こばるとぶるー☆すとらいくばっく 2025/12/28 -2-  パンドラナイトの同時多発事件から数日が経った。欠片の争奪戦はおおむねヒーロー側の勝利に終わっていたが、それでもいくつかの欠片はヴィランの手に渡ってしまったと言われている。  カミトシティは異次元獣やヴィランが破壊した街の修繕と、事件が再び引き起こされることへの備えで騒然としていた。  ハレンは入院した次の日には退院しており、通常通りの業務にあたっていた。酩花天本社ビルには元々恐怖の大王の欠片はなく、パンドラナイトへの対策も万全だったため、市内の喧騒とは裏腹にいつも通りの日々が過ぎていた。  一方、ナスタはいやにハレンの周りにいたがるかと思えば、逆に逃げ回るようにハレンを避けたりと、不自然な行動を繰り返していた。先日の事件に関して思うところがあるのだろうというのは誰の目にも明らかだった。  ハレンは更生施設の通路で二三日ぶりにナスタと鉢合わせた。ハレンはナスタを問い詰めていると思われないように、努めて声色をやわらげて話しかける。 「ナスタ、そろそろお風呂に入ろうよ。前に入ってからもう一週間も経ってるよ。髪くらいなら洗ってやるから……」 「一人で入れます!」  ハレンは走り去ろうとするナスタの腕を掴んで自分に向き直らせた。 「ナスタ、最近変だぞ。何か私に言いたいことがあるんじゃないのか?」 「……ないです」 「じゃあ私が聞きたいことを訊くけど……何で最近私の周りに良くいるんだ? 来るなとは言わないけど、前はそうでもなかっただろ。勉強もあまりできてないらしいじゃないか」 「それは……」  ナスタは目を逸らして少し黙っていたが、隠しておく意味もないと思ったのか、次第に口を開いた。 「もしハレンさんがヴィランに狙われているんだとしたら、私が守らないといけないと思って……」  ナスタの答えは予想した通りのものだったので、ハレンは特段驚きもしなかった。 「それは永美さんがないって言ってただろ。私は別に善人でもないが、ヴィランに恨まれるような覚えもないぞ」 「それは私も分かっています。なので……」 「今度は私から逃げ回ってるのか?」 「大魔導槌はパンドラナイトと欠片の争奪にヒーローの戦力を割かせて、その隙に教団の信者たちを脱獄させたんですよ。教団はご神体だった私のことを狙っているはずです。だったら、ハレンさんが殺されかけたのは、私を狙う教団の陰謀に巻き込まれたからということになるじゃないですか。私のせいでハレンさんが傷つくなら、私はハレンさんの近くにいない方が良いはずです」  ハレンは呆れていた。十六の子供の考えそうなことではあるが、同時に、十六の子供が考える必要のあることではない。 「仮にそうだとしても、私もお前も被害者じゃないか。お前が気にすることじゃない。そもそも、こんな狭い施設内で避けたところで何になるって言うんだよ」 「……それなら私はここから出ていきます」 「そういうことを言わせたいんじゃねぇ!」  ナスタの拗ねたような物言いに、ハレンは思わず声を荒げた。自分の心配をしているならまだしも、関係があるかも分からない他人のために自分を責めるような真似をされるのは我慢ならない。  ハレンに触発されたのか、ナスタもにわかに気色ばんだ。 「ならどうしろって言うんですか! 他のヒーローが大魔導槌や教団員を捕まえるのを何食わぬ顔で待っているなんて私にはできませんよ!」  二人が通路で言い争っているのを聞きつけた他の職員やノーバディたちが様子を窺いに集まってくる。その中にはリツと永美の姿もあった。 「じゃあさ、ナスタが直接ヴィランを捕まえれば良いじゃん!」  二人の間に割り込んだリツがあっけらかんと言い放つ。 「私が……?」  ヴィランの襲撃に受け身で対応することしか頭になかったナスタにとって、リツの提案は思いもよらないものだった。 