通常友情、過剰無情 2026/02/19  紫咲真名実は同じクラスの同級生だ。私とは高校に入学した時からの関係で、紫咲の方から良く話しかけてくる。細身で不健康そうな印象だが、どちらかと言えばお調子者で、度を越しはしないが良く喋る。去年の文化祭で、文芸部で出した部誌に私が書いた詩を載せた時には、紫咲はわざわざ部室まで貰いに来て、後でそれを読んだと言っていた。感想を言おうとしないのでつまらなかったのかと思ったが、そうでもないようだった。紫咲が私を軽々しくも親し気に扱うので、私も紫咲を邪険にはせず、放課後や休みの日に一緒に遊びに出掛けたこともあった。  客観的に見て、紫咲は私の友達に相当するだろう。しかし、私はそうは思っていない。紫咲は表層的な笑い話か、テスト範囲の勉強の話しかしない。誰かが少しでもネガティブな話をしようとすると、すぐに遮ってそれを許さない。紫咲は誰にも悩みを打ち明けず、誰も紫咲の前では悩みを打ち明けられない。私はそこに友情を感じなかった。  その日は休日で、私は朝から紫咲と図書館で勉強をする約束をしていた。紫咲は他の人にも声をかけたと言っていたが、結局集まったのは二人だけだった。  待ち合わせの後、少し話をしてから図書館の学習スペースに入った私たちは、すぐに鞄から道具を取り出して、それぞれの勉強を始める。  紫咲は自分の勉強は出来るのだが、人に教えるのも、教わるのも下手だ。私たちはそれがもうお互いに分かりきってしまっているので、学校で授業を受けている時と同じように、ただ並んでペンを走らせているだけで時間が過ぎていった。  教わりもせず、教えもしないなら、わざわざ集まって勉強することに意味はあるのかと私が言ったことがある。紫咲はその時、「一緒に勉強するっていうゲームを一緒にしてるんじゃぁん」と、笑っているとは言えないほどの、曖昧ににやけた顔で答えた。紫咲にとっては、それで十分なのだ。  しばらく経ち、二人とも集中力が切れてしまったので、私たちは図書館を出た。帰りのコンビニでアイスを買って、近くの公園のベンチに並んで腰を下ろす。夏休みは終わったが、外はまだ暑い。  紫咲は袋を開けて、棒付きのソーダアイスを噛んだ。紫咲が買うのはいつも、売り場で一番安い物と決まっている。 「私は高いの一個買う金で安いの二個買った方が良いと思ってるタイプだから。座右の銘は『質より量』。真似して良いよ」  そう言いつつ、紫咲が安物を倍量買うのは見たことがない。軽妙そうに適当なことを言っているだけだ。座右の銘も、聞くたびに違うことを言っている。  私はワッフルコーンに包まれたバニラアイスを口に入れながら、空白化した時間で紫咲と自分の関係について考えた。  私は紫咲を友達とは呼ばないが、紫咲は私をそう呼ぶだろう。私はその差を埋めるものが欲しかった。  実際に笑えるかはともかく、紫咲は何もかもを面白おかしく話そうとする。複数人で集まっている時には自分にも他人にも暗い話をさせないが、それは場の空気を悪くしたくないという気遣いかも知れず、二人きりの時にどう反応するのかは誰からも聞いたことがなかった。二人きりの時なら、紫咲は私の苦しみに親身に寄り添ってくれるのかもしれない。私に自分の苦しみを吐き出してくれるのかもしれない。もしそうなら、私は喜んで紫咲を自分の友達だと言うだろう。  それは短絡的な思いつきだったが、私はいかにも本当らしい発見だと思った。  私は自分のアイスをすぐに食べ終わってしまった。紫咲はまだ半分しか食べていない。 「私、家ではイヤホンして本読んでるのよね」 「音楽聞きながらってこと? それ内容入って来なくない?」  紫咲は手を止めて、いかにも楽しみそうに私の顔を覗き込みながら話に食いついた。紫咲は本当に雑談が好きなのだ。 「そうかもしれないけど、家ではお父さんとお母さんが毎日ケンカしてて、その声が聞こえてきて怖いから……」 「あぁ……」  紫咲は身を引きながら、明らかに嫌そうな声を出した。 「……この話やめない? 何回か言ったことあると思うけど、私、そういう話聞くと滅茶苦茶落ち込むんだよね。解決もしてやれないしさぁ……」  それは紫咲が聞きたくない話を遮る際の定型文だった。面と向かって「聞く気がない」と突き付けられれば、誰も続きは話せない。二人きりになっても、紫咲は同じだった。  私は自分の発見が間違いだったと知って落胆すると同時に、強い苛立ちが湧き上がってきた。 「アンタっていっつもそうよね」 「え?」  紫咲が笑い話をするのは、それが紫咲のしたい話だからだ。それを誰かが聞くのなら、同じように、紫咲も誰かのしたい話を聞くべきだろう。それがどんな内容でも、自分が気に入らないからという理由で拒絶する権利は紫咲にはない。 「私の話、まだ終わってないわよ。何で遮るの? 何で遮って良いと思うのよ?」 「でも私は……」 「私ってアンタのなんなの? 誰でも出来るような薄っぺらい話だけして、嫌な話は聞きたくなくて……そんなので友達って言える? 聞いた傍から忘れるような中身のない話ばっかり繰り返して、アンタそれで満足なわけ?」  