヒザに頭載せたら、多分ゴロゴロして痛いし。体が柔軟なときの亀率ちゃんのヒザやったら、プニプニしてるかも知れへんけど。

「……あ、そう。ほな、まあ、頼むわ。座って」

 和江ちゃんが促す。あたしは失礼して亀率ちゃんの脚に正座させていただくことにした。ドキドキドキドキ……。ああ、ときめく……!! 亀率ちゃんに座るなんて……!! そして亀率ちゃんの脚とあたしの脚が重なり、大興奮のあたしは、

「くああああああああああああああ……!!」

 亀率ちゃんに座ったあああああ……!! ちなみにメッチャ硬い。まさにカチンコチン。やや痛い。和江ちゃんが不思議そうに、

「今の咆哮はなんや……って、亜景藻さんの声か。そんなに叫ぶほど痛い? まだ石載せてへんのに。まあ、今の悲鳴はそれなりによかったけど」

 激痛による悲鳴やと思たらしい。……ああ、もう、恍惚状態……前後不覚……。亀率ちゃんは心配そうに、

「アケモチャン、痛いの!? 痛かったら無理せんといて!」

「あ、いや、亀率ちゃん、大丈夫やから……!!」

 一方背蟻離ちゃんは、心配そうな、それでいて異様な光景でも見るかのような目でこちらを見守ってる。

「ほな、石載せていくで」

 和江ちゃんが言う。これで重力によってあたしの脚がさらに亀率ちゃんの脚に押しつけられるわけか……!! 和江ちゃんの手が、さっき落とした縁石に触れる。

「さっきとは気分を変えて、まずは縁石からいってみるわ」

 和江ちゃんが縁石を持ち上げる……と思たら、手が滑って縁石を落とした。で、その角が和江ちゃんの左足のつま先を直撃した。

「ぎゃあああああああああああああああああああああ!!」

 和江ちゃんが路上でのたうち回る。

「か、和江ちゃん!!」

「平瀬様!!」

「カズエチャン!! カズエチャン!! 大丈夫!?」

 亀率ちゃんが、あたしをどかせて、七転八倒によって七十八メートルほど転がって行った和江ちゃんのもとに駆け寄る。背蟻離ちゃんも駆け寄る。残されたあたしは呆然。なんてことや……。至福のときが……。

 七十八メートルほど向こうで、地面に倒れてた和江ちゃんが上体を起こし、(ここからやと見えへんけど、多分涙をポロポロとこぼしながら)訴え始めた。ここからやとよう聞こえへんけど、「助けてっ」とか「痛ったいよおおおおおおおおおお……!!」とか「死ぬかもっ……!!」とか言うてるみたい。

 七十八メートルほど向こうで、亀率ちゃんが和江ちゃんの背中に手を回し、(ここからやと見えへんけど、多分いっしょに泣きながら)和江ちゃんが落ち着くまで待つ。そのあと、亀率ちゃんは和江ちゃんの靴と靴下を脱がせ、足を観察する。背蟻離ちゃんも覗き込む。

 亀率ちゃんと和江ちゃんがなんか話してる。ここからやと聞こえへんけど、「出血はないけど、足の指の骨折とかないかな」とか「痛み治まってきたし、大丈夫みたいやわ」とか「ホンマ? よかったあ」とか言うてるんやと思う。

 あたしはおもむろに立ち上がり、みんなのもとに行き、口を開いた。

「さて、今メッチャあたしウズウズしてる。そんなわけで亀率ちゃん、さっきの続きを……」

 するとそこへ、遅刻者杉久保さんの姿が。鼻毛が鼻の穴から二メートルほど前方に伸びており、その先にはイヌがつながってる。犬種はボーダーコリーや。度肝を抜かれたあたしは、

「す、杉久保さん、何を!?」

「……イヌの散歩よ」

 杉久保さんが答えた。背蟻離ちゃんも目をパチクリさせてる。さすがの和江ちゃんも、若干目を見開いてる。変化がないのは亀率ちゃんだけ。亀率ちゃんはイヌを指差し、

「ルリチャン、そのイヌは飼いイヌなん? イヌ飼うてたん?」

「……違うわ。……これは鼻毛で編んだボーダーコリーよ。……リードもイヌも百パーセント鼻毛よ。……だからこのイヌは無生物よ。……ちゃんとイヌらしく動くように造ってあるけどね。……ボーダーコリーの黒い毛は鼻毛そのままで使えるけど、白い毛はメラニン色素をなくしてるの」

 ……なくしてる? 亀率ちゃんは感心した様子で、

「さすがルリチャン。確か自分の意思でメラニン色素の量を調節して黒い毛も白い毛も生み出せるんやんな」

 自分の意思でそんなことができるとは。しかもこんなイヌらしい動きをする物体まで編めるとは。エポックメイキングな技術に脱帽や。ただあたしはどうしても気になって、

「でも、恥ずかしくないんですか? 鼻毛がそんなふうに伸びてて……」

 そう訊くと杉久保さんは、

「……なぜ? ……遠目には鼻毛とはわからないわ。……単に鼻の穴からリードが出てるだけのように見えるわよ」

「は、はあ。しかし、鼻からリードが出てるだけでも恥ずかしいと思うんですけど……」

 和江ちゃんと背蟻離ちゃんは、杉久保さんに自己紹介をすることになった。

「えーっと、ほなわたしからいくわ。わたしは平瀬和江。一尾里町立月丘峰界(がっきゅうほうかい)高等学校二年三組の風紀委員。他の三人とはクラスメイト。校則至上主義者。校則を破る不届き者は成敗する。まあ、校則を口実に独裁とか拷問とかがやりたいだけやねんけどね。亜景藻さんいわく、サディスト。宿敵は、わが校一の問題児である宛塚旗布さん。好きな言葉は人身御供。やってみたい心理学実験はミルグラム実験。父は刑法史研究家、母は黒魔術マニア、弟はグロ映像愛好家、祖母は血を見るのが三度の飯より好きです。祖父は去年、祖母の部屋に呼ばれた際に不可解な事故で他界。よろしく」

「お初にお目にかかります。辻見(つじみ)背蟻離と申します。美化委員です。えっと、趣味や特技と呼べるほどのものは特にございません。えっと……家族は父と母と妹がおります。弟は全内臓偽物症という難病で亡くなりました。あとは……えーと……いや、その……以後お見知りおきを……」

 で、次は杉久保さんの番。

「……杉久保瑠璃。……東京都鳶田市出身・在住。……鳶田市立鷹生(たかうみ)高等学校二年五組。……手芸部。……理由は秘密だけど、ちょくちょく大阪に来てるわ。……頭髪と鼻毛が無尽蔵に伸びて、その毛であらゆるものを製作できるわ。……趣味はバイオリン、ハープ、それから怪しい健康法に手を出すこと。……家族はピアニストの父と、フルーティストの母と、トランペッターの兄と、ドラマーの祖父、ユーフォニアミストの祖母、ティンパニストの曽祖父、クラリネッティストの曾祖母。……よろしく」

 あれ? クラリネット吹く人はクラリネッターでは? いや、クラリネッティストか。……いや、やっぱりクラリネッターでは? うーん……まあ、どっちでもええか。ひきこもる人の呼び方も、ひきこもりでもヒッキーでもどっちでもええもんな。

「ほな行こか!」

 和江ちゃんが促した。あたしは泣きそうになりながら、

「ちょ、ちょっと、さっきの続きは……!?」

 二度となさそうな機会やったのに……。まあ、座れただけでも一歩前進とするか……。


「ここがうちの家」

 亀率ちゃんが言うた。着いたのはカチンコチンハイツという名前のマンションの前。亀率ちゃんもあたしらも家って言うてたけど、マンション住まいやったんか。マンションを指差しながら和江ちゃんが、

「亀率さん、すごいなあ。こんな大邸宅に住んでんの? 一軒家としてはでかすぎるやろ。一体何階建てやねん。アメリカ人顔負けの家のでかさやな。しかも入り口が自動ドアやし。ゴージャス。リッチ。豪華絢爛。羨ましい。すごい。すごすぎるわ」

 口を極めて褒めちぎってる。亀率ちゃんは無表情で、

「え? そんなにすごい? でも、建てたのはうちやないし……。土建屋さんを褒めてあげてほしいな」

 亀率ちゃんのツッコミは完全にズレてるような気がする。いや、そもそもツッコミになってへん。「大邸宅」とか「一軒家」とかが、右の耳から左の耳に抜けてるんやろな。まあ亀率ちゃんやから、しゃあないけど。それよりもこのマンション、ペットの持ち込みは大丈夫なんやろか? 今日はこうして杉久保さんがペットを……いや、あのイヌは鼻毛やったな。

「ほな入ろか」

 亀率ちゃんが言い、五人で入り口の自動ドアの前に立つ。しかし、なぜか自動ドアが開かへん。亀率ちゃんは自動ドアを指差し、

「これ、自動ドアやけど、人を通すために自動で開いてくれるドアちゃうねん」

 どういうこっちゃ? 疑問に思てると、亀率ちゃんが自動ドアに向かって生の魚を放り投げた。その途端、自動ドアが凄まじいスピードで開閉を何度も繰り返し、停止したかと思うと、あたしたちの足もとに三枚におろされた魚(カマス)が転がってた。亀率ちゃんはカマスを拾い、

「この自動ドアは、自動で魚を三枚におろすドアやから」

 亀率ちゃんは手で自動ドアを開けて、あたしたちを通した。

 マンションの中に入り、エレベーターの扉の前まで来た。扉の横には、▲のボタンと▼のボタン。あたしはまた疑問に思い、

「あれ? ここ一階のはずやのに、なんで下へ行くボタンがあるん? 地下でもあるん?」

 すると亀率ちゃんは扉を指差し、

「ああ、ちゃうねん。これ、エレベーターちゃうねん。自動販売機やねん」

 亀率ちゃんは、▼のボタンの下にある細長い穴に百円硬貨を入れ、▼のボタンを押した。次の瞬間、扉が開き、中からゴロンと巨大な▼が出て来た。

「わあっ!」

「ひっ!!」

「おおっ!」

「…………」

 あたしも背蟻離ちゃんも和江ちゃんも杉久保さんも驚いた。いや、杉久保さんは驚いてへんかも知れへんけど。あたしはまたまた疑問に思い、

「亀率ちゃん、これ……何?」

 亀率ちゃんは真顔で、

「▼」

「▼って……何?」

「何って言われても、▼としか言いようがないなあ」

「そんな……」

「▲も欲しい?」

「いりません。大体、▼を逆さまにしたらいっしょやん」


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コメディー小説『アッケラカンサッパリカン』


第二十三話 マンションで 後編


 そんなこんなで、(このマンションにはエレベーターがないので)あたしたちは階段で六階に上がり、亀率ちゃんの部屋に上がり、丸座卓を囲んでフロアクッションに座り、缶ジュース(リンゴ果汁百パーセント)を飲みつつ、チョコチップクッキーに舌鼓を打ってくつろいでいる。ただ、杉久保さんだけは飲食物に手を伸ばさへんどころか、クッションに正座したまま微動だにせえへん。うーん、杉久保さんは超然としてて何を考えてるかわからん人やな。悟りの境地のそのまた向こうのブレーン宇宙で人生を達観してるって感じやな。何考えてるかわからんってことに関しては亀率ちゃんも五十歩百歩やけど。あと和江ちゃんもか。

 亀率ちゃんが、アホみたいにてんこ盛りになってるチョコチップクッキーをつまみながら(まあてんこ盛りにしたのも亀率ちゃん自身やけど)、

「チョコチップクッキーとベルベットモンキーって酷似してるなあ」

 あたしはやや困惑しながら、

「名称の響きがね……。容貌は似てへんね……」

 すると亀率ちゃんは首を横に振りつつ、

「いやいや、アングルが酷似してるってこと」

 あたしは凄まじく困惑しながら、

「アングル!? って、なんに対するアングル!? 分度器で測ったん!?」

「そりゃあもちろん、現代社会に対するアングル」

「なるほど……って、いやいや、意味がわからん。わからんでもええけど」

「せやからつまり、斜に構えてるってこと」

「斜に……!? どのへんが……!?」

「まあ、ただ単にそんな雰囲気があるってだけやけどね。チョコチップクッキーとベルベットモンキーのたたずまいが、両者ともにいかにも斜に構えてるようで。もちろん無生物であるチョコチップクッキーが現代社会を観察してるわけがない」

「生物であるベルベットモンキーも観察してへんと思うけど……」

 あたしは亀率ちゃんの予想外の着眼点に度肝を抜かれた。亀率ちゃんは屈託のない笑顔で、

「うちチョコチップクッキーが大好物やねん。世界でいちばん好きな食べものや。二番目に好きなのは、フキ。ちなみに三番目はブルーベリーサプリメント」

 あたしはそのあまりの統一感のなさに愕然としながら、

「フキって……野菜のフキ? その他のフキ?」

「野菜のフキや。野菜のフキ以外にないやん。果物にフキってあるん?」

「いや、野菜以外やと、たとえば独立不羈の不羈とか……まあええわ……」

「その怪訝な表情。アケモチャン、まさかフキをバカにしてる……!? フキの神様が怒るで! フキガミ様が! うち無神論者やけど、うちがフキガミ様になるから!! 新興宗教を創始するから!! 通信販売で宗教グッズ売り出すから!! フキをバカにしたらあかんで!!」

 半泣きになる亀率ちゃん。

「いやいやいやいや!! ごめんごめん!! バ、バカにしてへんよ!! ただ、チョコチップクッキーとフキって……ギャップが……ギャップが……それはもう、ぎゃっぷぎゃっぷしてまして……。あまりにもかけ離れてるやん……」

「うーん、自分で言うのもおかしいけど、確かに離れてるかも。世界地理にたとえたら、ブルキナファソとバルバドスくらい離れてるかも」

「せやろ? って、いやいや、ややわかりにくいよ、そのたとえ……」

「そうかな? でもチョコチップクッキーとフキって、食い合わせは問題ないと思うけど」

「食い合わせって、チョコチップクッキーとフキはいっしょに食べへんやろ……」

「うち、毎日いっしょに食べてるよ。二枚のチョコチップクッキーにフキをサンドして食べてる。チョコチップフッキーって呼ばれてる」

「うげ。しかも呼ばれてるって、結構有名な食べ方なん? 甘党のベジタリアンの間で流行ってるん?」

「呼ばれてるってのは……うちに呼ばれてる」

「キミだけかい。他の人にも呼ばれなさい」

「いずれにしても、フキは平安時代から栽培されてる日本原産の野菜やねんで。おせち料理のときだけ食べんと、みんな普段からもっと食べよう。浸透させよう。普及させよう。流行させよう。コンセンサスを得よう」

 するといつものように楚々とした背蟻離ちゃんが、落ち着いた声で、

「日本原産の野菜って少ないですよね」

 あたしはうなずきながら、

「確かに少ないかもなあ。もっと日本でもオリジナル野菜がそこかしこでニョキニョキ生えて来たらええのに。フキの他に日本原産の野菜言うたら……うーん、ワサビ、ミツバ、ミョウガ、ヤマイモくらいか? それくらいしか思いつかへん。あとはサトイモの煮っ転がしが箸でつまみにくいのはフォーク屋さんの陰謀って説しか思いつかへん。ゴボウは世界でも日本くらいでしか食用にせえへんけど、原産はどこやったっけ?」

 背蟻離ちゃんは側頭葉の中を検索するような表情で、

「えーと……んー……ゴボウは……少なくとも日本原産ではないはずですよ。……原産はユーラシアのはずです。まあ日本もユーラシア大陸ですが。ゴボウと言えば花の形が面白いですよね。正確には花の下の総苞ですが。あのトゲトゲだらけの総苞がマジックテープ発明のキッカケになったという話が……」

 ……ん? あたしは引っかかった。

「えっと、ちょ、ちょっと待って、背蟻離ちゃん。日本ってユーラシア大陸なん?」

 あたしが疑問を呈すると、背蟻離ちゃんは一瞬呆けたような顔になったが、

「……あっ、はい。ユーラシア大陸の一部ですね」

 うーん、腑に落ちへん。あたしは腕組みをし、

「でも、大陸ちゃうやん。中国側から切り離されてるやん。ちょん切られてるやん。せやろ? もともとは大陸側につながってたけど、大昔に切り離されたやん? それともまだ切り離されてへんの? 切り離されてると思うのは、もしかして目の錯覚? いや、ちゃうやろ? 日本列島は昔は大陸の一部。今は分離済み。せやろ?」

「はい。古生代のさらに前の先カンブリア時代にロディニア大陸から分離した揚子地塊の周縁部が、日本列島の源とされていますよね。そこに付加体が生じて、すなわち海洋プレートが沈み込むことで堆積物が揚子地塊側に集合して、日本が形づくられ始めたと。そして数千万年前に日本海の形成が始まって、大陸側から分離していき……。一万年前にはビュルム氷期が終わりを告げ、現在のような海面水位と列島の形になったわけです。しかし現在でもアジアとヨーロッパをまとめてユーラシアと呼ぶので、日本もアジアの一部である以上ユーラシアかと……。でも現在は大陸ではないという言い方もできますね……。日本はユーラシアではあるけれども、ユーラシア大陸ではないという表現が一番適切でしょうか……。ただ、日本列島のような島国もそれぞれ各大陸に含める考え方もありますので……」

 すると亀率ちゃんも腕組みをしながら(これってアクビがうつる現象の腕組みバージョン!? あたしの腕組みが亀率ちゃんにうつるなんて……感激や!!)、

「アケモチャン、セギリチャン、結局、人によってどこまでをユーラシア大陸とするかの範囲は異なるってことやね。そういうのって結構曖昧やからね。切り離されてるから大陸ちゃうって言うけど、エジプトとアラビア半島は地続きやん? でもアフリカはユーラシアには含めへんやろ。アフリカはアフリカ大陸やろ。北アメリカ大陸と南アメリカ大陸もつながってるやん。首の皮一枚で。結局何が言いたいかというと、世の中ええ加減なもんなんやって」

 首の皮って。すると背蟻離ちゃんが、

「あ、あの、否定するのは大変申しわけないんですけれども、アフリカ大陸とユーラシア大陸の間はスエズ運河で隔たれてますし、北アメリカ大陸と南アメリカ大陸はパナマ運河で隔たれてますよ……」

 亀率ちゃんは目を見開いて、

「うーん……でもそれは、人工的なものやし!!」

「じ、人工か天然かの問題なんでしょうか……。あ、でも、北アメリカ大陸と南アメリカ大陸はまとめてアメリカ大陸と称することもありますし、アフリカ大陸とユーラシア大陸はまとめてアフロ・ユーラシア大陸と称することもありますよね……」

 亀率ちゃんはついに全身をケイレンさせながら、

「うわああああああああああああああああああああ!! 頭がこんがらがるうううううううううううううううううううう!! もうわけわからへんよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 背蟻離ちゃんはマゴマゴして、

「す、すみません!! 申しわけありません!! 忘れてください!!」

 あたしは引き続き腕組みをしながら、

「しかし日本も大陸って言われるのは、やっぱり違和感がバリバリやわ。メロンやイチゴが野菜に分類されることと同じくらい違和感があるわ。スイカが野菜に分類されるのは、もうすっかり慣れっこやけど」

 するとあたしらの会話に辟易したのか、和江ちゃんがゲンナリした顔で、

「さっきワサビとか言うてたけど、スイカやらメロンはともかくとして、ワサビはどう考えても野菜ちゃうやろ。あれは多年草やろ。ワサビが野菜やなんて言うたら、笑われるで。八百屋に鼻で笑われるで。あと、出しゃばった果物屋に耳で笑われるで。ごくまれに、調子に乗ったそろばんの先生に大腸で笑われるで。なあ、背蟻離さん」

「え? いや、えっと、すみません、ワサビは野菜で合ってると思います……。それに、フキやゴボウも多年草ですし……」

 それを聞いて和江ちゃんは目を見開き、

「マジですか? ワサビって野菜なん? みんなワサビを野菜って呼んでるん? 寿司にはさまってるワサビ見て、『おーい、やさーい、やさーい』って呼んでるん? それってアホちゃうん!? それってアホ生物ちゃうん!? 正真正銘のアホ生物やん!! もしそんなアホ生物が寿司屋の客にいたら、わたし耐えられへん!! 泣く!! ゲロを吐く!! 『わたしはワサビ非野菜説を提唱するワサビ学者の平瀬和江です。ワサビ学者の中では珍しく女です』って言いながら、そのアホ生物の食べようとしてる寿司のシャリと大トロの間に名刺をはさんでやりたくなる!! なんで野菜なんて呼ぶん!? 呼んだらなんかええことあるん!? 出世でもするん!? あるいは呼んだらワサビが猫撫で声で返事するん!? 果物って呼んだらそっぽ向くん!? 汚物って呼んだら激昂して鼻の穴に侵入して来るん!? どうなんよ、亀率さん!! ホンマにワサビは野菜なん!?」

 矢継ぎ早に疑問を呈しながら、和江ちゃんは今度は亀率ちゃんのほうに視線を移した。亀率ちゃんはひるむことなく微笑みながら、

「うん、ワサビは野菜やね。念のためにもう一回言うわ。野菜やね。保険をかけてあともう一回言うわ。野菜やね。聞き取られへんかったかも知れへんからもう一回言うわ。野菜やね。これがホンマの最後のチャンスや。野菜やね。録画が間に合わへんかった人のためにもう一回言うわ。野菜やね。……あっ、誰も録画してへんか。今の、せっかくの名場面やったのに」

 和江ちゃんはアクビをしてから、

「おいおい、野菜野菜って言いすぎやろ。どんだけ野菜って言いたいねん。野菜って言うたときの舌の感覚が快感でクセにでもなってんのか。どんだけ舌が敏感やねん。お医者さんに平べったいスプーンみたいなやつで舌押さえられたら病みつきになって、ヨーグルトについてる平べったい使い捨てスプーンで舌押さえまくって昇天するんかい」

「ああ、ごめんごめん。うち最近、『野菜』限定で滑舌が悪いから、つい何度も野菜って言うて練習するクセがついてしもて……」

 和江ちゃんはアンニュイな顔で、

「そんなピンポイント滑舌悪化現象があるんか。……なるほど、ワサビも野菜か。って、そもそも野菜の定義って何? 果物との違いは? 野菜嫌いのわたしは、見た瞬間に吐き気をもよおすほうが野菜で、見た瞬間に吐き気をもよおさへんほうが果物やと思てるけど。幼少時代に友達の家でメロンをおやつに出されたときなんか、果物やと思てたから普通に食べようと思たけど、手をつける前に友達に野菜って教えられて、その瞬間にゲロが噴出したもん。今はマシになって実際に嘔吐することはないけどね。いや、まあええわ、どうでも。嫌いなものの話なんかどうでもええ。ちなみに特に嫌いな野菜はホワイトアスパラガス」

 和江ちゃんが顔をしかめる。続けて和江ちゃんは、

「あとトウモロコシも大嫌い。毛嫌い。小憎らしい。……あれ? トウモロコシって野菜? 果物? 穀物? 妖怪? 河童? そもそもトウモロコシって何? トウモロコシってなんのために生まれて来たん? 何が悲しくてトウモロコシなんかやってんの? もしかしてふざけてんの? 人を愚弄してんの? なんたる狼藉? ……ああ、もう、どうでもええわ、ボケ!! さっきも言うたけど、嫌いなものの話なんかどうでもええんや!!」

 ……独りで話してるクセに。すると亀率ちゃんが大天使のような笑顔で、

「トウミョリョコシも野菜やで。もっかい言うけど、トウニョロコシも野菜やで。もっかいだけ言うけど、トウビョリョキョシも野菜やで。オマケとして言うけど、トウビョビョジョシも野菜やで。でも、なんでホワイチョアシュピャラガスとトウホモピョシが嫌いなん?」

 野菜よりトウモロコシやホワイトアスパラガスのほうがよっぽど言えてへんやないか。亀率ちゃんはそっちを練習すべきやろ。そして和江ちゃんは苦り切った表情で、

「ホワイトアスパラガスは、瓶詰めのピクルスを食べたときに、自分には合わへん味やったからオエってなってしもて。それ以来ホワイトアスパラガスは見るのもイヤになった。映画でホワイトアスパラガスを見るのもイヤになった。街中で小学生たちがホワイトアスパラガスを食べながら下校してるところを見るのもイヤになった。公園のベンチの下とか駅のホームの片隅とかに散らばってるホワイトアスパラガスを見るのもイヤになった。トウモロコシは単純に歯にはさまるから嫌い。……いやむしろ、複雑に歯にはさまるから嫌い」

 どんだけホワイトアスパラガスの遭遇率高いねん。亀率ちゃんはキョトンとした顔で、

「トウピョロキョシが、歯にはさまる? そんなん、小腸と大腸の隙間にはさまるよりはマシやん」

 すると途端に和江ちゃんが目を輝かせ、

「え! そ、それって新手の拷問法!?」

 あたしはそれをどうどうと落ち着かせる。次にあたしは、和江ちゃんがまた拷問まがいの行為をおっ始めるんちゃうかと懸念して会話の軌道変更を図り、

「トウモロコシって確か、コロンブスが発見したんやんな?」

 誰にともなくそう尋ねると和江ちゃんが、

「え? 冷蔵庫の中に?」

「そうそう。冷蔵庫開けたらトウモロコシの載ってる皿を発見……って、そんなスケールの小さい話ちゃうねん! 背蟻離ちゃんは知ってる?」

 よっしゃ。和江ちゃんの反射的なボケとあたしのノリツッコミでうまい具合にカタストロフィーを阻止できたっぽい。背蟻離ちゃんはうなずきながら、

「ええ。コロンブス様が発見して、それ以降世界各地に広まったんですよね」

 すると和江ちゃんが激昂。

「クッソオオオオオ!! なんで発見したら広まる方向に持っていくんや!! トウモロコシなんかいらんねん!! そんなん発見しても黙っといてくれたらええのに!! 心の中にとどめとけや!! 人に言わな気が済まへんのかい!! もしわたしが将来新種の野菜を発見したときは、絶対に誰にも教えたらへんからな!! むしろそのときは『新種の野菜なんかこの世に存在せえへん』ってタイトルの論文を書いたる!! いや、さっそく今日書いたる!!」

 背蟻離ちゃんは、タンカを切る和江ちゃんを見てすくみ上がる。あたしはタメ息をつき、

「いや、普通は新発見したら人に教えるとか学会に発表するとか慢心するとか、なんかするやろ……。コロンブスさんは偉大ですよ。夏祭りの出店の焼きトウモロコシとか、格別やん」

 亀率ちゃんは切なそうな表情になり、

「和江ちゃん、ホワイトアスパラガスの発見秘話は胸を打つ感動話やねんで。十六世紀イタリアで、天災によって農業が壊滅的なダメージを受けたとき、イモでも出てけえへんかなーて土を掘ったら偶然発見されてん。で、そのあと欧州全土に普及したわけ。ちなみにアスパラガスは日本では大正時代に北海道で栽培され始めたけど、そのころはホワイトアスパラガスばっかりやってんで。いやあ、それにしても発見した人は嬉しかったやろなあ……」

 遠い目をした亀率ちゃんは、次に真顔で、

「ちなみにうちはこの前、モグラに憧れて公園の地面を掘ったら、ホワイト人骨が一体まるごと出て来てえらいことになったわ。ビックリしたわあ……。あの人骨さんも、可哀想やったなあ……うっ、うう」

 亀率ちゃんの頬を涙が伝う。……って、人骨!? 確かにえらいことになるわな、そりゃ!! 背蟻離ちゃんも人骨と聞いてビックリしてるみたいや。猟奇趣味の和江ちゃんも「人骨!?」と身を乗り出す。あたしはその白骨死体事件の真相が気になり、

「そ、その人骨は誰やったん? 死んではったん? まあ、骨やから十中八九死んでるやろけど。一体何があったわけ?」

「死んではったよ。えっと、それでその白骨を持ち帰って調べてみたら、三万九千年前のネアンデルタール人さんやった。年齢は十代で、女性。どうもクロマニヨン人さんとケンカして殴られて殺されはったみたい。うっ、ううううううっ、可哀想」

 あたしは耳を疑い、

「三万九千年前の!? しかもネアンデルタール人!? トウモロコシ発見以上の大発見やん……って、キミ、持ち帰ったん!? 家に!? ここに!? もしかしてこの部屋に!? で、自分で調べたん!? どうやって調べたん!? どうやって三万九千年前のネアンデルタール人ってわかったん!? まさか、今も家にその人骨あるん!?」

 あたしと背蟻離ちゃんと和江ちゃんは、思わず部屋をキョロキョロと見回す。杉久保さんだけは相変わらず動きなし。亀率ちゃんは涙をティッシュでぬぐい、

「うん、家にあるよ。あとで見せてあげる」

 和江ちゃんが「今見せて!!」と急かすが、あたしは心の準備をさせてほしかったので、それを話してどうにか納得してもらった。あたしは亀率ちゃんに向き直り、

「それで、どうやって三万九千年前のネアンデルタール人さんってわかったのかって話は?」

「それはやね、実は例の宇宙交信で例の宇宙人さんにお願いして、遠隔的に放射性炭素年代測定とミトコンドリアDNA解析をやってもらったら、三万九千年前のネアンデルタール人さんてことが判明してん。クロマニヨン人さんとケンカして殴られたってのは宇宙人さんの推測。骨の損傷具合から判断したらしい。宇宙人さんの科学的推測は九十九パーセントの確率で当たるらしいよ。それから、殴られたネアンデルタール人さんも殴ったクロマニヨン人さんも、両方女子高生。そのころはまだルーズソックスが流行ってたらしい。さすが三万九千年前。ちなみにケンカの原因は、ネアンデルタール人さんがトイレに行ってる間に、クロマニヨン人さんがネアンデルタール人さんの携帯電話を勝手に見たとか。でもって、殴ったときの凶器はノートパソコンのACアダプター。このへんのこと全部、宇宙人さんの科学的推測。あと他に科学的に推測されたことは……そうそう、ネアンデルタール人さんの携帯電話のアドレス帳にはクロマニヨン人さんのアドレスとマンモスさんのアドレスが入ってたらしい」

 あたしは驚愕し、

「ネアンデルタール人て三万年前に絶滅してるけど、その九千年前に日本列島まで進出してたわけ!? しかも携帯電話とかノートパソコンとか、三万九千年前やのにメッチャ発展してるやん!! マンモスまで携帯使えるとか、メッチャ器用やし!!」

 あたしは驚きを隠せず、声のボリュームを上げた。背蟻離ちゃんも目を丸くして、

「えっと、とりあえず携帯電話とかに関してはニワカには信じがたいんですが、化石人骨の発見だけでもすごいことですよ。降水量の多い国や地域では土壌中の塩基類が流れてしまいますから、ケッペンの気候区分における温暖湿潤気候である日本もほとんどの場所で酸性土壌ですよね。そのせいで土壌中のリン酸カルシウムは溶けてしまいますので、日本では化石人骨が遺存しにくいんです。更新世の化石人骨が多数発見される沖縄は、石灰岩地帯が多いところなので例外的ですが」

 すると亀率ちゃんは右手でティッシュを丸めながら、

「あとで調べたら、どうも公園あたりの酸性土壌は、例の一筋縄ではいかへんお嬢ちゃんがかなり前に中和させてたらしいよ。数万年前に。そのお嬢ちゃん、水素イオンが好きで好きで、そりゃもうオムライスよりもハンバーグよりも水素イオンが好きらしい。それで、あのあたりの水素イオンにかたっぱしから結びついて土壌を中和させたらしいんやわ。で、そのあとは酸性化防止のために護摩焚きをしたから完璧らしい。それにしてもあのお嬢ちゃん、長生きやね。生まれたのは八億年前らしい。もはやお嬢ちゃんなのかどうかわからんけど。彼女が何百億年も生きれるんやったら、今もまだお嬢ちゃんってことでも問題ないと思う。八億年もお嬢ちゃんやってるなんて、ベテランお嬢ちゃんやね。それとちなみにネアンデルタール人さんの日本列島への移動手段についてやけど、徒歩でも舟でも快速電車でもなくて、一般相対性理論に基づいて地球上にアインシュタイン・ローゼンブリッジを発生させて、それを瞬間移動装置として利用したらしい」

 あたしは舌を巻いて、

「お嬢ちゃんすごすぎやろ。ネアンデルタール人発展しすぎやろ」

 殺されたネアンデルタール人に関する話をする一方、和江ちゃんはアクビを噛み殺しながら、

「非常口マークの緑色の人もさすがに骨は白いと思うねんけど、グリーンアスパラガスとホワイトアスパラガスは別の品種なんかな?」

 誰にともなく質問。あたしは前半部分にはツッコまず、

「グリーンアスパラガスとホワイトアスパラガスはまったく同じ品種やで。おはぎとぼたもちくらい同じ」

 背蟻離ちゃんもうなずき、

「白いほうは、盛り土とかで日光に当たらへんようにしただけですよ。いわゆる軟化栽培ですね。ニラの場合は日光が当たらへんように栽培したら黄ニラになるわけです」

 亀率ちゃんが補足として、

「ホワイトアスパラガスに緑色の絵の具を塗ってグリーンアスパラガスにしてるわけとちゃうよ。あ、緑色のインクでもないよ。あ、良心的に緑色の食用色素でもないよ」

 あたしは野菜嫌いらしい和江ちゃんに対して、

「ニラはカロテンが豊富で体にええよ。それにニラは、含まれてる硫化アリルがビタミンBワンの吸収をよくするし。そらもう怒濤の勢いで吸収するよ。全身ビタミンBワンだらけになるくらい吸収するよ。和江ちゃんも、レバニラ炒めとか食べてみたら? 美味しいよ」

 すると和江ちゃんは投げやりな口調で、

「ニラなんか全然食べへんわ。コマツナと同じくらい食べへんわ。全身ビタミンBワンにならんでもええわ。全身ビタミンBワンになりたいときは、ニラなんか食べんと、ビタミンドリンクを全身に塗りたくって経皮吸収するわ」

 せっかくオススメしたのに。あたしは口を尖らせ、

「コマツナも食べへんの? ひょっとしてツナの味がする野菜やと思てた?」

「はあ? そんなわけないやろ。失禁しろ。ホウレンソウはたまーに食べるもん。ホウレンソウがあったら、コマツナいらんやん」

 和江ちゃんのその言葉に対してあたしは、

「何言うてんの。コマツナのカルシウム量はホウレンソウの五倍やねんで。ビタミン、鉄分、カロテンも豊富やし、こんな凄まじい野菜を食べへんとはもったいない。和江ちゃんのほうこそ失禁……いや、むしろ失踪しろ」

 亀率ちゃんは舌を巻いたような顔であたしを見つめ、

「さすが園芸部部員であり食材に厳しいアケモチャンは、栄養について語るときは生き生きしてるね。すごいわ。そこに生命の神秘を感じるわ」

「えっ、そ、そうかな? ありがとう」

 亀率ちゃんに褒められた! 専門的な言い方をすれば、賞賛された! 和江ちゃんもうなずき、

「せやな。亜景藻さんは栄養について語るとき以外はずっと死んでるみたいやもん」

「えええええ……」

 和江ちゃんはさらに続け、

「この前学校で見たときなんか、てっきり死んでると思て危うく火葬するところやったもん。教室ごと」

 それただの放火やないか……。あたしはタメ息をつきながら、

「ほんなら和江ちゃんは好きな野菜ってないん?」

「うーん……」

 すると見目麗しい亀率ちゃんが、芸術品のようなスラリとした片脚を空中に伸ばしながら、

「……カズエチャン、ダイコンとかはどう?」

「いや、ダイコンも嫌いやなあ。あれはおでんの中に入れたらあかんやろ。絶対あかんて。台なしになるもん。残飯になるもん。絶対入れたらあかん」

 あたしは亀率ちゃんの美脚を横目でしっかりチェックしつつ、

「ダイコンと厚揚げはおでんの主役みたいなもんやろ。準主役はがんもどき。準々主役はちくわ。卵は美人ヒロイン。コンニャクは名脇役。糸コンニャクは友情出演。コンニャクの友達ね。コンブはエキストラ。はんぺんは関西では微妙な存在。ちくわぶは関西では不要な存在。ロールキャベツは招かれざる客。ウインナーはアホらしい。トマトは異世界」

 すると杉久保さんが凛とした表情で、

「……関東風おでんをバカにしないでね」

「えっ、あ……いや、別にバカには……すみません」

 再び杉久保さんは押し黙る。和江ちゃんはこちらをねめつけて、

「亜景藻さん、何言うてんの。おでんにダイコンなんか入れたらあかんで。おでんにダイコンなんか入れたら、濃硫酸に水入れたときみたいな大惨事になるで。ホンマにダイコンは危険やで。ダイコンで殴られたら痛いもん。ダイコン脚で蹴られても痛いもん」

 ダイコンを冒涜する言葉の連発に、あたしの堪忍袋の緒が切れた。あたしは語気を荒らげ、

「そんなわけないやろコラ!! このはんぺん娘!!」

 和江ちゃんに対する悪態やったけど、杉久保さんがまた凛とした表情で、

「……関東風おでんをバカにしないでね」

「あ、いや、今のは和江ちゃんのことを……しかし結果的にはんぺん自体も貶めてることになりますよね。すみません」

 和江ちゃんは切歯扼腕し、

「クッソー。春の七草のスズナとスズシロめ。スズシロは命令形の一種やと思てたら、ダイコンのことやし。スズナも終助詞『な』がついて禁止命令を表してると思てたら、ダイコンの親戚のカブのことやし。大体、なんでダイコンはあんなに種類が多いねん。一つにまとめられへんの? そろそろええ加減にスッキリさせてほしい。吸収合併してほしい」

 背蟻離ちゃんが右手人差し指を口もとに当てつつ、

「確かに地方品種が多いですよね。練馬ダイコン、亀戸ダイコン、源助ダイコン、世界最長のダイコンである守口ダイコン、世界最大のダイコンである桜島ダイコン……」

 和江ちゃんが付け加えるように、

「世界最細(さいさい)のカイワレダイコン」

 背蟻離ちゃんは困り顔で、

「いえ、それは……」

 亀率ちゃんが晴れやかな表情で、

「スプラアアアアアアアアアアウトッ!!」

 和江ちゃんが切歯扼腕を終了し、

「そう言えばハツカダイコンって、なんでハツカダイコンって名前なん?」

「それはですね……」

 と、背蟻離ちゃんが答えようとするが、その前に和江ちゃんが、

「あ、わかった。ハツカネズミって確か妊娠期間が二十日やからハツカネズミなんやろ。つまりハツカダイコンの妊娠期間も二十日か」

 あたしはそんな適当な和江ちゃんに、

「さすがにそれはないやろ……。まだニンジンのほうが妊娠に近いやろ……」

「そう? まあ、ハツカネズミのほうがハツカダイコンよりも可愛いことは間違いないから、わたしはハツカダイコンよりもハツカネズミを支援するけどね」

 あたしは嘆息し、

「しかしダイコンを嫌う人がいるとは。日本は経済大国であり技術立国でありダイコン王国やで。ダイコン消費量もダイコン生産量も世界第一位や。こんな国でダイコンを嫌う人がいるとは。それにダイコンは分解酵素アミラーゼが多くて胃もたれに効果的やし、ビタミンCも豊富な体に優しい食材やで。ネズミなんて、逆にワイル病やペストを媒介して体に悪いやん」

 懇々と説明すると和江ちゃんは、

「おでんに入れる野菜やったら、ジャガイモのほうがまだマシやと思うわ」

 あたしはキョトンとして、

「え? ジャガイモなんかおでんに入れる?」

 すると亀率ちゃんと背蟻離ちゃんが、

「うちは入れるよ」

「ジャガイモを入れる人、多いと思いますよ」

 あたしは初耳のおでんダネに戸惑いながら、

「我が家は入れたことないよ。サトイモやったら入れたことあるけど」

 すると和江ちゃんが不思議そうな顔で、

「サトイモは入れへんやろ」

 あたしは救世主を求め、

「えっと、す、杉久保さんは?」

「……サトイモは見たことないわね。……ジャガイモならあるけど」

 ぐへー。しかしここはサトイモの偉大さを熱弁すべき。あたしはセキ払いをし、

「サトイモはヤマイモに対する名称としてサトイモって呼ばれてるわけやけど、もっとカッコええ名前でもええと思うねん! 日本の主食は稲作より前はサトイモやったって言われてるくらしやし! 古くから炎症の治療にサトイモの湿布が使われてるくらいやし! 子孫繁栄の縁起物でもあるし! それに栄養素は……」

 熱弁を遮って和江ちゃんが、

「わたし料理とかせえへんけど、サトイモってかゆいらしいやん。なんでサトイモってかゆいん? 拷問道具として使えるんかな」

「それはやね、シュウ酸カルシウムの……」

 とあたしが解説し始めると、またそれを遮って和江ちゃんが、

「あ、わかった。本来どんな野菜もカユいけど、ほとんどの野菜は表面にカユミ止めが塗ってあるから大丈夫なんや。ところがサトイモはカユミ止めを弾いてしもて塗られへんっちゅうことや。せやろ?」

「何その珍説。カユミを感じるのは手のほうやのに、野菜にカユミ止め塗ってどうすんの」

 あたしは正論を述べた。


 あたしが缶ジュースを飲み終えると、亀率ちゃんが、

「アケモチャン、その空き缶、向こうの缶専用ゴミ箱に投げ入れてみて」

 見ると三メートルほど離れたところにそれらしきゴミ箱が。

「よーし。やってみるわ」

 あたしが空き缶を投げる。空き缶はゴミ箱の後ろの壁にぶつかった。そして跳ね返り、こちらに向かって来る。そしてあたしの頭上を飛び去り、あたしの後ろ一メートルほどのところにある反対側の壁にぶつかる。そしてまた跳ね返り、またあたしの頭上を飛び、またゴミ箱の後ろの壁にぶつかる。そして跳ね返り、あたしの頭上を飛び去り、あたしの後ろの壁にぶつかる。そんな往復を空き缶は自然に百四十回も繰り返し、最終的に空き缶はすっかりペシャンコの状態になった上で、ゴミ箱の中にカランと入った。あたしは息を呑み、

「き……奇跡的! 天然空き缶プレス現象!! どういう原理!? これは勉強せなあかん!!」

 まさかこんなに楽に空き缶をペシャンコにする方法があったとは。時間はかかるけど。亀率ちゃんが興味津々で、

「うちもやってみるわ。さっきとはちゃうスピードでやったらどうなるやろ?」

 そして亀率ちゃんも空き缶を投げた。亀率ちゃんは意識的にゆうううううっくりと腕を動かし、ふうううううんわりと投げる。するとその意思が空き缶にも伝わったのか、空き缶は空中をゆうううううっくりと飛んで行く。そしてゴミ箱の後ろの壁に当たる。跳ね返り、またゆうううううっくりとこちらに向かって来て、亀率ちゃんの頭上を飛び去り、ゆうううううっくりと飛んでいって反対側の壁にぶつかる。また跳ね返り、ゆうううううっくりと亀率ちゃんの頭上を飛び去り……。そんな往復を空き缶は自然に何十回と繰り返すが、だんだんそのスピードは遅くなって行き……ついには空中でピタリと静止した。あたしはキツネにつままれたような気持ちで、

「またもや、き……奇跡的! 天然空き缶浮かんでる現象!! どういう原理!? これは勉強せなあかん!! 今度は和江ちゃんもやってみて!! 早く!!」

 なんかテンションが上がってきた。背蟻離ちゃんだけはポカンとしてるけど、他はみんな落ち着いてるなあ。杉久保さんは興味すらなさそうやし。

「よし、やるわ。うおりゃああああああああああ!!」

 和江ちゃんはものすごい勢いで腕を振り、ものすごい勢いで空き缶を投げ……ると見せかけて、それを自分の頭の上に載せた。あたしは興醒めし、

「何してんの」

「いや、ウィリアム・テルはリンゴジュースの空き缶も撃つのかなーと思て」

 そのとき、空き缶が和江ちゃんの頭から滑り落ちた。空き缶は床に向かって落下し、床に当たる……直前、クルリと向きを変え、缶が落ちる様子を見てた和江ちゃんの顔面に激突。

「のひゃあああっ!! 痛いっ!!」

 亀率ちゃんも背蟻離ちゃんもあたしも心配し、

「カズエチャン!! 大丈夫!?」

「平瀬様!! 大丈夫ですか!?」

「か、和江ちゃん、大丈夫!? キミがいらんフェイントとかやるから、空き缶も落ちると見せかけてぶつかって来たんやん!!」

 和江ちゃんは腹立たしげに、

「腑に落ちん!!」

 しかしあたしは感動せざるを得ず、

「にしても、き……奇跡的! 天然空き缶見せかける現象!! どういう原理!? これは勉強せなあかん!! 今度は背蟻離ちゃんもやってみて!! 早く!!」

「えっ!? ……あ、は、はい!!」

 背蟻離ちゃんは一瞬躊躇したようやったけど、あたしの形相に気圧されたのか、やってくれることになった。背蟻離ちゃんは、あたしのときよりやや弱い勢いで空き缶を投げた。すると空き缶はゴミ箱のフチに、絶妙なバランスで載った。あたしは缶をゴミ箱の中に落とそうと息を吸い込み、

「ふううううう!! ふううううううううううううううう!!」

 三メートル先の空き缶に息を吹きかけてみる。すると……空き缶ではなく、ゴミ箱の後ろの壁が倒れた。

「やはり、き……奇跡的! 人災壁倒れ現象!! どういう原理!? これは弁償せなあかん!!」


 倒れた先が同じ根本家やったということが不幸中の幸いやったな。隣人の部屋に倒れてたらエラいことやった。

「亀率さん、そろそろ骨を見してや」

 和江ちゃんが促した。

「あ、せやね。はい、これ」

 亀率ちゃんは、机の引き出しからペラペラした大きな何かを取り出し、座卓の上に置いた。あたしらはそれを凝視する。和江ちゃんは不服そうな声で、

「何、これ。レントゲン写真やん」

 人間の全身を写したレントゲン写真やな。

「うん。ネアンデルタール人さんの人骨、今はうちの体の中に入ってるから」

 しばらくの沈黙のあと、

「ええええっ!?」

 みんなが叫んだ。杉久保さんを除いて。あたしはゴクリと唾を飲み込み、

「な……なんで?」

「大阪檀松馬病院でアミユセンセーに頼んで、うちの骨をネアンデルタール人さんの骨と交換してもろた。髪形を変えるかわりに骨形(ほねがた)を変えてみよっかなって思て。でもいちばんの理由は、やっぱり骨は現役の骨でいてるほうがその価値を発揮すると思うから。宇宙人さんの科学的推測でも、そのほうがネアンデルタール人さんも浮かばれると。もちろんうちの骨も使うよ。これからうちの骨とネアンデルタール人さんの骨、五年ごとに交代で頑張ってもらおかなって」

 背蟻離ちゃんはやや震えた声で、

「ほんなら、根本様の骨は今どこに……?」

「例の公園の地中に保存してる」

 あたしはタメ息をつき、

「それこそ事件や」


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コメディー小説『アッケラカンサッパリカン』


第二十四話 居間で


 夏休みが明けたあとの初めての休日。朝。あたしは自室でパソコンの前に座り、占い師の久力出麻枷(くちからでまかせ)さんのサイトにアクセスした。久力出さんは、今全国のコンクリート破砕器作業主任者の間で人気絶頂の女性占い師。星座占いのページを見てみる。そこにはこう書いてある。

「今日の星座占いです。てんびん座は最悪の運勢です。お風呂のフタを買うて来てとお母さんに頼むと、お母さんは間違えてお風呂の栓を買うて来るでしょう。あと、お風呂上がりに家族にとんでもない格好あるいはあられもない格好を見られてしまうでしょう。『とんで』や『あられ』のある姿を心がけましょう。節度ある行動を心がけましょう。デリカシーに欠ける発言に注意しましょう。ホンマに注意しましょう。マジで注意しましょう。わかったな、お前ら。注意せえよ、クソが。汚い言葉遣いすんなよ、カス」

 うわ。あたし、てんびん座やのに。今日運勢最悪やん。今度は別の占い師、神路留奈(しんじるな)さんのホームページにアクセスしてみる。留奈さんは、血に飢えたオオカミのようなお姉さん。全国の高橋(たかはし)さんの間で人気絶頂。血液型占いのページを見てみる。

「今日の血液型占いです。A型はキモい。ハッキリ言うけど、キモい。歯に衣着せぬ言い回しをするけど、キモい。ホンマにお前らええ加減にせえよ。恨む」

 うわ。あたし、A型やのに。血液型占いもあかんやん。今日は外出せんほうがええかな。これからコンビニ行きたいのに。輪切りパインの缶詰めと無添加のお弁当とエリア情報誌『いちびりガイド』九月号と推理小説『真相まるわかり殺人事件』を買いに行きたいのに。なんか恨むとか言われたし。まさか路上で留奈さんに襲撃されてしまうん? 留奈さんが、「あなたのナイスデイのために、血液型占いをやってさしあげます! ではまずあなたの血液型を知るために、新鮮な血を拝見させてください!」とか言いながらあたしを八つ裂きにしようとするん? それに対して凛とした態度であたしが、「血液型は自己申告ではあかんのですか? 日本人のほとんどは自分の血液型くらい知ってると思いますよ。欧米人には知らん人も多いらしいですけど。ちなみに日本人のほとんどは、自分の住んでる都道府県の形が指で触ると痛そうか否かという問いにもすぐに答えられますよ。リアス式海岸がある県は痛そうですね」とか、「あなたは肉眼で血を見ただけで血液型がわかるんですか? 肉眼で赤血球表面の抗原を確認できるんですか?」などと疑問を呈しても、八つ裂きにされてしまうん? ……なーんて、占いなんかそもそも信じてへんけどな。そう思いながらもあたしはまた別のホームページ、四柱推命と姓名判断の値藍野東善(あたらんのとうぜん)先生のホームページにアクセスする。東善先生は今年で百三十八歳になる好々爺。全国の痔持ちの間で人気絶頂。

「今日の姓名判断です。古路石亜景藻は、出歩くとボッコボコにされるでしょう。特に、うなじあたりをボッコボコにされるでしょう」

 うわ。これってあたしやん。名指しやん。ネットに名前が流出してるやん。……外出どうしようかな。やめよかな。臆病風に吹かれるあたし。なんぼ占いを信じへんからって、ここまで続けざまに呪われたような運勢ばっかり示されると、ちょっと……。


 尻込みしてたあたしは結局、占いなんかウソっぱちやと自分に言い聞かせながら、外へ出た。所詮占いなんか、ネコが顔を洗うと雨が降るとかいう観天望気よりも当たらへんやろ。ちなみにネコが温水洗浄便座でお尻を洗ったら逆に晴れる……わけがない。

 ……トン。

「あイタ」

 道を歩いてると、背中にバドミントンのシャトルがぶつかった。ああ、やっぱり今日は数々の悲劇に見舞われるんか!? バラエティーに富んだ悲劇に見舞われるんか!? これはその序章か!?

「そこのおねーちゃーん、ごめんなさーい。だいじょーぶー?」

 お嬢ちゃんが現れた。

「あ、キミは前にブランコですごいことをした、あのお嬢ちゃんやん」

「おー、あのときのおねーさんかー。どーもー、あのおじょーですー」

「うん、あのときのお姉さんやで。あのときのお姉さんはね、これからコンビニに行くねん。あのときのお姉さんは、コンビニ大好きやから。あのお嬢ちゃんは、誰かとバドミントンやってたん? もしかして、かのお嬢ちゃんと? それとも、あんなお嬢ちゃんと? それとも、アレなお嬢ちゃんと?」

「ううん、ちゃうよー。ばどみんとんやってへんよー。ただ、しゃとるにうらみがあったから、ぶんなげただけー。えんこーん。えんこーん。えんこーん」

「なるほど、怨恨。そ、そう……」

 お嬢ちゃんはシャトルに対する呪詛の言葉をつぶやきながら去って行った。


 再び歩き出すあたし。今のは背中にシャトルがぶつかる程度でよかったけど、今度は顔面にパイが飛んで来たり、お尻に自転車が食い込んで来たりするんとちゃうやろな……。

 ドゴーン!!

 あたしの目の前に、直径約一メートルの隕石が落下した。

「うわあああああああ!!」

 あたしは飛び上がり、

「いきなりレベル上げすぎやろ!! 急速に過激化しすぎやろ!! もうちょっと初心者向けのやつ用意してえや!! ギリギリ当たらへんかったけど!!」

「ごめんなー、そこの子ー。大丈夫やったかー?」

「これにも持ち主が!?」

 オバサンが現れた。

「うん。この隕石は漬け物石に丁度よさそうやと思たから、漬け物屋さんに隕石の譲渡証書を醗酵してもろて……いや発行してもろて、宇宙から落ちて来るのをずっと待っててん。これでやっと、家に持って帰れるわ。……ん? なんやこれ。落下地点にろくなクレーターができてへんやん。こらあかん。ダサい。ダサいわ」

 そう言いながらオバサンは、公道にスコップで穴を掘り始めた。

「捏造!?」

 ……ああ、しかし今の隕石は心臓に悪いわ。特に左心室に悪いわ。寿命が縮まったわ。日本人の平均寿命が縮まったわ。このまま行っても大丈夫かな? まあ、さすがに隕石が二個も三個も落ちて来たりはせえへんやろけど。


 しばらく歩くと、おデコにイトトンボがとまってる旗布ちゃんに出くわした。

「旗布ちゃん、おデコにイトトンボとまってるで」

「わかってますよー! さっきとまったんでーす! すでに名前もつけてて、ニューコレラ君っていうんでーす! すみませんけど、ちょっとニューコレラ君がおデコにとまってる様子を記念撮影していただけませんかー!?」

 旗布ちゃんがデジカメを差し出す。

「う、うん。ええよ」

 ……パシャ。

「撮れたよ」

「ごめんなさーい! 今、目つぶってしまいましたー!」

「ああ、そうなん? ほな、もう一回……」

「あ、目つぶったのははたふやなくて、ニューコレラ君のほうですよー!」

「って、イトトンボのほうが!? イトトンボって目つぶるん!? しかも複眼やろ!? つぶるときは全部つぶるん!? 第一マブタないやろ!? 人間のマブタを移植したイトトンボか!?」

「あと、はたふの後ろにいてる怨霊も目つぶりましたー!」

「いてるん!? 目つぶったん!? なんで後ろにいてるのに目つぶったってわかるん!? そう言うたら、おデコにとまってるイトトンボが目つぶったのはどうやってわかったん!? どっちも謎や!!」

「イトトンボも怨霊も、目をつぶった音がしましたからー!」

「どんな音!?」

「パチって音ですよー!」

「そ、そう……。耳がええんやね」

「ちょっと今撮った画像を確かめてみてくださーい! 目をつぶったイトトンボと目をつぶった怨霊が写ってるはずですからー!」

「イ、イヤや!! 怖い!! 怨霊怖い!! 目をつぶったイトトンボもそこそこ怖い!!」

「あ、そんなこと言うから怨霊が怒ってあけも先輩にとりついてしまいましたよー!」

「ひいいいい!?」


 怨霊にとりつかれたまま重い足取りで歩いてると(なんか体も重い)、今度は亀率ちゃんに出くわした。あれ? 亀率ちゃんに会うなんて、あたし運ええやん。でも愛の告白とかは、せんほうがええやろな、運勢最悪の今日は。……って、あたしは何を考えてるんや。あかんあかん。

「あ、アケモチャン、ちょっとうち歌創ってみたから、聴いてくれへん? うちの交信相手の宇宙人さんのために創った曲やねんけど。自分で創って、自分で歌って、自分で聴いて、泣いてしもてん」

「え? あ、うん! ええよええよ」

 亀率ちゃんが作詞作曲したわけか。どんな曲やろ? これは楽しみ。みずみずしい感性によって生み出された、胸を打つ名曲に違いないわ。それはええんやけど、惜しむらくはあたしのために創った曲ではない……。

 亀率ちゃんは一呼吸置いて、

「どれほど待てばインカ帝国~、さっぱりティオティワカンな~い。しばらくアテナイあなたからの電子シュメールをマチュピチュわたし~。ストーンとヘンジをクレタらいいのに~」

「…………」

「あ、間違えた。今のは遺跡気分のときに歌う歌やった」

「あ、そっか」

「では気を取り直して」

「うん」

 亀率ちゃんはまた一呼吸置いて、

「赤いスイカと黄色いスイカがあります~。あなたはどっちが好きですか~。わたしは緑と黒のシマシマのスイカが好きや~。赤一色や黄色一色はボーリングの球にしか見えへんで~。スイカの緑を黒く塗ったら真っ黒スイカ~、スイカの黒を緑に塗ったら真っミドスイカ~」

「…………」

「うううっ、後半から感動的になるのに、もう自分で泣いてしまいそうや……」

「後半どう転んだら感動的になるんですかそれは!?」

「う、ううっ……」

「あ、大丈夫……?」

 亀率ちゃんはセキを切ったように泣き出した。

「ううううっ、うううっ。うううううっ。とりあえずサビの部分だけでも歌うわ。ううっ。ちなみに後半はうちのマンションのお隣さん夫婦の新婚時代を歌ってんねん。うううっ。感動ものやで。アケモチャンも目頭を押さえることになると思うで」

「う、うん! 応援するから、頑張って歌って!」

「ううっ、ありがとう……」

 すると亀率ちゃんはまた一呼吸置いて、

「利きお下げ髪~。それは左お下げ髪~。イレカエ、クビオレ、クビスワリ~。サウスポー目指してニュートリノを左手に~。ドキドキワクワクヘリシティ~。せやけどほら手をすり抜ける~。左手でつかみたい、この夢を~。それがままならないもどかしさ~。台風で左へ、左へ、左へ~、ブラックホールで右へ、右へ、右へ~」

「…………」

「…………」

「……あ、終わり?」

「うん。サビの部分は終わり。ホンマは五十六番まであるけどね。ルリチャンには全部聴かせてみたんやけど、『……台風で左へっていうところが意味わからないわね』って言うてた」

「そこ以外は全部わかったん!?」

「ああ、ええ歌やなあ……。ううっ、シクシク」

 亀率ちゃんは、涙ポロポロ、鼻水ゴクゴク。

「い、いや、泣かれても……。そこが可愛いけど。よかったら今の歌、解説してくれへん? ちょっとあたしには高尚すぎて難解かも」

「うん、ええよ。うちのお隣さん夫婦はヒロキサンとマナミサンっていうんやけど、マナミサンのチャームポイントはお下げ髪やねん。で、マナミサンの利き手は右手やけども、利きお下げ髪は左お下げ髪やねん。で、マナミサンは彼に内緒で、ほんの出来心で右と左のお下げ髪を入れ替えようとしたら、勢い余って首が折れたけど、その反動でヒロキサンの首がすわってきた。で、マナミサンも自力で首をもとに戻して、一件落着」

「旦那さん、それまで首すわってへんかったんや。そのへんがマナミサンの母性本能をくすぐって結婚したんかな。まあ一件落着ってことで、ハッピーエンドやね」

「いや、まだ話は続くねん。あと、マナミサンがヒロキサンを好きになった理由はもうちょっとあとで言うから」

「あ、そう」

「では、話の続き。将来の夢がサウスポーのヒロキサンがその左手でつかみたいと願ってるのは、太陽からやって来るニュートリノ。なぜかというと、ニュートリノのヘリシティーは左巻きやから。左巻きやから左手でつかみたいと。単純明快。でもニュートリノは透過性が高い素粒子やから、無論ヒロキサンの手も貫通する。つかみたいのにつかむことがままならないもどかしさ。でも彼のツムジは右巻き」

「ヘリシティーって確か素粒子が右巻きか左巻きかってことやんな? 物理学用語は難しいわ。ヘリ(縁)シティー(都市)って、郊外のことかよって思ってしまう」

「うん、せやね。で、そんなある日、ヒロキサンは左巻きの台風に巻き込まれる。マナミサンが左お下げ髪に彼をつかまらせて救出。でもヒロキサンのツムジが台風のせいで左巻きになってしもた。ヒロキサンは、『ツムジの向きをもとに戻すため、南半球に行って来る。南半球の熱帯低気圧は右巻きやから、インド洋でサイクロンに巻き込まれて来る』と、決意を固める。マナミサンは、『あんたが巻き込まれるんやったら、わたしも巻き込まれる!』と、号泣しながらヒロキサンに抱きつく。そして二人は仲よく巻き込まれることを誓い合う。まさに一蓮托生。う、ううっ、うううっ」

「別にツムジの向きくらいどっちでもええやん。なんでそんなにツムジの向きにこだわらなあかんの? 風水?」

「いや、マナミサンは、ヒロキサンのツムジに一目惚れして結婚したらしいから。ヒロキサンは是が非でも、マナミサンが愛するツムジを取り戻したかったんやと思う。ううっ」

「ああ、そういうことか」

「で、ヒロキサンとマナミサンが誓い合ったわけやけど、いかんせん南半球に行く旅費がない。マナミサンは、『こうなったら右のお下げ髪と左のお下げ髪を入れ替えようとしたときと同じノリで、北半球と南半球を入れ替えるしかないか……』と、野心的」

「そんなことしたら、今度は首やなくて地軸が折れるよ」

「マナミサンは、『計算してみたけど、やっぱり北半球と南半球は重すぎて入れ替えたりでけへんよね……』と、悲しみに打ちひしがれる。そんなある日、ツムジ愛好家であるマナミサンは、憂さ晴らしに気象実験を行ってツムジ風を発生させたわけやけど……アケモチャン、妖怪カマイタチって知ってる?」

「ツムジ風に乗ってやって来るっていう妖怪でしょ? 人の皮膚を切り裂くっていう」

「そう。マナミサンは気象実験でその妖怪カマイタチまでツムジ風と同時に誕生させてしもてん。しかもカマイタチがその鎌を振り回しすぎて、空気中に凄まじい高エネルギー粒子が生み出され、ブラックホールが発生」

「まず妖怪が実在するってことに驚きを隠されへんのですけど」

「隠して。で、そのブラックホールちゃんが当てもなくマンション周辺をウロウロ。全身黒ずくめの見慣れない天体がうろついてるっていう不審星情報が地域住民に広まって、おまわりさんもそのブラックホールちゃんに職質とかしてたらしい。で、そのブラックホールちゃんが角運動量を持って右方向に自転してるらしいってことを知ったヒロキサンが、『俺、ブラックホールに頭近づけてツムジを右巻きに治す』と」

「それは危険やで。潮汐力のせいで首がポーンと飛ぶか、あるいはグシャーっとつぶれて、凄惨な猟奇的事件の現場みたいなことになるで」

「もちろんマナミサンも号泣しながらそこを指摘したけど、ヒロキサンは『潮汐力に関しては、ゆとり教育のおかげで無視できるから大丈夫。レンス・ティリング効果でツムジは右巻きになるし、ペンローズ過程で大脳新皮質にエネルギーが与えられてIQは高くなるし、まさに一石二鳥やで。鼻の穴にブラックホールのカケラが侵入して、大阪檀松馬病院の奴留湯先生みたいにホーキング輻射が鼻から出て来るようになって一石三鳥かも知れへんで』と、情理を尽くした説得。で、マナミサンが左お下げ髪で引き止めようとする中、ヒロキサンはそれを振り払って、ブラックホールちゃんに頭を近づける」

「だ、大丈夫やったん……?」

「ポーンと吹き飛んだ」

「首が!?」

「カツラが」

「カツラやったん!?」

「で、ヒロキサンが『今まで隠しててごめん。お前が惚れたのは……カツラやったんや……』と、くずおれる。しかしマナミサンは、『ええねん。あんたみたいな勇敢な人が夫でよかった』と。二人は抱き合う。ううっ、ううううっ。ちなみにそのブラックホールちゃんはマンション周辺の高圧送電線からの極低周波を吸い込むことでマンション住民の健康を守るようになって、国際的医学賞を総ナメ。ブラックホールちゃんが来る前は、うち以外のマンション住民はみんな体調不良や日本の不景気に悩まされてたからね。ブラックホールちゃん、現在もバリバリ活躍中やで。こないだみんながマンションに遊びに来てくれたときは紹介でけへんかったけど、いつも建物の裏手で活躍してるみたいやから、今度紹介してあげる」

「へー。電磁界によって睡眠障害や頭痛が引き起こされるっていう話があるもんな。まさにそのブラックホールちゃんは、ウイルスや死細胞などの異物を食べて分解し病気を予防する免疫細胞マクロファージの天体バージョンやね。ブラックとマックロ(真っ黒)ってところも共通してるし」

「マンション各部屋でIHクッキングヒーターを使うときなんて、極低周波吸収のためにいちいち出張して来てくれるよ。ときどき横に置いてある調理済みの神戸牛霜降りサーロインまで吸い込まれるけどね。肉大好きみたい」

「ちゃっかりしてるなあ。ただでさえ真っ黒やねんから、もっと緑の野菜をとらなあかんやん」

「あっ、うち、うっかりしてた。家の扇風機が回ったままや。早よ止めなあかん。扇風機が柱の周りをグルグルグルグル回ったままや。早よ止めんと、コードが柱にきつく巻きついて外すのが面倒臭くなる。ほなまたね、アケモチャン」

 亀率ちゃんは立ち去った。なんで扇風機が柱の周りを回ってるんやろ。太陽の周りを公転するよりはマシやけど。そんなことを考えてると、亀率ちゃんが去ったのとは逆の方向から、ガシャンガシャンと音を立てて扇風機がこちらへとまっしぐらに向かって来た!