「ナスタを焚きつけないでください。どこにいるかも分からないヴィランを、更生施設の収容者がどうやって捕まえるんですか」  ハレンはリツの言葉に反発した。まるでナスタに脱走を勧めているようではないか。 「ヒーロー側から要請があれば、仮免許を持ってるナスタはここの外で他のヒーローと一緒にヴィランと戦闘するだけじゃなくて、調査に参加したりもできるよ。……できるよねー? 永美」 「制度上はできるけど……」  永美はリツの言葉を肯定したが、同時に不味そうな顔をした。永美は更生中の収容者が正規の手続きの上だったとしても施設の外に出るのを良しとしていないのだ。 「どこにわざわざ私にそんな要請をするヒーローがいるんだよ」 「ここにいるよ。ボクがナスタに作戦への協力を要請する」  ナスタに訝しまれるのも気にならない様子で、リツは得意げに胸を張った。 「作戦?」 「ここしばらくの調査と寄せられた目撃情報から、脱獄した教団員たちの潜伏先らしき建物が割り出されたんだよね。今度ボクの小隊が中心になってそこに踏み込むから、ナスタも連れて行ってあげる。もちろん戦力としてね」 「それを早く言えよ! 絶対ついていきます!」  勢いづいて迫ってくるナスタから距離を取って、リツは永美の裏に隠れた。 「ただし条件がある」 「なんですか!?」 「今すぐ風呂に入れ。しばらく入ってないだろ、お前」  ナスタはすぐさま身を翻して大浴場に向かった。 「行きますよハレンさん!」 「え、なんで私が」 「誰が私の髪を洗うんですか!」 「さっきは一人で入れるって言ってただろ……」  ハレンは先にナスタの部屋に着替えを取りに向かった。  昼過ぎの大浴場は貸し切り状態だった。ナスタは服を脱ぐと洗い場の適当なカランの前に座って、ハレンに洗われるのを待った。  ハレンはナスタの後ろに腰を下ろし、一度ナスタの髪にシャンプーを馴染ませてからすぐに流す。ナスタの髪は汚れている上に長いので、何度かに分けて洗わないと泡立ちすらしないのだ。 「ハレンさん」 「どうした」 「さっきは大きな声を出してすみませんでした」 「いや……先にでけぇ声出したのは私だしな……」  ハレンはナスタがまだ何か言いたそうにしているのを察して、ナスタが話し始めるまで髪を洗いながら少し黙って待っていた。 「……ハレンさんって、私の経歴をどれくらいご存じなんですか?」 「囲われてた教団が壊滅した後で『教会』のヴィランになって、『超人大戦』の後で自首してここに来たんだろ? それより前は知らないけど……」 「私は『女神』のクローンとして生み出されたんですが、最初はそこから逃げ出したんです。その後は教団でご神体として扱われた後、教団がヒーローに壊滅させられる時にまた逃げて教会に入って、超人大戦の後で教会からもまた逃げてきました」 「……逃げてばっかりだって言いたいのか?」 「そうです。……私が何度も逃げられたのは、私にとって価値があると思うものが何もなかったからです。着の身着のままでどこへ行ったって私は何も困らなかった。ですが今、私は私が逃げてきたものの内の一つに立ち向かおうと思っています。今の私には価値があると思うもの……逃げたくない理由があるからです」  ナスタは鏡越しにハレンを見た。ハレンはナスタの顔を見返せなかった。  監督官は社会の代表として落伍者たる犯罪者たちを受け入れて更生させるのが仕事だ。しかし、だからといって要らぬ使命感に縛り付けて選択肢を奪うのはハレンの望むところではない。割に合わない闘争からは、逃げたければ逃げても良いのだ。 「……それが良いことかどうか、私には分からねぇ」 「……良いことですよ」 「本当にお前がやらないといけないことなのか?」 「私がやらなければならないことですし、私にしかできないことでもあります」 「なんで」 「私は現人神でもなんでもない、ただの普通の人間だと彼らに伝えなければいけません」 「……そうか」  ハレンは何も言えなかった。