誰もいない、静かな周囲。 近づく足音もなく、ただ各部屋からほんのり漏れて跳ね返るかすかな光のみの暗い廊下。 照らされてきらきら動く銀の髪、自分を見据える不可思議な紫の目。 その目の背後にある壁に、肩を超えて肘をつき、軽く首を傾げてゆっくり近づく。 しかし長老はにやりと笑っただけだった。 「…ばか、ちょっとは身の危険とか感じろよ」 「感じんのう。おぬしにそんな度胸、あるまいて」 「襲っちゃうゾ」 「128年早いわ」 するりと腕の中から逃げ出し、手をひらひら振りながら去って行ってしまった。 そんな度胸が無かったかどうかは別として、やたら速度が速い胸のあたりを無視しながら頭を掻いた。 「俺って、そんなに軽そぉなダメ男?」 『そんなことないわよ、Django Taylor!自分に自信を持って!』 問いかけてから自分でその青紫に咲く花の葉をひょこひょこ動かしながらしゃべる。 葉を動かすと花も前後に揺れて、本当に話しかけてきているような錯覚さえあった。 「あら、ありがとう。もうちょっと頑張ってみるね」 『そうよ、そのいきよ!!』 「あのぉ…」 しゃがみこんで両手で葉をつまんでいると背後から躊躇いがちに声がかかり、かったるそうに振り返る。 患者用の丸い椅子に少年が腰掛けてこちらを窺っていた。 何か言いたげな目にどっこいしょ、と立ちあがってから引きずっていた白衣の裾を叩く。 聴診器を首にかけなおして自分もどかりと椅子に座った。 「お前は元気だ」 「ヤブ医者の噂広めて衛生兵から強襲兵にしてやりましょうか」 少年が部屋に入りながら訴えていた症状を思い出し、のろのろと診察を始める。 扁桃腺が腫れている。 ゴッドイーターも細菌には勝てんか、と処方箋にペンを走らせた。 強い殺菌の薬、それからゴッドイーター用の強い薬でも耐えうるよう、胃粘膜強化の薬、 咳止め、解熱剤、など。 「1日休め。それ以降も、廃寺行くのは控えろ。地下もな。  2,3日は立ってるだけで体力持ってかれるようなとこはやめるように」 「りょうかぁぃ」 礼を言ってから赤い顔でふらつきつつ立ちあがるゴッドイーターに手を貸してやる。 手を取って立ちあがってから少年はじっと考え込むようにこちらを見つめ、やがてにこりと笑った。 ん?と目線で問いかけると、人差し指をDjangoの鼻に突き立てた。 「どう見ても軽いから」 「おい煩ぇぞ」 「でも真剣な顔で、黙ってればいけるよ」 「お前、はよ帰れ」 しっかり寝ろよ、と言い加えながら栄養剤をつけ足した処方箋を手渡す。 軽く返事をしてだるそうに揺れながら出て行った。 その姿を見送ってから肩の力を抜いて俯いて首を振る。 「…いつも真剣な顔のつもりなんだがなぁ」 しわを寄せた眉間を軽く揉みほぐしてから大きなため息と共に椅子にもたれかかった。 何の用事も無くアナグラをうろつく。 時々顔見知りの同僚に声をかけられ、答えて手を振った。 それ以外は少し先の地面をじっと見つめて猫背がちにただ歩く。 そのうち誰も声をかけてこなくなった。 いつもなら居心地悪く感じるそんな散歩も、考え事をしている今日は大歓迎だ。 本日の議題、結局自分はどうしたいのか。 何かと突っかかっては追い返され、それでもなお構う。 そこまでして何がしたいのか。 相手にされないなら他の誰かにちょっかいを出せばいい。 どんな評判がされ、どんな陰口を叩かれようが、ひとりやふたりは付き合ってくれるやつがいるはずだ。 なのになぜ執着するのだろうか。 今までそんな事は無かった。 ただふらふらと肩に優しく手をかけて、いざない、それで終わり。 (そりゃー…お前、ここまで気になっちゃうのって、巷で噂の…) 考えてからまさかな、と思いなおす。 自分の性格は、自分の軽さは自分が一番よく知っている。 「何しみったれとるんじゃ」 物思いに沈むDjangoを聞きなれた声が現実に引き戻した。 噂をすればなんとか、って言葉、無かったっけと複雑な表情を浮かべて振り返る。 面白がる顔つきでにやにやこちらを見ている長老と目があった。 「…ちょっとね」 「おぬしに似合わん言い回しじゃのう。歯切れが悪い」 「たまにはそんな時もあんだよ」 どんな事をしようが、どんな事を言おうが、この人は次の瞬間には何も無かったかのように笑う。 取り合っていない証拠じゃないか。 ほら、ホールへ行って、誰か誘って気晴らしでもしろよ。 そう自分をつついてみるが目に入ってしまったその人からなぜか離れない。 そんな。 半笑いを浮かべ、片手で閉じた目を覆ってしばし考える。 Djangoさん、どうですか? うーん、違いますねぇ、他の人とは違います。 そうですか…なら、そうなんですね。 「どうしたんじゃ。気分でも悪いのか、医者のくせ…?」 言い切る前に長老の腕を掴んで早足で歩きだす。 この間と同じ、人気が少ない廊下へ。 黙って進みづつけるが長老は何も言わずについてくる。 薄暗い倉庫へ繋がる脇道に入り込んでからやっと足を緩めた。 ちょうど、2人ともに影がかかる程度に奥へ進んでから腕を解放する。 何を思っているのか、長老は目を細めてこちらを観察しているだけだった。 「…なぁ」 「何じゃ」 とん、と軽く壁に押し付けて覆いかぶさる。 やたら角度をつけて見上げる白い顔に、こんなに小さかったかと思いながら。 頭のすぐそばの壁に手を押しつけ、それを支えに少しずつ近づく。 ピクリとも動かない。 垂れた目を殆ど閉じるようにして微かに顔を斜めにする。 目さえも逸らさない。 とうとう鼻先が触れて、睫毛としっかり開いた目しか見えなくなった。 「あのさ」 うっすら開けた口で長老の唇に触れかけてから横にずれる。 頬を、耳を、すっと掠め取ってから額をごんと壁に押し付けた。 自分の、どう頑張っても整わない髪と長老の髪が混ざっているのがなんとなしにわかる。 それほどに近づいてしまったあなたへ。 「マジで好きっつったら、どうする?」 ずるずると頭を引きずって長老の肩に落とした。