私が捲し立てるのに気圧されたのか、紫咲は中々答えられなかった。 「……私は平川のこと友達だと思ってるよ……。楽しい話だけして、嫌な話はしなくて、それの何が駄目なの……?」  話している間に怒りが込み上げてきたのか、最初は困惑しているだけだった紫咲は見る間に顔面を紅潮させた。 「今日も一緒に図書館で勉強してさぁ! 帰りにコンビニでアイス買って食ってさぁ! それで私ら今まで良い感じだったじゃん! それの何が駄目なんだよ!」  紫咲は顔を歪めて、その細い身体のどこから出ているのかというほどの大声をあげた。言ってから自分の声に驚いたのか、首を振りながら誤魔化すように辺りを見渡して、そのまま私に視線を戻さなかった。  紫咲は開いた脚の両膝に左右それぞれの肘を乗せると項垂れる。顔色はもう戻っていた。いっそ元より白くなって見えた。 「分かんねぇ……。怠いわ……。平川が何考えてんのか考えるのが怠い……」  一年以上付き合ってきた赤の他人をやっとの思いで友達と見なして、そうして打ち明けたものを「怠い」の一言で片づけられる。ただ拒絶されるならともかく、その不真面目な言い方は癪に障った。怠いで済むなら今の怒声は何だったのか。 「怠いって何よ。私だって怠いわよ。アンタみたいなへらへらした奴と真剣ぶってこんな話して。馬鹿みたい」  勝手に振った話に相手が期待したような反応を返さなかったからといって、この言い草は不味いと思いながら、私は頭の中に浮かんだ言葉を口にせずにはいられなかった。  もはや、怠いというよりも、心身ともに疲弊しきっているという風に紫咲は口を開いた。身を屈めているせいだけではなく、実際以上にその体が小さく見えた。 「私はそれで良いよ……。こんな楽しくねぇ話、怠いんだったらやめようや……」 「こんな時までふざけてやり過ごそうってつもり? 良い加減にしなさいよ」 「……平川が欲しいのはさぁ、友達じゃなくてさ、恋人なんじゃない? 何もかもを打ち明けて、何もかもを打ち明けられてさ……。気色の悪い……。私は恋人は要らないわ……。私は平川に友達でいてほしいよ……。楽しい話だけしてたいよ。薄っぺらくて良いじゃんか。私は平川が作った本は読むけど、感想は言いたくない。書いた時に何を考えてたかなんて聞きたくない。何も悩んでないような顔をしてくれ。家族の話なんかしないでくれ」  紫咲は足元に視線を落としたままぽつぽつと、しかし口は挟めないような間隔で続けて呟いた。半分残ったアイスが溶けて、棒から離れて地面に落ちた。  私は頭に昇っていた血が急激に冷めるのを感じた。何もかもを打ち明けるのは気色が悪いと言いながら、それは紫咲の本心の吐露のようだった。浅瀬を渡るような関係の他人を友達と呼んで、楽しい話だけしていたいというのが、追い縋りたいほどの紫咲の願いなのだ。  自他境界が曖昧で、他者に過剰な同調をしてしまう。自分の心を守るためには、暗い話は聞いていられない。落ち込む時間を少なくするには、笑い話か勉強しかない。それは定型文の中で紫咲が何度も言っていたことだった。そして、それは両親が言い争う声を音楽と本で塗り潰そうとしている私に似ていた。紫咲は初めから全て打ち明けていたのだ。  その内、紫咲の目から大粒の涙が一つだけこぼれて、溶けたアイスと同じように地面に落ちた。私は何故かそれがはっきりと目で追えた。  弱々しく黙ってしまった紫咲の内心が分かっても、それで話が終わるわけではない。これでは足りない。私は本当の友達が欲しい。私が紫咲を理解するように、紫咲にも私のことを理解してほしい。  私は紫咲に、私の心の、本当のことをぴたりと言い当ててほしいのだ。 「アンタはそれで良いわよね。他人を自分の機嫌を取るための道具に使って、自分は誰の心にも寄り添わないで。さぞ居心地が良いんでしょうよ」  冷静になったはずなのに、また不味いことを言っている。怒りに囲まれて育った私は、怒り以外の気持ちの伝え方が分からない。  繰り返される私の暴言を聞いて、紫咲も何かが冷めてしまったのか、貼り付けたように無表情だった。淡々と何かを俯瞰しているように、冷たく私の顔を見返してきた。  分かって欲しいと思うほど、人は私から離れていくようだ。 「平川が何を言いたいのか分からない……。そんなこと言って何の意味がある? ……平川と私が言ってる友達は意味が違うんだと思う。同じ話を他の誰かにしてみなよ。平川の話を聴いて、寄り添ってくれる友達がいたら、教えてよ。そしたら私は『良かったね』って言うよ」  紫咲の心がどうしようもなく離れてしまったのを感じて、私はベンチから立つしかなかった。そのまま背を向けて歩き始める。紫咲は何も言わず、追いかけても来なかった。  私は何も分からなかった。紫咲に何を言うべきだったのか、何を聴くべきだったのか。恐らく、分かっても実際には言えないし、聴けないだろう。ただ、紫咲が私に話しかけてくることはもうないのだということだけが分かっていた。  甘いアイスを食べた後の口の中は、べたべたとして気持ちが悪かった。