それは確かにナスタにしかできないことのようだった。  ハレンがやっとナスタの顔を見返せた時には、ナスタは目を閉じて泡を流されるのを待っていた。ハレンがシャワーの湯を浴びせると、濁った水が排水溝に流れていった。  市外の森の中にある建設途中で放棄されたような廃墟の周りには、リツとナスタの他、リオやクロノを始めとしたリツの小隊のメンバーに加えて、十人近い酩花天のヒーローたちが集まっていた。 「こんなに人数が必要なのか?」  ナスタはヒーローたちの顔を順番に見ていった。小隊のメンバー以外はほとんどが無名のようだが、戦力としては過剰に見えた。 「相手は推定欠片持ちを含む十数人規模だからね。ボコボコにするだけならボクらだけでもいけるけど、捕まえて連行しないといけないし。前に教団を潰した時もこんなもんだったよ?」  大規模なヴィランの検挙についての経験に乏しいナスタはそれ以上口を出すのはやめておいた。戦力が余る分には問題ないのだ。  もう間もなく突入に移ろうかという時、全員が持っているスマホが同時に緊急アラートを発した。アラートはカミトシティ全域で再びパンドラナイトが同時発生していることを知らせている。発生地点にはナスタたちがいる地点の上空も含まれていた。 「嘘だろ!」  空を見上げていたヒーローの内の一人が声を上げた。釣られて見上げると、密集して発生している複数の次元の裂け目から、パンドラナイト数回分にも及ぶ夥しい数の異次元獣がこの世界に侵入しようとしているところだった。 「ボクの小隊で異次元獣を迎え撃つ! 飛べないヒーローは地上で小隊の撃ち漏らしの相手をして! ボクとナスタはアジトの中へ! 中で何かが起こってる!」  リツの号令に合わせてナスタは廃墟に向かって走りだした。ヒーローたちも各々の臨戦態勢を取る。リツを除く女神たちは地表に降ってくる異次元獣の群れを迎え撃つために一斉に空へと舞い上がった。  廃墟内に隠されていた地下への階段を下っていたナスタは、先日拾ってからそのままにしていた恐怖の大王の欠片がポケットの中で発光しているのに気付いた。  活性化した欠片を指で摘まんで取り出すと、背後からリツが声をかけてくる。 「あれ? ナスタ、欠片持ってるの?」 「ああ、前にデパートで拾ったやつだな。見つけた時は活性化状態だったのに、砕こうとしたら不活性化して、それから今まで持ちっぱなしになってた」 「欠片自体の性質を無視して他の要因で無理やり活性化させられてたのが、その要因がなくなったから不活性状態に戻ってたのかもね。また活性化したのは十中八九この先にいる教団の連中が原因だろうし、今の内に砕いておこう」 「分かった」  ナスタが指先に力を籠めると、欠片はいともたやすく粉々になった。  長い階段を下りた先には、太い柱が等間隔に林立する調圧水槽のような広大な空間が広がっていた。薄暗い空間の中心には巨大な魔法陣が描かれており、内外には二十数名ほどの教団員たちが座り込んでいる。  ナスタとリツは周囲を警戒しながらも静かに魔法陣に向かって歩いていく。 「ご神体様だ……」 「おぉ……」 「お戻りになった……」  信者たちの中から詠嘆の声が漏れ聞こえてきた。ナスタにとっては煩わしいほどに聞きなれた声である。  二人が十分に魔法陣に近付いた頃、陣の中から一人の大男が大金槌を杖のように携えて立ち上がり、ナスタの前に進み出た。大魔導槌だ。 「お待ちしておりました」 「待っていた? 私をですか?」  ナスタは、ただの敵だと思っていた大魔導槌が自身に傅くような態度を取るのが意外だった。この男は以前から教団にいたのだろうか。ナスタは教団のどの信者たちの顔も覚えていなかった。  大魔導槌は恭しく頭を下げる。 「いかにも。