「……!?」

 どんどんあたしのほうへ向かって来る。……やられる!! あたしは脇目も振らずに逃げた。走って、走って、走って……。しばらくすると、後方から「おーい!」と叫ぶ亀率ちゃんの黄色い声が。ややスピードを落として振り返ると、数メートル後方に迫る扇風機のさらに後方には、それを追い駆ける亀率ちゃんの鬼気迫る表情が。

「アケモチャーン!! それ、うちがさっき言うてた扇風機!! 暴走してんねん!! とにかく逃げて!! コラアアアアアアア!! 扇風機ちゃん!! 人様に迷惑かけたらあかん!!」

 やっぱり亀率ちゃんの扇風機か! うすうす気づいてたけど! とにかく逃げよう!

 ガッシャーン!!

 何かが大破するような音が耳を打ち、再びスピードを落として振り返ると、扇風機が路上で倒れており、その首があらぬ方向に曲がってる。ついでに亀率ちゃんも五体投地のようなカッコで倒れており、その首があらぬ方向に曲がってる。そう言えば最近、亀率ちゃんは骨折しやすい。どう考えてもあのネアンデルタール人の一件のせいやな。

「き、亀率ちゃん! 大丈夫!? どうせ大丈夫やろけど!」

 どうせ大丈夫やろけど、あたしは駆け寄った。どうやら亀率ちゃんは、扇風機が引きずってた電源コードを、飛びついてキャッチしたらしい。

「大丈夫……。最近この子、獰猛で……へへ……って、あああ!! 扇風機ちゃん、首折れてるやん!! ごめん、アケモチャンに迷惑かけへんためにこうするしかなくて……。とにかく修理屋さん呼ばなあかんな」

「亀率ちゃん、キミも首が……」

「あ、うちは当然大丈夫やから」

「せやね」

 首がプラーンとなってる扇風機の電源コードの先のほうを、首がプラーンとなってる亀率ちゃんが手に持ち、まるでイヌの散歩でもするかのように帰路につくのをあたしは見送った。



 そのあとコンビニで買いものを済ませて帰宅したあたしは、居間で雑誌を開いた。すると適当に開いたそのページには、なんとレタス、ハム、マヨネーズがはさまってるやないか。……ページがベチョベチョやないか。

「うわ……。なんやこれ……。誰かのイタズラか? やっぱり今日のあたしは運勢が……?」

「あ、お姉ちゃんもその雑誌買うたんやね」

 翔阿が話しかけて来た。

「翔阿も同じ雑誌買うたん?」

「うん。あっ、レタス、ハム、マヨネーズやん。あたしのもレタス、ハム、マヨネーズが入ってた。やっぱり全部同じなんやね」

「えっ? この雑誌って全部にこういうイタズラされてんの?」

「いや、それ、その雑誌の付録やから」

「…………」

「先月号はカツがはさまってた」

「…………」

「先々月号はツナがはさまってた」

「…………」

「…………」

「…………」

「……お姉ちゃん?」

「……ほな、当然タマゴがはさまってたときもあるんやろ」

「そんなもん、ないに決まってるやん!! お姉ちゃんサイッテー!! 食中毒で死ね!!」

「な、なんで!? タマゴは最高やろ!? タマゴをナメたらあかんで!! マタギもナメたらあかんで!!」

「あたしが最近買うてる別の雑誌はもっと付録が充実してて、エメラルド・タブレットとかアガスティアの葉がはさまってるよ」

「デラックスやなあ。マヨネーズクサくなさそう」

「まあ畢竟(ひっきょう)するに、目玉焼きにマヨネーズかける人は変わり者で厄介者で鼻つまみ者で疎んじられるってことやね。DVD観賞してたらいきなり画面にマヨネーズぶっかけて来る人と同じくらい嫌われるってことやね」

「畢竟するにとか言うてるけど、その結論おかしいし。あと、明らかに後者のほうが嫌われるし。あと、サンドイッチはタマゴサンド、ツナサンド、カツサンド、ハムサンドの順に美味しいし。あと、小学生のときに『あたしってタマゴにたとえたらなんのタマゴやろ?』って友達に訊いたら、『お一人様一パック限りのタマゴ』って言われたし。別の子に訊いたら、『二ヶ月前の生タマゴ』って言われたし。さらに別の子に訊いたら、『アイドルのタマゴ……ではなく、アイドル崩れのタマゴ』って言われたし。さらに別の子に訊いたら、『アイドル崩れ……いや、煮崩れしたタマゴ』って言われたし」

「煮崩れしたタマゴやったらまだええやん。あたしなんか、小学生のときに『あたしってウンコにたとえたらどんなウンコやろ?』って友達に訊いたら、『切れ痔による鮮血とキウイの種にほどよく彩られたウンコ』って言われたし。別の子に訊いたら、『煮崩れしたウンコ』って言われたし。ヒドすぎる! 人をウンコにたとえるとか、ヒドすぎる!」

「あんたがたとえろって言うたんやろ!? 学校で思い出したけど、翔阿、中学校のほうはどうなん? 夏休み中にパワーアップして戻って来た人とかいる? メッチャオシャレになったとか、髪形変わったとか」

「インドア派の慎ましやかな女子が、意外にも夏休み中はずーっと山の中で生活してたらしくて……」

「ふんふん」

「大自然を全身で経験したらしくて、夏休みが明けたら、一皮むけて、それはもう、すっごく……」

「ふんふん」

「クサくなってた」

「風呂入ってへんかったんかい!?」

「うん。あ、一皮むけたって言うたけど、全身の皮膚がはがれて血なまグサくなったとか、そういうことやないから」

「それはわかるけど……何その和江ちゃんが食いつきそうな拷問」

「そうそう、あと一人、もうすっかり別人みたいやなーって感じの人がいて……」

「ふんふん」

「始業式の前にシモダさーんって声をかけたら……」

「ふんふん」

「別人やった」

「別人かい! って、その別人は誰やねん!」

「転校生やった。フジタさんっていう子」

「その子、顔がシモダさんに似てたん?」

「そのときフジタさん、顔をしかめてたから、シモダさんみたいな顔になってた」

「なんで顔をしかめてたん?」

「そりゃもちろん、本物のシモダさんからの強烈な異臭があたりに立ち込めてたから」

「シモダさんってクサくなってた子かいな! 風呂に投入しろ!」

「あ、そうそう、あたしの中学で廊下の掲示板に『廊下は歩くこと』っていう貼り紙が貼られたんやけど」

「……それで?」

「翌日、廊下が歩いてた」

「…………」

「……その廊下は、貼り紙の『廊下は』の部分を主語としてとらえたらしい」

「……廊下が、どこを歩いてたん?」

「……廊下を」

「…………」

「……そのうち、廊下に歩かれてるほう、つまり廊下に踏まれてるほうの廊下まで、歩き始めるかも」

「……どこを?」

「……廊下を」

「……でも、廊下って、脚あるん?」

「……生えてた」

 そのとき、テレビで臨時ニュースが。

「緊急生中継です!! 大阪府一尾里町の路上を、廊下が走ってまふ!! あ、噛んでしもた。繰り返します!! 大阪府一尾里町の路上を、廊下が走ってまふ!! あ、再度噛んでしもた。あ、でも、繰り返す言うてんねんから、これで正解か」

 画面には、いつもあたしが買いものに行ってる商店街を駆ける、廊下の姿が……!! 確かに脚も生えてる。スネ毛も生えてる。校則に縛られずに、風を切って走りたかったんやろな……。いつもは走られる側やし。

 しばらくテレビを観てると、どうも廊下はこちらのほうへ近づいてるみたい。……もしや。あたしはイヤな予感がした。

 数分後、玄関のドアを叩く音……いや、蹴る音がした。ああ、やっぱり今日という日は……。


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コメディー小説『アッケラカンサッパリカン』


第二十五話 トイレ前で


 自室で、中間テストの勉強中。机に向かって、勉強中。いや、訂正。自室で、中間テストの勉強の合間の休憩中。机に向かって、勉強とは関係のないことを空想中。白昼夢がマイブーム。

「あー、いっぺんでええから飛ぶ鳥を落とす勢いで鳥の巣立ちを見送りたいなあ……なんのこっちゃ」

 あたしが深遠な独り言を言うてると、お父さんが部屋のドアの外で、

「おーい、亜景藻。いっしょにデパート行こうや、デパート。まあアパートでもええけど」

 アパートでもええの!? なんかアパートやな。いや、アバウトやな。建物やったらなんでもええわけか。なんちゅう茫洋とした人や。あたしはイスから立たずにドア越しに、

「あかんよ。明日から中間テストやから、勉強せなあかんし。特に明日の科目は英語とアイヌ語とウチナーヤマトグチとコギャル語で、生半可な気持ちではええ点取られへんし」

 それにしても、日本人とだけつきあって生きていくつもりの人にとって、英語なんかなんの役に立つんやろ。コギャル語も将来あんまり役に立たへんと思うけどなあ。超MMってカンジや。するとまたドアの外から、

「……そんなもん、せんでええやん。選択肢の問題は全部Aって答えておけばええやん。選択肢がアイウエオでもAって答えておけばええやん。すべてを投げ打って刹那的に生きろ」

「そういうわけにはいかへんよ。選択肢で答える問題だけとちゃうし。全身のダイナミックな動きで答える問題もあるし。悪いけどお父さんはあっち行っといて。目障りやねん。ドアの向こうにいるから見えへんけど」

「なんやそれ。取りつく島がないな。せっかく六千八百五十二の島嶼からなる島国の民族に生まれたのに、取りつく島がないなんて歯ガユいわあ。……うおおおおおおおおおお!! 亜景藻の人でなし! 鬼! 悪魔! 堕天使! 韋駄天! エビ天! お前は……お前は……最低の娘や!! 何が亜景藻や!! 揚げもんみたいなヘンな名前しやがって!!」

 蛮声を張り上げながらお父さんは、あたしの部屋の前から去って行った。亜景藻って、お父さんがつけた名前でしょうに。あたしは再び空想の世界に戻った。

 飛ぶ鳥を落とす勢いって言うけど、その鳥って不憫な鳥やなあ。せっかく気持ちよく飛んでるところを落とされるなんて。なんの勢いで落とされるかにもよるけど。特に可哀想な鳥は、座薬入れの第一人者が座薬を入れる勢いで落とされる鳥。これは可哀想。可哀想すぎて、もはや胸クソが悪いレベル。

 ところで胸クソってどんなクソなんやろ。鼻クソと比べてどっちが粘着力あるんやろ。……おっと、寝ぼけてた。胸クソは胸そのもののことやった。胸をお下劣に表現すると、胸クソ。よって、胸クソと鼻クソを比べたら、鼻クソのほうが粘着力が高い。しかし、世界のどこかに、鼻クソよりもすごい粘着力の胸クソがあるかも知れへん。ネッチョネチョの胸が。そう言えば世界には、胸やお腹にスプーンやフォークが貼りつく磁石人間さんがいるとか。ああ、でも、あれは粘着力とは言わへんか。貼りつくのは金属品だけやし。ほんなら……もし、世界のほぼすべての原子がなんらかの量子効果によって鉄原子と化したら、どうやろ? そうなったら世界のほとんどのものが磁石人間さんの胸クソに貼りつくわけやから、その胸クソは粘着力があると言うて差し支えないかも。いや、しかし、それは果たして「粘着」か? ただ単に磁力で引きつけられてるだけやないか。やっぱり胸クソは鼻クソに遠く及ばへんと見切りをつけるしかないのか……。そう考えると鼻クソって偉大やな。可愛い女の子と同じくらい偉大。亀率ちゃんと同じくらい偉大。いやいや待て待て。なんぼ鼻クソが偉大でも、亀率ちゃんの足もとにも及ばへんやろ。亀率ちゃんと鼻クソをいっしょくたに扱うなんて言語道断や。ところでいっしょくたのクタってなんなんやろ。うーん……なんやろ……うーん……うーん……うーん……うーん……むむむ……むむむむむ……むむむむむむむむむむ……ふう……クタびれた。クタクタや。

 可愛い女の子と言えば、「黙ってたら可愛いのに」って感じの女の子、いるなあ。たとえば、旗布ちゃんとかがそう。和江ちゃんもそうか。あたしはせいぜい、「黙ってたら無口」とか「黙ってたら寡黙」とか「黙ってたらサイレント」って評されるのが関の山やけど。そう言うたら関の山って言葉は確か、祇園信仰に基づいて各八坂神社がだんじり(山)を製作した際に、三重県関町のものがこれ以上ないってほどの豪奢さを誇ってたことに由来するとか。いっぺんだんじりが連結したジェットコースターに乗ってみたいなあ。次の祇園祭りに備えて京都の街中にレールを張り巡らさせたらええねん。「コンチキチンコースター」とか名づけて、そらもう子供にも大人気やで。山鉾巡行、速やかに終わるやろな。それにしてもやっぱり、日本人は祭りが好きやな。日本と言えば祭り。日本と言えば切腹。他に日本と言えば……大和撫子。旗布ちゃんや和江ちゃんが大和撫子やったら、男の子に人気出るやろなあ。古きよき大和撫子は、殿方の三歩後ろを歩く(これを女性蔑視ととらえる人もいるが、夫が敵の攻撃をよけられるように少し下がってスペースをとっているのである)。張りつき大和撫子は、殿方の三ミリ後ろを歩いて靴のかかとを踏むんやろな。殺人鬼大和撫子は、殿方の死体を地下三メートルに埋めるんやろな。羞恥プレイ好き大和撫子は、殿方の散歩をイヌと同じ扱いでするんやろな。古代ギリシャの自然哲学者ゼノンの提唱したパラドックスである「アキレスとカメ」のアキレスのごとき大和撫子は、殿方の三歩後ろを歩いてて、いつまで経っても殿方に追いつかれへんのやろな。……なんのこっちゃ。大和撫子は上品にウフフと笑う。鼻で笑うときもウフフと笑う。殿方を嘲り笑うときもウフフと笑う。毛布をかぶるときもウフモウフ。……なんのこっちゃ。ただそんな大和撫子も、たまにはイマドキの若い女の子っぽい笑い方をしてみたくなるらしく、「てへっ」と笑うケースが関東地方を中心に数例報告されている……予感がする。また特殊な例としては、「てへみゃんこっこ、てへみゃんこっこ、てへみゃんこっこっこっこっこっこっこ」も報告されている。しかも自己申告で。そんな予感がする。いやー、それにしても、あたしも一度でええから大和撫子になってみたいなあ。でも機会ないやろなあ。ああ、こんなことで悩むんやったら、男の子に生まれたほうがよかったかも。生まれる前に性別を選べたらなあ。子宮の内壁に「男」「女」「緊急脱出」って書かれたスイッチが並んでて、胎児が希望する性別を押せるとか。あるいは、出産の際に出口に「男」「女」ののれんがかかってて、希望するほうから出て来れるとか。……いや待てよ。そもそも受精の瞬間に性別って決まるやないか。X染色体とY染色体の違いやろ。クソー、あたしのX染色体のへの字形の部分をボンドでくっつけて、Y染色体にしようかな。あーあ、大和撫子っぽい髪形が欲しいなあ。大和撫子っぽい目鼻立ちが欲しいなあ。大和撫子っぽい歯並びが欲しいなあ。大和撫子っぽい肺並びが欲しいなあ。つまり肺の並び方ね。ちゃんと並んでる肺やないとイヤ。割り込んで列を乱す肺はイヤ。徹夜で並ぶ情熱のある肺は好感が持てる。

 内臓の話で思いついたけど、手術によって尿瓶を膀胱の中に詰め込んでおけば、それ以降は自動的に用を足すことになるからトイレに行く手間が省けてハッピーちゃうかな? ……いや、明らかに何かがおかしいぞ。そもそも膀胱の中に尿瓶が入るわけあらへん。それに膀胱で思い出す容器と言えば、尿瓶よりも水筒やないか。昔アイヌ民族はシカの膀胱を水筒として使こてたからな。うう、こんなこと考えてたら尿意をもよおしてきた。あたしはトイレへと向かった。


 トイレのドアを開ける。そしてスリッパを履こうと足を踏み入れる前に、あることに気づいた。……あれ? トイレの床に……小石が敷き詰められてるやないか。へー、なかなかオシャレやん。お母さんがやったんかな? それとも翔阿? でもなんか石があんまりキレイな形してへんな。あたしは一つ拾い上げてみた。一センチ弱ほどのサイズの小石やけど、妙にいびつな形状や。奄美大島のホノホシ海岸みたいな丸い石のほうが可愛らしくてええのに。そこへお父さんが近づいて来た。

「あ、亜景藻。それ、お父さんが敷き詰めてん」

「えっ、そうなん? なかなかオシャレやん」

「全部俺の尿路結石やけどな」

「体、大丈夫!? 尿路結石って相当痛いらしいけど、こんなに出たん!?」

「うん。トイレに入ってるとき、いっぺんにそれ全部、ヘソから出た。バーっと散らばって、自動的にトイレの床に敷き詰められた」

「いっぺんに!? ヘソから!? 自動的に!? 未知の領域!!」

「いやあ、しかし、亜景藻……。なんちゅうことしとんねんってツッコむより先に、俺の体の心配をしてくれるとは……。お前は……お前は……最高の娘や!!」

「そりゃどうも……って、うわあああああ!! 尿路結石、触ってしもたやん!! どうしてくれんの!!」

 あたしは慌てて石を床に投げ捨てた。前にもこんなことがあったような……。


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コメディー小説『アッケラカンサッパリカン』


第二十六話 月で 前編


 今日は土曜日。今、自宅のリビングにいる。お母さんは日曜と月曜が休みやから、今日もパートへ行った。翔阿は昼食をスナック菓子で済ませるらしい。今日は菓子メーカーの雀孔風土(じゃんくふうど)株式会社から発売の「シンドロームチップス 冷凍食品味」を食べるとか。ホンマに食べものには無頓着やねんから。まあ普段は翔阿もお母さんの料理(お弁当を含む)を食べてるから、これくらいで健康に悪影響はないと思うけど。なんせ古路石家の食事の栄養指導はあたしやからね。栄養マニア古路石亜景藻と、天才的料理愛好家の古路石静(しず)のコラボレーション。あたしは簡単な炒めもの、煮もの、あえもの程度やったらテキスト本を見ながらつくれるけど、料理に時間を割くくらいやったら読書したいってタイプやからなあ。筑前煮をつくるくらいやったら、筑前煮を狙う怪盗を描いた推理小説が読みたい。それにお母さんの料理の腕は本物やからな。任せておけばええねん。お母さんにつくられへんもんはないってレベルやし。せやからうちの食卓にはなんでも並ぶ。たとえばここ一週間で並んだのは、馬刺し、ゴーヤーチャンプルー、イナゴのつくだ煮、青椒肉絲、ソースカツ丼、ムツゴロウの蒲焼き、トルコライス、ハチノコ、残飯、からあげカレー、ミネストローネ、オムそば、乾燥剤、フォアグラ、プリンアラモード、もんじゃ焼き、エスカルゴ、ブルーチーズ、ニオイつき消しゴム、シャーペンの芯、デミカツ丼、ツナマヨのおにぎり、佐世保バーガー、骨つき鳥、天ぷらうどん、誰かの靴下、五目ご飯、ヤシの実、懐石料理、ウインナーが全体の九十七パーセントを占めるおでん、雨水、パイ投げ用のパイ、白身魚のマリネ、雑煮、バケツプリン、口紅、ピザまん、ハイカラ丼、タルタルソース、ベーグル、ウェディングケーキ、広島風お好み焼き、ポトフ、ブタの丸焼きの張りぼて、シェフの一心不乱サラダ、ツケメン、マロンソフトクリーム、小倉ソフトクリーム、醤油ソフトクリーム、靴下ソフトクリーム、ジャンボパフェ、ニシキヘビの焼き肉、ツバメの巣、宇宙食、キャットフード、石鹸、世界三大おはぎ、あろうことか美味しいイギリス料理、回転寿司、和歌山ラーメン、翔阿のさかむけ、有明海の干潟の泥、フレンチの特別コース料理、マンゴープリン、ショートケーキ、モンブラン、フィナンシェ、ファイナンシャルプランクトン、ヘラクレスオオカブト、鼻クソまんきんたん全席、赤チンなどなど。

 よし、そんなわけで今週もコンビニ弁当と缶ジュースと輪切りパインの缶詰めを買いに行くか。行きつけの二十三時間五十九分営業コンビニ『チョートッカン』へレッツゴーや。あ、それとエリア情報誌『いちびりガイド』十月号も買うか。また今月も「お詫びと訂正」のページが全体の八割以上を占めてるんやろな。どんだけ信用でけへん情報誌やねん。間違いだらけで面白いから買うてるけど。ちなみに今から購入する食べものはすべてヘルシーなものや。コンビニ弁当は、タダのコンビニ弁当やない。チョートッカンのお弁当は、食品添加物不使用、水銀〇(ぜろ)使用、アスベスト分析検査済み。野菜、海藻、マメ類、魚が入ってて栄養バランスがマーベラス。異物混入も基本的になし。まち針も釣り針も注射針も混入してへん。缶ジュースはリンゴ果汁百パーセントで、飲んだ人の発ガン率二十パーセント低下。輪切りパインはノドに優しくするために形が真円。真円にするために、爪切りのヤスリ部分でみがくらしい。でもときどき工場の人がその爪切りでついでに自分の爪を切りながら作業してるみたいで、しょっちゅう爪が混入してる。

 ふと見ると、翔阿はソファーベッドで仰向けになってて、八十デニール黒タイツを履いた脚をバタバタさせてヒマを持て余してる。特に何もしてへんみたいや。

「翔阿、いっしょにチョートッカン行く? 徒歩で。あるいは遠回りして新幹線で」

 なんとなく訊いてみた。翔阿は寝たままで、

「あかんわ。あたし、今日はヨボヨボやもん」

「若いねんから、ピンピンしろ」

「あたしは今度の文化祭実行委員会メンバーやから、たった今から今年の文化祭について沈思黙考せなあかんねん。今年の文化祭は、祇園祭りにしようかな。いや、よさこい祭り? いや、博多どんたく? いや、国府宮裸祭り? それとも、御柱祭? 校舎の柱を折って使うしかないけど。それとも、鍋冠祭り? あれって張り子の鍋を頭にかぶるお祭りやけど、思い切って熱っつい寄せ鍋を頭からザバっとかぶるってのはどうやろ? それでヤケドしたら負けというルールで。あるいは、何が入ってるかわからん闇鍋を頭からザバっとかぶるのは? それでヤケドしたら、やや負け。化学ヤケドしたら、超負け。闇鍋にはいろんなもんが入ってるからね。それとも、トマト祭り? それとも、ウシ追い祭り? それとも、ムシャーマ? それとも、イザイホー? それとも、パーントゥ? それとも、地鎮祭? それとも、マグロの解体ショー? それとも、金粉ショー?」

「あんたの中学校の文化祭って、各地の祭りからどれやるか選ぶの!? ……それよりも、ホンマにいっしょに行かへんの? まあ、いっしょに行ったところでどうなるわけでもないけど。荷物持ちが必要なわけでもないし、タテになってくれる人が必要なわけでもないし、ホコになってくれる人が必要なわけでもないし、メル友になってくれる人が必要なわけでもないし、保証人になってくれる人が必要なわけでもないし」

「よし、文化祭構想終わり。あたし、次はたった今から、外交官になった将来を空想せなあかんねん。ちなみに昨日は公認会計士、一昨日は国税調査官、その前は空想家。将来空想家になる自分を空想する自分って……結構すごい?」

 何やら翔阿がデカルト哲学みたいなことを言うてるけど、なんやようわからんので、あたしは放置して家を出た。


 コンビニであたしは、目的の商品をすべてカゴに入れた。カゴをレジへと運び、台の上に置いた。レジのお姉さんは、こちらに背を向けてタバコを吸うてる。店内って禁煙ちゃうんかな……。しばらく待機するが、お姉さんは背を向けたままや。紫煙があたりを漂う。客がここにいることに気づいてへんのかな。さっき台の上にカゴを置いた音で気づいたと思うけどなあ。そんなことを思てたら、お姉さんが振り向いた。お姉さんと目が合う。あたしはニッコリと微笑んだ。お姉さんはまた向こうを向いた。そしてタバコを吹かし続ける。え……なんで?

「あ、あのー……」

「……何?」

 あたしが声をかけると、ぶっきらぼうな返事が返って来た。

「あ、あの、か、会計を……」

「全部自分でやれや。幼稚園児とちゃうねんから」

 あたしは、やむなく自分でレジを打ち、商品を袋に入れ、おカネを台に置き、店を出た。その間、お姉さんはずっと背を向けてタバコを吸うてた。


 帰り道の途中。自動販売機の前で立ち止まる。もう一本飲みもの買うておくか。あたしはおカネを入れた。希望の国産ミネラルウォーター(軟水)のボタンを押す。しかし……。

「あれ? 商品が出えへん。故障? それとも気まぐれ?」

 すると機械的な音声が、

「……ソンクライジブンデ、テヲツッコンデトレヤ。ヨウチエンジトチャウネンカラ」

 あたしは、やむなく取り出し口に手を突っ込む。……そして奥のほうまで手を……うう……ううう……取られへん。そんなとき、亀率ちゃんが現れた。

「あ、亀率ちゃん」

「アケモチャン、こんにちは。何してんの?」

「いや、ミネラルウォーターが取りにくすぎて」

「ああ、その自販機、商品を取るのが一苦労やんね。ちょっとしたテクニックが必要やし。あたしに任せて。慣れてるから。えっと、ミネラルウォーターって複数あるけど、どの商品? 商品名は?」

「えっと、商品名は、『辺鄙な山のけったいな水』」

「よっしゃ。ほな、源氏名は?」

「源氏名!? ……な、ないよ、そんなん。ちなみにハンドルネームもないよ」

「あ、ごめん、勘違いしてた」

「何と勘違いすんねん……」

「ほな、取るわ」

 亀率ちゃんが取り出し口に手を突っ込む。そしてどんどん奥に腕を入れていく。……ボキ! ……ボキボキボキバキバキベキ!!

「亀率ちゃん!! 明らかに骨が折れまくった音が!!」

「ああ、大丈夫大丈夫。若干痛いけど、このくらいやったらマシ。自然治癒を待つわ。治りが遅かったらアミユセンセーにご飯粒で引っつけてもらうし」

 そして亀率ちゃんは腕を引き抜き、グニャグニャになった腕でおしるこ缶をあたしに手渡した。

「ありが……ってこれ、ものすごく間違うてるやん!! 水とおしるこって、月とスッポンやん!!」

「あ!! ごめん!! ミスした!! どうしよ!! おしるこや!! おしるこが辺鄙な山に流れてたらエラいことや!! いや、辺鄙な山以外の山に流れてても大変なことや!!」

「もうええわ、これで。ノドの渇き、癒せそうにないけど、亀率ちゃんが骨折してまで取り出してくれたものやし。ありがとうね」

「アケモチャンは優しいなあ。ありがとう……うっ、ううっ」


 しかし亀率ちゃんは親切やなあ。気立てがええなあ。至れり尽くせりやなあ。サービス満点やなあ。なんぼ褒めても足らへんくらいや。あたしも亀率ちゃんを見習って一日一善でも始めてみたいなあ。

 すると歩道に、すすり泣く女の子。その視線の先を見ると、街路樹の枝に風船が引っかかってる。よっしゃ、あたしがジャンプしたらかろうじて取れそうや。あたしは女の子に近づく。

「えーんえんえん。えーんえんえん」

「お嬢ちゃん、泣かんといて。あたしが風船、取ってあげるから。無料で」

「……ホンマに?」

「ウン」

「ウソなん!?」

「いやいや、『うん』って言うたの!! ンをソと間違わんといて!!」

「ほんなら……おねえちゃん、おねがい」

「ウン!」

「ウソ!?」

「せやから、『うん』やから!!」

「ほんなら、カタカナでいわんといて!!」

「ごめんごめん、つい世間の欧米化に流された」

「フェニキアモジでいうてほしい」

「フェニキア文字!? それはちょっと無理やなあ。あたし文字ファンやないから」

「ほんならエモジでいうて」

「絵文字はさらに難しいなあ。どう発音したらええんかわからんもん」

「ほんならなんでもええから、カツジやなくて、てがきのモジでいうて」

「そら難関やなあ。そもそも今まで活字で喋ってたってことすら知らんかったわ。……わかったわかった、ほんならフェニキア文字で言うてあげる!」

「わーい」

「          」

「え? きこえへんかったけど……」

「そりゃキミの脳みそにフェニキアフォントがインストールされてへんからや」

「たしかにこのまえのうみそセイリチュウにフヨウなフォントはアンインストールしたかも」

「もともとインストールされてたんか……」

「……とりあえずフウセンとって」

「ウン」

「ウソ!?」

 あたしは「ウソ!?」を無視した。そして、あたしは手を伸ばし、木の枝に向かってジャンプしようとした。そのとき。……ボコオッ!!

 風船に引っ張られて、街路樹が根こそぎ浮かび上がった。そして空高く……空高く……街路樹は風船に連れられて、飛んで行く。

「……ご、ごめん。こんなことになるとは。空高く飛ぶとは」

「……ううん、おねえさんのせいとちゃうもん。ねじまがったブツリホウソクのせいやもん」

「ありがとう……」

 なんてええ子なんや。それにしても近ごろの物理法則はひねくれてるなあ。女の子はあどけない笑顔で、

「あのキとフウセンは、おつきさままでとんでいくかな?」

「……かもね」

「おつきさまについたら、ウサギさんがきづいてくれるかな?」

「……多分ね」

「なんでウサギさんは、おつきさまにいてるん? おつきさまのインリョクはちいさすぎてタイキもひきとめられへんからコキュウがでけへんのに。ヒョウメンオンドもタイヨウコウのあたりかたによってたかすぎたりひくすぎたりするし。なんであんなカコクなカンキョウのホシにすんでるん?」

「……そこまで科学的に考えてるんやったらホンマのことを言うてしまうけど、実際にはウサギはいてへんよ。でも、こういう話があんねん。キツネとサルとウサギが、老人を助けようと食糧を集めることになった。キツネは川魚を、サルは木の実や果物を持って来れたけど、ウサギだけは何もでけへん。そこでウサギは老人に、『わたしを食べてください』とヘンな意味ではなく言い、焚き火の中に身を投じ、焼け死んだ。実は老人の正体は帝釈天。帝釈天はウサギの善行に感心し、月にその姿を遺してあげた。ま、こういう話。民間説話の一つやね。インドのジャータカ神話に由来するんやけどね」

「ふーん。あたしのおかあさんは、ワタフキカイガラムシがすんでたらかっこわるいからウサギさんがすんでるだけってゆうてはった」

「何その消極的理由」


 まだ一善できてへん。さっさと誰か困ってる人を助けよう。困ってる人がいっこうに見つからへんかったら、力ずくで誰かを困らせて助けよう。と、そこへ腑抜けみたいな悲観論者みたいな表情をした和江ちゃんが現れた。これは何かに困ってそうや。

「腑抜けみたいな和江ちゃん、こんにちは」

「おっ、アホのケダモノさん、略してアケモさん。買いもの帰り?」

「うん、お弁当とパインとジュースと雑誌とおしるこね。それよりなんか和江ちゃん、生気がないね。もしかして抜け殻のモノマネ? もし元気ないんやったら、おしるこでも飲む?」

「いらん。わたしが飲食に興味ないこと、亜景藻さんも知ってるやろ」

「栄養バランスとかちょっとは考えて生きたほうがええよ。不摂生な生活してると病魔に冒されるよ。遅刻魔みたいなキス魔みたいな病魔に。せっかく五体満足で生まれて来たんやから、もっと……」

「亜景藻さんも五体満足で生まれたん?」

「え? ……そりゃあ、うん」

「ホンマかいな? 五体満足で生まれたってことは、生まれた途端に満足できたん? 生まれた直後に『ああ、五体満足やわあ。満足、満足』とか言うたん? あるいは言わんでも、頭の中で考えたん?」

「生まれた直後のことなんか覚えてへんけど、言うてへんし考えてへんと思う……」

「ほんなら満足してへんやん。ウソついたらあかん」

「…………」

「つーか、そんなんどうでもええねん。人体に関してわたしが興味あるのは、死とか苦とか屁とかだけや。あたしは死マニアであり苦マニアであり屁マニアやからな」

「しまにあ? くまにあ? へまにあ?」

「そして大好物は、苦痛に歪む表情、うめき声、悲鳴……。視覚や聴覚に訴えるものが好き。味覚やないねん。野菜も果物も魚もあたりめもいらんねん。例外的に人肉とかカニバリズムにはちょっと興味あるけどな。そんなわけで、亜景藻さん、拷問してもええ?」

「イヤ」

 さすがにそれは一善やりたいあたしでもイヤ。

「みんなそう言うねんなあ」

「そらせやろ。でも亀率ちゃんと旗布ちゃんやったら相手してくれるかも」

「せやからその二人はあかんて前も言うたやん。最近も二人に体罰やら拷問やら何度かやってみたけど、やっぱりあかんと再認識したわ。亀率ちゃんはあんまり痛くないみたいやし。旗布ちゃんは演技で苦痛を覆い隠すし。どっちも苦痛に顔を歪めたりせえへんからしょうもない。せやから言うて、二人以外はわたしの趣味につき合うてくれへんし……。体罰という形をとろうにも、校則破るのって旗布さんくらいやし……」

「そらキミみたいなのがいればみんな校則守るようになるわな。破ったら格好の餌食やん。そもそもキミは校則を守らせたいのか破らせたいのかどっちやねん」

「それがジレンマやねんなあ。守らせることで支配欲も満たしたいし、破らせて制裁も加えたいし」

「もう風紀委員やめてまえ」

「はあ……。フラストレーションが……。ちょっとこれ見てみ」

 和江ちゃんはカバンからノートパソコンを取り出し、動画ファイルを再生した。そこには、ロープで縛られて逆さ吊りにされた亀率ちゃんの姿が。場所は和江ちゃんの自室や。前に二回ほど行ったことがある。

「ちょっとちょっと、亀率ちゃんになんてことしてんの。大丈夫やろけど」

「亀率さんが『うち、髪の毛をもう少し伸ばしたいなあ』って言うから、わたしが『逆さ吊りになったら毛も若干伸びてるように見えるで』って言うたら、『おお! それええかも! 頭に血が上って鼻血が出て髪の毛が血まみれになったら髪を赤く染めたのとおんなじやし、一石二鳥やん!』って感じで、やってもらえることに。天然は身を滅ぼすなあとか思いながらほくそ笑んだけど、結局彼女、五時間半逆さ吊りのままでも大丈夫やった。鼻血もなし。鼻毛もなし」

 動画の中の亀率ちゃんは、笑顔で般若心経と円周率を交互に唱えてる。あたしは動画を観ながら、

「亀率ちゃんは頭に血が上らへんのかな」

「亀率さんのあまりの平気さにむしろわたしのほうがイライラして頭に血が上ってたわ」

 うっ……あたしもこの映像観てたら、なんかドキドキして頭に血が……。顔が熱い……。亀率ちゃんが縛られてる……。亀率ちゃんが……縛られて……。どうせやったらあたしも亀率ちゃんといっしょにまとめて雁字がらめにされたいかも……。しかもロープとかやなくて、パイナップルの果実の周りに伸びる草(確か正確には吸芽という)で縛ってほしい……。うっ、ううっ、うおおおおおおおおおお……!! ……おっ、おおっ……。……あるいは杉久保さんの鼻毛で縛ってもらおかな……。あのツヤのある鼻毛はなかなか気持ちよさそうやもんな……。うっ、ううっ、うおおおおおおおおおお……!!

「亜景藻さん? どうしたん? メッチャヘンな顔してるで。なんか悪いものでも食べろ」

「……って、なんで命令形!? いや、ごめんごめん、パイナップルと鼻毛の二択を迫られてたわ」


 家に到着しようかというとき、後ろから、

「古路石亜景藻。お前、古路石亜景藻だな?」

 声に振り向くと、あたしと同い年くらいと思われるがどこか大人びた雰囲気の少女が。

「そうですけど、どちらさまで?」

「ンェ゛モ゜ィッァだ」

「……えっ!! 亀率ちゃんの交信相手の宇宙人さん!? その読みにくすぎて泣きそうになる名前を、初めてネイティブの口から聞けて、感動して泣きそう!!」

「そうだ。亀率の交信相手だ。ワープ航法ではるばるやって来た。お前は古路石亜景藻。大阪府一尾里町生まれ、同町育ち、同町在住。一尾里町立月丘峰界高等学校二年三組。園芸部所属。学業成績は良好。好物は輪切りパイン。食品添加物や食材の栄養素にうるさいが、料理づくりにはあまり関心がないため、自分ではつくらず母親に栄養指導している。最近のマイブームは推理小説と恋愛小説で、今読んでる作品は『しゃっくり百回殺人事件』と『電気按摩から始まる恋もある』」

「な、なんでそこまで!? あたしの大ファン!? ストーカー!? 歪んだ愛情!?」

「宇宙人だからな。それくらいのことは容易に把握できる。お前の知り合いのことも知ってるぞ。根本亀率は我の交信相手で、お前のクラスメイトであり友人だ。心優しく涙もろい美少女。持久力がありマラソンと登山が得意で、意外に学問もできる。学業成績はお前よりも上。しかし騙されやすかったりそそっかしかったりするところがある上に、どこか感覚が世間とはズレており、ときに言動が奇妙。そしてなんと言っても、血が沸騰してたり、脚がメビウスの輪になったり、尿から地球上に存在しないはずの分子構造が見つかったり、一週間地中に生き埋めになっても死ななかったり、そうかと思えば体が急に脆くなってあちこちの臓器が壊れたりと、その体質が最も特異」

「よくご存じで。さすが宇宙人さん。さすが地球外生命体さん。地球内生命体のあたしは、なんてしょうもない存在なんや」

「平瀬和江もお前のクラスメイト。風紀委員。自分の興味のあること以外にはとことん興味がなく、特に食べることに無関心。その好奇心の偏りによって学問はおろそかになり、学業成績は全教科において芳しくなく、特に数学と英語は壊滅的。ただし人体の構造、人間の恐怖や不安などの心理、また猟奇的事件には造詣が深い。校則違反者には容赦なく制裁を加えるという信念があるが、容赦がなさすぎるために、一年の問題児宛塚旗布くらいしか違反者が現れない。もっと制裁を加えたい本人はそれを不満に思っている。しかも宛塚はある程度の苦痛に対し無反応でいられるため、平瀬はまったく満足できない。根本は唯一平瀬の趣味に快くつきあってくれる存在だが、根本も同様に苦痛に対し反応が薄い。したがってこれもまた満足できない。ただし宛塚が演技力によるものであるのに対し、根本はそもそも痛覚が鈍い。そのようなわけで、平瀬はいつも学校を彷徨い、獲物を求めている。たとえ長期休暇中であっても。そして今言及した宛塚旗布は、お前の後輩の一年で、演劇部所属。卓越した演技力があり、涙を自由に出せる他、かなりの苦痛にも表情を変えずにいることができる。勉強はやればできるタイプだが、中学時代はサボりまくって成績不振で、試験はいつも全教科五点前後。この高校に入れたのは、入学試験の極端な採点ミスのため。高校に入ってからはネタとして試験勉強をし、全教科で意図的に十四点を取り続けているが、最近勉強にも飽きてるようなので、また五点前後に戻る可能性大。辻見背蟻離は、お前のクラスメイト。美化委員。弟はすでに他界。引っ込み思案。無趣味。学業成績は小学校時代から現在まで常に学年トップクラス。杉久保瑠璃は、一人称が「自分」の、クールな東京在住の女子高生。ブルジョア音楽一家に生まれた。鳶田市立鷹生高等学校二年五組。手芸部。よく来阪する。非常に器用で、バイオリンなど楽器演奏に長けており、他に料理、茶道、華道を得意とする。またスポーツ万能である他、最長一週間は息を止められたり、際限なく伸びる頭髪や鼻毛でさまざまなものを製作可能。本物と見まがうほどの動き回るイヌから、超高層ビルまでお手のもの。ただしものを覚えることや何かを深く考えることは苦手なようで、そのせいか学業成績は芳しくはない。ちなみに生まれ育った鳶田市は、数ヶ月前、まるごと宇宙に飛び出したことがある。奴留湯編湯は、大阪檀松馬病院の脳神経外科医で、亀率の主治医。好きな色は黒で、黒い服やサングラスを好んで身に着ける。家が全壊したため、現在はマンスリーマンション暮らし。それから、我はお前の家族のことも知ってるぞ。古路石翔阿はお前の妹。明朗活発で、ちょっとやそっとのことでは動じない性格。しかし脳が悲惨で、学業成績はボロボロ。父の古路石丁蔵(ちょうぞう)は……」

「わ、わかりました。ようご存じなことはわかりましたから。……なんの用です? 道に迷ったんですか? 領事館でも探してはるんですか? そちらの星の領事さんはこの星にいてへんと思いますよ」

「ちょっと相談したいことがあってな。お前は今述べた八人の女のうち、三番目に頭がよく、いちばんスムーズな会話が成り立ちそうなキャラだ。だからお前を相談相手に選んだ」

「へ、へえ。頭のよさは三番目なんですか。一番は誰やろ。奴留湯先生かな……」

「それぞれのIQを遠隔検査したからな」

「す、すごいですね。遠距離恋愛もお手のものなんでしょうね」

「辻見背蟻離のIQは百七十五」

「高っ!? アインシュタイン博士のレベルでは!?」

「根本亀率は百六十」

「き、亀率ちゃんもメッチャ高いな……。まあ天然やけど、頭はええしな、あの子」

「お前は百四十五。一応は天才レベル。おめでとう」

「は、はあ。どうもありがとうございます」

「宛塚旗布は百十五。このへんになると知能指数的には凡人」

「うん……まあ、そのくらいが普通ですよね。旗布ちゃんの普段の行動は普通やないけど」

「杉久保瑠璃は百十」

「杉久保さん、頭脳は平凡か。でもその他の能力がすごいからな……」

「平瀬和江は百」

「ふーん」

「古路石翔阿は八十」

「うーん、わが妹ながら、もうちょっとあってくれてもええような気がせんでもない」

「奴留湯編湯は二十」

「低っ!?」

「ちなみに我の父のIQは六百京で……」

「六千京!?」

「いやいや、六百京。あとから無理矢理ハードル上げるってどういうこと? でも六百京って、六百系新幹線みたいでカッコいいだろ」

「新幹線の六百系は欠番ですよ」

「あ、そう。……でもって、我のIQは……驚くなかれ……ンェ゛モ゜ィッァ数以上だ!」

「なんですか、そのンェ゛モ゜ィッァ数って」

「我が数学論文で取り扱った巨大な数だ。地球では、数学的な意味を持つ最大の数はグラハム数と言われているが、ンェ゛モ゜ィッァ数はグラハム数とは比べものにならないほど大きい」

「そ、そうなんですか。で、そのンェ゛モ゜ィッァ数は、どんな意味のある数なんですか?」

「しいて言えば、意味深な数」

「そんな……」

「……さて、古路石。いや、石ころよ」

「石ころ!?」

「ああ、いくらお前のことを頭がいいだの天才だのと言っても、それはあくまで地球人の間でのことだぞ。我から見たらお前など石ころに等しい存在だ。うぬぼれるなよ。いや、石ころよりも、ウンコのほうが近いか。しかも魚のウンコ。ウンコ路石って呼んだほうがいいか?」

「それやったら石ころのほうがマシです……。あと、魚をナメないでください」

「二つとも了解。我のことはンェ゛モ゜ィッァ様と呼べ」

「宇宙人さんって呼んでもよろしいでしょうかね……」

「ほう、名前で呼ぶのは恐れ多いか」

「いや、舌噛みそうってだけです」

「じゃあ、ピー様でいいぞ。ピー様と呼べ」

「ピー様?」

「まだ俗世間については疎いんだが、確か日本では言いにくい部分はピーと言い換えるのだろう。だからピー様でいいぞ」

「いや、そのピーは……まあええか。わかりました、ピー様」

「ん? その様子だと目上の者をピー様と呼ぶことは頻繁にはないようだな。まあいい」

「頻繁どころか全然ないですけどね。皆無ですけどね。なさすぎですけどね」

「それにしても久しぶりに扱いやすそうな都合のいい地球人に会ったよ」

「あんまり嬉しくないです、それ。褒めてるのかけなしてるのか興奮してるのか欲情してるのかわからないです」

「ついでに言うと久しぶりに下痢した」

「ついでに言わんでもええです、それ。不要な情報です。メモしません」

「二日ぶりの下痢だ」

「そっちは十分頻繁です。健康には気をつけてください。地球の通信販売で健康グッズ買うてください」

「頻繁か? 我の星では半分以上の者が二秒おきに下痢してるんだぞ」

「垂れ流しやないですか」


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コメディー小説『アッケラカンサッパリカン』


第二十七話 月で 後編


「それで、相談とは?」

 あたしはピー様に訊いた。ピー様はおもむろに腕を組んで、

「実は高校の天文学レポートのために月面調査旅行をすることになってな。向こうに着いたらちょっと手間ヒマのかかる作業もある。まさにクソネコの手も借りたいくらいなんで、キミのようなクソ地球人が手を貸してくれると嬉しいんだが。言うまでもないことだが、宇宙船と宇宙服は用意してある。両者の安全性については、一流メーカー品だから太鼓判をおしてもいい。どうだ? やってくれるか? いきなりだが、今日は空いてるか?」

「おお、月ですか。宇宙旅行はそのうち友達といっしょに例のワープ航法タクシーに乗って行こうと思てたんですけど、あたしも最近宿題とか読書とか妹の遊び相手とか手旗信号の練習とかでてんてこ舞いでして。これはええ機会ですわ。安全な旅行なら、あたしの友達も何人か参加させてあげたいんですけど、どうでしょうかね。宇宙服が余分に何着かあるならの話ですけど」

「ああ、いいぞ。呼べ。宇宙服は十着以上宇宙船に積んである。ちなみに喪服は千着以上だ」

 そんなわけで月旅行に行くことになった。あたしは、いったんピー様と別れた。ピー様は近くのスーパーのフードコートで昼食をとるらしい。二十分後に再びあたしの家の前まで来てくれるとのこと。

 あたしは家で食事を済ませ、電話を手に取った。誰を誘おうかな。亀率ちゃんと背蟻離ちゃんと……あともし今大阪に来てるんやったら、杉久保さんも呼ぶか。ピー様のレポートのための真面目な旅行やし、和江ちゃんや旗布ちゃんや翔阿は足手まといになりそうやから、やめとこ。あたしは三人に、「ピー様と月行こ」って感じの電話をかけた(杉久保さんと背蟻離ちゃんはピー様のことを知らんから、簡単に紹介しておいた)。最初に電話した杉久保さんは今、椋木(りょうき)公園にいるらしい。亀率ちゃんが自分の骨を埋めた公園や。二番目に電話した背蟻離ちゃんは、自宅にいるらしい。最後に電話した亀率ちゃんは、閑古鳥が鳴いてつぶれかけのファミレスで、独りぽつねんと食事中らしい。ピー様が地球に来てることを伝えると、「わーい」とのこと。ファミレスの名は、『迎院場所区(げいいんばしょく)』一尾里桜淦路(おうあかじ)一号店。三つとも全部ここから近い場所なんで、あたしはピー様といっしょにそれらを巡回して一人ずつ合流していくことにした。


 ピー様といっしょに椋木公園に来た。杉久保さんがバイオリンの練習をしてる。あたしの姿を認めた杉久保さんが、練習の手を止める。三人で軽く会釈を交わしたあと、あたしはバイオリンの弓を指差して、

「そのバイオリンの弓の毛って、もしかして例によって杉久保さんの髪の毛ですか?」

「……弓の毛はウマのしっぽの毛よ。……でもバイオリン自体は百パーセント自分の髪の毛でできてるわ」

 ピー様は杉久保さんを凝視し、

「ふむ。杉久保瑠璃。これからはお前のことは、毛と呼ぶことにする」

 杉久保さんは能面のような顔で、

「……毛。……了解」

 あたしは愕然として、

「ええんかいな!?」

 杉久保さんは無表情のままピー様に対して、

「……ただし、くれぐれも関西風に『けえ』って伸ばさないでね。……あなたは関西人じゃないみたいだから大丈夫だとは思うけど。……あくまで『け』でお願いするわよ」

「いいだろう」

 あたしは再び愕然として、

「何そのこだわり!?」

 とにもかくにも、あたしたちは三人で辻見家へと向かった。


 辻見家では、呼び鈴を鳴らすとすぐに背蟻離ちゃんが出て来た。背蟻離ちゃんは不安げな表情で、

「お誘いいただきありがとうございます。お迎えまでしていただいて。……あ、あの、つ、月に行くんですよね。た、た、た、大変失礼ながら、あ、安全面は大丈夫なんでしょうか……。む、胸騒ぎがするんですが……」

 ピー様は背蟻離ちゃんを凝視し、

「大丈夫だ。ふむ。辻見背蟻離。これからはお前のことは、ギリセー排便……と呼んだら古路石亜景藻とキャラがかぶってしまうから、千切りキャベツ九十八円と呼ぶことにする」

 背蟻離ちゃんは不安げな表情のまま、

「えっ? ……あ、はい。千切りキャベツ九十八円ですね。わかりました」

 あたしはまたも愕然として、

「キミもそれでええんかいな!? あと、ギリセー排便であたしとキャラがかぶるってどういうことですか!?」

 とにもかくにも、あたしたちは四人で迎院場所区へと向かった。


 迎院場所区では、店員さんに「友達を呼びたいので」と許可を得て、店の奥へと進んだ。

「亀率ちゃん」

 あたしは、みんなといっしょに店の奥のテーブルに近づき、そこでパスタ料理を食べてる亀率ちゃんに声をかけた。亀率ちゃんはピー様に、「わーい、ようこそ」と言いながら抱きついたあとまたイスに座り、

「みんなありがとう。ファミレスにまで迎えに来てくれて。急いで食べ終えるわ」

 そのパスタ料理をよう見たら、何やら黒い糸くずのようなものが大量に載ってる。……毛か? あたしはそのおどろおどろしい一品を指差し、

「亀率ちゃん、何それ。イヤがらせ?」

「いや、これは、イヤガラセやなくて、スパゲッティーカルボナーラ」

「その黒いのは? 大量に載ってるけど」

「ああ、これ。最初てっきり髪の毛やと思て店員さんを呼んだら、全部鼻毛らしい。ホッとして食べてる」

「そ、そう。あたしは個人的には鼻毛のほうが食べたくないなあ。って、せめて箸で一本一本取り除いてから食べようよ」

「別にええねん。パスタに載ってる合計百本ほどの鼻毛のうち約八十本は、うちの鼻から落ちた鼻毛やから」

「店の人の鼻毛より、亀率ちゃんの鼻毛のほうが多いやないか!! ってことは、それって、亀率ちゃんの鼻毛入りパスタ!? そ、そ、そ、そ、それ、た、た、食べたいよおおおおおおおおおお!! あたしも食べたいよおおおおおおおおおおおおおおお!! 消化したい!! 亀率ちゃんの鼻から出て来たものを、あたしの胃で消化したいよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

「パクッ。……えっ、今、なんて言うたん?」

 ちょうど亀率ちゃんが最後の一口を食べたところやった。うああああああああああ!! チャンスが……。チャンスオブハナゲが……。


 そして五人で宇宙船が停泊してる空き地へと向かうことに。道を歩いてる間も、背蟻離ちゃんはずっと不安げな顔をしながら、しきりにピー様に対して、「安全なんでしょうか……」と訊いてる。そのたびにピー様が、「安全、安全。宇宙船も宇宙服も、ド安全」と答えてる。しかしあたしも安全性に対して百パーセントの信頼を寄せてるわけではないので、

「えっと、ピー様、宇宙服ってどんなんなんです?」

「見ればわかる。心配しなくても絶対安全だ。安全すぎて、もはや病気やケガが治るレベル。靴ズレとか治るかもな」


 そして空き地に到着すると、そこには一辺が五メートルほどの立方体をした宇宙船が。ピー様が念じるとハッチが開き、あたしらは乗り込んだ。

 船内には、大き目のワードローブと普通のコタツくらいしかない。コタツにはまだ早い季節やと思うけどなあ。……って、宇宙に季節は関係ないか。あたしはぐるりを見回し、

「ピー様、宇宙服は?」

「ああ、ワードローブの中だ」


 そして五分後。あたしが着替えさせられたのは、なぜかナース服。しかしなぜこんな服が向こうの星にあるんやろ? ポケットには使用済みの注射器が大量に突っ込まれてる。不衛生やな。足にはミスマッチなゴム長を履かされた。しかもそのゴム長は泥まみれで、ミミズの死骸が付着してる。亀率ちゃんは、巫女装束を着せられた。これまたなぜこんな服が向こうの星にあるんやろ? 赤と白のコントラストがすごくキレイやけど、よう見たら白衣にとんかつソースのシミがついてる。残念。なんでとんかつソースとわかったかと言うと、すぐそばにマーカーペンで「←これはとんかつソースのシミです」って書いてあるから。なぜ日本語? しかも向こうの星にもとんかつソースがあるん? ってことは向こうの星にもとんかつがあるん? ってことは向こうの星にもブタがいてるん? ってことは向こうの星でも太ってる人はブタって罵られることがあるん? そしてせっかくの巫女姿やのに、足袋とか草履とかはないらしく、足にはミスマッチなスキー靴を履かされてる。向こうの星にもスキーってあるん? 背蟻離ちゃんは、メイド服。しつこいようやけど、なぜこんな服が向こうの星にあるんやろ? 頭のカチューシャは耳つき。ただしネコミミではなく、どう見ても人間の耳や。しかも耳たぶオンリーや。つまりカチューシャに人間の耳たぶが二つくっついてるわけ。なんか気持ち悪い。足にはやはりミスマッチな、トイレ用スリッパ。しかもマーカーペンで「便器の中に落とすな!!」って書いてある。せやから、なぜ日本語? 杉久保さんは、婦警制服。四回目やけど、なぜこんな服が向こうの星にあるんやろ? 手には水鉄砲を持たされてる。水鉄砲やから安心かと思いきや、中身は濃硫酸らしい。足はミスマッチな纏足。ピー様は、体操着とブルマを身につけた。五回目の「なぜこんな服が……」は省略。ゼッケンにはマーカーペンで、「これはゼッケンです」の文字が。足を見ると裸足で、足の甲に直接マーカーペンで、「これは足の甲です」の文字が。で、なぜかこれでみんな宇宙へ出ても平気でいられるらしい。ホンマかいな? もしかしてあたしら、一杯食わされてるのでは? 手玉に取られてるのでは? あたしの中に懐疑の念がふつふつと湧き、

「ちょっと、なんなんですかこれ。全然宇宙服やないやないですか。それにしても亀率ちゃんの巫女さん姿、最高! すでにあたしは天にも昇る心地です!! でもこれらの服は安全面を考慮して取り替えてほしい」

「何度も言うが絶対に安全だ。安全すぎてハゲにも毛が生えて来るレベルだ。我の星の科学技術をナメないように。それらのコスチュームは、あらゆる危険から身を守るために見えない何かに防護されてるからな。あらゆる危険、すなわち、放射線、高温、低温、電気ショック、精神的ショック、強風、痛風、そよ風、白身魚のフィレンツェ風などから身を守れるわけだ。耐熱性、耐電性、耐食性、耐震性、デザイン性に優れ、レンタル料もリーズナブルな半日九百八十円」

「おカネ取るんかい!?」

 あたしは思わず大声を上げた。すると背蟻離ちゃんが申しわけなさそうな声で、

「あ、あの、ピー様。ろ、露出が結構あるんですけど……。と、特に、首から上は完全に露出してるんですけど……」

 あたしも背蟻離ちゃんのその言葉に続いて、

「そうですよ。露出狂もビックリなくらい、宇宙服にしては露出部分多すぎでしょ」

「お前ら、そんなに信用できないのか。じゃあ試しに、石ころよ」

 ……あ、石ころってあたしのことか。

「はい?」

「ちょっとぶん殴るけど、いいか?」

「えっ、なんでぶん殴られなあかんのですか。暴力反対。巫女亀率賛成。スイスやオーストリアは永世中立国」

「いいからいいから。とにかくぶん殴られろ」

 そう言うてピー様は、あたしのお腹に向かってパンチを繰り出した。

「痛っ!!」

「古路石様!?」

「アケモチャン!!」

 背蟻離ちゃんと亀率ちゃんが驚きと心配の入り混じった声を上げるが、あたしは自分の手でお腹に触れながら、

「……あれ? 訂正。全然痛くないわ」

「だろ? それらの宇宙服を着ていると、ぶん殴られようが、電気イスの刑に処されようが、地球が太陽に飲み込まれようが、痛くもカユくもないのだ」

 すると背蟻離ちゃんが再び申しわけなさそうな声で、

「で、でも顔は……。顔は……」

 そうや。なんぼ宇宙服がハイテクを駆使してても、あたしら全員、顔だけは露出狂や。全員露出狂の顔や。顔はぶん殴られたら痛いに決まってる。あたしは背蟻離ちゃんの代弁者となり、

「ピー様、顔はどうなんですか? 顔はぶん殴られたら……」

 言い終える前に、ピー様があたしの顔面にパンチを見舞った。

「ギャア!!」

「今度こそ古路石様!?」

「今度こそアケモチャン!!」

 二人が再び驚きと心配の入り混じった声を上げるが、あたしは自分の手で顔面に触れながら、

「……あれ? 訂正。全然ギャアやないわ」

「だろ? それらの宇宙服を着ていると、露出している部分でさえ痛くなくなるのだ。顔にパンチされても大丈夫。顔にパイ投げされても大丈夫。顔に油性マーカーペンで落書きされても大丈夫。顔に熱いタコ焼きを投げつけられても大丈夫。タコの顔に熱いイカ焼きを投げつけても大丈夫。試しにお前ら、ちょっとした壮絶な殴り合いをしてみろ」

 あたしは耳を疑い、

「壮絶な殴り合いおよび内臓の引きずり出し合い!? そ、そ、そんな無茶な! 大体、壮絶な時点でちょっとしたことちゃうし!!」

「無茶じゃないだろ。早くやれ。痛くないしケガもしないんだから」

 亀率ちゃんは泣き顔になり、

「友達を殴るなんて……。いや、それ以前に、人を殴るなんて……」

 背蟻離ちゃんも眉をひそめて、

「殴り合いなんて……そんなん……女のするべきことやないと思います……」

 しかし杉久保さんだけはずっと押し黙ったまま……かと思たら、杉久保さんが低いトーンで、

「……ちょっと、背蟻離」

 背蟻離ちゃんは、寡黙な杉久保さんに出し抜けに声をかけられて相当ビックリしたらしく、

「えっ!! その、はい、なんでしょうか」

「……背蟻離。……人を殴ることは、女だけじゃなくて、男もやるべきじゃないわよ。……すべての人間は暴力を振るうべきじゃないのよ。……これは普遍的価値観だし、どこの世界だってそうよ」

「あっ!! はい、そうですよね。えっと、すみません。別に殿方なら暴力は認められるとか、そういうことを申し上げたわけではなくて……。ホンマにすみません」

 ところがピー様はこのやりとりを意に介さず、

「いいからお前らやってみろ。さっさとやらんと地球に超大質量ブラックホールをぶつけるぞ。あるいは地球表面全域をペンキ塗りたてにするぞ」

 地球がペンキ塗りたてになっては困るので、あたしたちは不承不承殴り合いを始めた。互いに手加減しながら、相手の頬やお腹をパンチする。いや、せいぜい小突くくらいの勢いだが。

「でも手加減してるとは言え、ホンマに全然痛くないわ」

「そうですね……」

「ホンマやね」

「…………」

 そんなふうに言葉を交わしながらの五分ほどの検証の結果、あたしたちは宇宙服を百パーセント信頼することにした。まあ、亀率ちゃんに関しては宇宙服なしでもいろいろと平気やろけどな。……いや、まだ安心でけへん。呼吸はどうすればええの?