私はあなたを迎えるためにコバルトブルー教団の信者たちを集めてここで準備をしていたのです。……こちらを」  大魔導槌が差し出した掌の上には、発光する小石──活性化した恐怖の大王の欠片がいくつも載せられていた。 「我々の魔術であなたのために活性化させ、集めた欠片です。あなたには負の超人力の下で欠片を取り込んで頂き、今一度我々の宗教的指導者としてお戻り願いたい」 「パンドラナイトもあなたたちが?」 「そうです。欠片をあなたに適合する形で活性化させる際の副産物ですが……」  教団の魔術はカミトシティに存在する欠片の内のいくつかを活性化させ、同時にその上空でパンドラナイトを起こす。ここには複数の欠片が集まっているため、外では欠片の数に比例した大規模なパンドラナイトが発生していたのだ。  全ては教団が集めた複数の欠片をナスタが指導者として取り込んだ上で、ヒーローたちに潰されないような強大な力を持つ教団を再建することを目論んだ計画だった。 「……ナスタ、どうするの? ここで寝返るなら、お前ごと全員ボクがぶちのめしてやっても良いよ」  リツはへらへらと笑いながらナスタに言った。実際、外にいるリオに割いている分の超人力を全て自分に回せば、この場にいる全員が相手でもリツは負けないだろう。ナスタもリツに負けはしないが、それだけである。 「ぬかせ」  ナスタはリツのにやけ面をにべもなく一瞥した後、大魔導槌たちに向き直った。 「もちろんお断りします。私は女神を模して造られましたが、ただの人間です。あなたたちの指導者にはなれません。これはもっと早くに言っておくべきでしたが……。……諦めてお縄を頂戴してください」  ナスタの宣言を聞いて、教団員の内、ある者は嘆き、ある者は怒りの声を上げた。  ナスタはそれらの声を気にも留めなかった。ナスタは彼らの他人任せな願望の受け皿ではない。自らに縋ろうと伸ばされた手を正面から払いのけて拒絶して見せるのが、ナスタなりの最大限の誠意の示し方だった。 「まぁ、そう言うだろうとは思っていたが……」  大魔導槌は拳を握りこんで全ての欠片を体内に取り込んだ。大魔導槌が持つ超人力が爆発的に膨れ上がっていく。 「うわ、こいつ自分でも欠片取り込めるのかよ」  リツは少しだけ焦った。リオが使っている分の超人力を自分に回せばこの場にいる全員に余裕で勝てるというのは、裏を返せば、今まさに外で異次元獣と戦っている真っ最中のリオの分も超人力を使わなければ苦戦するという意味だ。 「だから俺は初めからクローンを作り直した方が早いとこいつらに言っていたのだ。役割を放棄したご神体は必要ない。お前はここで処分させてもらうぞ」  大魔導槌は瞬時にナスタに距離を詰め、大金槌で強かに打ち付けた。しかし、次の瞬間にはナスタの『誓約の十字架』が発動し、攻撃の寸前まで時間が巻き戻る。 「粛清はしないのか?」 「私は問題を先送りにしに来たのではないので。まだ少し早いですね」  大魔導槌が次々に繰り出す攻撃の全てを誓約の十字架が無効にしていく。 「先送りにしないなら直面するだけだぞ。お前に乗り越える力はない」  ナスタは召喚した聖槍を振るって反撃を試みるが、強化された魔術で身を守っている大魔導槌に有効打を与えることはできない。対して、大魔導槌はどれだけ誓約の十字架に攻撃を阻まれていても、時間を稼いでいる内に欠片との適合が進み、いずれは増幅した超人力でナスタの異能を打ち消した上で致命的な一撃を加えられるだろうという勝算があった。 「お前、自分の状況見てから言えよ!」  周囲を飛び回りながら、合間に細々とした攻撃を加えては大魔導槌に弾かれていたリツが声を上げる。  大魔導槌の身体は加速度的に巨大化していた。間もなく、この広大な空間にも収まりきらなくなるだろう。そうなれば、大魔導槌は崩れた地下に信者たちもろとも生き埋めになり、教団の再建どころではなくなる。それを気にする余裕がないほどに、魔術で無理矢理取り込んだ欠片は大魔導槌の自我を蝕んでいるのだ。  既に大金槌ではなく巨大化した自らの拳でナスタを攻撃していた大魔導槌は、空振った腕で太いコンクリート製の柱を崩壊させた。 「そろそろですかね……。……粛清!」  ナスタの楽園追放が発動し、大魔導槌は姿を消した。 「えっ!? ナスタ! どこに跳ばしたんだよ!」  戦闘が中断され、静寂に包まれた部屋でリツの大声が響く。 「ここのすぐ上を指定した。大魔導槌は楽園追放の転移先をコントロールできるはずだが、今は恐らく私を倒すために転移先を変えずに、このすぐ近くの地上に出てきてると思う。……あれだけ的がでかければ、ノーコンのお前でも主砲を外さないだろ」  ナスタの狙いを理解したリツは、すぐさま出口に向かって飛びながらリオにテレパシーを送った。 「リオ! 『巨大変身』を使うから一旦超人力返して!」  ナスタはリツを追う前に、残された信者たちに目を向けた。大魔導槌と違って初めから戦意はなかったのか、信者たちはただうなだれているだけだった。その姿にナスタは過去の自分を幻視しないではないが、何度も振り返るつもりもなかった。  ナスタは戦いの結末を見届けるために階段を駆け上がり、空を仰ぎ見た。  次元の裂け目は既に閉じ、異次元獣の数もまばらになっていた。代わりに空を覆うのは、リツの本体たる巨大な空中戦艦『女神母艦シグルトリーヴァ』だ。その主砲が狙うのは、ナスタの狙い通りに地上に現れた大魔導槌の巨体である。  地表の小さな対象を狙うには威力が高すぎて周囲を巻き込んでしまう主砲の一撃は、高層ビル並みに膨れ上がったヴィランの野望を打ち砕くのには丁度良い。  シグルトリーヴァの主砲から放たれた閃光が空を焼き、体内の全ての欠片を砕かれた大魔導槌は、意識を失ったまま元の姿に戻り、地面にへばりつくように倒れていた。 「粛清」  ナスタは大魔導槌を適当な監獄に叩き込んだ。後はヒーローたちが地下に残った教団員たちを捕縛すれば片が付くだろう。 「ナスター! これ貸しだからなー!」  空から降ってくるリツの声を聞きながら、ナスタは自分が乗ってきた車が異次元獣に破壊されているのを見て、ポケットからスマホを取り出した。 「ハレンさんですか? 今から迎えに来てくれませんか? 乗ってきた車が壊されてしまって。はい。待ってますね」  ナスタは異能犯罪者更生施設の食堂で昼食を摂っていた。隣では既に食事を終えたハレンが今日のナスタの更生施設外での活動について報告する書類にペンを走らせている。 「ハレンさん、今何を考えているんですか?」  ハレンはペンを置いて横目でナスタを見た。考えていることを見透かされるような感覚は嫌ではなかった。 「……私はお前のために何ができているんだろうと思ったんだよ。結局、今回私がやったことって何もないだろ? お前が悩んでる時に解決策を考えてやることもできなかったし、教団と決着をつけるのもお前と他のヒーローがやったことだしな」 「今日の帰りに迎えに来てくれたじゃないですか」 「そんなの物の数にも入らねぇよ」  ナスタはハレンの腕に抱き着いて目を閉じた。 「別に、何もできていなくても良いんですよ」  ナスタは目を閉じたままゆっくりと深呼吸をした。今だけは、ナスタは自身を守るいくつもの異能の必要性を感じなかった。ナスタにとっては、それこそが重要なことなのだ。 「あなたはただ、私を受け入れてください。どこの誰でも、何者でもない私を。私がいつか、ここの収容者ではなくなっても。私の望みはそれだけです。他のものは私が自分で手に入れますから」  ハレンは上半身を捻って、ナスタに抱かれているのとは逆の手でナスタの頭を撫でた。昨日洗った髪はいつもより清潔だったが、今日浴びた砂ぼこりでやはり汚れていた。