「あのー、呼吸は可能なんですか?」

「大丈夫だ。吸える」

「ホンマですか?」

「ああ。ただし吐くのは無理」

「えっ!?」

「ウソ、ウソ。吐くのも可。なぜ呼吸可かは、行けばわかる。今は我を信じなさい。絶対安全だから。セーフティーだから」

「は、はあ……」

 しかしあたしの横で背蟻離ちゃんは顔を赤らめ、

「で、でも、メ、メイド服って、恥ずかしいです……。た、大変申しわけないのですが、も、もう少しノーマルなものがあれば……。普段着のような見た目のものとか……」

 普段着のような見た目っていう時点で、宇宙服としてはノーマルちゃうけどな。ピー様は片眉を吊り上げ、

「だから、今お前らが着ているような、そういうやつしかないと言ったろ。我の星の宇宙服もだんだんとキュートになったり大胆になったりアバンギャルドになったりしてきててな。露出面積が時代とともに漸増し、挙げ句の果てには今我が着ているような体操着タイプまで出る始末だ。技術的には全裸の宇宙服も製作可能だし、それを最近有名ファッションデザイナーがデザインして話題になってたな。しかしやはり全裸となると世間からの風当たりが強いらしく、商品化には至っていない。特にパンチラマニアからの風当たりが強いらしい。『全裸だとパンチラが見えねえじゃねえか!』って。パンチラマニアはスカートへの風当たりだけ気にしとけっつうの。ちなみに我は、京都や奈良ではパンチラのかわりにボンチラが流行ればいいと思う。盆地をチラチラっと見せるわけだ。つまり普段は盆地にスカートを履かせておけってことだ。京都と奈良それぞれにミニスカートを履かせてもいいし、ロングスカートで両方いっぺんに覆ってもいい。ロングスカートの場合は台風を期待しないといけないけどな」

 あたしは脳みそに大量の疑問符を埋め込まれた気分で、

「全裸やのに服ってどういうことですか? 全裸やのにデザインってどういうことですか? そもそもなんでそっちの星では地球と同じコスチュームがあるんですか? メイド服とか体操着とか」

「それはだな、ハリー・ノーム・シーロ星では……あ、ハリー・ノーム・シーロ星ってのは我の星の名前な。ハリー・ノーム・シーロ星では、地球のファッションが流行の最先端なんだよ。最近はギャル浴衣を着るアイドルたちが脚光を浴びてる。世間ではネコも杓子もイチゴパンツ履いてる」

 背蟻離ちゃんは赤面したままで、

「でも、やっぱり……恥ずかしいです……。皆様は恥ずかしくないんですか」

 それに対して亀率ちゃんがしかつめらしい顔で、

「うちは恥ずかしくないよ。しかしセギリチャン、メイド服が恥ずかしいなんて言うたら、本職のメイドさんたちに失礼やで」

「あっ! はい……。す、すみません」

 ピー様は一つセキ払いをして、

「要するに月程度の危険さだったら、こういう宇宙服でこと足りるってことだ。宇宙ステーション周辺の宇宙遊泳みたいな、より安全性の高い活動になると、もうタダの仮装で問題なし。パーティーグッズとして売られてる五千円以下のメイド服でも十分宇宙遊泳できる」

 あたしはさすがにそれは腑に落ちずに、

「せめて宇宙飛行士の仮装をするべきなのでは? なぜメイド?」

 ピー様はそれには答えず、

「じゃ、そろそろ行くぞ。この宇宙船の操縦法はシンプルだ。念じれば動く。じゃ、出発」

 背蟻離ちゃんは狼狽し、

「えっ、ちょっと待ってください、心の準備を……」

「着いたぞ」

 早っ!?


 月に着いたらしい。あたしは一抹の不安を覚え、

「宇宙船から出て大丈夫なんですか?」

「大丈夫だから我を信じろ。お前らナーバスになりすぎだ。ほんと地球人ってのはケツの穴が小さいな。ありていに言えば、ウザい」

 しかしいざとなると怖い。背蟻離ちゃんも相変わらず不安そう。亀率ちゃんと杉久保さんはずっと平然としてるけど。あたしと背蟻離ちゃんの恐怖をよそにしてピー様が念じ、宇宙船の扉が開いていく……!! その向こうには、映像でしか見たことのない月面があった。ホンマに来たんや、月に……。ピー様が先頭を切って体操着姿で月面に降り立った。次に亀率ちゃんが巫女姿で降り立った。次にあたしが戦々恐々としながら、ナース姿で降り立った。その次に婦警姿の杉久保さん、最後にメイド姿の背蟻離ちゃんが降り立った。重力が地球の六分の一なので、体が軽く感じる。地平線の向こうを見ると、暗闇の中に青々とした地球が浮かんでる。……感動!! 背蟻離ちゃんは意識的に息を吸ったり吐いたりし、

「あ、ホンマに息もちゃんとできますね……」

 あたしも一つ深呼吸をし、

「ホンマやね。でもなんで息ができるんやろ。ピー様、これも宇宙服の性能なんですか?」

 プシュウウウウウ。

 あたしが横を見ると、ピー様が片手に持った謎のスプレー缶をプシュウウウウウとやってる。あたしはそれを凝視し、

「なんなんです、それ?」

「酸素スプレー」

「そ、そんなんで足りるんですか!?」

「足りてるじゃないか」

「はあ、まあ……」

 そのとき。

「うひゃあああああ!! 巫女装束うっとうしい!!」

 亀率ちゃんが巫女装束をかなぐり捨てた。あたしはヒヤリとして、

「わっ!! 脱いだらあかん!! ……いや、亀率ちゃんやったら平気か。……って、あれ!?」

 なんと亀率ちゃんは、巫女装束の下にスクール水着を着てる。あたしは大興奮して、

「おおおおおお、マニアック……!! ……って、なんでスクール水着? まさか月の海で泳ごうと? 月の海には水はないで。しかしそれ、いつから着てるん? 朝からずっと?」

 すると亀率ちゃんは大マジメな顔で、

「え。そんなん……女子高生は年がら年中スクール水着を着用して過ごしてるもんやろ?」

「初耳やけど」

「え!! でも水泳の授業のときに周りを見たら、みんな下に着てたし……そういうもんなんとちゃうの?」

「それは水泳の授業がある日だけやから」

「ガーン!! 一年中そうかと思てた!! うちの毎日のトイレでの苦労は一体!!」


 亀率ちゃんが、「月って地球に表の面しか見せへんやろ。せっかくやから月の裏側、行ってみよ?」と提案したので、みんなで行くことになった。そして今、月の裏側まで徒歩でやって来た。しかし……。

「クサっ!!」

 あたしは思わず鼻をつまんだ。異様なニオイがする。あたしは鼻をつまんだままで、

「何、ここ!? なんでこんなクサいん!?」

 背蟻離ちゃんは鼻のあたりを掌で覆い、

「ホンマですね……」

 亀率ちゃんも鼻をつまみながら、

「確かにすごいニオイやなあ。ルリチャンは、どう思う? このニオイ」

 訊かれた杉久保さんは、ヘッチャラな様子で、

「……自分は何も感じないわ。……鼻の穴が鼻毛で充填されてるからね」

 さすが、毛。あたしは鼻をつまんだままで、

「ピー様、なんでこんなニオイが?」

 ピー様はあっけらかんと、

「足の裏がクサいのと同じ原理だ」

 言われてみれば、これは確かに足の裏のニオイっぽい。しかし月の裏のニオイが足の裏のニオイと同じなんて、幻滅や……。裏切られた気分や……。

 プシュウウウウウウ。

 ピー様はずっと押し続けてる酸素スプレーと並行して、ニオイ消しスプレーを噴霧し始めた。

「あっ!!」

 あたしは気づいた。前方に、風船のカラまってる樹木が倒れてることに。これってまさか、あのときの!? まさかホンマに月まで来るとは……。

「よし。調査完了。そろそろ帰るか」

 ピー様が言うた。あたしはビックリして、

「え? 何をどう調査したんですか?」

「何を言ってる。お前らとは注意力や観察力が違うんだよ。我は五感を研ぎ澄ませて、頭の中で月の大気組成から太陽系形成史まで分析できた」

「す、すごいですね。その分析結果は今記録しなくても大丈夫なんですか?」

「もちろん頭の中にあるから大丈夫だ。星に帰ってから論文にする。ついでに言うと、我の父も分析家としてはすごいぞ。火星に行って、まったく無関係なアンドロメダ大星雲形成史を捏造……いや解明したからな」

 亀率ちゃんは感心したように、

「すごいなあ。うちのお父さんも子供のころ宇宙冒険家になりたかったらしいけど、今は全然ちゃう職業やからなあ。宇宙冒険家になったら体力がもたへんっていう理由で夢を諦めたらしい。お父さん、高校時代は陸上部やったらしいけど、ずっと陸の上につっ立ってるだけやったらしいからなあ」

 あたしはちょっと気になって、

「亀率ちゃんのお父さんって、なんの仕事してる人?」

 これは今まで一度も訊いたことなかったな。

「ん? うちのお父さんは、一応、首相やで」

「えっ!? ど、どこの国の!?」

「日本」

「知らんかった……」

「あ、ごめん。首相は先週で退職してたわ。今はどっかの国の国王」

「どっかの国……」

「うちのお父さん、雑誌の占いを見て首相を辞めて、その占いに載ってたラッキーアイテムの『コンソメ味のオーパーツ』を探す旅に出たわけ。で、行く先々でヒドい目に遭うたらしい。滋賀県を歩いてたときは、うっかり琵琶湖に落ちたらしい。滋賀県の大部分は琵琶湖やからね。気を抜くと落ちるらしいわ。アメリカではジェットコースターの運転免許を取得したらしい。でもスピード違反で免停になったとか。速すぎたんやなくて、遅すぎたらしい。それからしばらくしてなりゆきでどっかの国の国王になったらしい」

「へー……」

 あたしはピー様のほうに向き直り、

「あのー、確か手伝ってほしい作業があったのでは……」

「あったんだけどな。もういい。気が変わった。今回のレポートのテーマから外すことにする」

「そうですか……。ちなみにどんな作業やったんです?」

「月面の雑巾がけ」

「へー……」

 そこへ背蟻離ちゃんが不安げな顔で、

「あの……なんか息苦しくなってきたような気がするんですけど……」

 言われてあたしもそれに気づき、

「た、確かに」

 するとピー様がポリポリと頭を掻き、

「ああ、うっかりしてた。酸素スプレー押し続けるの忘れてたわ。すまんな」

「しっかりしてくださいよ! あと言い方が軽すぎますよ! 命に関わることやのに!」

 あたしは死の恐怖を感じながらツッコんだ。

 プシュウウウウウ。


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コメディー小説『アッケラカンサッパリカン』


第二十八話 ケーキ屋で 前編


 散歩中。杉久保さんが、三歳ほど年下と思われる小柄な少女を連れて歩いてるのを発見。まさか誘拐してる? それともされてる? ちょっと声をかけてみよう。

「杉久保さん、こんにちは。そちらは、えーと……実の妹さんですか? それとも義理の妹さんですか? それとも空想上の妹さんですか? 杉久保さんって妹さんがいらっしゃったんですか?」

「……違うわ。……この子は、例によって自分の毛で編んだのよ。……つまり、妹じゃなくて、毛よ」

「すごいですね。まるで生きてるみたいやないですか。まるで生命体みたいやないですか。まるでご健在みたいやないですか。まるでご存命みたいやないですか」

「……今回は魂を持たせたから、生きてるわよ」

「えっ!?」

 するとその毛少女がか細い声で、

「…………はじめまして。…………毛の者です。…………ムチの子供と書いて鞭子(べんこ)という名前を与えられました。…………人間の心というものに興味があります。…………これでわたしの氏素性はハッキリしましたね。…………あなたの氏素性は?」

 しゃ、喋った! と、とりあえずこっちも自己紹介するか。

「こ、古路石亜景藻です。高校二年生。最近興味のあるものはショーペンハウアー哲学とカニカマです」

「…………なるほど。…………高尚なご趣味ですね」

「ど、どうも」

 あたしは毛少女との邂逅にやや興奮しながら、杉久保さんのほうを見て、

「え、えっと、杉久保さん、毛って、髪の毛で造ったんですか?」

 杉久保さんは五秒ほどの沈黙のあと、

「……髪の毛ではないわね。……他の毛よ」

「ま、まさか、鼻毛?」

「……今回はもっと恥ずかしい毛よ。……恥ずかしい毛百パーセントでできてるわ。……まあ一般論として恥ずかしいというだけで、自分としては微塵も羞恥を覚えないけどね」

「は、は、は、は、は、恥ずかしい毛って、ま、ま、ま、ま、ま、まさか鞭子さんの正体は……!! あ、あ、あ、あ、あ、あの毛なんですか……!?」

「……そうよ、大腸菌の鞭毛で編んだのよ」

「鞭毛!?」

「……そう、大腸菌表面に生えてる鞭毛よ。……毛が延々と伸びるというわたしの特異体質が、腸内細菌にまで及んでるようなのよ。……おかげで自分の腸内はしょっちゅう鞭毛でいっぱいになるの。……放っておくと満腹状態のままなんで、通常の食事ができなくなるわ。……だからときどき毛玉を吐き出して、ついでに作品化してるわけ。……ネコ草を食べて吐き出してるわ。……大阪檀抹馬病院のドクター奴留湯から処方されたネコ草よ」

「た、大変なんですね。気骨が折れますよね、そういう体質やと」

「……そうでもないわ。……もう慣れっこだし」

「そうですか。え、えっと、当然鞭子さんのそのキレイな髪の毛も、全部大腸菌の鞭毛なんですよね」

 鞭子さんのほうをチラチラ見つつ杉久保さんに訊くと、

「……そうよ。……ね、鞭子」

「…………そうです。…………辮髪ならぬ鞭髪です」

 そして鞭子さんは唐突に自らの指を自らの鼻の穴に突っ込み、何かを引き抜いた。

「…………よっと。…………ただし鼻毛は例外なんです。…………鼻毛にはフランス産高級羽毛を使用しております」

「おカネかけるところがおかしい!!」

 そのとき、車道を一つはさんだ向こう側に、「おーい!」と呼びかける亀率ちゃんの姿が。亀率ちゃんは手を振りながら、

「みんなー! こんにちは! 今からそっち行くわー!!」

 亀率ちゃんが車道を突っ切ろうと走り始める。危ない!! 左右を見んと渡ったら……!! まあ亀率ちゃんのことやからどうせ大丈夫やろけど、あたしは一応声を張り上げて、

「亀率ちゃん、注意して! 左見て! 左! ちゃう! そっちちゃう! そっちちゃう! そっちちゃううううう!! 左っていうのはキミから見て左! ほんならええわ! 言い方変えるわ! 右見て! 右! いや、そっちちゃう! そっちちゃう! そっちちゃううううう!! 今度はこっちを基準にして言うてるから! とりあえず今とは逆のほうを見て! 逆! ああああ、もう! 呆れすぎて背中が反っちゃう! 反っちゃう! 反っちゃううううう!!」

 亀率ちゃんはあたしの言葉に混乱したのか、キョロキョロする。あたしは一応狼狽しながら、

「き、亀率ちゃん! 引き返して! Uターンして! Iターンせんといて! ほら、あっちから……ほら、その、えっと、あれが来るよ! な、なんやったっけ……。ド忘れした! えっと、あれは、クーペやなくて、えっと、SUVやなくて、ス、ス、ス……ステーションワゴンやなくて……えっと、ス、ス、ス……いや、セ、セ、セ……セダン。そうそう、セダン! 亀率ちゃん! セダンが来るよ! 危ないよ! 一刻を争う事態やで! 死と隣り合わせやで! 向こう三軒両隣が全部死やで!」

 まあ亀率ちゃんのことやからどうせ死なへんやろけど。……いや、今気づいたけど、わざわざ「セダン」とか言わんと「車」って言うたらよかったやん。あっ、もう亀率ちゃんのすぐそこまでセダンが迫ってる……! 一応危険や!

「亀率ちゃあああああん! 一応、危なあああああい! 一応、助かってえええええ! 一応、虎口を脱してえええええ!」

 そのとき鞭子さんが車道に飛び出し、亀率ちゃんを二メートルほど突き飛ばした! しかし亀率ちゃんのかわりに鞭子さんがセダンにハネられた! 鞭子さんは三メートルほど飛んで地面にドスンと落下! 亀率ちゃんは危機一髪かと思たら、突き飛ばされた先にちょうど隕石がドスンと落下してその下敷きに! あたしは金切り声を上げたあと、

「ふ、ふ、ふ、二人とも大丈夫!?」

 すると亀率ちゃんが隕石の下からニュルっと出て来て、

「うちは無傷やで! それよりも、今うちを突き飛ばした子は大丈夫!?」

 隕石が当たっても無傷なんやったら、きっと車が当たってももちろん無傷やったやろな。一応とは言え、心配して損した。で、セダンにハネられた鞭子さんは……!? なんと、まともにダメージを食らったようで、車道上には……グッシャグシャの毛が!! 原形をとどめてへん!! それを、セダンから降りて来た運転者(四十代くらいと思われるおうし座の女性)が、茫然自失の状態で見下ろして、

「やってしもた……!! わ、わたし、人を、人を、人を……!! こりゃ実刑!? それとも執行猶予!? もしくは海外へ高跳び!?」

 そこへ杉久保さんが一言、

「……それ、人じゃないです。……それ、毛です。……それ、もとどおりにするために、バックでハネてください」

「は?」

「へ?」

 運転者とあたしは、思わず間の抜けた声を出した。杉久保さんはさらに、

「……それ、バックでハネてください。……彼女を復元するには、同じ車で逆にハネればいい。……つまりバックしながらハネればいい」

 四十代くらいと思われるおうし座の女性が、「ラ、ラジャー!」とセダンの運転席に戻り、バックで鞭子さんをドカンとハネると、鞭子さんはホンマにもとに戻った。

「…………杉久保鞭子、ただいま戻りました。…………もとに」

 そんなわけで、ことなきを得た。

「亀率ちゃんはもちろんやけど、鞭子さんもカスり傷一つないやん」

 あたしが言うと、鞭子さんは残念そうに、

「…………いや、全身のキューティクルが傷つきました。…………あとでしっかりトリートメントしないと」

「そ、そう……。でも、鞭毛にキューティクルって……」

 まあ、大事には至らずによかったよかった。めでたしめでたし。亀率ちゃんの内臓が飛び出したりしたら、あたしは嬉々として素手でもとどおりに押し込めて完治させてあげるつもりやったんやけどね。いやむしろ、必要とあらばあたしの体内に亀率ちゃんの内臓を押し込めてほしいくらいや。いやむしろ、必要とあらば亀率ちゃんの内臓の中にあたし自身を押し込めてほしいくらいや。そしてあたしはその内壁の粘液をペロペロとナメながら余生を過ごすわけや。内臓の中に隠れる隠居生活や。うう、想像しただけでもゾクゾクする……!!


 二人の無事を祝って、街の大衆食堂「代用魚の楽園」で食事をすることになった。あたしと亀率ちゃんと杉久保さんと鞭子さんが四人で食堂に入ると、血の海の中にうずくまった二人の女性の姿が。女性店員(四十前くらい? いて座)と女性客(二十代くらい? てんびん座くらい?)らしい。女性客は胸に穴が開き、そこからおびただしい量の血が流れており、虫の息。そんな彼女を女性店員が、「ほらほら、しっかりしてくださいな」と言いながら支えてる。

「大変!! 救急車は!?」

 亀率ちゃんが叫んだ。すると女性店員は女性客を床にほっぽり出して、すっくと立ち上がり、

「いらっしゃいませ。えっと、四名様ですね? ではいちばん奥の席へどうぞ。救急車については、もう呼んでありますので」

 女性店員のかわりに亀率ちゃんが素早く女性客のそばへ行き、「大丈夫ですよ!」と励ましながらハンカチを丸めて傷口に当て、圧迫止血を試みた。あたしは興奮して、

「い、いや、店員さん!! 座席への案内とかはあとでええから、もっとその人のことを心配してください!! ここで何があったんです!? その傷は一体!?」

「すみませんが、店長からお客さんをないがしろにするなと教えられていますので」

 あたしは焦燥感に駆られながら、

「今はケガ人をないがしろにせんといてください!! 救急車は呼んだんですよね!? この胸の傷は……銃で撃たれたりでもしたんですか!?」

「そんな、縁起でもない。えっとですね、このお客さん、カレーうどんを注文して食べたんです。わたしが、『注意して食べてくださいね。くれぐれも慌てずゆっくり慎重に食べてくださいね。石橋を叩いて渡ってくださいね』って念を押したんですけど、ズルズルってすすったときにカレーの汁が一滴胸のあたりに飛んだみたいで、それが胸を貫通」

「どんだけ勢いよく飛んだん!?」

 キツネにつままれたような話をされた直後、救急隊員さんが店に十人入って来た。普通救急車に乗ってる救急隊って三人くらいとちゃうの? そもそも、十人も乗れるん? 定員オーバーやろ。そして彼ら十人は、口々に不平不満を言い始める。

「うっげ! なんやねん、あの女郎! メッチャ血出てるやん! 気っ持ち悪っ!! あんなん触らなあかんの!? 俺の服に血ついたらどうすんの!? あの女がクリーニング代出してくれんの!? つーか、そもそも好みのタイプとちゃうねんけど!! 美人ちゃうし!!」

「ホンマや! 美人ちゃうやん! 全然助ける気にならへんわ! 死ね!! 死ねよ!! 死斑出ろ!! 死後硬直しろ!! 司法解剖と行政解剖を同時にされろ!!」

「確かにあんまり美人やないな。でもその周りにそこそこ可愛い女子高生っぽい子が四人もおるやん!! 俺はそっちを救護するわ!! ぐへへへ」

「いや、その四人はケガしてへんっぽいぞ」

「何っ!? ほんなら、こいつら全員殴り倒す!! そして救護する!!」

「野蛮なことはやめろ!! そうやなくて、病気やと思い込ませるんや!! 『お前は病気や』って一万回くらい言うてやれ!! ほんならホンマに病気になりよるわ。病は気からって言うからな。そこを救護や!!」

 亀率ちゃんは半泣きで、

「ちょっとちょっと皆さん、不謹慎なことばっかり言わんといてください!! 大至急この人を助けてあげてください!! 当然救急車で来たんですよね!? すぐに病院へ搬送してあげてください!!」

 あたしもヤキモキしながら、

「そうですよ!! 早よしてください!! お願いします!!」

 しかし隊員さんたちは、

「って言われてもなあ……」

「モチベーションがなあ……」

「面倒臭いしなあ……」

 さすがの杉久保さんも業を煮やしたのか、携帯電話を取り出しながら、

「……なんだかラチがあかないみたいね。……しかたないから、携帯電話で別の救急車を呼ぶわ」

 あたしも亀率ちゃんもうなずき、

「うん、お願い、杉久保さん」

「ルリチャン、お願い!」

 隊員さんたちは再びヒートアップし始めて、

「よっしゃ、ほんなら俺は、そこのお嬢様っぽい雰囲気の子を救護する!! ぐへへへ」

 最初に杉久保さんが選ばれた。

「抜け駆けか!? ほ、ほな俺は、その隣のちんちくりん!! ちんちくりん大好き!! ぎひひひ」

 鞭子さんが選ばれた。

「あっ!! 俺もその子がよかったのに!!」

「やかましい!! 早いモン勝ちや!! 先着一名様や!!」

「ほな俺はその隣の、体が、なんか、こう……でへへ……体が、こう……ぶへへ……体が、こう……不死身っぽい子!! びゅふふふ」

 亀率ちゃんが選ばれた。

「コ、コラ!! お、俺の天使を奪うな!! 略奪婚反対!!」

 そして喧々囂々たる口論が始まった。亀率ちゃんはますます泣きそうになって、

「ちょっとちょっと、なんの話をしてるんですか!! ケガ人さんのことを考えてあげてくださいよ!! なんかよくわかりませんけど、もしうちとデートしたいんやったらあとでつきあいますから!!」

 亀率ちゃんを選んだ隊員さんが、

「ホンマやな!? よっしゃ、このあと午後二時に半都会駅前で待ち合わせや!!」

「はい!! ですから、ケガ人さんを……!!」

 結局、杉久保さんのおかげでマジメな救急車とマジメな救急隊員さん三名が到着し、不マジメな救急隊員さんたちは追い払われ、女性客は運ばれて行った。奇跡的に命に別状はないらしい。よかったあ。

 あたしは、安堵して泣いてる亀率ちゃんのほうを見て、

「亀率ちゃん、救急隊員さんとデートはせんでええからね」

「えっ、でも、すっぽかすのはあかんよ。すでに約束したから……」

「あの救急隊員さんは、結局全然ケガ人を助けてへんやん!! こっちだけ言うこと聞く必要ないやん!! こんなことを許してたら、この世の中がどんどん腐っていくよ!! デートに関しては、あたしが丁重に断りの電話入れとくから!!」

「う、うん……。なんかアケモチャン、怖い……」

「怖くないよ!! そのかわり、今度あたしとデートして!!」

「う、うん……」

 なんかドサクサに紛れてデートの約束を取りつけることに成功した!! やった!! 今までもカラオケとかいっしょに行ったことあるけど、今度は正真正銘のデートや!! やった!!


 そして胸を撫で下ろしたあたしらは、さっき案内された奥の席に着いた。

「ご注文を承ります」

 女性店員さんがテーブルの前に立った。あたしはとん汁定食、亀率ちゃんはフルーツパフェ、杉久保さんは味噌ラーメン、鞭子さんは冷ややっこを注文した。女性店員さんが去ると、鞭子さんはこちらをじっと見て、

「…………それにしても、古路石さん、独りだけあの人たちに選ばれませんでしたね」

「うっ」

「…………そういうときってどういう気分になるんですか?」

「て、手厳しいですね」

「…………いや、そうではなくて、そういうときに人はどんな心境なんかなって、純粋に興味があるんです」

「ああ、そう……。まあ別にそのせいで塞ぎ込んだりはせえへんけど……。あたしって魅力ないんかなってのは思う」

 すると亀率ちゃんが真剣な顔で、

「そんなことないよ!! アケモチャンは魅力あふれるピュアハートスクールガールやん!!」

「き、亀率ちゃん……!! ありがとう!! 亀率ちゃんのほうこそ、天真爛漫で清廉潔白やで!!」

 すると厨房のほうから女性店員さんが胴間声で、

「ほなわたしなんかどうなるんじゃコラアアアアア!! まるっきり蚊帳の外やったやないかコラアアアアア!! 三十七歳の年増で悪かったなコラアアアアア!! せやけど救急隊員のあいつらも三十代くらいやったやないかコラアアアアア!! クッソオオオオオオオオオオ!! こうなったらお前らの料理にツバ入れたろか!! あるいは胆汁!!」

 すると亀率ちゃんが負けず劣らずの大声で、

「お姉さんも十分にチャーミングですよ!! 若々しいですよ!! 絶世の美女ですよ!! 立てばシャクヤク座ればボタン、歩く姿はユリの花ですよ!! 走っても可!!」

 すると厨房からややボリュームの下がった声で、

「ホ、ホンマか!? それホンマか!? あるいはウソか!? あるいは中間か!?」

 亀率ちゃんは再び大声で、

「ホンマですよ!! 事実!! 真実!! すなわち、トゥルース!!」

「ほ、褒めても何も出えへんぞ!! いや、出るかも!!」

「出るんですか!? 何が出るんですか!? 胆汁!?」

「ああ、出る!! 出そう!! 出たらヤバい!! ヤバすぎ!! でも褒められたい!!」

「何度でも褒めますよ!! ベタ褒めしますよ!! お姉さんは世界一の美女ですよ!! 見上げたもんですよ!! 仰ぎ見ますよ!! 首が疲れて泣くほどに仰ぎ見ますよ!!」

「うわああああああああああ!! 出るうううううううううう!! アレが……アレが出るううううううううううううううう!! でも褒めてえええええええええええええええ!! 褒めちぎってえええええええええええええええ!!」

「世界三大美女から小野小町さんを殿堂入りに昇格させて、かわりにお姉さんを追加したいくらいですよ!! 壇上で表彰したいくらいですよ!! うちの胆汁を授与したいくらいですよ!!」

 そ、それはあたしが授与されたい!! それを言いかけたが、あたしの言葉を遮るように女性店員さんが、

「ついに出る!! ついに出る出る出るううううううううううう!!」

 何が出るんやろ? ま、まさか、カレーに似た何かが……!? 女性店員さんは半狂乱になったような声で、

「ぎゃああああああああああああああああああああ!! 出た!! 出た!! クサいのが……!! クサいのが出たよおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 マ、マジですか!? しょ、消臭剤を買うて来なあかん……!! レモンの香りか、ペパーミントの香りか、ジャスミンの香りか、胆汁の香りか……!! 女性店員さんは獣の咆哮のような声で、

「クッサいクッサい月が出たよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 窓の外を見ると、さっきまで出てへんかった月がぽっかりと浮かんでる。しかもその月が異様にクサくて、ここまでニオイが漂って来てる。クサい。ホンマにクサい。ニオイの分子がなぜか三十八万キロの道のりを一瞬でやって来たことに感銘を受けながらも、あたしはニオイに耐え切れずに窓をピシャリと閉めた。そう言えば前に月旅行に行ったとき、月の裏ってクサかったな。最近ますますクサさが悪化してるってことか?


 注文の品を待ってる間、雑談。亀率ちゃんは深刻な顔で、

「実はこの前も、今日のと似たような悲劇がこの近所であってな。理髪店の前を通りかかったら、頭にハサミが突き刺さった女性が店内から飛び出して来てん。しかも今日のあのケガ人さんと同一人物やったと思う。急いでうちが病院に担ぎ込んだから大丈夫やったけどね。理髪店のおっちゃんが、ハサミの置き場所に困って女性の頭に突き立てたらしい。おっちゃんも忙しすぎて、壁に突き刺しておくっていう発想がでけへんかったんやろね。あるいは天井に」

「お待たせしました。絶世の美女が冷ややっこをお持ちしましたよ」

 鞭子さんの頼んだ冷ややっこが最初に来た。

「すみませんけどお客様、カツオブシや醤油はございませんので」

「…………はあ、そうですか」

 鞭子さん、納得したのか? 店員さんは再び厨房へと去った。あたしは気を遣って、

「醤油なしで大丈夫?」

 すると鞭子さんはうなずいて、

「…………大丈夫です。…………醤油くらい持って来てますから」

 鞭子さんはバッグから醤油瓶を取り出した。用意周到やな。


 亀率ちゃんは再び雑談の続きとして、

「『むんずと髪をつかんだ』っていうときの『むんず』ってなんやろねー。『むんず』なんていう音せえへんやんねー。『もんず』やったらするけど」

「お待たせしました。世界三大美女の一人が味噌ラーメンをお持ちしましたよ」

 杉久保さんの頼んだ味噌ラーメンが来た。

「すみませんけど、お客様、味噌はございませんので」

「……はあ、そうですか」

 杉久保さん、納得したのか? 店員さんは厨房へと去った。あたしは気を遣って、

「味噌なしで大丈夫?」

 すると杉久保さんはうなずいて、

「……大丈夫よ。……味噌くらい持って来てるわ」

 杉久保さんはバッグからインスタント味噌汁を取り出した。それでええんか。


 亀率ちゃんはまたまた雑談として、

「この前、うちとマユミチャンとサヤカチャンが宿題忘れて廊下に立たされたときあったやろ? しかしまさかうちがバケツ役をやらされるとは思わへんかったわー。水大量に飲まされて、もうお腹がパンパンで……」

「お待たせしました。楊貴妃の生まれ変わりがフルーツパフェをお持ちしましたよ」

 亀率ちゃんの頼んだフルーツパフェが来た。

「すみませんけど、お客様、フルーツはございませんので」

「はあ、そうですか」

 亀率ちゃん、納得したのか? 店員さんは厨房へと去った。あたしは気を遣って、

「メロンも輪切りパインもなしで大丈夫?」

 すると亀率ちゃんはうなずいて、

「大丈夫。メロンとパインくらい持って来てるよ」

 亀率ちゃんはナップサックから静岡産高級メロンまるごと一個と沖縄産高級パイナップルまるごと一個を取り出した。マジか。


 亀率ちゃんは雑談の佳境として、

「この店はカレーうどんのせいで惨劇が引き起こされたわけやけどさ、隣町の『いちびりとびちりとばっちり』っていう食堂のカレーうどんもすごいよ。うちそこで一回カレーうどん食べたことあるけど、カレーの汁は全然飛ばへんクセに、うどんの麺は大量に服に飛んで来んねん。店を出るころには、全身がうどんで雁字がらめやった」

「お待たせしました。ノーベル麗人賞受賞者がとん汁定食をお持ちしましたよ」

 あたしの頼んだとん汁定食が最後に来た。

「すみませんけど、お客様、ブタはございませんので」

「え」

 あたし、納得でけへん。店員さんは厨房へと去った。三人がこちらをじっと見つめる。亀率ちゃんが目を見開いて、

「ま、まさかカバンの中にまるごと一匹……!?」

「持って来てるわけないやろ!!」


 食事中、クシャミが出そうになった。食べものがテーブルの上に並んでるから、ガマンせなあかん。でもガマンでけへんかった。

「ぶえっくしょん!! うわっ!! ごめん!! クシャミしてしもた!!」

 あたしの口の中から飛び出したご飯粒が、向かいに座ってる杉久保さんの鼻の穴に、スッポリと奇跡的に入った。

「ク……クシュン!!」

 そのせいで杉久保さんもクシャミをしてしもた。杉久保さんの口の中からモヤシが飛び出して、今度はあたしの隣に座ってる亀率ちゃんの鼻の穴に、スッポリと芸術的に入った。

「ヘ……ヘクチュン!!」

 そのせいで亀率ちゃんもクシャミをしてしもた。亀率ちゃんの可愛いクシャミに心を奪われてるヒマもなく、亀率ちゃんの口の中から差し歯が飛び出して、今度はあたしのハス向かいに座ってる鞭子さんの鼻の穴に、スッポリと積極的に入った。

「ベ……ベンコション!!」

 そのせいで鞭子さんもクシャミをしてしもた。鞭子さんの口の中から飛び出したパイ投げ用のパイが、あたしの顔面にヒットした。

「ぶふぇっ!?」

 ……あたしは二の句が継げなくなり、おもむろにハンカチで顔をぬぐった。鞭子さんが申しわけなさそうに頭を下げて、

「…………すみません、古路石さん」

 他の二人は顔色一つ変えずに、

「ありゃりゃ。アケモチャン、大丈夫?」

「……顔洗って来たらどうかしら」

 あたしは仏頂面で、

「あ、あのー、なんで鞭子さんの口の中にはパイ投げ用のパイが入ってるんですか?」

 すると鞭子さんが顔を上げ、

「…………毛人間にとっては標準装備ですので」


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コメディー小説『アッケラカンサッパリカン』


第二十九話 ケーキ屋で 後編


「傾国の美女ウベスズミがお迎えする『代用魚の楽園』にまたお越しくださいね。ウベの漢字は、宇宙条約の宇と部分的核実験禁止条約の部。スズミはベルとナッツやで。宇部鈴実(うべすずみ)な。よろしく」

 宇部さん、ベタ褒めされてずっと上機嫌。あたしは「ナッツ」という英訳が気になり、ネット上の翻訳サービスの翻訳結果にツッコむ気分で、

「ナッツよりベリーのほうがええんちゃいます? ナッツは俗に睾丸のことを意味する場合がありますよ」


 四人で店を出ると、店の前を鬼才ピアニストの九美佳ちゃんが通りかかった。キュロットスカートのポケットからPPヒモが出ており、その先にはガードレールがくくりつけられてて、ガードレールを引きずりながら歩いてる。何かの特訓? 亀率ちゃんが弾んだ声で、

「クミカチャン! 久しぶり! 一別以来やけど、元気? 奇病に冒されたりしてへん? 二枚爪とか」

 九美佳ちゃんは以前はハイフィンガー奏法でピアノを弾いてたけど、最近は重量奏法ならぬガードレール重量奏法のみで演奏してるらしい。ガードレールの重量を利用するわけや。忌憚なく言うと、ガードレール奏法は耳をつんざくようなメッチャやかましい奏法やし、ハッキリ言うてピアノぶっ壊れる。しかしそれが前衛的で芸術的やということで、九美佳ちゃんは天才的新機軸を打ち出した弱冠十六歳として(「弱冠」は男性のみに使う言葉とされてるけど、トランクスを履く女の子とかもいるから問題ないやろ)、一躍ピアノ界に名を馳せた。ただ、彼女のファンの約九十八パーセントが女子高生フェチらしいけど。いやあ、しかしあれか。音楽史上に残る芸術的ピアノ奏法の嚆矢としての神格的存在を、今あたしはまの当たりにしてるわけか。無上の感動や! 九美佳ちゃんはこっちに歩み寄り、

「あ、きりつちゃんにあけもちゃん。へへへ。ふふ。こんにちは……って、おお。そこにいるのは、確か、すぎくぼるりさん? きりつちゃんにケータイの写真見せてもろたことあるわ。へへ。きりつちゃんのマブダチなんやろ。ふふ。るりちゃんって呼んでもええかな?」

「……どうぞご自由に」

「わーい!! へへ。ふ。るりちゃんも楽器やるんやろ?」

「……バイオリンを少々ね」

「それって、ストラリラ……ストラディア……ストラディラ……きゃははははっ!! ……ストラディバリウス?」

「……違うわ。……自作よ。……髪製よ」

「おお! るりちゃんって、確か髪の毛がメッチャ伸びるワザ持ってるんやろ? ふふふ。ほんなら、髪の毛を腕がわりにして演奏とかできるん? へへ」

「……それは無理難題ね。……髪の毛でバイオリンやグランドピアノやパイプオルガンを製作することならできるけどね。……白鍵などの黒くない部分に関しては、自由意志によって色素細胞の機能を調節して、メラニン色素の生成を一時的に抑制して造るの」

「おお。すごい。へへ。ほんなら、くみかがピアノ演奏に使う純白のガードレールも、髪の毛で製造できる?」

「……可能よ」

「造って! くみか用に、ピアノもガードレールも造って!! へへへ。是非是非是非是非造って!! 雨が降ろうがヤリが降ろうが、造って!! 降って来る雨が濃硫酸の雨でも、造って!! 降って来るヤリが北欧神話のグングニルでも、造って!! 降って来るのがヤリかと思たらホコで、しかもそれが天沼矛(あめのぬぼこ)でも、造って!! 降って来るのが雨かと思たら天沼矛から滴り落ちる雫で、しかもそのせいでるりちゃんの脳天に淤能碁呂島(おのごろじま)が誕生しても、造って!! ふふ。へへ。ぬひゃ。くみかはそのピアノとガードレール使こて演奏するから、るりちゃんも髪製のバイオリン持って、二人で共演しよ!! 町民ホール借りてさ!! いっしょにやろ!!」

「……別にいいわよ。……じゃあ、明日やりましょう。……自分は明後日には始発の新幹線にしがみついて東京に戻るから」

「うん! ふふふ。へへ。でもこんな一尾里くんだりのゲリラライブみたいな急な発表会にお客さん集まるかなあ? まあええか、自己満足のためやし。ふふ。きりつちゃんとあけもちゃんは来てくれる?」

 亀率ちゃんはにこやかな笑顔で、

「うん! 行きすぎるくらいに行く! 足しげく通うレベル!」

 明日は休日やから、まあ行けるやろ。あたしもとりあえず、

「行けたら行くわ」

 九美佳ちゃんは鞭子さんのほうを見やり、

「そこの……えーと、知らん人も是非来て! 三人の友達やろ?」

「…………あ、はい、行きます」

 そう鞭子さんが答えると、杉久保さんが付け足すように、

「……この子は、自分が造ったのよ。……腸内細菌の鞭毛でね。……名前は杉久保鞭子よ」

「…………杉久保鞭子です。…………瑠璃お姉様に造られました」

 すると九美佳ちゃんは目を輝かせ、

「え! ホンマ!? すごい! 鞭毛!? ほんなら、なおさら来てほしいわ!! ふふふ。明日が楽しみ。へへ。ほんなら早速、町民ホール借りるわ!」

 九美佳ちゃんがキュロットスカートのポケットからケータイを取り出し、ピアニストらしい華麗な指さばきで番号を押し、耳に当てた。ケータイには、PPヒモのもう片方の端っこがつながってる。そうか。あのガードレール、ケータイストラップとして持ち歩いてるわけか。いや、引きずってるわけか。しかしなぜ引きずれる? ケータイがガードレールの重量に負けて引っ張られ、ポケットから落下せえへんのか? まあ、近ごろの世の中は空き缶が空中で静止したり、街路樹が風船で月まで飛んでったりするくらいやから、とりたてて騒ぐほどのことでもないか。

「あ、もしもし? 若浜(わかはま)九美佳という者です。へへ。ふふ。げっへへ。げえっへへへへへ、げへ、げへ、げえっへへへへへへへえええ……。……あっ!! ヘンタイ電話やないです!! 痴女やないです!! アバズレやないです!! 電話切らんといてください!! ……そちらは町民ホールのお問い合わせ窓口さんですよね? 明日会場を貸してくださいな。……え? 何? ようわからん……えーと……ですから、その……え? ……ちょっと、聞いてます? おーいおーい」

「ちょっと貸して」

 あたしがかわりに電話に出てあげることにした。

「もしもし、お電話代わりました。あたしは若浜の知人の古路石っていいます。えっとですね、明日……」

「あ? その声、もしかして古路石か?」

「せやから古路石って言うてるやないですか……って、その声は!! もしかしてあなた、大宿先生!? なぜそこに!?」

「電話番のバイトや。なんや、文句あんのか。もしかしてお前クレーマーか。明日、なんやねん。ハッキリ用件言えや。電話、面倒臭いねん。面倒臭いからもうとっとと電話切れ、人間のカス。残りカス。残滓。おととい来やがれ、このクローンウシ」

「と、とりあえず明日、そちらを使わせていただきたくて……あ、えっと、使うのはあたしやなくて、若浜九美佳さんと杉久保瑠璃さんなんですけどね。どっちも高校生です」

「勝手に使えや。俺が知るか。そのかわり学校のプールには指一本触れさせんぞ。あのプールは水泳部のもんやからな。いや、むしろ俺の独壇場やからな。まあ、身も蓋もない本音を言うと、俺がスク水娘の写メをマニア向け雑誌『旧型懐古』に大量投稿して賞金ガッポリ稼ぐためのもんやからな」

「そんな魂胆で占拠してたんですか……。不料簡ですね……。ん? でもそれやったら、男子はともかく水泳部以外の女子がスク水着てプール入るのは差し支えないのでは?」

「あかん。俺が勧誘でかき集めた現時点でのスク水要員たち……いや水泳部員たちは、全員俺のスリーサイズテストを通過したナイスバディーの持ち主や。あのマニア向け雑誌の編集者は目が肥えてるから、中途半端なスタイルのヤツの写真は授賞どころか掲載もしてくれへん。そんなわけで、テストに合格したカネのなる木以外はお断りや。撮影の邪魔やからな。後ろに余計なデブが写り込んだりしたら、台なしやろ」

「被写体に許可はとってるんですか?」

「入部届を受け取るときに、それとは別に俺のつくった契約書にサインしてもらってるからな。そこに約款がずらずらと書いてある」

「それ、読む気が失せるほど長いんでしょ。で、真ん中らへんに『スク水写真をマニア雑誌に投稿されても文句言うな』とかいうのを紛れ込ませてるんでしょ」

「一文字一ミリ以下のサイズの字で、紙の端から端までぎっちり印刷してある。しかも模造紙サイズの紙で、全五百三十八ページ。しかも全文、古典ラテン語。友人の言語学者に翻訳作業してもろた」

「最悪ですね」

「それよりも古路石、確か今日はお前の後輩の宛塚の誕生日やろ」

「旗布ちゃんの誕生日? いや知りませんけど」

「知っとけそのくらい。俺はカネのなる木を発掘するために全校生徒のプロフィールをリサーチしすぎて誕生日を暗記してしもたわ。宛塚に誕生日ケーキ買うてやれ」

「え」

 そう言えば旗布ちゃんって、亀率ちゃんくらいしか親しい人がいなさそうな気が……。大宿先生、まさかそれを不憫に思て……? そんなことを考えてると大宿先生が、

「借田安(しゃったあ)商店街の洋菓子店『ヒャカシ・ド・ツイターレ』で買え。そこで俺の妹がバイトやってる。女子大生やりながらあらゆるバイトを転々としてカネ稼いでるヤツなんやけど、さっきからひっきりなしに『客が来ん。店長は競馬行ってて今独り。ヒマ。しりとりの相手しろ』とかいう電話ばっかり寄越して来て、ウザいねん。しかも俺のケータイと違ごて、この窓口にかけて来よる。せやから着信拒否もでけへん。あいつ、どうせ客が来たら来たで、にべもない応対したり、ときには追い返したりするクセに。もううっとうしくてかなわんから、お前がその洋菓子店に行って宛塚の誕生日ケーキを買え。そのとき、あいつがヒマにならんように、無理矢理いろいろとややこしい注文つけろ。商品渡されたら、今度は無理矢理いろいろとクレーマーみたいにケチつけろ。妹の勤務時間が終わるまであと一時間半あるけど、そのときまでずっと、俺に面倒臭い電話がかかって来んように最善を尽くせ。しっかりマジメに取り組め。これは、俺の生徒としてのお前の責務やぞ。わかるか。至上命令やぞ。もし失敗したら、ブチギレるからな」

「そんな理不尽な……。そんなスジ違いな……」

「うるさい。何が理不尽や。常識や」

「……ところで、なんで大宿先生も妹さんもバイトばっかりやってるんです? おカネに困ってるんですか?」

「あいつのバイト代の使い道は、約二十パーセントが男性アイドルの追っかけで、約八十パーセントがギャンブルやろな。ギャンブル狂のクセに、将来はアイドルと結婚するとか言うとる。あー、それからあいつはCOPD予備軍のヘビースモーカーやし、タバコ代も結構バカにならんかもな。俺の場合はアル中やから、約五十パーセントが酒代で、残り約五十パーセントがエロ本とAVやな」

「訊くんやなかったです」


 そんなこんなで、町民ホール利用の許可も得て(?)、洋菓子店に行くことに。九美佳ちゃんは日本時間の今夜十時からマダガスカルの海辺でピアノコンサートがあるということで、独りで関西舞快追楽(かんさいまいかいついらく)空港に向かった。明日の町民ホール演奏会の開園時間は朝九時やけど、それまでに舞い戻って来れるんか? ……まあ、どうせなんとかなるんやろけど。杉久保さんは、ピアノとガードレールの製造に取りかかるため、ビジネスホテルにこもることに。杉久保さんはケーキ代に使こてと言いながら五千円札をあたしに手渡してくれた。さすが、富裕層ですなあ。太っ腹ですなあ。そして鞭子さんも、ビジネスホテルへ同行。で、あたしと亀率ちゃんが、旗布ちゃんのためにケーキを買いに行くことになったわけ。亀率ちゃんに旗布ちゃんの誕生日の件について訊いてみると、亀率ちゃんもすっかり忘れてたらしい。まあ、自分の名前さえ忘れる人やからな。それから大宿先生に頼まれた電話阻止の件に関して亀率ちゃんは、「妹さんの勤務時間終わるまで、投げ出さずに頑張ろな」とのこと。やる気なんかいな。

 洋菓子店への道の途中であたしは亀率ちゃんに、

「亀率ちゃんと杉久保さんはマブダチなんやろ? 亀率ちゃんの家に杉久保さんと鞭子さんを泊めてあげたらええのに」

「うーん……うちはお母さんもお父さんもツムジ曲がりで気難しい人やから、友達泊めたくても聞き入れてくれへんねん。まあお父さんは今、海外赴任やけど」

 そう言えば亀率ちゃんのお父さんの職業は、「どっかの国王」やったっけ。

「なんであかんの? 高校生がお泊まりなんて十年早い、と? それとも……?」

 でも以前にもあたしの家に亀率ちゃんを呼んでお泊まり会したことあるしなあ。根本家ではあかんということかな。あっ、マンションやからどんちゃん騒ぎとかシュプレヒコールとか集団ヒステリーとかされると苦情殺到するから、とか? それと、この亀率ちゃんの両親が気難しいというのは、どうも想像しにくいなあ。あ、でも水責めとか火あぶりとかやる人らやから、それなりに異常者なんかなあ……。亀率ちゃんは首をかしげて、

「ようわからんけど、うちに人を泊めるのがあかんらしい」

「そっか。よそのうちに亀率ちゃんが泊まるのは大丈夫なんやろ?」

「うん」

「ふーん」

「そう言えばうちのお父さんとお母さん、ときどき真夜中に合意の上で互いに拷問し合ってるわ。今はお父さんおらへんけど、夜中になるとお母さんが自分で自分を水責めして遊んでるし。そのへんが人を泊めたくない理由かも」

「そ、そう……。た、多分それが理由やね……。ま、まあ、あんまり追究せえへんようにするわ……」


 『ヒャカシ・ド・ツイターレ』に入ると、そこにいたのは、以前コンビニ『チョートッカン』で紫煙をくゆらしてた女性。この人が大宿先生の妹なんか……。ケーキ類の陳列されてるショーケースには、ミルフィーユ、ティラミス、ガトーショコラ、モンブラン、エクレア、シュークリーム、バームクーヘン、カマドウマ……。そしてその向こうで大宿先生の妹さんがイスに腰かけた状態で、今日もまたなんか吸うてはる。でも、今日はタバコやない。左の掌の上にラップが広げられてて、そこには白い粉が。で、それを右手に持ったストローか何かで、鼻から吸うてはるみたい。あたしは愕然として、

「な、何を吸うてはるんですか!?」

 すると亀率ちゃんがにこやかな笑顔で、

「そりゃ、ケーキ屋さんやねんから、小麦粉か膨らし粉やろ」

 妹さんがこちらを睨み、

「……ん? なんや、客来たんか。……ん? お前確か、コンビニにも来た幼稚な客……まあ、どうでもええわ。さっさとカネ置いて、自分で箱に詰めて持って帰れ。全部自分でやれよ。ハナタレ小僧とちゃうねんから」

 あたしは白い粉を指差し、

「あの、それ、小麦粉か膨らし粉なんですか?」

「は? ちゃうわボケ。なんであたいが膨らし粉吸わなあかんねん」

「や、やっぱりアレな何かをストローでスニッフしてはるんですか!?」

「ストローやなくてガラパイのほうがよかったか?」

「いや、スニッフすること自体が……」

「あぶりとかポンプのほうがよかったか?」

「いや、その、やっぱり、その……それ、アレなんですか? つまりその……メタンフェタミン系のアレなんですか。ちなみに『アレ』はカタカナです」

「安心せえ。心配せんでもええ。ビビらんでもええ。背筋が凍らんでもええ。この白い粉は、あたいの顔面から噴いた粉や。乾燥肌やから、顔から粉噴くねん」

 よかった!! ヘンな粉ちゃうかった!! ……いや、ヘンな粉か。あたしはヘンな顔をしながら、

「あの、なんでそんなん吸うてるんですか? どうかしてるんですか? 理性を失ってるんですか? 自暴自棄なんですか? 破れかぶれなんですか? 頭のネジが飛んでるんですか? 血迷ってるんですか? 異常者なんですか? 精神的に追い詰められてるんですか? 心神耗弱状態なんですか? 希望の光を見出せずに悲嘆に暮れてるんですか?」

 あたしは大宿先生のために、長ったらしいセリフで時間稼ぎをする作戦に出た。

「は? 何言うてんねん。吸わなもったいないやろ。体から出たから、戻して再び体の一部にしてるわけや。リサイクルや。それよりさっさとケーキ選べや。で、さっさと帰れ」

「えーと……あー……はい」

 妹さんは白い粉の残りをそのへんに置き、

「あー、どうしよっかなあ。タバコは切れたし、顔の粉も飽きたし。製菓用ラム酒を飲んだらまた店長の逆鱗に触れるからなあ。かと言うて、あたいの大好物のウォッカはここにはないし。またコウタロウに電話して退屈しのぎを……」

「えっと、あの、店員さん」

 あたしは声をかけた。コウタロウって大宿先生のことやな。大宿先生の下の名前は広太朗や。

「は? なんやねん。早よケーキ置いてカネ持ってけや」

「逆です」

 妹さんの勤務時間終了まで、まだ一時間十五分もある……。すると亀率ちゃんがショーケースをはさんで妹さんに歩み寄り、

「えっとですね、バースデーケーキが欲しいんですよ。商品のほうは、えーと……ほな、こちらのケーキでお願いします。それでですね、この真ん中のチョコプレートに、チョコペンで『お誕生日おめでとう 旗布ちゃん』って書いてもらえません? 旗布の漢字は、ブルガリア国旗の旗に、キリストの聖骸布の布です。画数多くて書きづらかったら、ひらがなでもアルファベットでもアラビア数字でもいいですけど」

 なるほど、そういう時間稼ぎの手もあるか。

「……はあ? 文字書けって? 面倒臭いこと言うなや。しかもなんかそれ、幼稚やし。鼻クソほじり小僧とちゃうねんから」

 あたしも両手を合わせて、

「あたしからもお願いします、店員さん!」

「お願いします!」

「客がこんなにお願いしてるんですから、頼みますよ!!」

 二人で懇願した。妹さんはけだるそうに、

「なんで字を書くとか、そんなプリミティブなことせなあかんねん。タイプするんやったらまだマシやけど、自分で字を書くってどういうこと? 文明の利器は使われへんのかい。……ったく。ああああ、だっるいわあああああ!! ブツブツブツブツ……」

 妹さんはブツクサ言いながら、ショーケースからバースデーケーキワンホールを取り出し、それを持って厨房へと消えた。


 数分後、妹さんが戻って来て、ケーキをショーケースの上に置いた。妹さんは頭を掻きむしりながら、

「あああああああ!! チョコペンで書くとかメッチャ難しいわ!! こんなんやってられへん!! これ、生半可な技術では無理やろ!! 何十年修行が必要やねん!? もう、マーカーペンで書いたからな!!」

 見ると、チョコプレートにマーカーペンの黒い文字で『加齢おめでとう 忌父』と書かれてる。あたしは狼狽し、

「ちょっとちょっと!! なんでマーカーペンなんですか!! 名前の漢字もちゃうし!! 還暦迎えたイヤなお父さんへの皮肉みたいになってるやないですか!!」

「安心せえ。心配せんでもええ。ビビらんでもええ。背筋が凍らんでもええ。スジ肉を冷凍せんでもええ。マーカーペンは、油性マーカーペンちゃう。水性マーカーペンや。安心せえ」

「油性とか水性とか、そういう問題ちゃいますよ!!」

 亀率ちゃんは残念そうに、

「黒いマーカーペンかあ……。白いマーカーペンがなかったんですね。まあしゃあないか」

「いや、亀率ちゃん、そういう問題でもないし!! しゃあないことないし!!」

 妹さんはやや声をひそめて、

「言うとくけど、うちの店のケーキ、メッチャマズいぞ。千人中九百九十九人が嘔吐するレベルのマズさ。残りの一人はゲテモノ食い。せやから買うてから文句言うなよ。この前全身黒づくめの三十代くらいの女の客が、『医者にこんなマズいもん食わせやがって!!』って怒鳴り込んで来たからな。お前らはそういうことすんなよ。面倒臭いから」

 うっわあ……。そんなにマズいんか……。なんか一気に買う気失せたわ……。しかもそのお客さん、明らかに奴留湯先生やないか……。亀率ちゃんはショーケースの上に置かれたケーキをためつすがめつ観察し、

「えー、ホンマですかあ? 美味しそうやのに。……あっ!! もしかして、食べた人の中から、死者も出たんですか……!?」

「幸いにも死者は出てへんな。そこまで毒性は強くないから、大丈夫や。少なくとも、トリカブトに含まれるアコニチンほどではない。多分、ジャガイモの芽に含まれるソラニンよりも安全やろ。せやからなんぼヒドくても、一日寝込む程度や。一晩安眠すれば回復する。しかし、なんでケーキがこんなマズくなんねんってレベルでマズいで。ここのケーキ食うくらいやったら、紙粘土でつくったケーキ食うたほうがマシ。実際あたい、昨日も紙粘土食うたし」

 あたしは理解に苦しみ、

「なんでわざわざ紙粘土食べるんですか!? 他に何かなかったんですか!? 異食症ですか!?」

 妹さんはショーケースを見下ろしながら、

「ここのケーキをなんぼか買うて帰って、夕食として食べようと思たけど、あまりのマズさに一口でギブアップ。で、紙粘土食うた。冷蔵庫には紙粘土以外にウォッカしかなかったし」

「なんで冷蔵庫に紙粘土入れてるんですか!?」

 大声を出しすぎて疲れたあたしは、タメ息をついてから妹さんに対して、

「あなたはケーキづくりには関わってないんですか?」

「あたいがここで働き始めてからは、商品は全部あたいがつくってる。それから突然マズくなった」

「ほんなら全部あなたのせいやないですか!!」


 結局妹さんの勤務時間終了まで粘り腰で店に残り、ようやく電話阻止作戦から解放されて退店した。すると店から少し離れた位置で、またあのときみたいに、長谷場さんと奴留湯先生の間のいざこざが……。今回も前回に負けず劣らずしょうもない確執が生じてるみたいやけど、どうすべきか。止めに入るべきか。長谷場さんは、相も変わらずセーラー服姿や。奴留湯先生は、黒いウェットスーツを着用し、顔はドーランか何かで真っ黒に塗り、さらに黒いサングラスをかけてる。パーフェクトなブラックや。見た目だけでは奴留湯先生とはわからへんけど、声でわかった。奴留湯先生は腕組みをし、どすの利いた声で、

「あたし奴留湯様を怒らせる気かコラ。あたし奴留湯様にぶつかっといて、なんの罪悪感もないんかコラ。そもそも医者にぶつかるとか、どういう了見やねん。そういうのを、医療ミスっていうんやぞ」

「こちらから見たら、そちらが悪いんですけど。そちらが虫ケラなんですけど」

「はあ? そっちから見たら、あたし奴留湯様のほうからぶつかって来たように見えたってことか? 屁理屈こねてるんとちゃうぞコラ。論理学を勉強しろコラ」

「いえ、こちらから見たら、あなたが突然何もない空間から出現したように見えたんです。次元の裂け目から現れたかのように見えたんです」

「人を異世界人扱いしてるんとちゃうぞコラ。お前が異世界行って来い」

「異世界人みたいないでたちやないですか、それ。そのカッコでしたら、次元の裂け目から現れても不思議やないですよ」

「ほんならそれ、どこの異世界やねん。どんな異世界やねん。世界の種類によっては、承知せえへんぞ。まず、医者という職業のある世界か?」

「あります」

「で、その世界における脳神経外科医のステータスはどんなもんや?」

「その世界の脳神経外科医は、ソプラノリコーダーを吹く権利があります」

「なんでやねんコラ。なんで脳神経外科医以外にはソプラノリコーダーを吹く権利がないねんコラ」

「眼科医の場合は、ソプラノリコーダーを拭く権利やったらあります。メガネ拭きで」

「なんでやねんコラ。なんで眼科医以外にはソプラノリコーダーを拭く権利がないねんコラ」

「眼科医にあるのは、あくまでソプラノリコーダーをメガネ拭きで拭く権利です。肛門科医には、ソプラノリコーダーをトイレットペーパーで拭く権利があります。歯科医には、ソプラノリコーダーを歯ブラシでみがく権利があります。ナースには、ソプラノリコーダーで女をみがく権利があります」

「あたし奴留湯様はそんなわけのわからん世界の住人ちゃうわい」

「つまり、次元の裂け目から出て来てないんですか」

「出て来てへんわ。生まれてこのかた、一回も出て来たことないわ」

「ほんならわたしが悪いんですか。わたしが虫ケラなんですか」

「当たり前や。あんたは見るからに非常識で支離滅裂で身のほど知らずの人間やからな。オバハンやのにセーラー服なんか着てるんやから」

「そう言うあなたはウェットスーツですよね。そっちも十分ヘンですよね」

「これは医学的に証明された健康法や」

「誰が証明したんですか?」

「天才医師奴留湯編湯様に決まってるやろ」

「どう証明したんですか?」

「あたし奴留湯様がこうやって一週間ウェットスーツを着てる。あたし奴留湯様は一週間、病気もケガもしゃっくりもお漏らしもなし。はい、証明」

「全然医学的やないですね」

「医者が言うてんねんから医学的や。この件については医学論文も書いたし」

「それ読ませてくださいよ」

「昨日トイレで便秘と闘ってるときに五分で書き上げた。ボールペンで手に書いたんやけど、トイレから出たときにうっかりして手を洗ったから消えてしもた」

「便秘してる時点で健康ではないですよね。しかも手に書いてすぐに手を洗うとは。そんな愚人が医者やってるなんて、世も末ですね。いや、あなたは愚人ですけど、世は末ではありません。悪いのはあなただけです。あなたが末です」

「はあ? あたし奴留湯様のどこが末やねん。末ちゃうわ。あたし奴留湯様は、今年は末吉や。あたし奴留湯様は、末やない。末吉なんや。初詣のときのおみくじの結果、まだちゃんと覚えてるってことや。あんたはどうや? 今年のおみくじの結果、覚えてるか? どうせ忘れたやろ。はははははははは!」

「覚えてます。わたしは小吉でした。わたしの圧勝ですね。末吉とかダサいですね。末吉とか時代遅れですね。今時、末吉とか流行りませんから」

「な、なんやと!? ……あ、思い出した。あたし奴留湯様は、末吉とちゃうわ。吉やったわ。そんなわけで、あたし奴留湯様の勝ちや」

「吉と小吉では、小吉のほうが上ですよ。知らんかったんですか? 不勉強なんですか? 小学校でおみくじの授業サボってたんですか?」

「うっ……!! ……あ、思い出した。あたし奴留湯様は、大吉やったわ。吉は去年の結果やった。そんなわけで、あたし奴留湯様の超圧勝や。まいったかコラ。はははははははは!」

「ウソつくなやボケオガグズ!! お前はどうせクソ末吉やろ!! わたしは超小吉、お前はクソ末吉!! わたしのスーパー圧勝なんじゃ、ボケダイナマイト!!」

「ボ……ボケニトログリセリンやと!? え、ええ加減にせえよコラ!! あたし奴留湯様は急いでるんやぞ!! お前みたいな凡人とは違ごて、でっかいでっかい壮大な夢があるんやぞ、あたし奴留湯様には!! 白浜温泉旅行とか」

「吉と小吉の上下関係も理解してへんアホは、社会の上下関係も尊重できずに見下されてシカトされて村八分にされるのみ。アホ、アホ、アホ医者」

「またお前アホ言うたな!? やめろ!! 言うな!!」

「ほんならアホとは言いません。そのかわり、アホオオオオオって言います。アホオオオオオ!! アホオオオオオ!! アアアアアアアアアアアホオオオオオオオオオオ医いいいいいいいいいい者ああああああああああ!!」

「クッソオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!! アホ言うな!! アホ言うなやあああああ!! あたし奴留湯様はアホちゃう!! 頭ええねん!! 天才やし!! 天才!! お前死ね!! 死ね!! お前もう死ねよおおおおおおおおおお!! 粉瘤の手術失敗して死ねよおおおおおおおおおお!!」

 あたしは二人の様子を傍観しながらタメ息をつき、

「大の大人同士が、大人気ないなあ」

 亀率ちゃんは不安げな面持ちで、

「止めたいけど、前にアミユセンセーから、『大人の争いごとには子供は口出しすんな』って言われてるからなあ……。どうしよう……」

 奴留湯先生は激昂しながら、

「お前、これぶつけたろか、コラアアアアアアアアアア!!」

 奴留湯先生は郵便ポスト(よくある赤くて四角いタイプ。郵便差出箱八号と称されるもの)を引っこ抜こうとする。またポストか……。亀率ちゃんがそれを見て、

「引っこ抜いたら器物損壊やん!! これはさすがに止めなあかん!!」

 奴留湯先生に駆け寄ろうとする亀率ちゃんをあたしが制止し、

「大丈夫やろ。引っこ抜こうと思て引っこ抜けるもんやないやろし」

「そ、そっか」

 ……でも、前回のケンカのときはポストが列車のように走り出してたっけ。ユニークなローカル線(?)として、撮り鉄さんたちが黒山の人だかりをつくりそうな一コマやった。ありゃ配給列車よりも希少価値があるわな。あのときの光景が脳裏をよぎり、なんか一気に不安になってきた。奴留湯先生が引っ張ってるポスト、大丈夫かなあ。列車みたいに走るポストがあるくらいやから、ポストが引っこ抜けるくらいおかしなことちゃうもんなあ。奴留湯先生は「うおおおおおおおおおお!!」と雄たけびを上げながら、ポストと格闘してる。しばらく眺めてると、そのポストがわずかに上へと動いた。亀率ちゃんが指差して、

「あ!! 引っこ抜けてまう!! すっぽ抜けてまう!!」

 するとどこからともなく郵便局員さんがやって来て、

「大丈夫です。あのポストは引っこ抜けませんから」

 亀率ちゃんは安堵した様子で、

「そうなんですか。よかった」

 あたしと亀率ちゃんは再び奴留湯先生に注目する。

「うおおおおおおおおおお!!」

 奴留湯先生の雄たけびとともに、ポストの柱の埋まってる部分が徐々に地上へと出て来る。五センチ、十センチと……。亀率ちゃんは郵便局員さんを指でツンツンして(あのシラウオのような指でツンツンされるとは、なんと羨ましい郵便局員さんや……)、

「ゆ、郵便局員さん、ヤバいですよ。引っこ抜けますよ」

「大丈夫、大丈夫」

 さらに柱が露出していく。そしてあれよあれよと言う間に、柱の高さは一メートルを超えた。あたしはぶったまげて、

「柱の部分、長っ!! 地下にどんだけあるんですか!?」

 郵便局員さんは腕を組み、

「どれくらいやったかなあ……。でも、引っこ抜けることはないから」

 奴留湯先生は長谷場さんに「ちょっと待ってろ!!」と言い残していったんどこかへ姿を消し、しばらくして脚立を持って現れた。そしてそれに乗り、さらにポストを上へと引っ張る。地面の下に埋まってた柱はどんどん地上に露出していき、ポスト本体は上へ上へと向かって行く。

「クッソオオオオオオオオオオ!! どんだけ長いねん、このポスト!!」

 奴留湯先生は再び姿を消し、しばらくして今度はヘリコプターで現れた。先を輪っか状にしたロープをヘリから投げ、ポストに引っかけ、上空へと引っ張り揚げて行く。ポストの高さが、五メートル、十メートル、十五メートルと伸びていく。郵便局員さんは誇らしげに、

「ね、抜けへんでしょう?」

 あたしは傍観主義者のような眼差しでポストを見上げつつ、

「でも、これでホンマにええんですか……。これ、もとに戻るんですか……。確かに抜けてはいないですけど……」

 亀率ちゃんは四海同胞主義者のような眼差しでポストを見上げつつ、

「老婆心ながら、これやと小さい子供が投函でけへんと思うなあ……。背伸びしても無理やと思うなあ……。牛乳飲んでも無理やと思うなあ……。まあ、そもそも牛乳で身長が伸びるっていう話は信憑性に欠けるけど」

 あたしも世間の牛乳信仰には一家言あるけど、熱弁をふるいたい気持ちをどうにかこらえて、

「いや、子供だけやないやろ。大人のオランダ人でも投函でけへんやろ」

 ずっとポストを見上げてるから、首が疲れてきた。あたしは頸動脈損傷による美容院脳卒中症候群を心配し、見上げるのをやめた。亀率ちゃんもずっと見上げてるけど、亀率ちゃんはまあ……大丈夫やろ。そこにあたしのお婆ちゃんがやって来た。お婆ちゃんはあたしに気づいて、

「あら? 亜景藻やないの。そっちの子は……確か同じ学校の子やね? 以前うちに遊びに来たことあったね?」

「はい。根本亀率ですよ。お久しぶりです」

 亀率ちゃんはにこやかな笑顔で答えた。

「お久しぶりやね。……あら? このへんにポストがあったはずやのに……」

 見るとお婆ちゃんはハガキを手に持ってる。あたしは苦笑しながら、

「お婆ちゃん、今ポスト、お空の上のほうにあんねん。今から呼ぶわ」

「あ、そう? ほな頼むわ」

 そしてあたしは上空に向かってありったけの大声で、

「奴留湯先生ええええええええええ!! ポストの背、縮めてええええええええええ!!」

 しばらくしてポストをロープで下へと引っ張りながら、ヘリが降下して来た。あたしの声が届いたのかどうかは知らんけどね。ポストとヘリがいっしょに降下して来る。ヘリは商店街のど真ん中に着陸。迷惑。そして奴留湯先生は、操縦士に「あんた操縦ヘタやなあ!! 帰りに墜落してまえ!!」と言い残し、ヘリから降りて来た。空から戻って来たポストをふと見ると……柱の露出部分の長さはもとどおりやけど、あろうことかポスト本体の上半分がなくなってる。消し飛んだみたいになくなってる。あたしは仰天して、

「奴留湯先生!! 上半分は!?」

 奴留湯先生は初めてあたしらの存在に気づいたようで、あっけらかんと、

「ん? ああ、お前らか。上半分は太陽に突っ込んだから、その部分だけ消滅した。下半分は太陽の外に出てたから無傷やったけどな」

「ヘリコプターでどこまで行ってたんですか!? よう生きて帰れましたね!?」

「当たり前やろ。あたし奴留湯様を誰やと思てる。あたし奴留湯様は、奴留湯様やぞ」

 そう言うと、奴留湯先生は近くの自販機でタバコを買い、一服し始めた。今ごろ気づいたけど、長谷場さんの姿が消えてる。とっくの昔に帰ったのかも。奴留湯先生もすっかりいざこざのことは忘れてるみたいや。一方、亀率ちゃんは目に涙を浮かべ、

「ほんなら、郵便物も半減したんとちゃうかな……。みんなの想いが詰まった手紙やハガキが……うっ、うう……」

 亀率ちゃん、号泣。一方お婆ちゃんは、手に持ったハガキを、上半分がなくなって内部がまる見えのポストの中にポンと放り込み、「ほな、また。亜景藻をよろしゅう」と亀率ちゃんに深々と頭を下げ、立ち去った。……あれ? よう見たら、ポストの側面にヘンなもんがくっついてる。黒くて平べったい直径十センチくらいの円形の何かが。薄気味悪い。あたしはポストに近づき、薄気味悪さを辛抱して、その黒いものをベリっとはがした。

「これ、なんやろ? ポストについてて、簡単にはがれたけど」

 亀率ちゃんに見せてみた。すると亀率ちゃんは手の甲で涙をぬぐいながら、

「うっ、うう……ホクロかな?」

「いや、それはないと思う。これはホクロの肌触りやないし……」

「うっ、うう……よかったあ……。それがホクロやったら、メルルーサを……いや、メラノーマを疑わなあかんもんな」

「いや、それ以前に、ホクロのあるポストなんてないやろ。ポストは無生物やし」

「うっ、うう……あっ、そうか……無生物か……。ごめん、ちょっと哀しみに打ちひしがれすぎて、てっきりポストをポスト構造主義者さんと勘違いして、ポスト構造主義者さんがメラノーマになったのかなと……」

「いや、意味がわからんし。うーん、この黒いのは、一体……」

 すると奴留湯先生が紫煙をくゆらしながらこちらを見て、

「ああ、それ、太陽の黒点」

 あたしは思わず、「ええっ!?」と声を上げる。奴留湯先生は煙を吐き出しながら、

「十一年周期で増減すんねん、それ。なかなか美味やで、それ。やっぱり色が黒いもんは美味いわ。マウンダー極小期には収穫量激減によって大飢饉が起きたとか」

 奴留湯先生はあたしから黒点を奪い、ノリを巻いてないおにぎりをバッグから取り出すと、それに黒点をぐるぐると巻きつけ、ぱくついた。一方亀率ちゃんは、

「うっ、うう……えーと、結局、唯一の救いは、ポスト構造主義者さんはメラノーマにならへんかったってこと……かな……」

「せやから亀率ちゃん、意味わからん」

「うっ、うう……ごめん……自分でもようわからへん……。ああ、しかし手紙やハガキ……跡形もなく消滅したものに関してはなすすべがないけど……破損してるものに関しては全部お詫びの貼り紙を貼らなあかんわけやから、郵便局員さんも大変やなあ……」

「ああ、そういう貼り紙、たまにあるね。そう言や郵便物が破損した場合って確か、修復して郵送してくれることもあるんやんな」

「うん……。うちもちょっと前に、そういうの受け取ったことある。なくなった左半分が完璧に復元されたハガキ」

「え? 左半分が完全になくなったのに、まさか文章まで一字一句復活させたわけ? いや、まさか。さすがにそれはないか。どんな文章が書いてあったかわからへんもんな」

「そのまさかやで。一字一句復活させてあった。これがそのハガキ」

 亀率ちゃんがハガキをポケットから出した。

「持って来たん?」

「うん」

 ハガキを受け取って見てみると、縦に走る裂け目にはセロハンテープが貼られてる。無事な右半分には、郵便番号下五ケタの他に、宛て先の住所・氏名として「大阪府東繞平呼(とうにょうびょうよび)郡一尾里町片井(かたい)八丁目一‐二 カチンコチンハイツ三○三号室 根本亀率様」と書かれてる。そして郵便局員さんが付け足したと思われる左半分には、明らかに右半分とは違う筆跡で、郵便番号上二ケタと、差し出し人の住所・氏名として「大阪府東繞平呼郡一尾里町半都会(はんとかい)五丁目六‐一四 古路石亜景藻」と書かれてる。

「えっ!? あたし!?」

「そう。アケモチャンからのハガキやで。忘れてるん?」

「いや、あたし、亀率ちゃんにハガキ送ったことないけど」

「ありゃ? ホンマに?」

「うん。復元を試みた局員さんは、一体なぜあたしの名前を使こたのか……。いやそれ以前になぜあたしの住所と名前知ってるのか……」

 ハガキを裏返してみた。裏の右半分(つまり復元されたほう)には、「ホンマに、ホンマに、とにかくホンマに」と書いてある。左半分には、「くれぐれもご自愛くださいますようお願い申し上げます」。

「復元してるほう、絶対間違うてるやろ!! 普通そんなふうに強調せえへんやろ!! 消印の日付けからして、多分『残暑お見舞い申し上げます』とか書いてあったと思うよ!! ってそもそもこれ誰からのハガキ!?」


 そのあと旗布ちゃんの家で開いた誕生日パーティーは、目も当てられへんことになった。キッチンであたしが戸棚の最上段の皿を取ろうとしたとき、旗布ちゃんが「あけも先輩ー! 危ないですよー! 気をつけんと、落ちて来ますよー!」って言うから、「大丈夫大丈夫」って言いながら皿を取ったら、直後に隕石が屋根を突き破ってキッチンに落ちて来たし。「ほら言わんこっちゃないー!」とか言われたし。そのあとは夜まで片付けに追われたなあ。

 翌日の杉久保さんと九美佳ちゃんの発表会も、目も当てられへんことになった。意外にも客席は満員。九美佳人気はすごいなあ。で、演奏後あまりの大感動に客の半分以上が壇上に上がり、演奏者二人をモミクチャにする事態に。そして、楽器やガードレールが全部杉久保さんの髪の毛でできてることは最初に紹介してたから、客たちがそれら髪製のものをムシャムシャと食べ始める始末。さらには、杉久保さんの頭に生えてる髪の毛まで食べ始めた。でも杉久保さんの頭の毛は、食べても食べてもリアルタイムで生えて来てた。しまいには、九美佳ちゃんの髪の毛まで食べ始めた。哀れ九美佳ちゃんは、髪の毛瞬間再生能力がないために、まる坊主のまま。現在九美佳ちゃんは、杉久保さんが自らの毛で製作してくれたカツラを着用してる。


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コメディー小説『アッケラカンサッパリカン』


第三十話 空き教室で


 朝八時過ぎ。道の途中で出会った亀率ちゃんと肩を並べて登校してると、長谷場さんと奴留湯先生が道端で舌戦を繰り広げてるところに遭遇。またかいな。しかも以前と同じように、奴留湯先生は郵便ポストを引っこ抜こうとし始めた。そして今回のポストも、柱の地下部分が異様に長いみたい。そしてやはり奴留湯先生はヘリで現れた。前回は民間ヘリやったけど、今回は厳めしい軍用ヘリ。ちなみに奴留湯先生の乗るヘリはすべて自家用らしい。奴留湯先生は一尾里町の北に位置する樋所町(ひしょちょう)という避暑地として名高い町に別荘を所有しており、そこの庭にヘリコプター保管庫があるそうな。操縦士は奴留湯先生の伯父に当たる人らしい。奴留湯先生はヘリから投げたサイザルロープをポストに引っかけ、それを上空へと引っ張り揚げて行くけど、柱の露出部分はまた十メートル、二十メートルと際限なく伸びていく。亀率ちゃんと二人でその光景を見上げてると、亀率ちゃんのケータイに奴留湯先生から電話が入った。亀率ちゃんはケータイを耳に当てがい、

「もしもし、どうしたんですか、アミユセンセー。今ですか? 今、奇遇にもアミユセンセーが引っこ抜こうとしてるポストの近くにいますよ。ちなみにアケモチャンもいっしょです。……え? ちょうどよかったって? どういうことですか? ……あ、はい、わかりました」

 亀率ちゃんはケータイをつかんだ手をこちらへと差し出し、

「アケモチャン、電話。アミユセンセーが、うちよりも常識人っぽいアケモチャンに要請したいんやて」

「よ、要請って何を?」

「うーん……なんやろ? 妖精のカッコをさせたいとか?」

 とまれかくまれ電話に出えへんことにはなんのことかわからんので、あたしはケータイを受け取って耳もとに持っていった。

「もしもし、奴留湯先生?」

「よう、亜景藻。今、ヘリの中や。ときどきヘリの回転翼のことをプロペラって言うヤツがおるけど、正確にはあれはプロペラやなくてローターやからな。上で回転する大きなほうがメインローターで、後ろで回転する小さなほうがテイルローターや。まあそれはええとして、今、高度七千メートルからかけて来てるんやけどな」

「七千メートル!? ケータイ、圏外にならへんのですか!? いや、なるでしょう!? なんでそうやってケータイであたしと話すことができてるんですか!? 今聞こえてる奴留湯先生の声はあたしの幻聴ですか!? あるいはこのケータイが勝手に奴留湯先生の声マネをして喋ってるんですか!?」

「圏外になんかなってへん。あたし奴留湯様は、ケータイを『どこでも圏内プラン』で契約してるからな。どこでも圏内になる。せやからたとえ高度七千メートルでも圏内や。福井県みたいな田舎でもちゃんと圏内になる」

「『どこでも圏内プラン』!? そんなプランあるんですか!? SETI計画よりも壮大なプランですか!? しかし七千メートルって、高山病の症状が出たりせえへんのですか!? あと一つ言わせてもらうと、福井県全域がケータイの電波も届かへん僻地みたいに言わんといてください!! そういう発言する人がいるから、あたしら都会人みんなが高慢ちきやと思われる!! 田舎バッシングをする都会人は、地獄の針の山に登らされて高山病で苦しめばええねん!!」

「高山病やと? あたし奴留湯様は医者やぞ。このくらいで病魔に冒されるか。ヘソ出して寝ても風邪ひかへんかったぞ。ヘソの周りにマーカーペンで「←カミナリ様、これがヘソです!」って書いておいても、何ごともなかったぞ。五年間毎日融解させた鉛で味噌汁つくって飲んでも、鉛中毒にならへんかったぞ。ちなみにここにいる操縦士も医師免許持ってるから無事。高山病にも鉛中毒にもならへんし、将来ボケることもない」

「医師免許を獲得した時点でその人の無病息災が天に約束されるんですか!? でも鉛は超危険ですよ!? 有鉛白粉が販売禁止になったのも鉛の毒性のせいですよ!? 普通は鉛作業主任者を呼ばへん限り、鉛の味噌汁なんて飲まれへんでしょ!! そして鉛の融点は約三百三十度ですよ!? 奴留湯先生、味噌汁は熱ければ熱いほどええって言うんですか!? それやと鉛中毒だけやなくて、食道がんも心配ですよ!!」

「は? ネコ舌か、お前」

「あたしはネコ舌ですけど、ネコ舌であろうとカメムシ舌であろうと、三百三十度の味噌汁は熱くて飲まれへんでしょ!!」

「心配せんでもフーフーしてから飲んでるわ」

「それならよかった。でもそもそもヘリコプターって、高度七千メートルまで行けるもんなんですか!? かなり厳しいでしょ!? 六千九百九十四メートルくらいが限界では!?」

「そんなもん、七千メートルってたった七キロやぞ。フルマラソンなんか、その六倍も走るやないか。それにそもそも、前回はヘリで太陽まで行って来たやないか」

「う……確かに。……で、なんの用です? ケータイの特殊プランを自慢したかったんですか?」

「いや、ちょっとノドが渇いたから、なんか飲みものをこっちに寄越して欲しくてな。希望としては、ジンジャーエール、タピオカドリンク、グァバ茶、有馬温泉あたりがええ。融解した鉛も可」

「え? そんなもん、降りて来て飲んだらええやないですか。それが億劫やったら雨が降るのでも待っといてくださいよ。雨雲の高度のほうが低いかも知れませんけど」

「今すぐ飲みたいねん。ノドがカラカラやねん。今機内にある液体は、ヘリ用のケロシン系燃料と、あとはあたし奴留湯様と操縦士の体内にある血や尿くらいしかないねん」

「はあ、そうですか……。……で、あたしがどうやってそこに飲みものを持って行ったらええんですか? あたしもヘリでそちらへ向かえと? あるいは背中に羽根でも生やせと? そんな進化したくないんですけど。遺伝子操作とかしたくないんですけど」

「進化も退化も別にせんでええ。遺伝子をいじる必要ない。遺伝子を汚い手でいじったらあかんで。炎症起こすから。いじるんやったら、ちゃんと手を洗ってからな。飲みものは直接こっちに持って来んでもええよ。ペットボトルを機内に投げ込んでくれればええから」

「ここから七千メートル投げろと!? ハンマー投げ選手でもないのに、無理です!!」

「いや、このヘリのすぐそばから投げ込んでくれればええ」

「で、どうやってそのヘリのそばまで行くんですか? あたしもヘリでそちらへ向かえと? あるいは背中に羽根でも生やせと? そんな進化したくないんですけど。遺伝子操作とかしたくないんですけど。遺伝子が炎症を起こして遺伝子にステロイド外用剤を塗ったりしたくないんですけど。ステロイド剤。つまり副腎皮質ホルモンですね。この言葉を発音するとき、ヒシツっていうところがちょっと言いにくいですね。副腎皮質ホルモンの一種、グルココルチコイド。この言葉は発音しやすいですね。『コ』がええアクセントになってて、発音し終えたときの爽快感がすごいですね。この爽快感に抗炎症作用があるって言われても信じるレベルですね」

「ヘリで向かったり羽根で飛んでったりせんでええよ。ただ単に、そのポストの柱を登って来てくれればええねん」

「七千メートルの柱を登れっちゅうんですか!? 小学校の校庭にある登り棒みたいに!? あたしはそんな運動神経ないです!! それに、奴留湯先生と操縦士さんは平気なんでしょうけど、上まで登ったら酸素も薄まるし気温も氷点下になるでしょ!? あたしは絶対無事ではいられませんって!! それに手が滑って落ちたらお陀仏やないですか!! 郵便ポストからの転落死なんて、イヤです!! そんな死因、イヤです!!」

「酸素とか気温とか転落とか、心配しすぎやろ。それにあたし奴留湯様は医者やぞ。お前は非医者やろ。非医者は医師命令には従順であるべきやろ」

「ヒーシャって言われても。とにかく、あたしはやりませんよ」

「ほなしゃあないな。どんくさそうでちょっと心もとないけど、ここは肉体が頑健な亀率に頼むか」

「あたしの大事な亀率ちゃんにそんなことやらせんといてください!!」

「は? あたし奴留湯様の勝手やろ。あたし奴留湯様は医者で、お前は非医者やぞ」

「医者でもヒーシャでもナターシャでも同じです!! 勝手やありません!! 奴留湯先生は医者ってことを鼻にかけて傍若無人にやりたい放題やないですか!! そういうことすると他のお医者さんにも風評被害が及んで迷惑やと思いますよ!!」

「はあ? お前はこの事態を理解してるのか。あたし奴留湯様は医者や。そして天才や。天才医師は保護され庇護されるべき存在なんや。そらもう特別天然記念物のように。世界を救う存在なんやから。救世主なんやから。その天才医師のノドが渇いてるんやぞ」

「でもその天才ってのも自称やないですか」

「詐称やと!?」

「い、いや、自称」

「いっしょやろ!! お、お前、あたし奴留湯様が天才やないっちゅうんか!? 天才やと認めへんのか!? お前いつからそんなふうになった、亜景藻!? ムカつくわ!! 今からそっち行くから覚悟しとけ!! コラ操縦士!! 大至急着陸!! ポストはロープを外して、とりあえずその高さのまま放置しとけ!!」

 電話が切れた。そして、なぜか柱から切り離された状態でポスト本体が空から降って来て、道の真ん中にガーンと落ちた。次に、空から何かが大量に降って来る。それらもガスンガスンと音を立てて道路の真ん中あたりに落下していく。あたしはオロオロして、

「うわっ!? 何!? 何!? 何が落ちて来てんの!? 雹!? 隕石!? 隕鉄!? 鉄道員!? ただし音からして硬そうやから、死後硬直した鉄道員!?」

 現時点ではあたしと亀率ちゃんのいる道路の端のほうまでは落ちて来てへんけど、いずれここにも危険が及ぶかも知れへん。ポスト本体以外の道に落ちた物体は、すべて平べったい円柱状の何か。側面は紅色、上面あるいは底面は……白色かな。空を見上げると、ヘリコプターが垂直降下して来るのが見えた。しかしなんと、ヘリコプターの機体がポストの柱に近すぎて、メインローターが柱に何度もぶち当たり、そのたびにネギを包丁で小口切りしていくみたいに柱が約数センチごとに切断され、ボロボロと地面に落ちて来る。円柱の正体は切断された柱か。商店街にポストの柱の雨が降り注ぐ。

「うわあああああ!! ここも危険かも!!」

 あたしが叫ぶ。周りの通行人の皆さんも悲鳴を上げる。亀率ちゃんはあたしの手を引き(あたしはときめいた)、そして凛とした声で、

「亜景藻ちゃん!! 建物の中に逃げよう!! 皆さあああああん、建物の中や離れた場所など、安全なところまで避難してくださあああああい!!」

 あたしと亀率ちゃんは近くのドラッグストアの中に避難し、しばし待つことに。まあ、亀率ちゃんはあんな円柱くらい、脳天に千個直撃しても菩薩のような顔をしてる可能性もあるけど。しばらくして柱が降り注ぐ音がやんだので、二人でおそるおそる外へ出てみた。ヘリが道の真ん中に着陸しており、柱の雨は治まってる。あたしは足もとに転がってる柱の一部分を、一つ拾い上げてみた。その切断面を見ると、ご飯がみっちり詰まってる……。そしてその中央にはシイタケ、かんぴょう、高野豆腐……。

「この柱、巻き寿司やったんか!! ……まあ日本のポストやから、しゃあない……のか?」

 亀率ちゃんも巻き寿司を覗き込んで、

「確かに巻き寿司やね。金太郎飴でもよかったと思う」

 すると奴留湯先生が近づいて来て、

「コラ亜景藻!! あたし奴留湯様が天才やとわからへんのかコラ!! 亀率の脳の隙間を埋めた最先端治療とか、亀率の骨の入れ替え手術とか、覚えてへんのか!!」

「それって奴留湯先生の腕がええんやなくて、亀率ちゃんが特異なだけでは……」

「はあああああああ!? ちょっと亜景藻お前ええ加減にせえよええ加減にせえよお前コラなんやねんお前コラおいおいおいおいおい!! 特異なヤツは、お前や!! あたし奴留湯様を天才と思わへんヤツは、特異や!! 特異点定理が一般相対性理論の不完全性を物語ってるように、奴留湯不敬罪は一般人古路石亜景藻の不届きな感性を物語ってる!!」

 奴留湯先生はあたしが手にしてる柱をふんだくった。そしてバッグからこの前の平べったい黒点の残りを取り出し、それをノリのように柱に巻きつけ、かじりついた。あたしはギョッとして、

「うわっ!! 中身はご飯やからともかくとして、外側は硬いでしょう!? 外骨格みたいに」

「意外と軟らかいぞ。離乳食と言われても納得するレベル。食うてみろ」

 奴留湯先生が残りをこちらに寄越す。

「でも中身のご飯や具も、いつのものかわからんし……。それにそもそも、ポストを食べるっていうのは……」

「ちょっとくらい食うてもどうってことないやろ。美味いぞ」

 あたしは軟らかさと安全性と美味しさに対して半信半疑のまま、ちょっとだけかじってみた。

「あ、意外と軟らかい。これやったら誰でも離乳できそう。……あ、でも、口の中に金属臭が広がってマズい」

 ふと横を見ると、亀率ちゃんがムシャムシャと柱を食べてる。亀率ちゃんは微笑みながら、

「今日、朝ご飯食べてへんかったから、これで済まそうと思て」


 学校での昼休み。廊下。大宿先生の後ろを三歩下がって背蟻離ちゃんが歩いてる。背蟻離ちゃんは男の人と歩くときは、いつも三歩下がって歩く。体育祭の二人三脚のときも横に並ばず三歩下がって走ろうとして、相手の男子生徒に怒られてた。ふむ、これが大和撫子というやつか。それにしても、二人でどこに行くんやろ。背蟻離ちゃんが数学の授業でわからんかったところを教えてもらいに行くんかな? しかし学業成績学年トップクラスの背蟻離ちゃんに限ってそんなことあるかな。……あ、大宿先生の授業って延々と生徒に問題解かせるだけで答え合わせもなしやから、もしかしてそれに関して苦言を呈しに……? いや、それもないか。背蟻離ちゃんは目上の人に不平不満を漏らすような人ちゃうもんな。

 教室に戻って席に着き、ヒマを持て余してると、背蟻離ちゃんが入って来た。

「背蟻離ちゃん、大宿先生とどこ行ってたん?」

「あ、えっと……大宿先生様はお酒の飲みすぎでご気分が悪くなって、保健室の場所を教えて欲しい、と」

「運動部顧問の先生やのに保健室の場所も知らんのかいな。それに保健室言うたら、一階の入り口付近と相場が決まってるやろ。あ、もしかしてそのついでに水泳部に勧誘とかされへんかった?」

「え、ええ、されました。非常に熱心に勧誘されてましたので心苦しかったんですが、わたくしは運動音痴ですし、入部すると他の部員様たちのお手を煩わせることになりかねませんので、丁重にお断りしました」

「どんな誘われ方した? 何言われた?」

「え、えっと……まずスリーサイズをお尋ねになられて、答えたところギリギリ合格とのことで……。で、入部して欲しいと……」

「そ、そう……。でもよう断れたね」

「何度も頭を下げながらお断りさせていただいてると、横からジョンソン先生様が大宿先生様に、『無理強いはダメですよ』と……」

「ああ、ジョンソン先生は女子に優しいだけやなくて、何より強そうやもんねえ。筋骨隆々やもん。大宿先生、怖かったんやろなあ」

「ほんなら、『入部せんでもええから今度一回だけスクール水着姿を撮影させて。雑誌に投稿するから』と」

「もしかして、それは許可したん!?」

「それはまあ、はい……。水泳部の活動がない日の撮影なんで、部員様にご迷惑もかかりませんし、大宿先生様の勧誘もかなり熱心でいらっしゃったので、それさえ退けるというのは気がとがめまして……」

「そっか……。にしてもさ、背蟻離ちゃんって男の人の三歩後ろを下がって歩くけど、海やプールの中で男の人について来いって言われたら、どのくらい離れて泳ぐん?」

「三かき下がって泳ぎます」

「かき?」

「わたくしはイヌかきしかできませんので……」

「…………」


 しばらくして、トイレに行こうと廊下を歩いてると、旗布ちゃんが異様なくらいゆっくりと歩いてるのが目に入った。

「旗布ちゃん、何をチンタラ歩いてんの? 空気抵抗?」

「あー! あけも先輩ー! 男の人の三歩後ろを下がって歩いてみようと思いましてー! 古きよき大和撫子を実演してみようと思いましてー!」

「え? どこに男の人が……? 幻視?」

「そこー! そこー!」

 旗布ちゃんが廊下の床を指差すので、視線を移してみると、そこにはナメクジが這ってる。旗布ちゃんは指差しながら、

「そこー! そこー! そこのナメクジさんですよー! 這い方がイケメン風なんで、オスやと思いますねー!」

「ナメクジは雌雄同体やで」

「えー!! ホンマですかー!?」

「うん」

「ほんなら、大和撫子としては、一点五歩下がって歩けばええわけですねー!」

「…………」


 トイレから出ると、廊下でまた旗布ちゃんに出くわした。

「あけも先輩ー! さっきかずえ先輩が凄まじい形相で、目隠しされた女生徒一人をお姫様抱っこしたままどっかに走って行きましたよー! それでついて行こうと思て走り出したら、さっきのナメクジを踏んづけてしまいましたー! そしてそれを目撃したきりつ先輩が悲鳴を上げて大号泣ー! そしてそれを慰めてたらかずえ先輩のほうは見失ってしまいましたー! きりつ先輩はナメクジのお墓を造るために業者に電話してましたー!」

「め、目隠しされてお姫様抱っこされてた人って、どんな人!?」

「華奢な人でしたー! 目隠しからメガネが見え隠れしてたようなー!?」

 背蟻離ちゃん……!?

「それとですね、かずえ先輩は、『覚悟しろやあああああっ!!』って言いながら走ってはりましたー!」

「えええええっ!?」


 あたしは学校中を駆けずり回って和江ちゃんを捜した。そして、最上階である五階のいちばん奥の空き教室から、背蟻離ちゃんの声を聞いた。

「……助けてください!! 助けてください!! 誰か!!」

 教室に入ると、そこにはうつ伏せの状態でギロチンに首を固定され、涙をボロボロと流してる背蟻離ちゃんの姿が。目隠しは外されてるけど、手首は背中側で縛られ、足首には拘束具。顔の下の床には首を受け止めるカゴが置かれてる。そしてその横には、刃につながってるロープの端っこを手にした和江ちゃん。ほくそ笑んでる。背蟻離ちゃんはあたしのほうを見て、

「こ、古路石様!! た、助けてください!! うっ、うえっ、ううううっ……けほっ」

 背蟻離ちゃんの泣き腫らした目と、嗚咽によるセキ込み。あたしはその痛ましい姿に胸が張り裂けそうになりながら、

「な、何をしてんの、和江ちゃん!?」

「はあ……はあ……ギロチンを使こてみたくて……」

 和江ちゃんはすっかり興奮状態のようで、顔は真っ赤。あたしは呆れて、

「アホなこと言うてんと、早よ解放してあげて!!」

「はあ……はあ……イヤ……」

「そもそも背蟻離ちゃんが何したって言うん!?」

「はあ……はあ……『ギロチンの実験台になって欲しいねんけど』ってお願いしたら、丁重に断られた……。はあ……はあ……せやから、断頭台拒否罪によりギロチン刑です……」

「理不尽すぎるやろ!! とにかくアホなこと言うてんと、早よ解放してあげて!! 危ないから!! まさか本気とちゃうやろ!?」

「はあ……はあ……本気……。はあ……はあ……一回やってみたかったから……」

「和江ちゃん!! 冗談やろ!? 背蟻離ちゃん本気で怖がってるからやめて!!」

 あたしは刃が落ちることを懸念してギロチンに近づく。すると和江ちゃんが鬼気迫る表情で、

「コラ!! それ以上近づいたら、ロープ離すよ!! はあ……はあ……」

 あたしはビクっとして、

「ええっ!?」

「あああっ……!! 助けてください……!! うっ、ううう」

 あたしは狼狽しながら、

「あかんて!! ちょっと待って!!」

「はあ……はあ……ほんなら大人しくしてて……。はあ……はあ……近づいたらホンマに離すから……」

「近づかへんから、早よ助けてあげて!!」

「はあ……はあ……それは無理な相談……」

「ほんならどうしたら……!?」

「はあ……はあ……最期を見届けてあげて……。はあ……はあ……では、ギロチンの刑、いきます……」

 あたしは甲高い声で、

「あかん!! やめて!! ちょっと!! ストップ!!」

 背蟻離ちゃんも自分の生命を守るために無我夢中で、

「ま、待ってください!! ちょっと待ってください!! た、助けてください!! ひ、平瀬様、わたくし、なんでもしますから!! ホ、ホンマになんでもしますから!! せやからお願いします!! うっ、ふええっ、げほごほっ」

 あたしは声を嗄らしながら、

「和江ちゃん!! 助けてあげて!!」

 そしてあたしはギロチンに近づ……こうと思うが、それがでけへん。

「はあ……はあ……あれ……!? はあ……はあ……亜景藻さん、もしかしてまた近づこうとしてる……!? はあ……はあ……ホンマにロープ離すよ……!? はあ……はあ……パッと離すよ……!? はあ……はあ……ちょっとでも亜景藻さんの位置に変化を感じたら、パッと離すよ……!?」

「いや、近づこうとしてへんよ!! でも、待って!! どっちにしても手を離す気ちゃうん!? お願いやから、やめて!! あたしもなんでもするから!! それにそんなことしたら、和江ちゃんもタダでは済まされへんよ!!」

 しかし和江ちゃんは聞く耳を持たず、

「はあ……はあ……背蟻離さん、最期に言い遺すことは……? はあ……はあ……何か要望があったら言うて……。はあ……はあ……最期の願いとして叶えてあげるから……」

 あたしはイラ立ちながら、

「和江ちゃん!! ええ加減にして!!」

 背蟻離ちゃんは涙と鼻水で顔をグシャグシャにしながら、

「……こ、殺さんといてください!! ロープ、離さんといてください……!! わたくし、死にたくないです……!! お願いします……!! 平瀬様……!!」

「はあ……はあ……ん……? はあ……はあ……背蟻離さん、死にたくないん……? はあ……はあ……イヤなん……?」

「はい、死ぬのはイヤです!! ……えっ、ううっ、うえっ、イヤですううう……。ロ、ロープ、ううっ、離さんといて……ください。お願いですから……。うっ、ううう、死にたくないですう……」

「はあ……はあ……しかしそれは唯一却下させてもらうしかない要望やねえ……」

「そ、そんなあ……!!」

 あたしは声を張り上げ、

「和江ちゃん!! ちょっと!! 聞いて!!」

「うるさい!!」

 和江ちゃんが勢いよくこっちに向き直ったとき、和江ちゃんの手からロープが外れ、刃が降りた。

「あ」

「きゃあああああっ!! 背蟻離ちゃん!!」

「……!?」

 刃が背蟻離ちゃんの首に直撃した。

「ぎゃあああああああああああああああっ!!」

「背蟻離ちゃあああああん!!」

 あたしは半狂乱になってギロチンに近づいた。……しかし、刃は背蟻離ちゃんの首に当たって止まってる。

「……せ、背蟻離ちゃん!? 大丈夫!?」

「……う、ううっ……!? ……ちょ、ちょっと、痛いけど、大丈夫みたいです……」

 刃は、ベニヤ板をグレーに塗ったものやった。あたしは背蟻離ちゃんを解放し、空き教室の隅に置いてあったイス二脚を部屋の中央あたりに持って来て、そこに二人を座らせた。あたしは仁王立ちになり、

「和江ちゃん、どういうこと?」

「どういうことって……ベニヤ板のギロチンを試したくて」

「ホンマのギロチンやと思て背蟻離ちゃん泣いてたやろ!!」

「泣いてたっちゅうか、今も泣いてるやん」

「そんな問題ちゃうねん!! 背蟻離ちゃんが可哀想やと思わへんかったん!?」

「背蟻離さんや亜景藻さんこそ、ニセモンのギロチンって思わへんかったん? 略してニセチンって思わへんかったん? わたしがホンマにそんなヒドいことすると思たん?」

「そんなんちょっと離れてたらわからんし。背蟻離ちゃんも下向いてたしわからんやろ」

「そうやなくてさー、二人とも、あたしがそこまでする人間やと思たわけ?」

 すると背蟻離ちゃんが鼻水をすすりながら申しわけなさそうに、

「……す、すみません、平瀬様……」

 あたしは背蟻離ちゃんの肩に手を置き、

「背蟻離ちゃん、謝らんでええよ!! キミは謝られる立場やねんから!!」

 和江ちゃんは悪びれた様子もなく、

「いやあ、それにしても背蟻離ちゃんの泣き顔、泣き声、可愛かったなあ……。一生分ドキドキしたかも」

 あたしはタメ息をつき、

「……度しがたいね」

 背蟻離ちゃんは真っ赤になってうつむきながら、

「古路石様、さきほどは助けようとしてくださって本当にありがとうございました……。そして、大変お見苦しくてすみませんでした……。よりによって、い、命乞いなんかしてる姿をお見せしてしもて……。死ぬのがイヤであんなに必死になって……お、お恥ずかしいです……」

「いやいや、別にそんなん……」

 和江ちゃんは合掌し、

「ごちそう様でございました」

 背蟻離ちゃんはカの鳴くような声で、

「うう……お恥ずかしいです……」

 そのとき空き教室の開いたドアから、クラスメイトの毎床(まいとこ)さんが顔を覗かせて、

「あれれっ? 古路石さんに、平瀬さんに、辻見さんやん。こんなところで何してんの?」

 あたしはしどろもどろになりながら、

「え、えーっと、ちょ、ちょっと、その……きゅ、休憩を」

「そ、そかそか、休憩ねー……って、うわわっ!? その後ろのやつ、何!? もしかして、ギロチンってやつ!? す、すごっ!! でもなんでこんなところに!?」

 あたしは一瞬返答に詰まったが、

「あ、ああ、うん。あー、でも、本物の刃やないから、大丈夫。和江ちゃんが持ち込んだんやけどね。そんなことより、毎床さんは、ここへ何しに?」

「え? ああ、今日は私(わたし)が日直やから先生に頼みごとされてねえ、ここにあるイス二脚を運び出すことになってん。ああもう、めんどいなーって。あははっ」

「あっ、それやったら、今和江ちゃんと背蟻離ちゃんが座ってるやつやね」

 背蟻離ちゃんが、「あ、すみません」と言いながら立ち上がる。和江ちゃんも立ち上がる。背蟻離ちゃんはイスを重ねて持ち上げ、

「どこまで運ぶんですか? よければわたくしがやりますが……」

「あっ! そんなんせんでええのええの。辻見さんは日直ちゃうねんから。私がやるやる、やりますよん。はいはい、貸して貸してー」

「そ、そうですか……」

 毎床さんは背蟻離ちゃんからイスを受け取り、

「ほんなら、私はさっさとこの用事終わらせるわ。ほなまたねー」

 毎床さんはドアのところで、姿が見えへんようになる前に振り向いて、

「あ、そうそう、今ねえ、根本さんの立ち会いのもとでねえ、校庭ですっごい工事やってるよ! 一回見に行ってみ! もう完成してるかも知れへんけど」

 あたしはキョトンとして、

「え? 亀率ちゃん?」


 校庭に行くと、そこには「ナメクジの墓」という立て札とともに、立派な前方後円墳が完成してた。

 一方、旗布ちゃんは屋外でも大和撫子を実演するようになった。街を歩く男の人の三歩後ろを勝手について行って、それで逃げられたり怒られたりしたら、また別の男の人の三歩後ろを勝手について行って、また逃げられたり怒られたりしたら、またまた別の男の人の三歩後ろを勝手について行って……という具合に、大和撫子なのかビッチなのかわからんことを続けてたら、職員室への呼び出しを食らって、超厳格な女教師藤橋(ふじはし)先生に五十時間ぶっ通しの説教をされたらしい。二泊六食つきで。


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コメディー小説『アッケラカンサッパリカン』


第三十一話 食堂で


 今あたしは亀率ちゃんの部屋に遊びに来てる。丸座卓をはさんで、向かい合わせになってお喋りしてる。すなわちフェースツーフェース。できればマウスツーマウスのほうがええけど……いや、あわよくば最先端医療を駆使してナイゾーツーナイゾーとか……あかんあかん、何を考えてるんや、あたしは。自制心を持たなあかん。思慮分別のある大人にならなあかん。あたしは出されたウーロン茶に口をつけながら、

「財布のカード入れに入らへんカードってあるやろ。ポイントカードとかで。あれちょっと困るね。丁度ええサイズに削りたくなるね。プチ整形したくなるね。使い込みによる磨耗で丁度ええサイズになるのを待つのは、さすがにちょっと気が遠くなるからね」

「確かに残念なサイズのポイントカードってあるね。あと、CDの歌詞カードも財布のカード入れに入らへんなあ。折り畳んだら入るけど、歌詞カードの文字って小さいから、文字の書いてあるところに折り目が来ると、そのうち文字がつぶれて読まれへんようになったりして途方に暮れるかも」

「歌詞カードは財布に入れる必要ないやろ……。そもそも歌詞カードってカードなんかな……。カードを名乗る資格あるんかな……。おこがましいんとちゃうかな……。ちなみにサッカーのレッドカードとかイエローカードも、財布に入れる必要ないからね。お釣りを間違えた店員さんに対してイエローカードを示したり、客にタメ口で接する店員さんに対してレッドカードを示したりする必要ないからね。それと赤色百二号とか黄色四号とかのタール色素も、アレルギー性が指摘されてるから食品添加物の仲間に入れるのはやめてほしいよね。食品添加物に対するリスク感覚は、歌詞カード片手にアフリカの民族音楽を声高く歌うときのリズム感と同じくらい重要やんな。赤い目は結膜炎、黄色い目は肝炎の疑いがあるから、そういう人は病院に入れる必要があるね。赤い目は罰ゲームでタバスコを目に滴下された人で、黄色い目は罰ゲームで姿をコノハズクに変えられた人っていう可能性もあるけどね。日の丸の赤い太陽とパラオ国旗の黄色い月には、祖国愛が入ってるよね。日の丸弁当に入ってるのは祖国愛やなくて梅干しやけどね。いや、祖国愛も入ってるかも知れへんけど。日の丸弁当の梅干しのかわりにプチトマトが入れられてたら憤慨するよね。しかもそれが熟れてへん青いプチトマトやったら、憤慨するどころか民事裁判を起こしたくなるよね。精神的苦痛のために慰謝料請求したくなるよね。……あっ、苦痛で思い出したけど、あたしのお母さんがあたしを産むとき、お父さんが立ち会ってたんやけど、その間お父さんずっとノートパソコンでAV観てたらしい。で、それに出演してるAV女優の名前が能代明微(のしろあけび)と柿島望禰(かきしまもね)やったから、その二つを組み合わせてアケモって名づけたとか。オンコウジアケミカトウモモにしようかと思たけど、長ったらしいから短縮したとか」

「へー。うちも色素で思い出したけど、ウインナーコーヒーに入れるウインナーも、できればタール色素の使われてへんやつにしてほしいわ。赤ウインナーには赤色百二号が使われてたりするからなあ。あと、ウインナーのかわりにコーヒーの中にスライス前のボンレスハムをまるごと一本突っ込んだら、コーヒーがこぼれてなくなるからやめたほうがええよ。あと、巨大地震の真っ最中にコーヒーを注ぐのも、こぼれるからやめたほうがええよ。ジェットコースターに乗ってる最中も同様。スカイダイビングやスキューバダイビングの最中も同様。特にスキューバダイビングの最中にコーヒーを淹れると、コーヒーが海水と混ざってしょっぱくなってしまうからね」

「ウインナーコーヒーにウインナーはあんまり入ってへんよ。少なくとも関西のウインナーコーヒーには、ウインナーはほとんど入ってへんと思う。関東は知らんけど」

「えっ! ……あっ、そうか、勘違いしてた。コーヒーにウインナーを浸して食べるのが趣味なんは、うちのお父さんやった。この食べ方、普遍的な食べ方とちゃうもんな。うちのお父さんは、ウインナーをコーヒーで濡らして食べて、食べ終わったら油の浮いたコーヒーは全部流し台行き。つまり、通やねん。美食家やねん。ペットボトル一本分のコーラも、ウインナーを一回浸したら、側溝行き。鍋いっぱいのカレーも、ウインナーを一回浸したら、便器行き。ヨーグルト風呂も、ウインナーを一回浸したら、ブルガリア行き。ブルガリアにいる友達に国際宅配便で浴槽ごと送ってるらしい」

「鍋で思い出したけど、みぞれ鍋にみぞれを入れる必要もないからね。みぞれが降って来るまで待つわけにはいかへんからね。それって、すき焼きをつくるために、スキーができるくらい雪が降り積もるのを待つようなもんやからね。水炊きをつくるために、大雨が降って水害が発生するのを待つようなもんやからね。石狩鍋をつくるために、隕石が降って来るのを待つようなもんやからね。きりたんぽ鍋をつくるために、キリタンポ星人がUFOで降りて来るのを待つようなもんやからね。アブダクションされへんように警戒しながら鍋をつついても、美味しくないもんな」

「あっ、うちも鍋で思い出したけど、この前お店でモツ鍋定食を頼んだら、鍋に長谷場地十勢さんが浸かった状態で出て来た。長谷場さん以外の具材は美味しく食べたけど、半分くらいは長谷場さんに盗み食いされた気がする。長谷場さんは浸かりながらときどき足もとに手を伸ばして具材をわしづかみにして口に放り込んで、『いやあ、美味、美味。やっぱり持つべきものはモツ鍋定食ですね。……あ、中でちょっとオナラしてしもた。具材がクサくなったらごめんなさいね。でもグザイがクサイになるわけですから、濁りが取り除かれてむしろキレイになったと考えてください』とか言うてはった」

「それってもしかして、熟女から出汁をとってるってこと!? どうせそんなことするんやったら、是非ともそこは熟女やなくて、亀率ちゃんにこそ浸かっていただきたいのに!! むしろ亀率ちゃんの臓物が食べたい!! ウシやブタの臓物より、亀率ちゃんの臓物が食べたい!!」

「アケモチャン? 急にどうしたん? うちの臓物? よだれ垂れてるよ」

「……あっ、いやなんでもないです。じゅるるっ。忘れて。えっと、それってもしかして、熟女から出汁をとってるってこと?」

「そうらしい。そういうパートタイムの仕事らしい。それから別の日に同じお店でチリ鍋定食を頼んだら、鍋に浸かってくれるはずのチリ人がその日はヤケドの治療のために病院に行ってたらしくて、かわりにペルー人が浸かってはった。まあ、チリとペルーは近いからね。以前店員さんが横着してチリ人のかわりに鍋の中に地理の教科書を浮かべたりしたときは、さすがにお客さんがブチギレたとか。お客さんは腹の虫が治まらずに、その地理の教科書の本文全部にアンダーラインを引いてやったとか」

「そ、そのお店どこ? ちょっと興味あるわ。知的好奇心を掻き立てられるわ。浸かり方にも作法があるのかとか、いろいろ知りたい」

「えっとね……ほんなら、今から行ってみよっか」

 行くことになった。


 靴を履いて二人でマンションの廊下に出ると(一度亀率ちゃんの靴のニオイを嗅いでみたいけど、いつも間が悪くて……)、隣の部屋もしくはその隣の部屋のほうから聞き覚えのある怒号が。何やらクドクドと小言でも言うてるような声。こってりと相手の油を搾るような声。この声の主は、確か……。数歩歩いて隣室の表札を見てみると、「板垣 ITAGAKI」とあり、その下に「寛樹 HIROKI」および「真智 MACHI」とある。ああ、ここは前に亀率ちゃんが語ってくれたあの夫婦の部屋か。しかしどうも怒号はこの家からやなくて、さらに隣から飛んで来てる模様。再び数歩歩き、さらに隣の部屋の表札を見てみると、「藤橋鳴世 NARUYO FUJIHASHI」とある。

「あれ? 亀率ちゃん、ここってもしかして……藤橋先生の部屋? それとも同姓同名? それとも目の錯覚? エッシャーの騙し絵? それともタダの眼精疲労? それとも網膜剥離?」

 亀率ちゃんもあたしのそばまで歩み寄って、

「ナルヨセンセーの家やで。知らんかったん? ナルヨセンセー、どこに住んでると思てたん? 一軒家? ウィークリーマンション? 寺? ネットカフェ? コンビニの駐車場? ペルー? それともエッシャーの無限階段? エッシャーセンセーの騙し絵の世界に一度行ってみたいよね」

「いや、別に藤橋先生の家がどこやとも思てへんかったけど。でもまさか亀率ちゃんの部屋の隣の隣に住んではるとは思わへんかった。せいぜい隣の隣の隣やと思てた。あるいは隣の隣の隣の隣の右の後ろの左の上の横の前方の左斜め上の三歩下がったところの左右の前後の上下の貧富の付近の近傍の周辺の南南西の東北東の内側の外側の裏側の表側のそこらへんやと思てた」

 そのとき、勢いよく藤橋家のドアが開いて、中からなぜか旗布ちゃんが飛び出して来た。旗布ちゃんはあたしらのかたわらを全力疾走で突っ切り、やや離れたところにある螺旋階段を下りて行く。次に部屋から出て来た藤橋先生は、「宛塚さん!! 待ちなさい!! 途中で逃げ出すなんて、脱獄犯か、キミは!! あるいは脱税犯か、キミは!!」などとヒステリックにがなり立てながら、あたしらのかたわらを小走りで通り過ぎるが、廊下の途中で追い駆けるのを諦め、きびすを返した。そして先生はあたしたちの存在に気づく。

「あ、根本さん。それに古路石さんも。こんにちは。ちゃんと宿題やってる? ちゃんと鉛筆を正しい持ち方で持ってる? おにぎりを食べるときも、ちゃんと正しい持ち方で食べてる? ちゃんと、適切に、正しく、ノリの部分を持たなあかんで。ご飯の部分を持つのは無作法。指を突っ込んで中の具を掻き出すのはもっと無作法。ちなみにおにぎりを箸で食べるのは無作法と言うか……違法」

 持ち方で思い出したけど、日本人のワイングラスの持ち方って、妙チキリンらしい。多くの日本人はグラスの脚の部分を持って飲むのがワインマナーやと思い違いをしてるけど、海外ではほとんどの人が胴体部分を持って飲むらしい。ちなみに大宿先生は、ワインボトルを持って飲む。

 亀率ちゃんが、「こんにちは。宿題もおにぎりも、ちゃんとしてますよ」と返し、続いてあたしも、

「こんにちは。あたしもちゃんとしてますよ。特におにぎりを食べるときなんて、ノリの部分を全部食べ切っても、まだノリの部分しか持たへんレベルですから。それにしても先生、このマンションに住んでたんですか」

「うん。先生ね、虫が大の苦手やねん。マンションの六階以上には虫がおらへんっていう話を小耳にはさんで、それで昨年末ここの六階に腰を落ち着けたわけやけど、左隣に住んでるタカシマさんの奥さんはなんべんもイナゴのつくだ煮をおすそ分けして来るし、右隣の板垣さんの奥さんはなんべんもハチノコのつくだ煮をおすそ分けして来るし、真上の部屋のイケモトさんの奥さんはなんべんもカの目玉のスープをおすそ分けして来るし、真下の部屋のフクダさんの奥さんはなんべんも粘着シートで捕まえたゴキブリをいちいち見せに来るし……。しかもフクダさん、見せる前に『お目汚し失礼しますね』とか言うし。ホンマに目が汚れそうやからやめてほしいわ。ゴキブリ捕りの蓋を開けるときも、『はい、ご開帳~』とか言うし。ホンマにウザい」

「先生が亀率ちゃんの家の隣の隣に住んでるなんて、今日が初耳でしたよ。……で、今しがた何やら一悶着あったようですけど、旗布ちゃんと何をしてたんですか? 逢い引きですか? 談合ですか?」

「いや、あの子最近日本中でピンポンダッシュやってるらしいから、腹に据えかねて教師宅出頭命令を下したんやけど、案の定不遵守やったもんで、勾引状を発して捕り抑えたわけ。確かあなたたち、宛塚さんとは面識があるんでしょ。ちょっとあなたたちからも先輩として灸を据えてやって。そうでもせんと、あの子がピンポンダッシュで全国制覇するのは時間の問題やで」

 あたしは苦笑して、

「ああ、はい……全国制覇する前になんとか言うときます。でも先生って、一年の旗布ちゃんのクラスも受け持ってたりするんですか? 二年だけやないんですか? かけ持ちですか? それとも駆け落ちですか? それとも片手落ちですか? それともカタクチイワシですか?」

「一年は受け持ってへんけど、あの子は学校一の問題児として有名やからね。札つきのトラブルメーカーやもん。もうほっとかれへんねん。職員会議でも百パーセントあの子のことしか話題にならへんからね。もはや会議やなくて、教師があの子への恨みつらみを吐き出してストレス解消する場になってる」

「さっきはどのくらい監禁して説教してたんですか?」

「さっきは説教やなくて、英語教えてた。あの子の不成績は目に余るものがあるからね。先日の抜き打ちテストなんて、あの子、『和訳しなさい』っていう問題に対して全部バリバリの津軽弁で解答してるもんやから、採点する側が解読不能やった」

「で、今回は家庭教師やってる途中で脱走された、と……。あの子逃げ足速いですから、次に幽閉するときは手かせと足かせと首かせで拘束せなあきませんよ。それでさっきはどんな勉強させてたんです? 次の中間テスト対策ですか?」

「外国語学習の基本は、『慣れ』やからね。英語に慣れ親しむことが重要。ってことで、さっきは延々と英訳作業をさせてた。大学ノート四十五冊分訳させたところで、逃げられた」

「そんなに訳させたんですか!?」

「うん。円周率を延々と訳させた」

「円周率を!? それ、結局いつまで経っても数字のゼロからナインまでしか身につきませんよ!!」

 しばらく無言やった亀率ちゃんが、

「ちょっと、ナルヨセンセー!! それ、大学ノートがもったいないですよ!!」

 それにしても藤橋先生って政治経済の先生やのに、高校数学や高校英語の知識も完璧らしい。すごいなあ。教え方はアレやけど。


 お店の前に着いた。

「あれ? 亀率ちゃん、ここって、大衆食堂『代用魚の楽園』やん。前に来たやん。店員の宇部さんを褒めちぎったやん。ちやほやしたやん。月がクサかったやん」

「あっ、そうか。すっかり忘れてた。でもせっかくここまで来たんやから、入ろ。月がクサかった思い出について語り合いながら食事しよう」

 そんなわけで、店内に足を踏み入れた。宇部さんがこちらに気づき、

「いらっしゃいませ。あっ、古路石さんに根本さんやないですか! 今日もこのジャパニーズビューティー宇部鈴実がご案内しますよ」

 テーブルに案内され、席に着き、メニューを見て、あたしは水炊き定食を注文した。亀率ちゃんは闇鍋定食を注文した。しばらく待つと宇部さんが再び現れて、

「全宇宙を凌駕する美女が水炊き定食をお持ちしましたよ……よいしょっとお!!」

 宇部さんによってバカでかい鍋(地方のお祭りで使われそうな、直径百五十センチほどの鍋)が運ばれて来て、テーブルの上にドスンとぞんざいに置かれた。中身が少しこぼれた。それにしても宇部さん、怪力やな。鍋の高さも五十センチほどあるため、こうしてイスに座ったままでは鍋の中身が見えへん。あたしは亀率ちゃんといっしょに立ち上がって、巨大鍋の中を覗き込んでみた。その中には鶏肉、ミズナ、ナガネギ、絹ごし豆腐……そして二十代半ばと思われるビキニ姿の女性が一人。……まあ、女性は肩から上が鍋の外に出てるから、立ち上がる前から見えてたけどね。彼女は正座をした状態で、水炊きの中に浸かってる。これは一体どういうことやろ。モツ鍋のときは長谷場地十勢さん、チリ鍋のときはチリ人……いや、ペルー人か。ほんなら、これは水炊きやから……。あたしはピンと来て、

「わかった!! あなた、水田(みずた)さんでしょう!? あっ、それとも水谷(みずたに)さん? もしくは、そのものズバリの水滝(みずたき)さん?」

「いえ、普通のヤマダです。英語で言うと、マウンテンタンボーです。山田(やまだ)です。下の名前はミハルです。英語で言うと、チャーミングエロエロです。魅春(みはる)です」

「あれ……? 水○さんではないんですか……?」

「はい。山田魅春です。ただしわたしは、両足が凄まじい水虫です。凄惨な水虫です」

「うげげげっ」

「でも大丈夫ですよ。この煮汁には、抗真菌薬を大さじ三杯、水虫治療用兼隠し味として加えてありますから」

「何が大丈夫なんですか……」

 次に、宇部さんが「ほんなら闇鍋のほうも始めましょう」と言いながら、スレッジハンマー片手にこちらへ近づいて来た。店舗の解体作業でも始めるつもりか!? あたしは狼狽して、

「なんでスレッジハンマーなんか持ってるんですか!? そのハンマーが闇鍋となんの関係があるんですか!? ま、まさかそれを亀率ちゃんの頭部に振り下ろして、永遠の闇を与えるつもりでは!? バイオレンスなことはやめてください!! い、言うときますけどね、亀率ちゃんはそう簡単には頭蓋骨骨折や脳挫傷を負いませんよ!!」

「何おっしゃってるんですか。そんな大それたことしませんよ」

 そう言うと宇部さんは、窓の外へ向かってハンマーを放り投げた。宇部さんは誇らしげに、

「今の感覚やと、めでたく太陽に命中させて破壊することに成功したようです」

 あたしと亀率ちゃんは、「ええっ!?」と同時に叫んだ。

 あたしが八分間ほど店内であたふたしてると、突如として窓の外の世界は闇に包まれた。太陽光が地球に届くまで八分かかるからな……。あたしは太陽を壊されたことに激昂し、

「太陽壊さんといてください!! 器物損壊罪ですよ!! 全人類への日照権侵害ですよ!! あの核融合反応はあと五十億年間は持続するはずやったのに、なんてことをしてくれたんですか!!」

 亀率ちゃんも涙を流しながら、

「そうですよ!! このままやと、地球は終わりですよ!!」


 亀率ちゃんのマンションへと戻る道。結局あたしらは何も食べてへん。一応おカネは払ったけどね。それにしても暗いなあ。そして寒いなあ。これからどうしたらええんやろ。地球、ホンマに終わるん……? 亀率ちゃんは地球滅亡を懸念して泣き続けてる。あたしは寒さと恐怖によって、鳥肌だらけの体をブルブルと震えさせながら、

「……き、亀率ちゃん、さ、寒くない? よ、よう見たら、地面も凍結してるね」

「うっ、うう……。そりゃあ、太陽が壊れたからね……うう。このままやと、植物も光合成でけへんから、酸素もなくなるね……。地球全土凍結も時間の問題やし……。ううっ……どうしよう……」

「地球の中心部まで穴掘って、内核の中でぬくぬくと生活できたらええのに……。酸素はどうしよう……。んーと……海水を電気分解して……」

 すると亀率ちゃんが何かを思い出したかのようにケータイを取り出し、

「そうや!! 便利屋さんに頼んでみるわ。……あ、もしもし? えっと、修理の依頼です。太陽の修理なんですけど……えっ、すでに別の人から依頼を受けて、今修理スタッフが現地で作業中?」

 パッとあたりが明るくなった。亀率ちゃんの表情も明るくなり、「おお!! 直りましたね!! お疲れ様です。お忙しいところ失礼しました」と電話を切り、

「アケモチャン、今修理終わったみたいやね!!」

「……電球の取り替え並みに簡単なんやね」


 道を歩いてると、挙動不審な旗布ちゃんが民家の前にいる。あそこが旗布ちゃんの自宅か? ……いや、ちゃうみたいや。民家の表札には「西村 NISHIMURA 現助 GENSUKE 桜 SAKURA 結 YUI」とある。そして旗布ちゃんは、おもむろにインターホンを押した。……ピンポンダッシュするつもりか!! すると旗布ちゃんは、ダッシュで……その民家の中へと入って行った!! あたしは度肝を抜かれて、

「旗布ちゃん!! それ、ちゃう!! それピンポンダッシュの仕方間違うてる!! しかも普通のピンポンダッシュよりも迷惑!! 住居不法侵入!!」

 亀率ちゃんも呆れて、

「あんなことばっかりしてるから、円周率訳すハメに……」

 すると旗布ちゃんが家から出て来て、玄関のドアを外側から必死に押さえつけ始めた。どうやら怒った住人に追い駆けられてるみたい。しかしなんと西村家の三人の住人は、続けざまにドアスコープから屋外へとニュルニュル出て来た。三人とも異様にヒョロ長い。そしてヒョロ長い三人は、逃げる旗布ちゃんを、シャクトリムシのような人間離れした動作で追い駆ける。この家族は一体……。……あっ、あの三人のうちの一人、隣のクラスの西村さんやないか。あのときの穴に落ちた、あの西村さんやないか。相変わらず細いんやなあ……。


 亀率ちゃんのマンションの前まで戻って来た。ふと螺旋階段を見ると、螺旋がすっかり引き伸ばされて上から下まで一直線になり、余った部分が地面にべろーんと垂れてる。お腹で垂れ下がる贅肉のように。旗布ちゃんのイタズラであることに疑いの余地はないな。きっと重機でも使こたんやろな。あたしと亀率ちゃんは螺旋階段下(もう螺旋ではないけど)の地面で、ペラペラになってしもた螺旋階段(もう螺旋ではないけど)を仰ぎながら、しばらく立ち尽くす。するとあたしらのそばに、寛樹さんと真智さんがぬっと現れた。二人は深刻な面持ちで見つめ合い、

「これはきっと天から俺らに与えられた試練や……」

「そうやね……。神様が二人を試してるんやね……」

 そして板垣夫妻は、ペラペラになった螺旋階段(もう螺旋ではないけど)にしがみついて、無理矢理よじ登り始めた。亀率ちゃんとあたしが「危ないですよ!!」と注意を促すが、二人は二人の世界に入り込んでて、こっちの声が耳に入ってへんみたいや。しかし二人は三メートルほど登ったところで、仲よく手を滑らせて地面に落下した。

「大丈夫ですか!?」

 亀率ちゃんが叫んだ。よう見たら、転落して地面に仰向けになってる二人の全身から、何やら毛のようなものがボーボーと生えてる。あたしは驚きを隠せずに、

「ど、どうしたんですか!? その毛は一体!?」

 寛樹さんは自嘲的な笑みを浮かべながら、

「ふふっ……。螺旋階段の螺旋が伸ばされて、一直線……。その質実剛健なまっすぐさ……。そのまっすぐさに憧れるあまり、どうやら俺たちの全身のDNAの二十螺旋が、こんなふうに伸ばされてしもたみたいや……」


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コメディー小説『アッケラカンサッパリカン』


第三十二話 通学路で


 朝七時過ぎ、自宅ダイニングキッチン。朝食が並んだテーブルの前に座ってる。今日の朝食はご飯、ワカメのお味噌汁、たくあん、納豆、目玉焼き。料理上手なお母さんの腕前が光る、和を感じさせる模範的な朝食。やっぱり日本人の朝食はこうでないと。昨今の「オーソドックスな朝食」って、パン食を思い浮かべる人も多い気がするし。しかし日本人って、「和を感じさせる」ってよく言うけど「洋を感じさせる」とはあんまり言わへんよね。それって日本人やのに和を感じることのほうが非日常的みたいで、なんか逆説的やなあ。それともわが国は欧米化しすぎたのか? あと「中を感じさせる」はもっと言わへんよね。「チューを感じさせるってディープキス?」とか勘違いされそう。ちなみに米は発芽玄米、お味噌は無添加天然醸造、たくあんと納豆はなんと自家製。そしてタマゴはめでたいことに二黄卵やった。一度、三黄卵を見たことがある。黄身が入ってへん無黄卵っていうのもあるとか。三黄卵と無黄卵は相当レアみたいやけど。お母さんは今あたしの背後のキッチンで、翔阿やお父さんの分の食事を用意してる。あたしはまずお味噌汁に口をつけた。

 トントントントン……。

 お母さんの使う包丁の単調なリズムが眠気を誘う。何を切ってるんやろ?

 ……ツートントントン、トンツートン、トンツートントン、ツートントンツーツー、トンツー……。

「モールス信号!? 手旗信号の旗のかわりに包丁を振り上げるよりはマシやけど!」


 しばらくして、お母さんが突然素っ頓狂な声で、

「……亜景藻! タマゴの中から!」

 あたしは食事の手をいったん止め、

「えっ? もしかして、黄身が二つ出て来た?」

「いや、四つ!」

「四つも!?」

「タマゴの中から、四つも値札が!」

「なんで値札が!?」

「まさか四枚も……多すぎる……。不測の事態や」

「一枚でもおかしいでしょ! 一枚でも予測不可能性がすごいでしょ! 一枚でも入ってたら、異物混入事件でしょ! 混入のさせ方が不可解やけど!」

 あたしはお母さんのもとに移動し、抗菌ゴム製まな板の上に置かれたプラスチック製ボールの中を覗き込んでみる。確かに白身に混じって、九十八円の値札が四枚ある。黄身は……一個もなし。あたしは無黄身に……いや、不気味に思って、

「こんなん食べられへんやん。ほかしといて(作者註:「ほかす」は大阪弁で「捨てる」の意)。流し台に時速五百キロで流し込んどいて。あるいは滑り台に時速七百キロで流しといて。ただし秋吉台の鍾乳洞には流さんといて。あれは特別天然記念物やから。もちろん流し台と滑り台は天然記念物ちゃうからね。流し台は天然記念物やなくて、完全ステンレス。滑り台は天然記念物やなくて……えーと……えーと……全然知らんです」

「せやね、ほかしたほうがええね……。もったいないけど、ほかすわ……。こんなもん食べて、もし値札のついたウンコが出て来たら、『あたしのウンコの価値は九十八円か……』って肩を落とすことになるもんな」

「ウンコに値段がつくだけでも立派なことやと思うけど」

 お母さんはボールの中身を流し台に流し、タマゴパックの中から新しいタマゴを手に取るが……。

「……あっ! 亜景藻! 今度はタマゴの表面に直接、値札……いや、お札(ふだ)が! 怖い! おっかない! 呪われそう! 呪い殺されそう! サルモネラ菌で呪い殺されそう!」

 まだ割ってへんそのタマゴを見てみると、表面にミニサイズのお札が十枚くらいベタベタと貼ってある。悪霊封じのお札か!? それともニワトリのための安産祈願のお札か!? 産卵後に貼ってどうすんの!? それとも調理時に備えた火事除けのお札か!? お母さんは途方に暮れた様子で、

「うーん……どうしよ……。割ってええのかな……。やっぱり霊とか出て来るかな……。怖いから、何が起きても見えへんように、目隠ししてから割ろうかな……。スイカ割りの要領で……。でもスイカ扱いしたら余計に逆鱗に触れるかな……」

「ちょっと待って!! 御霊信仰によって祀り上げなあかんレベルの怨霊とかが出て来て、とりつかれるかも知れへんよ!! 魑魅魍魎が出て来て、地獄絵図になるかも知れへんよ!! ニワトリの霊とか出て来るかも知れへんよ!! ニワトコの髄とか出て来るかも知れへんよ!!」

「あれ? よう見たら、お札の文字がなんかヘン。……あっ、これ、お札ちゃうわ」

 そう言われて見てみると、ミニサイズのお札の小さな文字は、「われもの注意」となってる。お母さんは合点がいったという様子で、

「なるほどねえ。タマゴやスイカやカイワレは、割れやすいからねえ」

「いや、こんなもん貼らんでも、タマゴが割れものっていうのは周知の事実やん!! 主婦には常識やん!! 主夫にも常識やん!! 週二日勤務のパートのオバチャンにも常識やん!! 週二日愛人と会うサラリーマンのオッチャンにも常識やん!! しかもなんでタマゴに直接貼るん!? なんかそれって気味が悪いし、黄身も悪そうやし、こんなタマゴを使うんやったらほかのタマゴにしたほうがええよ!!」

「そう? わかったわ……」

 お母さんはまた新しいタマゴを手に取り、ボールのフチでコンコンとやる。またコンコンツーコンコンとかやらへんやろな? あるいはコンチキチンとか。タマゴを割った途端、お母さんはビクリと反応して、

「こ、今度も黄身が入ってへん! 割るときあたしの気合いは入ってたのに、黄身が入ってへんってどういうこと!?」

 ボールを覗き込むと、何も入ってへん。お母さんの手にしてる殻を覗き込んでも、何も入ってへん。

「って、そのタマゴ、白身も入ってへんやん! カラッポやん! タマゴの殻が、もぬけの殻やん! 黄身も白身も入ってへんってことは、無黄白卵(むおうはくらん)!? なんかムオウハクランって、歴史上の僧侶みたい! 弓削道鏡……みたいな! 霧鶯栢鸞(むおうはくらん)……みたいな!」

「せめて白身が二個入ってたらよかったのに……。でも白身は一個でも二個でも、結局量的には変わらへんか……。あれっ!? 今気づいたけど、黄身が二個以上あると、白身愛好家にとっては白身の量が減って大損なんちゃう!?」

「って、白身が二個ってどんな状態!? 幾何学的にどんな形!? ユークリッド幾何学的にどんな形!? 色が微妙にちゃうから二個と判別できるとか!? ホワイトと乳白色とか!? あるいは境界線が引いてあるとか!? 生タマゴの白身にも筆記できる特殊インク使用のマーカーペンで」

「境界線なんていうしょうもないものを書くくらいやったら、ラテアートみたいな芸術作品にしてくれたらええのに。ああ、魚の白身でもええから出て来てほしいなあ……。白身魚のフライでええから出て来てほしい。いっそのこと、白身魚のフライのころもだけでもええから出て来てほしい。白身と白鳥は似てるから、ハクチョウのフライでも可。手品師の帽子からハトが出て来るんやから、タマゴからハクチョウが出て来てもおかしくないと思う」

「いや、あれはタネがあるから……」

「えっ!? ニワトリのタマゴにタネって、あるん!? 植物でもないのに、種子が!? コケ植物やシダ植物に種子はないのに、ニワトリのタマゴにはあるん!?」

「いや、タマゴのほうではなくて、帽子のほうにタネが」

「帽子に種子が!?」

「いや、種子やない。種子ちゃうから。タネ。手品のタネ。種子ちゃう」

「趣旨がちゃうの!?」

「いや、趣旨でもない。種子やないって言うてるの。タネ。手品のタネ。帽子にタネがあって……」

「帽子に種子が!?」

「いや、せやから……」

「帽の子に種の子が!?」

「わけがわからん」

「すのこの上で、女の子の帽の子が、男の子の種の子に、糸ノコで切り分けたカズノコをあげたら、ノコノコついて来るってこと!?」

「うるさい!! 黙れ!!」

「あ、すんません」

 改めてお母さんが、今割ったタマゴの殻を、ボールの上で何度も振る。マラカスみたいに。ふりかけみたいに。ハリセンみたいに。

「いやいや、そんなムダな努力をしてもムダやで。ムダ毛並みにムダやで。……って、あれっ!?」

 振り続けてると、殻の中から少しずつ少しずつ白身が湧き出して来てる。ムダな努力の甲斐があったみたいや! いや、甲斐があった時点でムダではない!

「お、お母さん! 殻からちょっとずつ白身が! 漏れ出るように出て来てる! 電池の液漏れみたいに! 尿漏れみたいに! ブラックホールの熱輻射みたいに!」

「もうちょっと! もうちょっと出るはず! あと一滴! いやあと三滴くらいは!」

 なんか歯みがき粉のチューブをグルグル巻いて使い切ろうとしてるような状況やな。お母さんはグロテスクな形相で、

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお……!!」

 ……ブリッ!!

 お母さんはハッとして、

「あっ! リキみすぎて、白身でも黄身でもなく、ただのミが出た! 多分、白くも黄色くもないと思う! このミは食べられへん! あと、赤くもない……と思いたい!」

 お母さんは隣室へと着替えに行った。いや、白くても黄色くても、それは食べられへんと思う。白や黄色よりはむしろ、そのままの色のほうが某メニューに似てるから食べやすいと思う。でもクサいと思う。納豆並みに。

 お母さんは、なんと純白のワンピースドレスと黒ストッキングを身につけて戻って来た。そしてお母さんは、改めて新しいタマゴを割ろうとし、タマゴをボールのフチでカンカンとやる。……あれ? 純白のワンピースドレスと黒ストッキング……? フチでカンカン……? ……まさか、フレンチカンカンとか踊り始めるつもりやないやろな。

 バキッ!!

 今度はよっぽど硬いタマゴやったのか、タマゴは割れずに、ボールが真っ二つに割れた。そしてボールの割れた部分から……黄身と白身がジワジワと染み出して来る。お母さんは呆れ顔で、

「なんやの、これ。さっきからマトモなタマゴが全然ないのに、ボールからはちゃんと黄身と白身が出て来るってどういうこと? マトモなんはボールだけやん」

「いや、そのボールもマトモちゃうから……。それにそのボール買うたのって、確か半年くらい前やろ? 半年も前のタマゴ食べたらあかんで」

「これはタマゴと違ごてボールやから大丈夫」

「そっか」

「あと一つタマゴ残ってるから、これも割ってみるわ」

 お母さんは新しいボールを用意した。そして最後の一つとなったタマゴを、流し台のフチの角っこでコンコンとやった。

 ドガッシャーン!!

 流し台を含めシステムキッチンが全壊した。そしてその残骸から、黄身と白身がジワジワと染み出て来る。お母さんはその黄身と白身をかき集めて、

「これで数週間はタマゴ買わんでもええかも」

「腐るやん」

「ホンマのタマゴやったらともかく、これはシステムキッチンの黄身と白身やから、腐らへんよ」

「そっか」

 あたしはキッチンから離れて、イスに座り、朝食を再開した。翔阿とお父さんはいつも七時五十分ごろに起きて来る。あたしのいつもの出発時刻と同じくらい。せやから翔阿は毎朝バタバタして朝食もとらずトイレも行かず、歯をみがきながら登校するらしい。ちょっとは時間に余裕を持たせたらええのに。心にゆとりを持って、朝からわびさびを感じたらええのに。そのうちウンコをしながら登校しそうで怖い。便器を持ち運びそうで怖い。お父さんは大抵十時半ごろになってから出発するらしいけど、一体どこでなんの仕事してるんやろ。生まれてこのかた聞いたことないな。いまだに謎のベールに包まれてる。あたしはお母さんに対して、家庭の栄養指導者として、

「今さらやけど、やっぱり和食のときはもっと塩分に気をつけたほうがええかも知れへんね。あ、いや、別にこの朝食がカスっていうことやなくて、むしろこれはエクセレントやねんけど、かける醤油やソースは控え目にしよっかなって思て。ちなみに、ときどき醤油を正油って書く人いるけど、あれ正しくないから。正しくないのに正油とは、これいかに」

「えっ、でも和食の塩分なんて、普通に食べる分には問題ないんちゃう? もしかしてあんた、血圧が高いん? それとも、圧力が高いん? 製糖業界からの圧力が」

「いや、日本人に胃腸の病気が多いのは、和食で塩分過多になるからって言われてるからね。ちょっと神経質すぎるかも知れへんけど、これから朝食のときは、お味噌汁とたくあんがあったら、納豆にはタレをかけず、目玉焼きには醤油もソースもかけへんことにするわ。胃腸は大切にせなあかんからね。ただし虫垂炎になったときの虫垂は除く。あっ、今の『除く』は『大切にせなあかん対象から除外する』って意味ね。『切除する』ってことやないから。あっ、いや、まあ、切除すべきってことでもあるんやけどね。うわっ、今の、なんかややこしい!! 複雑怪奇!! 複雑系!! あと、ときどき虫垂炎のことを盲腸炎って言う人いるけど、あれも正しくないから。ああ、でも、病名は単なる記号みたいなものととらえれば、別に差し支えないか。ああ、でも、人に誤解を与えるような病名も中にはあるからなあ……難しい問題や」

「タレなし納豆、醤油なし目玉焼きか。それ美味しくなさそうやね。ほんなら、納豆を味噌汁に入れて納豆汁にしたら? で、目玉焼きの黄身はご飯に混ぜて食べるとか、いろいろ工夫してみたら? 白身に関しては……シロミ……シロミ……サロミ……サラミと思て食べてみるとか」

「おお、ことごとくナイスアイデアやね。全部実践してみるわ」

 そうして作った(と言うても混ぜただけやけど)納豆汁は……存外な珍味。納豆汁は山形周辺で頻繁に食されると耳にしたことがある。関西ではマイナーやなあ。その次に試した目玉焼きの黄身とご飯のコラボレーションは……これもオツな味。しかし白身は、さすがにサラミには思われへんなあ。何か別の白い食べものと思うことにするか。えーと……シロクマの肉とか。いや、シロクマの肉は白くないか。シロクマが白いのは外側だけやないか。ほんなら、えーと……ホワイトチョコレート……色が遠い。んーと……ショートケーキ、綿菓子……こんなに平べったくない。ヨーグルト……ここまで硬くない。……やむなし。何か白い知られざる食べものと思うことにしよう。そう思いながら食べてみると……目玉焼きの白身でしかなかった。


 八時過ぎ。登校中。歩を進めるあたしの横を、毎床さんが通る。

「おおっと。古路石さんやん。おっはよ」

「毎床さん、おはよう」

「毎床典菜(てんな)、今日は気合いを入れていきますっ。えっへへっ」

「ん? 今日、何かあるん?」

「今日はねえ、朝は文化祭実行委員会のミーティング、昼休みには合唱部のミーティング、放課後は掃除当番と部活やねん。もう地獄じゃー。あははっ」

「そりゃ確かに多忙やね……。大丈夫?」

「大丈夫大丈夫。でも万一過労で死んでしもたら、上手に埋葬してやー。あははっ。ほんじゃ、ちょっとミーティングに遅れそうやから、速歩きで行きますわ。またねー」

「うん、また」

 毎床さん、遅れるとか言いながら、また三十メートルほど前で登校中の誰かに話しかけてる。彼女、顔が広いからなあ。

 次にあたしのかたわらを、ピー様が通る。ピー様はあたしのほうを一瞥し、

「よ。石ころ。我は調査があるから、先行くぞ」

「あっ、ピー様、おはようございます」

 実はこの人、先週から学校に通い始めてる。と言うても、彼女は生徒としてではなく、新たなレポートのための地球調査の一環として通ってる。いろんな学年のいろんなクラスで普通に授業に参加してたりするけど、早退も遅刻もフリーダム。

「おい、ピー様ではない。我は役所へ家庭裁判所へと東奔西走して、地球における法的に有効な正式名を決定したと言ったろ。今は羽竜辣葉(はりゅうらつは)だ」

「あっ、そうでしたね。羽竜様、おはようございます」

「おはよう。じゃあまた学校で会おう。我の頭脳にほんのわずかでも近づけるよう、せいぜい今日も勉学に励んでくれ」

 そう言えば地球名を決めたとか言うてたっけ。

 羽竜様が去ったあと、次にあたしの横を、公園で遭遇したあのお嬢ちゃんが通る。

「あけもおねーちゃーん、おはよー。きょーもえーてんきやねー。かいせー。かいせー。かいせー」

「おはよう、綾(あや)ちゃん」

「あやちゃんは、ここからちかをとーっていくねー。またねー」

 綾ちゃんはそう言うてアスファルトに両手で穴を開け、モグラのように地下へと掘り進んで行った。……あっ、今さらやけど、爪が割れて破傷風とかにならへんかな? 実はこの子も先週から学校に通い始めてる。一年三組。ただしこちらも生徒としてではなく、焼却炉からのダイオキシン類を無毒化するため。焼却炉使用中にそのそばでこの綾ちゃんが突っ立って呼吸をしてるだけで、ダイオキシン類が無毒化される。ちなみに突っ立ってる間は、「ダイオキシン無毒化士 落合(おちあい)綾 この子は仕事中です。連れ去らないでください」と書かれたプラカードを掲げてる。しかしあの子のフルネームっていつ決まったんやろ。八億年前生まれやのに。明治政府によって平民苗字必称義務令が発布されたのは確か、西暦千八百七十五年。生まれてから発布されるまで七億九千九百九十九万八千百二十五年もある。……それよりも、いまだに焼却炉を利用してる学校ってうちの学校くらいかも?

 お次はあたしのかたわらを、ブラックホールが通り過ぎて行く。ああ、あれは確か亀率ちゃんのマンション周辺に住み着いてるブラックホール。確か医学賞総ナメのブラックホール。この子も先週からあたしらの学校に通い始めたとか。一年四組やったかな。

 T字路で別の方向からやって来た亀率ちゃんに出会った。亀率ちゃんとは、三日に一日の頻度で、この場所で会う。

「亀率ちゃん、おはよう」

「あ、アケモチャン、おはよう。突然やけど、トドとアシカとアザラシとフクロウとミミズクとセイウチとオットセイの区別ってつく?」

「フクロウとミミズクまでいっしょくたにしたらあかんやろ」

「あ、そっか」

 そこへクラスメイトの仙誉(せんよ)さんが現れた。仙誉さんとは一年のころから同じクラスや。仙誉さんのお父さんは解体屋ショギョームジョーコーポレーションの社長で、お爺さんは創業者。ひいお爺さん(故人)は計画者。ひいひいお爺さん(故人)は発案者。ひいひいひいお爺さん(故人)は夢想者。ショギョームジョーコーポレーションは、小屋を蹴り倒す簡単な作業から陽子崩壊まで引き受けてる解体業界最大手の有名企業。噂によれば仙誉家の金融資産は五百億円。しかも全部タンス預金で、しかも全部二千円札で所有してるらしい。タンスの数がすごそう。

「あら、おはようございます、古路石サンに根本サン。今日もいい天気ですわね」

 仙誉さんは、大阪訛りのないお嬢様言葉で喋るが、れっきとした大阪府一尾里町出身者。入学式の日の自己紹介では、「社長令嬢の仙誉臼州(うすす)です。富裕層です。両親の仕事の都合でローマで生まれてパリで育ちましたわ」なんて言うてたけど、すぐにボロが出て大阪出身がバレてた。イタリア語もフランス語もまったく喋られへんからね。かなりプライドが高く、たまにちょっと虚栄心が目につくこともあるけど、高飛車とか傲慢とかいう印象はなく、基本的にええ子。亀率ちゃんは満面の笑みで、

「日本晴れやね!」

 仙誉さんは眉間に皺を寄せながら制服の胸あたりを指でつまみ、

「それにしても、うちの高校の制服はイマイチですわね」

 亀率ちゃんは不思議そうに、「そうかなあ?」と言いながら自分もスカートをつまみ上げる。うおっ、うおおおっ、あ、あんまり上げすぎたら……!!

「ちょっと根本サン、上げすぎるといけませんわよ。はしたない」

 仙誉さんが自分の手で亀率ちゃんの手をはたいて、スカートから離させた。あたしは、「あああああっ!!」と、思わず声を上げる。

「な、なんですの? 古路石サン」

「い、いや別に……」

 怪訝そうにこちらを見つめる仙誉さん。しかし、仙誉さんはこちらを見つめたまま歩いてたため、「あっ! 危ない!」と亀率ちゃんが叫んだにもかかわらず、電柱にぶつかって反動で後ろに倒れ、尻餅をついた。

「きゃふん!!」

「大丈夫!?」

 あたしと亀率ちゃんが同時にそう問いかけた。亀率ちゃんが仙誉さんを助け起こす。

「痛たたた……。アタクシとしたことが、とんだ失態を演じてしまいましたわ」

 仙誉さんのカバンは地面に落ちてる。落下時の衝撃でカバンのフタは開いており、中身が少し飛び出てる。するとそこへ神出鬼没な旗布ちゃんが現れて、「お菓子の入った袋見ーっけー!」と、飛び出したものの中から、ポリ袋を一つ拾い上げた。

「コラ、ハタフチャン、返しなさい!」

 亀率ちゃんが旗布ちゃんを叱る。

「あっ!! そ、それは!!」

 仙誉さんの血の気が引いてる。どうしたんやろ。

「あー! この袋の中身、お菓子の箱かと思たら、何かの薬やないですかー!」

 「返して!!」と、仙誉さんが手を伸ばすが、旗布ちゃんはヒョイとよけて、

「わわー! 中に入ってるのは、痔の座薬の箱と、水虫の塗り薬のチューブー! 商品名は『ツッコミジョーズ』と『糸状菌非常勤講師 湯日野好馬(ゆびのすきま)』ー!」

 へー、仙誉さん、痔で水虫やったんか。仙誉さんはしどろもどろになり、

「そ、そ、そ、それはアタクシのではなくて、え、えっと、お父様、いや、お母様、いや、うちのメイドの、いや、うちのゴールデンレトリバーの……いや、き、近所の人……いや、痔持ち・水虫持ち支援のNPO法人に寄贈するために……!!」

 人のものということにしようとして、気がとがめて二転三転し、どんどん捏造が苦しくなってるみたいや。あたしは、「コラ! ちょっと旗布ちゃん、早よ返しなさい!」とたしなめ、亀率ちゃんも、「ハタフチャン! ウススチャンが困ってるやろ!」と怒ってる。しかし旗布ちゃんは箱を開けて座薬の減りを確認し、次にチューブを指で押すようにしてチェックし、

「どっちも半分くらい使われてますよー! 新品ちゃいますよー! 使い古しを寄贈するんですかー!?」

「そ、それは……!! だ、だから……とにかく返して!!」

 仙誉さんが旗布ちゃんに飛びつこうとした。しかし自分の落としたカバンにつまずいて、再び転倒。再び「大丈夫!?」と、あたしと亀率ちゃんが心配する。再び亀率ちゃんが助け起こす。少し離れたところに、今の転倒によって脱げてしもた仙誉さんの片方の靴が転がってる。それもすかさず旗布ちゃんが拾い上げ、

「あー! この靴の中、十円玉が入ってますよー!」

「そ、それは!! 朝出発前に財布から落として偶然そこに入ったのよ!!」

「ほんならなぜ拾わへんのですかー!? なんで十円玉入ったままの靴で登校して来てるんですかー!?」

「と、とにかく、か、返して!! 靴も薬も返してちょうだい!!」

 あたしと亀率ちゃんも旗布ちゃんの腕をつかもうとするが、チョコマカ動き回る旗布ちゃんをなかなか捕り抑えられへん。旗布ちゃんはあたしらをヒョイヒョイとかわしながら、

「十円玉って、消臭するために入れるんですよねー!」

 そして旗布ちゃんは、仙誉さんの靴を自分の鼻の近くまで持って行き、

「うわー! これは超ド級の超異臭ー! オエー!」

 旗布ちゃんは靴から顔を背ける。亀率ちゃんは「ハタフチャン、ええ加減に返しなさい!!」と言いながら、吐き気をもよおして油断してる旗布ちゃんの手から、靴と薬を奪うことに成功。仙誉さんに返した。

「う、ううっ……」

 仙誉さんは泣きながら、靴を履き、カバンに薬をなおした。亀率ちゃんももらい泣きし始める。旗布ちゃんはまさか泣くとは思てなかったらしく、

「わー!! 泣かんでもええやないですかー!! えーとー! えーとー! そのー! あのー! ……ごめんなさーい!!」

「だ、誰にも言わないでくださらない……? 薬のことも十円玉のことも……」

「は、はいー! 誰にも言いませんので、泣き止んでくださーい!! す、すみませんでしたー!! ホンマに誰にも言いませんのでー!!」

 旗布ちゃんはそう言い残し、脱兎のごとく逃げて行った。あたしは仙誉さんの肩に手を置き、

「まったくあの子は……。仙誉さん、大丈夫?」

「あ、あの……」

「ああ、大丈夫大丈夫。あたしらも誰にも言わへんから。なあ、亀率ちゃん」

「もちろん! 仙誉さん、元気出して!」

 仙誉さんプライド高そうやし、痔とか水虫とかそういうのを他人に悟られたくなかったんやろな。するとあたしらの背後から、

「全部聞かせてもろたで」

 声に振り返ると、和江ちゃんが仁王立ち。和江ちゃんは何度もうなずきながら、

「ふむふむ。まさか良家のお嬢様が、痔で水虫で足がウンコ級とは……」

 「ぐっ……」と、仙誉さんが嗚咽の声を漏らす。そして、

「あ、あの、平瀬サン、今日のことは誰にも……」

「うーん、どうしよっかなあ」

 あたしは和江ちゃんをねめつけて、

「和江ちゃん、人に言うたらあかんよ」

 仙誉さんは亀率ちゃんが手渡してくれたハンカチで顔を拭く。拭き終えると和江ちゃんのほうを見て、

「平瀬サン、お願いですから……」

 しかし和江ちゃんは仙誉さんの表情を眺めながら喜々として、

「これは全校に噂を流して、さらに仙誉さんの可愛い泣き顔を見せてもらわんと!!」

 そう言うて和江ちゃんは全力疾走で逃げた。

「ひ、平瀬サン……!!」

 和江ちゃんは逃げてから三秒後には曲がり角を曲がり、姿を消した。

「……う、うえええええっ」

 仙誉さんがくずおれた。亀率ちゃんは仙誉さんの背中に手を回し、

「ま、待ってて。うちらが引き止めるから」

 あたしも「う、うん!」と協力の意思を示し、亀率ちゃんとあたしは和江ちゃんを追った。


 どうにか和江ちゃんに追いつき、捕獲したが……。

「亜景藻さん、亀率さん、残念やったね。わたしは全学年全クラスの一番口八丁な生徒のメールアドレスを訊き出すことに成功してる。たった今、そのすべての生徒に今回の件をメール送信し終えた。人の口には戸は立てられへんよ」

 後ろからトボトボと顔面蒼白の仙誉さんが追いついて来た。和江ちゃんのやった極悪非道な行いについて話すと、再び仙誉さんはくずおれ、泣き始めた。

「うっ、うああああああああ……」

 亀率ちゃんは再びもらい泣きしながらも、

「ウ、ウススチャン、痔持ちとか水虫持ちとか足がクサいとか、全然気にすることやないって!」

 あたしも加わり、

「そ、そうそう! むしろ仙誉さんみたいなお嬢様が痔とか水虫とか持ってたら逆にそそるっていう趣味の人もいるし!」

「そうそう! うちなんか、右脳と左脳の間にレタスとかはさまってるし!」

 亀率ちゃんと比べるのもどうかと思うが……。あたしは続けて、

「痔とか全然ヘンやないって。あたしらのクラスにはもっとヘンな人らがおるやん! ここにいる亀率ちゃんなんて、地中深くに生き埋めになってもピンピンしてたやろ? 風紀委員の和江ちゃんは、校門前で生徒に胃カメラ飲ませてたやん。一見まともそうな背蟻離ちゃんも、女子高生とは思われへんくらい腰が低いし。さっきの一年の旗布ちゃんなんかも、校庭に畳を積み上げてそれを倒壊させて民家を全壊させたことあったやん。あたしかて、自慢やないけど結構ヘンな人かもよ……? 校長先生は二枚貝やし、副校長先生は巻き貝やし。大宿先生のメチャクチャさとか、藤橋先生の教育法も異常でしょ。隣のクラスにいる九美佳ちゃんも天才か変人かわからんし、西村さんはシャクトリムシみたいやし。亀率ちゃんの友達には宇宙人もいるし。あたしの知り合いには体が大腸菌の鞭毛でできてる女の子もいるし。あたしらの学校にはブラックホールや宇宙人や、ダイオキシンを無毒化するお嬢ちゃんも通ってるし。そう言えばアウストラロピテクスとか道祖神とかマネキンとか張りぼてとかも通ってたかも。とにかく、仙誉さんなんて、金持ちってこと以外は全然普通やって!!」

「い、いえ、やっぱり、ダ、ダメですわ……。ア、アタクシ、もう学校には行けませんわ……」

 そう言うて泣きながら登校拒否をほのめかす仙誉さんを、あたしと亀率ちゃんはなんとか励ましながら学校まで連れて行った。


 しかし、仙誉さんの今回の件は、和江ちゃんの予想に反して、まったく校内で話題にならへんかった。それもそのはず。口八丁の生徒たちは全員、和江ちゃんの言う「仙誉臼州さんって、痔で水虫で足がクサいねん!」を聞き間違えて、「検尿グラタンって、ひねりつぶしてあげてくださいね!」やと思てた。あとから和江ちゃんが彼らに吹聴し直しても、むしろ「仙誉臼州さんって、痔で水虫で足がクサいねん!」のほうがダジャレやと思われて、笑われるだけやったとか……。

 ちなみに綾ちゃんは、学校の室内プールの真下から出て来たためにプールの底に穴が開き、水が全部抜けたらしい。


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コメディー小説『アッケラカンサッパリカン』


第三十三話 公衆電話前で


 出先から自宅のお母さんに伝言する必要が生じ、コンビニの入り口横に設置してある公衆電話の前までやって来た。あたしは携帯電話非所有者やからね。おもむろに受話器を手にする。そのとき、電話機の上に無造作に置かれてる持ち主不明のケータイが目にとまった。なんやこれ? 忘れもんかな? 持ち主さんは、充電切れか何かで、かわりに公衆電話を使こたんやろな。すると、どこからか「おーい」という黄色い声が。見ると、ここから十数メートルほど隔たった場所に建ってるカチンコチンハイツの六階共用廊下から、亀率ちゃんがこちらに向かって手を振ってる。そして声を張り上げて、

「おーい、そこにいるのはアケモチャーン!? アケモチャンやろー!? そのケータイ、うちのやから、ちょっとこっちへ投げてくれへんかなー!? スナップを効かせてくれへんかなー!?」

 ここからあそこまで投げれるかなあ……。あたしも亀率ちゃんに引けをとらへん声を張り上げて、

「ところでなんでケータイがあるのに公衆電話から電話したーん!? 充電切れー!? 充電切れやとしても、すぐそこが自宅なんやから、家で充電するか自宅の電話を使こたらええんとちゃうのー!? なんかよっぽど急ぎの電話やったーん!? はやる気持ちを抑えられへんかったーん!?」

「そうそう、急ぎの電話ー! 旗布ちゃんに対しての、『将来革命家になってね』っていう電話ー! ケータイは、充電がブチギレてたー! そして自宅の電話は故障中ー! 自宅の電話で天気予報にかけると、時報につながるし、時報にかけると、天気予報につながるしー! 絶対故障してるわー!」

「それって電話番号逆に覚えてるだけやと思うよー! ほな、投げてみるわー!」

 あたしは渾身の力を振りしぼって、ぶん投げた。

「うわ! しもた! 間違えて、ケータイやなくて公衆電話の受話器のほうを渾身の力でぶん投げてしもた! 電話番号を逆に覚えるよりもタチの悪い間違いや!」

 受話器は電話機本体を道連れにして、マンション六階へと向かって飛んでいった。受話器はちょうど亀率ちゃんが待ち構えてる場所あたりに飛んでいく。そして、廊下の囲いの三十センチほど上を飛び越える。電話機本体は囲いの外壁にガシャンと衝突。亀率ちゃんは受話器のほうをナイスキャッチした。電話機本体は外側でぶら下がっており、高さで言うと五階天井あたりの位置にある。

「アケモチャーン! これ、ケータイちゃうやーん! 公衆電話のほうの受話器やーん!」

「ごめーん!」

 そのとき、五階の廊下の端っこに誰かの姿が見えた。あれは……六階住人の藤橋先生。スズメバチ防護服に身を包んでおり、「クモの巣嫌い!! クモの巣破壊!! 誰かやってくれたらええのに、誰もやってくれへん!!」と叫びながら、棒のようなもので天井あたりのクモの巣を破壊してる。いや、棒やなくて、よう見たら、あれは高枝切りバサミや。クモの巣を切るのにわざわざ高枝切りバサミ使うことないのに。防護服も仰々しいし。藤橋先生は移動しながらクモの巣を破壊し続け、亀率ちゃんのいる場所の下あたりまでやって来た。そして電話機が六階からぶら下がってることに気づいたようで、

「なんでこんなところに公衆電話の電話機がぶら下がってんの!!」

 亀率ちゃんはまた声を張り上げて、

「アケモチャーン! ケータイのほう、投げてー!」

「あ、うん、今投げるわー!」

 あたしは改めて、ケータイのほうをぶん投げた。

「あっ、しもた! 今度はちょっと低かったかも!」

 これでは六階に届かへんかも知れへん。ケータイは六階廊下ではなく五階廊下へと飛び……藤橋先生のおデコにヒットした。

「ぎゃへ!」

 藤橋先生はよろめき、その拍子に、その手に持つ高枝切りバサミの刃が……電話機のコードを切断した。電話機は受話器を残して地面に向かって落下。すると亀率ちゃんが囲いから身を乗り出して下を覗き込み、電話機が落下中であることに気づいて、

「あっ! 下に人がいたら大変や! うちが先に行って下で受け止める!」

 亀率ちゃんは囲いを乗り越え、勢いよく飛び降りた。まあ、亀率ちゃんのことやから、六階から落ちたくらいではカスり傷一つでけへんやろけど、あたしは首尾が気になり、落下した場所へと向かった。

 たどり着くと、なんと電話機は、先回りしたと思われる亀率ちゃんの頭にヒットしたらしい。棒立ちになってる亀率ちゃんの首から上が、電話機になってる。頭がスッポリと電話機に突き刺さったらしい。

「だ、大丈夫!?」

「うん。なんとか大丈夫みたい。目の前が真っ暗になったから、死んだのかと思た。アケモチャン、ちょっとこの状態で、時報にかけてみて」

「え!? う、うん」

 あたしは十円玉を入れ、電話機のボタンを押した。すると亀率ちゃんがピースサインを作り、

「うん、つながったみたい!」

「え!? マジですか!? なんでこの状態でつながるん!?」

「ほら、時報聞こえるやろ」

「え」

 そう言われて聞き耳を立てると、確かにそこはかとなく時報の音声が聞こえて来る。

「アケモチャン、うちのお尻に耳を近づけてみて」

「うぇっ!? う、う、う、うん」

 あたしは赤面し、鼻血をこらえながら、亀率ちゃんの背後に回ってしゃがみ込み、顔を亀率ちゃんのお尻に近づけた。

「……をお知らせします。……ピ、ピ、ピ、ピー!!」

 確かに亀率ちゃんのお尻の穴から、時報が聞こえて来てるみたい。しかし今あたしはそれどころではない。あたしの顔のすぐそばに、亀率ちゃんのお尻が……!! お尻が……!!

「アケモチャン、次はちょっとコラボしてみるから、お尻から顔を離しといて」

 コラボ? なんのことかようわからんけど、すぐに離せるわけがない。今はこの距離感を堪能したい。いや、できれば顔をうずめてみたいけど……。

「……ピ、ピ、ピ……」

 ブオオオオオオオオオオッ!!

 なんと時報の「ピー」と同時に、亀率ちゃんが兵器レベルのオナラをした。あたしは風圧で後ろに転んだ。クサいけど……快感!!

「ふー……。あれっ!? アケモチャン、大丈夫!? 顔離しといてって言うたのに!!」

「すぅぅぅぅぅっ!! すぅぅぅぅぅっ!!」

「何してんの?」

「吸い込んでんねん!! もったいないやん!!」

「なるほど」


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コメディー小説『アッケラカンサッパリカン』


第三十四話 自室で


 今日はあたしの部屋に、旗布ちゃんが遊びに来てる。いや、正確には、あたしの部屋で旗布ちゃんをかくまってる。五分ほど前に、藤橋先生の叱責から命からがら逃亡してる旗布ちゃんが訪ねて来て、かくまってくれと懇願。あたしは言うまでもなく、旗布ちゃんの「かくまってくださいー!」の二文字目の「く」あたりで、「サヨナラ!」と一蹴した。すると旗布ちゃんは、「可愛い可愛いタスマニアデビルより可愛い後輩をないがしろにする先輩のにべもない取りつく島もない血も涙もない対応に断固抗議するー! 入れろ入れろー! 家に入れろー! 本腰を入れろー!」とダダをこね、近所迷惑になるため不承不承かくまった。

 あたしと旗布ちゃんは、テーブルをはさんで向かい合わせの形で座布団に座ってる。

「ほじほじほじほじー!」

「ちょっと旗布ちゃん、かくまってもらってる身で鼻クソほじりまくるってどういうこと!? しかも利き手である右手の人差し指と中指を使って同時に両方の穴をほじるなんて! 野蛮人のすることや! 未開人のすることや! 木星人のすることや! しかも口頭でほじほじ言うとか、考えられへん! 鼻ほじってんねんから、せめて鼻でほじほじ言え!」

「確かに、この秘技『両刀アンド口頭ほじほじ』は、医学界も認める高等テクニックですからねー! 聞き取りやすい発音でほじほじ言えるかどうかが、運命の分かれ道ですよー! 天下分け目の戦いですよー! なんせ、両方の鼻の穴がふさがってるわけですから、いかんせん鼻声になりますよねー! あ、右の穴から鼻クソひとつ取れましたー! これ、誰の鼻クソやろー!?」

「誰のって、そりゃキミの鼻クソやろ。他人の鼻クソがキミの鼻の穴の中に入ってる可能性は皆無に等しい」

「おお、これは親戚のかずなりオジサンの鼻クソやー!」

「ええ!? なんで!? 異常事態発生!?」

「ちなみに昨日は、左の鼻の穴から魚屋のおっちゃんの耳クソが出て来ましたー!」

「ええ!? なんで!? 超常現象発生!?」

「鼻から魚屋のおっちゃんが出て来たわけとちゃいますよー! 魚屋のおっちゃんはそんな雑技団みたいな芸当はできませーん! 八百屋のヨシエおばちゃんやったらまだしもー! 出て来たのはあくまで、魚屋のおっちゃんの耳クソでーす!」

「いや、誰も鼻からおっちゃんが出て来たとは思てへんけど……。しかし、たとえ旧耳クソやったとしても、鼻に入ってる時点でそれはもう鼻クソちゃうん?」

「鼻に辞典が入ってるわけないでしょー! 電話帳やったらまだしもー!」

「いやいや、辞典やなくて、時点ね。たとえ旧耳クソやったとしても、鼻に入ってる時点でそれはもう鼻クソやろ?」

「ほな、奈良で鼻にシカのフンを詰め込んでも、それはその時点で鼻クソですかー!? それはちゃうでしょー!」

「う、うーむ……。……あ、あのー……そ、そもそもなんで他人の鼻クソや耳クソが出て来るん?」

「耳鼻科で診てもらったら、相対性理論的効果によって鼻の中の時空が歪んでて、量子効果によってあっちこっちの人の鼻や耳の穴と断続的につながるらしいことが判明しましたー!」

「あ、あたしの鼻や耳ともつながったことあるん?」

「それはまだですねー! はたふの動物的カンによれば、来週あたりにつながるかもしれませーん!」

「なんかイヤやなあ。あと、なんで誰の鼻クソかってことが見ただけでわかるん?」

「そりゃ、名前書いてありますからー!」

「え!? ほ、ほな、ちょっとその鼻クソ、テーブルの上に置いてみて」

 あたしは机の引き出しから虫メガネを引っぱり出し、テーブル上の鼻クソを観察してみる。すると……確かにそこにはフルネームで「宛塚和成(かずなり)」と名前が書いてある。鼻クソや耳クソひとつひとつに製造主の氏名が記載されてるということを、今日わたしは初めて知った。あたしはオノレの一知半解の鼻クソ知識を恥じた。後輩の無作法な振る舞いをたしなめたり鼻クソの定義について云々しておきながら、これではいささかばつが悪い。忸怩たる思いや。ジクジクの鼻クソみたいな思いや。穴があったら入りたい気分や。他人の鼻の穴でも耳の穴でも毛穴でもええから入りたい。マニューリンMR七十三で他人の頭に開けられた風穴でもええから入りたい。亀率ちゃんのヘソとかやったら……そりゃもう喜んで入る!! 亀率ちゃんのヘソの中に入って、ヘソのゴマを取り除く作業に従事したい!! いや、入るのが物理的に不可能でも、せめて亀率ちゃんがヘソを洗うときはつきっきりで面倒見たい!!

「ぱっくーん!」

 唐突に旗布ちゃんが、テーブル上の鼻クソを指でつまみ、口に運んだ。

「ちょっと! なんで鼻クソ食べんの!? 精神に異常をきたしたの!? 度を越したエコロジストなの!?」

「これはかずなりオジサンの鼻クソですけど、別にええやないですかー! おっちゃんイコール不潔みたいな差別的価値観はやめたほうがええと思いますよー! それにかずなりオジサンは赤の他人ではなく身内ですしー!」

「いや、他人の鼻クソであろうと、身内の鼻クソであろうと、自分の鼻クソであろうと、普通食べへんやろ!」

「世の中には五種類の人間がいまーす! 鼻クソをそのまま食べる人、鼻クソに醤油をかけて食べる人、鼻クソにソースをかけて食べる人、鼻クソに塩をかけて食べる人、鼻クソを食べへん人でーす!」

「あたしは五番目やね」

「それぞれのパーセンテージは、〇点〇〇〇〇一パーセント、〇点〇〇〇〇〇〇一パーセント、〇点〇〇〇〇〇〇一パーセント、〇点〇〇〇〇〇〇一パーセント、九十九点九九九九八九六パーセントでーす!」

「ほとんど食べへん人やん!! マイノリティーの中のマイノリティーを、あたかも一般的であるかのようにマジョリティーと同時に列挙せんといて!!」

「焼き魚には醤油をかけますかー!? ソースをかけますかー!?」

「そりゃ醤油でしょ」

「はたふは焼き魚にシャケフレークをかけて食べまーす! ちなみに魚屋のおっちゃんは、ガソリンをかけて焼き尽くすそうでーす! おっちゃんは魚が憎たらしくて忌ま忌ましくて、視界に入れるのもイヤやから、売れ残った魚を徹底的に焼き尽くすそうでーす! そのせいで魚屋周辺が頻繁に焦土と化しまーす!」

「ああ、あそこか。しょっちゅう火災が発生してるから、てっきり放火魔事件か何かかと思てた。そのおっちゃん、魚屋やめたらええねん」

「魚で思い出しましたけど、ハマチが大きくなったらなんになるんでしたっけー!?」

「メジロやね」

「メジロが大きくなったらなんになるんでしたっけー!?」

「ブリやね」

「ブリが大きくなったらミイラ取りになるんでしたっけー!?」

「ならへんよ。そんな大それた夢をブリは抱かへんよ」

「もしミイラ取りになったら、その次はミイラになりますよねー! 出世魚の成れの果てー!」

「そのミイラ魚は、やっぱり包帯グルグル巻きなわけ?」

「おそらく包帯グルグル巻きではありませーん! おそらくヒラメとカレイでグルグル巻きでーす!」

「なんぼ平べったいからって……。……あ、今思い出したけど、奴留湯先生も鼻の穴の中で量子現象が起きてたっけ」

「そうでーす! せやから今ではあみゆ先生とは『鼻の穴の中の量子現象仲間』として結構仲よしこよしで和気あいあいなんですよー! 同じ鼻の穴のムジナなんですよー!」

 噂をすれば影がさす。黒ビキニを着て黒ゴマクリームを全身に塗りたくった奴留湯先生が、窓から入って来た。それからムジナも入って来た。あたしは一瞬目を疑い、

「うわっ! ムジナ! それとついでに奴留湯先生!」

 一方、旗布ちゃんは目を輝かせて、

「あみゆ先生やないですかー! 相変わらず鼻の穴だけ白いですねー!」

「お、旗布、おったんか。……おい、亜景藻。あたし奴留湯様がムジナのついでってどういうこっちゃコラ。あたし奴留湯様は天才医師やぞ。杉田玄白並みやぞ。華岡青洲並みやぞ」

「はあ、すみません。それより何をしに来たんですか。絨毯が黒ゴマクリームで汚れまくってるんですけど。足拭いてくださいよ」

「いや、足の裏が黒ゴマクリームでベチョベチョして歩いてて気持ち悪いから、亜景藻ん家の絨毯で足を拭きに来たんや」

「大迷惑ですよ」

 旗布ちゃんは嬉々としてムジナを抱きかかえて、

「このタヌキ可愛いですねー!」

「旗布ちゃん、それタヌキちゃうで。ムジナやで。つまりアナグマ」

「ムジナってタヌキのことちゃうんですかー!?」

「タヌキを指す場合もあるけど、本来はアナグマのこと」

「これがアナグマやなんて認めませんよー! これはタヌキですー! 鼻の穴があるからって、アナグマってことにはなりませんよー!」

「別に鼻の穴があるからアナグマと判断してるわけやないし」

「タヌキの穴をほじってやれー!」

 そう言いながら旗布ちゃんは、アナグマの(鼻の)穴をほじり始めた。

「ちょっと、何やってんの、旗布ちゃん! アナグマいじめたらあかん!」

 アナグマの(鼻の)穴の中から、旗布ちゃんの手によって鼻クソがひとつほじり出された。あたしはそれを見て、

「旗布ちゃん、その鼻クソも、テーブルの上に置いてみて」

 あたしは再び虫メガネを手にして、テーブル上の鼻クソを観察してみる。すると……そこには、「アナグマ」の文字が。旗布ちゃんにも鼻クソの文字を読んでみるように促す。

「ほら、旗布ちゃん。やっぱりアナグマでしょ」

「むむむー……!!」


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コメディー小説『アッケラカンサッパリカン』


第三十五話 大通りで


 休日の夕方。食堂で大ケガをした女性を助けた日に、あたしは亀率ちゃんとデートの約束を交わした。今日がそのデートの日。ウィンドウショッピングや散歩を経て、今はお喋りをしながら帰路についてるとこ。楽しかったなあ。せやけど、結局腕を組んだりはでけへんかったなあ。……って、あたしは何を考えてるのか。女同士やないか。複雑な想いを抱えながら歩道を歩いてると、旗布ちゃんが車道でタクシーを止めてるのを発見。それも、「ヘイ、タクシー」って感じで手を挙げて止めてるのではなく、足を踏ん張って両手で必死に、信号待ち中のタクシーのフロントグリルのあたりを押さえつけてる。しかもすでに乗客としてオバサンが一人乗ってるし。あたしはぶったまげて、

「ちょっと旗布ちゃん! そのタクシーの止め方はワイルドすぎるって! 野生児目指してんの!?」

 亀率ちゃんも困惑の表情を浮かべつつ、

「ハタフチャン、危ないよ! タクシーの運転手さんにもお客さんにも迷惑やで! 迷惑千万やで! 迷惑セバスチャンやで! ヨハン・セバスチャン・バッハ先生は大作曲家やで! ハタフチャン、路上でふざけだらあかん! せめてG線上でふざけて! ずっと気になってたけど、G線上って『じーせんじょう』と違ごて本来のドイツ式で『げーせんじょう』って読むべきちゃうん?」

 旗布ちゃんがこちらに視線を移し、

「おー! 誰かと思たら、あけも先輩ときりつ先輩やないですかー! こんにちはー! この止め方が不服なんですかー!? ひょっとしてはたふはヒンシュクを買うてるんですかー!? ほんなら別の止め方を画策しまーす!」

 旗布ちゃんは今の止め方をやめ、タクシーを見送った。そして歩道へと戻って来る。そして今度は歩道からちょこっとだけ右足を車道に出したかと思うと、人の足をひっかけるイタズラみたいに、右足で横からやって来たタクシーをひっかけた。タクシーは前後方向に数回転しながら宙を舞い、上下さかさまになって数メートル離れた位置にドシャーンと落下した。バク転失敗みたいな状況。な、なんでこんなことに!? 物理学的におかしい! あんなことしても、足を車に轢かれてペチャンコになって扁平足になってそのおかげで兵役を免除されるのが関の山のはずでしょ!? もういっそのこと旗布ちゃんなんて、タクシーを宙返りさせた罪を贖うために、こむらがえりになってまえ! とにかく、さかさまになったタクシーをなんとかせなあかん! 亀率ちゃんはさかさまのタクシーのほうを指し示し、

「アケモチャン、ひっくり返ったタクシーをもとに戻そう! 原状回復!」


 あたしと亀率ちゃんと旗布ちゃんと運転手さんとお客さんとで、ひっくり返ったタクシーを起き上がらせた。お客さんと運転手さんは烈火のごとく怒った。お客さんは、「タクシーの中で今日の夕飯について考えてて、何にするか決まったはずやのに、今の衝撃で忘れてしもたやないか!」って怒った。運転手さんは、「左手に持ってた飲みかけのテキーラがこぼれてしもたやないか!」って怒った。こういうときにふてぶてしい態度をとる旗布ちゃんとは対照的にナイーブな性格である亀率ちゃんが、運転手さんとお客さんに対して、へりくだってかしこまって半泣きで何度も謝罪した。「後輩がご迷惑をおかけしましてすみません……ぐすんっ」って感じで。あたしもついでに謝っておいた。「後輩がご迷惑をおかけしましてついでにすみません……げっぷ」って感じで。……しかしなあ。運転手さん、片手でテキーラ飲みながら運転せんほうがええと思うけどなあ。両手で運転せんと危ないやんか。再び運転手さんとお客さんはタクシーに乗り込み、どっかに行った。

「もっと面白い止め方ないかなー!」

 と、旗布ちゃんはさっきの怒号などまったく意に介してへん様子。まさにカエルのツラに水。それどころか化学ヤケドするような強酸性薬品をぶっかけても平然としてそう。……ってそれは亀率ちゃんか。そこに亀率ちゃんが、

「ほんなら平和的にタクシーを止めるソフトな方法として、手品で止めるっていうのはどうやろ?」

「さすがきりつ先輩ー! それなかなかグッドアイデアですねー! グッドアイデアー! 日本語で言うと、『ヒラメがひらめいたー!』ですねー!」

「え!? 手品ってどういうこと!?」

 あたしが訊くと、亀率ちゃんはウインクしながら右手人差し指を立てて(可愛い!)、

「つまりその……マジックやね。長々と言うと、イリュージョンやね」

「いや、それはわかるけど」

 旗布ちゃんは武者震いしながら、

「ききききききききりつ先輩ー! タタタタタタタタネとしかけはどうしましょうかー!? すもももももももものうちー!」

「んーとね、ハートのキングに爪で印をつけといたらええねん」

「なるほどー! 深爪は罪ですねー!」

 なんのこっちゃ!! 微塵も意味がわからん!! あたしは二人のワールドについて行けずに、

「あのー、フェルマーの最終定理の証明並みに難しいんですけど」

 亀率ちゃんはハッとした様子で、

「あ! でも、あかんわ。今日うち、トランプ持ってへん。石綿金網やったら持ってるけど」

 旗布ちゃんは大仰にうなだれて、

「それは残念ですねー! もちろんはたふも今、トランプ持ってませーん! 昨日全部ポストに投函してしまいましたからー! あけも先輩はどうですかー!?」

「も、持ってへんよ」

 亀率ちゃんもうなだれて、

「ほなもう、なすすべがないね。手詰まりやわ」

 すると旗布ちゃんが天啓を得たような顔をして、

「大きなハンカチを走行中のタクシーにかぶせて、『ワン、ツー、スリー!』って感じでタクシーを止める手品はどうでしょうかー!?」

 それ、事故って止まるだけやん! あたしは眉を吊り上げ、

「危険やから絶対あかん! しかもタクシーを覆えるほどのハンカチってないし!」

「確かにそうですねー! ほな、ブルーシートをホームセンターで買うしかないですねー!」

 あたしは眉をクルッと一回転させるほどの勢いで吊り上げ、

「いやいや、どっちにしてもあかんって! ハンカチをかぶせてもあかん! ブルーシートをかぶせてもあかん! 切手シートをかぶせてもあかん!」

「ええやないですかー! ブルーシートを走行中のタクシーにかぶせて、『ワン、ツー、スリー!』って感じでタクシーを霊柩車に変えるのもええかもしれませんねー!」

「そんなことやったら、ホンマに霊柩車が来ることになるからあかん!」

 亀率ちゃんもあたしと同意見のようで、

「ハタフチャン、運転手さんに迷惑のかかる止め方はやめよ。公序良俗に反さずに、もっと健全な止め方をしよう。青少年がスクスクと育つような止め方。青少年がスク水とともに育つような止め方。しかも旧型のスク水」

 健全な止め方と言われてもあたしはピンと来るものがなく、

「でも健全な止め方って? ……いや、待てよ。よう考えたら、普通に手を挙げて止めるのが一番健全な方法では?」

 すると亀率ちゃんは、何かひらめいたようでニコッと笑い、

「ええ止め方思いついた。いたって健全な止め方。タクシーと同じ速度で併走して、相対速度をゼロにすんねん。おっ、ちょうどそこにタクシーが走ってる。さあ、ハタフチャン、ダッシュ!」

「はーい!」

「ちょ、ちょっと、二人とも!! 待って!!」

 なんとかして二人のワールドにストップをかけたかったあたしは、矢も盾もたまらずつい大声を出した。車道に飛び出そうとする二人が振り返る。亀率ちゃんはキョトンとして、

「どうかしたん? 何か別の止め方でも思いついた?」

「い、いや、そういうアホなことやらんとさ、せっかくの休日やねんから、時間をもっと有意義に使うべきでは?」

「時間?」

「そう、時間」

 すると亀率ちゃんは、また何か着想を得たようで目を見開き、

「そうか、時間か。タクシーを止めるために、時間を止めてみよう!」

 旗布ちゃんも乗っかって、

「ナイスアイデアー! 日本語で言うと、ぐっどないまじねーしょーん!」

「ええ!? 二人とも何言うてんの!?」

 亀率ちゃんは手を挙げ、

「ヘイ、タイムー! 止まってー!」

 旗布ちゃんも尻馬に乗って手を挙げ、

「止まってー!」

 そして、ホンマに時が止まった。人も、車も、ヤマアラシも……周囲のものがすべて止まった。森羅万象が止まった。あたしは狼狽せざるを得ず、

「こ、こ、こ、こんなことって! こんなこと、わたしは絶対に認めへん! 現実逃避する現代の若者として槍玉に挙げられても、絶対に認めへん!」

 まるで凍りついたように止まったタクシーに、旗布ちゃんが躊躇なく近づいていく。そして運転手さんに向かって、

「すみませーん! 乗りたいんですけどー!」

 ……運転手さんは、無言。

「あのー!」

 ……運転手さんは、無言。そして旗布ちゃんはこちらに振り向き、

「ま、まさか、運転手さん、死んでるー!?」

 あたしは冷血漢のように冷静に、

「いや、運転手さんの時間も止まってるから喋られへんってだけでしょ」

 亀率ちゃんもうなずいて、

「そうそう。心配せんでも大丈夫やで」

「なるほど、そういうことですかー! って、あけも先輩、時間が止まったこと、認めてるやないですかー!」

「むむむー……!!」

 結局、二人が「動けー!」って言うと、再び時間は動き出した。でもなんやかんや言うて結構楽しかったかな。次の休みの日には三人でバスに乗って、奇抜な次停まりますボタンの押し方を追求してみようかな。


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コメディー小説『アッケラカンサッパリカン』


第三十六話 田舎道で 前編


 昼休みの教室。栄養満点のお弁当(監修:古路石亜景藻栄養指導員 製作:古路石静料理長 つまみ食い:古路石翔阿容疑者)を完食して、今あたしは自分の席で頬杖をついてるところ。そう言えばうちの翔阿って小学生のころ、頬杖って人間の頬で作った猟奇的な杖やと思い込んでたっけ。それで頬杖メーカーにクレーム電話をかけようと思い立って、ありもせえへん電話番号を調べまくって、見つからへんからって挙げ句の果てには街頭演説してたっけ。若気の至りやなあ。

 頭の中で考えごとや妄想やピタゴラスの定理の証明をしていると、無意識にタメ息が漏れた。あたしと亀率ちゃんとの仲って、進展してるような進展してへんような、退行的進化をしてるような一進一退してるような、なんとも言われへん状況やな。人類学的に言えば、アウストラロピテクスからクロマニヨン人くらいまで進化したいもんやけど、せいぜい現状はアウストラロピテクスが夜中に一人でトイレに行けるようになった程度やからなあ。……ってあたしは何を考えてるのか。あたしと亀率ちゃんは、女同士やないか。そろそろ諦めるべき時期やな。諦観の境地に至ろう。亀率ちゃんにはそういう趣味は微塵もなさそうやし。亀率ちゃんの趣味嗜好の変化に一縷の望みを託すのも、もうやめよう。そんなことを考えながら右を見やると、隣の席では亀率ちゃんが、机の上に置いた両腕に顔を載せて気持ちよさそうに寝息を立ててる。なんともラッキーなことに、顔はあたしのほうを向いてる。可愛い寝顔やなあ……なで回したいなあ……って、その発想があかんねやっちゅうねん!! そう言えば羽竜様が、次の連休のために『偉大なるハリー・ノーム・シーロ星人と矮小なる地球人とで行く二泊三日土星の衛星巡り』を企画してくれてたっけ。そこでタイタン人の彼氏でもつくってみるかなあ。タイ人とタイタン人って、どっちがダイタン?

「こっろいっしさん! こんにちはー。元気でやってる?」

 毎床さんがあたしに歩み寄り、声をかけて来た。

「毎床さんか、こんにちは。十二指腸も腎臓も鎖骨も頸動脈も三叉神経も毛細血管も大脳辺縁系もふくらはぎも元気やで……」

「どしたんどしたん? ちょっといつになく暗いでえ? 大丈夫? 思春期特有の悩みごととかあるんやったら相談に乗るよ? こう見えても問題解決能力には優れてるって自負してるからね。えっへへっ」

「あー、ごめん、大丈夫、平気。一人では抱え切られへん悩みができたら、そのときは遠慮なく相談させてもらうわ。たとえば、殺人鬼によってオノやナタで家族をバラバラにされた挙げ句、薄暗い地下室に監禁されて四時間半にわたってレイプされた……っていう、思春期特有の悩みができたときとかね」

「思いがけずシリアスな例やなっ! でもあらゆる相談受け付けるよ! 朝から晩までいつでもお気軽にどうぞ! 私のハートはコンビニみたいに二十四時間オープンやからねっ! あっははっ」

「ありがとう。毎床さんも悩みごとがあったら、あたしに相談してね。あたしが心の支えになるから。あたしが保証人にもなるから。あたしがタイタン人にもなるから」

「あっはは。感謝感謝!」

 毎床さんと話してたら、ちょっと気分が晴れてきた。そう言えば毎床さんって、誰にでも分け隔てなく接するけど、交友関係は広く浅くって感じで、「特に親しい友達」ってのがいてへんような気がする。あたしが知らんだけかも知れへんけどね。ひょっとしたら人気アイドルとマブダチかも知れへんし。ネットアイドルとメル友かも知れへんし。そのとき、あたしは毎床さんとは別の視線に気づいた。二つ左の席から、背蟻離ちゃんが首だけ九十度回した状態でこちらを見てる。あたしと目が合った背蟻離ちゃんは、「すみません」と頭を下げながら視線を反らした。あたしはどうしたのかと気になって、

「ん? 背蟻離ちゃん、どうしたん? 寝違えたん? 首のエクササイズしてるん? あと、なんで今謝ったん? 日本人のすぐ謝る国民性?」

 毎床さんも軽く片手を上げ、

「辻見さーん、こんにちはー! 元気かな?」

 背蟻離ちゃんは伏し目がちに、

「は、はい、元気です。今謝ったのは、ジロジロ拝見してしまいましたので、失礼やったかなと……」

 そのとき、教室の前の扉をガラリと開けて、やかましいのが……いや、うるさいのが……いや、旗布ちゃんが乱入して来た。旗布ちゃんはいつもどおりの黄色い声で、

「あけも先輩ー! きりつ先輩ー! 今、なるよ先生に追われてるんですー! かくまってー! どっか身を隠せところないですかー!? どっかー!? 身を隠すのにうってつけのゴミ箱とかー! 身を隠すのにうってつけの核シェルターとかー! 身を隠すのにうってつけの核廃棄物専用ゴミ箱とかー!」

 あたしは故意に口をつぐむ。毎床さんと背蟻離ちゃんは、ポカンとしながら旗布ちゃんを傍観。すると旗布ちゃんは、背蟻離ちゃんに目をつけ、

「そのメガネ、貸してくださーい! 返すときにはちゃんと巻き戻ししますからー! フレームが形状記憶合金でできてたら、勝手に巻き戻しされるかも知れませんけどー!」

「えっ? あ、あの……」

 旗布ちゃんは、面食らう背蟻離ちゃんからメガネをかっさらい、自らがそれをかける。そしてキョロキョロとあたりを見渡し、今度は教室の一角に目をつけた。教室の左後ろの端っこには、文化祭準備のための看板用ペンキ、ベニヤ板、段ボール箱、模造紙、新聞紙、工具類などが置いてある。旗布ちゃんはポリ容器入りの赤ペンキの蓋を開け、それをハケで自らの髪の毛に塗りたくった。そして新聞紙をグルグルと身にまとい、それをクラフトテープで固定し、近くの空いてる席に座り、無表情および無言になった。パッと見には、新聞柄コスチュームを身につけたポーカーフェースな赤毛メガネ少女に見える。

 その約十五秒後、藤橋先生が教室の前の扉を開けて入って来た。藤橋先生は肩で息をしながら、

「ここにやかましいのが……いや、うるさいのが……いや、宛塚さんが潜伏してへん!?」

 しかし藤橋先生はその回答を聞かへんうちに、旗布ちゃんを見つけた。一瞬でバレてるやん。他人のメガネをかけて髪の毛に赤ペンキを塗りたくって新聞紙を全身に巻きつけた女子高生の変装を見破る才能にかけては、藤橋先生の右に出る者はおらへんかもな。

「コラ!! やかま……いや、宛塚さん!! キミ、なんであんなゲスなことしたん!? なんであんな背徳的なことしたんか、説明しなさい!! 折れ線グラフを用いて説明しなさい!! 今、職員室にいる先生の九割以上がワンワン泣いてるよ!! もはやえずいてるよ!! キミは罰として、体育館裏の野良ネコの死骸を片付けるのを手伝ってもらうから!! 死骸はトータルで七千体以上あるから覚悟しといてね!! あと、今日はみっちりと数学を教えてあげるから!! ホッジ予想とリーマン予想が証明できたら帰してあげる!! いや、さすがに文系に対してそれは無理難題か!! とりあえず最初は開栓前のミネラルウォーター二千本の気泡の数を数えることから始めてもらうから覚悟しといてね!!」

「ひぎゃー! 先輩たちー! 助けてー! あぴゃぴゃー! パワハラやー!」

 教師と生徒の間にパワハラって成立するの? 旗布ちゃんは藤橋先生に髪の毛をわしづかみにされて連行されて行く。旗布ちゃんは背蟻離ちゃんの席の近くを通ったときに、メガネを返した。藤橋先生は見るからにパワハラが……いや、ハラワタが煮えくり返った表情で、

「ほら、宛塚さん、さっさと……ぎゃへ!? 髪の毛をつかんでた手が真っ赤になってしもた!! 何この怪奇現象!? これ血便!? それとも血尿!? それとも血痰!? それとも血小板!? って、このニオイはペンキやないの!! ペンキ塗りたてやったらペンキ塗りたてってちゃんと顔面に書いておきなさい!!」

 藤橋先生と旗布ちゃんは教室から出て行った。教室がもとのピースフルな状態に戻る。毎床さんは苦笑いしながら、

「ふ、二人とも元気やねえ……あっはは……」

「せやね。旗布ちゃん、今回はどんな前代未聞のことをやらかしたんやろね。もっと世の中の役に立つことをやらかしてほしいよね。もっと地域経済活性化を促すようなことをやらかしてほしいよね」

 まあ旗布ちゃんが前代未聞のことをやるのはいつものことやけど。……前代未聞やのにいつものことって、なんかヘンな感じやな。まあ旗布ちゃんの、いつもながらの個人的課外活動ってところやな。いや、傍若無人的加害活動? すると二人とほぼ入れ違いに、和江ちゃんが教室に入って来た。和江ちゃんは頭をかきながら、

「あー、今わたしの鼻先をかすめて行ったの、旗布さんと藤橋先生かな。今日も今日とて藤橋先生は彼女に手を焼いてるわけか。旗布さんにはわたしからもあとで私的制裁を加えておくとするか。鼻の穴に小キュウリのピクルスを詰め込むとかね。しかし最近、わたしが規則一辺倒の生真面目な風紀委員とは違ごて、命令や私刑を趣味にしてるだけの支配欲のカタマリってことがみんなにバレてきてるなあ……。そう言えば、わたしは仙誉さんのアレに関してはいまだに吹聴し続けてるけど、誰も彼もが『何言うてんの?』って一笑に付すだけやねん。もはや平瀬和江の証言には一切の信憑性がないって思われてんのかなあ」

 あたしは唖然として、

「まだ仙誉さんのこと言いふらし続けてたん!? ええ加減にしときなさい。可哀想やろ。まあ一応フォローしとくと、アレの件がみんなに根も葉もないって思われるのは、和江ちゃんの証言に信憑性がないというよりも、仙誉さんのやんごとない印象が要因やと思うけどね。あの仙誉さんに限ってそんなことないって思われてるんでしょ」

 毎床さんも困惑気味に、

「詳しい事情はわからんけど、陰口を叩くのはよくないよ」

 和江ちゃんはあたしらのいるところまで歩み寄った。そしてあたしらの発言の中で自分に都合の悪い部分は受け流し、

「なるほどなるほど。確かに仙誉さんは高貴なイメージやからね。それにしても最近いろいろとうまいこといかへんなあ。もう誰でもええから誰かになんらかの濡れ衣を着せて、有無を言わせず制裁したいなあ」

 あたしは眉をひそめて、

「いや、それただの横暴や!」

「ええやないの。風紀委員の権限や」

「ええことないわ! それって権力濫用……いやいや、そもそも風紀委員にそんなに大きな権力はないやろ!」

 そのとき、「んんんんんー」とくぐもった声が聞こえて来た。

「んんんんんー……何かあったん? 妙ににぎやかやけど……」

 亀率ちゃんが目覚めてしもた。あたしは亀率ちゃんの寝起きの顔をひそかに堪能しながら、

「ごめんなあ。うるさかった?」

 そのとき、別の方向から「ちょ、ちょっとすみません」と、か細い声が。声の主は背蟻離ちゃん。背蟻離ちゃんはおもむろに腰を上げ、遠慮がちにこちらへ近づいて来る。

「み、皆様、ちょっと相談させていただきたいことがあるんですけど、ほんのちょっとの間だけ、よろしいでしょうか……」

 普段誰とも積極的に会話をしようとせえへん背蟻離ちゃんが、自らあたしたちに相談を? 珍しいこともあるもんや。もしかして、みんながそろうのを待ってたんかな? ついでに亀率ちゃんが目覚めるのも。和江ちゃんは露骨に面倒臭そうな顔をして、

「パス。人生相談とか家庭問題とかやったら面倒やし、レポートや宿題の話も守備範囲外やからパス。それにただでさえ背蟻離さんとの会話ってなんか面倒臭そうやし」

 つっけんどんな口調でそう答え、クルリと背を向けて立ち去ろうとする和江ちゃん。それに対してあたしは、

「冷淡やなあ。一応風紀委員やろ? クラスメイトが相談を持ちかけてんねんから、ちょっとくらい気にかけてあげてもええやん」

 亀率ちゃんも涙を流し、すすり上げながら、

「カズエチャン、そんなこと言うたら可哀想やん……」

 毎床さんも苦笑いを浮かべながら、

「平瀬さん、そんなこと言わんと聞いてあげようよ」

 背蟻離ちゃんはマゴマゴして、

「い、いえ、その、お、お手を煩わせてしまうようでしたら、こ、こちらとしても心苦しいですので、忘れていただいて結構なんですが……」

 和江ちゃんは大きなタメ息をつきながら向き直り、

「ほんなら聞くだけ聞くわ。なんとかしてあげようとするかどうかは別として」

 背蟻離ちゃんは頭を下げ、

「お、恐れ入ります、平瀬様……」

 亀率ちゃんが背蟻離ちゃんの顔を覗き込みながら、

「それでそれで? 相談ってのは?」

「えっとですね……」

 和江ちゃんは両手で背蟻離ちゃんの両肩をガッとつかみ、

「ま、ま、ま、まさか! お父さんがベッドの下に大量のエロ本を隠してるとか!? エロ本の重量が自宅の重量の九十九パーセントを占めてるとか!? いや、それどころかベッドの下にAV女優を隠してるとか!? しかも大勢隠しすぎて、半分くらいは圧死してるとか!? かろうじて生き残ってるAV女優たちが夜な夜な呪詛の言葉を繰り返すとか!?」

「そ、そのようなことはないです……」

「ほな、誰がどこで圧死してんの? それとも自然死してんの? それとも過労死してんの?」

「わ、わたくしの周りでは、ど、どなたも死亡されてないと思います……」

「ま、ま、ま、まさか! 自宅に小包みでプラスチック爆弾が届いたから、爆発物処理班の一員として解体してほしいとか!? それとも小包みでAV女優が届いたとか!? お父さん宛てに! つまり……爆弾やと思たら爆乳やったとか!? それとも残念なことにAカップやったとか!? それともVカップ!?」

「か、変わったものは、と、特に何も届いてません……。鹿児島にいる祖母からサツマイモが届いたくらいで……」

「ま、ま、ま、まさか! 朝の満員電車の中で痴漢に遭うたとか!? それとも幼稚園バスの中で痴漢に遭うたとか!? それとも幼稚園の中で痴漢に遭うたとか!? それとも幼稚園の先生のパンツの中で痴漢に遭うたとか!? 電車の中で痴漢に遭うのが怖いから交通手段を自家用車に変えたとか!? そしたら今度は車の中に痴漢が乗り込んで来たとか!? それとも運転者のお父さんに痴漢されたとか!? それやったら、交通手段を小包みに変えたほうがええよ! お父さん宛てに届くAV女優みたいに、毎朝宅配便で学校に届けてもろたらええねん! 箱に入る前にトイレは済ませておいてね!」

「そ、そのような被害には遭うてないです……」

「ま、ま、ま、まさか! 背蟻離さんが生意気にも恋愛相談!? 告白する勇気が出えへんから背中を押してほしいとか!? それとも信仰告白する勇気が出えへんから腹部を押してほしいとか!? 電話で告白したいとか!? 電話にはこだわりがあって、黒電話で告白したいとか!? 黒電話の使い方がわからんとか!? 皆目見当がつかへんとか!? それともピンク電話!?」

 あたしは和江ちゃんの口を手でふさぎ、

「和江ちゃん、ちょっと静かにしてね。なんでキミが背蟻離ちゃんのお父さんを変質者にしたい衝動に駆られるのか知らんけど」

「もご!! もごもご!! モンゴイカ!! はなふぃふぇ!!」

「離してほしい? ほんなら黙っとく?」

「もごもご!! だふぁっとく!!」

「よし」

 あたしは手をどけた。そう言えば昔、自宅にも黒電話あったなあ。ダイヤルをジーコジーコって回すやつ。翔阿はダイヤルを固定して、電話機のほうを回してたなあ。背蟻離ちゃんは小さな長方形の紙五枚を取り出し、

「このように、一尾里町立科学博物館のチケットが五枚あるんです。一枚は父が職場でいただいたものです。一枚はわたくしがコンビニで見知らぬおじ様からいただいたものです。一枚は電車でお婆様に席を譲ったときにいただいたものです。一枚は道端に落ちていた警棒を交番に届けたときに持ち主の方からお礼としていただいたものです。最後の一枚は福引で当たったものです。福引はガラガラの穴から銃弾が発射されたり、黒い玉が出た場合罰ゲームがあると説明されたりして、ヒヤヒヤものでした……」

「おおおっ。科学博物館に誘ってくれるってことかい?」

 と、毎床さん。

「はい……」

 亀率ちゃんが飛び跳ねながら、

「背蟻離ちゃんありがとう! みんなで行こー!」

 毎床さんも背蟻離ちゃんに微笑みかけて、

「センキューベリマッチやで、辻見さーん! 行きましょ行きましょ、行っきましょっ」

 しかし背蟻離ちゃんは歯切れが悪く、

「あ、あの、それで、この科学博物館なんですが、その、えっと……い、いろいろとよくない噂があるようでして……で、でもチケットが五枚もあるので……その、簡単に処分できなくて……。はい……」

 あたしは当然その噂とやらが気になって、

「お客さんの間で評判が悪いん?」

「は、はい……。これ、遊び場レビューサイトの評価なんですが……」

 背蟻離ちゃんはレビューサイトのプリントアウト数枚をあたしに手渡した。そこには、来館者の記した忌憚のないレビューがズラリと並ぶ。たとえば、

「行ってもなんの得もない。むしろ損。大損。トラウマになる確率百パーセント。あれで得するとか言うヤツがいるなら、そんなヤツは脳みそがきっと異物混入。ましてや足しげく通うようなヤツは、頭部MRI検査を八百回受けろ」

 その他にも、

「こんなクソ施設のレビューを長々と書きつらねるのはあまりにも時間がもったいなさすぎるので、手短に説明したいと思う。いや、こんなクソ施設は非難する価値もない。館長を糾弾する価値もない。もはや、こんなクソ施設へ行ってしまった自分自身の人格を否定したくなるレベル。自殺願望が生じるレベル。ひきこもりになりそう。いや、実を言うと、もうすでになってる」

 計百人がレビューを投稿しており、百点満点評価の平均点は一点。百人のうち九十九人が容赦なく〇(れい)点とする中、一人だけが百点を与えてる。その人のレビューを見てみると、

「こんなブタ小屋にも劣る施設に対して〇点なんていう高得点をあげるのは不本意きわまりない。マイナス六億点でもまだ高いです。したがって僕は勝手ながら採点欄を自己評価欄として使いました。つまりこの百点は、自分自身への評価です。僕のこの科学博物館における滞在時間は十三秒ほどでしたが、アスベストやカビが大量に舞う廃墟よりもとどまりたくないあのような場所に十三秒もとどまることができた僕の忍耐力と情け深さと酔狂さを自画自賛して百点ということです。それどころか十秒以上とどまることができた僕は各界から賞賛されてしかるべきです。生き神様として祀り上げられるべきです。こんな逸材、ちょっとやそっとでは見つかりませんよ」

 あまりに不名誉な評判にあたしは愕然とするとともに口ごもり、

「……ボ、ボ、ボロカスやね」

 背蟻離ちゃんは低い声で、

「か、館内に入った瞬間に内臓が破裂するという噂もありまして……」

 あたしは戦慄して、

「ええ!? ……ひ、火のないところに煙は立たへんって言うけど、ど、どうなんやろね」

「他にも、展示物に近づきすぎると心筋梗塞を起こすとか……。館内にはスタッフ様が通常三十名くらいいらっしゃるようなんですが、スタッフ様に話しかけると複雑骨折するとか……」

「病人ケガ人続出!?」

「他にも、入館時には髪の毛フサフサやった殿方が、退館時にはツルツルになってたという話も……」

「ストレスで!? それとも、抜かれた!? 無残にも引っこ抜かれた!? 血出た!?」

「そ、それが、と、と、融けたとか……」

「融けた!? 融解!?」

「他にも、入館時からツルツルやった殿方が、退館時にはザラザラになってたという話も……」

「せっかく触り心地のええ状態やった頭が!!」

「それから、近隣住民もその博物館にはうかつに近づかれへんとか……。近づいただけでも体に重大な異変が生じるらしくて……」

「ええ!? 頭が痛くなるとか!? お腹が痛くなるとか!?」

「そ、それが、ち、ち、近づけば近づくほど、あ、足が臭くなるらしいです……」

「それって近所の人たちは博物館に近づきながらちょくちょく自分の足のニオイを嗅いでるってこと!? なんでそんなことを!? そういうクセ!? そういう風土病!?」

「他にも、博物館は木造建築で建築時には材木を釘ではなく大工さんのツバでくっつけてる説とか、建物全体がクサいのはそのツバのせいっていう説とか、ツバではなくご飯粒でくっつけてる説とか、積み木みたいに積んであるだけっていう説とか、実は張りぼてっていう説とか……。スタッフ様が嘔吐しながら受け付けしてくれるとか、スタッフ様が慟哭しながら館内を案内してくれるとか……。スタッフ様の歯を磨いてあげると割り引きしてくれるとか、スタッフ様の髪を洗ってあげてるとカユいところを八十ヶ所くらい言うてくるとか……。スタッフ様は館内を案内してくれるときものすごく饒舌で、母子手帳には口から先に産まれたと書いてあるとか……。ちなみに館長様は舌から先に産まれたとか……。出産時に舌だけ単独でピョーンと飛び出して来て、床にポトンと落ちたとか……。それが五分くらい蠢いてたとか……」

 あたしはゲンナリしてきて、

「そこまで枚挙にいとまがないと、行く気が失せるよね……。妹の部屋の掃除でもやってたほうがマシかも。妹に掃除手伝ってって言われてて、今やってる最中。これがもうとんだ重労働やねん。クローゼットの中に不可解なもんが大量に入ってるからね。卒塔婆とか、お地蔵さんとか、道路標識とか、カッパのミイラとか、棺桶とか。棺桶の中に死体が入ってへんかったのが唯一の救いやで。まあ昨日何気なく開けてみたら、妹自身が中で昼寝してたけど」

 すると亀率ちゃんが天使的笑顔で、

「姉妹でかくれんぼとか、微笑ましいなあ。うちはこの間自分の部屋を掃除してたら、机の引き出しの奥から小学校の卒業アルバムが出て来て、つい想い出にひたってしもた」

 あたしは想像力をかき立てられて、

「そ、そのアルバムには、しょ、小学生時代の、目に入れても痛くないレベルの亀率ちゃんの姿が写ってるわけ!? た、体操着姿とかで!! ス、スクール水着姿とかで!! み、見せて!! 穴の開くほど凝視したい!! あわよくば卒業アルバムだけやなくて、その時代のプライベート写真も見たい!!」

「うーん、うちのお父さんとお母さんって、あんまり写真とか撮らへんねん。せやからプライベート写真はほとんど残ってへんねん」

「そうなん!? 残念!! ほ、ほんなら、そ、卒業アルバムだけでも見せて!!」

「卒業アルバムは残念なことに、掲載してある写真三百枚中、二百九十二枚は先生しか写ってへんねん。小学校の先生たち、みんな目立ちたがり屋やったからなあ。残りの八枚は、校庭に入って来た野良イヌの写真一枚と、正門前にあったネコの死体の写真一枚と、教室に飛んでたハエの写真一枚と、用務員さんが飼ってたオカメインコの写真一枚と、用務員さんが四十年前に撮ったお見合い写真一枚と……あとの三枚は手ブレがヒドすぎて何が写ってるか全然わからへんやつ」

「なんでそんなことになってしもたん……」

 しかし和江ちゃんは一尾里町立科学博物館に関心を持ったようで、

「そのクソ施設とやらのクソっぷりをこの目で見てみたいし、行ってみようや」

 毎床さんや亀率ちゃんもニコニコしながら、

「うーん、行ってみたら案外楽しいかも知れへんしねえ。人生何ごとも経験かなーって。行こ行こっ!」

「みんなで行こー! わーいわーい!」

 そんなわけで行くことになった。


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コメディー小説『アッケラカンサッパリカン』


第三十七話 田舎道で 後編


 日曜日の午前。あたしと背蟻離ちゃんと亀率ちゃんと和江ちゃんと毎床さんは半都会駅前のバスターミナルに集合し、そこで町営バスに乗り込んだ。現在あたしたちは、走行中のバスの中で席に着いてる。科学博物館は一尾里町の北端にあり、バスで二十分、さらにそこから徒歩で十分ほどかかるという。あたしはこの町の出身やけど、あっち方面は生まれてこの方行ったことがないなあ。

 あたしの隣の席には亀率ちゃんが座ってる。他愛ない会話をするあたしと亀率ちゃん。今日こそ二人の仲が進展するかな。アレな方向に。……あれ? よう考えたらあたし、亀率ちゃんの体、触ろうと思たらなんぼでも触れるんちゃう? 執拗にベタベタ触っても亀率ちゃん、ケロッとしてそうやし。ケロッとペットボトルロケットを飛ばしてそうやし。いや、あわよくば触るだけやなくて嗅ぐこともナメることも噛むことも……って、せやからそういう空想癖があかんねやっちゅうねん! もうあたしは亀率ちゃんにそっちの趣味がないことを痛いほど理解してるはずや! 自分自身のことながら、この期に及んで往生際が悪い! 客観的に言えば気持ちが悪い! あたしは骨の髄まで倒錯者か!

 バスを降りると、絵に描いたような田舎風景。人気はまったくなく、片側の道沿いには古民家とともに個人経営と思われる商店がポツポツと存在する。閑古鳥が鳴いてるとも言えるが、こんな土地やったらそれが普通か。民家や商店の向こう側には山林が迫ってる。一方、反対側にはのどかな田園風景が広がってる。あたしは直立不動の姿勢でうわ言のように、

「うーん……こんな辺境の地に……いや、こんな僻地に……いや、こんな陸の孤島に……いや、こんな大秘境に……いや、こんな無医村に……いや、こんな廃村に……いや、こんな荒涼たる大地に……いや、こんな焼け野原に……いや、こんなエリア五十一に……いや、こんな寂しいところに科学博物館が?」

 周辺地図を調べてきた背蟻離ちゃんがあたりを見渡して、

「えーっと、皆様、確か……こちらです」

 背蟻離ちゃんに道案内されて、あたしたちは歩を進める。

「あ、あのー、皆様、ホンマによかったんでしょうか……。わたくしは皆様の貴重な時間をムダにしてるのではないかと……」

 背蟻離ちゃんは、これで何度目かわからへん同じ質問をしてくる。どうやら、悪名高い科学博物館を紹介してしもたことにかなりの罪悪感を覚えてるらしい。もちろん例のレビューや噂のほとんどはあまりにも非現実的やから、根も葉もない話あるいは尾ヒレがついてる話と誰もが思うやろし、実際に背蟻離ちゃんもそう思てるみたい。しかしチケットがあるからと言うて、もっとマシなところに誘えばよかったと、後悔の念と良心の呵責にさいなまれてるらしい。毎床さんは背蟻離ちゃんのを背中をポンポンと叩きながら、

「全然ムダちゃうよーん。私らもこれはこれで結構楽しみにしてるからさあ! せやから辻見さんも楽しくいこっ!」

 亀率ちゃんもにこやかな表情で、

「セギリチャン! 大丈夫、大丈夫! うちなんて、人生そのものがムダやから! それとは対照的に、背蟻離ちゃんは人生そのものが仏陀やから! 具体的に言うと、釈迦如来やから! せやから安心して!」

 二人はこれで何種類目かわからへん励ましの言葉で元気づけようとしてる。


 田舎道を歩いてると、背蟻離ちゃんがあたりを見渡しながら、

「皆様、このへんは限界集落なんです」

 うーん、なんか「皆様」って付けるとバスガイドさんみたいやな。さっきバス乗ってるときにやってくれたらよかったのに。立って。運転手さんの横で。白い手袋で。

 おっ、向こうからお婆さんが歩いて来た。そしてあたしたちから五メートルほど離れた位置で、ピタリと立ち止まる。あたしも何やろと思いながら立ち止まる。他の四人も怪訝そうな顔で立ち止まる。お婆さんはなぜか汗だくで、

「ど、ど、どうもっ……!! お、お、お婆さんですっ……!! こ、こ、ここは限界集落なんですっ……!! も、も、もう限界やあああっ……!!」

 パアアアアアッン!!

 お婆さんはなんの前兆もなく、派手に破裂した。いや、さっき「もう限界」って言うてたから、本人は前兆を感じてたのかも知れへんな。地面にできた血の海の中に、原形をとどめてへんお婆さんの死体がベチャベチャベチャッと落ちる。割れたゴム風船みたいな死体や。それを見てあたしは背筋が凍った。あたしも背蟻離ちゃんも毎床さんも固まった。亀率ちゃんはワッと泣き出した。さしもの和江ちゃんも目を見開いてる。そして和江ちゃんは「興味深い」とつぶやいて、数秒の逡巡のあと死体に近づこうと歩き出した。あたしは顔をしかめながら和江ちゃんの腕をつかみ、

「や、やめときいや!」

「行かせて!! 興味津々やねん!! マルチ商法と同じくらい興味ある!!」

 どうにかこうにかあたしと毎床さんとで和江ちゃんを取り押さえ、亀率ちゃんがケータイで百十番通報した。


 到着した五台のパトカーから、おまわりさんがゾロゾロと降りて来た。

「あー、どうも、俺たちはおまわりさんです。え? 何これ? これ死体? この数枚の、破裂したゴム風船みたいなやつ? ああ、そう」

「死体運搬、俺がやるわ! 警察官は死体運んだら特別勤務手当てがもらえるからな!」

「ウッソ!? マジで!?」

「お前知らんかったんかいな。お前浅学非才か?」

「あー! ほんなら俺がやる! 絶対俺がやる! 間違いなく俺がやる! カネ欲しいし!」

「何枚かあんねんから、みんなで手分けして運ぼうや! 俺、この下半身運ぶわ!」

「ほな俺この右腕っぽいの運ぶ!」

「ほな俺、この親知らず!」

「お前それ軽すぎやろ!」

「ほな俺、この死体!」

「お前それアマガエルの死体やろ! お婆さんの死体運べや!」

「ほな俺、この死体!」

「お前それアフリカゾウの死体やろ! お婆さんの死体運べや!」

「ほな俺この上半身っぽいのにツバつーけたーっと!」


 和江ちゃん以外みんな、パトカーが去ったあとしばらくの間放心状態。

「そ、そろそろ行こか」

 と、毎床さんが沈黙を破った。亀率ちゃんは大粒の涙を流しながら、

「お婆さん可哀想……。あんなん、まっとうな死に方やとは思われへん……。お婆さんにあるまじき死に方や……。全然お婆さんらしくない……。あのお婆さんに……最後に……二千円札を見せてあげたかった……」


 みんなでトボトボ歩いてると、毎床さんが重苦しい空気を吹き飛ばすかのように大きな声で、

「み、みんな! みんなは目玉焼きには何をかけるかなあ? どうかなどうかな? 私はウスターソースっ」

 あたしは胸を張って、

「あたしは最近は何もかけてへんよ。黄身はご飯に混ぜてるし、白身はそのままで食べてる。しいて言えば、ハウスダストがかかってると思う。背蟻離ちゃんはどう? 意図的にハウスダストかけたりしてる? それはないか」

 背蟻離ちゃんは胸を張らずに、

「そ、それはないですね。お醤油をかけてます」

 亀率ちゃんはまだ涙声で、

「うっ……グスン……うちは化学薬品かけてる。……日替わりで」

 和江ちゃんは素っ気なく、

「ツバ」

 和江ちゃんは続けて、

「亀率さん、ええ加減に泣くのやめなさい。そろそろうっとうしいよ。あんなことくらいで泣くな。それどころか、一生泣くな。来世で泣け。今すぐに涙を枯らせ。分泌するな。とにかく泣くことをやめろ。早くやめろ。目にも止まらぬ早業でやめろ。時速七百キロでやめろ。辞表を書け。表彰されるくらい立派なやめ方をしろ。斬新なやめ方をしろ。やめ方の世界に新風を吹き込め」

「う、うん……。ご、ごめんな……。そろそろ泣きやむわ……。泣きやむ予定を繰り上げるわ……」

 あたしは和江ちゃんの物言いにムッとして、

「和江ちゃん、何もそこまで言わんでも。もうちょっとオブラートに包んでもええやん。いや、オブラートでは薄すぎる。せめて、中華まんの皮で」

「そんなこと言うたかて、人が泣いてるのってうっとうしいやん。泣いてる人を見たら、でん部あたりを蹴っ飛ばしたくなるやん。後天的蒙古斑みたいなアザをつくりたくなるやん」

「そんなんヒドいわ。せめてでん部をまさぐる程度にするべき」

 毎床さんは話題を変え、

「みんなは海と山、どっちが好きっ? 私はどっちもそれなりに好きやけどねえ。あっははっ」

 あたしは興奮気味に、

「あたしはカナヅチやけど、海かな。女の子(特に亀率ちゃん)の肌の露出度においても、重ね着の山よりセパレーツやビキニが期待できる海のほうが……ゴクリ」

 背蟻離ちゃんは遠くを見るような目で、

「えっと……風景としてはどちらも好きです。ボッティチェリ様の『ヴィーナスの誕生』も、セザンヌ様の『サントヴィクトワール山』も好きです。両方の風景を一度に堪能できる葛飾北斎様の『富嶽三十六景』も素晴らしいと思います」

 亀率ちゃんは鼻水をすすりながら、

「うちは湖かな……」

 和江ちゃんはダルそうに、

「海とか山とかどうでもええわ。海も山もクサいし。そもそも海で泳いだり山に登ったりして何が楽しいの? クサいのに。そもそも海とか山とか誰が造ったの? どこのメーカー? 海外製? それとも惑星ニビルのアヌンナキが創造したの?」

 また毎床さんは話題を変え、

「みんなはどんなお風呂が好きかなあ? 私が好きなお風呂はねえ、スーパー銭湯にある水風呂とか薬湯とか露天風呂! えっへへ。特に水風呂はねえ、冷たいのをガマンしてどれくらい長く入ってられるかついつい挑戦してしまうわあ。あははっ。ああ、あと打たせ湯なんかも楽しいなーって。ドドドドドって背中に当てるのがなんか気持ちええねん」

 あたしは再び興奮気味に、

「服を着たまま入るお風呂が好き。たまに出来心でメイド服とか着て入ってみると、ザバッと上がる瞬間の重量感がヤバい。クセになる。それと飲泉療法が好き。有馬温泉ガブ飲みしたよ。深い味わいがあった。ちなみに飲尿療法は未経験」

 背蟻離ちゃんは普通の顔で、

「入浴剤を入れたお風呂が好きですね。最近いろんな入浴剤を試してるんです。面白いですよ。とろみのあるものとか、トウガラシ成分配合の発汗を促すものとか……。とろみのあるお湯を手でちょっとすくってみて、それをまたチョロチョロとお風呂の中に戻すのがなんか楽しいんですよ。あとは牛乳風呂ですね。と言うても浴槽を牛乳で満たすわけではなく、普通のお風呂のお湯に一リットルの牛乳を混ぜるんです。お肌にいいらしいですよ」

 亀率ちゃんは鼻水をゴクリと飲み込みながら(あたしが飲み込みたい!)、

「うちは湖かな……」

 和江ちゃんは覚醒剤中毒みたいに目をギラギラさせながら、

「石川五右衛門の釜ゆでの刑を観賞したい。タイムマシンで観に行きたい。そしてこっそりそのお湯にアヒルのおもちゃを浮かべてみたい。まあ釜ゆでやなかったっていう説もあるらしいけど。あと個人的な好みを言わせてもらえば、石川五右衛門が美少女やったらよかったのに」

 また毎床さんは話題を変え、

「みんなは紅茶が好き? それともコーヒーが好き? それとも他の飲みものが好き? 私が好きな飲みものは紅茶でーっす」

 あたしは風味を想像しながら、

「輪切りパインの缶詰めの汁かな」

 背蟻離ちゃんはごく普通の顔で、

「おうすです」

 亀率ちゃんはハンカチで目もとを拭きながら、

「うちは湖かな……」

 和江ちゃんは輪切りパイン缶詰め汁中毒みたいに目をギラギラさせながら、

「わたしは飲食には興味がないけど、紅茶は例外。ハッキリ言うて、紅茶中毒。その治療のためにそろそろボストン茶会事件でも起こしてコーヒー好きになろうかなと思てる。もしそれで今度はコーヒー中毒になったら、コーヒー禁止令が出てたころの十八世紀プロイセンに引っ越す。タイムマシンで引っ越す。ストイックに引っ越す」

 亀率ちゃんはタイタンに行ったら、メタンの湖も飲むのかな?

 また毎床さんは話題を変え、

「みんなは数字の書いてあらへん時計ってどう思うー? あれってさー、わかりにくいやんなあ」

 あたしは時計を想像しながら、

「わかりにくいなあ。やっぱり数字は書いてあったほうがええよね。ついでに数字といっしょに幽霊漢字も書いておいてほしいよね。時計屋さんのショーウィンドーで異彩を放ってほしいよね」

 背蟻離ちゃんはごくごく普通の顔で、

「デジタル時計よりもアナログ時計のほうが、予定時刻までの残り時間とかわかりやすいですよね」

 亀率ちゃんはハンカチをショルダーポーチの中になおした(作者註:「なおす」は大阪弁で「しまう」の意)。そして、世界三大美女と京美人と博多美人と秋田美人と秋田犬と柴犬とパピヨンとポメラニアンとシャムネコとメインクーンとターキッシュアンゴラとノルウェージャンフォレストキャットを足して十四で割ったような愛らしい顔で、

「うちは諏訪湖畔の間欠泉で時間を計りたいなあ……」

 和江ちゃんはふざけて時計のような顔をして、

「アナログ時計で数字がないよりも、デジタル時計で数字がないほうがわかりにくいと思う。電話のボタンに数字がないのもわかりにくいと思う。電話帳に数字が一切書いてへんのもわかりにくいと思う。数学の教科書に数字が一切書いてへんのもわかりにくいと思う」

 また毎床さんは話題を変え、

「みんなは虫って苦手? 私はカブトムシとかやったら触れるけど、その他は苦手かなあ。今年の夏に隣町の遊園地で小規模なカブトムシ展示販売イベントがあったんやけどさー、その会場でヘラクレスオオカブトを触ったことあるよ。ツルツルしてて案外触り心地よかったなーって」

 あたしはちょっと顔をしかめて、

「虫は種類にもよるけど、基本的に苦手やなあ。特にクモや昆虫の細長い脚が苦手。あれは目に毒。亀率ちゃんの脚は目の保養になるけど。でもカブトムシやクワガタやバッタくらいやったら指でつまんで軽く持ち上げたことはあるよ。ただ、つまみ上げると脚の存在感がきわ立って、通常の十倍は戦慄してしまうけど。ただ殺生はせえへんよ。敬虔な仏教徒並みに。可哀想やしね。彼らもれっきとした生き物やからね。ちなみにうちの妹は、『敬虔』を『けいとら』と読んでた。しかも『軽トラ』の発音で」

 背蟻離ちゃんは(虫に対して)申し訳なさそうな顔で、

「お虫様は……嫌いとかではないんですが、その、ちょっと……こ、怖くて……」

 亀率ちゃんはようやく微笑んで、

「うちは自然が大好きやから、虫さんも大好き。せやから当然、殺生とかせえへんよ。ジャイナ教徒並みに。虫さん大好き。それと同じく、ウシさんも大好き。今年の夏は観光牧場でウシさんの乳しぼりをやったよ。ちなみにあの作業って結構、コツがいるねんで。虫さんやウシさんと同じく、武士さんも大好き。今年の夏は歴史テーマパークで武将役のスタッフさんに乳いじりされたよ。ちなみに乳がんって結構、骨転移しやすいらしいで」

 その次に和江ちゃんが、「虫なんか無様にブチ殺されるためだけに生まれてきたようなもんで……」と熱弁をふるい始めたが、あたしは亀率ちゃんの話を聞いて気が気ではなく、

「き、き、き、亀率ちゃん、そ、そ、そ、それ、ど、ど、ど、どういうこと!? 胸をいじられたの!? 胸をまさぐられたの!? スタッフさんに!? 何それ!? アトラクションに乗る前の身体検査!? すなわち役得!? セクハラ武将!? あたし、もしかして、武将に先を越されたの!? 武将ってことは、すなわち数百年も先を越されたの!? ううううううう!! 悔しい!! そんな仕事は、是非ともあたしに代わってほしい!! さっさと交代してほしい!! さっさと参勤交代してほしい!! さっさと政権交代してほしい!! なんか自分で言うててわけわからんようになってきた!!」

 あたしに詰め寄られた亀率ちゃんはキョトンとしながら、

「右乳と左乳をそれぞれ別のスタッフさんに同時進行でいじられたよ」

「亀率ちゃんのお胸様を狙うセクハラ武将が二人もいるん!? まさかそれって、セクハラをテーマとしたテーマパーク!? それとも乳いじりをテーマとしたテーマパーク!?」

「あ、でも別にいかがわしくないことやから、安心して。と言うのも、武将役の一人は巴御前役の女性で、もう一人も上杉謙信役の女性やから。上杉謙信さんって女性説があるから、それを意識しての配役らしい」

「男性とちゃうかったらええっちゅうもんやない!! むしろあたしとしては、女性であるほうが余計にライバル視してしまう!!」

「ん? なんのことかようわからんけど、多分あの乳いじりは現代で言う機械いじりみたいなもんやと思うし、大したことないよ。少なくとも平安末期から戦国時代にかけてはあれが日常茶飯事やったんちゃうかな」

 また毎床さんが話題を変え、

「私ネコを一匹飼うてて溺愛してるんやけど、ネコって水が大の苦手やんな。あははっ。ネコの毛は水を弾かへんからねえ。イヌはイヌかきとか得意やのになーって」

 すると和江ちゃんがアクビをしながら、

「ネコ、水飲めるやん。飲める時点で苦手ちゃうやん。バステト神のように、古代エジプトでは崇拝対象でもあったネコ。そんな偉大な動物であるネコを過小評価したらあかんよ」

 毎床さんは怪訝そうな顔をして、

「いや、飲めるかどうかの話やなくて。大体、動物はみんな水飲むでしょ。コアラなんかは例外的に水をあんまり飲まへん動物らしいけどね。ユーカリから水分摂取するらしいし」

「しかし、下戸の人はお酒のプールで泳げって言われても泳がれへんやろ? やっぱり水が苦手って言うなら、水で泳がれへんことと水を飲まれへんことの二つが成立してんとあかんわ」

「うーむ……。どことなくロジカルなようでいて、論理破綻してるような……」

 あたしの家はペットなし。まあ翔阿はイヌ畜生にも劣る存在やけど……ってウソウソ。亀率ちゃんの家もペットなし。マンションがペット禁止やからね。背蟻離ちゃんはセキセイインコを一羽飼うてる。あたしは和江ちゃんのほうを向いて、

「そう言えば和江ちゃんは何か動物飼うてんの? ネコとかイヌとかシャドーピープルとか」

「意外に感じるやろけど、一応飼うてるよ」

「あえて人聞きの悪いことを言うけど、まさかそれって動物実験用あるいは虐待用ちゃうやろな?」

「んなわけないやん。わたしはマッドサイエンティストでも犯罪者でもないから。家でネコを二匹飼うてるよ。言うとくけど、わたしは人間と虫の二つを除く動物全般に対して愛情深いよ。あと植物にもね。あと原生生物にもね。あと真正細菌にもね。あと鉱物にもね。中でも細胞性粘菌とネコに対しては聖人君子のようにふるまうよ。特にネコは世界一可愛い動物やからな。ネコは『おネコ様』って呼ぶべき。人を『人様』って呼ぶときみたいに。うちのクラスに生類憐れみの令を発令して、違反者を奴隷化したいわ。わたしの奴隷やなくて、ネコの奴隷ね。違反者には囚人服を着せようと考えてる。汚い囚人服を。アスベストまみれの囚人服とか。返り血を浴びた囚人服とか。尿失禁済みの中古囚人服とか。それに逆らう者はたとえ大魔王であろうと中型魔王であろうと、わたしが倒すから。パタンと。横倒しにするから。それと亜景藻さん、命ある動物に対して『何か』はないやろ。動物をモノ扱いしたらあかん。今度からは正しく、『和江ちゃんって誰か動物飼うてんの?』って訊かなあかんで」

 あたしはタメ息をつき、

「そんな発令はやめとき。発熱あたりでガマンしとき。四十度くらいの発熱あたりで。それと、動物全般に対して『誰か』は不適切やろ。『誰』はホモ・サピエンスにしか使わへん単語やろ。話題換えるけどさ、あたしらのクラスで一番可愛い女子って誰やろ?」

 ここでクラス一かっこいい男の子ではなく、クラス一可愛い女の子を話題にすることに関して、あたしは自分で「実にあたしらしいなあ」と思た。毎床さんが笑顔で、

「根本さんは美少女やんなあ。美少女美少女、世紀の美少女! あはっ」

 それに対してあたしは興奮気味に、

「そ、そうやんな!! 世界的美少女やんな!!」

 やはりあたしの傑出した審美眼に狂いはなかった。そう自負するとともに、「実は毎床さんも亀率ちゃんを虎視眈々と狙ってるんちゃうか」という疑念が頭をもたげる。……って、それはないか。……って、亀率ちゃんのこと、そろそろ本気で諦めなあかんな……。

「うちが美少女ー? そんなことないよー。せいぜい、時速五百キロで動き回ったら美少女と見誤る人が出てくる程度やで」

 亀率ちゃんが美少女史上最高に殊勝な態度で謙遜する。和江ちゃんが亀率ちゃんをまじまじと見つめながら、

「やっぱり亀率さんは可愛いって言うより可愛らしいって感じやな。そう確信した」

 あたしは腑に落ちず、

「その二つの言葉、どうちゃうん? 吉と小吉のどっちが上かっていうレベルでわかりにくいけど」

「二つの言葉の違いは……わたしにとっては、『可愛い』っていうのは、言い換えれば『器量よし』。『可愛らしい』っていうのは、言い換えれば『小動物みたい』。あ、一応亀率さんに言うとくけど、『亀率さんは器量よしではない。すなわち醜悪。それどころかケダモノにしか見えへん。とても人間とは思われへんおっかない容貌』とか、そういうこととはちゃうで」

 和江ちゃんが亀率ちゃんのほうを見ながらそう言うたので、亀率ちゃんは微笑みながら、

「大丈夫、大丈夫、平気、平気。そういう意味とちゃうってこと、理解してるから。深く理解してるから。ホワイトボードで解説できるレベル。啓蒙書が著せるレベル。いずれにしても、褒めてくれてどうもありがとう!」

 次に和江ちゃんは、

「それにひきかえ亜景藻さんのルックスレベルは、亀率さんほどやないね。亀率さんより劣るね。非常に劣るね。遠く及ばへんね。マジで比較にならへんね。露骨に月とスッポンやね。あからさまに雲泥の差やね。あ、一応亜景藻さんに言うとくけど、『亜景藻さんは亀率さんよりも可愛くない』とか、そういう意味とちゃうで」

「いや、そういう意味でしょ!?」


 しばらく行くと、なぜかヘリポートがある。そして一機の民間ヘリコプターが停まってる。さらにそのそばには、ヘリコプター操縦士と思われるオジサンがボサーッと立ってる。オジサンはあたしたちに気づいて、

「……ん? キミら、科学博物館に行くん? それとも犬鳴村? それとも杉沢村? ……え? あ、やっぱり科学博物館。あっそう。ここからの移動手段として、まずそこの無料送迎ヘリがあるわけやけど、どないする? 乗客定員は一人。白色矮星と中性子星のカケラを積み込んでるから、俺とお客さん一人で重量制限ギリギリやねん。そして一日の運行回数は一回。せやから他の人は別の交通手段で移動してもらうことになるけど」

 背蟻離ちゃんが心苦しそうな顔で、

「み、皆様、も、申しわけありません。て、てっきり下車後は徒歩で行けるものやと思てまして……」

 話し合いの結果、亀率ちゃんがヘリで行くことになった。万が一ヘリが重量オーバーで墜落しても、彼女やったら大丈夫そうやからね。アリが高いところから落ちても無傷なのと同じ原理で。いや、全然ちゃうか。

 そんなわけで、亀率ちゃんとオジサンは、ヘリコプターで空の彼方に消えた。ヘリコプターって一回遊園地の搭乗体験コーナーで乗ったことあるけど、結構機体が傾いたりしてちょっと怖かったなあ。亀率ちゃんは怖がらへんやろけど。乗りものと言えば、瀬戸内海の島へ渡るときにフェリーを利用したこともあったっけ。航行中のフェリーのフチから真下を覗き込んで海水が白い泡を立てる様子を見つめてたらだんだん怖くなってきて、「もしここから海にドボーンと落ちたらどうしよう。あたし、便器で溺れるレベルのカナヅチやのに。乗客のクシャミのせいで船が転覆したらどうしよう。船が手紙入りのビンにぶつかって沈没したらどうしよう。どうしようどうしようどうしよう……」とか考えて震え上がってたなあ。そう言えば景勝地で舟下りをしたこともあったっけ。あれも流れが急なところは振り落とされへんかと不安で怖かったなあ。あと暗鬱な表情の船頭さんが終始、「身投げしたい……」ってつぶやいてたのも怖かったなあ。そう言えば町並み保存地区で観光客向けの人力車に乗ったこともあったっけ。あれは乗り込むときがちょっと怖かった。乗り込むときは車を傾けなあかんから、慎重に乗らんと危ないしね。ちなみに翔阿は小さいころ、人力車は生身の人間を動力燃料にして走る車やと思てたらしい。そう言えばちょっと前に亀率ちゃんの脚の上に乗ったこともあったっけ。あれは……ウヒウヒグヘグヘヘ。


 しばらく歩くと、なぜか前方にフリーフォールがそびえ立ってる。フリーフォールってのは、U字形のハーネスでシートに体を固定され、てっぺんから自由落下に近い感じで落とされる例のアトラクション。そのそばまで近づく。そこには係員とおぼしきオジサンが立ってて、

「お嬢ちゃんたち、一尾里町立科学博物館に行かれるんですか? あ、やはりそうですか。ここから先のヘリコプター以外の交通手段として、この高さ約五十メートルのフリーフォールがありますけど、いかがなさいますか? シートは一つです。すなわち乗客定員は一名。一日の運行回数は一回です。運休日は元日とワタクシの誕生日です。そんなわけで他の方々は別の手段で行っていただくことになりますが」

 上がって下がるだけのフリーフォールで一体どうやって科学博物館まで行けるのか皆目見当がつかへんな。そこでオジサンに詳しい原理を尋ねてみると、

「ホンマは行けません。上がって下がるだけです。でもスイッチバックのようなものやと思て納得していただきたい。全然ちゃうけど。ああ、それと、できるだけ誰か一人乗るようにしてほしいんですよ。つまり全員パスは勘弁してほしいんです。でないとワタクシ、ヒマでヒマで……」

 背蟻離ちゃんはあたしたちに頭を下げて、

「ホ、ホンマにすみません皆様、こ、このようなものがあるとは存じ上げておりませんで……」

 和江ちゃんは眉間にシワを寄せ、

「わ、わたしはパス! わたしは絶対にこういうモンには乗らへんからね!」

 あたしもちょっとうつむき、

「あたしもどっちかと言えば絶叫マシンは苦手やから、できれば遠慮したいところやけど……」

 中学生時代に一度フリーフォールに乗ったことがあるけど、落下中のあの異様な感覚は筆舌に尽くしがたい恐怖やったからなあ。絶叫はせえへんかったけど、「うぎゅううううっ……!!」ってうなってしもた。

 しばらくみんなが沈黙してると毎床さんが意を決したように、

「ほ、ほなしゃあないなっ! 私、乗るわ。ちょ、ちょっと怖いけどねー。へへ……」

 そこへ背蟻離ちゃんが真剣な眼差しで、

「ま、待ってください!! わ、わたくしが、の、の、の、乗り……ます。こ、このようなことに巻き込んでる張本人は、ほ、他ならぬわたくしですので……」

 背蟻離ちゃんが失禁しそうなほど怖がってるのであたしたちは制止しようとしたが、彼女はよっぽど責任を感じてるのか(あるいはドMで特殊な高揚感を感じてるのか)自分が乗るという意志を曲げへんかった。ちなみに「高揚感を感じる」とか「違和感を感じる」は誤用ではないと思う。漢字が重複してるからなんとなく不自然に感じる人がいるだけ。「建物を建てる」や「姿見を見る」がおかしくないのといっしょ。


「あ、あのー、た、大変失礼なことで申しわけないのですが、こ、このアトラクションの安全性は……」

 あたしにメガネを預けてシートに腰かけた背蟻離ちゃんが、固定される前に係員さんに尋ねた。

「もちろん保証しますよ。保存料や着色料は無添加です。シックハウス症候群の原因となるホルムアルデヒドも不使用です。このアトラクションには運休日がありますが、危険日はありません」

「い、いや、そういうことではなくてですね、その、ケガとか転落事故とか……」

「皆無です。ゼロです。古代インド人が発見したと言われるゼロです。すなわち無事故です。高い安全性を誇ります。すなわち低い危険性を誇ります」

「それを聞いて少し安心しました……」

「では他の皆さんは少し後ろへ下がってください」

 あたしたちが三歩ほど下がった直後、係員さんは背蟻離ちゃんを素早くロープでがんじがらめにして固定した。あたしと毎床さんはビックリした。和江ちゃんはペッロリと舌なめずりした。背蟻離ちゃんも狼狽して、

「な、な、なんですかこれ……!? なんで縛ったんですか……!?」

「あ、言い忘れてましたわ。マシンは数ヶ月前から故障してましてね。ハーネスが下がらへんのです」

「こ、こ、故障中なんですか!?」

 毎床さんも狼狽し、

「ほんならやめてください! 運休してください! 安全面に配慮して、故障中に作動させるべきではないでしょう! 安全第一でしょう! そんなロープだけでは、転落事故につながるかも知れませんよ!」

 あたしも無論毎床さんの意見に賛同し、

「そ、そうですよ! 運休するべきですよ! 大体、無事故ってホンマなんですか!?」

 しかし係員さんはあっけらかんとして、

「ホンマです。無事故です。無殺人です。故障箇所はハーネスの上げ下げ機能だけですから、心配ご無用です。ちなみにこのロープはSM用の拘束ロープです」

 そう言われてもあたしと毎床さんは不安感が払拭されず、「中止してください!!」とわめき散らす。背蟻離ちゃんは半泣きで、

「こ、怖いです!! 降りたいです!! ロ、ロープをほどいてください!!」

「無事故ですから、怖がらなくても大丈夫です」

 あたしは業を煮やして、自分がロープをほどこうと考えた。しかしそう考えた直後、係員さんが背蟻離ちゃんの口をガムテープでふさいだ。

「んんんんんん……!!」

 あたしは度肝を抜かれ、

「なんで口までふさぐ必要があるんですか!?」

「絶叫されたらうるさいからです」

「って、絶叫するためのマシンでしょ!? それとも発狂させるためのマシンですか!?」

「ホンマは口だけやなくて、目や耳や鼻やヘソや毛穴や虫歯の穴やストレスで胃に開いた穴もふさいであげたいんですがね」

「なんでですか!? そういう趣味ですか!? それはややアブノーマルな趣味ですよ!? 変態ですよ!? あたしも興味はありますけどね!!」

「『絶叫マシン』って、二文字替えると『屈強魔人』ですね」

「せやからなんなんですか!!」

「『絶叫マシン』って、アナグラムみたいに文字を並べ替えると『教室ゼンマ』ですね」

「『教室ゼンマ』ってなんなんですか!? 『教室ゼンマイ』やったらわかりますけど!! いやわからん!!」

「『イバラギケン』って言う人が多いですけど、濁点は不要ですよ。『イハラギケン』です」

「そっち取んの!?」

「あ、間違えました。正しくは、『イ゛ギケン』ですね」

「いや、『ハ』は濁点ちゃいますから!! 立派なカタカナですから!!」

「立派ではないカタカナも存在するのですか?」

「ひらがなとほとんど同じ『ヘ』とか『リ』とかはカタカナとしてのアイデンティティーに欠けるかも知れませんね」

「さてと。この絶叫マシンは、今ワタクシが手に持ってるこのリモコンで動きます。では、マシンを作動させます」

「うわ!! 待ってください!! やめてください!! 思いとどまってください!!」

 そしてあたしのシャウトに毎床さんも加勢する。係員さんはちょっと鬱陶しそうに、

「キミたち、ギャーギャーとやかましいですよ。キミたちのようなかしましい人間は、海水浴場でノドが渇いたらジュースを買わずに海水を飲みなさい。そして余計にノドが渇いて声を出すのもイヤな状態になりなさい。そして塩分の過剰摂取で高血圧になりなさい。そして海の深いところまで潜って減圧症になってプラスマイナスゼロになりなさい。……さーて、では発進!!」

 あたしと毎床さんが、「待ってください!!」と絶叫した。絶叫マシン作動前から何度絶叫してることか。しかし無情にもリモコンのボタンは押された。恐怖のあまり瞳孔の開いた背蟻離ちゃんを乗せて、シートは上昇を始める。背蟻離ちゃんは助けを乞うような眼差しをあたしたちのほうに向け、「んんんんんん……!!」と痛ましい声を出す。あれよあれよと言う間にシートは高度を上げていく。その光景を喜々として観賞する和江ちゃんのかたわらで、あたしと毎床さんがシートを下ろすように懇願するが、「時すでに遅し!」とのこと。あたしはあからさまに恨みがましい目つきで係員さんを睥睨しつつ、

「ホンマに無事故なんでしょうね……。隠蔽とかしてませんよね……」

「ええ。今の子が乗客第一号ですから」

「にょ、にょぴゃいっ!?」


 あたしたちはフリーフォールより少し離れた位置から、どんどん上昇していく哀れな背蟻離ちゃんを不安げに見守る。そしてとうとう、背蟻離ちゃんを乗せたシートがてっぺんにまで達した。あんな高いところから落ちるんか……。だ、大丈夫なんかな……。あたしたちがオロオロしてると、なんの前触れもなくフリーフォールの周りの地面がグワーッと開き、一辺が数メートルの正方形の穴が出現した。そしてあろうことか、シートだけが降下するのではなくて、シートを含むフリーフォール全体がビュゴオオオオオオオオオオッとその穴の中へと落ちて行って、しまいには完全にあたしたちの視界から消えた。そして正方形の穴だけが残った。

「背蟻離ちゃああああああああああああああああああああん!!」

「辻見さああああああああああああああああああああん!!」

 あたしと毎床さんは今日一番のシャウトをした。あたしは右往左往して、

「ど、どうなってるんですか!? せ、背蟻離ちゃんは無事なんですか!? か、係員さん!! 早く背蟻離ちゃんを穴から引き上げてくださいよ!!」

「もとの状態に戻すのは至難の業なんですよ。このフリーフォールが地中に沈むと、そのかわりに太平洋上にムー大陸が浮上する仕組みになっております。もとに戻すには、ムー大陸を再び海中に沈めなければいけません。無理矢理。力ずくで。プリミティブに。古式ゆかしく。手動で。腕力で。筋力で。人力で。ファンデルワールス力で。どうしてももとに戻したいなら、ご自由にどうぞ。安全第一でがんばってくださいね」

 あたしは愕然として、

「そんなん、か弱き女子高生の腕力では到底無理です!! 何か他に方法はないんですか!? って、そもそもムー大陸説ってウソ八百やなかったんですか!?」

 あたしと毎床さんとで、なんとか他の方法を聞き出そうとする。一方、和江ちゃんは脱臼しそうなほど肩を落として、

「落下速度が速すぎて、背蟻離ちゃんの恐怖に歪んだ表情をろくに堪能でけへんかった。残念無念……」

 そのとき、係員さんのほうから携帯電話の着信音が鳴り響いた。係員さんはズボンのポケットから携帯電話をおもむろに取り出し、耳に当てる。

「もしもし。ヘリの操縦士さん、どうなさったんですか? ……えっ!? 飛行中のヘリコプターが、コジマさんの家のお爺ちゃんが味噌汁を冷ますときのフーフーに煽られて、ムー大陸に墜落した!? そしてその衝撃でムー大陸は再び沈没した!? 今は乗客の女子高生と手をつないでいっしょに海に浮かんでる!? 二人とも救命胴衣姿で!? そしてヘリも二人も奇跡的に無傷!? ……そうですか。しかし、まさかその程度の衝撃で沈没するとは。……えっ!? 過去にムー大陸が浮上したときにそこで学術調査にあたってた考古学者がうっかりコンタクトレンズを落としたときも、その衝撃で沈没したんですか!? ちょっとした衝撃で沈みすぎでしょ!! そら滅亡するわ!!」

 よかった!! これでフリーフォールがもとに戻る!! ……って、乗客の女子高生って、亀率ちゃんのことか!! あたしも手をつないでいっしょに浮かびたかったよおおおおお!! 嫉妬嫉妬嫉妬!! いや、今から行けば間に合うかも!? 今から行けば、いっしょに浮かぶことができるかも!? と、そのとき。

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!!

 フリーフォールがゆっくりと浮上して来た。いまだてっぺんの位置でがんじがらめにされてる背蟻離ちゃんが現れる。慌ててあたしたちは駆け寄り、ロープをほどいてガムテープを外してシートから降ろしてあげた。背蟻離ちゃんは哀れなことにフラフラフラフラ。倒れへんように、あたしが体を支えてあげた。

「し、死ぬかと思いました……」

 するとそこへ、バラバラバラバラとヘリの音。係員さんが興味のなさそうな口調で、

「海のほうから戻って来たみたいですね」

 なんや! もう戻って来たんか! せっかく海の上で亀率ちゃんと『ヴィーナスの誕生』並みの芸術性を発揮しようと思てたのに! そしてそれを水彩画に収めようと思てたのに! なんで水彩画かって言うと、海水上で油絵やと「水と油」って言葉を連想してしもて、亀率ちゃんとの仲に自信を持たれへんようになってまうからな! あああああ!! 亀率ちゃんといっしょに全身びしょ濡れになって、二人のウェットオンウェットを完成させたかったのに!! 海という広大なキャンバスで!! ……あ、でも救命胴衣もう一着あるんかな? もしなかったら、あたしカナヅチやから、常に流木か何かにつかまっておかんと溺れてまうわ。イーゼルとかが流れててくれれば丁度ええんやけど。観光地の土産屋に置いてある木刀でもええけどね。卒塔婆でもええけどね。鬼婆でもええけどね。安達ヶ原の鬼婆でもええけどね。安達盛長のお婆さんでもええけどね。東京都足立区にお住まいのお婆さんでもええけどね。三途の川のほとりにお住まいの奪衣婆でもええけどね。脱衣麻雀用の雀卓でもええけどね。……でも海でお婆さんがプカプカ浮かんで流れて来る状況って、水死して体内に腐敗ガスが溜まったせいってことも考えられるわけか。水死体はグロテスクって言うし、あんまりつかまりたくないなあ。……あと、なんで土産屋には木刀が置いてあるんやろ? ……あ、そうか。真剣を置いてたら危ないからか。……って、なんかおかしい。

 ドガッシャアアアアアアアアアアン!!

「あ、今度はお嬢ちゃんたちが行く予定の科学博物館に墜落したみたいです」

「えええええ!?」

 と、あたしたちは呆気にとられた。


 結局科学博物館は全壊してた。ヘリに乗ってた二人と博物館スタッフは無傷。近隣住民は伏魔殿が消滅したと大喜び。ヘリの操縦士さんはノーベル平和賞を受賞した。


 数日後のお昼。学校の教室で、背蟻離ちゃんがあたしたちを集めて、何やらビクついた様子で、「お伝えしたいことが……」と切り出した。

「……じ、実は、この前皆様をお誘いしたのは、五枚もあるチケットを簡単に処分でけへんというのももちろんウソやなかったんですけど、そ、その……み、皆様と……も、もっと仲よくなりたくて……。あのチケットの入手が、絶好の機会やと思て……。……ホ、ホンマに申しわけありません! わ、わたくしの個人的な動機で、皆様をよくない噂がある博物館に誘ったりして……」

 背蟻離ちゃんは何度も何度も謝った。あたしと亀率ちゃんと毎床さんと和江ちゃんは、これからもっと仲よくやっていくことを誓って、笑顔で背蟻離ちゃんと握手を交わした。あ、いや、和江ちゃんだけは億劫そうな表情かつ投げやりな態度やったな。一方、背蟻離ちゃんはずっと照れ臭そうやった。……ハッ!! も、もしかして、こ、これって、背蟻離ちゃんも亀率ちゃんを狙ってる!? 亀率ちゃん以外の三人とも仲よくなりたいっていうのは、カムフラージュ!?


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コメディー小説『アッケラカンサッパリカン』


第三十八話 都会道で 前編


 最近あたしはどうもおかしい。亀率ちゃんにときめきを感じるのは相変わらずやけど、このごろはほかのいろんな子たちに関してもいろいろな感情が湧いてくる。たとえば、旗布ちゃんの強引なやり方で郵便ポストの中に詰め込まれたいとか。その際、投函口からハガキではなくハミガキ粉みたいな得体の知れないニュルニュルした液体を流し込まれて、「あけも先輩、怖いですかー!? 開けてほしいですかー!?」とか言われながら執拗にもてあそばれたいとか。あるいは、背蟻離ちゃんに羽根とクチバシを装着させて狭苦しい鳥カゴの中で飼育してみたいとか。その際、日本語は喋らずに涙目でピーピーさえずってほしいとか。涙目で鳥のエサをついばんでほしいとか。鳥のフンでも可。あたしのフンでも可。あるいは、拷問が趣味の和江ちゃんを逆にハリツケにしたいとか。その際、最初は涙目で「ほどけー! ほ、ほどかんと、あ、あとでヒドいぞ! あとで開頭して脳みその中にタイムカプセル埋めたるぞ!」とか強がってるくせに、後半はしゃくり上げながら「うっ、うっ……ごめんなさい……もう許して……ひっ、ひっく……ほどいて……縛られてるところが痛いよう……」とか言うてほしい。あるいは、毎床さんにいつものハイテンションおよびニコニコ顔で罵られたいとか。その際、「古路石さんって、普通の食事をする資格もないよね! あははっ。これからはタルタルソースだけを食べて生きてね!」とか言われたい。あるいは、仙誉さんのクッサいクッサい足で顔面マッサージしてほしいとか。その際、足の裏をあたしの顔面に何度も何度もコスりつけて、最終的には足のニオイがあたしの顔面に全部移ればええと思う。水虫がうつっても可。あるいは、羽竜様とともに天王星に行って、四十年以上続く白夜を明かしたい。あるいは、大宿先生の妹の左矢辺さんと抱き合って、お互いに相手の顔から噴き出る粉を吸い込み合いたい。あるいは、スマートな西村さんの先端(頭のてっぺん)であたしの全身をつついてほしい。そんなことを妄想する毎日である。見境がなくなりつつあるなあ。

 放課後。今日のお昼に和江ちゃんから、「今日はわたしと亜景藻さんと亀率さんと旗布さんの四人で帰りたいから、放課後になったら他の二人を集めといて。集合させといて。召集をかけといて。召還魔法をかけといて。科学至上主義者は鳴りをひそめといて。あ、別にわたしは何かよからぬことをたくらんでるワケやないから。わたしにはなんの魂胆もないから。わたしにはなんの婚姻暦もないから」とお願いされてるので、亀率ちゃんに声をかけたあと二人で一年四組の教室に旗布ちゃんを呼びに行き、今三人で一年四組教室前の廊下にたむろして食虫花談義に花を咲かせてるところ。旗布ちゃんはのっけからウツボカズラをバナナケース呼ばわりするもんやから、食虫植物不敬容疑で書類送検してやりたくなった。和江ちゃんはと言えば、チャイムが鳴るやいなや、「ちょっとわたしギロチンの定期メンテナンスのために空き教室行って来る。十五分くらいあとに迎えに来て。あるいは四十五分くらいあとに」と姿を消してしもたので、今ここには不在。

 食虫花トークの盛り上がりが最高潮に達したとき、あたしは何気なく腕時計に視線を移し、チャイムからすでに十四分が経過してることに気づいた。……あっ、そろそろ迎えに行かなあかん。モウセンゴケ虐待派も俎上に載せるつもりやったけど、それはまた次回にするか。そんなワケであたしたちは会話をフェードアウトで終了し、空き教室に向かってテクテク歩き出す。移動中手持ちぶさたなので、あたしは胸ポケットから生徒手帳を取り出して開いた。えーと、今日の予定って何かあったっけ? ……うん、皆無。明日……も皆無。我ながら有閑階級……いや、暇人階級やな。えっと、昨日は……う、う、う、う、うわああああああああああっ!! き、き、き、き、昨日の欄に、「放課後、穂倉曽向(ほくらそむき)部長に文化祭園芸部展示アイデアシート提出←ある程度は超重要!!/そのあと、大宿先生の妹左矢辺さんのバイト先のシャブチュー薬局で雑用手伝い←タダ働きすなわち無償のラブ!!」と、書いてある!! うげー、すっかり忘却のかなたやったわ!! ……ま、ええわ。あたし、大豆インクでアイデアシート記入してしもたし。部長って大豆アレルギーやから、提出せえへんほうがええわな。アレルギー反応のせいで副部長に降格したら一大事やし。バイト手伝いの件も、もし行ったらあの妹さんに一から十まで仕事を押しつけられて、挙げ句の果てには水虫薬を買い求めに来た重症水虫患者に足の裏を押しつけられる恐れがある。顔面に。押しつけてくるのが仙誉さんやったら天にも昇る心地やろけど。ま、行かんで正解やろな。あの妹さんの職務放棄っぷりはスペインの怠惰王フェリペ三世さんも裸足で逃げるレベルやからな。あるいはニーソックスを履いたサボり魔が傘用ポリ袋に履き替えて逃げるレベルやからな。ちなみに亀率ちゃんは最近、放課後の尿検査はやってへんらしい。なんでも保健室にある採尿用紙コップが何者かによって一つ残らずミミズ製コップにすり替えられる事件が発生したからとか。そらオシッコ入れられへんわ。……いや、ミミズにオシッコかけるのって女でも危険なんかな? そもそも「ミミズにオシッコ云々」っていう話、あれ迷信? 都市伝説? 民間伝承? ギリシャ神話? モンゴルのことわざ? ムムム……わからん。ちなみに亀率ちゃんはミミズたちの変わり果てた姿を哀れんで三日三晩むせび泣いたらしい。

 さて、空き教室に近づいて来た。空き教室に無断で入るのは校則違反やねんけどな。ただし本校では、風紀委員長平瀬和江だけは例外的に、校則を破りたくなったら周囲が暴徒と化しても委細構わず破ってしもてオーケーっていう不文律が存在する。そう、それはいつからか不文律として浸透してた。まあ、和江ちゃんは地位濫用と校則至上主義でもって違反者に対して残虐非道な私刑を加えたいだけのサディストやからな。至上主義というのも語弊があるかも知れへんけど。その本質は規則絶対視やなくて、規則口実化やからな。でも真の意味で校則一点張りの藤橋先生に空き教室侵入を目撃されたら、それはもう……一巻の終わりやな。エラいことになるな。気をつけなあかん。細心の注意を払わなあかん。ヘタしたら退学処分どころか、国外追放にされる恐れがある。陸から海にポチョンと蹴り落とされるかも知れへん。そんなワケで警戒心をむき出しにしよう。今、周りは……よし、あたしら以外に人影はないな。人もイヌもネコも杓子もいてへんな。肉眼では見えへん生物はいるやろけど。細菌とかね。でも細菌は先生に告げ口とかせえへんから、ノープロブレムやな。細菌に口はないからね。あと鼻もないな。ってことは細菌は鼻血や鼻毛に悩ませられることはないということか。幸せ者やなあ。ってことはオス細菌がメス細菌のグラマラスな全裸を見ても、鼻血を噴き出すことはないということか。いやいや、なんかおかしい。細菌に性別はないやろ。年齢や住所や電話番号はあるけど、性別はないはず。年齢と言えば、藤橋先生っていくつなんやろ。二十代やとは思うけど。

 旗布ちゃんが先頭に立ち、空き教室のドアをガラゴロガラゴロと開けた。あたしと亀率ちゃんは旗布ちゃんの背後から室内を覗き込むが、どうやらもぬけの殻のよう。例のギロチン(刃は偽物)だけが異様なほどの存在感を放ってる。旗布ちゃんは入り口に立ったまま室内をキョロキョロと見渡して、

「あらららー!? かずえ先輩、どこ行ったんでしょうねー! あー、そんなことより睡魔に負けそうですー! 最近睡眠不足なんですよー! この前も徹夜するためにインスタントコーヒーを淹れてたら、慎重に慎重に淹れてるうちに夜が明けてしまいましたー! あっ、もしかするとかずえ先輩、教室のどっかに隠れてるんでしょうかー!? かくれんぼでしょうかー!? 隠れメタボでしょうかー!? 隠蔽工作でしょうかー!? はたふが見つけ出して勝ち誇りたいと思いまーす! こともなげに見つけ出して勝ち誇りたいと思いまーす!」

 意気軒昂たる旗布ちゃんが入室する。しかし足を踏み入れるやいなや、旗布ちゃんは何かにつまずき、そのままフラフラと千鳥足に近い動きで奥のほうまで進んで行く。そして七メートルほど行ったところで、バッタリと倒れてうつぶせの状態になった。何につまずいたのかと床に目をやると、そこには拷問専用とおぼしきオノが落ちてる。

「ハタフチャン!! だ、大丈夫!?」

 と、亀率ちゃんも教室の中へと足を踏み入れる。すると亀率ちゃんも拷問用のオノにつまずき、フラフラと奥のほうまで進んで行き、七メートルほど行ったところで、倒れてる旗布ちゃんの上にバッタリと倒れて重なった。これはスタンディングオベーションが起きそうなほど見事な二の舞ですなあ……って、ふぎゃあああああ!! 亀率ちゃんと旗布ちゃんが床の上で重なってるううううう!? トコやなくてユカなのがあたしにとっては不幸中の幸いやけど!! でも重なってるううううう!? オンブバッタのようにいいいいい!! ちなみにときどき勘違いしてるバッタオンチさんを見かけるけど、オンブバッタは親子と違ごて夫婦やから!! ……って、ふ、ふ、ふ、ふ、夫婦うううううううううう!?

「二人とも、そ、そ、そ、そ、そ、それは、なんぼなんでも、い、い、い、い、い、いかがわしすぎるやろ!? 一体どういうつもり!? 旗布ちゃん、ものすごく嫉妬させてもらうよ!? ものすごく糾弾させてもらうよ!? それともまさかこれは和江ちゃんが仕掛けた巧妙な罠!? 策略!? 陥穽!? プロパガンダ!?」

 とうろたえながら、あたしも教室の中へ足を……おっと、拷問用オノにつまずかへんように、注意力をスペシャルマックスにせなあかん。石橋を叩いて渡らなあかん。ちなみに拷問用オノで脳橋を叩いて割るのはグロテスク。あたしは拷問用オノをプロ並みのステップで飛び越え、二人に歩み寄った。二人は現代アートのように重なったまま。亀率ちゃんは「……ぷにょお!?」と素っ頓狂な声を上げてから、

「……ぬわわっ! ハタフチャン、大丈夫!? 痛くない!? 重くない!? 苦しくない!? 切なくない!? 足の指の間がカユくない!? 今すぐどくから!!」

「あー、きりつ先輩ー! どかなくても大丈夫ですよー! 微動だにしなくても大丈夫ですよー! 死後硬直しても大丈夫ですよー! 全然痛くないですし、全然重くないですし、全然苦しくないですからー! 切ないのと足の指の間がカユいのは確かですけどねー! 今はたふ熟睡寸前っていうくらい眠いですから、きりつ先輩さえよければ、このまま二人でお昼寝しましょうよー! いかがですかー!? グーグー……」

「ほほー! それはそれはアバンギャルドな昼寝法やね。よーし、二人でこのまま夢の世界へ旅立とう。学術的に言えば、コペンハーゲン解釈における重なり合いを試みよう。グーグー……」

 このままほっといたら、重なり合いがいずれは量子もつれ(量子からみ合い)に発展してしまう!! もつれ、そしてからみ合い!! うぎゃああああああああああ!! ……って何を突拍子もない物理学的考察をしてるんや、あたしは!! と、と、と、と、と、とにかく亀率ちゃんを旗布ちゃんからベリベリっと引っぺがす必要がある!! 一刻の猶予も許されへん!! ああああああああああ、このままでは過度の嫉妬心によって心筋梗塞と脳梗塞と般若顔が併発してしまう!! あたしはあまりのジェラシーに気がふれそうになりながら、

「キ、キ、キ、キ、キ、キミら、い、い、い、い、い、いかがわしい上に、もう寝てるやないか!! 今すぐ起きなさい!! 今すぐ目覚めなさい!! ……あっ、『目覚めなさい』っていうのは、『レズに目覚めなさい』っていう意味やないから、勘違いせんといてね!!」

 しかし二人はグーグーと泥のように眠ってる。……むぐぐううううう!! こ、こうなったら、あたしも二人と同じようにつまずいて、亀率ちゃんの上に重なるしか道はない!! 醜態をさらすしかない!! 趣味をさらけ出すしかない!! あたしは、きびすを返して教室の外に出た。そして再び教室の中へと足を踏み入れる。そしてあたしは拷問用オノにつまずき、フラフラと進んで行き、四メートルほど行ったところで、何もない床の上にバッタリと倒れた。

「どわああああああああああ!! あと三メートル足らへええええええええええん!! 倒れるのがあまりにも早すぎるうううううううううう!! 時期尚早おおおおおおおおおお!!」

 とあたしが叫ぶと、その甲高い声に目覚めた亀率ちゃんが振り向いて、

「……ムニャ? ……あれれれれ? なんでアケモチャンまで寝そべってんの?」

 そこであたしはコペルニクス的転回を図って、

「き、き、亀率ちゃん!! あ、あ、あたし、こうやって寝そべったままでいるから、是非もう一度教室に足を踏み入れ直して、拷問用オノにつまずき直して、フラフラと進んで行き直して、そして今度は旗布ちゃんではなく、このあたしの上に重なって!! そうしてくれんと、あたし、もう、うずく!!」

「え!? どういうこと!? アケモチャン、大丈夫!? なんかようわからんけど、緊急事態みたいやから、とりあえずやってみるわ!! せやから安心して!!」

 や、や、やったああああああああああ!! あたしは胸をときめかせながら、うっすらとホコリをかぶった床面に顔を伏せる。亀率ちゃんが引き返して教室の外に出たことが、足音と気配でわかる。そして再び拷問用オノにつまずく音。フラフラとこちらへ近づいて来る音。そして……。

「ほぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ!?」

 と、あたしは悲鳴を上げた。亀率ちゃんはあたしの背中をそのままドスドスと踏んづけて行ったのである。そして七メートルほど行ったところで、亀率ちゃんは倒れてる旗布ちゃんの上にバッタリと倒れて重なった。

「ご、ごめん、アケモチャン!! 大丈夫!? 勢い余ってこんなことに!!」

「大丈夫やで!! 気にせんといて、亀率ちゃん!! 亀率ちゃんのおみ足であたしの背中を踏んづけていただいて、あたしは……もう……多幸感フェスティバル!! つ、ついでに、亀率ちゃんのおみ足の香ばしいニオイも堪能させていただけませんかね!! もしくは上履きの馥郁たるニオイを!! いつも下駄箱周辺には誰かしら生徒がいるから、全っ然嗅がれへんねん!! そしてその上履きが吐き気をもよおすほどクサかったら、あたしは恍惚の表情を浮かべながらその上履きの中にゲロを吐きます!! そして是非ともそのホッカホカのゲロ入り上履きを亀率ちゃんに履いてほしいものです!! できれば素足でね!! あたしの吐瀉物に素足を浸す亀率ちゃんって……イメージしただけでも鼻血が虚空で弧を描きそう!! 履いていただけたらその次は脱いでいただいて、そのゲロまみれの素足をあたしがペロペロペロペロペロネロウェロネロウェロレロロロロと舌でお掃除してさしあげます!! あんぎゃああああああああああ!! なめさせてええええええええええ!!」

 あたしは大興奮し、ややもすれば変態扱いされそうなことをまくし立ててしもた。

「うぇ? なんか早口すぎてちゃんと聞き取られへんかった。でも大丈夫みたいでよかったあ」

 亀率ちゃんが安堵の表情を浮かべた。あたしも同じような表情を浮かべた。聞き取られへんかったようでホッとしたからね。って、いやいや、果たしてそれでよかったのか? 聞き取ってもらってたら、大願成就してたのではなかろうか!? なめさせてもらえてたのではなかろうか!? ……まあええわ。あたしは今、幸せの絶頂で余韻に浸ってるからね。

「なるほどねえ。エロ石さんって、ヤバい思考回路の持ち主やったんやねえ。その意外性と変態度のせいでアタシの耳がエクスタシーおよびアツアツやわ。ぐっふふふふふ……」

 ……んげっ!? 今の声は……!? 勢いよくバッと立ち上がって勢いよくサッと振り向くと、教室入り口のところにクラスメイトの女子が五人もいる!! しかもその内訳は、辺志切(へしきり)さん一名と吉川(よしかわ)さん一名と北山(きたやま)さん一名と蘭幕(らんまく)さん一名と夕下(ゆうした)さん一名という、なんともアレなメンバー!! で、今あたしをこともあろうにエロ石呼ばわりした無礼者は、口もとのゆるんだ辺志切さん。しかし、よりによってこんな面倒臭いメンバーにあんな変態臭いセリフを聞かれてしまうとは!! それともこういうときは、耳に入れた人が和江ちゃんと違ごてよかったよかったメデタシメデタシ……とポジティブシンキングを発揮すべきか!? あたしは冷や汗をかきながら、

「へ、辺志切さん!! こ、こんなところになんの用!? ここ、無断利用禁止の空き教室やで!? い、いや、あたしも無断でここにいる以上、人のこと言う資格ないかも知れへんけどさ!! 何しにここへ来たん!? 空き教室荒らし!? 空き教室リフォーム!? 空き教室評論!?」

「その答えは、藤橋先生がすれ違いざまにアタシのおデコに貼りつけて行ったこの書類を見たらわかる。あくまで木工用ボンドで貼りつけられただけで、画びょうで刺されたワケやないから、そこは安心して。ほれ、この書類」

 辺志切さんがおもむろにA四プリントを取り出し、あたしに手渡してきた。プリントにはこんな文章が綴られてる。

「本日より空き教室掃除を生徒当番制としますので、ダダをこねずに泣きじゃくらずに現実を直視してください。詳しくは明日の朝、掲示板もしくは辺志切さんのおデコに貼り出します。特に今気になって気になって気になって気になってしゃあないのは、五階東端の空き教室の汚れっぷりです。潔癖症の先生にとっては汚物すぎて不快すぎてキモくてキモくて吐き気がして悪寒がして頭痛がして筋肉痛がして死にそうなレベルであり、個人的に発狂二秒前です。ウゲエエエエエってなります。ミョゲエエエエエってなります。そこで先生がクジ引きでまず全クラスの中から二年三組を選び、さらにそこからクジ引きで選んだ以下の五名の、目に入れても痛くないほど愛らしい生徒を、本日の空き汚物教室掃除当番に任命します。隅々までキレイにすること。サボる生徒は本校の恥であり日本の恥であり国賊であり売国奴なので肝に銘じておくように。 <本日の空きウンコ教室掃除当番> 辺志切利帆(りほ)、吉川溶煮(とけに)、北山抜檜(ぬきひ)、蘭幕家雨(いえう)、夕下津感(つかん) 以上 政経担当藤橋鳴世 十四歳」

 ふむ、なるほど。今日からこの空き教室も生徒当番制掃除の対象というワケか。サボったら一瞬で売国奴になるワケか。しかしひいき目に見ても、十四歳ってのはちょっと自信過剰すぎるわ。辺志切さんが再び口を開いて、

「それにしてもエロ石さんって、ヤバい思考回路の持ち主やったんやねえ。その意外性と変態度のせいでアタシの耳がエクスタシーおよびアツアツやわ。ぐっふふふふふ……」

 辺志切さんは大興奮のせいでついさっき言うたことが記憶から飛んでるのか、一字一句同じことを繰り返した。この辺志切さん、校内で一番エロに関心と造詣が深い人物。すなわちうちの学校の男子生徒よりもはるかにエロエロな女子。すなわちうちの学校の男性教師よりもはるかに好色な女子。すなわちうちの学校の男性体育教師よりもはるかに変態な女子。これはマズい。辺志切さんに趣味嗜好から敏感な部位まで根掘り葉掘り聞き取り調査されそうな予感!! パワフルに弁解せなあかん!!

「辺志切さん、あのさ、と、とりあえずさ、あたしの多幸感フェなんとかかんとか云々っていう発言に関しては、ど、ど、どうかご内密にって言うか、えっと、いや、あの……!!」

 チラリと背後に視線を移すと、亀率ちゃんはサッパリ事情が飲み込めてまっちぇーんっていう感じのキュートな顔で首をかしげながら突っ立ってる。そのかたわらで旗布ちゃんは、ガオガオパオーンと大イビキをかきまくりながら眠りこけてる。依然として口もとがゆるんだままの辺志切さんは、

「ぶへへへ、ぬふふふ、ぎょひぇひぇひぇ。んぴょぴょぴょぴょ、にゅおっぺぺぺぺ。恥ずかしがらんでもええやん。趣味を隠さんでもええやん。殻に閉じこもらんでもええやん。国辱的行為やと猛省せんでもええやん。同じエロエロガール同士、永遠の友情を誓い合って校歌斉唱しようよ。今回のことをまとめると、つまりエロ石さんはドM日本人女子高生という、ジャパニーズエロの金字塔とも言える拍手喝采されるべきアーティスティックな人材であり、その上ときめきやエロさを感じる対象が異性ではなく……」

「ちゃ、ちゃ、ちゃ、ちゃうねん!! ドMな気持ちになるのは、相手が亀率ちゃんや仙誉さんのときだけで、背蟻離ちゃんや和江ちゃんに対しては、むしろドSな感情のほうが……って、わわわわわ、あたし何言うてんねやろ!?」

 ひゅんぎゃあああああ!! 辺志切さんの手で根や葉を掘られる前に、あたし自らの手で墓穴を掘ってしもたかも!? 辺志切さんの顔がますますニヤニヤしていく。そこへ、お昼の校内放送担当者であるカリスマ放送委員長の吉川さんがいつもながらのハイテンションかつハイスピードな口調で、

「ありゃまあ、ありゃまあ、ありゃまあまあ、ビックリ仰天、ありゃまあまあ。ありゃありゃまあまあまあああああああああああ。意外や意外、衝撃の真実。古路石ちゃんって変態ちゃんやったんやあ。それはそれはそおおおおおれはそれは、それはそれはそれはそれは、それはそれはそおおおおおおおおおおれはそれは、ぜええええええええええったいのぜええええええええええったいに、この吉川委員長がお昼の校内放送でフィーチャーせなあかんなあ。まあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあ、古路石ちゃん。うろたえる必要はまあああああったくあらへんで。そして訴える必要もまあああああったくあらへんで。吉川委員長が銀河系史上最高の美談に仕立て上げて、この鍛え抜かれた巧みな話術で大紹介してあげるから!」

 吉川さんは悪気はないみたいやけど、見境なく校内放送しようとするから始末に負われへん。先々週はこともあろうに自らの幽体離脱を実況してたからなあ。そもそも幽体離脱に成功したのがすごいわ。あと先週も自分の父親をゲストに呼んで、その睡眠時無呼吸症候群のお父さんのイビキを大音量で放送したりしてたからなあ。昨日は昨日で羽竜様を特別講師として迎えて、ハリー・ノーム・シーロ星語会話教室入門編をやってたっけ。で、今日はハリー・ノーム・シーロ星の多種多様な音声を流してたっけ。ハリー・ノーム・シーロ星の花見客のどんちゃん騒ぎの音声とか。ハリー・ノーム・シーロ星の大相撲興行の音声とか。ハリー・ハリー・ノーム・シーロ星の領土問題糾弾デモのシュプレヒコールの音声とか。ハリー・ノーム・シーロ星の能狂言の音声とか。ハリー・ノーム・シーロ星のAVの音声とか。

「いやいや吉川さん、あたしのことなんか大紹介する必要ないから!! 汚い話をキレイに話すテクニックとかそういうこと以前に、校内放送であたしのアレなことを話すとかホンマにやめて!! あたしが村八分にされたりビッチのレッテルを貼られたりする原因になるからやめて!! ……あっ、いや、汚い話って言うか、別に全然汚くないけどさ!! むしろ亀率ちゃんとあたしの間には、それはそれはビューティフルなフレンドシップがあるからね!!」

 そこへ、四六時中口の中で何らかの正体不明のモノをクニュチャクニュチャクニュチャクニュチャ言わせてる軽薄ギャルの北山さんが、

「クニュチャクニュチャ。んんん? 今、何が起きてんのん? なあ、みんな、教えて。何が起きてんのん? ヌキヒにも教えて。クニュチャクニュチャクニュチャクニュチャ。てゆーか、なんかようわからんけども、コロ石さんがスーパーエロエロクイーンやったっちゅう結論でオッケー? クニュチャクニュチャクニュチャクニュチャ。うっわわー、それって、なんちゅーか、うっわわー、なんちゅーか、カッコエエやーん。クニュチャクニュチャ。てゆーかさー、なんちゅーか、コロ石さんってさー、いっかにもマッジメそうなカンジやん? どっからどう見ても、スーパークッソマジメってカンジやん? いや、そこまではいかへんかな。でもでも、フツーにマジメな人ってカンジやん? でも、ホンマはエロエロなんやろ? クニュチャクニュチャクニュチャクニュチャ。そのギャップがなかなかナイスやん? ゲラゲラゲラ。クニュチャクニュチャゲラゲラゲラクニュチャクニュチャゲラゲラクニュチャ。クニュチャゲラクニュチャゲラゲラ、クニュチャゲラクニュチャゲラ」

 北山さんは自他ともに認める軽薄女。この子は軽薄な上にお喋りやし、こっちがマッジメな顔で内密にとか言うても、ものの二秒で口滑らしそうやからなあ……。ちなみに口の中でクニュチャクニュチャ言わせてるものの正体は、いまだに解明されてへん。これは現代哲学最大の謎で、その不可解な物体は哲学界で「クニュチャス」と呼ばれている。ギリシャ哲学で論じるとすれば、プラトンのイデア論において用いられる洞窟の比喩にならうのがふさわしいと思われる。たとえばその比喩における、洞窟内で縛られて内壁を眺めている人々のように、小人化した背蟻離ちゃんが北山さんの口の中に入って、緊縛された状態で北山さんののどちんこを眺めてると、そこにクニュチャスの影が映って……って、き、き、き、緊縛された背蟻離ちゃん!? しかものどちんこを凝視!? い、いやいや、いやいやいや、落ち着こう。ここはやっぱりギリシャ哲学よりもドイツ観念論で説明することにしよう。純粋理性が持つ二律背反の例として、カント哲学で論じられたもの以外に次のようなものが挙げられる。クニュチャスはチューインガムであるというテーゼと、クニュチャスはアルミホイルであるというアンチテーゼ。だ、誰でもええから、あ、あたしの全身を、ア、アルミホイルで包んでほしい!! い、いやいや、いやいやいや、落ち着こう。あたし、ホンマに見境がなくなりつつあるな。ここはやっぱり、ジョン・ロックの経験論で……しかし、あたしはいろいろと未経験やし……ってなんの経験!? ほなやっぱりニーチェ哲学で……ニ、ニチャニチャ!? いや、いやいや、いやいやいや、もう哲学はやめよう。でも今の哲学的考察を論文化したらあたしも評価されるかも。ソーカル事件みたいに。あたしは北山さんに対して諭すような口調で、

「あのね、ええかな? き、北山さん、聞いてね。あたしはスーパーエロくないからね!! あたしはスーパー普通やからね!! 和訳すれば、超普通!! 超平凡!! 超凡人!! 超わかった!? 超誤解したらあかんからね!! 超人にも言うたらあかんからね!! あっ、今のはね、『チョージンにも言うたらあかんからね!!』やなくて、『チョーヒトにも言うたらあかんからね!!』やから、お間違えなきよう!! ニーチェ哲学における超人はなんら関係ないからね!!」

 すると、口数が少なく喜怒哀楽もなく影も足音もないことで知られる蘭幕さんが能面のような顔で、

「古路石君、ドエロなのは、健康体である証拠。胸を張るべき。健康な胸を」

 蘭幕さんって、他人の心を見透かしてるんやないかと思うことが多いから、ちょっと恐ろしいねんなあ……。読心術でも心得てるのかな。あたしは苦笑いしながら、

「ら、蘭幕さん、それってどんな自己評価の仕方? いや、そもそも、あたしドエロやないから!!」

「繰り返す。ドエロなのは、健康体である証拠。胸を張るべき。健康な胸を。おそらく古路石君は、MやSやレズや露出狂や便器なめ回しのみならず、よりハイレベルでハイリスクでマイノリティーでマイウェーな嗜好を数多く抱えていると推測される。引き出しが多いのは、ワンダフルなこと。蘭幕もそのハイレベルさにあやかりたいと思う」

「か、数多く!? な、なんでわかったん!? って、いやいや、前言撤回!! な、なんでそんなふうに推測するワケ!? な、何が根拠なワケ!? って、いやいや、その前に、ちょっと待って!! ろ、露出狂や便器なめ回しなんて誰も言うてへんやろ!? その二つ、どっから出て来たん!? 何勝手に人の変態趣味を捏造してんの!?」

 数多く抱えてることに関しては図星なのであたしがしどろもどろになってると、ふんわりした雰囲気で人を癒してくれる夕下さんが、

「みんな、一体全体なんの話? レズって何なん? エムって何なん? エスって何なん?」

 夕下さんは一切の汚れを知らぬ、学校一貴重な女の子。こんな沖ノ鳥島の護岸工事並みに保護すべき稀少清純乙女に、あたしの汚れまくった趣味に関する知識を与えるワケにはいかへん!! この子は、いつまでもいつまでも、未来永劫清純であるべきや!! ……って、あたし、自分が汚れまくってることを認めてしもたやないか!! あたしは心を落ち着かせながら、

「清純な夕下さん!! 気にせんといて!! レズは冷凍ズワイガニの略やから!! Mは名刀タラバガニの略やから!! Sは聖剣エクスヤドカリバーの略やから!! タラバガニは生物学的にはカニの一種やなくて、ヤドカリの一種やから!!」

 しくじった。名刀タラバガニなんていうダサい名刀をでっち上げるくらいやったら、Mは村正の略って言うべきやった。Sは左文字の略って言うべきやった。ああ、それにしても、今日は宇宙一サイアクや。まさかこの五人にバレてしまうとは!! あたし古路石亜景藻の正体がエロ石ケモノやという真実が、こともあろうにこの五人にバレてしまうとは!! 変態女と校内放送狂とクニュチャゲラ星人と見透かし屋と沖の鳥ピュア子さんにバレてしまうとは!! みんな決して悪い人ではないんやけどなあ……。むしろこの五人はこの殺伐とした現代社会において、女神と崇めてもええくらいのええ子やで。辺志切さんは普段から発言がきわどかったり仕草がエロかったりするけど、ただ単にエロフレンドが欲しいだけの善良な市民やし。吉川さんはちょっと無鉄砲な一面があるけど、全校生徒が心から楽しめる校内放送を目指そうっていう思いで孤軍奮闘してる努力家やし。北山さんは軽薄でクニュチャクニュチャやけど、体調を崩した背蟻離ちゃんを真っ先に介抱したりと心優しいところがあるし。蘭幕さんはいつでもポーカーフェースで感情を表に出さへん人やけど、人の長所を探して褒めるのが上手いし。夕下さんは一人では府外にお出かけでけへんレベルの世間知らずやけど、ドアホな翔阿のかわりにあたしの妹を演じてほしいほど清純かつ小動物のように可愛いし。

 ……って、あれ? みんなよう考えたらメッチャ可愛い性格やん。そして、よう見たら見た目も可愛い。可愛い、可愛い、可愛いいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!! ……ハッ!! あかんあかん、理性を失ったらあかん。そのあとあたしは、どうにかこうにかみんなを説得して、今日のことはナイショにしといてもらえるということになった。大丈夫かなあ……。


 現在、あたし、亀率ちゃん、和江ちゃん、旗布ちゃんの四人で、家路についてるところ。唐突に和江ちゃんが、

「実はわたし、青春を謳歌しながら人体実験したい気分やねん。そんなワケでみんな、腹をくくって被験者になってくれへん? あっ、旗布さんと亀率さんに関しては、残念ながら拒否権はないから。否が応でもなってもらうから、心の準備しといてね。これは昭和から決まってたことやからね。風紀委員の公式見解としては、旗布さんは先週の階段踊り場荒らしの罰として被験者になってもらうことになってる。もちろんそれはたてまえで、本音はわたしの青春謳歌のため。亀率さんについては、まあ……リスキーな人体実験の被験者になるためだけに生まれてきたようなもんやからね。いや、特異体質の亀率さんが人体実験のデータ収集にうってつけのはずがないか。正しくは、『平瀬和江の青春謳歌のためだけに生まれてきたようなもん』やね。あと現代医療におけるインフォームドコンセントとかいう言葉は、わたしの辞書にはないし、電気イス用コンセントしか載ってへんからあしからず。亜景藻さんも二つ返事で協力してくれたら助かる。不承不承協力してくれても助かる。ブーたれながら協力してくれても助かる。不承不承ブーたれながら協力してくれても助かる。部長副部長とブータン人が協力してくれても助かる。いや、亜景藻さんが協力してくれたら、助かるとかそんなレベルを通り越して、願ったり叶ったり。平均的な体型と良好な健康状態を持った常識人やからね。名実ともに常識人やろ? それとも鳴かず飛ばずの常識人?」

 そして和江ちゃんがあたしたちの目の前で「これが実験道具」と言いながら取り出したのは、デジタル腕時計……のような見た目だが、デジタル腕時計ではない何か。デジタル式ではあるけど、その表示は現在時刻ではなく、「0000000000年000日前」という不可解なものとなっている。あたしは手を伸ばして、首をかしげながらその不可解なシロモノを受け取り、立ち止まった。他の三人も立ち止まった。あたしは一級時計修理技能士になった気分でその腕時計もどきの各部をつぶさに観察し、それがなんの装置かと頭をひねってみたが、皆目見当がつかず、

「何なん、これ? 時計ではないようやけど? 人体実験って、何すんの? この『0000000000年000日前』っていう表示の意味は?」

「これはやね、とあるアヤシイ通信販売で買うたんやけど、腕にはめてリュウズを回して、数字をたとえば五年前に合わせてボタンを押すと、五年前の状態に若返ることができる若返り装置。ただし説明書によると、効き目は一時間で切れるらしい」

 亀率ちゃんは怪訝そうな表情をするどころか、舌を巻いたような表情になり、

「すごい商品やね! すごいアンチエイジングやね!」

 この子は疑うことを知らんのかい。こんなもん、信憑性皆無やろ。あたしは和江ちゃんを睨み、

「そんなアホな。その説明書、真っ赤なウソやろ」

 するとあたしの横から、

「はたふがやってみたいでーす! 五年若返ってみたいでーす! うるう年も含むから正確には五年と一日って言うたほうがええかも知れませんねー! あけも先輩、それはたふに貸してくださーい!」

 旗布ちゃんはあたしから若返り装置を奪い取り、すぐさま腕にはめてすぐさまリュウズを回し、すぐさまボタンを押した。あたしはその無謀さに愕然とし、

「そんな命知らずな人間は、そのうち健康食品の安全神話を過信して身を滅ぼすよ! 『ニキビが完治するピーナッツ』とか『血糖値が下がるブドウ糖』とか『ガンを予防する抗ガン剤』とかに騙されるよ!」

 和江ちゃんが早口で、

「丁寧に扱ってや。壊したら弁償してもらうで。旗布さん、ものの二秒で壊しそうやし怖いわ」

「人聞きの悪いこと言わんといてくださいよー! 聞いたら誰もがはたふにスパコンを貸したくなくなるようなことを言わんといてくださいよー!」

「そうは言うても、旗布さんは体育館消したり民家全壊させたりと、前科があるからなあ」

「民家ははたふのせいやないですよー!」

「原因つくったのは旗布さんやん」

 ……しかし、数十秒経過したが、なんも起きへんな。和江ちゃんは怪訝そうに、

「あれ? おかしいな。何も起きへん。詐欺かな? ちょっと装置を見せて……って、旗布さん! これ、表示が五年前やなくて五日前になってるで!」

「ホンマですかー! どうりで若返らへんはずですねー! 五日くらいで人は変わりませんもんねー! ローマは一日にしてならずー! 一尾里もイチビリにしてナマズ……うっ、うぷっ、うっぷぷぷぷぷっ……!!」

 旗布ちゃんがなんか変になってるので、亀率ちゃんは旗布ちゃんの顔を覗き込み、

「どうかしたん? 大丈夫? 大丈夫?」

 あたしも一応覗き込み、

「旗布ちゃん、具合でも悪いん?」

「……うぷぷっ、うぷっ、うぷぷっ、うぷっ、うぷぷふぁっ、ぷふぇふぁっ、ぷふぇふぇっ、ぷふぁふぁっ、ぷふぁふぇっ、ぷほっ、ぷふぁっふぇんほっ、ぷふぁっふぇんほうふぇっ、プファッフェンホーフェンはドイツ南部の町、うっ、うっ、うげっ、うげろっ……うげろげろげろげろげろゲロゲロゲロゲロゲロロロロロロロロロロオオオオオオオオオオッ!!」

 旗布ちゃんは直立不動で真正面を見据えたまま、ド派手に吐いた。たちまち地面と旗布ちゃんの制服が吐瀉物で汚れる。あたしはビックリして、

「ふにゃああああああああああっ!?」


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コメディー小説『アッケラカンサッパリカン』


第三十九話 都会道で 後編


 旗布ちゃんのド派手な嘔吐をまの当たりにして、あたしは目を丸くせざるを得なかったが、それと同時にときめいた。旗布ちゃんのゲロが、あまりにも美味しそうで。ミネストローネみたいで。ホカホカのご飯にかけて食べてみたい。どうにかしてアスファルト上から回収したい。しかしそれを実行すると、人としての何かを失う恐れがある。ここは断念すべきか。旗布ちゃんのオナラをホカホカのご飯にかけて食すくらいやったら、まだ世間的には許容範囲かな。

 亀率ちゃんはこの惨状に対してポロポロと涙を流しながら、

「ハタフチャン、どうしたん!? 苦しい!? 気分悪い!?」

「……うぷぷっ、うぷぷぷっ、うげぼっ、うぐげぼっ……。……えへへへー! ご心配おかけしましたー! もう健康体でーす! よくよく思い出してみれば、はたふは五日前の木曜日のこの時間帯は、学校のグラウンドで陸上部の短距離タイム測定場所にグルグルグルグルとコマのように大回転しながら乱入して、大回転しすぎて挙げ句の果てに大嘔吐してましたー!」

 あたしは仰天し、

「吐き気まで再現されるん!?」

 ほな、亀率ちゃんの大嘔吐を大再現することも大可能ということ!? いつでもどこでもどんな天気の日でも、亀率ちゃんの吐瀉物シャワーをあたしの頭のてっぺんから足のつま先まで浴びまくることが大可能ということ!? ……だ、大興奮してきた!! 女子更衣室で亀率ちゃんが真横で着替えるときはそのたびに大赤面で心臓破裂寸前で腎臓歪曲寸前で膵臓融解寸前やけど、それよりもっと大興奮してきた!! ……いや、肺破裂寸前になるほど深呼吸して落ち着こう。なんぼなんでも嗜好がマイノリティーすぎるわ。冷静に……冷静沈着に……。

 和江ちゃんは腕を組み、アスファルト上の吐瀉物と旗布ちゃんとを見比べ、何やら想いを巡らしてるみたい。実験結果の分析かな。亀率ちゃんは胸を撫で下ろしてる様子で、

「大丈夫みたいでよかったあ。救急車を呼ぶレベルの急病かと思た。救急車を大声で呼ぶレベルの重病かと思た。救急車をのろしで呼ぶレベルの奇病かと思た」

 そして亀率ちゃんは旗布ちゃんのほうに腕を伸ばし、「ちょっと貸して」と若返り装置を受け取ると、

「ほんなら第二実験台として、うちが五日前になってみるから、みんなは手に汗握って見守っててね」

 あたしはナーバスになってるのか胸騒ぎを覚え、

「やめといたほうがええよ。誤作動して老化したり鼻毛が破裂したり全身のミトコンドリアがシロナガスクジラになったりするかも知れへんし」

「心配してくれてありがとう。でもアケモチャン、ノープロブレムやで。心配ご無用」

「確かに亀率ちゃんやったらノープロブレムかも知れへんけど……」

 旗布ちゃんがはやし立てるような口調で、

「二番手はホモ・サピエンスのサンプルとして相応しくなさそうなきりつ先輩ですかー! ヒューヒューヒュー! ヒューヒューヒューヒュー! フューチャーの発音ってヒューチャーとあんまり変わらへんような気がしまーす!」

 亀率ちゃんはおもむろに若返り装置を左腕にはめてリュウズを回し、ボタンを押した。

「ぬわわっ。すごい!」

 と、亀率ちゃん。

「うひゃわー! グレートですねー!」

 と、旗布ちゃん。あたしも思わず瞠目。亀率ちゃんはいつの間にかジャージ姿になってる。しかもその亀率ちゃんの両手には、かなり値が張りそうな常滑焼の壺が現れてる。亀率ちゃんはハッとして、

「思い出した。うち、五日前のこの時間はジャージ姿で校舎のエントランスを掃除してたんやった。掃除当番の日やったからね。そのとき確かにこんな感じの壺を掃除のために移動させたりしてた。で、手が滑って割ってしもてん。掃除を見回ってた藤橋先生に大目玉を食うたわ」

 あたしは衝撃を受け、

「ええっ!? ほんならその装置で服装が変わっただけやなくて、オシャカになったはずの壺が甦ったわけ? まるで不死鳥のように? もしくはまるでフジツボ……いや、不死壺のように?」

 亀率ちゃんはうなずき、

「そのようやね。今は四時十五分ごろやろ? 確かにこのくらいの時間に壺を動かしてたわ。で、割ってしもた時間は四時三十五分ごろやったからね」

 和江ちゃんが補足説明として、

「ちなみに効き目が切れたら服装はもとに戻るし、壺も消滅するのであしからず」

 亀率ちゃんはそれを聞いて残念がった。甦った壺が割れた壺の弁償がわりになると思てたんやろな。

 少しの間を置いて、いきなり和江ちゃんは亀率ちゃんの手にしてる壺をバイオレンスな感じで奪い取り、それを目の肥えた骨董品店主のように鋭い眼光でウォッチングし、何やら独り言をつぶやいてる。……ハッ!! これって、セットした時刻に、もし亀率ちゃんがお風呂に入ってたとしたら、ど、どうなる……!? 今のようなジャージ姿ではなく、それはそれはあられもない姿の亀率ちゃんがあたしの目の前にグヒョヒョヒョエヘエヘグヒョヒョンヒョ!! こ、これは期待するしか……!! そこへ旗布ちゃんがハイテンションな声で、

「そのハイテクマシン、もっぺんはたふに貸してくださーい! プリーズレンタルー!」

 好奇心旺盛な旗布ちゃんは再び若返り装置を腕にはめ、リュウズを回し、ボタンを押し、ニッコリと笑った。

「十日前にセットしてみましたー! 十日前のこの時間、地下街のカレー専門店『甘口はスイーツ並み』でハンバーグカレーに舌鼓を打ってたんですよー! 美味しかったからまた食べたいなーと思いましてー!」

 すると旗布ちゃんの制服が普段着に変化し、旗布ちゃんの右手には金属製スプーン、左手にはカレーライスが出現した。亀率ちゃんは満面に笑みを浮かべ、

「素晴らしい! すぱいしい! スパイシー! 右足にはお冷や、左足には福神漬けが現れたらパーフェクトやったのに! 右脳にはラッキョウ、左脳にはペーパーナプキンまで現れたら、もうパラダイス! いたれりつくせり! 高級官僚の晩餐と言うても過言ではない!!」

 ところが旗布ちゃんは眉間にシワを寄せて、

「あららららららー!? このカレー、あろうことかハンバーグカレーちゃうみたいですよー! ホラホラ、見てくださーい! これはれっきとしたコロッケカレーですー!」

 あたしはカレーライスを覗き込んでみた。和江ちゃんも壺を地面にポイ捨てして(割れた)、同じように覗き込む。亀率ちゃんもあたしたちにならう。うん、よう見たら、それは確かにハンバーグではなく、コロッケ。すると和江ちゃんは学生カバンから小冊子を取り出し、それをピラリンコとめくり、

「この説明書によると、『多少の誤差が生じることがあります』……とのこと」

 あたしも亀率ちゃんも和江ちゃんも、「ハンバーグとコロッケって全然ちゃうやん。ハンバーグは巨大ワラジムシのかわりになるけど、コロッケはならへんやん」っていう感じの目つきをした。ハンバーグとコロッケ。これは女子更衣室と無間地獄くらいの差があると思う。その認識については旗布ちゃんも例外ではなかったようで、

「えー! ハンバーグとコロッケって、全然ちゃうやないですかー! バンクーバーに着いたと思たのにコロラドやったりしたら、怒るやないですかー! でも食べまーす! ハンバーグは主にバグバグと食べ、コロッケは主に口の中でコロコロと転がすべきでーす! それはそうと福井県民を漬けものにしたら福井人漬けですかー!? 福岡県民はとんこつラーメン漬けですかー!? 福島県民はギョーザ漬けですかー!? ……あれれれれー!?」

 旗布ちゃんがコロッケをほおばりながら首をかしげた。そしてかじって半分になったコロッケを凝視して、

「なんちゅう悲劇ー!! こ、ころもの中に、ジャガイモやなくて、ハンバーグが入ってるー!!」

 今度はあたしも亀率ちゃんも和江ちゃんも、「それやったら誤差の範囲やな」っていう感じの目つきをした。「これはバナナの皮をむいたら中にバナナケースが入ってたようなもんやな」っていう感じの目つきをした。「ハンバーグところもつきハンバーグの違いは、せいぜいハンバーグと半バンジーくらいの違いやな」っていう感じの目つきをした。ちなみに半バンジーとは、百メートルの高さから飛び降りて、最初の五十メートルはヒモありで落ちていくけど、そこでヒモが切れて残りの五十メートルはヒモなしで落ちていくバンジージャンプ。和食の違いで言えば、うな重とうな丼の違いも誤差の範囲やと思う。あえてうな重とうな丼の明らかな違いを挙げるとすれば、重箱のスミをつつくほどクソ真面目な人が食べるのがうな重で、四角な座敷を丸く掃くほど不真面目な人が食べるのがうな丼。木の葉丼とハイカラ丼の違いも……いや、これは誤差の範囲には収まらへんか。ヒラメとオヒョウの違いも誤差の範囲には収まらへんな。回転寿司屋のエンガワはヒラメではなく、オヒョウっていう二メートル級の巨大魚のエンガワが使われてるらしい。いわゆる代用魚やな。代用魚と言えば、タイとテラピアの違いも誤差の範囲には収まらへんわ。最近はあんまりないけど、あろうことかテラピアがタイの代用魚として出回ってた時期がある。タイとテラピアの違いなんて、誤差を通り越して月とスッポンやないか! 以前身をもって体験したように月の裏側はクサいし、スッポンという音とともに放たれるオナラもクサいやろけどね。でもオナラが放たれるときにスッポンなんて音するかな? 肛門に押し込んだコナラの実が放たれるときやったら、かろうじてするかも知れへんけどね。えーと……あと考察すべきことは……ナイルワニに食い殺されるのとイリエワニに食い殺されるのとでは、どっちのほうが痛いかな? 誤差の範囲かな? 九十三度の熱湯をかけられるより九十四度の熱湯をかけられるほうが、よりヒドいヤケドを負うかな? より熱いかな? 大阪府の下敷きになる事故と、奈良県の下敷きになる事故ではどっちが痛いかな? 大阪府の裏側には不法投棄された大量の使用済みつまようじがあるかも知れへんから、痛いかもな。奈良県は奈良県で東西南北に海がないから、下敷きになったら逃げ場所がなくて最悪やな。大阪やったら大阪湾に逃げられる可能性があるけど。太平洋で溺死するのと大西洋で溺死するのとでは、どっちが苦しいかな? 汚染がヒドい地中海で溺れるのは苦しいやろな。さて、考察はここまでにしよう。和江ちゃんはボールペンを手にして、

「この『多少の誤差が生じることがあります』っていう部分、書き換えとくわ。『いかなる誤差が生じることもないから心配すんなマジ』に書き換えとく」

 あたしは呆れ顔で、

「書き換えて反映されるワケないでしょ!? それが通用するんやったら、あたしも冷蔵庫か何かの取扱説明書のタイトルを『妄想成就マシン取扱説明書』に書き換えるよ!? 『同性愛対応』って書くよ!?」

 次に亀率ちゃんが七年前でやってみることになった。そして……十歳の亀率ちゃんと化した!! いかにも子供っぽい服装。そして……可愛い!!

「ぬひゃああああああああああ!! 可愛いいいいいいいいいい!!」

「え? そう? ありがとう、アケモチャン」

 あたし、大興奮および大感動!! 抱きつきたい!! ……いっつも我慢してるけど、今日はもはや……衝動を……抑え切られへん!! ……あれ? よう考えたら、あたし女やから、亀率ちゃんに抱きつくのはまったく問題ないのでは!? 女同士のハグなんて挨拶みたいなもんやん!! あたしが今まで意識しすぎてたんや!! ほ、ほな、抱きつこ!!

「抱かせてええええええええええ!!」

 しかし亀率ちゃんに飛びついたあたしは、なぜかボヨーンと弾き飛ばされた。

「アケモチャン、大丈夫!? ごめん!! 当時は弾力性が強かったの忘れてた!! 大丈夫!?」

 亀率ちゃんが助け起こそうとしてくれるが、あたしは自分でサッと起き上がり、そして……ギュっと亀率ちゃんを抱きしめた。……すごい!! ふわふわ!! あたしは全身に亀率ちゃんを感じ、もう狂いそうになった。

「びんびゃああああああああああ!! うんべりゃああああああああああ!!」

「抱きしめてくれるのはええけど、アケモチャン、どうしたん!? 大丈夫!?」

「だいじょうぶんびゃああああああああああ!!」

 あたしが亀率ちゃんを堪能したあと、旗布ちゃんが十年前でやってみることになった。ちなみに和江ちゃんはずっとあたしらの様子をウォッチングしてる。そして、旗布ちゃんが……七歳の旗布ちゃんと化した。その手には、なぜか汚物まみれのトイレブラシが握られている。しかもちょうど十年前はそれで素振りをしてる最中やったらしく、勢い余って手から離れたそれが、汚物を撒き散らしながらあたしのほうに向かって飛んで来た!!

「ぎゃああああああああああ!?」

 あたしは間一髪のところでそれをよけた。

「危ないなあ、もう!! なんでそんなもんで素振りしてんの!?」

「排泄前の準備運動としてやってた記憶がある」

「そっか」

 そのあと亀率ちゃんと旗布ちゃんが、数十日単位で何回か実験した。旗布ちゃんは以前患ってた痔が再現されたけど、多少の誤差が生じたせいで、切れ痔のはずがイボ痔になってた。亀率ちゃんは以前患ってた角膜炎が再現されたけど、多少の誤差が生じたせいで、アメーバ角膜炎のはずがクリオネ角膜炎になってた。他にも旗布ちゃんの手に現れたラムネのビー玉がヒョーロク玉になってたり、亀率ちゃんの寝癖が前衛芸術かと疑われる形になってたりした。

 そこへ、学校での業務を終えて下校中の綾ちゃんが通りかかったので、和江ちゃんが呼び止めて、

「綾さん、ちょっとええかな? 綾さんって今、およそ八億歳やろ?」

「せやでー。げんじてんでのせーぞんじかんは、はちおくねんとさんびょー。これだけながいきしてると、このよにそんざいするすべてのびょうきにかかったことがあるよー。ちなみにぜんぶかんちしたよー」

「そんなんどうでもええねん。この装置がカクカクシカジカバグバグコロコロやねんけど、数千万年前くらいで実験してみてくれへんかな?」

「おーけーおーけー。ほんならろくせんごひゃくまんねんまえでやってみるねー。ぜろからむりょうたいすうまでのすうじのなかで、ろくせんごひゃくまんがいちばんすきやからー」

 綾ちゃんが装置を受け取って数字をセットすると……綾ちゃんの両手に直径三十センチメートルほどの隕石らしきものが現れた。

「これなつかしいなー。これはきょーりゅーのぜつめつのげんいんになったいんせきやねー。しっかりとあやちゃんがうけとめたけど、そのあとふざけてめんこみたいにじめんにたたきつけたらすんごいことになって、けっかてきにきょーりゅーみんなしんでしもたー」

 あたしはおったまげて、

「K-T境界のこと!? ってことは、ユカタン半島に巨大クレーターをつくったあの隕石がそれ!? どこから来た隕石か知らんけど!! 多分、銀河系太陽系小惑星帯西入ル……あたりからかな!? でも、あの隕石ってそんなにちっさいの!? 三十センチくらいしかあらへんけど!!」

「こんなにちっさいけど、ふざけてめんこみたいにじめんにたたきつけたときはいきおいあまってしもたから、きょーりゅーはしんでしもたー」

 すると旗布ちゃんは興味津々たる様子で、

「どんなふうにたたきつけたんか教えてー! 実演してみてー!」

「ほなやってみるねー」

 その綾ちゃんの言葉にあたしは慌てふためき、

「やったらあかん!! また恐竜が絶滅するやろ!!」

「だいじょーぶやよー。げんだいにきょーりゅーはおらへんからー」

「あっ、そうか。ほんなら安心やね……って安心でけへん!! 今度は人類が絶滅するかも知れへんやろ!?」

「たしかにせやねー。ほんならやめとくねー」

 すると懲りずに旗布ちゃんが、

「ほなかわりにこのトイレブラシで素振りしてみてー」

「おーけーおーけー」

 綾ちゃんはトイレブラシを一振りした。強風で周囲の建物がどんどん倒壊していく。

「うわあああああ!!」

 あたしは絶叫し、強風で転倒し、凄まじい砂ボコリに包まれた。


 砂ボコリも治まったようで、あたしは目を開けて立ち上がったが、周りは廃墟だらけになっており、人は誰もいてへん。奇跡的にあたしは無傷で済んだみたい。

「亀率ちゃーん!! 旗布ちゃーん!! 和江ちゃーん!! みんなどこー!? 返事してー!!」

 すると向こうから、クラスメイトの保健委員長さんがこっちへ向かって歩いて来た。あたしはその子を見て、

「あっ、えーっと、保健委員長の佐野(さの)さんやったっけ?」

「うん。佐野薬夢(やくむ)。安心して。奇跡的にケガ人なしやから。一瞬にして、日本中のあらゆる建造物がなぎ倒されたけど、動物も植物もウィルスも人間も無傷やから」

「そっか。よかった」

 佐野さんは、さすが保健委員長だけあって、日本のどこで事故が起きても事故発生直後に事故原因や被害状況を細大漏らさず把握することができる。すると今度は、仙誉さんがこっちへ来た。しかし表情が暗い。あたしは心配になって、

「仙誉さん! 大丈夫?」

「ええ……古路石サンと佐野サンはどうですの?」

「あたしらも大丈夫! 日本中の全建物が倒壊したらしいけど、国民全員が無傷らしいで! ごめんな、綾ちゃんがトイレブラシで素振りしたせいでこんなことになってしもた」

「そうでしたの。でも皆さんがご無事でよかったですわ……。……ただアタクシの体は大丈夫でしたけれど、日本中の全建物が倒壊したということは、きっと父の会社が……大変ですわ……。古路石サンたちは、アタクシの父の会社がどういう業界かご存じで?」

「解体業やんね……」

 と、あたしが答える。

「そのとおりですわ。これはもう経営危機ですわ……」

 仙誉さんがうなだれる。あたしはなんとか励まそうとして、

「こ、この状態では日本の全企業が危機やと思うから、元気出して!!」


 あの大事故から約一週間。ハリー・ノーム・シーロ星政府の復興支援を受けて、日本の建物は三分ですべてもとどおりになった。ちなみに綾ちゃんは逮捕されるどころか、その解体技術を買われて仙誉さんのお父さんがやってるショギョームジョーコーポレーションの相談役に就任することになった。

 しばらく学校は休校やったけど、今日から授業再開。以下は朝礼での生徒会長と副会長の言葉。

「三年四組、生徒会長、戸巻露爪(とまきろづめ)です。わたしは今回、かけがえのない日本という国の大切さを改めて感じることができました。そして日本国とハリー・ノーム・シーロ星との深い絆に感銘を受け、涙を流しました。わざわいを転じて福となすという言葉のとおりに、わが国およびわが校はさらなる発展を目指して邁進していくべきであると強く思いました。心優しいハリー・ノーム・シーロ星の皆様、そしてこのような大事故にもめげないわが校の生徒の皆様、あなた方のおかげでわたしは今回人間の温かさおよび強さというものを実感しました。この場を借りてお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。以上です」

「二年三組、生徒会副会長、森門包阻(もりかどほうそ)です。今生徒会長が言うたことは、全部ウソです。以上です」


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コメディー小説『アッケラカンサッパリカン』


第四十話 遊園地で ~語り手は抜檜~


 アイアム抜檜。一人称はヌキヒ。今日はヌキヒの部屋に、リホちゃんが遊びに来てる。ちなみにヌキヒは今日も口の中で得体の知れないものをクニュチャクニュチャと噛んでる。

「クニュチャクニュチャ。なあなあ、リホちゃんリホちゃん。ヌキヒの中学校の卒業アルバム、見たいー? 生徒の各家庭で禁帯出に指定されてる卒業アルバム、見たいー? パパラッチ志望の生徒が自費出版したことで有名な卒業アルバム、見たいー? 表紙に焚書坑儒って書いてある卒業アルバム、見たいー? 『この秋マダニをはさんでつぶすのに使いたい本第一位』に選ばれた卒業アルバム、見たいー? どうどう? 見たいー? クニュチャクニュチャ」

「あっ、見る見る見る。観察する。視察する。検閲する。ところでそのアルバムって、十八禁?」

「クニュチャクニュチャ。何言うてんのーん。中学の卒業アルバムやねんから、一八禁のワケないやん。十五禁に決まってるやん。ゲラゲラゲラ。はい、これ、どーぞっ。汚さんといてね。変な液体とかで。なんちゅーか、なんちゅーか、やっぱり卒業アルバムはキレイなまま保っておきたいってカンジやん? クニュチャクニュチャ」

「確かに、できれば卒業アルバムの純潔を守り抜きたいわな。ほんならじっくり見させてもらうわ。隅から隅まで見させてもらうわ。横○ンを探させてもらうわ。ぶへへへ、ぬふふふ、おひゃひゃひゃ。……って、なんやの、これ。写真が全部、内視鏡画像やん」

「クニュチャクニュチャ。えっとえっと、えっとね、この胃ガンがミドリちゃんで、この大腸ポリープがユキヒト君で、この十二指腸潰瘍が……」

「なんでみんな何かしら患ってんの!? 病気の思い出しか詰まってへんアルバムなんて、イヤやろ!? 思い出がみんなの笑顔よりみんなの胃壁とか、イヤやろ!? 性病よりはマシやけど」

「クニュチャクニュチャ。てゆーか、確かにみんな不摂生で不健康やけど、なんちゅーか、なんちゅーか、風土病……いや、校風病みたいなもんかな? クニュチャクニュチャ」

「ヌキヒの写真はどれなん?」

「クニュチャクニュチャ。えっとね、えっとね……あっ、これこれっ。この胃がヌキヒ。このとき急性胃炎やってん。ゲラゲラゲラ。卒業写真撮影の数日前まで健康やったけど、なんとかギリギリで病気になってよかったわー。クニュチャクニュチャ」

「何それ!? 病気やないと撮ってもらわれへんの!?」

「クニュチャクニュチャ。うん。ナナエちゃんなんて、撮影前日まで健康体やったから、仕方なく担任の先生や卒業アルバム製作委員会から罵詈雑言を浴びせられまくって、無理矢理胃潰瘍にさせられたで。あれは可哀想やったわー。クニュチャクニュチャ」

「過酷な撮影やなあ。陵辱AVの撮影よりはマシやけど」

「はい、ほんなら卒業アルバムはそのへんにして、おやつにポテトチップスをどーぞっ。クニュチャクニュチャ」

「あっ、サンキューね。よっと……ムムム……この袋、なかなか開かへんなあ。鍵師か金庫破り常習犯かオープンカーの開発者でも呼んで来なあかんレベルやね」

 グ、グ、グ……パアアアアアアアアアアン!!

 リホちゃんが力ずくで開けたポテトチップスの袋の中身は、全部飛び出して、全部窓の外へ。

「あ、失敗した」

「クニュチャクニュチャ。てゆーか、リホちゃん、追うで!!」

「え、マジで?」


 外に出てみると、家の前の道路上に、ポテトチップスが一枚残らずキレイに重なっており、三十センチくらいの高さになってた。三十センチと言えば……ものでたとえるなら、三十センチ定規と同じくらいの長さ。

「クニュチャクニュチャ。うっわわー、ミラクルやなあ。すごいやーん。カッコエエやーん。なあなあ、リホちゃんリホちゃん。リホちゃんがエロ雑誌を買うときに上から数冊目を取るように、上から数枚目を食べたほうがええよ。クニュチャクニュチャ」

「いやこの場合は逆に、上に行けば行くほど地面から遠くて衛生的やろ。それ以前に、アタシ食べへんよ」

「クニュチャクニュチャ。てゆーかさー、リホちゃんリホちゃん。外に出たついでに、このまま遊園地行こ」


 一尾里町唯一の遊園地、「楼宮華(ろうきゅうか)ランド」に着いたが、相変わらず閑古鳥が鳴いてる様子。もう閑古鳥専門の野鳥園にでもしたほうがええかも?

「クニュチャクニュチャ。なあなあ、リホちゃんリホちゃん。あのメリーゴーラウンド、どこかがそこはかとなくおかしい気がする。クニュチャクニュチャ」

「うわっ、確かに、下がなぜかウンコだらけになっててヒドいありさまやね。利用者の幼稚園児とかが漏らしたんかな? あるいはウマをオマルに見間違えたんかな? あるいは利用者のカップルが、ウマが上下運動するときの股間への刺激によって興奮して、衆人環視の中でアブノーマルなプレイを……」

「いやいやいやいや、ちゃうちゃう! リホちゃんリホちゃん、見て見て! あれを見て! うっわわわわわー、うっわわわわわー、ウンコを漏らしてる張本人は……ウンコを漏らしてる張本人は……ウマ自身やーん!!」

「ということは、あのメリーゴーラウンドのウマって全部……生きウマ!? 生きてんの!? 死んでへんの!? って、いやいや、普通はつくりものでしょ!? 生きウマなんて……そのうち目抜かれるで!?」

 ヌキヒたちは近づいてウマとウンコを観察してみた。ウマは確かに全部本物やった。リホちゃんが顔をしかめて、

「ゲ!! よう見たら、これ、全部血便やん!!」

「クニュチャクニュチャ。うっわわわわー、ホンマや!!」

 そこへ係員さんが来て、

「お二人さん、乗るんですか?」

「クニュチャクニュチャ。乗りまーすっ」

「いえ、アタシらは乗りませ……って、乗るん!? アタシは乗らへんよ!! 汚なそうやし!!」

 すると係員さんはポケットから何かを取り出して、

「ほな、あなたがこのメリーゴーラウンドの一万人目のお客様です。これは記念品です」

 係員さんはヌキヒに一枚の写真をくれた。

「クニュチャクニュチャ。なんですかこれー?」

「この中で一番不健康なウマの、胃のブロマイドです。めっちゃ荒れてます」

「クニュチャクニュチャ。悪趣味っすね!!」

 リホちゃんが再び顔をしかめて、

「あの卒業アルバムを受け入れてるアンタが言うか!?」


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コメディー小説『アッケラカンサッパリカン』


第四十一話 後輩宅で ~語り手はここから再び亜景藻~


 昼休みになったばかりの教室。トイレに行こうと自分の席を立ったとき、亀率ちゃんに「なあなあ、アケモチャン」と声をかけられた。

「あっ、亀率ちゃん、どうしたん?」

 するとそのとき、ピンポンパンポーンと校内放送が。亀率ちゃんが、「なんかお知らせみたいやね」と、そっちに注意を向ける。あたしもそっちに注意を向けた。

「生徒会長の戸巻です。生徒会から重大なお知らせがあります。来年より修学旅行の行き先がゴージャスになったりショボくなったりします。具体的に説明します。まず優等生の皆さんは、超豪華世界全二百ヶ国神社めぐりの旅です。集合場所のシーランド公国から出発し、モンゴル帝国、東ローマ帝国、南南西ローマ帝国、古バビロニア王国、故バビロニア国王の告別式式場、末蘆国、奴国飛び地、伊都国飛び降り自殺名所、不弥国飛行場、卑弥呼鼻クソ飛ばし地、隋、唐、宋、元、明、清、水、金、地、火、木、土、天、海、冥、鬱、鸞、髏、関東御分国、伊豆の国、阿蘇の小国、山口の岩国、与那国、彩の国、アホーツク共和国、びわ湖ぱおーんぱおーん王国、歩行者天国、非常任理事国、後進国、低開発国、犯罪大国、自殺大国、レイプ大国、ヒザッカクン大国、寝てる間に顔に落書き大国、枢軸国、密入国、南国、雪国、建国、戦国、鎖国、憂国、亡国、属国、蛮国、四国、源隆国、細川高国、出雲阿国、坪井杜国、歌川豊国などを回って行きます。晩ご飯はテキーラやウォッカやマリファナや白い粉やエメラルドグリーンの粉やコバルトブルーの粉の他、フランス料理からインナーヘブリディーズ諸島料理までなんでもありのグルメ三昧。お風呂はヒノキ風呂。水道やシャワーもヒノキでできてます。石鹸もシャンプーもヒノキ。ついでにお湯もヒノキ。バスタオルもヒノキ。お風呂上がりのビールもよく冷えたヒノキ。ただしつまみはエノキ。トイレは行く先々でウォシュレット。ボットン便所でもなぜか便器の奥底から生ぬるい水が噴き出して来てお尻を洗ってくれます。野グソをしてもなぜか地中から急に温泉が噴き出して来てお尻を洗ってくれます。その温泉は切れ痔に効能あり。ただしイボ痔は悪化する。あと残念ながらその温泉には白癬菌が混じってるので、足にかかったら水虫も悪化する。そのかわり、部屋の中で室内グソをしてもなぜか急にその道一筋のお爺さんが現れてお尻を洗ってくれます。ただしそのお爺さんにクソをぶっかけると、なぜかキレます。お爺さんにお尻をキレイにしてもらったあとは、是非お爺さんのお尻もキレイにしてあげましょう。ただし洗い方によってはお爺さんがキレます。リズムよく洗いましょう。そうすればお爺さんが年甲斐もなくエキサイトします。スズメ百まで踊り忘れずです」

 ほうほう。

「では次に劣等生の皆さんの行き先の説明です。劣等生の皆さんは、日本四十七都道府県ピラミッドめぐりの旅に行ってもらいます。沖ノ鳥島、南鳥島、北方領土、地火木土を含む。晩ご飯は残念ながら水道水と海水と濁った水と腐った水と腐り切った世の中のような水と水虫みたいな味がする水と水虫みたいな色をしてる水とホコリっぽい粉とホモっぽい粉とオカマっぽい粉と痴女っぽい粉と飽きっぽい粉とイギリス料理と奈良料理と奈良料理っぽい粉。特にイギリス料理を選択する生徒は鼻をつまむ洗濯バサミを持参すること。ずっと指で鼻をつまみ続けながら食べるのは疲れるでしょうから。あっ、今のは洗濯と選択をかけたワケではないですよ。お風呂は不潔きわまりない不法投棄場所になってて、体を洗ってもすぐ汚れる。普通にそのへんに使用済み注射器とかが転がってる。トイレは行く先々でトイレットペーパーがないです。でもリトマス試験紙は備えつけられてます。あなたが青色リトマス試験紙でお尻を拭いて紙が赤くなったら、それは酸性ではなくタダの切れ痔です。あなたが赤色リトマス試験紙でお尻を拭いて紙が青くなったら、それはアルカリ性ではなく蒙古斑の色が移っただけです。あなたのお尻が真っ赤な場合は、それはあなたがサルなだけです。あなたがサルのお尻を拭いてあげる場合は、それはあなたが動物愛護してるだけです。あなたがサルでお尻を拭く場合は、それはあなたが動物虐待してるだけです。あなたがサルをお尻と見間違える場合は、それはあなたが眼精疲労してるだけです。あなたがサルをお尻と言い間違える場合は、それはあなたが舌筋疲労してるだけです」

 ほうほう。

「次は落第生の皆さんの行き先の説明です。落第生の皆さんは、塾に行ってもらいます。毎日朝の三時から夜の二時四十五分まで勉強です。これがホンマの修学旅行です。一日目は線形代数、二日目は複素関数、三日目はフーリエ解析、四日目はラプラス変換、五日目は数学的枕投げ、六日目は枕投げ的数学、七日目は〇(ぜろ)の発見、八日目は二ケタの足し算、九日目は年齢のサバ読み、十日目は女生徒スリーサイズ発表会です。晩ご飯はこの世のものとは思えない内容。多数の死者が予想されます。食べる前に四割近くの者がニオイで倒れると思われます。三割近くは食べものから発せられる強力なエックス線によって倒れると思われます。一割はシェフに殴られて倒れると思われます。別の一割はシェフに頭部をかじられて倒れると思われます。あなたもシェフの石頭にかじりついてでも……いや、石にかじりついてでも抵抗しましょう。残りの一割は自殺。一方、お風呂場はお風呂場で最初から死屍累々。死体数は男風呂と女風呂合わせて四百体ほど。グロテスクな死体も多いので心臓の弱い人は注意。あっ、でもそこのお湯は心臓病に効能があるから、プラスマイナスゼロか。死体の四十体ほどは石鹸などで足を滑らせた転倒事故によるもの。三十体ほどは無謀にもカナヅチが入浴したことによる溺死体。二十体ほどは老衰死。十体ほどはシャンプーの飲みすぎ。百体ほどは外部から持ち込まれた死因不明のもの。残りの二百体は明らかな他殺体。血まみれとか、尿まみれとか、ビーフシチューまみれとか。トイレはネコ用トイレ。しかもネコのフンがギッシリ。しかも血便。しかもコーン混じり」

 ほうほう。

「次は不良の皆さんの行き先の説明です。不良の皆さんは、脱獄体験旅行です。まずは網走刑務所、その次にアルカトラズ刑務所を脱獄してもらいます。さらには、電子レンジからも脱出してもらいます。さらにさらに、マジックショーで白人美女とかが入る箱からも、鉄の処女からも、バキュームカーのタンクからも、大火事で崩れ落ちていく屋敷からも脱出してもらいます。動物病院に連れて行くときにネコを入れるキャリーケージからも、ネコといっしょに脱出してもらいます。ちなみに引率者はスタントマンです。このコースに旅行保険はありません。行きのバスは二台の予定ですが、おそらく帰りは自家用車一台で済みます。ちなみに最後の最後で、水没した自家用車からも脱出してもらいます。次に人間のクズの皆さんの行き先の説明です。人間のクズの皆さんは、シリアルキラーの巣窟に行ってもらいます。最後に人間のゴミの皆さんの行き先の説明です。人間のゴミの皆さんには、どっか行ってもらいます。根絶やしにされないように気をつけてください」

 ほうほう。すると声が変わって(会長が突然声変わりしたワケではなく、声の主が交代した)、

「副会長の森門です。今生徒会長が言うたことは、ウソ八百です。今生徒会長が言うたことは、別の高校の話ですから。二尾里町(にびりちょう)の二尾里町立馬古峰界(ばぶるほうかい)高校の話です。本校の話ではありません。鵜呑みにしないでください。では、お昼の放送担当の吉川さんにバトンタッチします」

「どうもおおおおおおおおおお!! どうもおおおおおおおおおおうああああああああああ!! 吉川溶煮でええええええええええすうああああああああああ!! ありゃまあ、ありゃまあ、ありゃまあまあ、ビックリ仰天、ありゃまあまあ。ありゃありゃまあまあまあああああああああああ。意外や意外、衝撃の真実。バブ高って、そんな危険な学校やったんやあ。それはそれはそおおおおおれはそれは、それはそれはそれはそれは、それはそれはそおおおおおおおおおおれはそれは、ぜええええええええええったいのぜええええええええええったいに、この吉川委員長がお昼の校内放送でフィーチャーせなあかんなあ。まあそれは明日以降に回すとしてやねえ、今日は素敵なゲストをお呼びしてますよおおおおおおおおおお!! クラスメイトの毎床典菜ちゃんでええええええええええすうああああああああああ!!」

「はいはい、どもどもっ。毎床典菜です。いっやー、すっごいテンションやねえ! 相変わらず凄絶。むしろ壮絶。あははっ」

「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや、毎床ちゃん。今日はっ! 今日はああああああああああっ!! 毎床ちゃんにいいいいいいいいいいっ!! ……声高らかに歌ってもらおか。あるいは声が嗄れるまで。あるいは声がヘリウムガスを吸ったようになるまで。あるいは声が硫化水素ガスを吸ったようになるまで」

「えっ! なんで!? なんで歌わなあかんの? 何かの罰ゲーム? 何かのオーディション? 何かのプロパガンダ?」

「ええからええから、さあさあさあさあ、毎床典菜の校歌斉唱……いや、校歌独唱!! 略してコンチクショー!! さあ、どうぞっ!!」

「唐突やなっ! ま、まあええよ! 歌わせていただきますわ! 声がガス惑星を吸ったようになるまで!!」

「さあさあさあさあ、馬古峰界高等学校校歌を!!」

「えっ!? 知らんよそんなん!! うちの学校の校歌を歌うんとちゃうの!?」

「いいえ、馬古峰界高等学校校歌を歌ってもらいます!! 九千五百万番まであるけど!!」

「長い!!」

「長いよ!! その長さは、歌ってるうちにこの吉川委員長のママの長電話が終わって、五百人くらいの校長先生の話が全部終わって、宇宙がビッグフリーズに達するほど長いよ!! あっ、いや、もしかすると吉川委員長のママの長電話は、宇宙がビッグフリーズに達したあとも続いてるかも!! 毛布にくるまってガタガタ震えながら長電話してるかも!! ……ただしその校歌は、一番につき平均三文字!!」

「短い!!」

「短いよ!! その短さは、この吉川委員長のパパのカラスの行水よりも、五百ミリグラムパーデシリットルくらいの血糖値がある校長先生の老い先よりも、初期宇宙がインフレーションを起こす時間よりも短いよ!! あっ、もしかすると吉川委員長のパパは、宇宙インフレーション期にもカラスの行水を完遂してたかも!! 風呂桶が急膨張して湯船になってたかも!! お風呂場でつぶそうとしてたオデキが急成長してたかも!! 幅が広がっていく宇宙の中で、カラスの祖先として幅を利かせてたかも!!」

 ……どうやら重要なお知らせは終わった模様。再び亀率ちゃんがこちらを向いて、

「アケモチャン、ちょっと」

「あっ、うん、何?」

「放課後、ハタフチャンの家行こ」

「縁起でもない!!」

「へ? なんで?」

「……あ、縁起でもないことはなかったか。それで、旗布ちゃんの家に行く理由は?」

「ハタフチャンの家以外が全部廃墟と化したからとか、そういうワケやないよ。詳しいことはわからんねんけど、見せたいものがあるらしい」

「わかった。君子危うきに近寄らずって言うけど、亀率ちゃんが行くんやったら行くわ」


 そして放課後。亀率ちゃんといっしょに旗布ちゃんの家へと向かう。旗布ちゃんは先に帰ったらしい。あたしは見境がなくなってからというもの、亀率ちゃんをちょくちょくいじりまくるようになった。おかげで最近、心臓への負担がすごい。でも亀率ちゃんのせいで心臓が弱るなら本望。コレステロールや塩分のせいやったら不愉快やけどね。

「アケモチャン、なんでうちのお尻を撫で回してんの?」

「えっと、いや……亀率ちゃんのお尻にコバンザメが貼りついてるから引っぺがそうと思て」

「えっ、おかしいな。昨日引っぺがしたはずやのに」

「ホンマについてたん!?」

「うん。ちゃんと海に帰して、ジンベエザメの体に引っつけてあげた。あ、ジンベエザメは人を食べへんから心配ご無用やで。まあ、うちはそのあと結局ホオジロザメに食べられたんやけどね。でもなんとか生還した。でもってそのあと海から上がったら、今度はヘソにダツが食い込んでた。抜いた」

「ダツがうらやましい!!」

 こういう奔放ライフを続けているうちに、あたしはようやく悟った。あたしは亀率ちゃんに特別な感情を抱いていたワケではなく、基本的に可愛い女の子全般が好きなんやと。そんなワケであたしは、背蟻離ちゃんや毎床さんもそこそこいじりまくってる。なんかあたしって最低やな。こんなあたしの体たらくを藤橋先生が知ったら、「キミは精神病院行って死ね!」って言われるかも。「幽霊になって死ね!」って言われるかも。「あんたの体臭、クサい! 馥郁たる悪臭!」って罵られるかも。そして先生は心労のあまり体調を崩して、レントゲンで肺に影が見つかるかも。で、それを診察した奴留湯先生が、「それ多分肺のホクロやから大丈夫」とか適当なことを言うかも。


 旗布ちゃんの部屋に上がると、旗布ちゃん以外に成人女性が二人いた。なんとそれは、あたしの下の名前の由来となったAV女優の二人。能代さんと柿島さん。あたしは手を差し出して、

「大ファンなんです!! ……いや、ちゃうちゃう!! お二人は、あたしの名前の由来なんです!! あたしは亜景藻って言います!! 握手してください!! エロティックに握手してください!!」

「陵辱もの専門AV女優の能代明微です。童話作家出身です。前は童話作家やってたんです。そのうち十八禁の童話も書いてみたいと思ってます。握手は明日にしてください。今日はちょっと頭脳線と生命線の調子が悪いので。……明日会えたらの話ですけど」

「排泄もの専門AV女優の柿島望禰です。バキュームカー出身です。バキュームカーのタンクの中で産まれたという意味です。握手はお断りします。握手すると手にメモしてるスケジュールが消えてしまうかも知れませんから。……八十年後に引退する予定しか書かれていませんけど」

 二人は握手してくれず、帰った。またいつか会える日を待とう。人事を尽くして天命を待とう。あたしは旗布ちゃんのほうを見て、

「なんであの二人がここに? 帰る家を二人揃って間違えて、間違いを認めるのがシャクで居座ってたとか?」

「そうではなくて、いちびり幼稚園の園庭でアレなシーンの撮影をした帰りらしいですよー! 帰宅途中で疲れたので適当な家に入って休憩することにしたそうでーす! ちなみに握手してくれへんホンマの理由は、撮影直後で手がいろんなモノで汚れてるからみたいですよー!」


 そのあと、亀率ちゃんと旗布ちゃんがカンバセーションを始めた。

「ハタフチャン、なんか服が汚れてるみたいやけど、どうしたん? 十ヶ所くらいに何かが飛び散ってるけど。不慮の事故? それともマーキング? それとも不慮のマーキング?」

「カレーのシミですよー! 合計十滴飛び散ってるんですけど、ここの一滴がカツカレーから、ここの一滴がハンバーグカレーから、ここの一滴がコロッケカレーから、ここの一滴がから揚げカレーから、ここの一滴がチーズカレーから、ここの一滴がカレーうどんから、ここの一滴がカレーパンから、ここの一滴がドライカレーから、ここの一滴がカレーせんべいから、ここの一滴が便器からですよー! これらの飛沫はニュートン力学に反して飛び散りましたが、インドの法律はしっかり遵守してましたー! 長野人やったらこういう場合、大量のイナゴが飛び散るんでしょうかー!? インドの修行僧は滝行のかわりにカレーを頭から浴びて修行するんでしょうかー!?」

「そんなにカレーライスを溺愛してるん? 将来カレーエキスパートになりたいん? それともカレーを浴びる修行僧になりたいん?」

「将来は警察沙汰になりたいでーす! あるいは将来はスケープゴートになりたいでーす! あるいは普通の異常者になりたいでーす! あるいは将来はAB型になりたいでーす! きりつ先輩はその美貌がまさしくAB型っぽいですよねー!」

「え? 美貌がAB型? うちの血液型はO型はやけど。AB型っぽい美貌って何? 二面性がある美貌とか? 化粧の前後でメッチャ変わるとか? あるいは化粧と称した整形の前後でメッチャ変わるとか? あるいはフェイスパウダーによる粉塵爆発の前後でメッチャ変わるとか? あるいは化粧と称した粉塵爆発の前後でメッチャ変わるとか?」

「あっ、そうやって『え? 美貌がAB型?』って訊くところもまさしくAB型っぽいですねー! AB型やから、変なところで神経質やったりするでしょー!? 洗面器を文字通り顔を洗うことだけに使ったりするタイプでしょー!?」

「うーん、どうやろ? 石鹸を塗りたくった顔面で洗面器を洗ったことやったらあるけど」

「ほんなら恋に対する態度はどうですかー!? AB型やったら、つかず離れずの関係を維持するはずですけどー!? 初恋の相手のことは覚えてますかー!? もしかしてアクティブにつけ回したりしましたかー!? それとも単純に告白しましたかー!? そして恋が実らず単純に泣いたりしましたかー!? あるいはピカソの『泣く女』みたいに複雑に泣いたりしましたかー!?」

「えーと、初恋かあ。うーん、細かいことは忘れたなあ」

 あたしは身を乗り出して、

「も、もしかして、性別も忘れた!?」

 亀率ちゃんはポカンとして、

「いや、性別は男性やけど」

 あたしはガッカリした。


「それで旗布ちゃん、見せたいものって何?」

 カンバセーションが一段落したので、あたしは訊いてみた。

「ちょっと待っててくださいねー!」

 旗布ちゃんはいったん部屋を出て、お湯を入れたカップラーメンを手にして戻って来た。

「今からこのカップラーメンのフタを、特別なもので押さえておきたいと思いまーす!」

 亀率ちゃんが「わーい」と言いながら拍手する。特別なものってなんやろ? するとおもむろに旗布ちゃんはミニテーブルの上にカップラーメンを置き、その上に自分自身のお尻を近づけた。あたしは度肝を抜かれて、

「ま、まさか、大便で押さえる気!?」

「あかんのですかー!?」

「あかんよ!! 不衛生やん!! そんなん食べたら虫歯になるよ!! 七億本くらい虫歯ができるよ!! あるいは上の歯と下の歯の間に、中間の歯が出現するよ!! 女の子は笑顔が一番似合う!! せやから女の子は歯を大切にすべき!! 女の子は授業中以外はキシリトールガムを噛み、授業中もチョークをかじるべき!! 炭酸カルシウム!!」

「そうですねー! 人類は女の子を大切にすべきですねー! 害虫駆除もメスだけ残すべきですねー! 雌雄同体のミミズやカタツムリを駆除する必要があるときは、半殺しにすべきですねー! ほんなら大便はやめて、オナラにしましょうかー!?」

「いや、三分間ずっとオナラを出し続けて押さえ続けるのは無理やろ!? サツマイモ中毒でも無理やろ!? 鹿児島人でも無理やろ!?」

「わかりましたー! ほんならちょっと待っててくださーい!!」

 旗布ちゃんは再び部屋を出て、今度は自分が外で履いてたローファーの片方を手にして戻って来た。

「これを載せておきまーす!」

「それも不衛生!! 靴なんて何踏んでるかわからんし!! 地球の地面は汚いし!! 月はキレイかも知れへんけど!! お月見ってもんがあるくらいやし!! まあ月の裏側はクサかったけど!! そんなワケで、月面で人類にとっての大きな一歩を踏み出したローファーやったら載せてもええよ!! 踏み出す前に一応月面に掃除機かけといたほうがええかも知れへんけどな!! 掃除機を使うときは、月にはコンセントがないから、延長コードで地球から電気を引っぱって来たらええよ!! メッチャ長い延長コードが必要やけどな!! あるいはキミはカップラーメンのかわりに、月を見上げながら口を大きく開いて流星塵でも食べときなさい!! 毎日宇宙から地球へと、肉眼では見えへん大量の流星塵が降り注いでるから!! 地球に降り積もるだけやったらもったいないから、旗布ちゃんの体内にも降り積もらせなさい!! 不潔なラーメンを食べてクズ女って呼ばれるよりは、星屑を吸い込んで星屑女って呼ばれたほうがええやろ!! カッコええやろ!!」

「なんであけも先輩、この靴が汚いことを知ってるんですかー!? なんであけも先輩、この靴の裏にイヌのフンがベッタリついてることを知ってるんですかー!?」

「知らんよ!! そもそもついてなくても、カップラーメンのフタの上に靴を載せるのは不衛生やろ!!」

「ほんなら、イヌのフン以外にカピバラのフンやヤマアラシのフンがついてることも知らないんですねー!? ペチャンコのハリネズミの死骸や大量のアスベストがついてることも知らないんですねー!?」

「なんでそんなんついてんの!?」

 そのとき亀率ちゃんが、「二人とも」とあたしたちに声をかけた。

「……もう三分経ってるで」

 続いて、インターホンが鳴った。


 旗布ちゃんが訪問客を部屋に通した。お客さんを含めたあたしたち四人は、座卓を囲んで座った。お客さんはあたしたちと同い年くらいの女の子で、なぜか忍者のカッコをしてる。亀率ちゃんは女の子をまじまじと見つめ、

「うち、くノ一さんを見たのって生まれて初めてやわー。何か忍術を見せてほしいなー。うちが引いたトランプをピタリと当てるとか、自動車にハネられるスタントとか……って、これ全然忍術ちゃうわ」

 旗布ちゃんは身を乗り出して、

「ここの家の住人の宛塚旗布と言いますー! 他のお二人ははたふの先輩で、あけも先輩ときりつ先輩ですー! あなたはナニヤツですかー!? くノ一ですかー!? 伊賀流ですかー!? 甲賀流ですかー!? 自己流ですかー!? 自己中ですかー!? ヤク中ですかー!?」

「個人情報を教えるワケにはいきません。トップシークレットを教えるワケにはいきません。拙者は忍びの者ですから。望月千代女に憧れました」

「それで、うちに何をしにいらっしゃったんですかー!? 火遁の術で放火ですかー!?」

「天井裏で諜報活動をしようと思たんですけど、外から天井裏に入られへんから、普通に玄関から入ったんです。最近のサンタクロースが、煙突がないことに困惑して玄関から入って来るのと同じ原理です」

「うちでどんな諜報活動をするつもりやったんですかー!? はたふの政治思想でも探り出すつもりやったんですかー!?」

「諜報活動の内容は特に決めてません。あとで考えたらええかなーと。とにかく諜報活動がしたかったんです」

 あたしは業を煮やして、

「えっと、あなた、どこの高校ですか? それとも中学ですか?」

「個人情報を教えるワケにはいきません。忍者ですから。でも今日は珍しく下痢をしていなくて機嫌がいいので、特別にそこだけは教えます。バブ高生です」

「そ、そうですか」

 そこへ亀率ちゃんが、

「バブ高の校歌、もし知ってたら歌ってみて! うち一回も聴いたことないねん」

「えっと、あの一番につき平均三文字しかなくて、それでいて九百番まであるやつですよね……。えーっと……あれ? どんなんやったかな」

「知らんのですかー!?」

 と旗布ちゃんに睨まれるくノ一さん。

「し、知ってます! 忍者は博識で、知らんことなんかないですから! ほ、ほな、う、歌いますよ」

 あたしたちは拍手をした。

「一番。……トマト」

 …………。

「二番。……八百屋」

 …………。

「三番。……スイス」

 …………。

「四番。……キツツキ」

「あ、四文字になった。三文字で統一するかと思たのに」

 と、あたし。

「ほ、ほんなら、やり直します。よ、四番。……くびれ」

「そこまでやったんやったら、全部さかさ言葉にしてくださいよ」

「そ、そ、そんなこと言うたかて……もう限界で……うっ、うううっ」

 くノ一さんは泣き出した。

「イジメたら可哀想やん!」

 と、亀率ちゃんも泣き出した。あたしは二人をなんとか泣き止ませた。そのあとあたしはふと気になって、

「ちなみに修学旅行は何コースに行くんですか?」

「え、えっと、に、人間のゴ……うっ、ううっ……」

「……追い討ちかけてすいません」


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コメディー小説『アッケラカンサッパリカン』


更新履歴


※下記以外の日にも加筆訂正などあり

2013.2.28 第四十一話

2013.1.30 第四十話

2012.12.28 第三十八話、第三十九話

2012.10.30,11.17 第三十七話

2012.10.5 第三十五話

2012.9.23,10.4 第三十四話

2012.8.14,10.27 第三十六話(第三十四話、第三十五話よりも先に執筆した)

2012.7.11 第三十三話

2012.6.15 第三十二話

2012.6.10 第三十一話

2012.5.12,5.13 第三十話

2012.5.2 第二十九話

2012.4.5 第二十八話

2012.2.12,3.7,3.20 第二十七話

2012.2.12 第二十六話

2012.1.31 第二十五話

2011.12.24 第二十三話

2011.12.2 第二十四話(第二十三話よりも先に執筆した)

2011.11.26 第二十一話、第二十二話

2011.10.25 第二十話

2011.10.13 第十九話

2011.10.8 第十八話

2011.10.4 第十七話

2011.9.28 第十六話

2011.9.25 第十五話

2011.9.11 第十四話

2011.9.9 第十三話

2011.8.23 第十二話

2011.8.18 プロローグ(第十話まで執筆してから付け足した)、第十一話

2011.8.14 第十話

2011.8.5 第九話

2011.8.3 第八話

2011.7.20 第七話

2011.7.16 第六話

2011.7.15 第五話

2011.7.14 第四話

2011.7.13,7.14 第三話

2011.7.12 第二話

2011.7.10,7.12 第一話


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コメディー小説『いい線どころかガンマ線行ってる』


第一話 ジェット婆


 私は早矢花(さやか)。高校一年生。

 道を歩いていると、礼子(れいこ)ちゃんと出くわした。

「礼子ちゃん、グッドアフタヌーン。またの名を、こんにちは。こんなところで会うなんて、奇遇やね。あ、『こんなところ』なんて言うたら、このへんに住んでる人に失礼やね。礼子ちゃんはお出かけ? あるいは直立二足歩行の練習?」

「イヌの散歩」

「え? イヌの散歩? どこが? イヌなんか連れてへんやん。イヌどころか、アフリカゾウもティラノサウルスもネアンデールタール人もトーテムポールも連れてへんやん」

「間違えた。これはイヌの散歩ちゃうわ。これは人間の散歩やわ。そもそもあたし、イヌもアフリカゾウもティラノサウルスもネアンデールタール人もトーテムポールも飼うてへんし。あたしのマンション、イヌ飼うの禁止やし、アフリカゾウもティラノサウルスもネアンデールタール人もトーテムポールも飼うの禁止やし。それにイヌ飼うのって、結構大変そうやし」

「確かにしつけが大変そうやね。お手とかお座りとか綱渡りとか」

「うん。せやからチワワもブルドッグもダックスフンドも飼うてへんし。ゴールデンレトリバーもラブラドールレトリバーもジェットババーも飼うてへんし。飼うて変死したら死体のニオイに困るし」

「ジェットババー……? あ、ジェット婆のことか。都市伝説の。それはさておき、人間の散歩って何?」

「人間。ヒト。ホモサピエンス。すなわち、あたしのこと。あたしの散歩。あたしが散歩してる」

「わざわざ『人間の』って言う必要ないやん。『人間の』って発音するために消費するエネルギーが無駄やん」

「ほんならなんでイヌの散歩のときはわざわざ『イヌの』って言う必要があるの? なんで? 義務? 趣味? クセ? 精神病?」

「そら、『散歩』だけやったら、イヌが散歩してるってことが相手に伝わらへんからやろ」

「根本的なことを訊くけど、イヌの散歩って、イヌが散歩してんの? どう考えても散歩してんのは人間のほうやと思うけど。どう考えても散歩してんのはホモサピエンスのほうやと思うけど。イヌ自身の感覚としては散歩やなくて、探検とか冒険とか旅行とか徘徊とかウォーキングとか自分探しの旅とか思てる可能性もあるやん」

「イヌ自身の感覚は知らんけど、あれを我々人類が『散歩』と名付けたんやから、しゃあないやん」

「ほな、しゃあないな。ところで早矢花ちゃんはお出かけ? あるいは大地を踏みしめる練習?」

「お出かけ」

「どこまで?」

「この先の曲がり角まで」

「この先の曲がり角に、何の用が? 急用? 野暮用? 業務用?」

「曲がり角に用はないよ。その曲がり角は、単なる通過点やから」

「ほんなら、そこを通過したあとはどこへ行くん? コンビニ? 刑務所? 地獄?」

「右折して二つ目の十字路まで」

「その十字路に何の用が?」

「十字路に用はないよ。その十字路は、単なる通過点やから」

「ほんなら、そこを通過したあとはどこへ行くん? 公園? 弥生時代? パラレルワールド?」

「左折して数分歩いたところにあるスーパー」

「最初から『スーパーに行く』って言うたら済むことやん」

「それだけは絶対に嫌」

「なんでやねん。なんのこだわりやねん。ついでに、あたしもスーパー行くわ。店内を散歩するわ」

「なんでやねん。何がついでやねん。まあええわ。いっしょに行こ」


 スーパーマーケットに着いた。

「早矢花ちゃんは何を買いに来たん? 株? それともカッパ捕獲許可証? それともシーランド公国の爵位?」

「いや、ティッシュペーパー。お母さんに頼まれたからね」

「お父さんからはティッシュペーパーを頼まれへんかったん?」

「お父さんはトイレットペーパーをティッシュペーパー代わりに使うから。トイレットペーパーの芯もティッシュペーパー代わりに使うから」

「お爺ちゃんからはティッシュペーパーを頼まれへんかったん?」

「お爺ちゃんはウーパールーパーをティッシュペーパー代わりに使うから。ウーパールーパーの別名『アホロートル』の不謹慎さに激昂しながら」

「お婆ちゃんからはティッシュペーパーを頼まれへんかったん?」

「お婆ちゃんはジェットババーをティッシュペーパー代わりに使うから。ジェット婆の別名『ダッシュ婆』の小規模さを嘲笑しながら」

「ジェット婆からはティッシュペーパーを頼まれへんかったん?」

「ジェット婆はお婆ちゃんをティッシュペーパー代わりに使うから。お婆ちゃんの皮膚を。さかむけとか」

「あたしはティッシュペーパーを保険証代わりに使ってみたい」

「それは難易度が高い。ティッシュペーパーには礼子ちゃんの名前も生年月日も書いてあらへんし」

「ほんなら自分で書いたらええだけのことや」

「ペンで?」

「鼻血で。ティッシュペーパーと言えば、鼻血やからな」

「血の文字とか怖いわ。ダイイングメッセージみたいやん」

「では、ここで推理クイズです。頭をぶん殴られてぶっ殺された被害者は、次のようなダイイングメッセージを残していました。その意味とはなんでしょう?」

「『その意味とはなんでしょう?』か……。疑問形なんて、変なダイイングメッセージやなあ。死ぬ直前に疑問を投げかけても、答えが聞けへんやん」

「ちゃうちゃう。そことちゃうから。ダイイングメッセージは、今から言うねん」

「『今から言うねん』か……。前置きだけで力尽きるなんて、可哀想な被害者やなあ。前置きなんかせずにすぐに本題に入ればよかったのに」

「ちゃうちゃう。そこもちゃうから。さあ、今度こそ言うで。ダイイングメッセージは、『スズキ』」

「『スズキ』か……。まあ変に深読みせずに考えたら、それが犯人の名前やと思うけど」

「残念、不正解。正解は、『スカッドミサイルで頭をぶん殴られたからズキズキする』の略でした」

「武器の使い方がおかしいし、死に際にしては精神的余裕がありすぎやし、ダイイングメッセージに残すことでもないし」

「突然やけどあたし、このお惣菜買うわ」

「それ、あとちょっと待てば半額シールが貼られるで」

「そうなん? ほんならそれまで待つわ」

「あ、貼られた」

「よし、ほんなら……あれ?」

「今、オバサンがすごい勢いで持ち去って行ったな」

「彼女がもしかしてジェット婆……!?」

「バレたか」

「えっ……『バレたか』って……どういうこと……? もしかして……『ハゲタカ』ってこと!?」

「今の、私のお母さんやから。今まで隠してたけど、私のお母さんの正体は、ジェット婆やってん。まいったか。ハハハハハハハハ! 母だけに、ハハハハハハハハ!」

「自分のお母さんに対して、『オバサン』って言うな!」


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コメディー小説『いい線どころかガンマ線行ってる』


第二話 便器


 私は早矢花。今、自分の部屋にいる。

「宿題で分からんところがあるけど、どうしよ。礼子ちゃんに電話で聞いてみよかな」

 トゥルルルルル……。

「もしもし」

「あ、礼子ちゃん? 宿題でちょっと分からんところがあるから、教えてほしいねん。礼子ちゃんは成績ええから」

「x=8やで」

「いや、まだどこを教えてほしいか言うてへんねんけど。そもそも数学ちゃうねんけど。英語のプリントの、問6。『次の英文をロシア語に訳しなさい』っていうやつ。英文の意味は分かるけど、ロシア語が分からんから」

「あたしもロシア語は分からんなあ。でもそれは適当に答えといたらええと思うよ。英語の先生も、ロシア語知らんから。適当に書いとけば、多分正解やと思ってマルしてくれるから」

「そっか。ほんならそうするわ」

「あるいは最初から自分でマルしとけばええと思うよ。英語の先生、マルする手間が省けるってことで褒めてくれるから」

「そっか。ほんならそうするわ」

「あるいは提出せんでもええと思うよ。英語の先生、ノート返却する手間が省けるってことで褒めてくれるから」

「そっか。ほんならそうするわ」

「あるいは学校行かんでもええと思うよ。校長先生、挨拶する手間が1人分省けるってことで褒めてくれるから」

「そっか。でもさすがに学校は行くわ。ところで礼子ちゃんは今何してんの?」

「今、入浴中」

「あっ、そうなん? ごめんな、裸のときに」

「いや、服は着てる」

「服着たままお湯につかってるん?」

「つかってるというか、沈んでる」

「大丈夫? もしかして溺死してる?」

「大丈夫。お風呂はたった今終わった。今は、排便中」

「お風呂からトイレに移動したん?」

「ううん。移動してへんよ」

「ま、まさか、浴槽の中で……!?」

「いや、ずっとトイレの中」

「え?」

「トイレの便器を浴槽に見立てて、ずっと便器の中に沈んでた」

「なるほど」

「入浴も排便も済んだから、そろそろあたし、バイト行ってくるわ」

「礼子ちゃんってバイトしてたん? なんのバイト? 電話交換手? 飛脚? 国税専門官?」

「飛脚交換専門官」

「そっか。頑張って。バイバイ」

 なんの参考にもならへんかった。もうちょっとマシな人間に聞くべきやったな。夏見(なつみ)ちゃんに電話してみるか。夏見ちゃんは確かケータイ持ってへんかったから、家の電話のほうに……。

 トゥルルルルル……。

「もしもし」

「あ、夏見ちゃん? 宿題でちょっと分からんところがあるから、教えてほしいねん。夏見ちゃんも成績ええから」

「その声は早矢花ちゃん? 本人かどうかハッキリと確認してへんうちから用件を言うのはどうかと」

「いや、声で分かったから。夏見ちゃんの声をちょっと聞いただけで夏見ちゃんの声帯が目に浮かぶレベルやから」

「浮かぶのは顔やなくて声帯かい」

「ちなみに声帯のほうを見ると声が頭の中に聞こえる」

「私の声帯見たことないくせに。宿題の件やけど、電話よりも面と向かって教えたほうがええと思うから、今からそっちに行くわ」


 そして夏見ちゃんが私の部屋に来た。私はテーブルの上にノートや参考書を広げ、スナック菓子や缶ジュースも置いた。

「早矢花ちゃん、スナック菓子食べた手でノートとか触ったら、ベタベタになるやん」

「ほんなら濡れティッシュ持ってくるわ」

 そう言うて私は普通のティッシュで鼻をかんだ。

「はい、濡れティッシュ」

「これ、普通のティッシュが鼻水でビチャビチャになっただけやん」

「ベタベタよりビチャビチャのほうがマシやん」

「ほな間を取ってビタビタでお願い」

「あ、ここに本物の濡れティッシュあったわ」

「よし、その濡れティッシュでスナック菓子を一個一個丁寧に拭こう」

「なるほど、それで触っても手につかへんようになるね」

「でもその濡れティッシュ、アルコール含んでるから、それで拭いて食べたら酔いそう」

「ほんならさっきの鼻かんだティッシュで拭こう。あ、でもそれやと塩分過多に……」

「アホなことやってんと、早よ宿題やろ」

 そして宿題を始めた。そして終わった。

「ありがとう夏見ちゃん、助かったわ。ところで夏見ちゃんは、私が電話する前は何してたん?」

「便器の中に沈んでた」

「それ……流行ってるん?」


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コメディー小説『いい線どころかガンマ線行ってる』


第三話 任された


 今日も学校が終わった。誰と一緒に帰ろうかな。あの子にしようかな。それともあの子にしようかな。よりどりみどり。

 私は礼子ちゃんと帰ることにした。

「礼子ちゃん、私と一緒に帰ろう。私と一緒にゴーホームしよう。私と一緒にゴムホースしよう」

「えっ、帰る? 古きよき時代へと? ……もしかして、時代を変える……ってこと? 革命家志望? 将来就きたい職業が革命家? ジャンヌ・ダルク気取り?」

「ただ単に、家へと帰るだけやけど。ちなみに古きよき時代って、どの時代? 縄文時代後期? 三畳紀? 宇宙のインフレーション期?」

「弥生時代の四秒前。あるいはビッグバンの四年前」

「そっか。てっきり原始時代の二秒前かと思った。あるいは少年時代の二秒後かと思った。それはそうと、ファミレスにでも寄って行かへん? 女子高生らしく、甘ったるいものでも食べよう」


 ファミレスに着き、席に座った。

「早矢花ちゃんは何注文する? 生八つ橋? グミキャンディー? ハブの生き血?」

「ハブの生き血もええけど、チョコレートパフェにしようかな? 女子高生らしく」

「チョコレートパフェ? それやったら、代わりにミックスフライ定食を頼んだほうがええよ。ミックスフライってなんのことかよく分からんけど、多分ミックスジュースをぶっかけたフライドチキンのことやと思うし」

「チョコレートパフェとミックスフライ定食って、全然ちゃうやん。天と地の差やん。月とスッポンやん」

「ほんならあたし、スッポン定食にするわ」

「ほんなら私は、月の石定食でええわ」

 礼子ちゃんが呼び出しボタンを押した。店の奥から、店員さんが自転車でやって来た。

「ご注文はお決まりですか? あ、決まったから呼んだんですよね? 決まってへんのに呼んだなんて、まさかそんな非常識なことありませんよね? 最近の女子高生は、そこまで非常識ではありませんよね? ですよね? ですよね? ですよね?」

 礼子ちゃんは店員さんのほうを見て、

「決まってたんですけど、今気が変わりました。今回の注文は……店員さんに決めていただくこととします!」

「な、何言うてんの、礼子ちゃん。あ、すみません、えっと、スッポン定食と月の石定食お願いします」

「お客様、大変申し訳ございません。スッポンも月の石も、現在ご用意できません。スッポンは今、私のお尻に噛みついたまま離れません。月の石は今、本物かどうか調査中です」

 結局私たちは、二人ともチョコレートパフェを注文した。


 しばらくして、店の奥から、店員さんが新種の妖怪の背中に乗ってやって来た。

「お待たせしました、チョコレートパフェ二つです。右のチョコレートパフェは、どちらのお客様が召し上がりますか?」

「えっ、右のチョコレートパフェと左のチョコレートパフェって、同じでしょ? 何か違いがあるんですか?」

 私は驚いて店員さんに尋ねた。

「右にあるか左にあるかという、位置の違いがあります」

「ふむ。他には?」

「右はヤマダさんが、左はヤマモトさんが作りました。ちなみにヤマダさんとヤマモトさんの違いは、鼻毛の長さです」

「ふむ。結局、右のチョコレートパフェと左のチョコレートパフェに、決定的な違いはないんですね」

 「そういうことです」と、新種の妖怪が答えた。

 そして私たちは、チョコレートパフェを食べ始めた。店員さんは相変わらず、テーブルのそばに立ってる。私は気になって、

「なんでそこに立ったままなんですか? この世界の不条理に気付いて立ち尽くしてるんですか? それとも銅像のモノマネですか?」

「いえ、食べ終わるのを待ってるんです。食器を下げたいんで。早よ食え」

 すると礼子ちゃんが天使的な微笑みを浮かべながら、

「あ、大丈夫ですよ。あたしらが自分で下げて、自分で洗いますから」

 ……え、私もやんの、それ?

 結局私らは他の大量の食器も洗わされ、ついでに注文も取らされ、ついでに調理もさせられ、ついでに新種の妖怪の世話もさせられ、ついでに経営も任された。


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コメディー小説『いい線どころかガンマ線行ってる』


第四話 首輪


 今、礼子ちゃんの自宅であるマンションの一室に遊びに来てる。

 礼子ちゃんの部屋の床には、ジョイントマット九枚を正方形状に組み合わせたものが二つある。

「この正方形二つを組み合わせて長方形にしたいねんけど、うまいこといかへんねん」

 見てみると、右の正方形のマットと左の正方形のマットは、メーカーが違うらしく、つなぎ目の部分が異なっている。

「礼子ちゃん、それ、右と左とでつなぎ目がちゃうやん」

「うん、せやからかなりつなぐのが難しいねん。知恵の輪みたいに」

「いや、それ、つなぐの不可能やから! 物理的に無理やから! 幾何学的に無理やから! ガウス先生もオイラー先生も真っ青やから!」

 私は机とイスのほうを見た。

「この机でいつも勉強してんの?」

「いや、その机でいつも除霊してる」

「このイスの座り心地はどう?」

「別に座り心地はどうでもええねん。それ、イス取りゲーム専用のイスやから」

 私は窓とカーテンのほうを見た。

「この窓からはどんな景色が見えるん?」

「異星人がドロドロのグチャグチャに融けていくところが見える。せやから開けたらあかんよ」

「その異星人を助けることはでけへんの!?」

「地球の現代科学では不可能」

「そっか……。この青いカーテン、なかなかええ色やね」

「そのカーテンは青二才をイメージして選んでみた」

「マジですか。そら青二才も真っ青やな!」

 そのとき、部屋のドアから首輪をつけたネコが三匹入って来た。

「あ、かわいい! 飼いネコ?」

「全部野良ネコ」

「ウソ!?」

「ウソウソ。飼いネコ」

「このマンションってペット飼うの禁止やったんちゃうん?」

「三日前に解禁された」

「ふーん。この子らの名前は?」

「そこにいるのが、トラ」

「ふむふむ」

「そっちが、ウシ」

「え?」

「そっちは、ネ」

「……十二支?」

「十二支にネコが入ってへんのが可哀想やったから、ネ、ウシ、トラと」

「慈悲深いね」

「ちなみに昨日キッチンで見つけた三匹のゴキブリには、ウ、タツ、ミと名付けた」

「なんのために!? 飼いネコの続きで!?」

「ゴキブリも十二支に入ってへんのが可哀想やからね」

「慈悲深いね」

「将来あたしに子供が産まれたら、ウマ、ヒツジ……と付けていく予定」

「我が子がネコやゴキブリと同列!?」

「我が子も十二支に入ってへんのが可哀想やからね」

「でもペットって、死んだときが辛いやんな」

「せやね。死んだときは、庭があったら庭に埋めるんやけど、うちはマンションやからどうしようかな」

「ペット霊園で焼いてもらって、骨だけ家に置いたら?」

「ああ、なるほど、ネコの人骨だけ、ね」

「いや、ネコの人骨やなくて、ネコの骨でしょ」

「でも『ネコの人形』とか言うことあるやん?」

「まあ、確かに」

「ゴキブリも死んだらペット霊園で焼いてもらおうかな」

「……それは飼うてるわけとちゃうやろ?」

 そのとき、部屋のドアから首輪をつけたゴキブリが三匹入って来た。

「飼うてんの!?」


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※下記以外の日にも訂正などあり

2015.7.31,9.9 第四話

2015.6.3,6.22 第三話

2015.5.7,5.9 第二話

2015.4.29,5.4 第一話


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